小説を語ろうや

シモンは言った。「神の目は、古い」って…。 / Jiraux 引用

 エンターテインメント小説やなんかに、
 よく使われている、

 作者が、世界のすべてを把握しているかのような立場をとって物語を書いてゆく、
 いわゆる「神の目」の視点は、時代遅れだ、
 って、

 フランスの小説家、クロード・シモン(Claude Simon 1913〜2005)が語る、

 37年あまり前の記事(1970年4月1日付け朝日新聞夕刊)を見つけた。

 シモンは、ヌーヴォー・ロマン(Nouveau roman)の作家で、
 1985年、ノーベル文学賞を受章した。

「ヌーヴォー・ロマンは、
 伝統的な小説の約束事を拒否する。

 バルザックやスタンダールなど19世紀的小説は、
 サボワール(savoir=知識)の小説であり、20世紀の小説は、ノン・サボワール(無知識)の小説だ、
 ということができる」

 って定義したうえで、

 シモンはこう言ってる。

「つまり、19世紀において、
 作家は社会の仕組みや人間の心理など何でも知っている神のような存在であり、

 小説を通じて、社会とはこういうものだと読者に示したが、
 現代においては小説家といえどもほかの人たちと何ら変わりはない。

 彼らは社会のある部分しか知らず、
 それも矛盾に満ちた、不確かなものとしてしかとらえることができない。

 現代の小説家の役割は読者に問題を提供することだけだ」

 噛み砕いて言えば、

「神の目視点なんて嘘っぱちだよ。人間に見えていることなんて、自分の身の周りのこと、

 つまり、世界のほんの一部だけなのさ。だから、そういう現実の上に立って、わたしは書こうとしているのさ」

 といっているようだね。

 この記事の記者が、

「あなたの作品は、事件や場面の順序が錯綜し、句読点の省略や、長い文章などが多くて、よみずらい」

 と指摘すると、

 シモンは、「本当か?」
 と心外そうに応え、

「われわれの精神生活というものは、
 決して割り切れたものではない。
 同時にあまりにも多くのことが共存している。

 だから、終止符や短い文章で区切りをつけてしまうということは、
 現実の中で切れていないものを切り離してしまうことになる……」

 などと答えている。

 翻訳すると、

 作者の、入り組んだ心の有様を、文章の上にも現したい、
 ってことのようだな。

 つまり、

 心の中が錯綜しているのに、
 明晰な文章を書いたら、

 それ、嘘になるじゃない、

 ってことらしいな。

 こういう、ヌーヴォー・ロマンの考えは、
 いまでは、純文学の中に、

 生きている、と思う。
 もう、常識みたいなもんじゃないか?

 「神の視点」をもつ小説は、あいかわらずいっぱいあるけどさ…。

 荒唐無稽でもいいだろう。面白ければ。
 多くの読者はそう思っているんだろうかな?

No.424 2008/01/24(Thu) 21:05:09

 
Re: シモンは言った。「神の目は、古い」って…。 / 雪 引用

 ヌーヴォー・ロマンとアンチ・ロマンは、
 どう違うのよ?

No.425 2008/01/26(Sat) 14:37:47

 
Re: シモンは言った。「神の目は、古い」って…。 / Jiraux 引用

 同じでしょ。

 ヌーヴォー・ロマン(Nouveau Roman)は、「新しい小説」って意味。
 アンチ・ロマン(Anti Roman)は、「反小説」って意味。

 第二次大戦後に、フランスで発表された前衛的な小説作品群のことで、

 ヌーヴォー・ロマン(Nouveau Roman)って呼び方は、

 1957年5月22日、新聞ル・モンドの評論で、エミール・ヘンリオット(Émile Henriot)が使ったのが最初だってさ。

 ロマン(Roman)は何を意識してるかってえと、
 バルザック、スタンダールやなんかの19世紀までの作家たちが、
 「神の目」の視点にたって書いた小説(Roman)ってことになると思う。

 もちろん、ドストエフスキーや、トルストイなどロシア作家の小説も含まれるんでしょ。19世紀だから。

No.426 2008/01/26(Sat) 16:28:35

 
Re: シモンは言った。「神の目は、古い」って…。 / 雪 引用

 ヌーヴォー・ロマンって、
 あたしも読んだと思うけど、
 印象に全然残ってない。

 面白くなかったんだと思う。

 Jirauxは、どうなのよ?

No.427 2008/01/26(Sat) 23:26:37

 
Re: シモンは言った。「神の目は、古い」って…。 / Jiraux 引用

 おれは、

 マルグリット・デュラスの「モデラート・カンタービレ」(河出文庫、だったかな?)が、
 すごく良かった。
 最高に良かった。

 「ラ・マン(愛人)」(河出文庫、だったかな?)も、良かった。
 ほかには…、
 いまんとこ、思い出せない。

No.428 2008/01/26(Sat) 23:57:38


柳家小三治のいま。 / Jiraux 引用

 志ん朝みまかりし後、

 兄弟子の談志を飛びこえて、
 「いま一番の噺家」ってぇ評価もある、

 柳家小三治(68)が、新宿末広亭二之席の夜席トリで出ている。
 13日(日)、16日(水)に行って聴いた。

 じゅうぶんには楽しめなかった…、
 みたいだった、おれは。

 13日は、「うどんや」だったけど、
 なんてったらいいのか…、
 そうだな…、
 張りつめたようなものがなかった。

 言い直せば、

 息も凍るみたいな、江戸の夜の、ピーンと張りつめた厳しい寒さが感じられなかったんだ。
 やっぱ、mannerismなのかな、なんてったら、

 「じゃ、おめーがやってみろい」
 なんて言われちゃうんだろな。
 小三治に…。

 16日は、枕を25分も話した後で、
 「小言念仏」の一部を15分弱。
 枕の噺は、うがい薬はどれがいいか、みたいなものだったんだ。

 「イソジンはだめ…」なんだってさ。
 いい薬の名前、話してたけど、
 メモしなかったから忘れちゃった。

 ごめん。

 2日とも、客席は満員。13日は、通路にまでぎっしりだった。

 で、この客てえものが、
 こっちから迎えに行くようにして拍手し、よく笑うんだよね。

 これじゃ、
 小三治だって油断するかもなぁ。

 「そこそこにやっとこう」
 なんてね。

 小三治は、20日までの二之席夜の部に出てるからね。

 またそんなだったら、誰か、

 噺が終わった時、

 「いまいちですね〜」
 って、
 言ってやってほしい…。

 でも…、
 やっぱやめとく?

 一年中いい噺は出来ねえよ、
 自分の仕事のこと考えてみろい、

 な〜んて思ってるかもしんないしな…、小三治も。

 そこそこでいいのかな〜。

 どう思う?
 そこのあ〜た。 

No.423 2008/01/17(Thu) 00:00:50


(No Subject) / むらまつ 引用

 小説の読み散らかしは、相変わらず続いている。高橋和己、小池真理子、辻 仁哉、カフカ、 どれも最後までは、たどりつかない。高橋和己のものは2,3ページで飽きる。かと言って内容に興味がないわけではないので、4,5日したらまた読むという具合でいつになったら読み終わるやら、来年にも、なりかねない。
これは、きっと物事を積極的に極めようとしない自分の性格だと思っていた。 ところが たまたま文学界だったと思うが、ケータイ小説についていろいろ、批判?しているなかで、要約すれば次のような意見にであった。

 文章の中に「デズニーランドに行って楽しかった」という
一行があるが、どのように楽しかったのたかが全然述べられていない。そこのところは、もっと詳しく書いた方がいい。

でも 俺はそうかな?と思った。今の若者にデズニーランドの楽しさを説明する必要があるのか?個々において、心に描くその楽しさや、その場面は具体的にちがうだろうが。だからこそ、小説のなかに自分を投影することができるのではないか? もう読者がイメージできることを面倒にもいちいち書く必要なんてないよと 思った。
このことは、自分が小説を完読できないことにも関係があるような気がする。
高橋和己はテンポがない。たとえるなら昔の映画だ。
頭の中の時間のテンポは展開の速い現在のアメリカ映画に標準が合っているようで、ぬめぬめとしたフランス映画にはむいていないようだ。ということは小説にも時代の流れはあるのかな?

回答には及ばず、一読笑止あれ。

(不適切な表現がありましたら、管理人のほうで削除してください。)

No.421 2008/01/12(Sat) 13:56:34

 
Re: 村松へ / Jiraux 引用

 ディズニーランドは1回行った。

 結構すごい、って思った所は、
「It’s a small world.」だったな。

 人形が部屋中、無数に置かれていて、
「子供の世界〜」みたいな曲が繰り返し流されてる。

 異様に空虚なんだよ。

 これ結構好き、と思った。それ以外は退屈だった。

「今の若者にデズニーランドの楽しさを説明する必要があるのか?」
 という指摘なんだが、

 文脈(context)次第で必要だったり不要だったりするんだろうな。
 一般化しちゃって、悪いな、と思うけど……。

 ディズニーランドの楽しさが、物語の展開に意味をもつなら必要だし、
 そうじゃないなら、村松の指摘どおりだな。

 いまや、インターネットまで含めて、
 画像があふれ返っちゃってるからさ。みんな何でも、すでに見て知っちゃってる。
 不要な描写は排除したほうがいい、とおれも思う。

 19世紀Paris、ゾラの「居酒屋」にあるような、家の間取りやなんかの細密描写は、もはや必要のない時代なんだろうな。

 村松は、高橋和己が好きだなあ。
 おれも、「邪宗門」やなんかの世界、覚えている。
 薄暗い感じなんだよな。

 あの薄暗さは、なんだか、
 格好つけていえば、
 生きてゆくことの本質(実存といってもいいか……、)が出てるような感じでさ。印象に残る。

 おれの経験では、
 いい小説は、どれにもああいう薄暗さが備わっている気がする。

 削除すべき「不適切な表現」なんて、
 何もない。

 なんでもいいから、どんどん書いてくれよ。
 おれは、検閲はしないことにしています。

No.422 2008/01/12(Sat) 15:05:27


松本健一(評論家・作家)の本(毎日新聞社、¥1600) / Jiraux 引用

 斎藤史(さいとう・ふみ、1909〜2002)という歌人がいた。

 父は、陸軍少将斎藤瀏(りゅう)。
 1936年に起きた二・二六事件で、父を通じて親しくなった青年将校の多くが刑死し、
 父も事件に連座して禁固5年の刑を受けた。

 青年将校の、栗原安秀・坂井直(2人とも中尉)は、旭川に住んでいた頃の幼馴染で、
 斎藤史は、栗原を「くり公」と呼んでいた。

 斎藤は、亡くなるまで、二・二六事件を歌に読んだ。


 暴力のかくうつくしき世に住みて ひねもすうたふわが子守うた


 二・二六事件は、斎藤の結婚直後に起きた。
 妊娠中だった。5月に早産の子を産んだ。上の歌には、そういう背景がある。


 額(ぬか)の真中(まなか)に弾丸(たま)をうけたるおもかげの 立居(たちい)に憑(つ)きて夏のおどろや


 青年将校たちの銃殺は1936年7月に始まった。栗原は7月12日だった。


 北蝦夷の古きアイヌのたたかひの 矢の根など愛す少年なりき


 これは栗原安秀、「くり公」を思い出して詠んだんだ。

 敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の検事は、
 「二・二六事件は民主主義的改革だった」
 とし、
 戦争犯罪はないと裁断した、という。

 青年将校たちの多くは、
 東北・北海道などの農家出身者だったんだ。

 生き延びるために、
 たとえば、娘を遊郭に売らざるを得ないような農家のひどい窮乏状態をよく知っていて、

 政治や制度の改善を求めて立ち上がったのが事件の本質なんだ、
 ってことをGHQが理解したんだね。

 その歌人、斎藤史は、
 昭和天皇が死んで8年後の1997年、
 歌会始の召人として宮中に招かれた。

 「朕(ちん)が股肱(ここう)の老臣を殺戮す、此の如き凶暴の将校等その精神において何ら恕(じょ)すべきものありや……」
 と、昭和天皇が怒り、武力討伐を主張した結果として、ああいう結末になった。

 斎藤は、昭和天皇に鋭く立ち向かう立場にいたんだがね。

 青年将校たちの多くが、
 クーデター成功後の首相に、と想定していたという皇道派の真崎甚三郎教育総監の息子、真崎秀樹(外務省)は、
 1975年、イギリスのエリザベス女王が訪日した時、天皇の通訳官を命じられた。女王と天皇の間に立つ、真崎の写真が当時の新聞に載った。

 その写真が、291ページに示されている。

 そういう、なんというか、
 あらゆるものを飲み込んで君臨し続けた昭和天皇のこと(enormous flexibility)を書いているね。

 全編、昭和天皇がどれほど英明だったか、
 ってトーンで書かれているんだが、

 天皇という最高の地位がもたらす、見晴らしのよさ(perspective)は、確実にあるわけでね。

 それこそが、結果的に、賢い判断を導いたということもありえたわけで。

 ところが、
 そのあたりへの視点はまったくないんだ。

 「昭和天皇は畏(おそ)るべき知性の持ち主だった」
 だけでは説得力に欠ける、と思うよ。

 松本健一が、保守的精神の旺盛な人であることを読者に示すだけのことでしかないような気がした。

 本の題名が、なんと、「畏るべき昭和天皇」。
 こういう題名は、冒頭に掲げたくなかった。
 だから「松本健一の本」と書いておいた。

 含羞はどうした、含羞は?

 と、
 松本に問いたいような気がする。

No.420 2008/01/12(Sat) 11:59:07


(No Subject) / muramatu 引用

この一年くらい少し暇な時間ができたので本を読むようになった。俺にとって本を読むということは、そんなものかな。特に目的があるとか知識を得るためだはない。だから
いろいろと、読み散らかして最後まで読むことが少ない。
ある時は追憶のために、ある時は純粋に娯楽のためにだけど。そして、ふと思うんだよ。読書が人生にどんな意義があるのかと。年をとるのは、いやな事だ。若い時はそんな事は考えずに、ただ読めたのに。

No.414 2008/01/07(Mon) 01:16:19

 
Re: 村松 / Jiraux 引用

 元首相の、故田中角栄が、生前、
 「人間は毎晩死んで、毎朝生き返っているんだ」
 って、講演でよく話していたの知ってる?

 ロッキード裁判で苦痛に満ちた日々を生きていた頃のことだ。”闇将軍”(自民党最大派閥のtop)として、首相選びに影の力をふるっていた頃のことだな。

 このphraseの意味だけど、
 人間は日々生まれかわれる存在なんだという肯定的な意味にも取れるし、

 田中が、毎夜、床に就く前に、

 「明日の朝は目覚めないでくれ……」
 って思っていたのかも知れない、
 なんて、negativeな見方もありうるよな。

 生死は、
 ほんとうに重大なテーマだな。君にもおれにも。
 土田民也が昨年2月に逝ったしな……。

 おれは最近、生死をテーマにした作品にしか関心を覚えなくなっちゃった。

 例えばだ、

 司馬遼太郎は、乃木希典・静子の自裁・心中を書いた「殉死」と、明治の人々の真摯を描いた「坂の上の雲」しか評価しない。

 で、おれは、生死(『しょうじ』って発音してくれる?)について思いを深くするために、
 読んだり書いたりしてるのかもな、って気もする。最近。

 そうした日々から浮かんできたひとつが、

 ”Here Now”だな、やっぱ。

 「いま、ここ」が、
 おれたちの生でただひとつ確かなんだ。

 だから、「いま、ここ」を、
 精一杯に充実させて、
 (もちろん、駄目なことは果断に乗り超えて)

 「いまここ」を大切にして生きてゆけ、
 という考え、

 と、どうやらおれは、受け止めているらしい。

 老荘だね、老荘思想。

 最近流行ってる。

 信州・伊那谷に、元大学教授が住んでいて、
 なにやら書いてもいるようだ。
 (おれはこの人からは教わっていない……)

No.416 2008/01/07(Mon) 17:53:58


「エレクトラ」(高山文彦著、¥2381、文藝春秋) / Jiraux 引用

 フランス映画「はじらい」を銀座シネパトス(三原橋)で見たらくだらなくってさ、
 腹立たしくって、

 地下鉄銀座駅前の「銀座五丁目Lion」に入って、
 禁酒の禁を破って(ヨクナイ…)、ギネス飲みながらこの本読んで、
 1976年1月14日に中上健次が「岬」で芥川賞を受賞するところ(317頁あたり)で、編集者と中上の心のやりとりに揺すぶられて、
 ティッシュで眼拭って、左の席見たら、

 スーツにネクタイの装いをして、眼鏡かけた70歳代後半とおぼしい紳士がいた。

 「その料理、カロリー高そうですね…」
 って、俺が話しかけたのがきっかけで、話し合うと、
 数年前に伴侶に先立たれた人で、新富町に住み、月に1度くらい、ここに来るんだそうだ。

 この人、聴けば、落語が好きで、人形町末広亭や神田立花なんてえ、今はない伝説的な寄席で噺を聴いたことのある人でね、

 先代桂文楽に飲み屋で会って話しかけられた、
 ってえことがあったのが誇りらしく、
 そりゃ、実にべけんやだから、噺家の話になって、

 志ん生と文楽(先代)の話に進んだ。

 志ん生のさ、
 「黄金餅」に出てくる、「言い立て」が好きなんだって。

 「言い立て」ってえのは、
 爪に火を灯すようにして貯めた二分金、一分銀すべてを、
 あんこ餅の中に入れて食って死んだ、願人坊主、西念(さいねん)の遺体を、

 長屋の人々が、西念の長屋のある下谷の山崎町から麻布絶口釜無村(あざぶぜっこう・かまなしむら)の木蓮寺に運ぶまでの道筋を、
 並べて言い立てる部分。

 こんな具合だ。

 「下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下へ出て、三枚橋から上野広小路へ出まして、御成街道(おなりかいどう)から五軒町へ出て、そのころ堀様と鳥居様のお屋敷の前をまっすぐに、

 筋違(すじかい)御門から大通りへ出まして、新石(しんごく)町から鍛治町へ出まして、今川橋から本白銀町(ほんしろがねちょう)へ出まして、石町(こくちょう)から本町へ出まして室町(むろまち)から日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目から中橋へ出まして、南伝馬(みなみてんま)町から京橋を渡ってまっすぐに、

 新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新し橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出て天徳寺を抜けて、飯倉六丁目から坂をあがって飯倉片町、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、

 麻布の永坂をおりまして、十番へ出まして、大黒坂をあがって、一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺にきたときには、ずいぶんみんなくたびれた……あたしもくたびれた」(ちくま文庫、古典落語志ん生集5)

 町名がたくさん出てくるこの部分は、
 西念の遺体を運ぶ道中が、
 どれほど遠くて大変だったかってことを伝えるためにある訳ね。

 で、この部分が好きって人ってなかなかいないんだよ。
 「この人、通だ」って思った。

 だから嬉しくなっちゃってさ。俺も話したんだ。

 「この言い立ては、
 噺好きの通には有名な部分なんですよね。
 私も、この間書いた『お前の長い旅の記録』って小説で、この手法、使わせてもらったんですよ…」
 ってね。

 この人、俺より先に帰ったんだけどさ、

 10分ぐらいしたら、
 ウエイターさんが、
 おれが飲んでいたのと同じ、グラス入りギネス(1パイント、¥990)の新しいやつを、おれの席に運んで来て、

 「先ほどのお客さまが、
 『もしもよろしかったら、お上がりいただけたら…、とおっしゃられまして…』」
 って言うんだ。

 どーでえ、粋だねぇ。
 口上も謙譲でいいじゃないか。

 名前も名乗り合わなかったったんだぜ。

 噺好きには、
 こんな人がいるんだな。
 噺の世界の、
 こころに通じているなぁ…。

No.413 2007/12/27(Thu) 00:48:05


アドレス / muramatu 引用

小池 まりこの 「望みは何かと、、、」を読んでみた。

No.411 2007/12/11(Tue) 13:26:59

 
ありがとう。 / Jiraux 引用

 ありがとう。村松。

 小池真理子には、 何年か前、
 神奈川近代文学館(横浜・港の見える丘公園内)で会ったことがある。

 作家の故開高健をしのぶ企画があって、夫人の故牧羊子(詩人)、小説家の加賀乙彦やなんかが出てきてしゃべったんだが、

 小池真理子は、聴きに来ていた。
 スポーツウーマンみたいな、贅肉のなさそうな体型で、背も165cmくらいあって、

 しかも目はぱっちり。美しかった。
(いま50歳台半ばのはずだ)

 小池真理子で知っているのは、それぐらい。
 著書は読んだことない。

 いい小説だった?

No.412 2007/12/11(Tue) 13:55:13


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