とても気になる事がある。 それは毎回毎回己自身が思う事ではあるのだが。 いただいた役をちゃんと「生きて」いるのだろうかと・・・
今回の「聖闘士星矢オメガ」には,とても懐かしいキャラクタ−である初代鋼鉄聖闘士(オリジナル・スチールセイント)が登場している。 以前にプロデュ−サ−のY君から彼等もいずれ参戦してくると聞かされていたのだが,自分は貴鬼役でキャスティングされていたので、勿論「翔は俺がやりたい」とは思っていたのだが、同じ局面で出てくるのであればしょうがいのかなと思っていたのだ。 ある時その事を正直に監督に問うてみた。 すると監督は「勿論,中原さんに演っていただきますよ。当たり前じゃないですか」と答えてくれたのだ。 その時僕がどれだけ嬉しかった事か。 今回「貴鬼」と「翔」は絶妙の距離を置いて登場してきている。 脚本をそのようにしていただいているのであろう。 お分かりのように「翔」は今回は少しワイルド系へと変貌を遂げている。 「貴鬼」と「翔」は全く別の人格なのだから。 声にそう違いはないかもしれないが,その一点だけには拘ったつもりだ。 というか,若い頃から言われ続けてきた「中身を替えろ!」という一事。 「小細工を労さず楽な方には行くな」という教え。 それが又繰り返され,自分はその事から逃げずに真っ向から勝負が出来たのだろうか?若い頃のように・・・という自問。 「生きたい!」としか考えて来なかった自分が,いつのまにか楽な方を選択するようになってしまっているのではないか・・・という恐怖。 「貴鬼」が「翔」が躍動し,命を燃やし続けられるように、自分もしっかりと「コスモ」を最大限に燃やし続けなければと、本当に切に思う・・・
そしてたまたま時を同じくして「京騒戯画」鞍馬役。 こちらもしっかりと「生きる」事が出来ればと思う。 「静」から「動」へ。 「動」から「静」へ。 短い会話の中でも常に行ったり来たりしているのだ,人の会話・人の心というものは。 捉えてしっかりと「表現」しなければ「雰囲気」だけではなく。 より良く明確にその人が見えてくるように。 時には「大雑把」に,時には「神経質」に。 時には「大胆」に,時には「繊細」に。 時には清濁併せ持ち。 時にはわざと「混濁(カオス)」を創りあげ。 「何か」を成したいと思うのだ。 必ず「成し得る」と・・・
「ガンダムW」も同じく。 あのメンバ−と「トロワ」に再会出来るとは。 感謝・感謝である。 今の彼を生きなければ。 と言うか今の彼しか生きられないのだが。 ステ−ジでどんな会話が紡がれるのかも楽しみである。 この時期にこの3作品が邂逅する事には何かの意味のようなものがあるのかもしれない。 そんな風に自分は思っている。 そしてその邂逅を実り大き物にしたいと思っている。 いや,必ずそうなると信じている。 そこには何ら確実な根拠などないのだが。 ただ信じているのだ・・・
そう「信じて」行こう。 自分はちゃんと「生きて行く事」が出来ると。 様々な作品のキャラクタ−達をちゃんと「生きて行く事」が出来るのだと。 そう強く思わなければ一つ一つの「生命(いのち)」に対して失礼ではないか。 「責任」と「自覚」を持たなければ。 キチンと「魂」に宿さなければ。
秋の夜長。 虫達の鳴き声がとても近く聞こえる。 と言うか「鳴き声」しか聞こえない。 後は己の心の声か。 こんな静かな夜。 物思いに耽るのに最適な「静かな夜」がしんしんと更けて往く。
「明日は明日の風が吹く」
そう「陽はまた昇る」のだから・・・
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No.2569 - 2013/10/07(Mon) 01:19:28
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