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ついでに続 / ubik0101
比丘たちよ、実に、“ 貧を離れる ” ことから《心解脱》があり、“ 無明を離れること ” から《慧解脱》がある
No.7958 - 2026/01/19(Mon) 10:08:04

Re: ついでに続 / ubik0101
どこかで・・・無明を離れることが慧解脱です、とかいう文を見かけたので、検索してみました。出典は不明でしたが、仏陀の言葉なのでしょう。で、なんとなくですが、

中央公論の禅語録という書に・・・ある修行者が、私にも信仰がある・・・と言ったと書かれてたのを思い出しました。子供の頃こう思いました。運動選手が身体を鍛えても

年齢で死んでしまう。科学者がなにか研究しても死んでしまう。弱肉強食。どうしてなんだ。うーん。これはこれでいいから、僕には分からないけど世界は、これはこれでいい理由があるはずだ。

これを探求しよう。と、いうのが自分には信仰だったような気がします。それで方法とかあるとか知らないし、ヒマラヤの雪の洞窟にいる何でも知ってる賢者に聞きに行くか?

でも面倒だし、外国語を学べないだろう。本気でこう思ったのです。で、考えたことの前提を探るということしか出来ることはありませんでした。それで顕在意識と潜在意識が少し少し繋がり・・・あるとき一気に

全面開通したのだと思います。たとえばですが、若いときでも年をとっても自分という感じは変わらない・・・これは意識が自分を騙してるのだ。といっても、納得できない人もいるかもしれません。

No.7959 - 2026/01/19(Mon) 11:20:14

Re: ついでに続 / ubik0101
ふつう猫がいるから猫が見える。猫が見えるってことは猫がいる。歌が聞こえるのは歌ってる誰かがいる、青空だから青空。というわけで、あることを意識される

というのが当たり前とされます。自分で感じる自分、それはある。それは霊とか、魂とか、心とか、ほんとの自分とか、感じられるのだから、そうあるのだと感じるかも知れません。

でも意識の守備範囲はそれだけにはとどまりません。ないことにも及びます。たとえば、なんでもいいですが傲慢な誰かがいるとします。それはなにか劣等感があって、

そなってるのかもしれません。で、劣等な自分が、その立派な、特別な、横柄な自分。それは幻想ですが、それを自分だと思い込みたいかもしれません。ここんところは、

たとえば気持ちと表情の関係のようです。嬉しいと笑顔。悲しいと泣き顔。表情は気持ちを表しますが、表情が、気持ちをそのまま表しもするし、嘘泣き嘘笑いとか・・・その自分にとっても、笑うことで楽しくしてしまう、

そんな設定をする人もいるようです。傲慢な態度、卑下した態度、泣き笑い・・・しかもその自己責任な自分に気がつかない。人は自分を騙してるのではないでしょうか。

それには生まれとか、年齢、性別。収入・・・とか万能感、特別感とかがその根拠、前提になることがままあるようです。つまり、その人がそである結果と原因が絡み合ってそれを持続してるようです。それを見るならついに原因のない、傲慢、謙り、のあることにも

気がつくかもしれません。またたとえば、ずっと前に何かで聞いた話ですが、手術で失った足が痛い、ということもあるようです。ないのに、痛むそうです。自分の年を重ねても変わらない自分。魂、心、精神・・・それはないのに・・・そでない自分が自分で自分を

騙してるかもしれません。それを守っていたいかもしれません。そこでたとえば、あるいは豊かな、あるいは貧しい、あるいは普通の、家庭、一人暮らし、病気、健康、この現実に現実逃避しては、そこでアウトです。この混乱こそ大事です。

No.7960 - 2026/01/26(Mon) 08:13:42

Re: ついでに続 / ubik0101
おおまかに言えば、不完全な人ほど、完全な自分を捏造しやすい、能力のない人ほど能力を誇示しやすい。無知な人ほど賢く見せたい。それは完全になりたいということで実に完全になりたいと

いう不完全な自分をつくってるのかもしれません。とくに波のない水面に・・・なにか小石でも投げ込まれると・・・波の凹みができると波の凸が生じ、他に波及していく。そのように

波のない日常に、波乱を起こして、その波の動きを知ろうとする。たとえばタレント、政治家、知人、親兄弟、名前も知らない誰かの噂話。そんなことができるのは、どれほど、その自分は自己評価が高いのでしょう。

その自分を完全だと設定しないで、どうして噂話、世間話、天気の話・・・批判、判断、が出来るのでしょう。でもその自己評価の高さは背景にあって、その自分に気が

つかないかもしれませんが・・・そのそのことで、その自分は、自分を劣った人にしてるのではないですか。自己評価が高いと実は自分を貶めている。しかもそれは言動思考の背景であって、

No.7961 - 2026/02/03(Tue) 13:24:11

Re: ついでに続 / ubik0101
小石。つまり出来事、それに引きずられる思い込み、気分、感情、思考。に眼を奪われて、背景を隠してるのではないでしょうか。そこで傲慢とかだけではなく、卑下も謙遜も考えなくてはならないのではないでしょうか。

これを検証します。ここで、たとえば傲慢。その反対?の謙虚に、気がつきました。思考の機能です。なにか見たら、その反対を考えてみる。そのスキルを獲得します。

たとえばです。誰もが幸せでなければ、私は幸せにならない。こんな思考があります。この反対、私が幸せにならなければ、だれも幸せにできない・・・こう、ただ一人、つまり自分の全責任を自分で負って思考します。

それに幸せ、がどいうことか判って幸せと思考してますか?たとえば客観と主観。でもいいです。完全と不完全でもいいです。部分と全体でもいいです。善と悪でも、真摯に思考するのです。結論。

その片方だけでも、どっちがあっても、どっちもなくても、駄目。心を込めて精神をこめて魂を込めて思考するのです。どうであっても駄目、ということは、

その人そのことが、大事ということです。なんであるかわからないとしても、その人が大事ということです。ちなみにどでもいいですが、思考は問題だ。という人もいると聞きますが、そんな人は、自分で真摯に思考したことがない人です。でなく正確に厳密に思考する、

それで、日常の混乱から学ぶのです。自我から、欲望から、嫉妬から・・・自分の言ったこと、行動したこと、思考したこと・・・これは、いったい何だ。誰かから聞いたことを信じるのではなく、判断するでなく、自分で、自分を探るのです。

No.7962 - 2026/02/03(Tue) 13:35:35

Re: ついでに続 / ubik0101
それで。とある思考には、それと反対の、それと類似の、それと無関係の思考があります。これだけで完了です。これだけで、その思考する者は、ない。となります。説明ですが、思考になんだかの偏りがあることで、

その思考する者が設定されるのではないでしょうか?これで思考に使われることから、思考を使うことになります。思考の迷いの性質から離れます。離れる・・・とは、思考の役割が

完成すると言うことです。ない、ということは完全、ということです。たとえば怪我をしてると痛い、痛くないのは健康だ。ない。そして、ない単極なら、ないも、あるもない、です。

ふつうの日常です。自我も真我も無我もないです。それでも冬は寒い、空は青い、巡る巡る地球は巡る・・・不思議。神秘。そこで、なにをしてるか、自分の行動は自分で判る。自分の発言は自分でわかる。

自分の思考は自分でわかる。自分はどのような仕組みで機能するか、常にその人に訴え、開示されています。あと、とある思考を、総ての状況に適応する。なにか誰かに向かった思考を

そのまま自分に向けて返す。小石の譬えで言うと、投げ込んだのは自分であって、それから眼を背けては困難。たくさんの小石を投げ込んでも困難。ほかの誰かと一緒に投げても困難。

No.7963 - 2026/02/10(Tue) 08:22:53

Re: ついでに続 / ubik0101
それで、投げた小石から背を向けても困難。つまり自己責任から、逃げては、駄目。つまり自分の行動発言思考の全責任を引き受ける。真摯であること。自分を騙さないこと。

それは何かしたことだけでなく、しなかった。しないこと。つまり行動しなかったこと、発言しなかったこと、思考しなかったこと・・・このこと。その

ありもしない、またあり得る噂話、現代過去未来の心配しても。背を向けて逃げても駄目。つまり、その、その自分が、大事ということです。ほんとうに本当に、その自分が

何を行動してるかも判らない、何を発言してるかも判らない、なにを思考してるのかも判らない・・・ことも判らないで、つまり判ってると自分で自分を騙して行動発言思考してる。tpo、気分、常識、誰かの

言うこと言わないことに左右されたり、その自分の思いに固着したり、それでは・・・なんのために生きてる?その、そのような自分である自分、それをよしとしなければ、その自分はそうはなりません。そう望んでその自分になってる。すると、

たとえばその自分のしたことに責任をとらない傾向の人は、しなかったことにその責任が押し寄せていつまでも悩んだりします。そしてその愚かな自分が大好きなのです。

・・・その自分がそだということ。それをそうだと見ればいいのです。そう、自分でそう、してるのだから、必ず解けるのです。誰に対しても、自分についても、なにか行動発言思考する。しない。これ。

つまり、この自分の行動、発言、思考の・・・根拠、原因、理由を・・・どのようなことにも・・・世界にも、社会にも、誰かにも、現代過去未来にも、設定しないということです。これが楽です。

No.7964 - 2026/02/17(Tue) 07:53:58
謹賀新年 / ubik0101&hato

新年明けましておめでとうございます

 今年も元気で

 素晴らしい一年でありますように


ubik0101&hato

No.7941 - 2026/01/01(Thu) 23:55:57

ついでに / ubik0101
自分が自分である、理由も、根拠・・・も、自分で感じる自分という感じもない=自分です。とても説明ですが、

たとえば何か、承認要求があるとか、自己顕示、偽善、嫉妬、特別感、万能感・・・より素敵な未来、過去、今、を望むのは、それが満たされてないからです。

たとえば怪我をすると痛い、病気をすると発熱する。それは健康でないからです。健康なら、感じないのです。

その自分が自分を感じるのは、感じられる自分も、感じる自分も、自分では、ないからです。

No.7942 - 2026/01/02(Fri) 15:19:42

ついでに / ubik0101
では、自分で感じる自分がなければ、苦痛や、痛みや、発熱がなければ、それで完成ということでしょうか、

いいえ。たとえば不幸な誰かが、幸福になったとして、その何だかの幸福に捕らわれるというだけです。苦痛がないとかあるとかも、その人がその人だ。

という基準、証明になりません。人はその人を騙すことができます。たとえば何にも執着しないに執着して自分で自分を執着がないと騙すことができます。

No.7943 - 2026/01/02(Fri) 15:33:05

ついでに / ubik0101
『無門関』第十二則

瑞巌彦(ずいがんげん)和尚、每日自ら「主人公」と喚び、復た自ら應諾す。乃(すなわ)ち云く、「惺惺著(せいせいじゃく)、諾(だく)。他時異日、人の瞞を受くる莫かれ。諾諾。」と。

No.7944 - 2026/01/02(Fri) 15:45:28

ついでに / ubik0101
うろ覚えなので、検索してみました。ここで言う主人公とは、本当の自分、という解説もありました。それでいいならそれでいいですが・・・主人公、と語りかけてるのは、

誰なんでしょう。返事するのは主人公なんでしょうか・・・なんかとても滑稽な話に聞こえませんか、

たとえばなんでもいいですが、自分は、魂なんだ。死んだら、天国に行くんだ。精神なんだ。心なんだ。意識なんだ。そのように自分で自分を騙してる。意識には、

そんな機能があり、自分は分離だ。全体だ。世界だ。みなこれは自分に騙されてるのです。なんであれ、そいうことに騙されなくなったら、騙されてたことが理解できます。ここは自我とか、

真我とか無我とかそいうのが壊滅した。ふつうの日常です。とんでもない日常です。

No.7945 - 2026/01/02(Fri) 18:14:51

ついでに / ubik0101
つまり、そいう自我、真我、無我が壊滅した。ということは、そいう特定のことがないてことで、失われても、なくなることはなにもない、

ということです。健康なら、痛みや発熱がないように。分離も、全体も、知や、無知も、過去も未来も今も壊滅する。

だけど、なくなることはなにもない、です。インクの色を重ねると黒。ではなく、光の色を重ねると透明。な。よに。無明が叡智。

No.7946 - 2026/01/04(Sun) 08:13:16

ついでに / ubik0101
「スッタ・ニパータ」蛇の章1

蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。

No.7947 - 2026/01/04(Sun) 09:02:30

ついでに / ubik0101
なーんだ、怒りが起きる場面だとしても、怒りが起きない・・・そもそも怒りが起動しない・・・って話じゃないんだ。この文を見て、こう思いました。

でも怒りが起きる。そのときどうする?簡単です。怒るんです。ただ怒るんです。それを噛みしめます。それを相手にぶつけるんじゃないのです。自制するのです。

これだけです。その後の因果を作らない、これだけです。この世だろうが、あの世だろうが因果です。つまり因果を断つ。やればいいです。人は、

No.7948 - 2026/01/05(Mon) 13:12:11

ついでに / ubik0101
日常。なにか話したり、行動したり、思考したりします。それはその人が、そのようにあると言うことを、その人に明らかにしようとしてることです。
No.7949 - 2026/01/05(Mon) 13:16:46

ついでに / ubik0101
怒ったら怒っただけ・・・つまり相手に勝とうとか、恨もうとか、馬鹿にしよとか、復讐しよとか、ほかのいかなることにも結びつけないということです。

もちろん、怒りから逃げない、怒ったという自己責任から逃げない。悲しいでも、嬉しいでも、厭でも・・・同じです。それを受け止める、

それから逃げない・・・自分を騙さない・・・でなければ自分で何を言動思考しても何を言動思考してるのか自分で分からないことも分からないのです。それが愚かさです。そのように意識は人を騙すのです。その

毎日がチャンスなんです。愚かな人は愚かな言動思考をする。嫉妬深い人は、嫉妬深い言動思考をする。それはその人はその人に気がつくためにしてるのです。そして、

なんだかの言動思考には、何だかの隠れた前提、動機があります。たとえば偽善者は偽善に気がつかない。そしてそであってそいうことに気がつかないのも、その人がそしてるのです。そのよにして愚かな自分を守ってるのです。

なんでもいいですが、傲慢な人は傲慢でありながら、傲慢に気がつかないでいるから傲慢なのです。その潜在意識を顕在意識にするのです。隠れた動機、前提は隠れてなければ機能しません。

繰り返します。自分のいたらないところに気がついたら、たとえば自分が偽善者と気がついたら、善い人になるのも一手ですが、それよりも偽善者である自分。それを引き受ける。でなければ、

No.7950 - 2026/01/05(Mon) 22:31:23

ついでに / ubik0101
たとえ善い人になっても、その自己責任から逃げることになります。たとえば強欲な人が、そのことを忘れてるとしても、強欲な人でない、ということはありません。

実はこれ、たとえば傲慢であれ、嫉妬であれ、謙りであれ・・・それに気がついたらその自分を悔やむとかではなく、ま、悔やむならただ悔やむ、ですが、その自分をその自分と認識する。これが大事です。

そしてその、怒り・・・傲慢、嫉妬、偽善、自由、幸福、欲望・・・なんでもいいですが、それを定義するのです。これ、実は楽しいことです。どんな趣味より面白いです。これは意識が愚かなために、

誤ることができるために、その人がその人を騙すことができるために可能です。たとえば自分の悪い状態を、ほかの誰かの所為にする。も、その人がそしてるのです。

ならば、悩むべきことを悩まず、悩まないでいいことを悩み、そんな迷いの状態を続けることになるかもしれません。その、そんな自分を、そうだと。見るのです。

No.7951 - 2026/01/05(Mon) 22:49:42

ついでに / ubik0101
でなければ、風に舞って花から花に飛び蜜を吸うだけで一生を終えてしまう蝶のようなのです。自分で自分を見る。潜在意識を探る。

そするためには、かなりのバリア、ブロックが感じられるかもしれませんが、根性で突破した記憶があります。ほとんど書を読まないので、

読んだことはうろ覚えでも、印象に残ってます。たしかヨーガスートラに、神は人の眼を外に向かって穿った。とありました。

そうです。そ言えるのは、それを突破したからです。たとえば。なんとしても自分を究明する。死にたくない。真理を知りたい・・・発心は必要なのでしょう。自己究明。

これは人がその人にあってしかなしえません。ほかの誰か、友人知人親兄弟、タレント、政治家、世間・・・・あるいはそれから見たとしての自分・・・総て空想です。

単に誰かの話、噂話をしないというだけで、かなりの修行になります。たとえば自動車。走ったり止まったり光や音で合図したり・・・対向車、赤や白や黒の対向車、

追い抜く車、とか見えるでしょう。その車の意図はあるでしょう。車・・・いえ。その運転手の意図です。おなじ空想、おなじルールに従ってるから、見える車の動きから、

読み取れると見做すだけです。その運転手。対向車ではなく、この自分。自分で自分を探る機能があります。それが意識です。それは迷いです。

若くても年齢を重ねても変わらない自分、なんだかの、あの世や、この世。とかを繰り出します。その仕組みを明らかにする。無明が叡智になります。自分で自分を騙してるのですから、必ず解けます。

No.7952 - 2026/01/07(Wed) 08:00:06

ついでに / ubik0101
潜在意識を顕在意識にする。すると隠れた動機、前提としては機能しなくなります。失われます。その自分が自分である立場が失われます。でも大丈夫。なくなることは、

なにもないです。恐れてはいけない、戦いてはいけない・・・安心する必要もなく、楽しい道を歩きます。ただ自分だけが自分のことをやれます。怒りからも学べるのです。

No.7953 - 2026/01/07(Wed) 08:05:18

ついでに / ubik0101
なんでもいいいですが、とある場面だったとします。それで怒るとします。でも、怒らないでもいられます。笑うこともできます。怒りを誤魔化すことも、怒りを定義しようとすることもできます。

ということは、その人が、なんであれ、そしたくて、そしてるのです。自分でそのような自分を仕立ててるのです。なにか出来事、あるいは出来事がない、それで何であれどう言動思考するか、

しないか、立ち向かうか逃げるか・・・完全な自己責任です。たとえば愚かな人は、愚かな人になりたくて、なってるのです。愚かな人は愚かな自分が大好きなんでしょう。見たこと、聞いたこと、知ったこと、

知らないこと。行動した、しないこと・・・なんであれ、日常、なんでなくあれ、たとえば傲慢な人は傲慢、謙るなら、謙る人で、学ぶなら学ぶ・・・それがその人の言動思考に現れるのでしょう。

郵便貯金があろうとなかろうと、幸せな家庭があろうとなかろうと、友人がいてもいなくても、物語はどうであれ、なんであろうと不満なら、不満。偽善者なら、偽善者。強欲なら強欲。条件によって変わる人は、条件によって変わる人。

平穏なら平穏。まったくの自己責任で、その人がそなりたくてなってるのです。そのくらい人はその人に任されてるのです。誰が誰を偽善者に、強欲に、不公平に、素直に・・・させることが出来るでしょう。

No.7954 - 2026/01/08(Thu) 23:15:09

ついでに / ubik0101
で、裕福になりたいのに駄目だった。不満だ。そいう不満、愚痴。怒り・・・そいう人になりたくて、そなってるのです。現実が

うまくいかなくっても、そこそこでも、うまくいっても・・・その現実を基準にするなら、現実に現実逃避です。そする自己責任から逃げるのも自己責任。たとえば世界教師として育てられた誰かが

晩年、誰も変容しなかった。と言ったらしいですが、自己責任。その、その自分。たとえば・・・その変容しなかった誰もの中に、その自分を含めるのか?含めないのか?

思考を尽くすのです。自分で検証することが出来る。そこからが探求の始りです。また、なんとかシュタインという誰か哲学者が、事象の総体が世界である。

とか言ったそうです。違います。ありとあり得ること、ありとあり得ないこと、森羅万象が世界です。事象の総体とか、それは顕在意識だけの範疇です。でも、そんなことから始めても効果あります。

また聞きですが、語り得ぬことは語らないとかなんとか言ったそうです。なにか思考すると、真摯なら、自動でその思考が思考を導いてくれます。なんでもいいですが・・・思考は問題だ。

という意見もあるようです。人は意識だ。とかいう流行もあるようです。実際、知人に、人間は感情の動物だ。という人がいました、その、意識であれ、思考であれ、感情であれ、

それを定義してみればいいです。定義できないなら、何を話してるかも話しながら分からないてことではないでしょうか。で、その話の前提は見えない。また公理のように証明不可能。またなにも知らない、

に気がつくかもしれません。思考は問題だ。いいえ。思考はその人の状態を正確に現してるのです。意識は自分で自分を知ろうとする機能です。怒りはなぜ怒りなのか・・・森羅万象これはこれでなくていいのにこれ。

No.7955 - 2026/01/09(Fri) 10:47:29

ついでに / ubik0101
ダンマパダ 第4 八つの詩句の章 
12、並ぶ応答─小篇 

884 「真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。」かれらはめいめいに異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。

No.7956 - 2026/01/11(Sun) 07:06:27

ついでに / ubik0101
青空です。それはそう言おうと言わないでも青空です。それを言葉にしてるだけです。A=A。青空、という言葉は、青空を示しません、ゆえに青空は青空を示します。A=A。には、第二も第三もないです。

それは意識されないでも、世界の機能のすべてが活動しています。これはこれ。同一性を知った人は争う必要が壊滅しています。そんな人たちは異なった真理の言葉を話します。

つまり、なにか真理の表現は固定された、個別のことではない、ということです。たとえば、世界は一つだ。いまここ。なににも執着しない。私はある。私はない。知識、知恵・・・なんであれ、

それが正しいとか正しくないとかでもなく。たとえば分離ではない総てとしても、分離、総てがどいうことか?それを定義してみましょう。ここで、定義とか顕在意識、潜在意識とか言ってきましたが、

それも、空中に描いた絵のようなこと。その人が納得できれば、それでいいというわけでもない。なんだかの真理があるわけでも、ないわけでもない。真理はひとつでも、たくさんあるでもあり、

ないでもない。真理の表現が違うというだけでもない。言葉で表せないでもない。その人の経緯があるだけでもない・・・結局。その人が真実に、真理にある。ということです。

No.7957 - 2026/01/11(Sun) 13:52:58
/ hato

「子供は子供というわけではない、」


というのはどういう意味か、?

子がじつは親より優れてるとか、
魂・・は親より古いとか、・・


そういうことではないと思います。

No.7937 - 2025/11/04(Tue) 21:22:46

Re: 続 / hato

ところで今朝、夢を見ました。

夢は脳の整理整頓という説があるそうです。

その夢は、自分が、日本でしょうがどこか避暑地のような場所の、大学のキャンパスのような、オープンな研究所のような・・なにか体験学習施設のようなものがあるところで、そのなかの建物の一棟を歩いていると、すぐに記憶が溢れてきて、懐かしさとか、あああの時こうだった、とか。さまざまな記憶とそれに不随する思考感情が、生まれ出てくるような感覚・・が経験された。

思い出が勝手に繋がっており、納得されており、まさに経験したのだと確信的です。

とある場所を見る、ことによって、記憶と思考、感情が出てくる、・・作られるわけです。

そこで目が覚めました。当の自分、が還りました。

さあ、今、まさに夢中で訪れていた場所はまったく心あたりのない、自身の存ぜぬ場であり、実際に体験したものではないことに思い当たりました。

見ることによって、それに付随する自分と自分の過去、感情までもが作られていたのを、当の自分が知らされたのです。

実際の記憶や思考感情の要不要を、脳の機能が取捨選択して映し出してくるとして、

人のあり様とはまさに、このようなことかも知れません。

No.7938 - 2025/11/04(Tue) 21:27:39

Re: 続 / hato

人が予め、在る、のではなく、感覚する(される)ことに依って、その自分が仮定されるのです。これはubik0101さんの言葉です。

No.7939 - 2025/11/04(Tue) 21:28:27

Re: 続 / hato

一方で、「子は子というわけではない」


というそれはおそらく、子が親よりも優れてるということでなく、

因果としての繋がりが、必ずしもあるわけではない

肉体としては分裂した結果とも言い得るが、

人としては分裂した結果というわけではない。

ということではないでしょうか。

そこに因果をみることは必ずしも出来ない、

ということです。

No.7940 - 2025/11/04(Tue) 21:30:36
(No Subject) / hato

生まれて少し経った頃、
当時流行ったバンビが描かれた子供箪笥に
初めて捕まり立ちしました。
揺れる身体を箪笥に支えて覚束ない足取り、
一歩、二歩。
ふいに(視点)がひゅっと頭上に上り、
父の胸あたりにひゅっと移り
父の声の響きは自らだった。
母の胸あたりにひゅっと移って
母を自らのように感じ、
母の声の響きもこれだった。
「ほら、立ってるよ!」
と喜び合う両親が一瞬自分だった。

No.7933 - 2025/09/16(Tue) 21:54:35

Re: / hato

その光景に続き

子供は子供というわけではない、

という言葉を聴いた。

それは言葉だった。

No.7934 - 2025/09/16(Tue) 21:55:23

Re: / hato

いま両親は90と80になり、母の物言いになかなか腐心しつつも、世話をかけ、掛けられながら生活しています。なにを言い合っても、よきことの為になるようにと願い、共に生きてくれたことに感謝しかないのでしょう。

No.7935 - 2025/09/16(Tue) 21:56:27

Re: / hato

認知症の人はさまざま忘れてしまうという。
親子でも妻でも夫でも、或いは、
学んできたことを忘れてしまうという。
脳の機能が壊れるとそのようだとして、

人はどこにいるのでしょう。
人の学びはどこにいくのでしょう。

人はその、身体あっての意識、なのか?

はたまた、それ以上のなにか。

人が自己を学び、会得すること。

No.7936 - 2025/09/16(Tue) 21:57:23
夏が・・ / hato

熱い夏も過ぎようとしています。

今年はツバメや蝉たちが少ない気がしましたが、スズムシマツムシクツワムシ・・の音が聴こえるとほっとします。

こちら変わらず仕事に家内事に奮闘中。身体がえらいなあと感じることが増えてきましたが、ubik0101さんもさらに身体は大変でしょうが、変わらず日々ひねくれ親爺。ながら有り難い、なんとか元気に励んでくれてます。

身体で生き合うことはもうもう切磋琢磨、なのである。

美味しい葡萄を頂きました。

No.7932 - 2025/09/16(Tue) 21:53:54
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