まいど!カメンが来訪の10日ですが、仕事の都合がつかず残念ながら欠席です。皆様によろしくお伝えください!因みに10日は朝から会議、夕方は京都の川床へ、11日は朝からまたまた会議、夕方から東京へ出張です。本当に残念です。宮仕えはつらいです! No.522 - 2006/06/01(Thu) 11:17:31
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そうか。残念ですね。自分の時間が自由に使えないのは、その昔に随分と時間の無駄遣いをしたせいの、しっぺ返しなのかもしれませんね。 思えば、たっぷりとあったあの頃の時間が懐かしいです。 あと10年ほどは目を瞑って頑張ってください。 代理人の出席は可能ですけどね!。 京都のHさんが、そちらを訪ねる予定だとか・・・ No.523 - 2006/06/01(Thu) 21:54:45
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カメンの日和舎来訪は6/10ですが、カメン奥様が6/11に来訪されるそうです。 さて送迎の係りは誰になるのでしょうか? 田植えは、義兄の協力のもと無事に終了しました。 あとはすくすくと育ってくれることを祈るのみですが、一部の人の予想によると、今年は冷夏となりそうだとか・・・ No.519 - 2006/05/28(Sun) 22:10:52
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明日30日は石垣市の「ハーリー」です。毎年のようですが天候は余り良くないようです、「ハーリー鐘」が鳴るとやがて沖縄の梅雨明けです。暑い夏本番の到来も近いようです。 波照間の海難事故も昨日を持ち、12日間の捜索を終了致しました、小生も毎日船を出し捜索に加わりましたが残念ながら遺体発見には至りませんでした、非常に疲れました。今日は1日寝て曜日でした。火打ちのお望みの貝は近いうちに鍋の材料と一緒に日和舎に送ります、幸ご期待、日和舎には「良枝」も1泊予定していますので宜しく。 No.520 - 2006/05/29(Mon) 21:28:12
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久しぶりに貝細工を作ってみたいと思います。やっぱり牙か涙でしょうか? 休日の時間を遣り繰りして、鎌を研いだりしているグラインダーにダイヤモンド刃をセットすれば、昔のように金鋸でゴリゴリよりも能率的にやれるでしょう。 ヨースイさんちの芭蕉はすごいですね。実もつき花も大きいですね。 食べられないというのはどういうことでしょうか? その昔カメンと行った鹿川にも野生の芭蕉がありました。 種はいっぱいで、まるでアケビのようでしたが、甘みがあって旨かったように記憶しています。 No.521 - 2006/05/29(Mon) 22:04:59
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日和舎へ電話をしました。一日目は応答なし、で今日は応答がありました。 夜の八時台に電話を架けても、出たり出なかったりで困ったものです。 夕べの電話はおっちゃんからだったのかだって・・・ カメンから日程表が届いたそうです。大まかは予定通りだそうですね。 momotanと南雀が出迎えをしてくれるのなら、要打ち合わせですね。 ヨコちゃんが、ネベを誘ったそうですが、どうなる事やら・?! 我が家は、明日の朝から田植えです。雨も降らず、かんかん照りでも無さそうで、お仕事日和となりそうです。 波照間島HPを見つけました。 http://www003.upp.so-net.ne.jp/payoka/hateruma.html 画像はハコネウツギです No.518 - 2006/05/27(Sat) 22:04:56
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海に今でも潜るカメンのおっさんの体は丈夫過ぎるような気がする。ずっとずっと前に日和舎へ行った時に誰かから聞いたような覚えがあるのですが、波照間の海は今でも夜光貝がごろごろしているのでしょうか。久しぶりの内地はやっぱり浦島太郎の心境に・・・・・信号機、七色ネオン、その他今から注意して下さい。 私も、日和舎で南雀のらーめんと美味い肴が食べたいですが、百姓は今が本番です。漸く田んぼにトラクターを入れました。明日で代かきを終えて来週には田植えの予定です。 ひうちへ この前、新聞で魚沼コシヒカリの事で記事が載っていたのですが、コシヒカリの味が落ちたのではないかというようなものでした。これは、去年から農協が産地偽装の防止などを目的にコシヒカリBLなる品種を農家に押しつけてきた。これは、もとのコシヒカリといもち病に強い外来品種を交配しさらにさらに・・・・・何かをして、戻し交配してできたもので農薬使用が従来より少なくできるものでした。昨年はそれまで、二回いもち病の防除をしていたのを一回で済ませることができた。日曜百姓にはありがたい事のような気がしていいのか、どうなのかよくわかりません。農協はこのコシヒカリBLの種籾の販売権を握り新潟県内の農家だけにしか売らないから、DNA鑑定で他県産と区別ができるという。だが、やっぱり日曜百姓にはぴんとこない。味に関してはコシヒカリと魚沼コシヒカリに違いがあり、さらに魚沼コシヒカリの中でもその特定の地域によって旨味は変わる。この辺でもどこそこの米は旨いとかいう。自分のつくった米は今までと同じ味のように思うのだが。 No.511 - 2006/05/20(Sat) 22:14:52
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ドークマンさん、ひうちさん、日曜農業ご苦労様です。 私は、昨日「労働運動」という本業で田植えをしてきました。小学生(80人の参加がありました)に田植えの経験をさせて、食育教育をするというものです。疲れました。 30年ぶりの赤い糸、暖かく見守りたいですね。 No.513 - 2006/05/21(Sun) 06:56:56
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> ドークマンさん、ひうちさん、日曜農業ご苦労様です。 > 私は、昨日「労働運動」という本業で田植えをしてきました。小学生(80人の参加がありました)に田植えの経験をさせて、食育教育をするというものです。疲れました。 > > 30年ぶりの赤い糸、暖かく見守りたいですね。 百姓向けのHP http://hb7.seikyou.ne.jp/home/N-une/index.htm 興味のある方はどうぞ No.517 - 2006/05/23(Tue) 23:05:13
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立標は航路の安全にはなくてはならないものでしょうが、それが海を荒らす元になってしまうとは・・・必要なものが生む負の部分なんて言ったら何処かで聞いたような言葉ですが、こういう事はあちらこちら全国、世界、波照間、共通の課題なのでしょうか。と、書いている私も自然に優しくはありません。山も木も山菜もお釈迦様のように黙っていますので。でも、砂漠化するよその国の事や、極端な環境異変をニュースで見ると、その時には少し神妙になります。立ちションは控えなければと。 ツトムは、さて、いつ登場するのでしょうか。居候三人組、ぷりんす、ちょうちょ、残りはツトムだけ。 No.515 - 2006/05/23(Tue) 22:32:40
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以前にも当掲示板で話題に上がったのですが、我が兵庫県の山陰側海岸では、ほんのスカリ一杯のサザエ・アワビを採っただけで厳重な抗議がありました。ひたすら「すみませんでした。」と謝るばかりで、少しでも反抗的な態度に出たなら、たぶん逮捕されることでしょう。というのも相手は漁業権を楯に見回りをしているからです。聞くところによると、もっと悪質な密猟者がいるそうですが・・・ 春に蕨採りに行った時も、場所によっては怖い親父に出会ったと聞いたことがあります。 波照間にも漁師組合とかグループを作って抗議・罰則を考えたらいいような気がします。 夜光貝はとっくの昔に絶滅させていたと思ってたのに、未だ年30個も見つけられるとはすごいなって思います。タカセ貝もそんなに採れるというのは、採る人がいないのでしょうか? 貝の話を聞くと、久しぶりに貝細工を作ってみてくなりました。適当な貝殻をひとつ・ふたつ、お土産におねがいします。 No.516 - 2006/05/23(Tue) 22:58:22
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ドークマンヘ波照間の海も変わりました、小生が住み始めた25年前は島で海に潜る人口は片手の指で足りましたが、20数年ほど前に港の入り口に立標が出来て夜でも港の出入りが出来るようになり、石垣から「糸満の海人」が来て「フウーカー」(コンプレッサー使用)の潜水具を使用電灯潜りや、追い込み業を始めてから、海底を歩きながら魚や貝を捕り(拾う)だして今では波照間の海も死の海と化しました、しかし、最近は造礁サンゴだけは活発に育ち昔の海を取り戻そうとしています。因みに小生は今でも素潜りに手銛で漁をしています。しかし部落の魚が入用の時は水中銃を使わないと沢山の魚は捕れません。夜光貝は年間30個を目途に捕っています、先日港の前で高瀬貝を40個程捕りましたから、日和舎への土産にします。ひうちの日曜菜園は会った時に ご指導賜りたいと思います。海難事故の捜索は今も実行しています。 No.514 - 2006/05/22(Mon) 22:38:34
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水難事故発生後、今日で3日目です、一昨日と昨日は3m、今日は4mの荒波です。高速船も2便目が欠航しました。最悪の条件の中で3日間の捜索活動の甲斐もなく一名は未だ行方不明ですが、海上保安庁や警察は本日で捜索活動が打ちきりとなりました。地元でも延べ140人位の人が捜査協力に加わりましたが残念ながら捜査活動を終えることになりました。しかし漁に出たときなどは捜査を心がけると言うことでご家族の方了解を受け解散しました。小生も事故発生付近は、電灯潜りや昼間の潜りの場所なので余り良い気持ちはしません早く発見したいものです。また情報があれば報告します。 No.509 - 2006/05/19(Fri) 20:17:36
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ずっと以前、鳩離島付近で行方不明者が出たときも、地元民・ダイバーと大勢の人たちで捜索に当たりました。それでも発見できず、たしか一週間目くらいに岸辺に打ち上げられたのが発見されました。船浦湾の場合は外海へ流されることが無かったのですが、今回のカメンの縄張りの現況はどうなのか? 地形・潮の流れ・リーフ等によって、外海へ出てしまったなら、発見は不可能かもしれませんね。4mの荒波では二次遭難の恐れがありますね。 No.510 - 2006/05/19(Fri) 21:10:47
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カメンのおっさん久しぶりです。土方部屋で一緒に過ごした私の知るおっさんが此処に登場することを誰も予想できなかったのではないでしょうか?驚きと懐かしさが滲み当時が思い出されます。それにしても、おっさんとパソコンがむすびつかないのです。あの筋力逞しい腕がキーボードを叩いているなんて?土方部屋でおっさんから鉄筋の話をよく聞かされた私はどうも合点がいきません?でも、嬉しいことでもあります。海をよく知り、山にも詳しく、おじいとも同級生?なのか、仲良しだった事が思い出されます。 No.503 - 2006/05/16(Tue) 22:11:25
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お昼に新聞を読んでいたら、波照間島で修学旅行の高校生が高波にさらわれての水難事故の記事があった。 カメンは捜索に加わったのだろうか?と・・・ 修学旅行で波照間へというのも驚き! 日帰りで波照間へというのも驚き! 潮の流れや波の状況を把握できないまま育った高校生も不幸ですね。 めったにない事件できっと大騒ぎのことでしょう。 ドークマン、アドレスが変わったなら一度トップページの鳥をクリックして見て下さい。 カメンも! No.504 - 2006/05/18(Thu) 13:39:12
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ドークマン久しぶりです、じつは小生、波照間に来て心機一転し、1級の土木施工管理士の免許に挑戦2回目で見事合格、自分自身驚きました、それ以来「肉体労働」は止めて管理屋をやっていました。おかげで腹の周りの脂肪が付きすぎて今は膝の靱帯を痛めるほどのジョギングをしています。それから昨日からの水難事故、小生も参加しています。マイボートの「シーライオン」で捜索していますが台風1号の余波で海が濁り、未だ1名の消息は掴めません、明日も捜索予定です。因みに波照間では最近水難事故が2年に1度ほど発生しています。海の怖さがわからない観光客が多いようです。ところで火打ち小生の岡山入りの頃は「くえ」(深海のあらみーばい)の鍋物は出来る季節ですかもし出来るのであれば材料を送ります。ご返答を。 No.505 - 2006/05/18(Thu) 21:27:08
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ここのところ、お天気は梅雨を思わせるような雨と曇り空が続いてます。 たぶん6月になっても似たような天気ではないかと思われます。 晴れたら30度弱、雨なら20度前後と、とはいっても鍋ものが出来なくはないと思います。が6/11朝から地元の草刈作業に強制参加させられますのでお昼前到着となる予定です。だからあまりのご馳走は送ってもらわなくてもと云ったら、他のメンバーが怒りますよね。6/10の部はモモタン・ナンジャク・ヤグラ・ケイ?が参加予定です。食材・料理の担当は南雀さんとなってますので、南雀のご返事をお願いします。 カメンさん、一度、パタパタ鳥からメールください。内緒の連絡があるときはそちらにまわします。 No.506 - 2006/05/18(Thu) 21:54:29
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カメン、どおくまん、ひうちの土方部屋全盛期の大御所が活躍するホームページは凄いですね。波照間に修学旅行にも驚きです。ところでカメンは肉体労働から離れたそうですが、わたしは、西表時代の貧相な若者ではなく、長年の肉体労働で腕も太くなりました。しかし腰や首やあちこちがたがたです。さて、今年は雨が多いので鍋もいいかも。ひうちへ、海洋博は1975年〜76年です。当時、本土から沖縄行きの航路は開催中、渡久地新港を経由していました。 No.507 - 2006/05/18(Thu) 23:02:35
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仮面さんの参入により今回の遭難の話とか、八重山のタイムリーな話題が 聞けて嬉しですね。今後も八重山通信の発信よろしくお願いします。 クエ鍋はぜひやりましょう。やはり八重山の食材での宴は盛り上がりも 違うと思います。それにクエは超高級食材ですので普段我々は口にで きませんから今から楽しみです。段取りについてはこちらから連絡します。 No.508 - 2006/05/18(Thu) 23:05:58
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沖縄は昨日、梅雨入り宣言がされました、波照間は今日は朝から雨です、 ですから里帰りの日程表をパソコンとにらめっこで調べて書いています。完成したら日和舎のおくります。それから今日は、沖縄本土復帰34年目だそうです。思えば小生が初めて沖縄にきて6月4日で34年目になります。人生の半分以上がおきなわのみずでそまりました。良いのか悪いのか悩みます?子供達は波照間で生まれたことにコンプレックスを持っているようです。それから、喜納昌吉と言えば昔「ピースフルボート」とか言うのを与那国から出していましたが、そのとき波照間の中継点になってくれと話がありました。仕事が忙しくて出来ませんでしたが、来年は復帰35年目、話があれば引き受けたいです。 No.501 - 2006/05/15(Mon) 22:55:06
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沖縄海洋博があったのは、復帰直後だったような気がしますが、あれは何年だったのか? 年毎に記憶が薄れてしまいます。 カンピラ荘も復帰直後にオープンしたように記憶しています。 それにしても34年、振り返れば早かったかもしれないけれど随分と長いですよね。しょうとくさんの子等もまんべんちの子等も島を出て行ったそうな・・ コンプレックスというよりも、われ等が南に憬れた裏返しのような気がします。 No.502 - 2006/05/15(Mon) 23:45:36
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ヨースイさんが横川さんを訪ねた。とカンピラ荘掲示板を見て・・ 話題は先ほどのHP事件なのだろうけど、それでも 西表をカンピラ荘を愛する「男」二人 どんな会話があったのか? こっそり隣で聞いてみたかったような、そんな気がします。 実をいうと私も一緒に行かないかとのお誘いがあったのですが、日和舎へ行った後の田植え前のわが身には、なかなか時間が取れませんでした。 No.500 - 2006/05/13(Sat) 21:54:53
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