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言語って大切? / sara
ヨーロッパでは1960年代以来、50近くの地域、言語少数民族の言語運動が、盛んになっている。
No.925 - 2007/11/05(Mon) 23:38:31
dalai lamaiin shannal olson tuhai surbaljilga / nogoon

No.917 - 2007/11/04(Sun) 01:14:08
(No Subject) / c

No.914 - 2007/11/03(Sat) 11:10:30
Sonin saihan. / オートグレーダー・ブルドーザー
モンゴル人はヨーロッパチャンピオンに

2007/11/02 金曜日 20:27:06 MDT

スペインのマロゴ市で行われた鉱山オペレータのヨーロッパ選手権大会に、モンゴルのエルデネット工場の操作者のN.ナランバートルさんが参加した。世界23カ国の選手48人が参加したこの大会は、ダンプカー、ブルドーザー、クレーン、パワー・ショベルなどの6種目で行われた。1992年から世界的に有名なWagner Asia鉱山重機社が主催してきた同大会にはアジアで初めて招待で参加したN.ナランバートルさんはオートグレーダー・ブルドーザー種目で優勝し、他の選手らを驚かせた。 なぜならば、以前操作したことはなかったのに、数日間練習しチャンピオンになったという。

http://www.mongoliadirect.com/content/view/2713/601/

No.915 - 2007/11/03(Sat) 12:11:18
警察と / ggg
はは

No.912 - 2007/11/02(Fri) 02:38:55

Re: 警察と / 間抜き
http://jbbs.livedoor.jp/travel/5541/
No.913 - 2007/11/02(Fri) 08:20:57
王子ーラマ / 無名
http://tsemtulku.com/chinese/cindex.htm
No.909 - 2007/11/01(Thu) 05:17:50

モンゴル王子 / 無名

格好良いじゃないか

No.910 - 2007/11/01(Thu) 05:23:55

Re: 王子ーラマ / 無名
モンゴル王子で台湾生まれ、アメリカ育ち、人々にラマ教を教えている若者がいます。
No.911 - 2007/11/01(Thu) 05:32:44
もっと外国人を積極的にうけ入れよう / burenbayar
私は三五、六年前にアメリカに留学していたが、その頃からアメリカの大学にはたくさんの外国人留学生がいた。そのため、外国人の学生のいろいろな相談に応じてくれる専門のアドバイザーもいた。それぐらい昔からアメリカは外国人留学生を積極的に受け入れていたわけだが、このごろますますそれが増えているらしい。
  例えばニュージャージーにある工業大学では八八七人の学生のうち七三四人が留学生だという。つまり全体の八○%以上が外国人ということだ。そしてそのほとんどがアジアの国々からの留学生だそうだ。また、テキサス大学では土木工学学科に三五五人の学生がいる。そのうち外国人留学生は二○五人。やはり六○%近くが外国人んいなっている。いずれの場合も、ここまでくれば外国人が多いなどという段階を通り越している。それどころか逆に外国人がいないと大学が成り立たないという状況になっているわけだ。
  もちろんアメリカのすべての大学はそうなっているわけではない。しかしそれでも一九七二年にアメリカ全体で一五%程度だった外国人留学生が、今は二六%にまで増えている。大体四人の一人は外国人と言うことになっているのだ。其の中で特に土木や工業関係の学科でアメリカ人の学生が少なくなっているのだ。それがどうしてかというと成績の優秀でお金儲けをしょうと考えているアメリカの学生は、弁護士や公認会計の資格を取って金融界に行ってしまうのだ。だから工業大学などの学生がだんだん減ってくる。そこへアジアからの留学生がやってくるわけだ。アジアにまだまだ発展途上国が多い。そういう国からくる学生は、やはり技術者になるために留学するようだ。

... ...

  それに、アメリカという国は基本的に外国人を特別扱いすることがない。外国人留学生もアメリカの学生もまったく同じように扱われている。だから人数を制限するようなこともしない。外国人にたいしてとても親切なのである。これは日本と非常に違う点で、学ぶべきところだと思う。
  日本で中曽根首相の時に外国人留学生を一○万人受け入れようと言っていたが、実際にはまだ一万ぐらいだろうと思う。そして受け入れてからもアメリカと違って、やはり排他的部分が多い。例えば下宿が部屋を貸さなかったりすることがあるわけだ。これではせっかく日本に来た外国人留学生が、かえって反日感情を抱いて帰国することにもなりかねない。
  留学生に限らず、こういう外国人に対する態度は絶対に改める必要がある。外国人労働者の問題もいろいろなところで取り上げられているが、時代の流れとしてはアジアの貧しい地域からの移民がこれから日本にどんどんやってくることになると思われる。不思議なことに貧しい刻に若者が多く、先進国には老人が多い。しかも日本の若者はいわゆる「3k」の労働を敬遠している。これから高齢化社会を迎える日本は、肉体労働の部分を必然的にアジアからの移民に頼らざるを得なくなるに違いない。それを冷たく扱っていては経済そのものが成り立たなくなるわけだ。日本にとっては大きなテーマである。

       「世間知らずの日本人」(1991年)より

No.904 - 2007/10/31(Wed) 01:59:59

Re: もっと外国人を積極的にうけ入れよう / huhe
本当に乗せるものがなかったら黙っていれば!ぜんぜん意味がない!いま2007年だよ!
No.905 - 2007/10/31(Wed) 11:41:41

Re: もっと外国人を積極的にうけ入れよう / nogoon
今何変わっていますか。
No.906 - 2007/10/31(Wed) 20:36:20
メイデア批判 / anash
たとえば朝青龍問題では、、、、

No.903 - 2007/10/31(Wed) 01:11:04
内モンゴルの「自由と人権」 / Uul
 出版されてからわずか三日間で、散文詩集−「頑石無言」が当局に没収された。
 
 2007年10月22日の夜、南モンゴルのジリム・アイマッグ(今の通遼市)で、教師のホーチンフ(高玉蓮)さんの作品−「頑石無言」と散文詩集が当局に非法的没収された。
 散文詩集は10月18日に出版され、わずか三日間になっていた。この作品はホーチンフさんが長い間勤勉に書きあげた42篇の記事やリリカルを含め、旅行記、懐旧、環境保全及び生活感想などを書き込んだ作品であった。本に書かれた文章の半分以上は既に雑誌や刊行物に公開的掲載された作品であった。ヒューマニティー的思想はこの作品の主な命脈だ。作品の内容から見ると中国政府の提唱している文化的敏感度には行かなかった。
最初は6月に内モンゴル文化出版社に投稿し、本社から内モンゴル新聞出版局に出版する報告を出したが、新聞出版局側は原稿審査もせずに拒絶した。内モンゴル新聞出版局はこの事に対して内容的じゃなくて、人柄に対して厳密な態度だった。その後、作者は別の初稿−「石心樹」を整理し、遼寧省の阜新市阜蒙県に行って組版したが、印刷時に阜新市国家安全局からの干渉を受け、うまく行けなかった。その後、9月2日に遼寧省の章武県にいる友達に頼んだが、10月17日に通遼市国家安全局の人達が章武県に追及し、「石心樹」の組版を没収した。その一方、作者は「頑石無言」を国際書籍許可証と共に別の印刷会社に頼んで、18日に出版された。
 作者は10年頃劣悪な生活条件に暮らしつつ、家庭の電話も監視されている可能性が高く、外出度にも監視されている。7月に、外国へ行くパスポートを申請したが、当局から拒絶された。18日、作者は出来上がった本の一部を姪の家に置き、一部を通遼市モンゴル学校の先生の家に隠した。その間、中国共産党の17回大会を行っている時期にあって、「頑石無言」を公開的発行していなかった。10月22日の夜、姪の家に知らない人達が非法的侵入し、姪を連行し、1時間後には姪と一緒来て、置いていた全ての本を没収した。その同時にモンゴル学校の先生の家にも同じ事行って、全ての本を没収した。この事については二つの法律的疑問がある:
 1、姪を連行する時、所謂「伝喚証」を見せなかった、捜査を行う時も「捜査証」を見せなかった。これらは中国の法律手順にあえない。
 2、本を没収する時、当局と作者との間は相談や質問した事はなく、強盗的行動だった。この事は作者の出版権や私人財産権にひどく侵犯した。
 なぜこのような事を行ったのか?上に書いているように、本に書き込んでいる文章の半分以上の作品は既に公開掲載された内容であり、中共の文化や思想をコントロールする「底線」を越えていなかった。通遼当局はなぜこのような恐れ入るのか?原因は、作者は1995年に内モンゴルで行った「南モンゴル民主連盟」の民族運動のメンバーであって、その後に収容所に入られたり、数限りないに「伝換」されたり事がある。職場(通遼市教育処)では職名も給与されなく、給料も同じレベルの職員より半分ほど少ない事でありながら各種の社会活動に参加する事にも権限がある。例え、今年の夏、モンゴル国へ旅行するためパスポートを申請したが、拒否を受けて、通遼市ホルチン区裁判所に行政訴訟した。その結果、裁判所は要訴追事件として提起しなかったものの、「不立案通知」も与えなかった。
 いまのところ、作者の骨が折れて書き、借金で出版した1000冊の「頑石無言」はこんな不遇な事になり、なにの返事もなく、どうしようもない。今まで通遼市公安局と安全局は作者と正式にあった事はない。この後、何事が行うかまだ分からなく、モンゴル学校の先生らもこの事件に巻き込まれ、連絡も出来ない状態である……

No.897 - 2007/10/29(Mon) 06:59:16
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