[
掲示板に戻る
]
記事No.857に関するスレッドです
★
塩屋駅
/ DAI
引用
塩屋と言えば僕の中ではふくださんなのですが(代名詞)
盆休中に塩屋駅を利用した際に、下りホームでホッと一息
ついた時にアレッ?というものに気付きました。
上りホーム。 古い石積みのホームが下部にあるのですが
それが西へ行くに従って地中へ埋もれて行くのです。
No.856 - 2010/08/17(Tue) 17:17:37
☆
Re: 塩屋駅
/ DAI
引用
こんな感じです。 一番ホーム最東端では石積みの古いホーム
がせりあがっているのに、西へ行くに従って沈んで行きます。
駅の上屋辺りで完全に地中に埋没してしまいました。
No.857 - 2010/08/17(Tue) 17:18:57
☆
Re: 塩屋駅
/ DAI
引用
これは4年前の垂水区役所での垂水今昔展で撮ったもの。
複々線化される前の古い塩屋駅の写真です。
この時の上りホームの古い石積みが今の上りホームの下部に
ひっそりと生きているのでしょうか。
それにしても、営業しながら線路を嵩上げしたって事実が
凄い! 駅西側の塩屋谷川を跨ぐガードが、昔はもっと地平
に近い位置を通過していたという事になるかと思います。
複々線化の工事の時に列車線スペースに一時 駅を切り替え
て、その間に電車線部分の嵩上げ工事をしたのでしょうかね。
No.858 - 2010/08/17(Tue) 17:23:26
☆
Re: 塩屋駅
/ DAI
引用
これも垂水今昔展で撮ったものです。
この写真には凄いヒントというか、答えがそのまんま出て
いますよね。
今で言う電車線部分が、ほとんど国道と同じレベルを走って
います。
今は、塩屋駅を過ぎて西へ行くと、海成段丘崖の斜面の途中
を高架チックに通過して行きますが(電車線)、複々線化
される前は塩屋駅から西へ下って行って、国道とほぼ同じ
高さを走っていたようですね。
けど、なんで今のように高い所を走らせる必要があったの
でしょうね。。。
国道の拡幅かな? この写真で見る限り今とあまり変わらない
ような気がするけど・・・
No.859 - 2010/08/17(Tue) 17:43:19
☆
Re: 塩屋駅その他
/ しろいむく犬
引用
2国の写真は垂水よりでしょうか?確かに戦前・戦時中はあの辺
余り段差がありませんでした。
「垂水今昔展」ならば、昭和8年ごろまで山陽電鉄(宇治川電気
電鉄部)が、東塩屋から山陽本線をオーバークロスして、海岸
沿いを東垂水付近まで走り、再び築堤上から山陽本線をオーバー
クロスして現在線につながっていた時代の「橋台」の煉瓦積み跡
が、国鉄の上り線側に残って居た写真がありませんでしたか?
複々線化まで残って居ましたが------
No.860 - 2010/08/17(Tue) 21:16:11
☆
Re: 塩屋駅
/ DAI
引用
しろいむく犬さん
注釈では滝の茶屋辺りだという事でした。
この時の展示では、山陽電鉄の段丘崖区間を迂回するというオーバークロスの名残写真は無かったと思います。
今のように段丘崖の上を(途中かな)走らずに、苦しくても省線をオーバークロスして海側の地平を走っていた所に、この塩屋ー垂水間の天険っぷりが分かりますね。
東の親不知、西の塩屋 でしょうか。
No.861 - 2010/08/17(Tue) 21:41:02