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美し都 神戸から 掲示板

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移転先からの景色 / DAI
移転先の窓から見た景色です。 どこか分かりますか?
左下の道路は西神戸道路です。 正面の高層住宅群は夢野
ハイタウン。 すっきりとしない天気ですが、住宅の間から
大阪湾が見えるんです(^^)

No.1171 - 2011/02/03(Thu) 10:08:25
会社の引越し / DAI
年明けから 1月末の会社移転の件でバタバタしています。
移転先の改装工事を担当して、事務所のレイアウトを考えて
引越しの段取りから、その後の片付けに走り回ってと、多忙
な日々を送っています。
そろそろ平常な生活に戻れると思います。

No.1170 - 2011/02/01(Tue) 18:53:49
ここのことかな? / DAI
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003761040.shtml

すっごいですね! 定期エアラインの格納庫が出来るとは!!

今年はじめて空港に行った時 管制塔のちょい西側で造成
中の土地があったので、そこかな?と思います。
整備場ごしに離陸していくスカイマーク機 良い景色が見れ
そうです(^^)/

No.1166 - 2011/01/25(Tue) 07:43:03

Re: ここのことかな? / DAI
因みにここです↓
No.1167 - 2011/01/25(Tue) 07:43:31

Re: ここのことかな? / DAI
その場所の前を離陸していくスカイマーク機!
No.1168 - 2011/01/25(Tue) 07:44:04
阪急三宮駅調査 / DAI
今日の午後、阪急三宮駅のホームを覆う上屋の目視調査を
しました。

No.1159 - 2011/01/22(Sat) 19:04:04

Re: 阪急三宮駅調査 / DAI
前回までは屋根の一番高い所のトップライト部分に木材が
使われているのを見ていたのですが、それ以外の大屋根の
部分にも木材が使われている所が分りました。

↓これは、そんな木材が使われている屋根です。 

No.1160 - 2011/01/22(Sat) 19:10:18

Re: 阪急三宮駅調査 / DAI
神戸市役所のHPに掲載されている空襲後の空撮写真を見て
いると、屋根が焼けたのか?抜け落ちている所が見受けられ
ますが、木材に葺き替えた所では、火災の熱でなったと思わ
れる鉄骨柱の軟体化の痕がありました。

この柱 すごくグニャリと曲がっています。 上屋の中では
一番酷いケースです。 地震も考えたのですが、地震で鉄骨
柱が飴のように曲がるかな?と考えてみると、ちょっと考え
にくいので、熱で曲がったのが自然だと思いました。

そうなると、神戸大空襲の名残なんだろうと結論付けました。

No.1161 - 2011/01/22(Sat) 19:15:46

Re: 阪急三宮駅調査 / DAI
これも壁際の鉄骨のアングル材を組み合わせたトラス梁です。

これもそれぞれにムニュムニュと曲がっています。 火災の
熱で曲がったのでしょうね。

No.1162 - 2011/01/22(Sat) 19:17:42

Re: 阪急三宮駅調査 / DAI
これは今回の調査結果です(^^)

1〜21番までの通りがありました。 屋根を支える大きな
鉄骨梁と梁の間を1つずつ数えると21通りになったのです。

左が花隈方向。 右が梅田方向。 一番左に屋根の断面形状
をイメージ的に記しました。

水色部分が明り取りのトップライト。 オレンジ色の部分が
木材が使われている天井です。
屋根の一番高いトップライト部分は、ガラス以外の箇所は
すべて木材でした。
他には、屋根のそれぞれ四隅辺りが木材になっています。

市役所の空撮画像では、梅田方の隅は焼けて 抜け落ちている
のが確認できますし、花隈側も南の隅部は焼けて抜けている
のが確認できます。 花隈側の北の隅部は視認出来ません。

今回の目視調査で分った事は、やはり屋根に木材が使われて
いる箇所は、空襲被害の酷かった部分になるのだと思いました。


阪急三宮駅にこれほどの戦時中の名残が残っているとは思い
ませんでした。

No.1163 - 2011/01/22(Sat) 19:24:54

Re: 阪急三宮駅調査 / 白いむく犬
DAIさん:
私は昭和22年の秋から阪急神戸線沿線に住んでいますが、どうも
天井には気がつきませんでした。
当時の三宮駅ホームはもっと暗かった記憶がありますので、板張りの部分が多かったのでは?
図面で拝見するとガラス部分が千鳥配置なので、上手く工夫しているなと想います。
戦後のゴタゴタ時代は駅や学校の窓ガラスが盗まれた程です
から、阪急の中間駅のホーム上屋などは、薄い金網入り代用
磨りガラスでした。(表現が難しいですが、溶けたガラス液に
薄い金網を浸して製造とでも)。

No.1164 - 2011/01/24(Mon) 09:49:48

Re: 阪急三宮駅調査 / DAI
戦後 修繕された時は、トップライト部分もすべて板張り
だったかも知れませんね。 それをしばらく経った頃に
千鳥配置でガラス貼りに改装したと考えるのが自然ですね。

No.1165 - 2011/01/25(Tue) 07:36:14
そごう1期の東隣 / DAI
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/disaster/war/war03_36.html

昭和20年のこの空襲後の空撮写真。 これにはそごうの東
隣に平屋のコンクリートの建物が建っています。 この写真
つい最近HAT神戸の人と防災未来センターで見たのですが
それをよーくよーく見てみると、この平屋建ての建物は将来
上部に増築を考えて建てられている事が分かります。
屋根の上にマトリックス状にポコポコと柱が出ているのが
見えますから。

10年以上前に個人的にそごうの建物を研究した事があった
のですが、その時に店内を歩き回って、歩測で柱の本数や数
を調べて平面図を描いた事がありました。
その時の実体験から、この空撮写真を見ておぉ?!という事
に気付いたのです。

僕の想像が正しければ、そごうの1期棟東側の2期部分は
95年の地震で2階や5階が大破して、上部が解体撤去され
その後に再建されていますが、その1階や地下は、この空襲
後に写っている平屋の建物の可能性が大です。

10年以上前に調べた資料を家探ししたら見つかるかな?・・・

そごう本館2期は昭和31年頃に増築されたという事になっ
ているようですが、もし僕の想像が正しければ低層部の1階
以下の躯体は、戦中か戦前に建てられた可能性があります。

No.1148 - 2011/01/18(Tue) 17:05:18

Re: そごう1期の東隣 / hiro
DAiさん
そごうの建築中の写真がありましたので!
撮影は昭和31年5月頃
戦後、神戸ではデパート増築の反対運動がありました。
(神戸商店街20周年史より)
其の為に工期がのびたのではと私は思うのですが?

No.1149 - 2011/01/19(Wed) 07:54:59

Re: そごう1期の東隣 / DAI
hiroさん
そごうの本館中央部はあくまでも戦後のものだと思って
いたので、1階と地下だけであっても戦中?の可能性が
出て来たのには驚きました!

グラフこうべに昭和30年代の街並みを紹介したものが
あったと思いますが、その中の空撮写真にもたしかヒントが
あったかと思います。 探さねば!

No.1150 - 2011/01/19(Wed) 18:18:15

Re: そごう1期の東隣は戦争直前? / 白いむく犬
三宮そごうへは度々連れて行ってもらって、C55標準型の
0ゲージ模型等買ってもらった記憶があります。
昭和15年頃だったでしょうか???

その当時東側に工事中見たいな部分があったと想います。
戦後昭和23-4年ごろ同じ状態だったかと?記憶違いだったら
御免なさい。

No.1151 - 2011/01/20(Thu) 09:24:32

Re: そごう1期の東隣 / DAI
情報ありがとうございます。 引続き調べてみます。
No.1152 - 2011/01/21(Fri) 08:05:11

Re: そごう1期の東隣 / DAI
神戸開港100年の歩み より転載

下記の画像は神戸港の開港100周年の頃に発行された記念
冊子に掲載されている写真からです。 昭和32年の空撮
写真。 これにはそごうの2期はもちろん完成しています。

市役所のHPの空撮に写っている平屋の建物と、この増築
された建物を比べると、1階部分のアウトラインはピッタリ
と一致します。 2期棟の1階は南東部は直角ですが、2階
から上層部は斜め45度に隅切りがされています。
市役所HPの平屋の建物も1階は直角ですが、増築される
であろう2階から上の部分は隅切りがされる形状になって
います。
2期棟背面の塔屋部の形状も同じですし、文献での確認は
取れていませんが(そごうの社史等)、写真等の状況証拠
からで言うと、ほぼ確実にそごうの本館中央部の1階以下
は戦中か戦前に出来たものです。

戦後 落ち着いてきた頃に増築されたと思っていた事が
戦中か戦前から、すでに増築を考えて平屋建ての建物を
建てていたという事に驚きました。
それと、そごうのある土地はそれぞれ地権者が居て、棟別
に違っていたと思いますので、より複雑怪奇なんだと思い
ます。 梅田の阪急百貨店本店が8期に分けて増築された
のとは、ちょっと事情が違うと思っています。

No.1155 - 2011/01/21(Fri) 16:44:15

Re: そごう1期の東隣 / hiro
DAIさん
大丸付近の戦前の絵葉書は色々有りますが、そごう神戸店の絵葉書はこれ1枚です。
トリミングしていますが!!!
1934年製?

No.1156 - 2011/01/22(Sat) 05:15:59

Re: そごう1期の東隣 / DAI
hiroさん
この彩色絵葉書ではまだそういう素振りはないですね(^^)

それよりも、1棟の前にあるBOX これって市電のポイント
の切り替えをするところなんですかね?(^^)

No.1157 - 2011/01/22(Sat) 11:04:40

Re: そごう1期の東隣 / DAI
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/disaster/flood/flood03_01_25.html

昭和13年の阪神大水害の写真には工事中の様子が写って
いますね!
クレーンが見えるし、工事現場を囲う塀や、1期棟際には
足場も見えます。 ちょうど昭和13年初頭頃に着工した
のでしょうね。 これは動かぬ証拠です!
平屋ぐらいの建物なら開戦前には完成していただろうと
思います。

No.1158 - 2011/01/22(Sat) 14:05:09
新聞会館の図面 / DAI
新聞会館の図面が手に入りました。

村野藤吾建築設計図展5 カタログ より

これは新聞会館大劇場です。 3〜6階にまたがって存在
していた大劇場。 建物の北側、ちょうど富士山の壁画の
背面がステージになる位置関係ですね。
どん帳も気になるデザインです。

No.1153 - 2011/01/21(Fri) 08:09:28

Re: 新聞会館の図面 / DAI
これは縦断面図。
撮影の具合で変形しています。 左側が北、右側が南。
左の北側壁面は富士山の壁。 右側は国道2号線側です。

大劇場は3〜6階にあるのが分かります。 大劇場の上7階
にもスロープになっている空間がありますが、これが震災前
まで営業していた映画館に当たると思います。 
大劇場の真下の地下1〜3階には輪転機室があったという
事です。 ちょうどそこからなら、JR三ノ宮駅西口に続く
地下通路にも直結していますしね。
この図はまだ8、9階が増築される前のもので、大劇場や
映画館の上の8階部分(図上では屋上)にボーリング場が
後に出来る事になります。

No.1154 - 2011/01/21(Fri) 08:16:11
阪急三宮駅 / DAI
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/disaster/war/war03_17.html

神戸市役所のHPに、戦災の写真が掲載されているページが
ありますが、その中に興味深い写真がありました。
阪急会館を山側から見た写真です。

どこかで阪急会館が焼損している写真を見た事があったので
すが、これとはちょっとアングルが違っていたと思います
けど、これを見ても分かる通りプラットホーム部分の屋根は
全焼に近い状態になっていますね。 屋根の板が無くなって
いる所は焼夷弾が命中したのか、火災の熱で抜けた落ちた
のか。。。

阪急会館そのものも酷い様です。 当時は違っていたと思い
ますが、今のように表現すると、阪急文化と阪急会館部分は
全焼。 阪急シネマ部分も全焼ではなくても、それに近い
状態になったように思えます。
さすがに1階や中2階のコンコースは燃えずに済んだのでは
ないかと思いますが、周辺の建物が焼けているので その熱
は凄まじかっただろうと思います。

No.1145 - 2011/01/18(Tue) 16:14:09

Re: 阪急三宮駅 / DAI
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/disaster/war/war03_36.html

これも凄い資料写真です。 阪急三宮駅のホームを覆う屋根の
一番高い所に明かり取りがありますが、すべて焼け落ちて
います。 所々屋根そのものも焼けて空が見えるようになっ
ていますし、そごうは大丈夫だったのでしょうか・・・

省線にしても、阪急にしても、大空襲の後、運行を再開する
のはかなりの日数を要したのでしょうね。 架線を直さない
といけなし、レールも熱で歪んだでしょうし、枕木も木製
だったのかな?


よく こんなにもきれいさっぱりと焼けてしまった街を復興
させたなぁと思いました。

No.1146 - 2011/01/18(Tue) 16:21:56

Re: 阪急三宮駅 / DAI
以前からの謎が上記の写真によって解決したのですが、去年
見つけた阪急三宮駅のホームの屋根の木製部分。
まさか竣工当初から木材を使っている訳がないと思いながら
も、戦災かその後か?時期が分からなかったのですが、十中
八九間違いないと思いますが、戦後 急場凌ぎで青空の見え
る屋根を木材を使って修繕したんだと思います。
その修復の跡が今も天井を見上げると見えるのだと。

No.1147 - 2011/01/18(Tue) 16:27:21
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