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雑誌情報 / りーど [いつかきっと]
「潮」4月号(潮出版社、3月5日発売)に、「キューバ・カストロの子どもたち」と題した篠田有史によるフォトレポート、5ページ。
http://www.usio.co.jp/html/usio/index.php
No.3082 - 2007/03/14(Wed) 01:58:02
Re: 雑誌情報 / りーど [いつかきっと]
「KING」4月号(講談社、3月13日発売)に、「USA in CUBA」と題したグラビアレポート、12ページ。日本のダンスユニットEXILEのメンバーUSAが、ハバナの人気ルンバグループYoruba Andabo(ヨルバ・アンダボ)らと交流。
http://www.x-king.jp/index.html
No.3083 - 2007/03/15(Thu) 21:33:24
Re: 雑誌情報 / りーど [いつかきっと]
「週刊金曜日」最新号(3月16日発売)の「非マスコミ紙誌」紹介欄に、「キューバに自転車を送る会」の会報「シルクロ(Circulo)」。
http://www.kinyobi.co.jp/Recent
No.3085 - 2007/03/17(Sat) 20:40:31
Re: 雑誌情報 / りーど [いつかきっと]
「文藝春秋」4月号(3月10日発売)に、檜垣博紀(もと新日鐵原料部長)による「真夜中のカストロ」と題したエッセイあり。2005年3月ニッケル調査のためキューバを訪問した筆者は帰国前夜にカストロと会見しニッケル輸入の説得を受ける。淡々とした中にも愛情あふるる繊細な文章。必読。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm
No.3090 - 2007/03/22(Thu) 22:45:43
ハバナ一部地域電話番号変更 / りーど [いつかきっと]
5月27日よりハバナ市内の一部地域の電話番号が7桁に変更になる。

1、ボジェロス、アロージョ・ナランホ、10・デ・オクトゥーブレ:6で始まり、現在の番号6桁がそれに続く。例:446241→6446241
2、マナグア、カルバリオ:609で始まり、現在の番号末尾4桁がそれに続く。例:99-8599→609-8599
3、レグラ、グアナバコア、アバナ・デル・エステ:7で始まり、現在の番号6桁がそれに続く。例:97-2566→797-2566
4、アラマール:76で始まり、現在の番号末尾5桁がそれに続く。例:65-2235→765-2235、93-2355→763-2355、792-2744→762-2744

ETECSA 3月14日付
Cambian a 7 digitos numeros telefonicos en el Este y Sur de la capital
http://www.etecsa.cu/novedades.asp?id=362
No.3088 - 2007/03/22(Thu) 04:52:29
(No Subject) / miki [今夏] [ Mail ]
はじめまして☆
皆さんのお知恵を貸してください。

9月にキューバの彼を日本に招待しようと考えています。
先月キューバに行った際に、ミラマールの日本大使館で必要な手続きを聞いてきたんですが、
残高証明でどれくらいの額が必要なのかはこの場でお教えすることはできませんと言われてしまいました。
二ヶ月の滞在として、どれくらいの残高が必要なんでしょうか。

それと、航空券はAeroflotのハバナ〜モスクワ〜成田を予定していますが、どなたかAeroflotを使われた方はおられますか?
ハバナのオフィスに問い合わせたところ、
1,900CuCと言われましたが、
東京支店に聞いてみたら正規料金の取り扱いしかなく、
13,500euroと言われ衝撃を受けました。

わからない事だらけで、頭が混乱しています・・・・☆
No.3063 - 2007/03/06(Tue) 00:59:44
Re: (No Subject) / ぐらんではぽねす
こんにちは

婚姻はしたけどまだ来日準備待ちな者です

正確なことはちゃんとしたキューバ専門旅行業社のトラベルボデギータに相談した方がよいですよ

欧米経由はロシアもパリ経由も高いのは仕方ないし、安いのはありません

残高証明書は幾らかってわかりませんよね
滞在維持費がある位らしいけど
額は書けないけど百万単位ので残高証明書提出するつもりです


管理人りーどさんやYMさんは経験者だからわかると思います
No.3064 - 2007/03/06(Tue) 01:28:03
アエロフロート航空券発券 / りーど [いつかきっと]
アエロフロートの航空券を日本で購入する場合は、基本的に代理店でのみ可能なのだと思います。去年アエロフロートの日本支社に問い合わせたときはそう言われました。またキューバで購入する場合はご存知のとおりハバナオフィスで可能です。金額は大体2000cuc前後(もちろん時期によって変動します)。これを日本の(キューバ駐在の)代理店を通して購入すると手数料が数パーセント加算されます。だから最も経済的なのはハバナオフィスで直接予約・購入することです。

しかしその場合発券のタイミングが難しいです。キューバの出国許可が出てから発券しなくてはならず(出国許可が出ないうちに発券してしまうと、結局許可が出ずにチケットが使えなかった場合無駄になるから)、通常出国許可は出発予定日のかなりぎりぎりにならないと出ません。なので出国許可をもらって、すぐにオフィスに行って支払い・発券して、出発、とかなり慌しくなります。それを一人でやっているともしかしたら手続きが間に合わないかもしれません。そのあたりを慣れた代理店業者に頼むと安心というわけです。ハバナに駐在している日本の代理店はぐらんでさんが挙げているほかに、アイランドツアー、メキシコ観光もあります。多少条件は変わりますので、それぞれに見積もりなどをもらってみるといいかもしれません。

個人的にはハバナのアエロフロートで直接手配をしてみたいので、自分も一緒にハバナから同行する、といったときにいつかトライしてみたいとは考えています。

残高証明書については使ったことがなくわかりません。趣旨としては「滞在中の生活を保障するだけのお金を持っているかどうかの証明」ということになります。ではそれに十分とみなされる金額については、いろんな条件(婚姻の有無とか、来日経験とか、滞在区分とか、そのときどきの国家間情勢とか)によって外務省が(一律の基準によってではなくある程度恣意的に総合的に)判断するので、なんとも。ただ漠然と考えるに、日本での常識的な生活費に、多少の余裕+緊急費用を上乗せ(急に帰国するための旅費とかなんとか)しての2人分で、2ヶ月であれば、まあ200〜300万ぐらいでどうなんでしょうか。あまいかな。経験者の話があればいいですね。
No.3065 - 2007/03/06(Tue) 09:40:15
Re: (No Subject) / YM [---]
>二ヶ月の滞在として、どれくらいの残高が必要なんでしょうか。
>


りーどさんが書かれている通り、ケース・バイ・ケースで判断されるので、決まった額を示すことは出来ないようです。

参考までに、現在の外務省HPの「短期滞在を目的とする場合の査証申請の提出資料」の項で、招待側の支払い能力については、次のように記されています。

●短期滞在を在留中の一切の経費の支弁能力を明らかにする資料

これは、必ずしも残高証明書が必要という訳ではありません。mikiさんにちゃんとした収入があるのであれば、所得を証明できる書類(源泉徴収票、納税証明書、所得の確定申告の控えのいずれか等)でOKなはずです(うちの場合、源泉徴収票を提出し、残高証明書は提出していません)。
もし、自身に所得がない場合は、所得のある親族の方に保証人になってもらい、その方の所得を証明する書類を提出するという方法もあります。
No.3066 - 2007/03/06(Tue) 22:04:41
(No Subject) / miki [---]
ご返信ありがとうございました!

私はいま大学生で、バイトの収入しかありません。大使館の方は「学生だから、バイトだから却下されるということはないが、残高証明書の提出が一番確実では?」とおっしゃっていました。両親に頼んで所得証明を出してもらうことも考えたのですが、父の仕事柄、何であれ保証人になるのは好ましくないようで、私の銀行口座に一時的にお金を移して証明書を発行してもらうことになると思います。けど招待するのにかかる費用は全部自分で出すつもりです。早く自分のことは自分で責任の取れる社会人になりたいです(:_;)
No.3070 - 2007/03/07(Wed) 13:24:54
(No Subject) / miki [今夏]
今回旅して得た情報を書き込んでおきます☆

今回ツーリストカードで入国してからファミリービサに書き換えました。キューバの彼からは「入国時に僕の住所を見せてここに泊まると言いなさい」と言われていましたが、入国の時点で持っているのはツーリストカードだけだったのでややこしくなる予感がして適当なホテルの名前を書き込んで入管を通過しました。着いたのが金曜で、ビサ書き換えに行ったのが月曜でしたが問題なく20分ほど待って出来ました。40Cucの切手はイミグレーションから3分くらいの銀行で買えました。イミグレの入り口で管理してるおっちゃんが道を詳しく教えてくれました。

それから彼のパスポートを取得してきました。土日挟んで6日で受け取れました。木曜の午前に手続きして、火曜のお昼にもらえました。受け取る際にカルネがいるようです。場所はハバナの10 de Octubreです。意外とさくさく行ったのでびっくり。
No.3071 - 2007/03/07(Wed) 16:13:17
アエロフロート / りえ [---] [ Mail ]
こんにちは。mikiさん、はじめまして。

私は、12月に彼を日本に招待しました。

私の場合は、手続きの最初から最後までキューバに滞在していたので
少し違うパターンかもしれません。
(手続き自体は2ヶ月程度だったと思います)

私の場合は、私自身が日本側での受け入れと言うだけで
招へい理由書、滞在予定表、身元保証書を書いただけで
それ以外(戸籍謄本、住民票、在職証明書、源泉徴収票など)は
何も提出せずにすみました。

航空会社は「アエロフロート」を利用。

直接「アエロフロート、ハバナオフィス」に行き
購入しました。値段は1780CUCと記憶しています。
(時期によって値段は違うと思いますが)
最初にプレチケットを発行してもらい(日程変更可能)
ビザ、パスポート、ペルミソデサリーダ等の全ての手続きが済んで
最後に発券しました。

アエロフロート(ハバナオフィス)自体は、受付も丁寧で
対応も良かったですよ。

経済的には、直接予約・購入できたら1番なのでしょうけどね。
No.3076 - 2007/03/11(Sun) 16:38:39
Re: (No Subject) / ねね [今春]
りえさん、
12月に招待したときの最新情報を細かく解説していただけると
嬉しいです!お願いします。私も夏ごろ恋人を呼びたいのですが、
季節によってアエロフロートの値段とか変わるんですか?
詳細をお願いします。
No.3080 - 2007/03/12(Mon) 22:06:24
Re: (No Subject) / miki [---] [ Mail ]
りえさん私も詳しく教えてほしいです!
どんな細かいことでもいいのでお願いします☆

私は8月にまた行こうかな〜と考えてるので、そのときに何とか全ての手続きをすませたいと切に願ってます・・・☆
No.3081 - 2007/03/13(Tue) 00:27:56
Re: (No Subject) / りえ [---] [ Mail ]
ねねさん・mikiさん 遅くなりすみません。
12月に招待した時の詳細ですが
私の場合、違うパターンだと思うのですが
一応書いておきます。

まず、招待しようと決めてから
在キューバ日本大使館へ行きました。
そして資料をもらいました↓
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/kokuseki/pdfs/kokuseki_13.pdf

9ページ目にある「短期滞在・査証申請の為の提出基本書類一覧表」で
基本的に日本側で準備する物は
「招へい理由書」「滞在予定表」の2点だけでよいわけですが
渡航費用を身元保証人が負担する場合
(ほとんどの場合がこのケースだと思います)
更に資料が必要になってきます。

ここで私の場合、彼側のキューバでの収入が安定しており
渡航費用支弁能力があったので
(ある程度援助しましたが)
私は「招へい理由書・滞在予定表」のみの提出で終わりました。

上記の短期査証の手続きはスムーズに行き
その他パスポートもすぐ発給され
カルタデインビタシオンも、私がキューバ在住の為
私はパスポートとカルネ(学生ビザで滞在中のため)
を持参して即日発行。
そこでは簡単な質問をされ、所定の文面ができているので
名前や住所などを変更するだけで向こうが
文面を打ってくれます。
文章に間違いが無いかチェックし、サインをしてお金を払って終わり。
30分程度で終わりました。
(場所もホテルハバナリブレの裏辺りなので家の近くだった)

最後のペルミソデサリーダも5日で発行されました。
(ベダードなのでこれまた家から近かった)
後から彼に聞くと、かなり突っ込まれて質問されるらしいのですが
コレはもう臨機応変に彼に頑張ってもらうしかないですね。

うーん、ごめんなさい。コレと言って参考になるところが
何もないかもしれません。

アエロフロート航空券の件ですが、時期によって値段が変わります。
私が呼んだ時は、多分安い時期だったのだと思います。

頑張ってください。













http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/kokuseki/pdfs/kokuseki_13.pdf
No.3087 - 2007/03/18(Sun) 17:10:58
近藤彰利60年代のキューバを語る / りーど [いつかきっと]
近藤彰利「60年代のキューバ」写真展、記念トークショー「近藤彰利60年代のキューバを語る」(聞き手:戸井十月)いってまいりました。(3月17日、渋谷、Tokyo Hipsters Club)
http://www.tokyohipstersclub.com/html/exhibition/

近藤さんというのは63年にキューバに招待され、カストロとゲバラが顔を突き合わせて真剣に語り合っているあの有名な写真を撮った人です。直接話を聞くのは初めてでしたが、気さくでやさしげな方でした。会場は立ち見も出て満員。トークのあとはキューバ大使の挨拶もあり、またキューバに行き現在のキューバを撮ってほしいと言われてましたが同感です(2000年に8回目の渡航をしそれが最後)。今回の写真展は、主催のTokyo Hipsters Clubが、昨今よく見られる陽気で楽しいというだけではないキューバを基本に立ち戻って表現したい、という趣旨で企画し、近藤さんが保管していたネガから今回使用する写真を選んだそうです。写真だけではなく、近藤さんの写真をジャケットに使用した現地レコードやグランマ記事、現地で配られた旗、などの貴重な展示品もありました。

近藤さんの一連の話はカサデクーバでのエッセイ(http://www.casa-de-cuba.com/relayessay/main000901.html)および書籍「キューバ万華鏡」に詳しいですが、何より直接話を聞けたことが貴重な体験でした。ぜひ秘蔵の写真をまとめた写真集を1冊出してほしいと思います。上記書籍などとダブる面が多々ありますが、記憶に残った話をメモすると、

1、あのカストロとゲバラの語り合う写真が国防省の壁面に飾られたのを知らせてくれたのはオズバルド・サラスだった。それが載ったグランマ紙の切抜きに「この写真は君のだと思う」と書いて送ってくれた。
2、あれはシャッタースピード1/15秒で撮った。(ほとんどブレてない、二人とも身動きせずによほど真剣に話していたんですねと戸井氏)
3、あの写真について、あれは二人の口論の場面、喧嘩別れのきっかけといった穿ったイメージで見る人がいたが、実際はそんな雰囲気ではなかった。カストロが信頼できる同志ゲバラに報告している様子だった。
4、当時はスペイン語はもちろん英語もほとんどわからなかった。あのカストロとゲバラの写真を撮ったとき1mにまで近寄ったのは私だけだったが、それはおそらく事前の注意事項説明を私がまったく理解してなかったためだろう。
5、その後の渡航ではそこまで近寄れなくなり、行く度に3m、7m、10mとだんだん距離が離れていった。
6、初回渡航時に現地日本大使館に挨拶にいったら「こんな国はあと2年もすればなくなる」などと言われ頭にきたのでそれ以降大使館には行ってない。(近年の大使たちは皆キューバの魅力にやられて戻ってきている、と戸井氏のフォローあり)
7、渡航・滞在費などはすべてキューバ政府持ちで、ホテルや食事なども豪華だった。(今じゃありえない、当時はバティスタの遺産が残ってたんでしょうねと戸井氏)
8、現地では現地写真家オズバルド・サラス、リボリオ・ノバル氏らが同行してくれた。
9、行きは、バンコク、ニューデリー、テヘラン、ベイルート、プラハを経由してハバナに着いた。帰りはソ連経由で、同じ受賞者だったソ連人の知人をモスクワに訪問した。(他の社会主義国とキューバはまったく違うと思う、資本主義であれ社会主義であれ体制に関係なくキューバには唯一の魅力がある、と戸井氏)
No.3086 - 2007/03/18(Sun) 15:08:43
Marco Antonio Solis 2 / りーど [いつかきっと]
マルコ・アントニオ・ソリス率いるロス・ブキスの「ナビダ・シン・ティ」。若かりしマルコの姿。80年代のライブか。クリスマスソングの定番的つくり。繊細な美しいメロディー。途中の語りも味がある。

Los Bukis - Navidad Sin Ti
http://www.youtube.com/watch?v=zdAvQxJfOrg


君のいないクリスマス

また1年が去った
あらゆることが過ぎ行きて
新たに知ったこともあれば
忘れたこともあったろう

でも私の心の中は
何にも変わっちゃいない
私はいつも君と共にいる
こんなに愛し続けている

ツリーの明かりは
君に語りかけているようだ
くす球と笑いに囲まれながら
君がここにいないことを実感する

鏡に自分の表情を見る
生気がなくなった私の肌
今年の苦しみと共に
私は枯れてしまった

クリスマスがやってきた
君なしの私
一人さびしく
君を失った日を思い出す

君がいまどうしているか知らない
でも心から
君の幸せのために
クリスマスのきょう祝杯をあげる

いつもいつも、この時期は同じことを繰り返している
君がよくほしがっていたプレゼントを用意して
そのあと君が一緒に写っているあの写真を眺める
心に刻みながら語る、また君のいないクリスマスが

クリスマスがやってきた
君なしの私
一人さびしく
君を失った日を思い出す

君がいまどうしているか知らない
でも心から
君の幸せのために
クリスマスのきょう祝杯をあげる

メリークリスマス

http://marco-antonio-solis.letras.terra.com.br/letras/885189
No.3084 - 2007/03/16(Fri) 23:36:43
ボリビア / りーど [いつかきっと]
エボ・モラレス大統領が来月日本にやってくるようですね。
No.3034 - 2007/02/21(Wed) 01:31:10
Re: ボリビア / ぐらんではぽねす [いつかきっと]
どうも おひさです
明日NHKBSHIでゲバラの特集番組で戸井十月がボリビアに行った内容らしいですね

ONタイムな番組予定?
No.3036 - 2007/02/21(Wed) 01:49:43
Re: ボリビア / りーど [いつかきっと]
ダビングおながいします。ハイビジョン見れないんです。
No.3037 - 2007/02/21(Wed) 02:02:05
Re: ボリビア / ぐらんではぽねす [いつかきっと]
どうも 撮りましたが、いいドキュメント番組でしたが、

NHK料金払ってないので(爆)左下にNHKの注意書きがずっと入ってました(爆)


VHSでいいですか?(DVDできない)
No.3039 - 2007/02/22(Thu) 02:46:16
Re: ボリビア / りーど [いつかきっと]
おおきに。なんでもOKです。ぜいたくはいいません。
No.3040 - 2007/02/22(Thu) 21:33:04
Re: ボリビア / りーど [いつかきっと]
講演会チケット入手しました。
No.3053 - 2007/03/01(Thu) 20:04:04
ボリビア大統領講演会 / りーど [いつかきっと]
モラレス大統領講演会に行ってきました(3月6日、ジェトロ本部)。満員でした。キューバ大使と参事官のお二人も来られてました。

炭化水素資源の国有化を宣言(実施)した「炭化水素法」について関心が集中しましたが、これについて大統領は、外国企業を接収せず追放せず、その結果賠償金を払うこともなく、各国パートナーと新たな配分を決めて新しい契約を交わしたものだ、とし、これまで不平等な取引を強いられ貧困にあえいでいたボリビアが、これにより「物乞いの政治」から脱して、お互いがよきパートナーとしての「正当な貿易」を目指していくものだ、と理解を求めました。またこの国有化によるブラジルおよびアルゼンチンとの価格交渉などの結果、国有化前は2億数千ドルだった収入が現在は20億ドルという成果を実際に生み出している、と話しました。

日本にこれてうれしい、5億7千万ドルの債務免除に感謝します、これで1人あたり200〜500ドル分の負担がなくなると説明したあと大統領は、日本とボリビアは「人間の生活・生命を守る」という点で共通である、「社会正義・平和」を目指していきたいと語りました。

「南米はひとつの国家である」と大統領は言いました。そして、「南米で最初に戦争を放棄する国、そしてその憲法を持つ国になりたい。新憲法では戦争放棄を謳う」と明言しました。戦争は解決にはならない、これまでボリビアでも4つの戦争があり、そのうち評価できるとしたら独立戦争だが、それも多くの犠牲があった。今後は軍隊なしで人命を救いたい、と語りました。この話には本当に驚き、そして感動しました。

興味深いデータを教えてくれました。モラレス以前の大統領の給与は4000ドルぐらいだったそうです。これを大統領はとんでもない高額といった表現をしたあと、今自分の給料は1300ドルである、と言いました。またボリビアの法律では「大統領の給与が一番高くなくてはならない」と規定されているそうです。

大統領は「チリは私たちにとって"海"なんです」と語りました。これは19世紀末のチリとの戦争で海岸地帯の領土を失ったことに由来するようです。現在のチリとの関係は、第一に海、第二にエネルギー、という表現をしました。今後どう貿易していくかという質問には、具体的な貿易どうこうということより、まずお互いが「人類として」補完的な関係になること、良いパートナーとして全体を考えていくこと、これが重要だと述べました。

一貫していたのは、人類として、世界の一員として、人間の命を大切にすること、国に関係なく全員が幸せになるようにしていくこと、お互いが自立してより良いパートナーとして、対等の関係であること、世界の平和をめざす一員であること、といった希望に満ちた思想でした。このような話を日本に来てしてくれたことに感謝します。
No.3068 - 2007/03/07(Wed) 03:39:19
Re: ボリビア / Celia [今春]
 断片的ですすが、ニュースとして伝えられていますね。
  ↓
☆「新憲法で戦争を放棄する」ボリビア大統領が都内で講演(朝日新聞)

http://www.asahi.com/international/update/0306/023.html
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/754.html

・・・(略)またモラレス氏は同日、安倍首相と首相官邸で会談した際も、戦争放棄をうたう日本の憲法を念頭に、「ボリビアは日本のような大国ではないが、似た点もある。人々が手に手を取って平和に生きる社会。そういう観点から、戦争放棄を憲法改正で掲げたい」と語った。

 このニュースに満足なリアクションが見られない日本…、モラレス大統領の目には、どう映ったでしょうね・・・
No.3073 - 2007/03/08(Thu) 15:51:02
Re: ボリビア / Celia [今春] [ Home ]
追伸:
1日100hit程のブログなんですけど、VIVA CUBAのurlとペンネーム明記で、講演会の内容を転載させてもらってもいいですか?
No.3074 - 2007/03/08(Thu) 15:54:47
Re: ボリビア / りーど [いつかきっと]
ここが日本だから言うわけじゃない、と一応言ってましたが、日本と共鳴する部分を意識して表明してくれたに違いない。こういう国とこそ平和友好条約を即結ぶべきだとあっしは思います。モラレス、持っている原稿にはほとんど目を落とさず、数字などもつらつらと挙げながら、ほとんどよどみなく1時間話しっぱなしでした。転載OKです。
No.3077 - 2007/03/12(Mon) 01:52:01
Juventud Rebelde 3月3日付記事 / りーど [いつかきっと]
「フィデルに歌う」はいかにしてシエラ・マエストラに届けられたか

きたる3月5日は、詩「フィデルに歌う」がカリルダ・オリベル・ラブラによって書かれて50周年にあたる。この詩がいかにしてごく秘密裏に送られたかを、その作者自身が語る。

マタンサス - 1957年の3月、春分間近。ティリ81地区では、歯科医である父親の診察室におそらく身を隠しながら、ある少女が、禁じられた、ほとんど秘密の、ひとつの詩を書いた。その詩はある一人の男にささげられていた。

この詩篇の重要性を考えることもなく、その少女は、一気にその詩を歌った。それ以降50年の月日が平静のうちにマタンサスとカルリダのもとを流れた。彼女はまだあの金髪の少女の面影をとどめ続けており、そのまなざしは海を思わせる。きょう彼女は、「フィデルに歌う」について、そしてその秘密について語った。

虚栄心をみじんも感じさせずに彼女は言う。「あの歌は・・・何も考えずに書いたんです。発作のようなものだったんです。青春の疾風のような、詩からのいざないのような」。

2月が過ぎ、だいたいこの時期に流行するインフルエンザを、この女流詩人も患っている。しかし記憶を思い起こすことをやめようとはしなかった。彼女は正確に場所、名前、日付などを覚えていた。

(続く)

Juventud Rebelde 3月3日付
Revelan cómo llegó a la Sierra Maestra el poema Canto a Fidel
http://www.juventudrebelde.cu/cuba/2007-03-03/revelan-como-llego-a-la-sierra-maestra-el-poema-canto-a-fidel/
No.3061 - 2007/03/05(Mon) 03:55:44
Juventud Rebelde 3月3日付記事 2 / りーど [いつかきっと]
- 正確には何があったんですか? -

- この歌については幾つかの伝説があります。その中には私が保存を手伝ったのもあります。間違いを犯したかどうかわからないけれども、きょうはより率直になります。

「正確には3月の何日に書いたのかわからないんです。ずっとあとになってフィデルは私に「何日に書いたの?」と尋ねました、私はいつも言っていることを答えました。ある米国の雑誌がマタンサスに届いた日と同じ日に書きました、その雑誌にはヒューバート・マシューズによるコマンダンテへのインタビューが載っていて、それが届いたのは3月3日から5日の間でした」

「シエラにコマンダンテはいないとバティスタは言っていました。そこには誰もいないと。現実には彼は何も知らなかったということが、その雑誌が出たときにわかりました。そこではマシューズとフィデルの写真が2枚載っていて、二人がタバコを吸っていたんです。

「それは午後だったと記憶しています。それを見たとき私はびっくりしました。こんなことが起きたとき詩人ならどうするだろう?、それならすぐにペンをとるわ、って、自然に思ったんです。そうやって私はあの詩を書きました」。

(続く)
No.3062 - 2007/03/05(Mon) 22:48:42
Juventud Rebelde 3月3日付記事 3 / りーど [いつかきっと]
「フィデルに歌う」はおよそ1、2ヶ月ほど隠されていた。フリアン・アレマンがまずそれを知り(彼がこの女流詩人の声を録音した)、その後カリルダの他の友人たちがそれを読んだ。マノロ・ガルシア(彼が国外にそれを持ち出した)、エラクレオ・ラスコ、アルマンド・ウアオ、フリオ・フォント、マリオ・アルヘンテール、リカルド・バスケス、ジュアン・エスナルド、ネストル・ウジョア、ロムアルド・スアレス、ウゴ・アニア、フアン・ルイス・エルナンデス、といった人たちである。

「おわかりのように、私はあまり注意も配慮もしてなかったんです。秘密はまたたく間に広がっていきました。誰もが私に同じことを言いました。「で、君はこれをシエラにもっていかないの?」と。それは命がけになると私は思いました。でも結局決断しました」

- どのようにして届けたんですか? -

- 7月26日マタンサスで私はある人と会いました。その人はオリエント地方の人でした。彼は非合法活動をしていて、身の危険にさらされていましたが、でも申し出てくれたんです。

- その人のデータを何か知ってますか? たとえば名前は?

- 彼が私に話したことだけです。レブリン商社の販売員だと自己紹介して、ロランドと名乗りました。でもそれは本当の名前ではないと思います。

- あなたたちはどのように送ったんですか?

- 私はデザイナーだったので、全体が透けて見えない紙を持ってました。それはとても抵抗力があります。その詩を届けようとしたときに、四つの節を除外したことを覚えています。それはとても長くて、私たちが送ろうとしている形式では収まらなかったんです。

「用紙の一面に詩の半分を、もう一面に残り半分を書き写しました。ロランドは長靴の中に入れて行こうとしていたからです。具体的には靴の内底と外底の間です。

「三回書き直しました。感覚がつかめずに字が小さくなってしまったからです。数年後にロランドがシエラに着く前に殺されたことを知りました。でも彼は詩を届けていたのです」。

(続く)
No.3069 - 2007/03/07(Wed) 03:45:03
TV番組 / YM [---]
次のような番組があります(関東では3月13日放送、他の地域は、違う日時の場合あり)。

http://www.tv-tokyo.co.jp/okusama/

「スタジオに13名大集合!」のうちの1名は、キューバ人です。13名のうちの1名なので、写るのはほんのちょっとだと思います。
僕も三田さんも出ないと思います。
No.3067 - 2007/03/06(Tue) 22:53:07
(No Subject) / 丸ちゃん [---]
先日は送金の件でお世話になりました。
やっとdualesにて送金完了しました。やはりfamilyremittancesの方は営業してないようです。
このサイトがなければ送金方法なんて分からかったでしょう。感謝します。
これからもキューバ情報参考にさせてもらいます。
それと過去の掲示板に現地にて現金で両替するよりトランスカードに入金する方が得と書かれてましたがdualesカードでも可能ですか?
No.3059 - 2007/03/04(Sun) 14:51:03
現地両替/現地カード入金レート / りーど [いつかきっと]
dualesカードでも可能です。現地で同様に取り扱われているデビットカードであればOKなんだと思います。実際にdualesおよびcaribbeanでも処理をしたことがあります。ただ本件で補足しておきたいのは、俺が実際に確認し手続きした場所はサンティアゴ(のBFI)のみであること、またもっとも最近確認した時期が昨年の7月であることです。だからサンティアゴ以外の地域でどうか、また昨年7月以降がどうか、については定かではありませんので、その点に留意して窓口で確認していただければと思います。俺も次回渡航時には再チェックしてまいります。
No.3060 - 2007/03/05(Mon) 02:06:53
Granma Internacional 3月1日付記事 / りーど [いつかきっと]
ハリー・ベラフォンテ80歳の誕生日

今から5年前、ハバナではラテンアメリカ新映画祭という幸せな熱狂に賑わう12月のある日、一人のヨーロッパの新聞記者が私の前にいたハリー・ベラフォンテに向かって近づき、出し抜けに言い放った。「世界やあなたの国の現実に対して、あなたの声は聞き入れられないと時には思いませんか?」。相好をくずさず、微笑みをたやさずにその俳優は答えた。「私は一人ではない。私の声は次第に大きくなるコーラスのちょっとした一部分に過ぎない。でも例えそれが一人だけのものであったとしても、私がへこたれることはない。最後の人生のときまで、正義の理想が実現するのを見るのを決してあきらめない」。

今週金曜日に80歳をむかえるハリー・ベラフォンテは、自分自身に誠実であり続けている。仕事と戦いの人生に対して。彼の最も最近の映画参加作品は「ボビー」だった。これは1968年のロバート・ケネディ暗殺に関する、エミリオ・エステベスによる映画である。彼はこの映画でアンソニー・ホプキンス、デミ・ムーア、エライジャ・ウッド、シャロン・ストーンと共演している。また、スパイク・リーによる印象深いミニドキュメンタリー「クアンド・ロス・ディケス・セ・ロンピエロン」(堤防が壊れたとき)では、カトリーナ台風によるニュー・オーリンズの荒廃に対する米国政府の無策を批判している。

一方で映画に参加しながら、あるいは自らの優れた音楽作品の再作品化をしながらも彼は、ジョージ・W・ブッシュの狂気じみた政府によって悪化した恒常的な害悪に蝕まれた社会において、市民としての発言をやめることはない。この2月にはベラフォンテはエモリー大学に現れ、大勢の聴衆に向けて語りかけ、政治的弊害、弾圧、人種差別が存続している限り、マーチン・ルーサー・キング氏のように人間としての戦いの精神をかかげなければならないと訴えた。

最近彼はまた、アトランタのマーチン・ルーサー・キング歴史地区において、仲間のシドニー・ポワチエの「国際公民権運動の殿堂」入りを祝った。ベラフォンテ自身3年前にその一員になっている。

ベラフォンテの思想が体制側を刺激しているというひとつの証拠が、超保守的なワシントン・ポスト紙の、さる2月26日付けの記事である。

その社説の論評は、ホワイトハウスの現在の寄生虫を批判する知識人の名声に打撃を加えることを意図したものだったが、その論評子は「有名人のリベラリズムへの狂気にはきりがない」という実例として、ベラフォンテが昨年行ったベネズエラ旅行、ウゴ・チャベス大統領との会見、「世界で最も危険なテロリストはジョージ・W・ブッシュである」ということについてその場で表明した意見、を位置づけた。

知識人として、また市民として、ベラフォンテは、戦争、国内での人権侵害、ブラックリストの復活、キューバへの経済封鎖、帝国の傲慢、などには妥協しないのである。「決してあきらめない」というのが彼の闘争の讃歌である。

Granma Internacional 3月1日付
Cumpleaños 80 de Harry Belafonte
http://www.granma.cu/espanol/2007/marzo/juev1/belafonte.html
No.3057 - 2007/03/03(Sat) 02:06:30
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