日和舎がまだ鞍馬にあった頃、すぐ前が鞍馬川で夏には蛍も飛んでいた。 京福電車が軒先を掠めるように走り、窓を開けて風呂に入っていると電車から丸見えだったような気がする。 毎度のことながら年末年始を「鞍馬日和舎」で越すべく訪ねたら丁度、大将と一緒になった。といって何をするでもなく何処へ行くでもなく・・。 コタツに入ってテレビを見てお酒を飲んで、毎日がそんな繰り返しなのだ。 が、あの年は「初日の出」を見に行こうではないかということになり、大晦日は早めに切り上げて元旦・外も暗いのに4人で鞍馬寺へと出掛けたのだ。 真っ暗な森の参道、牛若丸になったような気分で寒い中、息を切らせながら登った。「初日」はすこしの雲間から神々しく現れ、大将はいつもに似合わず真剣に手を合わせていた。あれはショップを開く前だったから、そんなこんなを祈っていたのだろすと思う。 三が日を終え私は先に帰ったのだけれど、大将は特に予定が無いということで居残ったのだが、お母様から「仕事」が入ったよ。というTELに促されて数日後に帰って行ったそうだ。「仕事」というのは山の中のダム湖の調査だったそうだ。午前と午後に一時間ほど潜ってん万円になったそうだ。
帰り際なぜかもじもじそわそわしてるので、「なんや どないした」と「ま」ちゃんが聞いたところ、「実は帰りの電車賃の持ち合わせが無い」と・・。
貧乏な「わし」から金を借りて帰ったのは「あいつ」が始めてや と 今でも日和舎では語り草となってます。 No.1071 - 2007/12/19(Wed) 22:07:25
|