70488
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(No Subject) / 転送
在日モンゴル人総会発起人会議の報告 New / 在日モンゴル人総会 引用

7月15日行われる予定だった「在日モンゴル人総会発起人会議」は台風の影響により、一度中止されたが、改めて8月12日大阪で行われるようになった。今回の会議では、モンゴル国、ボリヤトモンゴル、内モンゴルなどのモンゴル人地域のモンゴル人たちが、日本の大阪、神戸、名古屋、岐阜、京都、東京都、岡山、福岡などの各地から参加して、以下のいくつかの内容を検討した。
 
1、在日モンゴル人総会発起会議:在日モンゴル人総会(Mongolchuudiin yapen dehi yurenhii holboo)の必要性。総会の構造、理事長の選挙決定、地方代表の選択決定、各部門代表の選択決定、総会制度の決定など等。
2、今年の6月にモンゴル国のセレンゲ県に起きた火災
http://news.mongoliadirect.com/default/detail/553への募金
 *今年モンゴル国で起こった火災について説明
 *火災により犠牲になった15人の家族への募金活動
3、横綱朝青龍への応援活動
  *横綱朝青龍への処分件の説明
  *処分に対する抗議文の説明
  *今回の処分に対する抗議文の署名活動(署名した抗議文は8月13日に相撲協会に郵送されているが、抗議文の内容を近く内にモンゴル人各サイトで公開する)
  *横綱朝青龍への応援メッセージ
 横綱朝青龍の一刻も早くご健康になり、心、体、技ともに強い横綱として土俵上に活躍する事をお祈りしてます。横綱は今回の事件を一つの試練として受け止めて、心を訓練するチャンスだと受け止める事ができれば、今回の事件は横綱の今後の人生にとっては大きなプラスなると考えております。
4、新潟地震により被害に逢ったモンゴル人同士への支援募金
 *新潟中越地方地震により、数多くの人々が被害に逢った。そのうち新潟で生活や勉強をしていた340ぐらいのモンゴル人同士も被害にあって、生活や勉強、仕事などの各方面でたいへんな状況に置かれている。今回の地震により、数多くのモンゴル人同士は今また避難所で厳しい生活を送っている。また一部分の学生たちは勉強、仕事ができなくなり、一度帰国している。http://www.oturchid.com/news/ngt_jishin.htm
モンゴル人同士として、彼らの非常の時に暖かい手を伸ばして、応援して行きましょう。
 *今回総会で募金された金額は\27,400円である。この支援金は小さい金額だけど皆さんに少しでも暖かい気持ちが伝われる事ができればとわれわれは考えている。また募金されたお金を総会理事長ウリグンさんが新潟産業大学のモンゴル人担当者に届けてあげます。

5、日本・モンゴル文化交流
 *日本・モンゴルミニー歌謡コンサート、馬頭琴演奏
 *モンゴル子供の祭り:会議に来たモンゴル人子供たちがモンゴル語で挨拶して、モンゴル語で自己紹介するから始まって、モンゴルの伝統遊びに参加した。またモンゴル人子供と日本人子供が交流して、在日モンゴル人先輩からモンゴル民族の歴史、文化を子供たちにわかりやすく説明してあげた。モンゴルお土産を子供たち一人ひとりに送った。モンゴルゲルを立てて子供たちや来場した日本人の方々に観賞させた。
6、かつての柔道世界チャンピオン ジグメドさんへの応援の呼びかけ
 ジグメドさんは内モンゴルのアルホリチン旗出身の方であり、かつてはイタリヤに行われた世界柔道大会で、金メタル取った事がある、そのほかにも世界的や国家、地域の試合で金、銀メタルを数多くとったことがる素晴らしい選手である。今年35歳の彼は今年から日本で総合格斗に参加し始まって「これからまた十年間戦って行きたい、モンゴル人として日本の総合格斗史の中で名前を残す事ができれば、今後モンゴル地域で総合格斗を広げる事ができれば」と熱望している。格斗技に強いモンゴルの中から総合格斗のニュースターが誕生する事をわれわれは祈りをしてます。
 最後に地震や朝青龍処分事件などの一連の事件のなかで皆さん方々のもっと心強い、もっとお互いに助け会うモンゴル人の輪(和)を造って行く事を願っております。皆さん方々のご健康をも。

            
                在日モンゴル人総会・モンゴル青旗協会・モンゴルモリタングラブ
                              
                                           2008年8月13日

No.534 - 2007/08/14(Tue) 02:23:29

Re: (No Subject) / スチン
ジグメドさんは内モンゴルのアルホリチン旗出身の方であり、かつてはイタリヤに行われた世界柔道大会で、金メタル取った事がある、そのほかにも世界的や国家、地域の試合で金、銀メタルを数多くとったことがる素晴らしい選手である。今年35歳の彼は今年から日本で総合格斗に参加し始まって「これからまた十年間戦って行きたい、モンゴル人として日本の総合格斗史の中で名前を残す事ができれば、今後モンゴル地域で総合格斗を広げる事ができれば」と熱望している。格斗技に強いモンゴルの中から総合格斗のニュースターが誕生する事をわれわれは祈りをしてます
No.597 - 2007/08/17(Fri) 08:50:45
ovor aradiin namiin hudelgeen / sanaa
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No.531 - 2007/08/13(Mon) 09:15:16

Re: ovor aradiin namiin hudelgeen / v
この写真どこですか、誰か説明してくれないか
No.555 - 2007/08/15(Wed) 09:01:16

Re: ovor aradiin namiin hudelgeen / sanaa bodol [関東]
写真1 駐モンゴル中国大使館前、8月8日、抗議文を提出する内モンゴル人民党メンバーら、エルヘムビリグさん、ブレンさん、B.トメンウレジさん、アルタンガダソさん
写真2 スウェーデン国、8月8日、抗議文を提出する内モンゴル人民党メンバーら
写真 3 東京、駐日中国大使館前、バリンフさん 

No.562 - 2007/08/15(Wed) 10:35:20

Re: 我々の模範だよう / Uul
 内モンゴル人民党とモンゴル自由連盟党のこのような公開的運動しているメンバー達は我々の模範だよう、この時代のモンゴル族のエリートです。全てのモンゴル人の精神を代表していると思う。特にBトメンウリジさんに拍手しております、大勢の青年達が彼のように勇敢で革命をする時代になるべきだ。将来の或る日、内モンゴル人は自分で自分の歴史を書ける自由的権力を把握したら、このメンバー達の名前は歴史に書き残すよう。
No.594 - 2007/08/17(Fri) 07:46:02
/ Uul
1、少数民族に対する中国共産党の根本的目的について皆さんの理解は共同ではなく、バラバラである。それに対して内モンゴル人民党と自由連盟党の宗旨はハッキリである、基金は今まで曖昧な宗旨を持ちながら、政治的活動をしてきた。2004年の秋、基金は内モンゴル教育庁と協力し、20人のメンバーを含めた「内モンゴル教育界団体」を日本へ呼び、一ヶ月の観光活動をした。勿論その団体に参加したのは所謂「民族幹部」が多いですが、彼らはモンゴル民族の利益を体表する事は出来ない,逆に中共と協力し、モンゴル族の利益を吸収スペクトルである。彼らは中共に完全的洗脳されたモノである。それより自由的学者達を呼ぶほうがいいじゃないか。7月から関西で成立しようと頑張っている「在日モンゴル人総会」の組織者達は基金の経験をよく考えて、独立性である組織を作ったほうがいいと思う。
 2、内モンゴルにいる多数の芸能人、詩人、作家達の中には中国共産党と結び、政府や政党に全く左右され、政党や政府の宣伝工具になっている人物も少なくではない。彼らは自分でも知る由もなしに利用されている。例え、2006年、CCTVの「春節聯歓晩会」に参加してから歌手になったブリンバヤール氏(吉祥三宝)の家族三人、日本に就職している馬頭琴演奏者であるサインジャヤ氏(今年の夏、内モンゴルに帰って自分のアルバムCDを商売した事)が自分で知らず内に新華ニュースに載せられ、「日本から来て内モンゴル自治区成立60周年にCDを挙げてる」と宣伝された。今度に行うテンゲル氏の来日コンサートも同じように中共に宣伝される事になるだ。最近、東京にある中国人書店や食品店にはテンゲル氏について宣伝が山ほど多かった。テンゲル氏のプロフィールには「全球華人歌謡コンクールで1位」とか色んな宣伝が広かっている。
 3、これらに対して在日モンゴルの我々が中共に対して「非協力活動」を行う必要があると思う。抵抗する事までは出来ないなら非協力する事さえ出来ると思う。コンサートに参加する皆さん「Hadaag sullaa」と言う文字を書かれているTシャツを持ちいり、又二つの党から皆にそのシャツを提供する。又その抵抗する大文字の紙を持って入る必要があると思う。

No.566 - 2007/08/15(Wed) 20:53:57

Re: 非 / Uul
 最近の情報を見ると1989年以後、中国人を主体として海外に組織されてる学生組織や華人組織らの背景は複雑であり、ほとんどの組織は中国大使館にコントロールされてる、もし中国大使館の主導を受けている。最近、アメリカのFBIがUSAにいる中国人留学生の組織に審査を行っている。日本にいる中国人の組織らも例外ではないと思う。日本のあっちこっちに無料で配られている中国新聞紙の資源も政治的背景で中国の「統戦」のことである。この一方、「基金」の最初の成立会議にも中国大使館からの人柄が参加したと言う話が聞こえ、最近のテンゲル氏の来日コンサートについてのお知らせのも「大使館」の名前が出ているらしい。これらの事から見ると中国大使館の左右している事を判断できると思う。
 残念ながら、テンゲル氏は自分でこのような内幕をご存知かな、テンゲル氏の素晴らしい歌を楽しみにするのは我々の目的だが、歌える内容について強制的にコントロールされないほうが良いと祈っている。

No.567 - 2007/08/15(Wed) 20:56:43

Re: 非 / Uul
最近、在日モンゴル人達の色々立場から日本のマスコミ、朝青龍氏及び相撲協会まで様々な評論を見て,常識も高まった。しかしながら、どう考えても理解できないのは,あるモンゴル人の心だ。
 日本のマスコミは自分の独立性がある為、多元性であり、色々んな立場から言うのは当たり前だ。これは中国のマスコミとの根本的差別だ、中国のマスコミは真正的マスコミじゃなくで、ある意味での裁判所である。朝青龍氏は自分でも問題があるし、相撲協会側からの処分も重すぎ。ある個人に何も問題ないのに処分を与えるのは自由民主主義国家では存在する可能性は低いと思う。処分は重すぎと言って抵抗するのも必要なことだ。だが、マスコミは事実に関して色いろんな立場から評論する事だ。日本国家とかモンゴル国家とか、それまでには行かないよう、ある友達はちょっど言いすぎである。
 同じモンゴル人であり内モンゴルのハダー氏には中国側から15年の処刑を与えた事について、内モンゴルは何で評論しないの?また4月にドイツから来日し活動していTemchelt氏の事でなぜ何も言わないの?もしマスコミに対して言えば、中国政府の全てのマスコミはモンゴル族について毎日色んな侮辱しているよ、なぜ皆抵抗しないの?中国政府から主導を受けてる漢族の人々が企業や開発と言う名付け、内モンゴル地域には公然的財産を略奪しているよ、それに対して何か言えよう、抵抗してよう。ハダー氏とテムチレト氏もモンゴル人達の歴史的英雄じゃないの?
 なぜいくつかの掲示板、BBSにこの二人についての評論はいないの?
 
 去年から中国政府は南モンゴル地域に対して、支配して「60年周年」と言う「主旋律」で色んな宣伝している。中国は南モンゴルに対して政治的には高圧、経済的には略奪、文化的には否定、法律的には詐欺、人権的には侮辱等独裁統治を施行してる。これらに真っ向し抵抗をしてる二つ党組織に支援し、自分の力で頑張るのは我々の意志じゃないか?

No.568 - 2007/08/15(Wed) 20:59:45

Re: 非 / Uul
> ダシさん:
>  これをどう読んでも前向きな発想じゃないな。これじゃだめだわ、協力しないわよ。


ダシと言うのは誰ですか?知りませんよう、沈黙するより何か言って抵抗したほうがいいじゃないか?誰でも関係ないじゃないか、自分の言いたい事を書くのを拒否されるのか。
 君の自分の意見や観念を自由に書いていくのはいいではないか。

No.575 - 2007/08/16(Thu) 00:49:08

Re: 非 / Tangis
Uulさま:
頑張ってください!すばらしいですよね!本当のモンゴル人であり、視野も広い方だね!
応援してる!

No.576 - 2007/08/16(Thu) 01:38:19

Re: 非 / XJ
中国大使館がテンゲルコンサートの後援会になったことは政治的背景などないと思いますよ。また、サインジヤー氏のCD販売の件に関しても、「新華ニュースに載せられた」ことも彼自身のCD販売に宣伝となり、それによって売れ行きに繋がったとすればよいことではないでしょうか。どこが悪いの?
No.578 - 2007/08/16(Thu) 16:56:34

Re: 非 / Chono
今年は燃える年だね。在日モンゴル人の各談話室は熱いね。どこにも、燃え、燃えしている。あのamongグループも同じだ。
No.580 - 2007/08/17(Fri) 00:36:34

Re: XJさんへ / Uul
XJさんへ
 >>中国大使館がテンゲルコンサートの後援会になったことは政治的背景などないと思いますよ。また、サインジヤー氏のCD販売の件に関しても、「新華ニュースに載せられた」ことも彼自身のCD販売に宣伝となり、それによって売れ行きに繋がったとすればよいことではないでしょうか。どこが悪いの?
 −−−−−−−
 もしモンゴル国大使館から後援会になれば当然な事でありながら、正当性がある事と理解される。テンゲル氏のコンサートは日本で公演する事は勿論在日モンゴル人にとしては極めて嬉しい事ですが、中国のマスコミには「華人明星、モンゴル族でありテンゲル氏は日本にコンサートを挙行し、内モンゴル自治区成立した60周年を祝い」等の捻じ曲がった宣伝をし、歪曲する報道を広げる。又サインジャヤさんの事は良く販売して芸術の価値を得るのは必要だが、海外から故郷へ行って、内モンゴル自治区成立した60周年を祝ってる事になるじゃないの?
 60周年の歴史は内モンゴル人にとっては非常に不幸な60年じゃないの?内モンゴル地域は中国共産党の新興植民地になった60年じゃないの?モンゴル族としてこの60年は歴史的悲劇じゃないの?祝える必要あるのか?この60年間、モンゴル族には元々あるべき全ての良い事が失われ、伝統文化が消滅され、牧民、農民達がどのような生活している事を考えているの?
 最近の10年に、西部地域にいる大勢のモンゴル人達、牧場から離れ離れ、所謂「城市化」政策に同化され、東部地域にいる農民達、幹部や「企業人」にとって農地を奪われているじゃないの?所謂「政府の開発や国家企業」らは何モノと思っているの?彼らは実はマフィアである、政府の「御蔭様」で合法化されたマフィア組織である。政府のマフィア化によって医療界、教育界もマフィア化されているよう。
 中国政権の正当性や合法性についてもうちょっど深く理解したほうが良いよう。中国には「国民」と言うモノは存在していないよう、ただの「人民」はいる。ある意味で中国は近代的国民国家じゃないよう、公開的、自由的選挙の存在はないから、それはただの近代的王朝である。今日の世界に公衆に与えるべき教育と医療などの福祉事業を金設ける工具になれる国家は中国だけじゃないの?北朝鮮とスーダンと同じじゃないの?このような政府の宣伝工具に利用され、自分の同胞達に歪曲された報道を与えるのはいいの?
 相手は武器持ち、核武器も持ち、怖いでしょう?人民党と自由連盟党見たいに公開的抵抗をする力がいななら、相手に対して非協力運動をするのも一つの抵抗でしょう。どんどん抵抗する同胞が増やしたら、怖いと言う感じはなくなるはずだ。人々の理性や良心及び民族に対する責任心は多かったら、恐怖心理がなくなるよう。

No.592 - 2007/08/17(Fri) 07:26:44
中国に約2000人のモンゴル人不法滞在 / iceman-musonhun
11月3日、外務省は2008年度の北京夏季オリンピックに際して、「中国入国にビザが必要になる」という噂が広がっていたが、中国側はこれを否定していると発表した。
 1989年以降、モンゴル・中国間での交渉通り、モンゴル人は中国にビザなしで30日間入国できることになった。しかし、最近ではモンゴル人はビザ有効期間を無許可で超過し、不法滞在が増えている。非公式な発表によると、1000人〜2000人のモンゴル人が中国で不法滞在しているという。今後、この人数が増えていくと、ビザの問題が取り上げられるかもしれないと中国人担当者が述べたという。外務省のオチルジャブ領事担当部長は「これは注意だけで非公式な情報だ」と語った。


モンゴルダイレクト http://news.mongoliadirect.com/

No.583 - 2007/08/17(Fri) 03:58:34

なぜ嘘吐くのか / スチン
おい、おい、、、これも架空のニュースでした、お前の貼ったリンクにこう言う内容無かった、、吃驚した。ストレスの為に頭が狂ったのかな、
No.589 - 2007/08/17(Fri) 06:35:20

Re: 中国に約2000人のモンゴル人不法滞在 / スチン
在モンゴル外人不法就労の数は多いけど。
No.590 - 2007/08/17(Fri) 06:48:18
ウランバートルがアジア19番目の人口100万人を超える大都市となった / iceman-musonhun
5月8日にウランバートルは100万人目の市民を迎えたことを祝った。
 市庁の幹部らは「国民の誇り」記念の催しに際して、生後1ヶ月もなっていない3人の赤ちゃんに一部屋のアパートを寄贈した。また、同日に生まれた他の44人の赤ちゃんにも国内生産の会社らがそれぞれ100万トゥグルグの貯金通帳を贈った。
 記念催しではエンフバヤル大統領が「ウランバートルを緑化したきれいな都市にするため、また何の問題もなく心地よく住めるような都市にするため市の幹部らにはすることが沢山ある。300年も経っているウランバールはもう「大人」になった。全ての家庭がアパートに入れば“落ち着いた大人になれた”と言える」と述べた。
 さらに大統領は「1883年に『ウルゴー』と名前付けれた首都の人口は3万人だった。だが、124年後首都の人口は33倍に増加している。人口増加に関する政策をもっと改正する」と約束した。またこの際、トヤ保健大臣はこの赤ちゃんたちの産科医らに1ヶ月の給料の賞金を贈ると述べた。
 これで、ウランバートルの人口は100万人になり、世界100万人都市の107番目、アジアでは19番目となった。



No.585 - 2007/08/17(Fri) 04:32:56

Re: ウランバートルがアジア19番目の人口100万人を超える大都市となった / スチン
アジアの19番目のって嘘ばかりや、君
中国の35個の省の首府都市に200万以下のがあるのかい。

No.588 - 2007/08/17(Fri) 06:30:23
モンゴルの通貨 tugrigっていくら? / iceman-musonhun
モンゴルの経済ニュースを読むと、よくtugrig が出てきます。1tugrigはいくら?
http://www.mglclub.com/data/index.php で調べることができます。

No.584 - 2007/08/17(Fri) 04:21:03
Tumen さんについて / burenbayar
やっぱり内モンゴル人民党に入りましたね。初めて聞いた時驚きましたよ!
もう共産党の幹部になることをいやになったでしょうね。

No.563 - 2007/08/15(Wed) 18:47:38

Re: Tumen さんについて / 感想  [関東]
> やっぱり内モンゴル人民党に入りましたね。初めて聞いた時驚きましたよ!
> もう共産党の幹部になることをいやになったでしょうね。


B.Tumenuljei さんは、内モンゴル人民党の前身、南モンゴル民族解放統一陣線の元メンバーだったみたい。内モンゴルでは、統一陣線のメンバーが、今も少ない見たいよ。そう考えると、彼の入党は当然のことです。

No.564 - 2007/08/15(Wed) 19:00:40
uhel mehuliin zam / sanaa
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No.532 - 2007/08/13(Mon) 09:34:36

Re: uhel mehuliin zam / uhaan [関東]
絶滅への道―内モンゴル自治区成立60周年に提出する抗議文

 モンゴル・漢ふたつの民族は、17世紀末に満洲人(清朝)に支配され、同じように国家を失って異民族の支配下に入った。このように異民族に支配されることは、漢人にとっては10世紀以来繰り返されてきたため驚くべきことではなかったが、モンゴル人にとっては初めてのことであった。20世紀初頭、中国は完全な形で、モンゴルはその大部分が独立を取り戻した。ところが、独立を果たせなかった南モンゴルのモンゴル人は満洲人から漢人に移され、これ以後、その運命は完全に中国に委ねられることとなった。中国では日中戦争や中国内戦が同時に起こっていた。また、中国を分割しようとする日本の政策や軍隊の侵攻によって、南モンゴルのモンゴル人は漢人の魔の手から逃れる期待をもつようになった。日本人の満洲国、蒙疆政府の建国によってふたつに分割された南モンゴルのモンゴル人は、それぞれの境界内で民族の自由を希求していた。日本の敗戦後、南モンゴルのモンゴル人は独立を宣言するか、あるいはモンゴル国に合流するかふたつの道を模索したが、世界を再び分割した大国による「政治地図」であるヤルタ会談によって、200万の南モンゴル人は中国内に取り残されることとなった。60年前の1947年5月1日「内モンゴル自治区政府」という見せかけの政府が成立、清朝時代よりもさらに残酷で暗黒の共産主義中国が南モンゴルのモンゴル人を支配することになった。
 「民族自治」という政治制度の下、南モンゴルのモンゴル人は60年間生きてきた。これが、モンゴル人にとって絶滅への過程であったということは今日明らかになっている。
 共産主義中国による60年間の支配下で南モンゴルに何が起こったのであろうか。
 党、政府、軍全ての権利を漢人が掌握した。「自治区」が成立した当初、党、政府、軍の主要ポストには、漢化しているか社会主義革命的なモンゴル人を任命して形式的な「自治」を行っていたが、漢人は計画していた通りほどなくモンゴル人の権利を奪い始めた。現在、南モンゴルの自治区、アイマグ(盟)、ホショー(旗)の党、政府、軍の全ての権利を漢人が掌握し、モンゴル人が集まって住んでいるソム(蘇木)・レベルでのみ少数のモンゴル人幹部が見られる。近年、アイマグを中国の行政区画であるホト(市)に、同じくソムをバルガス(鎮)に改編し、モンゴルの伝統的な行政システムを破壊し、モンゴル人にわずかに残っていたソム・レベルの行政権をも奪い、他方で、文化、経済の中心をモンゴルから純粋な漢人地域に移すプロセスが加速している。
 異民族の支配に完全に降った南モンゴルでは、漢人入植者の数がモンゴル人の10倍にもなった。かつて「南モンゴルには500万人が生活することができる」と漢民族の研究者が発表したことがあったが、現在その総人口は約3,000万人である。1947年共産主義中国の支配が確立された時、南モンゴルの大部分のホショーではモンゴル人が多数派を占めていた。例えば、1947年シリンゴル・アイマグ(錫林郭勒盟)のスニド・バローン・ホショー(蘇尼徳西旗)にはたった2人の漢人しか住んでいなかったが、1984年にはホショー全人口7万のうちモンゴル人は3分の1にも満たなくなっていた。1950〜60年代には、中国政府が中原から500万もの漢民族を南モンゴルに移住させる政策をとったが、それ以後はいかなる許可もなく勝手に移住してくるようになった。1980年代の改革解放、1990年代の市場経済化以後は中国資本が南モンゴルに大量に流入するようになった。そのため、漢人移民が「干ばつ時に草原に大量発生するバッタ」のように激増し、総人口3,000万に対してモンゴル人400万という比率になった。今後はモンゴル人の比率がさらに激減することが明らかである。
 この60年間牧草地を耕し、モンゴル人の牧畜文化、遊牧文明を破壊し、自然が豊かだったモンゴル南部を黄砂が吹き荒れる砂漠の海に変えてしまった。アジアでも有数のバルガ地方の美しい牧草地、世界的に有名なシリンゴル草原から広大なアルシャーのゴビ沙漠、聖主チンギスを祀ってきたオルドス沙漠にまで鍬を入れて農耕地にしてしまった。現在、南モンゴルでは1,000万ヘクタールの牧草地を開墾し、全面積の56.3%が砂漠化した(これは中国政府が発表した数字のため、少なく算出してあることは言うまでもない)。
 木を見ると切り、動物を見るとCENSORED、イヒ・ヒャンガン・ダワー(大興安嶺)やモニ、アルシャーなどの山の木々は枯れ、ローハやノン、エルグネなどの河川から水を引いたため、フルン、ダライ、ボイルなどの湖が縮小した。鹿やヘラジカが走り、鷹が飛び回っていた広大で美しい草原には野生動物の痕跡が消えた。
 中国政府は、手つかずの自然によって世界に賛美され、平和を大切にしてきたモンゴル人の土地を核実験場にしたため、バヤンノール(巴彦淖爾)やアルシャー(阿拉善)などのアイマグでは様々な奇病が流行り、たくさんの障害児が生まれるようになった。
 草原で何千何万年と暮らしてきたモンゴル人の生業が深刻な環境破壊の原因だと濡れ衣を着せ、遊牧を営む権利を奪って「生態移民」という名で故郷を追い出して土地を奪った。市場経済化以降、30年間の牧地使用権をモンゴル人に与えてから金持ちの漢人を派遣して、土地以外に何ももたず貧困化したモンゴル人からその土地までも買いたたき、モンゴルの土地を合法的に、永遠に手に入れている。
 モンゴル北部(モンゴル国)の独立に際して仏教が大きな役割を果たしたことを知った漢人は、南モンゴルで宗教を固く禁じて滅ぼしてしまった。2,000以上あった寺院を焼き払い、大勢の僧侶を殺害し、追放し、刑務所に入れた。
 民族を包囲して絶滅させる政策を実施し、60年間に数え切れないほどのモンゴル人の命を奪った。漢人は、計画的に順序立ててモンゴル人愛国者、優れた知識人、大小の資本家から貧困にあえぐ牧民までを殺害した。例えば、1968〜1969年の冬から春の短い期間だけでも32万のモンゴル人を殺害あるいは障害を負わせた(中国の公式統計)。1911年以降、100万のモンゴル人が漢人の手にかかって命を落とした。
 モンゴル人に対し文化的に侵攻し、モンゴル人の遊牧文化を中国の農耕文化によって完全に塗り替えた。最初に遊牧を定住牧畜にし、さらに家畜囲いのある牧畜に変えていった。南モンゴル人口の半分以上を占めるホルチン地方では牧畜を完全に破壊し、他のアイマグ、ホショーの牧地を耕地にする政策が強力に推し進められている。南モンゴルでは五畜(モンゴル人が主に放牧する羊、山羊、牛、馬、駱駝の5種類の家畜)が全て揃うことがなくなり、大部分の土地では家畜がいなくなり、番をする犬もいなくなって貧困化が進んだ。
 漢語(中国語)や漢字をモンゴル人に強制し、大切な母語の文化を捨てさせている。1960年代以降小学3年生から漢語を学ばせていたが、1990年以降は小学1年生から教えるようになった。漢語を唯一の公用語にし、漢語の出来不出来が能力の基準になったため、モンゴル人就学児童の半数以上が仕方なく漢人学校に通っている。過去10年間、ソムの統合と同時に多くのモンゴル人学校を廃校にしてモンゴル人児童が母語で義務教育を受ける権利を奪った。モンゴル語は家庭内だけで使う言葉となり、モンゴル文字は漢字の後ろから付いて来る日陰の文字になってしまった。今日、南モンゴルのモンゴル人は、自らの土地において政治・経済の権利を行使できなくなっただけでなく、自らの言語文字を使用する権利までも失ってしまったのだ!
 モンゴル人の民族意識を弱め、「モンゴル」という名を心の中から消してしまうため、小中高校でモンゴル史を教えることを固く禁じている。そして、中国史を強制的に教え、「中華民族」というショービニズムによって青少年を洗脳している。モンゴル史を歪曲して、聖主チンギス・ハーンを中国の皇帝の中に組み入れ、モンゴルの一部であるダウール人を別の民族として分離してしまった。
 人権を著しく侵害し、民主主義、民族の自由・独立のために闘った多くのモンゴル人を刑務所に入れて重罪を科したり死刑にしたりした。1981年の学生運動における指導者のひとりフチントゥクスを2度も禁固刑にした。運動のリーダーであった王建喜は数年間刑務所で拷問され、出所するや否や死亡した。愛国主義的なモンゴル人、優れた知識人、民族意識をもった人びとに様々な種類の冤罪を着せ、刑務所に入れるか軟禁して拷問した。モーノホイ、オラーンショウォー、セデンドルジらに冤罪を着せて長期間刑務所に収監するか軟禁した。南モンゴル民主連盟を設立し、その考えを平和的に表明していた同連盟のハダ会長に15年の禁固刑を科し、現在も服役中である。
 中国人口の4%の少数民族が中国領土の60%を占めている状況を変えるため、人口抑制政策を実施した。モンゴル人には3人以上の子どもをもつことを法律で禁じた。広大な土地や豊かな資源を漢人が手に入れるためである。
 南モンゴルには世界最大の稀土鉱床があり、石炭、鉄鉱、石油、天然ガス、金などの鉱床も中国最大の埋蔵量を誇る。これらの資源は過去60年間に北京政府が収奪して開発して国内外に輸出してきた。90年代以降、中国のエネルギー不足を解消するため「西部大開発」の名の下に資源の収奪をいっそう加速し、南モンゴルを完全に資源基地にしてしまった。
 中国を「刑務所」と呼ぶならば、南モンゴルは「刑務所の中の刑務所」である。南モンゴルでの思想弾圧は、中原のそれより厳格で、出版・表現の自由などまったくない。民族の抑圧や不平等に対して不平を言ったり、民主主義について述べたりしたモンゴル人の作家や学者の作品を発禁処分にしたり、軟禁したり様々な形で弾圧している。
人を簡単に信用してしまうモンゴル人を嘘でだますことは、漢人の常套手段である。民主主義を主張した孫中山は、清朝政府を倒す前、少数民族には独立権があると宣言していたにもかかわらず、中華民国が成立するや否や「五族共和」を主張し、チベット、モンゴル、ウイグルを武力によって自らの勢力範囲に入れてしまった。共産主義中国も、政権に就く前、モンゴル人が独立国を建国することを認めていたが(1935年宣言およびその後の出された決定、発表等を参照)、1949年以降、とりわけ1954年の憲法によって少数民族の自治を基本的に否定した。
 現在、中国人たちは南モンゴルの自治を「民族自治」ではなく「地域自治」に変える政策を進め、南モンゴルを永遠に併合する理論を構築した。
 過去60年間、南モンゴルにおいて住民の生活が向上し、教育が発展し、保健医療が改善されたことは事実である。しかし、これは、時代が成せることであり、戦後世界中で起こっていることに過ぎない。他国の状況と比較するなら、南モンゴルの発展はあまりにも遅いと言えるだろう。南モンゴルの社会建設やその発展は、実際にはモンゴル人の伝統文化を破壊し、あらゆる面で漢化を進める過程だったのである。もし中国の植民地政策がなければ、モンゴル人は遊牧の伝統にしたがって豊かな自然の中で満たされた生活をおくっていたはずである。中国による植民地化がなければ、何千何万というモンゴル人の大切な命が奪われることはなかったし、これほど早く河川や湖沼が涸れて、草原が砂漠化することもなかったであろう。中国人がモンゴル人の土地を支配しなかったら、貧困化して家畜をなくしたり、子どもたちが母語を忘れてしまったり、貴重な鉱物が安易に異民族の手に渡ってしまうようなこともなかっただろう。聖主チンギスの第31代の子孫で偉大な政治家デムチョクドンロブ曰く、「南モンゴルのモンゴル人がイヒ・ヒャンガン・ダワー(大興安嶺)の森林を大切に利用するなら、100年は生き長らえることができるだろう」という言葉を思いおこす必要があろう。
 中国人は上から下まで全ての権利を掌握しただけでなく、自治区区都、アイマグ(盟)、ホショー(旗)、ソム(蘇木)の役所の所在地に定住して支配を強め、近代社会や科学文明の成果を独占してしまっている。その一方で、沙漠や荒れ地に追いやられたモンゴル人はその恩恵に預かるのが難しく、ますます格差が開くばかりである。
 「内モンゴル自治区成立60周年」で中国政府は地方の役所に至るまで大きな予算を出して道路を敷き、ビルを建て、街路を整備し、公務員給与を引き上げ、広場にモンゴル名を付けるなどしている。60周年を祝うためだけに400億元もの予算を拠出した。漢人は何千年という長い間やろうとしてできなかったことをこの60年間に達成することができた。彼らが自らの植民地化の成功を盛大に祝うのは当然のことである。派手に祝うことで大国の中での「自治」が独立と大して違いのない、あるいは、それよりも素晴らしいということを証明しようとしているのだ。植民地化されて喜ぶ民族はいない。植民地がどんなに発展しても、独立に代わることはない。
 中国は「紙に包んだ火」のようなものである。中国経済は急速に発展しているが、民族・宗教・人権問題、貧富の差、独裁と民主主義の矛盾など極めて多くの問題に巻き込まれ、嵐の前の静けさである。漢人が仕方なく民主主義の道を選択するその日、中国は解体し、歴史、民族、文化文明、言語、風俗、宗教いずれも漢人とはまったく異なるモンゴル、チベット、ウイグルをはじめとする少数民族が自由を手に入れて独立することができる。
 中国に植民地化されて60年、南モンゴルのモンゴル人、モンゴル文化、牧草地のいずれも絶滅の危機に瀕している。中国の植民地化を終わらせ、民族の自由、独立を闘い取ることを最終目標に掲げた内モンゴル人民党は中国政府に向かって以下の項目を要求する!

1.南モンゴルのあらゆるレベルの行政権をモンゴル人に返せ。
2.南モンゴルにおいて、人権を尊重し、民主主義を守り、ハダ氏ら愛国者を即刻解放せよ。
3.「生態移民」という名でモンゴル人を故郷から追い出す過酷な政策を即刻中止せよ。
4.不当に廃校にしたモンゴル人学校を再開し、義務教育を母語で受ける権利を奪われたモンゴル人の子どもたちの権利を返せ。


内モンゴル人民党
チンギス暦801年夏の最後の月
西暦2007年8月8日

No.544 - 2007/08/14(Tue) 16:01:02

A Road to Extinction / uhaan sanaa [関東]
A Road to Extinction

Statement of Inner Mongolia People's Party on 60th Anniversary of the Establishment of "Inner Mongolia Autonomous Region"

(For Mongolian version, click here )
Mongolia and China, as two separate nations, lost their independence to Manchuria in the end of 17th century and became subjects of same alien state. While the occupation by a foreign nation was already nothing strange to the Chinese by then as they had been frequently being invaded and occupied by foreigners ever since the 10th century, for the Mongols, it was the very first instance where a Mongol state came completely under control of a foreign power. In the beginning of 20th century, all of China and a large part of Mongolia resumed their respective independences. However, another large part of Mongolia, the Southern Mongolia, was directly shifted from the hands of Manchurians to that of the Chinese. From then onwards, Southern Mongolia’s fate depended on the Chinese.

The Sino-Japanese war and Chinese Civil war were happening simultaneously on the Chinese territory. Japan’s policy of splitting China and its strong military attacks helped to arouse the ever-lasting desire of the Southern Mongolians for their own freedom. Southern Mongolian who were separated into two parts under the Japanese occupation, were seeking paths to freedom in their own means. After Japan’s defeat in World War II, the Southern Mongolians strived for either to establish an independent Southern Mongolia or to join the already independent state of Mongolia. However, the new political map of a re-structured world by the major powers, in other words, the so called resolution of Yalta Conference, left the two-million strong Mongolians within the frontiers of China.

Southern Mongolians went through 60 years under the political system of so called "ethnic autonomy". It is now clear that these 60 years of long process has been a process geared toward extinction.

Let us look back now at what happened during these 60 years!

The Chinese controlled all the power of party, government and military. If, in the beginning of the "Inner Mongolia Autonomous Region", autonomy was being practice at least in the form by sending Sinicized and revolutionary Mongols to assume important positions of party, government and the military, as part of their plan, the Chinese started taking the power away before too long. Currently, all the party, government and the military powers in the levels of Region, League and Banner are occupied by the Chinese, and only few Mongol leaders can be seen in the lowest level of Sum where the Mongols are concentrated. In the recent years, the Chinese government is practicing the policy of taking away the power from Mongolians in the Sum level by replacing League (Aimag) with Municipality (shi) and Sum with Township (zhen). On the other hand, the Chinese are speeding up the process of assimilation by shifting the economic center from relatively Mongolian areas to purely Chinese ones.

Under foreign occupation, in Southern Mongolia, the number of Chinese migrants is now ten times more than that of the native Mongols. Chinese experts concluded that the natural resource of Southern Mongolia is good for only five million people to live on. However, there is currently a population of 30 million inhabiting there. When the Communist Chinese rule was established in 1947, majority of the population in most of Southern Mongolia’s leagues were Mongolian and many leagues were populated with only Mongols. To take Sunit Right Banner of Shiliin Gol Aimag as an example, there were only two Chinese in the whole league in 1947, while in 1984, of the total population of 70,000, Mongolian population became less than even one third. There existed some control over the migration of Chinese population into Southern Mongolia between 1950 and 1960 but still five million strong Chinese were transferred into the region. However, after this period no control imposed at all and Chinese migrants moved into the region as they pleased. With China’s reform of 1980s and the transition to market economy in the 1990s, with more Chinese investment coming into the region, Chinese migration into Mongolia became an issue that is not considered an "issue". Thus the Chinese migrants moved into Southern Mongolian like locust, causing the current ratio between the Chinese and Mongolian population of 30 million against four million. From this ratio it is not hard to predict the future trend of population development of the region.

During the 60 years, the Chinese turned large part of Southern Mongolian grasslands into farming land, destroyed the Mongolian nomadic civilization and way of life, and turned the once beautiful grasslands of Mongolian Plateau into a dry desert frequented by sand storms. From Asia’s best grassland of Bargu, World-famous Shiliin-gol prairie to expansive Alashaa desert and the Sacred Land of Ordos were all cultivated by the Chinese and 56.3% of the total land area currently became desert (as this is the official figure announced by the Chinese government, understandably it should be lower than the real figure).

The Chinese, by default of their own cultural behaviors, kept destroying the forests and killing the wildlife. In this way, the mountains of Great Hyangan, Moni and Alasha became wasted; rivers of Luuh, Non and Ergune dried out; lakes of Hulun, Dalai and Boir shrunk. Mongolia’s great plain where once dears called, elks ran around and eagles hovered in air now left without any of those.

As the Chinese government turned Southern Monglia’s virgin natural land - which was famous for its beauty - into nuclear test sites, various strange diseases became rampant in Bayannuur and Alashaa and there often born children with diseases and disabilities.

The Chinese blamed on the native Mongols and their traditional way of life - which they lived in for thousands of years - for the natural degradation, and they started depriving the Mongols of their right to practice animal husbandry. They forced Mongol herder to the relocated under the name of "ecological migration." That is only in order to speed up their plan of depriving the Mongols of their native land. Although, following the transition to market economy, they permitted the Mongols the right to use the land for 30 years, soon they started sending wealthy Chinese to purchase the land at a cheap price from the hands of the impoverished Mongols, speeding up the process of making the Mongol land "legally" and "forever" shift into the hands of the Chinese.

The Chinese recognized the important that Buddhism playing during the independence movement of the northern part of Mongolia and were afraid that same happen Southern Mongolia. Therefore, they ruthlessly treated the religion that united the Mongols spiritually and took actions to limit and destroy Mongolian Buddhism in Southern Mongolia. They destroyed more than two thousand monasteries and either massacred, imprisoned or sent to exile most of the monks.

The Chinese practiced a policy of genocide during these 60 years and took the precious lives of countless Mongolians. In a well-planned and measured manner, the Chinese massacred the Mongols from well-known patriots, prestigious intellectuals, wealthy families to literate herders. Between the winter of 1968 and the spring of 1969 alone, there were about 320,000 Mongols were either killed or tortured to receive injuries (official Chinese statistics). Since the 1911, one million Mongols have died in the hands of the Chinese without natural causes.

The Chinese carried out cultural invasion in Mongolia, completely replaced the Mongolian nomadic civilization with the Chinese agricultural civilization. In the initial stages, they changed the nomadic format to resettlements, and now "stable breeding". In Horchin, which is inhabited by the half of the Southern Mongolian population, nomadic way of life now is nowhere to be seen and in other locales the process of cultivation is running in full force. In no part of Southern Mongolia today, all five types of livestock could be seen in full and in many places there are no livestock at all.

The Chinese are forcing the Mongols to learn the Chinese language and Kanji characters deliberately letting the Mongols to lose their native language and cultural heritage. In the 1960s, they started forcing the Mongolian kids to learn Chinese from the third grade of elementary school and from the 1990 onwards, they started from to first grade. The government made the Chinese language the only official language and they measured one’s qualification on the basis of their Chinese language proficiency. Thus they forced about a half of school age children to transfer to Chinese schools. During the last decade, they used the opportunity of combining Sums to reduce the number of high and elementary schools that taught in Mongolian and deprived numerous Mongol children of their right to compulsory education. The Mongolian language became a family language only, and Mongolian writing became just a shadow that comes after the Chinese characters. Today, the Southern Mongolians are left with no right to use their own language and writing, let alone rights to politics and economy!

In order to let the Mongolians lose their national conscience and wipe out the term Mongol from their hearts and minds, the Chinese banned the teaching of Mongolian history in high and elementary schools and forced children to study Chinese history and washed the brain of children with the Chinese chauvinistic ideal of "Zhonghua Nation". They distorted the history of the Mongols, claiming Chinese Khan to be a Chinese emperor. They officially designated branches of Mongol Nation, namely Dagur, Tu, Bao’an and Dongxiang, as separate "ethnic groups", with the purpose of splitting and destroying the Mongols as a whole nation.

The Chinese seriously violated human rights, imprisoned and convicted with serious and bogus crimes and even murdered those who fought for democracy, national freedom and independence. Leader of 1981 student movement, Huchintogus, was arrested twice; another leader of the movement, Wang Jianxi was arrested, tortured inhumanely and died in prison. They imposed made-up crimes upon patriotic Mongols, well-respected intellectuals and people with national conscience and put them into prison or placed under house arrest. Individuals such as Muunohai, Ulaanshuvuu and Sedendorj were either punished with long-term imprisonment with false crimes or placed under house arrest. Hada, who established Southern Mongolian Democratic Alliance and expressed his views in a peaceful way was arrested and is currently serving a 15-year sentence in Chinese prison.

The Chinese authorities enforced the policy of population control on ethnic minorities, though whose territories are 60% of the total land area of current day China, whose population is only 4% of China’s total population. While the Mongols are already a minority on their own land, still, the Chinese prohibited the Mongols from having more than two children. This is aimed to leave more land and natural resources for their own Chinese people.

Southern Mongolia has the world’s largest reserve of rare earth and its reserves of coal, iron, oil, natural gas and gold are largest in China. During the past 60 years, the Chinese government robbed the region off of these natural resources and transferred them to heartland of China as well as exported abroad. Starting from the 1990s, under the name of "opening up the West", the Chinese accelerated their process of robbery and turned many areas of Southern Mongolia into mines.

If China is a prison, Southern Mongolia is a double prison. The ideological repression and oppression has always been more severe in Southern Mongolia than in the heartland of China; the Mongols do not the least freedom of expression and press. Mongolian authors and intellectuals who wrote to expose national oppression and injustice, express their dissatisfaction and disappointment and call for democracy were subjected to political pressure, discrimination and intimidation; their works were banned and themselves sent to prison.

Deceiving and cheating the kind-hearted and innocent Mongols with empty promises is a trick that the Chinese has long played. Sun Yat-sen, China’s father of the nation, supposedly a democrat as well as a patriot, prior to overthrowing the alien Manchu rule, announced that the non-Chinese nations have the right to seek their own freedoms. However, as soon as he established the Republic of China, he ate his own words and came up with the theory of so called "the republic of five-nations", forcibly stopped Tibetans, Mongols, and others from seeking their respective independences. Communist Chinese, too, prior to their coming to power, were eagerly agreeing with the Mongols’ right to independence (refer to 1935 statement, and resolutions and announcements thereafter). However, after 1949, they started rejecting to honor their promises and eventually, through passing the 1954 constitution, they completely denounced non-Chinese national autonomy.

Today, the Chinese are attempting to change ethnic autonomy in Southern Mongolia to regional autonomy in order to establish a theoretical foundation for owning Southern Mongolia’s territory forever.

It is true that during the past 60 years in Southern Mongolia, quality of life increased and educational and health conditions improved. Yet this is merely a trend of time and is only part of the global prosperity after the war. When compared to other parts of the world, development in Southern Mongolia has been very slow. Moreover, the construction and relative development took place in Southern Mongolia in fact has only been the process of forcing the Mongols to lose their national culture and to be Sinocized. Has there not been the colonial rule of China, we have reasons to believe that the lives of the Mongols would have been much better. Without the Chinese colonization, thousands of Mongols would not have been murdered; our rivers would not go dry; our lakes would not get shrink and our vast prairies would not become burnt earth. If the Chinese did not occupy our homeland, our settlements will not be empty of livestock; our children and youth will not forget their mother-tongue; our treasures will not go into others’ hands without anything in return. Please recall the words of Mongolia’s great statesman, the 31st descendant of lineage of Chingis Khaan, Demchugdonrob: "If in Southern Mongolia we can take good care and advantage of, with the forests of Great Hyangan alone, we can live well for a hundred years."

The Chinese only occupied all the important positions from top to bottom levels of government; centers of Region, Aimag, Hoshuu and Sum are all inhabited and dominated by the Chinese population. Mongolians who are forced out into deserts and distant mountains are not enjoying the result of modern science and technology. The Chinese are enjoying the cream of everything that is available in Southern Mongolia and are living luxury lives.

At the event of the 60-year anniversary of "Inner Mongolia Autonomous Region", China’s central government is staging a huge drama of celebration in which they are spending large amount of funds to build roads, bridges and houses, repairing streets and increasing civil servants’ salaries. They spent forty billion (40,000,000,000) yuan, equal to five billion US dollars, on the celebration alone! Yes, the Chinese have achieved within the last 60 years what their ancestors had wished for centuries but could not realize. It is understandable for the Chinese to hugely celebrate the results of their colonial opressions in Southern Mongolia. Through lavishly celebrating this anniversary, the Chinese are trying to tell the world that to be living under the shadow of so called "autonomy" is no different than being independent. No nation loves being colonized by others; colonization may bring prosperity but never will be able to replace independence.

China is a fire wrapped within paper. Although the Chinese economy is growing fast, the prosperity is wrapped within numerous complicated problems such as nationalities problem, religious problem, human rights problem, the issues around the gap between the rich and the poor, oppression and the desire for democracy. The country is now in a silence that comes only before the storms. When, for their own advantage, China becomes democracy, non-Chinese nationalities such as Mongols, Tibetans and Uyghurs who are distinctly different from the Chinese in terms of history, ethnicity, civilization, language, custom and religion will gain their freedom and be able to build their own respective independent nations.

During the 60 years of China’s colonial rule, Southern Mongolian people, Mongol culture and grasslands came close to the brink of extinction. Inner Mongolia People’s Party, whose goal is to fight for and bring independence for Southern Mongolia, demands the government of China for the following:


All level government power to be returned to the Mongols;
In Southern Mongolia, human rights must be respected; democracy must be established and patriots such as Hada must be release;
Barbaric acts such as forcing the Mongols to be displaced from their native land under the name of "ecological migration" must immediately be stopped;
Mongol schools which were unreasonably closed down must be restored, and the sacred rights to education that were taken away from our children must be returned.

Inner Mongolia People’s Party

Last Month of Summer, Year 801, Calendar of Chinggis Khagan

August the 8th, 2007, Western Calendar

No.545 - 2007/08/14(Tue) 16:04:21

Re: uhel mehuliin zam / 芸能人
朝青龍の話題が薄れて来た
No.554 - 2007/08/15(Wed) 08:58:55

中共=無頼漢 / スチン
子供を虐める無頼漢
近所の弱い立場のすべての老人、女性を虐める無頼漢
何時か刑務所送らないと行けない

No.561 - 2007/08/15(Wed) 10:15:57
「華人選美」という活動にモンゴル人選手参加する / 友達に頼まれて
.「華人選美」という活動にモンゴル人選手が参加する New / 友達に頼まれて 引用

五番目はモンゴル人選手オリルグ(Urlig)である。皆さん応援よろしくお願いします。ネット投票よろしくお願いいたします。http://www.chubun.com/modules/xcgal/index.php?cat=11545
http://www.chubun.com/modules/xcgal/index.php?cat=11545

No.552 - 2007/08/15(Wed) 01:15:32

Re: 「華人選美」という活動にモンゴル人選手参加する / 友達に頼まれて
http://www.chubun.com/modules/miss/
No.553 - 2007/08/15(Wed) 01:23:25

Re: 「華人選美」という活動にモンゴル人選手参加する / v
歌舞伎町はもっと儲かるよ、
No.556 - 2007/08/15(Wed) 09:12:15

Re: 「華人選美」という活動にモンゴル人選手参加する / v
どうせ売るなら堂々と売ってよ、
No.557 - 2007/08/15(Wed) 09:13:24

Re: 「華人選美」という活動にモンゴル人選手参加する / iceman-musonhun
mongoliin nuuriig geej baina ,tiim l hyatad bolii gej sansan bol naadah mongol
terligee tailaad orhi ,buzar yanhan

No.558 - 2007/08/15(Wed) 09:36:21

Re: 「華人選美」という活動にモンゴル人選手参加する / iceman-musonhun
そんなに中国人になりたいなら、モンゴル服着るな、バカ、売春でもやれ。
No.559 - 2007/08/15(Wed) 09:39:03

Re: 「華人選美」という活動にモンゴル人選手参加する / こう言う女大嫌い
売春婦は自分の肉体だけ売る、心を売らないようだが

しかし この女は何でも売る、

No.560 - 2007/08/15(Wed) 10:09:49
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