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悠々塾 掲示板


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No.43206 みゆき  
11月23日日曜日 引用
定例会おつかれさまでした
今回は全身のかゆみでまとまった睡眠がとれない状況が続いていて少ししんどかったので
エネルギーを通してもらえてすごくありがたかったです
元気がでました
「みゆきちゃんにエネルギー通してあげて」とか
「エネルギー通してもいい?」
ってその気持ちがすごく嬉しく身に沁みました
おかげさまで、昨日は横になって時間ほど眠ることができました
ありがとうございました

「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」
今年の自分は、とても強い自分の気持ち軸で生きていたんだと気づいた年なので卒業にはまだ遠いです
もたらされたことすべてが嬉しいこと、喜ばしいことなんだ、という意識で辛いことがあっても嬉しい、喜んでいく気持ちに切り替えられるようになってきているのを感じていてそれはよかったと思います
自分の利益・都合・気持ちで動いていたことを状況をみながら行動できるようになってきた点はよかったと思っています
他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸に、というところでは、苦手としていた家事を家族にとって嬉しいことをさせてもらっているのだ、そして、家事って芸術なんや、ということがわかり苦手意識が薄くなってきている点はよかったと思っています。そして、どちらも自分の喜びとして感じているのでよかったと思います。

「自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?」
自分の気持ちを軸にしているから情報を出さない、だしづらい、ということにつながっているのだろうと思います
〇こんな自分のいうことに人は関心なんかない、相手にされない、受け入れられない 
〇自分はしょうもない人間なので情報を出すなんてとんでもない、話しないほうがよい

否定されるのがこわい
(自分に対して)何か言われるのがいや
この自分の気持ちの軸をどのように変えていくのか
自分の話に対して人からどう思われるのかは、人それぞれの感覚で自分にはどうすることもできないこと、と自分に言い聞かせる
自分はしょうもない人間だと認める、自分のありのままを受け入れる
しょうもない人間でも愛をもって言動・行動できるようになることを目標にしているんやから、それでいいと自分に言い聞かせる
何があっても大丈夫だと自分に言い聞かせる
無条件の感謝と祝福の気持ちベースですべてのことに関わっていく、取り組んでいく
そうしていくことで無条件の感謝と祝福の気持ちが人に場に空間に伝わっていくと思う
そして自然に言動行動に出てくるようになると思う
どうしたら相手にわかりやすく伝わるかとか、相手にちゃんと伝わっているか、とかそういうことを考えられるようになっていきたい
わかりやすく、伝わりやすく話できるようになるために
情報を出したり、話したり、トレーニングしていきたい

11/21のぬまさんのコメント
>自然農法であれ、有機農法であれ、心のエネルギーを使う農法は今の農業だけでなく、時代を救うことになると思っています。

>私たちは農業収入で生活していないから、さまざまなチャレンジができるのです。

>みゆきちゃんも、グループラインや掲示板に積極的に情報発信してくださいね。
>Iさんの動画も私はあまり見ることができないので、それも紹介してもらえたらありがたいです。

はい、情報発信していきたいと思います
よろしくお願いします

23/11/2025(日) 11:10:29


No.43207  飯沼正晴
Re: 11月23日日曜日 引用
定例会に参加してくださった皆さん、ありがとう&お疲れさまでした!
参加できなくてもお心を向けてくださった皆さん、ありがとう!


なんとなくさえない気持ちで始まった定例会でした。
でも、1部での皆さんの発言を聞いていて、この数年の皆さん一人一人の変化・向上進化を嬉しく実感していました。

メッセージで示された、「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」というテーマにしっかりと沿うようにと注文をつけましたが、発言の内容は一人一人の向上進化そのものでした。

上のみゆきちゃんの書き込みも参考にして、定例会で発言した人も、しなかった人も、定例会に参加しなかった人も改めて書き込みをお願いします。
普段は書き込みしていない人も、どうぞ書き込んでくださいね。

後半の実習や懇親会の感想なども、書いてくださいね。

「指導霊になったつもりで」というエネルギーはまだまだ不慣れではありますが、私は非常に大きく確かな手応えを感じました。
次回以降が楽しみです!

懇親会では久しぶりに腹から笑い、お酒もずいぶん進みました。

今朝、少し遠隔でエネルギーを送ったのですが、今までとは違う「無条件の祝福と感謝」のエネルギーにつながれたことを実感しました。
まさにこのエネルギーにつながるために、この数カ月の憤りと重苦しさが計らわれたのだと確信しました。
今までの重苦しさがウソのように、私は上機嫌です!

先日の夢の意味もはっきりと分かりました。
しかも、「出雲」から直通バスが出ている東京の山手線の駅名がどうしても思い出せなかったのに、土曜日の夜にひょんなことで分かりました。

夢の中ではその駅名がはっきりと分かっていたのですが、目が覚めると「山手線のマイナーな駅」という記憶しか残っていませんでした。
五反田や大塚などではないということは覚えているのに、駅名は思い出せなくて。
まあ重要なことでもなさそうなので思い出せないままにしていたのですが、金曜日の夜、さきさんを雑談をしている時にテレビがついていました。
たまたま、「山手線の駅名が出てくる歌の特集」が始まって、何曲目かの歌詞に「田端」という駅名が出てきたのです。

私は思わず「駅名が分かった」と声を上げました。
夢に出てきた駅名は「田端」だったのです。

田端という駅名に意味があるのではなく、普通はあり得ないようなシンクロによって、あの夢が単なる夢ではなく、重要な意味のある夢だったということを知らせる計らいだったのだと思います。

なるべく早い時期に、またどこかに籠って、昨日つながったエネルギーに馴染んで、確立したいと思います。

ということで、皆さんの書き込みをお待ちします。
私も近日中に書き込みます。

皆さん、ほんとにありがとう!

23/11/2025(日) 14:39:36


No.43204 飯沼正晴  
11月21日(金曜日) 引用
◆「キャベツ1玉500円」は序章にすぎない…「いままでが安すぎた」国産野菜が"高級品化"している不都合な真実

11/21(金) 8:15配信 プレジデントオンライン


物価高が進む中、野菜の値段はこれからどうなるのか。車中泊で全国各地の農家を取材している農業ライターの鈴木雄人さんは「気候変動の影響で野菜を作れる場所と作れる時期が狭くなってきている。さらに燃料費や人件費の値上がりなどで、生産コストが上がっていて価格を上げざるを得ない」という――。

【図表をみる】令和7年1月分 キャベツ小売価格調査の結果

■「キャベツ1玉500円ショック」が起きた背景

 「キャベツ1玉500円」。このショッキングな値札は、単なる未来予測ではない。2025年1月頃、天候不順による深刻な品不足が重なり、実際に多くのスーパーマーケットの店頭でキャベツが500円を超える価格で並んだことは、多くの人の記憶に新しいはずだ。

 家計の味方であるはずの野菜が、高級品のような価格で鎮座していた。これら青果物の価格は市場の原理に基づき、「需要と供給」のバランスで決まる。2025年1月の高騰は、まさにこの供給が途絶えかけた結果だ。

 その直接的な引き金は、複合的な天候不順にある。まず、11月頃に群馬産から愛知・千葉産へと切り替わる「産地の端境期」でリレーが途切れ、供給が不安定になった。さらに、夏の猛暑で根の張りが悪くなったところに、雨不足と低温が追い打ちをかけた。全国の産地で生育が遅れ、全体として小玉となった。結果として、市場への「出荷数」そのものが激減し、価格が高騰したのだ。

 だが、私たちが「あり得ない」「一時的なものだ」と感じるこの価格は、日本だけの異常事態なのだろうか。

■世界のキャベツはもっと高い

 日本貿易振興機構(JETRO)が2024年に調査した海外の市場価格を見ると、この日本の「危機」は、すでに世界の「現実」であることがわかる。価格はターゲット層や店舗の形態によって幅があるが、500円というラインがいかに現実的かが浮かび上がる。

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ニューヨーク(米国):アッパーミドル層向け店舗では4.21ドル(約650円)だが、ローワーミドル層向けでも2.98ドル(約460円)で販売されている。

ソウル(韓国):アッパーミドル層向けで9000ウォン(約960円)という高値がつく一方、ローワーミドル層向けでも3490ウォン(約370円)と、日本の高値時に近い価格だ。

シドニー(豪州):8.80豪ドル(約890円)で並ぶ一方、アジア系スーパーでは2.80豪ドル(約280円)と価格差も大きい。

※為替レートは、2025年11月10日時点:1ドル=約154円、1ウォン=約0.107円、1豪ドル=約101円で計算
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 私たちが「高騰だ」と驚く500円という価格は、海外の主要都市ではアッパーミドル層向けの価格として、すでに「当たり前」に受け入れられていることがわかる。そして重要なのは、ローワーミドル層向けの価格でさえ、日本の「平時」の価格(150〜200円)をはるかに上回っているという事実だ。

■価格が高騰しても「農家が儲からない」ワケ

 それもそのはず、日本のキャベツの年平均卸売価格は、何十年もの間「1kg=100円前後」という驚くべき低価格で安定してきた。海外と比較しても、日本の「平時」の価格がいかに安かったかが分かる。この「安すぎた平時」と「高騰する有事」の激しいギャップが、「野菜が高いのは、農家が儲けているからだ」という誤解を生むのだ。

 しかし、私が全国の生産現場を取材する中で見る現実は、全く逆だ。野菜が高騰しても、農家の手取りは増えていない。むしろ経営は厳しくなっている。

 では、なぜこの矛盾が起きるのか。その答えこそが、農家がコントロールできない「外部コスト」である。

■真犯人?@:気候変動の常態化

 まず、消費者が「値上がりの理由」として最もイメージしやすい「天候」について触れたい。「野菜が高いのは、長雨や日照不足のせい」。この認識は、もはや古い。私が取材で全国の生産者を回る中で痛感するのは、地球温暖化による異常気象が、もはや「異常」ではなく「常態」となりつつあることだ。

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猛暑と少雨:生育不良を引き起こし、出荷量を激減させる。
暖冬:病害虫が越冬し、春以降の被害を甚大にする。
ゲリラ豪雨:畑の土壌を流し、作物を物理的に破壊する。
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 結果として、「作れる場所」「作れる時期」が日本国内で確実に狭まっている。北海道でサツマイモが作られるようになったり、これまで高原と言われていたような地域でも夏場の生産が難しくなったりと、産地はすでに北上を余儀なくされている。

■「カット野菜最大手」が創業以来初めて値上げ

 この供給不安を前提に、ついに日本の流通も変わり始めた。その象徴が、カット野菜の動きだ。最大手のサラダクラブは、2025年3月にカット野菜を創業以来、初めて値上げした。さらに、今後は需給に応じて価格を動かすダイナミックプライシング(変動料金制)の導入も検討しているという。

 「いつでも同じ価格で野菜が手に入る」ことを前提に成り立っていたビジネスモデルが、気候変動による供給の不安定化によって、維持できなくなっている。これは「いつでも安く買える」時代の終わりを告げる象徴的な動きともいえる。

■真犯人?A:「外部コスト」の上昇

 「野菜が高騰して農家は儲かっている」。これが最大の誤解である理由は、キャベツのコスト構造を見れば一目瞭然だ。

 現在は調査が打ち切られてしまい少し古いデータにはなるが、農林水産省の「品目別経営統計」によると、キャベツの生産コストは、その大半が農家の努力ではどうにもならない「外部コスト」で占められている。

----------
【キャベツのコスト構造】

?@包装荷造・運搬等料金 (28.2%)
これが最大のコストだ。内訳は、JAや市場に支払う「販売手数料」、段ボールなどの「荷造資材費」、市場や契約先に運ぶ「運送費」。

?A機械・設備関連費 (24.9%)
トラクターの燃料費や、農機具・建物の維持費。

?B主要資材費 (23.2%)
肥料費と、害虫が多いため高額になる農業薬剤費。

?C種苗・苗木費 (6.8%)
キャベツの種や苗の代金。

?D労働費(雇用労賃) (2.3%)
会計上の「雇い人件費」の割合は非常に低く見える。

?Eその他 (14.6%)
地代(賃借料)、土地改良費・水利費、税金・公的な負担金、事務用品費、通信費、会議費といった雑費など
----------

 この構造には「2つの弱点」が潜んでいる。

 1つ目が、コストの8割以上が「外部コスト」という点だ。その価格は円安、原油価格、国際情勢、物流(2024年問題)によって決まる。農家の「内部努力」では、これらのコスト上昇を吸収することが構造的に不可能である。

 2つ目が、「労働費」のコスト比率は低いが、時間はかかるという点だ。会計上の「雇用労賃」はわずか2.3%であるが、実際の労働時間は10aあたり約85時間もかかるという。そして、その労働時間の半分以上(52.6%)が「収穫・調整・出荷」という、機械化が難しく、人手に頼らざるを得ない作業に集中している。

■すべてのコストが上がっている

 この脆弱な構造は、平成29年(2017年)頃から始まった資材高騰に耐えられなかった。キャベツ農家は、全方位的なコスト上昇の直撃を受けたのだ。

 1.労働費

 「収穫」という人手作業を機械化で減らせないまま、労働単価(時給)が直撃した。最低賃金は平成19年(687円)から令和6年(1055円)へと約1.5倍に高騰。コスト比2.3%という水準では到底収まらなくなった。

 2.包装・運搬費

 キャベツ生産における最大のコストだった項目が、物価高の直撃を受けた。

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・物流費:「2024年問題」による物流費の上昇と、高止まりする燃料費が運送費を直撃。
・資材費の高騰:段ボールなどの「諸材料」の価格(令和6年物価指数で令和2年比116.9%)が包装費を直撃。
----------

 3.機械・設備・資材費

 農家の努力と無関係に、すべてのモノの値段が上がった。キャベツ専用の最新統計はないが、最新の「米」の生産コスト(農林水産省データ)を見ると、その異常な高騰ぶりが分かる。以下は、米生産における平成29年から令和6年の間のコストの上昇幅である。

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・光熱動力費(燃料など):約38.3%増加
・肥料費:約23.7%増加
・農業薬剤費:約10.1%増加
・機械価格:トラクターなどは円安や原材料高で令和2年比で10〜20%上昇。
----------

 これらはすべて、キャベツのコスト構造で「外部コスト」として大きな割合を占めていた項目である。農家の努力とは無関係に、生産コストがこれだけ強制的に引き上げられているのだ。


■価格転嫁できなければ廃業せざるを得ない

 農家は、コスト高に苦しんでいる。目の前の価格は、自ら削減しようのない「外部コスト」の爆発と、削減できなかった「内部コスト(人件費)」の同時高騰を、価格に転嫁しなければ「赤字(=廃業)」になるという、生産者(農家)の悲鳴なのだ。

 そして、この「悲鳴」こそが、市場原理のもう一つの側面を動かす。当たり前のように農家が持続できない「赤字」の価格で推移することは不可能だ。農家が赤字で経営を辞めてしまえば、市場から野菜(供給)が消え、市場の原理そのものによって、価格は否応なく上がる。

 だからこそ、市場の原理とはいいつつ、価格は高騰した「外部コスト」を反映した「再生産可能な価格」にならざるを得ないのだ。私たちが直面しているのは、この「高止まりしたコストライン」なのである。

■私たちの食卓はどうなるのか

 「野菜が高い」というニュースの裏で、私たちが直面している深刻な事実がある。キャベツ1玉500円という価格は、農家が不当に得た「利益」ではなく、先述した「爆発したすべての外部コスト(物流・資材・人件費など)」を、赤字にならないために転嫁した「再生産可能な価格」だということである。

 私たち消費者は、認識を改める必要がある。「500円が高い」のではなく、「私たちが慣れ親しんでいた150円〜200円という価格が、異常なほど安すぎた」のかもしれない、と。

 もし私たちが、この「高騰したコスト」を反映した新しい価格を「高すぎる」と拒否し続ければ、どうなるか。農家は赤字で経営を辞めていく。これこそが、日本の「食料安全保障の崩壊」の一歩といえる。

 生産者がいなくなるという最悪の未来。すなわち、市場から供給(キャベツ)そのものが消滅し、価格が500円どころではない高騰(あるいは品切れ)を招く未来を防ぐために、私たちにできることは何か。

 それは、まずこの「なぜ高いのか」という構造を理解することだ。そして、生産者が農業を継続できるよう、「再生産価格」で買い支えていくことである。それを社会全体でやらなければ、500円のキャベツは「異常」ではなく「日常」になる。その日は、もうすぐそばまで来ているのかもしれない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/824853e61d49906be9935ff830c748a051149f0a?page=3

21/11/2025(金) 11:25:13


No.43205  飯沼正晴
Re: 11月21日(金曜日) 引用
自然農法であれ、有機農法であれ、心のエネルギーを使う農法は今の農業だけでなく、時代を救うことになると思っています。

私たちは農業収入で生活していないから、さまざまなチャレンジができるのです。

みゆきちゃんも、グループラインや掲示板に積極的に情報発信してくださいね。
Iさんの動画も私はあまり見ることができないので、それも紹介してもらえたらありがたいです。

21/11/2025(金) 11:34:52


No.43201 飯沼正晴  
11月20日(木曜日) 引用
明後日の定例会、よろしくお願いします。

前回の定例会があの状態だったので、今回は1部も2部も参加費無料です。

定例会メッセージなどについてご意見や質問などもありませんが、だいたいのところは理解してもらえているのかな?
「指導霊になったつもり」というのは、とても重要なことのようですよ。

話は変わって、私の足の腫れや痛みはほとんど治っていますが、最近は夜になると軽い喘息が出ています。
昨夜は2時過ぎまで眠れず、軽く咳き込みが続いていました。
今はほとんど問題ないですが。

昨夜は妙にリアリティのある夢を見たのでメモしておきます。
意味があるのかどうかは分かりませんが。

私はどこかから親の家に帰省しています。
何となく居心地が悪くて、また出掛ける準備をしています。
母親は私の居心地の悪さに全く関心を示しませんが、私がまた出かけることに不機嫌そうです。
親戚のオジサンが来て、この時期に出かけてはいけないと説教するのですが、私は聞き入れずに家を出ます。
行先は「出雲」のようです。

そこへは以前に行った記憶があって、薄暗い道を歩き始めています。
夕暮れ時というよりも境涯の暗さのようでした。

すぐに人家のない道になって、あたり一面が水たまりになっています。
土の地面の水たまりに足をつけて歩く感じがとてもリアルで、私はそのベチョッとした不快感に小さく声を出しながら歩いています。

歩き始めた頃は同じ方向に進む人たちがかなりいて、私はその人たちのあとをついていけばいいと思っていたのですが、いつの間にか人の姿はなくなっています。
私はどの方向に進んでいいのか、おぼろげな記憶を頼りに確信が持てないままに歩いていきます。

水溜まりエリアを抜けると山道に入りました。
ところどころ山が崩れていて、道が埋まってしまっています。
全体の風景は何となく見覚えがある気がして、この方向に歩いていこうと決めました。

そういう感じでけっこう難儀しながら歩いていくと、平らな土地にある小さな集落に行きつきます。
すっかり夜になっていて、今日はもうこれ以上は進めないと思って、どうしたものかと思っていたら、バスが一台停まっています。
「トトロ」に出てくるような古い、小さなバスでした。
バスにはドライバー以外は誰も乗っていなくて、年配のドライバーが出雲地方の方言で、「このバスは向こうから来たところで、もうすぐまた向こうに戻るから、あんたが乗っていけばいい」と言ってくれました。

私は、こんなラッキーなことがあるんだと喜びながら、暖かいバスの中で外の景色を眺めながら心身を休めています。
乗客は私一人です。
どれぐらい走ったのか、バスはその路線の終点に着いて、私はバスを降ります。
とても小さな集落ですが、どうやらそこが「出雲」のようでもあります。

少し離れたところに小さな切符売り場のようなものがあって、東京の山手線の駅(駅名が思い出せません)に行く路線がありました。
あんなバスが東京に行くんだと、笑いそうになりました。
私はそこからどこに行くのか分かっていないのですが、「こんなところから東京への直通バスがあるのなら、他のところに行くバスもあるんじゃないか。うまく乗り継げば知人・友人たちがいるところに行けそうだ」と思って、自分の行くべきところも含めて考えていました。

というような夢でした。

20/11/2025(木) 12:03:43


No.43202  さき
Re: 11月20日(木曜日) 引用
定例会よろしくお願いします。

すみません、実習のなかの
>各チャクラを経由して、足の裏に抜けるエネルギーを、会陰のチャクラから順に回収しながら、また頭頂から注ぎます。<

会陰のチャクラから順に回収しながら、、
という部分を補足いただけないでしょうか。
通したエネルギーを循環させるイメージでしょうか?

20/11/2025(木) 18:09:22

No.43203  飯沼正晴
Re: 11月20日(木曜日) 引用
さきさん、

>会陰のチャクラから順に回収しながら、、
という部分を補足いただけないでしょうか。
通したエネルギーを循環させるイメージでしょうか?<

はい。
循環させるイメージでいいと思います。
細かくいえばもっといろいろあるのでしょうが。

20/11/2025(木) 22:50:46


No.43199 飯沼正晴  
11月19日(水曜日) 引用
☆☆ 2025年 11月定例会のお知らせ ☆☆ 

日時 11月22日(土曜日)

第1部 癒しの講座・ヒーリングの実習

午後2時から5時ごろ
参加費・無料
        
第2部 「懇親会」 
午後5時半ごろからお時間の許す限り
参加費・無料

☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。
。。。。。。。。。。

2025年11月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

今年最後の定例会になります。
今回は、「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」を振り返ることがテーマです。

もちろん完璧にそうできている人はいないでしょうが、この1年で自分がどれぐらい向上進化できたのかを辿りなおしてください。
そしてそうできたところを喜び、さらに自分の日々の生き方に定着させてください。

まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?
できるだけ実際的・具体的に思いをめぐらせて、自分自身で指針を確立していただきたいのです。

「自分の利益・都合や自分の気持ちを軸にする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方への移行」は、地上人類の霊性進化のテーマそのものです。
特にその先駆けとして雛型成就を担う皆さんがたには、その方向性の中で日々を生きるかどうかが、幸せ・不幸せなども含めた自分自身の地上人生のありようを造っていくことになるのです。

言い換えれば、「自分の利益・都合や喜びではない自分の気持ちを軸にした生き方」は幽界・暗黒界の生き方であり、「他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方。それを自分の喜びにする生き方」は光の霊界における生き方です。
幽界や暗黒界とつながっていれば、幽界や暗黒界の現実が自分自身の現実になるのですし、光の霊界とつながっていれば、光の霊界の現実が自分自身の現実になるのです。

今までも何度もお伝えしてきたことですが、後になって「まさかこんなことになるとは思っていなかった」ということになりませぬよう、この機会に改めてお伝えしておきます。

そしてこれも何度もお伝えしてきましたが、地上的死の意味・地上人生の意味を学んできた者としての死生観を揺るぎなく確立していただきたいのです。
死は生きる次元の移行にすぎず、愛情があればいずれは必ず再会の喜びに満たされるのです。

地上の人間として、愛情でつながっているのなら地上で共に生きることを喜びとするのは当然のことですが、それは死を否定することとは意味が違います。
死の意味を知っている者にとって、近親者の死に対して嘆きの状態に埋没することは、地上を離れた相手のことよりも自分の気持ちを優先的な軸にしていることになるのです。

地上人類は死の意味を真理・真実に基づいて理解する時期を迎えています。
そうできるかどうかも、自分自身を含む地上人類の「現実」を造る重要な要素になるのです。

5月定例会のメッセージも踏まえて、今回はこのテーマで皆さんに話していただきます。
定例会で話した人も話さなかった人も、必ず掲示板に書いてください。
まだ少し日にちがありますので、真摯にじっくりと辿りなおしてくださいね。
そして話の最後は自己否定にならないように、必ず自分自身の向上進化に向けての希望や意志表明の喜びに帰結させてください。


【実習】

二人一組になります。
相手の頭頂から「無条件の祝福と感謝」のエネルギーを注ぎます。
今回は自分がその人の指導霊になったつもりで、人間としての意識・感情を超えたエネルギーを注いでください。
(指導霊については飯沼から説明します)

各チャクラを経由して、足の裏に抜けるエネルギーを、会陰のチャクラから順に回収しながら、また頭頂から注ぎます。

次に、相手を「自分が素直に無条件の祝福と感謝のエネルギーを注ぎにくい人(違和感を持っている人)」だと思って、その人の指導霊になったつもりでエネルギーを注ぎ込みます。

立場を入れ替えて、同じエネルギーを注ぎます。

相手を替えながら、同じ作業を続けてください。

なお、今回の懇親会は特に楽しく盛り上がってくださいね。
もちろん、さまざまな思いを吐き出すことも必要ですが。

19/11/2025(水) 10:36:40


No.43200  飯沼正晴
Re: 11月19日(水曜日) 引用
当日できるだけ実習の時間も確保したいので、指導霊についてここに書いておきます。

指導霊になったつもりでといわれると、「自分はとても無理だ」と思う人もいるかもしれません。
でも大丈夫です。

指導霊は守護霊とは違った存在です。
守護霊は自分よりもかなり霊格が高く、自分が霊界に戻ってからも会える存在ではありません。
霊界では通常は同じぐらいの霊性・霊格の高さ(同じぐらいの学びの段階)の霊たちが境涯を形成して生きています。
何らかの必要があれば、高い次元に生きる霊が低い次元の境涯に赴く場合はあるようです。
そういう場合でも、高い次元で生きる霊が自分の波長を落として赴くことが多いようです。

なのでごく稀には自分の守護霊の姿を見る場合もあるようですが、その姿を明確に見ることはできず、せいぜい白い光のように見える程度のようです。

このように、自分が霊界に戻って本来の霊性で生きるようになっても、守護霊と自分の霊格・霊性はかなり掛け離れている。
守護霊の波動が自分よりもはるかに精妙なのです。
つまり直接的にはつながることはできないということです。
守護霊は人間(その人)にとっての神のような存在です。(もちろん守護霊も神とはほど遠い存在ですが)

しかし指導霊はそうではありません。
指導霊は複数・グループで構成されていますが、守護霊よりもかなり霊性・霊格が低く、指導の対象になる人間ともつながることのできる波動・境涯の存在です。

おそらくは指導霊グループの中に野球の監督のようなリーダーがいて、さまざまなコーチ役の指導霊がいるのだと思います。
指導霊の霊性・霊格はまちまちです。
もちろん指導霊グループのリーダー(たち)は、指導対象者の守護霊とコンタクトをとっているはずです。

しかし指導霊はその時その時の状況やテーマに合わせて、追加参加する場合もあるようです。
場合によれば、霊界での学びがそれほど進んでいない霊が呼ばれて参加することもあるでしょう。
その時のテーマにもよりますが、指導対象者と波動的に近い方が影響を与えやすい場合が多いのです。

その意味では、幽界や暗黒界の者たちが指導霊グループに参加することは絶対にありませんが、場合によれば霊界に戻ってまださほど学びを重ねていない霊が指導霊に加わることもあります。
その場合は、いわば臨時コーチとして特定のテーマについてのみ指導する場合もあれば、新米コーチとして働く中で自らの学びも進めていくケースもあるようです。

つまり、自分の利益・都合や自分なりの感情を解消・昇華できた霊であれば、必要に応じて指導霊として対象者の向上進化の手助けができるのです。
対象者が何らかの過ちを犯している状態でも、それに心を陰らせることなく、その過ちも向上進化の過程であるという認識を揺るがせることなく、今この時を向上進化の喜びとして地上的に顕現できるように導きのエネルギーを注ぐのです。

地上の人間であっても、対象者にエネルギーを注ぐときに一時的にでも自分の利益・都合や自分なりの感情を解消・昇華すれば、霊界の指導霊よりもストレートに作用できるのです。
たとえ一時的にであっても、その境地につながり、その境地を心で感じることは、自分自身の大きな喜びになるでしょうし、向上進化の喜びのエネルギーを実感する機会にもなるでしょう。

19/11/2025(水) 14:11:13


No.43195 飯沼正晴  
11月18日(火曜日) 引用
    ☆☆ 愛は時空を超えて 249 ☆☆
    
       ―― 霊界の克との対話  ――

飯)こんにちは。
いつもお世話になっています。

克)はい、こんにちは。

飯)そちらから勧めてもらったので、今月の初めにまた山陰の宿に籠ってきた。
「無条件の祝福と感謝」というテーマは分かっているのだが、やはり今回もその境地につながることはできなかった。頭では分かったのだが、心というか感覚というかエネルギー的にそこにつながるのはまだ無理だと思って、三泊で帰ってきた。今回はつながるまで滞在しようかと思っていたのだけどね。海辺の綺麗な旅館で源泉かけ流しなのに素泊まりはびっくりするほど格安なので、時期を見てまた籠りに行こうと思っています。

克)はい。今回は澱の排出が進んだということで良かったのです。特にこの数か月間、あなたは自分で感じている以上のストレスにさらされていました。蜂窩織炎もストレスによって免疫力が低下したからに他なりません。
「無条件の祝福と感謝」ということは分かっていても、やはり生身の人間としての陰りの思いが生じ続けていました。

飯)そういう状態だったと思う。あと一歩か二歩で風穴が開くと思っていたのに、この時期にこんなにも低レベルな過ちやあまりにも自分なり過ぎる仲間の状態が明らかになって、冷や水を浴びせられたような気持ちになってしまっていた。悠々塾の学びのテーマを踏みにじり、掲示板などで繰り返し伝えていたことが全く無視されていたことに驚き、「今まで自分は何をしてきたのだろう」という気持ちにさえなってしまった。仲間の皆さんも意欲を削がれたようで、掲示板への書き込みもほとんどない状態が続いている。

克)仲間の皆さんの意欲を削がれたという面はあるでしょうが、それよりも今は掲示板などにどんどん書き込める雰囲気ではありませんね。もちろんこの状況を受けとめかねているのも事実です。驚きもしていますし、ガッカリもしています。その意味では大きな戸惑いが広がっている状況ではあります。陰りや自分の気持ち優先の今の地上界にエネルギー的な風穴を開けることの難しさも痛感しているでしょう。

しかし、だからといって仲間の皆さんの意欲が減退してしまっているわけではないと思いますよ。
見せかけの裏の深い陰りやあまりにも自分なりの気持ち優先の様子を目の当たりにして、重い気持ちの中ではあっても、「自分にもそういう面があるのではないか?」と自分を振り返っている人も少なくないのです。
あるいは多少はウンザリしながらも、その人の本来の心を信じてエネルギーを送っている人が多いのです。無条件の祝福と感謝という心に近づいているともいえるのですよ。

仲間の皆さんの多くは日々の暮らしを軸にする一方で、「今のままでは地上界は大変なことになってしまう。地上人類は、我よしを卒業して、共生の喜びに生きる時期を迎えている」ことを知っています。それぞれの魂の傾向や学びの段階は違っていても、雛型成就のプロジェクトに参画することが魂の意志であるから仲間としてつながっているのです。

ですから悠々塾の働きとしては停滞状態といえるかもしれませんが、そういう中でも仲間の皆さんはそれぞれが雛型成就のスタッフとして向上進化を続けているのです。たとえそれが顕在化していなくても、あなたは誰よりもそれを信じなければなりません。それでこそ地上人類の霊性進化の雛型成就のプロジェクトのリーダーなのです。

飯)分かりましたというか、そのつもりでいるんだけどね。
そうは言いながらも、今月の定例会は参加者が少ないかもしれないと思っていた。でもそれは仲間を信用していないのではなく、今回もこういう状況のなかでの定例会になることへの申し訳なさだったと思う。実際にはほとんど今まで通りの参加者になりそうだし、遠方から参加してくれる仲間もいて感激しています。

克)はい。
魂の意志でつながった仲間の皆さんに感謝ですね。

飯)はい。
感謝はもちろんだが、この時期にこんなことで停滞させてしまって申し訳なく思います。
しかし、それでも私たちはもちろんのこと、全ては向上進化の喜びの中にあることも確信している。

そちらから伝えられたのか僕が思いついたのかは忘れたが、以前に芝居の話の喩えがあった。
芝居の出演者にはいろいろな役柄がある。中には悪役もいれば、物分かりの悪い頑固者もいるかもしれない。
それらを含めて、舞台はシナリオに沿って展開していく。
舞台は無数にあって、それぞれの芝居の内容は違っているが、それら全てが向上進化の喜びがテーマになっている。

今の地上界では、一つ一つの舞台のシナリオが分かりやすい向上進化の喜びを表現できる段階ではない。むしろほとんどの舞台では、向上進化の喜びとは懸け離れた諍いや欲得や不調和などが演じられている。

出演者たちはその芝居にのめり込んで、本気になってすったもんだしてしまい、その芝居をなかなか向上進化の喜びに切り替えられないでいる。テーマが向上進化の喜びであることを知っていても、なかなかそうはできない。

共演者がどんな役を演じていても、悪役・敵役を演じている共演者にこそ、無条件の祝福と感謝の心を向けることで舞台の展開が変わると知っていても、自分自身の感情と折り合わず、ぎこちない思いになってしまう。共感を持ちにくい共演者、違和感や反感を持たざるを得ないような共演者に対して、無条件の祝福と感謝の心を向けることは容易なことではない。
そしてその違和感や反感が、舞台という場・その芝居のエネルギーをさらに歪めてしまう。

と、まあこんな感じなのだと思う。

しかし舞台監督や演出家はシナリオをしっかりと把握している。
実際には出演者が本来のシナリオから懸け離れた自分なりの演技をしてしまうことが多いのだろうし、他の共演者もそれに引きずられてしまう場合が多い。出演者たちのほとんどはシナリオも明確に把握できていないのだから。

でも優秀な舞台監督や演出家はそこで自分個人の感情に左右されず、出演者の指導をしながら、芝居のテーマを維持・向上させようとするのだろう。

そして、難しいことが分かっているのに、この芝居に出演してくれている人たちへの無条件の祝福と感謝をベースにして、家に帰ってからもそれを忘れずに出演者の皆にその心を向けて、そのエネルギーを注ぐのだろう。シナリオを無視して醜悪下劣なアドリブを連発するどんな大根役者でも、代役はいない。出演者として舞台に上がってくれていること自体がありがたいことなのだ。

舞台監督・演出家として、時には強く指摘して指導する(気づきを促す)必要がある場合もあるし、実際には自分も出演しているのだから、自分個人の感情に左右されずに無条件の祝福と感謝の心やエネルギーを維持・向上させることはとても難しいことだ。でも本当は、どんな出演者でも、あるいはどんな舞台でも、いずれはシナリオのテーマに沿った「向上進化の喜び」に組み込まれ、融合していくのだ。というよりも、舞台の現状がどうであっても、それも含めて全ては最初から「向上進化の喜び」の中にあるのだ。

今の状態が本来のテーマといかに懸け離れていても、アオムシが成長してモンシロチョウに羽化するように、似ても似つかない現状の深部にすでに本来の道筋は設定されているのだ。葉っぱの裏に産み付けられた小さな卵が、変態を繰り返しながらモンシロチョウとして宙を飛び回るように、最初の最初からすでに本来の道筋は設定されているのだ。

それは自分がそう思うかどうか、そう信じるかどうかなどでなく、全てが向上進化の喜びに組み込まれているということは摂理であり、真理であるのだ。自分がどこまで理解できているか、自分の意識をどこまで広げることができるかという、自分自身の課題・問題であるのだと思う。

喩えが適切ではないかも知れないが、何が言いたいかは分かってもらえると思う。
つまり、同じ舞台の共演者としての意識のままであれば、誰かがあまりにひどい様子を呈している時に、ネガティブな(喜びではない)自分の感情も湧いてくる。
そしてその感情を抑えることや薄くすることに多大なエネルギーを要してしまう。
陰りのエネルギーや混乱にうんざりして、自分もその芝居の出演者であるのに、自分の役割から心を離してしまうことにもなりかねない。

そういう葛藤にエネルギーを費やするよりも、自分の意識のスケールを広げて、優秀な舞台監督や演出家の要素を獲得する方が自分自身の向上進化にもつながるし、実は合理的だと思う。
そういうスタッフが複数名いれば、その舞台のエネルギー場にも作用して、場のエネルギーの底上げにもなるはずだ。

そしてエネルギー場が変われば、半ば自動的にその場における現実も変化していく。
場のエネルギーは、本来のシナリオを忘れて自分勝手・自分なりの見苦しい演技をしている共演者にも作用するに違いない。
もしもすぐにはそうならなくても、もしもこの芝居の中ではそうならなくても、いずれは必ずそうなるのだ。

というような感じで、アタマでは分かってきた気がしている。まだまだ理解の途中なので、うまく文章にはできていないが。

克)はい。
今はこういう理解でよろしいと思います。
しかしそのスケールのエネルギーを使いこなしていくためには、さらなる意識の解放とトレーニングを要します。
これからも節目節目で日常を離れて、どこかに籠ることをお勧めしておきます。

そのスケールのエネルギーは人間のみならず、農作物をはじめとするあらゆる生命、あらゆる現実に作用します。

まずはあなた自身が「今まで通り」から自分を解放することです。
このスケールの意識・エネルギーを自分のベースにして使いこなし、仲間たちにダウンロードできるようになってください。
エネルギー場が変われば、現実も必ず変わるのです。

あなたが言う「舞台」というエネルギー場に、本当の意味での無条件の祝福と感謝のエネルギーが注ぎ込まれ、それがベースになってきた時の「現実の変化」はあなた方の想像をはるかに超えたものになるはずです。

しかし、いつもお伝えしているように、地上でのことが全てではありません。
地上は極めて限定的な境涯です。

ですからその真実を踏まえ、地上での現実がいかなるものであろうとも、自他の向上進化にとって必要なものであるからこそその現実がもたらされていることを肝に銘じてください。全ては向上進化の過程であり、いかなる現実も向上進化の喜びに包摂されているのです。あらゆる生命・あらゆる事象に対し、分け隔てのない無条件の祝福と感謝のエネルギーを注ぐことで、自他の向上進化が促されるということです。

もちろん向上進化に向けてその次元での働きかけも必要ですが、そういう場合でも無条件の祝福と感謝の意識・エネルギーを揺るぎないベースにできていれば、その効果は飛躍的に増大するのです。
繰り返しますが、エネルギー場が現実を造るのですから。

そもそも「分け隔てのない無条件の祝福と感謝のエネルギー」は、今の地上のレベルをはるかに超えた愛のエネルギーです。
地上の人間ならではの「地上に生きる自分としての感情」をはるかに超えた、高次の愛のエネルギーです。それを自分や場のエネルギーのベースにすることで、地上的制約を超えた健やかなる喜びが現実化していくことになるのです。

今の悠々塾でその意識・エネルギーにつながる準備ができているのは、やはりあなた(飯沼)でしょう。
無条件の祝福と感謝の意識・エネルギーは、地上的な相対的なものではなく、向上進化の喜びとセットになった絶対的な摂理のエネルギーです。あなたといえども決して容易くはないでしょうが、本気になれば必ずつながることができますし、その意識・エネルギーをベースにしていけるはずです。あなた自身がそこに向かいながら、仲間の皆さんにダウンロードしていけばよいのです。

お互いに未完成・不十分ではあっても、方向性はすでに共有できているのですから、それなりにでも作用していくのです。Bさん・さきさんと共に、積極的にダウンロードを再開していただきたいのです。

これも繰り返しになりますが、あなたは費用のことなどに気を遣わずに、その意識・エネルギーにしっかりつながるために日常を離れる機会を増やす必要があります。地上的制約を超える意識・エネルギーを獲得するのに、地上的制約に囚われているのは自己矛盾であり、それでは地上的制約を超えることは難しいでしょう。


飯)分かりました。
どうしても日常を離れなければその意識・エネルギーにつながれないとも思わないが、自分の中の地上的制約は解消・解放していきます。

克)はい。動機に制約を含めないようにという意味です。
それとあなたも地上の人間ですから感情の陰りも生じます。その陰りの感情を抑え込むことは健やかなことではありません。それよりもむしろどこかでぶちまける方がマシです。あるいは楽しく気晴らしをするとかの方が良いのです。
でも、ずっと海を見ていたり、ゆったりと温泉に浸かって、感情の澱を解消・昇華できれば、その方がテーマの意識・エネルギーにつながりやすいのは当然でしょう。

飯)はい。改めてよく分かりました。
今回は僕の文章化がイマイチだし、受信も不安定だったと思う。
でも長くなったし、ここまでにしたいと思います。

克)はい。
この数か月間、いろいろと本当にお疲れさまでした。
ようやくこちらの意図するところに着地できそうですね。

この機会をもたらしてくれたお二人にも感謝申し上げます。
これからどうしていくかは、本人次第ということになりますが、それでよろしいのです。
仲間の皆さんがたは、くれぐれも自分の感情に引きずられないようにお願いします。
それは誰のためにもなりません。

この数か月間のことがなければ、あなたもここまでのリアリティを以ってこの気づきを得られなかったでしょう。

全ては地上人類の霊性進化の雛型成就というプロジェクトのシナリオ通りに進んでいます。
皆さんもさらに意識を高めて、自分の利益・都合や自分なりの気持ちを軸にする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先する生き方に移行してくださいますように。
それが死後の喜びのみならず、地上人生における幸せを実感できる唯一絶対の方法であると、私は断言いたします。

飯)分かりました。ありがとう!

(2025・11・17)

18/11/2025(火) 11:06:54


No.43196  飯沼正晴
Re: 11月18日(火曜日) 引用
「愛は時空を超えて 249」、アップしておきます。

何だかやけに長いですね。
頑張って読んで感想などもよろしくお願いします。

文章として組み込めなかったのですが、受信中に、

「新しい地上界に全ての人間が残れる(再登場できる)わけではありません。むしろ今のままではかなり少数の人しか、新しい地上の残ることができないでしょう。
新しい地上界よりも進化が遅れている天体に送られることも含めて、全てが向上進化の喜びの中ではあります。
しかし、自分という個霊が類魂から分離されて、馴染みのない天体・境涯で生き直す・学び直すことを喜びに思える者はいないでしょう。

あなた方はそういう雛型も担っていることを改めて肝に銘じで、悠々塾を通じて提示しているテーマを喜びの中でクリアしてくださいますように。
その正念場を迎えている仲間がいることをお伝えせずにはいられません」

と、意識で伝えられ続けていました。

18/11/2025(火) 11:37:35

No.43197  飯沼正晴
Re: 11月18日(火曜日) 引用
昨日に受信・筆記して、ざっと読みなおしただけでアップしたので、改めて読みなおして何カ所か手直ししました。

感想やご意見、よろしくお願いします。

18/11/2025(火) 13:55:45

No.43198  さき
Re: 11月18日(火曜日) 引用
ぬまさん
愛は時空を越えて、ありがとうございます。
蜂窩織炎はだいじょうぶでしょうか。
本当にお疲れ様です。ありがとうございます。

うんざりして、心が萎え、意欲が削がれる
切り替えようと思っても思っても、そこでエネルギーを使っています。昨日はやっと一区切りと切り替えようと思った矢先のあまりの言動に我慢できず、自分の感情、怒りをぶつけてしまいました。
そうじゃないとやってられない!生身の自分がいます。

>そういう葛藤にエネルギーを費やするよりも、自分の意識のスケールを広げて、優秀な舞台監督や演出家の要素を獲得する方が自分自身の向上進化にもつながるし、実は合理的だと思う。<

至言です。
後追いではなく、エネルギー場を変える、ということでもありますね。
全然遠いですが、向かう方向はわかります。
どれほど困難なことかも実感しています。

>重い気持ちの中ではあっても、「自分にもそういう面があるのではないか?」と自分を振り返っている人も少なくないのです。あるいは多少はウンザリしながらも、その人の本来の心を信じてエネルギーを送っている人が多いのです。
無条件の祝福と感謝という心に近づいているともいえるのですよ。<

みなさんに会いたいです。
定例会よろしくお願いいたします!


PS
>これからどうしていくかは、本人次第ということになりますが、それでよろしいのです。
仲間の皆さんがたは、くれぐれも自分の感情に引きずられないようにお願いします。それは誰のためにもなりません。<

重いです。

18/11/2025(火) 22:16:40


No.43192 Bさん  
11月17日 月曜日 引用
とても受け入れ難く悲しいことですが、それが実態ならば仕方がないことです。
普通で考えれば、とんでもないことをしたと、自分の愚かさを恥じて当たり前のところ、それすらもできないなんて、なんと悲しい哀れなことでしょう。
「いい人」という虚構を追い求める、なんとも実感のない寂しい悲しい人生だなと思います。

といっても、私がそんなに人のことをとやかく言える人間かというと、いまこの世に生きる人々と同じように、過去にカルマを持ち、重ねてしまった過ちをこの世で償うために生まれてきた人間です。
自分はそんな馬鹿なことはしない、幽界とは無縁だと思ったところで、私たちは足の指先のほんの少しでも幽界とつながりながら、日々を生きているのだと思います。まったくの完璧な人などいないのですから、幽界と隣り合わせの私たちです。
 
この半年ほど、許しがたい他者の姿を見聞きする度に、愚かにも自分の思いばかりに陥っていた己の姿を思い出しました。
決して他人事でない、大なり小なり身に覚えがある自分中心の姿が過ぎります。

克子さんが示されているように、自分の愚かさを身をもって感じることができない人に、呆れ果てる思いを超えて、どんなに醜い姿を目にしても、それでもいてくれてありがとう、学ばせてもらっていますの思いと、またそれ以上の慈愛の思いをもって、無条件の感謝と祝福という愛を注ぎ続けるしかないのでしょう。
それも己自身の贖罪になるのかもしれませんね。
なんせこの世のみんなは脛に傷持つ身なのですから。

相手を思う気持ちは、思って貰える以上に大切なものなのでしょう。
きっとその人は自分の内にある本当の愛に触れたことがない、いま漸く目覚めの機会を得たのかもしれません。
内に秘められた本当の愛にその人が目覚めるまで、いままで以上に愛、慈愛を持って接することの大切さを、いままさに私たちは学ばせてもらっているのだと思います。

どうあろうと自分の思いを超えて、どこまでも愛をもって生きていくこと、それがどれほど大切で、いまの私たちに必要不可欠なことなのだと、きっちりとこの機会に学びきるように計らわれたこの数ヶ月だったのだと思います。
重苦しく息苦しい日々でしたが、決して無駄にせず、前を向いて進んでいきたいと思います。

今年もいろいろなことがありましたよね。
今年最後の定例会、皆さんと出会える喜びの定例会となりますよう、みんなの幸せを願っています。

17/11/2025(月) 16:53:07


No.43193  ゆみっぺ
Re: 11月17日 月曜日 引用
こんばんは。

私はその人に会ったこともないし、
全く知らないのですが、
一連のやり取りを読んでいて、
正直ウンザリしています。
そのせいか?ある人の命を何とか
したい!と思ったほどの熱量は
自分の中にありません。
私も、まだまだということです。

しかし、必死に働きかけたくれる人がいて、
きっとその人は、働きかけている人の
ことが大好きで、その人の本当を知っているから、
仲間として、何とかと思っているんだと思う。

そんな人は、とっても貴重で
世界中みても、余りいない気がする。

そんなところに繋がれて幸せだと思うし、
だからこそ、自分も、しゃんとしないと
ならないと思う。

まだまだですが、何とかしたいです。

17/11/2025(月) 18:58:23

No.43194  みやっち
Re: 11月17日 月曜日 引用
悠々塾で今後も学んでいこうと思うのであればもう少し真剣に向き合うはずなのにそう出来ない、やろうとしない。
まさにスピード違反の例の通りなのだろうと変に納得しています。
なかなか普通では有り得ない事だと思いますが。
立場が弱い相手〜〜の話は聞いていて本当に心が痛みます。
どんな状況であろうとも絶対に諦めずに、自分をしっかりと点検して心をかげらさずに、相手のかげりを光に変えられるように全力でエネルギーを送り、気持ちを向けていきたいと思います。

17/11/2025(月) 20:48:32


No.43190 さき  
11月15日、土曜日 引用
定例会のメッセージありがとうございます。
よろしくお願いいたします。

投稿しようと思っては、なかなかできず。。
ぬまさん、ラインでの祐造さんへの働きかけありがとうございます。
見捨てずにいて下さってありがとうございます。
涙がでます。

エネルギーを送って下さっている皆様も本当にありがとうございます。
私が頑張らないとって思うのですが、心が萎えそうになることの連続で、、
祐造さん一人くらい癒すことができなくて、何が風穴をあけるだ、というみやっちさんの言葉に救われています。
皆さん本当にありがとう!!

影響されてる場合じゃない。
何度でも切り替えます。

ちいさんが最初に提示してくれたこと
幽界を実感できた
そこに光を届けられてこそ風穴をあけられる
ということをしっかり意識にいれて
この一年を辿りなおします。

今年最後の定例会
>最後は自己否定にならないように、必ず自分自身の向上進化に向けての希望や意志表明の喜びに帰結させてください<

そう出来るようにします。

エーちゃんが書いて下さってたやすこさんの言葉

>雛形って、その最初の喜びの変化を強く求めるエネルギーでもあるんだなと思います。<

まさに、そうだと思いました。
シンプルにそういうエネルギーを発したいです。

いてくれて嬉しいんです
いてくれてありがとう、なんです。
無条件の感謝と祝福
につながりたいです

15/11/2025(土) 10:31:12


No.43191  飯沼正晴
Re: 11月15日、土曜日 引用
さきさん、ほんとにお疲れさまです。

この時期にこういうことになることに驚きですが、やはり雛型成就に向けての大きな意味があるのだと思います。

本人が「悠々塾で学んでいきたい」といっているので、主宰者として気づきに向けた働きかけを続けています。

しんどくなったり意欲を削がれたりもしますが、それはやはり自分の未熟さであると思っています。

お蔭でというべきか、無条件の祝福と感謝の意識・エネルギーにリアリティをもってつながりかけているような気もしています。
アタマではすでに分かっているのですが、自分の感情という夾雑物があって、なかなかすんなりとはいきませんが。

15/11/2025(土) 16:18:28


No.43185 飯沼正晴  
11月10日(月曜日) 引用
2025年11月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

今年最後の定例会になります。

今回は、「今年の自分は、自分の利益・都合や自分の気持ちを軸とする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方をしてきたかどうか? それを自分自身の喜びにしてきたかどうか?」を振り返ることがテーマです。
もちろん完璧にそうできている人はいないでしょうが、この1年で自分がどれぐらい向上進化できたのかを辿りなおしてください。
そしてそうできたところを喜び、さらに自分の日々の生き方に定着させてください。

まだ自分の利益・都合や自分の気持ちが軸になっている部分については、どのように意識・認識・思い方・言動を変えていこうとするのか?
できるだけ実際的・具体的に思いをめぐらせて、自分自身で指針を確立していただきたいのです。

「自分の利益・都合や自分の気持ちを軸にする生き方を卒業して、他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方への移行」は、地上人類の霊性進化のテーマそのものです。
特にその先駆けとして雛型成就を担う皆さんがたには、その方向性の中で日々を生きるかどうかが、幸せ・不幸せなども含めた自分自身の地上人生のありようを造っていくことになるのです。

言い換えれば、「自分の利益・都合や喜びではない自分の気持ちを軸にした生き方」は幽界・暗黒界の生き方であり、「他者・皆に喜びをもたらすことを優先的な軸にする生き方。それを自分の喜びにする生き方」は光の霊界における生き方です。
幽界や暗黒界とつながっていれば、幽界や暗黒界の現実が自分自身の現実になるのですし、光の霊界とつながっていれば、光の霊界の現実が自分自身の現実になるのです。

今までも何度もお伝えしてきたことですが、後になって「まさかこんなことになるとは思っていなかった」ということになりませぬよう、この機会に改めてお伝えしておきます。

そしてこれも何度もお伝えしてきましたが、地上的死の意味・地上人生の意味を学んできた者としての死生観を揺るぎなく確立していただきたいのです。
死は生きる次元の移行にすぎず、愛情があればいずれは必ず再会の喜びに満たされるのです。

地上の人間として、愛情でつながっているのなら地上で共に生きることを喜びとするのは当然のことですが、それは死を否定することとは意味が違います。
死の意味を知っている者にとって、近親者の死に対して嘆きの状態に埋没することは、地上を離れた相手のことよりも自分の気持ちを優先的な軸にしていることになるのです。

地上人類は死の意味を真理・真実に基づいて理解する時期を迎えています。
そうできるかどうかも、自分自身を含む地上人類の「現実」を造る重要な要素になるのです。

5月定例会のメッセージも踏まえて、今回はこのテーマで皆さんに話していただきます。
定例会で話した人も話さなかった人も、必ず掲示板に書いてください。
まだ少し日にちがありますので、真摯にじっくりと辿りなおしてくださいね。
そして話の最後は自己否定にならないように、必ず自分自身の向上進化に向けての希望や意志表明の喜びに帰結させてください。

【実習については後日にお伝えいたします】

10/11/2025(月) 00:23:34


No.43186  飯沼正晴
Re: 11月10日(月曜日) 引用



2025年5月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

いつもお伝えしているように、地球という巨大な生命体を神の御心に沿った喜びの星に進化させるために、地上人類が登場しました。
もちろんそれは容易に成されるものではありません。

個々人にしてもさまざまなことによって心を陰らせたまま地上を離れ、霊界側の手助けを受けてようやく全てを喜びとして認識しなおすことができて、本来の霊界に戻ることが通常の死後の作業になっています。

それすらもできず、暗黒界や幽界という境涯を形成し、今も死後そこに堕ちていく者たちが少なくないのです。
さらに今の地上界は本来の霊界よりも暗黒界や幽界の影響下にあり、霊としての輝きよりも自分に喜びを集めようとする「我よし」の場になっています。
金銭・物質も心や気持ちも自分の喜びを軸にして、相手や誰かや皆の喜びを無視・軽視することがすなわち「我よし」なのです。

改めて今までの自分、今の自分を真摯に振り返っていただきたいと思います。
皆が皆のさらなる喜び・向上進化の喜びのために、自分を役立てていくことを喜びとする霊界の生き方に照らして、自分自身のありようを振り返っていただきたいのです。

今の地上界の状況も地球という星の進化のプログラムに沿ったものではありますが、この状況のなかで地上人類が気づき、今の地上界を共生の喜びの場に造り替えようとしないのであれば、それも地上人類自身の選択として次なるプログラムが実行に移されることになるのです。
言うまでもなく、その大破綻は比較的善良に生きている人々にも降りかかってきます。

悠々塾につながる皆さん方は、このような状況のなかで「喜びベース」を確立し、地上界にエネルギー的な風穴を開けることを今回の人生の目的にしています。
人類登場以来ずっと形成されてきた想念帯を突き破らねばならず、もちろん自分自身もその想念帯の一部になっているのですから容易な作業ではありませんが、それが魂の意志であるのです。

その前段階として、自分の利益・都合や自分の思い・気持ちを優先する段階を卒業することが求められています。
さらに、「もたらされることの全てが、さらなる喜びに向けての踏み台であり、向上進化の喜びである」ということ。
「いかなる状態・いかなる事態であっても、いわば産みの苦しみであり、必ずさらなる喜びがもたらされる」ということを肝に銘じていただきたいのです。

今回の地上人生は過去世のカルマの贖い・償いの要素が大きく、いわば再試験・再チャレンジですから、過去世で自他の喜びにできなかった事柄がもたらされるのは当然です。
しかし、以前の地上人生を終えたあと、霊界側の手助けを受けながら自分の人生を辿りなおし、その人生の全てを何らかの喜びとして認識できたからこそ本来の霊界に戻ることができたのです。
その境涯で霊としての学びを重ね、「今回こそは、償わせていただくことを喜びとして、自他に喜びをもたらせていこう」という強い意志で地上に再生しているのです。

今回の人生でもそれぞれにカルマの埋め合わせが伴うので、カルマに見合った苦難や失敗や喜べない事柄・状態はもたらされます。
誰もがカルマの法則から逃れることはできません。

しかし、皆さん方は過去世を終えたあと、その人生の全てを感謝という喜びとして認識しなおして本来の霊界に戻り、喜びの中で霊としての学び・貢献の喜びに生きていたのです。

つまり、今回の人生でももたらされることになっていることはもたらされるのですが、霊界に向かう時と同じように全てを感謝・学びの喜びとして受け止め、その心を言動で表現していきながら、喜びの中で自分を役立てていくことで、カルマは解消されていくのです。
それは霊界と同様の神の御心に沿った喜びの意識・心・言動であり、それが地上の制約を超えた喜びを現実化させていくのです。
自分だけでなく、つながっている人たちやあらゆる生物にも喜びの現実をもたらしていくのです。

そのことを意識しなおして、あらゆる状態における違和感や嫌悪感や否定的な思いを無条件の感謝と祝福に移行させていただきたいのです。
これはもちろん、理不尽なひどい目にあわされている人たちや苦しい現状に置かれている人たちを放置して良いということではありません。
それではカルマの上塗りで、自分自身の幸せも遠ざけることになるのです。

その人たちに対して自分ができることをしていくのは人として当然のことです。
その一方で、「地上人生での苦しさはいずれ必ずねぎらわれ、喜びとして認識しなおされる」という真理・真実を自分の中に確立していただきたいのです。
理不尽に搾取や暴虐行為を続ける者たちに対しても同じです。
自分なりの日常に埋没している人々に人としての心を目覚めさせるために、そういう役割を担っている者たちもいるのです。
地上人生は全てではありません。
いつもお伝えしているように、地上人生はテーマに沿った演劇・お芝居のようなものです。

いかなる地上人生であってもその期間は限定されています。
霊界に戻れば誰もが分かることですが、霊界の者たちは無限の生を生きていることを実感しているので、どのような地上人生であっても有限の地上人生に引きずられる霊はいないのです。(地上人生に引きずられたままの者は幽界や暗黒界に堕ちていくことになります)

あなたは、地球という巨大な生命体を神の御心に沿った喜びの星に進化させるために、地上に生きているのです。

10/11/2025(月) 00:26:17

No.43187  エーチャン
Re: 11月10日(月曜日) 引用
おはようございます。

定例会メッセージありがとうございます。

定例会、1部から参加で宿泊でお願いします。車で伺います。

よろしくお願いします。

提示されたことに就いて改めてたどりなおします。

10/11/2025(月) 07:44:29

No.43188  にぃ
Re: 11月10日(月曜日) 引用
おはようございます。
定例会、1部・2部ちぃと2人で参加します。
宜しくお願いします。

10/11/2025(月) 09:56:49

No.43189  飯沼正晴
Re: 11月10日(月曜日) 引用
はーい!

エーちゃん、にいクン、承知しました!

10/11/2025(月) 10:03:19


No.43183 飯沼正晴  
11月9日(日曜日 引用
◆立花孝志容疑者 県警「逃亡、罪証隠滅の恐れ」で逮捕 発言意
図追及

11/9(日) 9:53配信 毎日新聞


 斎藤元彦・兵庫県知事らの疑惑を県議会で調査していた元県議の竹内英明さん(当時50歳)を中傷したとして、県警は9日、政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志容疑者(58)を名誉毀損(きそん)の疑いで逮捕した。立花党首が竹内さんを批判後、交流サイト(SNS)で根拠のない誹謗(ひぼう)中傷の投稿が相次いでいた。県警は竹内さんに対する発言の意図や目的について本格的に追及する。

【一覧】「明日逮捕される予定だった」立花氏が流した誤情報

 県警は立花党首の認否を明らかにしていない。逮捕の理由について「逃亡、罪証隠滅の恐れが認められたため」と説明した。

 竹内さんの遺族は、SNSでの不特定多数の投稿で竹内さんが精神的に追い詰められて自さつしたと主張。立花党首が根拠のない発言を繰り返し、自身の考えに賛同する人らを扇動したなどとして6月に刑事告訴していた。

 竹内さんは斎藤氏のパワハラ疑惑などについて調べる「県議会調査特別委員会(百条委)」の委員を務めていた。斎藤氏の失職に伴う出直し知事選(2024年11月)後に県議を辞職し、今年1月に自宅で死亡しているのが発見された。

 立花党首は出直し知事選で、斎藤氏の再選を支援する「2馬力選挙」を目的に立候補。選挙戦で竹内さんが斎藤氏らの疑惑を告発する文書の作成に関わったとし、「ありもしないうわさ話を作った」などと指摘していた。

 告訴状などによると、竹内さんが県議を辞職した後の24年12月、立花党首は自身が立候補していた大阪府泉大津市長選の街頭演説で「何も言わずに去っていった竹内県議はめっちゃやばいね。警察の取り調べを受けているのは間違いない」などと発言。竹内さんが亡くなった翌日もX(ツイッター)や動画投稿サイトで「(県警が竹内さんを)明日逮捕する予定だった」などと発信したとされる。【木山友里亜】

09/11/2025(日) 13:26:49


No.43184  飯沼正晴
Re: 11月9日(日曜日 引用
◆【速報】「虚偽の発信や誹謗中傷の被害を受けた一人として、安堵しております」奥谷県議がコメント 立花党首、逮捕受け

11/9(日) 10:33配信 関西テレビ


斎藤知事のパワハラなどを告発した、いわゆる文書問題を巡る百条委員会の委員長を務め、自身も立花容疑者を名誉棄損容疑で刑事告訴していた、奥谷謙一兵庫県議が、立花容疑者の逮捕を受け、コメントを発表しました。

以下、コメント全文。

NHK党代表・立花孝志容疑者が逮捕されたとの報に接し、私自身、同氏による虚偽の発信や誹謗中傷の被害を受けた一人として、安堵しております。

竹内英明県議は、根拠のないデマや中傷に悩まされていました。今回の逮捕によって、少しでも竹内議員の無念が晴らされ、ご家族の皆さまのお気持ちがわずかでも報われることを心から願っています。

デマや誹謗中傷は、個人の尊厳を奪う暴力であり、政治や社会への信頼を深く損なう行為です。言論の自由の名の下に行われる卑劣なデマや中傷を、社会全体で許さないという意識を共有することが必要です。

今後の捜査や起訴に向けた手続きの推移を冷静に見守り、司法の場で真実が明らかにされることを強く望みます。

竹内議員のご冥福を改めてお祈り申し上げ、ご家族の皆さまに心よりお悔やみを申し上げます。

兵庫県議会議員 奥谷謙一

https://news.yahoo.co.jp/articles/d9894f4bbfd54614615c0c3c7dccf0b33ceedeb7

09/11/2025(日) 13:30:08


No.43181 飯沼正晴  
11月8日(土曜日) 引用
今号の「天地悠々」の後記雑記を転載しておきます。
。。。。。

◆「天地悠々」三三二号、お届けいたします。

◆先号の後期雑記に書いたガン性脳髄膜炎の方は十月三一日に他界されました。死因はガン性脳髄膜炎によるものか、新型コロナなどによる急性肺炎だったのかは不明ですが、眠るような穏やかな旅立だったそうです。

◆私たちは地上の人間ですから、旅立つ前の苦痛は自分も味わいたくないし、家族の苦痛は見ていられないものです。しかし霊界側から見れば、そういう苦痛もまた必要な場合があるようです。地上を離れる前に、地上で生きた中で吐き出せなかった・解消できなかった苦しさ(後悔を含めて)を出して(表現して)おく方が、死後の移行がスムーズになる場合が多いそうです。

◆以下は克からです。「愛する人の末後の苦痛を見ることは何よりも辛いことです。その辛さは霊界の私たちにも分かります。しかし、地上でのことが全てではありません。見るに堪えないような苦痛が一定期間続いたとしても、必ず苦痛からも解放されるのですし、そこから死後の喜びが始まる人も少なくないのです。ですから末期の苦痛の中にいる人に対して、「あなたはこんなに苦しさや後悔を抱えて生きていたのですね」という、共感とねぎらいの心で包み込んであげていただきたいのです。

◆しかし、やはり苦痛は無いに越したことはありません。地上に生きている間にさまざまな苦しさや後悔などを解消しておけば、末期の苦痛は無いか少なくなるはずです。苦しさや後悔などを向上進化の喜びにできていれば、さらに苦痛は少なくなって穏やかに生きる場を移行できるでしょう。

◆鎮痛薬などで苦痛を和らげることに反対はしませんが、薬剤で苦痛を抑えた場合はエネルギー的には解消できない苦しさや後悔を抱えたままで地上を離れることになる場合が多くなります。そういう場合はやはり死後もしばらくの間はねぎらいのエネルギーを送ってあげていただきたいと思います。

08/11/2025(土) 10:15:19


No.43182  飯沼正晴
Re: 11月8日(土曜日) 引用
新年のメッセージも再掲載しておきます。
。。。。。


2025年 新年のメッセージ

日付が変わり、地上では新しい年が始まりました。
昨年は元旦から大きな地震があり、翌日は普通ではありえないような航空機事故もありました。
パレスチナにおけるあからさまな残虐行為も続いていました。(今も続いています)
多くの人が「何が起きるか分からない。(今まで通りではいけない)」と思い、心を引き締めることになりました。
そこから始まった1年を皆さんはどう生きたのでしょうか?
新しい年の初めに今一度、思い返していだきたいと思います。
真実は隠され(歪められ)、利益につながらない弱者は見捨てられる状態が続いているのです。

昨年は悠々塾というエネルギー場が新たな段階に入った年でもありました。
「(無意識層・感覚の層も含めて)地上の人間としての意識・心を、「神の子」としての健やかなる喜びで同調・統合する。それを言動で表現していく」という、地上人類の向上進化の歴史において初めてのチャレンジです。
これによって地上人類は初めて、「もたらされることの後追い」から「喜びの創造者」に変貌・脱皮するのです。

何を以って喜びとするかは魂の傾向や学びの段階によってさまざまですが、それは霊界においても同じです。
しかし霊界では「皆が神の子として、皆(全体)の向上進化への貢献」ということが共通のテーマであり、その喜びの中で生きています。

皆さん方もまずは違和感や嫌悪感などを何らかの喜びに切り替え、「意識・心を健やかなる喜びで同調・統合する。それを言動で表現していく」ことによって、地上に生きる霊としての生き方に移行・向上進化していけるのです。
(違和感の解消と無関心は全く違うものです。自分が関心を向けるべき情報はもたらされることになっています。もたらされた(知ることのできた)情報に対して無関心であることは、愛の欠如であり心の貧しさということになります)

それぞれがカルマを背負って生きているのですから、一朝一夕にはできないでしょうが、「学ばせてもらっています。ありがとう!」のジョーカーを使ってでも、「(無意識層・感覚の層も含めて)地上の人間としての意識・心を健やかなる喜びで同調・統合する。それを言動で表現していく」というテーマに挑み続けること・挑み続けている自分を喜ぶことが肝要です。

悠々塾というエネルギー場の向上進化に呼応するかのように、悠々塾の所在地である兵庫県で一つの雛型が進行しています。
悠々塾としての活動が始まったのは、阪神大震災が起きた直後からでした。(霊界での学びを進めていれば地上人生の記憶は幼少期の記憶のようにおぼろげになっていくものです。(思い出す必要があればいつでも再現できるのですが、地上人生への関心は薄れていくものです)
しかし、霊界に生きる私にもあの大震災の記憶は鮮明に残っています。
あの大震災が起きた時、悠々塾の初回定例会は同じ月に予定されており、出雲の地からゲストを迎えて、予定通り行われたのです。
その30年の節目の時期に、このような事態が進行していることは決して偶然ではありません。

これからも地上界では小さな雛型としても大きなスケールとしても、闇と光の鬩ぎあいが続くでしょう。
地上人類の霊性進化・地上界浄化に向けて、霊界側から注がれる光のエネルギーも強まっています。
それにあぶり出されるように、闇のエネルギーも浮き上がりやすい状態です。
地上人類の霊性進化を妨害しようとする暗黒界からのエネルギーも増大しているので、それに同調して闇に取り込まれる者も増えることになります。
(暗黒界的要素が大きい人の特徴の一つとして、「自分の過ちや不十分さを認めない」ということが挙げられます。過ちや間違いや不十分さがいけないのではありません。そこに留まること、そこに留まろうとすることが大きな過ちであり、闇であるのです。コンプレックスの裏返しとしての優位性・優越感を欲することも、闇や支配に移行しやすいものです。それこそが闇の原点・本質でもあります)

地上界でさらに闇のエネルギーが支配を確立すれば、さらに人々がその支配に従属・同調すれば、ゲームオーバーとなり、地上人類は壮絶な大破綻によって出直しするしかなくなるでしょう。
非常に多くの人々が地上を離れることになり、地上に残った者たちも助け合わねば誰も生きていけない状況がもたらされることになります。
(闇に取り込まれた者たちだけが地上を離れるのではなく、新しい地上界を構築する準備のために、大勢の光の心の者たちも地上を離れることになるでしょう。今一度、地上的死の意味をしっかりと理解していただきたく思います。本来の霊界に戻る者にとって死が解放の喜びであることは、私が断言いたします。いずれは皆さんにも分かることですが、死の意味を知れば地上人生の意味も分かるのです)

近い将来にそういう大破綻が起きるのかどうか、起きるとすればいつ起きるのかはお伝えできません。
しかし皆さんがたはそういう極めて大きな節目の時期に地上に生きていることをしっかりと認識して、日々を生きていただきたいのです。
地上界の状態、地上人類の状態によって、適用されるシナリオも変わってくるのですから。

そして闇を否定・攻撃するのではなく、闇が光に成長できるように働きかけ、導いていくことが光の戦士に求められています。
(働きかけが不調和の増幅にしかならない場合は「棲み分け」でよろしいのです。光の霊界と幽界・暗黒界が「棲み分け状態」にあるように。しかし「棲み分け」は排除や否定ではありません。個人・個霊として根本の方向性において同調できないので、生きる境涯を分かつしかないということです。今回の大浄化によって、暗黒界や幽界の者たちは地球霊界にも地上界にも存在することができなくなります)

それでも闇から脱却できない者たちが多いでしょうが、同じ「神の子」として闇に取り込まれている者たちに対しても慈しみのエネルギーを注ぐ心を獲得してこそ、地上界に風穴を開けることができるのです。
それによって闇や我よしに取り込まれている者たちが救われるかどうかは分かりません。
それは彼ら自身が自分の責任で選択することでよろしいのです。

今年は今まで学んできたことに加えて、蔓延している闇や陰りに自分の心を陰らせず、闇や我よしに取り込まれている者たちに対しても光の喜びのエネルギーを注いでいくことを、日々実践してくださいますように。
光や陰りや闇の度合いは人それぞれであり、時には掛け離れている場合もありますが、お互いに不十分であるからこそ向上進化していく「神の子」であることは同じです。

これから始まる1年がどんな年になるとしても、「神の子」としての喜びの中で日々を生きてくださいますように。

08/11/2025(土) 10:32:52


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