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記事No.752に関するスレッドです

(No Subject) / he he
Mongol busgui gej goyo shuu
No.752 - 2007/09/29(Sat) 01:37:29

Re: / MGL
Teneg er tanhai huuhnuudiin tsugluulga l yum baina shdee.
No.759 - 2007/10/01(Mon) 11:36:15

Re: / he+he
Tim bisi gen shuu,im gene
DZマン:私は若者を呼びかけている
2007/09/27 木曜日 21:54:29 MDT
最近、政治批評家と言われるより「DZマン」という名前で公民の注目を引いているジャーナリスト、詩人のB.ダシゼベグさんを今回のインタビュー・コーナーに誘った。



質問:音楽界に入ったことで話を始めましょうか。  
答え:芸能界にとって私は新人物ではないですけど。若い頃から音楽が“愛してきました”。作曲家らと昔から友達でした。 “友達を通して私を知るわけだ” “私を見て、あなたを知るのが規則だ”、“ああ、皆さん生きるというのは最高”、「私は母に会いに行く」など20の歌を作りました。1986年、国連総会を取材に出張していた時、ニュー・ヨークの中央公園でジョン・レノン歌手の記念看板に「モンゴルの若者たちより」というリボンを付けて追悼していました。歌手の奥さんにインタビューをしようと、周りの人たちを驚かせてこともあります。その次の年、再び訪れた時に30時間の当時の音楽をレコードし、モンゴルのラジオで「外国の音楽タイム」という番組を作り、毎日20分ぐらい放送しました。当時、聴取者からは何も批判と感謝のコメントはありませんでした。驚くだけだったでしょう。 ヨーロッパ駐在記者の時、アトランタ海のエビツァ島にある「世界娯楽場」を見学し、モンゴルのバー、レストランのダンスや音楽をこのように変えたいと思っていたこともあります。故バドルオーガン作曲家の息子ナランゾンさんが私に3年前に「エレクトロ音楽を促進しよう、一緒に協力しよう」と意見を言っていました。ヨーロッパのある国では同風の音楽リズム、歌手を国民に知られた声をバックにしています。モンゴルでは今でも海外の音楽をそのまま真似しているのが事実です。それでカメルトン・ボイバンドのD.ボルドさん歌手の依頼に応じ、国際エレクトロ音楽の新流をモンゴルで促進しようと「Bプロダクション」と協力し、ムンフデルゲルさん、ナランゾンさんらと一緒に歌を作っています。
質問:「エレクトロ」をもっと詳しく言うますと?答え:ポップ音楽の一流です。 質問:どんな特徴がありますか。
答え:ステレオリズムの変更で、ダンストランスと似ています。
質問:ダシゼベグさんが特別なやり方で音楽を作っていると聞きましたが、それに関して少し話してくれませんか。
答え:そうですね、最初にテーマを選び、後で曲を聞きながら詩を作ります。
質問:最近の作品を紹介してくれませんか。
答え:Bプロダクションの「ボリューム1」CDに二つの歌が入りました。今はエンフゾルさんと共に「娯楽」、「愛とは何?」という歌を作成中です。またビデオも作り始めました。
質問:自分のイメージを変えますか。
答え:私はいつも鮮明な色を選んでいますよ。これからも同じでしょう。
質問:ヒップホップ・スタイルの服を着ませんか。
答え:いいえ。
質問:ポップエレクトロでダンスしますか。
答え:腎臓が病気なので、あまり踊りません。だけど、ビデオでは踊っています。
質問:ビデオでの「DZマン」を描いたら?
答え:今までのイメージです。最近新聞や雑誌で写真が載っているでしょう。そのままです。
質問:家族はどう応援していますか。
答え:妻は落ち着きもないしあまり好きではありません。子供たちが応援していますよ。大学生の孫が私のファンだと言っています。
質問:ダシゼベグさんの作品を二つの形で受け入れています。ある人は先進国で人気を及ぼしている新流派をモンゴルで広げていることが良いと、ある人は60 歳を超えているのに、このダシゼベグはちょっと恥ずかしいのではないかと。これをどう受け入れていますか。
答え:芸術家として私は何も傷ついていません。批判と賞賛のどっちでも同じくおだやかに受け入れています。数日間前、ボルド歌手がスタジアムでコンサート開き、私もそこで歌った際に観客の拍手と応援声がとても素晴らしかったです。これは私が何も悪いことをやっていないというでしょう。
質問:歌詞を自分で作りますか。
答え:もちろんそうです。曲を聞いてからすぐに言い始めますよ。だけど、なるべく若者に認識してもらおうという詩を書くように志しています。残念ながら、モンゴルでは家族で海外に行っている人が少ないです。例えば、私は韓国から帰ってきたばかりですが、「私たち、良く働いて高い給料をもらっています。ただ、妻や恋人を恋しく思うのが大変です」とあそこで働いているモンゴルの若者たちが話していました。それをテーマにしてこの歌を作っています。
質問:家族を紹介してくれませんか。子供の中ではダシゼベグさんの専門を受け継いだ子はいますか。
答え:息子が二人と娘が一人います。妻は経済学者とエンジニアです。息子の一人は政治研究とジャーナリスト学でドイツのウォン大学をそろそろ卒業します。一人は建築エンジニアです。娘はコンピューター修理と組立の専門を習得しました。
質問:ダシゼベグさんは何カ国語で話せますか。
答え:人間は外国語を完璧に習得するとは思いませんが、私はロシア語、英語、ドイツ語、フランス語を仕事レベルでは習得しました。
質問:取材に応じてくれてありがとうございます。これからのご活動の成功をお祈りします。答え:ありがとうございます。みなさんのホームページを通して自分の作品を紹介できたことも嬉しく思っています。


No.762 - 2007/10/02(Tue) 00:07:47

Re: / Yostoi
Yarishig l yum baina!
No.776 - 2007/10/04(Thu) 00:33:54