今回は自宅で普通の生活をしてきたのでほとんど小ネタばかり。備忘録。
1、【気候・停電・蚊】朝方はかなり冷え込み、短パン・半袖Tシャツでは寒いほどだった。起床した時点では涼しいが、少し動き出すともう暑くなり、すぐにTシャツを脱ぎ上半身裸にならないとやっていけない。昼前から日差しが照りつけてきて外を歩いていると汗が噴出す。サンティアゴの街に出かけた日、その一日だけで首のあたりが日に焼けた。テレビの予報では最低25度、最高35度あたりだったが、うちの近所は山の中なので比較的涼しいようではある。雨は大体夕方に一降りくるが、たまに午前中や夜にも降る。いずれも通常は1時間程度の短時間なのでそれほど後をひかずむしろ暑気払いになる。まったく降らない日も結構あった。停電は数日あったがそれほど多くはない。あっても大体1時間程度で戻る。たまに何時間も停電というときもあった。夜停電になると真っ暗になるので、充電式の電灯と蝋燭で対処するが、それを用意した途端に復旧するということもあった。夜は蚊対策に扇風機をまわしたままsabana(シーツ)を覆って寝るが、それでもほとんど俺だけ、わき腹や背中、手足など、一見何かの皮膚病のように見えるほど大量に毎晩刺された。しかしそれも最初の1週間くらいで収まり後半はなぜかほとんどなくなった。血にも飽きがくるのだろうか。海水浴のころにはかなり収まっていてよかった。
2、【水】お風呂・洗濯・台所用の水は庭の井戸から汲む。バケツに汲んでえっさえっさと運びタンク(ドラム缶)に注ぐ。バケツ2個持って10回くらい往復する。結構2〜3日でなくなるので忙しい。エリマーノが井戸から水をくみ出す電動機械を借りてきて試していたが、あれが手に入ればずいぶん楽になるはず。一方、飲み水は近所の貯水池から汲む。これは道のりは多少あるが量はそれほど必要でなく1〜2回往復すれば数日は持つ。毎回リスバニアが付いてきてバケツを抱えた俺の行く手をさえぎりおどけていた。
3、【市内交通】サンルイスのアウトピスタからサンティアゴに行く際、パルマから来たカミオンは5ペソ、その他のカミオンは2ペソ、アマリージョ手配のものは1ペソ。ちなみに一口にサンティアゴ行き、といっても全部がアストロやカミオンのターミナルがあるカジェ4に出るわけではなく、手前で左に曲がって、メリアやブフェテあたりが終点だったり、逆に右に曲がってどこか知らない山道で止まったり、ということがあるので要注意。そこをアマリージョも確認しないことがあり現地の人たちも文句をいっていたりする。逆にサンティアゴからサンルイスに帰る際はカジェ4にあるカミオンのターミナルを利用するが、パルマ行きの正規のカミオンが5ペソ。今回これの正式な乗り方をはじめて知った。これまではカミオンが到着したらすぐ乗り場に行き強引に乗せてもらっていたが、本来はターミナル内で整理券待ちの列をつくり、カミオンが着いたら整理券を受け取り乗り場に駆け込まなくてはならない。これだと料金は安いがずいぶん長い時間とエネルギーを必要とするので、たいていは横の路地から発着するマキナ(乗用車)を利用した。サンルイス行きで10ペソ、パルマ行きで20ペソ(途中下車の場合交渉しだいで10ペソにまけてくれることもあり。やさしい手配師にあたるとよい)、さらに表の道路を隔てた一角にたむろしている貸切マキナだと150ペソ(これは貸切なのでもちろん自宅まで行く)。
4、【モノの値段】近所での記録。販売所で米1リブラ5ペソ、バナナ(ギネオ)3本1ペソ、トマト1リブラ5ペソ(大体5個)、たまねぎ大きさにより1ペソ〜3ペソ。カジェ露天で歯ブラシ10ペソ、電気コンセント中古10ペソ新品60ペソ。cuc払いのティエンダで缶ジュース(レフレスコ)0.50cuc、扇風機20cuc。サンティアゴ闇電気コンロ新品20cuc。また近所に、ビン(botella)を持ち込むと、他の物資と交換できる交換所がある。持ち込めるのはビンのみ。 |
No.3244 - 2007/07/06(Fri) 22:17:21
☆ 小ネタ集2 / りーど [いつかきっと] | | 5、【テレビ番組】6月5日メサ・レドンダはフィデルのインタビュー。表情が本当に好々爺になっている。これに引き続きフィデルのアジア訪問のドキュメンタリー「ハノイからヒロシマまで」が放映された。ベトナム、中国、日本訪問の記録。彼の人間的魅力はあのすべてを包み込むような抱擁の姿に表れていると思う。15日メサ・レドンダは前日生誕79年だったチェ・ゲバラを記念して映画モーターサイクル・ダイアリーズのドキュメンタリー。ちなみに独立戦争の英雄アントニオ・マセオもチェと同じ誕生日で、新聞などでは二人一緒に祝われていた。20日夜フアン・カルロス・タビオ監督のインタビューに続けて映画「バスを待ちながら」。やはりいい映画だと思う。24日夜フアネスのライブ。25日夜Usherライブ、映画「ジャッカルの日」。この時期ノベラは「Oh! La Habana」(キューバ製)、「Cabocla」(ブラジル製)を放映していたがどちらもよくはいりこめないうちに帰還となった。オー・ラバナにはBarrio Cubaにも出演していたMario Limontaが出ている。家族には圧倒的にブラジル製ノベラが人気であった。ブラジルのノベラの放映はずっと長い間シリーズとして続いているらしい。
6、【ビルマ・エスピン死去】6月18日夜ボニータに「きょうあの人の本を探してたんだけど・・・あの革命女傑の・・・ビルマ・エスピンじゃなくて、アイデじゃなくて、、何だっけ」と話していたら、ボニータが「Vilma se murio」と言った。夜のニュースで流れたという。ラウルは何か発言したかと聞くと、それは必要ない、彼女は自立した存在だから、とのことだった。翌19日午前中、テレビで彼女のドキュメンタリーとハバナでの追悼式中継を見てから、街に出た。街の角々では彼女にささげる花が売られていた。パルケ・フェレイラでは学生たちが大勢で行進してきた。帰りのターミナルもいつもよりさらに人がいっぱいだったが、ボニータによると彼女への追悼のためだったらしい。6月22日テレビで納骨をするラウルほかの家族の様子が放映される。ラウルはいったん設置した納骨を手元に引き戻し、口づけをし、念をこめるようにこうべをたれ、思いを断ち切るようにその場を離れた。翌日の新聞でこの現場がサンティアゴだったことを知った。知人の書店員によると、ビルマがフランク・パイスについて書き昨年見本市で発表された「Inolvidable Frank」という著書が6月30日に店頭に並ぶ予定とのこと。
7、【学校1】リスバニアやルシートが通っており、近い将来ニーニョも通うであろう近所の小学校について聞き取り続編。1学年ごとに3〜4のクラスに分かれていて、1クラス20人ほど。全体で400数十人いる。全部で23のaula(教室)があり、テレビが各教室に1つづつある。ビデオは全体で5〜6機しかない。テレビはCanal Educativo(教育番組チャンネル)の番組を見る。ビデオでは映画を見たりすることもある。新学期は毎年9月開始。翌年7月途中まで授業があり8月いっぱいまで夏休み。夏以外は1週間程度の休みがある。その年1月1日から12月31日までに5歳の誕生日を迎える者が、その年の9月から入学する。校舎が3つあり、そのうちひとつにはチェ・ゲバラの肖像が描かれている(1年前くらいに書かれた)。校庭にはホセ・マルティの銅像あり。今回校庭では夕方、空手の教室が開かれていて、空手着を来た子供たちがたくさんいた。
8、【学校2】小学4年生用教科書に、日本の有名な物語として「Un espejo de Matsuyama」が掲載されていた。ぜんぜんしらなかったが「松山鏡」という有名な民話らしい。国旗・国歌に関する法律の本を見せてもらったが、国歌を個人的お祝いで歌うことは禁じられているという。国旗についてもデザイン・大きさなどが決められている。エルマーナも現在学校に通っていて、それは職についてない者の義務として通っているのだと思っていたら、そうではなくいつでもやめたければやめられると言う。1ヶ月に80ペソもらっている。無事修了すると職につく権利が得られる(義務ではない)。スペイン語正書法の教科書「La esencial de la Ortografica」(Francisco Alvero Frances著、Editorial Pueblo y Educacion、1977年→1999年第3版)を見せてもらった。キューバ国内の機関の略字や人名のもともとの意味なども書かれてあり、一種の辞典である。欲しいと思ったが書店では売ってないという。少し探したが見つからなかった。
9、【店員】サンルイスの町中にひとりで散歩に出た。あるティエンダで旧知の店員にあった。向こうもすぐに気づき握手した。旧知といっても毎回買い物の際にこうして顔をあわせて挨拶をするだけで会話はほとんどしたことがない。その彼女が当たり前のように俺を名前で呼んだ。君は俺の名前を覚えている!と俺が驚くと、さらに彼女は「えーと苗字は確か・・・ではない?」とこれまた俺の苗字を正確に口にした。確か苗字を教えたのは俺が最初にサンルイスに来た3年前の一度きりのことである。このことをボニータに話すと、「彼女はあなたに興味があるのよ。彼女と結婚すれば?」と嫉妬されてしまったが、いや単に珍しい外国人だからだと思いますよ。 |
No.3245 - 2007/07/06(Fri) 22:18:19
|
☆ 小ネタ集3 / りーど [いつかきっと] | | 10、【コッペリア】6月14日エルマーナ二人と連れ立ってサンティアゴのコッペリアに行く。正式名称は「La Arboleda」という。前回に続き二度目だ。まずは外の路地で行列に並ぶ。順番がくると整理券が渡され、入場。室内で食べるか外で食べるかでcola(順番待ちの列)が分かれていて、今回は手早い外の列に並んだ。夕方3時過ぎだったが30分程度で入れた。白球3個セットTrillizosと白球2個セットJimaguaを各2個づつ注文する。すぐに品は出てきたが、その際、店員がTrillizosを余分に一皿もってきたらしく、なぜか俺のほうにそれを投げてよこし、エルマーナに「彼に」と言って去っていった。結局俺はTrillizosを2皿食べて満腹であった。Jimaguaはエルマーナに譲った。値段はまったく知らなかったが、はじめ8.85ペソと言われた。こちらが金を用意している間に店員が俺に投げてよこした1皿分のことを思い出して、10.80ペソに変更された。単価がいまいちよくわからないが、3人満腹でこの値段はとにかく安い。カジェで売られているエラード(1ペソ)は以前はバニラ(白クリーム)だけだったが、今回はチョコラッテやフレッサにも出会った。
11、【プラヤ】サンティアゴの海水浴場へ初めて行った。考えてみればワシはこういう観光地らしき場所をほとんど知らない。行ったのはシボネイ。サンティアゴにはたくさんの海水浴場があるがシボネイはそのうち町中から一番近い場所にあるらしい。大体車で30分程度。ボニータの同僚3人と連れ立って行った。たくさんの客がいたがほとんどが現地人で、一人でつまらなそうに漂っている者もいれば、べっとりくっついているカップルもいれば、大勢ではしゃいでいるグループもいる。海面にはよくわからないビニール袋や木のきれはしが浮いていてきれいなものではないがまったく気にならない。やってくる波に体をあわせてすごす。ボニータと身体を押さえあって波から逃げられないようにし、キャーキャー言う。そのとき頭からかぶる波の感触がとても気持ちがいい。食事は売り子がいろんなものを売りにくるのでそれを買う。箱に入った肉入りご飯は5ペソ。満腹になる。すごいねえこれが5ペソ、すばらしいと俺がいうと、ボニータが「Si , es comida de Fidel」と言った。ほかにはスイカ一切れ(現地ではmelonといっていた)1ペソ、ココ(coco、ヤシの実)丸々1個12ペソ、など。cuc払いのティエンダもあり、飲み物などはそこで買える。レフレスコ0.50cuc、セルベッサ1cuc。乗馬もできるが、かなりの暴れ馬で砂浜でゆっくり休んでいる客の合間をものすごい勢いで駆け抜けていくので要注意。砂浜は焼けるように暑い。夕方6時ごろ急に空が暗くなり強風をともなった大雨になったので退散した。
12、【リオ】毎年6月24日はサン・フアンの日(El dia de San Juan)で、子供たちを連れ川に泳ぎにいくのが慣わしだという。当日リスバニアたちは母親たちと朝4時ごろ家を出発し7時ごろ戻ってきた。ワシは起きれずいけなかった。なのでワシのために皆で6月26日もう一度川へ行った。線路沿いに1時間ほど山道を辿り川へ着いた。ニーニョは最初はもたついていたが、慣れてくると自分だけで川の中を歩こうとし、家族それぞれの背中に上ってはカバージョ!と気勢をあげていた。ここでなぜか、日本では医療・教育にとてもお金がかかる、子供のためにお金をためなければならないという話を家族にした。キューバでは薬にはお金がかかるがそれ以外の手術を含めた診療は無料だという。この川はそれほど深くなく、泳ぐというより上流から勢いよく流れてくる水に身体をあずけ水浴びするのだが、それだけでとても気持ちがいい。帰る際にママがカングレッホ(蟹)をくれた。それをリスバニアがほしがり、渡さないでいると一人いじけて後方で歩みをとめてしまった。蟹を示して遠くから叫んだ。おーいこれをよく見ろ!早くつかめ! 彼女がものすごい勢いで駆け出してきたのはいうまでもない。川へ行く途中、右手に白い建物が見えたが、それは医療のリハビリセンターだという。パパも足の治療に通っているという。
13、【教会】近所に教会があったので誘われるまま入ってみた。サン・ペドロ教会(La iglesia de San Pedro)という。いくつかの銅像があり、お祈りにきた女性が「この方がサンペドロ」と教えてくれた。毎年6月29日はサン・ペドロの日でフィエスタがある。玄関口でセニョーラが寄付をつのっていた。このお祝いに使われるらしい。1ペソ置いた。 |
No.3246 - 2007/07/06(Fri) 22:18:58
|
☆ 小ネタ集4 / りーど [いつかきっと] | | 【ハバナ】
1、【インファンタ】いつも立ち寄るハバナのインファンタ通り。CD-Rの値段は以前と変わらず2cuc=50ペソ。VCDは以前は3cucだったが今回はどこもCDと同じ2cucで統一されていた。また以前はいつも閉鎖中のようだった映画館が新装されており、「Multi Cine Infanta」という名称で営業していた。名のとおり複合映画館である。昨年11月ごろに新装開店したらしい。ちなみにサンティアゴでのCD-R、VCDは60ペソが相場で、これも以前よりは安くなっているが、ハバナより高いのは以前同様。
2、【空港電話】ハバナ空港ターミナル3の出発ロビーには、左右2箇所に公衆電話が各数機設置してあるが、そのうち各1機はコイン利用の電話機で(その他はカード利用)、ペソ硬貨を利用できる。知らんかった。空港内は全部cucかと思ってた。掃除しているセニョーラに尋ねたら丁寧に教えてくれた。そのとき携帯あてには015と押すんだよ、と教えてくれたが、015ではllamada prohibidaと出てしまい、もしやと思い05とやるとつながった。1ペソでサンティアゴにいるボニータと1分くらいは話せた(使い切らず途中で切った)。残金があると次の人はそのまま使えるようで、あるセニョーラのあとに並んで待っていたら、代わる際に彼女が「まだ5センターボ残ってるから使って」と言ってくれた。
3、【cubacel】ハバナ空港ターミナル3の到着ロビーにあったCubacelオフィスは5月31日時点は営業していたが、帰る際立ち寄ったら閉鎖されており、「ここは6月6日から休止。ターミナル2へ移動」との張り紙がしてあった。古いTDMAの機種は20cuc払うだけで新たなGSMの機種に変更ができるとの情報の真偽を確かめたかったのだが残念。サンティアゴにもVista Alegreにオフィスがあり、携帯電話に関する情報はそこじゃないと詳しく聞けないが、場所を覚えていないため一人では行けない。 |
No.3247 - 2007/07/06(Fri) 22:20:23
|
|