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“掲示板”

この世界は人を覚醒させるための触媒です。

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ついでに、 / ubik0101
A=A。つまりB=B、C=C・・・です。たとえば赤は赤。見るは見る。喜びは喜び。これをA=Aと呼びます。では、赤と、青と、見るとか寒いとかの関係はどなってるでしょう。A〜B〜Cとかに変化する日常なくてA=Aは成立しないのです。

分類するならばですが、若葉がでて花が咲き虫が飛び実がなり紅葉する。それを木と呼ぶ・・その変化と、人が木を見る鳥の声を聞く暑さ寒さを感じ空の青さを知る・・・どうでしょう。これが、これ。これがA=A。です。

No.7905 - 2025/02/04(Tue) 06:50:59

Re: ついでに、 / 本の無い図書館
A=A
それが起こる以前も以後もなく。

A=A B=B
変化があるように見えて実は何も起こっていない…と言ってみたくなります。

No.7906 - 2025/02/04(Tue) 16:51:25

Re: ついでに、 / ubik0101
いろんなことが見えたり聞こえたりしますが、そのこっちというか奥というか、裏というか、は、ない、です。自分で探ろうとしたら、虚無です。風景や思考のように見えたり聞こえたりすることだけ知覚されある。

で、ない、の理由を探ります。たとえば♪襟裳の春はなにもない春です。この歌。友、酒、暖炉だけではなく・・・何でもあるから・・・特定の分離された個別のことがない・・・いつも言う譬えですが、

光の総ての色があるから特定の緑でも赤でもなく黄でもなく、透明光。そのためには好きも嫌いも葛藤も善も偽善も怠惰も勤勉も苦も楽も自我も真我も時間も即今も原因も結果も・・・ありとあらゆること、ありとありえないことに満ちて

・・・特段、個別のことがないので、ない。それで風景とか行動とか思考とかの知覚されることと、それを知覚する自分を区別しないなら、不増不減、なにも起こってない、それはそうです。

No.7907 - 2025/02/04(Tue) 17:50:53

Re: ついでに、 / hato

もう、・・

つまんないくらいに普通なこちらです。


庭がすっかり冬景色。

これもとてもいいです。

No.7908 - 2025/02/04(Tue) 17:52:27
(No Subject) / 本の無い図書館
これはそう思った時に現れただけの空想上の物語です…

******

思い浮かぶのは空想上の遥か昔。

「どうしてこんなことしたの!!」
と空想上の母親に、空想上の幼い私が怒られている様子。

空想上の幼い私に生まれる空想上の戸惑い。
「何が起こっているんだろう?」
「とうして"私"は"こんなこと"したんだろう?」
「この目の前の緊急事態を消すためには、何か目の前の人が納得しそうな"理由"を話さなきゃ…」
「この目の前の人が生きている"世界"を共有しなきゃ…」

そんな空想上の経験を繰り返す中で
今起こっている緊急事態つまり「結果」
と、その緊急事態に至った「原因」という
「原因と結果を分ける思考法」「"理由を考える"という思考法」が定着したのかもしれません。

原因と結果をことさら分離して、その離れ離れになった原因と結果を再び繋ぎ合わせるために「理由という物語」が語られる。
そして
その「物語」によって、物語の帰属すべき「私」が、物語の所有者である「私」が召喚される…

どうして「私」はこんな事をしたんだろう?
今起こっている出来事の「理由」は何だろう?

この「原因と結果の物語」の中で、「私」は常に行為者か被行為者かのどちらかとして位置付けられ、その存在が確認されます。
そして
「物語」は単なる説明の手段ではなく、「私」の存在証明のような役割を果たすようになります。

ついには空想上で物語を物語るたびに、召喚された「私」が強烈にイメージとして定着する。

…でもその「私」の中身はいつでも空っぽ…

No.7897 - 2025/01/27(Mon) 12:18:21

Re: / ubik0101
No.7898 - 2025/01/27(Mon) 12:27:00に返信を投稿しました。

>…でもその「私」の中身はいつでも空っぽ…

そですね。空っぽ、というのを定義してみたことありますか?

No.7899 - 2025/01/27(Mon) 12:34:07

Re: / 本の無い図書館
返信ありがとうございます。

空っぽの定義
A=A

というのでどうでしょう?

No.7900 - 2025/01/27(Mon) 13:14:32

Re: / ubik0101
それはそです。でも、空っぽ、そのこととは?です。
No.7901 - 2025/01/27(Mon) 13:30:46

Re: / 本の無い図書館
返信ありがとうございます。

ああ、「私」って空っぽなんだな。

と浮かんだ時には

ああ、「私」って空っぽなんだな。

で完結・完成していて、もうその中に入っていけない入っていくものがない感じなんです。

No.7902 - 2025/01/27(Mon) 13:46:49

Re: / 本の無い図書館
「私」は
「"原因と結果が分離しているという錯覚"が生じている状況」
の中でのみ影響力を持つ現象。
それで「私の中身は空っぽ」という表現が現れたのだと思います。

でも、これもまたそう空想した時にだけ現れる空想…ですね。


ありがとうございました。

No.7903 - 2025/01/27(Mon) 15:12:34

Re: / ubik0101
なにかを行動する、思考する、話す・・・そのことによって、そしてる主体が時間を遡って、仮定される。なのに予めある自分が行動する思考する話すと思い違いする。

つまりその私、自分、俺は時間によって作られた虚構。これが開示された自我の仕組みでした。それで自我には、どうしても時間が組み込まれると踏んでいます。

また、いつでも訪問ください。元気をいただきました。

No.7904 - 2025/01/27(Mon) 17:26:46
(No Subject) / 本の無い図書館
こんにちは。
ちょっと伺っていいですか?

ubik0101さんの不思議な日常に
「原因」と「結果」はどのように現れていますか?
例えば
今、お腹が減っている(結果)のは、
今朝ご飯を食べなかったから(原因)
なのでしょうか?

できれば右も左も分からない未就学児に語りかけるモードで話していただくと助かります。

お暇な時にでも。

No.7893 - 2025/01/26(Sun) 09:22:05

Re: / ubik0101
うー。。原因と結果は、同じだと、いかがでしょう。腹が減ったという事実、を腹が減ったと知覚する。それは原因と結果は同時?というより、腹が減った。だけしか気になることはないようです。

ずっと前ですが。朝ご飯を食べず、昼ご飯も食べないで働いていたときに、腹が減ったという感覚を受け続けてると、そのうち空腹感もなくなって、帰宅途中などに一日一回の食事。それが普通の日常になりました。

もしかして腹が減ったということを結果とみなして遡って探ると、今朝ご飯を食べなかったからという原因に突き当たるのではないですか。そんな原因と結果。という思考方法に乗った思考をしてるかもしれません。

おおむね原因と結果の思考は有用なんでしょうが、ありもしない原因から今の結果を演繹する。また今の結果からありもしない原因を捏造する。今の状態を見て未来を空想する。とか起こりそうです。

どこか未開の国で、村の誰かが病気になると、これは隣村の誰かの呪いだ。ということで槍を持って、戦いに行くというテレビ番組を見たことがあります。原因と結果が揃えばそれは空想であっても、事実と感じられるという弊害がありそうです。

そんな原因と結果が壊滅しても、とくに生きるに支障はないのですが、なぜか塩の味は塩の味。見えるは見えるでなくていいのに見える・・・知覚、感情、意識・・・これはこれでなくていのにこれ。

No.7894 - 2025/01/26(Sun) 21:38:51

Re: / 本の無い図書館
ubik0101さん返信ありがとうございます。
ubik0101さんの返信に同意します。

原因と結果を別々に想定するところに
「時間の経過のストーリー」
「原因から結果に至るストーリー」
「結果から原因を探るストーリー」
「そのストーリーの主人公である私」
などが生まれてくるのでしょうね。

目があるから見えるんだ。
見えているからには目があるはず。
苦しんでいるからには苦しむ主体がいるはず。
「私」がいるから苦しいんだ。
今、苦しみという結果があるなら、その苦しみを生み出した原因があるはず。
etc、etc…
みたいな…

でも、実際にあるのは「原因=結果」
原因が結果、結果が原因。
今、「そう」なのは、「そう」だから。
なら、原因も結果も無い。

原因=結果なら
時間の経過というストーリーも
原因から結果に至るストーリーも必要ない。
原因に取り組んで結果を変えるストーリーも必要ない。
なら、ストーリーの主人公である「私」も必要ない。
原因も結果もない。

今、苦しいのは 今、苦しいから。
苦しいままに何の問題もない。
「それ自体が原因であり結果である現れ」だけがある時、そこにはもう「問題」の起こりようがない。

超絶シンプルですね。

ありがとうございました。

No.7895 - 2025/01/27(Mon) 09:12:21

Re: / 本の無い図書館
とすると
「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」も、
ただ「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」
と思い浮かんが事が原因で
「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」
という結果を生じた…
ということとは違うのでしょうか?

ubik0101さんのことなので、その可能性はもう潰してあるとは思いますが、興味本位で伺ってみました。

No.7896 - 2025/01/27(Mon) 09:25:16

Re: / ubik0101
おそらく・・・原因と結果の分離の思考は、どこから始まるか、それはどうして壊滅するか?それは神と被造物。実在と現象。真我と自我。そんな原因と結果を認めるから、世界にあって何だかの原因と結果の分離?を正当化するのだと思います。

それで神と世界とか、実在と現象の分離、真我と自我の分離がなくなることが、日常での原因と結果の分離の壊滅になったのだと思います。壊滅とは言いますが、完成と言ってもいいです。自我の死とかいわれますが、完成とも言ってます。

たとえばですが、絵の具の色を混ぜると黒に近づきますが、光の色を重ねると透明になります。ここで見えなくなっても、失うことは何もないのです。たとえばですが九九を憶えたら計算してないでも九九は生きてるです。

これはこれでなくていいのにこれ。の経緯は・・・意識はなぜ意識?という疑問から始まりました。たとえば塩の味はなぜ塩の味?怒りはなぜ怒り?これ、分からないのです。ほんとうに知らないのです。

ただ塩の味は、好き、嫌いとか、保存に役立つとか、喜び悲しみの物語によって、知覚、感情、意識はその前提にされ疑問をもたれないということで、知ってるつもりになってるだけと感じます。

それで知ってるということも何だか知らず、知らないことも何だか知らない。ここで、塩の味が塩の味である理由それも見いだされないことに気がつきました。塩の味が塩の味である必要はないけど、塩の味なんです。

なにがなんだか分からない不思議な世界です。神秘なんですが、その神秘さも失って、言葉にすれば、これはこれでなくていいのにこれ。です。ちょっと文章、その意向は違いますが、

>「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」

「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」は「これはこれでなくていいのにこれなのはなぜ?」ということはA=Aの疑問ではないでしょうか。なんか考えてる自分を二度見したり、自分が透明になってなければ、A=Aができないと睨んでいます。

No.7898 - 2025/01/27(Mon) 12:27:00
謹賀新年 / ubik0101&hato

あけましておめでとうございます

今年も元気に幸せにありますように


本年もよろしくお願いいたします

No.7885 - 2025/01/01(Wed) 19:59:49

Re: ついでに、 / ubik0101
10年以上振りに、禅友に贈る書、というブログに行き当たりました。

https://ameblo.jp/hosshinzendo/

>井上義衍老師は

>「 自体が自体である時、自体が自体を知ることは出来ない 」

>と看破しています。

とかありました。そです。けど、「 自体が自体である時、自体が自体を知ることは出来ない 」ということは認識できるのです。つまりA=Aができてるのです。

これはなぜ?ここで、「 である時 」と言う(必要がある)のはなぜ?を探る。また、「 知ることが出来ない 」、の、知る。を定義してみる。

また、この日常の自分に、「自体が自体を知ることは出来ない 」を適応してみる。思考する、思考を思考する。行動、発言・・・するしない・・・この日常。つまり一切が、非思慮です。

No.7888 - 2025/01/11(Sat) 07:30:21

Re: ついでに、 / ubik0101
それがA=Aでないなら、それはそれと違うことを言ってる、
No.7889 - 2025/01/18(Sat) 06:08:58

Re: ついでに / ubik0101
A=Aは人と世界の融合なしにはできないです。
No.7890 - 2025/01/18(Sat) 21:14:09

Re: ついでに / ubik0101
A=Aということは、無我ということです。その話すことが、その話すこと。その思考が、その思考。その行動が、その行動。お茶を飲んだり運転したり・・・ふつうの日常。
No.7891 - 2025/01/19(Sun) 20:43:39

Re: ついでに / ubik0101
どでもいいですが、死霊、という小説に、自同律の不快。とあるそうです。どんな物語か知らないので、その言葉だけで探ると、A=Aでない自我な自分が嫌いだ。となりそうです。なにかになりきる、

ありきることができない。そんな人は必然的に、正確にA≠Aです。またそしてA=Aはまだるっこい、A、それだけ。でありたい、ということかもしれません。その思考に、その感情に、

その知覚に。発言。行動に・・・世界に・・・目を奪われて自分を奪われて自分を見失う。ことが嫌いだ。そんな自分があると感じるかもしれないけど、ない。のです。

ないのにそれを失いたくないと、守ってる。守るには意味があって、失いたくない、ある。を求めてるかもしれません。この生きてることにあって、そんな探求が可能です。

No.7892 - 2025/01/22(Wed) 21:04:45
非対象 / ubik0101
>ブッダの言葉 (スッタニパータ) 第一

>【1、蛇】

>1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
>──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。



この詩句も、うろ覚えでしたが、検索してみました。そしてこの後、いろんな状況が説明されてて、ああ続きがあるのか、という感じです。スッタニパータは、理解困難な文章ですが・・・ここでまず、

どこかで聞いた話ですが、ある教師が、死霊、という小説を読んで生徒に言ったそうです。なんとしてもこれを論破してやろうと何度も読むのだけど、まったく分からない。と言ったそうです。

いや。そんなこと言ってる、その自分だろ。問題は。論破すべきは、解明すべきは、そのそんな自分だろ。それを蔑ろにして、誰かを判断しようというその教師は、そしようとしてるその自分が

No.7866 - 2024/11/10(Sun) 06:36:21

Re: 非対象 / ubik0101
なにか論破するほどの能力があるほど完璧ではないと認識することがブロックされてるかもしれません。小説にしても、書店に行くと一生では読み切れない本が並んでる。世界人口は90億くらいだとして、そんな誰かの、

なにか言うことに行動することに、総て関り理解できるのだろうか。それは永遠に不可能。それよりその自分。たったこれ、これを解明すればいい・・・一番簡単なことをすればいいい、なのに・・・その自分のことは、

知ってる、分かったつもりで、度外視して、なんか、論破、批判、非難、賛同・・・しようとしてるんではないか。その自分から眼を背け続ける、そんな人生でいいのだろうか。

まずは自分は愚かだという現状認識。そこから、おなじ小説を読むことが、同じ論破しようとすることが、生徒に話すことが、自分は何?の実施のきっかけになるかもしれません。ところで小説に限らず、

No.7867 - 2024/11/10(Sun) 06:41:35

Re: 非対象 / ubik0101
なんでもいい・・・争い、平和、裕福、貧乏、宗教、噂話、ビジネス・・・傲慢、卑下、平等、不平等、幸不幸、娯楽、旅行・・・なんでもいい、どうでもいい・・・自分から眼を背けることにもなる。

その同じことが自分が愚かなことに気がつく経験にもなるのに。ところで、なんのために生きるのだろう。こんなことをして何のためになるのだろう、まだ幼い時にも、それぞれ人類全員が思うのではないだろうか。

その答えは、なんと答えても駄目だ、万巻の書を読むことでも、地球を観光するためでも、有名人になることでも、世界を征服するためでも、死ぬことでも・・・どうでもだめだ。そのために生きてるわけではない、

そんな掴み所のない何かを感じたことはないだろうか。それはあまりにも簡単。自分のために生きるのです。なのに論破、噂話、空想、事実、争い、どうしたことだ。いろんな事象に巻き込まれて、自分を蔑ろにして

まったく自分のためにならないことを、自分のためと勘違いしながら、永遠に続けてるのではないか。こんな滑稽な人生でいいのか。悪とは自分のためにならないことをすることだ。それでいいでないから、それが自分に認識できるように、毎日おなじことを続けるのではないか。

No.7868 - 2024/11/10(Sun) 20:39:44

Re: 非対象 / ubik0101
なんでもいいですが、ここでこんな文章を読んで、さて、それを対象にすると、対象にしてる自分が生じるかもしれません。そうだ。にしても、いいえ、にしても、つまり、

なにかに対応してる自分。なんか書に、友人に、ニュースに、噂話に、応じて、ぽっと生じてるだけの自分。たとえば運転してて渋滞だ。赤信号だ。するとそこで、

急いでるのに邪魔されて不快を感じる、そして急いで走るというとくに快ではないけど、それを快だとして不快を打ち消すことを求める自分を捏造していないだろうか。いい天気です。

あるいは嵐です。なんでもいいですが、それに対応する。誰かに怒ったらそこで、正しい自分を捏造してないだろうか。愚かな誰かを見ると、ありもしない賢い自分を捏造してないだろうか。

その自分が正しいという理由はいくらでも捏造で得きる。同じことを何回でも繰り返す、気がつけ気がつけ、そんな自分だということに気がつけと。

No.7869 - 2024/11/13(Wed) 20:18:28

Re: 非対象 / ubik0101
あくまで例え話だけど、昔あったテープレコダーのように。磁気に接近した鉄粉が、磁気を帯びるように、その都度その都度、上書き着磁されてしまいます。すると、まだあるのか知らないけど、何も録音されてないテープを

そこでは必要とするかもしれません。磁石には鉄が中心にあるように、心とか、精神とか、魂とか。ほんとの自分とか。そいうのが設定されると、その上に、あらゆる幻のような事象に接触して。幻のように、ぽっと生じる、

あれやこれやを経験したり、しなかったりの自分が生じるのではないだろか。上書きされてそれは消えてしまうのだけど、消えない無くならないなにか基礎、基底として設定されてはないだろうか。着磁、上書きされるためにはバイアスが必要、

No.7870 - 2024/11/13(Wed) 21:22:50

Re: 非対象 / ubik0101
そのバイアスがかかってることに気つかない。それは、たとえば、高い自己評価。でなくてどうして、何かを論破しようとしたり、判断、非難、賛同、噂話、傲慢、卑下、嘘、事実・・・そんなことで争えるだろうか。傲慢であって、

その傲慢に気がつかない・・・非難しながらその非難してることに気がつかない・・・噂話しててその噂話してることに気がつかない・・・愚かとは、自分でしてるのに何をしてるのか分からないこと・・・それに気がつけ、その行動が言葉が思考が、訴えてる。

No.7871 - 2024/11/13(Wed) 21:26:52

Re: 非対象 / ubik0101
なんであれ何かを対象にすると、それを対象にしてる自分が生じる、というモードで話してるここで、では実際、誰かは、あるいは木や花や世界は、対象だろうか?過去は、記憶は、対象だろうか?

いや、断じて、世界は、誰かは、思考は、過去は、記憶は・・・なんであれ知覚でき得ることも、できないことも、対象ではない。対象に出来得ない。けど、たぶん、もしかして、自分で自分を見る人は、心、精神、魂の人は、

他のだれかから見ることとして自分を見る人は、ほかの誰かも、小説も、宗教も、哲学も、政治も、言葉も、記憶も、なんであれ、自分のしてることが分からず、愚かで、自覚なく、対象かも知れません。ところで、

No.7872 - 2024/11/13(Wed) 21:37:45

Re: 非対象 / ubik0101
さて、朝になります。世界は自然な透明光に溢れています。ここで、たとえばその透明光に溢れる空間に、赤、が見えるでしょうか。青、が見えるでしょうか。

いいえ。見えないです。ある、から、見えないのです。もし、なんであれ、透明光から赤を削除したら、透明光は透明光ではなくなります。あるからないです。

ないからある、です。自己は自己には見えない。あるから、ない・・・ないからある。と言ってもいいです。自我は見える、あるからない・・・ないからある。と言ってもいいです。

No.7873 - 2024/11/17(Sun) 07:30:09

Re: 非対象 / ubik0101
たとえば怒ったとします。その状況は、誰かであれ、政治であれ、世界であれ、対象が設定されます。そして、対象を対象にしてる私、自分、俺、僕が設定されます。

そこですでに怒りを正当化する理由がなんと呼ぼうと、その私、に組み込まれています。たとえば犬が自分を守るために怒り吠えるように、その自分を守りたいということもあるでしょう。

笑って誤魔化すように怒って誤魔化すもあるでしょう。愚かさを叱咤激励することもあるでしょう。そのように何か対象と、対象にしてるにしてるその自分があることを正当化する理由をつくります。

このようにして、世界、現実、人生、空想、思想、学問、科学、嘘、なんと呼ぼうと、それに縛り付けられます。まるで蔦や藤が縺れて絡みつくように自分を縛ります。葛藤、と呼ばれます。

そのようにして人は世界に縛り付けられ、縛り付けられてるとの自覚もなく、その自分をガードする、自分を騙す勝手な因果をつくり縛り付けられます。たとえば・・・ルーツ、先祖、子孫、アトランティス、プレアデス、事実、

空想、神、仏、輪廻・・・この世界、あの世界、なんであれ・・・その自分は自己以外のことに依存します。それは怒りだけではないです・・・嫉みでも、偽善でも、傲慢でも、卑下でも、

娯楽でも、喜びでも、不安も安心も、絶望も希望も、名前も、年齢も、性別も、戦争も、平和も、善悪も、部分も全体も・・・ありとあらゆることが、そのような勝手な因果な自分をつくりそれを正当化する理由の媒介になります。

No.7874 - 2024/11/19(Tue) 21:08:54

Re: 非対象 / ubik0101
どすればいい?そのことから、そのことを学ぶのです。その私、俺、自分、僕。それがそうだという構造を観察するのです。もし自分が自己評価が高いから、そんなことをしてると分かったら、それを左右する必要はないです。傲慢な人が謙る必要はないです。

私は傲慢だった。それを心から、精神から、魂から、認識するのです。でないと、謙るにしても、悔やむにしても、気晴らししたり、そのことから逃げるにしても、ほかのことを意図するにしても、また対象と対象にする私がつくられます。

つまりは何をしても、心ここにあらず、精神ここにあらず、魂ここにあらず・・・自分が実に何をしてるか、言ってるか、思考してるか、自分で分からない・・・これはいわゆる悪い意味での思考、行動の、話の、領域です。

それを何十年、一生の間続けても、何もなりません。嫁いだり娶ったり、裕福になったり、貧しくなったり、怒ったり、喜んだり、健康だったり、病気になったり・・・それについての行動、思考、発言・・・自分のためにならない葛藤に巻き込まれ続けてるだけです。

No.7875 - 2024/11/27(Wed) 07:38:27

Re: 非対象 / ubik0101
この僕、私、俺、自分が、自分のしてることが自分で分からない?こんなこと聞くと誰も嘲笑うかもしれません。そのくらい愚かなことに気がつかないほど愚かなこと、それに気がつくこと。そするためには努力は必要かもしれませんが、出来ます。
No.7876 - 2024/11/27(Wed) 07:39:42

Re: 非対象 / ubik0101
ちょっと繰り返しますが・・・自分が傲慢だと気がついたら、謙る必要はないです。欲が強いと気がついたら、弱くなろうとする必要はないです。激しい気性と気がついたら、柔らかくなろうとする必要はないです。

愚かだと気がついたら賢くなろうとする必要はないです。そいう自分に気がつくだけ、が大事です。そのことと反対のこと、類似のこと、無関係なことを求めるのは、総て逃避です。自己責任の放棄です。そしてることには、気がつくでしょう。

そしてたとえば、傲慢だ。としても、謙虚だとしても、バイアスとして自己評価が高いてことに気がつかないでしょうか。公平だにしても、不公平だにしても、どっちでもない。にしても、自己評価が高い、あるいは愚かだ。自分は自我だ。に気がつかないでしょうか。

あるとき威張ったら、威張ってない平常通りのときも、威張ってる自分だと気がつかないでしょうか。ドッジボールで相手がボールを持ったら背を向けて逃げない、相手に向き合う。それだけです。自己責任から逃げないということでもあります。気がついたら自然に世界が人生が働くようになります。

No.7877 - 2024/11/27(Wed) 09:55:19

Re: 非対象 / ubik0101
理解することは得ることより、失うことに似ています。分光された赤を認識する。それから総ての色が、赤が、青が、黄があって自然の透明光になるように、理解によって透明になるのです。非対象です。つまり総てがあるから透明光・・・見えなくても、なくなることは、なにもないです。このように

その人の行動、思考、発言は。事象は。世界は。人生は、ちょっとした触媒として機能するだけです。これは一人でやらねばなりません。が、一人も、みんなも、断片も、全体もないのです。ま説明としては、その、その一人一人が総てやればいいのです。

ならば、断片も、全体もないです。あまりに起きる事象に気をとられてるなら、そのその自分が問題だ。です。誰かからいい人だと思われたいなら、その自分が誰でもなく、いい人になればいい・・・です。赤が見えたら、その補色が見えるように、そ言えるだけです。

No.7878 - 2024/11/27(Wed) 10:01:57

Re: 非対象 / hato

静岡に父がきました。もう、いい歳を、ちょい越えたくらいのいい歳・・のお父さん。ちょっとふしぎなことがあっても、元気でいてくれるなら、やっぱり嬉しいものです。

さとり、覚醒、成長・・それも断片に過ぎない・・と思うなら、その人自身が断片かも知れません。

No.7879 - 2024/11/27(Wed) 22:46:31

Re: 非対象 / ubik0101
>1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
>──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


なんでもいいですが、怒りが起こったでも、喜んだでも、思考したでも、怒らなかったでも、分離も全体も・・・葛藤です。この世界に・・・つまりは自己以外のことに依拠し、その怒り、喜び、思考、怒らなかった・・・が生じています。それに巻き込まれず、

それからそれを学んで理解するのです。怒る自分、それを可能にする理由。喜ぶ自分、それを可能にする理由。心配する自分。それを可能にする自分。傲慢な自分それを可能にする理由。自己責任から逃げる自分、思考する自分、思考しない自分・・・その理由は隠蔽されて

なければ機能しません。見ればいのです。明るみに出せばいいのです。とても高ビーな誰かがいました。そして高ビーな自分だということにさえ気がついていません。でも、その行動、発言、思考に現れるのです。自分で自分の発言は、

行動は、思考は、見えるのです。誰かに指図したら誰かに指図したと分かるでしょう。それで分からないのは、その裏の、隠れた理由に支配されてるからかもしれません。たとえば、自分は家系がいい、郵便貯金がある、男である、女である、生まれた身体を間違った、病気である、

健康である。年少である、年長である、同年代である・・・なんでも理由になり得ます。この私を見て頂戴。承認要求。なんであれそれは総て。その人がそうしようとして、自分で自分に隠して自分を騙して、そうしてるのです。なので見れば終わりです。

それと理由のない特別感、万能観、たぶん誰でも子供の頃は、そいうのに支配されるでしょう。それをそのままに保存したかもしれません。簡単です。見るだけです。でも、誰かのことを言っては駄目。誰かに言われても駄目。そんなことは永遠の葛藤です。

自分のことは自分で見る、それだけで済みます。簡単です。自分で自分の機能を学ぶことができます。意識は意識の機能を学ぶことができます。それが、この世界であれ、かの世界であれ、事実であれ、空想であれ、そこに縛り付けれれる。葛藤を、縺れた糸を観察して解くのです。

No.7880 - 2024/12/02(Mon) 07:46:15

Re: 非対象 / ubik0101
たとえば過去も未来も今も、この世もかの世も、自己以外の事態です。葛藤です。では、自己に依拠するなら、どのように感じるでしょう。それは、虚無です。これだけです。これがこれを感じてみようと試みると・・・そこは。ない。虚無です。説明としては、

これがこれの根拠なので、これを感じることができない。あるからないです。ないからあるです。ここにあって。名前に年齢も性別もないです。そいえば、ディズニーランドという白黒のテレビ番組で子供の頃、見たことがありましたが、古代インドの

なにか世界観・・・とても馬鹿馬鹿しい話として番組では紹介してましたが・・・地球は六頭の象が支えてる、それを大亀が支えてる。その下は、なにもないのだ・・・象とは知覚とか感情とか意識のことでしょう。亀とは、自己・・・それを支えるのは何もない・・・虚無。それは他のどんなことでもない、という意味です。ほとんど書を読みませんが、

No.7881 - 2024/12/02(Mon) 08:04:00

Re: 非対象 / ubik0101
・・・そのことについて言われてる言葉。検索してみました、


ヨハネによる福音書 3:8

>風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。


『無門関』第1則

>趙州和尚(じょうしゅうおしょう)、因(ちな)みに僧(そう)問(とう)、狗子(くし)に還(かえって)仏性(ぶっしょう)有(あり)や、也(また)無(なし)や。州(しゅう)云(いわく)、無(む)。


六祖壇経

>菩提は本より樹無し、

>明鏡も亦た台に非ず。

>本来無一物(むいちもつ)

>何(いず)れの処にか塵埃有らん。

No.7882 - 2024/12/03(Tue) 08:06:33

ついでに、 / ubik0101
たしかに、時間は認識できません。つまり過去、未来、今は認識できません。そこに配置された物語と物語の関係で、時間は想定されるだけです。そして空間は認識できません。遠くも近くも左右も認識できません。

ただ家や山や人・・・との物と物の関係で空間が認知されるような気がするだけです。そして物語、家や木、花、は、何が何だか分かりません。また私が見るためには私との距離が必要です。まったく距離がなくなったら世界は消えます。

でなくても時間そのことに空間そのことに焦点を合わせて見ることはできません。ここ。は、認識できるとするなら、仮定されたほかのどこかから設定された空想上の地点です。今も同様です。

そして全体は認識できません。さらに自己は認識できません。認識できない繋がりで・・・今、ここ、全体・・・が、なにか過去、未来、分離・・・そんなこととより優れている?

とかいう意見があるかもしれません。でも、問題はそこじゃない・・・時空の、世界のことじゃない・・・その、その自分。そのことです。人。が、どうなのか、ということです。これは状態でも、有様でも、境地、境涯でもないです。

No.7883 - 2024/12/21(Sat) 20:54:30

Re: ついでに、 / ubik0101
末那識と阿頼耶識の関係

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98

No.7886 - 2025/01/02(Thu) 06:11:46

Re: ついでに、 / ubik0101
そいえばヤフー掲示板で見かけたゴウさん。薬山弘道大師の言う、不思慮底を思慮せよ。を、あなたは(自分)は何?とか解してました・・・おお。て感じでしたが・・・そのゴウさんが誰かに、今ここ、てどいうこと?

て質問してました。(自分)と距離がない、てことです。過去や未来は距離があると、意識の機能で問題、葛藤が起きるってことです。それと、今ここは、分離がないとか、既知でない未知とかいうことでしょうが・・・既知も・・・未知です。

No.7887 - 2025/01/07(Tue) 13:49:55
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