森繁さんの水上レビューというのはちがってたかもしれません。 健康ランドの完成記念みたいな感じで月桂樹の冠をかぶった半裸の森繁さんを中心に社員全員で歌い踊るような・・・ 森繁さんは体が丈夫だったんですね、だから長生きできた。 ご長男を早くになくされましたが最高の人生を生きられたのではないかと思います。 |
森繁さんの社長シリーズ初期のモノクロ作品で、たしか「はりきり社長」だったとおもうんだけど、なぜか映画のラストは、ギリシャ時代の哲学者のようないでたちの森繁さんの水上レビューショーだったのです。 森光子さんだったか、淡島千景さんだったか、森繁さんには色気があったと語っておられましたが、森繁さんの色気がわかる人は本当の大人の女性におもえました。 |
「著名人パパスクラップfile」にも写真がアップされている、森繁久彌さんがお亡くなりになりました。合掌。森繁さんといえば映画の社長シリーズが有名ですが、私はラジオの方で印象に残っています。 10時頃から始まる「こんばんは森繁久弥です」というラジオ番組でして、中学の頃毎晩それを聞いていました。 冒頭に始まる 「本当の幸せにしみじみとむせび泣きたいのなら、あなたよ、今日の不幸せには笑って耐えようではないか、友よ明日泣け・・・」には何度、励まされた事でしょうか。 そして何という偶然か、亡くなる数日前に池部良さんの1951年の作品で市川崑監督の「恋人」という作品にチョイ役で出演されていたのを観ていたのです。森繁さんが38歳の時の事です。僅かな時間でしたけど、その頃はフケ顔ではなくて本当に若々しくて悪くいえば何処にでもいるようなそんな感じです。でも元アナウンサーだけあってその軽妙な語り口や歌を聴くと将来 国民的俳優 エンターテイナーになる事を予感させてくれるものがありました。 不謹慎かもしれませんが、裸のシーンは「社長シリーズ」か何かで一度だけ見たことがあります。少し胸がときめいたのと意外と毛深いのだなと感じた事を覚えています。トレードマークの髭を蓄えておられましたけど何時もきちんと整えていたようでしたので気付きませんでした。 大正2年生まれ、といえば年回りが私の父親といってもおかしくない年齢です。 森繁さんのNHKラジオ「日曜名作座」去年まで聴いていました。ご冥福をお祈りします。 |
僕の家から須磨は私鉄で片道900円くらいで、決して近くはないのですが、風光明媚ですね。 築40年でも、しっかりした造りの家ならむしろ”買い”だと思うんですが・・・レトロ感のある造りだったらなおさら。 って、無責任に言ってますけど、秋雄さん、じっくり探してくださいね。 |
中央フリーウエイ、ほんと都会的で印象深いですね。乾いていて、ロマンがあって、余韻が残ります。好いた惚れたの歌はちょっとしいどい、いえもうたくさん耳に残した気がするから、こんな歌がほっとしますね、 日曜の午後、天気もいいから、須磨の海まで電車でいきました。たこ焼きを食べたり、オーレを飲んだり、歩いたりしました。 まだ家はみつからず。ペットと住むので、庭付き古家を探していますが、手ごろな値でないですね。築40年以上の家って、やめたほうがいいでしょうか、迷うばかりで困惑です。探しているうちに、老け込みそうです、とほほ。 |
一度、中央高速を走りながら、この「中央フリーウェイ」えお聴いてみたいです。 ハイファイセットはほかにも「水色のワゴン」「ムーンハイウェイ」「ときめきより速く」なんてドライブを想定したナンバーが多いです。 飛行機や気球、宇宙船からタイムマシン(「June Flight」「夢に見たジャマイカ、「星のストレンジャー「Starship」など)もあるし、「土曜の夜は羽田に来るの」「空港まで」「とりあずNARITA」「モーニングフライト」なん空港をテーマにした曲も多く、ハイファイセットの世界は”旅”を感じさせるオトナのリゾートポップスって感じでした。 三船さんの「無法松」、たぶんレンタルにもおいてないだろうなあ・・・ でも、阪妻さんのをまた、観たくなりました。 |
「無法松の一生」は子供の頃、テレビの映画で見た記憶が微かに残っています。勝新太郎さんの映画のポスターを見たのはそれから暫く後になってからです。勝新太郎さんの映画が1965年の事ですから、相当前の事ですね。 「中央フリーウェイ」を聞くと時々通る中央高速を思い出しますが、個人的意見ですが実際にはあまり楽しい道には思えないですね。何回もお金を払わなければならないし遮音壁に囲まれていますし渋滞もすごいです。でもあの歌は都会的センス溢れるものでイメージが目に浮かぶようです。 |
NHK−BSの「日めくりタイムトラベル」という番組、昭和のとある1年を、たっぷり3時間もかけて振り返る内容で、月イチくらいの間隔で放送されてるのでほうk? 今日、11月7日は「昭和31年」の特集で、石原慎太郎・裕次郎兄弟の話題も取り上げられてたようです。 日本の映画界のエポックメイキングな年「昭和29年」が特集される時は見逃さないように、テレビ情報は事前にチェックしておかないといけません。 昭和29年は、「ローマの休日」が公開されヘップバーンカットが流行し、マリリンモンローがジョーディマジオと新婚旅行で来日した年(なんと2週間も滞在したのに写真が少ないのはヤキモチ焼き亭主ディマジオのせい)、そして、「七人の侍」「ゴジラ」が公開された年でもあります。 |
”ぼん”の少年時代で、当時(昭和18年)の芸名は「沢村アキヲ」でした。 稲垣浩監督は昭和33年に三船敏郎さんでも再び「無法松の一生」を撮っていて、これには阪妻さんの時にはカットさせられたシーンもあるようです。 三船版「無法松」はベネツィア映画祭グランプリという快挙を成し遂げたました。 その後、東映で三国連太郎さん、大映で勝新太郎さんと邦画会社がリメイク、僕はいまのところ、阪妻さんいがいでは勝さんのしか観たことありません。 実はこの、松五郎さん、テレビでは昭和32年の日本テレビ、37年のNHKと2度に渡って、あの田崎潤さんが演じていたことがわかりました。 そのフィルム(ビデオテープ)が今も残ってるなら、ぜひ見てみたいものです。 |