「フィデルの言葉」展、最終日行ってきた。短い格言のような一文が書かれているのかと想像していたら、長文がぎっしり書かれていた。全部で十数件、過去の文章(演説など)抜粋と、最近の論考とが半々ぐらい。過去の分についていくつか思い出しながら手元の文献と参照し、その一部を書き出してみた。書きながら、これらはすべてつながっていると感じる。
ハーバート・マシューズの言葉(「フィデル・カストロ」より) 「この二人(注:フィデルとホセ・マルティのこと)は性格の面では非常に異なっているが、共に自分たちの私生活を外に出さなかった。キューバの若い作家で、ハバナにある図書協会の理事をしているエドムンド・デスノエスは、彼等は一つの主義に身を投げ出した公人である、と書いている」
アイデ・サンタマリアの言葉 「その時以来(注:アベル・サンタマリアが殺されたことを知った時)私はフィデル以外の誰のことも考えませんでした。私たちはすべてフィデルについて考えました。死なせてはならない人間であるフィデルについて。生き残って革命をやる人間であるフィデルについて。私たちすべての命であったフィデルの生命について。フィデルが生きている限り、アベルもボリスもレナートも他の人たちも死んではいなかった。彼等はキューバ革命を行いキューバの人民を彼等の運命に向けて指導していくフィデルという個人の中に生きていくでしょう」
ガブリエル・ガルシア=マルケスの言葉(「素顔のフィデル」より) 「めったにない郷愁にひたる瞬間に、彼が田舎で幼少時代に見た牧歌的な夜明けの風景を思い出し、去ってしまった若かりしころの恋人を思い出すのを聞いたことがある。いまとは違うどんなことをすれば人生が楽になったかという話も。ある夜、彼が小さなスプーンでゆっくりバニラアイスを食べる姿を見ていると、あまりに多くの彼自身からかけ離れた人々の運命の重さに打ちひしがれているようで、一瞬、私には彼がそれまでの彼ではない人物になったように思えたのだ。そのとき私は、この世界でいちばんやりたいことは何かと尋ねてみた。すると彼は即座にこう答えたのだ。どこかの街角をぶらぶらしてみたいだけさ」
佐々木譲の言葉(「カストロという男」より) 「政権を取った後の社会を組織し、ありとあらゆる権謀術数を駆使して革命政権を守ってゆくことは、およそ格好よくありません。厳しく、難しく、しかも侮辱されがちな生き方です。しかし革命をやってしまった以上、誰かがその格好悪い務めを引き受けなければならない。カストロのプラグマティズムはゲバラのロマンチシズムと同じレベルで評価されるべきではないかと思います。カストロは革命政権の延命を自分の責任において引き受けた男です。」
以下、フィデルの言葉
「歴史は私に無罪を宣告するであろう」(1953年10月16日、サンティアゴでの法廷弁論より) 「わたし自身は、わたしにとって牢獄が、かつて例のないほど厳しく、脅喝、卑劣、臆病者の残忍さでみちみちていることを知っています。しかしわたしは、七十人のわが兄弟の生命を絶った憐れむべき暴君の怒りを恐れぬように、牢獄を恐れません。わたしを断罪せよ、それは問題ではない。歴史はわたしに無罪を宣告するであろう」
「私は神ではない」(1959年2月6日、ハバナでの演説より) 「諸君は、私が人間であって、神ではないことをよく知っている。私はどこにでもいるというわけにはいかない。ほかの人たちの活動全部に責任をとることはできない。一人の革命家として私は今日も昨日もそして明日も、人間にできることは何でもしよう、といつも努力している。必要ならわが国を幸福への道におく仕事に二十四時間を全部ささげたい。私は一日だって腕をこまねいて坐っていたことはない。一度もナイトクラブへ楽しみに行ったことはない」
「キューバ人民は前進する」(1959年10月26日、ハバナでの演説より) 「私はカミロ・シエンフエゴス、ゲバラ、ラウル・カストロ、アルメイダなどという革命的な司令官やその他の司令官がこの演壇に立って行った演説をきいているとき、シエラ・マエストラでの革命のはじめの頃を思いだした。雨から身を守る家もなく、履物も無い日々、そして銃には数発しか弾丸が残っておらず、多くの兵隊につきまとっていた、あの寒さと飢えの日々のことを思い出した。私は革命がわれわれの弱さゆえに息の根をとめられてしまったかもしれない頃のことを思い出す。われわれは少数だったのだ。私がこの演壇にのぼるとき、私はそうしたころのことを思い出した。というのは私はそうした本当に苦しい恐ろしい時期を、そのあらゆる瞬間を目撃し生きてきたからである」
「チェの没後二十周年に寄せて」(1987年10月8日、ピナール・デル・リオでの演説より) 「チェが夢想家だと、理想主義者だと、現実を知らない人物だとは思わないでいただきたいものです。チェは人間を信じたのです。それに、人間を信じなければ、人間というのは矯正のきかない動物のようなもので、鼻先に草をかざさないと、ニンジンをかざさないと、あるいは棍棒で殴りつけでもしないことには歩くことなどできないのだと考えていたのでは、そのように考える者では、そのように信じる者では、決して革命家などにはなれないでしょう。そのように考える者では、そのように信じる者では、決して社会主義者などにはなれないでしょう。そのように考える者では、そのように信じる者では、決して共産主義者などにはなれないでしょう」
「対外債務ではなく環境債務を」(1992年6月12日、ブラジルでの地球サミット演説より) 地球上の大部分で、貧困や飢餓をもっと少なくするには、ごく少数の国々の贅沢や浪費をもっと少なくすることが必要です。環境を破壊させるライフスタイルや消費習慣をこれ以上第三世界に持ち込むことは不要です。対外債務にではなく、エコロジーに対してこそ負債を払い、人類ではなく、飢餓こそをば消滅させようではありませんか。利己主義を終わらせよ。覇権主義を終焉せしめよ。冷淡、無責任、そして欺瞞は、もう終わりにしようではありませんか。我々ははるか以前になすべきであったことを行うには、明日では遅すぎるのであります」 |
No.4735 - 2009/10/26(Mon) 00:12:10
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