「東京物語」は戦争未亡人の原節子さんが、義父の笠智衆さんから「あんたは本当にええ人じゃ」と言われて、「わたし、ずるいんです」と強く否定するところが、とても”深いい”シーンでした。 三宅邦子さんは、東京物語のひとつ前の「麦秋」では、原節子さんの義姉でしたが、ショートケーキの値段を聞いて、あまりに高いので「あたし、食べるのやんなちゃった」と言うシーンや、結婚を決意した原さんと浜辺で語り合うシーンが印象的でした。 後年は「サインはV」の主人公、朝岡ユミ(岡田可愛さん)のお母さん役が印象的です。 サインはVの第一話、バレーボールの練習中の事故で姉を亡くし、バレーを憎むあまり、形見のボールをナイフで切り裂いて家の外のゴミ箱に捨ててしまうユミ。 その後、ラスト近くでお母さんはユミを諭します。 「お姉さんはバレーを憎んで死んでいったんじゃないのよ、あなたにも死んだあの子と同じバレーの血が流れてるのよ」 そう言って、糸で縫って直したボールをユミに差し出すおかあさん。 女親ならではの細やかな優しさに満ち溢れた美しいシーンでした。 娘のライバルであるマリ(中山麻里さん)をも応援し、母親に捨てられたジュン(氾分雀さん)にも手編みのセーターを贈るおかあさんは、おおらかな愛情を持った理想の母として描かれていました。 三宅邦子さんはまさにそのイメージにぴったりでした。 何かのコマーシャルか、他のドラマでのイメージか、三宅さんは割烹着を着てるイメージがあり、日本一、割烹着の似合う”おかあさん”だったという気もします。 |
志村喬さんが朝来市出身だという事は案外知られていないのかもしれません。あれだけ映画界に功労のあった人なのに? 「お荷物小荷物」の事、皆さんよく覚えていらっしゃいますね。あの褌のシーンはチョット汚いかな?と思いました。私があのメンバーで覚えているのは河原崎長一郎さんと林隆三さん 佐々木剛さん位です。浜田光男さんはそう云われれば・・・。と思いました。 原節子さんは往年の名女優という感じです。その頃小津作品に脇役として共演していた三宅邦子さんは私のお袋と同じ高校の同級生です。料亭の娘で運動が得意な活発な感じの女性だったと聞かされています、これは偶然です。三宅さんの実家はもし残っているとすれば今私の住んでいる所から本当に近いはずです。といってもインターで1個目ですけど。 脇役の話になってしまい失礼しました。 原節子さんの「東京物語」はとても感動的で心打たれるものがあります。小津安二郎さんの作品は独自のローアングルからの作品ばかりですね。 話は少し遡りますが遠藤実さんは東京向島の生まれという事で、向島も浅草を抜けて葛飾の柴又に行く途中でしてしょっちゅう通っていました。 この頃は既に職安(今のハローワーク)で敗者復活いたしまして東京の下町を営業マンとして車で走り回っていました(^^) |
井川さんは、出ていなかったように思います。 お荷物小荷物ーは人気の有ったドラマでしたが、ほぼ同じメンバー(河原崎長一郎・浜田光夫・林隆三・渡辺篤史・佐々木剛)で撮った"カムイ編"は視聴率が伸びず、あまり話題にならずに終わりました…脱ドラマの二番煎じは無理だったのですね。 褌のシーン覚えていますよ。志村喬さんが中山千夏に洗濯を命じたシーンですね→"男の肌を守る布じゃ""…長いですね""六尺有る""何ですかコリャ?""褌じゃ""キャー!"←だったと思います。後、五兄弟のお父さん役の桑山正一さん(←良い感じのお父さん)が、息子と自分の分のパンツを持ってきて→"コレも頼む""イヤだ、パンツ!""男の肌を守る布じゃ"←と、押し付けていきましたよね(笑)。 |
中山千夏さんのTVドラマ「お荷物小荷物」の志村さん覚えています。ICの登場で(LSIの前)モノクロテレビが何とか持ち運べる位小さくなってきた時でチャンネル争いがなくなり、自室に運び込んで枕元に置いて寝る前に必ず見ていました。 褌をテーブルの上に置いて・・・みたいなシーンがありました。かすかに覚えています。 もし記憶違いがありましたらごめんなさい。 |
ゴジラの時も、黒澤作品の時も、印象に残る程に演技が素晴らしい方ですね。 …実は、私が志村喬さんの出演された作品で印象深いのは映画では「フーテンの寅」第一作と、TVドラマ「お荷物小荷物」です→"新人の志村喬です"の台詞をまだ覚えています。 タロスケさん、"ただいま授業中"は"学園広場"のB面の曲だったかも知れません。確か、当時家に舟木さんのレコードが一枚しか無くて、それで"学園広場"と"ただいま授業中"の2曲を聴いていた筈ですから…。 |
おはようございます 秋雄さんはじめまして。「荒野の用心棒」はあまりにそっくりでしたね。 昔の映画では「生きる」がとても感動的でした。この志村喬さん兵庫県朝来市という出身で関東育ちの私には読めませんでした(^^; ゴジラにはこの志村喬さん、他宝田明さん。河内桃子さん 平田昭彦さんら今から考えると錚錚たる人を揃えています。+ゴジラ+建物でお金がかかっていると思いました。 宝田明さんなど当時スターでしたから「主役の宝田です」と言ったら「イヤ主役はゴジラだ」と釘を刺されたそうです。 NHKの「あ・うん」で志村さんの亡くなる前の最後のシーンをNHKアーカイブスで観ました。その時既にお体の具合がかなり悪かったそうです。 これからも自分の体験談等お話していこうかと思っています。 |
こんばんは、ペギラさんはじめまして。「用心棒」も「椿三十郎」もよかったです、やっぱりみてて夢中になりました。山田五十鈴さんもでていて、さすが芸達者な方です。「夢」は劇場で、みたくてたまらなかった時でした、狐の嫁入り、映像が鮮やかでした。他の作品はこれからの楽しみです。「生きる」の志村僑さんのような、かざらない人よかったです。幼い頃、どこかですれ違って、そうどこか遠い記憶に残っているようなかたですね。 |
そりゃ黒澤監督が怒るのもあたりまえですね。細かい事ですがレコードの説明にも「盗作と決めつけられた」なんて相手(イタリア側)の肩を持つ様な書き方をされています。 No650の写真は黒澤監督の「夢」の最後の方に出てくる水車のアップで今年の夏どうしても見たくて穂高まで行ってきました。 今日は久しぶりに東京・有楽町方面に買い物に行きました。丸の内口は現在工事中です。この近辺も最近急に変わりました。 |
両方とも良かったですよね。好きな映画です。 でも、誰が観ても黒澤映画のリメイクですよね。何が彼方の映画会社と監督さんはそれを認めず、黒澤監督は激怒し、主演で黒澤ファンのクリント・イーストウッドは呆れて後に黒澤監督と会えたクリント・イーストウッドは謝罪し自分がどれだけ黒澤作品を好きかを話して打ち解けたという話を聴きました。 黒澤作品の「用心棒」は「椿三十郎」が有り、「荒野の用心棒」にも。「荒野の七人」の続編は有りますが、「七人の侍」は…もし黒澤監督が作っていたとしたら…どんなになっていたでしょうね…考えると楽しいです。自分では名作は出来そうに無いですが(笑)。 …そういえば後に、あちらで「宇宙の七人」なる映画も作られましたっけ(笑)、TVで放送されたら観てみたいモノです。 舟木さんに「ドロボウボーイ」なるTVシリーズがあったのは知りませんでした。舟木さんのTVというとー主題歌ですがー「銭形平次(漢字?)」を思い出します。遠藤達郎太さん(漢字?)が好きですね。 |