愛は時空を越えての受信ありがとうございます。
悠々塾のエネルギー場が確立したということ、すごいですね、嬉しいです。 風穴を開けることに大きく一歩前進したということですかね。
>さまざまな理由で一旦は悠々塾を離れることになった人たちが、もしも再び共に学び、共に働いていく意志と意欲があるのであれば、誰であっても無条件で再び受け入れていただきたいのです。 彼らこそ癒しの対象であり、同時に癒しの働きの仲間であるのですから。驚く人もいるでしょうが、これは当初からのシナリオでした。
急展開に少し驚いた感じもあるけど、この提案も私は嬉しいなと思いました。 離れた仲間の皆さんが戻ってくるかはわからないけど、その時は自分の気持ちを昇華することなんですね。
闇の妨害エネルギーに取り込まれないように喜びベースでやっていきます
みさおさん、また会いに行きますね。ありがとうございます。 |
12/08/2026(水) 11:00:01
| No.44067 飯沼正晴 |
|
|
|
千夏さん、ポポさん、あきどんさん、書き込みありがとう!
今回の「愛は時空を超えて」は、今まで私が「どうしてこうなるのだ?」と思うばかりで理解できなかったことが理解・納得できたように思います。気持ちのところでの納得できなさやわだかまりがスーッと薄くなりました。
私は幼いガキの頃から世間の価値観を受け入れられない面があったようで、それが原因かどうかは分かりませんが、なかなか自分の非を認められない子どもだったように思います。
私の母親は、「自分が間違っていると思えば、ごめんなさいと言葉に出して伝えるように」という躾は厳しかったので、謝りたくないという気持ちが強くなったのかもしれません。
まあ、それでもウソや誤魔化しはあまり言わないで、謝るべきところは謝る子供だったような気がしています。
ガキの頃を過ぎてからは、世間の価値観に馴染めない自分へのコンプレックスが強くなって、そこから自分の非をなかなか素直に認めようとしない面が強くなったように思います。
40歳になった頃にスピリチュアリズムを知り、「シルバーバーチの霊訓」などを読み込む中で、地上人生の意味を知りました。
そこからの自分はずいぶん変わってきて、自分の非や至らなさを認めて次に進むことができるようになってきたと、自分では思っています。
人間はもちろんのこと、霊界の住人であっても皆が不十分で成長過程の存在であるということを知り、だったら自分の非や至らなさを積極的に見ていく・認めていくほうが理に適っているという考えがベースになりました。
なので、まるで我利我利亡者のように自分を正当化する面はほとんどないと思っています。 あれが最もみっともない人間の姿だとも思うので。
でも、自分でそう思っているだけで、自分の非や至らなさをなかなか認めようとしない面も残っているのでしょうし、周囲にそう思わせてしまう面も残っているのだと思います。
人のどういう面が至らないと思うのかは、その人の価値観・ベースにしている意識領域次第でもあるから、私の気づかない面での至らなさも多々あるのだと思います。
なので、自分では自分を守る意識は薄いと思っていても、見る人次第で「自分を守ろうとして、自分の至らなさを正当化している」と見える面もあるのかもしれません。
そのあたりのことはよく分からないのですが、自分を正当化しないで自分を振り返っていきたいと思うこの頃ではあります。 |
12/08/2026(水) 12:04:47
|
| No.44068 藍子 |
|
|
|
愛は時空を超えてのメッセージありがとうございます。 私も自分を守ることが多々あります。 私の場合の守り方は、ごまかすことが多いかな。 先日も剣道の稽古の中でそう指摘される場面があり、図星であるが故に心の奥までグサっと効きました。 そういう面があるなと謙虚に受け止めて、気づかせてもらえたことにも感謝して、相手にも感謝。今後同じようなお試し場面があればきっと次は、今回のグサっのパワーを発揮して向上してみせるぞ、と心に誓ったばかりです。
地上界に生きるものなんて、どんぐりの背比べとよく教えてもらっています。 今回のメッセージも私自身が対象だと深く読み込みます。 ぬまさんが、自分自身も振り返ろうとする書き込みを読んで勇気をもらいました。 至らないところは誰にでもあり、時にはそれが魅力であることもあり、きっとそのデコボコした歪な形が地上らしい姿なのだろうと思います。 それに甘んじたり、自分を棚あげて相手のデコボコばかりを指摘するでもなく、相手に言いたい指摘の言葉は自分自身の心にも言い、その時相手にはこういう受け止め方をしてほしいと願う受け止め方をまずは自分がして、そんなふう自分にも相手に向き合っていけたらなと思ってます。
自分を守らなくていい、というのはきっと楽ですよね。私も楽になっていきたいし、今自分を守ろうと苦しんでる方がいるなら、守らなくていいよとさきさんのおしえてくれたエネルギーを目一杯送りたいとおもいます。
暗黒界からの攻撃の強さを思います。 良いように操られてたまるか、と負けん気はこっちが一枚岩になって使いたい。 仲間同士のご競り合いほど相手にとって思うツボなことはありませんね。 こういうときこそ、喜びに向かって明るく自分を皆も大好きというエネルギーで満たしたいと思います。 |
12/08/2026(水) 15:01:48
|
| No.44069 飯沼正晴 |
|
|
|
藍子さんも書き込みありがとう!
はい。 皆が不十分であるのです。 そして、気持ちはまさに人それぞれです。 だから自分の気持ちを軸にして、それを押し通そうとすれば、諍いが起きるのです。
まだまだ地上の人間には気持ちが占める部分が大きいので、地上人類の霊性進化の雛型成就を担う悠々塾のテーマが克から提示されているのでしょう。
思い返せば、私はガキの頃から「本当はどうなのだろう?」というラインで、いろいろな事柄やいろんな人のことを見る傾向があったようです。 それは定例会でも少し話しましたが、私の場合、ガキの頃から人の言葉と本心の乖離が分かってしまうことが多くて、「本当はどうなのだろう?」という検証(?)の癖が身についたように思います。
なので何事につけ、「本当はどうなんだろう?」というラインでアプローチ・検証するのでしょうが、同時に自分の検証結果を「本当にそうなのだろうか?」という検証もするわけです。
人の気持ちについても「本当はどうなのだろう?」というラインで推し量ることもあります。 その場合も自分なりの気持ちで推し量るのではなく、さまざまな事実などに基づいて総合的に推し量るのです。
こういう作業に慣れてくると、あれこれと長く考えなくても、瞬時に整合性の有無が分かってくるようになるので、それをまた総合的に検証する場合もあります。
とはいえ、私は人の気持ちに鈍感な面があるので、配慮が足りないこともしばしばあるようです。 私とすればさほどの問題ではないだろうとしか思えないことが、人によっては極めて重要なことだったりもするので、それに気づいた時は自分の至らなさを反省して、素直に謝るタイプの人間だと思っているのですが・・・。 尤も内心では「それって、そこまで重大なこと?」と怪訝に思うこともありますし、そんなふうに言ってしまう場合もあると思いますが。 それがまた無神経ということなのでしょうね(笑)
ただ、その人の気持ちが強いあまり、厳然たる事実をもその人の気持ちで歪める(思い違える)ことに対しては、その人がそうしてしまう気持ちは分かっても、つい「本当は(事実は)こうだったはず」と言わずにいられなくなる場合が多い人間です。
もちろん私も事実誤認をしてしまうこともありますが、それに気づいた時は自分の非を認めて謝ります。 そうしなければ自分が安心できないというか、落ち着かないのです。 事実・真実とはそういうもの(厳然たるもの)だという意識が自分に染み付いているのだと思います。
とはいえ、自分では気づけないままに事実誤認している場合もあるのでしょうが。
そして単純ミスの誤認でない場合には、どうして私がそういう事実誤認をしてしまったかの理由を添えることもあります。 私にしてみれば、それも「本当はどうだったのか?」の一環なのですが、言い訳に受け取られることもあるのでしょうね。
何だか私、めんどくさい人間のようです(笑)
自分のことばかり書きましたが、今回の「愛は時空を超えて」で伝えてもらったこと、「本当はどうだったのか?」というラインからも、とても参考になりました。 改めて自分の不十分さに気づかせてもらいました。
実は地上の克も自分の非を認められない面を強くもった人でした。 病を得て、地上を離れる少し前に彼女が幼い時に受けた仕打ちが判明し、そこから「自分が悪いからあんな苦しくて怖い目にあわされた。私は完璧でなければいけない」と思い、自分の潜在意識に刷り込んでいったことで、自分の非を認められない面が強くなっていったのでした。 そしてようやく、幼児のような言葉と口調で、幼い時の苦しさと恐怖と憤りを吐き出して、その数日後に穏やかに地上を離れていきました。
そんなことも思い出しながら、今回の「愛は時空を超えて」を読みました。 |
12/08/2026(水) 17:21:25
|
| No.44070 飯沼正晴 |
|
|
|
もう一つ書き加えれば、 諍いや不調和も暗黒界の者たちの思う壺であると思いますが、厳然たる事実を歪めたままで、自分たちの都合を優先して妥協的に着地を図ることも彼らの妨害に屈することだと思っています。
だからこそ、さきさんが夢に見たあのエネルギーなのでしょうね。 |
12/08/2026(水) 17:42:46
|
|