| コウセンさん、原始時代には、最初は「神話学」こそ「社会学」だったんじゃないかと思います。まさしく、自然科学と人文・社会科学の境界領域がψ7〜ψ8辺りだと思っています。「社会学」は本来「アタマ」(頭脳)的ではなく、もっと「カラダ」(身体)的であるべきではないかとも思っています。
ところで、(大いなる自己としての)「国家」というフレームに対する「内政」と「外交」というものは、ヌースではψ9〜ψ10辺りの「内面」・「外面」と大いに関係があるのではないかと思っています。立法・行政・司法の三権分立が、なかなか本当の意味では十分に機能していないと思われるのは、もしかすると、それらの実際の現場においての自己・他者関係の構造の吟味が足りないのかもしれません。例えば、それは安直に言えば、自己同一視と分離、自己完結と区別の違いを考えるということと関連しているような気がします。
最後に、「医療」を単なる「薬の投与」に対する数値解析や「臓器移植」という部品交換でしか計測できない、それで手一杯のシステムというのはどうかと思います。もっと「モノ」的なつながりとしてのカラダではなく、より「生命」を基軸とする本来の医療へと見直されていって欲しいものです。
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No.618 - 2008/11/15(Sat) 12:48:41 |