☆☆ 愛は時空を超えて 255 ☆☆ ―― 霊界の克との対話 ――
飯)こんにちは。 いつもお世話になっています。
克)はい、こんにちは。
飯)今回もこちらからは特には思い浮かばないのだけど、またそちらから伝えてもらえますか?
克)はい。承知しました。 まず、長い期間にわたって悠々塾というエネルギー場の浄化がなされてきました。あなたを含めて仲間の皆さんもその疲れが残っているようです。それは致し方ありませんが、悠々塾のエネルギーは決して停滞しているわけではありません。むしろサナギが羽化して生きるステージを変えるような時期を迎えているのです。
とはいえ、やはり停滞の面がないわけではありません。雛型成就のスタッフとして、この状況で自分がどうしていくのかが問われているということです。
「自分の利益や都合や自分の気持ちを軸にする生き方を卒業して、皆の喜びを軸にする生き方への脱皮・向上進化」というテーマに沿って、日々の自分を点検して進んでいただきたいと思います。そして、前回お伝えした「愛は時空を超えて」をもう一度しっかりと読み込んでいただきたいのです。
飯)分かりました。 前回の「愛は時空を超えて」は後で再掲載します。
克)はい。 何度も繰り返しますが、ある程度の数の人間が集い、「自分の利益や都合や自分の気持ちを軸にする生き方を卒業して、皆の喜びを軸にする生き方への脱皮・向上進化」というテーマに沿って、自分を点検し、向上進化の喜びを共有・共鳴させることは、地上人類の歴史においても初めてのことです。
今までずっと自分の利益や都合、特に自分の気持ちを軸にしてきた人間がその段階から脱却して、霊性を発揮しながら「人として優しく、人として正しく。皆も自分も幸せに」という意識・心を軸にして日々を生き直していくことは容易ではありません。そのことは霊界側も十分に承知しています。その上で、「地上人類の霊性進化」という人類史上最大のプロジェクトの雛型(の一つ)として、霊界側の導きと計らいの下で悠々塾は存在しているのです。
私自身も霊界に戻ってから教えていただいたのですが、悠々塾という場は霊界側の綿密な計画の元に創設され、ずっと霊界側の導きと計らいの中で存続してきました。それは地上の私が思っていたことをはるかに超えたもので、私自身が地上の自分を思い返して少なからず恥ずかしく、申し訳ない思いになりました。
そこに招かれる(つながる)人間は、善良さをベースとしながらも(私やあなたを含めて)さまざまな面でまさに「選ばれし、迷える子羊たち」でした。
現状を見ても、子羊たちの群れの中にありながら未だ進むべき方向性を自分の喜びとして確立しきれていない者もいます。自分の気持ちに囚われ過ぎたあまり、群れを離れて、文字通り「迷える子羊」として暗い世界を彷徨っている者もいる状態です。
悠々塾の学びのテーマよりも自分の気持ちを優先し、自分の思い通りにならなければ自分なりの身勝手な言い分を根拠にして違和感や反感を増幅させる状態であれば、この雛型のスタッフとして参画することはできません。しかし悠々塾を離れたことで気持ちが楽になり、これからは自分の思い通りに事が運ぶかのように思っているとすれば、それは全く違っています。
今までの学びもつながりも踏みにじって自分なりの世界に生きるということが、自分や周囲にどのような現実をもたらすことになるのか、自らが思い知ることになるのです。もしも地上にいる間は「念」の力によってそれなりの現実を引き寄せることができたとしても、それを含めて死後はさらに苦しいことになるのです。
これは決して脅しなどではなく、その人たちの死後も含む将来のことをお気の毒に思うがゆえの忠告です。決して無理強いはしませんが、今一度じっくりと自分を顧みることをお勧めせずにはいられません。そういう者の周囲にいる人は、その人を諭し、導くために配剤されているのです。
カルマゆえに(つまり今生での諸般の事情ゆえに)、そうしにくい状況が設定されている場合もあります。しかし本当にその人のことを思い、本当に愛情があるのならば、その人の歪みや身勝手さに引きずられることなどないのですし、ましてや迎合することなどあり得ないのです。自分の利益や都合が重なっているから、引きずられ、迎合してしまうのです。それはお互いの魂の約束を踏みにじることです。どちらにとっても喜びになどなるはずがないのです。
自分(たち)に言い分があるのなら、誠意を以ってそれを伝えて、対話していけばよいのです。自分の思い通りにしようとするから、自分の思い通りにならなければ気が済まないから、事実に反した主張を押し付けたり、「事実」を捏造し相手の言葉を曲解して非難したり、自分の非や至らなさを誤魔化そうとするのです。それでは対話など成り立つはずもありません。
私は断言しますが、今まで通りの自分を軸にしたままでは向上進化になど向かえないのです。地上界に注がれるエネルギーの変化に伴い、あるいは雛型のエネルギーの向上進化に伴って、今まで手にしていた「喜び」をも失うことになっていくのです。地上人類の意識や言動が今まで通りであれば、阿鼻叫喚の混乱の中でほとんどの人が「全てを失う」ことになってしまうのです。
今はまだそこまでの状態ではないにしても、その予兆を察知している人間も増えつつあります。自分の身の回りのことにしか意識が向いていない者にはまだ分からなくても、今の地上界はすでに大崩壊・大破綻に向かっているのです。
それでも大いなる神のご意思によって地上人類・地上界は霊性進化を遂げるのですが、私ども霊界の者たち、特に地上で生きた経験のある者たちは、できるならば地上の人たちが地上的な喜びの中で霊性進化の道を歩んでほしいと願わずにはいられないのです。
「自分の利益や都合や自分の気持ちを軸にする生き方を卒業して、皆の喜びを軸にする生き方への脱皮・向上進化」というテーマに沿って自分を点検し、向上進化の喜びを共有・共鳴させること」によってこそ、自分自身の本当の喜びも現実化していけるのです。
その意志はあっても、それぞれが「今まで通り」の自分に引きずられる面を残した状態です。今までの地上界の常識、今の世間の常識も重くのしかかっています。そういうなかで「自分の利益や都合や自分の気持ちを軸にする生き方を卒業して、皆の喜びを軸にする生き方への脱皮・向上進化」というテーマに沿って自分を点検し、向上進化の喜びを共有・共鳴させること」を自分に確立することは容易ではないでしょう。
しかし今までの自分・今の自分が傷だらけであっても泥まみれであっても、未だ陰りを払拭できていない状態であっても、そういう自分に拘泥せず、倦まず弛まず日々地道にその作業を重ねていただきたいのです。そして些細なことであっても、自分の気づきや変化について掲示板に書き込んでいただきたいのです。
霊界では意識・思念が波動としてそのまま表現されていますが、地上界はまだカタチの世界です。文字にする・文章にするというのはそれなりに労力のかかる行為ですから、エネルギー的にも大いに意味のあることです。地上界は心をカタチで表現する次元の世界です。文字にする・文章にすることで自分自身の実態・実体にもなっていくのです。そしてそれが雛型のスタッフとしての働きにもなるのですから。
特に自分の感情・気持ちの土俵で相撲を取るのではなく、自分の感情・気持ちに「自分の感情・気持ちで向き合う」のではなく、自分の感情・気持ちを昇華していくトレーニングを続けていただきたいのです。自分の感情・気持ちに拘泥したままで自分の感情・気持ちに向き合っても、なかなか健やかな喜びに昇華できない場合が多いでしょう。それ自体が自分の感情・気持ちへの拘泥になっている場合も少なくありません。
前回お伝えしたように、感情・気持ちというものは自分を軸とする幼児的な意識領域です。幼児的なというのは否定ではなく、そこからさらに成長・向上進化していく段階という意味です。魂―霊体ー理性ー感情・感覚―肉体(言動)という人間の「からだ」において、感情・気持ちというものがどのような位相を占めているのかをしっかりと認識して、自分の気持ちに拘泥する段階を卒業していただきたいのです。
魂―霊体ー理性ー感情・感覚―肉体(言動)という各層の波動が相互に同調して,大元である魂の波動と同調できれば、まさにそれが霊性進化です。霊界と全く同じではありませんが、霊界と同様の喜びの中でさらなる向上進化の喜びに生きていけるのです。
そうお伝えしても実感が湧かないかもしれませんが、喩えていえば、自分の家のテレビアンテナやアンテナ線が劣化・破損しているのを直すようなものです。そうすれば、当然ですがノイズも混線も解消されて、今までとはまるで違うクリアな映像に変化するでしょう。感情・気持ちの陰りを喜びに切り替えるとはそういうことです。
まずは自分の気持ちに陰りが生じた時に、速やかに喜びに切り替えることに挑み続けてください。相手がどうであれ、まずは自分自身として陰りの気持ちを何らかの喜びに切り替えることです。そこでは、生じた気持ちの陰りに拘泥しないで(自分の気持ちの陰りに取り合わないで)陰りを流し去っていくことや、人としての理性を駆使して今の状況を変えようとすることも含まれるでしょう。どうにもならない場合は「学ばせてもらっています」と思い換えて、次に進めばよいのです。
いずれにしてもその作業は自分が楽になるためのものではなく、「快く自分を役立てていく」という本来の喜びに回帰できるように、自分の心を動かしていくことが重要です。結果的に自分も楽になるのですが。それこそが地上人生においても、それを終えてからも、自分が幸せになるための唯一無二の方法であるのです。「人として優しく、人として正しく。陰りを光に。皆も自分も幸せに」ということを軸にして心を働かせ、言動で表現することが喜び=幸せの大元であるのです。
今回はここまでにして、前回の「愛は時空を超えて」を読みなおしてほしいと思います。
飯)分かりました。 いつもありがとう!
克)あなたの方こそ、いつもお疲れさまです。 暗黒界からの攻撃のエネルギーは、今も執拗にあなたに注がれ続けています。 くれぐれもストレスを溜め込まないように、リフレッシュしながら進んでくださいね。
飯)はい、ありがとう!
(2026・6・27) |
28/06/2026(日) 13:56:48
| No.43918 飯沼正晴 |
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☆☆ 愛は時空を超えて 254 ☆☆ ―― 霊界の克との対話 ――
飯)こんにちは。 いつもお世話になっています。
克)はい、こんにちは。
飯)今回は主にそちらから伝えてもらえるようなので、よろしくお願いします。
克)はい。 5月定例会では皆さんにあの内容、あのスケールを共有していただくために、「地上人類の歩み」の最終章を朗読していただきました。それは悠々塾というエネルギー場が、それにふさわしい段階に達しかけているということでもあります。今回もまた暗黒界からの妨害を受ける中での定例会になりなしたが、それに影響されることなく健やかなる喜びのエネルギーを共鳴させることができました。
今回は私の方から、「自分の気持ち・自分なりの気持ち=感情」というものについて、お伝えいたします。 といっても、「自分の気持ち・自分なりの気持ち=感情」の中身ではなく、人間の意識・心における位置づけについてです。 こちらからお伝えすることはいつもそうなのですが、今回は特に言葉では表現しきれない部分もありますので、分かりにくいところは改めて質問してくださいね、
今の地上の人間のほとんどは、「自分の気持ち・自分なりの気持ち=感情」を軸に日々を生きている段階です。それが全てであるかのように思っている人も少なくありませんが、感情というものは人間の意識・心の全部ではなく、意識・心の領域の一部分にすぎません。
まず、人間の生命や意識・心の原点は魂であり、魂こそが生命であるのです。 その魂はそれぞれの魂の故郷・出自である霊界とつながっています。霊界にもさまざまな段階や傾向があり、そこに存在している魂(霊)は喜びの中で向上進化の学びを続けているのです。さまざまな学びの段階があるにしても、それぞれの魂の波動はそのまま肉体に同調することはできません。
魂ー霊体ー理性ー感情・感覚―肉体というように、より精妙な波動領域から幾つかの波動変換を経た上で、肉体・言動という地上的カタチとして表現されています。 魂が属している境涯(霊界)は喜びのみの世界ですから、人間はそれぞれの魂の喜びを波動変換しながら、物質界である地上に霊界と同じ喜びを顕現するための通路であるのです。
魂はその人本来の意識であり、霊体は魂の意識を表現する「からだ」です。 魂・霊界は向上進化のみが喜びです。 逆に言えば、もたらされることの全てが向上進化の喜びなのです。 魂の意識をそのまま反映した霊体にはカルマの情報も含まれていますが、それはあくまでも「過去世では喜びにできなかったことを、今回の地上人生では喜びにする」という、喜びに向かう意識です。
理性の領域・理性体は「人として」という意識領域ですが、そこにはその人の魂の学びの段階や傾向も含まれています。
つまり、「人として」の喜びというところでは同じでありながら、その人の魂の学びの段階や傾向によって多少の違いが生じてきます。さらに言えば、霊界は喜びのみの世界ですから病はなく、不調和もありません。
しかし現状の地上には病を初めさまざまな不調和が存在・蔓延しています。価値観もさまざまであり、個々の人間の意識における「人として(の喜び)」というものも、一様ではありません。その人にとっての「人として(の喜び)」はその人の魂の学びの段階や傾向によって差異があるのです。しかし、調和を喜びとしているならばそれらの差異は多様性という豊かな喜びを形成するはずのものです。
理性の層は霊体のカルマの情報も伝達されているのですが、理性の領域ではカルマの情報がある種の歪みとして作用する場合も少なくありません。そこから人としての意識に歪みや偏りが生じてくるのです。
「理性のからだ(層)」の下位に「感情のからだ・感情の層」があります。下位というのは、比較において粗い波動の意識領域のことです。意識とは波動であり、エネルギーであるのです。感情の層の下位には「感覚」の領域が含まれています。
理性の層は「人として」という意識ですが、感情の層は「自分として」という意識領域です。 霊としての喜びを人としての喜びに変換して、さらにそれを自分としての喜びに変換して、肉体や言動を通じて地上次元に霊界と同様の喜びをもたらしていくのです。
それぞれの領域の波動は隣接する領域の波動の影響を受けるので、この感情の層は地上界(物質次元)の影響を諸に受けることになります。
人間における意識・エネルギーの通路は一方通行ではありません。 自他の肉体や言動で表現されたことを経験し、それを変換しながら喜びとして自らの魂に戻し、自分の魂が属している霊界に戻していくのです。(ここではいわゆる類魂のことは省きます)
感情の領域の意識は「自分の気持ち」です。 喜びというところでいえば、自分の喜びを人としての喜び(皆の喜び)に昇華していくことが地上での学びです。 今の地上界は自分の気持ちが陰ることが多い段階です。自分の気持ちが陰った時には、できるだけ速やかに自分としての喜びに切り替えて、それをまた皆の喜びに昇華していくことが学びであり、カルマの解消になるのです。
その心の作業は自分の意識を感情レベルに留めたままでは、難しいものになってしまいます。 なぜならば感情というものはあくまでも自分としての意識・心であるからです。そこに留まったままであれば、自分の気持ちをさらに凝縮して陰りを自己増幅することにもなりかねません。それは地上における幽界ですし、陰りに留まることを選択した人は地上における暗黒界に生きることになるのです。
気持ちが陰った時こそ自らの霊性を高めて、感情の層に霊としての喜びを引き入れ、人としての喜びという健やかなエネルギーを引き入れることが重要です。
自分の気持ちを軸にして、いくら自分の正当性を主張しても、それはせいぜい幼児レベルの主張にすぎません。もしも地上ではそれを強引、あるいは巧妙に貫いたとしても、死後は全く通用しないのです。
人間が生きる目的、人間が地上に派遣された目的は、より高次元の喜びをより低次元の境涯に顕現して、より低次元の境涯の喜びをより高次元の境涯に循環させることであるのです。つまり霊としての喜びを自分の喜びとし、自分としての喜びを霊としての喜びに高める循環です。
喩えていえば、人としての心が十分に成長した両親が、生まれたばかりの我が子が両親をお手本としてすくすくと成長して、やがて人として十分に成長した大人になることを喜ぶようなものです。そういう喜びと学びの循環が霊界と地上界にも、一人の人間においても成されているのです。
つまり、一人一人の人間の意識・心は、霊界レベルから動物に近いレベルまで幅があるのです。そして感情・感覚の層は波動的には最下層になります。
人間が地上人生を終えれば(死亡すれば)、物質である肉体は土に返し、感覚・感情などの意識の下層は人として・霊としてという意識に昇華・融合させて、人としてという意識も霊としての意識に昇華・融合させて、霊としての喜びのみの世界に移行するのです。それができなければ、死後も幽界や暗黒界に堕ちていくことになるのです。
今の地上界にはさまざまな不調和や苦しみが蔓延しています。 全ての人間が何らかの陰りの感情を抱くことになるのですが、それぞれの人のカルマ・今回の地上人生の目的に規定されたものであるのです。ですから、全ては喜びに昇華するためにもたらされているのです。
地上で生きる人間が時に陰りの気持ちを抱くことは致し方ありません。 しかし、陰りの気持ちに留まることや、それを自己増幅することは自分が地上に生きる目的に反することです。そういう気持ちを解消・昇華できないままに地上を離れたら、死後の心の作業が大変になるだけです。
どうしても受け入れがたいことで、なかなか自分の気持ちが切り替えられなくても、それを解消・昇華するために自分は地上に産まれ、地上に生きているのだということを肝に銘じていただきたいのです。そしてすぐに切り替えられなくても、感情よりも高次の意識を総動員して、「何としてもこの陰りの気持ちを解消・昇華するのだ」という方向性を確立し、心の力を総動員して意志を高めていただきたいのです。
心が陰る度にその作業を繰り返していけば、感情の層にこびりついた陰りの元が排出されて、凝縮傾向にあった感情の領域が喜びに解放されていくでしょう。
それによって、自分自身がまだまだ不十分な状態・段階であっても、魂から感情・肉体までが健やかなる喜びで同調・循環するのです。自分自身が健やかなる喜びで霊界から地上をつなぐ通路になることができるのです。
今まで無数の人間が地上で人生を送りましたが、心・意識の構造を踏まえて、意志の力で陰りを光にしようとしたものはほとんど皆無です。 それを成し得た人たちがその喜びのエネルギーを共鳴させれば、地上人類の霊性進化の雛型が成就します。そういう場で何が起きていくか、そういう場を構成している個々人に何が起きていくかはすでに何度もお伝えしている通りです。さらにそこで起きる喜びは多くの人たちに伝播して、地上界の浄化・地上人類の霊性進化が進捗していくのです。
もちろんその雛型を構成する人数は多いに越したことはありません。しかし、自分の気持ちを軸に据えたままで、明らかに喜びの循環の流れを阻害している者は、そのままの状態では雛型に参画することはできません。地上人類の霊性進化から脱落する者として雛型に含まれるとしても、地上界にエネルギー的な風穴を開けるスタッフとしては参画できないのです。
そういう者が心からの気づきに至って、このプロジェクトへの参加を希望すれば、仲間たちの祝福の中で参画することになります。そういう者のエネルギーが雛型のエネルギーに深みを加え、雛型成就に向けてのパワーも伝播力も格段に高まっていくのです。
その雛型成就に向けてのリーダーであるあなたはそのことを十分に分かり、理解しています。ですからあなた方が担う雛型において「排除」などあり得ないのです。
自分の気持ちや都合を軸にしたままの者が、雛型のエネルギーの高まりについてこられなくなって、あなた方がいろいろと誹謗中傷されることもありますが、その度ごとに真摯に自分・自分たちを点検する機会とすればよろしいのです。
陰りや闇に囚われている人は、事実・真実よりも自分の都合や気持ちを優先するものです。 特に闇の勢力に付け込まれて、闇の勢力に使われている状態の人間は、完全に事実・真実を踏みにじって平然としています。
それを自覚できている場合もありますが、自分の都合や気持ちを軸にした世界に埋没していれば、その時その時の自分の都合や気持ちでついた嘘を自分で信じてしまう場合もあるのです。それでもその人間の良心は完全には失われていないので、真実に照らされた時にはどこか不自然な態度が垣間見えることもあります。
それでも闇に取り込まれている人間は、事実・真実を語っている人間を嘘つき呼ばわりするのですが、あなた方はそれに憤るべきではありません。むしろ、その者の今後の人生や死後のことを思えば、あまりにお気の毒なことになることは分かるはずです。
であれば、憤るのではなく、その者のために祈ってあげることです。その者からの不当な攻撃が続いたとしても、反撃などしてはいけません。そこまでの状態に陥っている者であれば、いくら事実・真実を提示しても聞き取ることも受け止めることもできないでしょう。真実に対して、さらに闇を深めて攻撃してくるだけです。ですからあなた方はその状態の者に反撃するのではなく、その者のために祈ってあげるのです。かのイエスが、「悪人に手向かってはいけない」とお訓えになったのはそういう意味です。これ以上、罪を重ねないようにしてあげることです。
大人になっても自分の利益や都合や自分の気持ちを最優先の軸にしているということは、人よりも動物・獣に近い心で生きているということです。その者たちがこのままであれば、死後はもう地球霊界には残ることができず、動物・獣のような意識の境涯に移行させられることになるのです。
もちろんその時点での地上界の浄化の進捗度にもよりますが、地球霊界に残ることができたとしても幽界・暗黒界に堕ちていくのです。その者たちに限りない慈しみの心で祈ってあげてこそ、あなた方は光の戦士であり、豊かな霊性に裏付けされた「霊止(ひと)」として輝きを放つのです。
あなた方にも人間としての気持ちがあるのは当然ですが、そこに埋没することなく、陰りに自分の心を陰らせるのではなく、光の戦士としての心を成長させる機会にしていただきたいと思います。
最後に、今回のその人については、ようやく暗い境涯から本来の霊界に戻ることのできたご親族が、「あの子たちが自分たち夫婦と同じ過ちを犯しませんように。経済力の有無に関わらず、本当のことを大事にして、自由な心で選択できますように」と願っておられることをお伝えして、今回の通信を終えることにします。
(2026・5・30) |
28/06/2026(日) 14:00:56
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| No.43920 飯沼正晴 |
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| 入れ違いで、別スレッドにみゆきちゃんの投稿が入りましたが、このスレッドを上にしておきますね。 |
28/06/2026(日) 14:20:18
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