3連休初日、京都に行ってきました。 太秦の大映通り商店街で実物大の魔神さまを撮影、それから五重の塔の近くの映画舘で幻の映画「獣人雪男」を観ました。 「獣人雪男」は奇形部落に関する描写があるので、放送禁止映画で、ビデオやDVDも出てないので、めったに見る機会がない作品です。 昭和30年の白黒作品、本多猪四郎監督、円谷英二特技監督、宝田明,、河内桃子出演で、ゴジラとほぼ同じスタッフ、キャストです。雪男は親子で出てきます。人類の敵ではなく、心優しい怪物なのですが、ストーリーはひたすら悲しいです。 雪男はほぼ等身大なのでゴジラのようなスペクタクルはやや乏しいですが、本多監督の作品だけあって、なかなか見ごたえありました。 今回はじめて全編とおして見たのですが(20分ほどの短縮版は動画サイトで見たことありました)、予想外にいい映画でした。 清楚な河内桃子さんに対して、もうひとりのヒロインとして根岸明美さんが野性的な村娘として大活躍します。 根岸さんは大学の山岳部の学生=宝田明さんに好意を寄せるのですが・・・最後は自分の恋仇である河内さんを助けるために自ら自己犠牲な行動に・・・・その勇敢さ心打たれます。 また、雪男の親子愛、子が親を思う気持ち、親が子を思う気持ちが切なくて、思わず泣いてしまいました。 雪男の着ぐるみは威厳のある風貌で「キングコング対ゴジラ」のコングより出来が良いです。 p.s. 大映通り商店街にある”太秦シネマキッチン”にも行っってきました。 ここはいろんな映画関連グッズや古い映画雑誌、市川雷蔵さんや勝新太郎さんの写真集、大魔神フィギアなどいろんな映画グッズがある喫茶&レストランです。 僕は大魔神メイキングビデオを観ながらおでん(4品)とラムネで遅い昼食をとりました。 http://kinemastreet.com/community/ |
ペギラさん、秋雄さん、書き込みありがとうございます。 小学生のころ、地元の商店街でオネエキャラの元祖ともいうべき茶川一郎さんをお見かけしたのが、生芸能人初遭遇です。 尼崎に住んでるころは作家の田辺聖子さんとご主人の”かもかのおっちゃん”がおふたりでお買い物してるのをお見かけしました。 また、今は芸能活動をやめてしまった漫才コンビ、ちゃらんぽらんの大西くんく近所に住んでらしたので、ショッピングモールなどでよくお見かけしました。 亡くなった「おっ気軽に〜」の若井みどりさんも何度かお見かけしました。 今年なくなったハイファイセットの山本俊彦さんと大阪厚生年金会館の近くの薬屋さんで偶然お会いしてお話したこともあります。 スタアが輝いていたのはテレビがまだそれほど普及していない映画全盛時代=石原裕次郎さんが出てきた昭和30年代前半ではないかという気がします。 プロレスの力道山、野球では長島、相撲は大鵬、歌謡界は美空ひばりが活躍していた時代(敬称略)が日本の文化の黄金時代ってきがします。 話変わって、山口淑子さんの勉強家ぶりを少し紹介してみます。 野口久光さんによるCDのライナーノーツには「マダム・ポドレソフに師事した李香蘭は、日本にいるときは三浦環、上海ではベラ・マゼル・・・と、いつでもどこでもソプラノ歌手としての研磨を怠っていない」とあります。 さらに戦後、日本に戻ってすぐ「鎌倉在住のベルトラメリー能子からイタリア式の、目白のネートケレーヴェ女史からドイツ式の歌唱法の教えを受けた」と四方田犬彦さんの著書「李香蘭と原節子」(岩波現代文庫)にあります。 ただ、四方田さんによると、あまりにも学びすぎて混乱を招いたのが、山口さんの戦後再起を賭けたリサイタルに失敗した原因とされてます。 戦後は歌手一本で活動するつもりが、リサイタルの不評で、やはり女優と歌手を兼ねた活動に戻らざるを得なくなったのです。 よく「鈴の音のような声」と称された類まれな”声質”のうえに、磨きに磨いた声なので、同時代の他の”美声歌手”の上をいってると思います。 。 このURLで開くかどうかわかりませんが、YouTubeで「情熱の人魚」と検索してみてください。 昭和23年当時の山口さんの美声が堪能できます。 ルンバのリズムが楽しい主題歌「情熱の人魚」は佐伯孝夫作詞、佐野鋤(たすく)作曲 この映画の音楽監督である斎藤一郎作曲「水の精と女人」は山口さんのコロラティーノ・ソプラノを生かした幻想曲で未レコード化の超レア曲。 ふたたび佐伯、佐野コンビの「月に寄せて」の以上3曲です。 佐野さんは服部良一さん主宰の”服部塾”の出で当時の前衛的な作曲家、暁テル子さんの「東京シューシャインボーイ」で有名。 斎藤一郎さんは小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督の作品でもおなじみの方です。 山口さんの華やかな美貌はもちろん、青年作曲家の水島道太郎さんの若き姿にも注目!! また山口さんは、俳優としては、渡米時に、ジェームスディーンやポールニューマン、マーロンブランドなどを輩出したリー・ストラスバーグ主催のアクターズスタジオで演技の勉強をしたという本格派志向です。 |
見かけたといえば、五輪まゆみさん、栗原小巻さん、どちらも喫茶店で談笑されていました、感激はないですが、今も残っています、そういえばずいぶん古い過去、スターをみても、そっとしている街と、その反対の街があるのかも。みているのは、どう考えても実像ではないから、演技力や歌唱、役者としての個性なんかが魅力ですね、それと人気がなくなると消えてゆく、声がかからなくなるわけですから、生き残って稼いでゆくのは大変でしょう。とりとめない話になりましたが、スターって言葉は、なにかもう死語みたいで、戦後の混乱期、アメリカ化が加速度的に進みだしたあの頃が最後の輝きではと、思います。 |
先の秋雄さんのコメントの中でディックミネさんを見かけた事があります。あの時は晴海か何処かでオーディオ・フェアーの会場でした。 ゲストとしてディックミネさんが何処かのメーカーに招かれており、ミネさんは大のジャズファンでアメリカのスピーカーについてウンチクを傾けていました。会場がものすごく人で込み合っていた事を覚えています。 思えば1970年代中頃の事です。 |
北関東にまで、ナガサキアゲハが定住してるんですね、小学生の頃には思いもしませんでした、大型のアゲハですが、まだこの目にみたことはないです。温暖化の影響、それに食草の柑橘類の樹木あれば、範囲を広げるのも時間の問題だったんでしょう。殺生はできませんが、観賞してみたいですね。 三時のあなた、山口淑子さん、少し記憶があります、高峰三枝子さんや、芳村真理さんも司会されていました、他のジャンルで、審査員では、古関雄二さん、古賀政夫さん、淡谷のり子さん、デイックミネさんら、大御所の面々も活躍されていました、小林幸子さんも素人番組で、出世街道を歌われ、古賀政夫さんに審査されていましたね。故人を偲ぶと、供にあの頃のことが浮かんできます。そうそう、笠置シズ子さんも拝見していました。 |
私は戦後の山口淑子さんの方が印象に残っています。1969年〜1974年にかけての「3時のあなた」ですね。当時私は学生で結構暇でしたからずっと観ていました。彼女がそんな努力家だった事は知りませんでした。 映画では「スキャンダル」というのを観ました。 秋雄さん、家の庭の柚子の木に最近時々見かけるナガサキアゲハの幼虫を見つけました。温暖化しているのですね。 |
というのも、10月11日、12日と、京都みなみ会館で、なかなか見れない問題映画「獣人雪男」が上映されるからです。 それと太秦にある大映通りにあるという実物大の大魔神を見てみたいです。 |
秋雄さん、僕もテレサ・テンさんの夜来香のライブの映像観ました。 柔らかくていい感じですね。 この歌の作詞作曲は黎錦光さん「金玉谷」となってるのもありますが同一人物のようです。李香蘭バージョンは服部良一さんの編曲でスロールンバのリズムが気持ち良いです。 この歌は渡辺はま子さんはじめいろんな人が歌ってますが、マンボのリズムの胡美芳さんやボサノバっぽい小野リサさんのもYouTubeで見れて楽しいです。 山口淑子さんがカラー映像で歌う映画「東京の休日」のバージョンなども素晴らしい。 考えてみたら、山口さんよりはるかに若いテレサテンさんのほうが先に亡くなってしまったのですね、本当に惜しい人でした。 |
テレサテンさんの、イエライシャン、動画で聴きました。彼女が故人のゆえか、その悲しみとともに、涙がにじんできました。 |
山口淑子さん、タロスケさんにとってフアンのおひとりですね、よく覚えていました。イエライシャンは今聴いても、素敵なセンスある歌ですね、スナックでも、年輩女性が歌われていましたよ。スナックなんてもう遠い話になってしまいました。すっかり秋になりました、今度こそ京都に行ってみようと思っています、「いつでもいける」から、ついあとまわしで。ペギラさんからしたら、うらやましいことかと、北の人にしたら憧れでしょうか、関西人からしたら、最果ての地は憧れ、おあいこですかね。実はまだ金閣寺は未知で。お恥ずかしいです。 今日、街中で、沖縄あたりにしかいないはずの蝶、カバマダラがゆっくり飛翔しているのを発見、初めてのことです。南国の蝶が関西に、これも温暖化のせいでしょうか、それか風に乗ってきた迷蝶か、いずれにせよ美しい姿でした。 |