世情不安なご時勢に、嬉しい知らせですね。ひうちさん、しょうとくさん共々お会いしたいものです。 万難を排し参列いたします。 その覚悟です。 No.654 - 2006/10/16(Mon) 08:51:01
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しょうとくさん夫妻が大阪に来られるという情報をキャッチしました。 11月の25日に甥?か姪?の結婚式にご参列の予定だそうです。 その翌日の11月26日(日)の午後にみけの好意により「海月文庫」 http://kurage.web.infoseek.co.jp/ にて旧交を暖めようではないかという提案が「日和舎」の仙人よりありました。まだ一ヶ月あまりの期間があるのですが、関西周辺の方で「しょうとくさん」に逢いたいという方は、今から予定に入れてください。 特に阪神伍割会様、今度は会おうではありませんか。 詳しい予定などが決まりましたら、又お知らせします。 No.653 - 2006/10/15(Sun) 22:46:18
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みなさん、こんにちわ。 今日、昼すぎに森本からメールがきてどーくまんが私の病状を心配されているとか。大変ご迷惑をどーくまんには、おかけしました。西表で感じた人柄、そのままですね。熱くなりました。頭に時々霧がかかりますが、大丈夫です。 再会を願ってやみません。 日ハム、あと一勝!(これは、森本のために願う) No.649 - 2006/10/12(Thu) 18:26:20
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日本ハム、劇的サヨナラV=日本一懸け中日と対戦−パ・プレーオフ第2S第2戦 2006年10月12日(木) 22時1分 時事通信 プロ野球パ・リーグのプレーオフ第2ステージ(4試合制)は12日、札幌ドームで第2戦を行い、日本ハムが1−0でソフトバンクにサヨナラ勝ちし、対戦成績を3勝(1勝のアドバンテージを含む)として、1981年以来25年ぶり3度目のリーグ優勝を決めた。レギュラーシーズン3位のソフトバンクは、3年連続第2ステージで敗退した。 試合は日本ハム・八木、ソフトバンク・斉藤和の息詰まる投手戦となったが、日本ハムが9回二死一、二塁から稲葉が内野安打、二塁走者の森本が判断よく本塁を陥れた。 日本ハムは、21日に始まる日本シリーズで、セ・リーグ覇者の中日と日本一を懸けて戦う。両球団の顔合わせは初めて。 というのがyahooのスポーツニュース速報です。 どーくまんは最近このコーナーにはご無沙汰です。 No.650 - 2006/10/12(Thu) 22:44:26
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まいど!ひうちさん 久し振りでございます。お変わりございませんか? 仕事は一流、ギャラは二流、脳味噌三流の大谷です。 先日、子供の運動会で森本と会って、ひうちのHPのことを聞いたので、 拝見いたしました。 大層なつかしかったです。集まりの有るとき、森本に誘ってもらっているのですが忙しくていけませんでした。残念! わたしは、若年性アルツハイマーが進行中なので、記憶な確かな間に再会したいものです。 徒然に想いだしたことが有れば、かきこしますw。 ちなみに阪神の今シーズンは終了しまちた。 No.647 - 2006/10/10(Tue) 08:29:33
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ずいぶんとご無沙汰しています。鞍馬の日和舎であって以来だと思うのですがあれから何年過ぎたでしょうか。そのあと一度、奥様にはM邸でお目にかかりました。それにしてもだいぶ前のことになります。阪神伍割会の名前は「Mr.SaKaNa」の掲示板で何度か見かけたことがあります。それが誰なのかmomotanが暴露してました。次回の土方部屋の同窓会は5月4日の予定です。仕事・行楽をキャンセルしてでも一度、顔を出してください。今年は「ヤグラ」が家族そろって来てくれました。 しかし、子供の運動会にまで幼馴染が同席するというのも、つくづく奇縁なのでしょうね。 M1の中日は、今速報では同点でしてが、いずれにしても阪神はくもの糸状態ですね。最後の最後近くまで夢が見られて好かったのでは・・・。 その後の速報でウッズの満塁ホームラン。これできまりですね。 No.648 - 2006/10/10(Tue) 21:55:28
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ミルフィオリって何?という人は検索エンジンに「ミルフィオリ」といれて見てください。 久しぶりにガラスをとかしてみました。ステンドグラスをやってた頃のガラスの切りくずがいくらでもあるので、その上にミルフィオリを乗せて、電機炉に入れるだけ・・。温度が800度まで上げて10分ほど待てば作業は完了!その間約30分ほど。あとは冷めるのを待つばかり。 金具をボンドでくっ付ければブローチの出来上がりです。 ちなみに「ミルフィオリ」とはガラスの金太郎飴のようなもの。 以前にミルフィオリばっかりで作ったお皿を見たときはちょっと感激でした。 No.644 - 2006/10/06(Fri) 22:31:40
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物造りは良いですね。 私も幼い頃からいろんな物を作って楽しんできましたが、土方部屋の皆さんのような手先の器用さと根気が無く、あんまり物になりませんでした。 そんな中で唯一続けているのが、真空管式音声増幅器(アンプ)製作です。この趣味は、手に入れた真空管を眺めてはにんまりとするコレクターとしての楽しみ、その真空管でアンプを作る楽しみ、完成したアンプで音楽を聴く楽しみの三つの喜びがあるのでやめられません。 しかしながら、折に触れコレクションしてきた真空管がいつのまにか膨大な量となり、私の一生どころか二生かかっても使い切れない程になってしまったことが、ちょっとした悩みではありました。ところが、そんなオヤジを見ていた息子が、教えもしないのに真空管アンプのキットを製作しだしました。これであの世まで持っていかなければあかんと思っていたガラスのがらくた(おそらく妻はそう思っている)の行き先が安泰かなと一安心です。 No.646 - 2006/10/09(Mon) 09:25:09
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最近はよく交通事故のニュースを聞きます。が、田んぼの中では対向車も追越車も無くて、アクセルは固定なので足はフリー、両手を離したとて時速はたかだか5〜6?`なのでどうってことはない。というわけで、何気なく写したデジカメの画像はバックミラーが中心となっていた。それでもあとから走行あとを確認するとジグザグ走行になっていた。コース取りは正面を見据えることだが確認はバックミラーが頼り。 No.645 - 2006/10/08(Sun) 22:03:47
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与論島では、かつての観光ブームの時に造られた数々のモニュメント類が寂しく打ち捨てられていました。シーズンオフということもあってか、宿泊したホテルも200〜300人は泊まれる大きな施設でしたが、連休中にもかかわらず宿泊客は、私たちを含めてたったの2組!4人でした。 観光業にかかわる人たちは、大変でしょうけれど本来の静かな島に帰ったということなんでしょう。今回の旅で薩南諸島もなかなか良いなあと思い直したしだいです。 No.635 - 2006/09/28(Thu) 14:05:33
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数少ない掲示板の読者とはいえ、あっちゃんの近影を見たかったのは私だけではなかったような気もするのですが・・ No.637 - 2006/09/28(Thu) 21:50:07
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初めて与論に行ったのは1974年の夏でした。三角テントで大島運輸の毛布を使用してたら、警官が現れ没収されました。慌てて下船したので間違えて持って来てしまったなどと見え透いた言い訳をしましたが、3人とも間違えるわけがない。そういえば土方部屋に有村産業の毛布があり、どおくまんかひうちが愛用していたような。ところで畑仕事は嫌々やると怪我をします。ひうちの指摘どおり鋤鍬で右足の親指を耕し、大量に血がでました。やがて足の付け根のリンパ腺が腫れてきて歩行困難に。もう歩かれへんかもとマイナス思考に陥った頃、どっと膿がでて、治りました。恐るべし西表の土壌。 No.639 - 2006/09/28(Thu) 22:54:14
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あの頃のカンピラ荘には、丸Aの毛布・RKKの毛布に枕、金たらいまでありましたね。潮の香りと・汗のにおいのようなのが染み込んだ独特のモノでした。それが普通にお客さんに利用されていたとして誰も奇異に思わなく、かえって面白がっていた風がありました。まあ、それに対抗する、蚊取り線香と島酒の染み込んだ畳や洗濯物がぶら下がってはいましたね・・・ 窓の外からは貝の腐臭まで漂っていて、この文章が全てと考えるならなんと言う宿なんだ!となるでしょうが。ところが部屋によって差別と区別が存在することに、私は不覚にもしばらくの間知りませんでした。 中には一ヶ月以上も長期滞在する間、布団を敷きっぱなしにして蛆を湧かす輩がいたという情報もきいてますが・・・・・。 No.641 - 2006/09/29(Fri) 21:57:16
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聴いた話ですが・・・その輩は当時(78年)はまだ土方部屋では なく別館で1ヶ月以上泊まってたそうです。 来た日から帰るまで一度も布団は上げたなかったそうです。 敷きっぱなしで帰った輩の布団を当時ヘルバーをしていたケイが イヤイヤ上げたら、布団の下にウジが湧いていたそうです。 輩は「綺麗好きな俺がウジわかす湧けないやろ。ケイのネタやろ! もぅー かなんな〜!」といまだにしらばくれているそうです。 輩は今でも会社では上司に、家では嫁に「ちょっとは片付けろ!」 と年中怒られているそうですが、一向に悔い改める気配はないまま ジジイになろうとしています。 そんな輩も、土方部屋に泊まっていた時だけは、毎日布団を上げ 荷物も片付けていたそうで、そんなことを何処かで書き込みして いたように思えます。普通の人には当たり前のことでしょうが、 輩にとっては特別な想いもあるようです。 No.643 - 2006/10/02(Mon) 23:59:21
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ひうちさんの熱烈なご要望にお答えできなくて誠に申し訳ございません。 実は、愛犬をサポートしている女性がマドンナの近影ですので、それでご勘弁をよろしくお願い致します。 ただ、一言申し添えさせていただきますが、ひうちさんの心の中で長年の間、結晶化されているであろうマドンナの肖像を決して裏切ることは無いと断言させていただきます。 No.640 - 2006/09/28(Thu) 22:54:16
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私の場合、あっちゃんヘルパーの時代は一般の観光客だったのですが、時々登場してくれる「レノン」さんなどは、あっちゃん弁当でお仕事に行ってたように思うのですが??!。 「しょうとくさん」「がんさん」を筆頭に随分と大勢いた初期土方部屋の個性派ぞろいを笑顔ひとつで有無を言わせなかった、爽やかさに感心してました。 私にとっては友達というにはおこがましく、高嶺の花・天上の存在でした。 なんといっても「がん」さんに見せてあげたかった! ツーショット!! No.642 - 2006/09/29(Fri) 22:09:13
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日本ハムがレギュラーシーズン1位で日程を終えました。思えば西表に滞在していた1981年の優勝以来?です。あの時は木田、工藤、岡部、間柴といった強力投手陣を揃えていました。日本シリーズは巨人相手で、ハナムケがG党なので、おじいの畑で一緒に働きながらラジオ中継を聞いていました。結果は巨人の日本一で終わり、ハナムケの軍門に下りました。無念 No.632 - 2006/09/27(Wed) 22:20:46
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1976年、与論島ユースホステルに滞在していた時、モハメッド・アリ(カシアス・クレイ)と猪木の異種格闘技をテレビで観戦しました。当時は、八百長試合との先入観で見ましたが、今となるとあれは真剣勝負だったんだなと思います。 与論のマドンナは、相変わらず美しかったです。マドンナの肩に手を回したツーショットも撮りましたが、掲示板に掲載するのは控えさせてもらいます。替わりにあっちゃんの愛犬を。 No.634 - 2006/09/28(Thu) 11:32:55
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ももたんは畑も耕したでしょうが、自分の足まで耕してしまって、破傷風になり損ねたように記憶してますが・・・ No.638 - 2006/09/28(Thu) 21:52:55
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