☆☆ 愛は時空を超えて 240 ☆☆ ―― 霊界の克との対話 ――
飯)こんにちは。 いつもお世話になっています。
克)はい、こんにちは。
飯)さてさて、1月定例会直後からいろいろありました。 一つはAさんの件だったが、喜びに着地できたと思う。
克)はい。お疲れさまでした。 1月定例会で、感覚の層の歪みの設定や防護膜のことがテーマになりました。参加した皆さんはそれぞれに理解を深めることができたはずで、風穴を開ける方向での画期的な定例会になりました。 しかし感覚の層やその防護膜は理性で理解できても、あまり実効性がありません。理性と感覚の層の間には感情の層があって、直接的には接していないからです。
今回の件はAさんの脱皮と共に、仲間の皆さんに感覚の層の歪みの設定や防護膜についての実感をもっていただくための計らいでもありました。
Aさんをはじめ仲間の皆さんは、新年のメッセージや、あなた(飯沼)の話の書き起こしを改めてしっかり読んでいただきたいと思います。そして「神の子」としての自分を意識しなおして、神の子として地上的な喜びを自他に現実化しながら、向上進化の喜びに生きる自分を再確認していただきたいのです。
あなた方が担う雛型成就は、地上人類が登場してから初めて挑むプロジェクトであり、いわば半獣半人から半人半霊へと進化することです。獣からの進化の延長として、自分を守るために反射的に違和感を抱き、否定や排他的な反応をすることが当然のこととして、人間には染み付いています。その段階を卒業して、もたらされたことをまずは受け入れながら、神の子としてそれをいかにして自他や皆の喜びにしていくのかを理性で考え、心で思い、言動で表現していくことが霊人=本当の意味での万物の霊長への進化です。
「自分(たち)を守る」ということは本能ではありますが、神の子・霊人として生きることが、結果的に最も有効な方法であるということを心の全部で理解していただきたいのです。それはすなわちカルマの解消ということでもあり、練習問題をクリアできれば同様の練習問題を提示される必要もなくなっていくのですから。
言い換えれば、今回の人生のテーマ・過去世のカルマに即して、もたらされる必要があることは必ずもたらされます。試練やトラブルなどがもたらされた時に、今生の自分がどうするのかが問われるのです。全ての人間はそのためにこそ地上に再生しているのです。 試練やトラブルに対して、心を陰らせずに受けとめ、人として優しく、人として正しく、自他や皆の喜びにしていけるかどうか? それが今回の人生のシナリオであるのです。
そういう試練やトラブルなどがもたらされた時に、自分がどう心を動かし、どのような言動をしていくのかによって、その後の展開が規定されていきます。 さらに言えば、実際に試練やトラブルがもたらされる前に、そのテーマに関して「喜び」を確立していれば練習問題も必要ではなくなるのです。
そして本当の意味での喜びベースが確立すれば、地上的にも健やかなる喜びが半ば自動的に現実化していくようになるのです。地上的常識や地上的制約を超えた奇跡のような現象が、当たり前のように現実化していくのです。しかしそれは奇跡ではなく、まさにそれこそが摂理・法則です。
今の医学では不治の病であっても、奇跡のように治癒・改善するケースが増えてきます。 それ以前に病に罹りにくくなります。それは、霊界では病はないということからも分かると思いますが。
ただし、それぞれの地上の人間には今生でのシナリオが設定されていて、その中にはいわゆる寿命の規定もあります。たいていの場合は、「(年齢に関わらず)ある状態に至れば地上を離れて霊界に戻る」というシナリオです。(もちろん個々人のシナリオが全てではなく、集団や社会や国家レベルのシナリオもあって、個々人のシナリオもそれらと重なり合っているので、それほど単純なものではないのですが)
それは地上での演劇やドラマなどと同じです。そのお芝居やドラマのテーマによって登場人物の誰かが早い時期に役割を終えることがあるのと同じです。それは決して間違いや悪いことではありませんし、そのお芝居やドラマで役割を終えた人が別の場(通常の場)で生き続けるように、若くして地上を離れた人も霊界で生き続けるのです。地上人生が全てではなく、むしろ地上における生は極めて限定的で、かなり特殊なものであるのです。
地上人生のシナリオは、「陰りを光に。喜びをさらなる喜びに」というテーマに基づいています。 しかしながら地上人生には個々人の自由意志が許されているので、自他の陰り(喜びではない想念)の蓄積によって、本来のシナリオで設定されている寿命よりも早く地上を去る人が多いのです。もちろんそれも別バージョンのシナリオに含まれているのですが、それは最良のシナリオではありません。(本来のシナリオに基づいて、ある時期に病や事故で地上を離れる場合もありますが)
つまり、陰りを光にすることや喜びをさらなる喜びにすることで、奇跡的な治癒や改善の余地がある病もあり、地上人生の現実が大きく喜びに切り替わる場合も多いということです。
例えば「地上的死」についての理解や感情は、あくまでも地上限定のものであって、(霊的)真理・真実からすれば大きく歪んだものになっています。地上的死の意味をしっかりと理解して、地上の人間ならではの感情はあるとしてもそこに囚われてしまわないことで、地上的制約を超えた健やかなる喜びが現実化しやすくなるのです。 それは本人の気づきによる場合もありますし、ヒーラーや周囲の人たちから注がれる健やかなる喜びのエネルギーによる場合もあるのです。
「陰りを光に」ということについては今までも繰り返しお伝えしてきました。 ここでは「喜びをさらなる喜びに」ということについて、少しお伝えしておきます。
血液・血管は人体に喜びをめぐらせる(循環させる)役割を担っています。その意味では「喜びを自分に留めること」は血液・血管系の病の原因になる場合があるということです。金銭・物質を含む喜びを自分に留めるのではなく、分ちあうこと・提供することは「喜びをさらなる喜びに」ということでもあります。
金銭・物質面で多少なりとも余裕があれば「分ちあう」ことを自らの喜びとし、まとまった金銭を得た場合には、その一部を快く「分ちあう」ことをお勧めいたします。それは自分を役立てる喜びということのみならず、自分自身の血液・血管系の病の予防や治癒・改善にもなるということです。もちろんそれ以外の病や症状とも関連しています。
地上の人間は金銭・物質に関して、(特に自分に十分な余裕がなければ)なるべく出さないようにする傾向が強いのですが、それでは文字通り財布のひもを締めることになって、入ってくるのを妨げることになります。全ての喜びは循環してこそ健やかで豊かな喜びになっていくのですから、自分ができる範囲で金銭・物質の流れ、金銭・物質についての自分の意識を解放していくことで、結果的に自分も健やかな豊かさを得ることになるのです。地上的な制約に囚われた意識ではなかなかそうは思えないかもしれませんが、何事につけてもエネルギーとはそういうものであるのです。
私ども霊界側では、自分を役立てようとする地上の人間への支援を惜しみません。それぞれにカルマの制約はあるにしても、それを解消・解放しながら、物心両面での喜びの中で、さらに自分を役立てていく喜びに生きていただきたいと願っています。それがこの雛型成就の仲間・同士であれば、なおさらです。 しかしながら、私どもがいかにそう願っていても、人間の側が地上的制約に囚われたままの状態であれば、エネルギー的にかみ合わず、こちらからの援助がカタチになりにくいのです。
皆さん方が本来の自分として、神の子として、物心ともに豊かで健やかな喜びの中で働いていけるように、こちらからの支援がカタチになりやすいように、理性から感情・感覚の層に至るまでさらに地上的制約を解消して、豊かなる皆さんがたの霊性が感覚の層や言動にまでいきわたるように切り替えの作業を続けていただきたいのです。
話が戻りますが、今回のAさんの件で、悠々塾という場における感情の下位や感覚の層の波動・エネルギーは大きく底上げされて、さらに喜びベースに切り替わろうとしています。それにふさわしい喜びの現象もこれからさらに増えていくことになるはずです。もしもなかなか自分にはそういう喜びがもたらされなくても、そこに心を陰らせず、小さな喜びを大きく喜びながら、全てに対する感謝と祝福の心・エネルギーを自分に根付かせて、おおらかに表現・発揮しながら日々を生きていただきたいのです。
自他にもたらされている試練や苦難や人間関係や病に対して、生身の人間としていくらかは心を陰らせてしまうことは仕方ありません。それでもそこに留まることなく、ましてやそれを増幅することなく、まさに神の子として「無条件の感謝と祝福の心・エネルギー」を注ぐことを日々のトレーニングとして実行していただきたいのです。自他の苦しみや苦痛を伴う患部や増殖を続けるガン細胞にも、「分け隔てのない、無条件の感謝と祝福のエネルギー」を注いでいただきたいのです。 自分や自 分が愛する人を苦しめる出来事や病などを否定・排除するのではなく、「分け隔てのない、無条件の感謝と祝福のエネルギー」を注ぐことは、決して逆説的な方法ではありません。地上における最高バージョンのシナリオの実践・実行であり、地上における喜びの創出者にふさわしいエネルギーです。
それが地上的制約から解放された本来の神の子・霊としての心とエネルギーです。少しの時間でも毎日その作業を続けることで、皆さん方の霊性のエネルギーが理性・感情・感覚・言動と同調して、地上的制約を超えた喜びを自他に現実化していくことになるのです。しかしそれはあくまでも結果的にそうなるということですから、地上的制約を超えた喜びを現実化することを動機・目的にしていては遠回りになってしまいます。そこは重ねてお伝えしておきます。
そうはいっても、やはり地上の人間としての「願い」は消えるものではないでしょう。それを否定する必要もありませんし、無いもの煮する必要もありません。「在るものは在る」として、そこに拘泥しないことです。 ただ、今までの地上の常識を基準にしないで、「エネルギー場が変われば、そこでの現実も必ず変わる」ということを肝に銘じていただきたいとは思います。
飯)分かりました。 今回も一気の受信になって、僕の出る幕がなかったけど(笑) 「分け隔てのない、無条件の感謝と祝福のエネルギー」ということだから、環境中の微生物や土壌細菌さんたちや腸内細菌さんたちにもお願いしたいね。もちろん食物繊維なども多種類をたくさん摂取して、自分自身を共生の喜びの場にして、そのエネルギーを豊かに高めてほしいと思う。
克)はい、もちろんそういうことです。
飯)ちょっと疲れたから、今回はここまでにしようかな。
克)はい、分かりました。 それではここまでにしておきましょう。 お疲れさまでした。
飯)はい、いつもありがとう!
(2025・2・25) |
26/02/2025(水) 10:46:30
No.42160 あおやま |
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愛は時空を超えて、受信ありがとうございます。
>今回の件はAさんの脱皮と共に、仲間の皆さんに感覚の層の歪みの設定や防護膜についての実感をもっていただくための計らいでもありました。 Aさんをはじめ仲間の皆さんは、新年のメッセージや、あなた(飯沼)の話の書き起こしを改めてしっかり読んでいただきたいと思います。そして「神の子」としての自分を意識しなおして、神の子として地上的な喜びを自他に現実化しながら、向上進化の喜びに生きる自分を再確認していただきたいのです。 >悠々塾という場における感情の下位や感覚の層の波動・エネルギーは大きく底上げされて、さらに喜びベースに切り替わろうとしています。それにふさわしい喜びの現象もこれからさらに増えていくことになるはずです。もしもなかなか自分にはそういう喜びがもたらされなくても、そこに心を陰らせず、小さな喜びを大きく喜びながら、全てに対する感謝と祝福の心・エネルギーを自分に根付かせて、おおらかに表現・発揮しながら日々を生きていただきたいのです。
>試練やトラブルに対して、心を陰らせずに受けとめ、人として優しく、人として正しく、自他や皆の喜びにしていけるかどうか? それが今回の人生のシナリオであるのです。
>あなた方が担う雛型成就は、地上人類が登場してから初めて挑むプロジェクトであり<
悠々塾という場で学ぶことのできる喜びと共に、壮大なプロジェクトを担う一員として身の引き締まる思いです。
定例会後、自分自身の言動を振り返り、身についた歪みの根深さに気づく機会をいただきました。 受け入れてくださった飯沼さんや仲間の皆さんと共に、神の子として気持ちを新たに、感謝と祝福、喜びをおおらかに根付かせていきたいと思います。 |
26/02/2025(水) 22:21:01
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