| 昭和39年、私は19歳で新入社員だった。
♪乗ってけ 乗ってけ 乗ってけ サーフィン 波に 乗れ 乗れ・・・・ と言う絶妙な日本語の詞の付いた「太陽の彼方」(藤本好一)がヒットしていた。 国中が東京オリンピック熱に浮かれて「乗ってけ 乗ってけ」だった。 ♪波に 乗れ 乗れ・・・・乗れない人も、一生懸命世の荒波の上で人生サーフィンをしていた、と言う印象がこの時代は強い。
私の入った会社は流通業で、後に一大コングロマリットに成長した。当時オーナーの片腕だった人の口癖は「脱皮しない蛇は死ぬ」だったが、今振り返ってみるとグループは「脱皮し過ぎて死にかけた」大蛇だった。 時代の波に乗り、やがて蹴散らされて・・・そして瓦解した。
その頃のクリスマスはホーム・クリスマスと言うよりは、会社帰りのオヤジが歓楽街を銀紙を貼った帽子を頭に乗っけて、酔っ払って歩く、そんな感じだった。
不二家のクリスマスケーキに、長い行列が出来たものだった。
私の勤務先は下町にあったが、20日過ぎ頃夕方から混み出し、ハンカチや靴下にリボンをかけてもらって、プレゼントにして行く人が多かった。 給与は銀行振込以前のことだから現金支給で、下町だったから月末(みそか)払いが多かった様だ。そんな訳で買い物は、小銭で来る人が少なくなかった。100円札が未だあった時代のことである
とにかく忙しかった。仲の良かった交換(昔は交換室が大概あった。館内の放送も交換嬢の仕事だった)のおねえさんは、系列の百貨店から来た人で怖かったが何故か私には優しかった。「○○クン、あなたクリスマスのレコード持ってる?」 と店食(店員食堂の略)で聞かれた。「ウン、あるヨ」 「じゃあ明日持って来て」 チエミさんの「ジングルベル(サイレント・ナイト)」のEPを翌日店食で渡すと、ジャケットを見て「○○君、チエミ好きなの?」と聞かれた。 「ウン!」「去年ね、コマに出て(100万人の天使)、中野ブラザースと3人で鈴を持ってサ、鈴で音階をとりながら「夕焼け小焼け」を踊ったンだ!良かったヨ。あたしサ中野と親しいンダ。 今度、啓チャン章チャンに会わしてあげるネ!」と言った。
彼女の話したチエミ+中野のステージは、今尚傑作と評価の高い伝説のものである。 残念ながら「啓チャン」にも「章チャン」にも会えなかったし、第一彼女は年が変わると、何時の間にか居なくなっていた。結婚するとか、したとか言う噂だった。
で、彼女に渡したレコードは、イヴの24日「売り場が一番混んだと思ったら連絡して」と言われ、確か5時頃「今混んでいます」と交換室に伝えた。
慣れない新入社員の私が包装紙と格闘している時・・・・・あぁその時、通常のBGM(当時はレコードをかけていたと思う。針が引っ掛かって同じ箇所が何回も鳴る現象が良くあったから)が切り替わり、ハモンドオルガンの音が流れチエミさんの「サイレント・ナイト」が、売り場に流れた。お客様が一瞬立ち止まった印象だった。包装の手を止めて、何故か私はドキドキし、又何故か得意だった。 「どーよ!どーよ!チーちゃんのサイレント・ナイト!」と鼻の穴を膨らませていた。「サイレント・ナイト」が売り場に流れたのはこの1回だけだった。交換のおねえさんのしゃれたセンスだった。
聖なる夜、静かな夜・・・ではなかったが、チエミさんが渡辺弘のハモンドオルガンで歌う「サイレント・ナイト」は、クリスマスもなく「働いている少年」への、チエミお姉さんと、交換のおねえさんの、優しくとびきり素適なクリスマス・プレゼントだったと、10代最後の甘酸っぱい思い出となって、今日に至っている。
(このバージョンは、でぶりディスコグラフィには記載されていないが、SP盤♯CL185で1955年12月発売、ダーク・ダックスがコーラスで共演しているもののEP復刻盤と思われる。私の持っていたEPはステレオ表記だったと思うが、本式のステレオ録音ではないと思う。擬似ステレオかな?)
添付した画像は、高級品だったステレオをクリスマス前に買うと貰えたもので、33回転の「メリー・クリスマス」なる非売品のEPサイズのレコードジャケット。 「コロムビア電蓄をお買上げ戴きまして有難うございます。このレコードは皆様に素晴らしいクリスマスがやって来る様に弊社技術陣が心をこめて製作したレコードです。貴方のクリスマスはこのレコードによって一層華やかなものとなする(ママ)でしょう」 と裏に書いてあって、ジャッキー吉川とブルーコメッツに演奏で4曲入っています。‘70と記載されていますが、当時でも未だ電蓄って言ってたんですネ。
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No.31 - 2006/12/23(Sat) 22:02:19 [p2011-ipbf201fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp] |