タロスケさん、開演時間に間に合ったのでしょうか? 私はそういった公演にはJRをつかいます。ただ家の近所に埼玉会館があるので公演の時は車で来る人もいます。何度かトラブルになったことがあります。駅からも近いしJRにすれば済む事なのです。何でわざわざ車を使う必要があるのでしょうか。不思議でなりません。 車の方は仕事上仕方なかったのでペーパードライバーからドライバーになりました。私には事務とかの仕事は残されていませんでした。 車は彼氏が出来た時の便利な道具になる事は確かです。けれどお金が掛かるし6年たったら車の価値はゼロになります。はたしてそれでペイ出来ているかとすればそれは疑問です。 今は車がないとやや不便なので古い車ですが使い続けています。 東京都内でしたらまず車は必要ないですね。タロスケさんもご覧になったと思いますがミニバスが下町を走り回っています。更に便利になりました。 |
ペギラさんの言われるとおり、都会にはいろんな誘惑があり、変な人も多いと思います。 地方の郡部や(東京でも外れのほう)などでは車がなければどうしようもないところに住んでる人もいることを思えば、地方都市とはいえ、瀬戸内海沿岸で私鉄もJRもあるわが町は恵まれています。 ものは考えようですね。 おそらく、ペギラさんが日常的に体験されてる東京の道路の混み具合は想像を絶するものかもしれません。 コンサートの開演時間におくれそうになって、大阪の御堂筋を夕方6時にタクシーにのってもホント、イライラします(あ〜!!地下鉄にすりゃ良かった・・・と後悔先に立たずでした) 就職のため、そして、いつか彼氏ができた時のため、免許をとろうと決意したことがありましたが、当時はオートマチック車も少なく、障害者が免許を取るのはめんどくさかったし、もともと、脳が車の運転に不向きなので、今日まで免許を持たずにいます。 某家電工場に通勤のための原付免許だけは取りましたが、それも好きじゃなかったので20キロ近い距離を自転車通勤に切り替えました。 タイヤが4つあるの車を運転したいという願望がそもそもないです。 伊丹は大阪の隣町だけど、大阪の中心街の梅田までは自転車だとかなりあり、ふつう、自転車で行くやつはいないです(笑)。 伊丹は空港の街として有名ですが、伊丹空港の管制塔は兵庫県伊丹市だけど、滑走路は大阪府池田市なんですよ。 伊丹には職業訓練校の寮に1年、某運送会社の大型集配センターの寮に10か月と、ほぼ2年ちかく暮らしました。 その後、伊丹のすぐ南隣で工業都市の尼崎に引っ越し、尼崎には4年半ほど暮らしましたが、より大阪が近く、貧乏だったけど、なんだか生きてる実感がすごくしました。 この尼崎時代に得たものは大きいです。 いろいろあるんだけど、また、ゆっくりと語りたいと思います。 できたら、今おくれてるエッセイのコーナーとかで。 今はパソコンで、こうやってホームページやったり、みなさんと掲示板で交流することで生きてる実感をかんじてます。 |
ペギラさん、思えば、昭和は週休1日制が一般的でしたね。 年休も名前だけで、実際には使えなかったり、残業が月に140時間とか、休日は疲れてたはずだけど、必死に遠い遠い街まで出かけたり、必死で生きてた気がします。 地方のH市から、大阪近隣の伊丹市に引っ越しできたときは夢みたいでした。 僕の場合は、車はガソリンで走るのでなく、自分でこぐ自転車でしたが、職場の寮から大阪の街中までゆける距離というのは、うれしかったし楽でした。 やっぱり都会周辺で暮らすほうが楽だと実感しました、いろんな意味で。 ところで、YouTube動画で見れなくなっているものを再アップしたり、ちがう内容のものに入れ替えたので、「パパの縁側」の各コーナー、またご覧ください。 |
タロスケさん。今思い出すと私も安月給でしたね。それでいて毎日仕事に明け暮れていて休日はグッタリしていました。仕事が間に合わず休日も出勤した事もあります。 休日の娯楽を強いて言えば映画やドライブ位でしょうか。 でもフッと若かった昭和のあの頃を思い出す事があります。 |
大阪(の隣の尼崎)に住んでた頃は月13万〜15万の安月給でしたが、大阪や神戸、時には京都にまで足をのばして、いろんなアーティストのコンサートに行きました。 地方都市に住んでる今は、年に一度くらいですが、今年も12月11日に大阪までコンサートへゆきます。 やはり、好きな歌を生で聴くことはいいですね。 レコードやCDで聴くのとはちがう感動があるし、聴きなれた歌が自分の中で生まれ変わります。 今回は「土曜の夜は・・・・」が歌われる可能性が高いので、ちょっと楽しみ、「翼・・・」「竹田・・・」以外の赤い鳥ナンバーもあるみたい。 |
私が「赤い鳥」というグループを知ったのは、学生時代です。私は、その頃○○音楽研究会というクラブ(サークル)に入っていて、同じ学年の人に教えてもらいました。潤子さんでしょうか、女性のボーカルが秀逸でした。 潤子さんに限らず声量と言うか歌の上手さというか素晴らしい人がいますよね。 そのクラブの発表会で、厚生年金会館だったかな、他所のグループだと思うのですけど、女性ボーカルが素晴らしく“これでもアマチュア?”と感じ、そのレベルの高さに驚きサークルは辞めました。勿論私は何もせず一年生として、ただ参加しただけです。私が18歳の時でした。 |
ペギラさん、赤い鳥が3つのグループにわかれたことをご存じとは鋭い! というのも、普通は、紙ふうせんとハイファイセットの2つに分かれた・・・と解説されることが多く、赤い鳥の後期メンバーだった渡辺俊幸さんが結成したハミングバードのことが語られないからです。 ハミングバードはすぐ解散したようで、僕もどんな曲をやってたかはしりませんが、渡辺俊幸さんは作曲家・編曲家として今も活躍されてます。 今、本屋さんのJ−POPコーナーに出ているガイド本では、赤い鳥は再評価されてます。 また、ハイファイセットも少しだけど正しい認識がされるようになってきてます。 当時、つっぱてた音楽ライターの先生方も、やっっと、あの時代を客観的に見ることができるようになったのだと思います。 でも、GSブームを再評価しようという動きはあるのかどうか・・・微妙です。 でも、たしかに名曲は存在したし、次代に受け継がれてゆくことでしょう。 |
テンプターズでショーケンがフリルのついた衣装で「エメラルドの伝説」を歌ってたのやザ・タイガースのジュリーが「君だけ〜を〜」といって、客席やテレビカメラに向かって指を差して歌ってたのも思い出します。 でも、今、僕の愛唱歌になっているのは当時はあんまり憶えてないザ・サベージ(寺尾聡さんのいたグループ)の「いつまでもいつまでも」です。 (ザ・スパイダースの「いつまでもどこまでも」とは別曲です)。 五輪真弓さんは本来なら、ユーミンやみゆきさん以上に評価されていい存在ですね。 歌唱力もあるし、日本のシンガーソングライターの真の女王だと思います。 本屋さんの音楽本のコーナー、今は「J−POP」と分類されてるコーナーはちょっと対象となってるアーティストが偏ってるようです。 僕の好きなハイファイセット=山本潤子さんに記述が及ぶものは少ないです。 自分たちで曲も作るし他人の曲も歌うっていうスタイルが、J−POP(ニューミュージック)が台頭してきたころの音楽ジャーナリストには理解を得られなかったみたい。 昔の音楽雑誌を古本屋さんで探して読んでもハイファイセットはひどく冷遇されてて、インタビュー記事などほとんどないし、アルバム紹介もファンから見れば的外れなトンチンカンなものが多かったです。 でも、ペドロ&カプリシャス=高橋真梨子さんだって、音楽雑誌からは、どちらかといえば冷遇されてたアーティストなのに、あそこまでビッグなアーティストになったし、潤子さんも頑張ってほしいです(いや、頑張らなくてもいいからずっと活動しつづけてほしいです)。 音楽雑誌はライターの個人的な好みが優先しすぎて売れなくなり、次々と廃刊となってしまいました。 音楽雑誌って、えこひいきがひどかったから大嫌いだったので、それでよかったと思います。 |