今回は少しでもこの人の事を知って欲しくて、それとこの人の願いが叶う日が来る事を願って…
ナチスドイツ占領下の中、自分の命を顧みずにユダヤ人1100人以上もの命を救ったオスカー・シンドラー。
スピルバーグ監督により「シンドラーのリスト」として映画にもなり知ってる人は多いと思います。
そのシンドラーよりも多く、命を救った人の事を知ってますか?
その人の名は『イレーナ・センドラー』
●当時ナチス・ドイツがポーランドを占領していた第二次世界大戦中、センドラーはワルシャワに住み、社会福祉局に勤務する。 ワルシャワ・ゲットーが作られるよりずっと以前からユダヤ人を援助する活動を行っていたセンドラーは、戦争中も彼らの支援に取り組むことになる。
※ワルシャワ・ゲットー・・・ナチス・ドイツによって、ポーランドに住むユダヤ人を強制収容するためにワルシャワ市内に設けられた区域。同種のゲットーでは最大規模のものである。
●ユダヤ人を援助することは大変危険であった、ナチス・ドイツの占領下にあったポーランドではユダヤ人をかくまっているのが発覚した場合、かくまった本人だけでなくその家族もろとも皆殺しにされた。 これはナチス・ドイツ占領下にあったヨーロッパ諸国のうちポーランドにのみ適用された厳しい措置であった。
●ゲットーでは、社会福祉局の職員としてセンドラーはワルシャワ・ゲットーに出入りする権限を与えられ、ゲットー内でチフスの兆候がないか、あるいはナチスが警戒する活動が行われていないかチェックする仕事をさせられていたが、その立場を利用してセンドラーはゲットー内での支援活動を展開することになる。
●潜入に成功したセンドラーはゲットーから子供たちを脱出させる活動を組織した。 箱、スーツケース、手押し車などに子供たちを入れたり、スカートの中に隠したりして数多くの子供を連れ出すことに成功した。
救出されたユダヤ人の子供たちはポーランド人家族、ワルシャワ孤児院、カトリックの修道院にかくまわれた。 センドラーは子供たちの名前を書いたリストを陶器の瓶に隠してリンゴの木の下に埋め、子供たちの本名などの情報と、偽名などの新しい情報を保管していた。
救出された子供達のリストは2500人以上にもなった…
だが運命はそんな彼女に対し非情な結末を与える。
ナチスにつかまった地下組織の一員がナチスの拷問に耐え切れず、彼女の潜入を洩らしてしまう。
つかまったセンドラーはナチスから殴る蹴るの酷い拷問を受け、ボロボロになり手足の骨も折られながらも「活動内容を漏らすくらいなら迷わず死を選ぶ」と逃がした子供達の居場所を一切漏らさなかった。
その後…センドラーは処刑される。
はずだった!!
実は、その後ジェゴタが護衛のドイツ兵に賄賂を渡し彼女の解放をとりつけることに成功する。
※ジェゴダ・・・1942年から1945年の期間にナチス・ドイツに占領下のポーランドでユダヤ人救済のために活動した地下組織をさす。
解放された彼女は、腕や脚をへし折られて意識を失ったまま森の中に放置されていた。
その後センドラーは身を隠し、ユダヤ人の子供たちを援助する活動を続けた。
助けられた人々は自分たちのことを「センドラーの子供たち」と呼んでいるという。
この事実を戦後、共産主義体制となったポーランド政府は地下組織の英雄話を良しとせず隠蔽してしまう…
その為にほとんど地元ポーランドでも知られずいたが、とある切っ掛けで公になり時の人となる。
その事実を知りポーランド政府は「白鷲勲章」を授けた。これは民間人に贈られる最高位の勲章である。
また2007年のノーベル平和賞候補にも上がった。
最後のインタビューにてセンドラーは「“英雄”という言葉で呼ばれることに私は大きな抵抗を感じます。実は私はその反対なのですから…私はほんの少しの子供たちしか助けることができなかったことで良心の呵責にさいなまれて生きつづけているのです。」と話した。
また、こうも話した。
「戦時中よりも今のほうが、人間は悪くなってるように思います。文明は進みましたが、大量破壊兵器の開発は今も続いてます。」
『それでも愛が勝つことを信じています。愛よりも尊いものなどありませんから』と…
イレーナ・センドラー
享年98歳 2008年 天に召される。
あなたの志が永遠に生き続けますように…
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No.234 - 2010/01/18(Mon) 16:58:38
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