| レイゴさん、ばーなーおんさん、みなさん、こんにちは。
さて、いっつも少し悔しく思ってしまうのは、この回の解説や感想で、「ミライ=メビウスはGUYSの仲間達との絆を感じる事によって戦う事ができた」「アヤの言葉よりも」と書かれてしまう事があることなのです。 実際に状況をみてみるとアヤちゃんが想いを叫んでも起きあがれなかったメビウスが北斗の助言で月で戦う仲間たちと心はひとつだ、と自覚できて復活するのですから、そうなんですけれど、では彼等はなんの為に戦ってるんだって事になると思うのです。「大切なものを守るため」で、その大切なもの代表だと思うのだけどなあ。だから、「いつも一緒に戦ってると思っていたぜ」と卒業式の後に背番号のついたユニフォームを手渡してくれるようなまなざしでアヤちゃんをみてあげて欲しいのですけれどー。まあ、それでも、心をいっぱいにして声の限りに応援しつづけていると思うのですけれどね。
子供の頃はきっと今よりも1年は長くて、大好きなヒーローのTVは永遠に続きその活躍を見られると思っていたのに、ある日突然「次週、最終回」といわれて驚く。そういえば、雑誌に次のヒーローは××って書いてあったなあ、え、でも、来週終わってしまうの、と、思う。そしてその日、大好きだったヒーローは別れを告げて旅立っていってしまう。かけがえのない贈り物を残して。
私は、ばーなーおんさんよりもちょっとお姉さんなので帰ってきたウルトラマンが一番はじめの強烈な記憶なんですよね。で、それから何十年もの時を経てあのころの自分と同じようにヒーローを見つめる子供の前でゆっくりとヒーローが先輩ヒーローの残した言葉を語りだす。 「ひとつ、腹ぺこのまま学校にいかぬこと」 わあ、覚えているよー、ミッシングリングがカチャと、はまったような感覚がした瞬間でした。
で、あんなに実用的なウルトラ五つの誓いでさえ(いや実用的だからか?)覚えていて、ジーンとするのに、エースの願いを「それが私の変わらぬ願いだ」とあの時の大好きだったヒーローに言われたら、もう、ジーンならぬ、ドーなわけです。
そして、自分にとっては、ものすごく違和感のある再現(?)したTOKYO ,YOKOHAMAの街角の姿でも、食卓の姿でもなく、この想い、感覚そのものにノスタルジーを感じるのだ、と、思っています。
「こどもというものは極上のお菓子の粉で出来ているような存在ではない、子供の涙はけっしておとなの涙よりも小さいものではなく、大人の涙より重いことだってめずらしくない」ケストナーの言葉ですが、きちんとその事がわかっていない人は子供の時の事を忘れ去ってしまったのか、その後の人生にきちんと向き合ってこなかったか、自分をとりまく世界、人々にちゃんと向き合ってこなかったのではないだろうか。少なくとも私達が見てきて、そしてメビウスで新たに未来へ向かって紡ぎだされた「ウルトラマン」の世界はきちんとこどもと、世界と、人々とにむきあっている作品でした。ですから、例えば、今からみたら特撮は昔風ですし、本編の演出も、え!?と思う事はあっても、色褪せず、何十年の時を超えてヒーローのメッセージが蘇ってくるのです。
「ともだちになるためにひとは出会うんだよ」 この新沢としひこさんの「ともだちになるために」という歌を聞いた時に「エースの願いだ!」と思って感動したことを今でも覚えています。近くに小学生がいたら聞いてみて下さい、多くの子供達がこの歌を手話付きで歌ってくれると思います。まあ、今更,無垢な存在とか、そんなことはいいません、普通の良き部分も悪しき部分も内在する存在、それでよいのですが、そういう子供達にですよ、スポンサーが、とか、玩具の販売が、とか映画の前売り成績が、とか、海外進出、とか、みんなそれはそれで大事なことなのでしょうが、「ほんとにだいじなことはなんだろう?」子供達が大好きなヒーロのエンターティメントを送りだす、クリエーターとしてきちんとむきあっていただけているのでしょうか。
だいぶ、脱線したうえにやけに長々と喋ってしまいました。失礼しました。
私は一人のヒルカワ氏は、いやなやつだなあ、と思いますが怖くはありません。怖いのは次回の群集です。ミライ君とGUYSの窮状を思うと胸が傷みます。しかし顔をあげて前に進まなければなりません。轟く叫びを耳にしてあの方が帰ってくると信じて。
(追記、ごめんなさい、間違えていました。「ともだちになるためにひとは出会うんだよ」です。訂正させていただきます。) |
No.10780 - 2009/09/14(Mon) 12:29:06 |