地震・津波・原発の正常化困難な状況を毎日見てて、電気について考えてみました。私がまだ幼かった頃の我が家の電気製品と云えば、やっと部屋ごとにあったアルミ傘の裸電球と真空管ラジオくらいでした。やがてテレビが来、電気洗濯機・電気冷蔵庫と次々と電気製品が増えてゆきました。薪の竈がガスコンロとガス炊飯器に変わり、お風呂は井戸水を汲んでいました。冬は五右衛門風呂の残り火を掘りごたつと火鉢に入れて暖を取り、夏は窓を開け放ち自然の風か「うちわ」の風でやり過ごしてました。その後に電気扇風機というのが来ました。エアコンなどはとんでもなかった。今考えてみると昭和40年代頃か、我が家の・・日本の文明開化・電気革命の時代だったような気がします。あの時代に帰ろうなどとは云いませんし帰れるとも思わないけれど、電気に対して有難いという感謝の気持ちはあったように思います。お金を払っても手に入らないものがある。ということを再認識するようにと迫られている気がします。原発の危険さ法外な建設費など、今更議論の余地などないほど、被爆国のわが国は知っていて当然です。私は今のところ原発を否定も肯定もしませんが、次世代電気を生み出すのには今の電気料金の10倍くらいを支払う覚悟がなければ、やっぱり原発しか・・という方向に落ち着くのかも知れません。 私は小規模小型水力発電推進派です。100戸単位くらいで小水路・排水とか・・・。都市の給水も利用できそうに思うのですが・・理論は皆無です。
今、彼方此方の企業や工場で部品が入手できずに、操業がストップしているようです。中国のレアメタルが入ってこなくなって、他の国からの入手を探ったりしているといってたのは、つい先ごろのこと・・。日本からの部品調達が困難ならば、他国はそれを待っていてはくれないでしょう。日本の部品工場が復興再建の頃には、需要先が無くなってしまわないか心配です。神戸港が復興した頃、船荷の集積地はお隣の国に替わってしまってましたから・・・。 No.1627 - 2011/03/26(Sat) 22:53:21
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