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Chahar Borjigin.Gerelbaatar
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No.1543 2011/09/19(Mon) 20:36:41
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☆ Re: Barimjaa aviyaa bol mongol heliig mohooh aluurchin mun / uvur mongol |
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tegej yih yum bolgood yaah yum vi.hujaachuud chamad bol avrach yum bolvuu?nutag in ayalgoo hejee ni uguisgeesen bol?10 ug yin 7 ni hujaa,ter nutag giin ayalgoo yum boluu?
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No.1544 2011/09/19(Mon) 22:06:04
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☆ Re: Barimjaa aviyaa bol mongol heliig mohooh aluurchin mun / Buren |
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No.1545 2011/09/20(Tue) 02:18:48
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☆ Re: Dr.Gerelbaatariin Sanal / uvur mongol |
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yuu ch aldaj baih yum da,mongol d jaahan avhuulsan yum bn.yoloosen dogtor bn.
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No.1546 2011/09/21(Wed) 22:49:31
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☆ Re: Dr.Gerelbaatariin Sanal / uvur mongol |
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この人物の観点を考察すると、「現実的」に、このまま進めば、ホルチン方言の共通語させる宣言の裏に結局、内モンゴルの共通語が中国語になるべきという結論が続いてある。そうすれば、彼の論理通り考えると、中国人は世界人口の四分の一だから、世界の共通語が中国語になるべきだという宣言だろうね。これもあいつの「現実的人口データ論」に沿った結果だ。荒っぽいね。
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No.1547 2011/09/21(Wed) 23:07:12
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☆ Re: Dr.Gerelbaatariin Sanal / horchin |
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yag chi manee horchonchuud in umnes yarj taaran.suul chi haash handj baiga gi chi olj harj baiga shuu, hujaa giin hovildulg gin tuleene hun bol chi shu de.horchon ayalg yamar bolj baigaa gi horchinchuud bid bur medej bn.baig chashan.
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No.1549 2011/09/22(Thu) 23:04:13
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☆ Re: Dr.Gerelbaatariin Sanal / sb |
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この話はおもしろいと思いますが、 とりわけ、議論の中心は標準語であって、 チャハル方言とかホルチン方言とかのレベルではないでしょうか。
モンゴル国の標準語は、トブ・ハルハ方言に基づくものは誰にも疑う余地がないでしょう、 いくらオブソなど西方言で話せる人々に何かの不便を与えるにしても。 ある意味では、それは世界中のモンゴル人の標準語です。
それから、内モンゴルの標準語とは、 中国の自治区としてのモンゴルの標準語に過ぎないと思いますが、 現状では、内モンゴル人にしても標準語は欠かせないものであろう。
このサイトでは、はじめてと思いますが、 ほかのモンゴル語のサイトでこうした議論を読んだことがあります。 特に、チャハル方言とホルチン方言との、標準語としての話は絶えないですよね。 「ホーリン・ウリゲル」等々。
標準語は、様々な形であつまった集団の、共通する手段である以上、 皆の便宜をはかるのは一応の条件だと思います。 それに、感情とか、人数とか、地区とかが関わってきます。
何十年の歴史ある、チャハル方言に基づいた標準語とは、いったい何だろう。 われわれは、ないよりも、言語的な観点から議論すべきですが、それには及べない。 とりわけ、内モンゴルだけでなく、すべてのモンゴル人と交流する場合、 少なくとも、モンゴル国と、内モンゴルとの交流において、 地域的にも、言語的にも、中間的役割を果たすチャハルは妥当であろう。 皆さんおっしゃる現状というのも、政治、人文のいろんな面がありますが、 言語の現状も忘れはいけない。 というのは、やはり、ホルチン方言に浸透した漢語ですね、 言語同化よりほど遠い日本もカタカナ語に警戒している今、 中国語がないと通じないぐらいのホルチン方言を、 改めて標準語と推進するのは何だろうか。
地域(田舎や都市とか)的に、年代的に異なるのは当たり前ですが、 ホルチンの人々がチャハル方言ばかりかハルハ方言で話せるもの、 話せるようにしているものやまほどいるのは現実。 それを、それぞれの人口において、 どのように位置づけるべきかについて断言できないが、 何でも(特に、文学と言語は西洋の「定義」に縛られたものが多い)、 ヨーロッパの理論を持ち出すのはどうかと思います。
一番問題なのは、子どもの頃、小学校から標準語を教えないのは、問題。 父もの、母も、全く分からない中国語を、小学校三年から学んで、 誰よりも立派にできる子が、 母音だけ(子音は特別)異なる標準語を学べないというわけがないだろう。 ここで、先生の問題が出てくるが、それをべつの話題にしよう。
もう一つ、自ら定めた標準語(皆さんの記憶した、チャハル方言そのものではない)によって、 自分の母語を話すのが恥じるものはないだろう。 言葉を覚える赤ちゃんのように、 あるいは、外国語を学ぶように、 最初はなかなか話せないというのは誰にもあることだろう (その場合、なんでも、中国語、英語、日本語など、 場合によって話せるものは自由だろうが)。
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No.1551 2011/09/25(Sun) 02:31:58
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