親の会の考え方は、今の大多数世間一般のものとは大分違う。 息子が不登校になるまで、少しばかりの違和感を感じながらも多数派、の中で過ごすことの安心に浸って生きてきた私。 でも、あの違和感こそ私の中にあった自分らしく生きていくことへの入り口だったんじゃないかと思う。 ここに来られ学ばれている皆さんがそうであったように、自分を大事に生きるための違和感を感じられる力がまだあったから、この親の会に出会うことができたんだ、と自負しています。
そして、自分の中の自分に気づくことでだんだん心が自由になって、体が楽になってきています。親の会の考え方は、ただ人間らしく生きようよ、ということなんだろうな。
去年の暮れ。凄まじい不安の嵐の中で手にした加島祥造さんの”もとめない”続いて出されたLIFE。不安が出てきたとき開きます。「自由は外に求めるものじゃなく、自分のなかにある」と加島さんも言われています。それを、教えてくれたのは息子の不登校、親の会でした。
〜以下、抜粋。
Openig the window, I open myself.
・・・私達はときおり自分の心の窓を開けたらいいんだ。それによって、狭い考えに閉じこもっていた自分に光が射し、大きな心の風景が開けるだろう・・(抜粋)
無為とは 万象の 内なるリズムに 従って なすことなのだ
ひとは自然のリズムを体に備えて生まれてくる。しかし成長するにつれて、社会のリズムに合わせて動くようになる。しまいに社会の忙しいリズムに巻き込まれた生き方になり、自分に元から備わったリズムを忘れてしまう。そう気づいたら、ちょっと社会のリズムから離れてみることだ。・・・中略・・「無為」とは「何もしないこと」ではなくて、自分の内なるリズムに従ってゆったりと過ごすことなのだ。
君の命は いつも 君だけを 愛している
・・・命を宿しているのはあなただが、宿っている命によってあなたは生きている。あなたの命はあなたを充分に生かし、愛し、育てようとしている。だからあなたもその愛を大切にすることを覚えたら、あなたと命が共同で、たっぷり生きてゆくようになるんだ。
濁った水は そのまゝ静かに しておくと いつしか澄んでいる
私たちは誰でも、しじゅう困ったり悩んだりする。そんなとき、そこから無理に逃れようとせず、静かに待っているのだ。不安が抑えられなければ不安なままでいい。〜中略〜ただ、いま水は濁っていても、いつかは澄んでくるーこの真実さえ信じていたら、私たちの今の生き方が静まる、そして楽になるものではないか。 LIFEより 親の会と重なることばかりですね・・。
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No.680 - 2008/08/11(Mon) 08:15:24
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