「星影のワルツ」 この「曲」知ってますか〜? きっと「70〜80年代の方々」はわかるでしょう(笑) この曲は1966年3月に千昌夫が発売したシングルである。『北国の春』とともに千昌夫の代表曲とされる。
何でこんなこと言い出したかって?? そう,この曲には「忘れられない思い出」いや,「忘れてはいけない思い出」があります. そう,あれは『大学4年』のとき.「作業療法の臨床実習」での思い出です.2ヶ月ある病院に実習に行ったが「初日からガチガチに緊張しまったく動けず」「圧倒された」 どういう風に「人間関係をつくていけばいいんだろう?」 働く職員とも「自分から人間関係をつくる」ことが出来なかった. 自分は「なんで関係を作れないのか」のか「理由」をまったくわかっていなかった.まったく相談せず,すべて「自己判断」「自己解決」し,「何のために実習」に来ているのか「振り返る」こともなかった.さらに自分はできないことをすべて「指導者」や「環境」のせいにしていた.
そのまま,「対処もせずに2ヶ月」の時期だけ流れた.このときの表情を親に聞くと「死んだような顔をしていたよ」「地獄に行くような顔だったよ」.いまとなれば「指導者」や「職場の方々」は「ヒント」をいくつか示してくれ,導いてくれようとしていたが,自分がまったく「気付かなかった」.じぶんは「いっぱいいっぱい」だとか,「しんどい」「はやくやめたい」ばかり考えていた. 他人の話を「素直」に聞いて,「相談」する.立ったことだけのことができなかった.きっと人のことを信頼したり,尊敬する気持ちがなかったんだと,今は思う. 「支えられながら生きている」ことをわかっていなかった.
・・・時は過ぎ・・・
忘れもしない実習最終日.不合格だろうなぁ〜とうすうす感じながら,実習に行く...これで,「留年かぁ..」なんともいえない無力感を感じていた.そんななか最後の「彼女への作業療法」が始まる.
彼女が「先生,最後に別れの歌を歌ってあげる」「これからも頑張ってね」と. 沈黙後「え?」,指導者は「彼女のすきなようにさせてあげて」と.彼女は立ったほうが「声が出る」といい,いつもは30秒しか立てない平行棒で3分ほど立って「大きな声で歌ってくれた」
歌を聴きながら,「自分の不甲斐なさ」と「嬉しさ」が入り混じっており,素直に喜べなかった....「ごめんなさい」と心の中で言っていた...「自分のことしか考えていなかった自分」「私のことを考えて別れの曲を歌ってくれた彼女」 なんて自分はちっちゃいんだろう.なんて彼女は「おっきいんだろう」.「あったかいんだろう」. 「不合格」は頂いたが,その代わりに「宝物」を頂いた.
そんな「彼女」に今日会ってきました.相変わらず元気に「民謡」を歌ってました.「あんちゃんきてくれたんや〜.うれっしゃ〜」「こんなばぁばなのにありがとう」 まさか重度記憶障害と注意障害があってまさか覚えているとは思ってなかったので びっくりし,言葉にならないほど嬉しかった.
「ありがとう」.あなたがいなければ私はここまで変われませんでした. |
No.3127 - 2010/05/16(Sun) 22:53:54
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