ボニータから手紙が届いた。
最初からの話でいうと、5月にキューバから帰ってきて沖縄に行った頃からずっと待っていた。毎日毎日夕方ポストを確認しては、ああ今日も無かったと思い、6月いっぱい待っても来ない、7月に入ってからはもうホントにつらかった、そして10日、精神がへとへとになって、もうこれでダメだと、これまで何とか繋がっていた糸がプツリと切れた気がした。
もうボニータの思い出のあるところには行けない、サンチャゴには行けない、これからキューバに行って何をすればいいのだろう、考えるのがつらくなって、それから数日間ほとんど阿呆のように寝て過ごした。
でもこれじゃいけないと少しは前向きに考えて立ち直り、多少はボニータのことを思い出し書けるようになったとき、16日、二通の手紙がポストに届いていた。
何が書いてあるか、怖くて、その日は開封できず。さまざまなことが頭の中を駆け巡った。(早く読めよ)
【歓迎すべからきパターン】 1、もう会いたくない旨をわざわざ通告
【不明なパターン】 2、小包が受け取れない旨など事務的なことだけを通知
【微妙なパターン】(ある意味一番つらいかも・・・) 3、恋愛対象ではもう無くなったが、別にまたおいでよ
【喜ばしきパターン】 4、あなたの愛を変わらず待っております
一日置いて、17日午後、腹ごしらえをしてエネルギーを蓄え、食後の少し気がゆるんだ隙をつき、意を決して開封した。
一通目。「あなたは不必要に怒って出て行ってしまったけれど、手紙を読めば私のことをきっと分かってくれると信じていました」、「あなたはいつでも好きなときに戻ってきてください。家族みんなで待っています」・・・
全部訳し終わるのに相当かかった。まだ細かなところで確定できない単語などはあるが、ほぼ90%は独力で理解できたつもり。ほっとした。よく考えたら、彼女は俺が家に行った時はいつもつきっきりで対応してくれた。俺が遠慮して帰ろうとしても泊まっていくよう言ってくれた。いまはよかったことが浮かんでくるが、それまでは悪いことばかり浮かんでいた。俺は彼女と、彼女の家族と、仲良い関係でいたかった。それを失わずにすんでほっとした。あんまりほっとして、かなり脱力している。
また、一回切れてしまったあとだったので、ちょっと自分の中の修復にはもう少し処理が必要だ。それに次に会う時は、さらに彼女に対するなんらかの態度が必要とされるだろう。そのことについて現実的に今は考えている。
二通目には、小包に関して書かれてあった。サパト(靴)を送るときには箱無しで送れ、ルス(懐中電灯)も箱無しで送れ、その分お金を請求されるが自分は払うお金が無いから、と書いてあった。つまりサパトもルスも受け取れてない、ってことなんだろう。でも同梱したカルタ(手紙)は読めているようだから(一通目の内容はそれに対する返事としか思えない内容だった)、小包全部を受け取れなかったというわけではないみたい。写真はどうなんだろうか。他のものは。次いくときは念のため写真をもう一度プリントしていこう。
EMSが普通だったら一週間で6月10日には届いているということを前提にして、俺は返事が無いとあせっていたわけだが、たぶん相当受取に関してはいろんなやりとりをして、時間がかかったんだろうと思う。二通目の日付は6月26日。キューバとのやりとりは、あんまりこちらだけの都合で、あわててあせってはいけないなと痛感した次第。でも余裕こいて待ってるとエンバラサーダだしな〜。
【教訓】 1、荷物は一箱1kg台以下にする。重くなりそうなときは個口を分けて送る。 |
No.238 - 2004/07/18(Sun) 16:20:55
|