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-----風の旅人 掲示板-----

「風の旅人」と呼応すると思われる「質的な情報」を、読者の方々から発信していただけないものかと思っています。
自分の琴線に触れるもので、それが、「風の旅人」のなかを流れている風と何となく類似しているのではないかと感じるもの。
そうしたものを教えていただき、共有できれば嬉しいです。
例えば、ギャラリー、映画、本、旅先の風景、真心が感じられるお店、心和む場所、時流に流されない物等々・・・。
何でもいいのですが、世間の評価とは関係なく、味わいとか気配とか手触りとか、肌感覚を大事にしたものごと・・・。
どこかうさんくさい情報の洪水の中で、質の良い空気みたいなものは掻き消されてしまう。
だから、そういうものの密度を何とか濃くしていきたいです。



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『赤坂店リニューアルOPEN記念イベント〜マヴィ七夕祭り〜』 / オーガニックワイン専門店マヴィ
はじめまして。オーガニックワイン専門店マヴィ(所在地:東京都港区赤坂 代表取締役:田村 安)は、このたび赤坂店の店舗改装・リニューアルオープンを祝す七夕祭りを開催。夏の蒸し暑さも、スパークリングでシュワっと、爽やかに!評判の店主の特別ワイン講座“スパークリング編”に加え、その他沢山のイベントを企画中。新生マヴィの門出を祝ってスパークリングで乾杯!

■ イベント名:「リニューアルOPEN記念七夕祭り」
■ 開催日:2007年7月7日(土) 12時〜19時 *詳細はHP・イベント欄にて http://www.mavie.co.jp/
■ 開催場所:オーガニックワイン専門店マヴィ 赤坂本店
■ お申込:オーガニックワイン専門店マヴィ E-mail:info@mavie.co.jp TEL:03-6822-9066
上記まで、お名前、ご連絡先(お電話番号&e-mailアドレス)、ご年齢【成人の方に限らせていただきます】、参加ご予定者の人数を明記の上、お申込みください。

【マヴィ株式会社】 1998年創業のオーガニックワイン専門商社。2005年1月には赤坂に第1号の小売店舗「オーガニックワイン専門店マヴィ」をオープン。生産者を一軒一軒訪ね歩き、履歴のたどれるオーガニック認証ワインの中から、日本人の食生活にも合う本当においしいワインのみを輸入・販売する姿勢を貫き、過去3年間の売上は毎年130%成長。生産者と消費者それぞれの思いを伝えるため、コミュニケーションを第一にした買い付け、販売がモットー。農家の蔵から店頭まで徹底した温度管理で常に最高の状態での提供に努めるほか、オーガニックなライフスタイルの提案を日々様々な形で提案。

No.153 - 2007/07/02(Mon) 15:15:17
本場・西アフリカのジャンベ・”ロックサウンド”が日本初上陸! / さざなみ修至 [東海]
こんにちは、私、静岡県浜松市在住「風の旅人」のコレクターのさざなみと申します。さて、今夏・書生の企画しております西アフリカ・セネガルの音楽舞踊団の来日公演の件で告知させていただきます。
 今回は、風の旅人14号でご紹介いただきました「日本&セネガル国際文化交流事業」の第二段といたしまして、更にパワーアップしたステージ展開を計画しております。
 ご興味のある方は、是非、遊びにいらして来てください!よろしくお願い申し上げます。
http://www.sazanami-japan.com

No.149 - 2007/06/21(Thu) 11:23:43
水の記憶・反復と再生 プロジェクト  / 小林紀子 [四国]
ヒグマ春夫氏が取り組んでいるプロジェクト。

プロジェクトのテーマは「水」。越後妻有のさまざまな地域で採取した水と使わなくなった容器、水のある光景の写真、フィールドワークの記録等をもとに映像
を制作し、インスタレーションに組み込む。身体表現者と音楽家を招いてのパフォーマンス公演もある。
 
里山・アート・コラボレーションhttp://www.geocities.jp/higu123/corabo-1.html
会場は2004年に廃校になった真田小学校。
彼の投影する映像は、地・水・火・風・空の五元素をイメージとして制作している。


彼の作品をみたことはないのですが、なんとなく気になるので、紹介してみました。
気になるところに、ふら〜っと気軽に行ける自由があったらいいのですが。3人の子育てと仕事で手一杯状態で、思うように動けないのが、時として辛くなります。
実際に見ていないものについて、説明するのもどうかと思ったのですが、足を運べないにしても、このような掲示板で何か心に響くものを共有できたら…と思っています。

No.60 - 2006/06/26(Mon) 00:14:38

Re: 水の記憶・反復と再生 プロジェクト  / ヒグマ春夫
昨年のことですが、記録をHPにUPしてあります。今度、展覧会をします。会場は、新宿のビームスです。
No.147 - 2007/06/07(Thu) 21:27:41
新しいアートの風 / 芳本敬子 [関東]
初めて書き込ませて頂きます。
つい先月知り合った知人を紹介させて下さい。
26カ国を放浪してその記録を写真と手書きによるコラージュにし、アーティストとして日本で認知してもらいたいとやって来ているフランスからの女性がいます。20代の彼女独特の視点からの作品はどれもはがきくらいのサイズですが、ぐぐっと広がりを感じる強さを持っていて、一目で好きになりました。
今はどのようにしてより沢山の人の目に触れられるように出来るか…暗中模索しています。若かったり人脈やコネのない人はどのように『芽』をだすのでしょうか。『良いもの』とは自然に世に知られて行くものなのでしょうか。
彼女の作品には、当たり前の準備をして遊びに行くだけでは見れないような色々な国の風が流れています。
どうにか届けたい…と。サポートはまだ続けます。

No.146 - 2007/06/05(Tue) 12:43:05
写真展 / falke
4月発売の風の旅人との関連性もあるかと思いました。

東京都写真美術館
夜明け前 知られざる日本写真開拓史

http://www.syabi.com/details/kaitaku.html

No.141 - 2007/03/28(Wed) 08:28:32

Re: 写真展 / 風の旅人 佐伯
 falkeさま
 情報、ありがとうございます。
 また、この4月発売の「風の旅人」第25号に合わせて、広尾のエモンフォトギャラリーで、写真展を開催します。
 130年にわたる一家族の歴史を、迫力ある写真で紹介します。
 古い写真を見る機会は他にもありますが、一家族の連綿と続く時間を撮ったものは、貴重です。また、100年以上も前なのに、写真のクオリティが素晴らしいです。
 詳しい内容は、こちらまで→http://www.emoninc.com/test/exhibition/spiral.html

また、3/27の「風の旅人」編集便りの記事をプリントアウトしてお持ちいただければ、通常500円のところ、無料でご覧いただけます。 

http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20070327

No.143 - 2007/03/28(Wed) 15:47:03
漂泊の魂と四月の彗星 / 小林紀子
松山のギャラリーで開催されていた吉永邦治氏の個展に出かけました。
「漂泊の魂」と表される彼の作品には、まさに現代の私たちが見失ってしまった何かが、素朴で力強く、深く美しく描き込まれていました。
絵と、横に添えられた吉永氏の文章が祈りのように魂に響き、絵と文章が奏でるその空間に漂う匂いを肌で感じながら涙が零れそうになりました。
吉永氏は、素通りするような見方をする方が多いと嘆いておられました。人は表面的でわかりやすいものを追い過ぎ、絵との呼応、自然の機微や繋がりを感じる心を忘れてしまったのでしょう。
「絵は見られることが栄養となり育っていく」という言葉通り、最終日にはその空間に絵が馴染んで、珠玉のように輝いているように感じられました。
そして、そのギャラリーでたまたま目にした本が、日向日和氏の「四月の彗星」という詩集でした。
どこか風の旅人にも繋がるようなこの二つの出会いに、自分が社会に伝えていきたいことの使命を強く感じた次第です。
詩集の最後に載せられた詩を紹介させてください。

「柔らかな傷」

まっすぐに伸びようとする草の芽は
何故、悲しく映るのだろう
光へと向かおうとする翼は
何故、どこまでも
危うさを抱いていると
思わせるのだろう

熱く乾き過ぎた風が
僕たちの薄い皮膚を切り裂く
まだ、知り得ない
痛みというものがあると、

消えない傷を刻むように

遠いくにでしか見つからない
南の空の星座を捜す君

聞こえないほどの小さな声でも
届かない幾億光年の距離でも
耳をすまし
聴こうとして
誰よりも淋しい
背中を向けていたのだろうか
何度も見た、夢の中で君は

神様の出した宿題の
答え合わせをするために
僕は
何を急げばいいのか

君の砂漠に
雨の降り注ぐ
静かな夜は
いつか取り戻すことができるのだろうか

この傷口は
まだ
癒されてはいけない


日向氏は「光の船」という詩の中で、
ほしと、うみと、そらと、しまと、
とりと、はなと、ゆうひが、生まれ、
ながいながい、じかんがながれて、
こどくが、生まれ、

さいごに
ひとが
生まれた

と語っています。
その一人一人に課せられた宿題に向き合っていきたいと思います。

No.139 - 2007/03/07(Wed) 09:14:16
地球温暖化 / てら
 お世話になります。地球温暖化のエッセイを書いている「てら」です。

 近ごろ、地球温暖化の新しい報告(IPCC第4次報告)が出てマスコミを騒がせましたが、新しい研究報告がでるほど事態は深刻になっています。
 私のHPの「エッセイ260」では、それについて分かりやすく説明しましたので、今回お知らせに上がりました。
 地球温暖化のことを、マスコミ情報よりは詳しく知りたいけれど、専門書を読むのはちょっと・・・ という方に向いている内容です。宜しければ、ご覧になってみてください。

No.138 - 2007/02/24(Sat) 19:44:24
偶然の出会い / まさし [関東]
はじめまして。突然失礼します。

実は。今日まで「風の旅人」という本をまったく知りませんでした。
普段入らない銀行の待合で、偶然手にしました。

その写真、文章の素晴らしさに心を打たれました。

自分自身も写真を撮り、Webサイトを作る傍ら、発行部数の伸びない「DAYS JAPAN」の方たちと行動を共にしています。
自分の無知ながら、ほんとうに恥ずかしい思いです。

チャンスがあれば定期購読、と思っています。
これからも素晴らしい紙面づくり、続けてください。

No.133 - 2007/01/09(Tue) 16:37:11

Re:Re: 偶然の出会い / かぜたび / まさし
かぜたびさま。

お返事をいただいているのに、大変遅れて申し訳ありませんでした。
自分のブログからトラックバックが張れずに、今更のようにこちらにコメントしています。

偶然というより必然、というお言葉、さらに実感しています。

実は、「風の旅人」9号に私の古い友人の写真も取り上げられています。
シカゴで報道のフォトグラファーをしている高橋邦典は私の高校のときの友人です。
向こうは第一線の現役のプロ、私はアマチュアと立場が違うにもかかわらず、彼は私の写真を真剣に見てくれて、「こうした方がいい」などというアドバイスをくれます。
彼自身も、編集長のことを覚えていました。

セレンディピティという言葉がありますが、まさにそれを実感しています。

オンラインショップでバックナンバーから購入させていただいています。
(ごめんなさい、まだ定期購読までいっていません)

編集便りは、いつも感ずることがあるのですが、トラックバックが失敗して以来、手がつきません・・。
今度こそ・・。

No.137 - 2007/02/12(Mon) 20:45:34

偶然の出会いに感謝! / さざなみ修至
 楽しみにしていた「風の旅人」最新号を拝見いたしました。毎号、予想以上の仕上がりに、心ときめく、子供のような気分にしていただけること、心から嬉しく思います。
 この雑誌、マジ(本気)で西洋で販売してほしいですよ。私自身、写真を勉強するため、ヨーロッパやアメリカの書店で片っ端から写真集を読みましたが、あまり新発見がなくて。 だけど、「風の旅人」には、そのすべてが凝縮されている。 こんなに凄いものを日本人が創作しているなんて、ほんとに凄い、凄すぎる!!。 例えば、ニューヨークで、かわいい日本人を見れば、「イエローキャブ」だと思っているような奴らに、この本を見せつけてくださいよ。「日本人なめんじゃねーよ!!」って感じで。先祖が漁師なので、言葉遣いは悪いですが、そういう気持ちで、「風の旅人」を崇拝しております。
 それから、浜松市の読者を代表して言わせていただきますが、異国版(外国人写真家による)「森山大道氏」シリーズも定期的に特集してください。すごく面白いです。

No.136 - 2007/02/02(Fri) 09:53:36

Re: 偶然の出会い / かぜたび
まさし様
 コメント有り難うございます。偶然というより必然でしょうね。「DAYS JAPAN」の創刊準備の時、私もいろいろお手伝いさせていただきました。広河さんとは親しくさせていただいています。最近は、お互いに忙しくて、時々、電話でお話するくらいですが。
 正直言って、「DAYS JAPAN」のスタンスは、私が制作している「風の旅人」とは異なるものです。しかし、「DAYS JAPAN」も「風の旅人」も、自分で言うのもなんですが、ONE AND ONLYだということで仲間だと思っています。ONE AND ONLYというのは、作り手の内的必然に添って作っている結果としてそうなっていくものです。右へならへ、とか、長いものに巻かれろとか、世間ではこれが流行りそうだとか、自分の内的必然を捨ててやってしまうと、結果的に、みんな同じになってしまう。
 今の時代、何が正しいとか間違っているとか言いにくいものがありますが、スタンダードのなかにみんなが足並みを揃えていくに関しては、とても不気味なものが感じられます。だから、たとえ正しいとか間違っているとか関係なく、「風の旅人」や「DAYS JAPAN」など、大手出版社が築き上げた既成のシステムや世の中のスタンダードに迎合しなくてもやっていけるのだという実績を残すことで、それに刺激を受けて、内容は違ってもいいから作り手の内的必然に添ったメディアが今よりも増えていけば面白いと思っています。
 そうした多様性こそが、メディアの健全さだと私は思います。
 DAYS JAPANは、そろそろ4年目に入り、風の旅人は、5年目に入ります。先日、広河さんと電話で話をした時は、息切れしそうな感じでした。お互いに、どこまで持ちこたえられるか、という感じで、頑張るしかないですね。

No.134 - 2007/01/10(Wed) 11:54:24
オンラインショップのメリット / かぜたび
宣伝ですみません。

◎「風の旅人」のオンラインショップを開設しました。
http://kazetabi.shop-pro.jp/

 それを記念して、19号までのバックナンバーを、2冊セットで1200円(税込み・発送料込み、手数料込み)で販売致します。

 早速、たくさんのお申し込みをいただきました。どうも有り難うございます。
 バックナンバーのまとめ買いがけっこうあり、驚いています。やはり値頃感ってあるのでしょうね。
 600円とか800円だと値頃感があって販売がぐっと増えるのであれば、25号以降とか、どうしようかと悩んでしまいます。
 「風の旅人」の読者は、値段に関係ないというご意見もけっこういただき、そういうご意見も大変有り難いのですが、読者には意外と学生さんも多く、そうした人たちにとって、値段って大きいのだなあと改めて実感しました。
 でも割引対象のものだけでなく定価のものもけっこうオンラインで買っていただけるので、アマゾンとかと違って、送料込み・手数料込み1200円というのが、いいのかなあと思っています。
 あと定期購読も、今まで郵便振り込みでしたが、振り込みの時間帯とか、近くに郵便局がないとか、いろいろ面倒でしたが、オンラインにしたことで申し込んでいただける方が増えました。
 ありがとうございます。

No.132 - 2006/12/19(Tue) 19:14:38
アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / 小林紀子
松山出身の写真家で、アラスカの写真を撮り続けている方がいらっしゃいます。
10月21日に松山の野外活動センターの屋外で行われたフォトライブには、松山市内の小学生と保護者が800人ほど集まり、満天の星空の下で、アラスカの自然を写したスライドを眺めました。
先日、松本氏を囲む会があり、直にお話をすることができました。
故星野道夫氏に憧れてアラスカを撮るようになったことや、最初アラスカを訪れた時、360度のパノラマの自然に包まれて思わず訳の分からない叫び声をあげてしまったこと、また、アラスカでお世話になっている知人の家にある、星野氏がよく横になっていたというソファに、今は松本氏が寝ていることなど、話は尽きない感じでした。
星野道夫氏は、写真はもちろん、彼の書く文章が深く純粋で心に響くので、特にこの寒い時期になると不思議になぞりたくなる瞬間があります。
松本紀生氏の写真は、きっかけは星野氏に憧れてというだけで、彼独特の世界があり、オーロラだけの写真もいいのですが、雪のテントが映っている写真は、彼の息遣いが感じられてとても好きです。
月や星、太陽など、アラスカという地球上と宇宙の呼応を感じて、風景が心に沁み込んでいくようです。
一瞬を切り取る写真は、そこに写真家の想いや息遣いが感じられてこそ、見るものの心に響いて、その風景の場所との距離を縮め、内なる自然を旅させてくれるのだと思いました。

松本紀生氏のオフィシャルサイト
http://www.matsumotonorio.com/

No.108 - 2006/12/04(Mon) 11:41:48

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / かぜたび
 りんさん。コメント有り難うございます。
更新できるからといって、気軽に流せないのは、工場の廃液と同じですね。

 あと、風の旅人を読むスタンスが、「受動的でなくて能動的です。」と仰っていただいたこと。これは、私にとって、情報伝達の目指すところです。
 誰かが情報を発信したり語りかけたりする。その情報を受ける側が、受動的でなく能動的に受け止められる文体とか形こそが、近未来の情報伝達方法のあるべき姿なのではないかと思います。
 そして、社会のなかの情報伝達方法がそのようなものになった時、職場であれ学校であれ家庭内であれ、モノゴトの伝え方が自然にそのようになっていく。教育もまた、生徒にとって受動ではなく、能動的なものになっていく。そうなった時、今日の様々な問題の多くが修正されていくのではないかと思います。 

No.131 - 2006/12/15(Fri) 14:28:20

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / りん [関東]
かぜたびさん、
コメントありがとうございます。

インターネットやブログは「更新できる」という点で、発信する情報を固定させたり支配的にするのを抑えられるというお話は、なるほどと思わされました。確かに、これまでのメディアにない特長なんですね。

ただ当然ながら、「更新できる」という点に甘えて、気軽にぽんぽんと書いてしまってはいけないのは、メールと同じですよね。手紙よりもクリック一つで送れてしまうから、よくよく考えずにぽんと送信してしまって後から「あー違った!」と思っても、受け手が一度はその内容を手にしたことは確かだからです(送信相手を間違えて、あとから「破棄してください!」とお願いするなんていうのは典型的な失敗ですが)。
書くからには責任を持って、という基本的なことを、気軽さや流動的であるために失ってしまったら大変だ!と改めて思った次第です。自戒をこめて。

それはそうと、『風の旅人』は、こうやって痛いくらいに責任を意識して編まれているから、読み手の側も覚悟してとりかかりたくなるのだとわかりました。手に取ると、居ずまいを正したくなるんですよ。内容一つ一つに入る前に、自分に言い聞かせるんです。「さあ、ここには色んなことが並べられていて、どう感じるか、何を読み取るかは自分次第だぞ、覚悟はいいか?」みたいな。当然編集している方のバイアスは意識すべきですし、毎回なにかしらにぴんとくるべきだと思っているわけではないです。ただ、パラパラ読めるほど気楽じゃないんです。語弊がないといいんですが。
だから私にとって、『風の旅人』を読む行為はいつも、受動的でなくて能動的です。そう思える雑誌って少ないんです。いわゆる「情報誌」は、なんだかぺらぺら見て終わりです。空虚なかんじ。だから、『風の旅人』が届いたのが慌しい時だと、週末か翌週までおあずけです。そしてじっくり、とりかかります。これからもそんな能動的になれる時間がポストに届くのを、楽しみにしています。

No.129 - 2006/12/15(Fri) 13:30:23

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / かぜたび
りんさん、、
>>かぜたびさんの文を読んで、自分は同じような思いを書いているかなと思ったのですが、いかが思われるでしょうか。

 同じ思いを書いておられると私も思います。
 ブログでも、掲示板でも、私は常にこの問題を意識しています。
 ただ私は雑誌を作っていますので、「個人」の体験とか知識を、表現という形にして、他者に対して示していくという作業をしています。
 イベントやテレビで語りかけるのと似たようなシチュエーションです。だからといって「客観、中立公正に徹しますよ」、「見る人が自由に見ればいいのですよ」というスタンスをとっても、形になっている以上、作り手のバイアスがかかっているわけです。たとえ情報を並列に羅列しているだけであっても、「情報を並列に羅列するだけを良しとする」自分のバイアスなのです。
 だから、以前、ブログにも書きましたが、「この雑誌をつくっている私という人間は、これだけバイアスがかかっていますよ!!」という注意喚起も含めて、ブログで自分の考えを更新し続けています。
 人に強要せず(本人が意識しようがしまいが)、情報や体験を伝えていく「文体」とか「形」が必要なのだと思います。
 そのスタートラインとして、自分の知識や、自分が見てわかったつもりになっていることを様々な角度から見直す視点や、善なることと思いながらやっていることでも、実はそれは非常に自己都合的であり、自分勝手な思考の産物であるかもしれないという疑いは必要だと思います。
 でも疑っているだけでは疑っている自分というものに自己中毒になってしまいますから、前に進むダイナミズムは必要でしょう。
 そうしたことを考える時、掲示板とかブログなどのインターネットというのは、上に述べたような思考運動を促進させる可能性のある媒体だなあと思います。 
 従来のメディアだと、情報が発信された時点で固定されてしまい、その時点からその情報は強要力をもつので人間は情報の支配化に入ってしまいますが、インターネット情報は随時更新されることが前提ですから、情報が固定されない。だから、情報に支配されない。対話の本質というのは、そのように情報を発信しながら情報に支配されないことだと思います。
 もちろん匿名の掲示板や出会いサイト?などで様々な問題があるようですが、それは、工業化時代がはじまった時に、公害の垂れ流しがあったのと同じで、やがて、そうした問題を制する力が、人間のなかに芽生えてくるのではないかという気がします。
 そうした時代の過渡期である流動的な世界で、常にモノゴトを見直して前に進んでいくというダイナミズムを大切にして、「風の旅人」を更新していきたいと思います。
  

No.128 - 2006/12/14(Thu) 21:20:28

(No Subject) / 小林紀子 [四国]
すみません。
確かに、「未来を語ることの大切さ」とはどこにも書いていないですね。
早とちりをしてしまったようです。
というか、多分、ここに私の問題があるような気がします。
言動全てが、衝動的。
未熟と公言すれば、何をしてもいい訳でもありませんから。
突き動かされる自分の衝動や想いの強さに、周りの世界が見えなくなるという過ちを繰り返して来ているような感じもします。
りんさんが書いていらっしゃる「よく考えて」ということも、かぜたびさんがおっしゃっていた「その選択が、今この瞬間でなければならないという理由はどこにもない」ということも、今の私に必要なのでしょう。
私の中には、「死がいつ訪れるかわからない」ということへの焦りが常にあるような気がします。
そのためか、常に全力疾走をやり過ぎて、バランスを崩して前のめりになっているんですよね。
感覚と思考は、バランスをとらないと、感覚だけで走ったら、単なる暴走になってしまいますね。
未来を志向しながら、今をどのように生きるか、もう少し慎重によく考えて言葉を発し、行動していきたいと思います。
どうもありがとうございました。

No.127 - 2006/12/14(Thu) 19:36:25

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / りん [関東]
かぜたびさん、

かぜたびさんの文を読んで、自分は同じような思いを書いているかなと思ったのですが、いかが思われるでしょうか。ごめんなさい、これは単に、私はそういうつもりでも相手は違うかな、と興味があります。


>  私は、自分の今の道はよかったと思っているし、そう思えた経験があったから、今後もやりたいことがあった時には環境が許されて自分も納得し覚悟できるなら行動したいです。でも、それは自分の経験としての充実感とそこから生まれた今現在の自分の考え方であって、「自分はやってみた。その結果、こう思っている」と一つのケースとして伝えられはするけれど、もちろん色々苦労もしたし、犠牲もあるし、状況や価値観は人それぞれなので、

つまり人と話していて自分の考えを話すことがあっても、それは「今」の「私のケース」であるということです。
あえて「聴衆」と「語り手」をセッティングしたマスコミの場(テレビやイベント)ではなくて、自分が友人や家族と話していてたまたま自分の話をした場合を想定していたのですが(自分のレベルのことばかり考えてしまっている証拠かな?)。「語る」「語られる」という人間関係が作為的に発生したか恣意的に発生したかどうかでもかわってくると思いますが。

とりあえず私は、具体的な「生き方」なんて現状も未来も逡巡してばかりで、「正しいか正しくないか」なんてあやふや。だから「オススメ」は簡単にできないんです。自分のセンサーが「ん?それはいいな」と思えることがないかな、と求める意味で、たくさんの人と出会ったり話したり、旅したり本や雑誌を読んだりすることは大好きなんですが。判断するのはいつも自分だし、判断したところで行動できるか別だし、行動したところで結果はわからないし、まぁそうやって模索しながら生きるしかないのですから、少なくとも、行動するにあたってはよく考えて、自分がとりあえずその時その時には、納得して行動したいなと思います。

これって、国際援助とかにも同じことが言えるかと思います。今日生きるための食べ物にも困っている人がいて、「どうにかしなきゃ、どうにかしたい」と思って皆一生懸命考えて活動しているけれど、その方法なりが正しいのか、「こうすれば未来はこうなる」と自信を持って言える人なんていないと思うんです。援助の問題は他者に対する覚悟や責任があるのでもっと違うかもしれませんが、自分の生き方にだって、当然、責任も覚悟も必要です。そしてどちらも、100%自信が持てるまで行動しないと決めてしまったら、そんな日はずっとこないし、現状の問題は変わらないわけです。
今行動しなければならないとしたら、とりあえず、自分なりによくよく考えて、「これを信じてやってみよう!」と納得できることを見つけられるように、見つけたらその自分の感覚を信じて行動できるようにしたいと思います。

No.126 - 2006/12/14(Thu) 15:45:11

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / かぜたび
 もう少し丁寧に読んでいただければわかると思うのですが、私は「未来の展望を語ることの大切さ!!」とは書いていないです。
 「堂々と未来を語る」ということになると、それもまた、ちょっと違うのではないか、と思いますから。
 私が言いたいのは、若い人達に向かって、今の自分の在り方を肯定するようなスタンスで、「自分の今」につながる過去を語るスタンスに対する懸念です。
 「自分はやりたいことをやった。だから今の自分がある。きみたちも、自分のやりたいことをやりなさい」みたいなスタンスですね。
 そのような驕りがなくても、他者に向かって語るというのは、聞く方にとっては、単なる過去の自慢話にすぎない。もちろん、その人が今行っていることを心から尊敬できる場合は、その人の過去は聞くに値するかもしれないけれど、そうでない場合、聞き手にとって未来とつながっていないように感じられる「過去」は、情報として強要されてもしかたがないのです。
 「未来の展望を語ることの大切さ」という言い方のなかで語られる「未来」は、その人のなかで固定した思考によって語られる「未来」ですから、それは「未来」ではなく「過去」です。
 そういう意味で、その「未来」は「過去」と区別できないものです。というか、同じです。「過去」と同じ思考のパラダイムから出てきている「未来」のイマージュにすぎませんから。
 それは、近代科学主義の思考にどっぷりと浸かったなかで、「今より速く走る新幹線」を「未来」として語ることと同じでしょう。それを未来と思っている人も多く、もしそうであるなら、私がここで書いていることも、まったくわかってもらえないでしょうが。
 「今より速く走る新幹線」対して私は、上記のエントリーの繰り返しになりますが、
 そのような視点で未来を語るあなた(のなかには、同じ近代的思考にどっぷりと浸かった私たち全てが含まれる)の「今」は、それほど立派なものですか、そんなもの個人的な満足にすぎないではないですか、世の中は相変わらずぐちゃぐちゃなのだし、という気になるわけです。
 そうではなく、「今」と、今の思考パラダイムでは輪郭づけることができない「未来」の関係について思いを巡らせるスタンスで、「未来」を指向することが大切なのではないか、ということを私は言っています。
 簡単に言うと、若者達に道を説こうとする人たちは、自分の道を人に真似させるほどの立派なものかどうか、または、そのようにして自分の真似をさせて、若者がハッピーになれるのかと内省する必要があるでしょうということです。
 そしてもしその自信がなければ(自信があるというのは、個人的に満足しているだけですが)、自分も含めた多くの人にとっての未来を手繰り寄せようと悶々とするしかないのではないか(それは未来の展望をはっきりと語るということではない)と思うわけです。
 自分の中で完結する自信というのはあります。ビジネスでうまくやった。お金持ちになった。何かの分野で成功した。大きな成功ではないけれど、何とかやってこれた云々・・・・。それはそれで構わないし、そういう自信を身につけることは、この猥雑な時代を生きていくうえで大事なことでしょう。しかし、人をも何らかのかたちで巻き込んでいくことに対しての自信は、それとは別のものです。人に語るというのは、そういうことです。もし、そうした局面で、自分に対する自信と、それを人に伝える自信がイコールになっているとしたら、それは、世界に対して鈍感だからです。つまり、自分が行ってきたことしか見えていないからです。
 資本主義経済のなかで成功したから自信をもって若者にそのスタンスを伝える人は、資本主義経済が未来永劫続くと盲目に信じている。
 私が自信を持って言えることが一つあるとすれば、「人それぞれ、ケースバイケース、誰にも当てはまる法則なんてない。」ということでしょう。
 そして自信を持って言えるほどではありませんが、他者が言っていることを鵜呑みにするな、今の自分の考えも絶対だと思うな、疑いながら、その疑いのなかで立ち止まるな、疑うくらいなら自分で確認してみろ、頭で考えるだけでなく、身体を動かして、五官で感じて考えてみろ、常に流動的な世界のなかで、信用できるものは最終的に、自分のセンサーだけだろうということです。
  

No.125 - 2006/12/14(Thu) 11:07:27

(No Subject) / 小林紀子 [四国]
未来の展望を持っているかどうか、それがどういうものかというのは、いろんな取材をしていても必ず聞く問いです。
それがないと、お店にしても人物にしても、ポリシーやコンセプトが実感を伴って生きたものに感じられないですね。
ただの説明や解説といった印象になってしまう。
未来を語るには、不確定なものに対する覚悟や責任が伴うから、答えにくさが生じてくるのだと思います。
想いの強さだけでは、語り切れないことかもしれません。
思い描く未来によって、「過去」の見方も「今」の在り方も変わっていくでしょうし、だからこそ「未来」の展望が大切なのだと。
ただ、「未来」が欠けた話はリアリティがないと思いますが、それを即信用できないとか、個人的なものに過ぎないと決め付けるのはどうかと思います。
「過去」や「未来」は、それほどはっきり区別できるものなのでしょうか。
多分、それは今のかぜたびさんの仕事上の出来事において、そういう現象が多々起こることや、メディアに対する不信感や嫌悪感などからきているのだと思いますが、
人が何からエッセンスを引き出してくるかは、個人的に違ってくるもので、一概には言えないような気がします。
未来を語ってない過去と今の話や言葉からでも、何か感じるものがあれば、そのもの自体やその人が直に未来を発信していなくても、受け取り手が未来に繋げていくことはできるのではないかと思います。
その感じるものがないということが、未来へ繋がらないということならわかるのですが。
個人的な感じ方である以上、未来へ繋げられるか繋げられないかも、受け取り手に委ねられるものではないかと思ったり…
すみません。
話がそれてしまったような気もしますし、混乱してきた感じがして、まとめることができないです。
かぜたびさんの言わんとすることは、わかるのですが、信用する、立派である、個人的なもの
といった言葉がなんとなく違和感があって呑み込めなかったものですから…
未来の展望を語ることの大切には、同感しています。
まとまらない文章を書いてしまってごめんなさい。

No.124 - 2006/12/14(Thu) 01:12:26

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / かぜたび
「人に何かを勧める、というのは、細心の注意を払わないと、というか払っても、ある意味無責任な行動なのかもしれません。」
 このトピックが立ち上がった時から、私がずっと気にしていることです。そして、このことを、簡単に言葉で言いきることも、一つの教条主義に近いものになるのだろうなと懸念があり、あれやこれや回り道しています。
 とりわけ、テレビとかイベントなどで、「体験談を語っているだけですよ、無理に勧めているわけではありませんよ」と言ったり思ったりしている人もいますが、それは違うだろうと、いつも感じています。
 テレビとかイベントというのは、それだけで見る者の対する強要力があります。自分の目の前に座らせて、自分の語ることを聞かせるわけですから。だから、そうした強要力があることを承知で、敢えて体験を語る場合は、語りきれない負の部分も充分に語らないと、それを聞いて判断する者にとって、フェアでない筈なんです。よさそうな話しだけして、後は聞く方が判断すればいい、私は強要していない、とは言えないと思うのです。
 また、出会いというのは、その時々の双方が抱え込んだ様々なものの、その瞬間でしかあり得ない呼応ですから、そうした機微をきちんと伝えきれないと、忠実にそれそのものを伝えることもできません。けっきょく、伝える側の都合と作為(本人は無意識でも)によって、ねじまげられています。
 テレビとかは、それがあまりにも露骨ですし、そうしたことに、あまりにも無頓着で、自らは正しいことをやっていると信じる「善良の押しつけ」の顔をしているので、私は、やりきれなくなるのです。
 私は、体験を語る人を見極める際、その人の「過去」と「今」のつながりだけを語る人は、信用していません。「今」あるのは、この「過去」があるという言い方ですね。
 ならば、そのあなたの「今」は、それほど立派なものですか、そんなもの個人的なものにすぎないではないですか、世の中は相変わらずぐちゃぐちゃなのだし、という気になるわけです。
 そうではなく、「今」と「未来」の関係について思いを巡らせるスタンスで、その際に、「過去」からエッセンスを拾い出すというものは、聞きたい話です。
 「未来」は常に不確定ですから、試行錯誤する心の揺らぎとか間合いが、確保されます。その間合いが、とても大事だという気がします。
 過去を語り出す人に対して、「その前に、あなたの未来の展望は、どうなっているのですか?」と問うことが大事のような気がします。
 「自分のやりたいことをやれ」みたいな人も、「現実は甘くないぞ」と言う人にも、そのように考えてこれまでやってきているあなたの未来は、あなたにとってどんな具合なんですか?
 と問わなければならないでしょう。「その問いに対する答えにくさ」こそ、みんなで共有すべきことのように思います。 

No.123 - 2006/12/13(Wed) 12:05:45

(No Subject) / 小林紀子 [四国]
そうですね。
人に何かを勧める、というのは、細心の注意を払わないと、というか払っても、ある意味無責任な行動なのかもしれません。
私も、多分、自分の場合は…という経験を語ることしかできないような気がします。
楽しいことと苦しいことのどちらの経験も語ったとして、ベクトルが多少今の自分を肯定する方向に向いてしまう可能性はありますが、結局は本人が判断し選ぶことで、やってみないとわからない、ということに尽きるのでしょうね。
実際、子育てをしていることで思うように動けないはがゆさや焦りで、心身ともにダウンしたことも何度かあります。
やりたいことを諦めた方がいいんじゃないかと本気で思った途端、体に力が入らなくなって何日も起き上がれない日が続きました。
その間、さまざまな自問自答がありましたが、
行き着いた答えは、どちらもやり通すしかないということでした。
その後も、今も、想いと行動の狭間で揺れ動くことはありますが、もう二度と諦めようと考えることはないということだけは、はっきりしています。
私の場合は、たまたま子供と仕事のことが大きかったのですが、その葛藤は人それぞれ違うものであると思います。
子供を持つことを単純に勧めているのではないのですが、どちらかを選ばないといけない、どちらかを諦めなければいけない、ということは決してなく、それを両方叶えることは不可能ではないと自分では思っています。
とはいえ、まだ途上にある身で、無責任に勧めることはできませんね。
自分に起こることは全て意味がある、全ては繋がっている、無駄なことはひとつもない、と信じています。
葛藤にも意味があり、その葛藤をどう乗り越えていくか、そういったもがきの一つ一つに生があり、その足跡が人生になるような気がします。

「もしも私の行動なりを見て人が何か感じて行動するようなことがあるとしたら、それは私とは切り離されたところでその人の考えと覚悟によって決定されたものだからです。」

自分の経験を語るときには、それが押し付けがましいものになっていないか、
りんさんのこの言葉を心に刻んで、言葉で想いを伝えることに真摯に向き合っていきたいと思います。

こちらこそいろんなことに気付かせていただきました。本当にありがとうございました。

No.121 - 2006/12/13(Wed) 00:52:54

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / りん [関東]
すみません、もう少しだけ。

 小林さんの、お子さんの話は実感がこもっていて、小林さんのご経験とお子さんへの思いが伝わりました。ただ、「迷っている人がいたら勧める」というところが、実際はまだ経験がないからということを別にしても、つまり出産に関することだけでなくて、私にはできないなぁと思ったりしました。あくまで私の考えとしてお読みください。

 私は、自分の今の道はよかったと思っているし、そう思えた経験があったから、今後もやりたいことがあった時には環境が許されて自分も納得し覚悟できるなら行動したいです。でも、それは自分の経験としての充実感とそこから生まれた今現在の自分の考え方であって、もし同じ問題でも別の問題でも、迷っている人がいたとして、「行動してみればいいんだよ!」と簡単には勧められないなぁと。相手の話を聞いたり、「自分はやってみた。その結果、こう思っている」と一つのケースとして伝えられはするけれど、もちろん色々苦労もしたし、犠牲もあるし、状況や価値観は人それぞれなので、あまり単純にオススメはできません。なんか、私はずっとこのまま気がします。自分が納得いくように行動する(もしくは自分の納得いくようにある行動をしない)ことでいっぱいいっぱい。技術的で原因と結果が結びつきやすいこと(科学や物理的なこと)を「教え」たり、個人的な経験談なら語ることはできますが、それが人の生き方や考え方への教えにはならないかなぁ。宗教や政治を始めるなら別ですけど。
もしも私の行動なりを見て人が何か感じて行動するようなことがあるとしたら、それは私とは切り離されたところでその人の考えと覚悟によって決定されたものだからです。

 また、今回「考えていることを伝えるのは難しいなあ」と再認識したように、人の内面での葛藤や事情は、外から眺めたり少し言葉を交わしただけでは、推し量りきれないものかとも思いました。星野さんに会えたサラリーマンの方の、考え方や今に至る事情や行動も。何とも誰とも比較できないなというのが感想です。

 こうして色々お話させていただいてよかったです(掲示板のスペースをだいぶお借りしましたが)。自分の考え方も少し客観的にみることができました。こちらこそ、ありがとうございます。

No.120 - 2006/12/12(Tue) 20:59:03

責任と覚悟と強い想い / 小林紀子 [四国]
かぜたびさん、りんさん、
コメントありがとうございます。
思いを伝えるために慎重に言葉を選ぶことの難しさを痛感し、自分の未熟さを反省しています。
軽率に書いたつもりないのですが、その時に響いている部分だけを捉えて書くと、一方向の表現になってしまいますね。
かぜたびさんとりんさんが書かれていることは、私ももちろん感じていることですし、伝えたいことでもあります。
実は、その「ホンオト」でも同じような議論がありました。お笑い芸人になりたいという夢を話していた一人の若者に、ある大人の方がそんな心構えじゃダメだみたいなことを強い口調で語っていたんです。
その大人の方は、なぜそれがやりたいのか、お笑いでどういうことを伝えたいのか、それが説明できないのに、ステージに立ったって何をやるんだ、そんなの絶対だめだ!と。
その若者は、自分の想いをうまく言葉にできないぐらい萎縮してしまっていたので、松本さんが口を挟んだのですが、それは、私が前コメントで書いたような表現ではなく、そんな威圧的な言い方をしたら若者が自分の想いを語れなくなってしまいますよ、というような感じでした。やりたいというものがあり、それをとにかくやってみるんだという気持ちにも寄り添いながら語り合うという姿勢を勧めていたのだと。
ここからは、私の意見ですが、
かぜたびさんの言う責任や覚悟は、もちろん必要だと思います。それがなくて思いつきで何かを始めても継続は困難でしょう。
でも、思いつきか本当に魂が突き動かされているのか、本人にも周りにも明確にわかってからでないと、一歩を踏み出せないとしたら、その一歩はとてつもなく重くなってしまう。
私は、そのはじめの一歩が未熟な一歩でも構わないと思っています。ただ、情報や評価に振り回されずに、自分の奥底から湧きあがってくる一歩であって欲しいとは思いますが。
プロセスの中で、なんか違う、うまくいかない、わからなくなった、いろんな葛藤に向き合いもがきながら、本当に自分がやりたいことなのか、自分の本当に伝えたいことは何なのだろうか、やり続けたいことなんだろうか…
自問自答しながら、次の一歩を手繰り寄せていくうちに、見えてくるものもあれば、気付くものもある。
そんなのはプロじゃないよ、とその大人の方は言っていましたけど、確かに責任と覚悟は足りないかもしれません。
それでも、敢えて私が伝えたいことは、一番必要なものは、想いの強さだということです。
それだけでは継続はできないけど、想いの強さがなかったら、足元から崩れていくような気がします。
かぜたびさんは、そんなことは当たり前で、それを継続していくこと難しさについて話していることはわかります。
話は逸れますが、親になることも同じだと思うのです。最初からプロの親なんていないし、プロセスで少しずつ親になっていきます。
子供を持つ責任や覚悟をあまりにも考え過ぎたら、子供を産めなくなってしまう。
産んだら、当然責任や覚悟はかかってきます。その重みに息が詰まりそうになることもありますが、それ以上に驚きや喜びや学びがたくさんある。マニュアル通りにならないからこそ、涙と笑いの試行錯誤で、充実感と生きている実感を味わえるのだと思います。
今、虐待や我が子を殺めてしまう事件が増えていることは、子供を持つ責任や覚悟が足りないからだと言う人もいるかもしれませんが、私はそうは思っていません。
昔の方が、その責任や覚悟が強かったかというわけでもないと思うのです。
巷に溢れる情報との比較による不安や焦り、コミュティの崩壊と競争社会の中での孤立感や閉塞感、マニュアル通りにいかないイライラ…
いろんな原因はあると思います。
それを全てわかった上で子供を持ちなさい、と言われたら、私は3人の子供を持てなかったと思います。
私が子供を育てていくことができているのは、一人一人が産まれてきた時に感じた自分の奥底から湧きあがってくる感動と何があっても守っていきたいという強い想いに支えられているからだと。
節目節目に予想していなかった試練が次々と襲ってきますが、自分ひとりで乗り越えているのではなく、周囲からの助けがあってこそだと。それは人やもの、自然、想いなど、目に見え形のあるものだけではなく、目に見えず形のないものもあります。
そして、何より子供から助けてもらえることが多い。
子供の言葉や行動、その眼差しから教えてもらうことは、未熟な私を少しずつ親に育ててくれています。
だから、私は、子供を産んで良かったと真底思っていますし、もし迷っている人がいるなら、責任や覚悟よりも、まず産んでみることを勧めると思います。
その先のプロセスや結果は、本人が経験することであって、どうなるかは決め付けることはできないし、責任や覚悟を持たないと育てられないという答えも、敢えて言わないと思います。
ただ、プロセスで苦しんでいる人に出会ったら、その苦しみには寄り添って、何がしかアドバイスや助けができればとは思いますが。
私は、ライターとしてはまだ未熟で、伝える力が弱い、足りないということも自覚しています。
ですが、できるだけ、自分の経験からしか零れ落ちる想いを言葉にしていきたいです。
「ホンオト」の最後は、父親役の厳しい意見と母親役の寄り添う意見の両方を聞いて、自分なりに答えを見つけてくださいという感じになりました。
同じ席に、20歳ぐらいの頃に星野さんに会いにアラスカに行って、偶然星野さんの披露宴のビデオを撮る役を頼まれたという、今は記者になっている方もいたのですが、星野さんがその時彼に書いた言葉は、
「自分の好きな道を行きなさい」というシンプルなものだったそうです。
その彼と松本さんは、同じ大学で同じ時に星野さんに憧れ、アラスカに行ったそうですが、同じ松山出身なのに大学時代、それぞれ星野さんを追ってアラスカに行っていることなどお互い全く知らなかったそうです。
それで、実際に会えた彼はサラリーマンになり、会えなかった松本さんがアラスカの写真を撮り続けているというのも、なんかうまく表現できませんけど、そういうものなのかなぁ…と、何故か心にそのことが残りました。

長い文章になってしまいごめんなさい。
かぜたびさんやりんさんの文章を読んで、どうしても書かずにいられなかったという感じです。

拙く未熟な文章ですが、何か伝わるものがあったら幸いです。
かぜたびさん、りんさん、私の伝え足らないところを敢えて書いていただいて、本当にありがとうございました。
心に響く言葉の数々に感謝します。

No.118 - 2006/12/12(Tue) 10:02:39

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / りん [関東]
 確かに安易に言葉・表現を使ってはいけないと思わされました。ちょっとうまくいくかわかりませんが自分がお伝えしたかったことを補足させてください。
 上に書いたように、初めてエッセイを読んだ時、自分と同じ歳の人が自分ができずにいることをしている!と衝撃を受けて、自分もしてみよう、とつき動かされたのは事実なんです。そしてその夏に、行きたいと思っていたけど「遠いし現実的じゃないよな」となんとなく諦めていた土地に行こう決めて、実際に行きました。以来、関係ある道に進むために大学の専攻も変えて・・・と、その時の行動から、自分がやりたいと思いながら諦めていたことに、今チャレンジできているのです。たまに、あの時あの本を手にしなくても、結局自分は今の道に進んでいたかもしれないと思ったりもします。本を手にしたのは「木が旅するってなんだ?」と題名が気になったからだし、まして著者が有名な写真家だとは全く知らず、正直誰でもよかった。でも、エッセイに出てきた19歳の青年は、自分にわきあがる興味に突き動かされて行動しているように、少なくとも、19歳の時の私には映ったのです。行動のための下準備とか問題も、どうにかしてやるんだ、と思えました。単に、似たような願望をいだきつつ行動するためのあと一押しを待っていた時に、それを見つけて飛びついたということだったのかもしれません。でも事実としてきっかけとなった本との出会いには感謝しているんです。今、困難も山のようにあるけれど。
 「あの時行動してよかった」と思うから、それ以降は以前より、「突き動かされるものがあったら、行動してみよう」と思うようになったのも事実です。これは、「星野さんに教えられたこと」という意味ではなくて、「星野さんの本との出会いがきっかけとなって進んでいる今の道で自分が思うようになったこと」です。同様に、最初の私の書き込みの「夢中になるものを見つけたら真摯に続けていくことが大切」いうのは、言うまでもないかもしれませんが、「星野さんがアラスカにかかわり続けたことから教えられた」のではありません。自分が今の道を見つけて以来信じていることです。信じていると体よく言うだけで、たまにくじけそうな時に信じたがってすがっているだけなのかもしれないですけど。でも、続けているうちに「やっぱり続けてよかった」と思う出来事があったのも確かです。
 
 こうやって読み返すと、つい表現の仕方で、自分の思いの出自をごっちゃにしたり、誤解が生まれる書き方になることに気づかされました。そんなつもりはなかったけれど、結果として無責任な書き込みになっていたのかもしれません。ごめんなさい。
 私が今いる道の初め(それだって長い道の途中の一地点ではありますが)には、「突き動かされて行動してみた」という事実があり、その「点」には確実に、読んだエッセイが影響しています。たまたま。でも、その「点」から今日に伸びている「線」は、私自身が岐路に立つ度にそれこそ色々覚悟してきた過程の連続です。覚悟にあたっては、「続けたい」という思いを大切にしたいけれど、それだけでは到底無理で、現実問題(お金とか健康とか人間関係とか)も考えて自分の責任だと思ってやってます(だから、結婚したり子どもができたり人間関係が変わったらまた覚悟や責任も変わるでしょうし、それはわからないです)。少なくとも今、覚悟や責任をかけて進んでいる道は、思いを抑えて別の道を進んでいた一時期よりもずっと充実感があるんです。というか、覚悟や責任をかけているからこそ充実感があるということなのでしょうか?そして、「こうやりたい」という思いがあった時、そう思ってもできない人もいるということを考えると、これまでに行動できた経験がある自分はありがたいと思うのです。国が戦時下になかったとか、食べ物にはすぐ困らないとか、教育を受けてきたとか、そういう環境のことです。
 長々くどくどとごめんなさい。「思いを伝えるのって難しい」というメッセージだけは伝わったとか・・

No.117 - 2006/12/12(Tue) 02:28:37

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / かぜたび
 敢えて書かせていただきます。
 テレビ番組での星野道夫さんの取り上げ方もそうなんですが、「自分がやりたい!と感じたことを信じて、失敗を恐れずに、その時にその想いを行動に移す、思い切って一歩踏み出すことが大切だ!」という類の今日的なヒューマンメッセージのネタにされているところが、私は気になるのです。
 星野さんの作品からは、自分がやりたいとか、やりたくないとかではなく、また人からそれが大事だからと言われたからそうするとかしないではなく、宿業としてそうせざるを得なかった人間の深い孤独や、心中の揺れ動きが滲み出ているし、それがあるからこそ、自分の想いと行動の狭間にいて苦しんでいる人たちに勇気を与えるのだと思います。
 星野さんは、「思いきって一歩を踏み出すことが大切だ!」という類のスローガンじみたことは言わず、もっと慎重に言葉を選ぶと思います。
 星野さんは、多くの若者に、自分と同じような人生を決してイージーに奨励できなかったでしょう。自分の想いを行動に移すというのは、とてつもない覚悟と責任が必要であり、その覚悟や責任のない一歩こそに大きな問題であると彼は知り尽くしていたし、その上で慎重に行動していた筈です。
 一時の「勇気」よりも、持続的な「覚悟」を持つことの方が大変で、エネルギーがいる。
 自分が想っていることを行動に移して継続していくことの本当の厳しさを知っている人は、自分で自分の道を拓いていこうとしている人に対して、GOOD LUCKとしか言えないだろうと思うのです。
  

No.116 - 2006/12/11(Mon) 19:16:54

出会いって不思議な縁ですね / 小林紀子 [四国]
そうだったんですか。
ごめんなさいね。
憶測で書いてしまって。

エッセイに書かれてた19歳の星野さんの行動力に、19歳のりんさんが突き動かされる…
素敵な出会いですね。

出会いって、そんな風に、ふいに訪れるものだと思います。
もちろん、何年も待ち焦がれて…というのもあるかもしれませんが。

きっと、ベストのタイミングで必然に起こるもの。
ただ、それに気付かなかったり、感じなかったり、反応しなかったり…という人も多いですね。

風の旅人も1年ほど前に、よく行く映画館に置いてあったものをふと手にとったのが出会いでした。
こんな雑誌があったのかと衝撃を受けて、
魂が疼くような感動を覚えて、すぐに全てのバックナンバーを取り寄せました。
出会ったその日にネットで申し込んだことを今でも覚えています。

ふいに出会ったものでも、自分の魂がずっと探していた…という感じることがあります。

もっと早く知っていたら…とも思いましたが、
少し前に、星野さんの作品や、村上和雄さんの本を読んだりして、同じ匂いのするものを呼び寄せる波長になっていたのかもしれません。
だから、出会うのが早い遅いということでもなければ、知っていることが多い少ないでもなく、全てはベストのタイミングの出会っていくものだと。
呼応のエネルギーって凄いんだなぁと思います。
目に見えないものだから、証明はできませんけど、そんな風に感じる感性を大切にしたいです。

松本さんのことも、少し言葉足らずになってしまいましたね。
私が彼に会ったのは、地元の大人と大学生が本気で本音で語り合う「ホンオト」という会の懇親会で、
彼は、自分のエピソードの表面的なことではなく、「自分がやりたい!と感じたことを信じて、失敗を恐れずに、その時にその想いを行動に移す、思い切って一歩踏み出すことが大切だ」と若者に語っていました。
今の若い人の中には、情報が溢れていたり簡単に手に入れることができるために、自分が動く前に調べつくして、結果や周りからの評価で判断してしまう人が多いんですよね。
人生はパーセンテージじゃない、もし今まで100%失敗の例があったって、それは今までのやり方でのことであって、最初の成功例になるかもしれない。
そもそも、人生は成功とか失敗で決まるものでもなく、
りんさんがおっしゃるように、そのプロセスの中で得るものが生きている実感に繋がって、その連なりが人生なんだと思います。

風が止んだなぁ…とか、風通しが悪くなったと、
感じることもあります。
自分に原因があることもあるけれど、何か違和感を感じてうまくいかなくなる…みたいな。
でも、ものごとには潮の満ちひきのように、寄せたりかえしたりというリズムがあるような気もしています。
遠ざかったと思っても、諦めずに心の中で想い続けていたら、また戻ってくる。
ただ、やっぱりアンテナを張って、いつでも反応できる状態でいることは大切ですよね。
そして、風を吹き始めたと感じたら、その風にのってすぐに動けるように。

りんさんの進んでいる道が何なのかはわからなくても、生きている実感があることは本当に素敵なことだと思います。
心の中でだけですけど、応援しています。

No.115 - 2006/12/11(Mon) 16:18:28

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / りん [関東]
★ お返事ありがとうございます / りん ♀ [関東]

 私の星野道夫さんとの出会いは、実は写真ではなく、ましてや彼が急逝したことなど全く知らず、文章の美しさに気づいたのも後々のことで、ただただ、ふと図書館で手にしたエッセイ『旅をする木』に書かれた、19歳の星野さんの行動力に衝撃を受けたのでした。当時、これ又たまたま私も19歳で、「同い年の人が、一枚の写真に突き動かされて知らない土地に飛び込んでる!」とびっくり仰天したのでした。
 それから「そっか、行動してみよう!」と単純に後押しされて、「これだ!」と思ったらとにかく失敗してもやってみてます。そうすると、小林さんもおっしゃっているように、プロセスにおいて、得ることがたくさんあるのです。何よりも、生きている実感があります。
 この前の書き込みの「進んでいる道は星野さんの影響を受けている」というのは、別に写真ともアラスカとも全然関係ない道なのですが、星野さんを知って以来、とにかくつき動かされたものに従って進んでいるのが今の状態だ、という意味です。
 やってみよう、と思った時に実行できている環境に感謝して、これからもできる限り行動し続けたいと思っています。


No.113 - 2006/12/10(Sun) 00:59:11

(No Subject) / 小林紀子
りんさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

かぜたびさんによると、星野道夫さんに影響されて…という方は多いみたいですね。
私は松山在住ということもあって、地元出身の写真家を応援したいという気持ちももちろんあります。

星野さんの衝撃的な死のエピソードは、確かに彼の知名度を上げたかもしれませんが、私は最初は全くそんなエピソードは知らなくて、先入観なしに純粋に作品を見れたことが良かったと思っています。
そして、今でもなお、彼の写真や言葉は色褪せていない、むしろ時代が求めているもののような気がします。
人の心に響くというのは、彼の想いや眼差しに波長が合っているということではないでしょうか。
さまざまな写真や言葉があり、何に響くかは人それぞれでもあり、自分にとってもいつも同じではなく、その時どき、心の状態によって変わったりします。

一方で、一貫してずっと響き続けているものもあり、
それが星野さんが本当に伝え続けようとした想いであり、
アラスカの自然が語りかけ続けているものであり、
星野さんと自分の繋がりのようなものではないかと思っています。

大量生産で消費されるような軽さや媚とは全く違う、
深くて広く、ひとつひとつに重みがあるけれど、
決して押し付けがましく無く、自己顕示もない…
それでいて、厳しい状況で撮られたもの、孤独な呟きでありながら、とても暖かく感じます。
あるがままの自然と零れ落ちていく言葉という印象です。

何が自分の魂を揺さぶっているのか、
たとえそれがすぐにはわからなくても、
模索しながら、もがきながら、探している、
その過程で表現されていくものもあると思います。
完成度は高くない未熟なものでも、
必死で追い求め、伝えようとする真摯な姿勢は、
いろんな人の心の中で、いろんな形で、珠玉のように輝いて残るのではないでしょうか。

人は、結果だけではなく、そのプロセスで生まれたものや背後に流れている時間や想いに感動したり、響き合ったり、呼応したりするものでもあると思います。

大切なことは、五感にふれるものを自分の内奥にどれだけ手繰り寄せているか、
その内奥から湧き上がってくるものを表現していこうとする切なる想いと、それを続けられる強さじゃないかな…と思います。
夢中になれるもの、そのために自分の全てを注げたらいいですけど、
今、この瞬間にできることを続けていく、
決して諦めなければ、いつかは叶いますね。
そう、信じる強さを持ち続けて生きて逝きたいと思います。
終わりのない旅ですね。

No.111 - 2006/12/09(Sat) 10:00:13

Re: アラスカを撮る写真家 松本紀生氏 / りん [関東]
私も、今進んでいる道は星野道夫さんの影響をとっても受けているのですが、松本さんのことは知りませんでした。
ウェブサイトも拝見しましたが、ホームの写真も、しーんとした感じの中に人のいるあたたかさがあっていいですね。教えていただいてありがとうございます。
夢中になるものを見つけたら真摯に続けていくことが大切だと、初心を思い出させられた気がします。

No.109 - 2006/12/08(Fri) 21:06:17
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