おはようございます。 昨日のみさおさんの投稿、とても心に響きました。 そういうことだと思います。 魂の意志に沿って生きることだと思います。 それが喜びなんだと思います。
何があったとしても、この地上で生きることを決意してきたのです。 不十分でもこうして生かされていることを思います。 魂の意志を感じます。 |
02/05/2026(土) 07:14:32
| No.43726 やすこ |
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みさおさんの投稿、そうだよな、って思って読みました。
>喜びとは、色々あると思うが 魂の意志に沿って生きる事だと思います。< ほんとにそうだなと思います。
なのになかなか手強い手放せない気持ちがある時って本当に苦しいです。 私も何度も経験があります。
学ばせてもらってます。と思ったり、どんな方法でも喜びへ向かわせるようにすること。 と前にお話しありました。
私はそんな時は、自分の地上人生を物語だと考えて、話を進める一つのエピソードのように思ってみたりします。
そうすると悲壮感が薄まって、物語を嬉しい方へ進めたくなる、自分を応援したくなります。
なりたい自分になっていく(魂の意思に沿って生きる)という物語を思ったりします。 そうしたら、何かあって当然なんだと思えてくるし、 いつの間にか気持ちが緩んでいたりします。
心は固くなると動かしにくい、無理するととても痛いです。 |
02/05/2026(土) 09:32:09
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| No.43727 みんと |
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おはようございます。
今朝はなぜだか気持ちが冴えないというかパッとしない感じでしたが、まゆみさん、やすこちゃんの書き込みで心が落ち着きつつあります。 毎日いい感じであればよいのですが、いまいちの体調だったり厄介な雑事などを思うとしんどくなったりで、やっぱりまだまだだなとおもってます。
‘魂の意志に沿って生きる’(みさおさん、ありがとう)
気持ちを切り替えて今日一日、自分にできること、周りも自分も良い方向に喜びで着地できるように。 寝る前に今日も良かったって思える一日にしたいです。
皆さんもよい一日を! |
02/05/2026(土) 10:29:11
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| No.43728 あきえ |
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皆さんの投稿を読ませていただいて、皆さんの真剣さに多くのことを学ばせてもらっています。ありがとうございます。 自分の不十分さが先にたって書けないでいますが、こうして生かされていることを思います。
この間、友人から電話があって「孫が大学生になったよ。こんな日を迎えられて嬉しい。」と言って泣いていたので、私も涙が出て、二人で喜び合いました。 この友人とのことを書いてみます。
35年位前のことです。 私は自分軸が強く、家族を困らせ、苦しませてきました。(その当時はそんな自分に気づいていませんでした。) 友人や姉弟にも、困っていると相手の気持ちなど考えないで、喜んでくれると思うこと、良いと思うことをしてきました。でも、それは感情を優先的な軸とする我よしの生き方でした。気づかせていただいて分かったことです。
ある日、突然、知人がお会いしたこともない山口県のザビエル教会のブラザー(外国の修道士の方でした)を用ができたので、数時間、休ませてあげてと来られました。 夕食を食べていたら、息子が部活で足をくじいたと帰ってきて、ブラザーが息子の足にしばらく手をかざしていると痛みが取れたのです。 ブラザーは病気の方が県外からも来られて、治って喜んで帰られる方もいらっしゃるし、治らない方もおられますと言っていました。
ちょうどその頃、友人が腎臓を患って入退院を繰り返していて、透析をするための準備で入院をしていました。 私は良くなって欲しい一心で、この話をしてブラザーに会いに行こうと強引に進めたのだろうと思います。病院の外泊許可をもらってザビエル教会に行きました。 知人に預かっていた「鈴虫」を渡すと、ブラザーは「ああ、泣き虫ね。」って言ったので、私たちも笑って緊張がほぐれたのを覚えています。
ブラザーはご自分の仕事があるので、空いた時間、お昼休み、仕事が終わってから、友人の全身に手をかざしてエネルギーを(悠々塾で学ばせてもらうようになってからエネルギーだと分かりましたが、そのときは何も分かっていませんでした。)送ってくれました。 2回目が終わったとき、隣に座っていた私に「暇でしょ。あなたにもしてあげましょう。」と言って通してくださったのですが、良くわかりませんでした。 終わってから「あなたの力も貸してくださいね。」と言われて、私と手をつないで、もう一方の手で友人にエネルギーを送ってくれました。 帰るとき、「治らなくても大丈夫だからね。今以上悪くなることはないから。」と言われて、不安だった気持ちが少しほぐれて明るい気持ちになって帰りました。 そういうことがありました。
友人と数年前に会ったとき、もう忘れていた、そのときの話が出て、「私が強引に誘ったのだろうけど、どうして行く気になったん。」って聞いたら、「私のことを心配して、あんなに思ってくれる人は誰もいなかった。先生からは、このままだと、あと数年の命だと言われていて、怖かったし、わらにもすがる思いだった。随分長く生きさせてもらって感謝しているし、死を怖いものだと思わなくなった。」と言ってくれて、なぜか心の中でホッとしている自分がいて、良かったんだと今になって安心しました。
振り返るたびに、随分と自分なりで我よしで無茶をしてきたなと悔いることの何と多いことかと思いますが、悠々塾で学ばせてもらって、今は少しは自分軸を薄くすることができていると思っています。 今は思っても、もう無茶なことはできませんが、心で寄り添っていけるように皆の喜びを自分の喜びと重ねて、人としての意識を持って生きていきたいです。 |
02/05/2026(土) 11:43:38
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