ひさびさにHP更新しました。 「著名人パパ・スクラップファイル」に鈴木瑞穂さんアップ。 それと、懐かシネマの「スタアの身長疑惑」に少し書き加えをしました。 |
この日だけ天気が良かった5月7日、那覇市内の宿舎から中部方面へ遠出するつもりだったのですが「携帯薬入れBOX」をリュックに入れわすれて出かけてしまいました。 おもろまちので遅い朝食後、頭痛の前兆があったので、とりあえず市販の頭痛薬を買って飲んだけど全く効かない。 医者から処方されてるトリプタン製剤を取りに戻って、それを飲んでからまた出直すつもりが、宿舎のソファで気絶するように眠ってしまいました。 気がついたら午後4時、もう遠出は無理なので、国際通りでお土産を買うだけのトホホな最終日となりました。 実はビーチパーリィの日も頭痛はあったのですがトリプタンでおさまりました。 頭痛は毎度のことなんですが日程に影響したのははじめてです。 今回の旅は映像的な収穫が何もない旅となってしまいましたが、いろんな人との友好関係が築けて、それなりに有意義な旅だったと思います。 |
秋雄さん、例年なら沖縄はこれから梅雨になるのですが、今年は異常に早く、4月30日に梅雨入りしてしまいました。 おかげで、那覇ハーリーも雨の中での開催となってしまって、良い映像が撮れませんでした。 今日は最終日なので那覇から離れて路線バスで遠出しようかな?と思ってます。 天気は雲が多いけど晴れてます。 帰宅してからまた沖縄リポート報告しますね。 |
パーティー楽しかったよう、風はきつかったでしょうか、島なので、風が吹くとビッグですね、こっちでは台風?、夜、サトウキビ畑の中をタクシーで通った時は、ちょっとこわいぐらいでしたね。でも、ハイビスカスの花や南国の蝶、イシガケチョウを目の前でみたときは感動したし、海の色はエメラルド色でした。いわゆる本土の子でしょうか、なんか気を使いますが、またいってみたいです。飛行機で1時間ですね。 「道」、是非、さがして観てみたいです。「ゴッドファーザー」のテーマも、だったんですね。 |
沖縄滞在2日めの5月4日。 団体行動が苦手な私が、那覇のスナック「CHO'S BAR」さんのビーチパーリィに、初めて参加させていただきました。 バスを貸しきって(晴れてたら)絶景の西原ビーチマリンパーク(であってる?)の屋根のある施設(こういうの何て呼ぶの?)で、雨のバーベキュー大会となりました。 申し訳ないですが、パーリィーの様子は写真には撮ってないんです。 というのも、元来は引っ込み思案で、人が多く集まる場所でポツンと浮いてしまうことが多い社交性の乏しい性格なので、今回はコミュニケーション能力を育むため、トークに徹することにしたからです。 とは言え、やっぱり浮いてしまった私。 特にタイプな人の前ではドキドキ、緊張して話の糸口をつかみそこねまくってました。 しかし、よくしたもので、こういう大人数の場では、必ず話しかけてくれる気さくな人もいるのです。 そこから徐々に話をつないでゆくパターンで、輪の中に溶け込んでゆけます。 「おとなしいですね」って言われたけど、初回はでしゃばらないことが肝心だと思ってたし、自分的には大成功。 パーリィーに誘ってくれたCho's Barのマスター、運営スタッフのみなさん、ありがとうございました。 |
「ロミオとジュリエット」なつかしいです。オリビアハッシー(ハッセー)、レナードホワイティングともに公開時は大人気でしたね。 テーマ曲も大ヒット、当時は映画のサウンドトラック盤 とかがヒットする時代でしたね。 ニーノロータで今思いつくのはフェデリコフェリーニ監督の1954年の映画 「道」のテーマですが、この映画は泣けます。 そうそう「ゴッドファーザー」愛のテーマもニーノロータさんでした。 |
「ロミオとジュリエット」、レンタルでみました。ニノロータの曲、繊細な演技力に圧倒されました。また、観賞しようと思います、それほど心に残りました。ニノロータのことももっと知りたいですが、名前だけしか知りませんでした、これからです。それにしても、レクイエムのようでいて、どこかあたたかいあの曲、映画で聞くと本当に伝わってきますね。 |
ユーミンの作品じゃなかったのかな、すみません、うろ覚えです。勘違いかもしれません。 タロスケさんの、切実な訴え、報道にも載っていない事柄でした。人はつい、世の中にはもっと不幸な人がいるってアドバイスするでしょう、あれってほんとダメですね、人の悩みって、比較できませんし、したらいけないし、その人その人の悲しみ、苦しみの宇宙があるんですね。金子みすずさんがうたっているように、みんなちがってそれでいい、だと思います。タロスケさんの苦しみに対して、少なくとも聞く耳はもっているつもりです。世の中は不条理です。宗教は、その答えで、原罪、因縁という言葉で埋めようとしています、果たしてそうなのかな、それをいわれたらたまったもんじゃない人もたくさんいるでしょうね。人間の考え出した理屈がほとんどで、疑ってもいいんですよ。 ねばならないより、自分はこう思うですね。間違っている云々の次元でなくて。 |
まあ、みなさん聞いてください(故・人生幸朗師匠の口調で) 私タロスケが「五体不満足」の名でクラブ21さんのメトポールに「障害者でも恋したい話したい」という部屋(掲示板)を立ち上げた直後のことです。 別の部屋の、あるオーナーさんが「たしかに私より体の不自由な人はいるわ、でも私は働いてるのよ」と発言されてたのです。 そのオーナーさんは「プチ性同一性障害」で、「うつ病」や「メヌエル症」など自律神経の病気で悩まれた方ですが、お体は立派な五体満足な方です。 「たしかに私より体の不自由な人はいるわ、でも、私は働いてるのよ」ってことは、言い換えれば、そのオーナーさんより体の悪い人は全員「働いてない」という意味にとれます。 ・・・まさか「身体障害者は国や自治体から生活費がもらえるので、働かなくてもいい」とでも思ってらっしゃるるのでしょうか? そもそも、そんな夢みたいな福祉国家がこの地球上に存在するのでしょうか?もし存在するなら教えてほしい、移住を考えたいです。 しかし、まあ、今のこの日本という国に、そんな考えちがいをしてる人がいること自体、びっくりしますね。 びっくりすぎて腹も立たない、こんな考えちがいをしてる人が世の中にいたのか・・・・・ 「等級」や「種」によって差がありますが、少なくとも私は年末調整で帰ってくる税金なんてスズメの涙みたいなものです(月にしてラーメン1杯程度)。 もちろ補装具を新調するときは補助が出るし、JRの乗車券も片道100キロを超えた場合は割引してもらえます(航空券も同様)。 しかし、身に着ける補装具の補修・維持費や薬代(当然自腹)は大変な額だし、障害から派生する二次的持病の治療費や薬代など、大変な額で、生活そのもを圧迫しています。 むしろ、そのオーナーさんが言うのとはまったく逆、障害者は健常者より生活にお金がかかるのが現状です。 私は職安(ハローワーク)で、障害者を募集している募集情報の中には「障害者は失業の恐怖が健常者より顕著で、どんな嫌なことがあっても辞めないで ガマンする傾向がある」から、健常者が見向きもしない低賃金・劣悪な条件のもの を障害者募集で確保しようとする事業者が多い、と聞きました。 そして、私自身も、そんな障害者の足元を見るような経営者の悪徳事業所に勤務して辛い思いをしてきました。 いくらプチ性同一性障害で苦労したことを強調したいからと言って、事実誤認は罪つくりです。 自分の立場はおおげさに、他人の立場はとことん甘く想定して「私のほうがもっと苦労してるのよ」という論調に無理やり持っていく常套手段は許せません。 [わたしは自律神経の病気ながら苦労して働いてるのというに、身体障害者は働かかなくて国からお金がもらえて不公平、] という意味にもとれる、このトンデモ発言、みなさんはどう思いますか? 今はその「とんでも発言」されたオーナーさんは書き込みを消されました。 と、いうより、そのオーナーさんの部屋(掲示板)そのものが、クラブ21さんから退去されて、もう見ることはできません。 私は退去されたことを好意的に解釈したいです。 どこかの時点で、そのオーナーさんは自分の思い上がりに気づき、ご自分が書いてることの「恥ずかしさ」に気づいたのだと思います。 私はそのことを、そのオーナーさんの「人間的成長」だと信じたい。 人は自分の苦労を伝えようとするだけじゃダメなんだってことにやっと気づか れたんだと信じたい。 自分の痛みを伝えるには、他人の痛みに知らなくてはいけないし、相手の立場をを理解しようとする気持ちは大切です。 お互いの立場を尊重しあうことではじめて「優しさ」や「思いやり」が生まれると思うのです。 ほんとはずっと前に言いたかったんだけど、あえて間を置きました。 P.S. 秋雄さん、ひょっとして「春なのに」は柏原芳恵さんの歌では・・ 同じ曲名の歌をユーミンも歌ってたらごめんなさい。 「春よ、来い」や「最後の春休み」も春を歌った曲ですね。 それはさておき、僕には女兄弟がいないので、想像するしかないのですが、秋雄さんにとって、年が離れたお姉さんというのは、優しいお姉さんだったにちがいないと思います。 PTSDも「うつ病」も当時は、そんな病気があること自体知らなかったし、子供だから自ら病院へ行くこともできなかったです。 10年前。僕は今の会社に入社したとき、健康診断で「再検査が必要」とされ、自律神経失調症と診断されました。 幼いころの出来事は、人生を左右する大事件となってしまいますね。 でも、いろいろあるけど、少しづつ乗り越えてゆきましょう。 No.1543 - 2011/05/02(Mon) 05:59:58 |
今朝のTVで偶然に会津若松の特集をみました。ホントに、東京より東は縁遠いですね。これから、訪ねていきたいです。 私のエピソード、欠点を言ったら枚挙に暇がないんですが、小3の時に16歳の姉を亡くしたことですね、自らのことですから悲しかったです。あの頃はPTSDなんて、世間には全くないですから(誰もそうです)、でもなんとか生きてこれました。ユーミンの「春なのに」をうたっていて、春なのにおわかれですかで、涙腺がいつもゆるみ歌えなくなります、春だったんです。 |