彼がハイサイおじさんを作曲したのは、19歳(早熟だったんですね)の時とか。ですからジャケットの写真は、たぶん喜納昌吉が20歳くらいのお顔だと思います。 自慢めいた話になりますが、私は、3年前に彼のライブハウス(チャクラというお店)で喜納昌吉とチャンプルーズの伴奏で、カチャーシーを踊りまくりました。最も私の踊りは、阿波踊りそのものだったみたいですが。 お酒を飲むと気が大きくなるヨースイでした。 No.498 - 2006/05/10(Wed) 17:36:03
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何年何月という記録も記憶も消え失せてしまってますが、喜納昌吉が祖納の小中学校の体育館でコンサートを催したことがありました。 「東崎(あがりざき)」という曲が出来た頃だったと思います。 みんなでバスツアーと出かけたのですが、「中村先生」が一緒でパンツのお尻にサインをもらってました。 No.499 - 2006/05/10(Wed) 22:08:38
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ひうちとヨースイさんの手をとり合い踊る姿は、決して老人介護施設のひとコマではありません。ひうちのあのようなおどけた姿を見るのは久しぶりで感激しました。ところで矢倉の娘さんは、若い頃のケイを今風にした美少女で、矢倉のセクハラ親父ぶりは、羨ましいかぎりです。さて来月はカメンや。ホンマに来るのかいな? No.495 - 2006/05/06(Sat) 23:16:36
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皆さんを驚愕させた白髪ジジイの踊りの種元「ハイサイおじさん・馬車小引ちゃ」当時のドーナッツ盤発見しました。うまく画像が取り込めているか心配ですが添付してみます。 来年の日和舎行きまでに踊りを完璧に再マスターして、皆さん全員に踊ってもらおうという計画、迷惑でしょうか。 No.496 - 2006/05/07(Sun) 14:08:33
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この写真の人物!? 喜納昌吉なのでしょうか?? だとしても誰も分からない? No.497 - 2006/05/09(Tue) 23:57:07
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日和舎での1泊2日、皆様には大変お世話になりました。 かつてカンピラ荘で過ごしたような、な〜んにもしない1日を存分に堪能させていただきました。とは言ってもヨーコさんは、忙しく立ち働いていたようで、すんません。 帰るときに車をおいてある所まで全員で送ってくれた時、30年前に船浦港から西表島を出た時のような気持ちになり、なんだか胸が熱くなりました。 南雀さん、ラーメン美味しかったです。ごちそうさまでした。これで、日和舎リピーターになる事確実です。 ひうちさん、早速の画像付き返信をありがとうございました。 No.491 - 2006/05/05(Fri) 22:46:25
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喜納昌吉の名・デビュー曲「ハイサイおじさん」のB面に「馬車小引んちゃ」(ばしゃがぁすんちゃ)という曲が入ってました。 その振り付けにフォークダンスのような踊りがありました。 カンピラ荘では夜毎の宴会のフィナーレを飾る出し物が、こんな感じでした。 その想いはともかく「男どうし」「女どうし」「男と女」の組み合わせに関係なく楽しくステップを踏んだものでした。特に「しょうとくさん」と「ガンさん」のペアは最高でした。私はなぜかあぶれ者同士で「ゲタマン」と当たったような気がします。 今回、現実は白髪じじいコンビですが、気持ちは20代に帰りました。 ♪馬車小引んちゃて豚(まぁ)買いがぁ、豚(まぁ)買いがぁ・・♪・隣の町まで魚(いゆ)売りに・・・♪♪ No.494 - 2006/05/06(Sat) 21:33:25
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昨日は久々に皆の衆に再会でき楽しかったです。途中「ぷりんす」や「どおくまん」とも電話で話せ、なんか土方部屋にタイムスリップした感じでした。来月は豪華ゲスト「カメン」が来襲とのこと。カメンとは鞍馬の「日和舎」以来です。楽しみです。 No.490 - 2006/05/05(Fri) 22:31:51
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momotanも南雀も愛娘がいないことが心残りのような・・・ 土方部屋時代の「ケイ」に再会したような、そんな気がした、そっくりさんでした。 No.492 - 2006/05/05(Fri) 22:57:07
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ぞくぞくと昔の仲間の方が出てこられて、西表島で皆さんと面識のない私は少し気後れもありますが、明日お会いすればすべてOKと思い、日和舎にお世話になりに行きます。皆さんよろしくお願いします。 日和舎には、お昼過ぎに到着予定です。 No.488 - 2006/05/03(Wed) 17:52:50
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初対面のヨースイさん、お昼過ぎの到着予定が日和舎に登場したのは2:30頃でした。やはり日和舎近辺の地形は難路だったようです。 No.489 - 2006/05/05(Fri) 20:58:00
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皆さんご無沙汰です、30数年ぶりの里帰り予定です。内地には2年ほど前に1週間くらい旅をしましたが、高知には帰れなくて今回は「浦島太郎」の気分で帰省の予定です。ついでになりますが、マンモの所に寄せていただくのは、6月の10,11日を予定していますのでよろしくお願いします。ところで「momotan」高知入りは、大分の佐伯から宿毛に入ります。中村で1泊次の日に高知市内1泊です。6月は天候の崩れも余りないと思います。フェリーの欠航もないはずです。高知〜岡山は高速バスの予定です。久しぶりに旧友と会えればいいですね。幸ご期待、 No.484 - 2006/05/02(Tue) 16:15:08
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初登場!カメンさんありがとうございます。 ★がトップコメントでそれに対する続き、返事が☆のマークです。右肩の「返信」をクリックしてください。新しい書き込みが最上部に表示されます。 あとは適当なアイコンと文字色を選んでください。 今後ともよろしく!! No.486 - 2006/05/02(Tue) 22:08:26
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カメンからの書き込みにびっくりです。再会がとても楽しみです。カメンに最後に会ったのは、1990年8月15日の波照間です。あの時連れてた私の息子も今年20歳です。その時は、台風が来て、南雀氏は長崎経由、夜行バスで帰り、何とか会社に滑り込みました。 No.487 - 2006/05/02(Tue) 23:24:39
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さっきといっても9時過ぎに、日和舎にTELしました。 日和舎は早寝なのか、外出中なのか電話には誰も出ませんでした。 で、そのあとに波照間のカメンからTELがありました。30年振りくらいに高知へ里帰りするそうです。その帰りに日和舎へも寄ろうと思うので、その時の交通を聞こうと思ったのに「誰も電話に出ないさ」とのことでした。 カメンは6月の始め頃こちらに来るそうです。大分→高知→岡山の交通手段を知りたいそうです。 No.482 - 2006/04/30(Sun) 22:01:13
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大分から四国に渡るのがネックですね。空路はないので別府か臼杵から八幡浜までフェリー。便数はあります。八幡浜から松山までバス。松山から高知まで高速バスが順当です。あと別府、大分から阪神行きフェリーの区間利用で松山に入る手も。3便しかないけど佐伯からのフェリーで高知県の宿毛に行き鉄道で高知に行く方法もあります。高知から岡山へは高速バスが速くて便利ですが、宿毛入りの場合は、宿毛から岡山まで通しで鉄道の切符を買うほうがいいかもしれません。どのプランも乗り換えが多いのが難ですが、大分から小倉まで出て小倉から高知行きの夜行バスという手もあります。6月は閑散期なので交通機関は空いていると思いますが、夜行バスは1便だけなので、早めに予約したほうがいいかも。 No.483 - 2006/04/30(Sun) 23:44:33
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本日、日和舎に連絡し食事の段取りを確認しました。 天気もよさそうなので、今年も昨年と同じように、夕食は外で焼肉、 夜の刺身と次の日の昼食(ラーメン)は私が作ります。 ところで、ひうちが電話した日はやはり疲れて寝てたとのことでした。 4日は日帰りですが矢倉夫妻も参加するそうです。ヨースイさんの 参加もあり、今年は人数が多くて盛り上がりそうですね。 それから、本日カメンの書き込みを見てビックリしましたが、 日和舎の亭主に聞いたところカメンは仕事でPCを使っているとか? 八重山在住の元土方部屋住人として今後も地元の話題の書き込み なんかをお願いしたいですね。 6月は私もなんとか都合をつけて、ウン十年ぶりに再会したいですね。 No.485 - 2006/05/02(Tue) 21:17:28
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銀河線が廃止になりました。乗車できなかったことが悔やまれます。さて茨城県の鹿島鉄道は2007年4月1日の廃止を届けました。今年の秋は桃花台新交通、冬は神岡鉄道、来年の春は西鉄、鹿鉄、くりでんが4月1日とお金がいくらあっても足りません。南雀さん、どうします? No.477 - 2006/04/21(Fri) 23:27:20
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遠州鉄道のような地方鉄道でも、乗客も多く終日12分間隔で運転し健全な経営をしている鉄道もあります。当面、廃止の心配は無いでしょうが、でも乗っててもちっとも面白くありません。 反対に乗客ガラガラ、一時間に一本かそれ以下のローカル線は例外なく、乗ってておもしろいですね。でもそんなローカル線はこれまた例外なく廃止の声が上がるものです。 ローカル線のよさを残すためには廃止の対象になるしかない・・・という皮肉な現実を変えることもできないでしょうから、廃止になる前に極力乗っておこうと思います。 No.478 - 2006/04/22(Sat) 02:26:01
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私はお二人のように鉄っちゃんではありませんが、以前から一度乗ってみたいと思っている路線があります。 それは、東京大田区にある池上線です。私が東京に住んでいた頃、あれはもう35年前になりますが、西島美恵子というマイナーなシンガーソングライター(今や死語ですか?)の歌に「池上線」というのがありました。歌詞の内容が当時の私の心情にビビッと来るものがあり、今でも忘れられない歌です。 ♪古い電車のドアのそば 私は黙って立っていた 角のフルーツショップだけが灯りともす夜更けに〜♪・・・・失礼しました。 No.479 - 2006/04/22(Sat) 09:50:28
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西島美恵子の「池上線」という歌が一時流行ってたのは覚えてますが、もうメロディーが浮かんではきませんね。先日のTVで定年前後のおやじ達が昔とった何とやらで、ギターやらバンドを再挑戦!というのをやってました。 そういえば、拓郎も還暦だとか!!?? 当地の近所の北条鉄道なんかも、廃止の声を時々聞くのですが、どうなのでしょうか? No.480 - 2006/04/24(Mon) 23:52:50
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カンピラ荘から肉筆の便りが届いた。ホームページの閉鎖を知らせるものだったが、最近は電子の文字や画像に頼っているので、ほっとするようななつかしいような気持ちにさせられた。近い日に再開の予定だということなので、楽しみに待つこととしよう。全くの久しぶりにTelをして、洋子姉と話をした。 話題の中で、「レノンさん」にもと思ったけど、住所が分からないさ!と云っていた。のでご無沙汰の皆さんは、はがきなり、年賀状は出しましょう。 時には、特典があるかも知れませんよ。「おじい、おばあが元気なうちに、又来てください」とのことでした。 当地ではまだ桜が満開です。 No.475 - 2006/04/18(Tue) 22:39:21
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カンピラ荘からの手紙は、湿気を含んでフニャッとしていました。発送した時、西表島には、強い雨が降っていたんだろうなあと想像できます。ひうちさんが言われるように肉筆の手紙は心を打ちますね。 1981年に皆さんに助けられた遭難者は、幸せです。昨年、西表島に行った時に見たのですが、何年か前に山に入ったきり行方不明になった若者の手配書が、浦内川船着場に張ってありました。今でもルートを外れたジャングルの中で救出を待ち続けていることを思うと・・・。 ひうちさんのお家は、少し山間部にあるのでしょうか?今年の桜は本当に綺麗でした。日和舎詣で(4〜5日)了解です。今からワクワクしています。 No.476 - 2006/04/19(Wed) 10:19:19
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