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“掲示板”
この世界は人を覚醒させるための触媒です。
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ついでに続々
/ ubik0101
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比丘たちよ、実に、“ 貧を離れる ” ことから《心解脱》があり、“ 無明を離れること ” から《慧解脱》がある。
・・・・・・・・・・・
真理であろうとする人が、嘘を言うだろうか。噂話をするだろうか。誰かを侮るだろうか。相手によって態度を変えるだろうか。その自分の行動、発言、思考の、責任逃れをするだろうか。この普通の日常で、
No.7974 - 2026/04/13(Mon) 07:20:00
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Re: ついでに続々
/ ubik0101
引用
この日常で、その自分の行動、発言、思考が、その自分で判らない人がいるだろうか。なんであれ、挨拶する、しない、笑う、泣く、あるいはラジオの、テレビのニュース、
世界情勢について誰かと話す、考える、行動する、しない・・・なんであれ、その人がその人の状態をその人が知ろうとすることではないだろうか。そして、おなじことが、
その人がその人の状態を知ろうとしないということ、そのことではないだろうか。それはつまり、その人が、真理であろうとすることを、いつか諦めてしまってるということではないだろうか。
そうならば、その自分が何を行動してもしなくても、発言してもしなくても、思考してもしなくても、自分で自分のしてることが、自分でわからず、わからないことにもわからないで、
わかってるつもりで、そうしてるだろう。たとえば嘘を言う、噂話をする、誰かを侮る・・・なんであれ、そうしてるその自分。それでいったい、何をしてるのか。それで、
そんな愚かな自分、劣悪な自分・・・成長しよとか、解脱しよとか、なんという言い方をするとしても・・・そんなことを自分で自分の邪魔をしてるのでしょう。
それでそのことにも気がつかない。そのような自分に自分でなって、そうなるのです。決して、ほかの誰かの所為でも、時代の所為でもない、それはその人がそんな自分になりたくてなってる。神も悪魔も
その自分を助けることはできません。だだ、その自分を除いては。簡単です。なにか行動して、言った、思考した、それはなぜ?それを探るだけです。なのにどうした。
誰かのこと・・・これまで地球に生まれて死んだ人は千億人くらいだそうです。それらのことで、意見とか噂話とか、見た目で、気を病んでる。その人が気を悩んでるのではなく、それらのことで
気を悩ませてる自分ができるのではないでしょうか。たとえば誰かから見た自分。宇宙の歴史、切りがないでしょう。そしてそれでいいとその自分が許可しないとそうならないのです。総て自己責任。
No.7975 - 2026/04/14(Tue) 10:24:46
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Re: ついでに続々
/ ubik0101
引用
そいえば思い出しましたが、量子力学では観察するしないによって、波動か粒子かが決定されるといいます。逆です。あるいはこの逆の視点が欠けてます。観察することで、観察する者が生起するのです。
すこし考えても、量子力学の観察者は、恒常でしょう。それはないです。生きたり死んだり、見たり聞いたり、見たり聞いたりしないのです。それでそのそする自分が作られる、です
No.7976 - 2026/04/14(Tue) 10:57:16
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Re: ついでに続々
/ ubik0101
引用
それで日本に、アフリカに、アメリカに・・・どこかには誰かは生まれるわけです。すると国に、その言葉に、家族に、風景に、その見える聞こえる事象に
アイデンティティを感じやすいでしょう。その見る聞くことがその、見る聞く自分がつくられてる原因だからです。その媒体に書き込まれた情報。それに接着することが、
執着と呼ばれます。どすればいい。簡単です。その自分が自分だと感じる根拠、理由、を否定すればいいのです。年齢、性別、国籍、言葉、名前・・・物質、知覚、感情、思考・・・自分の根拠を
否定すればいいのです。これだけのことで悟り、解脱、向上、なんと呼ぼうとそうです。では否定ということは、どいうことでしょう。高校生の頃、序文だけ読んだヘーゲルの精神現象学という書に、
こうあったと思います。植物の茎は根の否定です、葉は茎の否定です。花は葉の否定です。そです。否定とは削除ではなく、完成です。たとえば因果になくて、どうして因果を否定でき得るでしょう。
で、“ 貧を離れる ”とは、その削除ではなく、完成です。たとえば嘘、噂話、侮る、卑下する、相手によって態度を変える・・・なんでもいいですがそれが問題なのは、それが愚かなその自分を作ってる、ということで
す。これはそのような行動、発言、思考は、愚かさに、無明に、変調されて、そいうことが起こってると言うことです。たとえば水泳をするとします。その海から人は、力を、技術を、もらうのです。たとえば
野球をするとします。ボールから、バットから、グラブから、グランドから、石灰から、仲間から、控え選手から、相手チームから、審判から、その血と汗と涙から、雨天から晴天から季節から。その鍛えられた自分をもらうのです。
No.7977 - 2026/04/14(Tue) 20:27:54
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Re: ついでに続々
/ ubik0101
引用
そいえば何年か前、眼の手術を受けました。それで、担当医師に、なぜ眼は見えるのでしょう。と聞いてみよと思ったのですが、どうせ判らない。と思って聞くのをやめました。たとえば光が水晶体とかの
レンズを通って、網膜に上下逆さまに映り、それが電気信号として脳に伝えられ補正されて正立して見える。とか説明されるかもしれません。でもなぜ、それが見えるということなのでしょう。花をカメラは
写しますが、それは見てる、と言えるのでしょうか。細胞とか神経とか光とか電気のことではなく・・・春の風・・・青空・・・夕焼け、飛ぶ鳥・・・なにかすること、しないことで、その
その中心がつくられる総ての何か・・・ありとあらゆること、ありとありえないこと・・・森羅万象でなにか見える、という機能を作ってるのではないだろか。見えること、
聞こえること、触る、味、思考・・・知覚はとても不思議で・・・それなくて執着もまたないのですが、解脱もまたないです。また自我の完成が無我です。また無知の成就が叡智です。なにかを削除するとか、
No.7978 - 2026/04/20(Mon) 18:31:47
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Re: ついでに続々
NEW
/ ubik0101
引用
なにか得たことを積み重ねるとか、結びつける組み合わせるとか解くとか、知った知らない、したしない、言った言わない、ではないです。そのことで成長するでも、もとからでもなく、ありとありえるありとあり得ないこと、森羅万象が、
その人のために機能しています。たとえば根の否定が茎で、その否定が葉で、その否定が花。でも、なぜそれがそなってるのか、どうして日夜、植物が生長するのか、知る由はあるだろうか。
なにか水泳とか野球とかして、鍛えられた自分ができた。それで衰えて引退した。そこで鍛えられた自分の執着が消えるというわけではないです。衰えた自分に執着することも、
そんなこともまったく忘れたとしても、執着がないというわけではないです。たとえば人は何かを売ったり買ったりするのに金額を使います。金額それは誰か人の狡さ、誠実さ、嘘、欲、
さまざまな状態を露わにするでしょう。金額そのことにはそんな意味はないです。金額があろうとなかろうと、狡くも、誠実でも人はあり得るでしょう。でもそいうことが露わになる媒体でもあります。
なんであれ、行動、発言、思考・・・日常はそう、世界は人のために働いています。ただ人としての姿勢は大事です。どう言っても変なんですが、真理でなくあろうとしないこと。世界のこの機能を
拒否して傲慢にも愉悦に浸る。諦めて、見えること見えること、聞こえること聞こえることに、出来ること出来ないことに飛びついて、自分を失う・・・真理であろうとすることを諦めるとは、
人生を投げ捨てて、損得、快不快、好き嫌いに惑わされる。真理であろうとすることも、嘘でも出来得ます。自分を騙すことができます。そのくらい人は、その人に自分を任されています。そして、
そのことに気がつく、ことが出来ます。それは真理であろうとすることでもなく、悟りを、解脱をしようとする、なにか掲げることは一切なくても、この何でもない日常から、何者でもない自分から始まります。
No.7979 - 2026/04/21(Tue) 09:50:35
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無沙汰です!
/ ゆらぎ
引用
大変ご無沙汰しております。
ubik0101さんもhatoさんも、たいへんお元気そうで何よりです。
6年前、私は本当に面倒くさい奴であり、不毛な議論でubik0101さんをひどく疲れさせてしまったためhatoさんに叱られてしまいましたね(猛省しております)。
この掲示板を去るときに、私にも体験が訪れたら報告に来る旨記載したような記憶がありますが、私自身が体験を求めていないこともあり、体験は未だに訪れておりません。
しかし、6年という歳月の日常体験は私を大きく変化させてくれました。
両親を介護し、看取り、私自身も昨年末に完全リタイアして、無職になりました。今は手放すべき対象も無くなり、やらなければならないものも無く、非常にすがすがしいです。(笑)
もう議論することもありませんので、楽しく会話させて戴けたらと思っております。
No.7967 - 2026/02/25(Wed) 10:33:07
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Re: 無沙汰です!
/ ubik0101&hato
引用
なんと驚き!ゆらぎさん!☺☺
こちらこそ、ご無沙汰しております。お元気そう〜+ご勇退で悠々自適の日々でしょうか。なんと羨ましい。いえいえ、その節は誠にありがとうございました。またお越し頂いて、嬉しいです。
体験とは、もちろんなにか体験を求める必要もない、この凄まじい混沌のなかで真理を生きたいと願い、生きると発心することから始まる、と思います。
朝6時過ぎからバタバタ開始の店仕事、夜20時を回る頃くてくてになって帰る日々です。お客さんに喜んで頂いて楽しさもありますが、身体がえらいことがちょい問題になってる近頃です。自分たちもけっこう高齢で、加えてその両親も同居していて、助けられつつ助けつつも、まあ大変な日常です。
なので体力を見計らってのこちらになるかと思いますが、よろしくお願いします。
No.7968 - 2026/02/25(Wed) 20:15:03
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Re: ご無沙汰です!
/ ゆらぎ
引用
お店をやっておられるとのことですが、飲食店関係でしょうか?ubik0101さんは私とほとんど同じくらいのご年齢だったと記憶しておりますので、肉体的にたいへんなのはよくわかります。
私は、父を91才、母を95才で看取りました。父は、老衰というかたちでしたので、それほど大変ではなかったのですが、母は腰椎の圧迫骨折が数カ所あり、歩くのがたいへんなうえ、腎臓と心臓の状態も良くなくて、要介護3の状態でした。私は母と同じ部屋に寝て、夜中にトイレに3回ほど起きる母の手を引いてトイレに連れて行くという生活を2年ほど続けました。
その時はフルタイムで仕事をしておりましたので、肉体的には非常にきつかったですね。身体のあちこちが痛くて、自分が寝がえりをうつのもたいへんな時もありました。
ご夫婦で仲良くお店をやっておられると思いますので、その点は羨ましいですね。
身体が一番です。くれぐれも無理しないようお願い致します。
No.7969 - 2026/02/26(Thu) 09:40:31
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Re: 無沙汰です!
/ ubik0101&hato
引用
ご両親の介護、ほんとうに、大変お疲れ様でした。
そうですね、こちらびっくり、飲食店のはしくれです。一読者さんが一昨年か遊びにきてくれましたが、ubik0101さんを見るなり「老けたなぁああ!」!とか言われてました。偏屈なので余計酷く老けちゃうんでは?。と思いますが、仕事も生きるも、なんとも大変ですね。こちら両親は、父は90代ですが、なんとか自分で日常緩やかに運転できていて、(月1程度で村の卓球クラブにも参加してます)その意味では助かりますね。母も御多聞に漏れず圧迫骨折をし、骨粗しょう症を治療中ですが、なんと自転車で出掛けるんですよ。負けん気の人で、気力で家事をこなしてます。
こんな難儀な日常に、人は埋もれない筈もなく、そうでなければならないながら、それだけでもないところに在る、・・ことが大事かも知れませんね。
hato
それまで料理学校とか、店で修行とか、したことないけど、いきなり調理人になりました。天麩羅なども最初は失敗しましたが、・・2回目からは全然、普通にできるようになりました。まあ、そんなもんです。
ubik0101
No.7970 - 2026/02/26(Thu) 22:52:12
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Re:ご 無沙汰です!
/ ゆらぎ
引用
ご両親と同居されたのですね!
私も17年前に瀬戸内海沿岸に住んでいた両親をこちらに呼び寄せました。漁師町で車がないと生活できないのですが、当時80才になった父が、交通事故を続けて起こしてしまい、決断しました。
お父様は90代で卓球をやってらっしゃるとのこと、素晴らしいですね!
実は、私どもも夫婦で卓球をはじめ、20年以上経過しました。今は、週に4回ほど練習しており、月に1〜2回は試合に出場していますので、中学生の部活並みです。(笑)
私の所属しているクラブにも、90才になられた方がおられますが、立ち姿は60代で動きは70代にしか見えません。卓球を続けておられる方は、肉体的に10才くらいは若い印象ですので、お父様もできるだけ長く続けられるように、サポートしてあげていただけたらと思います。
お母様は80代でしょうか?自転車で出かけられるとは、びっくりです!
私は神奈川西部ですので、機会があればぜひお店に伺って、ubik0101さんご自慢の料理を堪能させていただけたらと思っております。
No.7971 - 2026/02/28(Sat) 09:34:01
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Re: 無沙汰です!
/ ubik0101&hato
引用
ゆらぎさんも卓球を!奥様も!
かなりの腕前でいらっしゃるのではないですか?、父も関東にいた頃は週2回練習して小試合も楽しんでたようですが、この辺りのクラブは夜19時過ぎからなんですよ💧。いつも寝てる時刻から始まるので、この冬は殆ど休んでしまい気の毒です。なにしろ田舎で東京と違い、不便もあって仕方ないんですよ。母は82になりまして、身体も小さくか弱くなっちゃってと思いますが、気が強若い人なので、危ないからやめてと言うと怒るんですよ。友人に誘われて、これからグランドゴルフを始めるそうです。
自分たちは新百合ヶ丘に住んでました。千代ヶ丘という小高い丘の上のアパートでしたが、とても気に入ってました。湘南や箱根もよく行きましたし、神奈川は懐かしく、いい思い出です。
お店のごはん、ほんとに美味しいですよ。ubik0101さんは文章同様、丁寧にひとつひとつ試行錯誤して地道に調整して仕上げていきます。お店は今のところとても好評です。
いつかお時間合いましたときはお立ち寄りください。(カモシカやキツネも出る片田舎の片隅で、少々交通の便がわるいかも知れません、)こちら掲示板にひと声かけて頂いてから連絡先のアドレスにメールを頂ければ幸いです。(最近ふたりともメールチェックを殆どしないのですみません)
No.7972 - 2026/02/28(Sat) 23:38:06
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Re: ご無沙汰です!
/ ゆらぎ
引用
卓球の腕前は、へぼです。
地元をはじめ近隣の市の卓球協会主催の試合に出るのですが、中級クラスで予選リーグを勝ち抜いて決勝トーナメントに進出できる確率が50%です。要するに中の中という平凡な腕前です。
19時過ぎは、高齢者には厳しいですね。私は15時からと17時半からの練習に参加していますので、お誘いしたいくらいですが、そうもいきませんよね。(笑)
新百合ヶ丘、高級住宅街じゃないですか!私は横浜のYMCAで結婚式を挙げたのですが、その時の担当の神父さんが新百合ヶ丘にお住まいで、結婚式の前に話を聞きたいとのことでご自宅に伺ったことを思い出しました。
メールを出しましたので、ご確認いただけると幸いです。
ウィンドウにこちらの名前、メールアドレス、本文を入れて送信すればいいのですよね?
ubik0101さんのことですから、妥協を許さない味(どんな味?)なのだと勝手に想像しております。
No.7973 - 2026/03/01(Sun) 21:15:37
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ついでに続
/ ubik0101
引用
比丘たちよ、実に、“ 貧を離れる ” ことから《心解脱》があり、“ 無明を離れること ” から《慧解脱》がある
No.7958 - 2026/01/19(Mon) 10:08:04
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Re: ついでに続
/ ubik0101
引用
どこかで・・・無明を離れることが慧解脱です、とかいう文を見かけたので、検索してみました。出典は不明でしたが、仏陀の言葉なのでしょう。で、なんとなくですが、
中央公論の禅語録という書に・・・ある修行者が、私にも信仰がある・・・と言ったと書かれてたのを思い出しました。子供の頃こう思いました。運動選手が身体を鍛えても
年齢で死んでしまう。科学者がなにか研究しても死んでしまう。弱肉強食。どうしてなんだ。うーん。これはこれでいいから、僕には分からないけど世界は、これはこれでいい理由があるはずだ。
これを探求しよう。と、いうのが自分には信仰だったような気がします。それで方法とかあるとか知らないし、ヒマラヤの雪の洞窟にいる何でも知ってる賢者に聞きに行くか?
でも面倒だし、外国語を学べないだろう。本気でこう思ったのです。で、考えたことの前提を探るということしか出来ることはありませんでした。それで顕在意識と潜在意識が少し少し繋がり・・・あるとき一気に
全面開通したのだと思います。たとえばですが、若いときでも年をとっても自分という感じは変わらない・・・これは意識が自分を騙してるのだ。といっても、納得できない人もいるかもしれません。
No.7959 - 2026/01/19(Mon) 11:20:14
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Re: ついでに続
/ ubik0101
引用
ふつう猫がいるから猫が見える。猫が見えるってことは猫がいる。歌が聞こえるのは歌ってる誰かがいる、青空だから青空。というわけで、あることを意識される
というのが当たり前とされます。自分で感じる自分、それはある。それは霊とか、魂とか、心とか、ほんとの自分とか、感じられるのだから、そうあるのだと感じるかも知れません。
でも意識の守備範囲はそれだけにはとどまりません。ないことにも及びます。たとえば、なんでもいいですが傲慢な誰かがいるとします。それはなにか劣等感があって、
そなってるのかもしれません。で、劣等な自分が、その立派な、特別な、横柄な自分。それは幻想ですが、それを自分だと思い込みたいかもしれません。ここんところは、
たとえば気持ちと表情の関係のようです。嬉しいと笑顔。悲しいと泣き顔。表情は気持ちを表しますが、表情が、気持ちをそのまま表しもするし、嘘泣き嘘笑いとか・・・その自分にとっても、笑うことで楽しくしてしまう、
そんな設定をする人もいるようです。傲慢な態度、卑下した態度、泣き笑い・・・しかもその自己責任な自分に気がつかない。人は自分を騙してるのではないでしょうか。
それには生まれとか、年齢、性別。収入・・・とか万能感、特別感とかがその根拠、前提になることがままあるようです。つまり、その人がそである結果と原因が絡み合ってそれを持続してるようです。それを見るならついに原因のない、傲慢、謙り、のあることにも
気がつくかもしれません。またたとえば、ずっと前に何かで聞いた話ですが、手術で失った足が痛い、ということもあるようです。ないのに、痛むそうです。自分の年を重ねても変わらない自分。魂、心、精神・・・それはないのに・・・そでない自分が自分で自分を
騙してるかもしれません。それを守っていたいかもしれません。そこでたとえば、あるいは豊かな、あるいは貧しい、あるいは普通の、家庭、一人暮らし、病気、健康、この現実に現実逃避しては、そこでアウトです。この混乱こそ大事です。
No.7960 - 2026/01/26(Mon) 08:13:42
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Re: ついでに続
/ ubik0101
引用
おおまかに言えば、不完全な人ほど、完全な自分を捏造しやすい、能力のない人ほど能力を誇示しやすい。無知な人ほど賢く見せたい。それは完全になりたいということで実に完全になりたいと
いう不完全な自分をつくってるのかもしれません。とくに波のない水面に・・・なにか小石でも投げ込まれると・・・波の凹みができると波の凸が生じ、他に波及していく。そのように
波のない日常に、波乱を起こして、その波の動きを知ろうとする。たとえばタレント、政治家、知人、親兄弟、名前も知らない誰かの噂話。そんなことができるのは、どれほど、その自分は自己評価が高いのでしょう。
その自分を完全だと設定しないで、どうして噂話、世間話、天気の話・・・批判、判断、が出来るのでしょう。でもその自己評価の高さは背景にあって、その自分に気が
つかないかもしれませんが・・・そのそのことで、その自分は、自分を劣った人にしてるのではないですか。自己評価が高いと実は自分を貶めている。しかもそれは言動思考の背景であって、
No.7961 - 2026/02/03(Tue) 13:24:11
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Re: ついでに続
/ ubik0101
引用
小石。つまり出来事、それに引きずられる思い込み、気分、感情、思考。に眼を奪われて、背景を隠してるのではないでしょうか。そこで傲慢とかだけではなく、卑下も謙遜も考えなくてはならないのではないでしょうか。
これを検証します。ここで、たとえば傲慢。その反対?の謙虚に、気がつきました。思考の機能です。なにか見たら、その反対を考えてみる。そのスキルを獲得します。
たとえばです。誰もが幸せでなければ、私は幸せにならない。こんな思考があります。この反対、私が幸せにならなければ、だれも幸せにできない・・・こう、ただ一人、つまり自分の全責任を自分で負って思考します。
それに幸せ、がどいうことか判って幸せと思考してますか?たとえば客観と主観。でもいいです。完全と不完全でもいいです。部分と全体でもいいです。善と悪でも、真摯に思考するのです。結論。
その片方だけでも、どっちがあっても、どっちもなくても、駄目。心を込めて精神をこめて魂を込めて思考するのです。どうであっても駄目、ということは、
その人そのことが、大事ということです。なんであるかわからないとしても、その人が大事ということです。ちなみにどでもいいですが、思考は問題だ。という人もいると聞きますが、そんな人は、自分で真摯に思考したことがない人です。でなく正確に厳密に思考する、
それで、日常の混乱から学ぶのです。自我から、欲望から、嫉妬から・・・自分の言ったこと、行動したこと、思考したこと・・・これは、いったい何だ。誰かから聞いたことを信じるのではなく、判断するでなく、自分で、自分を探るのです。
No.7962 - 2026/02/03(Tue) 13:35:35
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Re: ついでに続
/ ubik0101
引用
それで。とある思考には、それと反対の、それと類似の、それと無関係の思考があります。これだけで完了です。これだけで、その思考する者は、ない。となります。説明ですが、思考になんだかの偏りがあることで、
その思考する者が設定されるのではないでしょうか?これで思考に使われることから、思考を使うことになります。思考の迷いの性質から離れます。離れる・・・とは、思考の役割が
完成すると言うことです。ない、ということは完全、ということです。たとえば怪我をしてると痛い、痛くないのは健康だ。ない。そして、ない単極なら、ないも、あるもない、です。
ふつうの日常です。自我も真我も無我もないです。それでも冬は寒い、空は青い、巡る巡る地球は巡る・・・不思議。神秘。そこで、なにをしてるか、自分の行動は自分で判る。自分の発言は自分でわかる。
自分の思考は自分でわかる。自分はどのような仕組みで機能するか、常にその人に訴え、開示されています。あと、とある思考を、総ての状況に適応する。なにか誰かに向かった思考を
そのまま自分に向けて返す。小石の譬えで言うと、投げ込んだのは自分であって、それから眼を背けては困難。たくさんの小石を投げ込んでも困難。ほかの誰かと一緒に投げても困難。
No.7963 - 2026/02/10(Tue) 08:22:53
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Re: ついでに続
/ ubik0101
引用
それで、投げた小石から背を向けても困難。つまり自己責任から、逃げては、駄目。つまり自分の行動発言思考の全責任を引き受ける。真摯であること。自分を騙さないこと。
それは何かしたことだけでなく、しなかった。しないこと。つまり行動しなかったこと、発言しなかったこと、思考しなかったこと・・・このこと。その
ありもしない、またあり得る噂話、現代過去未来の心配しても。背を向けて逃げても駄目。つまり、その、その自分が、大事ということです。ほんとうに本当に、その自分が
何を行動してるかも判らない、何を発言してるかも判らない、なにを思考してるのかも判らない・・・ことも判らないで、つまり判ってると自分で自分を騙して行動発言思考してる。tpo、気分、常識、誰かの
言うこと言わないことに左右されたり、その自分の思いに固着したり、それでは・・・なんのために生きてる?その、そのような自分である自分、それをよしとしなければ、その自分はそうはなりません。そう望んでその自分になってる。すると、
たとえばその自分のしたことに責任をとらない傾向の人は、しなかったことにその責任が押し寄せていつまでも悩んだりします。そしてその愚かな自分が大好きなのです。
・・・その自分がそだということ。それをそうだと見ればいいのです。そう、自分でそう、してるのだから、必ず解けるのです。誰に対しても、自分についても、なにか行動発言思考する。しない。これ。
つまり、この自分の行動、発言、思考の・・・根拠、原因、理由を・・・どのようなことにも・・・世界にも、社会にも、誰かにも、現代過去未来にも、設定しないということです。これが楽です。
No.7964 - 2026/02/17(Tue) 07:53:58
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Re: ついでに続
/ ubik0101
引用
この、自分が行動しても自分で判らない、発言しても自分で判らない、思考しても自分で判らない・・・それを愚かさと呼びます。おそらく人は、誰でも子供の頃、
特別感、万能観があるようです。それを克服しなければ、それに捕らわれたままで、その愚かなまま貧乏であろうと裕福であろうと、健康であろうと、病気であろうと、無名であろうと有名であろうと、
一生を過ごすかもしれません。で、なにが問題? なんでもいいですが、たとえば車を運転してるとします。渋滞です。と、そこで、急いでる自分、自分は急いでるという自分を設定してるかもしれません。
テレビを見てる、見てない、そのその自分がそのことによって、捏造されてるかもしれません。重い荷物を運んでる自分。面倒な作業をしてる・・・そのその自分を世界が状況が設定してるかもしれません。愚かな誰かを見るとします。
そこで、賢い自分、を設定してるかもしれません・・・風景を見る、鳥の声を聞く、青い空、寒い朝・・・ご飯を食べる、食べない・・・そこで、そしてるその自分を仮定してるかもしれません。その自分は
その自分でないことからその自分をつくってもらってるのです。なのに、その、その自分がいなければ、どして、見たり聞いたり、言動思考が出来うるでしょう?と思い違います。そのその、自分。
ほんとうに、なにか原因があって生じてる自分、ほんとうに自分でしょうか?なにか言動発言思考した時を遡ってその自分が設定され、自分がこの言動発言思考した。と誤認します。あまりに傲慢。
これが自我の仕組みです。貪、執着、欲、同一化、分離・・・なんと呼んでもいいですがそれは、それは、その自分が仮説される原因になったことに固着します。その原因は、
その人の身体、名前、年齢、性別、故郷、母国、言葉、天気、敵、戦争、平和、親、兄弟、知人、空気、液体、固体、金属・・・行動、発言、思考・・・仏、神、ありとあらゆることに及びます。
その原因の結果が自分。その自分の何千年の先祖、神話、地球の、宇宙の100億年の歴史を原因としての結果としての自分。とても凄いんだ。?。このように世界に、宇宙に広げたとしても、それはその自分の、根拠、なので、
それがそれを判断、批判することがとても困難です。それはつくってもらってる自分でしかないのに、この自分は自分だと思い違いする。その自分の状態が見えないのです。つまり、なにを行動しても話しても、
思考しても、自分で判らないことも判らないのです。どすればいい?ただこの仕組みを、変な言い方ですが、知ればいいのです。あるいは原因と結果が同じ、自分の原因はまったくない。自分の原因は自分。あるいは、ない。は原因と結果の壊滅。
No.7965 - 2026/02/24(Tue) 08:24:28
☆
Re: ついでに続
/ hato
引用
2月も終わる頃、早春にしては日中の日照りが熱いです。
すこし前の猫3散歩から。
近頃は主人たちが小多忙で、なかなかゆっくりの猫散歩が難しくなりました。休日に1〜2度の束の間、外気を吸って、走って嗅いでしっこかけて、日向ぼっこです
No.7966 - 2026/02/24(Tue) 20:20:34
★
謹賀新年
/ ubik0101&hato
引用
新年明けましておめでとうございます
今年も元気で
素晴らしい一年でありますように
ubik0101&hato
No.7941 - 2026/01/01(Thu) 23:55:57
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
自分が自分である、理由も、根拠・・・も、自分で感じる自分という感じもない=自分です。とても説明ですが、
たとえば何か、承認要求があるとか、自己顕示、偽善、嫉妬、特別感、万能感・・・より素敵な未来、過去、今、を望むのは、それが満たされてないからです。
たとえば怪我をすると痛い、病気をすると発熱する。それは健康でないからです。健康なら、感じないのです。
その自分が自分を感じるのは、感じられる自分も、感じる自分も、自分では、ないからです。
No.7942 - 2026/01/02(Fri) 15:19:42
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
では、自分で感じる自分がなければ、苦痛や、痛みや、発熱がなければ、それで完成ということでしょうか、
いいえ。たとえば不幸な誰かが、幸福になったとして、その何だかの幸福に捕らわれるというだけです。苦痛がないとかあるとかも、その人がその人だ。
という基準、証明になりません。人はその人を騙すことができます。たとえば何にも執着しないに執着して自分で自分を執着がないと騙すことができます。
No.7943 - 2026/01/02(Fri) 15:33:05
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
『無門関』第十二則
瑞巌彦(ずいがんげん)和尚、每日自ら「主人公」と喚び、復た自ら應諾す。乃(すなわ)ち云く、「惺惺著(せいせいじゃく)、諾(だく)。他時異日、人の瞞を受くる莫かれ。諾諾。」と。
No.7944 - 2026/01/02(Fri) 15:45:28
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
うろ覚えなので、検索してみました。ここで言う主人公とは、本当の自分、という解説もありました。それでいいならそれでいいですが・・・主人公、と語りかけてるのは、
誰なんでしょう。返事するのは主人公なんでしょうか・・・なんかとても滑稽な話に聞こえませんか、
たとえばなんでもいいですが、自分は、魂なんだ。死んだら、天国に行くんだ。精神なんだ。心なんだ。意識なんだ。そのように自分で自分を騙してる。意識には、
そんな機能があり、自分は分離だ。全体だ。世界だ。みなこれは自分に騙されてるのです。なんであれ、そいうことに騙されなくなったら、騙されてたことが理解できます。ここは自我とか、
真我とか無我とかそいうのが壊滅した。ふつうの日常です。とんでもない日常です。
No.7945 - 2026/01/02(Fri) 18:14:51
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
つまり、そいう自我、真我、無我が壊滅した。ということは、そいう特定のことがないてことで、失われても、なくなることはなにもない、
ということです。健康なら、痛みや発熱がないように。分離も、全体も、知や、無知も、過去も未来も今も壊滅する。
だけど、なくなることはなにもない、です。インクの色を重ねると黒。ではなく、光の色を重ねると透明。な。よに。無明が叡智。
No.7946 - 2026/01/04(Sun) 08:13:16
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
「スッタ・ニパータ」蛇の章1
蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
No.7947 - 2026/01/04(Sun) 09:02:30
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
なーんだ、怒りが起きる場面だとしても、怒りが起きない・・・そもそも怒りが起動しない・・・って話じゃないんだ。この文を見て、こう思いました。
でも怒りが起きる。そのときどうする?簡単です。怒るんです。ただ怒るんです。それを噛みしめます。それを相手にぶつけるんじゃないのです。自制するのです。
これだけです。その後の因果を作らない、これだけです。この世だろうが、あの世だろうが因果です。つまり因果を断つ。やればいいです。人は、
No.7948 - 2026/01/05(Mon) 13:12:11
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
日常。なにか話したり、行動したり、思考したりします。それはその人が、そのようにあると言うことを、その人に明らかにしようとしてることです。
No.7949 - 2026/01/05(Mon) 13:16:46
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
怒ったら怒っただけ・・・つまり相手に勝とうとか、恨もうとか、馬鹿にしよとか、復讐しよとか、ほかのいかなることにも結びつけないということです。
もちろん、怒りから逃げない、怒ったという自己責任から逃げない。悲しいでも、嬉しいでも、厭でも・・・同じです。それを受け止める、
それから逃げない・・・自分を騙さない・・・でなければ自分で何を言動思考しても何を言動思考してるのか自分で分からないことも分からないのです。それが愚かさです。そのように意識は人を騙すのです。その
毎日がチャンスなんです。愚かな人は愚かな言動思考をする。嫉妬深い人は、嫉妬深い言動思考をする。それはその人はその人に気がつくためにしてるのです。そして、
なんだかの言動思考には、何だかの隠れた前提、動機があります。たとえば偽善者は偽善に気がつかない。そしてそであってそいうことに気がつかないのも、その人がそしてるのです。そのよにして愚かな自分を守ってるのです。
なんでもいいですが、傲慢な人は傲慢でありながら、傲慢に気がつかないでいるから傲慢なのです。その潜在意識を顕在意識にするのです。隠れた動機、前提は隠れてなければ機能しません。
繰り返します。自分のいたらないところに気がついたら、たとえば自分が偽善者と気がついたら、善い人になるのも一手ですが、それよりも偽善者である自分。それを引き受ける。でなければ、
No.7950 - 2026/01/05(Mon) 22:31:23
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
たとえ善い人になっても、その自己責任から逃げることになります。たとえば強欲な人が、そのことを忘れてるとしても、強欲な人でない、ということはありません。
実はこれ、たとえば傲慢であれ、嫉妬であれ、謙りであれ・・・それに気がついたらその自分を悔やむとかではなく、ま、悔やむならただ悔やむ、ですが、その自分をその自分と認識する。これが大事です。
そしてその、怒り・・・傲慢、嫉妬、偽善、自由、幸福、欲望・・・なんでもいいですが、それを定義するのです。これ、実は楽しいことです。どんな趣味より面白いです。これは意識が愚かなために、
誤ることができるために、その人がその人を騙すことができるために可能です。たとえば自分の悪い状態を、ほかの誰かの所為にする。も、その人がそしてるのです。
ならば、悩むべきことを悩まず、悩まないでいいことを悩み、そんな迷いの状態を続けることになるかもしれません。その、そんな自分を、そうだと。見るのです。
No.7951 - 2026/01/05(Mon) 22:49:42
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
でなければ、風に舞って花から花に飛び蜜を吸うだけで一生を終えてしまう蝶のようなのです。自分で自分を見る。潜在意識を探る。
そするためには、かなりのバリア、ブロックが感じられるかもしれませんが、根性で突破した記憶があります。ほとんど書を読まないので、
読んだことはうろ覚えでも、印象に残ってます。たしかヨーガスートラに、神は人の眼を外に向かって穿った。とありました。
そうです。そ言えるのは、それを突破したからです。たとえば。なんとしても自分を究明する。死にたくない。真理を知りたい・・・発心は必要なのでしょう。自己究明。
これは人がその人にあってしかなしえません。ほかの誰か、友人知人親兄弟、タレント、政治家、世間・・・・あるいはそれから見たとしての自分・・・総て空想です。
単に誰かの話、噂話をしないというだけで、かなりの修行になります。たとえば自動車。走ったり止まったり光や音で合図したり・・・対向車、赤や白や黒の対向車、
追い抜く車、とか見えるでしょう。その車の意図はあるでしょう。車・・・いえ。その運転手の意図です。おなじ空想、おなじルールに従ってるから、見える車の動きから、
読み取れると見做すだけです。その運転手。対向車ではなく、この自分。自分で自分を探る機能があります。それが意識です。それは迷いです。
若くても年齢を重ねても変わらない自分、なんだかの、あの世や、この世。とかを繰り出します。その仕組みを明らかにする。無明が叡智になります。自分で自分を騙してるのですから、必ず解けます。
No.7952 - 2026/01/07(Wed) 08:00:06
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
潜在意識を顕在意識にする。すると隠れた動機、前提としては機能しなくなります。失われます。その自分が自分である立場が失われます。でも大丈夫。なくなることは、
なにもないです。恐れてはいけない、戦いてはいけない・・・安心する必要もなく、楽しい道を歩きます。ただ自分だけが自分のことをやれます。怒りからも学べるのです。
No.7953 - 2026/01/07(Wed) 08:05:18
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
なんでもいいいですが、とある場面だったとします。それで怒るとします。でも、怒らないでもいられます。笑うこともできます。怒りを誤魔化すことも、怒りを定義しようとすることもできます。
ということは、その人が、なんであれ、そしたくて、そしてるのです。自分でそのような自分を仕立ててるのです。なにか出来事、あるいは出来事がない、それで何であれどう言動思考するか、
しないか、立ち向かうか逃げるか・・・完全な自己責任です。たとえば愚かな人は、愚かな人になりたくて、なってるのです。愚かな人は愚かな自分が大好きなんでしょう。見たこと、聞いたこと、知ったこと、
知らないこと。行動した、しないこと・・・なんであれ、日常、なんでなくあれ、たとえば傲慢な人は傲慢、謙るなら、謙る人で、学ぶなら学ぶ・・・それがその人の言動思考に現れるのでしょう。
郵便貯金があろうとなかろうと、幸せな家庭があろうとなかろうと、友人がいてもいなくても、物語はどうであれ、なんであろうと不満なら、不満。偽善者なら、偽善者。強欲なら強欲。条件によって変わる人は、条件によって変わる人。
平穏なら平穏。まったくの自己責任で、その人がそなりたくてなってるのです。そのくらい人はその人に任されてるのです。誰が誰を偽善者に、強欲に、不公平に、素直に・・・させることが出来るでしょう。
No.7954 - 2026/01/08(Thu) 23:15:09
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
で、裕福になりたいのに駄目だった。不満だ。そいう不満、愚痴。怒り・・・そいう人になりたくて、そなってるのです。現実が
うまくいかなくっても、そこそこでも、うまくいっても・・・その現実を基準にするなら、現実に現実逃避です。そする自己責任から逃げるのも自己責任。たとえば世界教師として育てられた誰かが
晩年、誰も変容しなかった。と言ったらしいですが、自己責任。その、その自分。たとえば・・・その変容しなかった誰もの中に、その自分を含めるのか?含めないのか?
思考を尽くすのです。自分で検証することが出来る。そこからが探求の始りです。また、なんとかシュタインという誰か哲学者が、事象の総体が世界である。
とか言ったそうです。違います。ありとあり得ること、ありとあり得ないこと、森羅万象が世界です。事象の総体とか、それは顕在意識だけの範疇です。でも、そんなことから始めても効果あります。
また聞きですが、語り得ぬことは語らないとかなんとか言ったそうです。なにか思考すると、真摯なら、自動でその思考が思考を導いてくれます。なんでもいいですが・・・思考は問題だ。
という意見もあるようです。人は意識だ。とかいう流行もあるようです。実際、知人に、人間は感情の動物だ。という人がいました、その、意識であれ、思考であれ、感情であれ、
それを定義してみればいいです。定義できないなら、何を話してるかも話しながら分からないてことではないでしょうか。で、その話の前提は見えない。また公理のように証明不可能。またなにも知らない、
に気がつくかもしれません。思考は問題だ。いいえ。思考はその人の状態を正確に現してるのです。意識は自分で自分を知ろうとする機能です。怒りはなぜ怒りなのか・・・森羅万象これはこれでなくていいのにこれ。
No.7955 - 2026/01/09(Fri) 10:47:29
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
ダンマパダ 第4 八つの詩句の章
12、並ぶ応答─小篇
884 「真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。」かれらはめいめいに異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。
No.7956 - 2026/01/11(Sun) 07:06:27
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
青空です。それはそう言おうと言わないでも青空です。それを言葉にしてるだけです。A=A。青空、という言葉は、青空を示しません、ゆえに青空は青空を示します。A=A。には、第二も第三もないです。
それは意識されないでも、世界の機能のすべてが活動しています。これはこれ。同一性を知った人は争う必要が壊滅しています。そんな人たちは異なった真理の言葉を話します。
つまり、なにか真理の表現は固定された、個別のことではない、ということです。たとえば、世界は一つだ。いまここ。なににも執着しない。私はある。私はない。知識、知恵・・・なんであれ、
それが正しいとか正しくないとかでもなく。たとえば分離ではない総てとしても、分離、総てがどいうことか?それを定義してみましょう。ここで、定義とか顕在意識、潜在意識とか言ってきましたが、
それも、空中に描いた絵のようなこと。その人が納得できれば、それでいいというわけでもない。なんだかの真理があるわけでも、ないわけでもない。真理はひとつでも、たくさんあるでもあり、
ないでもない。真理の表現が違うというだけでもない。言葉で表せないでもない。その人の経緯があるだけでもない・・・結局。その人が真実に、真理にある。ということです。
No.7957 - 2026/01/11(Sun) 13:52:58
★
続
/ hato
引用
「子供は子供というわけではない、」
というのはどういう意味か、?
子がじつは親より優れてるとか、
魂・・は親より古いとか、・・
そういうことではないと思います。
No.7937 - 2025/11/04(Tue) 21:22:46
☆
Re: 続
/ hato
引用
ところで今朝、夢を見ました。
夢は脳の整理整頓という説があるそうです。
その夢は、自分が、日本でしょうがどこか避暑地のような場所の、大学のキャンパスのような、オープンな研究所のような・・なにか体験学習施設のようなものがあるところで、そのなかの建物の一棟を歩いていると、すぐに記憶が溢れてきて、懐かしさとか、あああの時こうだった、とか。さまざまな記憶とそれに不随する思考感情が、生まれ出てくるような感覚・・が経験された。
思い出が勝手に繋がっており、納得されており、まさに経験したのだと確信的です。
とある場所を見る、ことによって、記憶と思考、感情が出てくる、・・作られるわけです。
そこで目が覚めました。当の自分、が還りました。
さあ、今、まさに夢中で訪れていた場所はまったく心あたりのない、自身の存ぜぬ場であり、実際に体験したものではないことに思い当たりました。
見ることによって、それに付随する自分と自分の過去、感情までもが作られていたのを、当の自分が知らされたのです。
実際の記憶や思考感情の要不要を、脳の機能が取捨選択して映し出してくるとして、
人のあり様とはまさに、このようなことかも知れません。
No.7938 - 2025/11/04(Tue) 21:27:39
☆
Re: 続
/ hato
引用
人が予め、在る、のではなく、感覚する(される)ことに依って、その自分が仮定されるのです。これはubik0101さんの言葉です。
No.7939 - 2025/11/04(Tue) 21:28:27
☆
Re: 続
/ hato
引用
一方で、「子は子というわけではない」
というそれはおそらく、子が親よりも優れてるということでなく、
因果としての繋がりが、必ずしもあるわけではない
肉体としては分裂した結果とも言い得るが、
人としては分裂した結果というわけではない。
ということではないでしょうか。
そこに因果をみることは必ずしも出来ない、
ということです。
No.7940 - 2025/11/04(Tue) 21:30:36
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