黙殺という態度について |
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私もあるサイトで戦争についての文章をアップしたのですが、批判、賛同、曲解、自説の補完に利用、などなどさまざまな反応がありました。しかし私はその全てに対して口を噤み、議論を避けました。理由は単に面倒くさかったから、だと思っています。徳保さんの「議論」についての考え方を私はよく理解しているつもりなのですが、ひとつだけ質問させてください。批判に対して黙CENSOREDるという態度については徳保さんはどのように考えていますか?
> それにしても、どうしてこう、運動もどきをやりたがる方々は、
> 往々にして批判に対して大人気ない反応を返すのでしょうか。
> それほど自分の正義に自信がないのなら、黙っていてほしい。
おはらさんが、仮にあかのさんに対して黙殺という態度をとっていた場合、この態度は徳保さんにとって批判すべき態度ということになるのでしょうか? 「批判に口を噤むくらいなら、(はじめから)黙っていてほしい」という事になりますでしょうか? 徳保さんの見解を教えてください。
- 名無し
- 2003/04/05(Sat) 10:41 [223]
回答 |
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ただし、批判を黙CENSOREDればそれなりのペナルティーを喰らいます。一定数の読者が、そのことにより発言者への信頼を失うことになるわけです。このペナルティーがあるため、いいたいことをいいっ放しの人が続出することがないのです。私は批判の黙殺に甘いのですが、世の中はそういう人ばかりではないので、うまくバランスが取れているわけです。
さて、おはらさんは今回、じつに馬鹿な反論の仕方をしました。自分の正義を説明するのではなく、相手を貶めることで、間接的に相手の言説の説得力を減じようとされました。この方法は、正攻法と併用すればかなりの効果も期待できますが、本題をおざなりにしてこのようなことばかりしていると、むしろ自分の評価を大幅に下げることになります。
こうなってしまうのは、やはり自分の正義に自信がない、あるいは自分の正義をしっかり説明する能力がほとんどない、といった情けない状況が裏にあるからでしょう。運動のようなことをしたがる方は、批判のないところでは大声で自分の正義を訴え、ときには他人に押し付けさえするわけです。自分の中に裏づけのない空虚な言葉を触れ回っている様子について、私はそれをうるさいと思い、その程度の意見なら黙っていてほしいと祈るのです。
一度批判してみれば化けの皮は剥がれます。しかし、それまではあたかも立派な意見のような振りをしているわけです。パッと見では判断できません。だからたちが悪いのです。批判するという手間をかけてから真実が見えたって遅いわけです。それでやはり、愚説なら最初から黙っていてほしいということになります。
おはらさんは、あのような程度の低い批判だけをされるくらいなら、むしろ黙っていた方がマシだったでしょう。おはらさんは正直に真情を吐露して真実を閲覧者の前へとさらけ出しました。それはある意味で誠実なことですが、少なくともおはらさんのためにはならなかったし、おはらさんがそうした自分への不利益に気づかない方だということを明らかにしてしまいしました。私はこれを、残念なことだったと思っています。
以上で名無しさんの疑問への回答となりましたでしょうか。
Re: 黙殺という態度について |
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- 名無し
- 2003/04/06(Sun) 09:08 [229]
うまく逃げる |
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下手に挑発に乗ってバカな反論をするなら、黙CENSOREDる方がだいぶマシだと思います。発言者がせめてうまい逃げ方を心得ていれば、周囲の怒りも早々に冷めていきますし、結局はみなのためにもなるのではないかと思います。
常に追及側に立つ人などいないわけで、誰もがやられやり返されのくり返しですよね。こりゃダメだとなった場合に、うまく逃げる手をお互いが知っていることは、決して悪いことではないのではないでしょうか。