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“掲示板”

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/ hato

「子供は子供というわけではない、」


というのはどういう意味か、?

子がじつは親より優れてるとか、
魂・・は親より古いとか、・・


そういうことではないと思います。

No.7937 - 2025/11/04(Tue) 21:22:46

Re: 続 / hato

ところで今朝、夢を見ました。

夢は脳の整理整頓という説があるそうです。

その夢は、自分が、日本でしょうがどこか避暑地のような場所の、大学のキャンパスのような、オープンな研究所のような・・なにか体験学習施設のようなものがあるところで、そのなかの建物の一棟を歩いていると、すぐに記憶が溢れてきて、懐かしさとか、あああの時こうだった、とか。さまざまな記憶とそれに不随する思考感情が、生まれ出てくるような感覚・・が経験された。

思い出が勝手に繋がっており、納得されており、まさに経験したのだと確信的です。

とある場所を見る、ことによって、記憶と思考、感情が出てくる、・・作られるわけです。

そこで目が覚めました。当の自分、が還りました。

さあ、今、まさに夢中で訪れていた場所はまったく心あたりのない、自身の存ぜぬ場であり、実際に体験したものではないことに思い当たりました。

見ることによって、それに付随する自分と自分の過去、感情までもが作られていたのを、当の自分が知らされたのです。

実際の記憶や思考感情の要不要を、脳の機能が取捨選択して映し出してくるとして、

人のあり様とはまさに、このようなことかも知れません。

No.7938 - 2025/11/04(Tue) 21:27:39

Re: 続 / hato

人が予め、在る、のではなく、感覚する(される)ことに依って、その自分が仮定されるのです。これはubik0101さんの言葉です。

No.7939 - 2025/11/04(Tue) 21:28:27

Re: 続 / hato

一方で、「子は子というわけではない」


というそれはおそらく、子が親よりも優れてるということでなく、

因果としての繋がりが、必ずしもあるわけではない

肉体としては分裂した結果とも言い得るが、

人としては分裂した結果というわけではない。

ということではないでしょうか。

そこに因果をみることは必ずしも出来ない、

ということです。

No.7940 - 2025/11/04(Tue) 21:30:36
(No Subject) / hato

生まれて少し経った頃、
当時流行ったバンビが描かれた子供箪笥に
初めて捕まり立ちしました。
揺れる身体を箪笥に支えて覚束ない足取り、
一歩、二歩。
ふいに(視点)がひゅっと頭上に上り、
父の胸あたりにひゅっと移り
父の声の響きは自らだった。
母の胸あたりにひゅっと移って
母を自らのように感じ、
母の声の響きもこれだった。
「ほら、立ってるよ!」
と喜び合う両親が一瞬自分だった。

No.7933 - 2025/09/16(Tue) 21:54:35

Re: / hato

その光景に続き

子供は子供というわけではない、

という言葉を聴いた。

それは言葉だった。

No.7934 - 2025/09/16(Tue) 21:55:23

Re: / hato

いま両親は90と80になり、母の物言いになかなか腐心しつつも、世話をかけ、掛けられながら生活しています。なにを言い合っても、よきことの為になるようにと願い、共に生きてくれたことに感謝しかないのでしょう。

No.7935 - 2025/09/16(Tue) 21:56:27

Re: / hato

認知症の人はさまざま忘れてしまうという。
親子でも妻でも夫でも、或いは、
学んできたことを忘れてしまうという。
脳の機能が壊れるとそのようだとして、

人はどこにいるのでしょう。
人の学びはどこにいくのでしょう。

人はその、身体あっての意識、なのか?

はたまた、それ以上のなにか。

人が自己を学び、会得すること。

No.7936 - 2025/09/16(Tue) 21:57:23
夏が・・ / hato

熱い夏も過ぎようとしています。

今年はツバメや蝉たちが少ない気がしましたが、スズムシマツムシクツワムシ・・の音が聴こえるとほっとします。

こちら変わらず仕事に家内事に奮闘中。身体がえらいなあと感じることが増えてきましたが、ubik0101さんもさらに身体は大変でしょうが、変わらず日々ひねくれ親爺。ながら有り難い、なんとか元気に励んでくれてます。

身体で生き合うことはもうもう切磋琢磨、なのである。

美味しい葡萄を頂きました。

No.7932 - 2025/09/16(Tue) 21:53:54
春ですね・・ / hato

桜の見頃はあっという間に過ぎて

尚、春の展覧会最中・・

恒例のいざらい(1メートル幅溝さらい計数十メートル)、15回目もなんとか終えて、宵はちょっと幸せシュレーゲルの声を聴きます。
さ、また、頑張っていこ。

No.7930 - 2025/04/23(Wed) 23:13:48
ついでに、 / ubik0101
快晴です。透明光に溢れています。ただ明るい空間・・・そこでレモンの木の黄色い実。それを切ってもその切り口の表面の反射光を見ています。その奥は見えてません。分からないのです。緑の葉、通行人、自転車、隣家の青い屋根。

どれも表面の反射光しか見えず、その奥はまったく見えないです。そいえば子供の頃、直接光、太陽は見えない・・・と聞いて試してみました。ゆらゆら輝く眩しい黄白色・・・なーんだ見えるんだ。焚き火、懐中電灯、灯台、稲妻・・・これはま、直接光ではないでしょうか。

そして白も黒も見ることが出来ます。それは透明光が透明だから、まったく見えないから見えると思われます。透明光は見えない、でも見えないといっても闇ではないです。ここで透明光は自己。闇は自我にたとえられます。

インクの、絵の具の色を混ぜると黒に近づきます。その素材は、嫉妬、偽善、傲慢、知識・・・知覚、感情、意識・・・108の煩悩。あるいはレギオン・・・500の悪霊。

光の色を混ぜると透明に近づきます。その素材は、嫉妬、偽善、傲慢、知識・・・知覚、感情、意識・・・108の煩悩。あるいはレギオン・・・500の悪霊。同じです。これは変でしょうか。無明と叡智。ほんとーに、自己責任でしかないです。

No.7923 - 2025/02/17(Mon) 09:46:29

Re: ついでに、 / ubik0101
おなじ空気を吸い、おなじ水を飲み、同じ食べ物を食べ。おなじ景色を見てる。どうであれ、そ、なりたくてなってる。ほかの誰も妨げることも協力することもできない・・・自己責任。自己責任から逃げるのも結局、

自己責任。逃げるか受けるか、この違いでしかないようです。ついでに・・・なんでもいいですが嫉妬、偽善、傲慢、知識・・・知覚、感情、意識・・・108の煩悩。あるいはレギオン・・・500の悪霊。が、

なぜ、それなのか、全く知りません。なんでもいいですけど、塩の味がなぜ塩の味か。味がなぜ味か。赤がなぜ赤か。見えるがなぜ見えるか・・・その印象がなぜその印象か、まったく知りません。

なんだか・・・まったく・・・知らない・・・知ってることがなにか知らず、知らないことがなにか知りません。ここから尽きせぬ力をもらってる感じがします。

No.7924 - 2025/02/17(Mon) 09:51:07

Re: ついでに、 / hato

自己責任を

独り頑張って

ちょっと疲れたとき、

顔をみて

「あれっ、あんたなにさ」

と言い合える

だから赤でも青でも他人は

ときどき、大事にね。


ふつうに生きる、

ふつうに暮らす。

そのふつうは特別か?凡庸か?

なぜそうか知らないけど

普遍が通る

ふつうと言ってます。

No.7925 - 2025/02/21(Fri) 23:22:28

Re: ついでに、 / ubik0101
とりあえず、ある、を定義してみます。それが機能してて知覚できることを、ある、と呼びます。たとえば太陽がある、月がある、風がある、ラジオがある。電池がある、感情がある、思考がある・・・なんですが、

意識がある・・・これは知覚できるかは、ちょっと曖昧です。意識はそれ自らを二度見。することが行われるのでしょう。それは見る自分と見られる自分が異なっています。なんか思考しても、

その思考そのものが、その思考をしてるのではないでしょう。思考してる自分がいるかもしれません。庭を見てみます。まだ黄色い実がなってるレモンの木。その見えてることと見てる自分が、ちょっと違う。なにか・・・違う。

そ。青い空。白い雲。電線。野鳥・・・なんか、見えてるってことは・・・知覚とは差の認識・・・誰だって、この、見る、聞く、触る、喜怒哀楽。思考するこの不思議さは、世界いっぱい溢れてるではないでしょうか。

なんでもない日常が、とんでもない秘密を暴露し続けてます。では。ない、は、それが機能してなくて知覚できない。と定義してみます。ラジオがない、電池がない・・・喜怒哀楽がない、思考がない・・・と。

No.7926 - 2025/03/03(Mon) 19:09:02

Re: ついでに、 / ubik0101
で、ところで、自分は・・・ない・・・の、ないは定義できないです。たぶん多層構造ということで説明はできそうです。自分はない。とは、この自分で自分を知覚できない。ということ。です、

それは普通、無我と呼ばれます。自分で自分を知覚出来ない。ないは、ひとつには、ない。を示します。なにか思考しても、その思考がその思考をしてるのです。風景が風景してるのです。今日の労苦は今日の労苦。ここで、

なんであれ、その自分がまったく自分であれば、自分は知覚出来得ない。知覚とは差の認識。自分がない、ということは、完全に自分が自分だ。という線があります。たとえば眼はその眼と差がないから、見えない。これは日常の話です。そして、

No.7927 - 2025/03/03(Mon) 19:14:12

Re: ついでに、 / ubik0101
あるとない・・・それは実在と現象。としても説明できます。実在を定義してみます。それは、それがそれの原因。現象を定義してみます。それは、それの原因はほかのことにある。ということです。

たとえば木や花や動物や人、自分・・・現象は、生滅、変化する、それがその原因ではなく、ほかにある。たとえば温度、光、水などで植物は育つ・・・親がいて子がいる・・・ほかに原因がある現象なので、それがそれ自体ではない・・・空です。

なんとなくですが・・・解き解れ(ときほぐれ)つつある実在が世界という感じです。おそらく認識でき得る総てのことが現象です。認識することも現象です。しかし、因果の壊滅。つまり、この普通の日常、では、

ただ・・・これはこれ。説明ですが、塩の味は塩の味。赤は赤。親は死んでも子は生きる・・・原因と結果・・・実在が原因で現象が結果という・・・原因と結果が壊滅しています。

No.7928 - 2025/03/11(Tue) 07:55:03

Re: ついでに、 / ubik0101
たとえば今ここ。即今。事象は相互関係にあるので世界は一つ・・・それでいいならそれでいいですが、分離とか、過去未来とかを否定的に想定する、時空の範疇にあるかも知れません。そんなのどこにある?煩わしいだけです。既知と未知、面倒です。

いつか聞いた話ですが、どなたか禅者だと思うのですが、ほんとうは今もないのだ。と言った、そんな、感じです。それは過去や未来にも適応されます。ほんとうは、ここもないのだ。で、終わりです。

好雪片々別所に落ちず・・・ほんとに、いかなる別所にも落ちないのです。ぴたりぴたりと予定調和のように事象は落ち着いていく、のであれば因果の範疇。閻魔は見逃さない。です。そして、

No.7929 - 2025/03/11(Tue) 07:56:56

Re: ついでに、 / ubik0101
それがそれの原因。と。まったくそれに原因がなくそれ。は、同等です。
No.7931 - 2025/05/06(Tue) 17:04:08
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