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悠々塾 掲示板


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No.42872 ちづこ  
7月30日 水曜日 引用
おはようございます。

飯沼さん、ありがとうございます。
書き加えます。

どんな自分として地上で生きたかったか? 

与えられていることを喜んで、喜びあふれる自分。家族や出会う人々、動物たちに、喜びをもたらせれる自分で生きたかったと思うと思います
自他を喜んで、愛情いっぱいあふれる言動をしたかった。
父と母の不調和を調和させたかった、と思うと思います

また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?

人として優しく、人として正しく、自他を喜び、みんなに喜びをもたらせていきたいです。
自分にとっての困難も、無条件の祝福と感謝の気持ちをもって、向き合っていきたいです。

定例会の2部あたりから翌日も、頭痛がしていました。排出だったのかもしれません。そして、今までどおりの不十分なところも出てきてます。わたしも今回こそ切り替えて、みんなの喜びに自分の喜びを重ねていきます。

30/07/2025(水) 08:31:34


No.42873  みんと
Re: 7月30日 水曜日 引用
おはようございます。
ちづちゃん、おはよう!
私も書き損じたことを書かせてもらいます。

昨日まで心身共に重く、掲示板を読むこともしんどかったのですが
今朝からは打って変わって楽になりました。お腹も大丈夫です。
定例会のエネルギーで澱を排出させてもらったのだと思います。

※ 真実、本当のことを大事にできたかどうか

真実?本当のこと? それくらい無頓着に生きてきたのだと思います。
ということは自分の都合の良いように受け取り深く考えることをしてこなかったのだとおもってます。 2度の大病はそのことを教えて頂く大きな経験になりました。
色々と辛いこともありましたが、その結果の今と思えるようになりました。
有難いことですね。
振り返るとまだまだたくさんの至らなさがあるはずですが、昇華の方向に持っていきたいです。皆の喜びは自分の喜び、感謝と祝福の気持で生き直します。

30/07/2025(水) 10:06:46

No.42874  千夏
Re: 7月30日 水曜日 引用
朝からの津波警報にとても驚きました。
太平洋沿岸にお住まいの方は、充分お気を付けください。

定例会では、ありがとうございました。
皆さんとお会いして共に学べることが本当に嬉しいです。
飯沼さん、さきさん、ありがとうございました。
まゆみさん、おばあちゃん、藍子ちゃん、いつもおいしいお料理をありがとうございます。
滋養たっぷりのBさんのスープもおいしかったですし、
飯沼さん、みゆきちゃんのお野菜もとてもおいしかった!
イッシンさん、オレンジさんの演奏も心にしみて、涙が止まりませんでした。

自分の地上人生を霊的視点で査定する、というテーマはすごく難しくてどのように文章化すればいいのか悩んで、何度も書き直しました。あまりまとまってませんが、投稿します。

「もしこのまま地上を離れたら」

今回の地上人生も終わってしまったかぁーという気持ちになり、いろいろやるべきことを決意して再生したはずなのに、半分もできていないかも・・・と、きっと残念に思うとともに、愛情深く見守ってくれた両親やこの人生でかかわってくれた人たちひとりひとりを思い浮かべながら、感謝の気持ちになると思います。
そして2人の子供たちに母親として、何もしてあげられなかったことを申し訳なく思うと思います。


「自他の喜びを実現するために努力したかどうか?」

若い頃は自分中心で、喜びを自分に集めることを意識してしまっていたと思いますが、家族や周囲の人に喜んでもらいたい、という気持ちはいつも心の奥にありました。
結婚後に夫の両親の強い勧めで、身寄りのない資産家の老婦人と養子縁組をすることになった際には、まったく乗り気ではなく葛藤がありましたが、両親のためにと思い引き受けることにしました。
それでもやはりこの不思議な縁組にどんな意味があるのか知りたくて、飯沼さんと克子さんのカウンセリングを受け、そこでカルマの情報を受信していただきました。
そこには、私たちは過去生でも家族だったが家業の失敗から借金を負うことになり、私と夫はそこから逃げ細々と暮らしましたが、残された家族の悲惨な末路を知ってとても後悔した、と書かれていました。
夫と2人の子供、夫の両親や妹そして養母と7人で同居を始めたときも、家族皆で幸せになりたいと心から思っていました。
けれども家業が不振になるにつれ経済的な不安が心に広がり、次第に自分ばかりが損な役割を押し付けられているという被害者意識に囚われるようになり、家族皆に愛を持って関わる事ができなくなってしまいました。
そしてカルマの再現で、私は家族のもとから逃げて皆を見捨てる結果となってしまいました。
自分の弱さ、未熟さから幼い子供たちを傷つけ、家族の信頼を裏切ることになり、本当に情けなく、申し訳なく思います。
その後15年以上も子供たちに会えず、子供たちの無事と幸せを祈り続けるしかありませんでしたが、実家の両親の支えや親友の励ましのおかげで、自己憐憫からも立ち直り、どんな境遇であっても人の幸せを願うことができる人になりたい、と思うようになりました。
自分の幸せはあきらめていたのですが、長女と再会できたことで大きな喜びに包まれ生きる喜びを実感した時から、自分の何かが変わりもっと貢献の人生を歩みたいという気持ちが強くなり、ずっと参加したいと思っていた悠々塾の定例会に参加することを決意しました。

「愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)」

人間関係では、誰に対しても平等に接するようにして苦手だと思う人にも壁を作らないよう心掛けてきましたが、心のどこかで見返りを求めて打算的になってしまうことがあったと思います。
年齢を重ねてからは見返りを求めるような心は少なくなりましたが
それは、思ったような反応が返ってこなくても傷つかないようにするために予防線を張っているだけなのかもしれない、と思います。

「他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます」

人間関係ではその人のためには言ってあげたほうがいいとわかりながら、嫌われたくないという思いから言葉を飲み込んでしまったり
本当はその人自身がやるべきことなのに余計な手助けをして、その人の学びや向上の機会を奪ってしまったことがありました。
共に向上していこうとする意識が低かったのだと思います。


「真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください」

真実・本当のことを知りたい、という思いは強くありますが、自分の感覚を重視しているところがあるので、自分なりの理解にとどまってしまうことがあると思います。
自分が理解した(と思っている)ことが、真実なのだろうか?ともっと検証していくことが大切だと思います。

これまでの人生を振り返ってみて、家族やかかわってくれた人たちを大切にすることができなかったことへの申し訳ない思いでいっぱいになりました。
つらいこともたくさんありましたが、すべてを向上進化の喜びとして受け止めて、無条件の愛と祝福を体得して皆さんと共に向上進化の道を歩んでいきたいです。
そして半霊半人に一歩でも近づいていきたい、と思います。

30/07/2025(水) 15:10:19

No.42875  まみ
Re: 7月30日 水曜日 引用
定例会ありがとうございました!
皆さん本当にいつもありがとうございます。

発表させてもらえる機会を頂いたのに、頭の整理が全く出来なく、
支離滅裂の話をしてしまいました。すみませんでした。

定例会のメッセージを読む少し前に、持病の心配が出てきてしまい、
(大丈夫です、ご心配なく)
「今亡くなってしまったらどうしよう、、」と、途方に暮れていたのですが、
定例会メッセージの「もしも今、自分が地上を去ることになれば、、」を読み、
「これは今、又自分の人生にしっかりと向き合う時期なんだな」と確信しました。

子供の頃や学生時代、友達と仲良く過ごした記憶はたくさんありますが、振り返ると
自由奔放だった私は、自覚がある事も、ない事も、知らない間に人を傷つけていた事がたくさんあったと思います。
大好きな母にも、反抗期で酷いことを言って悲しませたり、、
自分の小さな小さなプライドを守るために、嘘をついてしまったり、
これまで私が傷つけてしまった人々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
本当にごめんなさい。
未熟で不十分で、どこかに隠れてしまいたくなります。

2003年に、初めて克子さんにお会いしてから、5、6度しかお会いできなかったと思いますが、優しくて温かくて、聡明で美しくて、会う度に大好きになり、私の憧れの人になり、「来世でも、永遠に無理だろうけど、克子さんのような女性になりたい!」と
強く強く思いました。
それからは、出来なかった時期や事柄もありますが、大切な人達や、私にかかわる人達には、少しでも喜びや幸せを感じてほしいと、愛を持って心を込めて接しようと、心掛けて生きてきました。
そう意識してても、失敗も多々ありましたが、今ここからでも、向上進化の喜びに生き直す事が許されるなら、又強く意図し直し、常に意識して、喜びベースで無条件の愛と感謝を忘れずに生きて行きたいです。
すると、おのずと私の微力でも、風穴を開けるためのお役に立てると思うからです。
そして私も半霊半人を目指します。

そして、いつか肉体を脱いで、地上を去る時が本当に来たら、
「最後まで不十分だったかもしれないけど、私なりに頑張って生ききったね、
苦しいことも辛いこともいっぱいあったけど、幸せだったし、あー楽しかった!
皆さんありがとう、色々ごめんなさいね、本当にありがとう!」
と旅立ちたいです。

30/07/2025(水) 17:05:43


No.42864 エーチャン  
7月29日 火曜日 引用
定例会ありがとうございました。

定例会では一番目に話しました。あらかじめ文章化していたのですが、悠々塾と出会う前のサラリーマン時代のことを話そうとしたら、自分の醜さ、汚さが次々と浮かび上がってきてパニックのような状態になってしまい、結果としてテーマに沿った話すということもできませんでした。雰囲気を重くしてしまったのではと思っています。申し訳ありませんでした。

ということで、再チャレンジということで何回かに分けて書いていきます。

もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか?

今地上を去れば、やはり後悔のほうが大きいと思います。特にサラリーマン時代、苦し紛れにうそや隠し事を重ねてしまったこと、自分の至らなさ(というより、罪深さという表現のほうがいいかもしれない)とともに迷惑をかけた人たちに対して申し訳なさが募るのではないかと思います。

一方で、お金のことで苦しい状況が続く中で(それは自分が作り出したもので、自業自得です)、不思議に必要な額が満たされたということ、お金のことだけではないと思いますが様々な局面で必要な支援が与えられたということ、苦しい中でも今回の人生の目的を果たすことができるようと導かれていたことに気付き、心からの感謝が沸き上がると思います。

また、大学入学の時に、偶然と思えない、不思議な道筋での実母との再会があったことから、「特別な自分」という思いに囚われ、不自由になっていたということにも気づき、後悔の念が沸き上がると思います。

ここまでは、サラリーマン時代のことが主ですが、悠々塾と出会ってからについていえば、まず最初に言えるのは、相変わらず「特別な自分」に囚われ続けていたのではないかということです。ようやく去年くらいから、人間だれしも神の子ということが分かってきて、「特別な自分」という囚われも薄くなってきて、家族との関係も一段と良好になってきたように思います。

もっと早くに気付けばよかったのにと思うでしょうが、半獣・半人から半人・半獣に切り替わるのは容易ではない、地上で生きていると半人意識と半獣意識が混然一体となっていた、混ざり合っていた、それゆえの難しさもあったということも気づくのではないかと思います。

一方でまた、この場で教えられたことをもっと本気度を高めてやっていればという後悔の思いもきっとわいてくるのでしょう。

いずれにしても人間すべてが神の子である、また動物から微生物に至るすべてが神の子である(自分が神の子であるという意識を持ちえないにしても)、そのような意識で新たな現実を創るために働く喜び、その喜びに満たされてこれからの人生を生きます。

29/07/2025(火) 08:42:49


No.42865  飯沼正晴
Re: 7月29日 火曜日 引用
なみさん、ミスター、ぽんたさん、祐造さん、Bさん、久美さん、エーちゃん、テーマに沿った書き込み、ありがとう!

一人ひとりにコメントはできませんが、何度も読ませてもらいます!

エーちゃんの号泣にはびっくりしましたが、地上を離れた直後は、地上時代の自分の至らなさに思い至って号泣することもあるのでしょうね。

エーちゃんにしても他の人にしても、今の世間の人たちの多くに比べて、それほど大きな過ちや至らなさがあったとは思えません。
でも、過ちや至らなさというものは人と比べての世間基準ではなく、自分自身の良心や霊としての基準に照らしてのものであるので、場合によれば身を震わせて号泣することもあるのでしょうね。

自分を振り返って、自分の過ちや至らなさに思い至り、心からの反省は必要なことですが、自己否定は喜びではなく、幽界につながりかねません。

今までの過ちや至らなさを超えて余りある喜びに生きることで、過ちも至らなさも向上進化の喜びに融合していくのです。

29/07/2025(火) 10:26:24

No.42866  飯沼正晴
Re: 7月29日 火曜日 引用
再びあおやまさんへ、

定例会のテーマについての書き込みはすぐにとは言いませんが、私の質問への回答は今日中にお願いします。

定例会の翌日、私は今までの経緯の中でのあおやまさんの気持ちも汲んだ上で、あることについてのお願いをしました。
それは同時にあおやまさん自身の幸せにつながるというか、あおやまさん自身の経緯からして、そこをクリアしなければどうにもならないだろうという話もしました。

あんな分かりやすい話が分からないはずがないのに、私が席を外した後であおやまさんはその場にいた仲間たちに対して自分の陰りの気持ちを正当化してぶちまけたようです。
それを聞いて、私はあおやまさんに悠々塾の働きに協力してくれるようにお願いしました。

あの定例会の直後に、自分なりの気持ちを軸にして、自分なりの都合や自分なりの気持ちで自分の陰りを正当化し、「自分の気持ちを分かってもらえない」と怒りをまき散らし、そういう自分を切り替えようとする気がないのであれば、何のために定例会に参加しているのかと思ってしまうのです。

そしてもしかしたら、これはあおやまさんだけのことではないかもしれないという気もしています。
定例会のエネルギーは予想以上に強く高まっていました。
霊的視点で自分の地上人生を総括するというテーマだったのに、意外なことに冒頭の共鳴から地上次元の浄化のエネルギーが、今までにはないぐらいに強くなっていたのです。

そうであれば、人によればクリアできていない澱が浮き上がっても不思議ではないわけで、あおやまさん以外にも今まで通りの不十分さが顕れた人もいるかもしれないと思いました。

もしもそういう人がいるのであれば、他人事としてスルーするのではなく、まさに自分自身の問題として振り返り、今回こそ切り替えてほしいと思って、あえて書き込みしたのです。

そしてあおやまさんも、もしも共に学んでいく気が今はなくて、やはり自分の気持ちを軸にしていくのであっても、仲間に陰りをまき散らすのでなければ定例会に参加してもらって構わないのです。
ただ、学ぶ気もなく、本気で切り替える気もないのであれば、そういう人にあれこれ提示してもお互いが不快になるだけでしょうから、今はまだやる気になっていない参加者として対応します。

あおやまさんの場合はついこの前に「共に学んでいきます」と表明したので、そこを再確認しているのです。

29/07/2025(火) 14:01:26

No.42867  みんと
Re: 7月29日 火曜日 引用
定例会、ありがとうございました。
毎回ですが、皆さんの顔を見ると嬉しくて懐かしくてそれだけで来てよかったと元気になります。
まゆみさん、いつも美味しい料理をありがとうございます。
イッシンさん、オレンジさん、ありがとうございます。
飯沼さんのご様子が目に入り私もウルウルしてしまいました涙

さてもっと早めに投稿したかったのですが
昨日今日になって逃げだしたい気持ちになってしまってます。きっと強いエネルギーの影響で今までの澱が一気に出てきているのではないでしょうか。お腹も壊して少しバテ気味ですがとにかく思ったことを書いていきます。

今地上を離れることになったらということ、実は最近ぼんやりと考えていました。というのも兄の思いがけない死から死後の世界が遠いのもとは思えなくなったからです。
三月には愛猫も亡くし、私にとってはタイムリーなテーマのはずだったのですが、なぜかここにきて二の足を踏んでる自分がよくわかりません。

悠々塾と繋がる前の私は、ほんとうに自分軸そのものでした。
とても恥ずかしいこと、やってはいけない罪なことをしてしまい、とてもスムーズに霊界には行けないと思いました。

それでもこんな自分ではいけないという気持ちは常にあったので
悠々塾を見つけた時は、やっと出会えたことが嬉しすぎて掲示板を一日に何回も何回も読まずにはいられないほどで笑。
自分で言うのも変ですが水を得た魚のような気分というか、とにかく大きく舵を切ることができたことは感謝そのものです。

※自他の喜びを実現するために努力したかどうか

悠々塾に繋がってからは努力したのではと思います。
実現した時もあるししなかった時もあるとおもいますが、喜びの方にもっていこうと常に思って行動し努力したつもりです。

※愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか

正直愛そのものがよくわかってないところがあったので、それまでの自分ができたかどうかよくわかりません。ただ相手の気持ちに寄り添うようにと心がけてきたとは思います。

※他者、他の生物に喜びをもたらしてきたかどうか

動物にはもたらしてきたと思います(和也さんと似た感じです笑)が人に対してはできたかどうかよくわかりません。
もたらそうという意識はつねにありますが‥周りが喜ぶことが自分の喜びであることはまちがいありません


※真実、本当のことを大事にできたたかどうか

このことの意味がよくわかっていません。なのでもう少し考えて改めて投稿します。

今こういう情けない状態ですが、とにかく喜びをもたらす人間でありたいとの思いはいつもあります。
澱が出きったらまた投稿します。すみません。

29/07/2025(火) 17:44:18

No.42868  あおやま
Re: 7月29日 火曜日 引用
少し時間をいただけますか。
ゆっくり考えてみます。

>それは同時にあおやまさん自身の幸せにつながるというか、あおやまさん自身の経緯からして、そこをクリアしなければどうにもならないだろうという話もしました。

あの時点で思ったのは、自分にそんな大きな働きができるわけがないと言うことでした。
その人に対して許し難さが残っているとは思っていません。

29/07/2025(火) 18:34:27

No.42869  みさお
Re: 7月29日 火曜日 引用
定例会ありがとうございました。

今地上を去ることになれば
色んな思いを思い出すでしょうが

妹二人の事を、最後喜びに変えれなかったと思うでしょう
普通の関係の時期も、長くありましたが私の損得もあり関係を悪くしたのだとも、今思います。

今まで生きてきて、悠々塾に繋がるまでにも人に対しての言動を、死後走馬灯の様に、見る事になった時に
恥ずかしく、辛い思いをするでしょう。
その事は覚悟の様な気持ちですが
生きている間にも、他の事ででも埋め合わせをしたいです。

・自他の喜びを実現する為に、努力したか?

家族や友人が病気の際に、治ってほしい気持ちでできる事はしたいと思っていた。

・愛に基づいて、出来事や人気関係に対処してきたかどうか?

できた事もあったが、気持ちの面で見返りを求め、自分の思っていた様な結果でないと落胆したり、キツく思ったりもした。

・他社、他の生命に喜びをもたらしてきたか?喜びをもたらそうとしてきたか?

向上進化は、できたかわかりませんが
楽しさや嬉しさは去年あたりからボランティアに参加する事が楽しく、相手が楽しそうだと私も嬉しくもっともっと楽しんでもらいたいと思います。

・真実、本当の事を大切にしてきたか?

大切だと思いながら大切にした事もあるが、自分の損得や自分の気持ちで
何が真実かわからなくなっていた事もあると思います。
今妹達との関係の中でも、相手の事よりまず自分が正しくなろうと思っています。

まゆみさんが言われた
無条件の感謝
最近はずっと思っています。
私は無条件ではなく、条件があったのだと。

また何度でも書き込みしようと思います。

定例会、お世話になり飯沼さん、さきさん、皆さんありがとうございました。

進化向上の喜びに向かいたい。
無条件の感謝、いてくれる事への感謝を改めて思っていきます。

29/07/2025(火) 18:35:05

No.42870  飯沼正晴
Re: 7月29日 火曜日 引用
あおやまさん、

>少し時間をいただけますか。
ゆっくり考えてみます。<

これは私の以下の質問に対してのことですか?

>今までも同じことを何度も伝えてきましたが、それでも相変わらず今まで通りの自分のままで、陰りの気持ちを軸にしていくつもりならば、この際はっきりとそう言ってください。<


>あの時点で思ったのは、自分にそんな大きな働きができるわけがないと言うことでした。
その人に対して許し難さが残っているとは思っていません。<

日曜日にあおやまさんに言ったのは、「もしもある人がまた定例会に参加することになれば、気持ちよく迎え入れてあげてほしい」ということでした。

「あおやまさんが許しがたい気持ちを超えて、その人を迎え入れることで、あおやまさんも家族に許されて修復の道が開けるんじゃないか」という話もしました。

その後、私が席を外している間に、あおやまさんが仲間たちに自分の陰りの気持ちをぶちまけたということでした。
それで私は、「あおやまさんが自分の気持ちを超えて、その人を気持ちよく迎え入れようとする心・エネルギーが風穴を開けることにもつながるのだから、力を貸してほしい」と言ったのです。

(あおやまさんは「排除」の思い・エネルギーが強いので)、「それはあおやまさんにしかできないことだ」と言いました。

仲間の皆さん一人一人が今までも自分なりの気持ちを超えて、「みんな大好き、ありがとう」「無条件の祝福と感謝」という心に向上進化しようとしてきました。
そういう仲間たち一人一人のエネルギーが共鳴して風穴が開くのです。

その働きに力を貸してほしいということです。
当然ですが、そうならなければあおやまさん自身の幸せも得ることはできないでしょうし。

29/07/2025(火) 19:28:06

No.42871  オレンジ
Re: 7月29日 火曜日 引用
私は数年前に今死んだら後悔することは何だろうと考えたことがあり、後悔のない生き方をしようと思ったことがあります。
ピアノで多くの人を癒しているのですという言葉を克子さんから頂いているので亡くなってからそのことが実感できるかもわからないというワクワクした楽しみはあります。

その都度拍手がもらえるような仕事ではないので一生懸命したということだけで癒したという実感がないので。

生まれ変わったらもっと若い時に霊的真理を知りピアノでなくてもいいので今世より永く人に役立てられる人生でありたいと思うし、もっとたくさん喜びを経験したいです。

霊的知識を得るまでは人間は良い行いをしたから人間に生まれてるくらいに思ってました。この世の人が思っていることと真実は大きく違うことを一つ一つ学んできたと思います。

今世でのしんどさや苦しさは過去での埋め合わせであり、償いだと思えるので仕方ありません。
才能が欲しいと数えきれないほど望んだけどそれは無理なことで、天才と呼ばれる人は過去で多くの人に役立てる働きをしてきた魂だと思うのでそこに到達する働きをしていない自分に無理なことはよくわかり、霊的しくみは完璧なんだなあと理解できるようになりました。

・自他の喜びを実現させる為に努力したかどうか?

自分の身近な人には努力したこともあればしなかったこともあります。守り優先の枠のなかで人の幸せを願ってきた方だと思いますが義務ではなくその時の気持ちで人の幸せを願ったことはありますがピアノの仕事はよく頑張ったと思います。

・愛に基づいて出来事や人間関係に対処してきたかどうか?

過去に自分が迷惑をかけた人の申し訳なさを悔やむかもわかりません。翳りをまき散らしたことも悔やむと思います。

人間関係のもめ事に巻き込まれたことはあるけどその時の自分の対応は係わりたくないこともあり、面相なことは心を離すことがあり、その結果いつまでも引きずることになりました。もともとの原因が私でなくても調和に向けて動かなかった責任は死後問われると思います。人の心に寄り沿うことが不十分だったこともあるし、苦手でもありました。もっと思いやって言葉で表現すればよかったと思います。そうしなかった結果深い翳りを持つことになりましたが、今は立ち直りもわりと早い方だと思います。喜びに向けて心を動かすことも努力しているし、もっと柔らかく考えてもいいし、考えは一つだけではないと思うようになりました。

・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?

他の生命は水と畑の微生物にエネルギーを送ったくらいです。

・真実・本当のことを大切にしてきたかどうか?

正直本当のことを大切にすることがそれほど重要だとは思わずに生きてきました。
世の中の人は当たり前に嘘をつくしこんなものかもしれないと思っていました。
都合の悪い時はごまかしたり、簡単な嘘を言ったり。そのことを学んでからは大きく価値観が変わりました。

私は無意識のところでたくさんの違和感を持って生きてきたことを帯状疱疹になったことで知りました。ショックでした。いろいろ想いを巡らせば家族も親戚も違和感の持ち主だらけ。自分もそうだから身内の翳りはわからなかったのだと思います。

恐怖もあり不安もあり自分と人との間に壁もありました。働きと課題はセットと学びましたが働きのなかでいろいろ課題である翳りが出てきたこともあり、自分との闘いでもありました。痛い思いをしたことで今では随分気持ちが楽になったと思います。

今足りないことと言えば世の中を広く知る視野の狭さもあると思います。みんなが風穴を開けることを目的としていると言われても仲間のうちの一人と思っている自覚・意志の弱さは後々後悔することになるかもわかりません。今からでも目を覚まさないと思います。

過去に於いて喜びにできなかったことは必ず経験することになっているようで面倒なことも出てきたりしますがそれを翳りに留めずに喜びに消化することを学んだおかげで方向性はわかるようになりました。これはたくさんのことを教えてもらった結果だと感謝しています。
今の課題はもっと意志を高めることですね。
喜ぶ気持ちもたくさん持ちたいです。

29/07/2025(火) 22:31:46


No.42855 やすこ  
7月 28日 月曜日 引用
定例会ありがとうございました。
みなさんの仲間でいれることが本当に有り難くて感謝です。
飯沼さん、さきさん、ありがとうございました。
イッシンさん、オレンジさんありがとうございました。
みゆきちゃんのお野菜もありがとう。そしてまゆみさん、いつも有り難うございます。

克子さんありがとうございます。
克子さんにはお会いした事はなく、でもたまに話しかけたりして、一人恥ずかしくなったりの変な私です(笑)。ひとしずく には何度も助けられて、勇気がない時に読んで背中を押していただいた事があります。
よし!と思いきる時や軌道修正したい時にいつもひとしずくやメッセージ がありました。これからも何度も読んでいきたいです。


テーマのこと。
何年か前、このままの自分で生きたくない、と強く思った事があります。
自分を一番苦しめていたのは自分だと知り、人を責めたり出来る人間でなかった、地に足つけて生きてこなかったと知りました。自分と向き合う事をしてこなかった自分にとってとても苦しかったです。

自分が手にしてる幸せを喜ぶ事をしなかった。
感謝の気持ちもなかった。
わがままで自分勝手な人間だったと思います。

自分の喜びを当たり前に思い、人を羨ましく妬ましく思った。
自分はそうなれない事に陰った。
それを自分の環境や、結婚してからは夫のせいにしてきました。

自分のカルマは具体的に知らないですが、これまでを考え、私の宿題は、今を喜ぶ、今の自分を喜ぶ、感謝する、という事だと思ってます。


更に、自分の思い通りにしたくて、人を傷つけたり苦しめてきたと思います。自分の思いが精一杯で人の気持ちを考える事が出来なかった。人として考え選択する事が出来ませんでした。

もう謝罪出来ない事もあるし、取り返せない言動もある。

地上を離れ人生を振り返る時、沢山の愛に満たされていた感謝と、なのに不平不満ばかりの自分の愚かさと、その為に傷つけてきた人の思いも知ることになるので、辛く苦しい作業になると思います。

今出来るのは、その事に地上で生きてるうちに気づかせてもらえた事を大きく喜んで、「自分らしい自分」「役に立てる自分」として感謝して生きていく事だと思っています。それが償いにもなるのかなと思います。

この数年はそれを目指してきたつもりですが、疎かにしていたり出来てない事が多いと今回思いました。今地上を離れたら、「分かっているのにしなかった」という事になると思いました。
それは何も知らない悠々塾に繋がる前よりも、悔いる事になるだろうなと思います。

○自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

悠々塾で学び始めてからは、自分もみんなも幸せに!と、そのために自分を変えていく事を頑張ったと思います。おそらくどんな時も前向きに自分を変える努力はしてきたのではないかな…と思います。自分を変える事は一番の喜びと思っているからです。

「そうなれて良かったね」と言ってもらえると思いますが、もっと違う努力も出来たのではないか?と問われると思います。

良かれと思っている事や相手を思ってのことが自己満足や自分なりであったからだと思います。目の前の事しか見えず物事を大きく捉えたりゆったり構える事が出来なかったからと思います。

出来た事もあります。自分は性格を捻じ曲げてきたと自覚があったので、その自分が役に立てる事は何もないと思ってきました。
だけど、めちゃくちゃだった自分だから、人の心に寄り添える事も少し出来るようになったかもしれません。
それは嬉しいし、良かったね、と言ってもらえそうです。


・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)

こういう自分でいたら愛してもらえるのではないか、と、太刀振る舞ってきた事はあります。今もまだそうなのではないかと思う時があります。

だけど、助けが必要な人には見返りを求めず愛に基づいた言葉や行動が出来る、必死になれる、そんな面もあるかなと思います。
そう出来る自分になれたのは、そんな風に生きる人達と関わる事が出来たからです。
私は出会う人に恵まれていること、ほんとに嬉しく思ってます。


・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)

喜びをもたらせたい、という気持ちは常に持っていると思います。でも喜びをもたらせたことは多くない気がしています。地上を離れてからは、他者から喜びや嬉しさを与えられるばかりだった事を知って、いっぱいの感謝と、そして至らなかったな…と思うと思います。



・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)

自分にとって都合の良い方を真実と思っていた事もあったります。 

真実を捻じ曲げ、自分は悪くないと気持ちを逸らした事もあります。嘘をついてしまって人を傷つけた事あり、損得が働き無関心でいた事もあります。自分だけが可愛く、自分さえ良ければいいという気持ちからだと思います。

こういった面はもうないと思っていましたが、テーマを考えていくうちに、私にはまだこういった面は今もあるのでは?自分に都合よく考えたり、損得を考えたりしていないか?と思いました。

でも少しだけど地上で真実に基づいて出来た事は、誰かの魂や心が真実から大きく離れ危険だ思ったら躊躇せずに言動する、その時は損得勘定も消えて言動する事ができた。

悠々塾で真実や正しい事を学んでから、そんな事が出来るようになってきたと思います。そんな強さも欲しかったので嬉しいなと思います。

振り返りでは、こういった面がもっと成長出来れば良かったねと言われると思います。


この数日は胸の苦しい時間でした。
改めて自分の心や行いを見つめ直したからもありますが、痛い思いをして気づけた事なのに実践出来てない事が沢山あったからです。嫌になる程にだらしのない自分だなと思います。こういった自分も地上を離れて考え直す事になるなと思います。

でも、こんな自分でもきっと風穴を開ける役に立てるのでは、と思っていてます。
自分らしく生きたいと思ったり、一生に一度でも精一杯生きる事をしてみたいとか、誠実に生きてみたい、人として恥ずかしくない生き方をしたいと思っている。

獣そのものだったあの私がそんな事を願っているのは、自分にとってとても大きな一歩だったと思うからです。その切り替えで少しでも地上に波が立ってくれていたら…と想像して自分の存在が嬉しくなる時があります。

そう信じながら「一歩」を喜んでいきたい。半霊半人を目指して、意志と意欲を高めていきます!
ここまできたら諦めるとかないです。
これからも自分を役立てる喜び、向上進化の喜びを膨らませていきます。

28/07/2025(月) 09:25:02


No.42856  ちづこ
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会ありがとうございました。
皆さんのお話聞かせてもらって、ありがとうございました。
まゆみさん、おばあちゃん、藍ちゃん、美味しいお料理、いつもありがとうございます。
イッシンさん、オレンジさんありがとうございました。感動しました(涙)
みゆきちゃん、畑のこと、お野菜もありがとう。

一部では手を挙げて話せなかったです。自信もないし、人前で話すのがなかなかできないです。守らなくていいんだと思おうとするのだけど、話せませんでした。

テーマについて書きます。

わたしは、自分の側からしか物事をみれなくて、とても歪んでました、今もやけど今よりずっとそんな人でした。
人の気持ちや立場、背景を思うことは少なくて、いつも自分の気持ちが中心で、そこが基準で、生きてきたと思います。
与えられていることに感謝しない、自分が得たい、自分に集めたいと思っていたと思います。
なので、たくさんの人を傷つけてしまっていました。
嘘もついたし、人のことを羨ましく思ったり、人を悪く言ったり思ったり、自分を正当化したり、傲慢だったり、嫉妬もあります。ずるいし、うまく立ち回ろうとしたり、いっぱいあります。自分の思い通りにしたいと思うのも、強かったと思うし。今もまだあります。

今までで、気づけてるところもあると思うけど、気づけてないところもたくさんあると思います。気づけてるところは、謝れる人には謝り、できないところは心で謝り、そんな自分を繰り返さないようにしようと思っています。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

努力しようとしたかもしれないけど、自分なりがベースだったのでは、と思います。

・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?

出来たこともあるかもしれないけれど、出来てないことを思い出します。いまだに人間関係では、波風を立てないようにとか、嫌われないようにとか、思ったりしてしまいます。

・他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?

喜びをもたらそうとしてきたところもあると思うけど、それが自分なりだったり、その人にとってそれが喜びになったのかなぁと思います。

・真実、本当のことを大事にしてきたかどうか

大事にしてこなかったと思います。世の中の出来事にも無関心だったり、しんどくなるから見ないとか。けど、今は、知りたいし、大事にしたいと思っています。

悠々塾で学ばせてもらって、今もまだまだだけど、以前の自分と比べると、進めているし、そこを感謝して喜んで、またここから進んでいきたいです。
わたしも悠々塾と繋がってなかったら、どうなってただろうと思います。
飯沼さん、克子さん、皆さん、ありがとうございます。
まだまだですけど、半霊半人に近づいていきたいです。
もたらされる練習問題に感謝して、やっていきたいです。
自分にも他人へももっと大きく温かい眼差しを向けて、喜んでいきたいです。

28/07/2025(月) 15:15:33

No.42857  飯沼正晴
Re: 7月 28日 月曜日 引用
きんもくせいさん、やすこさん、ちづちゃん、さっそくの書き込み、ありがとう!

特にちづちゃんの書き込みで思ったのですが、地上を離れてから「どんな自分として地上で生きたかったか? また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?」も書き加えてくださいね。

これから書く皆さんもそこを着地点にして書いてくださいね。

あおやまさんはこれからも悠々塾で共に学び共に働いていく意志と意欲があるのなら、定例会翌日の自分の言動もしっかりと振り返り(個人名は出す必要はありませんが)、テーマに則して自分自身の問題として本気で書いてください。
日曜日の様子を見たら、「あおやまさんは何のために定例会に参加しているのか?」と思ってしまいます。
今までも同じことを何度も伝えてきましたが、それでも相変わらず今まで通りの自分のままで、陰りの気持ちを軸にしていくつもりならば、この際はっきりとそう言ってください。

今の地上に生きていれば、気持ちが陰ることは誰にもあると思います。
それは致し方のないことでしょう。
それをできるだけ速やかに喜びに切り替えて、言動で表現していくことを私たちは学んでいるのです。

自分なりの気持ちを軸にして、自分なりの都合や自分なりの気持ちで自分の陰りを正当化し、「自分の気持ちを分かってもらえない」と怒りをまき散らし、そういう自分を切り替えようとする気がないのであれば、何のために定例会に参加しているのかと思ってしまうのです。

誤解しないでほしいのですが、私はあおやまさんを責めているのではなく、やる気があるのかないのかを尋ねているのです。

28/07/2025(月) 17:26:06

No.42858  なみ
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会ありがとうございました。
今回は1部だけの参加でしたが、皆さんのお話を聞くことができて、よかったです。ありがとうございました。

今回のテーマについて

今自分が死んだら、いかにたくさんの人に支えられて生きてきたか、どれだけ愛を向けられていたのかを知って、感謝の気持ちでいっぱいになると思います。

また、自分にとって嫌な人、嫌な出来事、すべてが自分がしてきたことの埋め合わせであり、向上進化するための学びであり、とてもありがたいことだったのだと分かり、嫌だと思っていた人も愛をもって自分の成長を促す役割をしてくれていたのだと思うと、感謝の気持ちであふれると思います。

そして、今度は自分の至らなさや不十分さと向き合い、家族や出会った人に申し訳ない気持ちがわいてくると思います。
今世で解消すべきカルマを解消できないままで、たくさんできなかったことを後悔すると思います。


私は自分自身を喜ぶことができませんでした。

人に心を開いて、素直に自分の気持ちを表現すべきでした。

特に父、母、弟には感謝の気持ちや相手を認めたり評価したりする言葉や態度をもっと表現できたはずなのに、そういう場面はたくさんあったのにできませんでした。
不満や否定ではなく、思いやりのある温かい言葉をかけるべきでした。
悠々塾と出会い、そのおかげで家族の不調和は、子供の頃に比べるとはるかに調和に向かうことができました。
父との関係も随分よくなりましたが、弟に対して、私はある時期から違和感を大きくしました。
どんな理由があっても、人としていけない思い方や言動だったと思います。
もっと理解し、大きく受け入れるべきでした。
弟のことを背負う自信がなく、逃げようとしていました。
温かい眼差しで弟のためにできたことがたくさんあったはずです。

主人のことも、もう自分ではどうすることもできなくなって、彼から心を離しました。
彼を否定して、自分の感情をぶつけて、彼を助けようとはしませんでした。
彼の子供の頃のことや彼の気持ちをもっと理解して、彼を受けとめることができたはずなのに。
私にできることがあったのにしようとしなかった。
あの頃、娘に愛情が向き過ぎていたことも申し訳なく思います。
嫁ぎ先から口止めされても、やはり重大な事実を両親に話すべきでした。
こんなことになるなんて思いもしませんでした。私はとても未熟でした。

自分がどう思われるかを基準にして言動していたことに気づけないまま、相手に真っ直ぐ気持ちを伝えることができず、心を通い合わせることができなかったことも悔やまれると思います。
不安ばかりで、今を喜ぶことができなかったことも、もっと相手に愛を持って接することができなかったこともです。

物事を明るく捉えることができず、生きる意欲を持てないときもありました。
人に頼りにされることや必要とされることがあっても、自分の自信のなさから逃げたり、積極的に動くことができませんでした。
自己中心的なところもあったと思います。それで人を傷つけたこともあったと思います。

もっとほかにもたくさん過ちや至らなさはあると思いますが、きっとこうやって一つ一つ向き合うことになるんだろうなと思います。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?

悠々塾に出会ってからは、自他の喜びを実現するために努力したこともあります。見返りを求めるのではなくできたこともあったけど、他者・他の生命に喜びをもたらそうと頑張ったこともあるけど、やっぱり自分を軸にして、自分の気持ちや都合を優先させていたことが多かったと思います。
振り返ってみて、そう思います。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? 

大事にしてきたと思っています。思い込みや勘違いをしていたこともあると思うけど、本当のことに気づけたときはそれを大事にしてきました。
ちづちゃんの投稿を読んで気づきました。世の中の出来事とか、私も無関心だったり、ちゃんと真実を知ろうとしなかったりしたことがあります。そういったところでは大事にできていなかったと思いました。

もう同じことを繰り返さないように変わっていきたいです。
自分の損得や気持ちや都合を優先しないで、関わる全ての人を大切にして、喜びをもたらせる人になりたいです。
嫌な人も嫌な出来事も償わせていただく喜び、向上進化の喜びにして、どんなことにも感謝の気持ちを持って生きていきたいです。
自信のなさから逃げるのではなく、自分にできることはさせてもらおうという気持ちでこれからはやっていきたいです。
ここからまた生き直すことができる、その機会が与えられているんだと思うとありがたいです。
残りの人生を悔いのないようにしたいです。

28/07/2025(月) 18:57:39

No.42859  ミスター
Re: 7月 28日 月曜日 引用
皆さま、定例会ありがとうございました。

67歳、私も地上人生の終盤に差し掛かっている。
飯沼さんのお手本を読んで、長い長い働きの中で多くの関係者、仲間、仲違いした人までに感謝すると。
私はもちろん身近な家族には感謝と肉体で接することができなくなる残念さは湧いてくるけど、その他に?
転勤族を割り引いたとしても私はずっとその時その時の今だけを生きてきたんかと情けなくなった。

人生を振り返って、まずは11歳でニューヨークに渡り、公立の小学校に編入。当時なので人種差別も激しく、身体が小さいことのハンディがあって。日本では後ろから2番目くらいだったけど、大きいやつに凄まれると逃げるしかない。

今自分の心に手を突っ込んでみると、この頃に、何かあると現実から逃げる癖がついたように思う。
帰国してからは高校受験、大学受験。
受験のための勉強で、将来何がしたいからではない。
大学に入っても頭の中はすっからかんで、何がしたいから何を勉強するでなく、出席で単位が取れる授業に出席するだけ。親父と同じ文系サラリーマンになる道しか頭になかった。
手先が器用なのでのちには何かの職人になっていたらどうだったんだろうと思うけど。

あまりに幼稚だったこの時期までのこと、地上を去った時にどのように振り返ることになるのかわからないが、興味深く、謙虚に謙虚に聞いてみたい。

42年の文系サラリーマン。
思い出すが試練はたくさんあった。40歳頃自分の心も壊れた。
反面教師にした上司もたくさんいた。
それでも逃げ癖はあったし、忖度迎合はして、正面から対峙することは多くはなかった。言ってみればそういう文化の業界だった。

幼稚な自分が選んだ業界なので自業自得。それでも心を壊していても辞める選択はなかった。しがみついていた。
その後当時の同期会など出たこともあるが、何だか表面的で合わないなぁ。と思う。

終盤は、仲間への愛情をベースにした仕事をやってきたとは思う。けど、転勤でメンバーも自分も一定期間でお別れするわけで、何かが残ったのか?

自分もその文化にどっぷり浸かってきたくせにこうして振り返っていることを霊界でどのように評価されるのか。

かたや、一番の反省。多くは言いませんけどその間一番身近な家族との距離、単身赴任の糸切れ凧。後悔と謝罪と懺悔。

第二の職場も9年勤め昨年退職。
時間もでき、地元で、地元の困った人のために活動したいという気持ちが湧いて動き出した。悠々塾、そしてドネと関わってきたからこその思い。
そして1年前に隣町のNPOとの出会い。

関わる人に少しでも幸せを感じ、喜びに繋がるように。そういうマインドの人たちの集まり。設立して20年経つので、当初からの会員の子女も入ってきていてこの後もきっと受け継がれていく。
私はきんもくせいと一緒に、子ども食堂の全般、日本語教室。
また、外国籍の人の生活の困りごとのサポート、補助金助成金の申請はじめ、資金調達などの仕事をやっています。これまでの経験も生きていると思う。

見返りを求めず、地元社会に貢献する、困った人を支援する。
もやもやと自分が求めていたことだと確信しています。
組織ではあるけど、会社とは全く違うフラットな関係が心地いい。

私も数えてみたら悠々塾に繋がって15年くらいになりました。
飯沼さんに10年ほど前に壊してもらってからの自分は少しは変わったと思う。

・自他の喜びを実現するために努力したか。
都度都度何が正しいか、何が人として優しいか、自他の喜びを考えてから行動するようになった。と思う。
言動と言えないのは、気持ちを言葉にすることが不十分・苦手だから。
言わずもがなですが楽しさ嬉しさの演出は苦手。

・愛に基づいて出来事や人間関係に対処してきたか?
上に書いた通り、サラリーマン人生の後半は仲間へ愛情を注いできた。
今NPOの代表を見ていて、本当に愛情深い人だと思う。
経済的に困っているから支援するだけではなく、自立をさせるために私たちが何をするか、本人に何をさせるべきかをいつもグルグルと考えておられる。
本当の愛のある支援には経験値が必要だと気付かされている。見習いたい。

・他者、他の生命に喜びをもたらしたか?
釣り愛好家としてどうなんだろう。
魚の命を頂戴したからには、感謝と共に頂く。周りにも振る舞いますけど。

第二の職場での3年くらいの頃、脳腫瘍で亡くなった、会社と社員を誰よりも愛したすごく魅力的な人がいた。
2度目の入院中彼の家族が「本人はこんな姿になって恥ずかしいだろう」と面会を制限していた。
私は会社側の窓口だったが、社員もそうだし、本人もみんなに会いたいと思う。
お見舞いを許可して欲しいと懇願した。
家族が聞き入れてくれた結果、毎日何十人もお見舞いに行った。
大勢の社員たちが彼に沢山の感謝の言葉をかけた。
きっと地上を離れる前に彼に喜んでもらえたんじゃないかと思う。

・真実、本当のことを大事にしてきたか。
自分なりの気持ちで事実を歪めた。
これはあったはず。逃げ体質で、大小なかったことにしたことはたくさんあります。これからの地上人生はとくにこのことを肝に銘じて生きたい。

近年風穴ドリルの先端と言われ、意識はしているが、どうすればいいのかはわからない。
克子さんから自分の人生を振り返り、自分のように恵まれた人生を得ることのできない世間の人たちの思いを想像してみることから始めるように、と伝えていただきました。
NPO活動を通して社会の歪み、格差、あるいは外国籍の人たちの現実をより近くで見るようになりました。
少しでも困難を抱える人の助けになるよう頑張ります。

28/07/2025(月) 20:42:26

No.42860  ぽんた
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会、ありがとうございました。
課題は大変で気も足も重いし、遠いし疲れるし、それでもどうして行かずばなるまいと思うのか。でもそんな力不足の私を受け入れてくれる素敵な仲間たち、美味しい野菜のお料理の数々と優しい音楽、そして飯沼さん率いるエネルギー場にいつも癒し喝を入れてもらって、帰り道ではまた次も来ようって思うのです。
みなさん、ありがとうございました。

テーマについて。

「自分が今、地上を去ることになれば」
新幹線の中で、今事故で死んだらと考えました。突然の死の衝撃はさておいて、家族や親しい人たちへの思いに打ちのめさせると思いました。
それから、自分のことを自分以上に知っている誰かとの対面を、私はどんな顔をして迎えるのだろうかと少し怖くなりました。

「自他の喜びを実現するために努力したかどうか」
喜びという言葉の意味がよく分からなかった時に比べれば、今は誰かや自分の喜びに向かえていると思います。辛いことの中にもある喜びに気づいてからは、とにかく喜びを実現する努力の大事さがわかって、それはこの人生の功績だとは思います。でもまだその入り口なので十分ではありません。本当にまだまだすぎて恥ずかしいです。

「愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたか(愛は見返りを求めません)」
喜びの意味がわかっていなかったくらいですから、愛についてもとても未熟な自分なりの思いで考えてきていたと思います。見返りを求めないような深い愛で出来事や人間関係に対処してきたかと問われたら、もちろんそういう事もあったとは思うけど、まったく十分ではなかったです。自分が傷つきたくないから見返りを求めないようにしてきたという事もあるかもしれません。

「他者、他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか、もたらそうとしてきたかどうか」
誰かの喜びを目的として意識してその喜びをもたらしてきたかは、とても不十分だなあと感じます。
誰かに喜びをもたらしたいと努力することと、ただ自分の自己満足で自分の喜びのためでしかないこと、その境目がわからないままどっちなんだろうと考える事もあります。
ただ、誰かに喜びをもたらさないと自分も喜べない、幸せになれないのは真実だということははっきり学びました。

「事実・本当のことを大事にしてきたかどうか?」
あからさまな嘘をつくようなことはなくても、自分の都合のよいような話や理屈を集めるということをしていました。それから最近気づいたのですが、「これは分かってもらえないだろう」ということには口をつぐむ癖があると思います。ごまかすというのとは違うけど、諦めというか、自分にとっての本当の事を誰かに分かってもらうための努力が、まるで足りてなかったようです。お互い理解し合うという喜びに背を向けていたのかと思うことがありました。これは、事実や本当のことを大事にしていないことの一部だと思います。

こうして考えると、悪人ではないにしても曖昧で不十分で、地上人生が今終わるととても困ることになりそうです。このテーマを考えることはとても気が重いものでした。自分では気づくことができなかった不十分さが山ほどあると思うとし、本当は気づいているのに気づいていないふりをしていることもあるのだと思うと、正直恐ろしいです。
でも、やっと気づくことができたことは大事にしていきたいです。
やり足りてないことばかりなので、思いついたことは迷わずどんどんやっていきたいと思います。この一年はそう努力してきました。そんな自分でいられるのは、悠々塾という場にいさせてもらえているから。これからだと思っています。もし生かせてもらえるなら。

28/07/2025(月) 20:48:37

No.42861  祐造
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会、ありがとうございました。

今回のテーマです。
定例会前に書いていたものを、そのまま投稿します。

僕は最初の地上人生で働きを放棄して、働きから逃げてしまった ―—―とメッセージで伝えられています。
今生でも、ドネの出発のときにまた同じ過ちを重ねてしまいました。
今はそのことのやり直しの途中、マイナスからやっとゼロまで戻って、これからが本来の自分らしく貢献・働きに邁進するべきシーンだと思っています。
それがカルマを踏まえた、魂の意志だと思います。
2年前からさきさんと一緒に暮らすようになり、(母親が施設入所となったこともあり)働きの準備・環境は整っているのに、思うようにできていない、というか本気で働こうとしていない、そう成れないでいます。
今まで通りを越えて本来の自分らしく働きに邁進したいなら、「そうすればいい」のですが、それがどうにも重くて出来ずにいます。

だからもしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はきっと大きく後悔すると思います。
全力で働き、風穴をあけるために地上に赴いたにもかかわらず、何を昼寝ばかりしていたのかと…。
せっかくさきさんと共に暮らしているのに、なぜもっとさきさんとたくさん話して、相談して、意見を聞いて、そして心を動かそうとしなかったのか?
掲示板では「愛は時空を越えて」などでたくさんのヒントがあり、道が示され、どうしていくべきかを伝えてもらっているのに、なぜもっとそれらに沿って生きようとしなかったのか?
そんな後悔の思いになるのでしょう。

それをふまえて、ではどういう気持ちに切り替えていくのか。
「何かやろうとすると、また周りの人たちに迷惑をかけるかも知れないから…」は、それだけではなくて、「また自分が嫌な惨めな思いをしたくない」からでもある。
また「自分には出来ないまた失敗するに決まっている」という思いが染みついている。
出来なかった・失敗したことばかりではないし、出来たこともあるのだから、
出来なかったことばかりを見ずに、出来たことも思っていく。

以前の飯沼さんの書き込みを思い出して読みなおしました。↓↓
>自分の現状や自分の思いを軸にして、思いを濃くするよりも、「全ては向上進化の喜びの中にあって、もたらされることの全ては理屈や自分の気持ちを超えて、ありがたいことなのだ。それが摂理なのだ」と割り切ってしまう方が、次のステージに進みやすいように思います。
泥沼の中で身動きできずにもがいている自分を見るのではなく、そこから脱出して清水で心身を浄めてさらなる喜びぬ向かって歩んでいる自分を見るのです。
だって、そのために泥水の中でもがいているのですから。<

重くて動けないでいる自分を暗い目で見続けるのは止めて、働きに邁進している自分、貢献している自分をイメージします。
喜びベースに組み込みます。


・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
気が緩むと自分大事に傾きがちな傾向があるのですが、ありがたいことにドネに関わるなかで「自他の喜びを実現するため」の方向に向かいつつある気がします。

・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
人に対する好き嫌いはあったと思います。
気の合う人には比較的そうし易いのですが、苦手な人・嫌な人にはとてもそんな対応はできていませんでした。
「もたらされることはすべて喜び」ならば、ありがたい練習問題だと思い替えるように、喜びに向かうようにします。

・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
基本的に「人に喜んでもらえること」は、嬉しいことなので、自分の気に入らない時は別として、自分の出来る範囲ではわりと喜びをもたらそうとしたと思います。
でも自分に損得が大きくからむとき、自分の大事が出てしまうと思います。
貢献の喜び、お互いの喜びを意識していきます。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
変に自分を守ってしまうときや、ちょっとした見栄で話を盛ってしまったり、そんなつまらない自分がありました。こうして照らされると恥ずかしいことだと思います。
真実・正直を大事に、自分を守らないこと、神の子として生きようとすることが、実は一番守る必要すらないことなのだと、そんなふうに生きたいです。


定例会後の追記
・地上を離れてから「どんな自分として地上で生きたかったか? また地上に再生するとしたら、今度はどんな自分として生きると意志するか?」
全力で正面から課題に挑み、自分の持てる力を全て発揮して、自他に喜びをもたらして生きたかった。
また地上に再生するとしたら、今度はそんな自分として生きると意志すると思います。
(今この追記を書いていて、なにか涙が出そうになりました。 魂の意志に近いのか、今の自分がそこからあまりにもかけ離れているからなのか、その両方なのか…)

28/07/2025(月) 22:20:50

No.42862  Bさん
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会、いつも以上に集える喜びに満ちあふれ、幸せをいっぱい享受させていただきました。
飯沼氏、まゆみさん、さきさんはじめ、皆さん、ありがとうございました。

今回のメッセージには本当に出た!って感じでしたが、ここに至ってそうかなるほどと合点できました。
定例会当日、お話したことと重なりますが、以下投稿します。

「もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか?」

今まで生きてきた中での様々な愚かな行いや至らなさに、きっと赤面して顔(があるかどうかはわかりませんが)を覆いたくなるだろうと思います。(霊界では姿は見えず顔もないのかと思っていましたが、そうではないそうです)
でも、愚かさや至らなさいっぱいではあったものの、頑張ってきた自分もあると思うので、ほっと胸をなでおろす場面もあるかもです。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

それなりに努力してきたように思うのですが、家族と自分を守らんがための頑張りが過度になった傾向もあると思います。
相手にとってはやりすぎであったり、甘えを助長することになったり、突き放すことも大きな愛情だし、その時点では嫌われても突き放すことで将来より大きな喜びになることもあるわけですが、その加減というか考えが及ばない愚かな面があると思います。
というか、やはり自分が可愛くて嫌われたくない思いから甘くなるようです。つまり、自分に甘いということだ思います。

・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)

これもたぶんそれなりにやってきたように思いますが、なんせ、家族以外、常に怖がりながらの人間関係でしたから、そのつもりでもどこか歪だったかもしれません。
それに、見返りを全く思わなかったとは言えません。
全てではないですが、心のどこかにずっこいものが潜んでいることもあったと思います。

・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)

自分を励ますためなのか誤魔化すためなのか、その両方だと思いますが、精一杯笑顔でいたと思います。これが他者の生命に喜びや楽しさをもたらしたかどうかはよくわかりませんが、少なくとも家族に対してはいつもそうであったように思います。

他の生命(犬と猫)に関しては、二点大きな悔いが残っています。ごめんなさいとしか言えません。

・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)

私が悔いなければならないのはこの点だと思います。
自分を守るために自分をも誤魔化しながら生きてきました。
その点では誠実ではなかったと、この年にして漸く人にとって誠実さはとても大切なもので重要なことだと気づきました。

いろいろあった割には人を恨んだり憎んだり毛嫌いはあまりしたことなく生きてきたつもりでしたが、バトルの時はプライドが許さず、なんでそこまで言われなあかんねん!の思いが強かったです。
なんのプライドを持っていたのか、家族と自分を守りたい思い強く、人とかかわるのが怖くて、持てるようなプライドなどないのに、プライドを鎧として自分を守っていたんだと思います。

事情はあったにせよ、自分なりのずっこさをきっちり身に着けてきたと思います。
幼い時から見て見ぬふりをする周りの大人に対する「なんじゃい!」という反発心を心のうちに積み重ね、それが歪んだずっこさになったようです。
なんじゃい!の気持ちはあったけど、その人たちを恨んだり憎んだりしたことはなく、その点は救いだったと思います。ある意味、大人の身勝手さを冷静に捉えてたと思います。

改めて振り返ると、ずいぶんと誠実さに欠けるいい加減な生き方でした。
とことん誠実であれば、どこまでも気持ちが軽い!と気づいたのは、ついこの間のことですから。恥ずかしながら、この年にしてです。

不誠実なことをしてしまったら、他人はそのことを知らなくとも、己は知っているわけで、それを重荷としてずっと背負って生きていかなきゃいけません。
内なる魂、内なる良心に背く行いはいくら誤魔化しても誤魔化しきれない。
だって知ってるんですもんね、自分がしてしまったことを。あるいは何もしなかったことを。
とことん誠実であれ!と、いまは自分に言い聞かせています。
まだまだいい加減ですけどね。(笑)
笑ってる場合じゃないですね。

カルマについて、よくわかりませんが、
子どもの頃に幼い妹との別れがあったり、その後もずっと家族のことで辛い思いをする人生だったので、前世か前々世かでは自分が家族を辛い目に遭わせたのだと思います。
愛する者との別れは二度としたくないです。
その分、いいか悪いかは別として、求める愛情が濃いというか深いというか、そういう面はあったと思います。

どういうわけかわかりませんが、幼いころからいろいろ問題を抱える家だからこそ、私はこの家に生まれたんだという思いがありました。
担う覚悟の上のこの世だったのかもしれません。不思議です。

いろいろあった両親ですが、優しさやあたたかさを持つ両親でしたから、何とか守りたい、幸せにしたいとずっと思っていました。特に母に対してはその思いが強いです。

子どものころから大変やった私ですが、それを知っている母方の叔父や叔母が、地震の時に家を失した私に対し「またなんで○○ちゃんが苦労せなあかんの?」と言ったくらい、いろいろ背負ってきたと思います。

でも、地震で全てを失いましたが、結構苦難を跳ね返す底力が私には備わっているようです。
誰にかはわかりませんが、守られているなと感じています。

赤面することはいっぱいだけど、喜怒哀楽、まずまずの人生だったように思います。
いまここに辿り着けたから言えるのかもしれません。本当に有難いことです。
いいことも悪いことも、すべてに感謝しています。

そして、ここに辿り着けたという幸せに満足せず、皆さんとともにエネルギーを高めて蟻の一穴であっても、そこはバシッと決めてからあの世へいきたいです。

皆さんに感謝するとともに、これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

28/07/2025(月) 23:13:46

No.42863  久美
Re: 7月 28日 月曜日 引用
定例会ありがとうございました。
今回のテーマを考えていましたが、心がまとまりませんでした。
ですが、みなさんの真剣に自分と向き合う姿に心打たれて、長年、自分の心の奥にずっとあった思いがこみ上げて来ました。
それは、なかなか自分の心を開くことができなかったり、自分なりになって歪んでいることにも気づかずに、或いは自分なりで歪んでいるような気がしても、その歪みが現実のように思えてしまったりして、人を傷つけて来たんじゃないか?ということです。
本当に申し訳ないです。
今でも、心が上手く開けなかったり、自分なりで歪んでしまうこともあると思います。

テーマについて(前後してしまいますが)
〇真実、本当のことを大事にしてきたかどうか?

自分は真実、本当のことを歪めてしまっていたと思います。
本当のことを大切にしながら生きていきたかったので、今度地上に再生するとしたら、もっと心を大きく開いて、何が真実かをしっかり見極めながら生きていきたいです。

〇自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

私は小さい頃から、姉の病気のこともあり、家族に元気がないことが多く、何とか笑って欲しくて、喜んで欲しくて、小さいながら頑張ってきたつもりでした。
でも、理不尽なことがあると、どうしても怒れて来てしまう・・・怒ることで、何とか自分を守って来たようにも思います。

ですが、悠々塾と出会ってからは、姉の気持ちのことをもっと考えるようになりました。
ですが、やはり理不尽なことをされると怒れて来てしまう・・・の繰り返しでした。

数年前に、私自身の心の調子がかなり悪くなり、生きていくことがギリギリのような苦しい状態が続きました。
私は、こんなにも苦しいのか・・・と想像を絶する苦しさを、自分の身をもって経験させてもらったように思います。

そして、その数年後に、姉と母の辛い出来事があったのですが、私は自分自身の辛かった経験があったからこそ、二人が少しでも楽になるように、喜んでくれるようにと必死になったように思います。
辛くなかったと言えば嘘になりますが、ふたりが少しでも楽になったり、喜んでくれることがとても嬉しかったです。

まだまだ不十分で出来ていませんが、昔より喜びを実現しようと思う気持ちが大きくなったし、そうすることが自分の喜びになって来たように思います。

私は人の気持ちにもっと寄り添えるように生きたかったので、今度地上に再生する時は、みんなが幸せになれるように、こちらから大きく手を伸ばして、相手の気持ちに寄り添って行けるような生き方をしたいです。

この気持ちは、飯沼さんと克子さんの初めての直接ヒーリングで教えてもらった、私の魂の意志でもあるようです。
「人は思っていることと逆のことを表現(言動)したりしてしまう。なので、こちらから手を伸ばそう。」と意志して来たと言われました。

〇愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)

私は昔から、正しい間違っているを基準に物事を見てしまう傾向があったのですが、もちろん今もあると思いますが、自分が苦しい経験をしたことで、苦しい状態の人には、そういう思いを越えて寄り添いたい自分がいます。(苦しい人が間違っているという意味ではありません)

昔から、母に認めてもらいたくて(見返りを求めて?)、頑張るという傾向があったように思いますが、苦しい状態の人に寄り添っている時は、ただただ力になりたいの気持ちになっているように思います。

ただ、まだまだ自分なりになってしまうことも多いと思います。

今度地上に再生するとしたら、いつも無条件の感謝の気持ちで(愛に基づいて)対処できるような、そんな自分で生きていきたいです。

〇他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか?喜びをもたらそうとしてきたかどうか?(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)

先ほど話したように、昔に比べて、喜びをもたらしたいという気持ちは大きくなっているように思います。
でも、まだまだ狭い範囲でしか動けていないし、実際にどれくらい喜びをもたらしてきたか・・・といわれると、まだまだだと思います。

喜びをもたらせることは、やっぱり喜びなので、また地上に再生するとしたら、みんなが向上進化できるように、もっともっと喜びをもたらしていけるようになりたいです。

家族のことで、理不尽だなと感じたり、腹の立つこともあったと書きましたが、克子さんの言われるように、過去世のカルマの贖い・償いなんだと思います。
そして、向上進化するための学びでもあり、とてもありがたいこと。
そう思ったら、全てはカルマ解消の喜びだし、向上進化の喜び。
もっともっとそこに意識を向けて、全てを喜びに、全てに無条件の感謝の思いを向けて行きたいです。

29/07/2025(火) 00:36:33


No.42853 飯沼正晴  
7月27日(日曜日) 引用
昨日の定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさま&ありがとうございました!
参加できなくてもお心を向けてくださった皆さん、ありがとう!

今回は少し難しいテーマで、定例会メッセージに沿いきれていない面もあったように思います。
でも、「霊的視点で今回の自分の地上人生を振り返り、向上進化の喜びに向かう意志と意欲を高めていく」という意識の作業そのものが大きなエネルギーを発生させるようで、冒頭の共鳴から今までとは違う力強さを感じました。

一人一人もエネルギーアップしているようで、とても意義深い定例会になりました。

定例会で話した人も話さなかった人も、定例会に参加できなかった人も、もう一度定例会メッセージ等を読みなおして書き込んでくださいね。


今日は克が他界した日です。
2005年でしたから20年が経ちました。
昨夜はイッシンさんの歌に危うく号泣しそうになりました。
仲間の皆さんがたに支えてもらいながら、この20年間それなりによくやってきたと思います。

その一方ではまだまだ不十分さや至らなさを抱えている自分です。
いずれ地上を離れた時には胸を張って克と再会できるように、「半霊半人」として生きていく意志と意欲を高めます。

27/07/2025(日) 15:25:45


No.42854  きんもくせい
Re: 7月27日(日曜日) 引用
定例会、ありがとうございました
今回も皆さんとお会いして、お話しできなかった人もいましたが、楽しく過ごさせていただきありがとうございます。
いつもながら美味しいお食事、エネルギーいっぱいの畑のお野菜さんたち。
美味しいお酒。
みゆきちゃんが心込めて振る舞ってくれたお野菜さんたちも本当に美味しくて身体に沁みました。みゆきちゃんありがとうございました!

今回、手を挙げて話すことができませんでしたが
その訳は、どんどんハードルが上がった感じがして、こんなんでいいのか?
とちょっと守り入ったんかもしれません。

今回のテーマについて書き込みます。

地上を離れたら、まず真っ先に父に会って感謝を伝えたいと思っています。
なぜなら私を悠々塾に繋げてくれたきっかけは父だったのではないかと勝手に思っているからです。
その他にも、お世話になった人たちにも会って感謝の言葉を伝えたいです。

私は幼少期の頃から大人になってもずっと、両親のことで心陰らせていました。
結婚してからはミスターの両親にも不満を持ったし、ミスターはなにも分かってないと決めつけていた時期もありました。
実は感謝できることも自分の気持ちが邪魔をして、そうできなかったこともあると思います。
そこを振り返らせられたら
ただただ申し訳なかったと言うしかありません。

子どもの頃から父のことはものすごく嫌悪していたし、母に対しても何かと苛立っていまして
その訳が知りたくて初めてカウンセリングに行きました。
そこで両親との前世、子ども時代に私が両親に抱いた気持ちを教えてもらいました。
夫との前世に関してもチラッと教えてもらいました。
それで、まさに今までのことはカルマの再現だと納得しました。
私の前世いかんよね!と思いました。
だから、今世ではカルマを解消したい!と思いました。
毎晩掲示板を読んで、そのたびに
これは自分のことだと思い、変わりたいと思ってきました。
変われたのか分からないけど
四つの項目に沿って振り返ってみます。


・自他の喜びを実現するために努力したか?

子どもの頃からそんな気持ちはあったように思います。
家庭内の緊迫した空気感がしんどくて、両親が笑っていてほしかったけど、どうしていいか分からなかった。
休みの日に車を修理している父の側に行ったり、料理をしている母の側に行ったり。
おろおろしてた。
ただ、小学生の頃、毎晩、布団の中でこっそり、いろんな人たちのことをお祈りしてから寝ていました。
それもいつの頃からかしなくなりましたけど
悠々塾の自分も皆も幸せにという言葉に、これだ!と思いました。
じゃあ、どんな努力をしたか?
職場とか関わる人との話しの中で相手が少しでもポジティブになれるように言葉をかけるとか。
でも、その人の本当の全てを知らないうちは、偉そうな自分なりなことは言えないとも思ったり。
幸せになってほしいと願うしかないこともありました。


・愛に基づいて出来事や人に対処してきたか?

かつては見返りを求めて
自分の気持ちが全てなこともありました。
悠々塾で学ぶ中で
人として優しく正しく
陰りを光に
自分も皆も幸せに
不調和を調和にと意識してきたつもりです。

まずは自分の陰りを何とかしたいと思っていましたが、何かあればまた陰る。
行きつ戻りつしながら、カウンセリングや掲示板を読むことで、軌道修正するように心がけてきたつもりです。

特に両親との後半の関わりは
それまでの自分の気持ちは少しずつ手放せるようになって
目の前の父と母がお互いの本来の愛情を素直に受け止めて喜びの中で余生を送ってほしい一心で関わってきました。
とは言え、まだまだ自分の気持ちが頭をもたげることもあり、やはり行きつ戻りつの繰り返しでしたが、最後は両親が調和できたのではないかとギリギリ間に合ったのではないかと思っています。
父とのカルマが解消できたのなら嬉しいんですけど、もっとできたこともあったかもしれないし
あの世でまだまだですと言われたら至らなさに向き合います。


・他者、他の生命に喜びをもたらしてきたか?喜びをもらそうとしてきたか?

これも子どもの頃から漠然と思っていたような気がします。
ただどうすればいいか分からなかった。

母に対しては、母を喜ばせようとして母の気に入る娘であろうとし過ぎて自分の本当の気持ちと違う、母が気に入りそうなことを言うこともあったので、結局は母への違和感を膨らましてしまいました。
それが後々苛立ちへと変わってしまったのだと思います。
それもカウンセリングや悠々塾の学びのおかげで段々と薄くなりました。
もう今は認知症の母が少しでも楽しく安心して過ごしてくれたらと思っています。
ミスターも母の為いろいろ考えてくれていることにも感謝です。

その母が去年から施設に入り、私もこの春バイトを辞めて
今このタイミングで、ミスターも仕事がほぼ引退となってお互い時間ができたので
ミスターと一緒に地元の子ども食堂や日本語教室などに関われるようになって毎日忙しくとも楽しく過ごしてます。
そこで出会う人たちと話をしたりそこで分かった困りごとなどのお手伝いなどもしながら少しでも皆が喜びの中で生きられるよう活動を続けていきたいと思っているところです。


・真実、本当のことを大事にしてきたか?

真実、事実を歪めるということは無かったと思うのですが
敢えて言うなら、親に嘘ついてお小遣いもらったり出かけたりしたこと。

なんせ、学生時代はただのミーハーで社会や政治などの難しいことは考えてこなかったのですが
子育てを通して社会にも関心を持つようになって
あとは生き方についても
本当のことが知りたくて知りたくて最終的に悠々塾に繋がったんだと思います。


今、全ての出来事は必要だからもたらされたんだと心から納得できてるし、いろんな出来事や出会いが今に繋がってるんだと何かにつけて思っています。
本当に長い時間をかけて計らわれ繋がっているんだと思えます。
出会った出来事、出会った人たち
嫌な出来事も嫌な人も
都度、そこから学ぶこと、気づくことはありました。
何ひとつ無意味なことはなかったんだと思えます。

ただ、そう思えるのは悠々塾に繋がったからです。
何度も言ってきましたが悠々塾に繋がってなかったら今の私はどうなってたんだろう?と思うと悠々塾に繋がれたことに感謝しかありません。

あの世に行ってから
まだまだな自分が分かったとしても、多分、悠々塾で学んできたから、きっと納得できるんじゃないかな?と思っています。
あの世でそれ何のこと?と思うくらい自覚が無いことを指摘されたら、それは真摯に振り返るしかないし、まあできるんじゃないかなと思っています。

27/07/2025(日) 21:17:30


No.42849 みゆき  
7月25日金曜日 引用
Iさんの身につけて行使しているエネルギーについて

1.「自然農法で地球環境を絶対変えてやる」という気持ちが圧倒的に強く、自分を支えてくれた、強い信念だった
自分の人生をかけて変えないといけない

☆自他に喜びをもたらす強い信念があること
Iさんは「自然農法で地球環境を絶対に変えてやる」という強い信念をお持ちです
ご自分の人生をかけて、といわれています
すべてはこの強い信念を自分の支えに実現するために日々言動行動されている
エネルギーの源だと思います

☆自分だけにとどめず広げていくこと
Iさんはご自分の強い信念を実現し、ご自分だけにとどめず広げています
広げる、という意識も大切だと思いました

2.自然順応・自然尊重・愛情と感謝

自然農法はシンプル 太陽・雨・土がある、愛情、感謝を伝える
土は作物を育てるために完璧なもの
自然と調和する農業、生き方をしていくこと

☆自然への信頼があつい

☆自然の持つ力を最大限に発揮できるようにお手伝いされている
「自分が野菜を作る」のではなくて
 土さん、野菜さんが健やかに育つようにお手伝いする
信頼とお手伝い、大切だと思いました

☆愛を伝える 感謝を伝える
Iさんの、自然、土さん、野菜さんへの愛情、感謝すごいです

3.何事があっても感謝で受け止める
 ピンチが来た時に自分はチャンスと思う
 何かがあると何かいいことがある
 人間関係など日々いろんなことが起きた時、いつも思うのは、逆の発想
 何か悪いこと(世間一般でいう悪いこと)があると、じゃあ次にどんないいことがあるんだ、ということを考える
 悪いことを悪いこととして受け止めない

 ☆人生悪いことは何もない 感謝しかない
 Iさんは何事があっても感謝で受け止めておられます
 悪いことがあると次にいいことがある、と考えておられます
 「明るく元気で感謝いっぱい溢れる人になりたいと思っている」のだそうです
 農業に限らず生き方も感謝の人なのだと思いました

4.喜びいっぱい

 Iさん、いつも嬉しそう、喜びいっぱい、明るい、穏やか、お元気 そう
 こちらも気持ちが軽くなります
 そんなIさんが土さんや野菜さんと交流するのだから、
 土さん、野菜さんたちはとても嬉しくて楽しくて幸せだろうなと思いました
 あぁ、自分はこんなにいつも嬉しそうかな、喜びいっぱいかな、
 明るいかな、穏やかかな、元気そうかな
 自分が喜びいっぱい感謝いっぱいでいることも大切なのだと思いました

25/07/2025(金) 04:28:15


No.42850  みゆき
Re: 7月25日金曜日 引用
おはようございます
Iさんの身につけて行使しているエネルギーについての書き込み遅くなりました
申し訳ありません

25/07/2025(金) 06:26:37

No.42851  さき
Re: 7月25日金曜日 引用
みゆきさん、おはようー
まとめ、ありがとうー

>何ごとがあっても感謝で受けとめる
ということの難しさと大事さを思います

昨日からいろいろ振返ってて
願いや思ってることは皆の喜びの方であっても
日常のなか、実践のなかでは
自分なりの感情や、自分なりの感覚が走ってしまって
健やかな向上進化の喜びの流れに乗りにくくなってしまう
ことの何と多いことか、、、

あっ、もう時間が、、仕事行ってきます
皆さん定例会で!
お会いできるのを楽しみにしています!

25/07/2025(金) 08:53:02

No.42852  飯沼正晴
Re: 7月25日金曜日 引用
みゆきちゃん、スレッド更新&Iさんの奇跡の農法のエネルギー的真髄の書き込み、ありがとう!

喜びベースのエネルギーが感覚の層にまでいきわたればどのような現実を造ることができるのか、定例会前に皆さんと共有しておきたいと思っていました。

>自分が喜びいっぱい感謝いっぱいでいることも大切なのだと思いました<

まさにそれが全てですね。
喜びに思いにくいことを、自他の喜びにどう切り替えていくか?
その心の作業・言動での表現が、実際に喜びの現実を造っていくのですね。

畑のことについては、克からの促しもあったので、いろいろと組み替えていこうと思っています。
有機農法か自然農法かということ以前に、今は限られた時間の中での作業がハード過ぎるので、もう少し気持ちに余裕が持てるように組み替えていくつもりです。


明日の定例会のテーマ、日を追うにつれて「なるほどな」と納得しています。
昨日も書きましたが、自分の地上人生を霊的視点から査定するということです。
地上の自分を軸に振り替えるのであれば、どうしても自分の都合や自分なりの気持ちに引きずられるのでしょうが、霊的視点を基準にすれば「自分なりの言い訳や正当化」は一切通用しないわけです。

確かシルバーバーチも、「みっともない情状酌量など一切なく、数学的に査定される」というようなことを伝えていたと思います。
「法則」とはそういうものですね。

自分のことを霊的基準で観る習慣がつけば、誰もが間違いなく喜びベースに向上進化できると思うのですが。
そしてその霊的視点はどこかの書物に書いてあることではなく、自分自身の魂の意識、つまり本当の意味での自分の心であるのです。
つまり本来の自分として、光の霊界と同調・共鳴しながらこの地上人生を生き直すということですね。

明日はくれぐれも、自分なりの気持ちを軸にするのではなく、今の自分が認識できている霊的視点を基準にして、自分の人生を査定して、生まれ変わったように向上進化の喜びに生き直しする機会にしてほしいと思います。

25/07/2025(金) 10:46:41


No.42847 さき  
7月24日、木曜日 引用
おはようございます。今日も暑くなりそうです。
昨日自転車で走ってたら空気が熱くて、やけどしそうと思いました。

ぬまさんの振り返り、書いてもらってありがとうございます。
ひとつひとつのことをぬまさんみたいに客観的に振り返えれるかわかりませんが、

>本当は分かっているのに、自分の都合や気持ちを優先して、しなかったこと・してしまっていたことに向き合うことはやはり重く苦しいことだと思います。
だって、今回の地上人生はもう終わっていて、その意味では取り返しがつかないのですから、その後悔は重いものになるでしょう。<

そうだよなと、、思いました。
今死んだら、自分がいちばん後悔するのは何だろうと思いました。

自分の気持ちや都合を優先して、
>しなかったこと、してしまったこと

そこに自分の課題がある。
そこにとどまらない
これまで通りにとどまらない
そのための振り返りですね。

頭ではわかるけど、気持ちがついていかない
もっとこうありたいと願っているけど、そうできない

皆、地上ならではの重石に引きずられてるわけですが、、
今だから取り返しがつく!
機会にしたいです。

24/07/2025(木) 09:15:02


No.42848  飯沼正晴
Re: 7月24日、木曜日 引用
さきさん、スレッド更新ありがとう!

>ひとつひとつのことをぬまさんみたいに客観的に振り返えれるかわかりませんが、<

客観的かどうかは別にして、まずは今の自分のテーマ(喜びにできないこと)を霊的視点で振り返ることですね。
克が示してくれた何項目かのことについても、自分の実際に照らして振り返ってくださいね。

定例会では、一人15分程度のつもりでお願いします。
もう少し長くなっても構いませんが。
まあ、聞いている人からの質問などがあれば、もっと長くなりますね。

今回は皆さんの話がメインになります。
貴重な時間なので、あらかじめしっかり準備しておいてくださいね。

自分の地上人生を霊的視点で査定するのです。
幾つかの査定項目は克から提示されています。
決して難しく考える必要はありません。
霊的視点で査定といっても、今の自分が認識できる程度の霊的視点ですから、実際に死後もそのままの査定になるかどうかは分かりませんが、それで構わないのです。
私などは死後、「飯沼さんはあんなことを書いていたけど、幽界に行ってしまったみたいよ」と、後から地上を去ってきた仲間たちに言われるかもしれません(笑)

実際の死後のことは詳らかには分かりませんが、今の時点でこういう作業をしておくことにも大きな意味があるのでしょう。
死んだつもりになって、しっかり向き合ってくださいね。

5月と7月の定例会メッセージもしっかり読んでから、話して(書いて)くださいね。

24/07/2025(木) 21:00:33


No.42844 恵美子  
7月23日水曜日 引用
おはようございます
メッセージありがとうございます

そう来たか!
きっと、猶予がないのでしょうね。
もうすぐ80歳に手が届く私にとっては、地上人生の振り返りは日々してあることではありましたが、ぼんやりしたものでした。

>もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか、心を巡らせて見てください。

地上を去ってから行う心の作業を今の時期に済ませていただきたい、少しでも自分なりの思いを薄くして、心新たに再出発するための振り返りです。

これまでを振り返り、労いのなかで、穏やかで静かな時間を感謝と共に過ごしていた私にとって、心新たに再出発、、えーなのでした、
魂は永遠ですから、学びは終わりがないことは頭ではわかっているはずなのに、です。

私たちが何のために、ここに集い、学び続けてきたのか、学んだ事を返してこその学びなんですね、
振り返りは、言葉に起こすには中々ですが、ここでは恥も外聞もなくさらせますので、有難いです、ほんのこの間まで、未だに自分なりの
姿が見えかくれして、愕然とします。
振り返りについては、又書きます。

今回の選挙を見ても、何処を見渡しても、この有り様では何が起きてもおかしくないと思ってしまいます。

昨日、夏休みにはいった長男家族が遊びに来ていました、お孫さんたちのパワーに圧倒されつつも、彼らが健やかに、笑って暮らせる社会を、と思わずにはいられません。

今日も光に向かって生きていきます

伝えられた、もたらされた事を総動員して、魂の意思として、風穴を開けることに邁進します。

23/07/2025(水) 10:40:46


No.42845  飯沼正晴
Re: 7月23日水曜日 引用
皆さんの参考になるかもしれないと思い、「自分が今、地上を去ることになれば」という今回の定例会のテーマについて書いてみます。

私は73歳なので、自分の地上人生がもうそれほど長くはないことは認識しています。
私は「人間は死ぬ時期が決まっているので、何をしてもしなくても死ぬ時がときがくれば死ぬし、その時期でなければ死なない」と思っています。
なので健康診断とかを受けたことがないので、もしかしたら死に至る病が秘かに進行しはじめている可能性もあるかもしれません。
いずれにしても2〜30年以内には必ず死ぬ年齢ですし、現役で働ける期間はもっと短いでしょう。

今回のテーマは、「自分が今、地上を去ることになれば」ということですが、事故や心臓発作などで予兆もなく死ぬのか、余命宣告などされてある程度自分の死期を知ることができる中で死を迎えるのかによっても、死の入り口は違うように思います。
今、突然死ぬことになれば、自分がやってきた畑のことなども含めていわゆる終活のようなことを全くしていないので、残された家族に負担をかけることを少し悔やむと思います。
まあ、そういうことは悔やんでも仕方ないことも分かるので、すぐにクリアできると思いますが。

それからはまず、家族や家族のように関わってきた人たちに対する感謝の気持ちが湧いてくると思います。
その感謝の思いは止めどなく湧いてくると思います。
それだけでももう十分に幸せな地上人生だったと思います。
さらにこの働きを始めてから出会った人生の親戚のような仲間たちにも、やはり感謝の思いが湧き続けると思います。

途中で袂を分かち、ずいぶんひどいことを吹聴された人たちもいます。
その時にはそういう人のウソや身勝手な言い分に腹を立てることもありましたが、そういうことの中で私は自分にもあった至らなさに気づかせてもらえたと思っています。
その意味では全てが向上進化の喜びの中でのありがたい出会いであったと思っています。
今でもそう思えているので、死んでからはさらに感謝の心が湧くと思います。

そして自分自身を振り返る作業に入るのでしょうが、やはりまずは自分自身の過ちや至らなさに心が向くでしょう。
でも、それらに関してもそれらを材料にして、そこからすでに学び取ってきたことも多く、そこに大きくこだわることはないかもしれません。
自分を情けなく思い、恥じ入るしかないようなたくさんの過ちや至らなさがあったから、その自覚を踏み台にして自分は向上進化することができたと思えるかもしれません。
ただ、申し訳なさは改めて重く感じると思いますが。

自分が担っていると思ってきた「働き」についても、それが本当にそうだったのか(自分が本当にそういう役割を担っていたのか)を明確に知らされるのでしょう。
まあ、もしも自分の勝手な思い込みであったとしても、自分の動機は純粋だったし、人として極めて真っ当なことを言ってきたと思うので、それも心を大きく陰らせることにはならないように思います。
たとえ雛型成就できないままに地上を離れても、反省点はたくさん思うでしょうが、心を陰らせてしまうことはならないないように思います。

地上を離れたら、今の自分が全く思い至らないような過ちや至らなさに気がつくのかもしれませんが、その時はその時で真摯に向き合うしかありません。
振り返ってみれば苦しいことや嫌なことも多々ありましたが、比較的健やかな地上人生であるような気がします。
今の時点での自己評価なので甘すぎるのかもしれませんが。


・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?

ある時期からの私は(あくまでもある時期からの私ですが)、自他に喜びをもたらすことが自分の喜びになってきたと思います。
特に向上進化の喜びを軸にして人に関わってきたと思います。
自分では努力もしてきたつもりですが、今の時点でも努力の足りなさ・不十分さは認識できています。

私は地上的喜びに関しては無頓着な面があって、そこでは周囲の人に喜びをもたらそうとする努力も足りていないと思います。
自分が気づく範囲ではそうしてきたのでしょうが,無神経・無関心な面があるので喜びをもたらすどころか喜びではない思いにさせることも多々あったように思います。

向上進化の喜びをもたらすということについても、やはり努力が足りない面があると思うし、「人間というのは結局のところ、なるようにしかならない。最終的には本人次第」というどこか突き放した思いもあります。

そこではたくさんの反省点があると思うので、残りの地上人生でカバーできるように努力していきます。
でも、押しつけにならないようにしたいと思います。
そういうのって、自分でももうめんどくさいし(笑)


・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)

これもある時期からはそうできつつあるように思います。
それ以前の私は「あるべき姿(正義)」を軸として、義憤・私憤にまみれていました。
今でもそういう面が残っていないわけではありませんが、「愛」というものの意味や「愛」というもののポジティブなエネルギーに思い至りつつあります。
「見返り」というものはあまり求めずにやってきたと思います。
それゆえに、「見返り」を求めている人の気持ちに気づかず、不愉快な思いや寂しい思いや物足りない思いにさせたことはあると思っています。
もちろんご厚意をいただけば心から感謝しているのですが、その感謝をあまり強く表現しない傾向があるように思います。


・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)

これに関してはけっこうできてきているように思います。
ちょっとイラついたり不機嫌になることもありますが、基本的にはOKかなと思います。
ただ、めんどくさくなって心を離す面もあるので、そこは「相手にとって何が本当の喜びになるのか」というラインで注意が必要だと思います。


・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)

これはどうでしょう?
私はどうでもいいと思うようなことは適当に言って(対処して)しまう面もありますが、大事なことに関しては真実や本当のことに基づいて思考・言動してきたと思います。
私は若い頃から事実・真実を大事にしてきたとは思います。
でも、「本当のこと」を地上でカタチ(明らかに)にするためにはある種の虚偽を用いることもありました。
それだけではなく、自分に都合よく物事を考えるという面がないわけではないでしょうから、自分ではそれなりにOKかなと思うのですが、もしかしたら大きな至らなさがあるかもしれません。

この項目以外でも、自分が死んでから自分の過ちや至らなさに気づかされることもあると思っています。
その時に指導霊さんから「あなたは本当は分かっていましたね。分かっていたのに、自分の損得や自分の気持ちに囚われて、そうしてこなかった自分・そうしつづけてしまった自分に向き合う時期が来たのですよ」と言われることのないように、この機会にもう一度自分を点検し直して、実際的にも改めるべきことは改めていこうと思います。

地上の自分は気づかないままの過ちや至らなさを持っていたら、死後にそこに気づかせてもらうことは比較的容易に喜びとして受け止め直すことができると思います。
気づきの喜びというものはありますから。

でも、本当は分かっているのに、自分の都合や気持ちを優先して、しなかったこと・してしまっていたことに向き合うことはやはり重く苦しいことだと思います。
だって、今回の地上人生はもう終わっていて、その意味では取り返しがつかないのですから、その後悔は重いものになるでしょう。

私があとどれくらいこの地上で生きるのかは分かりませんが、そういう重い後悔にうちひしがれることのないように、残された地上の日々を生きていきたいと思います。

みんな大好き、ありがとう!

23/07/2025(水) 14:49:29

No.42846  飯沼正晴
Re: 7月23日水曜日 引用
今、O地に来ています。
ようやくジャガイモ掘りを終えました。
ジャガイモは梅雨明け直後に掘ることもあるので、まあぎりぎりセーフでしょうか。
ちょっと休憩して桜の畑で草刈りに行きます。
昨日はN地の黒枝豆の除草を済ませました。
株元からもけっこう草が伸びていたので、合計3日間・6時間ぐらいの手作業になりました。
黒枝豆さん、鹿の食害から回復してきています。

昨日はN地の作業を終えてから、桜の畑の畝と肩や谷の草が凄いので、種をつける前に耕運機で谷を上げなおそうとしたのですが、土がカチカチで耕運機がちゃんとかけられずちょっと大変でした。

土がけっこう乾燥しているので、明日か明後日には桜の畑にタンクに水を溜めておきますね。

定例会、なかなか重いテーマですが、皆さんよろしくお願いしますね!
当日指名されて、「考えてなかった」とのはナシですよ。
「私は全部OKだから、振り返る必要もない」という人は(1人だけこう言いそうな人がいるので)、なにがOKなのか具体的に挙げてくださいね。
振り返ることが本当にないのかどうかは、私からもいろいろと質問させてもらいます。

克から示されたせっかくの機会ですから、ちゃんとやりましょう!

23/07/2025(水) 18:07:42


No.42840 さき  
7月21日、月曜日 引用
おはようございます。
定例会よろしくお願いします。
宿題に一瞬かたまりましたが、考えたら私たちは生まれた時から迷える子羊の神の子として、霊界からは常に見守られ、心のなか全部丸見えなんですよね。隠しても隠せるものじゃない。
あ゛ー、、、、ってなりますが、
いずれ必ず細部まで鮮明に全部直視する、振り返らなくちゃいけないことでもあります。

うつむいて心を陰らす、そこにとどまるためではなく、
今まで通りの自分から踏み出すために
心を巡らせてみようと思いました。
自分を守るためでなく、うわべのたてまえでもなく、ひらきなおるでもなく、、。

考えたらこの場に皆さんには、みっともない自分をたくさんさらしてきました。知識だけじゃなく、生きる実践を含めた学びのなかで、ある意味人生をともにして、まるごと自分をさらして、さらされることになって、それでもつながっている、家族に近いですものね。
この間も、自分って感情優位で感覚的に走るところがあって、それは時に自分なりで、、皆さんに呆れられてるかもしれないなと。色々思ったりしてました。
補足も参考にします。


昨日の選挙の結果に、現状に不満を持ってる人たちがこういう民意を示したんだな、と感じました。
それにしても、自分さえよければいいという自分ファースト。感情感覚優位で、事実真実はなにか、何だったのかが、全く軽んじられていても平気な自分なりのオンパレード。今の地上のありさまを目の当たりにしている感じがしました。
国全体の兵庫県化を見ているようです。

だからこそ、風穴が必要。
そのエネルギーが必要なんだと。
思っています。

21/07/2025(月) 08:07:08


No.42841  飯沼正晴
Re: 7月21日、月曜日 引用
さきさん、スレッド更新ありがとう!

定例会のテーマ、なかなか重いですね。
でも、人間はいつかは地上を去るのですし、それがいつなのかは分かりません。
平均寿命なんて、個人レベルではほとんど意味がないことですし。

この時期にこうこういうテーマが提示されることにも意味があるのでしょうから、しっかりと向き合いたいと思います。

定例会に参加できない人も、テーマに沿って書いてくださいね。


今回の参議院選挙、いろいろ思うことはありますが、掲示板に書くのは控えておきます。

それよりも、今年になって環太平洋火山帯の活動がさらに活発になっているという記事を紹介しましたが、昨日もカムチャッカ半島で巨大地震があったそうです。
この地域では2年ほど前にも火山の大噴火がありました。

群発地震が続いているトカラ列島も含めて、日本列島はまさに火山帯そのものなのですね。

そういえば、環太平洋火山帯に含まれるのかどうかは分かりませんが、南極の氷の下には多数の火山があるそうで、それらの火山に活性化の兆候があるという情報もあります。

何だかいろいろありそうです。

21/07/2025(月) 11:41:20

No.42842  ちぃ
Re: 7月21日、月曜日 引用
こんにちは。毎日暑いですね!

さきさんが書かれていた
> 国全体の兵庫県化を見ているようです。
私もそのように感じました。

定例会メッセージありがとうございます。
Bさんと同じく、オタオタしています!
いつなにがあってもおかしくないのはほんとそうだと思う反面、楽しいのですが日々の忙しさに、今まで通りの面が多々あります。
意識が現実をつくる。
自分と向き合います。

定例会ですが、うちの母が用事で私たちと一緒に篠山に行くので、わがまま言って2部だけうちの母も参加させていただくことになりました。
どうぞよろしくお願いいたします。

21/07/2025(月) 13:05:41

No.42843  Bさん
Re: 7月21日、月曜日 引用
>あまり長々とは書きませんが、今回の選挙だけでなく、いたるところで「劣化」が浮き彫りになり、「崩壊」が始まっているような気がしています。
小手先の手直しではどうにもならず、大元からの建て替え・建て直しの時期なのでしょう。
その一方で私には、「今、エネルギー的な風穴を開けることができれば、まだ間に合うんじゃないか」という思いが強くあります。

この掲示板を読んでいる皆さんはどう思っておられるのでしょうか?<

世界中の周知のもとにガザではあってはならない蛮行がいまも平然と行われ続けています。
ガザだけでなく世界中で差別が蔓延し争いは絶えず、自我ファーストに走る人々も多く人類の心の荒廃激しく、愚かさもここまで来てしまったら、本当にいつ何があってもおかしくないでしょうし、避けようのない事態がもうそこまできているように思います。
どのようなことが起こるかわかりませんが、それも大元からの建て替え・建て直し、新たな世を迎えるための試練であり通過点なんだと思います。
どうなるのか恐怖はありますが、それを恐れるよりも、もう迷うことなく神の子として喜びを求め日々を大切に生きるだけだと思っています。

そして、間に合うか合わないか云々より、皆さんいろいろなことを抱えながらでも、ここは思いを一つにそれぞれの持つ多種多様なエネルギーを結集し、一丸となって雛形として新たな世の突破口を切り開いていきたいです。
そのためにここに集ったそれこそ多種多様な私たちなのですから、ここは揺るぎなく皆さんとともにバシッ!と決めたいです。

21/07/2025(月) 23:30:42


No.42835 飯沼正晴  
7月20日(日曜日) 引用
2025年7月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

今回は前回の「定例会メッセージ」を踏まえて、「もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか?」ということについて心をめぐらせ、話していただきます。
つまり、皆さん方に今の時点での今回の地上人生の総括をしていただきます。

>今回の地上人生は過去世のカルマの贖い・償いの要素が大きく、いわば再試験・再チャレンジですから、過去世で自他の喜びにできなかった事柄がもたらされるのは当然です。<

ということを知っている者として、もたらされたカルマ解消の機会(試練や人間関係)において、どのような意識・想念・言動をしてきたか?

>金銭・物質も心や気持ちも自分の喜びを軸にして、相手や誰かや皆の喜びを無視・軽視することがすなわち「我よし」なのです。<

>皆が皆のさらなる喜び・向上進化の喜びのために、自分を役立てていくことを喜びとする霊界の生き方に照らして、自分自身のありようを振り返っていただきたいのです。<

これらのことについて、皆さん方はすでに知っているはずです。
そして知識には責任が伴うのです。

であれば、特に皆さんがたが悠々塾とつながってからの自分を振り返り、地上を去ってから行う心の作業を今の時期に済ませていただきたいのです。

霊としての自分を地上の人間である自分に当てはめるのですから、ほとんどの人が自分の不十分さを再確認することになるでしょうが、これは自分を否定するために行うのではありません。
少しでも自分なりの思いを薄くして、地上に生きている今のうちに心新たに再出発していただくためのものです。

ですから不十分な自分・ダメな自分に帰着するのではなく、向上進化の喜びに生き直す意識・意志を結論にしてください。

どうしても言いにくいことは具体的に言わなくても構いませんが、上辺の話にならないように、あらかじめしっかりと自分を振り返って、心の内実を伴う話をしてくださいね。
聞いている人は質問や意見を伝えることで、その人が陰りを向上進化の光の喜びに切り替えられるように、あるいはさらに大きく自分を役立てていけるように、手助けをしてあげても構いません。

そして個人的なことだけでなく、悠々塾につながる者として自分が担っている「地上人類の霊性進化・地上界の浄化」というテーマについて、もしも今自分が地上を去ったならどのように自分を振り返るのか、心をめぐらせていただきたいのです。
(「自分が担っている」という意識の薄い人もいるかもしれませんが、今こうして悠々塾につながっていることそのものが、皆さん方の魂の意志であるのです)

時間が限られているので定例会では数人しか話せないでしょうが、話した人も話さなかった人も改めて掲示板に書き込んでください。(どうしても掲示板に書きにくい内容の場合はグループラインにお願いします)
なお、今回は実習にあてる時間が短くなるので、実習については当日にお知らせします。

補足します。
もしも分かりにくいのであれば、以下の項目をキーにして自分を辿りなおしてください。
いずれもケースバイケースでしょうが、できたことは自分を褒めて、できなかったことにはしっかりと向き合って、困難ではあっても喜びの中でやり直す意志に帰着してください。ください。

・自他の喜びを実現するために努力したかどうか?
・愛に基づいて、出来事や人間関係に対処してきたかどうか?(愛は見返りを求めません)
・他者・他の生命に喜びをもたらしてきたかどうか? 喜びをもたらそうとしてきたかどうか?
(本来の喜びとは向上進化の喜びですが、楽しさや嬉しさも喜びに含まれます)
・真実・本当のことを大事にしてきたかどうか? (自分の損得や自分なりの気持ちで事実・真実を歪めることがあるのなら、謝罪と共に事実・真実に立ち返る喜びに帰着してください)
。。。。。。。

【5月定例会に向けてのメッセージから】
悠々塾につながる皆さん方は、このような状況のなかで「喜びベース」を確立し、地上界にエネルギー的な風穴を開けることを今回の人生の目的にしています。
人類登場以来ずっと形成されてきた想念帯を突き破らねばならず、もちろん自分自身もその想念帯の一部になっているのですから容易な作業ではありませんが、それが魂の意志であるのです。

その前段階として、自分の利益・都合や自分の思い・気持ちを優先する段階を卒業することが求められています。
さらに、「もたらされることの全てが、さらなる喜びに向けての踏み台であり、向上進化の喜びである」ということ。
「いかなる状態・いかなる事態であっても、いわば産みの苦しみであり、必ずさらなる喜びがもたらされる」ということを肝に銘じていただきたいのです。

今回の地上人生は過去世のカルマの贖い・償いの要素が大きく、いわば再試験・再チャレンジですから、過去世で自他の喜びにできなかった事柄がもたらされるのは当然です。
しかし、以前の地上人生を終えたあと、霊界側の手助けを受けながら自分の人生を辿りなおし、その人生の全てを何らかの喜びとして認識できたからこそ本来の霊界に戻ることができたのです。
その境涯で霊としての学びを重ね、「今回こそは、償わせていただくことを喜びとして、自他に喜びをもたらせていこう」という強い意志で地上に再生しているのです。

今回の人生でもそれぞれにカルマの埋め合わせが伴うので、カルマに見合った苦難や失敗や喜べない事柄・状態はもたらされます。
誰もがカルマの法則から逃れることはできません。

しかし、皆さん方は過去世を終えたあと、その人生の全てを感謝という喜びとして認識しなおして本来の霊界に戻り、喜びの中で霊としての学び・貢献の喜びに生きていたのです。

つまり、今回の人生でももたらされることになっていることはもたらされるのですが、霊界に向かう時と同じように全てを感謝・学びの喜びとして受け止め、その心を言動で表現していきながら、喜びの中で自分を役立てていくことで、カルマは解消されていくのです。
それは霊界と同様の神の御心に沿った喜びの意識・心・言動であり、それが地上の制約を超えた喜びを現実化させていくのです。
自分だけでなく、つながっている人たちやあらゆる生物にも喜びの現実をもたらしていくのです。

そのことを意識しなおして、あらゆる状態における違和感や嫌悪感や否定的な思いを無条件の感謝と祝福に移行させていただきたいのです。
これはもちろん、理不尽なひどい目にあわされている人たちや苦しい現状に置かれている人たちを放置して良いということではありません。
それではカルマの上塗りで、自分自身の幸せも遠ざけることになるのです。

その人たちに対して自分ができることをしていくのは人として当然のことです。
その一方で、「地上人生での苦しさはいずれ必ずねぎらわれ、喜びとして認識しなおされる」という真理・真実を自分の中に確立していただきたいのです。
理不尽に搾取や暴虐行為を続ける者たちに対しても同じです。
自分なりの日常に埋没している人々に人としての心を目覚めさせるために、そういう役割を担っている者たちもいるのです。
地上人生は全てではありません。
いつもお伝えしているように、地上人生はテーマに沿った演劇・お芝居のようなものです。

いかなる地上人生であってもその期間は限定されています。
霊界に戻れば誰もが分かることですが、霊界の者たちは無限の生を生きていることを実感しているので、どのような地上人生であっても有限の地上人生に引きずられる霊はいないのです。(地上人生に引きずられたままの者は幽界や暗黒界に堕ちていくことになります)

あなたは、地球という巨大な生命体を神の御心に沿った喜びの星に進化させるために、地上に生きているのです。

20/07/2025(日) 00:09:00


No.42836  飯沼正晴
Re: 7月20日(日曜日) 引用
昨日、糞暑い中でN地の除草作業をしていたら、「補足」が伝えられたので、定例会メッセージを手直ししました。

20/07/2025(日) 00:11:29

No.42837  飯沼正晴
Re: 7月20日(日曜日) 引用
補足を一つ書き加えました。

畑では、「自他の喜びを実現するために努力したかどうか?」というのが補足のメインのような感じで伝えられていたのに、補足を書くときに抜け落ちていました。

20/07/2025(日) 11:02:12

No.42838  Bさん
Re: 7月20日(日曜日) 引用
定例会メッセージをありがとうございます。

あー、いきなり「皆さん方に今の時点での今回の地上人生の総括をしていただきます。」とは強烈!
ワオーッ、出た!って感じで、オタオタしてます。(笑)

誰しも何かしらの後悔の念は持っているものなのでしょうが、我が身の醜さを自ら突きつけなければいけない苦しさは特別です。
自分の醜さはなかなか認めがたく、我が身というのはとことん可愛いのかもしれません。いい加減にしろよと思いますが。
でも、総括ありきのそこからしか始まらないし、次への喜びの一歩として取り組みたいと思います。
ちょっと(かなり)恐ろしいですが……。

苦しい課題ですが、皆さんとの再会を喜びに、楽しみにしています。

定例会、よろしくお願いします。

20/07/2025(日) 19:32:01

No.42839  飯沼正晴
Re: 7月20日(日曜日) 引用
>霊としての自分を地上の人間である自分に当てはめるのですから、ほとんどの人が自分の不十分さを再確認することになるでしょうが、これは自分を否定するために行うのではありません。
少しでも自分なりの思いを薄くして、地上に生きている今のうちに心新たに再出発していただくためのものです。

ですから不十分な自分・ダメな自分に帰着するのではなく、向上進化の喜びに生き直す意識・意志を結論にしてください。

どうしても言いにくいことは具体的に言わなくても構いませんが、上辺の話にならないように、あらかじめしっかりと自分を振り返って、心の内実を伴う話をしてくださいね。<

20/07/2025(日) 20:02:27


No.42830 エーチャン  
7月19日 土曜日 引用
おはようございます。

相変わらずばたばたしているのですが、私もまだ間に合うと思っています。

最近、読みなおしたシルバー・バーチの1巻から転載します。ここに人間とはなんであるかというのがはっきりと解き明かされていると思いますし、またこの場で教えてもらっていることとも整合が取れていると思います。

今日も間もなく外出ですので、とりあえず転載だけしておきます。自分が何をやりたいかということも来週以降書いていきます。

シルバー・バーチの霊訓 (1)
p.53

地上の人生はしょせんは一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。すなわち動物的進化の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。地上に生まれてくるのはその試練に身をさらすためなのです。人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、是非とも厳しい試練が必要なのです。

19/07/2025(土) 08:31:02


No.42831  飯沼正晴
Re: 7月19日 土曜日 引用
エーちゃん、スレッド更新&「シルバーバーチの霊訓」からの抜粋、ありがとう!

シルバーバーチは、「試練の時にこそ、霊的真理にしがみつきなさい」と伝えていますね。

私たちは順調な時には心にも余裕が出ますが、試練の時には自分の損得や感情に引き戻されてしまうことが多いと思います。
だから試練をクリアして喜びの現実を造りにくいのでしょうね。

ミスター、

ミスターも書いているように、わ〇〇の宅配弁当、お試し10食価格の一番安いものが3900円+800円(送料)のようですね。
でもこれは一回限りの価格で、通常は10食5900円+800円(送料)のようです。
もっと高い商品もあるので、会社としてはちゃんと利益が上がっているんじゃないかなと思いました。

自社農場を持っているのであれば、普通は流通しない(つまり超安価で購入できない)B級品の野菜やクズ野菜も活用できると思うので、材料費の軽減になって会社としてのメリットはあるのでしょうね。

最近は有機JASで認められた殺虫剤や農薬(化学合成ではない)もけっこうあるようなので、そういう資材を使えば有機農業も以前ほどのリスクは少なくなっているようです。

すみません、どうでもいいことですが、つい「本当はどうなのだろう?」と思ってしまうもので。

19/07/2025(土) 10:31:31

No.42832  飯沼正晴
Re: 7月19日 土曜日 引用
◆環太平洋火山帯が「前例のない地質学的な不安定期」に突入。現在、火山の噴火活動が記録上最も多い状態

投稿日:2025年7月16日 in deep

環太平洋火山帯での火山噴火が「連動」している可能性さえ指摘される

昨年 2024年は、環太平洋火山帯での火山噴火が過去最高レベルに達していましたが、今年 2025年は、さらに活発な活動が見られています。


現在、同時に噴火している火山の数が、記録に残る上で過去最大レベルに達しているそうで、報道によっては、「環太平洋火山活動が危機的レベルに達した」(msn)というタイトルのものもありました。

現在、噴火している火山は以下のようになっていまして、アフリカとイタリア、ハワイなどのいくつかの火山を除けば、ほとんどが環太平洋火山帯にある火山です。

火山の噴火状況(2025年7月15日)

Volcano Discovery

以前、「21世紀は 20世紀と比較して、明らかに噴火が増えた」ことを以下の In Deep の記事で書いたことがありますが、その傾向がさらに顕著になってきているようです。

・地震と火山の噴火においては「21世紀の地球は明らかに20世紀と違う」ことが明らかになってきた今、環太平洋火山帯の今後をどう考えるべきなのか
In Deep 2018年4月7日
。。。。。。。。。

続きはリンク先でお読みください
https://earthreview.net/pacific-ring-volcanic-activity-reaches-critical-levels/

19/07/2025(土) 11:26:03

No.42833  ゆりか
Re: 7月19日 土曜日 引用
えーちゃん、シルバーバーチの霊訓の転送、ありがとうございます。。
私も、自分の進化に本気になって取り組めば、まだ間に合うと思っています。
霊訓の試練について書かれている事、長年身に染みて感じています。
出口王仁三郎さんの動画の内容とも重なりますね〜

ヌマさん、
『シルバーバーチは、「試練の時にこそ、霊的真理にしがみつきなさい」と伝えていますね。

私たちは順調な時には心にも余裕が出ますが、試練の時には自分の損得や感情に引き戻されてしまうことが多いと思います。
だから試練をクリアして喜びの現実を造りにくいのでしょうね。』

はい、私もまだまだクリアできてないと感じる事が多いのですが、出口王仁三郎さんの動画やIさんの動画を見るたびに、不安や心配の気持ちが湧いてきた時こそ まず心を落ち着かせ 不安な気持ちを言葉にする前に 意識して切り替えようと努力しています。

ありがとうございます 嬉しい 楽しい 幸せ おかげさまです 今日も一日無事に過ごせました 皆が幸せでありますように 全ては良きに計らわれている 大好き 私達はますます良い方向に向かっている 

などの動画で語られている言霊を参考に 
紙に書いて家の壁に貼った言葉を 自分の自我に語って聞かせるようにしています。。

心が広がり 言霊のエネルギーに癒されている感があるので 毎日繰り返す事で いつのまにか無意識層に定着して 紙を見なくても自我からの不安が薄くなるのだろうと思っています。

諦めるでも無く 頑張るのでも無く 今できる事を 喜びベースで行いながら 過ごしています

19/07/2025(土) 12:03:55

No.42834  飯沼正晴
Re: 7月19日 土曜日 引用
2025年7月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

今回は前回の「定例会メッセージ」を踏まえて、「もしも今、自分が地上を去ることになれば、死後の自分はどういう道筋を辿るのだろうか?」ということについて心をめぐらせ、話していただきます。
つまり、皆さん方に今の時点での今回の地上人生の総括をしていただきます。

>今回の地上人生は過去世のカルマの贖い・償いの要素が大きく、いわば再試験・再チャレンジですから、過去世で自他の喜びにできなかった事柄がもたらされるのは当然です。<

ということを知っている者として、もたらされたカルマ解消の機会(試練や人間関係)において、どのような意識・想念・言動をしてきたか?

>金銭・物質も心や気持ちも自分の喜びを軸にして、相手や誰かや皆の喜びを無視・軽視することがすなわち「我よし」なのです。<

>皆が皆のさらなる喜び・向上進化の喜びのために、自分を役立てていくことを喜びとする霊界の生き方に照らして、自分自身のありようを振り返っていただきたいのです。<

これらのことについて、皆さん方はすでに知っているはずです。
そして知識には責任が伴うのです。

であれば、特に皆さんがたが悠々塾とつながってからの自分を振り返り、地上を去ってから行う心の作業を今の時期に済ませていただきたいのです。

霊としての自分を地上の人間である自分に当てはめるのですから、ほとんどの人が自分の不十分さを再確認することになるでしょうが、これは自分を否定するために行うのではありません。
少しでも自分なりの思いを薄くして、地上に生きている今のうちに心新たに再出発していただくためのものです。

ですから不十分な自分・ダメな自分に帰着するのではなく、向上進化の喜びに生き直す意識・意志を結論にしてください。

どうしても言いにくいことは具体的に言わなくても構いませんが、上辺の話にならないように、あらかじめしっかりと自分を振り返って、心の内実を伴う話をしてくださいね。
聞いている人は質問や意見を伝えることで、その人が陰りを向上進化の光の喜びに切り替えられるように、あるいはさらに大きく自分を役立てていけるように、手助けをしてあげても構いません。

そして個人的なことだけでなく、悠々塾につながる者として自分が担っている「地上人類の霊性進化・地上界の浄化」というテーマについて、もしも今自分が地上を去ったならどのように自分を振り返るのか、心をめぐらせていただきたいのです。
(「自分が担っている」という意識の薄い人もいるかもしれませんが、今こうして悠々塾につながっていることそのものが、皆さん方の魂の意志であるのです)

時間が限られているので定例会では数人しか話せないでしょうが、話した人も話さなかった人も改めて掲示板に書き込んでください。(どうしても掲示板に書きにくい内容の場合はグループラインにお願いします)

なお、今回は実習にあてる時間が短くなるので、実習については当日にお知らせします。
。。。。。。。

【5月定例会に向けてのメッセージから】

悠々塾につながる皆さん方は、このような状況のなかで「喜びベース」を確立し、地上界にエネルギー的な風穴を開けることを今回の人生の目的にしています。
人類登場以来ずっと形成されてきた想念帯を突き破らねばならず、もちろん自分自身もその想念帯の一部になっているのですから容易な作業ではありませんが、それが魂の意志であるのです。

その前段階として、自分の利益・都合や自分の思い・気持ちを優先する段階を卒業することが求められています。
さらに、「もたらされることの全てが、さらなる喜びに向けての踏み台であり、向上進化の喜びである」ということ。
「いかなる状態・いかなる事態であっても、いわば産みの苦しみであり、必ずさらなる喜びがもたらされる」ということを肝に銘じていただきたいのです。

今回の地上人生は過去世のカルマの贖い・償いの要素が大きく、いわば再試験・再チャレンジですから、過去世で自他の喜びにできなかった事柄がもたらされるのは当然です。
しかし、以前の地上人生を終えたあと、霊界側の手助けを受けながら自分の人生を辿りなおし、その人生の全てを何らかの喜びとして認識できたからこそ本来の霊界に戻ることができたのです。
その境涯で霊としての学びを重ね、「今回こそは、償わせていただくことを喜びとして、自他に喜びをもたらせていこう」という強い意志で地上に再生しているのです。

今回の人生でもそれぞれにカルマの埋め合わせが伴うので、カルマに見合った苦難や失敗や喜べない事柄・状態はもたらされます。
誰もがカルマの法則から逃れることはできません。

しかし、皆さん方は過去世を終えたあと、その人生の全てを感謝という喜びとして認識しなおして本来の霊界に戻り、喜びの中で霊としての学び・貢献の喜びに生きていたのです。

つまり、今回の人生でももたらされることになっていることはもたらされるのですが、霊界に向かう時と同じように全てを感謝・学びの喜びとして受け止め、その心を言動で表現していきながら、喜びの中で自分を役立てていくことで、カルマは解消されていくのです。
それは霊界と同様の神の御心に沿った喜びの意識・心・言動であり、それが地上の制約を超えた喜びを現実化させていくのです。
自分だけでなく、つながっている人たちやあらゆる生物にも喜びの現実をもたらしていくのです。

そのことを意識しなおして、あらゆる状態における違和感や嫌悪感や否定的な思いを無条件の感謝と祝福に移行させていただきたいのです。
これはもちろん、理不尽なひどい目にあわされている人たちや苦しい現状に置かれている人たちを放置して良いということではありません。
それではカルマの上塗りで、自分自身の幸せも遠ざけることになるのです。

その人たちに対して自分ができることをしていくのは人として当然のことです。
その一方で、「地上人生での苦しさはいずれ必ずねぎらわれ、喜びとして認識しなおされる」という真理・真実を自分の中に確立していただきたいのです。
理不尽に搾取や暴虐行為を続ける者たちに対しても同じです。
自分なりの日常に埋没している人々に人としての心を目覚めさせるために、そういう役割を担っている者たちもいるのです。
地上人生は全てではありません。
いつもお伝えしているように、地上人生はテーマに沿った演劇・お芝居のようなものです。

いかなる地上人生であってもその期間は限定されています。
霊界に戻れば誰もが分かることですが、霊界の者たちは無限の生を生きていることを実感しているので、どのような地上人生であっても有限の地上人生に引きずられる霊はいないのです。(地上人生に引きずられたままの者は幽界や暗黒界に堕ちていくことになります)

あなたは、地球という巨大な生命体を神の御心に沿った喜びの星に進化させるために、地上に生きているのです。

19/07/2025(土) 15:47:47


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