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日本軍も反撃に精一杯努力していたと思うが、戦況は我が軍に理非あらず。 軍首脳部は真逆サイパンから九州まで5,500?qをB-29と謂えども飛んでは来ないだろうと、 考えていたのではないか。(爆撃を終えたB-29 74機の内21機は空中集合の為待機時間の永かった 飛行機は燃料不足でサイパンの1,000?q手前の硫黄島に着陸して難を免がれた。) 硫黄島攻略はその為のものでもあったのだ。 敵将ルメイの勝である。オドンネル将軍の決死の爆撃行は、沖縄近海の自国艦船を救ったとも言える。 此の日から、東洋一を誇った、大刀洗空軍基地は殆んど機能を失った。
3月31日、大刀洗航空機製作所も壊滅した。諸施設も近郊に分散し細々と軍務を遂行する事となる。 我々4名も夫々に故郷に近いところを選択し、私は一人北飛行場へ行く事に決め、3月30日軍務に就いた。 宿舎は乙隈の天理教筑紫分校教会の信者用、宿舎棟を軍が借り受け、総員30名位で生活する事となった。 七期生と八期生が廻り番で、炊事をし、風呂は村の共同浴場を借り受け、炊事当番が湯沸かしと、 清掃を受け持った。
4月は北飛行場は空襲もなく、くつろいだ気分で仕事に邁進することが出来た。 掩体壕の中で隼戦闘機の引込脚のオイルポンプ修理をした。星空の下、夜食の丸くて大きなお握り、 カンテラのガスの匂い、解放的な雰囲気、いつしか、しっとりと夜露に濡れて作業は懐かしい 想い出として、今だに忘れることは出来ない。
或る日キ67飛龍がふらふらと機体を揺らし乍ら着陸した。右エンヂンが脱落寸前になっていた。 早速修理をすることとなり、クレーン車を呼び、エンヂンの取り外しに掛ったが、 工場での作業のようにはゆかず、劣悪な環境や工具、重いエンヂンを落下させて仕舞い、 大目玉を喰った事もあった。 4月の或る日、最新鋭戦闘機四式戦(疾風)が100機北飛行場に着陸した。 日本にも未だこんな力があったのか、と想いを新たにした。此の飛行機は最大速度624キロであるが 戦後米軍が接収して、良質のガソリンと点火プラグを交換、テスト飛行したところ670キロのスピードが 出たという。日本の航空技術の高さに驚ろいたそうである。因に総生産機数5,500機である。
一方東小田小学校の講堂で、九五式練習機、通称赤とんぼに50キロ爆弾を装備し特攻機に仕立てる為に、 一週間徹夜作業をした。疲労と睡眠不足で、帰途歩き乍ら眠り、曲った道を真直ぐ歩いて、 田園に落ちた事もあった。赤トンボは最高速度240キロ、機銃無し。丸腰の練習機で50キロ爆弾を 翼下に吊し沖縄までゆくのだ。途中艦載機がてぐすね引いて待っているのだ。グラマンはゲーム感覚で 撃墜したと聞く。哀れなのは、何よりも飛行機乗りを夢見て、猛訓練に耐えて一人前になった少年達。 優秀な武器で勇躍果敢戦死した、というのであれば心の鎮めようもあろうと言うもの。 竹槍を持って近代兵器と戦うようなもの、死んでも死に切れなかったのではないか。 5月になると、グラマンやP-51ムスタングが我がもの顔に攻撃を仕掛けて来る。 天理教の宿舎も襲撃され、炊事当番の後輩が二名戦死した。敵襲に驚き、米倉に避難したところを、 無双窓越しに銃撃され、二人折り重なって心臓を打ち抜かれ即死した。現場は血糊が床に固まり 盛り上がっていた。可愛想に入隊して僅か一ヶ月、14歳の若い身空であった。「南無阿弥陀仏。」 炊事場では大きな飯炊き釜一個が打ち抜かれ、宿舎に並んでいる。私物のトランクが数個破壊された。 本堂の高床、床下の部品には大きな被害はなく、教会のおばさんが干していた布団に弾が当り貫通せず、 弾が下にポロリと落ちていたのには何やら教えられたような気がした。飛行場での作業は、遮蔽物が無く、 急襲に備え常に耳を澄し爆音を識別し、敵機独特の波状音が聴こえたら直ちに避難した。
滑走路を横切り誘導路を越え、農家の庭に走り込み木陰に身を隠すとパパパパパァーンと射撃音がした。 すぐ横を超低空で風防眼鏡越しに我々を見乍ら上昇していった敵兵! コノヤロー石でもぶっ付けてやり度くなった。逃げるばかりの日々、男として情けない。機銃が欲しい! 班長に話したら、お前は兵隊ではない、軍属だ、と一笑に付されて仕舞った。戦争は人を狂気にする。 近くの誘導路上に置いてあった「ソリッドモデル」「模疑飛行機」は完全に破壊されていた。 (英語は敵性語として排斥していたが、)軍では未だ「エプロン」とか「ソリッドモデル」とか 平気で使っていた。
4月18日B-29が大刀洗に時限爆弾を投下した。執拗に攻撃を仕掛けて来る特攻隊に業を煮やした米軍は、 掩体壕に隠した飛行機の封じ込めの一環として誘導路を時限爆弾で攻撃した。何時爆発するか判からない。 誘導路は当分使用不能となった。爆発音は昼夜を問わず何日も続いた。 爆撃中、珍らしく友軍機が二機山口県の小月基地より出撃。空中戦を演じたが一機は撃墜され、 二式戦闘機は体当りを敢行。パラシュートで降下中銃撃され負傷、病院へ搬送後死亡された。 その時の流れ弾が丁度、今し方私が立っていた畔道にプスッと音を立て、突き刺った。 掘り出して見ると12,7ミリの米軍が発射した機銃弾だった。B-29は小郡に墜落。 搭乗員11名(内女性通信員1名)全員死亡した。 つづく
〜追伸〜 今回も読んで下さりありがとうございます。 次回で最終回になりそうです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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No.1382 2010/04/24(Sat) 01:59:32
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