真実とは / りな
 
こんにちは。美術学生やってます。20歳です。
もしキリヤさんのホームページを拝見に来ていて、私の書き込みを見てくださった方、私がこれから書き込むことについてレスをお願いします。

まず本題に入る前に、話を一つさせて下さい。
近日シャッターアイランドという映画が公開されたのはご存じですか?
みなさんはどう感じました?
私はあの映画は、アメリカが犯した過去を暴いた内容を含む作品だと思いました。
1950年代のアメリカを知っている方は感じたと思います。知らない方のために、文献から調べたもので正しいかどうかはわかりませんが、まず一つ目から。
だいぶあっさりといきます。詳しく正しく理解したい方は自分で調べて自分の答えを出して下さい。
一つ目。ロボトニー手術について。
その当時ロボトミー手術は画期的な技術でノーベル賞を受賞したということ。しかしのちにその手術は、人に集中力の欠落、人格破壊、記憶にも障害を起こし悪魔の手術と呼ばれたこと。
今ノーベル賞の取り消しを訴えられているが、当時は革新的な技術だったと学者側は言っている事実。日本でも過去行われていて、ロボトミー手術被害者による殺人事件も起きたということ。手術後再入院し、施設内で死んでいく光景があったということ。

二つ目。戦争には、死体を数えながら札束を数える軍事産業の介入があるということ。第二次世界大戦中、ナチスを応援する企業にはアメリカの企業が複数含まれていたという事実。アメリカは敵対おこくに自ら資源を送り、映画「ザ・コーポレーション」では、20世紀最大の謎と言えば、ドイツナチスと、米企業が共謀していたことだろう。まず最初は、米企業がドイツを再建し、初期のナチスをサポートしたこと。次に戦争のシナリオを作ったことといわれていることです。
1920年代から、ソ連邦の崩壊にいたるまで、アメリカの外交戦略は「共産主義に対抗するために独裁者を援助し、育てる」というもので、この最初にして最悪の例がヒトラーだったということ。戦後アメリカは自らが、育てた独裁者たちと対峙したということ。(イスラムがいい例であるらしい)

だいぶあっさりですが、私が何を言いたいかというと、社会は常に嘘と矛盾で満ち溢れているということです。
世界中どこでも。
私のこの文もきっと矛盾であふれています。ネットで調べまくった内容で、情報元が信頼できるかどうかわからないし、また確信できるかわからない内容にも関わらずネット上にアップしたという私の愚かな矛盾。

本題に入ろうと思います。
ではなぜ、そんな私がここに書き込みをしたか。
みなさんに、自分たちは常に、嘘と矛盾が錯綜した世界に放り投げられていて、それなのに真実を知ろうともせず、生きている自分がいるということを感じているかどうか聞きたかったからです。


私は毎日死を受け入れて生きています。
いつ死んでもおかしくないし、極端な話ミサイルが落ちて死んでもしょうがないなと思うと思います。
なぜなら、地球には人間が生きていて、生きる以上、誰でも何かを犠牲にせずに生きられないし、私も絶えずいろいろな犠牲を作った上に生きているから、何かの被害にあって死んでも、それは自分のしたことが大きな世界の中でめぐって自分に返ってきたのだと思うから。


人間は正しく生きられない。それはしょうがないことで、犠牲がおこるのも、自分が傷つくのもしょうがない。
私にできることは、償うように死ぬまで出会う人にできるだけ優しく生きるということだけ。
たとえば、これから日本がどんな厳しい未来になっても、日本から出ることができない私は、大切な人をできるだけ守って死ぬ時は、きっと何もできず、あっけなく虫のように踏み潰されて死ぬのだろうということ。


今、国会法改正案が通るか通らないかで重要な話題になっていますよね?
あるコミュニティでは、それが通れば、日本は崩壊するなどと言われています。
また、日本人は全くの世間知らずで、反日感情を強く持って日本を攻撃したいと思ってる人種がたくさんいるという事実を知らないとも言われています。小沢さんの両親は韓国朝鮮あたりで、スパイだといわれていたり。
というか私たちはどうして中国や朝鮮の人たちが反日感情を抱くのか、根本的な理由を知っているか?

世の中、宗教や民族や、あーだこーだうるさいが。
みんな人である。
根本的な理由、またその人の気持ち、理解できないものを正しく理解しようと呼びかけてくれるものはメディアにあったか?あるわけがないだろう。社会の構造は所詮金だ。生きるか死ぬか。利益か損か。正しさや正義ではない。






誰がいう情報が真実なのか。私はわかりません。
なにが正しくて、何が作られた嘘なのか。

ただ今の現状が異常なのがわかります。
外国の新聞でさえ、たくさん日本の国会法改正案を取り上げていろいろ批評しているのに、日本人には、学校の友達の間でもそんな話題も出ないところもあるし(私の学校ですが)、興味がない人もきっといる。私もひとのことを言えないのだが。
学校の先生は自分たちが生きている国の未来の話題をせず、課題をやれという。作品についてあーだこーだと言っている。
先生はいろいろ考えているだろうし、知識も豊富だろうから
国会改正案について考えはあるだろう、しかしきっと授業の間にそのようなことを生徒に話すのは、意味のあることだと思っていないのだ。でも大学なら、そのような話題を生徒と先生が熱心に話し合う光景があるのが、きっと意味のあることなんじゃないのか。(私は今度自分から話しかけてみようと思う。自分から動かなければきっと口だけだ。)



私は真実を知りたいと思います。そのためにはまず、図書館へ行っていろいろな本をよんで、いろんな人の意見を聞いて勉強しなきゃいけない。
私は知らなかったことに後悔はしたくないです。いつでも物事の真実を見つめて生きていきたい。それはだれかに刷り込まれた知識ではなくて、自分で考え自分なりの真実を納得していきていくということ。

今は非常にいい意味でも悪い意味でも自由な時代だと思います。
自由だからこそ、真実を知って生きていかなければ、いけない時代だと思います。
また過去の真実を知ろうと思えば知れることは幸せなことです。
これからどうなるかはわかりませんが、今は比較的言論の自由な社会です。

私は今の素晴らしい社会があるうちに、たくさんの知識を蓄え、真実を考えて生きていきたい。
死ぬのは、きっとすぐだから、後悔しないよう、たくさんのことを知っていきたいと思います。


人はあっけないけど、強い生き物です。
今からでも遅くない、私はそう思っています。



最後にもう一言。
この世には、自分の利益を考えてしか生きていけない人もいます。わたしはその人が、正しいとも正しくないとも思いません。
悪い人間がいるからとか、自分の利益しか考えない人がいるからじゃなくて。
他人がどうだから、ではなく自分がどうしたいか。どう生きたいか。
そう思えたらきっと、怖いものはないですよね。

No.1403 2010/05/24(Mon) 06:29:44
追文 / Kazunari Hirose
 
で、追記ですが。高齢の方ですら、学校に行ったりアクティブに自分の人生を楽しんでいるという話題がLIVE CHATにありました。

それは実体験なんですが、僕がデザイナーでその人はお客さんでした。
で、すごい作品を気に入ってもらって。個人的に連絡が来たんです。

「あんた、すんごいいいもの持ってんだから、周りに惑わされないでガンガン、好きな事やんなさい!!」とか言われてしまい。

なんかその方は、朝プール言って、英語の勉強会やって、なんかシニアモデルとしてプロダクションと契約していて、その仕事して、買い物して、一日に、五つも、六つも色んな事をするんです。

いや、たまにならではなく毎日。

若い俺らがへばってて、そんな60もこえたおばさんがパワフルに動いてんの見て。ちょっと元気がないかなと思いました。

若いといいかというとそうでもなく、経験がないのにしったかぶって、自分は正しいという。それはありかもしれないけれど、相手を否定してしまう傾向があって。そのテーマにおいては。

「自分は何も知らないし、無知である」という事を認識する。という事だけですよね。だって、今、自分の周りの事柄の全てを理解しているというのは
ありえない事ですから。

それはすごい良くない事なんです。

No.1402 2010/05/22(Sat) 09:56:41
LIVE CHAT映像拝見しました / kazunari Hirose
 
こんばんは。(本当は参加すればよかったのですが)映像だけでもすごく楽しめました。二つ合わせると、2時間もあり。時々、眠たくなったりしながらも、一生懸命見入ってました。二つ合わせると映画一本分ぐらいの長さの映像ですね。

「夢」についてという議題から始まり、メディアについてなど、様々なお話でした。

何か率先して行動する人に対しては、悪いイメージは一つもないですけどね。確かに、そういう傾向はあるのでしょうか。
すごくお話されている事は、ごくごく普通の事で、奇をてらったものではありませんでした。となると、なんだか極端であったり、ねじくれてるのは世の中の方なのかもしれないです。

自分も世に出て、色々感じますが。。。どう表現したらいいんでしょう。
自分はダメであるとか、あいつはダメであるとか、そういう風潮が社会全体にわりと蔓延していて、それだけではないかもしれないけれど、わりとそういうのは多いとは感じます。

具体的に話をしてみると、特別やりたい事が見つからないし、諦めてるという答えが結構出てきます。

答えはすごいシンプルで、自分がどんな状況でも好きでいられるものを持つしかないです。これは。それにつきると思いました。

もう、たくさん人っていて、それぞれが好き勝手言って生きてるようなもんだから、それを真に受けてたら早死にしちゃうんで(笑)

ゲームとかネットとか受け身の(それも楽しいんですが)ものじゃない何かに出会えるといいんですよね。

好きな事は時間を裂いてでも飛びついちゃいますからね。おいしいもの目の前にしたら、まず食べたいと思う。だから欲求になればいい。

No.1401 2010/05/22(Sat) 01:47:29
Casshern Blu-ray は? / JL
 
Blu-ray 版 Casshern の登場を未だか未だかと心待ちにしています。

是非 MPEG4 でお願いしますッ!

No.1400 2010/05/16(Sun) 16:37:26
絵本の寄贈 / みなみ
 
毎日新聞より

図書館がなく、書店も村営1軒しかない福島県飯舘(いいたて)村が、不要になった絵本の寄贈を全国に呼び掛ける。「絵本リレー」と名付け、寄贈本は子どもに読ませるだけでなく、希望する妊婦らに無料で配る。菅野典雄村長は「使われない絵本にもう一度命を与え、子どもの感性をはぐくみたい。“本の過疎地”の小さな村には皆さんの協力が必要」と訴えている。

 飯舘村は阿武隈山地の山あいにある人口約6000人の過疎地。男性職員に育児休暇取得を義務付けるなど、子育て支援に力を入れている。だが、財政状況が厳しいため図書館を建設できず、学校の図書購入費も乏しい。村は95年に全国でも珍しい村営書店「ほんの森いいたて」を開設。これまでに約25万冊を売ったが、都市部に比べると、子どもたちが本に触れる機会はまだまだ少ないのが現実だ。

 「絵本リレー」で寄贈を呼びかけるのは、小学生までを対象とした絵本。送料も負担してもらい、代わりに村がお礼の手紙と記念のしおりを送る。集まった絵本は村内の保育所・幼稚園・小学校の計6カ所に置き、子どもたちが自由に読めるようにする。村公民館にも並べ、村内外の親や妊婦が希望すれば、無料で数冊持ち帰れるようにもする。

 募集は来年3月末まで。今年度始めるラオスとの交流事業の一環で、寄贈本の一部を中学などの英語の授業で翻訳し、現地の子どもに贈る計画もある。

 送り先は〒960−1892 飯舘村伊丹沢伊丹沢580の1、飯舘村教育委員会。問い合わせ先は村教委(0244・42・1631)。

No.1395 2010/05/11(Tue) 13:23:25
バトン〜最終回〜 / マッコ
 
 防空壕
日本軍の貧乏は良く承知しているが、見掛けは良くなくとも至近弾には耐えなければ
壕ではない。戦う兵士を守るのも上官の役目だ。大刀洗の防空壕は押し並べて似たようなもので、
深さ2m矩形の穴を掘り天井に丸太を並べ(掛りは15cm位)莚を被せ土盛りをした壕は
爆撃の震動でゆさぶられて、丸太が落下し圧死する。そんなことで死亡した人が沢山いた。
 本廠前の幹部専用の鉄筋造りとは言わぬが、せめて炭坑の枠組作りを研究して
作ったならば、貴重な人材を可惜若者の命を失わずにすんだものを、残念なことである。

 紫電改
海軍の新鋭機紫電改が着陸した。北飛行場は新設飛行場だけあって滑走路はコンクリート舗装で
立派であるが然し一歩滑走路から外ずれるとタイヤも埋る程軟弱である。紫電改は海軍の
習慣通り風に向って揚力を大切に、滑走路にこだわらず斜めに着陸した為にコンクリートに
脚を引き掛け擱座して仕舞った。惜しい事である。

 農家のおじさん
掩体壕の中で三式戦の整備中、あのグラマン特有の波状音が花立山の向うから聴えてきた。
避難の為、梨林の先まで走った。農家のおじさんが、私を見て「早よう早よう」と手招きを
している、一緒に壕の中へ飛び入むが早いか、頭上で機銃の発射音がした。おじさんは毛布を
娘と私に頭から被せ一緒に抱き絞めた。親心ではあろうが、女性に指一本触れた事のない、
私である。ホロ苦い、ハプニングに心もそぞろお礼を言って仕事に復帰した。

 桜弾(桜花)
4月12日キー67改造桜弾通称セムシが3機飛来した。整備関係者全員集合して桜弾の性能について
説明を受けた。爆発すれば前方3,000m左右500m後方300mの土が焼土となる。と、
大変な爆弾が出来たものである。
 翌日1機に燃料漏れが見つかり修理する事になった。誘導路から少し離れた処に駐機している。
地面が軟弱で機体が重いので、タイヤが半分埋っている。空の給油車が来てガソリン抜きが始まった。
沖縄まで一気に飛ぶのだから、爆弾倉を燃料タンクに改造している。大量のガソリンは忽ち給油車の
タンクを満杯にして溢れ出した。ガソリンはタイヤの跡形に溜り長い池が出来た。
ガソリンの一滴は血の一滴といわれる時代だが、勿体ないが回収は出来ない。
不純物の混入は命取りになる。全員作業衣を脱いで洗濯をした。 翌日作業終了。
 特攻隊員と談笑の一時を過ごした。
攻撃の話はしなかったと思うが、家族の話とか死生観を語り合ったように思う。
そこは同じ年端の者同志、本音を語り合った。私より1・2歳年長者、
平和な時代であったなら彼等にどんな人生が待っているのだろう。優秀な若者達。
私が防空壕の中で神に祈願した事と何等変る事の無い人達、
それを自らの手で断ち切らねばならぬ断腸の思い。慰さめる言葉もない。

 5月23日早朝電話が鳴り響く、誰も狸寝入りして受話器を取ろうともしない。
止むなく班長が受話器を取った。「何!!さくらが燃えよる!?」全員がガバ!と跳ね起きた。
「飛行場へ走れ」と班長の命令で走った。飛行場の入り口まで来ると、桜弾が黒煙を
巻き上げながら炎上している。呆然と立ち竦む。聡い者は5・6名腰を低く側溝を伝って避難した。
若僧は逃げ度くても逃げられず「行け!」の号令の下「俺の命も今日までか」と思いつつ、
死を覚悟して走った。火災現場は火の海となり全く近寄ることも出来ない。
 私は先づ桜弾がどうなっているか、目を凝らした。飛行機の外板は既に溶け、桜弾全面の蓋は
外され火薬投入口から火薬が真っ白い炎となって吹き出している。これは間違い無く放火だ、と
確信すると同時に爆発はしないと判断した。化学消火剤と言ってもある筈もなく、自然消火を
俟つより外に方法はなかった。機体が崩れ落ち、下火になった頃翼を大勢で抱え引き離し
消化を終えた。

 
 64年後。平成21年7月テレビで大刀洗の特攻と謂う番組を視た。その中で甘木に墜落した、
桜弾の映像は昔消失した北飛行場での桜弾とは全く違うものであった。
その桜弾は、「大刀洗飛行場物語」に掲載されているのと同じものだったのだ。謎は解けた。
墜落した桜弾はノイマン効果を狙って前側が大きく凹んで、夕弾を集めたものである。
両者を説明すると、夕弾はドイツより技術協力で届けられた設計図通り製作したもので
爆発の衝撃力に重点を置いたものであり、硫黄島でロケット砲として数発使用され、
米軍として空飛ぶ爆雷と恐れられたそうであるが、開発されて間もないので直ぐ弾切れに
なったそうだ。その他に秋に実戦配備になる筈のジェット機に搭載される予定の迎撃用夕弾も
日の目を見ずに終わった。海軍に依頼して、製造中止になった、空母阿蘇に仕掛け実験したが
期待する程ではなかったそうだ。
 その結果改造して出来たのが、燃焼火薬を詰めた桜弾であり、整備員を集合させ威力説明の
あった桜弾であり、放火された桜弾であった訳けであります。

 6月になると艦載機の来襲が日増しに繁くなり、今日死ぬか、明日死ぬか、と思う日が続いた。
7月になると米軍上陸が噂になる。どこに上陸するか、地上戦になれば竹槍で戦えと……
竹槍で勝てるとでも思っているのだろうか、軍上層部の頭脳を疑う。空襲とは又違って、
地上戦ともなれば一層暗澹たる気持ちに悩む。

8月広島、長崎に新型爆弾が落とされ街は廃墟となる。

8月15日 日本は降伏した。

 これからどうなるのだろう、婦女子は安全なところへ避難しなければ、とか、
男は奴隷になる等色々な憶測が乱れ飛ぶが、誰もが五里霧中、
なるようにしか、ならぬと投げやりな気分ではなかったか。
将兵はお国の為、勝利を信じ能く闘かった。然し犬死させられた将兵も多かった。
来世は吃度良き人生を得られますよう、ご冥福をお祈り申し上げます。

 敗戦の残務処理として、公民館に預けてあったパラシュート、
羽二重のような純白な布製を焼却するよう命令された。米軍に収奪されるより燃やして
仕舞えと言う事で、勿体ないと思いつつも2日かかって200台、焼却処分を終えた。
 私は家族のへの土産に2台貰った。軍服の外套と革製編上靴、給金も支給され、
8月29日、重い荷物を担いで懐かしい、父母の許へ帰った。

                           終

註:爆撃前の( )内の時間は戦後20年経って現地で実測したものです。

〜追伸〜
最後まで、読んで下さりありがとうございました。
                             

No.1387 2010/04/30(Fri) 22:21:25
ありがとうございました。 / 美奈子
 

マッコさん、そして河野さん、貴重なお話をありがとうございました。
まだ全て読み終えていない私ですが、これからじっくりと最後まで読ませていただきます。
そして私は最近まで"日本の戦争"に対して終戦から何十年と時間の経過があるため、"戦争は遠い昔"と思って、正直あまり関心は寄せていませんでした。
ただ今でも、戦争の悲惨さを聞いては、"本当にそんなことがあったの?"と想像がつかないところではあります。

そして今になって、"この平和で落ち着いた日本でもずっと昔に戦争があった"との事実を改めて認識することが大切だと感じました。
戦争の時代があったと知れば、人を簡単に傷つける行為がとても馬鹿らしく思えます。
・・・と、いう私ですが時どき、悪いことをしたなと反省する点もあります。。

最後に、これほど長文でバトンを載せてくださり本当にありがとうございました。
私もマッコさんのように何かしたいです。

ありがとうございました。

No.1388 2010/05/02(Sun) 19:40:16
Re: ありがとうございました。 / マッコ
 

美奈子さんへ

お返事を読ませていただき、私は嬉しく思います。

美奈子さんの感じられたこと・河野さんへ「ありがとう」の旨は、
後日、河野さんに直接お伝えいたしますね。
きっと、お喜びになられると思います。

河野さんの戦争体験が、私だけではなく、このBBSを通して、
一人でも多くの人にお読みいただけたらと想い、書き込みさせて頂きました。

勇気を出して書いて下さった河野さんの想いもこのバトンと共に、
自分から他の誰かへと繋いでいきたいとおもいます。

これが、平和に繋がる一つの“何か”ではないかと私は考えています。

読んで下さりありがとうございます。

No.1390 2010/05/04(Tue) 23:58:14
受け取りました。 / Hisa
 

河野さんからのバトン確かに受け取りました。
平和のありがたさを改めて感じました。
今の平和があるのは沢山の犠牲・思いの上にあることを忘れない道しるべにしていきたいと思います。
河野さんにお伝えください。
「私は、次の世代にこのバトンを必ず渡します。
ありがとうございました。」

 マッコさん、マッコさんの平和に繋がる”何か”がまた一つ形になって嬉しく思います。
行動していない私がお願いばかりで恐縮ですが、次の”何か”をマッコさんのペースで届けてください。
応援しています。「ありがとうございました。」

No.1392 2010/05/07(Fri) 08:45:12
Re: 受け取りました。 / マッコ
 

 Hisaさん 

 河野さんのバトンを受け取って下さり「ありがとうございます。」

「私は、次の世代にこのバトンを必ず渡します。
 ありがとうございました。」というHisaさんの言葉、
 必ず、河野さんにお伝えいたしますね。

…最後に、応援していただき『本当にありがとうございます。』
 
 “平和とは?”自分自身にも問いかけながら、
 その“何か”に少しでも近づけるよう、
 自分のペースで自分なりの行動に移してまいります。

 お読みいただき「ありがとうございました。」

No.1394 2010/05/11(Tue) 03:03:37
紀里谷映画の今後に期待 / もりもり
 
ゴエモンの映像美、世界観はすばらしいですね。
キャシャーンも以前に手がけられた事から、ルパン三世の実写版もこの人しか撮れないと思いました。例えばルパンは金城武、峰不二子は藤原のりかって具合で(笑)
あと、かつての埋もれたヒーローで鳥居龍三とという考古学者がいましたが、まさに日本のインディージョーンズです。
こうした紀里谷監督にぴったりなエンターテーメント性の高い作品を今後も期待しています。

No.1393 2010/05/09(Sun) 14:43:40
世界の笑顔のために / みなみ
 
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No.1391 2010/05/05(Wed) 12:28:18
日本について / 李芳正
 
本日の産經新聞で石原慎太郎都知事が、「日本よ」と題して当世について書いている。序文はこうだ。

〜首都大学東京の入学式にて、アナウンサーが学生たちに起立をさせたのに、「礼」をさせない。私(石原慎太郎氏)はアナウンサーに一喝し全員礼と号令したら、学生たちも礼をした。そうしたら、二階の父兄席から拍手が起こった。父兄たちにはいくばくの良識があったのかもしれない。式典終了後にも直接注意をしたが、それにしても入学式にあれだけたくさんの父兄が来るのも面妖なことだ。〜

その後、各地で暴れる成人式の話や一人で学生食堂にいけない学生の話など、現代っ子の貧弱さについて憂いでいる内容が書かれている。精神学者斉藤環氏によると、日本の成人年齢は三十一歳らしい。そんな現実のようだ。

〜大学という大人の世界に入ってなお人と交われない、ましてや議論がもたらす厚い友情も獲得できない。・・・いくら体裁がよくとも真が虚弱な若者たちが強い国家、強い民族たりえるわけもない。・・・現代若者たちには、戦争ごっこもありはしなくなった。この国の将来のために強いしたたかな若者たちをいったいどうやって蘇らせたらいいのだろうか。〜
と結んでいる。

今の世の中、伊藤博文が初代総理大臣と分からなくても、wikipediaで調べれば、ハルビン駅で韓国の民族運動家安重根によって狙撃され暗殺されたことまで分かる。知識なんてiPhoneさえあればいらないかもしれない。こちらが外国人であってもでもいざ日本人と議論すると、反論もできず話も進まない。
日本人の若者が元気になる方法がひとつだけある。それは「働くこと」です。東京のマクドナルドでは人手が足らないから日本人の若者がバイトせずに、中国人・韓国人・インド人が接客している。パソコンの前にずっと張り付いてネットするよりも、バイトや仕事をして経済を活性化させましょう。
ライブチャットで紀里谷氏が平和を輸出しようと言っていたけど、まずは自分の国のこと考えないとダメなんじゃないかな。このままでは、万博景気にわき上がる中国に占領されるのも時間の問題だ。

No.1389 2010/05/03(Mon) 15:54:22
(No Subject) / 理子
 
わたしはアカウントを持っていないので
今日は参加出来ないかもしれないです・・・。
残念だなぁ。

No.1383 2010/04/25(Sun) 21:58:09
Re: / hide
 

これからも参加するようでしたら、Ustreamのアカウントをとる事をおすすめします。

今のUstreamは、デフォルトでアカウント持ってる人のみ書き込みできる設定になっているようです。

管理者の紀里谷さんが、/mode #kiriyacom -m とチャット欄に入れてくれればアカウントを持っていないゲストも書き込めると思います。(紀里谷さん以外の人は入れる必要ないです。)

No.1384 2010/04/25(Sun) 23:44:23
Re: / 理子
 

なるほど。 色々と教えてくださってありがとうございます。
今度のlive chatまでには、アカウント作れればいいなと思います。
hideさんお返事ありがとうございました。

No.1386 2010/04/26(Mon) 00:12:46
LiveChatを終えて / 大橋義秀
 
紀里谷さん、皆さんお疲れ様でした。
つながり→まとまり
を実行していきたいですねぇ。

No.1385 2010/04/25(Sun) 23:51:31
バトン〜その7〜 / マッコ
 
 日本軍も反撃に精一杯努力していたと思うが、戦況は我が軍に理非あらず。
軍首脳部は真逆サイパンから九州まで5,500?qをB-29と謂えども飛んでは来ないだろうと、
考えていたのではないか。(爆撃を終えたB-29 74機の内21機は空中集合の為待機時間の永かった
飛行機は燃料不足でサイパンの1,000?q手前の硫黄島に着陸して難を免がれた。)
硫黄島攻略はその為のものでもあったのだ。
 敵将ルメイの勝である。オドンネル将軍の決死の爆撃行は、沖縄近海の自国艦船を救ったとも言える。
此の日から、東洋一を誇った、大刀洗空軍基地は殆んど機能を失った。

 3月31日、大刀洗航空機製作所も壊滅した。諸施設も近郊に分散し細々と軍務を遂行する事となる。
我々4名も夫々に故郷に近いところを選択し、私は一人北飛行場へ行く事に決め、3月30日軍務に就いた。
 宿舎は乙隈の天理教筑紫分校教会の信者用、宿舎棟を軍が借り受け、総員30名位で生活する事となった。
七期生と八期生が廻り番で、炊事をし、風呂は村の共同浴場を借り受け、炊事当番が湯沸かしと、
清掃を受け持った。

 4月は北飛行場は空襲もなく、くつろいだ気分で仕事に邁進することが出来た。
掩体壕の中で隼戦闘機の引込脚のオイルポンプ修理をした。星空の下、夜食の丸くて大きなお握り、
カンテラのガスの匂い、解放的な雰囲気、いつしか、しっとりと夜露に濡れて作業は懐かしい
想い出として、今だに忘れることは出来ない。

 或る日キ67飛龍がふらふらと機体を揺らし乍ら着陸した。右エンヂンが脱落寸前になっていた。
早速修理をすることとなり、クレーン車を呼び、エンヂンの取り外しに掛ったが、
工場での作業のようにはゆかず、劣悪な環境や工具、重いエンヂンを落下させて仕舞い、
大目玉を喰った事もあった。
 4月の或る日、最新鋭戦闘機四式戦(疾風)が100機北飛行場に着陸した。
日本にも未だこんな力があったのか、と想いを新たにした。此の飛行機は最大速度624キロであるが
戦後米軍が接収して、良質のガソリンと点火プラグを交換、テスト飛行したところ670キロのスピードが
出たという。日本の航空技術の高さに驚ろいたそうである。因に総生産機数5,500機である。

 一方東小田小学校の講堂で、九五式練習機、通称赤とんぼに50キロ爆弾を装備し特攻機に仕立てる為に、
一週間徹夜作業をした。疲労と睡眠不足で、帰途歩き乍ら眠り、曲った道を真直ぐ歩いて、
田園に落ちた事もあった。赤トンボは最高速度240キロ、機銃無し。丸腰の練習機で50キロ爆弾を
翼下に吊し沖縄までゆくのだ。途中艦載機がてぐすね引いて待っているのだ。グラマンはゲーム感覚で
撃墜したと聞く。哀れなのは、何よりも飛行機乗りを夢見て、猛訓練に耐えて一人前になった少年達。
 優秀な武器で勇躍果敢戦死した、というのであれば心の鎮めようもあろうと言うもの。
竹槍を持って近代兵器と戦うようなもの、死んでも死に切れなかったのではないか。
 
 5月になると、グラマンやP-51ムスタングが我がもの顔に攻撃を仕掛けて来る。
 天理教の宿舎も襲撃され、炊事当番の後輩が二名戦死した。敵襲に驚き、米倉に避難したところを、
無双窓越しに銃撃され、二人折り重なって心臓を打ち抜かれ即死した。現場は血糊が床に固まり
盛り上がっていた。可愛想に入隊して僅か一ヶ月、14歳の若い身空であった。「南無阿弥陀仏。」
 炊事場では大きな飯炊き釜一個が打ち抜かれ、宿舎に並んでいる。私物のトランクが数個破壊された。
本堂の高床、床下の部品には大きな被害はなく、教会のおばさんが干していた布団に弾が当り貫通せず、
弾が下にポロリと落ちていたのには何やら教えられたような気がした。飛行場での作業は、遮蔽物が無く、
急襲に備え常に耳を澄し爆音を識別し、敵機独特の波状音が聴こえたら直ちに避難した。

 滑走路を横切り誘導路を越え、農家の庭に走り込み木陰に身を隠すとパパパパパァーンと射撃音がした。
すぐ横を超低空で風防眼鏡越しに我々を見乍ら上昇していった敵兵!
コノヤロー石でもぶっ付けてやり度くなった。逃げるばかりの日々、男として情けない。機銃が欲しい!
班長に話したら、お前は兵隊ではない、軍属だ、と一笑に付されて仕舞った。戦争は人を狂気にする。
近くの誘導路上に置いてあった「ソリッドモデル」「模疑飛行機」は完全に破壊されていた。
(英語は敵性語として排斥していたが、)軍では未だ「エプロン」とか「ソリッドモデル」とか
平気で使っていた。

 4月18日B-29が大刀洗に時限爆弾を投下した。執拗に攻撃を仕掛けて来る特攻隊に業を煮やした米軍は、
掩体壕に隠した飛行機の封じ込めの一環として誘導路を時限爆弾で攻撃した。何時爆発するか判からない。
誘導路は当分使用不能となった。爆発音は昼夜を問わず何日も続いた。
 爆撃中、珍らしく友軍機が二機山口県の小月基地より出撃。空中戦を演じたが一機は撃墜され、
二式戦闘機は体当りを敢行。パラシュートで降下中銃撃され負傷、病院へ搬送後死亡された。
その時の流れ弾が丁度、今し方私が立っていた畔道にプスッと音を立て、突き刺った。
掘り出して見ると12,7ミリの米軍が発射した機銃弾だった。B-29は小郡に墜落。
搭乗員11名(内女性通信員1名)全員死亡した。
                                     つづく

〜追伸〜
今回も読んで下さりありがとうございます。
次回で最終回になりそうです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

No.1382 2010/04/24(Sat) 01:59:32
HAppy Birthday!! / 浅井 和希也
 
紀里谷さん
お誕生おめでとうございます!!
昨年の今頃は
『GOEMON』の公開にむけ、
尋常ではない程の気持ちで
舞いあがっていた事を思い出します。
もう一年経つんですね。

劇場で又、あの感動を
感じたいです!!

4月のWorkshopで仰っていた
次回の作品を楽しみにしています!!

素敵な誕生日を
お過ごし下さい^_^v

LIVE CHAT
参加させていただきたいと
思います。

No.1380 2010/04/20(Tue) 00:03:42
Re: HAppy Birthday!! / 浅井 和希也
 

スミマセン!!

4月のWorkshopではなく、
2月14日、東日本橋での
Workshopでした。


訂正させて頂きます。

No.1381 2010/04/20(Tue) 04:04:36
Livechatのお知らせ / 山田久美子
 
 下記の日程でLIVE CHATを行います。

 4月25日(日)22時から

 メニュー画面、LIVE CHATより、是非ご参加ください。

 

No.1378 2010/04/19(Mon) 19:16:03
Re: Livechatのお知らせ / 大橋義秀
 

前回のchatは時間が過ぎてもみんな余韻に浸っていて
何かライブコンサートの後のような心地良さが印象的でした。
今回も楽しんで参加したいと思います。
紀里谷さん、皆さん、宜しくお願い致します。
さて、テーマはどうしましょうか?

No.1379 2010/04/19(Mon) 20:51:11
(No Subject) / 理子
 
うわーkiriya comが新しくなっている! !
シンプルでいい感じですね。

No.1369 2010/04/16(Fri) 15:23:04
Re: / うるみ
 

理子さん
リニューアルのお知らせありがとうございます!

こちらもかっこいいですね!
全体的に明るくて、このBBSすらカッコいい(笑)

WORKSHOPのページが気になりますね♪
このページで告知等もされるのでしょうか?
あ、全国のワークショップレポ等をkiriya.comでまとめて掲載とか、楽しいかも。

No.1370 2010/04/16(Fri) 19:50:26
Re: / ヴィエラ
 

紀里谷さん。こんにちは。
HPリニューアルでWORKSHOPの項目が増えましたね。
今、紀里谷さんが何をおこなっているのかどういう考えをもっているのか気になります。お仕事お忙しいかと思いますがLIVECHAT等またお会いできることを楽しみにしてます。

No.1371 2010/04/17(Sat) 10:25:37
Re: / 竹中光麗
 

ワークショップいいですねー。
また名古屋にきてください。
むしろ、どうすればきていただけますか?

ワークショップレポの共有もステキですね。

No.1374 2010/04/19(Mon) 12:00:55
Re: / うるみ
 

光麗さーん!こちらでもこんにちは!

呼べば来てくれますよ〜、紀里谷さん。
友人が紀里谷さんを呼んで、ワークショップ開催となりましたもん♪
会場の手配・当日の準備等いろいろありますが、
ぜひぜひ竹中さん主催のWS、開催してください☆

No.1377 2010/04/19(Mon) 18:42:34
25日に。 / 竹中光麗
 
ライブチャットするのですね。
すごく楽しみ♪

ライブチャットを開催します。
日時 4月25日(日)開場 22時〜

No.1376 2010/04/19(Mon) 17:37:32
Twitterでできること / みなみ
 
ワールド・ビジョン・ジャパンでは5月5日まで
“途上国の子どもたちを救いたい“
という意志がこもったつぶやきを募集しています。

@WorldVisionCHN 宛ての1件のつぶやきが、
パートナー企業により100円の支援となって
カンボジアの赤ちゃんとお母さんを守る活動に役立てられます。
1日1回50文字以内でつぶやいてください。

参加方法
1.Twitter にログイン (Twitterの利用登録が必要になります)
2.つぶやきの書き出しに @WorldVisionCHN を入力する
3.“子どもたちを救いたい”という意志をつぶやく 
(50文字以内でお願いいたします)

Twitterアカウントをお持ちでない方も協力できる方法があります。ワールド・ビジョン・ジャパンのHPをご覧ください。

No.1375 2010/04/19(Mon) 16:50:49
モッタイナイ / みなみ
 
理子さんの情報をいただいてTwitterを始めました。

そして、紀里谷さんのことはもちろんフォロー中ですが
紀里谷さんが以前「研究員ブログ」を書かれたことのある
(こちら→ //blog.excite.co.jp/mottainai-lab/i7)
モッタイナイラボ関係のTwitterアカウントも発見。

//twitter.com/mottainai_info

Twitterアカウント持っている方、そちらもフォローしましょう☆
この週末は代々木公園でイベントがあったようですね。

(上記URLにはhttp:をつけてください)

No.1373 2010/04/18(Sun) 14:44:41
(No Subject) / 理子
 
今日、twitterを見ていたら、なんか紀里谷さんのらしきページがあったのですが、紀里谷さんもtwitterをやっていらっしゃったんですか?
気付かなかったので発見できてよかったです。
でも、わたしはアカウントを持っていないのでフォローができないのはちょっと残念なんですが。
twitterでは、いつもの紀里谷さんとはまた少し違う一面〔?〕が見れて、面白かったです。

No.1372 2010/04/17(Sat) 20:59:29
バトン〜その6〜 / マッコ
 
 オドンネル将軍は報告書に全機225kg爆弾を14発宛搭載したと書いているが、
爆弾池の場合、田園だったことを勘案してもあまりにも穴が大き過ぎる。
その他、城山(花立山)近辺にも驚ろく程大きな穴が何カ所もあると聞く。

 私説だが米軍は爆撃計画に基づいて或る程度目標に合わせて爆弾の種類を
選別していたのではないかと思っている。それともう一つ言い度いのは、
爆撃編隊は私の見た「三波に依る爆撃」なのに、オドンネル将軍の報告書は
大きく異なっている。

 『大刀洗飛行場物語』73項68項の編隊図形を要約すれば次項のようになる。

『第一の編隊 第四九七爆撃連隊第一大隊の10機が131発の爆弾を投下したのは10時40分であった。 
 第二の編隊は、同じ連隊第二大隊の9機はその3分後10時43分格納庫の列に125発を投下した。
 第三の編隊も、同じ連隊第三大隊の10機もその2分後10時45分140発を投下した。
 第四の編隊は、師団長オドンネルの搭乗した第四大隊の6機と、第五の編隊、第四九八爆撃連隊、
 第一大隊の11機、第六の編隊第二大隊10機、第七の編隊第三大隊8機 計35機が14分遅れて
 10時59分490発を投下した。第八の編隊は同じ第四九八連隊 第四大隊の10機は140発の爆弾を
 11時5分に投下して3月27日の爆撃行を終了した。』 となっている此の資料が
「証言」「回想録」に 転載され混乱された話となっている。

 私は善意に解釈して、九州に到着する前の飛行形態を言っているのではないかと思っている。
実際は第一波25機10時40分爆撃開始。三百数十発 第二波との間隔(5〜7分)
[※私は時計を持たない]10分以上永いと爆撃は終わったと思って私は多分移動している。
 第二波は10時47分 340発投下25機。第三波は10時54分 334発を投下24機。
以上のように爆撃は整然と行なわれ、敵乍ら美事な爆撃行だったと思っている。
74機を3つに分けて25機 25機 24機と各編隊は同じ形態をとり一編隊の全幅は約300m位
だったと認識している。天晴れと言い度い位だった。
 投弾も30秒位で終っている。投弾開始が東方上空仰角60° 投弾後西方上空60°位、
その間の飛行時間は30秒とは掛らないだろう。

 俺達どうしょうか、と阿部が言う
頭から泥水を被り片方裸足、寒くて震えの止らない状態では何も出来ない。
養成所に帰るしか無かろう。という事で帰隊した。帰ると、松永・菊池が駆けて来た。
「お前達生きチョッタカ!」「心配しよったぞ」「皆でもう、死んじょるかも知れん」と
話しよったとこたい。と言って手をとり、互いに抱き合った。
 ところで、松永・菊池はすんなり帰れたのか?と訊くと、それがジャンの廃機処理場の
横の田園まで来た時B-29が爆弾ば落としたけん池に伏せたら衝撃波で30cmも跳ね上げられ
息もでけんごつあったバイという。30cmとは少しオーバーかもしれんが、腹部、胸部、に
相当な衝撃を受け、苦しみと恐怖を感じた事は想像に難くない。
 互いに「良かった 良かった」と喜ろこび合った。

 そうこうするうち、気の利いた者が被服庫から新品の服、編上靴を貰って来て呉れた。
平常ならば仲々こうはゆかぬのだか、被爆者という事で簡単に出して呉れたそうだ。
 食事に間に合ったので飯も喰った。心暖まる思いで満たされる。友情に感謝する。

 一息ついて、気掛りな飛行場第一格納庫へ行く。機体工場から西は不思議にも
無傷である。電精工場、プロペラ工場、落下傘工場 無事なので驚ろいた。
 これが限定爆撃というのだろう。が、然し原地蔵地区では、空襲警報のサイレンが
鳴ると、多数の兵士、軍属が軍の施設から少しでも遠くへ避難しようと、花立方面へ
大挙して、…それは上空から俯瞰すれば、恰も蟻の群に爆弾を落とすが如く、
無惨な!目を覆う修羅場だったという。死体は散乱し、電線にも死体の一部が着衣のまま
各所にぶら下がっていたという。民家も巻添えを喰って、破壊、炎上し親子の死傷者が
多数出た事は、何とも気の毒であり、悲惨な事であった。

 飛行場へ行くと、第一格納庫は完全に破壊され、鉄骨も露わに、飛行機は焼け焦がれ、
スクラップとなり、方向舵のみ僅かに原型を止め、隅っこに押し潰されている。
焼け残りがいまだ燻ぶっている。荒涼とした格納庫には人影もない。
 裏の大刀洗川岸へ行って驚いた。地形が全く変っている。大地震で山崩になった
現場を視るようだ。直撃弾が何発も襲い、生きている人は一人もいないそうだ。
 十数名の作業員がそこを掘り返し死体を収容している。既に20名程掘り出し、川縁に
 筵を敷き、並べられている。
「お前達この中に知った者はいないか?」見ると隣の部屋八室の白土君が居た。
久留米出身だ。死んでいるようには見えない、顔色も良いので人工呼吸をしようと、
割箸で舌を挟み気道を確保し胸に圧力を掛けるとスースーと呼吸をしているように
見えるが、それ以上の反応はなかった。
 
 爆弾にひきちぎられた上半身は、何処へ飛ばされたのか、内蔵のない下半身はズボンの
布が傷口を覆っている。腕、下肢、千切れた肉片等多数寄せ集められている。
何ともおぞましい惨状だ、出来るものならもう見たくない。毀れたマネキン人形の集積場だと、
吾が眼を欺き度い。小高いところで静かに黙想した。

 私達も養成所へ帰る許可が出なかったならば、確実に死んでいただろう。防空壕へ避難して
いたのならば直撃弾を喰って生き埋め、川縁の蓆の上にいるのか或いはマネキン人形みたいに
バラバラにされ、悲惨な姿を曝していただろう。未だ避難せずに格納庫に居たならば、
直撃弾で粉々になり、露散して姿も形も無くなっていただろう。養成所への帰途、
菊池橋の上で将校に怒鳴られなかったならば走る事もなく誘導路上で爆撃に気付き、
逃げ場を失っていただろう。将校に怒鳴られるのが10秒早かったならば機体工場横でB-29に
喚声をあげていた 挺身隊員と、直ぐ傍に在った掩体壕に這入り、衝撃波に潰され圧死していた
事だろう。人の運命。「禍福は糾える縄の如し」深く静かに幸運を想い感謝した。

 上空一万m B-29一機白い飛行機雲の尾を曳き北東方面から飛んで来た。
戦果の撮影だろうと思いつつも、全員空襲恐怖症に陥いっている。一時避難し、間もなく
現場に復帰した。沢山の死体はどう処理するのだろう。
 数年後判明した。五体満足な死体は夜須村、立石村、三奈木村、久留米市に於いて
荼毘に付されたそうである。バラバラの死骸は一纏に、トラックに積み込み、三輪村の
避病院南東の端に山積みにし、荼毘に付され遺族に英霊として丁重に送り届けられた。
戦地の英霊は髪の毛や爪、或いは石ころが骨壺に入れられていたりするが、
大刀洗では人名の特定出来ない骨であった。

 君達は今から格納庫内外の直撃弾で粉々になった肉片を拾い集めて呉れ。と言って
海老しょうけと竹箸を渡された。肉片は土にまみれて良く見ないと判別出来ないが、
肉片や短い髪の毛の付いた、肉塊が、沢山落ちている。
 工場内ではビフテキの匂いが漂っている。「不謹慎な話で死者に申し訳ない」が、
飛龍の残骸に肉片が絣の布と一緒に今だに燻ぶっている。

 あの優しくて、責任感の強い、兄のような工場長の消息は杳として判からない。
若しかして、此の海老しょうけの中に彼の肉片が……そう思うと、堪らなく悲しくて辛い。
全員を避難させるまで、壕に入らず敢えなく爆死したのではないか。たった二日間の
交流であったが、強く惹かれるものがあった。平和な時であったなら……残念で仕方がない。

 第一格納庫では、多くの人が死んだ。100名の整備員が居たが90%の人が亡くなっている。
助かったのは私達4名の外に7名が助かっている。飛行場の端に駐機しているダクラス旅客機、
軍の正式名称は九七式輸送機というが徹夜工員の休憩に使用している。(此の飛行機は南方戦線
セベレス島攻略にパラシュート部隊を運び活躍した飛行機である)

 昨夜の徹夜作業が終り午睡中の空襲である。初弾に驚き、危機一髪!飛び起きた10数名は
広い飛行場の中心部目指し必死で走った、物凄い爆風に何度も 薙ぎ倒された。立ち上がっては
走り逃げに逃げた。立ち上がれない者は死んでいたという。幸運にも7名が命拾いをした。
 菊池橋の上で私達を一喝した、大尉殿はあれからどうしただろう、気がかりだったが
消息はずっと後まで判からなかった。40年後、菊池橋袂の利材工場(油布の洗浄場)で
妹を亡くしたと言う、先輩に会う機会を得た。話しによると利材工場の壕の中で将校が一名
戦死していたと言う。多分指揮監督をしていたのではないか……と、私には頷けないものが
あった。それはまさしく、私が行方を心配していた、大尉殿ではなかったか。
 私達を叱った大尉は、飛行場入口で空襲に驚き、誘導路西側に飛び降り最寄りの利材工場の
防空壕へ避難して戦死されたのだと思う。
 命の恩人である大尉殿への感謝の念。命を落とされた大尉殿への痛恨の想い。
戦後40年経って、死亡を確認出来た事で「やはり」と言う想いは強い。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 今想うに、当時作戦会議の為、全将校に午前11時に飛行場の集会所へ集合呼集が掛けられ、
集合しつつあったのではないか。大尉の胸中には「昨日米軍は沖縄攻略の足掛りに慶良間諸島に
上陸した。沖縄周辺では多数の機動部隊が遊弋している。これを 殲滅す可く、今の度移駐して来た、
飛行九七戦隊跳飛爆撃を、「如何に効果的に、何時どのように、発進させ、如何に最大の戦果を
挙げることができるか。」そういう緊急事態のことで頭が一杯ではなかったか。警戒警報発令中に
テクテク歩いて帰る生徒を見るにつけ、そのまだるさに、大声を出し度くなるのも宜なるかなである。

                                 つづく

〜追伸〜
長文になってしまいましたが、最後まで読んで下さりありがとうございます。

No.1368 2010/04/16(Fri) 02:34:26
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