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◎真宗大谷派 「法主親言」‥予曩に全国の巡錫を企て聊か先徳行化の跡を追い益々宗風を顕揚し皇運を扶翼し奉らんことを期したるの時突如支那事変の発生に会し更に臨時議会の開院式に当たりては、畏くも帝国の向う所を明かにし国民の進む可き道を示し給える勅語を賜わりたるを拝す。聖慮深遠東亜の安定を御軫念あらせらるゝこと洵に恐懼感激の至りに堪えざるなり、惟うに東洋平和の確保と人類文化の完成とは帝国一貫の国是にして隣邦支那に之が提携協力を江むるを久矣然るに彼は帝国の真意を解せず排日抗日を以って国策とし遂に今次の事変を惹起するに至れり遺憾之に過ぐるはなし、抑々世尊一代の教説は成就衆生浄土の顕現に結帰し仏陀大悲の方便は攝受折伏の利剣を執って起つ、固より平和建設の方便なり、国民斉しく奮起蹶起して忠誠公に奉じ和協心を一つに其の目的の貫徹に邁進すべきは勿論殊に王政為本を旨とする我が浄土真宗に流れを酌む者は朝家の御為国民の為に念仏を申しあわせたまいさうらわばめでたうさうらうべしとの祖訓を恪守し金剛不壊の信を同うして皇恩国恩に酬報するの至誠を抽きんずべきなり、庶幾くは諸員予が意を体し普く之を門末緇素に伝え自他共に其の本分を竭さんことを。九月十三日 「臨時奨義事務局」‥職員(七月二十二日任命)(略) 「布教師と慰問使」‥北支事変勃発により大谷派本山は北支駐屯軍将士慰問の為仏教各宗派に率先して満洲国開教監督藤岡了淳及藤井草宣両氏を慰問使に任命した。藤井氏は七月十四日正午東京を出発した。大谷派では第二次布教師として七月十七日左の五氏を派遣せり。(略)第三次慰問使として陸軍歩兵少尉間島如亀雄、大谷堯雄前奥羽教務所長を任命九月三日出発した。以下内地外地より陸続として慰問使を任命派遣した。 「管長代理の慰問」‥八月二十八日宣暢院大谷瑩韶連枝は管長代理として上海慰問に出発、多数の慰問品を現地に於て配布九月十四日帰洛された。 「裏方の巡回慰問」‥智子裏方には率先して銃後婦人の範を示させられ、全国各地陸海軍病院を巡回御慰問なされた。
◎真宗高田派 本山では陸軍傷病兵輸送機一台を献納することに決定し全国六百末寺への醵金の指令を発するとともに本山からは率先して金一万円を支出するに決定し、又出征軍人をして後顧の憂いなからしむるため本山内に託児所を開設し、宗派の如何を問わず出征軍人遺家族の幼児を預り保母には同本山幼稚園の職員があたることに決定各市町村役場あて希望者の有無調査方を依頼することとなった。尚今次北支事変勃発の際逸早く特別布教班および映画班を組織し各地を巡歴、皇軍慰問資金を募集献金したほか誓山便暁、杜多源亮、大江戸龍秀の三氏を慰問布教師として従軍せしめた。
◎真宗興正派 「達示」‥第七十二帝国議会開院式に当り優渥なる勅語を賜い帝国の向うところ国民の進むべき道を明示し給う洵に聖慮感激に堪えず然るところ帝国政府は、聖旨を奉戴し、聖慮宏遠の程を更に全国民に徹底せしむるため別紙の如き告諭を発せられたり、惟うに今次事変は事態予断を許さゞるものありこの秋に当り門信徒教化の重責にある者は率先して愈々時局の重大性を認識し齊しく教家本来の使命に邁進し平素王法為本真俗二諦の宗風により教養をうくる者は益々金剛不壊の信念を堅持し滅私奉公一致団結如何なる艱難にも堅忍持久よく奉公の至誠を致し尊厳なる国体の本義に基づき尽忠報国の精神を振起昂揚し之が国民日常生活の裡に実践躬行現下の難局を打開し挙国一致以って所信断行光輝ある国史の宣揚に努め、皇運を扶翼し奉り、鴻恩に報い奉られんことを期せられ度此段相達候也 九月十一日 本山総務 華園称淳
◎真宗仏光寺派 仏光寺派大阪別院では八月十八日午後七時より東昭夫氏の「時局と仏教徒」と題する時局講演会を開催した。 「管長参内」‥管長渋谷隆教氏は佐々木執行と九月一日天機奉伺のため参内、次で大宮御所に伺候、更に閑院参謀総長宮、伏見軍令部長宮殿下邸に伺候それぞれ御機嫌を奉伺した。なお近衛首相、陸、海、外、文の各相を訪問した。 「管長直諭」‥夫れ我が帝国の国是たるや人倫共存の誼を敦くし、殊に東洋平和の保全を以って、その任務とせるは既に宇内に炳焉たり、是れすなわち、明示天皇の夙に宣明し給いし所にして我が国運益々発展して皇威万邦に光被するに至りしは正に此の正義に基かずんばあらず然るに近時隣邦支那の為政者は故らに我がこの正義を歪曲して強いて事端を構え幾度か帝国の親善的勧告を郤けて遂に今次の戦禍を見る痛恨何ぞ堪えん、之に依って畏くも、今上陛下に於かせられては深く宸襟を悩まし給い帝国臨時議会の開院式に当り優渥なる勅語を賜う、聖慮深遠洵に恐懼感激の至りなり、玆に派を浄土真宗に汲み二諦相資依の宗風に恪遵し軌範を報恩謝徳に執るもの豈一心護国以って無限の皇恩に酬い奉らざるべけんや抑々我が開山大師は成就の一念以って論主の一心と判じ之を他力の信としたまえり、この信すなわち日常生活の基本なれば吾が門末たるもの益々曩の数條を遵守し彌々その本務に邁進すべきなり、今や帝国は外に皇軍の武威昂揚し内に銃後亦盛なりといえども事態の前途予断を許さず、堅忍持久克く長期に耐ゆる覚悟を要す、方に国民精神総動員の実施に膺り一味の安心を礎として和協一致尽忠報国の至誠を披瀝し以って、有終の美を齊すに苟も過なからんことを切に望む所なり。 「事変対策」‥本派に於ては事変突然と共に臨時事務局を設け、出征者に対して懐中名号、念珠等を下付する外、派内僧侶の出征には陣中袈裟を下付せり。又裏方自ら各地陸海軍病院に傷病兵の慰問に活躍なされた。
◎真宗出雲路派 出雲路派管長藤光曜氏は時局重大に鑑み九月二日午後六時武生駅発東上、天機奉伺の為参内した。又「真宗出雲路派奉公事務局」を設け、管長を総裁に執事を局長に、住職、教場主任を動員して、一、出征軍人の慰問、激励。 二、出征軍人家庭慰問、救恤。 三、特に慰問使を遣わし軍人家庭の慰問。 四、「時局と真宗」に関する臨時特別伝道を全門末に行う。 五、其他時局に対して教家の採るべき態度に就いて種々指導を行う。
◎日蓮宗 八月一日番外論達を同宗僧侶、檀信徒に発した。 「管長諭達」‥惟うに今次の北支事変たるや事唐突に出ずるに似たりと雖もその由来する所頗る遠く数十年に亘る抗日教育の結果と彼が伝統の驕慢自負に由るものにして今や砲煙濛々として北支の天を覆い激戦は随所に展開せられ容易にその終結を逆賭すべからざるの現状にあり依って日謙謹で宮中に参内して天機奉伺し更に宗門は皇軍将士武運長久の大国祈祷会を虔修し実牘を派遣軍に贈らんとす故に我宗の僧侶檀信徒また重大の時局を深く認識し立正安国の祖猷を体して宗徒の本分を恪守し義勇奉公の勅教を畏みて国民的自覚を感起し召を受けて出征するものは論なしと雖もその銃後に於けるや僧俗を問わず男女を別たず挙国一致、異体同心、慰問献金等その他各々その分に応じ力に随い尽忠報国の赤誠を披瀝し皇軍をして士気益々旺盛に国威を中外に宣揚せしめんことを期すべし。八月二日 「報国義会の活動」‥九月十六日当面の実動大綱の決定を見、十月中旬を期し東京、名古屋、大阪、岡山、仙台等主要都市五ケ所に望月管長第一線に立ち国祷会、追悼会並に国民精神総動員の大講演会を催し、管長代理が各地衞戍病院を慰問することゝなり、恤兵弔慰として「第一線に立つ皇国軍人に捧ぐ」「白衣の勇士に捧ぐ」「銃後の祈り」「義国の英霊に捧ぐ」等四通りのパンフレットを作製又全国寺院に応召者遣家族相談所を開設することゝなり相談所手引と開所ポスター四千枚を急製することゝなった。 「管長代理慰問使」‥前教学部長新甫寛実氏を管長代理として現地犒軍に派遣した。
◎顕本法華宗 「支那事変に対する事業」‥支那事変に関し、諭達、告示、通牒等を発布し、挙宗総動員の協力に依り皇威宣揚武運長久祈願会、国民精神の振興運動、出征将士遣家族慰問、戦病死者英霊追悼会等を行う。
◎本門法華宗 支那事変に対しては早急慰問袋を宗内より募集し既に陸軍省へ七百袋、海軍省三百袋現在千五百袋を納付。尚宗内寺院教会所檀信徒出征者へは管長より武運長久のお札の曼陀羅のお守家族へ管長より慰問状宗内教師には金五円又は三円戦病死者には管長より法号を授与し又は弔詞を送る。
◎本妙法華宗 支那事変に就きては、宗務所自ら総務となり各寺院住職を総動員して銃後の施設に努め就中力を尽忠報国の精神作興に注ぐ。
◎日蓮宗不受不施講門派 「支那事変に対する事業」‥一、七月十三日管長より政府声明の主旨を各教師に対して諭達し宜しく信徒を教導し正しく時局を認識せしむるに努め以て国民たるの本分を守らしむると共に協力一致彌々国民精神の振作に遺憾なからしむことを期す。 一、七月十五日より同月二十一日に至る七日本山本覚寺及各教会に於て出征将士の武運長久の国樹法要を虔修し信徒中の出征者に御守を贈る。 一、七月宗務局より陸海軍恤兵部宛慰問袋を贈る。 一、八月二十八日本山本覚寺に於て本化尚信会主催し出征将士武運長久の祈願と時局講演会を開催す。 一、十月八日本山本覚寺に於て出征将士戦病死者の遺霊法要を営む。 一、立正青年会、立正婦人会を組織し出征軍人家族手不足の農家其他に対し労力援助慰問を為す。
◎法相宗 宗務所では支那事変に対し宗内一派に対し「この際特に一大覚悟を以って外には国威の宣揚を期し内には国論の結一を計り銃後の護を堅固ならしめる」よう通達し、(イ)国論統一及び時局認識の正鵠を得せしむる講演説教の開催。 (ロ)慰問使及び軍隊布教師の派遣。 (ハ)慰問金及び慰問袋の募集。 (ニ)出征軍人の歓送迎及び遺族の慰問。 (ホ)国家安泰、戦捷及び武運長久祈祷及び戦死者追悼法要の執行。 等遺憾なき様希望した。
◎華厳宗 事変勃発するや当山婦人会を動員して慰問に尽せり。 |
No.924 2009/07/01(Wed) 16:18:11
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例の宗史略年表なんですが、あの海外開教伝道史の出版すら記載されてないし、なんだか一切「なかったこと」にしてしまいたいような、そんな気配を感じます。 宗務庁からは、ちゃんとした本だって出てるのになあ。 せめて宗務庁サイトから懺謝文を照会できるようなってなきゃ、まじめにやっとるイチ檀信徒として不審の念いだかざるを得ません。 |
No.925 2009/07/03(Fri) 21:19:45
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