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記事No.2862に関するスレッドです


No.2862 飯沼 ホームページ E-mail
「江原啓之スピリチュアル=スピリチュアリズム」ではない 引用

この数ヶ月間に、この掲示板にも江原啓之さん(のことと思われるものも含めて)いくつかの投稿がありました。
それらの返信に、「江原さんのことについては、近いうちに何らかのことを書きます」と書いてから数ヶ月が過ぎました。
私は私で忙しく、書いたところでおそらくは本人の変化にはつながらない文章を書く気にはなれなかったのです。
今までの経験から、江原さんに批判的なことを書けば江原さんの支持者からの執拗な投稿が予想され、それへの対応に時間と労力を割く気にもなれませんでした。
しかし、最近また江原さん絡みで新たな問題が起きているので、「スピリチュアリズムを人生の軸にしている者」としての見解を表明しておきます。
少しでも多くの人たちに、「江原スピリチュアル=スピリチュアリズム」ではないことを理解していただきたいのです。
長くなってしまいましたが、よろしければお読みください。

まず、夏にちらっと観た「天国からの手紙」で、たくさんの子供の死傷者を出した実際の交通事故の被害者のご遺族を出演させて、江原さんが矛盾に満ちたことを平気で言っていることには大きな違和感を持ちました。
江原さんの話の内容以前に、「ご遺族から事前に聞き取りをしたり、テレビ局が調査をして把握した情報が“江原さんの霊視”として語られているのではないか。だとすれば、実際の事故のご遺族の子を思う気持ちを弄び、その涙すらも演出に使おうとすることで、これは絶対にしてはならないことだ」と感じました。
以前に他の番組では、「番組スタッフが聞き取りをした内容がそのまま“霊視”として江原さんの口から語られた」と出演者に暴露され、テレビ局もその事実を否定しなかったということもあったので、あり得ることだと思ったからです。

私は数年前に江原さんとは何度かお会いし、夜を徹して語り合ったことも一度ならずありますが、江原さんが今テレビで見せておられるような「霊視」能力があるとは到底思えません。
根拠はもちろんありますが、ここでは触れません。
そして、「江原さんはごまかしなどは一切用いない人なのか」と言えば、残念ながらそうではありません。
姑息なごまかしや開き直りをいくつも見せられてきたことで、私たちは江原さんと距離を置くことになったのです。
人間は誰もが未熟で、時には過ちを犯してしまうものだと思います。
それは「霊能者」であっても、「霊的真理の普及者」であっても、人間である限りは致し方のないことでしょう。
私なども当然のこと、未熟で過ちや欠点の多い人間です。

しかし、自らを「霊的真理の普及者」と言うのであれば、低劣なごまかしなど用いず、過ちを犯したときには真摯に詫びて、その反省を今後に生かしていくべきであろうと思います。
口では「自分は特別な存在ではない。人間だから間違いも犯し、弱さもある」と言いながら、実際には日常的にごまかしを用いたり、その場限りの言い逃れや開き直りの詭弁を繰り返すのでは、「何のために霊的真理を学んでいるのか」ということです。
言行の不一致は人間の未熟さのひとつですが、明らかに建前と本音が違っていたり、狡猾な動機で表の顔と裏の顔を使い分けているとしたら、これは欺瞞であり、ペテンです。
2年ほど前の自著や雑誌では、「ホスピス建設が自分のライフワーク。2年以内に建設する」と表明しながら、今になって自著で「私は公約を掲げて当選した国会議員でもないし、私人がお金をどう使おうと勝手ではないか」と開き直るのはいくらなんでも酷すぎませんか?

私は江原さんを完全に否定するものではありません。
その場限りの嘘や言い逃れをする癖があるにしても、些細なことで感情が抑えられなくなって手がつけられないほどに激高するにしても、自分の思い通りにならない者に対してはかなり残酷な面があるにしても、他にも人間として、あっと驚くようないくつもの問題点を抱えているにしても、本来の彼は善良で楽しい人物だと思います。
今はどうかは知りませんが、少なくともかつては何らかの「霊能力」もあったと思っています。
そして、「人間はCENSOREDば終わりではなく、死んでも魂(心)は生き続ける」ということを、大勢の人たちが受け入れる「入り口」となる働きは十分に意義深いものでありました。

しかしながら、江原さんが広めてきたものは「スピリチュアリズム」の理念から掛け離れたものになっていると、私は思います。
それは単に「私の考えるスピリチュアリズムと異なっているから」ということではありません。
「スピリチュアリズムとどう違っているのか」は、ここで詳しく述べる余裕がありませんが、「シルバーバーチの霊訓」や「ベールの彼方の生活」や「(モーゼスの)霊訓」やアラン・カルデックが編纂した霊界通信などを読めば、言葉以上に本質的なところから違っていることが分かります。
「何をどう言い、どう書いているか」よりも、「何をどう考え、思い、実際にどうしているか」が大切なのです。
口では「現世的価値観、物質的価値観に浸ることのないように」と言うのであれば、「そう言っている本人が実際はどうなのか」が大事なのです。(これは私が貧乏人なので妬みで言っているなんてことではありません・笑)
以下に要点のみ示しておきます。

「人間はCENSOREDば終わりではなく、肉体の死後も生きる次元を変えて魂は生き続ける。人間の本質は霊(魂・心)であり、本来ならば人間は死後、自分の地上人生の全てを振り返って悔い、反省し、あるいはねぎらわれ、地上人生の全てを感謝と理解と納得という喜びに昇華し、愛と摂理の喜びに満ちた本来の霊界に戻り、そこで貢献と学びに生き続ける。そのことを受け入れた者として、地上での日々を実際にどう生きていくのか。実際の行為行動も大切であるが、その動機(心)が本質であり重要なのだ。死後の世界では一切のごまかしは通用しない。全てが白日の下に晒され、自分の人生を振り返ることになる」というのがスピリチュアリズムであるのです。

「どう生きていくのか」についても明確に示されています。
「死後も通用する生き方をしていくように」ということであり、それはつまり「(動機を純粋にしながら)人のために自分を役立てていくこと」です。
口先の言葉でどんなにいいことを言っていても、そこに本当の心がなければそれはごまかしであり、死後その責任を問われて恥ずかしい思いをするのです。
私なりに一言で言えば、「本当のことを大切にしながら、自分を役立てていくこと」ということになります。
「人の役に立っていく」という言葉はどこか偽善的な雰囲気がして、私個人としてはあまり好きな言い方ではないのですが、「人の置かれている状況に共感し、その人(たち)に何か自分にできることをしたい」という心に偽りや打算がなければそれでよいのですし、もしも自分の動機に不純物が混じっているとしても、それを薄くしながら自分を役立てていくことが学び・成長でもあると思うのです。

スピリチュアリズムというものは、自分の現世的な利益や都合のためにあるのではない。
むしろそれを越えて、(自分も含む)皆の喜びや幸せのためには自分がどうしていけばよいのかを示す道標であると思っています。
自分を苦しく押し縮めて歪めるのではなく、(受容や忍耐が必要なこともあっても)ありのままの柔らかな自分として、人も自分も幸せにと願うからこそ、人との関わり方や自分のありようについてもたくさんの学びや成長があるのです。
そして人間は地上を離れてからもその学びを、喜びのなかで続けていく存在なのだと思います。

さて、以前「週刊文春」で、かつてのスタッフたちが実名を出してまでも江原さんの行為を明らかにしました。
スタッフの女性へのいじめや暴行、猫への虐待行為などです。
江原さんはその記事を事実無根として、「名誉回復のために法的措置も検討している」と公式サイトで表明しましたが、そのままになっているようです。
今年1月の「週刊現代」では、「安倍総理は去年よりも今年の方がよくなる」という「霊視」を公表しました。
今年も残りわずかですが、安倍元総理の今年はどうだったでしょうか?
この公表した「霊視」についても何か責任を取ったのでしょうか?
「江原さんの未来透視は当たらない」ということは、外れの多さからご自身も知っているはずなのに、なぜ性懲りもなく無責任な「霊視」をやめられないのでしょうか?

さらに、今回また11月8日号の「週刊文春」に「善意のボランティアをペテンにかけた江原啓之とフジテレビ」という記事が掲載されました。
7月28日から29日にかけて放送された「FNS27時間テレビ みんななまか(仲間)だっ ウッキー!ハッピー!西遊記」という番組のなかでのことです。
美容院を経営するかたわら、10年前に他界したお父さんのリンゴ園も経営し、中越沖地震の被災者やいじめが続く学校にりんごと手紙を送った50歳の女性(Wさん)を、頼まれもしないのに何重にも騙して東京に連れてきて、「ドッキリ」で江原さんが「霊視」し、「このままでは店が大変なことになる」というお父さんや守護霊からのメッセージを伝え、さらに「美容院の経営をおろそかにしてボランティアに入れあげ、人に感謝されて自分だけが喜んでいる」などと言ったというのです。
しかも収録の時には彼女は江原さんに反論していたのに、放映された番組では、他の場面で彼女が涙を見せている映像をつなげ、「亡き父のメッセージによって心の迷いが晴れたWさんにいつもの笑顔が戻りました」というナレーションで締めくくられたというのです。
(別欄・2861に記事の要旨を上げておきます)

この番組の江原さんが出演した部分に関しては、放送倫理検証委員会(BPO)が審議しています。

江原さんはご自分が週刊誌を足場にしてこられたのに、以前の「週刊文春」の記事については「週刊誌が書くことを鵜呑みにしてはいけない」ということを言っていたそうです。
その一方で「週刊新潮」に自分の反論の記事は掲載させる時点で、すでに語るに落ちているのですが、今回は少し事情が違っています。
りんごを送った女性はサイトやブログを持っておられ、「週刊文春」の記事を読んだ上で「(文春が)全貌を詳しく調査している」という意味のことを書かれていたからです。
文春の記事は、事実関係を踏まえているという意味でしょう。
放送後のWさんは店にも立てず、外出もできない時期が続いたそうです。
テレビでの江原さんの「霊視」ですから影響力も大きく、周囲の人たちからもさまざまなことを言われ、ずいぶんとお辛い思いをされたそうです。
彼女のブログには「自分から霊視をお願いしたわけでもないのだし、まして自分は一般人なのだから、ああいう扱いはされたくなかった」ということが書かれていました。
BPOが審議を始めたことで、フジテレビは彼女に謝罪したそうです。
テレビがやらせや過剰な演出をしているということは私も聞いてはいましたが、ここまでひどいものだとは思っていませんでした。

いくら「ドッキリ」でも、ここまで嘘を重ねて一般の人を収録に引っ張り出すという企画は、もちろんテレビ局の責任です。
しかし、この企画に乗って、収録の時に大勢の人たちの前で長時間にわたって、善意の人を誹謗中傷し、さらに「編集」という名目の歪曲を経て全国に放送され、善意の女性を深く傷つけたことを、江原さんはどう受け止めているのでしょう?
そもそもその美容院が経営難であるという設定そのものがテレビ局の嘘の演出であり、江原さんは虚構を鵜呑みにして「霊視」し、全国放送されることを知りながら、霊界のお父さんや守護霊からのアドバイスのメッセージを伝えたのです。

この女性は「地震の被害を知って、じっとしていられずに行動した。自分はりんごを送りたかったのではなく、励ましの手紙にりんごをつけたのです」と書いておられます。
その手紙やりんごを受け取った人も喜び、その手紙を今も保管している人もおられるそうです。
Wさんはとても優しい方のようで、もうこの問題は収束させたいと思っておられるようです。
ブログには「人間は誰にも色々の心を持っているんだと思います。環境に支配され理性や方向性を見失ったり相手の立場や心を踏みにじってしまったり・・全ては・・人間だから。私は突然の嵐で、何もかもが見えなくなってしまい人を恨んだり憎んだりもしました。私は自分自身さえ見失ってしまい苦しんで苦しんで・・そして知ることが出来た・・・私達人間の心の弱さを。皆、同じ人間。だから私は人を許すことが出来ました」と書かれています。
そのご意向は尊重すべきであると思います。
(無断転用ですが、Wさんのお人柄がそのまま表現されている言葉なので、どうしてもご紹介したいと思いました。お許しください)

しかし、今回のことについて、やはり江原さんは何らかの行動に出なければならないと私は思います。
彼女のブログを読む限り、江原さんからお詫びなり釈明があったとは思えません。
もしも今も江原さんが、彼女が「ボランティアに入れあげて、自分だけがいい気になっている」と思っているのであれば、何もする必要はないでしょう。
あるいは、「今回のことは全てテレビ局の責任で、自分には何の落ち度も責任もない」という考えならば、やはり何もしなくてもよいでしょう。
江原さんがこのまま何もしないでいるならば、それは「自分には何の落ち度もない。彼女は自分が言ったとおりの人物だ」ということになるのです。
もしも今でも江原さんがそう思っているとしても、テレビの全国ネットで放送することを前提に、しかも大勢の人たちの前で善意の一般人を誹謗し、深く傷つけたことの責任は免れるものではありません。

「スピリチュアリズムや霊的真理を普及するためにテレビに出ている」と公言している江原さんですから、それにふさわしい行動をとるのは極めて当然のことです。

同時にこの際、江原さんが出演しているさまざまな番組で、いわゆる「やらせ」や事前にスタッフから提供された情報を「霊視」として伝えることがあるのかどうかも、正直に明らかにすべきだと思います。

「オーラの泉」のテレビ朝日は「信じてしまう視聴者もいるということを念頭に置きながら番組を制作する」というコメントを出しています。
これは普通に読めば、「オーラの泉は虚構として制作している」ということでしょう。
しかし実際には、江原さんの「霊能力」として信じきっている人たちが極めて大勢いるのです。
自分が信じているだけでなく、江原さんへの批判に過剰反応する「信者」のような人たちも少なくありません。

「スピリチュアリズム」を看板として掲げるのなら、まず何よりも真実を最優先にしなければなりません。
そして、「霊視や肉眼では見えないパワーによって、自分がうまくやる、現世で成功していくこと」よりも、「自分を役立てていくこと」こそがスピリチュアリズムの掲げる理念であるのです。

相手を思いやる心、人の痛みに共感する心、大変な状況・苦しい状況にある人に手を差し延べようとする心、人間どうしが分かちあい支えあっていこうとする心と行動こそが全ての人間にとって大切なことだと思うのです。

江原さんには、どうか今回のことで、もう「スピリチュアリズム」を歪めることをやめて、「相手を思いやり、人の痛みに共感し、大変な状況・苦しい状況にある人たちに手を差し延べ、人間どうしが分かちあい支えあって生きていこう」ということを伝え広め、スピリチュアリズムの本筋に立ち戻っていただきたく思います。
今回のことや今までのことで、Wさんや視聴者や読者に謝罪するのは当然ですが、これからは本当のスピリチュアリズム・霊的真理を伝えていくことでこそ、埋め合わせが始まるのだと思います。
どうか無視や見え透いた言い逃れで自分の立場を守ろうとせず、支持者の前だけで自分に都合のよい話をするのでなく、「ここが人間としての正念場」と、本来の道に立ち戻っていただきたいのです。

最後になりましたが、「スピリチュアリズム」の普及と実践に携わる者として、Wさんには私からもお詫びせずにはいられません。
今回のことについて、大変申し訳なく思います。
しかしその一方で、今回のことでWさんのような方がおられるのを知ったことは、私にとってとても嬉しいことでした。
Wさんは深く傷つけられたのですが、今回のことでWさんのことを知り、Wさんの本当の気持ちに共感した人たちは大勢いると思います。
挫けずに、これからもWさんらしく行動してくださることを願っています。

09/11/2007(金) 13:58:46



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