| | ★ビビ様 今日はお疲れ様でした。お目にかかれて嬉しかったです。 私も映画のことについては今日(あ、昨日だ)の内にちょこっと書いておきたいと思いまして。便乗させて下さいね。
見ている内に、ここは辛いなあと感じるところがぽろぽろあったのですが、実話が元の話で監督と脚本が同じ人、というのが要因のひとつだったんじゃないかな。 監督本人には感動のゴールが見えていて、そこここに自分なりの感動ポイントがあって、それを観客に伝えたくて・・・、そこでステロタイプな表現をつかうという罠にはまってしまった映画、のように見えました。「お約束」の表現はいくら積み重ねても借り物の域から出ることができない訳で。 第三者が脚本に加わって、もう一歩引いた視点を持たせられたら良かったのになぁ。制作サイドでの制約があって思うように出来ない部分もあったのでしょうが。 そしてビビ様の仰る学校や教師に対する違和感、同じ所かどうかは判りませんが私も感じました。でも多分「感動」を生むためには、あの監督さんには必要な表現だったんだろうなあ。 その辺を質問してみたかったんだけど、ソフトに訊く言葉が見つけられない内にタイムアップになってしまいました。
小澤氏は頭の中で作りすぎてしまった部分と、共演者のパワーに引っぱられて出てきた自然な品の良い演技とのギャップを今度どう埋めてゆくか、が課題だと勝手に決めてしまいます。 個人的には、人から引っ張り出された無意識の演技の引き出しを増やして、いつかそれを自分で引き出せるようになって欲しいと思います。 生の舞台は考えてから反応していたのでは間に合わないことの連続ですから、私も来年の経験に期待いたしますわ。
それにしてもあの監督さん、艶のあるいい声してましたねえ。
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No.4523 - 2003/11/09(Sun) 00:36:12 |