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記事No.611に関するスレッドです

正四面体社会システム / Wedge [関東] [30代]
半田広宣さんの「2013年神を見る日」と「光の箱舟」を購入して、昔勉強させてもらいました、Wedgeと申します。
その考え方に傾倒し、私も難しい数学表現は知らないので、ここで語られる内容など追いつけませんが、見てもらいたいものがあります。
あとひとつ医療の要素をどこかに当てはめたいのですが、どこがいいのかしっくりいく解法をご教授願えたらと思います。よろしくお願いします。

No.610 - 2008/11/14(Fri) 20:14:02

Re: 正四面体社会システム / Wedge [関東] [30代]
これです。
No.611 - 2008/11/14(Fri) 20:15:24

Re: 正四面体社会システム / Wedge [関東] [ ]
農業は司法に弱く、報道は行政に弱く、
工業は立法に弱く、政治は軍事に弱く、
経済は教育に弱く、社会は助平心に弱いw

を表しています。

No.612 - 2008/11/14(Fri) 20:17:07

Re: 正四面体社会システム / Φ=WHY? [ ]
正四面体社会システム、なんか面白いですね。

ドゥルーズ的な方向性から、少し安直に考えれば、産業については、「農業」など第1次産業が「生産する機械」(コード化…ψ7〜ψ8:原始土地機械)、「工業」など第2次産業が「登録する機械」(超コード化…ψ9〜ψ10:専制君主機械)、サービス業など第3次産業が「消費する機械」(脱コード化…ψ11〜ψ12:資本主義機械)という感じがします。これに対応して、人文・社会科学的には、ψ7〜ψ8が「社会学」、ψ9〜ψ10が「政治学」、ψ11〜ψ12が「経済学」という対応が考えられるように思います。

No.613 - 2008/11/14(Fri) 21:39:27

Re: 正四面体社会システム / kohsen [九州] [ ] [ Mail ]
 Wedgeさん、こんばんは。社会システムを理念が持つ原型から捉える試みは確かに興味をそそりますね。でも、この当てはめは少し無理があるような気もします。よかったら、4つの三角形に農業、報道、工業、政治を当てはめた理由を教えていただけませんか。

 φさん、ψ7〜ψ8は「社会学」よりも神話学とか文化人類学とかの方がマッチすると思うけどなぁ。。

No.614 - 2008/11/14(Fri) 23:37:45

Re: 正四面体社会システム / Wedge [関東] [ ]
よく考えたら、弱くではなく、対峙する関係でした。
それと政治と軍事は逆だと思い始めました。
上の正四面体社会システムは医療をいれて、心をいれると13種類になるので、なにか関係があると思って書き込みました。報道はサービス業に入るような気がしてきました。

No.615 - 2008/11/14(Fri) 23:43:48

Re: 正四面体社会システム / Wedge [関東] [ ]
まず点になっている1、政治。2、立法。3、行政。4、司法が言葉でどうにかする次元です。
で、5の線の経済があって関係が結ばれるのです。
6も中の球から1:1や1:多の教えの関係で。
7、農業。8、報道。9、工業。10、軍事の面は、
3つの点が織り成して、作る言行になります。
たとえば、農業は政治と立法と行政から押し出されて言行になるのです。
まだ未完性でいろいろ配置をずらしてうまくはまると良いと思いました。

No.616 - 2008/11/14(Fri) 23:53:20

Re: 正四面体社会システム / Wedge [関東] [ ]
まだ言い残してたことがありました。
点に対して、はじめは弱点だと思って、7〜10は当てはめました。対立する関係だと思いなおしましたけれど。。
11番目は医療と思ってます。これに対立する項目も思いつきません。0の宗教かなとおぼろげながら考えてます。

No.617 - 2008/11/15(Sat) 00:51:27

Re: 正四面体社会システム / Φ=WHY? [ ]
コウセンさん、原始時代には、最初は「神話学」こそ「社会学」だったんじゃないかと思います。まさしく、自然科学と人文・社会科学の境界領域がψ7〜ψ8辺りだと思っています。「社会学」は本来「アタマ」(頭脳)的ではなく、もっと「カラダ」(身体)的であるべきではないかとも思っています。

ところで、(大いなる自己としての)「国家」というフレームに対する「内政」と「外交」というものは、ヌースではψ9〜ψ10辺りの「内面」・「外面」と大いに関係があるのではないかと思っています。立法・行政・司法の三権分立が、なかなか本当の意味では十分に機能していないと思われるのは、もしかすると、それらの実際の現場においての自己・他者関係の構造の吟味が足りないのかもしれません。例えば、それは安直に言えば、自己同一視と分離、自己完結と区別の違いを考えるということと関連しているような気がします。

最後に、「医療」を単なる「薬の投与」に対する数値解析や「臓器移植」という部品交換でしか計測できない、それで手一杯のシステムというのはどうかと思います。もっと「モノ」的なつながりとしてのカラダではなく、より「生命」を基軸とする本来の医療へと見直されていって欲しいものです。

No.618 - 2008/11/15(Sat) 12:48:41