コウセンさん、もしよろしければ、改めてちょっとお尋ねしいたいのですが、物質の素粒子の「フェルミオン」を「奇数観察子」側に、力を媒介する粒子である「ボゾン」を「偶数観察子」側に設定している根拠(理由)みたいなものは何でしょうか?
(場合によっては、同じ箇所にいくらでも無数に格納できる「ボゾン」の方に「連続」的なものを感じ、同じ箇所にたった上下2個までしか格納できない「フェルミオン」の方に「離散」的なものを感じたりもします。)
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No.470 - 2008/09/09(Tue) 08:34:34
| ☆ Re: フェルミオンとボゾン / kohsen ♂ [九州] [ ] | | | 奇数系がフェルミオン、偶数系がボゾンというより、奇数系が先手を打つ流れがフェルミオンで、偶数系先手がボゾンというように考えています。根拠はありません。ただ漠然と位置を形作る力が物質粒子と現れているように思えるからです。いつも言ってるように位置とは差異です。ですから離散的で問題ないのではないでしょうか。ボゾンは中和側ですから、差異が見えない、つまり、同一化ではないかと思います。
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No.473 - 2008/09/09(Tue) 22:43:08 |
| ☆ 交換関係と反交換関係 / Φ=WHY? [ ] | | | コウセンさん、レスありがとうございます。奇数系先手と、偶数系先手では、素粒子的な演算においてどのような違いがあるのか、興味深いところです。
あまりこの分野が苦手な人のためにも、少し簡単に説明しておきます。
素粒子(物質を構成する粒子)とゲージ粒子(力を媒介する粒子)は、それぞれ「フェルミオン」(フェルミ粒子)、「ボゾン」(ボーズ粒子)と呼ばれますが、その違いは、数学的には以下のとても単純な代数的規則の違いによって、成り立っています。
まず、
(1)交換子 :[A,B]=AB-BA (2)反交換子:{A,B}=AB+BA
という[,]と{,}の2つの記号を定義しておきます。
次に、「量子化条件」(あるいは「量子条件」)と呼ばれる、エネルギー1個(エネルギー単体)が従うべき規則を考えます。
(1)交換子を用いた量子化条件(交換関係) [a*,a]=−1,[a,a]=[a*,a*]=0 (2)反交換子を用いた量子化条件(反交換関係) {a*,a}=+1,{a,a}={a*,a*}=0
このいずれかの規則に対して、エネルギーの個数が増減する規則を与えます。この規則は、
[N,a*]=+a*,[N,a]=−a
という規則で、前者による操作を「階段上昇」(生成)、「階段下降」(消滅)と呼びます。
後は、このNとa*,aに対する関係式を定義として与えれば、全個数のエネルギー(エネルギー総体)を扱えるようになります。
(1)の場合は、N=1/2{a*,a} (2)の場合は、N=1/2[a*,a]
と与えます。すると、エネルギー単体(エネルギー1個、つまり光子1個単位)をεとすれば、「ハミルトニアン」と呼ばれる総エネルギーを示すものは、
H=εN
で与えられます。これら、a*,a,N,Hは通常の数(あるいは関数)ではなく、演算子(作用素)と呼ばれるものです(物理では通常の数をc-数(古典的数)、演算子などで表されるものをq-数(量子的数)と呼ぶようです)。
これだけの簡単な規則の与え方の違いによって、(1)の条件の系列は、1箇所に複数個格納できるボゾン(ボーズ粒子)をもたらし、(2)の条件の系列は、1箇所に上向きか下向きの2個しか格納できないフェルミオン(フェルミ粒子)をもたらすのです。
言い換えれば、エネルギー1個(単体)を与える条件と、エネルギー全体(総体)を与える条件によって、フェルミオンとボゾンという2種類のエネルギーの系列が生まれるわけです。しかも、これらの条件は、ある意味「緩い条件」なので、多様な演算子を考えることができます。つまり、条件を持ちながらも、それなりに自由だとも言えます。
整理しますと、ボゾンのように、エネルギー1個(単体)を与える条件が「交換子」を用いて与えられる場合は、エネルギー全体(総体)を与える条件が「反交換子」を用いて与えられます。フェルミオンのように、エネルギー1個(単体)を与える条件が「反交換子」を用いて与えられる場合は、エネルギー全体(総体)を与える条件が「交換子」を用いて与えられます。
このような「法」(条件、規則)に対して、ヌース理論ではどのような解釈ができるでしょうか?
おそらくモノ1個の見え姿(ψ1〜ψ*1)や、モノ1個の構成(ψ3〜ψ*3)による反映として生まれた見え姿(ψ2〜ψ*2)という辺りと関係してくるのではないだろうかと考えます。
Ω7〜Ω*7,Ω8〜Ω*8におけるフェルミオンとボゾンの交換といったものを考える上でも、この辺りの解釈については、かなり重要なポイントになってくるように思われます。
ちなみに、位置q,運動量pに対して、 調和振動子の運動方程式:d^2q/dt^2=−ω^2・q を満たすハミルトニアンには、以下のようなものがあります。
(1)「フェルミオン」型調和振動子のハミルトニアン …相平面が双曲線的(H=iωqp) (2)「ボゾン」型調和振動子のハミルトニアン …相平面が楕円的(H=1/2m・p^2+1/2・mω^2・q^2)
これらハミルトニアンの式から窺えることとして、人間が双曲線に見えているものは楕円であり、楕円に見えているものは双曲線なのでしょうか?
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No.478 - 2008/09/10(Wed) 09:39:33 |
| ☆ 要素の視点と集合の視点 / Φ=WHY? [ ] | | | 少し視点を変えてこんなふうに考えてみます。例えば、自然数の定義の仕方を使ってみます。
空集合{ }(=φ)を「0」と定義する。 0だけを要素とする集合{0}を「1」と定義する。 0と1を要素とする集合{0,1}を「2」と定義する。 0,1,2を要素とする集合{0,1,2}を「3」と定義する。 …… 0.1.2,…,nを要素とする集合{0.1.2,…,n}を「n」と定義する。
…… 0.1.2,…を要素とする集合{0.1.2,…}を「∞」と定義する。この「∞」の位置を、自然数の集合「N」と呼ぶ。
言ってみれば、0.1.2,…の中からある数を特定するような視点が「3次元」的な位相だとすれば、すべての数を眺める、集合Nという視点はある意味「4次元」的な位相という感じもします。前者の位相を「対象」と呼べば、後者の位相は「観測者」と呼べるでしょう。
ただ、このままではどうしても二元論的な影がつきまといます。そこで、この「対象」を生成・消滅の双方向によって決定される「量子化条件」、「観測者」をその量子化条件をベースに数えられる「ハミルトニアン」(総エネルギー)とすれば、不確定性の原因とも言うべき「交換関係」だとか「反交換関係」といった代数構造を持ち込めるというわけです。
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No.489 - 2008/09/12(Fri) 11:51:34 |
| ☆ Re: フェルミオンとボゾン / kohsen ♂ [九州] [ ] | | | フェルミオンとボゾンの関係についてですが、何とかヌースでいう「円心」と「反環」の概念に集約できるといいのですが。
交換子[A,B]=AB-BAと反交換子 {A,B}=AB+BAの符号の違いの本質的意味は何なんだろ?4次元の捻れを作るものとなくすものかなぁ………ん〜、まだ、よく見えないですね。じっくり考えてみます。
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No.491 - 2008/09/12(Fri) 22:30:56 |
| ☆ Re: フェルミオンとボゾン / ねじ | | | 勝手な推測…です(笑)交換子、反交換子の符合の違い…
鏡の壁そのものになっりきってみます。
鏡(真実の)に映った姿の左右の対称性に気付かないさが現れたものがマイナスで三次元投影されている一つのタイショウを二つに分離させ、それを相殺させた姿を一つタイショウと認識している値…半整数
鏡(真実の)に映った姿の上下の対称性に気付かないさが現れたものがプラスで三次元投影されている一つタイショウは高次元からの分散投影している多数のタイショウ投影を一つのタイショウと認識いる値…整数
上下方向はもうちょっと説明を足すと階層性問題に表れていて重力の力がなぜこれほどまで小さいか?想定される対称変換が質量さのトンデモナイかけ離れたモノと等価交換可能なのか?それは重力がモノに変換されて形を替えてみえている…ヌース的に言えばα、ψ、Ωの投影が地球に投影されている。いわば、モノは重力が形を替えてみえているので、重力の値が4つの力で一番小さいこと説明つかないかなぁ…?本来重力として見えなきゃいけないものが、いろんなパーツに見えている一つのタイショウはすでに2つのプラスされたものを一つのタイショウとして認識。 例、kohsenは広宣のモノであると同時にオコツトのモノ…2つ足されたモノを一つのタイショウ認識…重なり合わせを意識していない
左右、上下とくると奥行きは?進化?退化?はてな!?
鏡の真ん中で鏡に成りきるとタキオンもタージオンもその他、総ての対称性がハッキリ認識できるのでしょうね
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No.497 - 2008/09/14(Sun) 00:09:49 |
| ☆ 「数」からの卒業 / Φ=WHY? [ ] | | | > フェルミオンとボゾンの関係についてですが、何とかヌースでいう「円心」と「反環」の概念に集約できるといいのですが。
人間が原子などの描像として見ている物理的なイメージとしては、電子(フェルミオン)が「円心」として、光子(ボゾン)が「反環」として見えているような気がします。その一方で、人間は数学的な思考に置いて、e^(iθ)が「円心」的であり、e^ζ=e^{i(−iζ)}が「反環」的であるように思います。前者が「円周」だとすれば、後者は「動径」という感じです。
ただこのままでは単純にフェルミオン型交換関係(反交換関係)とボゾン型交換関係(交換関係)に還元することはできませんね。そもそも、このイメージでは、まだ所詮、c-数(古典的数、つまり、ただの「数」)的であり、q-数(量子的数)的なものになっていません。
c-数、つまり、「数」の場合、交換による「差異」はありません。A,Bが「微分演算子」や「行列」の場合、交換関係はAB,BAという交換の「差異」に基づき、反交換関係はAB,−BAという反交換の「差異」に基づきます。これら「差異」の差異を考える、というのは面白いことだと思います。
何となく、ψ1〜ψ2は、c-数(古典的数、つまり、ただの「数」)の領域、ψ3〜ψ4は、q-数(量子的数)のうち、∂/∂xのような微分演算子などを含む領域、ψ5〜ψ6は、q-数(量子的数)のうち、2×2のパウリ行列を含む領域、ψ7〜ψ8は、q-数(量子的数)のうち、4×4のディラック行列(γ行列)を含む領域という感じがします。
私たち人間の「精神」はまだ単なる「数」の領域にしか住んでいないのかもしれません。これでは、まだまだ「鏡」の本質など見えてこないでしょう。人間はそろそろ「数」の固定概念から卒業しなくてはなりません。
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No.498 - 2008/09/14(Sun) 09:37:12 |
| ☆ Re: フェルミオンとボゾン / kohsen ♂ [九州] [ ] | | | 全く同感です。尺度の体制から解放された思考によって宇宙を再構成する必要があると思います。
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No.500 - 2008/09/14(Sun) 16:40:38 |
| ☆ どうやら、ねじのリーマン球止核は克服したみたい / ねじ | | | 日頃リーマン球をみると逃げ出したく成りましたが、意味合いが理解出来ました。リーマン球にも球面上の鏡像という鏡がありました。複素平面上で単位円(半径1)の内と外に螺旋を描くことは…リーマン球面上では赤道を中心にして、北半球、南半球、上下対称に螺旋を描いて北極点、南極点に吸い込まれる様子に見えます。これが、僕にはボゾンとフェルミオンの超対称変換につながる描写にみえてならないのです。
チャールズ・サイフェ著「異端の数 ゼロ」の中から抜き出します。
(無限遠点をもつ)複素平面が球と同じモノであることにリーマンが気づくと、数学者は、球のゆがみ回転する仕方を分析することによって、掛け算、割り算、そしてもっと難しい操作も理解できるようになった。―中略―。もっとも興味深いのは、数χをその逆数1/χで置き換えるのが、球を逆さまにして、鏡に映すのに等しいことだ。北極は南極に、南極は北極になる。すべて、球の幾何学的構造に組み込まれている。1/0=∞かつ1/∞=0。無限大とゼロはリーマン球面の両極であり、両者は一瞬のうちに入れ換わりうる。そして、同等で反対の力をもっている。 複素平面上の数すべてに2を掛けてみよう。これは、南極に手を当てて、球をおおうゴムのカバーを南極から北極のほうに引き伸ばすのに似ている。0,5掛けるのは、その逆の効果をもつ。ゴムのカバーを北極から南極のほうに引き伸ばすのに似ている。無限大を掛けるのは、南極に針を刺すようなものだ。ゴムシートは北極のほうに跳ね上がる。何に無限大を掛けても無限大だ。ゼロを掛けるのは、北極に針を刺すようなもので、すべてがゼロに集まる。何にゼロを掛けてもゼロだ。無限大とゼロの力は等しくて反対―同等に破壊的なのだ。
ABは無限大とゼロで、0,5はスピン1/2(フェルミオン)で、2はスピン2(ボゾン“重力子”)で、赤道線は1の光子(光の鏡)だとしたら…螺旋はもしかしたらフェボナッチ?コーセンさんの解釈とは逆ですが重力子が負荷で、物質は半物質の覚醒の反映とみるとフェルミオンは偶数に思えます。数学出来ないんでいい加減イメージで荒らしてますが、こんな感じで見てみましたm(_ _)m
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No.507 - 2008/09/17(Wed) 03:07:25 |
| ☆ マクロとミクロ / Φ=WHY? [ ] | | | ねじさん、こんにちは。
いろいろな方向から自由に発想してみるという視点は、人間の頑なな視点を解放するのに有効な手段だと思いますよ。
最近「リーマン」と聞くと、経済のことかと思ってしまいます(笑)。1つの場に集中していた歪みの力が限界に達すると、その破綻の波動が地球を何周もしてしまうのかもしれません。粒子性(まとまりの力)の波動性への変換。そのエネルギーはすさまじいのかも。
波上の点が1回転する「長さ」λを「波長」と呼びますが、ドブロイは、物質粒子にも波動の性質があると考え、物質粒子の運動量pと波長λの間にも、プランク定数をhとすれば、p=h/λ という関係があると考えました。このλの逆数1/λ(=k(ケイ)とおく)は「波数」と呼ばれます。λがある単位の「長さ」であることから、kの単位は長さの逆数になり、波長λと波数kは互いに逆数の関係になっていると言えます。
つまり、マクロλ⇔ミクロkです。 この波数kに対し、k=2πκとなるκ(カッパ)を「角波数」と呼びます。難しく考えなくても、波数kを円周とする円の半径が角波数κです。したがって、κ=2πk=2π/λとなります。そこで、マクロ・ミクロの関係は、 マクロλ⇔κ(カッパ) としてもよく、このλをふつうの距離xで置き換えれば、 マクロx(距離)⇔ミクロκ(角波数) となります。
この角波数kを微分演算子∂/∂x(つまり、xで微分する)で置き換え、さらに、虚数単位iを掛けたものが、量子物理学における「角波数」に相当するもの(角波数演算子)になります。つまり、i∂/∂xが角波数演算子です。この角波数演算子に、さらに量子論的な単位であるh’=h/2π(ディラック定数=プランク定数を2πで割ったもの)を掛けたものが、運動量演算子です。
大雑把に言えば、 マクロ的な作用x(位置)⇔ミクロ的な作用i∂/∂x(角波数演算子) という感じでしょうか。量子物理学ではこのi∂/∂xを角波数演算子κと書き、 xκ−κx=i という交換関係が成り立つわけです。
古典物理学における関係 マクロx(距離)⇔ミクロκ(角波数) では、xもκも数ですから、 xκ−κx=0 となります。この世界観こそ、人間の顕在化していない世界観であり、顕在化していないψ1〜ψ*1,ψ2〜ψ*2の世界観なのではないかと考えます(あるいは、ψ4におけるψ1〜ψ*1,ψ2〜ψ*2の世界観?)。
これに対して、量子物理学における関係 マクロ的な作用x(位置演算子)⇔ミクロ的な作用κ=i∂/∂x(角波数演算子) に対して、 xκ−κx=i という交換関係が成り立ちますが、この世界観こそ、人間の顕在化した世界観であり、顕在化したψ3におけるψ1〜ψ*1,ψ2〜ψ*2の世界観なのではないかと考えます。
微分をある種の観察者だとすれば、観察者のいる世界観と、観察者のいない世界観という感じです。
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No.508 - 2008/09/17(Wed) 10:16:51 |
| ☆ 光の箱船ゲット!!まるで新書だ(≧▽≦) / ねじ | | | あきらめていたのに、売り出したばかりのような光の箱船が手に入った。沖縄だし、この本は出てこないと思っていた。22を越えてゆけも一昨日ゲット!普通の本屋では売っていないので、買い求めることを躊躇してたのに何か流れが変わって来た? それはそうと、例のリーマン球ですが、リーマン球自体が、真空の場のような気がしてきました(汗) もちろんリーマンブラザーズもシンクロして伝えると、電子<ミュー粒子<タウ粒子の質量差ってリーマン球面に0,5掛けるのか、1,5掛けるのか、2,5掛けるのかの違いが質量差に見えているのではないか?1,5や2,5は単位円に吸い込まれる様子の螺旋を描くと思えます。
特異的に吸い込まれる方は、新しい定質・性質をあちらで生み出す様だとすると、単位円に吸い込まれる方はあちら(彼岸)の世界の破壊活動に当たりはしないか?金融活動も一種の意識次元…資本主義の終わりの始まりの特異点に見える。太陽のフレアは極の回転スピードより赤道線のスピードが遅いため巻き付けたヒモが余るという話を聞いたことがある。リーマン球のオーバーシュートは反転した所に共鳴し、影響を与えてはいまいか?誠に奇妙な想像である(・_・;)
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No.513 - 2008/09/18(Thu) 22:08:56 |
| ☆ ねじさん、よかったですね。 / Φ=WHY? [ ] | | | No.514 - 2008/09/18(Thu) 22:40:02 |
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