クロチョウガイを取り出して、遭難事件を思い出しましたが、カンピラ荘でも一度遭難者が出たことがありました。今思い出すと笑い話のような事件はたびたびあったけれど、この時の遭難事件では、カンピラ荘・土方部屋有志で捜索に出かけました。今では顔も名前も忘れてしまいました。メンバーはオジイを隊長にカメン、ハナムケ、他に誰がいたのだったか・・momotanは古見へ車を配送しての出迎え係りだったかな。 とある日の夕方、横断に行った一人の男子学生が帰って来ない、Telも無い、どうしたのだろう・・どうしたものか・・という話が持ち上がりました。 というわけで、翌朝有志一同、横断路をたどってみようということになり、浦内川より出発しました。○○君、おーい、聞こえたら返事しろ、おーい・・・と連呼しながら進みました。板敷川、マヤグスク、分岐点を過ぎもう少しで古見という地点、みんな疲れて声も枯れてきた頃、かすかな応答がありました。 あっ、いた。と、誰もが安堵したのは云うまでもありませんでした。 こんなコトがなかったら、オジイと一緒の横断も無かっただろうし、ともかく無事で何よりという事件でした。しかし○○君の名前が思い出せない!! No.473 - 2006/04/13(Thu) 22:20:40
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1981年10月13日火曜日です。当日は私の誕生日でしょうとく庵で宴会がありました。なぜしょうとく庵かといえば、しょうとくさんの娘の可奈ちゃんの1歳の誕生日でもあったからです。まんべ夫妻、ロビンソン夫妻!も参加し大いに飲み、盛り上がりましたが、横断に行った者が戻らないとの知らせがあり、翌14日ひうちのいうようなメンバーで捜索に出ました。私も初横断を狙っていたのですが、車で迎えをやれとおじぃに言われ、19時に古見へ、横断路の出口で待機すると、やがて懐中電燈の光と共に汚れた無法者の集団が現われました。正直、西部劇の荒野の7人のようでめちゃカッコよかったです。遭難者は魂が抜けたようでしたが。かんぴら荘帰着は21時でした。不覚にも遭難者の名前の記録はありません。 No.474 - 2006/04/13(Thu) 23:54:05
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?bS66の投稿は私ではありません。ところで南雀の申し出に感涙です。我が家ではホラ貝、夜光貝、ひれしゃこ、コブシメのこうら、スズ石などはいまも飾られていますが、200冊以上の時刻表、鉄道雑誌、一切渡さずに集めた乗車券、指定券、300枚以上のプリペイドカード、飛行機の搭乗券、東亜航空時代からあるタイムテーブル、新聞の切り抜き、1971年の少年サンデー全巻、大阪万博のパンフ、等等は私の死後、たちどころに処分、売却されるでしょう。 No.468 - 2006/04/06(Thu) 22:14:27
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??464が旧掲示板に残ってしまっていたのを、コピーするためにmomotanの名前を騙っていたまま、次の投稿をしたため氏名詐称となってしまいました。 訂正しました。 皆様、将来のためにも奥様は大切にして下さい!!。 No.469 - 2006/04/06(Thu) 23:53:49
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昔、コレクターというちょっと怖い映画(蝶の替わりに女性を採集する話だったかな?)がありましたが、人間は何かしら収集する習性があるみたいですね。 私は西表時代の収集物は、一つも残っていません。おじいのパイン畑で拾った水石(振るとチャポンチャポン)は、顔も覚えていない女の子にあげたような。その話を嫁にしたら「なんで持って帰らなかったの」嫁は、もしかしたら収集癖があるかも。 momotannのコレクションの貴重さは、momotanと青春を共にした人にしか理解できない物なんでしょうか?私は、そうでもないと思うのです。momotannnの奥様も亭主(古いね)の大事にしている物は、棺桶に入れてくれると思いますよ。 No.470 - 2006/04/07(Fri) 18:20:03
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すみません、(momotannnで)ではなくて、(モモタンさん)と訂正させていただきます。 No.471 - 2006/04/07(Fri) 18:26:03
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トウカムリは、後にも先にもゲットしたのは、一度きりです。それどころか見たのもそのときだけです。今でも未練があります。 No.457 - 2006/04/02(Sun) 23:03:50
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そうだったのか!南雀んちで見かけたトウカムリはmomotanが見つけたものだったのか。momotanが法螺貝の身出しをしてたのを見たような記憶があるのですが?? 私の場合は、夜光貝はブレスレッドにし、ある娘にあげた。法螺貝もきれいに磨き、ある娘にあげた。今手元にあるのは黒蝶貝の半身とハナビラダカラくらいなものです。ドークマンはヒレジャコの大きなのを郵送してたような記憶もあるのですが・・・ 貝細工も、ほとんど誰かにあげてしまった。小さなまごころの娘たちは、今はみんな人の妻??? No.459 - 2006/04/03(Mon) 22:07:06
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「ちいさな真心、大きな下心。」みんな一所懸命、貝細工を指から血を出してまで頑張ってたよね。でも貝細工で「下心」を達成した人は果たしていたのかな?達成できた人は、貝細工が無くても出来てるよね。 No.461 - 2006/04/04(Tue) 17:03:18
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結婚してから、家の中のことは私には一切決定権が無く、大切に 飾ってた西表の思い出がつまった貝たちも飾るのを禁止されて しまいました。しかたなく、ダンボールに詰めて保管しているのですが、 私がCENSOREDばその次の燃えないゴミの日に捨てられるのは明白です。 トウカムリも私の家にあるより、モモタンの手元に戻り森本家の家宝? となるか、又はモモタンの棺に入れられて、モモタンと一緒に灰になる かはわかりませんが、私の家にあるよりは幸せな存在となるでしょう。 よって近々モモタンに返還させていただくことにします。 No.465 - 2006/04/05(Wed) 19:49:59
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しかし、トウカムリ貝はとっても希少な貝なのですがねぇ。法螺貝や夜光貝は時々捕獲されてましたが、トウカムリ貝はカンピラ荘に一点あったほかは、私が数年間滞在した西表島ではたぶん二度しか採取されたのを見ていません。 文章とは全然関係が無いけれど、我が庭に咲くラッパすいせんを載せてみます。 No.466 - 2006/04/05(Wed) 21:38:33
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トウカムリは春の大潮の頃、浅いところに産卵に来るようです。 その昔、大潮で歩いて鳩離島に行った時、 二番手に歩いていた人が引っ繰り返っていたトウカムリを見つけました。 きっと欲張って一番手を歩いていた人が気付かずに蹴っ飛ばしたのだろうと、 皆で笑いましたとさ。 あの貝は引っ繰り返っていないと砂と同じ色で分かり難いですからね。 No.467 - 2006/04/06(Thu) 18:34:15
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大きなホラ貝を採ったので、裏の浜に埋めて身を腐らせました。だいぶ日にちが経ち、もうそろそろだと堀だしました。猛烈な異臭がし、身はズルズルになっています。海水で洗い、振るとほとんどの身は取れましたが、奥のほうがどうしても出てきません。仕方なく軍手をし、手でかき出したところ、激痛が、 なんと未消化のオニヒトデの棘が刺さったのでした。棘は爪の下に入り込み化膿しました。恐るべしオニヒトデ。しかしホラ貝は焼いて食べたりもしたけど、、 No.464 - 2006/04/04(Tue) 22:56:15
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掲示板に画像が載せられるように、バージョンアップしました。ログの移行もうまくいったようです。が、トップページよりもこちらのカウンターの方がだいぶ数の進行が多いのは、トップページを通らずに入室が行われているようです。そんなことは別段構わないのですが、そんな人はこちらのアドレスにお気に入りを設定変更をして下さい。まもなく以前のアドレスは閉鎖する予定です。今後ともよろしくお願いします。 No.462 - 2006/04/04(Tue) 22:23:51
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西鉄宮地岳線の西鉄新宮、津屋崎の間は2007年4月1日で廃止です。南雀さん 来年は九州を攻略しましょう。九州全域バス乗り放題10000円のさんQパスもあります。 No.458 - 2006/04/03(Mon) 21:44:01
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貴重な情報ありがとう。この手のカキコに返信するのは現在私だけ ですが、クレームがこない間は2人の個人掲示板として、これまで通り、 ちょくちょく利用させてもらいましょう。 西鉄はまだ未乗車ですから、宮地岳が廃止までにはぜひ行きたい ですね。今度の土日は、子供と18キップで関東方面を攻めてき ます。メインは箱根登山鉄道と伊豆箱根鉄道の予定です。 No.460 - 2006/04/03(Mon) 22:52:55
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今日は、旧暦の3月3日ですね。海辺に暮らしていないと潮の満ち干きも旧暦も忘れてしまいます。 娘のいるお家では、今日を限りにお雛様を片付けた方がいいとか云いますが、そうでなくても今時のお娘たちの適齢期は高くなってますね。そんなことはおじさん達には全く関係の無いことですが・・・ 旧暦3月3日は浜下り(はまうり)ですね。カンピラ荘では鳩離島へ歩いて渡るのが恒例となってました。私も何度か参加して、島の向こうの大運動場のような、干浜に感激したものでした。宝貝やら蛸やらを見つけて大はしゃぎしたものでした。同行した誰かがトウカムリ貝を見つけて、欲しいような悔しいような思いをしたこともありました。一度はみんなで星砂まで歩いて行き、カンピラ裏まで流して、スカリいっぱいのチョウセンサザエを持ち帰り、裏で浜焼きしたこともありました。 そんな出来事は、よくあることでも、浜下りというだけで心うきうきしたものでした。 No.453 - 2006/04/01(Sat) 22:57:02
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そのトウカムリ貝はなぜか私の家にあります。 採取した本人から、「やるわ」とちゃんと承諾を得て 私がもらったのですが、本人はその時何かの勢いで 言ってしまったのか、その後10年位はよく「返して くれ」といわれました。 ところで、高校野球は八重山商工ががんばりましたね。 団体行動が苦手な私は、チームで対戦するスポーツ もあまり興味が無く、今回の高校野球も地元兵庫の 代表すらどこか知りません。 でも、八重山商工が出場を決めた時は嬉しかったし 1回戦を勝った時はもっと嬉しかったですね。 八重山には私の故郷以上の想いがあるようです。 No.454 - 2006/04/02(Sun) 09:03:42
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浜下り、楽しかったでしょうね。 私は10月から12月と5月しかカンピラ荘にお世話になっていないので、残念ながら浜下りは経験がありません。浜下りは、人間の狩猟採集本能が満たされる趣味と実益を兼ねたお祭りですよね。島では、遊びが少なくて若者が定着しないと言われますが、自然と一体となった芸能やお祭りがあり、私は退屈することがありませんでした。もっとも何年も島で生活すれば、また違った意見となるかと思いますが。 西表島の仲間の方たちとは懐かしい思いでを共有して、楽しくやりたいと思います。 No.456 - 2006/04/02(Sun) 19:12:33
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四月新年度といっても、新入生でもないおじさんにとっては、何も変わることが無いので、掲示板の模様替えをしてみました。今まで投稿の無かった人も是非ご参加下さい。 No.455 - 2006/04/02(Sun) 17:00:08
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漸く、春がやってきそうな良い天気が続いていたのですが、今日は真冬並みの温度と白い雪。この掲示板もちょこちょこと覗いてはいるのですが、書き込みをするまえに眠気がきてしまってなかなかです。少しの酒で眠れるので安上がりです。あまり書かないと忘れられてしまうかと、ふと不安になりました。そこで、はーどでぃすくの奥底にある二十数年前のファイルを引っ張りだしました。ももたんは読んだ事があるとおもいます。 あの、貝細工はどうして日和舎に?あれは下ゴコロの準備として作っていたら、ロビンソン小屋の可愛い娘にせがまれてあげたものなのに?しかし、自分でも懐かしい。 もうひとつ、私はギターの名手ではありません。ヨースイさん誤りです。それと、宴会でギターを弾いた事はありますが、リクエストをされた覚えはないように思うのだが。 No.450 - 2006/03/29(Wed) 22:27:57
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昨夜、カンピラHPの存続宣言があったので、よかったよかったと何かを書こうかと思ったところのドークマンの久々の登場でした。盲腸のエッセイに圧倒されて、そのまま寝てしまいました。 あの、貝細工をドークマンが誰にあげたのかは記憶が失せてしまってて覚えていませんが、今現在は日和舎に飾ってあるのは現実です。私もあの、お魚に再会した時は、ちょっと感動しました。もう一点、幻のマンモ作、黒蝶貝の揚羽蝶もありますよ。 No.452 - 2006/03/30(Thu) 22:58:23
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痛み止めが効いているのだろう、腹は痛くもかゆくもない。大部屋から車のついたベッドに乗せられ部屋の外でうつぶせにさせられた途端にケツをまくられ麻酔を打たれていた。ケツが先だったか背中が後なのか思い出せないが二本の麻酔は俺をまごつかさせてくれる。これからの段取りが全然わからない。 どうも不安だ。病院なれをしてないお客はすぐにわかるのだろう。優しそうな笑顔でケツを叩いた看護婦さんは「だいじょうぶですよ」と手術室の隣の部屋へ運ぶとどこかへ行った。暫くすると若い看護婦さんが二人やってきた。しかしなんとなくそわそわしている。こっちも素人とはいえ剃られるのはわかっている。予想はついているし覚悟もできている。「ベッドから半身を起こし、コンニチワとでも言おうか?しかし俺は病人の身である、それらしく振る舞わなければ・・・・・」などと気を回していると、向こうの隅で二人がひそひそ。話しの内容は聞こえない。雰囲気からするとこれからの作業についてだろう。二人でもめているのか? どの娘がやってくれるのだろう。俺はどうすればいいのだ。『あんたやれば』いや『いいえ、あなたがどうぞ』と会話を想像してみる。しかしやっぱり病人は間が持たない。「好みで指名ができるのだろうか?」どうにも仕方がないので狸寝入りを決めたが、やがて一人の天使が剃刀を手に笑顔でこちらにやってきた。看護婦さんは今までに仕事で何本かを処理してきただろうが、盲腸炎は一回きりの経験でしかない俺は心の準備を無視され、病室を出る前に着せられた手術衣の前をほどかれた。いきなりズボンとパンツを一緒に下ろされたようにびっくりする。ライトのまぶしい明るさに下半身は慣れてない。看護婦さんも観念したのか情けないやつをつまみ床屋さんのように剃刀を当てていく。自分の下半身に看護婦さんの手が加わるともうそこは自分の持ち物から外されたようにみえる。「看護婦さんの手元をみてはスカートの下を覗くようで申訳ない」俺はじっと我慢。恥ずかしい。だが、開き直ってしまえばもう少し看護婦さんとこのままの状態でいたいが、彼女達は役目を終えるとさっさと引き上げてしまった。広い部屋にぽつんと一人、丸裸で残されてしまった。誰もいない。下半身がやけにさびしい。やっぱり坊主だ。すっぽんぽんで毛がないとどうも下半身はしまらない。大人のものにはやはり毛が必要だ。 盲腸炎なのか病気のうちにはいらない。人の事ならなんとでも言えるが自分の盲腸となるとそうはいかない。 「一大事だ」。 執刀の前に麻酔が効いているかどうか医師があっちこっちつねっては俺に「感じるか?」と、聞いてくる。 いよいよ本番がはじまる。「どうにでもしてくれ」。普段から悲観的な俺は棺桶をまぶたの裏に浮かべ目を閉じた。唇が紫色になっている。 医師が鏡で見せてくれ、いつもこんなですかと質問をする。血色のいいほうではないがいつもとは違ったように死んだ色をしている。医師はやさしく余裕がかんじられる。 俺は青息吐息。見上げる宇宙船のようなライトがやけにまぶしい。質問にうまく応えられない。しどろもどろの返事に医師は質問を打ち切った。 自分の問題だ、積極的に協力はしたいのだが言葉がうまく出てこない。手術前には不安もあった。興味もあった。なにしろ降ってわいた盲腸だ。こんな機会はそうめったにあえるものでもない。 しかし、やはり自分の腹を覗いてみるのはやめてよかったようだ。このさい腹の奥まで見られたら何か解るかもしれないと思ったが、そんな期待もこうなってはいけない。 すぐに終わるはずの手術が長引いている。だんだんと気分が悪くなり息苦しくなってきた。 俺はまぶたの裏から棺桶を追いだしにかかった。いったい今の状態はどうなっているのだろう。かんじんの開かれているだろう腹は胸にかぶせられた太鼓のようなものに遮られて全然見えない。いつメスが腹を開けたのかも感じられなかった。だが血が抜けていく感じはあった。ひとりの看護婦が酸素マスクを、そしてもう一人が点滴のぶら下がった瓶を運んで来ると手際よく酸素マスクを口元へ、点滴は腕の静脈へさしこんだ。いよいよ手術らしくなってきた。 ぶらりと出た旅の列車のなかで痛みだし、どうにもたまらず途中下車をして病院に駆け込んだら「盲腸です」。「切りますが、しばらくそこの待合室で座っていてください」と診察された。俺は言われるままに診察室を出て待合室で座ったが、どうも様子が違う。俺の今まで知っている診察室ではない。あそこにはやたらと機械があり、それと接続されているモニターやキーボードが並んでいた。 医者は俺に殆ど質問もせず機械からコードでつながっているクリップを体のあちこちにはさみキーボードのリターンキーをポンと叩いたと思ったら「盲腸です」と、なんの迷いもなく診断を下した。 No.451 - 2006/03/29(Wed) 22:30:31
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