こんにちは。
高宮神楽は元々島根の阿須那系の神楽と伺ってます。
阿須那の神楽が川根に伝わって、現在の梶矢系の神楽が出来上がったと聞きました。
原田神楽団さんはどこの神楽団さんから、教えてもらったとか継承たというのはありますか。
現在、広島の新舞で原田さんを師匠とした神楽団さんはたくさんありますが、それよりも前の話です。
わかる範囲で教えて頂けると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
3351 神楽好き | 2024/07/28(Sun) 15:42:25
こんばんは。
私も本で読んだ知識しかないのですが、その本によりますと、江戸時代末期から明治時代にかけての時期だったと思いますが、川根の地域に伝わってきた阿須那系の神楽に魅せられた原田の農民が、川根に通って習ったと書いてありました。
その時代に生きていた人は今は一人もおりませんので、真偽は分かりませんが、おそらくそうなのではないかと思います。
団長が若かりし頃は、神楽界に旋風を巻き起こしていたので、多くの神楽団が習いに来られたと聞いています。
その歴史は、今の団員にとってもとても誇らしいものです。
原田神楽団の名に恥じない神楽を、出来る限り続けていければと思っています。
▼ Re:
3352 原田神楽団 | 2024/07/29(Mon) 21:20:16
いつもご丁寧に教えてくださってありがとうございます。
管理人さんがいつも教えて下さるので感心します。
原田神楽が広島県の神楽に大きく影響を与えたのは間違えないですね。
私も本で読んだのですが、昔の原田神楽団さんの練習は猛烈をきわめ、先輩が新人を指導する声は遠く谷間にある家にも聞こえたそうです。
団長さんの変化舞はいろいろ考えられ創られたものですね。本当に素晴らしいです。
▼ Re:
3357 神楽好き | 2024/08/07(Wed) 17:55:10
私もまだまだ勉強不足なので、分からないことが多いですが、お役に立てたのなら良かったです。
神楽団創設期もそうだったのかもしれませんが、私が入団したころも稽古は厳しかったです。
特に競演大会前の2週間は、毎日、最低2回は通し稽古をし、その内、最低1回は衣裳フル装備で稽古をしていました。
先輩の指導も厳しかったので、肉体的にも精神的にもキツかったことが思い出されます。
我ながら、よくここまで続けてこられたなと思います。
今は稽古の回数もかなり減りましたし、集まっても世間話をしている時間のほうが長いくらいなので、時代は変わったなと思います。
厳しい時代もゆるい時代も経験した者としては、どちらも一長一短あると思っています。
いずれにしても、団長たちや今日まで神楽団の発展に携わっていただいた歴代の団員の皆さんのためにも、原田神楽団がいつまでも続けばいいなと思います。
団員の減少などで苦しい運営ですが、出来る限り頑張りますので応援をよろしくお願いします!
▼ Re:
3358 原田神楽団 | 2024/08/08(Thu) 19:23:06