タロスケさん、おはよう!浜ノ純 さんも宜しくね。 タロスケさんと私の性向はかなり似ていると思う。実は私も10年近く前にホモのHPを主催していました。オフ会なども頻繁に開催し、隠れホモの人たちをかなりこの世界に誘導しましたよ。未だに友達付き合いのある人たちもいますが、その後どんな活動をしているのか分からない人もたくさんいます。 その頃私のHPに集まった人たちは私の性向に近い人たちでした。私自身にとっても居心地のいい場所でした。今はこっち系のHPがたくさんありますが、その頃は若い人のHPはありましたが、オジサン向けのHPは殆ど無かったんですよ。 私が言いたいのは、ゲイの世界はとても曖昧なもの、その求める方向も千差万別。近い将来、日本でも同性愛同士の結婚も認められるようになるでしょう。でも、タロスケさんが今持っているマグマが消失することはないでしょう。 日本のゲイ事情。おかれている環境は別として、どんな状況であるかは殆どの人が知っているでしょう。ノンケといわれる人たちの中にも事情通が増えています。上野のホモバーがある近くに高等学校があります。二人連れの女子高生の後ろを歩いていたら、「この辺は親父同士が変なことをする場所なんだよ、きもいねえ」などと話していました。今はそれでいいと思います。彼女等に「愛の形」の多様性を訴えても理解できないでしょう。そんな彼女等も将来、色んな映画や小説、あるいは社会での色んな人達との出会い等々で、人間というのはワンパターンでないことに気付くでしょう。 都会にはゲイ向けの色んな施設が多い。これは昔からそうなんでしょう。ネットの普及によって、私みたいにホモ活動する人が増えた。その分、ホモバーが増えたり、サウナが増えたり。経済の原則によって人口の多い都会に集中する。 タロスケさんの現況は理解します。私はネットを通じて知り合った人たちにアドバイスしたことがあります。「誰でも特定の人が欲しい。でもあまりそのことばかりに拘らないで、ホモの友達をたくさん作ったほうがいいよ。」 タロスケさんもそう考えているのでしょうが、このHPを通じてもっともっと横の繋がりを広げていくのが良いのではないかと思います。 |
ネットは誤解の温床だけど、雑誌とちがて一方通行じゃないところがいいと思います。 微妙なニュアンスで真意が伝わらなかったり、言葉足らずだったり、現実の会話のようにはいかないです。 でも、浜ノさん、だんごさん、みなさん、誤解を恐れずに考えてることをどんどん書きこんでください。 コンピレーションCD「レインソングス」のCM(放送されてない地区の方ごめんなさい)の傘のおじさん可愛いですね。 素人さんにしては演技がうまい(?)ので、名もないタレントさんかもしれません。 |
だんごさんとタロスケさんの話が面白くて、私も話させて―とやってしまった事で変な空気にしてしまったみたいです。お二人にゴメンナサイ。 ただ、私が言いたかったのは否定でも肯定でも無く認識。単純にこういう私もいます―という事だけです。 また色んな話もしたいから、こんな私ですが、だんごさんもタロスケさんもよろしくお願い致します。 |
反対意見があってもストレートに反応するのは控えようと思ってたんですが、まだ人間ができてませんでした。 だんごさんがせっかく僕の談話室に書き込みしてくださってるのに、感情をあらわにして申し訳ありません。 ネットは雑誌などの印刷物と同じで、実際の会話より言葉がきつく感じる特性があるようですね。 だからテニスのラリーのような言葉応酬はならないようにと思ってたんだけど無理でした。 日本はゲイが暮らしやすい国にはちがいないんだろうけど、まだ僕のお腹の中には、マグマがのような不満がグツグツにえたぎっているようです。 そのマグマはこの談話室ではなく、随想(エッセイ)で吐き出して、少しづつ自分の心を楽にしていくようにしたいです。 |
タロスケさん、ご無沙汰です。私はタロスケさんを怒らせたり、傷つけたりするつもりは全くありませんので、その点は分かってくださいね。 |
浜ノさん、ありがとう!撲が言いたいことはまさにそのとおりなのです。 自分以外のゲイの人の行動に違和感を感じることは多々ありますが、パレードなどのイベントに参加しようという積極的な意志があることは素晴らしいこだと、思い直しました。 掲示板を荒立てたくなかったから今まで言葉を選んで怒りをあらわにしませんでしたが、浜ノさんがかなりの部分を代弁してくれたので、このさい本音を話す気になりました。 いかなる考えを持とうと、それは個人の自由です。 だんごさんのように現状に満足してるゲイの人達が、この日本にはいるんだってこと自体は素晴らしいことで希望につながります。 でも現実に自分の置かれている状況で苦労をしてる人間の話を否定してまで「現状のままがいい」と主張するのはちょっと酷すぎないでしょうか? 「自分は白人に生まれて幸福だから、人種差別がある現状は変わらないでほしい」と願ってる人がいるとします。 でも、その願いは、差別されてる側(黒人や黄色人種その他)の人たちの「差別がなくなってほしい!」と願う気持ちとでは、その願いの強さにおいてはまったく別次元と言えるはどの激しい差があると思います。 自分はたまたま金持ちに生まれたので、貧富の差がある社会がいいんだって考えと同じでしょ? まあ、たとえが極端ですが、自分が幸せだから不幸な人の現状はそのままでいい、なんて考えは持たないでください。 ゲイにとって、世の中は少しづつ確実に良くなっていますが、まだまだ幸福感や苦労のあるなしに差があります。 それはノンケ社会よりもずっとずっと差があるんです!そのことをわかってもらいたくてたまらないのです。 僕はそのことを同じ思いを感じてる人に共感してほしいから、というより、むしろ、東京の雑誌編集者やゲイライフ楽しんでる一部の選ばれし人たちに知ってほしくて、熱い想いで随想を書いています。 伝わらないのであれば、このホームページも意味がないです。 |
どうも、浜ノ純です。だんごさんとタロスケさんのお話、面白かったです。 私が思ったのは、何処に生まれてもどんな環境で有っても、結局は本人しだい…行動を起こせる人は起こし、起こせない人はそのままだという事。そして、行動を起こしたとしても人それぞれ、行動する手段も違えばその選んだ手段によってスピードも違う。また、その人の生まれ持っている資質によって願いが叶うまでの時間があるなぁ…という事です。 私自身の事で言えば、雑誌投稿からその雑誌編集部に出入したり、雑誌主催の催物にて本当のゲイ世界の一部を垣間見、雑誌を通して私に声を掛けてくれた人と知合い、友人となれた人たちとゲイスナック等に行ったり出来ました。40近い時です。それまでは、ゲイとしての自覚も無いまま―どうかすると否定しながら―ゲイ世界には自分独りでした。 入ってくる情報としてのゲイ世界は、扇情的過ぎて自分とは相反するモノとしての認識しか無かったですね。 でも、多種多用。人の数だけ、人のフェチの数そのウェイトの重さでまた世界があるんと認識出来ました。否定でも肯定でも無く、認識。そう想い、人が行動を続けているですからね。 パレードも確かに目立つ人―御祭だぁ〜の人―に目が行くと、だんごさんの様に思う人がいると思いますが、一回でも会場行ってみると、結構な年齢層の普通の男女が来ています。自分の性癖が、ひょっとしたらTVや一般雑誌で知合いにバレてしまうかも…というリスクを知りながら勇気を出して来ている人たちですよ。 |
HPを初めてからというもの僕はかつてないほど幸せです。 たしかに愛情面(恋人、彼氏)では恵まれてませんが、それ以外の小さな幸福感を積み重ねてきたことが実を結んできた感じがします。 だんごさんに人生遍歴を語ったマスターの気持ちはすごくわかります。 僕はまさにそのマスターと同じ恋愛体質だからです。 島原の警官はノンケだったのでしょう・・・やさしい人でも意外なホモファビアだったりすることがあり、マスターの年代は特に無理解な人が多かったのでしょう。 僕も成り行き上、カミングアウトせざるを得ない状況に追い込まれたことあります。それを語ると長くなるので、いつか詳しくエッセイかコラムで語りたいと思います・ 僕の両親もホモファビア=同性愛は犯罪と思ってる人達で、ずいぶん責められました。 父は五年前に長い闘病生活の末に他界しましたが、父の世話をするため実家に戻らなくてはならないことが決まった時、ホモとしての自分の人生は終わっと思いました。 インターネットをはじめることで希望をつなぐことができたのは時代が良かった。 もう5年はやく同じ状況になってたとしたらストレスでCENSOREDしてたかもしれません。 そういう意味で生まれた時代が良かった、ラッキーでした。 2年前から母は介護施設にいて、当初は土日ごとに家に帰ってきてたのですが今は月に1〜2回程度になって自由が増えました。 母がかえってこない週は、こちらから介護施設にお見舞いに行く(かなり遠い)のですが、それでも自由に行動できる休日ができた今は幸福を感じてます。 認知症の母は今も被害妄想的に僕を責めますが、そんなものどこ吹く風になりました。最近、母は頭の中の妄想をまわりの人達に吹聴しはじめて少し困惑しているのですが、だんだんそれも気にしないようになるつつあります。 母の妄想では、僕が実家に男を呼び寄せて一緒に暮らしてて、それで邪魔になった自分をこんなところ(介護施設)に追いやってる・・・ということになってます。 母の話を間に受ける人がいたとしても、それでもいい、直接的な被害が自分に及ばないでしょうし、息子さんは本当にホモなのかな?とうたがわれたってかまわないです。 母の言うように本当に、呼び寄せる男がいたら、どんなにいいかと思うんだけど・・・。 でも、もしそんな人がいても一緒には暮らしたくないです。 そこが生活パターンが健常者とはものすごくちがう身体障害者の希望なのです。 相手の人も障害者ならお互いの弱点をカバーしあえるけど、健常者と障害者だとどうしても健常者側に負担がかかるし・・・・それが心離れの原因になります。 でも、足フェチの僕は、手やチンチンはなくてもいいし、聴覚障害、視覚障害の人でも、足だけははちゃんとあって、しかもすね毛がりっぱな人がいいです。 同性結婚なんて僕には想像さえできない遠い世界ですが、それを強く望む人がいるなら、認めるべきだと思います。 パレードはお祭りとしてのイベントだというような印象を持ってます。一部の派手な衣装、パフォーマンスは本人の楽しみなんでしょうね、それをやりたい人もいるんだってことでいいんじゃないでしょうか? だんごさんの言われるように、ホモは誤解されてるほうが身を隠しやすいなら、変てこな人達も役に立ってるってことです。 むしろ、ホモの世界をおびやかすのは石原慎太郎のような差別者だと思いす。奴はなにか圧力かけてきそうな気がします。 マイノリティーの立場を良くしようという意識を持つ政治家はいてほしいです。 その人本人がゲイじゃなくてもいいのです。・・・・と言っても東郷健さんの目張りは逆に差別のネタになりそうでやめてほしかったけど。 仮に石原ではなく、浅野さんが都知事になってたほうが、だんごさんの死守したい恵まれた世界は安全だと思うんだけど・・・どうでしょうか? 尾辻かな子さん、思春期に辛い思いをされたようで、それが活動の原動力になってるようです。 尾辻さんがだんごさんの幸福をおびやかすことはないと思います。 |
地域的にも離れた人と時間差討論というか、会話、とてもいいですね。 随想、楽しみに待ちましょう。 「努力しても手に入らないもの」があるのは、地域の差、個人環境の差ではないことはタロスケさんも分かっているんでしょう。というか、段々分かってくるんですね。ホモ云々とか関係なく、欲しいものを手に入れようと頑張ってみても、どうしても手に入れられないものがあるということを分かっていくのが人生といえば人生ですね。 私がこの世界を知り始めた頃、浅草のある店に行きました。マスターは小柄小太りで可愛い人。たまたま私しか客はいませんでした。マスターの人生遍歴を聞かせてもらいました。 博多で割烹をやっていたこと、奥さんも子供もいたこと。若い頃、新聞に出ていた島原の警官に一目ぼれして、その警官にアタックして夢破れたこと、好きな人を追いかけて大阪に妻子、商売を捨てて出てしまったこと、その後東京の人を追いかけて東京に出てきて、そのまま東京に住んでしまったこと。私がお店に行ってから半年後にそのマスターは交通事故で死んでしまいました。そのマスターの人生はどんな小説も適わない、”愛ひとすじ”の人生と思います。そのマスターの人生は「欲しいものを努力して手入れよう」とした人生でした。でもとても我侭な人生ともいえます。 人間誰しも自由に生きたいです。でも経済的なこと、家庭的なこと、様々な足かせが邪魔をします。ホモに生まれたこと、これが私の大きな足かせでした。これが無ければ全く違った人生を歩んだと思います。いkら頑張ってもホモという性癖は取り除けない。人生の後半ではあるが、自分が自分でいることが出来る世界を見つけた。今の日本にはそれがある。 都会に憧れた田舎のネズミではありませんが、地域でのホモ生活も可能な時代と思います。(お前は分かってないと言われそうですが、、) |