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-----風の旅人 掲示板-----

「風の旅人」と呼応すると思われる「質的な情報」を、読者の方々から発信していただけないものかと思っています。
自分の琴線に触れるもので、それが、「風の旅人」のなかを流れている風と何となく類似しているのではないかと感じるもの。
そうしたものを教えていただき、共有できれば嬉しいです。
例えば、ギャラリー、映画、本、旅先の風景、真心が感じられるお店、心和む場所、時流に流されない物等々・・・。
何でもいいのですが、世間の評価とは関係なく、味わいとか気配とか手触りとか、肌感覚を大事にしたものごと・・・。
どこかうさんくさい情報の洪水の中で、質の良い空気みたいなものは掻き消されてしまう。
だから、そういうものの密度を何とか濃くしていきたいです。



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森博嗣さん / sato [関東]
皆様始めまして。初めて書き込みをさせていただきます

「風の旅人」の編集長佐伯さんのブログを読みました。
いろいろ考えさせられ、非常に勉強になります。
佐伯さんのブログを読んでいて感じたことなのですが
物事に対する考え方が作家の森博嗣さんという方と
似ているな、と思いました。
僕は田口ランディさんが好きで田口さんの本を読むの
ですが、田口さんの考え方にも同じ事を感じます。
うまく言えないのですが、世間に流されずに
自分なりに物事を突き詰めて考えていて、自分が
正しい、とか自分が正義だ、という考えを持って
ない人達という感じです。考え方の根っこみたいな
ものが似ている気がします。

森博嗣さんは今、MORI LOG ACADEMY
というブログで日記を書いています。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/index.php
上がそのアドレスです。

森博嗣さんは「自分」というものを持っている人だと
思います。「自分」を持っている人の生き方、考え方
からは学ぶ事が多くあって僕自身、森博嗣さんからい
ろんな事を学ぶ事ができたと思います。

皆様にも森博嗣さんの存在を知っていただきたくて
書き込みをさせていただきました。森博嗣さんの
ブログを読んでみてはいかがでしょうか?
森博嗣さん独自の考え方はとてもおもしろいもの
だと思います。

長々と拙い文章ですみません。

No.95 - 2006/10/04(Wed) 22:09:12
昔ばなし / ドアをノックするのは誰だ?
はじめて書き込ませていただきます。

『風の旅人』や編集長のブログを読むと、村の大おばばが話す「せかいのほんとうのおはなし」を聞いているような気になってきます。
(残念ながら、私自身は祖母からすら昔話を聞いた経験はないのですが)

口承文芸学者小澤俊夫氏のご子息である小沢健二さんが「子どもと昔話」に連載している「うさぎ!」も、同じものを感じるので、書き込ませていただきました。
第一話が、ご本人のサイトで読めるようになっているので、是非ご覧ください。http://ecologyofeverydaylife.org/usagi/index.html

No.68 - 2006/07/28(Fri) 22:58:04

Re: 昔ばなし / ドアをノックするのは誰だ?
佐伯様、お返事ありがとうございました。
一番目の佐伯様の書き込みにとても考えさせられ、書き込みが遅くなってしまいました。

「灰色を作り出し太らせているものが、それ以外の一人一人の思考特性とか行動特性のなかにある」と名文化していただいたことで、自分を含めて色々な問題について考えている人がたくさんいるのに現状がなかなか変わっていかないのは、話が灰色をやっつけるには、という方向にいってしまうため、自分の問題として考えれてないからだと気付きました。

今自分が持つ思考特性に固執していては「目に見えないもの」を感じ、行動にまで反映できないとは思うのですが、どうしても今の自分を保ちたくて(頭では保ちたいと思っているわけではないと思うのに)ブレーキを踏んでしまっている気がします。
「力を抜いて」と言われれば言われるほど固くなってしまうけれど、全然関係のないことを考えていれば自然と力が抜けるように、直接的的な言葉ではなく、『風の旅人』を含めた芸術作品や、森の中などで自然に触れることが、思考特性を変化させる道なのかもしれません。

佐伯様の書き込みによって、自分を変えるヒントをいただいた気がします。
ありがとうございました。

No.92 - 2006/09/09(Sat) 16:22:15

Re: 昔ばなし / 風の旅人 佐伯
 葉っぱさん、私も目に見えないものを信じる傾向を持ち合わせていて、でもブレーキを踏まなければならないほど過剰ではなく、目に見えるものによって、その目に見えないものを確認することも多いですね。
 写真を含めた映像には、そのように目に見えるものによって、目に見えないものを確認させる力を持つものがありますね、そんなに多くはないですけど。。もちろん、記号論的な文章ではなく、心をこめて書かれた文章も、目に見えるものを通して、目に見えないものの力を啓示しますが。
 ソクーロフという映像作家も、小栗康平監督も、そういう人であり、深く尊敬しています。
 目に見えるものが大事が、目に見えないものが大事か、ではなく、「目に見える」、「目に見えない」、で分別されて捨て去られていく曖昧なところにこそ、大事なことがいっぱい詰まっている。それを知らず知らず自分で切り捨てているから、空虚なのだと私は思うのです。
 その曖昧な襞のところの微妙な味わいとか、奥深さと付き合っていると、空虚など感じる暇はないですから。
 ソクーロフと前田さんの対話など、空虚の付け込む隙がないですね。

No.76 - 2006/08/01(Tue) 11:06:46

Re: 魂の声、物質の夢 / 葉っぱ64 [近畿]
わかりました(笑)。
目に見えないものを信じる傾向は、むしろ、過剰に持ち合わせているので、上手にブレーキを踏んで目に見えるものを確認しながら、暮らしの運転を心がけて行こうと思います。かぜたびさん推薦の前田英樹×ソクーロフ著『ソクーロフとの対話ー魂の声、物質の夢ー』(河出書房新社)を読み始めましたが、本書は目に見える映像を通して「目に見えない映像」を語ろうとしているスリリングな本ですね、

No.75 - 2006/08/01(Tue) 09:50:25

Re: 昔ばなし / 佐伯剛
 葉っぱさん、私は「空虚」をやっつけるとも、埋めるとも描いていませんよ。
 「空虚」の原因をやっつけるのです。
 そして、それは目に見えるものしか信じない思考だと思うのです。そこのところが変われば、空虚が埋まるのではなく、空虚は空虚でなくなるのです。同時に、物と交感価値を持つ「お金」の価値も相対的に下がるのです。
 他の諸々の虚栄も、必要なくなるのです。
 

No.74 - 2006/08/01(Tue) 01:22:10

Re: 昔ばなし / 葉っぱ64 [近畿]
>お金が欲しいからではなく、「空虚」だからでしょう。

僕は「空虚」を埋める、やっつけるという作業でなく、
「空虚」そのものを愉しむ回路について時々考えます。
でもそれはある種、記憶喪失を生む。歴史そのものと対峙する耐性がなくなる。
「昔ばなし」を読んでわかりやすい世界(歴史)解釈に、でもそれで、いいのか、歴史が加害者/被害者の二項対立でしか、記述できないのなら、僕は「空虚」を主意主義として選択してやれという誘惑にかられる時があります。どちらにしろ、「空虚」については風の旅人さんとは違う文脈で考えて見たいという思いがあります。
>月人さん、「モモ」は読んで贈りたくなる本ですね、
「映画」にもなっています。僕はエンデの『はてしない物語』をもう青年だったのに、興奮して読んだ記憶があります。

No.73 - 2006/07/31(Mon) 11:29:57

Re: 昔ばなし / 月人 [北海道]
ドアをノックするのは誰だ?さんがご紹介されたものをまだ読んでいないのにコメントを書いてすみません。
佐伯さんのコメントを読みながら、友人に薦められて最近読んだミヒャエル・エンデの「モモ」を思い浮かべました。
「児童文学」というジャンルにはなっているようですが、むしろ大人たちに読んで欲しいなぁ、という感想でした。
もちろん、自分も身につまされるところ多々あり、ということで。。。
この作品、私が生まれて間もない1973年に発表されている、というのがまた大きな驚きでした。

No.72 - 2006/07/30(Sun) 21:51:55

Re: 昔ばなし / 佐伯剛
 ドアをノックするのは誰だ?さん、はじめまして、ご紹介ありがとうございます。早速読みました。
 最後までないのが残念ですが、私は、この物語の「灰色」のような悪いヤツが独立した存在としていると思っていなくて、この灰色を作り出し太らせているものが、それ以外の一人一人の思考特性とか行動特性のなかにあるという考えですね。だから、灰色を攻撃して倒しても、私たち一人一人の思考特性や行動特性が変わらなければ、また別の灰色が現れると思っています。
 その思考特性というのは、「お金」への執着など単純なことではないと思うのです。
 お金を増やすことだけを目的化するのは、お金が欲しいからではなく、「空虚」だからでしょう。
 その「空虚」は、灰色も、それ以外の者も持っている。その「空虚」の原因をやっつけなくては、灰色は次々と形を変えて現れる。
 この「空虚」にはいろいろな理由があると思いますが、一番大きなものは、「目に見えるものしか信用しない」思考の癖ではないでしょうか。
 だから、豊かさと貧しさの基準もそれに基づいたものになる。
 「目に見えないものの価値」に過半数以上の人が気づき、それを優先させると、自然と灰色は消滅するような気がします。

No.70 - 2006/07/30(Sun) 00:28:19
裂織 / 佐伯剛
「裂織」という織物に感動しました。

 →http://www.sakiori.com/

 感想はこちらに書きました。
 →http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20060826

No.84 - 2006/08/27(Sun) 00:23:10
初めて読みました! / けいろく [関東]
 スタッフが持参した雑誌を「何だろう?」と思いつつパラパラ・・・と。
自分が普段思っている「心のこと、大地のこと,世界の人心のこと、進化や退行のこと、その他諸々、単なる解説本でも、写真誌でも、特定の流行や思想の化態でもなく・・・、どう表現したらいいかわかりませんが、
読みやすくて、空虚な気分にならない、とてもいい雑誌だと思いました。早速、店へ持参してお客さんにも読んでもらいたいと思いました。

No.78 - 2006/08/18(Fri) 14:41:49
江戸絵画展 / 佐伯剛
 東京上野の国立博物館で開催されている江戸絵画の展覧会は、とてもよかったです。感想は、こちらに書きました。 http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/20060717/1153145056
No.66 - 2006/07/17(Mon) 23:38:13

Re: 江戸絵画展→若沖 / 葉っぱ64 [近畿]
伊藤若沖でしたら、相国寺(http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/index.html)にお寄り下さい。今出川の同志社に隣接しています。広大な敷地で交通のアクセスも至便です。その敷地内にある承天閣美術館(http://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/index.html)には「伊藤若沖の芭蕉図と葡萄図(障壁画)」が常設されています。増改築で一年も休館でしたが、7月15日(土)に改装オープンしたのです。若沖縁のお寺ですので、改装記念展示として来年の2007年5月13日(日)から、翌月3日(日)まで「若冲・動植綵絵展」が開催されます。楽しみですね。
No.67 - 2006/07/18(Tue) 09:21:07
プージェー / 佐伯剛
 ポレポレ東中野でやっている「プージェー」は、よかった。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6933

 関野吉晴さんと、モンゴルの少女の触れあいをドキュメントで追っているのだが、「事実」を通した「現実」の伝え方が、ひしひしと心に迫ってくる。感情を盛り上げるための効果音楽をいっさい使わず、自然の音と肉声だけというのが、またよかった。ドキュメント映画などのクライマックスで、作り手がこれみよがしに流す音楽が、映画の時間と質を壊してしまうことがよくある。心の機微、感情などを、音楽で作り上げていこうとするのは、映画づくりで一番安易な方法だと思うけれど、「プージェー」は、音楽がないからこそ、内面の機微が、震えとなって伝わってきた。

今回、偶然、関野さんが来ていて、映画が始まる前に少しだけ関野さんの説明があった。その時、関野さんは、この映画の粗筋を話してしまい、プージェーが死んでしまうことも、「言っておいた方がいいでしょう」と前置きして言ってしまった。それを聞いた時、「えっ、なんで敢えて言うのかなあ!」とも思ったが、映画を見終わって、薄っぺらい小説のように、ストーリーの展開とか、結末なんて関係ないのだ、プロセスこそが大事なのだ、というメッセージだったのかなあと思った。
 プージェーに限らず、人は誰でも死ぬ。それが早いか遅いか。結末でヒーローが生き残ってほっと安堵したり、死んでしまって、そのことだけを切なく感じても仕方ない。切なさも、愛しさも、結末ではなく、生のプロセスの全てに向けられるものだろう。人間と人間の関係、人間と動物をはじめ森羅万象との関係のなかで顕れてくる一つ一つの表情や仕草などのディティールが、生きることの真実を顕わにしている。
 フィクションではなく、ドキュメントが持つリアリティが、そのことをより明確に伝えている。

No.58 - 2006/06/18(Sun) 21:25:35

Re: プージェー / 梅吉 [地球外]
虚構であるがゆえに、感傷という味付けが必要になり、その感傷がしばし私たちを“厳しい現実”の外へと導きだし開放してくれる。そして、喩え一時であろうとも夢の世界に浸って、また厳しい現実へと戻っていけると思うのです。
でも“素材”が素晴らしいものは、その素材から生まれる“現実の妙味”を噛みしめることにより、虚構では到底得られない、より強く深い感動をもたらし、明日への強い意思や決意に繋がっていくのではないでしょうか。そんな作品には、余計な味付けは必要ない。
私にとってはどちらも必要。時に客観的、時に主観的、時に抽象的に物事を乗り切らなければ人は生きてはいけないと…誰かが言っていました。
遠方の為、この映画が観られないのが残念です。

No.62 - 2006/07/06(Thu) 16:32:06

Re: プージェー / 金のワニ
私は今日、ようやくプージェー見に行きました。
ドキュメンタリーには逃げ道がないから、BGMが見合わないように感じてしまうんだと思います。完成されているものに、何か付け加えてしまうのは「映画」だからなんでしょうか。それとも「感傷」でしょうか。「プージェー」があれだけ好評なのも、現実以上の感傷を、現実以上のもので表していないからなんじゃないかと思います
自分の中に生まれる、ある時には無意識なフィクション性(想像力とも言いますが)が感傷を生むなら、作品にあるノンフィクションによる、重々しく痛烈な感動に、帰りの電車の時、家に帰った後、布団に入った後、あるいはもっと先の話かもしれませんが、いずれにせよ後々に、足元をすくわれた感覚にさせられるんだと思います。あくまで私の感覚、と言ってはそれまでなんですが。
私は今日「プージェー」にしっかり足元をすくわれてしまいました。

No.61 - 2006/07/03(Mon) 23:28:21

Re: プージェー / オーディオ初心者
今日(もう昨日ですね)、見てきました。
最後の場面で後ろから「えっ!」という誰かの驚く声が聞こえたとき、プージェーが死んでしまうことを先に知っていて良かったと感じました。

No.59 - 2006/06/25(Sun) 03:10:54
書の心 / 小林紀子 [四国]
風の旅人20号での写真と書とのコラボは面白い試みであったように思います。
写真ではありませんが、書の心に通じるということで、
「ほっとする禅語」(二玄社)という本のことを紹介します。(割と知られている本かもしれませんが)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031097184&Action_id=121&Sza_id=A0&Rec_id=1010&Rec_lg=101009
この本の書道家、石飛博光氏の書を見たときに、書の力というものは凄いなと感じました。
禅語の深い心と書の深い表現が繋がって、呼応しています。
現代に合ったわかりやすくユニークな解説もついていて、深いけれど読みやすい本です。

日本には素晴らしい文化がありますね。
巻末の言葉にも共感するものがあります。

ことばと書
人と書
切りはなすことのできない
つながりを感じながら書きました
奥深い心の襞(ひだ)を味わうことは
何にも変えることのできない至福の時
先達たちの心にふれることの喜びを
分ちあいたいと思います

石飛博光
http://www.shodo.co.jp/~ishitobi/

No.57 - 2006/06/18(Sun) 12:24:00
ケートコルヴィッツ版画展 / タクシー [関東]
6・11(日)までの会期なのでこの週末だけのためのインフォメーションになってしまいますが、町田市の国際版画美術館での「ケートコルヴィッツ版画展」は、あまり日本ではなじみのない作家だけに一見の価値があると思い、紹介させていただきます。

町田市国際版画美術館のサイト↓
http://www.city.machida.tokyo.jp/event/shisetsubetsu/hanga/kikakuten/kikakuten03/index.html

ケートコルヴィッツは、晩年、ナチスにより退廃美術の烙印を押された中でも、積極的な創作活動をつづけたことから、反戦、反ナチスの女流芸術家として知られています。
しかし、実際に彼女を作品を見た僕個人の感想では、反戦などと言った社会的なメッセージよりも、人間としてそして母としての表現活動への純粋なエゴスティックなまでの欲求を貫いた作家であったのではないかと強く感じました。
特に版画連作「死」では、彼女の人生を通した創作テーマである、死を擬人化した表現の中で、死を恐れとしての対象だけではなく、優しい「死」、柔らかい「死」、包み込まれるような「死」、ピエタと言っても、聖母ではなく、「死」自体に抱きかかえられるような、超越した寛容のようなものを感じました。
また、遺作である「種を粉にひいてはならない」という母親が子供たちを身の中に守り包む版画は、紹介文にある平和へのメッセージなどと言う社会的な表現と言うより、母として次世代を担う子への根源的な欲求を感じ、まだ子のいない私には、理解は出来ても経験できぬ強い衝動のようなものを受け取りました。

モノクロームの版画の世界は、なかなか一般的に紹介されることがないので、町田市の試みは版画専門の美術館と言う存在自体が非常にチャレンジングですが、力の入った展示が多く感心します。
郊外の美術館と言うこともあって、都内の企画展よりゆっくりと静かに鑑賞することが出来るのも魅力の一つです。

No.56 - 2006/06/09(Fri) 02:49:48
こんにちは  / 風の旅人初心者 
昨日、一昨日と不躾なメールをお送りした者です。

5/11の「編集便り」を拝見して音楽も同じだと思いました。
音楽業界ではコンプレッサーを必要以上にかけて音圧を高くするのが主流です。所謂「ドンシャリ」です。「ドンシャリ」な音は、ラジオやミニコンポで聴いたとき、MP3などの圧縮音源にしたときに、より目立つようにというのがエスカレートしたなれの果てで、音楽の立体感、空気感は二の次の薄っぺらな音がします。音楽を作るほうも最初からミニコンポに合わせた音作りをするため「ドンシャリ」だからこそ辛うじて聴ける(けどすぐ飽きる)音楽が世の中に氾濫しています。
それに対して、立体感、空気感を大切にした音楽(録音やマスタリングも含めて)は、「ドンシャリ」を聴きなれた耳には地味に感じるらしいですが、私にはBGMとして聴き流すことを許してくれず、オーディオの真正面に座って真剣に向き合うことになります。そして、それこそ「こんな音楽を聴かせていただけるなんて有り難い」と手を合わせたくなるような感動を与えてくれます。
「風の旅人」9号を拝見させていただきました。白川静さんの文章には、そのような音楽を聴いたときと似たような気持ちが湧いてきました。

佐伯様が「編集便り」に書かれたことは、私が音楽に感じていたモヤモヤを晴らす糸口になるような気がします。繰り返し聴く気になれない消費されるだけの音楽はWeb配信等へシフトして、良いものだけがオーディオ媒体に残って行くのかもしれませんね。

そんな私が、今、心待ちにしているCDは6/7発売のサンタナ『ロータスの伝説』2006年リマスタリング盤です。実はサンタナさんの音楽は聴いたことないのですが、読む前から「風の旅人」に感じたのと同じ直感で予約しました。まだ聴いていない不確実情報で申し訳ありません…、
ちゃんとこの耳で聴いて「アリガタヤ〜」と思ったのは、ジョアン・ジルベルト『ジョアン 声とギター』です。

No.10 - 2006/05/15(Mon) 22:58:44

Re: こんにちは  / オーディオ初心者
「風の旅人初心者」改め「オーディオ初心者」です。
tkzさん、情報をありがとうございました。私は、インターナショナルオーディオショーなどで色々なシステムを聴いてまわるのが大好きですので、ご紹介いただいたスピーカーもどこかで見つけて聴いてみたいです。

こちらの掲示板は、『「風の旅人」のなかを流れている風と何となく類似しているもの』を紹介するところですので、私も有り難いと思えるという共通点で所有のオーディオ製品をひとつ挙げさせていただきます。
STAX社のイヤースピーカーです。(http://www.stax.co.jp/)
高いですし湿気と埃に弱いという欠点もありますが、これで聴いたときの驚きと幸せな気持ちが忘れられず、昨年買ってしまいました。現在、聴かないときはカメラのようにシリカゲルが入った箱にしまってあります。

No.55 - 2006/06/09(Fri) 00:47:38

Re: こんにちは  / tkz
 はじめましてオーディオに付いて書かれていますので御存知かも知れませんが無償の口コミです。
但し、音楽も何事も好みもありますからあくまでも参考にです。

一度自分の耳で、ココロで聴いて見て下さい。技術て進んでいるの?
を体感して下さい。

その再生装置は実に音に色付けを一切していない装置です。
マサに装置に音の特長が出ない装置です。(大方のメーカはこれを嫌います。)
ええーーと思われるかも知れませんが、本来そうでしょう。

メーカの宣伝文句『我が社は音源を100%再生』ですね。
でも聴けば其のメーカ独特の味付けが聴け直ぐにどのメーカかわかると言う事。

様は逆にメーカ色を気に入って貰う戦略がだいたいの流れなんです。それは当然嗜好ですからそれで良い事なんですが。

これに全く逆の発想で全く味付けのない様に作られた装置で実は大変驚いたのです。
すべてが逆なんです。音の違いはマサに音源の違いその物
録音の状態迄もわかる再生装置。
そこには
理想の音響再生装置の存在が消える装置です。

アコーステックな楽器ではマサに生演奏に実に近い音像が再生されます。一度聴いて見て下さい。http://www.timedomain.co.jp/
音の再生装置ではなく、音楽の再生装置です。

それを越え、これは思考のマサに逆転の発想装置でした。

これで、未だ技術は進んでいないを実感しました。
実は、オーディオは現在は又30年前に逆戻りを感じています。

イロイロあるんで良いんですが、これも一つの、あくまでも参考です。

タカが音楽の再生装置でもそこには現在でも
越える事の出来ないトンでもない壁が存在します。
未だ100年前と変わっていないんです。マダマダこれからですね。
それを、さも全てわかったと、、、希望がない?でしょうか?
マダマダこれからですね。

観て聴いて欲しいのは、思考を変えるだけで。まだこんな事が出来るを体感して観て下さい。それだけで十分でしょう。
特に未来を作る子供にこそ聴いて欲しい。驚いて欲しい。

No.53 - 2006/06/05(Mon) 23:30:07

Re: こんにちは  / KAZETABI
 音楽に関して思い出しました。
 下北沢にワンラブブックスというユニークな書店があります。→http://camomile.main.jp/shupi/odakyu/bs_shimokita_s.htm

 小さな書店ですが、「風の旅人」をすごくたくさん売ってくれています。
 その二軒くらい隣に骨董屋さんがありますが、ここに置いてある古い蓄音機を聞かせていただいたことがあります。パブロ・カザルスのバッハなどを聴いた時は、たまげました。
 それ以来、CDの音楽がシャンシャンと聞こえてしまい、向き合って聴けなくなり、BGMにしかなりません。
 技術進化で音の質も進化しているとかってに信じていましたけれど、おそろしく退化していると知って、愕然としました。
 その時の感動を、去年の10/28の編集便りに書いています。→http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/searchdiary?word=%C3%DF%B2%BB%B5%A1&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail

No.13 - 2006/05/15(Mon) 23:06:45

Re: こんにちは  / KAZETABI
<<繰り返し聴く気になれない消費されるだけの音楽はWeb配信等へシフトして、良いものだけがオーディオ媒体に残って行くのかもしれませんね。

 葉っぱさんが書いているグーグル検索によって、書籍もまたそうなると思います。情報提供やハウツーにすぎない本は、グーグルが公開する無料のページでチェックすればすむこと。情報を得るだけでなく、文に魅了されて、それ以上読みたいものだけを購入するという風になるのではないでしょうか。

No.12 - 2006/05/15(Mon) 23:06:14
活字の母型 / 葉っぱ64 [近畿]
ブックマークしている方のブログにリンクされていたのですが、もう名刺なんて必要もない僕でも作りたくなりますね。
<a href="http://mods.mods.jp/blog/archives/000911.html">『kai−wai散策さんの中村活字で名刺を』</a>で、活字の母型の写真を拝見すると手触感があってなんともいい感じです。
僕のブログよりここの掲示板に相応しいと思い、僕のところに書き込みしないで、こちらにしました。

No.54 - 2006/06/08(Thu) 18:39:40
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