150826
“掲示板”
この世界は人を覚醒させるための触媒です。
名前
URL
件名
ファイル
設定保存
/ 編集パス
★
春ですね・・
/ hato
引用
桜の見頃はあっという間に過ぎて
尚、春の展覧会最中・・
恒例のいざらい(1メートル幅溝さらい計数十メートル)、15回目もなんとか終えて、宵はちょっと幸せシュレーゲルの声を聴きます。
さ、また、頑張っていこ。
No.7930 - 2025/04/23(Wed) 23:13:48
★
ついでに、
/ ubik0101
引用
快晴です。透明光に溢れています。ただ明るい空間・・・そこでレモンの木の黄色い実。それを切ってもその切り口の表面の反射光を見ています。その奥は見えてません。分からないのです。緑の葉、通行人、自転車、隣家の青い屋根。
どれも表面の反射光しか見えず、その奥はまったく見えないです。そいえば子供の頃、直接光、太陽は見えない・・・と聞いて試してみました。ゆらゆら輝く眩しい黄白色・・・なーんだ見えるんだ。焚き火、懐中電灯、灯台、稲妻・・・これはま、直接光ではないでしょうか。
そして白も黒も見ることが出来ます。それは透明光が透明だから、まったく見えないから見えると思われます。透明光は見えない、でも見えないといっても闇ではないです。ここで透明光は自己。闇は自我にたとえられます。
インクの、絵の具の色を混ぜると黒に近づきます。その素材は、嫉妬、偽善、傲慢、知識・・・知覚、感情、意識・・・108の煩悩。あるいはレギオン・・・500の悪霊。
光の色を混ぜると透明に近づきます。その素材は、嫉妬、偽善、傲慢、知識・・・知覚、感情、意識・・・108の煩悩。あるいはレギオン・・・500の悪霊。同じです。これは変でしょうか。無明と叡智。ほんとーに、自己責任でしかないです。
No.7923 - 2025/02/17(Mon) 09:46:29
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
おなじ空気を吸い、おなじ水を飲み、同じ食べ物を食べ。おなじ景色を見てる。どうであれ、そ、なりたくてなってる。ほかの誰も妨げることも協力することもできない・・・自己責任。自己責任から逃げるのも結局、
自己責任。逃げるか受けるか、この違いでしかないようです。ついでに・・・なんでもいいですが嫉妬、偽善、傲慢、知識・・・知覚、感情、意識・・・108の煩悩。あるいはレギオン・・・500の悪霊。が、
なぜ、それなのか、全く知りません。なんでもいいですけど、塩の味がなぜ塩の味か。味がなぜ味か。赤がなぜ赤か。見えるがなぜ見えるか・・・その印象がなぜその印象か、まったく知りません。
なんだか・・・まったく・・・知らない・・・知ってることがなにか知らず、知らないことがなにか知りません。ここから尽きせぬ力をもらってる感じがします。
No.7924 - 2025/02/17(Mon) 09:51:07
☆
Re: ついでに、
/ hato
引用
自己責任を
独り頑張って
ちょっと疲れたとき、
顔をみて
「あれっ、あんたなにさ」
と言い合える
だから赤でも青でも他人は
ときどき、大事にね。
ふつうに生きる、
ふつうに暮らす。
そのふつうは特別か?凡庸か?
なぜそうか知らないけど
普遍が通る
ふつうと言ってます。
No.7925 - 2025/02/21(Fri) 23:22:28
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
とりあえず、ある、を定義してみます。それが機能してて知覚できることを、ある、と呼びます。たとえば太陽がある、月がある、風がある、ラジオがある。電池がある、感情がある、思考がある・・・なんですが、
意識がある・・・これは知覚できるかは、ちょっと曖昧です。意識はそれ自らを二度見。することが行われるのでしょう。それは見る自分と見られる自分が異なっています。なんか思考しても、
その思考そのものが、その思考をしてるのではないでしょう。思考してる自分がいるかもしれません。庭を見てみます。まだ黄色い実がなってるレモンの木。その見えてることと見てる自分が、ちょっと違う。なにか・・・違う。
そ。青い空。白い雲。電線。野鳥・・・なんか、見えてるってことは・・・知覚とは差の認識・・・誰だって、この、見る、聞く、触る、喜怒哀楽。思考するこの不思議さは、世界いっぱい溢れてるではないでしょうか。
なんでもない日常が、とんでもない秘密を暴露し続けてます。では。ない、は、それが機能してなくて知覚できない。と定義してみます。ラジオがない、電池がない・・・喜怒哀楽がない、思考がない・・・と。
No.7926 - 2025/03/03(Mon) 19:09:02
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
で、ところで、自分は・・・ない・・・の、ないは定義できないです。たぶん多層構造ということで説明はできそうです。自分はない。とは、この自分で自分を知覚できない。ということ。です、
それは普通、無我と呼ばれます。自分で自分を知覚出来ない。ないは、ひとつには、ない。を示します。なにか思考しても、その思考がその思考をしてるのです。風景が風景してるのです。今日の労苦は今日の労苦。ここで、
なんであれ、その自分がまったく自分であれば、自分は知覚出来得ない。知覚とは差の認識。自分がない、ということは、完全に自分が自分だ。という線があります。たとえば眼はその眼と差がないから、見えない。これは日常の話です。そして、
No.7927 - 2025/03/03(Mon) 19:14:12
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
あるとない・・・それは実在と現象。としても説明できます。実在を定義してみます。それは、それがそれの原因。現象を定義してみます。それは、それの原因はほかのことにある。ということです。
たとえば木や花や動物や人、自分・・・現象は、生滅、変化する、それがその原因ではなく、ほかにある。たとえば温度、光、水などで植物は育つ・・・親がいて子がいる・・・ほかに原因がある現象なので、それがそれ自体ではない・・・空です。
なんとなくですが・・・解き解れ(ときほぐれ)つつある実在が世界という感じです。おそらく認識でき得る総てのことが現象です。認識することも現象です。しかし、因果の壊滅。つまり、この普通の日常、では、
ただ・・・これはこれ。説明ですが、塩の味は塩の味。赤は赤。親は死んでも子は生きる・・・原因と結果・・・実在が原因で現象が結果という・・・原因と結果が壊滅しています。
No.7928 - 2025/03/11(Tue) 07:55:03
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
たとえば今ここ。即今。事象は相互関係にあるので世界は一つ・・・それでいいならそれでいいですが、分離とか、過去未来とかを否定的に想定する、時空の範疇にあるかも知れません。そんなのどこにある?煩わしいだけです。既知と未知、面倒です。
いつか聞いた話ですが、どなたか禅者だと思うのですが、ほんとうは今もないのだ。と言った、そんな、感じです。それは過去や未来にも適応されます。ほんとうは、ここもないのだ。で、終わりです。
好雪片々別所に落ちず・・・ほんとに、いかなる別所にも落ちないのです。ぴたりぴたりと予定調和のように事象は落ち着いていく、のであれば因果の範疇。閻魔は見逃さない。です。そして、
No.7929 - 2025/03/11(Tue) 07:56:56
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
それがそれの原因。と。まったくそれに原因がなくそれ。は、同等です。
No.7931 - 2025/05/06(Tue) 17:04:08
★
夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
宿題
「だって私が居るじゃん!」
っていうのが宿題になっていたのかもしれません。
「私」の正体を解く…という宿題。
いつか解かなきゃいけない宿題。
いつかやらなきゃいけない…とずっと頭の片隅にあって
でも、取り組み方が分からない。
取り組んでもこんがらがって放り出して、でもやっぱり取り組んで…
ずーっとどこかで気になって。
宿題を片付けないと遊べない。
遊びたかったらまず宿題を片付けろ…と。
それが人生だ…と。
朗報
そもそも宿題なんて無かったというお知らせ。
宿題があるというのがまさに勘違い。
宿題を解いて宿題から解放される…ではなく
そもそも宿題が無かった。
解かなきゃいけない「私」は、「私」という謎は、最初から、本当に…最初から無かった。
宿題は一度も出されていなかった。
宿題なんてどこにも無いのに「宿題がある…」と思って、宿題を突きつけられているような気になって勝手に気が重くなっていただけだった…
流れが滞っていたように思えてたことも
ただ「流れが滞っていたように思えてた」だけだった。
朗報!
ぜんぶ夏休みです!宿題はありません!
思う存分遊び倒しましょう!
人影のない校庭に沢山の楽しそうな声が響きわたっています。
No.7911 - 2025/02/10(Mon) 12:05:41
☆
Re: 夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
最初にこの勘違いに気付いた誰でもない誰かが言ったそうです。
我と大地と有情と同時成道す
はなっからコロす私も、コロされなきゃならない私も居なかった…という無差別大量サツ人が発生し、ラッキーなことに今なおそれが続いているそうです。
No.7912 - 2025/02/10(Mon) 15:26:14
☆
Re: 夏休みと宿題
/ ubik0101
引用
どの書を見ても、エロ本でも、漫画でも、技術書でも、白紙の書でも、そこに書かれてるのは。自分て何?でもそれは読もうが読むまいが書こうが書くまいが・・・自由研究なのでしょう。
そいえば小学生の、夏休みが終わった時、宿題をまったく書かずにノートを提出したことがあります。怒るかな教師?と思ったのですが、まったく反応ありませんでした。世界もそんなことで、宿題をやろうがやるまいが、
どうでもいい・・・これは凄いと思うのです。完全に放置してるって、中々!とか万歳!とか、知らないけど、そうとうなもんです。この瞬間に世界は始まった。でも。始りもなく、でも。七日間でつくられた、でも、どうでもいい。
そいえば戦争があろうが、嫁いだり娶ったりしようが、生死が、因果があろうとなかろうと、どうでもいい。そんなことだから、自由研究、私は何?が成立するような気がします。それは楽しかった。
No.7913 - 2025/02/10(Mon) 18:53:50
☆
Re: 夏休みと宿題
/ hato
引用
人生は、人は、たったの数十年かそこらだ。
さあ、どうしょう!
ということを、生死の究極として汲み取るかどうか。センサーが鋭敏かどうか、にかかってる気がします。
どうやら誰にも、殆どの人の幼少期に「人は死ぬ、」という事態に切実さを持たされてるようです。そんな瞬間を、おそらく誰もが経験させられます。
動物としての性分ともいえるでしょうが、その事態に
「なぜ、生きてる、生かされる?・・のだろう」
「なぜ、死ぬんだろう、死ぬとはなんだ、」
という疑問が訪れる。・・
そして人は考えることができる。
動物との違いは、生きる上で、考えること。
探求、できること。
けど世界が愉快(不愉快)極まりないのは、
どのようにもそれを使うことができること。
極論、どうでもいい、てこと。
やる人はやりなさい、な、こと。
世界は、そうでなければならない、こと。
さあ100年。楽しく暮らそう!さあ100年、動物と暮らそう!さあ100年、旅行三昧しょう!さあ、いい音楽作ろう!作文しょう!子育てしょう!・・
さあ、さあ、さあ、・・
そして大事なことは、
たとえ誰かが世界と共に消失しても・・
不可思議、は依然として。
No.7914 - 2025/02/10(Mon) 19:36:26
☆
Re: 夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
まさに、まさに。
絶対不自由の皮を被った絶対自由。
すべて思い通りになっている。
すべての思いが叶えられている。
夏休みをめいっぱい使い倒せるって、遊び尽くせるって最高です。
No.7915 - 2025/02/11(Tue) 07:02:03
☆
Re: 夏休みと宿題
/ ubik0101
引用
>はなっからコロす私も、コロされなきゃならない私も居なかった…
はなっから・・・となると、私はいないって。ことが確定しやすいのでしょうか。なんだか確定しすぎかな?とか感じてたけど。
>絶対不自由の皮を被った絶対自由。
て言い方。うん、うん、です。この世界では自由は不自由として現れる。いつかこう考えたことを思い出しました。このころは簡単に、自己責任。と呼んでいます。
No.7916 - 2025/02/11(Tue) 20:38:05
☆
Re: 夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
ありがとうございます。
分離さえ分離なしに起こっている。
つまり
分離は一度も起こったことがない。
…という意味での「はなっから」でした。
飛んでいないハエは追い払いようがない。
です。
うーん、自己責任。
起こったことの責任は起こったことそれ自身に負ってもらったらそれで充分だよね…という事だったんです。
No.7917 - 2025/02/12(Wed) 18:10:44
☆
Re: 夏休みと宿題
/ ubik0101
引用
分離って言葉の意味が、よくわからないです。自分と自分の分離ってこと・・・たとえば自分は心とか精神とか魂とかだ・・・と、見てる自分と見られてる自分が分離してるってことでしょうか。
空想の誰かから見た自分、世間から見た自分。また子供のころから大人になっても、自分から見た変わらない自分。自分で感じる自分という感じ・・・あるいは世界との乖離・・・こいうのを分離と呼ぶのでしょうか。
そいうことは経緯することですが、それも全体?からすると分離ではない。てことなんでしょうか?自分はないなら分離は起こらないとか、即今ならそれは起こらない。また既知も未知ってことでしょうか。
自己責任とは。たとえば親に虐められて性悪になった。と親の責任にしたくても、実にそうしてるその人の責任。ほかの誰の責任でもない。説明ですが、同じ環境で育っても優しい人になれる。自分のことは総て自分の責任。
そいえば家の主人が庭で、ぽん、と手を打つと池の鯉は餌と思い、女中は呼ばれたと思い、泥棒は見つかったと思い・・・そんな歌?があるそうですが、まったくそれぞれの現実。それぞれの自己責任。
そこから逃げない自分の責任は自分で負う。そのようになった自分はそのように自分でなりたくてなった。っていうことを、「起こったことの責任は起こったことそれ自身に負ってもらったらそれで充分」。と言ってるような気もします。
No.7918 - 2025/02/12(Wed) 20:17:27
☆
Re: 夏休みと宿題
/ hato
引用
としょかん。
さあぁあああーん😭💦
いったい、
何処に行ってしまったのーっっ
て思ってしまえることですこれは。?
我と大地と有情と同時成道す、
たとえばですが、
世界と共に消えて無くなる・・
蒸発するように無くなる・・
というわけでは無論、なくて
あるない、のない。が全うされて、ほんとに、無
い。故に、
在る、てことでしょうね。失われることはない。
自分てとくに、余計なことでも、あってはいけないものでもないです。というよりはむしろ必要なところでしょうね。人が成長していく、これは自然なことでしょう。
すこし前の、それ自身に落ちて本当に跡形もなく・・というところ、・・どうも、世界と共におさらば風な感。そう読めてしまうなにか。ことさら自我、或いは未熟であったこと、を厭う感。?
ただ、システムであり機能であるところの自分として仕事する、でいいのではないでしょうか?
ほんの少し向きが違うと、大きく異なることがあると思います。
そうう。夫が性悪なヤギだったとしても、なかなかかわいい妻で、あることができる。・・それは、自身で志していくところ、いけるところ、・・自分・・て、そこはふつうでいい。て思います。
No.7919 - 2025/02/12(Wed) 22:40:54
☆
Re: 夏休みと宿題
/ 本の無い図書館
引用
ubikさん、hatoさん、ありがとうございます。
分離はない…を知る誰かは居ない
としかもう。
誰かが何かの責任を負う…という想像があったとして
その想像が、誰かが何かの責任を負う…という事態の根拠には全くならない…なっていない。
だから完璧に跡形もなく責任を全うできる…できている…という感じです。
結局…何が起こっても何も起こっていない。
この文章も含め、誰も知らない時間でも空間でもないどこかで、百花繚乱の空華が只ただ咲き誇っている…ホントにここはとんでもなく素敵な花見会場ですね。
ありがとうございました。
No.7920 - 2025/02/13(Thu) 09:58:04
☆
Re: 夏休みと宿題
/ hato
引用
図書館さんの行きつかれた境地なのですね。
こちらこそ、誠に、ありがとうございました。
宿題を本当に懸命にされたからこそ、
宿題がなかった。と、言えるのでしょう。
そして尚、分離を知る(知らない)誰かは居ない、と。
そんな自分は居ないよ、というなにか。
そんな、なにか、もときに役に立つかも知れません。
こちら自分は、あるでも、ないでも・・
不可思議、・・なことです。
なので、ふつうにあることができます。
なかなか大変で、ちょっと幸せな
美しい空に遊ぶ・・とは
いい修行、でしょ。
どうぞ、お元気でいてください。
No.7921 - 2025/02/13(Thu) 23:58:03
☆
Re: 夏休みと宿題
/ ubik0101
引用
ない私がないと知った。なんであれ、ない、を知るには世界の総ての活動が必要。人空/色空。と呼ぶのかもしれません。
No.7922 - 2025/02/14(Fri) 06:15:21
★
ついでに、
/ ubik0101
引用
A=A。つまりB=B、C=C・・・です。たとえば赤は赤。見るは見る。喜びは喜び。これをA=Aと呼びます。では、赤と、青と、見るとか寒いとかの関係はどなってるでしょう。A〜B〜Cとかに変化する日常なくてA=Aは成立しないのです。
分類するならばですが、若葉がでて花が咲き虫が飛び実がなり紅葉する。それを木と呼ぶ・・その変化と、人が木を見る鳥の声を聞く暑さ寒さを感じ空の青さを知る・・・どうでしょう。これが、これ。これがA=A。です。
No.7905 - 2025/02/04(Tue) 06:50:59
☆
Re: ついでに、
/ 本の無い図書館
引用
A=A
それが起こる以前も以後もなく。
A=A B=B
変化があるように見えて実は何も起こっていない…と言ってみたくなります。
No.7906 - 2025/02/04(Tue) 16:51:25
☆
Re: ついでに、
/ ubik0101
引用
いろんなことが見えたり聞こえたりしますが、そのこっちというか奥というか、裏というか、は、ない、です。自分で探ろうとしたら、虚無です。風景や思考のように見えたり聞こえたりすることだけ知覚されある。
で、ない、の理由を探ります。たとえば♪襟裳の春はなにもない春です。この歌。友、酒、暖炉だけではなく・・・何でもあるから・・・特定の分離された個別のことがない・・・いつも言う譬えですが、
光の総ての色があるから特定の緑でも赤でもなく黄でもなく、透明光。そのためには好きも嫌いも葛藤も善も偽善も怠惰も勤勉も苦も楽も自我も真我も時間も即今も原因も結果も・・・ありとあらゆること、ありとありえないことに満ちて
・・・特段、個別のことがないので、ない。それで風景とか行動とか思考とかの知覚されることと、それを知覚する自分を区別しないなら、不増不減、なにも起こってない、それはそうです。
No.7907 - 2025/02/04(Tue) 17:50:53
☆
Re: ついでに、
/ hato
引用
もう、・・
つまんないくらいに普通なこちらです。
庭がすっかり冬景色。
これもとてもいいです。
No.7908 - 2025/02/04(Tue) 17:52:27
☆
好雪片片別処に落ちず
/ ubik0101
引用
>龐居士、薬山を辞す。
>山、十人の禅客に命じ、相送りて門首に至らしむ。
>居士、空中の雪を指して云く、好雪片片別処に落ちず。
>時に全禅客ありて云く、什麼の処にか落在す。
>士打つこと一掌。
>全云く、居士また草草なることを得ざれ。
>士云く、汝恁麼に禅客と称せば、閻老子いまだ汝を>放さざること在らん。
>全云く、居士 作麼生。
>士また打つこと一掌、云く、眼は見るも盲の如く、口は説うも唖の如し。
>雪竇別して云く、初問の処に、ただ雪団を握って便ち打たん。
うろ覚えなので検索してみました。ひらひら雪は、どこに落ちる。もちろん虚空に落ちます。虚空とは自己。そして雪とは、あらゆる事象。見えること、見ること。聞こえること、聞くこと。考えられること。考えること。考えないこと・・・ありと
あらゆること、ありとありえないこと・・・森羅万象。それは虚空に落ちる。つまり森羅万象は、どこにも落ちません。と、同義です。虚空に何が落ちようがあるでしょう。
で、龐居士が平手打ちで、全禅客に、そこ、君にその雪が落ちてるだろう、しかもどこにも落ちない。この平手打ちの痛みはどこに落ちた。と、示します。ここで、痛みが痛みである必要はないのに痛み。雪。それを指す指。なぜそれがそれなのか、まったく知らない。
たとえば眼は見えてもなぜ見えるのか知らない。話しても、話すことが何か知らないのです。因果にあって因果の壊滅。好雪片片別処に落ちず、美しい一段です。そして雪竇・・・全禅客は、わかった、と、森羅万象である雪団子を握って龐居士、を打てばいい、と言った。
No.7909 - 2025/02/06(Thu) 20:15:01
☆
Re: ついでに、
/ 本の無い図書館
引用
…ああ
雪が雪に落ちる
虚空が虚空に落ちる
痛みが痛みに落ちる
因果が因果に落ちる
…本当に跡形もなく…
とてもシン…として清らかですね
清らかすぎて何も住みつけません笑
No.7910 - 2025/02/08(Sat) 08:49:21
★
(No Subject)
/ 本の無い図書館
引用
これはそう思った時に現れただけの空想上の物語です…
******
思い浮かぶのは空想上の遥か昔。
「どうしてこんなことしたの!!」
と空想上の母親に、空想上の幼い私が怒られている様子。
空想上の幼い私に生まれる空想上の戸惑い。
「何が起こっているんだろう?」
「とうして"私"は"こんなこと"したんだろう?」
「この目の前の緊急事態を消すためには、何か目の前の人が納得しそうな"理由"を話さなきゃ…」
「この目の前の人が生きている"世界"を共有しなきゃ…」
そんな空想上の経験を繰り返す中で
今起こっている緊急事態つまり「結果」
と、その緊急事態に至った「原因」という
「原因と結果を分ける思考法」「"理由を考える"という思考法」が定着したのかもしれません。
原因と結果をことさら分離して、その離れ離れになった原因と結果を再び繋ぎ合わせるために「理由という物語」が語られる。
そして
その「物語」によって、物語の帰属すべき「私」が、物語の所有者である「私」が召喚される…
どうして「私」はこんな事をしたんだろう?
今起こっている出来事の「理由」は何だろう?
この「原因と結果の物語」の中で、「私」は常に行為者か被行為者かのどちらかとして位置付けられ、その存在が確認されます。
そして
「物語」は単なる説明の手段ではなく、「私」の存在証明のような役割を果たすようになります。
ついには空想上で物語を物語るたびに、召喚された「私」が強烈にイメージとして定着する。
…でもその「私」の中身はいつでも空っぽ…
No.7897 - 2025/01/27(Mon) 12:18:21
☆
Re:
/ ubik0101
引用
No.7898 - 2025/01/27(Mon) 12:27:00に返信を投稿しました。
>…でもその「私」の中身はいつでも空っぽ…
そですね。空っぽ、というのを定義してみたことありますか?
No.7899 - 2025/01/27(Mon) 12:34:07
☆
Re:
/ 本の無い図書館
引用
返信ありがとうございます。
空っぽの定義
A=A
というのでどうでしょう?
No.7900 - 2025/01/27(Mon) 13:14:32
☆
Re:
/ ubik0101
引用
それはそです。でも、空っぽ、そのこととは?です。
No.7901 - 2025/01/27(Mon) 13:30:46
☆
Re:
/ 本の無い図書館
引用
返信ありがとうございます。
ああ、「私」って空っぽなんだな。
と浮かんだ時には
ああ、「私」って空っぽなんだな。
で完結・完成していて、もうその中に入っていけない入っていくものがない感じなんです。
No.7902 - 2025/01/27(Mon) 13:46:49
☆
Re:
/ 本の無い図書館
引用
「私」は
「"原因と結果が分離しているという錯覚"が生じている状況」
の中でのみ影響力を持つ現象。
それで「私の中身は空っぽ」という表現が現れたのだと思います。
でも、これもまたそう空想した時にだけ現れる空想…ですね。
ありがとうございました。
No.7903 - 2025/01/27(Mon) 15:12:34
☆
Re:
/ ubik0101
引用
なにかを行動する、思考する、話す・・・そのことによって、そしてる主体が時間を遡って、仮定される。なのに予めある自分が行動する思考する話すと思い違いする。
つまりその私、自分、俺は時間によって作られた虚構。これが開示された自我の仕組みでした。それで自我には、どうしても時間が組み込まれると踏んでいます。
また、いつでも訪問ください。元気をいただきました。
No.7904 - 2025/01/27(Mon) 17:26:46
以下のフォームに記事No.と投稿時のパスワードを入力すれば
投稿後に記事の編集や削除が行えます。
記事No.
パスワード
記事編集
記事削除
画像削除
100/100件 [ ページ :
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
...
20
>>
|
過去ログ
|
画像リスト
]