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いわゆる東洋的な陰陽論では、ものごとはすべてセットだということです。 見える(唯物)と見えない(唯心)と、どちらに偏っても、よくないし、 氷山とどうように、見えないもののほうがはるかに大きいといえます。
マルクスがなんたるかは、残念ながらしりませんが、 自然観と縄文指向をもってらしたSさんが、 ただ、
>僕のような唯物弁証法論者、唯物史観的歴史の観方をするもの
は、それは、方法論であって、決してその背後にある精神性・唯心観がないわけではないし、 この世界に住むものとしては、 見えるものだけ、実証済みだけを信じてすむなど、とうていできないことですしね。
なにしろ、人間の見える、聞こえる、考えれる範囲がいかに狭いか、 それは、そもそもの因ってきたるところは、見えない世界にその原因があるのですから。 ですから、唯物から解き放たれたところに、新たな発想の展開や進展もでてくるのではないでしょうか。
たとえば、労働はすばらしい・・・といっても、 兵器をつくる労働はすばらしいですか? 原発をすすめる労働はすばらしいとはいえませんよね。
極端をいうなら、兵隊の人殺しも労働といえばそうかも。 なにしろ、学費と食い扶持ほしさに若者は兵隊になって、 兵士という労働をしているともいえるかもしれません。^^ 今、日本もアメリカにならって、若者を貧困へとしむけているのは、戦争する兵隊づくりでしょう。
何事にも、その根幹となる精神性、見えない世界への観念こそが大切であり、 見えない世界をどうとらえているか、でその人の見える行動が意味を持ってくるわけです。
陰大なれば、陽大なり。
行動するものは、その背後に見えない世界の大なるかな、です。 しかし、その心が、どこからきているかは、人それぞれですし、 見えない世界が、必ずしも、“神の意識”と直結しているわけでもありません。 エゴという見えない意識がその人の世界を大きく占領しふくれあがっているかもしれませんしね。
その人の精神性がどのあたりにあるかは、その人の行動で分かります。 わたしのいう精神性は、究極 0=1=無限 です。
頭だけ、口先だけで生きている人が多い昨今ですが、それでは世の中は変えれませんし、 行動も変われません。まさに観念論だけでも偏りです、 わたしたちは肉体を持ってこの世にあるわけですから。^^)
ふと、感じるままに・・・
そうそう、明日は 奈良県宇陀市の市民会館で被爆ピアノ 夜です。
14日(日)、は西宮市の大谷美術館で、被爆ピアノコンサート 朝11時 昼2時からです。 |
No.812 2010/03/11(Thu) 07:30:46
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