僕の友人である梶山がパ−ソナリティを務める,北海道は帯広にあるコミュニティ放送局「FM・JAGA」 その中の「じゃらら」という番組のお題が今日は「バレンタインの悲しい話し」という事で,久しぶりに投稿してみました。 ここはインタ−ネット放送も行っているので,どこでも聞く事が可能なんです。 で,今回は少し長くなったので、どんな文章だったのかを皆さんに読んでいただこうと、下に載せましたので、一度、目を通していただければ幸いです。 僕は時々「じゃらら」を聴いては,梶山と、もう一人のパ−ソナリティ米澤愛さんの掛け合いを楽しませていただいています。 「中原茂」で普通に投稿していますので。(笑) 聴く度に「あぁ又俺もあのスタジオで喋りたい!」と思ってしまいます。 もう二年くらいはお邪魔していないので。 いつだったか,番組が始まった時には、いいお天気で晴れていたのが、暫くしてみると窓の外一面雪の世界だった事もありましたしね。 あのでっかい大地で,友と又酒を酌み交わしたいものです。 帯広で「声優セミナ−」何かやっても面白いかも?何て思ったりするのですが。 ナレ−ション何かも交えてもいいですしね。 あっ何か妄想している内にやりたくなってきた! 梶山に話してみよう。 まぁ話す事だけはタダなので。ハハハハハハ・・・・・ 何か色々考える事って楽しいですよね。 実現出来る出来ないに関わらず。 これからも,どんどん「能動的」に生きていかないとですよね! あっ忘れるとこでした。 今日の投稿の文章,載せさせていただきます。
「愛隊員,りえさん、そして梶山。 ご無沙汰しています。中原茂です。 あっ梶山,今回は長くなったんだけど、急がず、普通に最後まで読んで貰えると嬉しい。ハハハ・・・ 早速お題なんですが,バレンタインの悲しい話しとして真っ先に思い浮かんだのは、中学生の頃の事なんですが、中2だったかな。当時部活は軟式テニス部だったんですが、同じ学年のメンバ−は僕をのぞいて皆頭が良く、今でいうイケメンばかりで、もててたんです。で,バレンタインデ−の日、練習が終わり、帰ろうとしていた時、帰る方向が一緒だった奴が、こいつはのちに、高校は、当時僕らの学区では一番優秀な高校と言われていた「湘南高校」に進学するんですが、後輩に「三橋先輩!」(奴の名前)と校舎の玄関の所で呼び止められたんです。振り向くと数人の女の子達がいて、みんな手に手にプレゼントを持っていて。すると三橋が「悪い、中(なか)ちゃん(これ、当時の俺の渾名です)。ちょっと待っててくれるかな」と言い、後輩の女の子達の輪の中へ。僕は夕陽を浴びながら、ポツンと一人、みっちゃん(そいつの渾名)を待っていました。暫くして帰ってきた、みっちゃんは。「参ったよ,こんなにチョコ貰っちゃったよ」と、とても誇らしげに、自慢気に、嬉しそうに話していました。僕は「良かったな」と言いながら、とてもとても寂しい気持ちで一杯になりました。結局僕は中学3年間でチョコなど貰った事もなく、人生初のチョコを貰ったのは、高校3年の卒業を間近に控えた「バレンタインデ−」の時でした。その時はもう青天の霹靂というか、一気に春がやってきたというか、同学年の子からも後輩からも沢山貰い「高校時代がもっと続いたらいいのに」と切に思いましたね(笑)。「バレンタインデ−」というと、まだ中学生だった自分が、夕陽を浴びながらポツンと一人待っているという光景を、必ずと言っていい程、思い出すものですから。ちなみに,他のテニス部の奴等も、高校は「優秀」と言われるところばかりに行き、中には「灘高」に受かった奴もいましたね。商業高校に行ったのは僕だけでしたね。今思い返して見ると、あの頃自分の中には「劣等感」しかなかったのかもしれませんね。テニスが巧かったかというと、そうでもなく。何時も、ナンバ−4か、5のペアでしたね。あっ軟式はペアしかないので(僕は後衛でした)。あの「劣等感」が何だったのか。例えば「優秀」な高校に行けなかった自分は、人間として駄目な奴なんだと本気で思っていたんですよね、あの頃は。今ではその時の気持ちは全くといって良いほど分らないんですが・・・あ〜御免なさい、関係ない話しでこんなに長くなって!まぁでも基本的に「バレンタインデ−」って、ウキウキしますよね!では、愛隊員・りえさん・梶山。これからも楽しい放送を続けていって下さい!あっ最後に、梶山。ブログはいつ書くんだい!」
と,こんな内容の投稿でした。(笑)
それでは又!!
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No.2209 - 2012/02/14(Tue) 20:46:13
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