00066190

-----風の旅人 掲示板-----

「風の旅人」と呼応すると思われる「質的な情報」を、読者の方々から発信していただけないものかと思っています。
自分の琴線に触れるもので、それが、「風の旅人」のなかを流れている風と何となく類似しているのではないかと感じるもの。
そうしたものを教えていただき、共有できれば嬉しいです。
例えば、ギャラリー、映画、本、旅先の風景、真心が感じられるお店、心和む場所、時流に流されない物等々・・・。
何でもいいのですが、世間の評価とは関係なく、味わいとか気配とか手触りとか、肌感覚を大事にしたものごと・・・。
どこかうさんくさい情報の洪水の中で、質の良い空気みたいなものは掻き消されてしまう。
だから、そういうものの密度を何とか濃くしていきたいです。



HOME | お知らせ(3/8) | 記事検索 | 携帯用URL | フィード | ヘルプ | 環境設定
はじめまして / トリイ [中国]
いつも楽しく拝読させてもらっています。特に佐伯さんのブログ記事を読むたび、いつも何か叱咤激励をされているような気分になり、仕事でやりきれない時はこのブログを読んで、また明日も頑張るかと、モチベーションを上げるきっかけにさせてもらっています。佐伯さんの言葉はすっと素直に心の中に響きます。
私はいま写真の仕事をしていますが、写真を始めた頃と比べ、だんだんと写真を撮る言葉や理由が多くなりました。仕事ではお客様のイメージに少しでもより近づけるよう、一つ一つ言葉を詰めながら努力をしますが、癖になってきたのか、プライベートの写真でもそういった感じで無意識のうちに撮影しています。言葉も無ければ技術的にも未熟だったけど、昔のほうが素直に被写体を感じることができてたなと、今振り返るとそう思います。単にいいなと感覚的ではなく、自分の写真を理解してもらう為の、必要最低限の言葉がほしいだけで、写真を見てもらった時に、相手の心の中にすっと響く写真。私は佐伯さんのブログや風の旅人の写真を見る度に、まだまだこの域に到達するには時間がかかるだろうなとため息が出てしまいますが、七転び八起きを繰り返して頑張るしかありませんね。いつもありがとうございます。これからも風の旅人、ブログ、楽しみにしています。失礼します。

No.52 - 2006/06/05(Mon) 22:01:22
(No Subject) / 佐伯剛
 6月1日に発行された「風の旅人」は、書道家の御園平氏とのコラボレーションです。写真からのインスピレーションを得て創造された「書」が幾つか掲載されています。
 実際に、この仕事を通じて創造された「書」は、膨大な数で(千本ノックのように千枚描かれたと聞きました)、雑誌には、そのなかのほんの一部を掲載しただけです。それ以外の素晴らしい書作品から厳選したものの展覧会が、銀座のギャラリーで行われます。その書作品にインスピレーションを与えた写真ということで、「風の旅人」に掲載される写真も何点か展示されます。
 ギャラリーNAGO→http://gallery-nago.com/

「風の旅人」の空気と「書」の空気が呼応することで、互いに力を得る。そうした新しい試みです。

No.51 - 2006/06/03(Sat) 13:10:40
廃墟ビル再生プロジェクト / 小林紀子 [四国]
四国愛媛県松山市に在住の小林と申します。
ライターの他、イベントやまちづくりにも携わって、いろいろと活動をしている者です。
コニーズアイの小西様の空間の価値についてのコンセプト、私も素晴らしいと思います。
私も、廃墟ビルの空間を使って何かできないかという可能性を模索するプロジェクトに参加しています。
廃墟ビルに足を踏み入れた瞬間に感じる、時の流れ・重み、その静寂な時空間。
その場に刻まれた歴史の息や鼓動を感じ、それを今に繋げて、建物がその一生を全うするということを表現していけたらと思います。それが、大量生産・大量消費・使い捨ての蔓延る現代社会に対して、真の豊かさを問いかけることになるのではないかと思っています。
廃墟ビルをその歴史や面影を大切にリフォームして、テナントとして貸すのですが、かなり安く提供できると思うので、お店を持ちたくても資金が足りないという人の夢の実現にも繋がればとも考えています。
場が持つ気や力は、きっとそれに呼応するものが集まってくるのではないかと。そういった再生のドラマを地方都市から発信していくことにも意味があるように思っています。HPを開設したら、またご案内します。

No.37 - 2006/05/28(Sun) 08:52:47

(No Subject) / 小林紀子
佐伯さんがおっしゃる、仕事とボランティアの違いは、よくわかります。
お金が介在するから、評価に対する責任感が生まれるのだし、その責任感が足らないから、ボランティアの甘さ、中途半端さが指摘されるのだと思います。
でも、それは往々にしてそうなるというもので、ボランティアでも、しっかりとした信念を持ってやっている人もいると思いますが。
ただ、うまくいかなかった時に、仕事だと死活問題になるけれども、ボランティアだとうまくいかなかったね、で終わり…
だから、ものづくりに対する真剣さも、ものごとに対する真摯さにも、どうしても違いが出てしまうのだと思います。
世の中には、ボランティアでしかできないこともあるのでは…と思うこともあり、それは役割分担や適材適所のようなものかなと。
いずれにせよ、仕事もボランティアも、そこで働く人の意識が大切なのでしょうね。

風の旅人をいいと思っても買わないという人は、本当の良さをわかっていないのでは?
佐伯さんのおっしゃるように、購買の傾向が、何か得になるとか、身につくものであるとか、目先の利にあることにも寄るのでしょうね。
人生の攻略本のようなHOW TOものが売れるのは、生き方を迷っている人が多いということもいえるとは思いますが、それを自分の中に探すのではなく、外から情報として安易に取り込もうとする風潮があるのは、寂しいことだと思います。
自分に向き合うことは勇気のいることかもしれませんが、そこから目を叛けようとポーズで生きているうちに、自分が空っぽなんじゃないかと焦り、それを誤魔化して生きるから、他からの評価に振り回されるのだと。

そうやって自分の存在価値や生きる意味を見失い、孤立していく人間は、繋がりが信じられなくなっていくのでしょうね。

風の旅人は、どんどん売れていくというものではないかもしれませんが、彷徨う人間の心に何かを刻んで遺していくと思います。
何かのきっかけで、ふと思い出す風景があるように、いつか心に湧き上がってくるものかもしれませんね。

20号、届きました。今回も魂を揺さぶるものがあり、涙が零れる写真がたくさんありました。
理由は曖昧なのですが、理屈ではなく、心の深い部分で共鳴しているようです。

じっくりと心の旅をしてみようと思います。
これからも、社会に媚びることなく、本質をみつめる本で在り続けて欲しいと思っています。

No.50 - 2006/06/02(Fri) 03:29:16

豊かさとは… / 小林紀子
月人さん、ありがとうございます。
書かれていること、私も同じように思います。

物やお金や地位を追って、ここまで繁栄してきたことは私も認めます。
戦後、豊かになりたいと走ってきたことが、行き(息)詰っているから、問題なのだと思います。

お金や物は、人の欲(我欲)に絡むことだから、
何かをスピードアップ、スケールアップさせようとするには、もってこいなのでしょうが、それは目的でなくて、あくまでもひとつの手段ですね。

いろんな組織が間違った方向に進むのも、本来の志や目的を忘れて、私利私欲やエゴに走ることにあるような気がします。

まちづくりも、何を持って評価するのかが難しい。経済効果や観光収入、交流人口…数字に置き換えやすいものが目標になったり、目的にまでなってしまったりします。
豊かなまちって、どういうものなのでしょうね。
豊かさとは、夢、情熱、笑顔…数字で計れないものもありますね。

固定観念や既成概念から解き放たれて、ものごとの本質をみつめるのには、旅がいいですね。
ありのままを柔軟に感じられる、風通しのいい人間でありたいです。

月人さんが、豊かだなぁと感じる風景を見つけたら、教えてくださいね。

No.49 - 2006/06/02(Fri) 01:56:06

Re: 廃墟ビル再生プロジェクト / 佐伯剛
 小林さんが家具を喩えにしたことは、まさに私の言いたいことです。
 家具に限らず、ビニールの壁紙をはじめ家全体もそうですし、人間関係だってそうだし、ありとあらゆる物がそうです。傷が付きにくいように、と対処したものは、どこか息苦しく、歳月のなかで、ペラペラで汚らしくなっていきます。それに比べて、傷が付くことを前提に堂々と作られた物は、傷が味になっていきます。また、修復も可能で、見違えるようにきれいになります。そうした再生力こそが、いのちの力であり、その力を生むものが、余地であり、”間”だと私も思います。

 月人さま 「風の旅人」に関するご意見、有り難うございます。
 私は、「風の旅人はボランティアではなく仕事なので・・・」と申し上げたように、この二つには明確な違いがあるという考えです。
 介護の現場などでもそうなのですが、ボランティアの場合、そのサービスを受けている人が不満を感じていたとしても、それを口にすることは少ない。喜んでくれているようでも、心の中ではそうでもないことがあります。それに比べて、お金が介在する場合は、相手の人は表面的に感謝したりせず、はっきりと不満を口にします。同じ事をやっても、評価は厳しくなる。だけど、そのことによって、なぜ不満なんだろう、何が足らないんだろうと考えて改善することができるのです。
 「風の旅人」にしても、いい雑誌だと誉めてくれる人はたくさんいますが、その人たちが必ずしも買ってくれるとは限らない。その理由は何なのだろうと私はしょっちゅう考えています。雑誌の質に原因があるのか、それとも、現代社会において購買の傾向に偏向があるのか(ハウツーとか実用が優先とか)。また、いかにしてコストを下げて損益分岐点を下げて、質を落とさないようにするか、ぎりぎりのことを考えます。そうしたことを考えざるを得ないのは、支出と収入のバランスが崩れることは死活問題であり自分ごとだからです。
 もし、これが、特殊法人か何かで税金を使ってやる場合は、そこまでのことは考えないでしょう。いい物をつくっているのだから、お金がかかってもしかたないとか、予算を削られたから良いものは作れないと、簡単に言い訳をしてしまう可能性があります。
 「お金儲け」ということに関して、お役所が本気で本質的に自分の頭で考えているかどうか疑わしいです。
 「お金儲け」のことを簡単に口にするのは、「お金儲け」の本質をわかっていないからです。本質がわからず、「お金儲け」の方法を他人から仕入れて、それを当てはめればうまくいくのかなあという程度の浅い考えでしょう。そういう浅い考えはうまくいく筈がないから、けっきょく「お金儲け」などできやしない。「お金儲け」ができないから、ますます「お金儲け」を上の空のように口にする。
 「お金儲け」を目的化するわけでなくても、「お金」を生きたものにするためには、「お金」のことを考えざるを得ないだろうと思います。
 資本主義社会を批判して闘うためには、資本主義のメカニズムという敵の癖を知り尽くしておかなければ、けっきょくどこかで、敵の思う壺になってしまいます。
 「地域(自分)がどうありたいか」を大事にするとともに、自分の行っていることを厳しく評価し、必要とあらば修正していくという両方のスタンスが必要なのかなあと思いました。

No.48 - 2006/06/02(Fri) 01:42:20

余地と柔軟性 / 小林紀子
感じ、感じ、考える余地と歪みを修正できる柔軟性、なるほどですね。
先日取材で訪れたオーダーメイド家具の工房で、無垢の一枚板を使った家具の話を伺いました。
一般に売られている家具は、木の膨張を防ぐウレタン塗装がほとんどで、それは、傷かつきにくく、管理しやすいということと、クレームが少ないという、売る側の理論だと。
一方、その工房でやっている植物油100%のオイル仕上げは、木の香りや表情や手触りを大切にし、自然の木の状態に近い。傷がついても削ってオイルを塗るだけなので、かえってメンテナンスも楽だそうです。
傷つかないように、というのではなく、傷がついても治せるという発想の違いがあります。
それと、木の呼吸を妨げないので、部屋の湿度も調節してくれ体にもいいなどの利点がある反面、歪みも生じやすい。
でも、その歪みを吸収できるような木の組み法などの木工技術や職人の知恵が日本には古くからあるのです。
質の良い無垢材を使った家具は、100年使った後、再生できて、さらに100年使えるそうです。歪みや傷を修正しながら、長い時間、使う人の記憶を刻んでいく。それが深みを帯びて味わいとなる。ものも、まちも、同じではないかと思うのです。
また、100年の月日をかけて育った木を100年使うことが、森林を守ることにも繋がるという話もありました。自然の摂理のサイクルの中で生活するということは、そういうことなのだと考えさせられました。

感じ考える余地。間(ま)のようなもの。
文章、もの、ひと、家、まち…
全てに、あてはまることかもしれませんね。

ちょっと話が逸れてしまった感じもしますが、
佐伯さんの文章を読んでいて、共鳴するところがあったので、書いてみました。

No.47 - 2006/06/02(Fri) 01:18:00

目的は何か、という・・・ / 月人 [北海道]
小林さま

お返事ありがとうございました。
どうお返ししようか考えているうちに他の方々のコメントが続いて、だんだん考えることが多くなりそうだったのでとりあえず急いでお返事いたします(笑)。

私は今、思いもよらずですが「地域活性化」という仕事に放り込まれて、日々悩みつつも楽しく過ごしています。
そこで特に難しいのは、「活性化」=「お金儲け」という考え方をする人が圧倒的に多いことです。
(特に、住民より役所・・・)
もちろん、そういう部分も含まれるでしょうし、そういう目的に限定して何かをやらねばならないこともあるとは思います。
でも、まずは地域が「どうありたいか」ということを考えるべきだと思うのです。

ボランティアと仕事の違いってなんだろう・・・と今考えてみたのですが、お金が介在するということ以外、本来は違いは無いんじゃないかという気がしました。
つまり、自分だからできることを、それを必要とする他人に提供し、喜んでもらう。
他人が喜んでくれることが、自分にとっても幸せ。
お金を介在させることは、それをより大きなスケールでできるようにすること・・・
実際、「仕事」をお金目的というより、そういう意識で取り組んでいる人も多いですよね。

たぶん、どこかで目的が「お金」にすりかわった瞬間に、自分らしさやその地域らしさといった、そのものの本質によって放たれるべき輝きや味わいといったものが失われていくように思います。
社会全体がそういう方向を向いて何十年も走ってきたことで、たしかにそれはそれで良かったこともたくさんあるんだとは思います。
そういう部分まで含めて全体を否定してしまうことは私はしたくないですが、ではこれからどうしていくべきかということを考えると、やはり今までのものの見方ややり方を変えなければならないのは確かだと思います。
個人にしても地域にしても「どうありたいか」ということを、そのものの本質を見つめ(・・・というのは同時に他を知ることでもあると思いますが)、過去を反省し将来を想う、という姿勢で考えなければならないと思います。
・・・まずは自分から、という感じではありますが(苦笑)

だから私は、旅をしていろんな自然や文化や人と触れ合うのが好きですし、『風の旅人』を見て・読んで考えるのが好きです。
そして、人にも旅を勧め、時には『風の旅人』を紹介しています。

No.46 - 2006/06/02(Fri) 00:24:34

Re: 廃墟ビル再生プロジェクト / 佐伯剛
 「風の旅人」はボランティアではないので、仕事として成り立たせるために、私なりにマーケティングはしています。問題は、どういうマーケティングを行うかということと、それを、自分の感じ方と考え方を反映させて、どう修正していくかだと思います。
 昨今は、マーケティングと称して、市場分析のデータを取り、数字だけを基準とするものがありますが、数字は、広がりを示すことが出来ても、深さを測ることができませんので、実態とは遠いものになると思います。
 小泉首相の支持者が50%でも、その50%の多くは、何となく好きという程度で、他に良い人がいれば、そちらでもいいという感じで、支持できない50%は、何が何でもぜったいに支持できないという強いものかもしれませんから。
 今日の社会の問題は、そうした実態としての強さや深さが考慮されず、目に見える表層的な広がりばかりが重視されがちであることでしょう。
 根強いファンが1万人いる書き手よりも、すぐに飽きられる100万人を相手にした書き手が、マスコミのマスコミの寵児になりますから。選挙や視聴率がそういう構造のものですから。
 ちょっと話しが横に逸れましたが、人間が行為することじたい、どんなものでも何かしらの歪みが生じているのですが、行為しながら、その歪みを修正していく余地が残されているかどうかが大事なのではないかと思います。
 その余地というのは、最終的に、感じる余地であり、考える余地だと思います。感じて考える余地が残されていれば、人間は、時間をかけて、最終的に自然の摂理に近いものにしていくことができる。
 ブームに乗じたもの、今日のマスコミのあり方、様々なハウツーもの、そしてお役所仕事には、共通するところがあると思います。モノゴトを予め決められたパターンとして捉え、それをコピーして踏襲することで終わりというスタンスです。
 でも、実際の世界は、そうしたパターンで割り切れるものではない。踏襲したものをそのまま行っても、必ず、何かしらの歪みが生じる。
 ハウツーを一つの取っかかりとして機能させることは何も問題ないと思います。世のなかの傾向を斜めからWATCHするという程度で役立てることは可能でしょう。
 問題があるとすれば、どんな人為にも必ず生じる歪みが顕現した時でしょう。ハウツーを鵜呑みにして警戒の弱い人は、その歪みを見逃す。また、お役所仕事のように、モノゴトに取り掛かる前の”調査結果”に意固地に執着する組織も、方向修正ができなくなる。
 感じ、考える余地を残している個人や組織だけが、その歪みに柔軟に対応できるのではないかと思います。
 そして、歪みをまったく経験しない無垢のものよりも、歪みを修正しながら自然の摂理に近づけていった人為の方が、懐が深く豊かです。日本の伝統的な道具などはそういうものですし、長く続いている文化もまた、そういうものだと思います。
 「風の旅人」も、基本的なコンセプトは変わっていませんが、現在の他のメディアの情勢なども横目で見て、感じ考える余地を残しながら、修正すべきところは修正したいと思います。町づくりもまた、最初の設計図で全てが決まってしまうような硬直したものではなく、生き物のようなダイナミズムで、様々な可能性にアンテナを張りながら柔軟に取り組んでいけるものであればいいな、と思います。

No.45 - 2006/06/01(Thu) 16:50:21

Re: 廃墟ビルの螺旋階段 / 葉っぱ64 [近畿]
そうね、小林さんのおっしゃることは正論ですが、
聖と俗の螺旋階段を登ってより見晴らしのいい視界で、
運動(活動)する鋭敏さも又必要かと思います。
勿論、そのような無垢性からほど遠いやり方は、
毒を食らって墜落する危険性が高くなるかと思います。
でも、そのような回路でしか、ものごとは実現出来ないシーンもある。おそらく二分法でなく、アポリアルな矛盾を背負い込んで運動は成り立っている。
例えば、『風の旅人』は最終的にマーケットの中で商品という相貌を引き受けざるを得ない。
雑誌を作るという創造行為と売るという販売行為と
僕たちは常に聖と俗の螺旋階段を登っているわけです。

まあ、上で小林さんが書いている懸念はまっちゃんさん自身も言っていることですが、執筆者の広告代理店の面々もわかっていると思います。でも、資料的価値がある。ということで、厚顔にも紹介したのでした。

No.44 - 2006/06/01(Thu) 09:49:42

本質を知ること / 小林紀子 [四国]
葉っぱさん、情報ありがとうございます。
まちづくりは今やブームですね。ブームになると、HOW TO本が出る。我が町も乗り遅れたらいけないと、役所人間たちが、やたらシンポジウムなどに参加して、まちづくりに携わっていますといったポーズをとる。
「地ブランド」が、地域のDNAならばいいのですが、それをパッケージするような感じがしてなりません。
人もビジネスや経済に重点がおかれたまちづくりは、どこかに歪みを生じて、一過性のものになる危険がある。
まちも、ブランディングすれば、かえって本質が見えなくなるような気がします。
ルーツ(根源)を見つめ、本質を知ることで、人やまち
の在り方がわかるのと思います。

No.43 - 2006/05/31(Wed) 17:09:31

Re: 廃墟ビル再生プロジェクト / 葉っぱ64 [近畿]
みなさん、おはようございます。
先ほど、ぼくのブログにまっちゃんさんというマイミクの方がトラバしてくれまして、ちょうど、小林さん、月人さんの石投げにぴったりの波紋エントリーだと思い、
紹介いたします。
『地ブランド』(仮称)という本がやっと発売されるらしいです。まっちゃんさんもこの出版プロジェクトの一員としてかかわっているわけなのです。
http://d.hatena.ne.jp/border68/20060530

No.42 - 2006/05/30(Tue) 08:33:24

今を生きるということ / 小林紀子 [四国]
月人さん、はじめまして。
そうですね。人の生き方も同じだと、私も思います。

今を生きるということは、今さえ良ければいいという刹那な生き方ではなく、過去と未来を繋ぐ今を生きることですものね。
過去から未来へ流れる時や空間の中で、私たちはかぜたびさんがよくおっしゃっているひとつの生を紡ぐ存在なのだと思います。
過去を遡って感じることで見えてくるものもあれば、未来を見つめめて想うことで見えてくるものもある、そこに、今を生きる私たちの使命と意味が浮かび上がってくるように思えるのです。
廃墟を再生することが、建物の一生も、人間の一生も、使い捨てではなく、ひとつの生の中にあるのだということを気付く心の再生のようなものにも繋がれば…
再生した廃墟の空間にはどんな風が吹くんだろう、それを今を生きる自分はどう感じるのだろうか、そんなことを、ふと考えてみたりしています。

No.41 - 2006/05/30(Tue) 03:30:18

Re: 過去と現在を繋げる中に見えてくる未来 / 月人 [北海道]
こんにちは。
おっしゃられていることにとても共感しました。
「本物のレトロが・・・」のところなど、特に。
街や空間だけでなく、人の生き方も同じかも・・・とふと思ってしまいました。
レトロというところ、単に古いものとして捉えるのでなく、そのものの本分というか本質というか、そんな感じで考えますと。

No.40 - 2006/05/29(Mon) 23:13:40

過去と現在を繋げる中に見えてくる未来 / 小林紀子 [四国]
葉っぱさん、ご意見ありがとうございます。
瀬戸内ネットワークは、面白い構想だと思います。
松山、門司、呉は高速艇で行き来でき、海の交通網で結ばれた縁の深い街です。
門司には私も行った事がありますが、独特の空気が存在する街ですね。行政は観光に繋げようとレトロをノスタルジックに演出しがちですが、これは安直なやり方で、せっかくの空気を台無しにしてしまう危険性を孕んでいます。松山も似たり寄ったりではありますが、レトロは博物館のように鑑賞するものでもなく、ましてレトロ調のニセモノで埋め合わせするものでもないと思うのです。
本物のレトロが誇張も媚びることもなく今も自然な形で使われ続けていることに、その街の味わいや懐の深さが存在する。過去から現在に流れる時が未来を紡ぐ、そういった風景が、見るものの心や魂に響くのではないでしょうか。
地域のDNAを共有し、それを今や未来に繋げる街の在り方や住民の生き方がまちづくりそのものであり、それを人は見に来る、観光とは本来そういったものであるはずです。
松山にも古い町並みが残っていて、それを大切に使いながら遺していく活動が広がりつつあります。http://www.mitsuhama.net/funate/
建物だけが町並みを作るのではなく、地域住民が自分達の町に愛着と誇りを持って、その建物と共に生活することが町の風景になるということで、生活博物館となっているのだと思います。

自然と対話する空間づくりやものづくり、材料を余すことなく用途に分けて使い切る風習、それを美の域に完成させた職人の技など、それぞれの地域に眠っているいろんなDNAがあると思います。
地域と地域の交流で、日本人の持つ共通のDNAが浮かび上がってくれば面白いと思います。

再生は文字通り再び生きることですが、葉っぱさんのおっしゃるように、どう生きるか、どう繋げるかが大事ですね。

いろいろと課題があるものの、そんな兆しがちらほら出始めてはいます。
アートNPOカコアもその一つですが、他の都市とネットワークを作って活動を広げているグループです。http://www.geocities.jp/noryao2/

各地の取り組みが、波紋のように広がって繋がっていけば、真に豊かな日本が再生することも夢ではないのかもしれません。

No.39 - 2006/05/29(Mon) 00:47:31

Re: 廃墟ビル再生プロジェクト / 葉っぱ64 [近畿]
偶々藤原新也さんのブログを覗いたら、門司に今帰っており、レトロ計画の発起人のひとりになっているみたいですね。千畳敷の料亭の再生は修復しても、維持し、これから、その器になにを盛るのかが大事だと思いますが、一つの都市だけでなく、例えば門司、松山、呉、尾道、倉敷とか、瀬戸内ネットワークのような構想が水を介してあればいいですね。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20060525

No.38 - 2006/05/28(Sun) 20:27:18
「風の旅人」展のご案内 / cony [北陸]
初めまして、コニーズアイの小西と申します。金沢市郊外の一般住宅の中で、ギャラリーとカフェを兼ねた小さなインテリアショップを経営しています。この度、6月10日(土)から8月30日(水)まで、人や地球を見つめるグラフ文化誌「風の旅人」展を開催いたします。北陸・金沢にお越しのときは、ぜひお立ち寄りください。お待ちしています。詳しくは、ホームページのイベント欄をご覧ください。
No.34 - 2006/05/24(Wed) 12:21:22

Re: 「風の旅人」展のご案内 / 佐伯剛
 小西様 こんにちは。はじめまして。ホームページ見させていただきました。
 コンセプトが素晴らしいですね。
「空間の価値を高めること。それはインテリアを道具として考えるのではなく、そこに住み暮らす人間を中心とした 空間全体として考えます。人間を中心に置くことで、単なる形や色の美しさ以上に、使う人にとっての空間本来の価値観が見えてくるからです。
 私たちは空間そのものの価値を 高めてくれる製品こそ最良のモノであると考えます。ここで紹介する国内外の製品はその視点からもコニーズアイが選び抜いたブランドです。素材の吟味、細部まで神経の行き届いた仕上げ、デザインの知的な遊び、そして 伝統技術と現代の生活様式の融合。それぞれのメーカーが追求する手段は違っても、人間中心の体温を感じさせる理想のモノの姿を、私たちはこれらの製品を通して、空間の価値を高めるためにご提案し続けたいと考えています。」
このコンセプトは、「風の旅人」の20号で紹介する桂離宮について私が考えたことと似ていますね。
 地方都市で一軒家の空間を使ってギャラリーにして、手作り感のあるイベントを行い、ネットで全国の人と結びついて、商品を紹介する。何か、未来の香りがします。地方だからできることで、そうしたことの面白みや可能性が伝われば、大都会から地方に戻る人も増えるのではないでしょうか。日本全国でそうした活動を行っている人がネットで結びついていくのも面白いですし、どこかの地方都市に、ITベンチャーの渋谷ビットバレーのような、多種多様なギャラリーが集まる場所ができるかもしれませんね。一つだけだと訴える力もそんなに強くありませんが、幾つか重なり合っていくと、大きな力になるのではないでしょうか。

No.36 - 2006/05/24(Wed) 21:47:26
ユッスーン・ドゥール来日公演 / ユッスーのファン、さざなみ修至 [東海]
http://www.arion-edo.org/tsf/2006/program/concert.jsp?year=2006&lang=ja&concertId=m12
ネルソンマンデラ氏を解放に導いた男

No.26 - 2006/05/18(Thu) 11:50:38

Re: ユッスーン・ドゥール来日公演 / さざなみ修至
この書き込みは、掲示板へというよりも、ユッスーン・ドゥールが来日するということを、直接、師匠へお知らせすることが目的であったため、余計なことは書き込みませんでした。すみません。
私、ユッスーの大ファンなんですよ!彼の曲に秘められたメッセージはもちろんですが、歌声がたまりません。彼一人で、20人分ぐらいの声色の異なる、歌声を出すところが特に好きです。

No.30 - 2006/05/21(Sun) 12:30:48

Re: ユッスーン・ドゥール来日公演 / 佐伯剛
さざなみさん、こんにちは。もう少しだけきっちり書いてくれないと、変な勧誘の書き込みだと思われますよ。
No.27 - 2006/05/18(Thu) 13:32:11
舞踏 / からころ
はじめまして。
いつも「風の旅人」に衝撃をもらいます。
編集長日記もよく拝見させて頂いて、たくさんの思いを巡らせています。

私は舞踏を勉強?しているのですが、大野一雄舞踏研究所というところに稽古に通ってます。
今は息子の慶人先生が教えてくださっているのですが
その教えてくれることが風の旅人に通じるものがあると思いました。
「歩くとは?」「花」などの稽古をするのですが、いい言葉がまだみつからないのでそれはまた今度かきこみたいと思います。

参考に「大野一雄 稽古の言葉」という本などもでているので、ぜひ一度読んでみてください。

No.20 - 2006/05/16(Tue) 16:15:11

Re: ヨコハマメリー / 葉っぱ64 [近畿]
先ほど、テアトル梅田で監督デビュー作となる中村高寛のドキュメント映画『ヨコハマメリー』を観ました。
シルクセンターにあった大野さんの奥さんのドラッグストアにメリーさんがよく出入りしていて、美しい宝飾を眺めやるときの視線の強さ、そのモノに没入する佇まいの強烈な印象が忘れがたかったとおっしゃっていたのですが、
ある日、ハムレットのオフィーリアをやってみないかというオファーがあって、大野さんはあのメリーさんになれば、オフィーリアになれると、舞台に立って評判を呼んだみたいですね、
この映画では大野さんを始めシャンソン歌手の永登元次郎さん、街の人たち、懐かしい根岸屋、五大路子、森日出夫の写真などが登場して、これらの風景は全然劣化していないではないか、今も風が吹いているって感じました。
ラストシーンは衝撃的でもありました。
元次郎の養老院でのステージは世界は信じるに値するもんだと、嬉しくなりました。

No.29 - 2006/05/20(Sat) 16:57:53

Re: 大野一雄とヨコハマメリー / 葉っぱ64 [近畿]
上の検索した記事はここです。コメント欄のカキコですね、なるほど、一瞬、間違うかもしれない。
http://blog.so-net.ne.jp/tomotomocchi/2006-04-30-1

No.22 - 2006/05/16(Tue) 21:13:07

Re: 舞踏 / 葉っぱ64 [近畿]
初めまして、からころさん、
僕は大野一雄さんの舞台をみていないので、なんとも言えないのですが、今週、梅田のテアトルで上映するドキュメント映画『ヨコハマメリー』を今から楽しみにしているのです。この映画に大野さんの息子さんも登場するらしいですね、先ほど、グーグルで「大野一雄」、「ヨコハマメリー」と並べて検索すると、大野さんとメリーさんを間違っていらっしゃった方がいたみたいですね、(笑)。
http://www.yokohamamary.com/yokohamamary.com/mary-kantoku.html

No.21 - 2006/05/16(Tue) 21:02:25
はじめまして / hashiguchi [関東]
はじめまして
以前青山CAYのライブにて数年前に創刊号と数冊頂いた者です
その節はありがとうございました
その後購入はしてないのですが
今でもページを開くたびに感じる空気感が好きで、何度の読んでるのに違った新鮮さが商店街とかの雰囲気に似てて面白いです
そろそろ新刊も購入してみます
何か共有できるものとかがあれば発信させてください

さきほどうっかり
ブログの方にてコメントを同じ文を掲載してしまいました失礼致しました

No.28 - 2006/05/20(Sat) 10:34:15
(No Subject) / 佐伯剛
 今日、介護の現場を取材してきた。介護の現場に行くと、いつも刺激を受ける。
 今日、感じたことは、励ましの大切さ。
 ヘルパーの人たちは、介護を必要とする人の手助けをしているのではない。その人が生きていくための励ましをしている。少し認知症の症状の出ている人を撮影したのだが、少しお化粧をしてさしあげ、「綺麗になったねえ、よかったねえ」とヘルパーは嬉しそうに語りかけ、励ましている。すると、その人も、とても嬉しそうな顔をする。
 ヘルパーたちも、魂のすり切れるような現場で、心身とも疲弊することがあるが、仲間と励まし合うことで頑張れると言う。そして、その頑張りによって辛さの一線を越えることで、今まで気づかなかった喜びに達すると言う。
 一線を越えて向こう側に行かなければわからないことがあるが、それを超えさせるものこそが、励ましの力なのだろうと思った。
 

No.25 - 2006/05/18(Thu) 01:18:32
大きな一瞬 / 瀬川 [近畿]
こんにちわ。自分も「風の旅人」に感化されている一人です。「風の旅人」のように雄大で本質的なものに触れると、自分がとても不確かであいまいな存在であるとうに感じることがあります。
普段、自分もこの見えない(見てない)大きなサイクルの1つであることを忘れ、‘自分’という世界にふり回されています、が、ふとした時に虚を感じ、同時に五月の風の冷たさ、朝の清々しさ、人の興味深さ、そういったことに贅沢を感じてもいます。「風の旅人」には自分の奥にある何かを触発させるすごい力をを感じているのと同時に、その力の作用に虚、無、といった自分の足元が崩れていきそうな恐ろしさを感じているのも事実です。
この文章に意味はありません。こういう感じ方をしている読者もいるということを伝えたかっただけかむしれません。20号もたのしみにしています。

No.23 - 2006/05/17(Wed) 11:33:32

Re: 大きな一瞬 / 佐伯剛
瀬川さんの文章に意味がないことはありません。力を与えてくれます。励みになります。有り難うございます。
No.24 - 2006/05/18(Thu) 00:56:30
ガケ書房 / 葉っぱ64 [近畿]
京都は葵祭だったのですが、北白川のガケ書房を覗いたら、19号はメンチンでバックナンバーもちゃんとそろっていましたね、ここ↓
http://www.h7.dion.ne.jp/~gakegake/index.htm
それから久しぶりに哲学も道を歩いていたら、向こうからジョギングする二人連れが僕の方に迫ってきました。女の人は増田明美さんでした。予想以上にきれいでしたよ。話し声のざわめきを残して、風のように通り過ぎました。

No.18 - 2006/05/16(Tue) 00:02:12

Re: ガケ書房 / 佐伯剛
 去年、白川静さんの文字講話の最終回の時だったと思いますが、帰りに銀閣に立ち寄って、哲学の道を歩きました。京都には、あのように静けさに浸れる場所が、すぐ傍にあるのがいいですね。
 東京に住んでいる私にとって哲学の道は、目黒の自然教育園ですね。特に雨の日がお勧めです。ほとんど人がいません。でも、原始の森は、雨に濡れて、ひくひくと息づいています。また、ここから歩いて7分ほどの池田山公園は、日本風の見事な庭園で品川百景なのですが、無料で入れますし、地元の人以外、訪れる人もあまりおらず、四季折々の花を落ち着いて味わえます。

No.19 - 2006/05/16(Tue) 13:25:47
以下のフォームに記事No.と投稿時のパスワードを入力すれば
投稿後に記事の編集や削除が行えます。
57/200件 [ ページ : << 1 2 3 4 5 6 >> | 画像リスト ]