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記事No.1067に関するスレッドです

師走の頃に / ひうち [近畿]
12月も半ばとなりそろそろ年賀状の準備かなっという時期となりました。
地域合併騒ぎも一段落して、住所の変更はないようですが・・。
で、毎年届くようになったのが「喪中につき」という葉書です。
今年も今のところ3通が届いています。
「桝谷・大将」のお父様が亡くなられていたのですね。
与那国事件から彼此20年・・・・。
時の流れを感じる季節でもあります。
No.1067 - 2007/12/12(Wed) 22:12:25
Re: 師走の頃に / 南雀
あの暑い真夏の葬儀の日からもう20年もたつのですね。
あの事件は大々的に新聞に報道されましたが、桝谷さんの漢字や
年齢や記事の内容はいいかげんで、大手新聞社の報道もわりと
適当だな・・・と思いました。

後日、大将と一緒に潜っていた方から詳しく話を伺う機会がありましたが
私が確認した報道の中では、写真誌フォーカスの記事が一番正確でした。
それ以来、私はフォーカスの記事は信用することにしました。
そのフォーカスもとっくに廃刊ですけれど・・・
No.1068 - 2007/12/15(Sat) 18:25:40
Re: 師走の頃に / momotan [近畿]
桝谷さんが亡くなったのは1989年8月19日だったと思います。私は西表に滞在中。23日に仕事をおえて、八尾のご実家を訪ね、焼香しました。マンモ、矢倉、ケイもいましたね。
No.1069 - 2007/12/16(Sun) 23:15:22
Re: 師走の頃に / ひうち [近畿]
その前の年の暮れだったでしょうか?。大阪の黒門市場で仕入れてきたといって大将が大きな河豚を手土産に「日和舎」を訪ねてきたことを思い出しました。お買い物の財布係りは京都の「H」さんでした。てっちりにてっさと堪能させてもらいました。「おぉー」という大きな地声で楽しい一夜も懐かしい思い出です。大将は「鍋奉行」というよりは「鍋大名」とでもいうのか、「食」へのこだわりも大したものでした。
あれ以来、私は河豚を食していないような気がします。
カンピラ荘の冬メニューは「猪鍋」が多かったのも、今は懐かしいですが、
今年の大晦日は「牡丹鍋」になりそうです。
No.1070 - 2007/12/18(Tue) 21:50:49
Re: 師走の頃に / ひうち [近畿]
日和舎がまだ鞍馬にあった頃、すぐ前が鞍馬川で夏には蛍も飛んでいた。
京福電車が軒先を掠めるように走り、窓を開けて風呂に入っていると電車から丸見えだったような気がする。
毎度のことながら年末年始を「鞍馬日和舎」で越すべく訪ねたら丁度、大将と一緒になった。といって何をするでもなく何処へ行くでもなく・・。
コタツに入ってテレビを見てお酒を飲んで、毎日がそんな繰り返しなのだ。
が、あの年は「初日の出」を見に行こうではないかということになり、大晦日は早めに切り上げて元旦・外も暗いのに4人で鞍馬寺へと出掛けたのだ。
真っ暗な森の参道、牛若丸になったような気分で寒い中、息を切らせながら登った。「初日」はすこしの雲間から神々しく現れ、大将はいつもに似合わず真剣に手を合わせていた。あれはショップを開く前だったから、そんなこんなを祈っていたのだろすと思う。
三が日を終え私は先に帰ったのだけれど、大将は特に予定が無いということで居残ったのだが、お母様から「仕事」が入ったよ。というTELに促されて数日後に帰って行ったそうだ。「仕事」というのは山の中のダム湖の調査だったそうだ。午前と午後に一時間ほど潜ってん万円になったそうだ。

帰り際なぜかもじもじそわそわしてるので、「なんや どないした」と「ま」ちゃんが聞いたところ、「実は帰りの電車賃の持ち合わせが無い」と・・。

貧乏な「わし」から金を借りて帰ったのは「あいつ」が始めてや と 
今でも日和舎では語り草となってます。
No.1071 - 2007/12/19(Wed) 22:07:25