POTAからしおばらです katzサン、お久しぶりですね。学校の仕事1年たち忙しいんだろうなと思いつつ、POTAの話をしてくれたので、ちょっと、うれしく思いまして、おじゃましますね。
作業分析も必要大事なんですけど、その場の状況、雰囲気に合うかどうかの吟味を大事に共有しないと おかしなことになっちゃうと思うんです。場にむすびつかなきゃ意味がない。どちらかというと、そこの『人』「場」が先だろうと思います。作業と言うのは、その状況によってかなりいろいろな要素が加わったり人に及ぼす影響力も違ってくるでしょうから、先に作業分析をしておくにはそこの状況、関わる人も考慮しなきゃいけない。日々刻々と変わる状況の中で専門家向けの作業分析をするのは大変な作業ですね。研究者めざすんならいざしらず、誰のための作業療法かを考えて仲間内が納得する作業分析ではなく、一緒にやる人が納得できる、役立つ作業分析を考えたほうがいいなあなんて思います。
初学の学生には たいがいの学校で限られた場面での作業の分析をして作業を学んでもらうことになっていると思います。作業療法だけの学校の範囲の勉強の習慣をもちこみ現場でそのまま仕事をしてはいけませんなあと時々あちこちの論争みてて思います。
まず作業分析がと言う人は、専門家であることに構えてしまっているのかもしれないなあとも思います。 20年位前わたしが学生時代すでにやかましくこだわる人はいたから、ある経験年代の人たち、領域、のお題目かもしれません。(アダム・フィリップス「精神分析というお仕事 専門性のパラドクス」産業図書 の中の精神分析家を作業療法士に置き換えてみると分かりやすく自分たちの仕事が興味深く見えてきます。) |
No.2726 - 2008/02/11(Mon) 14:04:23
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