鶴見を歩いているとき生麦事件の碑を見つけました。 朝廷は幕府に攘夷断行をもとめ江戸に赴く大原勅使の護衛として薩摩の島津久光が同行。 その帰途、文久二年八月二十一日(西暦1863年)午後2時行列を横切ろうとしたイギリス人 一向を生麦で殺傷しました。 このことが薩英戦争の契機となったのです。日本の風習として切られたものを長く苦しめないため とどめをさしたことがイギリス人の大きな怒りに変わったんですね。 島津久光、この藩主は先代の名君と違い家をつぐとすぐに西郷隆盛を島流しにしたり、尊王攘夷の 家臣を同じ仲間のか家臣をつかって池田屋で惨殺させたいわくつきの君主なんですね。 この池田屋事件をきいた「坂本竜馬」が涙をながし即興の都都逸を唄ったといわれています。
♪咲いたさくらに なぜ駒繋ぐ 駒が勇めば 花がちる♪」
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No.2746 - 2008/02/19(Tue) 07:28:08 [p3113-ipbf509hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp]
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