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フェルミオンとボゾン / Φ=WHY? [ ]
コウセンさん、もしよろしければ、改めてちょっとお尋ねしいたいのですが、物質の素粒子の「フェルミオン」を「奇数観察子」側に、力を媒介する粒子である「ボゾン」を「偶数観察子」側に設定している根拠(理由)みたいなものは何でしょうか?

(場合によっては、同じ箇所にいくらでも無数に格納できる「ボゾン」の方に「連続」的なものを感じ、同じ箇所にたった上下2個までしか格納できない「フェルミオン」の方に「離散」的なものを感じたりもします。)

No.470 - 2008/09/09(Tue) 08:34:34

Re: フェルミオンとボゾン / kohsen [九州] [ ]
奇数系がフェルミオン、偶数系がボゾンというより、奇数系が先手を打つ流れがフェルミオンで、偶数系先手がボゾンというように考えています。根拠はありません。ただ漠然と位置を形作る力が物質粒子と現れているように思えるからです。いつも言ってるように位置とは差異です。ですから離散的で問題ないのではないでしょうか。ボゾンは中和側ですから、差異が見えない、つまり、同一化ではないかと思います。
No.473 - 2008/09/09(Tue) 22:43:08

交換関係と反交換関係 / Φ=WHY? [ ]
コウセンさん、レスありがとうございます。奇数系先手と、偶数系先手では、素粒子的な演算においてどのような違いがあるのか、興味深いところです。

あまりこの分野が苦手な人のためにも、少し簡単に説明しておきます。

素粒子(物質を構成する粒子)とゲージ粒子(力を媒介する粒子)は、それぞれ「フェルミオン」(フェルミ粒子)、「ボゾン」(ボーズ粒子)と呼ばれますが、その違いは、数学的には以下のとても単純な代数的規則の違いによって、成り立っています。

まず、

(1)交換子 :[A,B]=AB-BA
(2)反交換子:{A,B}=AB+BA

という[,]と{,}の2つの記号を定義しておきます。

次に、「量子化条件」(あるいは「量子条件」)と呼ばれる、エネルギー1個(エネルギー単体)が従うべき規則を考えます。

(1)交換子を用いた量子化条件(交換関係)
[a*,a]=−1,[a,a]=[a*,a*]=0
(2)反交換子を用いた量子化条件(反交換関係)
{a*,a}=+1,{a,a}={a*,a*}=0

このいずれかの規則に対して、エネルギーの個数が増減する規則を与えます。この規則は、

[N,a*]=+a*,[N,a]=−a

という規則で、前者による操作を「階段上昇」(生成)、「階段下降」(消滅)と呼びます。

後は、このNとa*,aに対する関係式を定義として与えれば、全個数のエネルギー(エネルギー総体)を扱えるようになります。

(1)の場合は、N=1/2{a*,a}
(2)の場合は、N=1/2[a*,a]

と与えます。すると、エネルギー単体(エネルギー1個、つまり光子1個単位)をεとすれば、「ハミルトニアン」と呼ばれる総エネルギーを示すものは、

H=εN

で与えられます。これら、a*,a,N,Hは通常の数(あるいは関数)ではなく、演算子(作用素)と呼ばれるものです(物理では通常の数をc-数(古典的数)、演算子などで表されるものをq-数(量子的数)と呼ぶようです)。

これだけの簡単な規則の与え方の違いによって、(1)の条件の系列は、1箇所に複数個格納できるボゾン(ボーズ粒子)をもたらし、(2)の条件の系列は、1箇所に上向きか下向きの2個しか格納できないフェルミオン(フェルミ粒子)をもたらすのです。

言い換えれば、エネルギー1個(単体)を与える条件と、エネルギー全体(総体)を与える条件によって、フェルミオンとボゾンという2種類のエネルギーの系列が生まれるわけです。しかも、これらの条件は、ある意味「緩い条件」なので、多様な演算子を考えることができます。つまり、条件を持ちながらも、それなりに自由だとも言えます。

整理しますと、ボゾンのように、エネルギー1個(単体)を与える条件が「交換子」を用いて与えられる場合は、エネルギー全体(総体)を与える条件が「反交換子」を用いて与えられます。フェルミオンのように、エネルギー1個(単体)を与える条件が「反交換子」を用いて与えられる場合は、エネルギー全体(総体)を与える条件が「交換子」を用いて与えられます。

このような「法」(条件、規則)に対して、ヌース理論ではどのような解釈ができるでしょうか?

おそらくモノ1個の見え姿(ψ1〜ψ*1)や、モノ1個の構成(ψ3〜ψ*3)による反映として生まれた見え姿(ψ2〜ψ*2)という辺りと関係してくるのではないだろうかと考えます。

Ω7〜Ω*7,Ω8〜Ω*8におけるフェルミオンとボゾンの交換といったものを考える上でも、この辺りの解釈については、かなり重要なポイントになってくるように思われます。

ちなみに、位置q,運動量pに対して、
調和振動子の運動方程式:d^2q/dt^2=−ω^2・q
を満たすハミルトニアンには、以下のようなものがあります。

(1)「フェルミオン」型調和振動子のハミルトニアン
…相平面が双曲線的(H=iωqp)
(2)「ボゾン」型調和振動子のハミルトニアン
…相平面が楕円的(H=1/2m・p^2+1/2・mω^2・q^2)

これらハミルトニアンの式から窺えることとして、人間が双曲線に見えているものは楕円であり、楕円に見えているものは双曲線なのでしょうか?

No.478 - 2008/09/10(Wed) 09:39:33

要素の視点と集合の視点 / Φ=WHY? [ ]
少し視点を変えてこんなふうに考えてみます。例えば、自然数の定義の仕方を使ってみます。

空集合{ }(=φ)を「0」と定義する。
0だけを要素とする集合{0}を「1」と定義する。
0と1を要素とする集合{0,1}を「2」と定義する。
0,1,2を要素とする集合{0,1,2}を「3」と定義する。
……
0.1.2,…,nを要素とする集合{0.1.2,…,n}を「n」と定義する。

……
0.1.2,…を要素とする集合{0.1.2,…}を「∞」と定義する。この「∞」の位置を、自然数の集合「N」と呼ぶ。

言ってみれば、0.1.2,…の中からある数を特定するような視点が「3次元」的な位相だとすれば、すべての数を眺める、集合Nという視点はある意味「4次元」的な位相という感じもします。前者の位相を「対象」と呼べば、後者の位相は「観測者」と呼べるでしょう。

ただ、このままではどうしても二元論的な影がつきまといます。そこで、この「対象」を生成・消滅の双方向によって決定される「量子化条件」、「観測者」をその量子化条件をベースに数えられる「ハミルトニアン」(総エネルギー)とすれば、不確定性の原因とも言うべき「交換関係」だとか「反交換関係」といった代数構造を持ち込めるというわけです。

No.489 - 2008/09/12(Fri) 11:51:34

Re: フェルミオンとボゾン / kohsen [九州] [ ]
フェルミオンとボゾンの関係についてですが、何とかヌースでいう「円心」と「反環」の概念に集約できるといいのですが。

交換子[A,B]=AB-BAと反交換子 {A,B}=AB+BAの符号の違いの本質的意味は何なんだろ?4次元の捻れを作るものとなくすものかなぁ………ん〜、まだ、よく見えないですね。じっくり考えてみます。

No.491 - 2008/09/12(Fri) 22:30:56

Re: フェルミオンとボゾン / ねじ
勝手な推測…です(笑)交換子、反交換子の符合の違い…

鏡の壁そのものになっりきってみます。

鏡(真実の)に映った姿の左右の対称性に気付かないさが現れたものがマイナスで三次元投影されている一つのタイショウを二つに分離させ、それを相殺させた姿を一つタイショウと認識している値…半整数

鏡(真実の)に映った姿の上下の対称性に気付かないさが現れたものがプラスで三次元投影されている一つタイショウは高次元からの分散投影している多数のタイショウ投影を一つのタイショウと認識いる値…整数

上下方向はもうちょっと説明を足すと階層性問題に表れていて重力の力がなぜこれほどまで小さいか?想定される対称変換が質量さのトンデモナイかけ離れたモノと等価交換可能なのか?それは重力がモノに変換されて形を替えてみえている…ヌース的に言えばα、ψ、Ωの投影が地球に投影されている。いわば、モノは重力が形を替えてみえているので、重力の値が4つの力で一番小さいこと説明つかないかなぁ…?本来重力として見えなきゃいけないものが、いろんなパーツに見えている一つのタイショウはすでに2つのプラスされたものを一つのタイショウとして認識。
例、kohsenは広宣のモノであると同時にオコツトのモノ…2つ足されたモノを一つのタイショウ認識…重なり合わせを意識していない

左右、上下とくると奥行きは?進化?退化?はてな!?

鏡の真ん中で鏡に成りきるとタキオンもタージオンもその他、総ての対称性がハッキリ認識できるのでしょうね

No.497 - 2008/09/14(Sun) 00:09:49

「数」からの卒業 / Φ=WHY? [ ]
> フェルミオンとボゾンの関係についてですが、何とかヌースでいう「円心」と「反環」の概念に集約できるといいのですが。

人間が原子などの描像として見ている物理的なイメージとしては、電子(フェルミオン)が「円心」として、光子(ボゾン)が「反環」として見えているような気がします。その一方で、人間は数学的な思考に置いて、e^(iθ)が「円心」的であり、e^ζ=e^{i(−iζ)}が「反環」的であるように思います。前者が「円周」だとすれば、後者は「動径」という感じです。

ただこのままでは単純にフェルミオン型交換関係(反交換関係)とボゾン型交換関係(交換関係)に還元することはできませんね。そもそも、このイメージでは、まだ所詮、c-数(古典的数、つまり、ただの「数」)的であり、q-数(量子的数)的なものになっていません。

c-数、つまり、「数」の場合、交換による「差異」はありません。A,Bが「微分演算子」や「行列」の場合、交換関係はAB,BAという交換の「差異」に基づき、反交換関係はAB,−BAという反交換の「差異」に基づきます。これら「差異」の差異を考える、というのは面白いことだと思います。

何となく、ψ1〜ψ2は、c-数(古典的数、つまり、ただの「数」)の領域、ψ3〜ψ4は、q-数(量子的数)のうち、∂/∂xのような微分演算子などを含む領域、ψ5〜ψ6は、q-数(量子的数)のうち、2×2のパウリ行列を含む領域、ψ7〜ψ8は、q-数(量子的数)のうち、4×4のディラック行列(γ行列)を含む領域という感じがします。

私たち人間の「精神」はまだ単なる「数」の領域にしか住んでいないのかもしれません。これでは、まだまだ「鏡」の本質など見えてこないでしょう。人間はそろそろ「数」の固定概念から卒業しなくてはなりません。

No.498 - 2008/09/14(Sun) 09:37:12

Re: フェルミオンとボゾン / kohsen [九州] [ ]
全く同感です。尺度の体制から解放された思考によって宇宙を再構成する必要があると思います。
No.500 - 2008/09/14(Sun) 16:40:38

どうやら、ねじのリーマン球止核は克服したみたい / ねじ
日頃リーマン球をみると逃げ出したく成りましたが、意味合いが理解出来ました。リーマン球にも球面上の鏡像という鏡がありました。複素平面上で単位円(半径1)の内と外に螺旋を描くことは…リーマン球面上では赤道を中心にして、北半球、南半球、上下対称に螺旋を描いて北極点、南極点に吸い込まれる様子に見えます。これが、僕にはボゾンとフェルミオンの超対称変換につながる描写にみえてならないのです。

チャールズ・サイフェ著「異端の数 ゼロ」の中から抜き出します。

(無限遠点をもつ)複素平面が球と同じモノであることにリーマンが気づくと、数学者は、球のゆがみ回転する仕方を分析することによって、掛け算、割り算、そしてもっと難しい操作も理解できるようになった。―中略―。もっとも興味深いのは、数χをその逆数1/χで置き換えるのが、球を逆さまにして、鏡に映すのに等しいことだ。北極は南極に、南極は北極になる。すべて、球の幾何学的構造に組み込まれている。1/0=∞かつ1/∞=0。無限大とゼロはリーマン球面の両極であり、両者は一瞬のうちに入れ換わりうる。そして、同等で反対の力をもっている。
 複素平面上の数すべてに2を掛けてみよう。これは、南極に手を当てて、球をおおうゴムのカバーを南極から北極のほうに引き伸ばすのに似ている。0,5掛けるのは、その逆の効果をもつ。ゴムのカバーを北極から南極のほうに引き伸ばすのに似ている。無限大を掛けるのは、南極に針を刺すようなものだ。ゴムシートは北極のほうに跳ね上がる。何に無限大を掛けても無限大だ。ゼロを掛けるのは、北極に針を刺すようなもので、すべてがゼロに集まる。何にゼロを掛けてもゼロだ。無限大とゼロの力は等しくて反対―同等に破壊的なのだ。

ABは無限大とゼロで、0,5はスピン1/2(フェルミオン)で、2はスピン2(ボゾン“重力子”)で、赤道線は1の光子(光の鏡)だとしたら…螺旋はもしかしたらフェボナッチ?コーセンさんの解釈とは逆ですが重力子が負荷で、物質は半物質の覚醒の反映とみるとフェルミオンは偶数に思えます。数学出来ないんでいい加減イメージで荒らしてますが、こんな感じで見てみましたm(_ _)m

No.507 - 2008/09/17(Wed) 03:07:25

マクロとミクロ / Φ=WHY? [ ]
ねじさん、こんにちは。

いろいろな方向から自由に発想してみるという視点は、人間の頑なな視点を解放するのに有効な手段だと思いますよ。

最近「リーマン」と聞くと、経済のことかと思ってしまいます(笑)。1つの場に集中していた歪みの力が限界に達すると、その破綻の波動が地球を何周もしてしまうのかもしれません。粒子性(まとまりの力)の波動性への変換。そのエネルギーはすさまじいのかも。

波上の点が1回転する「長さ」λを「波長」と呼びますが、ドブロイは、物質粒子にも波動の性質があると考え、物質粒子の運動量pと波長λの間にも、プランク定数をhとすれば、p=h/λ という関係があると考えました。このλの逆数1/λ(=k(ケイ)とおく)は「波数」と呼ばれます。λがある単位の「長さ」であることから、kの単位は長さの逆数になり、波長λと波数kは互いに逆数の関係になっていると言えます。

つまり、マクロλ⇔ミクロkです。
この波数kに対し、k=2πκとなるκ(カッパ)を「角波数」と呼びます。難しく考えなくても、波数kを円周とする円の半径が角波数κです。したがって、κ=2πk=2π/λとなります。そこで、マクロ・ミクロの関係は、
マクロλ⇔κ(カッパ)
としてもよく、このλをふつうの距離xで置き換えれば、
マクロx(距離)⇔ミクロκ(角波数)
となります。

この角波数kを微分演算子∂/∂x(つまり、xで微分する)で置き換え、さらに、虚数単位iを掛けたものが、量子物理学における「角波数」に相当するもの(角波数演算子)になります。つまり、i∂/∂xが角波数演算子です。この角波数演算子に、さらに量子論的な単位であるh’=h/2π(ディラック定数=プランク定数を2πで割ったもの)を掛けたものが、運動量演算子です。

大雑把に言えば、
マクロ的な作用x(位置)⇔ミクロ的な作用i∂/∂x(角波数演算子)
という感じでしょうか。量子物理学ではこのi∂/∂xを角波数演算子κと書き、
xκ−κx=i
という交換関係が成り立つわけです。

古典物理学における関係
マクロx(距離)⇔ミクロκ(角波数)
では、xもκも数ですから、
xκ−κx=0
となります。この世界観こそ、人間の顕在化していない世界観であり、顕在化していないψ1〜ψ*1,ψ2〜ψ*2の世界観なのではないかと考えます(あるいは、ψ4におけるψ1〜ψ*1,ψ2〜ψ*2の世界観?)。

これに対して、量子物理学における関係
マクロ的な作用x(位置演算子)⇔ミクロ的な作用κ=i∂/∂x(角波数演算子)
に対して、
xκ−κx=i
という交換関係が成り立ちますが、この世界観こそ、人間の顕在化した世界観であり、顕在化したψ3におけるψ1〜ψ*1,ψ2〜ψ*2の世界観なのではないかと考えます。

微分をある種の観察者だとすれば、観察者のいる世界観と、観察者のいない世界観という感じです。

No.508 - 2008/09/17(Wed) 10:16:51

光の箱船ゲット!!まるで新書だ(≧▽≦) / ねじ
あきらめていたのに、売り出したばかりのような光の箱船が手に入った。沖縄だし、この本は出てこないと思っていた。22を越えてゆけも一昨日ゲット!普通の本屋では売っていないので、買い求めることを躊躇してたのに何か流れが変わって来た?
それはそうと、例のリーマン球ですが、リーマン球自体が、真空の場のような気がしてきました(汗)
もちろんリーマンブラザーズもシンクロして伝えると、電子<ミュー粒子<タウ粒子の質量差ってリーマン球面に0,5掛けるのか、1,5掛けるのか、2,5掛けるのかの違いが質量差に見えているのではないか?1,5や2,5は単位円に吸い込まれる様子の螺旋を描くと思えます。

特異的に吸い込まれる方は、新しい定質・性質をあちらで生み出す様だとすると、単位円に吸い込まれる方はあちら(彼岸)の世界の破壊活動に当たりはしないか?金融活動も一種の意識次元…資本主義の終わりの始まりの特異点に見える。太陽のフレアは極の回転スピードより赤道線のスピードが遅いため巻き付けたヒモが余るという話を聞いたことがある。リーマン球のオーバーシュートは反転した所に共鳴し、影響を与えてはいまいか?誠に奇妙な想像である(・_・;)

No.513 - 2008/09/18(Thu) 22:08:56

ねじさん、よかったですね。 / Φ=WHY? [ ]
『光の箱船−2013:超時空への旅−』は、今品切れ状態なんですか?(http://noos.cocolog-nifty.com/noos_academeia/2008/09/post-2a6c.html

知りませんでした。ねじさん、入手できてよかったですね。

No.514 - 2008/09/18(Thu) 22:40:02
了解致しました / R23 [九州] [ ]
では 予定通り 訪問しますので宜しくお願いします
(*^_^*)

No.537 - 2008/09/27(Sat) 08:06:17
コーセン殿☆ / R23 [九州] [ ]
10/2 木曜の2時の 予定で大丈夫でしょうか?
なんとなくですが 確認の為に メールしました(*^_^*)
休みは とりましたが 無理でしたら遠慮なく言って下さいね☆

No.535 - 2008/09/25(Thu) 21:22:24

Re: コーセン殿☆ / kohsen [九州] [ ] [ Mail ]
R23さん、
10/2 木曜日 午後2時、大丈夫ですよ。
オフィスでお待ちしています。

No.536 - 2008/09/26(Fri) 09:47:27
(No Subject) / goemon [ ]
みなさん、こんにちわ。
初めて投稿させて頂きます。
広宣さんのブログと共に、興味深く拝見しています。

私のレベルが低いので、中々理解には至りませんが(苦笑)…。
でも、とても素敵な場所ですね。

素人ながら、1つ質問をさせて頂いても宜しいでしょうか?

今、アメリカ発の金融危機が起こっていますが、ヌース的には『お金』はどう解釈すれば良いのでしょうか。
人間はお金を元に経済活動をしているわけですが、それをどう捉えれば良いのかな、と。
すべてが意識と関係があるのなら、お金や経済活動にも何かしらの意味があるのでしょうか…。

もし、場違いの質問でしたらお許し下さい。

No.515 - 2008/09/19(Fri) 01:38:47

ヌースの貨幣論 / kohsen [九州] [ ]
goemonさん、こんにちは。
貨幣論ですか。。ヌースとしても、とても興味ある問題です。貨幣の位置づけを意識構造の中に見るには、ヌース理論的には次元観察子ψ11〜ψ12における構造変動を事細かに分析する必要性があります。観察子で話すと例によってチンプンカンプンになってしまうでしょうから、大ざっぱなイメージで話すとおおよそ次のような感じですかね。ちょっと長くなるかもしれません。

 経済は人間の欲望を原動力としていますよね。意識に内在しているこの「欲望」という力は、ヌース的に言えば「等化」の一形態と考えられます。アイツがアレを持っている。だから、オレも欲しい。社会でアレは常識になっている。だから、オレもアレにならなきゃいけない。etc。しかし、一度、等化が起こると、精神は中和というプラマイゼロの状態を作り出し欲望を初期化してきます。あんなに輝いて見えていたものが一度手にしまった途端、一気に色褪せてしまうという経験は誰にでもありますね。しかし、そこでまた「負荷」が起こる。新たな対称性の破れです。欲望は新たな等化すべき対象を対化として見出し、それらを所有し、それらと同一化したい衝動に駆られ、性懲りもない等化の反復を繰り返す。。こうして、モノでもイメージでも、テクストでも、解釈でも、意味でも何でもよいのですが、欲望によって差異が無限に増殖していくことになります。生産です。企業が躍起になって商品の差別化や区別化を叫ぶのも、こうした差異の再生産が収益に大きく寄与するからにほかなりません。経済活動はこうした差異の再生産を前提として成立しているわけです。

 現代人にとって、所有とはアイデンティティーの一端を担っている行為でもありますね。モノにせよ、イメージにせよ、言葉にせよ、それが所有されるところには必ずアイデンティティーが生まれる。文化と言い換えてもいい。現代人にとって所有や消費は一種の自己確認の作業であり、主体性を保持するための不可欠な行為となっています。しかし、そこにどんな主体性があるのかというと、差異は飽きたらまた別の差異にすり替えられていくだけですから、結局は主体の場所は空虚な空隙でしかない。所有力で人間の価値が決まるはずもないのに、なぜか、多くを所有する者は力をも有しているようかの錯覚に陥る。モノに富める者、言葉に富める者、イメージに富める者、意味に富める者。どれも所有を力としている意味では似たりよったりで、それは権力としてしか働かない。そして、こうした一連の所有行為の保証人となっているのが貨幣なわけです。貨幣はモノにも言葉にもイメージにも意味にも容易に化けることができる。トランプで言えばジョーカーですね。つまり、オールマイティ。

 となれば、主体が自己確認するために貨幣以上に重要なものはないということになってしまう。その意味で貨幣は現代人にアイデンティティーを付与する霊力そのものと言っていい。つまりコギトの本質力のようなものでしょうか。実際、経済活動において何が交換されようと、それがアイデンティティーを保持、強化するようにしか働かないならば、コギトはその空虚な空隙に居続けるしかなくなる。経済活動を活発化すればするほど人は孤独になっていくわけです。皮肉な言い方をすれば、すべてのコミュニケーションは自我の強化のためにしか働いていないということですね。根底には他者と一つになりたいという欲望が働いているのだけども,この欲望が、結局のところ、所有物の交換という裏返しの情念となって現れ、いつまでたってもグルグルと差異の増殖の中で実りの無い交換活動を続けて行く。。。それが人間の営んでいる経済という生き物の本質のような気がします。

 いずれ、ヌースではこうした欲望の機構を幾何学的に事細かに説明していくことになると思いますが、ヌース全体の文脈から言えば、この機構はいつまでもこの実りのない反復運動を続けるようにはできてはいません。やがて本当の経済をもたらす機構に反転します。この転倒した機構が反転さえすれば、人間の欲望は純化し、今度は主体自体の交換という本来の経済活動に変わっていくはずです。今度は人間がモノを交換するのではなく、モノが人間を交換していく回路が開いてくるわけです。ヌース理論の構築はその準備活動です。

No.517 - 2008/09/19(Fri) 12:55:58

Re: / kohsen [九州] [ ]
goemonさん、せっかくの長文なので、これブログにも転載させてもらいますね。ご了承下さい。最近、理論の細かい話ばかり書いているので、たまには目先を変えた記事を挟まないと、退屈しちゃいますからね(^^)。
No.518 - 2008/09/19(Fri) 13:11:51

Re: / goemon [ ]
広宣さん、どうもありがとうございました。
ブログの方も拝見しました。

貨幣論や経済論については、シリウス革命には書かれていなかったのでとても興味がありました。人は経済活動の中で生を営んでいますし、経済を語ることはそのまま人生を語ることなのかな、と。ヌース的にこれを説明するには、ψ11〜ψ12まで待たないといけないわけですね…。

経済活動が自我の強化にしか働いていないとするなら、その反転とは「自我の消滅」、あるいは「他者との融合?」と関係しているのでしょうか…。そして、今のグローバル経済はゆっくりと終焉に向かい、新しいものへと変換していくのでしょうか…。

いつもとは違った視点のお話に、とてもワクワクしました。
お忙しい中、どうもありがとうございました。

No.519 - 2008/09/19(Fri) 20:32:48

Re: / Φ=WHY? [ ]
ちょっとだけお邪魔します。こんなふうに考えております。

経済は「交換」だと言われます。そもそも経済が成り立つ最も単純な関係は「物々交換」です。つまり、あなたが「所有」している物と、わたしが「所有」している物が存在し、わたしはあなたが所有している物を「欲求」し、あなたもわたしが所有している物を「欲求」するとき、互いの物同士を「交換」することで経済が成り立つわけです。

もう少し、図的に描写すると、「実体A」と「実体B」が存在して、AB間において、Aに属していた「価値a」と、Bに属していた「価値b」を互いに交換するとき、経済が成り立ちます。

これはどこかで見た構図ではないでしょうか。よく物理学で見かける図です。「電子A」と「電子B」が存在して、AB間において、Aに属していた「光子(エネルギー)a」と、Bに属していた「光子(エネルギー)b」を互いに交換する、という構図です。物理学の最も基礎的な分野とも言える力学は、一般力学にしろ量子力学にしろ、この最も単純な構図をスタートにしていると言っても過言でないように思います。

ヌース理論において、最も基本的な構造と言えば、私は「自己−他者」関係であるように思いますが、それは次元観察子の番号で言えば、ψ5やψ6辺りです。ヌース理論では、このψ5と言えば「電子」ですが、電子と電子の間の光子のやり取りは、このψ5の下位の構造であるψ3〜ψ4における現象を指しているように思われます。

この辺りをヌース理論でどう描かれるのかは興味深いところですが、要するに、「交換」=「経済」は、ヌース理論では、ψ3〜ψ4辺りから既に始まっているのだと思います。ヌース理論では、このψ3を「位置の交換」と呼びます。

No.520 - 2008/09/19(Fri) 21:29:11

その方向性に同意します。 / kohsen [九州] [ ]
Φさんはすでにヌースのもくろみを完全に見抜いていらっしゃいますね。ヌース理論が「意識構造」という場合、それは心理学が扱うような人間の心理構造といった類いのものではなく、モノや言葉、イメージ、自己、他者、社会、客観や主観などの認識自体を構成する基礎的な概念が、どのような関係性を持って連携を取っているのかという構造性を指します。そして、それを単なる図式としてのモデルではなく、実際の空間認識の中に一つのアーキテクチャーとして幾何学的に組み上げようという試みです。僕が「2013年以降には無意識構造が見えてくる」といろんなところで言っているのも、こうした構築作業が社会でいずれ一般化していくだろうと思っているからです。もちろん、それが可能なことなのかどうかはまだはっきりとは分かりません。しかし、OCOT情報を丹念に解読してきた結果、どうもそういう方向性に誘導されているような気がします。で、Φさんがおっしゃるように、まぁ、高々20年足らずですが、その構造の初歩的段階を積み木細工のように幾何学的に構成してきた結果、そこに物理学が解明してきた物質の基盤である素粒子構造と極めて似通った構造があることが分かってきた。もちろんまだまだ稚拙な類似にすぎませんが。。。最近、ヌース理論という呼称はやめにしようかと思っています。「理論」と名がつくと、細かいところにばかり思考が偏りがちですね。攻撃する人も増えてくるし。ヌーソロジー(noosology/ヌース学)に改めるかもしれません。
No.521 - 2008/09/19(Fri) 23:00:18

初めまして / coco [ ]
興味深い内容だったので、コメントさせて頂きます。
貨幣は現代人にアイデンティティーを付与する霊力、その通りだと思います。
主体自体の交換、モノが人間を交換していく…とは、これから先人間が、ようやくモノの実態を認識し始めるということでしょうね。
人間が個々の”ヌース”にどう目覚めていくかは、人それぞれですが、ヌース理論が貢献するところは大きいと思います。
これからの展開を楽しみにしています。。

No.528 - 2008/09/21(Sun) 12:15:08

Re: / kohsen [九州] [ ] [ Mail ]
cocoさん、こんにちは。「これから先人間が、ようやくモノの実態を認識し始める」………その通りですね。その認識がトランスフォーマー型ゲシュタルトが生み出すものであり、高次元知覚の本性だと考えています。
No.530 - 2008/09/22(Mon) 08:28:53

こんにちは / coco [ ]
高次元知覚の本性…それを掴むために、小さな事象の考察から積み上げていくのか、真理を理解して細かく噛み砕いていくのか…どちらのほうがてっとりばやいんでしょうね?(笑)
そのひとの資質によると思いますが。わたしは後者です^^

No.532 - 2008/09/22(Mon) 15:56:44
(No Subject) / goemon [ ]
Φさん、どうもありがとうございます。

私はアストロロジャーなのですが、ヌース理論を学んでいると、それがまるで占星術の解説をしているような気がして面白いです。次元観察子にしても、まるでホロスコープの12ハウスについて話をしているように思えます。

そのアストロロジャーとしての視点から、ちょっと宜しいでしょうか。

占星術では、物の所有と獲得は第「2」ハウスの領域だと言われています。金銭というのも、第2ハウスのキーワードですが、それはお金が自分の欲しいものを手に入れる手段だからですよね。自分にとって価値あるもの、自分のアイデンティティーを表すもの…。それを手に入れる手段がお金なら、金銭はψ2辺りとも関係があるのでしょうか…。(次元観察子については、それほど詳しくないので間違っていたらすみません)。

経済が交換なら、お金はそれを媒介するもの(?)。ψ3〜ψ4より下位のψ1〜ψ2に関わる現象(?)
そんな風に勝手に想像してしまったのですが…。

No.522 - 2008/09/20(Sat) 01:21:43

ベクトル平衡体と占星術 / Φ=WHY? [ ]
goemonさん、こんにちは。

占星術と言えば、「12」の星座から成り立つわけですが、ちょうどψ11〜ψ12に対応する群であると思われる6次元回転群SO(6)が構成するルート図形は、「ベクトル平衡体」になっています。「ベクトル平衡体」は、「正8面体」と「正6面体」の中間体とも言える多面体であり、その中心と各頂点を結ぶ「12」の線分がすべて同じ長さになっています。『2013:人類が神を見る日 アドバンスト・エディション』のp.285の図11-2「太陽系とピラミッド」に登場する図形は、おそらく、この「ベクトル平衡体」だと思われます。

つまり、この「ベクトル平衡体」の中心と各頂点を結ぶ「12」の線分は、「12」の星座(さらには、「12」のハウス)と対応し、しかも、太陽系の惑星たちとも関わっているのではないかと思います。

我々の天の川銀河と、その双子銀河とも言われるアンドロメダ銀河をともに含む局部銀河群を含む「乙女座超銀河団」同士が連なっている構造の中心に「蛇遣座ヴォイド」と呼ばれる超空洞があるようです。ひょっとすると、「12」の宇宙を結ぶ中心に第13番目の星座である「蛇遣(へびつかい)座」が位置するのかもしれません。

経済的な「交換」が結局は「自我の交換」(というより「自我の贈与」(?))に根ざしているなら、それはψ3〜ψ4と関係し、そのψ3〜ψ4で交換しているものが「世界観」最終的には、個人に付帯している個別の「時空」であるなら、ψ1〜ψ2は、お金が有する「抽象性」と大いに関係しているかもしれませんね。

ちなみに、ψ1〜ψ2は、月の軌道(白道)と太陽の軌道(黄道)の交点であるドラゴンヘッド(昇交点)とドラゴンテイル(降交点)とも関係あるのではないかと思います(実際には、その2階上次元であるψ13〜ψ14が統制していると思われます)。つまり、ψ1がドラゴンヘッド(昇交点)、ψ2がドラゴンテイル(降交点)です。つまり、ドラゴンテイル(降交点)は、ルート・チャクラとつながり、過去(前世)のデータベース(=バックエンドプロセッサー)を指し示し、ドラゴンヘッド(昇交点)は、クラウン・チャクラとつながり、未来(来世)のビジョン(=フロントエンドプロセッサー)を指し示していると考えております(生命の樹をベースに言い換えれば、マルクト(王国)とイェソド(基礎)がつながっているように見えて、裏ではイェソド(基礎)がケテル(王冠)としっかりつながっているという感じです)。

本当はドラゴンは2匹いて、互いの尾をくわえ合ってぐるぐる回転しながら運動しているイメージです。片方は、エネルギーの物質化を司り、他方は、物質のエネルギー化を司る、つまり、「エネルギー」と「物質」を結びつけているのが「運動量」という「アインシュタインの関係式」を生み出している構図です。

ただ、「12」の星座、「12」のハウスが単純にその順番に、ψ1,ψ3,ψ5,ψ7,ψ9,ψ11,ψ2,ψ4,ψ6,ψ8,ψ10,ψ12と対応しているかと言うと、それははなはだ疑問です。

No.523 - 2008/09/20(Sat) 09:56:17

Re: / goemon [ ]
Φさん、どうもありがとうございます。
非常に興味深い考察でした。

あの「太陽系とピラミッド」の図形は、本当に謎です(笑)。ベクトル平衡体という形が、太陽系と関係しているとのことですよね。私のヌース理解が及ばないのが原因ですが、あの次元観察子と惑星の対応関係は、何かひっかかります。占星術が行っている「12星座―12ハウス―太陽系惑星」の関係と異なっているのです。なぜ、ψ2が月で、ψ4が金星なのか?ψ7移行についてはみんな2つずつズレていますし…。

Φさんお仰る通り、単純に対応しているのではないのかもしれませんね。
その辺りのことを解くのが、これからの私の楽しみです(笑)。

ヌーソロジーは本当に面白いですね。
広宣さんの格闘のお陰で、こんな素晴らしいものを生み出して下さったこと、感謝しています。
もちろん、それを陰で支えてこられた皆さんにも…。

広宣さん、Φさん、お忙しい中ありがとうございました。

No.524 - 2008/09/20(Sat) 11:11:40

Re: / kohsen [九州] [ ] [ Mail ]
 goemonさん、早速「ヌーソロジー」という呼称を使っていただき、恐縮です。僕自身、占星学(占星術という言い方はあまり好きじゃないので)に関しては浅薄な知識しかありませんが、直観的にヌーソロジーが現在構築しようとしている世界観が占星学成立の背景にあった世界観なのではないかと思っています。OCOT情報では「占星学は真実の人間における科学体系のようなものであり、現在の『占星術』は付帯質によってかなり歪められている」と伝えてきています。門外漢がこんなことをいうのも何ですが、占星学というのは本来、高次元幾何学を使って表された意識構造の学問ではなかったのかと。

 例えば、ホロスコープなんかも、僕には光の中に貯蔵された幾多の次元階層の相関関係を表す幾何学構造体に見えて仕方ありません。そこには人間の個体の運勢どころか、物質世界がいかにして創造されたかの情報までもがすべて詰まっているように見えます。

 今のところ、太陽系はΩ1〜Ω14、Ω*1〜Ω*14という記号で表される大系観察子と呼ばれる空間構造の時空への射影ではないかと考えています。通常のユークリッド次元でこの太陽系世界が一体何次元に当たるのかは想像もつきません。それだけ恐ろしく高い次元です。地球を中心とする月の円軌道でさえも、7次元球面ぐらいの次元的大きさを持っているのではないかと予想しています(これは観察子でいうとψ13〜ψ14当たりに相当します)。

 いずれヌーソロジーは次元観察子の世界の構築を終えて、大系観察子の構築にも着手していくと思いますが、漠然とした青写真であれば、現段階でもある程度は提供していけると思っています。未知の新しい空間の開拓に向けて、占星学の観点からもいろいろとアドバイスをいただければ幸いです。

No.525 - 2008/09/20(Sat) 12:17:37

占星術と惑星対応 / Φ=WHY? [ ]
>> 占星術が行っている「12星座―12ハウス―太陽系惑星」の関係と異なっているのです。

確かに、占星術の星座に対する惑星とヌースの惑星対応は綺麗には対応しませんね。

1:白羊宮(牡羊座: 3/21〜 4/20)⇔Ω 6:火星
2:金牛宮(牡牛座: 4/21〜 5/20)⇔Ω 4:金星
3:双児宮(双子座: 5/21〜 6/21)⇔Ω 3:水星
4:巨蟹宮(蟹座 : 6/22〜 7/22)⇔Ω 2:月

5:獅子宮(獅子座: 7/23〜 8/22)⇔Ω 5:太陽
6:処女宮(乙女座: 8/23〜 9/22)⇔Ω 3:水星
7:天秤宮(天秤座: 9/23〜10/21)⇔Ω 4:金星
8:天蠍宮(蠍座 :10/22〜11/21)⇔Ω11:冥王星

9:人馬宮(射手座:11/22〜12/21)⇔Ω 7:木星
10:磨羯宮(山羊座:12/22〜 1/19)⇔Ω 8:土星
11:宝瓶宮(水瓶座: 1/20〜 2/18)⇔Ω 9:天王星
12:双魚宮(魚座 : 2/19〜 3/20)⇔Ω10:海王星

水星と金星が2度も登場し、しかも、4と5の間を「鏡」にして、反転しているように見えるのが気になります。ある種の「対称性」から考えると、上記8に対応するのは、実は「Ω 1:地球」なのではないかという気もしています。そこで、ちょっと強引で無理やりですが、以下のようにすると、とりあえず綺麗に配置できます。

1:白羊宮(牡羊座: 3/21〜 4/20)⇔Ω 6:火星
2:金牛宮(牡牛座: 4/21〜 5/20)⇔Ω 4:金星
3:双児宮(双子座: 5/21〜 6/21)⇔Ω*4:水星
4:巨蟹宮(蟹座 : 6/22〜 7/22)⇔Ω 2:月

5:獅子宮(獅子座: 7/23〜 8/22)⇔Ω 5:太陽
6:処女宮(乙女座: 8/23〜 9/22)⇔Ω 3:水星
7:天秤宮(天秤座: 9/23〜10/21)⇔Ω*3:金星
8:天蠍宮(蠍座 :10/22〜11/21)⇔Ω 1:地球

9:人馬宮(射手座:11/22〜12/21)⇔Ω 7:木星
10:磨羯宮(山羊座:12/22〜 1/19)⇔Ω 8:土星
11:宝瓶宮(水瓶座: 1/20〜 2/18)⇔Ω 9:天王星
12:双魚宮(魚座 : 2/19〜 3/20)⇔Ω10:海王星

参考までに、中国の十二支と五行の月対応だと以下のようになります。

1:子(冬   :11月)⇔水
2:丑(冬の土用:12月)⇔土
3:寅(春   : 1月)⇔木
4:卯(春   : 2月)⇔木

5:辰(春の土用: 3月)⇔土
6:巳(夏   : 4月)⇔火
7:午(夏   : 5月)⇔火
8:未(夏の土用: 6月)⇔土

9:申(秋   : 7月)⇔金
10:酉(秋   : 8月)⇔金
11:戌(秋の土用: 9月)⇔土
12:亥(冬   :10月)⇔水

五行は、例えば、東→南→西→北の順に、木→火→金→水となり、その中央に「土」が入ります。ある意味、「土」は、木、火、金、水より1階層高い位置にいるとも言えます。そういう意味では「5進法」(ペンターヴ)的だと思います。

No.526 - 2008/09/20(Sat) 13:31:30

Re: / goemon [ ]
何度もすみません、これで最後にします(苦笑)。

占星学は70年代以降、心理学的な見方を融合していき、今では惑星や星座は元型(アーキタイプ)の力だと考えられています。人間の無意識の力と関係がある以上、それを意志の力で操ることも、ある程度可能です。私自身、それを研究している内に、もっと根本的なことに興味を抱きました。「なぜ、惑星や星座は元型の力と関係があるのだろう?その仕組みはどうなっているのだろう?」。そうしたら、幸いにもヌーソロジーに出会えて…。

ヌーソロジーがその幾何学構造を解明してくれれば、占星学の謎も解けるでしょう。
アストロロジャーの長年の夢です。
広宣さん、期待しています!

No.527 - 2008/09/20(Sat) 22:54:53

12の惑星 / Φ=WHY? [ ]
何度もすみません(苦笑)。ベクトル平衡体の12の頂点の件で、ちょっと思い出したことがあります。シリウス・ファイルにこんなのがありました。

交信記録19921003「感性球の対化における3つの直交する大円と、精神球の対化における3つの直交する大円が12の惑星次元と考えてよいですか。」「いいえ違います。重心としての正8面体における12本の稜線です。」交信記録交信記録19911012「立方体に内接する正8面体の意味は。」「太陽系の総体、つまりヒトのことではないですか。最終構成における意味では各面が惑星に対応します。」

この「12本の稜線」の中点を頂点として作られるのが、ベクトル平衡体です。

No.531 - 2008/09/22(Mon) 13:59:20
追伸 / R23 [九州] [20代]
今、初めて 音楽や映画のコラムを 読ませてもらいました。(仕事中・・仕事してるのか?(*^_^*)) 私も 芸術大好き人間ですが 音楽のところで
ドビュッシーとラベル・・・
私は 全ての良き音楽を 愛していますが ドビュッシーのアラベスクとラベルのボレロだけは 特別で 私を 違う次元に(懐かしい)いざなってくれます(*^_^*) 
私のアラベスクは へたっぴですが・・・
ドビュッシーはエーテル体の音楽と言いましょうか・・・

音楽は 良いですね♪ 
ピアノの旋律は たまらないです☆ 

No.469 - 2008/09/08(Mon) 11:05:12

Re: 追伸 / kohsen [九州] [ ]
クラッシックは詳しくないですが、
ドビュッシーとラベルの和声の響きはいいですね。あと、サティとかも。
ラベルは「亡き王女のためのパヴァーヌ」とか名曲ですね。
青い月夜に最高にマッチします。。
まさに、「エーテルの夜」といった感じ。

No.477 - 2008/09/09(Tue) 23:21:33

エーテル / R23 [九州] [ ]
お忙しい中メールを有難うございます♪ラベル・ ドビュッシー・サティ 本当に エーテル音楽を感じます☆映画監督の岩井俊二氏も同じです(*^_^*)
私も 後はロックやジャズなどでクラシックはあまり知りません。

コーセンさんに 実際 お逢いして 何を話して良いのかも分かりませんが お逢いしたいです☆
平日は 何時頃が お時間取れそうですか?

遠からぬ近い日に 伺いたいとは思いますが 
コーセンさんの都合の良い日を 言っていただければ
有難いです(*^_^*)


  

No.480 - 2008/09/10(Wed) 10:14:09

都合のいい時間 / kohsen [九州] [ ]
R23さん、こんにちは。
R23さんというのは、トーラスさんとお知り合いなんですね。
ああ、なるほど。そう言えば、トーラスさんが博多に来た時、ネコマンガのファンの女の子のところに会いに行くと言っていた記憶があります。その子のことかな?

来週は火曜、水曜、の昼過ぎから夕方の間であれば、いつでも構いませんよ。

No.485 - 2008/09/11(Thu) 16:25:46

日にち / R23 [九州] [20代]
はい(*^_^*)  猫パラノイアの女で御座います☆
3月は トーラスさん達に 初めてお逢いしたのに 3回くらい逢ってもらい その時 証し屋というのを 設立いたしました。
アキャーシャ 明かす まやかし 証明 いろんな意味を持つ証し屋です☆

私の仕事は 平日 夕方迄ですので コーセンさんに せっかく逢えるのならば10月の 平日に 休み逢いに行きますので10月で都合良い日 教えて下さい(*^_^*)
新月・満月前後以外なら 大丈夫です♪
 

No.486 - 2008/09/11(Thu) 16:51:39

Re: 追伸 / kohsen [九州] [ ]
10月は第一週であれば、大丈夫です。
No.492 - 2008/09/12(Fri) 22:33:29

黄色い共振の星☆ / R23 [九州] [ ]
マヤ的にも この日が素敵で美しい時間な感じがしましたので 3日金曜日でお願い致します。
時間は 何時でも大丈夫ですが・・・
家が 東区香椎宮近くで 天神迄の 時間は 予測出来ますが その先が 目安が分かりません・・・ 
大丸から バスで行こうと思っております♪

会社に 行けば良いのですよね? 

No.494 - 2008/09/13(Sat) 09:24:04

ごめんなさい。 / kohsen [九州] [ ]
R23さん、何度もごめんなさい。
基本的に金曜日は社内ミーティング等があり、時間が自由になりません。できれば、金曜日以外にしていただくと助かります。

No.502 - 2008/09/14(Sun) 16:57:55

コーセンさん / R23 [九州] [ ]
それならば 2日は いかがですか?
1週目では 1日は 休めないのでm(__)m
2日で 良ければ 休みとります(*^_^*)
都合良い時間帯も指定してくだされば 合わせて伺います♪

No.504 - 2008/09/16(Tue) 12:02:11

Re: 追伸 / kohsen [九州] [ ]
了解です。
10月2日の木曜日ですね。
時間は昼すぎの2時ではどうでしょうか。
時間を空けておきます。

No.505 - 2008/09/16(Tue) 17:36:48

13日の金曜日 / R23 [九州] [ ]
では9/2 木曜の二時目指して 伺います(*^_^*)

会社の 一階に 行けば良いのでしょうか・・・
ドキドキです☆

ちなみに マヤ暦では9/2は 3/13なのですが 私の誕生日と同じ日で びっくりしました!
13日の2時ですのでコーセンさんの2013もシンクロしますね(*^_^*) 名前 木村です(普通です)

No.509 - 2008/09/17(Wed) 12:04:46

Re: 追伸 / kohsen [九州] [ ]
はい、僕の部屋は二階ですが、一階が入口になっていますので、一階の自動ドアを入って、スタッフに声をかけて下さい。二階に案内してくれると思います。

木村カエラだったら、どうしよう。。ドキドキです☆

No.512 - 2008/09/18(Thu) 10:55:04

了解です☆ / R23 [九州] [ ]
木村カエルです(笑)
猫が 擬人化したような 人間が 訪問しますので
宜しくお願い致します(*^_^*)

No.516 - 2008/09/19(Fri) 09:52:54
目がふたつって・・・ / Naoko [関東] [20代]
こんばんは!

最近のコウセンさんのブログを読んでいてふと考えたことなのですが、、、

「時間と〜(34)」によると、客観的空間における、前の空間(−∞)と後ろの空間(+∞)のねじれた結節点になっているのが、主観的空間における身体の位置、ということでしたよね?
そのねじれた結節点である身体をグルグル三軸回転させることによって生まれてくる「見えている」世界の総合が、微小球体としてのΨ5。「見えていない」世界の総合が、広大な局所時空としてのΨ6。

で、それを踏まえて「時間と〜(35)」に従って眉間エンピツで動き回ってみたのですが。。

Ψ5の位置は、ブログにもかかれてますが、身体からちょっとだけ前方に出た位置なんですよね。
身体の位置そのものとは重なってこない。

Ψ3とΨ4の結節点は身体の位置そのものなのに、Ψ5は身体の外・・・なぜ?

眉間エンピツをやってみての感想としては、エンピツの先がポイントしているその位置に確かにΨ5らしきものを感じるのですが、、Ψ3とΨ4の結節点も、その位置にあるように思えてきてしまって。。混乱してしまいました。

Ψ6については掴みやすくて、自分の顔面が後ろに引っ張られているような感覚といいますか。。
顔面を代表に広大に広がる時空が、「見えている世界」Ψ5を包みこんでいる!たしかに!と思えるのですが。


で、ふと考えたのは、「見えている世界」と「見ている顔面」が乖離しているという感覚というのは、目がふたつあるから起こってくる感覚なのではないかということ。
目がふたつあるから、その角度の違いで物が立体的に見えるのですよね?
奥行き感覚を生み出すのが、「ふたつの目」の役割なのかな。

「第三の目」というチャクラが眉間のあたりにあると言われていますが、その目はエーテルを見る目だという話もあります。
眉間の「一つの目」で世界を見ると、Ψ5の位置と肉体の位置は、実は重なってくるのかもしれないですよね。

肉体を抜け出して、前方の「見えている世界」のほうへと意識を脱出させることと、
身体の位置に結節点を集約させていくこと、

それぞれがどういう行為なのか、私にははっきりと分からないのですが、、、

目が二個の意味ってなんだろう??
ぐるぐる・・・

No.503 - 2008/09/15(Mon) 18:47:54

Re: 目がふたつって・・・ / kohsen [九州] [ ]
Naokoさん、こんにちは。
ブログの内容にコメントがつけられるとなぜかとても嬉しいですね。
誰も読んでいないのでは?といつも思ってしまうので(^^)。

>Ψ5の位置は、ブログにもかかれてますが、身体からちょっとだけ前方に出た位置なんですよね。身体の位置そのものとは重なってこない。

>眉間エンピツをやってみての感想としては、エンピツの先がポイントしているその位置に確かにΨ5らしきものを感じるのですが、、Ψ3とΨ4の結節点も、その位置にあるように思えてきてしまって。。混乱してしまいました。

ψ5も身体の位置と重なっていると考えても構いませんよ。ψ5の長さはψ3と同じく無限小ですから。ψ3とψ5の違いは、いずれブログで説明すると思いますが、4次元を軸として3次元が回転しているかしていないか、だけです。

目が二つ。。。確かにこれはヌースにとっては難問ですね。
対化の現れといってしまえばそれまでですが、それなりに深い意味があるのでしょう。ヌース的にはψ5がψ7の方向にわずかに方向を持っている状態といえますが。。定かではありません。

>肉体を抜け出して、前方の「見えている世界」のほうへと意識を脱出させることと、身体の位置に結節点を集約させていくこと、それぞれがどういう行為なのか、私にははっきりと分からないのですが、、、

重要なことは、ψ5的身体とψ6的身体との区別をはっきり見てとることだと思います。ψ5に身体を見たときは、意識はすでに時空を抜け出て、ミクロの素粒子世界(正確には原子世界ですが……)に侵入している、という言い方ができるのではないかと考えています。

No.506 - 2008/09/16(Tue) 20:32:56

第3の眼 / Φ=WHY? [ ]
Ωn〜Ω(n+1)のチャクラの機能がψn〜ψ(n+1)に凝縮化していると考えれば、神智学的な界層は、

ψ 1〜ψ 2:ルート(脊椎基底核)チャクラ…物質界(上位:エーテル(感覚)体、下位:肉体)
ψ 3〜ψ 4:腹(丹田)のチャクラ……………アストラル界(アストラル(感情)体)
ψ 5〜ψ 6:臍(太陽神経叢)のチャクラ……メンタル界(上位:コーザル(原因)体、下位:メンタル(想念)体)
ψ 7〜ψ 8:胸のチャクラ………………………ブッディ界(直観)
ψ 9〜ψ10:喉のチャクラ………………………アートマー界
ψ11〜ψ12:額(第3の眼)のチャクラ………アヌパーダカ界
ψ13〜ψ14:クラウン(頭頂=冠)チャクラ…アーディー界

と対応し、表(カラダの正面)のチャクラが奇数側だとすれば、裏(カラダの背面)のチャクラが偶数側になると思います。額の「第3の眼」に立てた鉛筆によって、明らかにされる世界観は、ψ11〜ψ12(=潜在化したΩ5〜Ω6)がさらに凝縮化して、ψ5〜ψ6として「視覚」に反映されているのかもしれませんね。

最後に、ヌースの次元観察子ψ7〜ψ8(社会)の下での、ψ3〜ψ4(自己の外面・内面)とψ5〜ψ6(自己−他者(単数))の関係を示唆しているような、詩がありましたので、以下に、少し引用してみます。


 愛は、わたしたちの悲惨のしるしである。神は、自分をしか愛することができない。わたしたちは、他のものをしか愛することができない。

                ☆

 神がわたしたちを愛しているから、わたしたちは神を愛さねばならないというのではない。神がわたしたちを愛しているから、わたしたちはわたしたち自身を愛さなければならないのである。この動機がなかったら、どうして自分自身を愛することができよう。
 このような回り道を通らないかぎり、人間には自分を愛することができないのである。

(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』より)

No.510 - 2008/09/17(Wed) 14:53:23

Re: 目がふたつって・・・ / kohsen [九州] [ ]
ヴェイユの思索は何か独特の透明感がありますね。
徹底した孤独の中で、いつの日か、あの人がきっとドアを叩いてくれる、そんな彼女の切々とした願いが心に深く染み入る文章です。

低い動機のためには人は喜んでたくさんのエネルギーを使うが、高い動機のためには使わない。。高い動機のためにいかにエネルギーを使わせるか。これが問題だとヴェイユはこの『重力と恩寵』の中で書いています。

おそらく、低い動機のエネルギーは重力に関係し、高い動機のエネルギーは弱い相互作用などの内部空間のエネルギーに関係しているのでしょうね。
反重力など、まだまだ夢の夢です。

No.511 - 2008/09/18(Thu) 10:49:36
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