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No.19501 飯沼正晴 ホームページ E-mail
「古事記を読み解く」 引用
かなり難解ですが、克が受信した「古事記を読み解く」を掲載します。
古事記 上巻 神代七代〜伊邪那岐命と伊邪那美命の記述に対応した部分です。
この後で、全く別のラインからの読み解きも受信していますが、ここでは掲載しないでおきます。

前スレッドに「古事記を読み解く」の前文や「ひとしずく〜日々に学ぶための霊界メッセージ」を掲載しています。
それも読んでくださいね。
それらへのコメントも含めて、以後はこのスレッドにお願いします。
もちろん、他のことについての書き込みもどうぞ自由にしてくださいね〜。
。。。。。。。

「古事記」を読み解く

大いなる神の意志によって地上界は形づくられた。天地の開闢(かいびゃく)とは、霊界の写し世としての地上界が物質次元に顕現されることを言う。天地(あめつち)が開かれる、とは、霊界の次元から「神の意志」が変換されて物質次元に下ろされることなのである。霊界と地上とに分かたれることを指す。
この時、地上界に存在したエネルギーは「調和」(アメノミナカヌシ)。

そして、「顕現・形を有する・形を成す」(タカミムスビ)エネルギー。

そして「意志」(カミムスビ)のエネルギー。
これらのエネルギーは完成形としての状態を有するまで、別個のものとして地上に作用する。それらが全てひとつとなった時こそ、大いなる神の意志の顕現として「霊界の写し世」である地上界が完成する。
大いなる神とは全(まった)き調和の完全形である。神界、霊界へと次元を下げ、やがて物質次元へとエネルギーが到達するには、大きく三種のエネルギーとして分割しなければ物質次元には作用できない。三種のエネルギーがひとつになり完全調和が成った時、物質次元(地上)でありながら霊界と同じ世界となるのである。

地上界が形づくられて間もない頃(未だ“学び”を進め“顕現”の担い手となるべき人類の誕生を見る以前のことである)、「生命」とは呼べぬ段階の物質が、反応し合い、有機物となり、「生命」の基本形ができあがった。そこに「意志」は存在しない。物質どうしに生ずる「反応」のエネルギーが介在したのである(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。


そして、「変化」のエネルギー(アメノトコタチノカミ)。

「意志」を「顕現」し、「調和」を計るには、地上的に言うならば、物質の反応による変化によってなされる。反応と変化こそが、動きを引き出すからである。地上界の形成から完成に至るまでの進化向上の道のりは、連続する変化によって可能なのであるから。同時に、全き調和である、ということは、「動かない」ことではない。むしろ逆である。完全でありながら、絶えざる(さらなる)進化向上を永遠に続けている状態こそが全き調和である。その原理が変換されて地上に及ぶなら、進化向上であり、それをさらに具体化、単純化したエネルギーが「変化」である。
反応と変化とは対の要素と捉えられる。しかし、両者の要素が揃っているだけでは「動き」は出ない。
そこに加わるべき要素がある。意志、希い、欲求、のエネルギーである。それらが相まってこそ、反応と変化から動きが生ずるのである。

これら五種のエネルギーは、調和、意志、顕現、反応、変化。このエネルギーを柱として、さらにエネルギーの要素(傾向)は細分化される。いずれが欠けても大いなる神が意志した「地上界」は完成しない。それは、別々のものとして地上界で作用するが、いずれひとつに統合されるべきものである。

この理(ことわり)を「顕現の担い手」としての人類が認識してこそ、統合は成就する。全くの偶然を以ての進化向上はあり得ないのであるし、何よりも「意志」によって調和を目指すのが、神の御心に沿うことだからである。地上という物質次元だからこそ「反応」という要素が大きな柱のひとつに加えられているのである。調和、意志、顕現、変化は既に霊界には存在し、作用しているエネルギ
ーである。

そして次に必要となるのは「調和」のエネルギーのうち、個と個の間に働く調和のエネルギー(クニノトコタチノカミ)である。前出の「調和」のエネルギーは、全体の調和を象徴するが、このエネルギーは個別の、具体物の、具体的事象の調和をもたらすエネルギーである。地上界に特有の「違い」を調和するエネルギーである。

そして「維持」(トヨクモノカミ)のエネルギー。反応や変化と対立するものではない。「維持」は、状態を継続させる、保証する、という意味において不可欠の要素である。

このふたつのエネルギーがひとつになることで揺るぎない安定、つまり「安寧」や「平安」が成就される。逆を言えば、霊界に存在する「安寧」「平安」のエネルギーは、地上次元においては、「個と個の調和」と「維持」とに分かたれて作用する、ということになる。

次に必要とされるのは「増大」(ウヒヂニノカミ)と「減少」(イモスヒヂニノカミ)である。変化の具体的表現形を象徴する。

そして「事の起こり、きっかけ」(ツノグヒノカミ)「帰結・収束」(イモイクグヒノカミ)。

そして、「否定」(オホトノヂノカミ)と「肯定」(イモオホトノベノカミ)のエネルギー。地上に存在する幾多の意志が全て調和に向うものとは限らない。不調和をきたすもの、調和の方向性を持つものは、“作用”として否定される。そのものを否定するのではない。全てのものはあるものとして肯定される。しかし、より調和に向かう流れのなかにおいては、作用そのものは否定という形を受け入れていくことになるのである。

そして、「充足」のエネルギー(オモダルノカミ)、そして「枯渇」のエネルギー(イモアヤカシコネノカミ)。

そして「(安定に向かう)動き」のエネルギー(イザナギノカミ)。

そして「(動きに向かう)安定」のエネルギー(イザナミノカミ)。

これまで伝えた「調和」(クニノトコタチノカミ)から、「(動きに向かう)安定」(イザナミノカミ)までのエネルギー傾向を併せて、神界からのエネルギーを大きく七つに分けたもの、(カミヨナナヨ)と捉える。

 
ここまでは、各々のエネルギーは地上に注がれてはいるが、未だエネルギーのままであり、形を伴ってはいない。地上に顕現されてはおらず、混沌としたままである。
地上界の造化を司る意志が、ふたつのエネルギーに働きかけた。安定に向かうために動きを作るイザナギと、動きに向かうための安定を確保するイザナミのエネルギーである。
地上界に注がれているエネルギーを縒り合わせ、さらにいくつものエネルギーを安定・定着させて顕現させていくためである。そのために、天の沼矛(物質化のエネルギー)が投入された。

それに従って、動きと安定、ふたつのエネルギーが「物質化」を作用させ、形を成して定着させることで、地上界は形成された。
地上界の形成とは、地球そのものの創造のみならず、地上的な生命(動植物を含めて)の誕生までを意味する。
そのなかのひとつに、他とは異なる目的で形成された島がある。

そもそも地上界は、物質次元での進化向上を目的として作られた。大いなる神の意志は「霊界のみならず、地上界という次元においても喜び、調和を顕現させること」を求めたからである。それが地球霊界、地上界創造の目的である。目的達成の導き手として、人間を誕生させるのである。
その島の名はオノゴロジマ(ムゥ)。

その島に「人間」が現れた。動物からの進化とは別の「人間」である。先に投入された物質化のエネルギーによって、霊界から地上へと魂が肉体を持って現れたのである。彼らは霊界から地上へと、生きる次元を移行させたにすぎない。生きる次元は違っても、霊界との間には霊的エネルギーの通路(天の御柱)が開かれている。彼らは霊界に満ちる喜びのエネルギーと共鳴状態にあるからである。「生きる次元を霊界から地上に移し、物質次元の地上においても、霊界で生きるのと同様、喜びのみの心で生きる」と意志して地上に赴いてきた。自らの魂の意志は、大いなる神の御心に沿ったものであり、その意志に従って生きているが故に、霊的通路は狭まることがない。さらに彼らは、「調和」(クニノトコタチノカミ)、以下「動きに向かうための安定」(イザナミノカミ)、そして物質化を加えた八つのエネルギー各々を認識し、そのエネルギーを操ることができた。


この経緯について、別の側面から加える。地上に誕生する生命は「人間」だけではない。地球全体を“ひとつ(総体)”とした時、あらゆる生命の複合体としての地球、と見なすことができる。各々の生命には、担っているエネルギー傾向がある。各々のエネルギーは相互補完し、調和を形成する。
そのなかで特に「人間」が導き手としての役割を担っているのだが、「人間」もまた大きくふたつの傾向に分かたれる。神が「摂理」と「愛」とを同時に顕現していることの反映として、(安定に向かうための)動きを象徴する男性性、(動きに向かうための)安定を象徴する女性性である。
それまで形を伴わずに注がれていたエネルギーが、生命体も含めた物質として顕現された(命・ミコト)なかで、特に人間の男女の共鳴、協調、補完は重要な意味を持つのである。


(変化に向かうための)安定のエネルギーの特徴として、対極にある(目的とする)“動き”“積極性”のエネルギーを欠いているという点がある。(安定を作り出すための)動きのエネルギーは、“変化”“積極性”を備えている。

このエネルギー傾向が具体的に顕現されたのが女性、男性という性差であり、雌雄である。
人間の男女の場合、思考・感情・行動の面において各々のエネルギー傾向が表現されるのみならず、「安定」と「動き」のエネルギー傾向が物質次元(肉体次元)にまで変換されて表現されれば、肉体の形状の違いとなる。

安定という「調和状態」は、ふたつのエネルギーの一方のみで作り出すことはできない。動きのエネルギーが持つ変化や積極性を以て、調和状態へと導くことができる。両者のエネルギーの統合によって、状態の変化が起こるのであるが、動きのエネルギーがその端緒を作る。

男女においても、肉体的結合によって両者がひとつになる。
各々が単独のエネルギーとして存在するのではなく、統合、補完することで、安定した調和状態(「國土」)が得られる。

男女の結合という肉体次元の喜びは、新たに生命を誕生させる。しかしそこでは、男性側の積極性のみでなく、女性側の同調・同意・受容は不可欠である(然善けむ)。

異なる二つのエネルギーを統合しようとする時、あるいは二つのエネルギーが相互補完を求める時、二者は対等でなければ調和は図れない。対等とは、同次元にあって同調・共鳴する、ということである。
霊界と地上とをつなぐ通路(天の御柱)に流れるエネルギーは「調和へ向かう意志」である。そのエネルギーに自らを共鳴させるべく意志する(「是の天の御柱を行き廻り」)ことによって同調・共鳴・補完・統合が図られる。

男女間においても、ひとつになろうと気持ちを合わせることによって、肉体の結合がなされるのである。

女性性と男性性の違いは、ミ(「右」)とヒ(「左」)としても捉えられる。ミとは身。ヒとは霊。
つまり、女性性とは身より出(い)ずる方向性ということ。これは具体的次元に重心(出発点)があることを指す。

男性性とは霊より出ずる方向性ということ。これは抽象的(論理的)次元に重心(出発点)があることを指す。

言い換えれば、安定(女性)と動き(男性)の統合(結合)とは、地上の人間における霊主体従を象徴する。
具体的次元、肉体や物質次元は霊的次元、精神的次元より優先優位ではない。


男女の交わりに際して、女性が主導権を握り(「先に〜と言い」)、男性が添って動いた(「後に〜と言い」)場合、優先順位が違う(「良からず」)。
 
その結果、生ずるのは、人間としてあるべき姿にはならない「水姪子」。
霊(ヒ)の発現しない「ル」留、不完全さの象徴である。
また、統合が不完全なために、両者の一体化が実現しない、まとまらない、体を成さないことの象徴として「淡島」。

もうひとつ別の側面から、イザナミ・イザナギのミトノマグワイとヒルコ、アワシマについて伝える。

地上界に人類が出現したのは、霊界に生きる魂が、地上次元(物質次元)においても霊界と同様の意志・喜びを顕現し、霊界の写し世とし、霊界の次元を広げるため。つまり、物質次元にも大いなる神の意志を顕現させるためである。
しかしながら“物質次元”は、霊界との隔たりが大きいために、エネルギーを細分化しなければ、地上での作用は実現しない。男女の分化もその一例である。
魂の意識も、精神(理性・感情)、感覚、肉体、と段階を経て変換された後、「言動」として顕現される。そこには変換の順があり、順とはエネルギーの流れを意味する。逆行することは本来的なものを崩す。
「順」とは、決して侵すことのできないものである。「摂理」のひとつの表現形である。

大いなる神から神界、高級霊界、霊界へと流れるエネルギーの順は、整然として寸分の狂いもない。地上次元もその順に加わる以上、「順」に添ってエネルギーを作用させ、最終的に言動を添わせていくことになる。
ゆえに、肉体次元(ミ)が霊的次元(ヒ)より優先優位に立つことは「順」に逆行するのである。
地上界が形成された目的にそぐわない状態で何かが作り出され、あるいはそぐわない状態で生きようとしても、それらは“あるべきもの”ではないのだから、地上界にとどまることはできない。
よって、喜べないもの、不完全なもの、として作り出した人間自身の手によって淘汰していくことになる。
物質優先、物質中心の価値観に基いて生きる人間がいかに醜く不完全か。
その姿に人間自身が気づき、解消していく。この部分に関しては、地上人類が辿る、霊性進化の流れを象徴しているとも言えるのである。

変化・動きのエネルギーと安定のエネルギーをどう融合させていけば、調和された状態になるのか。地上界における各種のエネルギーの順とは。

地上に姿を顕した“人間”は、霊界での感覚を払拭できない。霊界においては意識(想念)が即、形を以て顕れる。その意味では霊主体従や体主霊従という感覚がない。その感覚のまま、地上で生きることは、物質界としての地上を調和ではなく混乱に導くことになる。

(ゆえに、地上界における「順」はあくまでも霊が主、体が従という認識を確立しなくてはならない。)

霊主体従が確立しないまま混乱に陥れば、地上界は破綻する。(葦船に入れて流したまひき。〜〜入れざりき。)
その前に混乱を招いた“人間たち”は霊界に戻ってその理由を訓えてもらい、やり直しを計らわれる。
今度こそは、霊主体従の順を違えることなく、地上界を構築するために。


そこで再び地上に戻り、霊界と地上界をつなぐ霊力の通路に意識を合わせながら(「天の御柱の先の如く往き廻りき」)霊主体従の認識を確かなものとしつつ、地上界の構築にかかった。
先に物質ありき(形ありき)ではなく、意識・想念があってそれを形や言動にしていく。これが地上界の基本なのである。


現地上人類は、他界して肉体を離れるか、あるいは睡眠中にしか、意識が霊界に戻ることはない。
しかし、地上に姿を顕現した“人間”は、霊界との意識交流を自在にできた。
地上界と霊界との違いは、「意識(霊)」の次元と「物質(体)」の次元が同一か否かである。
地上界においては同一ではなく、それ故に、「順」が肝要であり、順に従いながら調和がなされるのである。

《ここからは、島、國を創成したことになっているが、具体的な名称等を付加することにより、国の成り立ちとつなげられてしまった。本来伝えられるはずの仕組みと法則が、ぼやけてしまったのである。
さらに、地上界を形成する仕組みと法則に続いて、それを具現化した島(くに)のありようが語られる。「国生み」の後に続く「神生み」の記述にあたる部分である》


大いなる神のエネルギーを何者かによって体現することはできない。しかし、神からのエネルギーは全てのものに注がれている。神、神界、霊界、地上界、と幾多の変換を経て、地上界にも行き渡っている。
地上界を構築するために姿を顕した“人間”が備えるエネルギーもまた神のエネルギーには程遠い。注がれてはいてもひとりの者が発揮できるのは、ごくごく一片にしかすぎない。ひとつの傾向を有する者が多数集まることにより、幅、広がり、多様性を持つことはできる。さまざまな傾向の者が、同時に存在することで相互補完が可能になる。

それぞれの“人間”が有する特徴的なエネルギー傾向――個性、能力、才能と捉えられるもの――が地上で顕現されるなら、それは各々の「役割」となる。
共通の目的は、喜びのなかで相和して生きること。共に生きるために各々が役割を担うのである。どれもが全体にとって不可欠なのであり、地上界(地上生活)にとって必要だからこそ存在する。


劇的変化を象徴するエネルギー(「ヒノカグヅチノカミ」)と安定を求めるエネルギーとの調和は難しい。
共鳴できなかった時、(不調和が生ずるのであるから)安定は保たれず、安定へ向かう動きのエネルギーに乱れが生ずる。
劇的変化を象徴するエネルギーが、全体からの要求、欲求に応じて顕れたのであれば、そのエネルギーは効果的に作用し、全体の向上に功を奏する。
全体と相和す、というところでは、劇的変化(を象徴する)のエネルギーは、それまでの安定を覆すものだけに、扱いが難しいのである。

多様な傾向を有する人々が集まり、ひとつの島(くに)で相互補完によって共生する。それならば、安定調和した状態に何ら変化はなく、またそれ以上の向上進化もない。このエネルギーの顕現は、安定を崩壊させるだけの意味を持つのではない。不協和音が生じ、ひとつに相和すのは、しにくいものであっても、それを克服した後、さらに大きな調和が実現できる。混乱や崩壊を招いても、その後に新しい秩序が形成できる。そのために地上界に向けて授けられたエネルギーなのである。

18/12/2018(火) 23:09:33


No.19502  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「古事記を読み解く」 引用

◆古事記を読み解く 前文
 
ここに伝えられている“文章”、語り継がれてきた“文章”を読み解くのは綴られている言葉を訳することとは違います。
 文章の奥にある隠された意味を明らかにし、語り継ぎ伝えようとした真意を、改めて表に出すためです。

 国の創設にあたっては、権力者に不都合な記述や箇所は改ざんされます。当時の“今”を肯定、補強するための材料として古事記は使われました。不都合を都合良く変えていくことで、人々の記憶や伝承に影響を与え、意図、意向に添わせていくためです。本来伝えられるはずの事柄を封じ、消し去るためです。

 古事記はこの国の成り立ちを示すもの。だとすれば国造りの経緯は権力者主体に語られます。従わない、逆らう者たちは当然ながら「悪しき者」として扱われます。

 しかし、文章の奥に隠れるようにして伝えられてきたものを表に出すことで、この国がいかにして“創られたか”この国に引き継がれるはずのものは何だったのかを再提示できるでしょう。それは同時に、これからこの国が目指すべき方向性を示すものでもあります。

 古事記を読み解くにあたっては、土着の日本人に多大な影響を与え、共存と繁栄の縄文時代を築くうえで、精神的・文化的礎地をもたらした「人々」を無視することはできません。なぜなら、国家の成立とは、縄文と弥生との入れ替わり、弥生による縄文の駆逐だからです。
 では、縄文の繁栄を担った「人々」とは誰か、どこから来たのか―――。

 私どもは彼らを「ムゥ」の末裔と呼びます。伝説上の、あるいは想像上の“くに”と言われる「ムゥ」に、縄文繁栄のルーツがあるのです。「ムゥ」に関しては、実証・証明がまだできておりません。ゆえに、読み解かれたものに抵抗感・違和感・不信感を持つ人もいるでしょう。「ムゥ」に関わる記述があっても、それを受け入れることを強要致しませんし、最後まで納得できなくても構いません。しかし、読み解きを進めるに際しては必要な要素なのだと認識してくだされば十分です。 
 「ムゥ」についての概要をここでお伝えし、それを前提として、読み解きを進めます。


***ムゥについて***

猿類からの進化によって「ヒト」となった人間ではなく、物質化によって作られた肉体に霊魂が宿ることによって地上に現れた「人間」が作った“くに”。もちろん、途中からは男女の交わりによる妊娠・出産を経る「誕生」に変化し、血は引き継がれるようになる。「ヒト」とムゥの「人間」は、あまりに違いすぎていたために、全く接触がなかった。

 ムゥの位置は、太平洋の西域、赤道のやや北にあり、中央に山を頂くほぼ同心円状の島国。面積およそ十四万k?u。人口は最盛期で二十万人。

 そこに生きる人々は、主に島の南側に邑々を作って暮らしを営んでいた。くに全体を統括する役割の邑はあったが、各々の邑は長(おさ)によりまとめられていて、連携や協調のなかで“くに”が形づくられていた。邑々は、それぞれに、心の傾向、心のエネルギーの傾向の同じ人々が集ったもので、それが邑としての特徴であり役割となっていた。

 例えば、全体を統括する役割を担う邑の人々は「法則や摂理の尊重、遵守」のエネルギー傾向を強く持ち、心の要素においては「正しさ」が特徴である。
 また、創造の役割を担う邑の人々は「喜びを形に変換する」エネルギー傾向を強く持ち、心の要素においては「表現」が特徴である、というように。

 各邑々が担う役割の違いは、互いにとって必要なものであると同時に、協調・相互扶助・補完・尊重の基本でもあった。「違い」によって人々は多様性を喜び、満たし合うことを幸せにできていた。よって、誰もが自らの存在意義に確信があり、個としても全体の一部としても、そして神の子としても、喜びのなかで生きられていた。

 しかし、この「違い」を喜びとできず、逆に自分を喜べない材料にしてしまう者たちが出始めるところから、ムゥの調和は崩れていく。比較に心をかげらせることで、個であることは喜べず、全体の一部であることも喜べない。人の喜びを自らの喜びとすることもできなくなる。

 「違い」を「偏り、不公平」と認識したところから始まって、自分はそれ以上に得ようとするようになる。そのことが実際に偏りや不調和を引き起こしていく。それが「支配」を求め、戦いを生み、それまでの調和状態から対立、抗争、混乱、そして崩壊へと進む。

 かげりを知らず、喜びのみの心で生きていたムゥの人々は、各々の心に広がったかげりに飲み込まれ、育んできた「喜びの心」を見失ってしまう。かげりの連鎖からは次なる喜びは見出せない。くに全体と人々の心との調和が作り出していた豊かで美しい島は、調和の乱れとともに海に沈んだ。

 しかし、全ての人々が島とともに沈んだのではない。
 一部の者たちは沈没を逃れ、世界の各地に逃げのびた。今からおよそ一万二千年前のことである。

 各地に逃げのびた人々は、自分たちで独自の集団として生きるか、既に先住している「人間(これが猿類から進化してヒトになった人々である)」に溶け込み、共存の道を選ぶかどちらでしかない。

 日本の地に辿り着いた人々は、縄文の人々のなかに溶け込み、ムゥの精神と文化とを伝え、物心両面において豊かな時代を築いた。

 だが、縄文時代が永遠に続くわけではない。弥生の人々が大陸から渡来し、力によって服従を求め支配を広げたからである。

 ムゥの精神を受け継ぎ、ムゥの崩壊を教訓としている人々は、対立や戦いではなく、受容や妥協、服従を選ぶ。しかしムゥの精神を頑なに守ろうとするが故に抵抗と抗争をやむなく選ぶ人々は、力によって封じられていく。「悪しき者」として―――。

    ****

 「ムゥ」についての概要から、縄文へのつながりを踏まえ、ムゥ――縄文が抹消されていく過程が古事記における国の成り立ちに重ねられ隠されているのだということを前提として、以下の読み解きを進めていきます。

19/12/2018(水) 01:01:09

No.19503  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「古事記を読み解く」 引用

ひとしずく 〜日々に学ぶための霊界からのメッセージ〜・3


“我よし”がまかり通ってきた世の中で、最もないがしろにされるのが「真実」です。
事実を歪め、真実をないものにし、自分に都合のよいように作り変える。
それが平気で行われてきました。
そういったものに対する憤り、抗議、あるいは、真実を明らかにする動きはなくてはならぬものです。

しかしながら、あなた方全てがそういう役割を背負っているわけではありません。
それではこれらのことを自らに照らした時、どうするのか。
日常においては、どのような形であなた方のまわりにあるのか。
振り返ってみましょう。

ちょっとした見栄で事実を歪めて言ったり、自分の都合でごまかしたり、あるいは、自分を守るために嘘をついてしまったり・・・。
そのことで大きなトラブルが生じなかったとしても。
けれどもあなたの心には何が残ったか。

得をした気分でしょうか。
優越感でしょうか。
ほっとした気持ちですか。
それとも後味の悪さ、罪悪感、自己嫌悪ですか。

胸に覚えのあるそういった経験を、今日は思い出しましょう。
そして、今になってみれば、その時動いた“自分の気持ち”が、実は何とも愚かだったり、情けなかったり、幼かったりするのだと気づいて頂きたい。
止むに止まれぬ理由などではなく、ちょっとした気持ちから、“つい”そうしてしまうことが人間にはあり、自分もそうなのだと認識しましょう。
そして、そういう部分を改める努力をしていきましょう。
もしもまた“つい”そうしてしまったのなら、そのままにしておいてはなりません。
正直に詫びるのです。
それが改めることの最良の方法です。

さらに、それとは別の、意識的・意図的な不正・偽り・欺きに対しては、毅然とした意識を以って、「人間として、してはならないこと」という目を向けていってください。
                   (05・1・14)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ひとしずく 〜日々に学ぶための霊界からのメッセージ〜・4


今日はあなたの最も身近な人のことを思ってみてください。
それがすでに他界してしまった人でも構いません。
あなたが最も親近感・親密さを覚える人でいいのです。
そして、その人に向けて思いっきりあなたの愛念を送ってください。

そのあとで、今あなたの身近にいながら、すれ違い、トラブル、不仲、嫌悪感・・・といった不調和状態にある人を思ってください。
身近な人が思い浮かばなければ、他界してしまった人、音信不通の人でもいいのです。
そして、その人に向けて、先ほどふくらませた愛念を送ってください。
あなたなりのさまざまな思いはあるでしょうが、始めにふくらませた愛念は、そのままあなたの胸にあるのです。
それを今度は別の人にも送ってみる。
それだけのことなのです。
                   
            (05・1・15)

19/12/2018(水) 09:26:29

No.19504  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「古事記を読み解く」 引用
今年も残すところ10日あまりになりました。

やり残した心・意識の切り替え作業は残っていませんか?

地上的自我への囚われは薄くなりましたか?
何についてもグジグジ思わず、さらなる調和の喜びに向かえるようになりましたか?

自分で自分を見て、「自分はこんなに変わった。こんなに向上進化して、今までよりもはるかに地上を生きる霊になってきている」と思えますか?

それとも、相変わらず今まで通りの自分のままであることを感じていますか?
あるいは今まで通りの自分があまりにも当たり前すぎて、動けない・動こうとしない状態が続いていますか?

おうちの大掃除も大事かもしれませんが、その前に自分自身の大掃除に取り掛かりませんか?
仕上げてしまいませんか?
地上的自我意識の煤を払って、窓を開け放つように心を開いて、風通しの良い新しい心で新年を迎えませんか?

「古事記を読み解く」のエネルギーのことは難解ですが、頭脳で理解できなくても、地上的自我意識が薄くなって、普遍意識の風通しが良くなれば、おのずと自分も普遍のエネルギーの通路となって、自分を含む皆に健やかな喜びをもたらしていけるのです。

喜びではないちっぽけなくせに重たい自分の気持ちを軸に生きていれば、それが現実を創っていくのです。
そして、これからはますます厳しい現実になっていくのです。
今は与えられていることが当たり前に思っている喜びも、次々に失っていくことになるのです。

さて、どちらを選択実行するのか、今年のうちに明確に決めてしまいましょう。
。。。。。

長い人類の歩みのなかで、今こそが最も大きな転換期なのだ。すでに定められたプログラムという大きな意志の流れに自らも入っていくのか、それとも、その流れに逆らい、あくまでも自分というところにとどまろうとするのか、選んでいくのはその人である。しかし、地上人類の霊性進化のプログラムという大きな流れは、それらの小さな自分を押し流して進み、とどまることを知らない。

 それはさらに大いなる意志の流れのなかのひとつなのである。その流れは誰にも何ものにも阻むことはできない。それこそが神の意志であり、全てはその意志によって動いているのであるから。

(「地上人類の歩み」から)

19/12/2018(水) 15:20:18

No.19505  のものも
Re: 「古事記を読み解く」 引用
難しく難解ではありますが
もう新しい時代が始まっているのだと思います。

あれ?
飯沼さんって私たちの味方だったよね?
みたいな、変な事を思ってしまい(笑)
そのくらい、今まで通りであれば
ますます苦しくなり、手放していけば、ますます良い時代に突入していくのだと思いました。

あれから沼島に行きたいと強く思い(私はロマンスとして)
少し神様の出どころのようなものを知りたくなりました。
なので、わかりやすい本、日本神話のふるさと写真紀行を買ってしまいました。

克子さんのひとしずく
読ませていただいてます。

窓を開け、新しい気持ち、喜びの心で新年を迎える方を選びます!

20/12/2018(木) 08:15:07

No.19506  やすこ
Re: 「古事記を読み解く」 引用
読み進めるのが難しい所もありますがじっくり読んでいます。

心を開け、風通しを良くしたら先も、自分の進む方向もハッキリと見えてくるような気がする。自我意識が薄くなり、地上に生きる霊として生きてる〜そんな自分を思って、それに向かって言動、選択。

そんな事を考えながら読んでます。

20/12/2018(木) 09:16:58

No.19507  みさお
Re: 「古事記を読み解く」 引用
なかなか書き込みできてませんが

地上人類のあゆみ 「古事記を読み解く」 ひとしずく
飯沼さん ありがとうございます。

じっくり読ませて頂きます。
今年中に書き込みしたいと思っています。

20/12/2018(木) 10:22:33

No.19508  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「古事記を読み解く」 引用
◆ひとしずく 〜日々に学ぶための霊界からのメッセージ〜・5

今日はあなたの優しさを形にする日です。
“優しさ”の内容は山ほどあります。
ですから内容は何であっても結構です。

今日一日、ふと心に浮かんだあなたの優しさを言葉・行為・行動のいずれかで表現してください。

隣り合わせた人に言葉をかける、見かけたお年寄りに手を差し伸べる、子供を思いっきりほめる、夫の好物を作る、親に電話してみる、小銭を募金箱に入れる、友人の肩を揉む・・・。

普段は照れや躊躇で形にしないまま済ませてしまうことを、今日は是非形にしてみてください。
一つ出来たら、二つ、三つと挑戦してみてください。

                (05・1・16)
。。。。。。。。。。。。。

◆ひとしずく 〜日々に学ぶための霊界からのメッセージ〜・6

今日はあなたのなかの「不満」に焦点を当ててみましょう。
自分が今、持っている「不満」を思い浮かべてください。

それは誰かに対してのものですか。
それとも自分に対してのものですか。
あるいは、何かが手に入らない、不足しているというのでしょうか。

不満のもとはどこにあるのでしょうか。
その不満は一方的なものではないですか。
あなた自身の思い方の切り換えで解消できないものですか。
それを伝えたら、満たしてもらえるものではありませんか。

「不満」は持っている間に増幅します。
いくつかの角度から見ることで、実は独りよがりだった、つまらないものだった、言ってみればすむことだった、と気づけたらそれでよろしい。
しかし、あなたの思い方だけでは解消しきれないものだというのなら、それを一人で抱えておかず、信頼できる相手に聞いてもらうのです。
自分以外の人の見方や意見、助言によって、改めてあなたの「不満」に向き合ってください。

                           (05・1・17)

20/12/2018(木) 16:54:52


No.19477 飯沼正晴 ホームページ E-mail
沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
ようやくというか、とりあえずの手始めにというか、12月12日に沼島に行ってきました。

天気予報では雨でしたが、幸い当日の朝から雨はやんでくれました。

沼島では、上立神岩とおのころ神社を巡りました。
イザナミ・イザナギの国生み神話の舞台(天の御柱)とされる上立神岩は、船着場から1キロ程度の距離ですが、所要時間は片道30分ぐらいというだけあって、途中からはかなりの急坂でした。

おのころ神社もかなりきつい階段を上らねばなりません。
(おのころ神社がある小さな山そのものがご神体として祀られていたそうで、社殿は実に質素でした)

12月12日が誕生日の、健やかな喜びを現実化するエネルギーが極めて強い人(Bさんです)と一緒に、その2か所で「生命のつながりの喜びの中で、物心ともに豊かに輝く新しい地上界へ」というエネルギーを高め、オーダーしてきました。

特に手応えもなく、なんとなく心もとない気もしていました。

ところがおのころ神社の急な階段を下りている時に、Bさんが片手に持っていたアルミ製の水筒が突然「カキーン!」と大きな音を立てました。
Bさんの小さなショルダーバッグのファスナーの小さな金具に水筒が当たったのかと思いましたが、そんなものであんな音は出るものではありません。
何度か水筒とファスナーの金具をぶつけてみたのですが、位置的にも無理があり、いずれにしてもそんな音にはなりませんでした。
もちろん小石などが飛んでくるような場所でもありません。

後で気づいたのですが、Bさんの水筒の底に近い筒の部分に、1辺が2センチ弱の三角形の凹みができていたのです。
かなりの凹みでした。
Bさんは「普段から水筒の外側も洗っているから、もしもこんな凹みがあれば気づいている。たぶん間違いなく、今日できた凹みだと思う」とのことでした。

そしてその音がした時に、Bさんにはある種の決意の言葉が浮かんできたそうです。

9月定例会の翌朝の魚の出現も不思議でしたが、今回も不思議なことでした。

そして、沼島で高めて共鳴させたエネルギーを一番初めににぃ&ちぃさんのお店に持っていこうと思い、お店に行きました。

いつも通りというか、新たなメニューも加わって、さらに美味しく楽しく過ごさせてもらいました。

ここで話がちょっと戻るのですが、「地上人類の歩み」を受信している時に考古学などの本を5冊ばかり買いに行って、その合計金額が11111円だったことは先日も書きました。
ある人との電話中に「『地上人類の歩み』というテーマで長い受信をするように」との唐突なインスピレーションを受けたのが1月11日だったこともあって、1の連続は始まりのサインだったと思ってきました。

沼島には先月だったかにも行こうとしたのですが、台風の影響で島に渡ることを断念しました。
それで諸般の都合で12月12日に、12月12日が誕生日のBさんと行くことになったので、もしも今回の沼島行きが霊団の祝福を受けるものになれば、何か数字でのサインをもらえるのではないかという気がしていました。
(でも、自信がなかったのでこの前の投稿には書きませんでした)

にぃ&ちぃさんのお店に行ってしばらくしたら、レジのところでちいさんが「すごいわ〜!2222円で2が揃ってる!」と声を上げたのが聞こえてきました。
5人連れの女性客の合計金額が11110円で、一人当たりの金額が2222円になったようです。(それにしても安いですよね!)

私はその話を聞いて鳥肌が立つ思いがしました。
まさに霊団からのOKサインに違いないと思ったからです。

あのタイミングでそういう数字の揃い方をする確率は非常に小さく、次のステージが始まったことを確認させてもらったのだと思います。

その日はもう一つ不思議なことがありました。
あったというよりも分かったというべきですが。

実は私は40年ぐらい前から、ある思い違いをしていたのです。
それはBさんの劇団のスタジオが、40年ぐらい前に阪神電車沿線の新在家という駅の近くに移転したという思い違いでした。
移転案内のようなハガキかチラシに移転先の略図があって、駅から徒歩3分ぐらい南東のところに移転先が示されていました。(そう私は思っていました)

でももちろん私がそのスタジオを訪ねることもなく、Bさんの劇団は阪神大震災の7年前に、新在家から別の場所に移転して、震災で焼け出されて今の場所に移転したのだと思っていました。

3年前に再会したあとに、「昔、新在家にスタジオがあったんだよね?」と言ったら、「そこにスタジオはなかった」ということだったので、自分の思い違いだと思っていました。

でも、なぜかその略地図は今もはっきりと記憶していて、移転先として示された場所もはっきりと覚えているのです。
それで、沼島の帰りに改めて確認してみると、「スタジオはなかったけど、結婚してからしばらくの間は新在家に住んでいたことがある」と言うので、移転案内の略地図の話をすると、「個人の住まいだし、略地図入りの案内なんて出していない」とのことでした。

私はBさんの結婚後の住所も知らなかったし、新在家に土地勘もありません。(新在家という駅で下車したこともないと思います)
でも新在家という最寄り駅が合致しているので、私の記憶の中にある略地図での移転先の駅からの道順を言いました。(「駅の南出口から出て、少し東に行って、南に下がった右側。せいぜい徒歩5分以内」)
すると、まさにその場所にBさんは住んでいたのです。

だいたい、そんなありもしない略地図を今も覚えていること自体がおかしな話ですし、しかもドンピシャで場所が当たっていたというので二人でびっくりしてしまいました。(まるで霊能者のようです!・笑)

これはおそらくは、「この人はこの時期に登場すべく、私がこんな働きを始めるずっと前から配剤・配役されていた」というサインだったように思います。
5年ほど前の「飯沼クン助けてよ」という夢を2日連続で見たこともあり得ないことでしたが、さらに「初めからのシナリオによって今の時期に登場している」ということを強烈に知らしめる計らいが、40年近く前から準備されていたということでしょう。
(おそるべし霊団の計らいというか、使われる身であることを痛感します)

であれば、地上的な健やかな喜びを現実化するエネルギー・健やかなる喜びへの欲求のエネルギーが極めて強いBさんがこういう形で登場していることの意味は非常に大きく、悠々塾の働きが次のステージに進んできたということだと思います。(欲求のエネルギーが強いと言われることをBさんは嫌がっているのですが・笑)

実際、にぃ&ちぃさんのお店もBさんの一言で動き始めて実現した面がありますし、他の仲間の人生レベルでの窮地もBさんの一言で奇跡の好転が進んでいます。

もちろんすべてがそうはなっているわけではありませんが、これからBさんが溜め込んでいる思いを吐き出して解消して、さらに本来の自分のエネルギーを解放していけば、もっともっと嬉しい変化が現実化すると思います。

Bさんは、霊的法則については「まだよく分からない」という感じですが、彼女の参画は悠々塾という場のエネルギーにも、ここにつながる仲間たちにも、そして仲間がつながっている人たちにも、これからもっともっと作用して、さらに嬉しい現実を具現化していくことになるのだと思います。

というわけで、今回の沼島行きも意義深かったようです。

いずれ沼島で合宿をしたいと思いますが、例のあの人からは私のところには未だ連絡がありません。(まゆみさんやさきさんにはお詫びの留守電が入っていたそうです。私にも一度電話が入っていたことにあとで気づき、かけ直しましたが出ませんでした)

沼島は小さな島で宿もあまりなく、民宿は定員的に無理なようです。
一番大きな旅館の定員が30名ということなので、ちょっと微妙なところです。
その旅館には大広間があるので、何とかなるかもしれませんが。

みんな大好き。
ありがとう。

調和した!
生命のつながりの喜びの中で、物心ともに輝く新しい地上界に!

15/12/2018(土) 01:59:41


No.19478  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
上の投稿で、上立神岩を神立岩と書いていたので訂正しました。

それと、Bさんから「Bさんと書いてもらって構わないよ」と連絡があったので、そこも直しました。

他にもちょっと手直ししています。

15/12/2018(土) 10:19:38

No.19479  さき
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
ぬまさん
沼島(おのころ島)から、お帰りなさい。
Bさんもお疲れ様でした。
今年1月に沼島に行った時のことを思いだしました。

2222!
私も鳥肌です。
新しいステージのはじまりを素直に喜びます!

職場のなかまのご家族がもやもや病と診断されました。
(来月手術予定)
エネルギーを送っています
私たちがやろうとしていること
現実化のエネルギーを作用させたいです!

みんな大好き。ありがとう。
調和した!


****************
1月の悠々通信に載せたコメントです
読み直してへーと思ったので再掲します

↓↓↓
※淡路島で(感情次元で)かげりを喜びに着地させる、って
どういうことなんだろうと、ぼんやり思ってました。
そこで思ったことのメモ、妄想です

かげりの連鎖を繰り返してきた地上は理不尽なこと、わりにあわないことばかりで、それが今の地上界なんだと思います。
そりゃ、かげるでしょ。
あるものはある。それをないものにすることはない。
それが今の地上の現実なんだから。

強い者勝ちで、貧富の差は拡大する一方で、不公平だらけ、
庶民のいのちや人生なんかどうでもいいと思っている人たちが権力を持っている。
地上人生なんか、かげらないとやってられません。

と同時に、愛は時空を、、にあったように
男女間の愛だって
永遠の愛を誓ったハズだったのに気持ちが変る
裏切ることも裏切られることもある。
その愛憎ってどうにもならない。
心かげりますよ。

かげるのは悪いことじゃない
否定することでもない
あるものはある。
それが生身の人間としての気持ちです。
そこからはじめたらいい。

今やろうとしていることは
それを理性の道すじで切り替えるということでなくて、
(もちろん、そう出来るならそうすればいい!その方がベターです)
今ある現実に影響されないで
(後追いしないで)
今、ここで、自分の感情(かげり)(濃い気持ち)を手放す
ってことなんだと思います。

>すべては喜び
>みんな大好き、ありがとう。

ってね。
それは自分の感情をないものにすることとは違ってて
あきらめるというか
かげりの感情に囚われない(長居しない、深入りしない)

どうにもならないことは、どうにもならない

エイッ!と思い切ってしまう、切り替えてしまう感じ。
(後になれば、たかが地上人生の一コマです)

今顕現している現実
(三次元の形、地上的な現状、誰かとの関係、気持ち)から
(いったん)自分の感情を切り離す感じ。

(よくも悪しくも)後追いに使っている
膨大な感情のエーテルエネルギーを
いったんニュートラルの状態に戻す感じ。

すごくエネルギーが要るけど、
かげりを募らせていくこと、かげりに囚われること
かげりの重たい感情のなかにずっといることは
地上の人間にとって(肉体にとっても、魂にとっても)
本当は苦しい、しんどいことなんだと思います。

存在することすべてに意味があるなら
全ては喜び、なんです。
理不尽さも、不公平も、傷ついたことも傷つけたことも
苦しさも怒りも悲しみも報われなさもさみしさも、、

今ある現実、顕現している現実に影響されて
心かげらすのはあたりまえ
だったらその現実に影響されないで
今ある現実に制約されないで、
地上の人間ならではの心を使うんです
重たい感情のエネルギーを切り替えるんです

>すべては喜び
>みんな大好き、ありがとう。
って。

現状維持、現状追認に使っていた
エーテルエネルギー(重たい感情)を
いったん手放すんです
そしたら
膨大なエネルギーがトロトロのスープみたいに
ニュートラルな状態になるんだと思います

そこに本来の霊的エネルギー
(魂の喜び、いのちの喜びのエネルギー)が
流れ込む余地ができる

そのエネルギーを(後追いではなく)
「今はまだない現実」を生みだす、創りだすために使う
使えるんだ!って、思ったらワクワクします

これって地上の人間だからこそ、出来ること。
この重たいかげりの地上界をつくったのは人間で、
これを浄化できるのも地上の人間だってことでしょう。

理不尽な現実を容認するわけじゃない
けど、この現実をベースにするのはしんどいです
(地上的な道筋だけではどうにもなならない)
嘆き続けるのはしんどいです
苦しみ続けるのはしんどいです

この現実自体が、
地上の人間のかげりと思い込みの産物なんです。
だったら
それに影響され、それをベースにすることはない。
そこに囚われることはないんです。
それを後追いすることはないんです。

>全ては喜び
>みんな大好き、ありがとう。

そこからはじまり。
誰でもはじめられます。
ワクワクするような
「今はまだない現実」を創りたいです
皆さんと一緒に。
(当たりの宝くじがそこにあるんだから掴み取らないとね!)


※おまけの補足
娘が病気で他界した時にいっぱい泣きました。
なんで、なんで、、って。
でも人間って、そんな時にもお腹が減ったりするんです。
悲しくて寂しくて切なくて
ずっと嘆き続けていることもできた
ずっとそのなかに浸っていたい自分もいました
今もそんな(地上的な)気持ちが完全に消えたわけじゃありません。
それが地上の人間の気持ちだと思います
消せないです。あるものはあるんです。
でも、どうにもならないことはどうにもならない。
(いったん)手放すことは
それをないものにすることとは違う。
同時に、その嘆きのなかにずっといたら
今の自分はありませんでした。
それでよかったし、娘もそれを喜んでいてくれると思っています

15/12/2018(土) 10:29:33

No.19480  のものも
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
飯沼さん、寒い中、お疲れ様でした〜〜
1人で行ってたと思ってたらBさんと一緒でしたね〜

あのあと沼島の事調べてたら
私も個人的に旦那さんと
凄く沼島行ってみたくなりました!!
うちの場合、スケジュール立てないとと
気持ちは遊びの気分ですけど。

あと凹んだ水筒、見たいです。
隕石飛んで来たかなぁ〜?(笑)

はよ連絡来い来いですぅーー

15/12/2018(土) 10:34:12

No.19481  みんと
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
飯沼さん、Bさん
お帰りなさい!お疲れ様でした!

沼島、やっぱり凄いところなんですね。

‘ほんまもん’と言ったら安っぽく聞こえるかも知れませんが
本当に力のある人やモノは一見、地味な感じですよね・・!

けど‘カキーン’と響いた大きな物音や、にぃちぃさんのお店での
‘2222円’など明らかに霊界からのメッセージなのではと思います。  実は私も数日前コンビニでの買い物額が‘1111円’でした。奇遇です。

さきさんのコメント、有難いです!
エネルギーの使い方、気持ちの持って行き方
本当に参考になります。嬉しいです。

行き着くところ
みんな大好き、ありがとう。調和した! ですね!

※のものもさん、旦那様と沼島にいけるといいですね〜

15/12/2018(土) 21:51:39

No.19482  めぐみ
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
団体というものが、嫌い?!意識がある自分でした。過ごしてきた学校時代、何かを一つでしようとしている、団体としてイエーイ!と盛り上がっている皆を、冷めた目で隅でみている静かな私でした。
 宗教というものに対しても、団体組織になった時点で信じられない、というか、純粋に生き方だけを説くのけでない、グループになる何か目的があり、それは白ばかりではない、黒い?グレーなものになる。という感覚があります。

悠々塾に関しても、宗教や団体でもなさそうだけど、何か怪しい。何か不信感を感じてしまう自分もありました。でも内容にずっとひかれて、細々とずっと読んでいました。
以前に2回程行ってみた交流会にも、もう行かないのだろうなと、ここ数年は思っていたのですが、またご縁があり、交流会にも連続2回も参加してしまいました。

なんでしょう。
やっぱり、惹かれるのです。
地上人類の歩みも以前に読みましたが、飯沼さんに再掲されてこの今読んでみると、胸に響きます。

ここ数年、自分はいったい何だろう、何をこの人生でしたかったのかと考えることがあります。これから先、どう生きていこうか、とか。

悠々塾掲示板の内容や定例会に参加して、その話題について、そういえばずっと前から考えていたことに共通する、昔からそんなことを考えている子どもだったと最近思いました。
・この世界には、光だけではない影もある。一つの面から多面的に見ること。
・やさしくありたい、でもやさしさは強さと共にある。やさしさを現実化するには強さも必要だ。
・思いが現実を作っている。など。
・世界は何かが作り、そして見守っているものがあるにちがいない。人生も(神?)
世界がよくありますとうに、と思うと共に、人間や自分が生きていること自体が罪なのではとか、思うような変な子どもでもありました。
特に中高では、本当におとなしくしており、クラスの中でもいるもかわからないぐらいだったと思います。基本今でもそうなので、団体などは苦手意識のある私です。
 そんな私も、仕事も続けられ、家庭ももち、なんとかそれなりに人前でしゃべることもできるようになり、グループの中でも時には人や場をつないだりもできるようにもなることもあり、人は変わるのだなあと身をもって感じてもいます。

最近特に思うのは、この世界、日本がよい意味で変わっていってほしい、と思います。
人はそれぞれが多様で愛おしい。その多様な人々が多様なまま良い面を活かし(善的な何か!?に向けて)調和を目指している世界であってほしいということ。
そして、私は祈るのが好きだということ。(現実の暮らしも地に足を着けて頑張りたいと思います。)

「悠々塾、私も仲間に入れてください。」
ってこの11月の定例会参加後から特に思いました。皆さんと共に、心・思いのパワーを現実化していきたいです。
改めてよろしくお願いします。

*Bさんの講演見に行きました。高子姉みたいに、どんな境遇でも笑いながら明るく、他人を思う気持ちも持ち、愛していると言葉にできるような生き方したいなと思いました。いろいろな人生模様もみれて、素敵な舞台でした。ありがとうございました。

(何かと忙しく、また基本文章を打つのが苦手でもっと早くに投稿の予定が遅くなってしまいました。)

15/12/2018(土) 23:14:47

No.19483  あきどん
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
そう言えば、私も、実家の相当年代物の洗濯機が壊れたので、今月同じ二層式に買い換えたのですが、22200円で、おお、2ばかりと思ったんでした。中途半端でした?

15/12/2018(土) 23:34:01

No.19484  のものも
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
みんとさん
ありがとうございます(笑)
うちは結婚記念日が春の祭日の連休なのでその辺かと思います。
1日目は能登半島の端っこに泊まって
2日目の朝に沼島に行って、おこころさんへと話してま〜す。

あきどんさん
おしいーー
私も旦那さんと出会って21年目。
22と言いたいところ、、(笑)

16/12/2018(日) 07:33:45

No.19485  のものも
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
みんとさん
間違えました、、。
淡路島の一番下、沼島よりです。

16/12/2018(日) 07:39:43

No.19486  やすこ
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
飯沼さん、Bさんおかえりなさい!

Bさんが一緒に行かれていたんですね〜

寒い中お一人で・・と思っていたので何だかホッとしましたぁ。何目線だろう?笑笑

イザナミ、イザナギの神話、詳しく知りたくなりました。


さきさんの文章

力強くて優しく、本当に安心できます。

正しい事を知ると、そう出来ない時そうするのがシンドイ時、悪い事をしてるような気になるし〜罪悪感を持ったりする。

でも?Wあるものはある?W?Wそれでもいいんだ?Wと言って包み込んでもらえた時、ホッとして思ってる以上に前に進めていたりします。

1つのキッカケ、1つの思い直しなのに。そんな時は大きなエネルギーが生まれたのを感じます。

そして、やっぱり人は1人で生きるようには作られてないんだなぁ。自分の為、誰かの為だけには生きられないのでしょう。

それは、自分も皆も一緒に〜ともがいていると必ず計らいのような出来事があって、前へ前へ背中を押してくれるから・・そう思います。

応援してもらってる、見守ってくれている。そう思えて嬉しくなります。

16/12/2018(日) 09:29:22

No.19487  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
さきさん、のものもさん、みんとさん、めぐみさん、あきどんさん、やすこさん、書き込みありがとう!

数字が揃うというのは一定の確率であるわけですから、意味のある揃い方と確率の中での揃い方はまた意味が違っているのでしょうね。

克からも伝えられていたので、はじめからBさんと一緒に行くつもりでした。
なので、なかなか日にちがとれなくて、けっきょく12月12日になりました。

おのころ神社の階段でBさんの水筒があんな音を立てたのは、まさに第2ステージの始まりの合図だったのかもしれません。

略地図のことも私にはものすごく奇異なことで、頭がぼーっとするほどのことでした。

めぐみさん、みなさん、
私自身が組織や団体というのが苦手で、悠々塾は組織でも団体でもなく、悠々塾は自由な心のつながりによる学び合いの場としてやってきました。
主宰者である私自身が、いかなる意味でも絶対的存在ではなく、あくまでも学びの仲間としてやってきたつもりです。

人間はほんとに変わるものですね。
私自身の変化を思えば、人間の持っている伸びしろは自分が思っているよりもはるかに大きいのだと思います。
今の自分は10年前の自分とは別人のようなになっていると、自分では思います。
自分を基準にする意識がどんどん薄れて、普遍意識との融合が進んでいるような気がして、その喜びは言葉で説明できるものではありません。

その喜び(の波動)を、もっともっと正確に地上という次元のスクリーンに焦点を当てて顕現させたいと強く思っています。(今の私の場合は、少し地上のことに焦点が合いにくくなっている傾向があるようです。)


人間は変わるというところに話を戻せば、まずは「自分はこんな人間だ」という自己規定を外すことが大事なのでしょうね。
幼稚園児が「自分はこんな人間だ」と自己規定すれば、あるいは周囲からそう規定されれば、その子の向上進化を大きく阻むことになるのですから。

どんな立派な人間も、霊界にいた自分、霊としての自分を基準にすれば、今の自分はまさに幼稚園生以下の意識でしか生きていないわけです。
だとすれば、「自分はこんなものだ」という自分基準の思いは、それが自己肯定であれ自己否定であれ、それは霊としての自分を封じ込めることになり、実に不自由でつまらない自分として生きていることになります。
ましてや今は地上界の大浄化、地上人類の霊性進化の大プロジェクトの幕が開いたのですから、不自由とかつまらないとかでは済まないことになっていくでしょう。

誰もが永遠に向上進化を続ける霊であり、その霊としての自分が今はこの地上において向上進化するために生きているのです。
自分自身が向上進化しながら、地上界・地球という星の向上進化に寄与すべく、私たち全ての人間はここに生まれて生きているのです。
そんなふうに自己規定すればいいんですよね。

めぐみさんの参加、大歓迎ですよ〜!

これからさらに面白くなっていきますよ!

16/12/2018(日) 11:58:47

No.19488  祐造
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
飯沼さん、Bさん、おのころ島行きおつかれさまでした。

水筒の話に驚きです。
真空構造の水筒なら、かなり厚めの金属が使われているのでしょうし、多少のことで凹むものではありません。
普通にあり得ないことだと思います。
魚の次は水筒でしたか!
次の段階という示唆にワクワクです。
みなさんと一緒に、例のあの人も一緒に、おのころ島合宿に行きたいです。

先日から探していた「天地悠々の原稿のコピー」が見つかりました。
最初から最後までそろっているようです。
400字詰め原稿用紙に400枚以上。
重ねた厚みは4センチほどもあります。
内容はもちろん、その原稿自体にもなにか凄みを感じます。
よければ定例会に持って行きます。


>自分自身が向上進化しながら、地上界・地球という星の向上進化に寄与すべく、私たち全ての人間はここに生まれて生きているのです。
そんなふうに自己規定すればいいんですよね。<

自我意識からすると「とってもスケールの大きな話」のように思いますが、魂の意識からすると「当たり前のこと」なのでしょうね。
「いい子でなければ」という自己規定を崩して、僕も自己規定し直し刷り込んでいきます。

16/12/2018(日) 13:24:56

No.19489  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
祐造さん、書き込みありがとう!

>真空構造の水筒なら、かなり厚めの金属が使われているのでしょうし、多少のことで凹むものではありません。
普通にあり得ないことだと思います。<

そうだよね。
私はアルミ製と書いたけど、調べてみたら2500円ぐらいのステンレス製でした。
とにかく、あの音も凹み方も、小さなショルダーバッグのファスナーの金具にぶつかった程度のものではありません。

「地上人類の歩み」の生原稿、こちらでも探してみま〜す。
。。。。。。。

みんとさん、みなさん、
念のために補足しておきますね。

>沼島、やっぱり凄いところなんですね。<

沼島(おのころ島)はイザナギ&イザナミの国生み神話の舞台です。(諸説ありますが、やはり沼島説が有力で、でも本当はどこでも構わないのです。私たちにとっては、あくまでもエネルギー・波動としての意味ですから。)

イザナギ&イザナミはおそらくは古代イスラエル人(の末裔)だったと私は考えていますが、実はそれもどうでも構わないことです。
いずれにしても、それまでの縄文の人たちによる生命の喜びの共生・あらゆる生命に対する祝福と感謝や与え合いの喜びをベースにしたこの列島の価値観も実態も、イザナギ&イザナミたちのグループとそれに続くカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の勢力によって、根本的に変えられてきました。

つまり、物質優先でしかも物的富を自分(たち)に集めるために争い、殺し合う社会に変貌してきたのです。
我よしの価値観による支配・抑圧・殺戮の世の中であり、それは今も続いています。

ほとんどの人が物質やそれを得るための金銭に支配されて、本来の自分の心を縮め、あるいは乱しながら、我よしの価値観や気持ちをベースに生きています。
もう少し豊かに暮らしたいというささやかな願いも、最低限の今の自分の幸せを守り、それを維持継続するためにという努力も、これ以上苦しくなりたくないという頑張りや善良な動機すらも、実際には我よしにからめとられて、今の我よしの世の中のシステムに組み込まれてしまっています。
それが有史以来の人間のありようであり、今やそれは細部に至るまで貫かれて、システムとして完成度を高めています。

その象徴的な原点が、おのころ島の国生み神話にあるということです。

そのコンセプトを、「生命のつながりの喜びの中で、物心ともに豊かに輝く新しい地上界」に書き換える(雛型の)手始めとして、沼島に行きました。

それは何をも否定・排除するものではなく、

みんな大好き。ありがとう。
調和した!
のエネルギーとオーダーによって、
心(の輝き)を優位にして、物心ともに豊かに輝く新しい地上界に作り替える、自分自身を含めてこの地上界を向上進化させていくことです。

イザナギ&イザナミの国生みのコンセプトを、「生命のつながりの喜びの中で、物心ともに豊かに輝く新しい地上界」に書き換えるエネルギー的な宣言を発するために、今回は克から指示されていたBさんと二人で行きましたが、それはまだ本当に手始めのものです。

全てがこれからの私たち(悠々塾につながる全ての人たち)のエネルギーとその共鳴、日々の実際の生き方・言動に懸かっているのだと思います。

16/12/2018(日) 14:43:10

No.19490  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
19489・19487の投稿、書き加えました。

16/12/2018(日) 16:47:33

No.19491  ホープ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
沼島行きのご報告有難うございました。そして道中の出来事の意味は大変興味深く読ませていただきました。

>実際、にぃ&ちぃさんのお店もBさんの一言で動き始めて実現した面がありますし、他の仲間の人生レベルでの窮地もBさんの一言で奇跡の好転が進んでいます。<

正に私もBさんの一言でとても信じられないような人生転換の機会を得させて頂いております。何といってよいか、これは”計らい”としか言いようがありません。
この感謝をどう自分の言動を通して形ある働きに活かして行くか、という事だと思います。

霊的知識は必要ですが、知識を得ただけでは身に着けたとは言えないと思います。日々の生活の中で、次々に起こる眼前の出来事に今迄の潜在意識の条件反射的反応、対応を捨て新しい自分を表現してみると確かに今までと何か違った”返ってくるもの”を感じ、視野も広がっています。

それにしても今まで神話として片付けられていた”イザナギイザナミの国生み”や神武東征の霊的意味が明らかにされて行くのを見るにつけ、時空を超えた霊的流れを実感しています。

16/12/2018(日) 22:03:05

No.19492  のものも
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
飯沼さんとBさんが沼島に行っても
やはり、私たち一人一人が気づいていく事で、封印されてしまった事が解けていくのかと思いました。

封印を解除する方法が、自分自身の生き方、思いと言動を一致していく事と思いました。

周りに振り回される事の古い生きかたは呪縛であって、もう終わりにしようと強く誓います。

変化があってこそ安定で居られるのに、ついつい安定の中で継続させようとしている自分もいますが
強い変化の前に、しっかりと自分を主張
して行こうかと思います。

それにしても神話の神様って、嫉妬とか恥ずかしいとか
なんて人間くさいのだろうか、、。

17/12/2018(月) 07:34:42

No.19493  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
ホープさん、のものもさん、書き込みありがとう!

ひふみ神示から紹介します。(よく分かりませんが・・・)
・・・・・・・・・・

五十黙示録 第2巻 碧玉之巻 第10帖 

岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ
ナミの神が火の神を生んで黄泉国(よもつくに)に入られたのが、そもそもであるぞ
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ
十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ
五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ

総て神界のこと、霊界のことは現界から見れば妙なことであるなれど それでちゃんと道にはまっているのであるぞ
一ヒネリしてあるのじゃ
天と地との間に大きレンズがあると思えば段々に分かって来るぞ

夫神、妻神、別れ別れになったから 一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理 
分かるであろうがな
その後独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的である事は申す迄もない事であろう
妻神も同様、黄泉(よもつ)大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給うたのであるぞ、

この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸を開かれて相抱き給う時節来たのであるぞ
嬉し嬉しの時代となって来たのであるぞ
同じ名の神が至るところに現われて来るのだぞ
名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ

この二つが揃って、三つとなるのぞ
三が道ぞと知らせてあろうがな
時来たりなばこの千引きの岩戸を共にひらかんと申してあろうがな

次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ
大神はまだ岩戸の中に坐しますのぞ
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう
いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ってお出まし近くなって来たぞ

次の岩戸閉めは素盞鳴命に総ての罪を着せてネの国に追いやった時であるぞ
素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役の神であるぞ
天(あめ)ヶ下は重きものの積もって固まったものであるからツミと見えるのであって、よろずの天の神々が積もる(と言う)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ

命(みこと)をアラブル神なりと申して伝えているなれど、アラブル神とは粗暴な神では無いぞ
あばれ廻り、こわし廻る神では無いぞ
アラフル(現生る)神であるぞ
天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ
取り違いしていて申し訳あるまいがな
この事よく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ

絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治(し)らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ
素盞鳴の命にも二通りあるぞ
一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ
間違えてはならんことぞ

神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なき迄御働きをなされたからであるぞ
神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となったのであるぞ
その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ
これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ
・・・・・・・・

第08帖

ナギ、ナミ夫婦は八分通り国土を生み育てられたが
火の神を生み給いてナミの神は去りましたのであるぞ
物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ
心得なされよ
ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ
妻神に去られたナギの神は
一人でモノを生む事の無理である事を知り給い
妻神を訪れ給い、相談されたのであるなれど
話が途中からコジレて遂に別々に住み給う事となり
コトドを見立てられて千引きの岩戸を閉め
両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ

17/12/2018(月) 21:31:20

No.19494  さき
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
なんとなく気になったので久しぶりに
「古事記を読み解く」を読んでいました。

何重にも意味があるのでしょうが、、
ちょっとメモしておきます。

*******
霊界の現世としての地上界が顕現される時に
神の意志が物質次元に下されていく。

最初のエネルギーが調和。
次が 顕現。その次が意志。
その次が 反応。 その次が 変化。
この5種を柱としてさらに細分化されていく。

なかで
「(安定に向かう)動き」のエネルギー イザナギノカミ
「(動きに向かう)安定」のエネルギー イザナミノカミ

と書かれていました。
この二つのエネルギーに働きかけて
・・
動きと安定、二つのエネルギーが
「物質化」(天の沼矛のエネルギー)を作用させ
地上界は形成された
ということです。

また安定(女性)と動き(男性)の統合とは
地上における霊主体従を象徴する
として

イザナギ、イザナミの国生み神話
(右回りじゃなくて左回り、女性からでなく男性から)
ということの意味は
具体的次元、肉体や物質次元は
霊的次元、精神的次元より優先優位じゃない。
ということの象徴だということ。

あと
(縄文から弥生への)
侵入者への妥協・迎合を提案した者たち(イザナギノミコト)
抵抗し追いやられた者たち(イザナミノミコト)
という表現の仕方もされています

17/12/2018(月) 22:39:07

No.19495  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
さきさん、

私も今日、「古事記を読み解く」を読んでいました!

「古事記を読み解く」を掲示板に分割掲載しようかと思ったんだけど、かなり難解だし、長くなるので見合わせました。

「古事記を読み解く」には古代イスラエル支族の末裔のことは触れられていないので、逆に話がややこしくなるかもしれないとも思いました。

古事記は幾通りもの読み解き方があると言われているそうですが、ほんとにそうなんでしょうね。

私の父親が他界前の病床にある頃、私は「シルバーバーチの霊訓」を読むことを勧めたのですが、親父はなぜか「古事記」を読んでいました。

克の病状が進み、先行きを非常に厳しく感じていた頃に、私は親父の病室に遺されていた「古事記」のことを思い出して、古事記についての受信を提案したのでした。

古事記の記述に対応しながらの受信でした。
さすがの克もこれにはかなりエネルギーを要したようで、途中までで克の体力・気力の限界が来てしまいました。

今となれば、古事記に集中しないで、古代イスラエルの失われた支族(世界に逃亡離散した人々)のことや、邪馬台国のことなども受信しておけばよかったと思います。

「古事記を読み解く」の冒頭部だけでも掲載したいと思います。

18/12/2018(火) 00:28:36

No.19496  さき
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
克子さんの受信はすごかった!
あの病のなかで働きを続けながら これを受信されてたんだと思うと(涙)拝みたくなります。
(そんなの嫌でしょうけど)

古事記の記述には
ムゥの末裔である縄文の人たち

侵入者たち(弥生の人たち)
との
せめぎあい

いのちのつながりの喜びのなかで生きてきた
縄文の人たち(そのエネルギー)が、
物質、力の支配によって葬られていった過程(歴史)が織り込まれている

でもって今も
私たちはその延長上にあるのだと思います

葬っても、葬っても
いのちの喜び、そのつながりの喜びは葬りきれなくて
支配の隙間から漏れ出してくる

それが摂理だからね
この前紹介されていた地上人類の歩みの最後の方の部分

***********
ひとりでも多くの者が、手を携えて新たな地上人類の歩みのなかに生きられるように。気づいた者から、意志した者から、積極的に人として生きることを始めて頂きたい。ひとりの者の気づきが、ひとりの者の行動の変化が、やがてつながっている人々へ、そして全体へと広がっていく。人と人とのつながり、生命と生命とのつながりは決して失われることがない。ならば、そのつながりを信じ、それを希望として、やがて迎えることのできる全体の喜びのことを思うのだ。

 力は心から生み出される。それはかつて喜びの心を軸に暮らしを営んでいたムゥの者たちの、力の役立て方に重なるものである。人を癒すこと(ムゥの頃には病はなかったが)、作物を豊かに実らせること、人を導いていくこと、それだけでなく、物を作る時に込める心、作物を育てる時に向ける心、人との関わりのなかで抱く心・・・。

それらのいずれもが、その人(相手)の喜びを求める気持ちや健やかさを願う気持ちを動機として発せられる限り、人に役立つ大きな力となる。心の力は誰にでも与えられているものである。それ故に、何のために使うのか、どう使うのかといった目的と動機が大事なこととなる。備わった心の力を全体への貢献のために使っていくこと、それこそが心の力が与えられている意味なのである。自分のために、自分の満足のために、自分が得るために使うのであれば、それは過ちの繰り返しである。

 誰もが持っているということは、心の力が決して特別なものではないということだ。それをいかすべき時に、いかすべきところで使うかどうかはその人次第であるが。人のために、全体のために自分の力をいかしていくこと、貢献していくことがあなた方が地上で生きる目的である。しかし実際にそうしていくかどうかは、今、地上にいるあなた方のそれぞれが選び決断していくことである。

あなた方に共通の目的、全体への貢献(しかしそれはいわゆる全体主義ということではない)ということがごく当たり前のこととして成され始めること、そのこと自体は、地上人類の歩みのプログラムのひとつなのであり、地上に人が、そしてヒトが現れた時からそこへ向けて動いてきたのである。物質的な世界である地上界においても、霊界同様に、貢献を目的として愛に生きることを実現させること、それが地上人類の霊性進化のプログラムの最終章なのである。

 そこでは、かつて分かれた、心の国と物質の国との融合がなされるのだ。どちらか一方に偏るのではなく、いずれの喜びをも実感していく世界なのだ。輝く心で生きる人々が、作る物に、育てるもの(者・物)に、動かしていく物に、人と人との間で交わされている物に、自分たちのその心の輝きを込めていくのだ。単なる物質ではなく、心が込められた物として、心を表現する物として、そして心を伝えるための物として物質は扱われるのだ。そこには物をめぐって喜びのエネルギーが生まれる。心と心の間に喜びのエネルギーが交わされるのと同じように。物質を介して人の心の喜びも共鳴・増幅するのだ。

 かつてアトランティスの者たちが物質的な喜びを追求したのも、自分たちの働きによって、物質と心との距離をさらに近づけるためだったのである。
 あなた方が、物質的世界のなかで心の喜びと物質的な喜びを融合させていくことは、物質的次元の世界にも、霊的エネルギーが完全にいきわたることを意味する。そこで初めて「地上天国」が実現するのだといえる。

 それは、人の心にかげりが生ずる以前の時代よりも、さらに輝いた心で人が生きる世のことである。地上という限界的な世界でありながら、あなた方が生きるのは限りない喜びの世界であるのだ。あなた方が今こうしてここで生きているのは、それを目指し、実現させていくためなのである。

長い人類の歩みのなかで、今こそが最も大きな転換期なのだ。すでに定められたプログラムという大きな意志の流れに自らも入っていくのか、それとも、その流れに逆らい、あくまでも自分というところにとどまろうとするのか、選んでいくのはその人である。しかし、地上人類の霊性進化のプログラムという大きな流れは、それらの小さな自分を押し流して進み、とどまることを知らない。

 それはさらに大いなる意志の流れのなかのひとつなのである。その流れは誰にも何ものにも阻むことはできない。それこそが神の意志であり、全てはその意志によって動いているのであるから。

********
ムゥの者たちの心を復権したい
あたりまえに、そんな風に心を使いたい
それが喜びだから
それを表現するために(私は)地上に来たのよ
って
強烈に思います(号泣しそう)

みんな大好き。ありがとう。
調和した!

18/12/2018(火) 07:27:30

No.19497  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
さきさん、ありがとう!

「古事記を読み解く」の前文(これも受信です)を掲載します。
もう少ししたら、新しいスレッドに移動させますが。
。。。。。。

◆古事記を読み解く 前文
 
ここに伝えられている“文章”、語り継がれてきた“文章”を読み解くのは綴られている言葉を訳することとは違います。
 文章の奥にある隠された意味を明らかにし、語り継ぎ伝えようとした真意を、改めて表に出すためです。

 国の創設にあたっては、権力者に不都合な記述や箇所は改ざんされます。当時の“今”を肯定、補強するための材料として古事記は使われました。不都合を都合良く変えていくことで、人々の記憶や伝承に影響を与え、意図、意向に添わせていくためです。本来伝えられるはずの事柄を封じ、消し去るためです。

 古事記はこの国の成り立ちを示すもの。だとすれば国造りの経緯は権力者主体に語られます。従わない、逆らう者たちは当然ながら「悪しき者」として扱われます。

 しかし、文章の奥に隠れるようにして伝えられてきたものを表に出すことで、この国がいかにして“創られたか”この国に引き継がれるはずのものは何だったのかを再提示できるでしょう。それは同時に、これからこの国が目指すべき方向性を示すものでもあります。

 古事記を読み解くにあたっては、土着の日本人に多大な影響を与え、共存と繁栄の縄文時代を築くうえで、精神的・文化的礎地をもたらした「人々」を無視することはできません。なぜなら、国家の成立とは、縄文と弥生との入れ替わり、弥生による縄文の駆逐だからです。
 では、縄文の繁栄を担った「人々」とは誰か、どこから来たのか―――。

 私どもは彼らを「ムゥ」の末裔と呼びます。伝説上の、あるいは想像上の“くに”と言われる「ムゥ」に、縄文繁栄のルーツがあるのです。「ムゥ」に関しては、実証・証明がまだできておりません。ゆえに、読み解かれたものに抵抗感・違和感・不信感を持つ人もいるでしょう。「ムゥ」に関わる記述があっても、それを受け入れることを強要致しませんし、最後まで納得できなくても構いません。しかし、読み解きを進めるに際しては必要な要素なのだと認識してくだされば十分です。 
 「ムゥ」についての概要をここでお伝えし、それを前提として、読み解きを進めます。


***ムゥについて***

猿類からの進化によって「ヒト」となった人間ではなく、物質化によって作られた肉体に霊魂が宿ることによって地上に現れた「人間」が作った“くに”。もちろん、途中からは男女の交わりによる妊娠・出産を経る「誕生」に変化し、血は引き継がれるようになる。「ヒト」とムゥの「人間」は、あまりに違いすぎていたために、全く接触がなかった。

 ムゥの位置は、太平洋の西域、赤道のやや北にあり、中央に山を頂くほぼ同心円状の島国。面積およそ十四万k?u。人口は最盛期で二十万人。

 そこに生きる人々は、主に島の南側に邑々を作って暮らしを営んでいた。くに全体を統括する役割の邑はあったが、各々の邑は長(おさ)によりまとめられていて、連携や協調のなかで“くに”が形づくられていた。邑々は、それぞれに、心の傾向、心のエネルギーの傾向の同じ人々が集ったもので、それが邑としての特徴であり役割となっていた。

 例えば、全体を統括する役割を担う邑の人々は「法則や摂理の尊重、遵守」のエネルギー傾向を強く持ち、心の要素においては「正しさ」が特徴である。
 また、創造の役割を担う邑の人々は「喜びを形に変換する」エネルギー傾向を強く持ち、心の要素においては「表現」が特徴である、というように。

 各邑々が担う役割の違いは、互いにとって必要なものであると同時に、協調・相互扶助・補完・尊重の基本でもあった。「違い」によって人々は多様性を喜び、満たし合うことを幸せにできていた。よって、誰もが自らの存在意義に確信があり、個としても全体の一部としても、そして神の子としても、喜びのなかで生きられていた。

 しかし、この「違い」を喜びとできず、逆に自分を喜べない材料にしてしまう者たちが出始めるところから、ムゥの調和は崩れていく。比較に心をかげらせることで、個であることは喜べず、全体の一部であることも喜べない。人の喜びを自らの喜びとすることもできなくなる。

 「違い」を「偏り、不公平」と認識したところから始まって、自分はそれ以上に得ようとするようになる。そのことが実際に偏りや不調和を引き起こしていく。それが「支配」を求め、戦いを生み、それまでの調和状態から対立、抗争、混乱、そして崩壊へと進む。

 かげりを知らず、喜びのみの心で生きていたムゥの人々は、各々の心に広がったかげりに飲み込まれ、育んできた「喜びの心」を見失ってしまう。かげりの連鎖からは次なる喜びは見出せない。くに全体と人々の心との調和が作り出していた豊かで美しい島は、調和の乱れとともに海に沈んだ。

 しかし、全ての人々が島とともに沈んだのではない。
 一部の者たちは沈没を逃れ、世界の各地に逃げのびた。今からおよそ一万二千年前のことである。

 各地に逃げのびた人々は、自分たちで独自の集団として生きるか、既に先住している「人間(これが猿類から進化してヒトになった人々である)」に溶け込み、共存の道を選ぶかどちらでしかない。

 日本の地に辿り着いた人々は、縄文の人々のなかに溶け込み、ムゥの精神と文化とを伝え、物心両面において豊かな時代を築いた。

 だが、縄文時代が永遠に続くわけではない。弥生の人々が大陸から渡来し、力によって服従を求め支配を広げたからである。

 ムゥの精神を受け継ぎ、ムゥの崩壊を教訓としている人々は、対立や戦いではなく、受容や妥協、服従を選ぶ。しかしムゥの精神を頑なに守ろうとするが故に抵抗と抗争をやむなく選ぶ人々は、力によって封じられていく。「悪しき者」として―――。

    ****

 「ムゥ」についての概要から、縄文へのつながりを踏まえ、ムゥ――縄文が抹消されていく過程が古事記における国の成り立ちに重ねられ隠されているのだということを前提として、以下の読み解きを進めていきます。

18/12/2018(火) 10:13:07

No.19498  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
「愛は時空を超えて」を受信しようかと思ってドキュメントを開きましたが、新しいファイルが見つかりません。
(「愛は時空を超えて」は何編かずつをファイルにして保存しているものに追加受信しています。)

いろいろ探していると、他界する年の1月12日から7月13日まで克が受信した、「ひとしずく〜日々に学ぶための霊界メッセージ」に目がとまりました。
克が他界したのは2005年の7月27日でしたから、まさに地上的死の直前まで働きにすべてを捧げていたのです。
(4月末からの大出血・入院等で2か月余り中断していますが、再入院してからも受信を続けていました。全部で82編です)

ファイルを開いてざっと読み返してみました。
「ひとしずく」はもちろん霊界からのメッセージですが、同時に克からの遺言だと思いました。

悠々塾のサイトにも掲載しているのですが、改めてこの掲示板にも数編ずつ、できるだけ毎日アップしていきます。

(「愛は時空を超えて」の新しいファイルも見つかりましたが、受信するモードじゃなくなったので、また後日にします)
。。。。。。。。

◆「ひとしずく」の受信に際して

今こうして生きているあなた自身について、そしてあなた以外の人々について、思い、考え、行動するための糸口を、あなた方に提示していきます。
同じことを繰り返す日常にあると、“日常”に流されたり、“日常”を終えるところに意識がとどまってしまったり・・・と、なりがちです。
提示されたものを読み、そこで立ち止まり、今の自分を点検する。
忘れていたことを思い出す。
後回しにしていたことを意識に据え直す。
そして、実際に行動する。

新年のメッセージで伝えたように、小さなことからでもいい、実現(実行・実践)し、その喜びを次への力としましょう。
難しいことではありません。
あなたの“日常”を、より生き生きと実り多いものにしていきましょう。(05・1・12)
・・・・・・

◆ひとしずく 〜日々に学ぶための霊界からのメッセージ〜 1

あなた方は自分がとても恵まれているということに、もっと気づいていただきたい。
不平不満、寂しさ、辛さ、大変さは各々にあるでしょう。
しかし、住む処があり、寒さをしのぐことができる。
温かい食べ物を口にできる。
柔らかい布団に体を横たえられる。
今、自分がしている日常の、ひとコマひとコマが“与えられた喜び”であることを知ってほしいのです。
それを喜び、感謝してほしいのです。

そして、それらを与えられずにいる人々、奪われた人々、失った人々に思いを巡らせてください。
祈るだけでなく、その人たちのために(たとえ些細でも)自分のできることを考えてみてください。(05・1・12)
。。。。。。

〜〜ひとしずく・2〜〜

今日は“ありがとう”の言葉を意識的に使ってください。
あなたに向けられた言葉、行為、対応、もたらされた嬉しいもの。
それらに対し、躊躇なく喜びや感謝を表現してください。
いつもよりもこの言葉を多く発するように心がけてみてください。

喜びや感謝に連なるのは、さらなる喜びです。
今日は、この言葉に込められる“喜びを喜ぶエネルギー”を高めましょう。
(05・1・13)

18/12/2018(火) 12:02:48

No.19499  のり○
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
私も沼島調べてみます^_^!

18/12/2018(火) 13:25:33

No.19500  あきどん
Re: 沼島(おのころ島)に行ってきました! 引用
ひとしずく、のメッセージ大好きでした。
改めて、克子さん、ありがとう!です。
掲載されていた当時、私も毎日メッセージを読むたびになるほどと感心したりひとつひとつが心に止めたい言葉でした。
そして、友人同士の掲示板で、皆に少しづつ紹介していましたし、
また、姉が失意にある時期に、1日に一つ毎日、このメッセージを送らせていただきました。

18/12/2018(火) 22:59:53


No.19466 飯沼正晴 ホームページ E-mail
少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
日本ではあまり報道されていないようですが、フランスのマクロン政権に対する抗議行動、すごいですね。

1週間ぐらい前に、にぃ&ちぃさんのお店で、たまたま居合わせたフランス人のお客さんと(もちろん日本語で)、いろいろ話したところでした。

彼いわく、「フランスでは毎日のようにデモをしているけど、日本人は自分のことばかりしか考えていないように見える」とのことでした。

国民の抗議で政策が大きく変わるって、日本では考えられませんね。

とはいえ、古くはチリでのクーデターや、アラブの春と言われた大規模なデモや、旧ソ連圏の国々(ウクライナなど)での民主化デモや大統領とその息子を殺害したリビアの騒動などには、裏でアメリカやイギリスの諜報機関・NGOなどが深く関わり、指導・扇動していたことが判明しています。

【たとえば、10月15日の英紙「ガーディアン」は、1970年代から現代まで、イギリスの警察機関は124件の抗議運動に工作員を送り込み、政治的な目的でこうした運動を利用したことを暴露した。また、リビアで起こった抗議運動を煽って暴力的な革命へと誘導するために、イギリスの特殊部隊が送り込まれていたことは、2012年に明らかにされている。また、英米の情報機関やNGOの関与を取材した秀逸のドキュメンタリーも数多く公開されている。ttps://blogos.com/article/344151/】


フランスの抗議行動がどうなのかは分かりませんが、格差拡大のグローバリズム政権が国民の大多数から支持されていないことは明らかです。
今回の「黄色いベスト運動」を支持する国民は70%に上るそうです。

しかし、それにしても極左と極右が一緒に激しいデモをしているというのもおかしな話ではあります。


さて、昨日はドネ会でした。
今回は特別ににぃ&ちぃさんのお店を借りて、会議のあとは懇親会でした。
いつも通り一品持ち寄りではありましたが、にぃクンの料理もたくさんいただきました(それが目的だろ?!)

相変わらずどれも美味しくて、感動でした!
白醤油を使ったおでんや炊き込みご飯も絶品でした!

いろいろ話も聞きましたが、まさに癒しの場になってきているようです。


そして珍しく2日連続の外出になりましたが、今日はBさんの劇団のスタジオ公演を観に行きました。
今回のお芝居も初演で、脚本の初稿を読ませてもらっていたのですが、実は私はあまりピンと来ていませんでした。

時代的にもテーマとしても、少しズレているんじゃないかという気さえしていました。
もちろんBさんの脚本ですから悪いはずはないものの、方言も難しそうだし、見せ場もない感じで、下手をすれば「それがどうしたの?」という芝居になってしまう可能性もある。
昭和初期という時代の5人姉妹が主張し合いながらも思い合う心がしっかりとつながっているところを演じることができれば、本当の意味での懐かしさや温かさが湧いてくるノスタルジックな芝居になるだろうけど、実際にはけっこう難しいんじゃないかと思っていました。

しかしまたもや私は涙腺を刺激されながらの観劇になりました。
あの時代が古き良き時代と言えるのかどうかは分かりませんが、懐かしさと一緒に涙が湧いてくる芝居でした。

難を言えば、3人の姉妹のやり取り(それぞれに家族の話)がやや長く感じましたが、あれはあれで巧妙な伏線の意味でも必要だったのでしょう。

何よりも、出演者の皆さんが見事に役に入って、方言も違和感なく、それぞれの人に懐かしさを感じなが観入っていました。

下の2姉妹を演じた二人のSさんは、実生活ではそれぞれに小さな子供さんの子育て中で、先月には他の作品の公演もあり、そういう中であの難しい方言の膨大なセリフを覚え、よくもあそこまで役に入れるものだと感心します。
並大抵の努力ではなかったのでしょうし、その意欲が前のめりの濃さにならないで、実に見事な演技だったと思います。
表現者魂を見せてもらいました!

末っ子役のSさんは、普通ならあんなに表情を作れば大袈裟に感じると思うのですが、彼女がやれば演技の豊かさに思えます。
やっぱりそれも彼女の持っている素質なのでしょうね。

そのすぐ上のお姉さん役のもう一人のSさんは安定した演技の人ですが、決して小さくまとまらないで、ゆったりとして可愛さも垣間見せながら観客を包み込んでいました。
「(もしかしたらずっと心の中で忘れられない誰かがいて)今は結婚に拒絶感しかなく、声高に独身主義を唱えているクニ子姉さんも、いずれは必ず素敵な恋をするんだろうな。劇的な再会かもしれないな」と思わせる雰囲気でした。

後で少し立ち話をした時には、「私のところよりもSさんのところは子供さんが小さいので、ほんとによく頑張ったと思います」と、もう一人のSさんをねぎらっておられました。
そういう優しさが演技の裏打ちになっているのでしょうね。

あまり出番は多くなかったけど、A君のセリフ回しを見ていると、やはり前の西宮のホールでのお芝居では彼とSさん(実生活では夫婦ですね)に主役をやってほしかったと思いました。
そしてM君がぼったくりバーのマスターと絡むお客の役をやれば、あの芝居はもっと良くなったような気がします。
(はい、いろんな事情でそれが無理だったことは知っているのですが)

前の芝居ではオカマさんの役で迫真の演技を見せてくれたF君は、今回はお坊さんの役で、どこか浮世離れしているというのか他人事というのか、中途半端に悟ったようなお坊さんの雰囲気がナチュラルに(!)表現されていました。
昨日の2回の舞台では、セリフが出てこなくて沈黙の場面があったり、お坊さんなのに袈裟姿に靴で登場したりというハプニングもあったそうですが、今日は本当にいい味を出していました。
昨日もいい味は出していたのだと思います。
あれを演技でやっているなら彼は天才ですが、たぶん半分以上は地でしょうね(笑)
愛すべきF君です!
(彼が台詞を言っている間、横にいるM君が心配そうな眼差しで彼を見ている顔が可愛かった・笑)

Mさんの怖い(強い)奥さん役もすごくはまっていて、存在感の薄いダンナさん役のJさんとの掛け合いもちゃんとセットになっていました。
Mさんは西宮のお芝居のホステス役もはまっていたので、もっともっといろんな役を観たいと思いました。

若い女性劇団員の3人も、可愛くてそれぞれに良い感じに輝いていたと思います。
Rさんは舞台が始まるまでは、ちょっと疲れているのか、オーラのくすみが気になったのですが、舞台に上がると吹っ切れたように、別人のように輝いていました。
あの子たちもこれからいろんな役をやっていくのでしょうね。
私は彼女たちの一人芝居のDVDも観ているので、これからが楽しみです。

研修生のオジサンは初めてでしたが、ナチュラルに役に入っておられたように思いました。
あの年齢になってお芝居を始めるなんて、いいですね〜!

他劇団からの出演者の皆さんは、Bさんの劇団の人たちとは醸し出す雰囲気というかエネルギーというか透明度とか風通しみたいなものがどこか違っているのですが、今回はそれぞれに見事に役にはまっていたと思いました。
もちろん皆さん、演技は手馴れていてお上手だと思います。

あ、Bさんはもちろん素晴らしかったです!
圧倒的な存在感で客席を制圧してしまいながら、心に染み入ってくる台詞にいつも通り感動しました。
台本を読んだときには、最後の方のSさんとの場面があんな見せ場になるとは全く思えませんでした。

というわけで、今回は正直なところ予想外にいいお芝居を観せてもらった気がします。
観る前にはいろいろとケチをつけてすみませんでした。
今回は私、完敗です。
私が台本をちゃんと読めていなかったこともあるのでしょうが、やはり出演した皆さんのエネルギーと演技がすごかったのだと思います。

決して広くはない舞台の上に、あんなにも豊かな世界が膨らんで深い感銘を与えるのですから、お芝居ってやっぱり素晴らしい!
出演者の皆さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました!

感想の最後になりますが、Bさんの演技、これからさらに進化して変わっていくのかもしれないと、ふと思いました。
もちろん今でも十分に素晴らしいのですが、今まで表現してこなかった要素が演技に加わっていくんじゃないかと、そんな気がしています。

うちの仲間の皆さんも何人か観に行ってくださったようで、私がお礼を言うのもヘンですが、やっぱり嬉しいです!
・・・・・・

引き続き、何でも書き込みしてくださいね〜

10/12/2018(月) 01:00:22


No.19467  Bさん E-mail
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
お忙しい中、遠方にもかかわらず、また寒い中を、観劇に駆けつけて下さった皆さん、ありがとうございました。
観劇は叶わずとも、お心に留めて下さった皆さん、ありがとうございました。
お蔭さまで無事に終えました。感謝です!

飯沼クン、感想をありがとうございます。
ね! なかなかええ芝居(自分で言うか?)になったでしょ!

また、一人一人に励みになる感想をありがとう!
皆にも伝えておきますね。

観客の皆さんの笑顔に出会えて、私たちにとっても、とても幸せな公演となりました。

感謝、感謝デス!
ありがとう!!

10/12/2018(月) 18:40:27

No.19468  あきえ
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
Bさん
予約もせず、当日券で一人位なら大丈夫かなと思いながら、行かせていただきました。
ありがとうございました。

隣に座っていた、ご婦人に挨拶をすると、「私の姪の子どもが、五人姉妹の末っ子、みい役なので見にきたんですよ。」とおっしゃって、少しお話をしました。
そのうち、空席が次々に埋まっていって一杯になり、予約している人が座れなくなったらどうしようと気が気ではありませんでした。
お芝居が始まると、そんなことは忘れて、舞台に引き込まれていき、最後まで身じろきもせず見入ってしまいました。

飯沼さんの感想を読ませていただきながら、改めてもう一度お芝居を見ているような感覚になりました。
お坊さんの沈黙の場面は、やっぱりセリフが出てこなかったのですね。ちょっとそうなのかなって思ったり、そう演じているのかなって思ったりしていました。
でも、あの間はちょっと嬉しかったかな。

飯沼さんの言われるとおりで、皆さんとてもステキで、お芝居って素晴らしいと思いました。

私はBさんにとても感動したのですが、演技をしているというよりも、悠々塾で会うBさんそのものだと思いながら見させていただきました。
行かせていただいて本当に良かったです。ありがとうございました。

帰り際に、ご婦人が「あなたとお話しできて嬉しかったです。」と言って下さって、私の方こそ知らない人ばかりだったので嬉しかったですとお礼を言って帰りました。
お芝居だけでなく、このことも嬉しい出来事でした。

10/12/2018(月) 22:29:58

No.19469  祐造
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
僕も予約もしないで、当日参加させていただきました。
それにもかかわらずあたたかく迎えてお気遣いくださり、Bさんありがとうございました。

僕はBさん劇団のお芝居を見せて頂くのは初めてでした。
今までこの掲示板で、みなさんの感想を読ませてもらいながら、いつかきっと観に行きたいと思っていて…、やっと叶いました。

予備知識も先入観もなく、みせてもらいましたが、みなさんの豊かな表現力に驚きました。
五人姉妹の長女(Bさん)と末っ子(Sさん)が、墓参の帰りに青空をバックに二人で気持ちを交わす場面は、僕にとってはなんとも圧巻で、胸に迫るものがあってボロボロと泣いていましたよ。

お芝居の舞台となった島の方言も、とっても自然に表現されているようで、臨場感があって人情の暖かさがストレートに伝わってきました。
こんなに感動を与えられるお芝居って、本当にあるんですね!
素晴らしいお芝居を、ありがとうございました。
Bさんに感謝! です。

もちっと書きたいところですが、ちょっと風邪気味のようです。
今日はこのあたりで失礼いたします。

10/12/2018(月) 23:20:01

No.19470  のものも
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
おはようございます。

内容が私事なのですが、ちょっと思った事を書きます。

私の、会社の人の友人が、医者から末期ガンであと2年と言われていたようなのですが、2年以上持っている話をしてくれました。
抗がん剤は、忙しくて途中でやめたようです。

私は、間を挟んで聞いたので、どんな人か詳しくは、わかりませんが、少し悠々塾で教わった本当は過去に戻る事でなく、ますます良くなっている事や、
その病を得たからこそ良かったと思える事、本当の姿を家族に見せる事、小さな頃の悲しい思いは大人になっても引きずる事、死ぬとしても投げない事、みさおさんのように助かった人もいる事など、話ました。


話の途中から、私がヒーリングをやる時と、同じ頭になっていました。
ヒーリングをやらなくても、どこかと確実に繋がったと思いました。
しばらくは、話終わっても、頭がヒーリングの時と同じような感覚でした。
ヒーリングでなくても、話ているだけでも、どこかに繋がると思いました。
それは普通の事なのかもしれませんが、ちょっとびっくりしました。

11/12/2018(火) 07:39:41

No.19471  やすこ
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
はじめて「地上人類の歩み」を読んだ時、「私がこんな大事な事を知っていいのかぁ‼‼」って。とてもドキドキしましたけど、不思議に心から安心したような気持ちにもなりました。

肉体と心(気持ち)だけで人が生きてるなんて思えなかったし。

なんでもない自分も、喜びに向かう流れの中に自分で意志して生まれて来たのか。バラバラな気持ちがしんどいけど本当は皆んな同じ思いで生まれて来たんやな。って感動したし、良かった!良かった!と「皆んなそうなんや」って〜1人皆んなと繋がった気になり嬉しかった。

飯沼さんが、「意識した訳じゃないのに、結局のところ悠々塾はこの通信で示されたことに沿って学びを重ね、実践してきたのだと、妙に感心したのです」とありました。

そうだなぁ〜と思いました。同じ事を飯沼さんはとても分かりやすく実践しやすく書いて下さってると思います。

なので私も学んで実践して、学んで実践して〜実感して〜積み重ねていこう、と思いました。

Bさん

お疲れ様でした!
Bさんの台詞に感動するのは、肉体と感情の奥のところ、誰も意識出来ないもう1つの所に響くんだと思います。だから、どんな状況の人にも届くのだと思いました。

11/12/2018(火) 19:32:02

No.19472  あきどん
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
昨日から、私も、地上人類の歩みを、久しぶりに読み返しています。
読んで意味がわかりにくいところは△の印をつけてましたが、今回は理解できたりしてます。最初、驚きを持って読んだことを覚えています。細かいことは忘れていたのもありますが、今回もまた大きな驚きと共に読み進めています。
たぶん最初読んだ時より、ムゥとアトランティスの人たちの陰りや悩みが今の私達ととても重なって感じられ、身近に感じています。

Bさんのお芝居、私もいつか観てみたいです!

11/12/2018(火) 22:31:22

No.19473  のものも
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
Bさんの講演、私もいつか見てみたいです!

あと沼島(ぬしま)、調べたら遠いですね。
2つも島を渡るって、、
ぜひ、1人の方
お待ちしています。

意識は限りなく広がっていくもの。
過ちに、何度も見てくださって
ありがとうと思います。
みんな大好きです。本当に!
(あの大好きじゃないけどーー)

12/12/2018(水) 08:13:29

No.19474  のものも
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
みんなが自分の位置まで、ついて来なければ切り捨てるのであれば、
私もとっくのとおに切り捨てられています。
だから、本当にみんな大好き、ありがとうですね!

12/12/2018(水) 09:10:08

No.19475  のり〇ー
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
私は、朝、サプリ入りのジュースを作っていたんですが、寒くなってきてから、秋くらいだと思いますが、サプリ入りカフェオレに切りかえました。そうすると母が食物繊維が取れなくなるので2.3日前からサプリとココアの粉を入れて置いておくようにしています。

そうでもしないと全然、食物繊維の量がたりないし...私がどれだけ言っても自分では、サプリは取ってくれないし、なぜ、早くココアを気づかなかったんだろう??

パンは、なるべく控えて米粉のパンケーキを作り置きしています。冷凍しておけばすぐ食べれるし、けれど美味しくてすぐに無くなります。。今日は、母と米粉の皮で餃子を作りました。もちっとしているように思いました。時間をおくとプリっかな?

下を向き過ぎてちょっと疲れました。

Bさんの公演、凄いんだろうなぁ!!

12/12/2018(水) 21:20:04

No.19476  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 少し寒くなってきたのでスレッド更新 引用
Bさん、あきえさん、祐造さん、のものもさん、やすこさん、あきどんさん、のり〇―さん、書き込みありがとう!

祐造さん、
Bさんは長女ではなく三女役でしたね。

沼島に行ってきました!
まだちょっとボーっとしているので、今晩か明日には書き込みします。

14/12/2018(金) 19:55:03


No.19450 飯沼正晴 ホームページ E-mail
「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
・・・・・

あなた方はこの通信を手にし、地上人類の歩みを、歩むべき道筋を目にしました。

 ここから何を得るのかは、まさにあなた方次第であり、さらに意志すること、行動することにまでつなげて頂けるかどうかもまた、あなた方次第です。

 けれども、自分のまわりを見回した時、刻々と進行しているプログラムをそこに見る人は多いはずです。私どもはあなた方の恐怖心を煽るためにこの通信を送ったのではありません。動いていく事態のなかで、あなた方に自分たちの目指すところを見定めて頂くためにお伝えしたのです。それによって多くの人が心を動かしていってくださることを祈らずにはいられません。

 なぜなら、この先この星が迎えるべき新しい世界は、自分というところからの解放を果たした者たちの生きる場だからです。あなた方人類が抱いてしまったかげりは自分にまつわるもの。これから訪れるさまざまな状況のなかで、自分というもの(自分の物、自分の気持ち)をどうしても手放すことのできない者は、迎えた新しい世に生きることはできません。変化というエネルギーによって、手放すことのできない自分ごと、弾け散ってしまうのです。それによってようやく自分を手放すことになるからです。

 ひとりでも多くの人と手を携えて、と伝えました。輝く心で輝く物の世界に生きられるよう、それがひとりでも多くなるために、私どもはあなた方のお役に立ちたいのです。

 心と心とでつながって共に生きることこそ、本当に幸せなのだということを、本当は皆、知っているのです。勇気をもって自らの心を表現していってください。多くの人が知りながらそうできずにいるからこそ、さきがけとなる者が必要なのです。あなたが、その一人となってくださることを私どもは希望します。そして、そう意志し、そう行動し始めてくれた者たちに対して、霊界側は導きと援助を惜しみません。いついかなる時も共にあって、地上で働く者と共に、共通の目的(地上人類の霊性進化)のために力を尽くします。なぜならそれが私どもの喜びであり生きる目的だからなのです。

 新たな気づきを得、歩みを進めようとしているあなたが、常に希望を胸にしながら生きてくださるように、その心とからだと魂とで希望に向かって進んでくださいますように。その力の源は、あなた方自身の心にあるのだと重ねて伝え、この通信を終わるものとします。
・・・・・・

06/12/2018(木) 14:25:24


No.19451  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
久しぶりに「地上人類の歩み」をめくってみたら、改めて感動しました。

私は教条主義的なやり方を好まないので、「地上人類の歩み」を特に意識していたわけじゃないのに、結局のところ悠々塾はこの通信で示されたことに沿って学びを重ね、実践してきたのだと、妙に感心したのです(笑)

まゆみさんに打ち込んでもらって、他の箇所も抜粋していきたいと思います。

前スレッドで提案したことや定例会のことなども、何でも自由に書き込みしてくださいね〜。

06/12/2018(木) 14:43:59

No.19452  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用

◆今の世の仕組みについて

 あなた方の見えないところで、物を、人を、仕組みを動かしているのは金銭であると伝えた。それはひとつのところへの集中、そしてそれを使って物の流れを思い通りに作っていくこと、さらには、社会を導く立場にある者たちへ働きかけること、そしてそれらによって仕組みすら、自分たちにとって望ましいものに変えさせようとすること・・・。
 
金銭という、物でありながら実は実体のないものによって、本来動きながら人の喜びを作っていくものをとどめ、自らの都合に従い、自らの優位性をさらに強くする、それを一部の限られた者たちが握っているのである。これこそがアトランティスから受け継がれてきた流れであり、受け継がれてくる間に、本来のアトランティスの理念は、大きく歪められ、変形してしまっている。もともと全体の喜びのために物質(化)という側面において力を発揮すること、より地上に近い次元でも人々が喜びを実感するための物質、という彼らの考え方や傾向が、今や物質(金銭)優先、その集中や獲得、という方へと流れを変えてきた。
 
その変形をもたらしたエネルギーはどこから来ているのか。それは今の地上界に影響を大きくしてきた暗黒界・幽界からのかげりのエネルギーなのである。物質的・肉体的なところに喜びを見出すこと自体は健やかなことである。しかしそれが、自分のというところへ凝集していくとき(個人としての自分、特定の集団、特定の国、というようにレベルは違っても)そこに偏りが、とどこおりが、不調和が生ずる。この不調和を解消していくことが地上界の浄化ということであり、それに相まっての人々の心のありようの変化が、人類の霊的進化ということである。そのいずれもが今の世の仕組みのうえには成り立たないものなのである。

 ごく一部の者たちが今の世を自分たちの思うように動かしていく、それはどういうことか。

 全てのものはつながっている。全てのことは影響を及ぼし合っている。このつながりのうえに強い力を作用させれば、その力はつながりを通じて目的とするところまで波及する。そのラインが明らかなものでなければ、影響を及ぼした者たちの存在が表に出ないまま事は運ぶ。彼らが最も必要とし、どうしても作らなければならなかったものが、このつながりというラインである。それさえ確保できていれば、いかなる目的も、彼らは持てる力(権威・権力・そしてそれを動かす金銭)を使うことで達成できるのである。彼らが自らにあらゆる力を集中させ、今の世の仕組みを動かしているということは、すなわち、今の世に注がれている凝集のエネルギー、幽界・暗黒界からのかげりのエネルギーを大きく受けているということである。

 地上的な力を有するということは、その使い方いかんによっては、大きなかげりを自らに背負うのみならず、そのかげりを弱い者、力のない者、それ(力)を求める者たちにも負わせることになる。そこに生まれるのはかげりの連鎖であり、力をめぐり、金銭をめぐっての人々のかげりの想念が渦巻くこととなる。

 地上的な力を有することを光としていこうとするならば、弱い者、力のない者、貧しい者、病んだ者にこそそれを使うべきなのである。さらに言うなれば、その力が、地上的な力(権力、金銭・・・)でないならば、それを使う者の“心次第”でいかようにも使うことができる。人の心を救い、体を癒し、空腹を満たす、ということでさえも。それが弱く貧しく病んだ者たちに光を注いだということであり、地上的な力に勝る見えない心の力の証明である。そしてそれは、地上的な力を持つことで心をかげらせた者ですら、その心を光に変えていけるということである。

 地上的なあらゆるかげりに触れ、それを光で照らし、光を注ぎ、かげりを光に変えるために現れたのが、かのイエスである。しかしながら彼は、証しをすることはできたが、世のかげりの全てを光に変えることはできなかった。そしてそれ以降もかげりのエネルギーは衰えず、今もって人々に影響を及ぼし続けている。

 今の世の仕組みが、形あるもの、力を持つ者に人の心を従わせるものである以上、人の心が本当の輝きを放つためには、形あるもの・力を持つ者に影響されないだけのものを、人々が求めていかねばならない。それが人の心であり、心の力なのである。形や力というものに縛られ、それに従い、心縮めている者たちであっても、その心の奥には善良さ、親切心、道義心、優しさという光の心を持っているのである。心あたたまる光景を目にして人が感動するのも、優しさに触れて喜びの涙を流すのも、この、光の心があるからなのだ。人がそれを失っていないからこそ、かげりのエネルギーの影響を大きく受けていながらも、それら(かげり)を解消していくことができるのだ。

 それには人々の心の共鳴が求められる。今の世の仕組みを動かしているのが、ごく一部の限られた者たちであるとしても、彼らの有する財力・人脈・各方面への影響力は非常に大きい。(世を動かしているのだから。)そしてその力に動かされてしまう者も含めれば、その数は膨大である。彼らのひとつの意志が、つながりを通じて増幅され、動かし難いものとして各方面へ、全体へと反映されていく。情報も、金の動きも、人の発言も彼らの意図に基づくものとなる。

 こういった現実のなかで、人々は人々なりに幸せを得ようとする。物質・金銭を少しでも多く手に入れ、力(権威・権力・地位・名声)に少しでも近いところに位置しようとし、人より少しでも優位に立とうとする。それらが多く得られるほど幸せなのだという意識を持たされ続けてきた。

それは子どもの育て方に、学校、社会のあり方に、人との関わりのなかに、そして国のあり方にも強く作用している。その意識に苦しさを覚えながら、これは本当は違っているのだと思いながら、口にしながら、しかしその枠のなかから出ることに恐れを抱いている。その枠によって自分が保たれていると思うからこそ、それがなくなったらどうしたらいいのか分からないからこそ、その枠を自らはずすことができないのである。自由を求めながら自由が不安なのだ。それは人々が確たるものを手にしていないからである。その確たるものとは、未来への希望であり、将来の展望である。形や物や力によって身動きのとれなくなった今の状態にあって、人々はそれを見出すことができずにいるのである。

 この通信は、それを示していくものである。人類が何を目的としてこの星に生まれ、この先何を成していくのか。それによってどのような社会を形づくっていくのか。それが夢物語ではなく、それに共鳴する者たちの実際の行動と、そこから広がる喜びの連鎖が、人々と社会の変化をもたらすのである。「天国が近づく」とはこのことである。

06/12/2018(木) 16:33:38

No.19453  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
◆これから目指すべき地上界について

 今の地上界のいちばんの問題点は、物・金銭・力・エネルギーといったものの集中、である。本来動きながら、使われながら、人々を満たしていくべきものでありながら、ひとところにとどまっている。その均一でないことが生み出すひずみが、人々の生きる環境に、生きる意欲に、大きく影を落としている。

 人が生きるにあたっては、最低限必要なものが必ずある。物質的に見れば食料であり、水であり(身を養うもの)、加えて身を休ませる所である。そうであるはずの物質が今はいきわたってはいない。豊かさの享受と貧しさの苦しみとが同時に存在している。

 これらの現状は支援という形だけではどうにもならない。豊かなところから乏しいところへ回そうとしても、それはかなわない。全体からみれば焼石に水の状況である。その不均一な状態を解消していくこと(たとえば食料ひとつを取り上げてみても)は、本当は決して難しいことではない。物質的な偏りを解消していくのはたやすいのである。難しいのは、そうしていこうとする意識を皆が(大部分の者が)持つに至るということである。

「必要とする者が必要な分だけを得ればよい。過分に得ることはない。蓄えておく必要もない。なぜなら、必要な時には与えられる(受け取ることができる)のだから。」
これが当たり前のこととして人々の共通認識となれば、少しでも多く得るために、少しでも優位に立つために、といったことのために必死になることはなくなる。必要な時に必要なだけ与えられるということは、人々に安心をもたらすことであり、競争をなくしていくことであり、心の余裕を広げていくことである。得るために追い立てられているからこそ、自分しか見えないのであり、自分を優先させようとするのである。

 物に限らず、「何かをする」という行為行動のエネルギーも偏ることがなくなるはずである。手助けを必要とする者に対しては、その人が求めていることを与えられる者(それにふさわしい者)が役に立っていけばよい。それぞれの人の持つ能力や特性が、求められているところ(人)でいかされることが、求める者にも応える者にも嬉しいのであり、その能力・特性そのものの存在意義なのである。

 人々が本来持っている心の輝きは、今の時代のなかで失われてしまっているのではない。不安や恐れによってくもらされているだけである。自分の心の輝きを誰もが発揮したいと本当は思っている。恥ずかしさや抵抗感、周囲の目というものに阻まれて出しにくくなっているだけである。また、目に見える形や物質、力というものから成り立っている社会においては、心の輝きは邪魔なもの、役に立たないものとして扱われているのである。

 物や形や金銭によって成り立ち、動かされてきた社会が、今やその回復方法を見失った、病んだ状態にあることは誰もが知っている。これは物や形、金銭のみによっては癒されない。人々が生きる社会というものを健やかな状態へと向かわせていくのは、人の心以外にはないのである。人の心(意識)が全体の健やかさを求める方向へと変わっていくこと、つまり、自分優先の意識・行為行動から、全体のバランスのなかでの意識・行為行動、人のために、人とともに、という意識へと変わっていくことが必要なのだ。

それは自分という個人をないがしろにすることでも、犠牲を強いるものでもない。(社会)全体は個人から成り立っているのであるし、個人もまた全体のなかに生きているからである。自分のみの喜びを求めて自分に集めるのではない。他の者の喜びも自分の喜びとすることができること、それが個の喜びと全体の喜びとが調和していくための鍵なのだ。

そこでは、自と他との区別はない(違いは当然あったとしても)。自分という囲いを作らないことは、自分を守るための言動も、自分の優位を保とうと(得ようと)するための競争も、自分のみに集めるということもなくなるということ、必要がないということなのだ。それは、人と人とが偽り合ったり、反目し合ったり、争ったりということからの解放を意味する。

 あなた方がこれから目指し、形づくっていく社会は、人が自分の心を素直に表現して生きられる社会であり、自分の心とは、その人本来の輝く心である。優しさも愛情深さも、親切心も、そして正しさや厳しさも、人と共に歩み、助け合い、慈しみ合うなかで何の躊躇もなく表現されるべき心である。それは人と人との間に喜びを生み出す。生み出される喜びの共鳴が、人と人との間を滑らかに満たしていくだけでなく、社会全体に及ぶ時、あなた方は地上人類として第二段階を卒業するのだ。

 そこに至るまでには何事もない静かな時間が流れるのではない。むしろ困難な状況や厳しい事態が起こり得るのだと思っていた方がよろしい。自分という囲いをはずすことのできない者が多ければ多いほど、それが無意味だということ、力を持たないのだということを知らなければならないような設定がなされているからである。

 しかしながら、自分というものを越えて、人と共に歩み、人のために自分を役立てていこうと努め、人の喜びを自分の喜びとして生きる者たちが増えていくことが、また、そういった者たちの心のエネルギーや喜びのエネルギーが共鳴し、高まっていくことが、自分を手放せずにいる人たちの心をも救っていく可能性はある。

ひとりでも多くの者が、手を携えて新たな地上人類の歩みのなかに生きられるように。気づいた者から、意志した者から、積極的に人として生きることを始めて頂きたい。ひとりの者の気づきが、ひとりの者の行動の変化が、やがてつながっている人々へ、そして全体へと広がっていく。人と人とのつながり、生命と生命とのつながりは決して失われることがない。ならば、そのつながりを信じ、それを希望として、やがて迎えることのできる全体の喜びのことを思うのだ。

 力は心から生み出される。それはかつて喜びの心を軸に暮らしを営んでいたムゥの者たちの、力の役立て方に重なるものである。人を癒すこと(ムゥの頃には病はなかったが)、作物を豊かに実らせること、人を導いていくこと、それだけでなく、物を作る時に込める心、作物を育てる時に向ける心、人との関わりのなかで抱く心・・・。

それらのいずれもが、その人(相手)の喜びを求める気持ちや健やかさを願う気持ちを動機として発せられる限り、人に役立つ大きな力となる。心の力は誰にでも与えられているものである。それ故に、何のために使うのか、どう使うのかといった目的と動機が大事なこととなる。備わった心の力を全体への貢献のために使っていくこと、それこそが心の力が与えられている意味なのである。自分のために、自分の満足のために、自分が得るために使うのであれば、それは過ちの繰り返しである。

 誰もが持っているということは、心の力が決して特別なものではないということだ。それをいかすべき時に、いかすべきところで使うかどうかはその人次第であるが。人のために、全体のために自分の力をいかしていくこと、貢献していくことがあなた方が地上で生きる目的である。しかし実際にそうしていくかどうかは、今、地上にいるあなた方のそれぞれが選び決断していくことである。

あなた方に共通の目的、全体への貢献(しかしそれはいわゆる全体主義ということではない)ということがごく当たり前のこととして成され始めること、そのこと自体は、地上人類の歩みのプログラムのひとつなのであり、地上に人が、そしてヒトが現れた時からそこへ向けて動いてきたのである。物質的な世界である地上界においても、霊界同様に、貢献を目的として愛に生きることを実現させること、それが地上人類の霊性進化のプログラムの最終章なのである。

 そこでは、かつて分かれた、心の国と物質の国との融合がなされるのだ。どちらか一方に偏るのではなく、いずれの喜びをも実感していく世界なのだ。輝く心で生きる人々が、作る物に、育てるもの(者・物)に、動かしていく物に、人と人との間で交わされている物に、自分たちのその心の輝きを込めていくのだ。単なる物質ではなく、心が込められた物として、心を表現する物として、そして心を伝えるための物として物質は扱われるのだ。そこには物をめぐって喜びのエネルギーが生まれる。心と心の間に喜びのエネルギーが交わされるのと同じように。物質を介して人の心の喜びも共鳴・増幅するのだ。

 かつてアトランティスの者たちが物質的な喜びを追求したのも、自分たちの働きによって、物質と心との距離をさらに近づけるためだったのである。
 あなた方が、物質的世界のなかで心の喜びと物質的な喜びを融合させていくことは、物質的次元の世界にも、霊的エネルギーが完全にいきわたることを意味する。そこで初めて「地上天国」が実現するのだといえる。

 それは、人の心にかげりが生ずる以前の時代よりも、さらに輝いた心で人が生きる世のことである。地上という限界的な世界でありながら、あなた方が生きるのは限りない喜びの世界であるのだ。あなた方が今こうしてここで生きているのは、それを目指し、実現させていくためなのである。

長い人類の歩みのなかで、今こそが最も大きな転換期なのだ。すでに定められたプログラムという大きな意志の流れに自らも入っていくのか、それとも、その流れに逆らい、あくまでも自分というところにとどまろうとするのか、選んでいくのはその人である。しかし、地上人類の霊性進化のプログラムという大きな流れは、それらの小さな自分を押し流して進み、とどまることを知らない。

 それはさらに大いなる意志の流れのなかのひとつなのである。その流れは誰にも何ものにも阻むことはできない。それこそが神の意志であり、全てはその意志によって動いているのであるから。

06/12/2018(木) 16:42:49

No.19454  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
「地上人類の歩み」の最後の部分を掲載しました。(改行を増やしました)

元投稿が一番最後の部分です。

長いので読みにくいかもしれませんが、この時期にもう一度しっかり読みこんでほしいと思います。

私たち一人ひとりが自分というもの・地上的自我に向き合い、それを解放しようとしていること、つながりの中で向上進化しようとしていることの大きな意味が分かると思います。

それぞれに都合や事情や気持ちもあるでしょうが、どうかこの時期に今まで通りの自分の殻を打破・解消すべく、本気になっていただきたいと心から要請いたします。

できれば、これを読んでの思いや前スレッドでの提案や、何でも構わないので書き込みしてくださいね。
(書き込みしない理由を書いてくれても構いませんよ。とにかく外に向かって表現していきましょうよ。それが自分の固い殻を緩めることにもなるのです。脅しや警告ではなく、情報としてお伝えしておきますが、今まで通りの自分、今まで通りの優先順位では本当にもうやっていけなくなるのです。)

もう1か所、抜粋しておきます。
・・・・

さらに言うならば、これまでの感情(個人的な)を意識の中心として生きてきた時代は間もなく終わり、人としての、という個人的感情を含みながらも、それを越えた全体を意識することが生き方の基本となるのである。

 人として生きる、ということは、霊界での喜びに生きる暮らしと同じことが地上においても成されるということである。ということは、それぞれ(個々)の魂も、それを融合させている大いなる魂にも、喜びへ向けて進むことを妨げるものがないということになる。

 この地球という物質の世界に人類が歩みを進めたのは、霊界での喜びを物質という世界にも顕現させるためであり、心の喜び(霊界)と物質(地上界)とを融合させるためであった。かげりが生じず、喜びが循環するということは、その目的を達成したということになるのである。それによって地球霊界は大いなる意志を顕現できた、ということになる。
・・・・・

06/12/2018(木) 17:12:38

No.19455  ホープ E-mail
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
待っていました!「地上人類の歩み」抜粋掲載本当に有難うございます!
この時期、これが再掲載されたこと、強く共鳴し強く共感しています。
私はこの本が好きで以前から何度も読み返しておりました。
本当に”スゴイ本”だと思います。
飯沼さんがおっしゃる通りここに書かれている”目的”に向かって様々な学びを続けてきたのだ、と思います。そして今も生活に重ねて実践する事を通して身に着けていくのだ、と思います。

今迄の掲示板でのやり取りや、定例会の実習もここに書かれている内容をその時々の具体的な形での学びを意味していたのだと思います。
ここには、私達が向かう方向性、目的が何年も前にちゃんと示されております。
そしてその背後には絶対的摂理の大きな”愛”が裏打ちされております。

>私は教条主義的なやり方を好まないので、「地上人類の歩み」を特に意識していたわけじゃないのに、結局のところ悠々塾はこの通信で示されたことに沿って学びを重ね、実践してきたのだと、妙に感心したのです

正に正にそうなんだ、と霊界の導きを実感しつつ、ここまでこの塾を通して働きを実践し皆を引っ張って来て下さった飯沼さんに”ありがとう”と感謝のエネルギーを送ります。

目を世間に移せば昨今様々なジャンルでの荒廃と大劣化が進んでおります。
「人としてこんなことも分らないのか(或いは判っていても押し殺
して自我を通すのか)?」という事も平気で行われています。
劣化し荒廃してゆく地上世界の今の現状の中で私たちはそれぞれの立場、環境に於いて、いよいよ「霊性進化の雛形」としての働きを担う一人として誇りを持って実践していきたいと思っています。

06/12/2018(木) 21:17:15

No.19456  のものも
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
時代に関係なく、ずっと言われてきた事。
どこまで私は変われたのだろう。
変われば変わるほど、自分も軽くなっていくのは、わかります。

客観的に自分を見る癖をつけると
自分の思い癖は、日々の生活で見つかり、自分の姿も間抜けだったりする事もあります。
毎回、同じような所で、つまづいている事は、ほぼ、自分が変わる事だと思う。

自分だけに集めても、幸せは長くは続かないし
周りもと循環してこそ、幸せは長く続く。

なりたい自分、意識を持って行為行動している事を、いつかは無意味化したいです。
どうせなら、無意識に人を不快にさせるより、無意識に自分の思い通りにさせるより、無意識に人を喜ばせたいです。

ごちゃごちゃした文章。

07/12/2018(金) 08:11:14

No.19458  ゆみっぺ
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
おはようございます。

とても感動&驚きました。
提示されているような
世の中になってきています。

昨晩テレビをみていたら、信じるべきは人の心と
強く浮かびました。
人の感情や向けられる視線人そのものがキライというか怖い
だから、遮断してきたと
思います。


このままではいけませんね。
これをみたということは
責任があるのだと思います。
まだまだですが、
共に進んでいければと
思います。
そして、本に書いてあるような世界を実現しましょう!

07/12/2018(金) 08:44:09

No.19459  みんと
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
おはようございます。

改めまして抜粋して下さって本当に感謝してます!
ホープさんと同じく、強く共鳴共感してます。

一人でも多くの方が目にしてくださることを期待して、
自分の心を振り返る機会(私を含め)にして頂きたいです。。
そして皆が共鳴共感したら、ほんとうにすばらしい世界が待ってるはず! です。
 
<正に正にそうなんだ、と霊界の導きを実感しつつ、ここまでこの塾を通して働きを実践し皆を引っ張って来て下さった飯沼さんに”ありがとう”と感謝のエネルギーを送ります。>

私も同じ気持ちです!

遅ればせながら、ちづこさん、レポートありがとうございます!
すごく参考になりました。肩こり腰痛色々あります。
次回も楽しみです!

※私は最近「来たるべき地上会のために」を読み返してました。
テーマが‘人々の心のかげりを光に変えながら
    ‘社会の仕組みそのものが人々のものとなるために’

こちらも“スゴイ本”ですよ!

07/12/2018(金) 08:45:53

No.19460  エーチャン
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
ヌマさん、『地上人類の歩み」からの抜粋ありがとうございます。

「必要とする者が必要な分だけを得ればよい。過分に得ることはない。蓄えておく必要もない。なぜなら、必要な時には与えられる(受け取ることができる)のだから。」

心の底から、このことを信じるようになりたい、というか、必ず信じることができるようになる、そういう感触が強まっています。

僕らはみんなつながりのなかで生きている、その実感が強まり、分離観が希薄になるにつれ、誰もが健やかに生きていけるようになるのではないでしょうか。

ちづこさん、「心はなぜ腰痛を選ぶのか サーノ博士の心身症治療プログラム」 J.E.サーノ著のレポートありがとうございます。

腰痛を含む心身症のメカニズムについて、なるほどと思いながら読み返しています。

また続きもよろしくお願いします。

07/12/2018(金) 09:20:51

No.19461  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
ホープさん、のものもさん、ゆみっぺさん、みんとさん、エーちゃん、ゆうきクン、書き込みありがとう!
(ゆうきクン、できればこちらのスレッドに転載してね〜)

1998年の1月11日、ある人と新年のあいさつを兼ねた雑談の電話中、唐突に「『地上人類の歩み』というテーマで長い受信を始めなさい」というインスピレーションを受けました。

克には何も伝えずに、手元にあった原稿用紙を持って、克に会いに行きました。
会ってから、そういうインスピレーションがあったことを伝えて原稿用紙を広げると、克は「分かりました」と言って、ほんの少し意識を集中してエネルギーを共鳴させた後、すらすらと筆記し始めました。

ほとんど書き直しもなく、400字詰め原稿用紙1枚に要する時間は10分程度でした。(初めのころ、私は所要時間を計っていました)

何回目かの受信の時に、「人類が初めて火を使ったのは10万年ぐらい前のこと」と筆記したことに私は驚き、不信感を持ちました。
北京原人が50万年ぐらい前に火を使った痕跡が発見されていることを知っていましたから。

それもあって、大きな書店で考古学や人類学系の本を5冊ぐらい購入したのですが、その合計金額が11111円だったのを今でも覚えています。
もちろん克にはそういう本は読ませないで、私だけが読みました。

ある考古学者が、北京原人が火を使っていたという通説に説得力のある異議を唱えているのを見つけて、「とにかく疑義を挟まないでエネルギーを共鳴させて受信しやすくしていこう」と思いなおしました。

今では考古学者も、北京原人が火を使っていたということに否定的な見解の方が強くなっているようです。

もっと以前の原人が火を使っていたという痕跡も“発見”されていますが、考古学者の現地調査というものは、広大な地域で何かの痕跡を探し当てるのですから、たとえて言えば広い砂漠から1本の針を見つけるようなもので、莫大な費用が掛かります。
資金援助を得るために、研究者たちが「画期的な発見をした」と手柄を主張し合う傾向があるということも知りました。

受信当時は「ネアンデルタール人と現生人類は交配していない」というのが定説でしたが、「地上人類の歩み」でははっきりと「交配した」と伝えられています。
これも最近のDNA解析で、「交配していた」と分かったようです。

その頃のことを懐かしく思い出します。

もちろんこういう霊界通信というものに完璧はあり得ません。
潜在意識が混じりこむ場合もあるわけですし、受信のねじれもあるわけですから、すべてが正しいとは言いません。
でもやはり、基本ラインは揺るぎなくとてつもなく大きなスケールで、「地上人類の歩み」を示している本になったと思います。

克が受信した元原稿をコピーしたものがあるので、次の定例会で見ていただきます。(ちょっとどこにしまい込んだのかが分からないのですが、探しておきます)


「地上人類の歩み」はいわば縦の流れなので、それに対応する横の(地上的な)ことも示しておきたいと思って、「来るべき地上界のために」の受信をしました。
これももちろん私たちは内容も構成も一切考えないで、はじめにテーマだけを決めて受信したものです。

今から思えば、あの忙しい中の極めて限られた時間で、しかもお金の余裕など全くない中で、よくやったなぁという気がします。


>物質的な世界である地上界においても、霊界同様に、貢献を目的として愛に生きることを実現させること、それが地上人類の霊性進化のプログラムの最終章なのである。<

 >そこでは、かつて分かれた、心の国と物質の国との融合がなされるのだ。どちらか一方に偏るのではなく、いずれの喜びをも実感していく世界なのだ。<

>あなた方が、物質的世界のなかで心の喜びと物質的な喜びを融合させていくことは、物質的次元の世界にも、霊的エネルギーが完全にいきわたることを意味する。そこで初めて「地上天国」が実現するのだといえる。<

 >それは、人の心にかげりが生ずる以前の時代よりも、さらに輝いた心で人が生きる世のことである。地上という限界的な世界でありながら、あなた方が生きるのは限りない喜びの世界であるのだ。あなた方が今こうしてここで生きているのは、それを目指し、実現させていくためなのである。<

>長い人類の歩みのなかで、今こそが最も大きな転換期なのだ。<

ということについては、この日本という国は元をたどれば、ムゥの流れを汲む縄文の人々と、アトランティスの流れを汲む古代イスラエルの人たちによる国のようです。(「地上人類の歩み」によれば、ムゥの陰りの人たちの影響を引き継いだ、大陸の人たちも渡来しているのです)

北イスラエル王国が紀元前722年に滅び、多くのユダヤ人が逃亡します。(失われた10氏族)
紀元前586年には南イスラエル王国が滅び(バビロン捕囚)、ここでも多くの人々が世界各地に逃亡したでしょう。

日本の「国生み神話」は日本列島西部に到着したユダヤの人々の支配の始まりを神話化したもののようです。
国生み神話の舞台とされる淡路島では、弥生時代のかなり大規模な製鉄遺跡も複数発見されています。(100年以上も継続して使われた製鉄遺跡だそうです)

淡路島に近い沼島や四国の祖谷にはユダヤ人伝説があるそうです。
淡路島からは古代ユダヤ人の遺跡も発見されています。

もちろん弥生人(渡来人)の全てがユダヤ系ではなく、当時は戦乱が続いていた中国や朝鮮半島からの避難者・難民もいたはずです。
彼らが中心になって豪族が支配するクニの連合としての邪馬台国を作り、卑弥呼が魏に使者を出したのでしょう。

卑弥呼が死に(248年?)、戦乱が激しくなった時に、ユダヤ系の豪族だったニギハヤヒ(イザナギの子孫?)が邪馬台国の女王(台与=卑弥呼の後継者)と政略結婚をして、大和地方を拠点としながら、先住民を含めてかなり広い範囲をゆるやかに連合統治していたのかもしれません。(これは箸墓古墳が台与の墓であると仮定して、箸墓古墳の伝説を踏まえての全くの私見です)

(邪馬台国が大和地方にあったとすれば、三輪の大物主とニギハヤヒは同一人物かもしれません。大物主は大国主と同じですから、国譲りの神話もニギハヤヒと一部においては重なっているようにも思います。大物主=大国主は縄文の名残りの強い出雲系ではありますが、出自そのものは天孫系です。邪馬台国よりも数百年も前に、出雲や丹後=古代丹波地方には大きな勢力が存在していたようです。その延長として、交通の便の良い大和地方に中心地を移動したのかもしれません。或いは大陸や朝鮮半島からある程度の距離を置きたい理由が生じたとか? とすれば、出雲や丹後=古代丹波の豪族も邪馬台国も、新しい文明を積極的に受け入れながらも縄文の心の名残りをとどめた者たちだったのでしょうか? そういえば記紀のスサノオも天孫系ですが、父イザナギよりも母イザナミにシンパシーを感じ、姉アマテラスの農耕や機織りなどに違和感を持って暴れています。高天原を追放されて出雲に降り立ち、国つ神の娘の櫛稲田姫を喰いに来る八岐大蛇を斬って退治し、その胴から草薙剣を取り出し、その娘を娶っています。国つ神は先住民の縄文系の人たちのことでしょうから、やはり出雲には縄文の名残りを強く感じます。大国主もスサノオの息子とか孫とかみたいですし。それにしてもニギハヤヒは謎です。出雲地方の方言が東北弁に非常に似ているということは、やはり縄文系の人たちが多く住んでいたのでしょう。大国主は国譲りのあと、出雲に引きこもって鎮座するので、先進の文明を積極的に受け入れてもというか、遠い昔は天孫系であっても縄文の心に強く惹かれて、出雲がその拠り所であったのかもしれません。もちろん記紀のスサノオや大国主を個人として捉えるのは違っていて、むしろ集団の傾向なのでしょうが。 思いつくままにグダグダ書いていれば、なんとなくイメージできてきたような気もします)

(魏志倭人伝には、「(卑弥呼の時代の)邪馬台国には馬も牛もいない」と書かれています。しかし、箸墓古墳周辺からは馬具も見つかっています。最近では邪馬台国は大和の纏向遺跡・大神神社あたりにあったという説が極めて有力になっているそうです。箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかという説もありますが、馬がいなかったはずの卑弥呼の時代の古墳に馬具があったことは要注意です。箸墓古墳が卑弥呼の後継者の台与の墓であれば、いろんな意味で納得できるのですが。いずれにしてもその後の古墳からは馬具が普通に見つかっていることからも、邪馬台国の末期かそれ以降に支配者層に何らかの入れ替わりか混合があったと思われます。ちなみに日本に連れてこられた当時の馬はモンゴル系の品種だったそうです。モンゴル平原に逃げ延びて定着していた古代ユダヤ人の氏族が朝鮮半島の南部に移動し、そこから北九州に渡来したのかもしれません。もちろん他の民族も北九州に渡来していたでしょう)

その後、朝鮮半島から北九州、そして日向・高千穂に移住していたやはりユダヤ系のカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が大和を制圧して、大和朝廷につながる大和王権を樹立したように思います。


いずれにしても日本という国は、ムゥの流れを汲む縄文と、アトランティスの流れを汲む古代ユダヤ人や他の渡来人たちの国であるようです。
(吉備の国は、かなり早い時期から中国南部からの渡来人が勢力圏を形成していたようです。カムヤマトイワレヒコの軍勢が岡山の高島で長期間滞在したのは、吉備の国の勢力を味方につけたかったからではないでしょうか? 懐柔によって吉備の国は敵対はしないものの味方にはならず、カムヤマトイワレヒコ軍がニギハヤヒ配下のナガスネヒコに敗れたことで、吉備の国が敵対する可能性が高く、瀬戸内海を通って高千穂に撤退することができなくなって、紀伊半島の南端から再上陸して大和を制圧したのかもしれません。同じ天孫族だということを確認して、ニギハヤヒはおそらくは先住民系のナガスネヒコを殺し、カムヤマトイワレヒコに支配権を譲渡しています。氏族としての格が違っていたのかもしれません)


まあ、長々と書いたわりにはそんなことはどうでもいいのですが、もう少し書けば、ヘブライ語と日本語は共通している言葉がたくさんあるそうです。
鳥居も古代ヘブライ語で「門」という意味だそうです。
それだけではなく、鳥居(門)を赤く塗ることが多いことも含めて、古代イスラエルの「過ぎ越し」の習慣そのものだそうです。

しかも、過ぎ越しの期間、古代ユダヤ人たちは発酵していない硬いパンを食べ(日本では餅?)、平たくした固いパンを神に供えたそうです。(鏡餅?)

出口王仁三郎も「日本とユダヤが融合しなければどうにもならん」といって、淡路島のユダヤの痕跡を調べさせていたようです。

まさに、
>そこでは、かつて分かれた、心の国と物質の国との融合がなされるのだ。どちらか一方に偏るのではなく、いずれの喜びをも実感していく世界なのだ。<

>あなた方が、物質的世界のなかで心の喜びと物質的な喜びを融合させていくことは、物質的次元の世界にも、霊的エネルギーが完全にいきわたることを意味する。そこで初めて「地上天国」が実現するのだといえる。<

ということなのでしょう!

ということで、来週にも沼島に行ってきます。
イザナミ・イザナギの国生み神話の舞台と思われる沼島で、「生命のつながりの喜びの中で物心ともに豊かに輝く地上界に!」というエネルギーを高め、オーダーしてきます。
「この国やこの地上界のエネルギーを元のところから書き換えるように」とも伝えられています。

とはいえ、これはこのラインにおける雛型としてもまだ手始めのようです。
悠々塾には、過去世ではアトランティスからムゥにきて、ムゥの光の者たちと共に働いた人も参画しています。(20年以上も前の早い時期に克がそう受信していました)

奇しくもこの時期、その人は今は少し悠々塾から離れていますが、その人が再合流したら、時期を見て沼島で合宿をしたいと思っています。(沼島の民宿を貸し切りにしましょう)

もしもその人がこの書き込みを読んだなら、自分の役割の大きさを思い、地上的自我を解放する方向性を確立したうえで、再合流してくれることを強く願います。

07/12/2018(金) 12:04:07

No.19462  ゆうき
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
こちらスレッドに転載します〜〜

**

なんだかあの日の定例会の余韻が今でも残っています。
悠々塾に集う人たちのそれぞれのエネルギーと個性。。。思い出すだけでも嬉しい気持ちになります。

Bさんが演じてくださった一場面。僕はストーリーを知っているのですが、情景がありありと浮かんできました。
あの建物から長い長い坂道を上っている人を見ているからこそ言える台詞。
Bさんの言葉からは立っている場所、そばにいる人、そして見ているもの、、、そして自分という存在、その全部がありました。
表現とは何か、を改めて勉強させていただきました。

ちづちゃんのレポート、へ〜っ!と感嘆しながら読めせてもらいました。
僕も10年以上前に椎間板ヘルニア(2箇所)をしていて、痛みで何年も走るができなかったし、
歩くのも足を引きずるように歩いていました。
ここ数年でみても、走れたり、なんとか普通に歩けたりと改善はしたものの、腰の張りと、お尻からかかとに掛けてのピリピリした痛みは
続いていました。
それがとくに大きなトレーニングをすることもなく、「日に日にあらゆる面において、わたしはますます良くなっている」
「いのちはひとつらなり、みんな大好きありがとう」(みんなに自分も含まれる)を唱えることによって
腰痛はウソのように改善しました。

やはり腰痛は「気持ち・こころ」が引き起こしていたのでしょう。
さらに今は食物繊維の摂取と小麦の回避により、過去最高に腰が元気です。←なんじゃそりゃ??

自分の役割をしっかりと認識して、日々の生活の中でも自分らしく生きていきたいと思います。

しかし、ほんと悠々塾に集うひとは面白い人が多いですね!
たくさんの元気と笑いをもらいました。

みゆきちゃんへのラブソング、聞いてもらえて嬉しかったです。

07/12/2018(金) 21:40:08

No.19463  祐造
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
飯沼さん、「地上人類の歩み」の掲載をありがとうございます。
まゆみさん、たくさんの文字入力をありがとうございます。


もう20年ほど前になるでしょうか…。
僕が最初の離婚 (Aさんとの)に至る最中の苦しい時期に、
「地上人類の歩み」の手書き原稿のコピーを読ませてもらったことを思い出します。
まだ本になる前だったと思います。
飯沼さんから 「活字になる前に、この手書きの原稿からあふれ出すその流れるエネルギーに触れてほしい」 
と、原稿のコピーを頂いたのでした。
克子さんが書かれた、とても美しい文字が並んでいました。

Aさんの大きな裏切りを受けてもうボロボロだったときに、この手書き原稿のコピーを読んで、
僕は自分の中にとてつもない力が身体全体にみなぎるのを感じました。
喪失感や悲しみに意気消沈していた中で、「自分はどうあるべきか」 「どう生きるべきか」
という指針と立ち上がる力を、理屈抜きに猛烈なパワーで強烈にチャージされたかのようでした。
それまでのふわふわした自分とは違う、自律した自分がありました。
おかげで僕は、めでたくAさんと離婚できて、それと同時にさきさんと出会ったのでした。
あのとき、「地上人類の歩み」の手書き原稿のコピーがなければ、今の自分は無かったかも知れません。


「地上人類の歩み」
そこに込められた、強烈で鮮烈なエネルギー。
そして厳然とした言葉で、愛情で、地上人類を導く壮大なメッセージ。
「地上人類の歩み」とは、地上人類に向けての「真の羅針盤」なのだと思います。

あらためて、その指針に自分自身を沿わせていきたいです!
みなさんとともに、力をあわせて、喜びのなかで地上的自我を解き放っていきたいです。
みなさんと一緒であることが本当にこころ強く、とっても嬉しいです!



ちづこさん、
「心はなぜ腰痛を選ぶのか」の書籍レポート、ありがとうございます!
無意識下とは、潜在意識のことでしょうか。
とても興味深いです。
続きを楽しみにしています!

08/12/2018(土) 00:00:19

No.19464  きんもくせい
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
ちづこちゃん、レポートありがとうございます。
分かりやすくて、とても参考になります。
続きも楽しみにしています。
のんびり待ってるね〜〜。

飯沼さんの書き込みから、いろいろ思いを巡らしていました。
私が自分の気持ちに囚われる時。
どうしようもない悲しみを怒りに変えたり、自信のなさから自分を守るためそつなく振舞ったり、身近な者へは攻撃的な物言いをしたり。
そして、その人は何でそうなんだろう?何で何で?と、あれこれ思いを巡らせようとします。
たまたま、その人にまつわる情報があれば、そこで納得したり仕方ないな。と思ったりはします。
でも、場合によっては、自分の気持ちは残ったままです。
また、情報がなければ、その人のことを想像してみたりするけれど、本当のことは分からないので、結局、自分の気持ちはスッキリしない。

それでも、そこまで深い関係でない人ならやり過ごすのですが、
身近な家族の場合は自分の気持ちにしつこく囚われます。
それは相手に自分の気持ちをわかってほしいとか、或いは自分の思い通りでないことへの苛立ちとか、時には相手も、もっとこうすれば喜びを感じられるはずなのだから、そこに気づいてほしいとかもあります。
でも、相手に喜びを幸せを感じてほしいという気持ちも、自分の思い通りの相手であってほしいという気持ちと紙一重なところもあったのだと思います。

そこで、ようやく辿り着いたのが、カルマとか計らいとかシナリオとか、悠々塾で教えてもらったことに意識を向けることでした。
そうすると、
あー私のカルマ。私のシナリオなんだ。計らいなんだ。と受け入れることはできるようになったかな?
相手にも相手のカルマやシナリオがあるのだし。
だったら仕方ないな。と。
自分がそういう思いや経験をして、どうしていくのか?
相手も私に気づきをもたらすその役割を担ってくれているのかもしれない。
全ては自分も皆も幸せに。喜びにするため。
だったら
自分の気持ちは地上的には、薄くなったり濃くなったりしながらずっとあるけれど。
あったとしても普遍の意識に繋がっていきたい。
全ての生命に祝福と感謝。不調和を調和に。
ここに繋がっていきたい。
好きとか嫌いとかではなく。
そこだけに意識を向けていると、いつまでも喜びに繋がらないし自分の気持ちもややこしくなる。
だから全ての生命に祝福と感謝!
そして調和!
ってことにひたすら意識を向けていこうと思うことかな?
と思った次第です。

「地上人類の歩み」を初めて目にした時、克子さんがこの壮大な内容を受信されたことに驚きました。
そして、その傍らで、飯沼さんが客観的に見守って受信された内容に全く疑いはありませんでした。
ただ、最初に読んだ時は難しくて読み進めるのにえらく時間がかかりました。
でも、今は不思議とスーっと入ってきます。
今まで悠々塾で学んできたことそのものだからでしょうか。
未来を担う子どもたちのためにも、今の歪んだ地上界が変わってほしい。
皆が支え合って、誰もが喜びの中で生きられる世の中になってほしい。
地上界浄化の一員として、気を引き締めて学んだことを躊躇なく言動していきたいです。
しかも、大好きな皆さんと一緒なら心強いし嬉しいし、大丈夫!って気になってきました。

09/12/2018(日) 00:12:37

No.19465  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 「地上人類の歩み」から抜粋します。 引用
祐造さん、きんもくせいさん、書き込みありがとう!

「地上人類の歩み」のこと、そんなふうに言ってもらえて嬉しいです!

私自身も受信した時から凄い内容だと思っていましたが、今はさらにエネルギー的なリアリティというか、さらに凄さを感じています。

スレッドが長くなったので更新しますが、引き続き書き込みしてくださいね〜。

09/12/2018(日) 21:27:34


No.19430 飯沼正晴 ホームページ E-mail
今年ももう残り1か月を切りました。 引用
さいこさん、みさおさん、やすこさん、オレンジさん、あおやまさん、みゆきちゃん、のものもさん、春が来るさん、ちづこさん、書き込みありがとう!

ちづちゃん、レポート、ありがとうね!
(このスレッドの返信欄に転載しますね)
引き続き、よろしくお願いします。

何度も書きましたが、私も20歳代から40歳過ぎの20数年前まではひどい腰痛持ちでした。
年に何度も、並大抵じゃない激痛に襲われて、文字通り身動きが取れないこともよくありました。
激痛がちょっとマシになっても、間欠跛行(かんけつ はこう)と呼ばれる痛みによる歩行障害が出て、あれってほんとに歩けないんですよね。
2〜3歩歩くと足の付け根が固まって、しばらく痛みに耐え、少しゆるんだらまた2〜3歩歩くという感じで、それでも仕事は何日も休めないし、本当に情けない思いをしてきました。

いろんな治療院に通ってもマシになるのはその時だけで、「もう少し歳をとると、アンタは歩けなくなる」とまで言われていました。

そんなひどい腰痛持ちだった私ですが、自分の意識が解放されるにつれて発症しなくなり、この20年ぐらいは全く腰痛になっていません。
ストレスがたまった時に軽く腰に違和感が出る時もありますが、それもすぐに治ってしまいます。

関係あるのかないのか分かりませんが、この20年ぐらいは二日酔いもほとんど全くしなくなっています。
それもたぶん自分の意識が解放されてきたからだと思います。

腰痛だけでなく、ほとんど全ての病や症状は(潜在)意識に染み付いた感情の澱(喜びではない感情)が元になっているはずです。
もちろん言動の歪みは、言うまでもなく、喜びではない感情の表現ですし。

であれば、自分が「大好き。ありがとう」と言えない人や言いたくない人に「大好き。ありがとう」と言うか、どうしても面と向かって言えないのであれば、「大好き。ありがとう」の想念を向ける(送る)ことをやっていきませんか?

「みんな大好き。ありがとう」は言えても、特定の誰かには言えない、言いたくない、思えないというのは、まだまだ自分の感情にこだわりが強いということでもあります。
つまり、地上的自我の風通しが悪く、閉塞・凝縮しているということでしょう。


ということで、前スレッドに書いたことを以下にコピーしておきます。
義務や課題という思い方よりも、気づきや切り替えの喜びの中で進んでいきましょう!
自分で陰りに気づいているかどうかは別にして、凝縮して歪んだ今までの自分から解放されることは、何よりの喜びなのですから。
。。。。

(定例会で)あんなに凄いエネルギー場が形成されたということは、つながる人たちにさまざまに作用するはずなので、排出が進む人もいるでしょうし、その前段階として地上的自我の澱が浮き上がる人もいるでしょう。

もちろん、今のところ何の変化もなくて、文字通り「今まで通り」の人もいるでしょうが、気にする必要はありません。

すでにあのエネルギー場が形成されたのですから、つながっている限り必ず健やかな喜びに進んでいくことになります!

でも、地上的自我への囚われを意識的に解消・解放していこうとすれば、健やかなる喜びへの切り替えがさらに速やかに進み、現実化していくのです。

せっかくの機会ですから、潜在意識に染み付いている(自分にとっては当たり前になっている)、「今まで通り」の思い方・感じ方・こだわり・言動での表し方(表現・言動では表さないということも表現そのものです)を少しでも実際に切り替えてみませんか?

その方が今までよりもはるかに本来の自分らしく生きていくことができるのですし、本来の自分らしい喜びや幸せを現実化するのです。

些細なことにこだわって、受け入れられず、許しがたく、グジグジ言ってる(思っている)自分。
どこかでそれを自分の喜びにしている自分。

何かあればすぐに心を閉ざし、あるいは誰かのせい・自分のせいにして、今まで通りの自分でいつづけようとする自分。
それをどこかで自分の喜びにしている自分。

いくらそういう自分に慣れてきたとしても、自分ではそれが自分らしさだと思い込んでいるとしても、そんなものが本来の自分ではないのです。

自他に健やかなる喜びをもたらす方向で、今までとは違う思い方の回路を開いて、今までとは違う表現ができるようになるということ。
それこそが地上の人間の向上進化なのです。
それこそが、自分を含めた皆に、健やかなる喜びの現実をもたらしていくエネルギーなのです。

何でも構わないし、どんな些細なことでも構いません。
自分は今までの自分のこういう思い方・感じ方・こだわり・表現などを、こんなふうに切り替えた(切り替えようと思う)という作業をやってみませんか?

ほんとにどんな些細なことでも構わないので、掲示板に書けることは書いてくださいね〜。
表現することで、それまた自分や皆さんの変化を後押しするのです。

みんな大好き。
ありがとう。

調和した!

03/12/2018(月) 15:52:53


No.19431  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
ちづこさんの投稿、再掲載(代理投稿)しておきます!
。。。。。。

皆さんの書き込み、一生懸命進もうとされていて、とてもエネルギーもらっています。さいこさん、ありがとう。旦那さんとよかったです。あおやまさん、ねねちゃんへネックレス渡していた時、感動でした!!

話は変わりますが、かなり前に言ってた、「心はなぜ腰痛を選ぶのか」のレポートです。停滞してずっと書けなかったのですが、定例会の一週間前にぬまさんからメールをもらって、やっととりかかりました。この本は3部に分かれているので、3回に分けて報告しようと思っています。伝わりやすいようにと思っていたのに、文章が固くてわかりにくいかもしれません。次回はそこをもっと意識して書いてみます。よろしくお願いします。


「心はなぜ腰痛を選ぶのか サーノ博士の心身症治療プログラム」 J.E.サーノ著

第一部 心身症の心理と生理

現在、背腰部、頸部、四肢の痛みは社会に蔓延し、その患者は増え続けている。外科手術が行われたり、抗炎症薬が処方されることが多いが、原因だとされた部位には問題がなく、骨や椎間板の異常ということでは所見の説明がつかないことが多かった。背腰痛の原因は何も明らかになっていない。筆者は今までの診断、治療法の有効性に疑いをもつようになった。

腰、背中、首、肩などの痛みが発生している組織は、骨や脊髄の異常ではなく、後頭部から臀部にかけての背腰部の筋肉であることがわかった。また、痛みを訴える患者の88%に胸焼けや胃潰瘍などの胃腸障害、緊張性頭痛、偏頭痛、湿疹、頻尿など、緊張が原因で生じる症状の病歴があった。それらの痛みは緊張からくるものと考えた。緊張とは感情が生み出したものである。つまり、TMS(緊張性筋炎症候群)とその等価疾患は、感情が引き起こしたものだと考えた。

感情が生まれる世界には、意識の心と無意識の心が存在する。意識下では日常生活のあらゆるプレッシャーをうまく処理するが、こうしたプレッシャーは無意識下に不快な感情を引き起こす。心はその不快な感情を意識上に浮上しないように、身体に痛みを発症させ、そこに注意を引き付ける。つまり、本人は全く気付かない感情が無意識下にあり、それが、怒りや憤怒といった恐ろしい感情なので、脳はその憤怒が意識に上がるのを避けるために、反射的に身体に症状を引き起こして注意をそらしている。憤怒のような心理的混乱を、脳は身体の痛みで隠そうとしているのだ。このようにして心身症が発症すると考えられる。

脳に働きかけてまで、激痛やぞっとするような神経症状を身体に発生させなくてはいけない憤怒。その憤怒の原因はさまざまで、幼少期のトラウマ、性格特性(低い自尊心、完全主義、善良主義、自責心、依存心)、日常生活でのストレス、根本的な欲求(完璧でありたい、人に好かれたい、世話をしてほしい、いらだちを鎮めたい、誰にも負けない肉体がほしい、死にたくない)、不安や恐怖などがある。誰にでも一つや二つは当てはまる。日常生活にストレスや緊張を感じない人はいない。ごく普通の人々が常にストレスにさらされ、無意識下に絶え間なく怒りや憤怒を発生させている。

では、脳はどのようにしてTMSを発症させるのか。無意識下に抑圧された感情(憤怒)は、自律神経(自律神経系は中枢神経系のサブシステムで、血流などの不随意機能をコントロールする。)を異常に活性化する。すると、1000分の何秒かの間に、患部が局部的に血流不足(虚血)となり、軽度の酸素欠乏状態になる。その結果、筋肉痛や神経痛などの症状が発生する。これがほぼ間違いなく発症の原因である。超音波、マッサージ、活発な運動で、痛みが一時的に軽減するのは、これらが局部の血流量を増加させるためだと考える。つまり、TMSの治療の対象は、局部の組織ではなく脳である。この痛みは無害であり、身体でなく心を介して治療しなければならないと考えた。


わたしにもTMSあります。無意識の怒りが、脳に働きかけて痛みを出させるんですね。
第二部は心身症は身体にどう現れるか。第三部は心身症の治療です。どうやって治していくのか楽しみです。続きはまた、しばらく待ってくださいね。

03/12/2018(月) 15:55:16

No.19434  のものも
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
ちづちゃん、ありがとう〜
痛いの大丈夫、大丈夫だよ〜
どうやって治していくか続きが気になるー

>TMSの治療の対象は、局部の組織ではなく脳である。この痛みは無害であり、身体でなく心を介して治療しなければならないと考えた。

昔、母から
「痛いの痛いの飛んで行け〜」
凄い効いたんだよなぁ。。
ぶつけたところ、すぐ治ったわーー
会話するだけで、治ってたーー
なんて思いながら読みました。

やっぱり人を平気で騙す人だけは
どうしても嫌いになってしまう。
性格が悪いとは、別のところだから。

けど、それを飛び越えて
みんな大好き、ありがとうを刷り込んでいく、想念を送ります。
イメージは現実化の入り口なのだから
素敵な事を刷り込んでいきます。

って、頭では思う。。
だから、まだまだ無理してる気もします。。

04/12/2018(火) 08:48:26

No.19435  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
のものもさん、書き込みありがとう!

>やっぱり人を平気で騙す人だけは
どうしても嫌いになってしまう。<

そりゃあそうでしょう!
グルになってる人か、よほど特殊な事情がなければ、そんな人を好きにはなれないと思いますよ。

でも、平気で人を騙すような人は、いずれは必ずその埋め合わせをすることになります。
まあ、誰もが地上での過ちの埋め合わせをするわけですが、平気で人を騙してきた人の埋め合わせは相当に重いものになるでしょう。
そこに向き合えないで、そのまま暗黒界に直行というケースも多いはずです。

自業自得とはいえ、それはかなりお気の毒なことです。

であれば、平気で人を騙す人にも、過ち多き人にも、不十分さ満載の人にも、もちろん自分がそうであればなおさらのこと、「みんな大好き。ありがとう」のエネルギーを惜しみなく注いであげればいいのです。

「みんな大好き。ありがとう」は地上限定のものではなく、歪み多き地上界や地上の人間をも分け隔てのない無条件の祝福と感謝のエネルギーで包み込む、普遍の喜びのエネルギーなのですから。

04/12/2018(火) 09:39:26

No.19436  のものも
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
あっ。私誤解してましたーー
そうですよね。
嫌いでもいいんですよね。
地上の意味での、大好きと思ってました。
えっ、気づいたかも、、。

でも、地上限定の意味とは違う
みんな大好き。ありがとう
無条件の祝福、喜びのエネルギーを送る。

あっあっ。なんとなく
わかりました〜!!!

04/12/2018(火) 09:53:58

No.19437  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
>嫌いでもいいんですよね。<

嫌いでもいいとは言いませんけどね(笑)

>地上の意味での、大好きと思ってました。<

すぐにはそうはなれなくても、そうなっていく方向性は大事だと思いますよ。

地上的自我が普遍意識と同期(シンクロナイズ)していなければ、「我よし=自分の思い通り」が強くなるものです。
それが極端になれば、自分さえよければ他人や他の生命のことはどうでもいいという利己主義になって、平気で人を騙すようにもなってしまいます。
自分の思い通りにするために手段を選ばないということです。

そこまで極端でなくても、地上的自我意識に閉じこもっていると、自分の思い通りにならないことがあれば不満を抱き、攻撃や非難・批判や愚痴や遮断・沈黙を繰り返してしまうことになりがちです。
それに慣れてしまうと、自分を真摯に顧みる回路が閉ざされてしまうので、相手が自分の思い通りにならない限り、状況は健やかにはなりませんね。
(お互いにとっての喜びとなる手段を使わないという意味においては、自分の思い通りにするために平気で人を騙すことと似たようなものなのです)

どうしても自分の気持ちを変えられない場合は、不調和を増幅し続けるよりも棲み分けをすればいいのだと思います。
すでに棲み分けをしているのに、あるいは実質的にさほど深い関わりでもないのに、相手のことをグダグダ言わずにいられないとすれば、それはもう相手の問題よりも自分の問題(執着という自我意識の歪み)です。

とはいえ、多かれ少なかれ誰にも「自分の思い通りにしたい」という欲求はあるものですし、「思い通りにならなければ面白くない」という感情もあるでしょう。
自分が気づいているかどうかは別にして、もちろん自分にもあるわけです。
それが分かれば、あんまり人を嫌いにならないというか、嫌いになれないのですよね。
大きな意味では不十分な者同士、お互いさまですから。

もちろん人間は地上的自我を完全に無くすことはできないわけですから、地上的自我が薄くなれば嫌いな人はいなく(少なく)なっても、自分として好きだと思う度合いは一様にはならないでしょうが、それでいいのだと思います。
地上的な「好き・大好き」というのは、感性なども含んだ地上的自我の領域の波長の同調度・調和度が高いからこそという場合が多いわけですし、地上ならではの自分の気持ちは在るものですからね。

何だかよく分からないことをグダグダ書きました(笑)

要するに、私たち人間は地上的自我意識をなかなか払拭できない(普遍意識にスムーズに同期・同調できない)ものだけど、それでもだからこそ、「みんな大好き。ありがとう」のエネルギーを注いで自分をも満たし、「調和した!」のオーダーを続けていこうということです。

04/12/2018(火) 11:18:00

No.19438  しのしの
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
今まで通りの方が、楽なんでしょうね。
それで、自分を守っているんでしょうね。
自我意識を変えようとしても、何も変化に気づかず、やっぱり変わらないことに意識が向いてしまっています。

04/12/2018(火) 12:43:27

No.19439  のものも
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
普遍意識だけで生きるなんて事は出来ないし、
自我意識もあるから
2つを必ず接点は持ててれば
自然と自我意識は薄くなるのですよね。

誰かを特別な思いで好きだったりするのは
それは在るものは在るのだし。
ただ嫌いな思いは、接点があれば薄くなっていくのか。

丸は2つあって
1つになる事はないけど、接点があれば。
私も、私がわかるように
飯沼さんの文章をイメージしてます(笑)

04/12/2018(火) 13:03:38

No.19440  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
しのしのさん、
>自我意識を変えようとしても、何も変化に気づかず、やっぱり変わらないことに意識が向いてしまっています。 <

はーい!
そういう人も多いと思って、このスレッドの提案をしています。
>何でも構わないし、どんな些細なことでも構いません。
自分は今までの自分のこういう思い方・感じ方・こだわり・表現などを、こんなふうに切り替えた(切り替えようと思う)という作業をやってみませんか?<

一気に喜びベースに切り替えることはできないわけですから、変われていない部分を見ればいくらでもあるものです。
どんな些細なことでも喜びに変えられたところを目いっぱいに喜ぶことで、喜びの中で切り替えが進むのです。
それが過渡期の喜びベースということでしょうね。
子供を育てるような気持で自分を育ててあげればいいのです。

のものもさん、
>普遍意識だけで生きるなんて事は出来ないし、
自我意識もあるから<

そうですね。
自我意識というものは霊界に戻っても完全に消えるものではないと思います。
霊界ではもちろんですが、地上でも自我意識の歪みが薄くなれば、普遍意識に融合・同調した豊かな個性として、自分の輝きをおおらかに表現していくものになるのです。

04/12/2018(火) 13:25:51

No.19441  さき
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
定例会のあとの皆さんの投稿に今までと違う力強さを感じます。
あの場のエネルギーを実感します。
私も頑張るぞー、って刺激を受けています。
ありがとう。みんな大好きです。
みんなでさらにさらに

調和した!
というエネルギー作用させていきたいです。

ぬまさんとのもちゃんのやりとり。
興味深く読んでます。
ちづちゃんのレポートも!

私も20代、30代と腰痛持ちでした。
ぎっくりになると動けなかったし、仕事のあとバス停まで行くのに休み休み泣き泣きそろそろ動いてました。
片頭痛もずっと抱えてました。
無意識の怒り、緊張性筋炎症候群ですね。
ずっと生きることに緊張してたと思います。
今思うと、、です。
孤独だったし、人への警戒心が強かったし。
頑なに自分の殻を守っていました。
今思うと嘘みたいです。
この場に出会って、わかってもらえるって思えてそれがとけたんだよね。
めちゃくちゃ楽になりました(涙)
だから本当にみんな大好き、なんです。
ありがとう、です。

レポートの続き楽しみにしてます!

しみついた思い癖で
自分が出来ることをやらしてもらう、というベースがあります。
これが後追いなんだよね。
抽象的なところではダイレクトに普遍意識につながりたいという欲求があるんだけど、具体的なところでは出来ること(出来そうなこと)をやるみたいな。。
私なんかが全部をわかるはずないし、オーダーするなんておこがましい、みたいな。。感覚。
踏み込むことへの不安や恐れもある。

この自分のベースを切り替えたいです。切り替えます。
切り替えた!

04/12/2018(火) 14:39:01

No.19442  のものも
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
>お互いにとっての喜びとなる手段を使わないという意味においては、自分の思い通りにするために平気で人を騙すことと似たようなものなのです

なんて恐ろしいこと
目からウロコが落ちました。

過渡期の喜びベースと言う事で、沢山あるはずなのに長年染み付いているのか、切り替える内容を探すような形の中
今、思いつく事。

人の心を必要以上に気にしていて
表現してこなかったこと。
言葉にしてこなかったこと。
他人のベースに引っ張られて
自分の軸がブレてしまい
本来の自分とは違う表現、思い方。
全部後追い。

私が私である為に、私らしく生きる。
切り替えた!

05/12/2018(水) 07:00:04

No.19443  ゆみっぺ
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
おはようございます。
私は、腹が立つことがあったりすると、
その事に集中してしまいます。
ついつい、いつも考えてしまっていました。
しかし、それでは刷り込んでいるのと同じと書いてあり、
確かに
そうだなぁと感じました。
それからは、
集中してきているなぁと
思うと、
またやってるぞー
刷り込んでるぞーと
思い、頭の中で
その考えを掴んで
投げるみたいな事を
やってます。

ただ、どうしても
納得出来ないとか
疲れるなぁと感じた
ときは、
そうです、私は今
疲れているし、納得出来ていません。
ムカついています!
良くないかもしれないけど、これが今の私の
気持ちなんだと
認めるようにしました。


その上で、どうしていくのか?が問われているんですね、はい、わかってます!となり、
どちらかというと
どっかに行ってしまえ!と思うような人にも
1%くらいは、
みんな大好き、ありがとうという気持ちを
向けられるように
なったかも?しれません。

定例会に参加したかどうかに拘らずにと書いてありました。
私は拘っていました。
参加したことないし、
参加したくても、
なかなか出来ないし、
その場に居なかったしねーと、勝手に拗ねていました。

そんなことに拘っていても何の特にもならないので、とりあえず、やってみようと思います。

家族や子供の考えに影響を与える可能性がある!
とても感じています。
これじゃ、良くないと
思い始めました。

子供には、
勉強を今やらないで、
いつやるの?と言うことがありますが、
自分も人に言うなら
やらないとねと思いつつ
頑張ろうと思います。

05/12/2018(水) 07:44:42

No.19444  なみ
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
ちづちゃん、レポートありがとうございます。
とっても興味深いです。
心と身体の関係、感情のこと、とてもわかりやすく、続きがすごく楽しみです。

昔、あるお医者さんに、子供のころからずっと緊張が続いていて、今の不調になっていると言われたことを思い出しました。
そのときは、何となく、そうなのかぐらいで終わりましたが、レポートを読んで、そういうことかと、やっぱり私もずっと緊張して生きてきたんだなと改めて思いました。


私は、のものもさんが言われているように、特に家族(父と弟)に対して本来とは違う表現をしてしまいます。
本当はこう言いたいのに、こうしたいのにと頭で思っても、自分の感情が邪魔をします。
相手は何でこんなことを言うんだろう、何でこんなことをするんだろうと、怒りや混乱、悲しくなって、いつもだんだんと自分を閉ざしてしまいます。
相手の本当の気持ちを見ることをしないで、気持ちを逸らし、言ってもだめだと、かかわらないようにすることをしてきていました。
自分の感情をどうすることもできなくて、ずっと苦しかったです。

先月の定例会から帰ってから、父と弟に対する自分の思い込みにいろいろと気づきました。
それから、定例会のエネルギーに触れて、ほんの少しですが、自分の感情、こだわっていたものが薄くなったような気がしています。

きっと相手はこう思っているに違いない、こうなってしまうのではないかという否定的な思い方を変えていきたいです。
そして、素直に嬉しい気持ちや相手を思いやる気持ち、喜びの表現をすること、まだまだ物すごくエネルギーを使わないといけないですが、やっぱりそうすることが自分も相手も嬉しいし、少しずつでも自然にそうできるように切り替えていきたいです。

今までの自分とは違う言動をすると(飯沼さんが言われているように自他に健やかなる喜びをもたらす方向で)、心が解放されていくような気がしています。

05/12/2018(水) 15:36:45

No.19445  のり〇ー
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
ゆみっぺさんの投稿を読んで。私も定例会行った事がないですし、定例会の後の掲示板を読んでは寂しさを感じた事はありました(笑)けど、いつの頃か読んでて楽しい!いつか行きたい位に思える様になりました。私も事情があって行けません(泣)
みなさんの考え方とかパワーとかスッゴいな〜!恥ずかしいけどこんな風には到底思えないわ〜‼とか多々あります。

最近じゃあ、恥ずかしい執着心とか分かりましたし、性格悪いなーと思う事もあります。

出来る事だけ、出来る事から、食物繊維繊維とかグルテンフリー(なるべく小麦は取らないとか)そう思ってやっています。

みんな大好きありがとう。調和した!ちゃんと出来ていないと思うけど、ピンチになると鳴りだすようになってます。

05/12/2018(水) 23:35:31

No.19446  のものも
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
「切り替えた!」
この言葉、私は結構効いてるかもしれません。
さきさんに続けと、私も書いたのですが、自分に暗示?がかかるような
その気になると思います。
ピシッと定まる感じです。

書けば自然と気持ちは入りますが、
言葉に出して言う場合も、気持ちは込めた方が入りやすいと思います。
勿論、完全ではないですが
切り替えのスイッチに良いと思いました。

やりたい人だけ、やってください(笑)

06/12/2018(木) 08:30:49

No.19447  ぽんた
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
この数ヶ月、初めての腰痛体験で、
飯沼さんに遠隔ヒーリングを依頼して3週間ほどです。
劇的なV字回復で、ほとんど治ったと言っていいところまで来たところで、
腰痛の話題が出ていたのに驚きました。

よくストレスで腰痛が出るという話は聞いていましたが、
自分のあり様が腰痛を選んでいるという風に考えると似て非なる感じがします。
自分が、自分の在りようを決めて切り替えないといけないのですね。

ちづこさんのリポートの続きを楽しみにしています!

06/12/2018(木) 12:28:40

No.19448  あおやま
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
ちづこさん、腰痛のレポートありがとう、わかりやすいです。

克子さんのペンダント、
ねねちゃんとのやり取り見ててくれたんやね、コメントうれしかったです、ありがとう。

06/12/2018(木) 12:43:10

No.19449  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
さきさん、のものもさん、ゆみっぺさん、なみさん、のり〇ーさん、ぽんたさん、あおやまさん、書き込みありがとう!

皆さんの変化・前進が嬉しく、心強いです。

私はまたちょっと文章が書きにくくなっています。
というか、ちょっと自分の殻にこもっていたい気持ちになってしまっています。

人には分かったようなことを言うのに、自分にもまだまだこんなところが残っていることを痛感しています。
誰かに吐き出す気にもなれないし、たまにはこんな時もあるもんだと、やり過ごすしかなさそうです。

まあ、今の私は無理に意地を張ってもこういう状態に長く留まることができないので、すぐにご機嫌さんに戻りますが。

06/12/2018(木) 14:07:29

No.19457  ゆうき
Re: 今年ももう残り1か月を切りました。 引用
なんだかあの日の定例会の余韻が今でも残っています。
悠々塾に集う人たちのそれぞれのエネルギーと個性。。。思い出すだけでも嬉しい気持ちになります。

Bさんが演じてくださった一場面。僕はストーリーを知っているのですが、情景がありありと浮かんできました。
あの建物から長い長い坂道を上っている人を見ているからこそ言える台詞。
Bさんの言葉からは立っている場所、そばにいる人、そして見ているもの、、、そして自分という存在、その全部がありました。
表現とは何か、を改めて勉強させていただきました。

ちづちゃんのレポート、へ〜っ!と感嘆しながら読めせてもらいました。
僕も10年以上前に椎間板ヘルニア(2箇所)をしていて、痛みで何年も走るができなかったし、
歩くのも足を引きずるように歩いていました。
ここ数年でみても、走れたり、なんとか普通に歩けたりと改善はしたものの、腰の張りと、お尻からかかとに掛けてのピリピリした痛みは続いていました。

それがとくに大きなトレーニングをすることもなく、「日に日にあらゆる面において、わたしはますます良くなっている」
「いのちはひとつらなり、みんな大好きありがとう」(みんなに自分も含まれる)を唱えることによって
腰痛はウソのように改善しました。

やはり腰痛は「気持ち・こころ」が引き起こしていたのでしょう。
さらに今は食物繊維の摂取と小麦の回避により、過去最高に腰が元気です。←なんじゃそりゃ??

自分の役割をしっかりと認識して、日々の生活の中でも自分らしく生きていきたいと思います。

しかし、ほんと悠々塾に集うひとは面白い人が多いですね!
たくさんの元気と笑いをもらいました。

みゆきちゃんへのラブソング、聞いてもらえて嬉しかったです。

07/12/2018(金) 08:32:14


No.19417 飯沼正晴 ホームページ E-mail
11月最後の日、スレッド更新 引用
スレッド更新につき、前スレッドの最後の投稿をちょっと手直ししてここにも掲載します。
・・・・・

まゆみさん、あきえさん、和也&久美さん、エーちゃん、書き込みありがとう!

嬉しいですよ〜!

今回の定例会では「エネルギーを共鳴させている時や注ぎあっている時に涙が出た」という人が、いつもよりも多かったようです。

(めぐみさんのように、「帰りの車の中でもなんだか一人わんわん泣きましたよ。」という人もおられます。
久美さんのもきっと嬉しい排出でしょうね。
Bさんも数日間、やたら寒かったそうです)

今までよりもさらに本来の自分らしくあることに喜びを感じて、それを表現せずにはいられなくなった人もおられます。

やはりもの凄いエネルギー場が形成されたのだと思います。

参加してくださった皆さん、参加できなくても心を向けてくださった皆さん、参加すると言ってたのに家で寝てた皆さん(一人しかいないけど・笑)、ほんとにありがとう!

あんなに凄いエネルギー場が形成されたということは、つながる人たちにさまざまに作用するはずなので、排出が進む人もいるでしょうし、その前段階として地上的自我の澱が浮き上がる人もいるでしょう。

もちろん、今のところ何の変化もなくて、文字通り「今まで通り」の人もいるでしょうが、気にする必要はありません。

すでにあのエネルギー場が形成されたのですから、つながっている限り必ず健やかな喜びに進んでいくことになります!

でも、地上的自我への囚われを意識的に解消・解放していこうとすれば、健やかなる喜びへの切り替えがさらに速やかに進み、現実化していくのです。

せっかくの機会ですから、潜在意識に染み付いている(自分にとっては当たり前になっている)、「今まで通り」の思い方・感じ方・こだわり・言動での表し方(表現・言動では表さないということも表現そのものです)を少しでも実際に切り替えてみませんか?

その方が今までよりもはるかに本来の自分らしく生きていくことができるのですし、本来の自分らしい喜びや幸せを現実化するのです。

些細なことにこだわって、受け入れられず、許しがたく、グジグジ言ってる(思っている)自分。
どこかでそれを自分の喜びにしている自分。

何かあればすぐに心を閉ざし、あるいは誰かのせい・自分のせいにして、今まで通りの自分でいつづけようとする自分。
それをどこかで自分の喜びにしている自分。

いくらそういう自分に慣れてきたとしても、自分ではそれが自分らしさだと思い込んでいるとしても、そんなものが本来の自分ではないのです。

自他に健やかなる喜びをもたらす方向で、今までとは違う思い方の回路を開いて、今までとは違う表現ができるようになるということ。
それこそが地上の人間の向上進化なのです。
それこそが、自分を含めた皆に、健やかなる喜びの現実をもたらしていくエネルギーなのです。

何でも構わないし、どんな些細なことでも構いません。
自分は今までの自分のこういう思い方・感じ方・こだわり・表現などを、こんなふうに切り替えた(切り替えようと思う)という作業をやってみませんか?

ほんとにどんな些細なことでも構わないので、掲示板に書けることは書いてくださいね〜。
表現することで、それまた自分や皆さんの変化を後押しするのです。

みんな大好き。
ありがとう。

調和した!


私は2日ほどは書き込みできないと思いますが、よろしくお願いします。
定例会のことも引き続きこのスレッドにお願いします。

30/11/2018(金) 11:51:51


No.19418  さいこ
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
定例会、ありがとうございました。
一部の実習は、克子さん、霊団の皆さんに見守ってもらえてると思うと心強かったし、あれこれ考えずに安心の中でエネルギーを送る事ができました。
調和した!と言うタイミングが少し難しかったです。

懇親会は皆、いつも以上にリラックスしているように感じました。
定例会が終わってから、自分の中のわだかまりが少し薄くなったように思います。

私は旦那さんから必要とされてないんじゃないかと勝手に思って、自分を守る悪い癖があります。
旦那さん以外でも職場とかで、そういう思い方で自分を守っていました。
でもしばらくして、自分のただの思い込みやと分かって反省するのですが、また同じことを繰り返していました。
定例会前くらいから、自分の思い方、守り方が間違っていたんだとはっきり認識できました。
今までも分かってたはずなのに、同じことを繰り返していました。
でも今回はやっと自分の思い方の癖やったんやなぁ、そうやって自分を守ってきたんやなぁとはっきり分かりました。
結婚当初に克子さんからのメッセージにも私の思い方の癖について書かれてあって、ぬまさんからも今まで何度もアドバイスを貰っていました。
悠々塾の仲間の皆さんからもいろいろアドバイスをもらって、気持ちを向けてもらいました。
10年かかりましたが、やっと受け入れる事が出来ました。
皆さんのお陰です。
ありがとうございました。
旦那さんとはまだよく喧嘩はしますが、もう自分を守る悪い癖とは卒業します!!


みんとさん、あきどんさん、ゆっくりお話しできなかったのが残念でしたが、久しぶりに会えて嬉しかったです。
高島合宿が懐かしいです!!


まゆみさんのいつも心のこもったお料理が美味しくて、つい食べ過ぎてしまいます。
差し入れのお料理や甘いものも美味しかったです。
ありがとうございました。
ごちそうさまでした!

Bさんの優しくて繊細で力強いエネルギーに触れさせてもらえて感動しました。
ありがとうございました。


ねねちゃん、3月にまた会えるんやね!
その時はだいぶお腹も目立ってるね!
楽しみにしています!ねねちゃん、安心して甘えたらええよ〜!!皆がついてるよ!!


ゆうきくん、サプライズの歌、感激しました!
みゆきちゃん、嬉しいね〜良かったね!

ちづちゃん、いつもゆっくりお話しできいけど、応援してるからね!大丈夫やよ!!

01/12/2018(土) 02:39:52

No.19419  みさお
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
遅くなりました。
定例会ありがとうございました。

あれから1週間、あっという間に時間がたちました。
実習で学んだ事、実践したいと思っています。

定例会、涙ぐんだり笑ったりみなさんの一芸に感心したり
充実した時間でした。

遠方から来られた方や、ねねちゃん、いつものメンバーの方に
お会いでき、ほんとうに嬉しい楽しい時間でした。
魚君にも会えたし
そしてYさんの事も思っていました。

2年、3年前になるのかな
Yさんの踊っていた姿、思い出していました…

自分の事ですが、定例会から色々思っていて
わだかまりのある相手妹のことですが、どちらが悪いとか
もうそんな問題ではなく、飛び越えていこうという気持ちが
どんどん強くなって、今度買い物に誘う事にしました。

調和した。
あのエネルギーを自分にも、まわりにも注げたらと思います。

定例会、飯沼さん さきさん まゆみさん 克子さん
みなさん、本当にありがとうございました。

玉子サンドイッチ、市販の物と思って頂きましたが
翌朝、あきえさん手作りで米粉パンと聞きびっくりしました。

私、芸もない 料理もしてないやん…
と思ってしまいますが、まゆみさん みなさんのお料理を美味しく頂き、一芸も鑑賞させて頂き幸せでした。

01/12/2018(土) 14:47:56

No.19420  やすこ
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
定例会をきっかけに?W本来の自分?Wという事についてじっくりと考える事が出来ました。

例えば喜びの中にいても、一歩前進する時は心が根っこから揺れるような気持ちになります。それはアクシデントであったり、しんどさであったり…。

そんな時は自分らしさなど分からなくなり、喜びを表現する事も難しくなります。だけど何かをキッカケに気付きがあった時、また一歩進める!と喜ぶ人でありたい。

本来の自分は喜びに向かって生きているんだから〜大切なのはそこ。一歩進めたら喜びに変わっていく。

そう思える自分に安心すればいい。すればいいのに、
自分らしくない思いに支配されると、人の目が気になる、受け入れられない理解されない事に孤独や寂しさを感じる〜いい事なんてなかった。

「自分が変わったら、これまでと違う言動をすれば必ず周りに影響する。」飯沼さんに教わった事は本当にそうでした。そんな日が来るなんてこれっぽっちも思わず、願う事もやめていた時もあるのに〜本来の自分の心を言葉にしたら、そうできた喜びで全身包まれて〜気付いたら皆んな変わってきていました。

自分の奥には喜び一杯で力強い本来の自分がいる事、たとえ凹んでも疲れてもしっかりと思っていきたい。

それには、今の自分〜自分が自分である事。そこも喜んでいこうと思う。そうしたもっと本来の自分へ近づけると気がつきました。


さいこさん
よかったですねー!グーポーズ!

みさおさんもすごい!
芸ね…どこかの掲示板で切り絵のおっちゃんがいたけどなぁ〜笑笑。

01/12/2018(土) 20:38:55

No.19421  オレンジ
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
定例会ありがとうございました!

心を開いた2部のいつもの宴会の雰囲気は日常のどこにもない、打算のないあの場にいることの喜びをめいっぱい喜んでいるベースがあるからこそ、他の場所に行った時に、人に影響を与えることができるんだろうなあと思い、ほんとにみなさんに感謝です。

いつもありがとうございます。
あの場所は悠々塾だからこその場所ですよね
みなさんに会えることがいつも喜びです

最近はお試しのように何でこうなるの?ということが定例会の前後立て続けに起こります

喜びでない気持ちはますます喜びでない現実を引き寄せ心の切り替えをもっとせねばと思えてきます。

成長するということは、変化を常に強いられていることのようにも思えてきます。

ん〜何でこうなるの?と思える喜びではないことも喜びに思える切り替えやパワーアップをして行かないとどうにもならないんだろう
なあと思えます。

知識には責任が伴う。
決して重くはないのだけれど現実についつい引きずられる自分です。
もっと解放されたいと思います。

こんな時こそ「調和した!」のオーダーですよね。
さらに喜びに心を切り替えて行きます!

01/12/2018(土) 22:17:09

No.19422  あおやま
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
定例会ありがとうございました。
あの日いつもと何処が違っていて、どう凄かったのか、いつもと同じ定例会だと受け止めていました。

ですが、職場で爆発!してしまいました。
あの日のエネルギーが影響したのかな、変わり始めているのかなと思えた出来事でした。

Bさん、みんな同じ思いです、ありがとうございます。

克子さんが亡くなった後、細々とした身の回りの品を皆に分けていただきました。
その時のペンダントをお守り代わりに大切に使っていました。
今年春、「克子さん、ありがとう。もう大丈夫」と言う思いと、この喜びの恩返しを誰かにと思ったことがありました。
そして、ねねちゃんがママになると言う報告。
ねねちゃんが着けてくれてる姿を見て、「今日のために、克子さんが私に預けてくれていたんだ」と(勝手に)思えて、守られてきた喜びと感謝、大切に使ってきた誇りと共に、ねねちゃんに無事引き継げた安堵感でいっぱいです。

克子さん、いつも一緒にいてくれてありがとう。
大好きだよー。

02/12/2018(日) 07:53:38

No.19423  みゆき
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
定例会ありがとうございました
定例会が終わってからもしばらくぼーっと、ふわふわしていました。
エネルギーに感動。
まゆみさんのお料理、みなさんの差し入れのおいしさに感動。
みなさんの芸にびっくり、楽しい、感動。
Tちゃんご夫婦に感動。
びっくり、でもほんまに嬉しかった歌のプレゼント。
感動、感動の定例会でした。
この場で学んでいること、実践していきます。

03/12/2018(月) 05:48:27

No.19424  のものも
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
芸にお困りでしたら、
誰でも出来る一発芸あります。
「タラちゃんですぅー」
声のトーンを変えるだけです。
これ、誰でも様になります(笑)

さえこさん
グーポーズのお話したかったです(笑)

。。。。

明らかに相手側の方に
誰が見ても悪い時。
ただただ文句を言って終わってた自分から卒業します。

あーだこーだ文句を言うだけ意識の使い方の自分から卒業します。

あーだこーだ文句は言うけど
調和の意識を持ちます。

03/12/2018(月) 08:58:42

No.19425  のものも
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
さいこさん、あー間違ってるー
ごめんなさい。

03/12/2018(月) 09:01:40

No.19426  春が来る
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
遅くなりましたが、定例会ありがとうございました。

12月に入りましたが、今年中に出来るだけ澱、翳りを解消して、新たな気持ちで新しい年の幕を開けようと思っているところです。

次のステージに向けて、幕間でいろいろ準備している気分です。

次のステージが喜びの舞台になるようにしようと思います!

03/12/2018(月) 09:50:35

No.19427  ちづこ
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
皆さんの書き込み、一生懸命進もうとされていて、とてもエネルギーもらっています。さいこさん、ありがとう。旦那さんとよかったです。あおやまさん、ねねちゃんへネックレス渡していた時、感動でした!!

話は変わりますが、かなり前に言ってた、「心はなぜ腰痛を選ぶのか」のレポートです。停滞してずっと書けなかったのですが、定例会の一週間前にぬまさんからメールをもらって、やっととりかかりました。この本は3部に分かれているので、3回に分けて報告しようと思っています。伝わりやすいようにと思っていたのに、文章が固くてわかりにくいかもしれません。次回はそこをもっと意識して書いてみます。よろしくお願いします。


「心はなぜ腰痛を選ぶのか サーノ博士の心身症治療プログラム」 J.E.サーノ著

第一部 心身症の心理と生理

現在、背腰部、頸部、四肢の痛みは社会に蔓延し、その患者は増え続けている。外科手術が行われたり、抗炎症薬が処方されることが多いが、原因だとされた部位には問題がなく、骨や椎間板の異常ということでは所見の説明がつかないことが多かった。背腰痛の原因は何も明らかになっていない。筆者は今までの診断、治療法の有効性に疑いをもつようになった。

腰、背中、首、肩などの痛みが発生している組織は、骨や脊髄の異常ではなく、後頭部から臀部にかけての背腰部の筋肉であることがわかった。また、痛みを訴える患者の88%に胸焼けや胃潰瘍などの胃腸障害、緊張性頭痛、偏頭痛、湿疹、頻尿など、緊張が原因で生じる症状の病歴があった。それらの痛みは緊張からくるものと考えた。緊張とは感情が生み出したものである。つまり、TMS(緊張性筋炎症候群)とその等価疾患は、感情が引き起こしたものだと考えた。

感情が生まれる世界には、意識の心と無意識の心が存在する。意識下では日常生活のあらゆるプレッシャーをうまく処理するが、こうしたプレッシャーは無意識下に不快な感情を引き起こす。心はその不快な感情を意識上に浮上しないように、身体に痛みを発症させ、そこに注意を引き付ける。つまり、本人は全く気付かない感情が無意識下にあり、それが、怒りや憤怒といった恐ろしい感情なので、脳はその憤怒が意識に上がるのを避けるために、反射的に身体に症状を引き起こして注意をそらしている。憤怒のような心理的混乱を、脳は身体の痛みで隠そうとしているのだ。このようにして心身症が発症すると考えられる。

脳に働きかけてまで、激痛やぞっとするような神経症状を身体に発生させなくてはいけない憤怒。その憤怒の原因はさまざまで、幼少期のトラウマ、性格特性(低い自尊心、完全主義、善良主義、自責心、依存心)、日常生活でのストレス、根本的な欲求(完璧でありたい、人に好かれたい、世話をしてほしい、いらだちを鎮めたい、誰にも負けない肉体がほしい、死にたくない)、不安や恐怖などがある。誰にでも一つや二つは当てはまる。日常生活にストレスや緊張を感じない人はいない。ごく普通の人々が常にストレスにさらされ、無意識下に絶え間なく怒りや憤怒を発生させている。

では、脳はどのようにしてTMSを発症させるのか。無意識下に抑圧された感情(憤怒)は、自律神経(自律神経系は中枢神経系のサブシステムで、血流などの不随意機能をコントロールする。)を異常に活性化する。すると、1000分の何秒かの間に、患部が局部的に血流不足(虚血)となり、軽度の酸素欠乏状態になる。その結果、筋肉痛や神経痛などの症状が発生する。これがほぼ間違いなく発症の原因である。超音波、マッサージ、活発な運動で、痛みが一時的に軽減するのは、これらが局部の血流量を増加させるためだと考える。つまり、TMSの治療の対象は、局部の組織ではなく脳である。この痛みは無害であり、身体でなく心を介して治療しなければならないと考えた。


わたしにもTMSあります。無意識の怒りが、脳に働きかけて痛みを出させるんですね。
第二部は心身症は身体にどう現れるか。第三部は心身症の治療です。どうやって治していくのか楽しみです。続きはまた、しばらく待ってくださいね。

03/12/2018(月) 14:05:16

No.19428  やすこ
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
ちづちゃん
難しくて読みにくい内容をまとめてもらって、助かります!

とても気になる本でしたから〜

ありがとうございます‼

プリントして旦那さんに見せますね。この長さなら読んでくれます。笑笑。

二部も三部もあるんですね!

楽しみにしています!ありがとう!

03/12/2018(月) 14:26:03

No.19429  さいこ
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
ちづちゃん、難しい本を読むのは苦手なので、わかりやすくまとめてもらって助かります。
忙しいのにありがとうございます。
私は今年になって、ギックリ腰を4回しています。
その度にぬまさんに遠隔ヒーリングで治してもらっています。

>意識の怒りが、脳に働きかけて痛みを出させるんですね。

そうなんですね…。支えるしんどさはあっても、怒りの感情はあまりないと思ってたけど、言われてみれば、怒りの感情の積み重なってるなぁ、と思い当たります。
2部3部も宜しくお願いします!!

のものもちゃん、OK牧場だよ〜ん!!(笑)
次回はゆっくりお話ししましょうね!!

03/12/2018(月) 15:30:05

No.19432  みさお
Re: 11月最後の日、スレッド更新 引用
みなさんの書き込みを読んでいたら
自分の表情が柔らかくなる、なんか力んでた力が抜けるようです。

ちづちゃん、すごいタイミング!
私はいつも腰が痛くて、まぁ仕事柄もありますが

今から友人に会うのですが、友人はヘルニアかもしれないと先日
診察されたと…

友人は、今仕事をしていなく私も「何もしてないのに何で?」
と言ってました。
腰痛はストレスが関係しているとは思っていましたが
ちづちゃんの書き込み、なるほどなぁと思いました。

今から会うので、スマホで掲示板を開き友人に伝えます!

さいちゃんも腰痛治りますように。

03/12/2018(月) 16:07:52


No.19383 飯沼正晴 ホームページ E-mail
昨日の定例会 引用

昨日の定例会に参加してくださった皆さん、お疲れさま&ありがとうございました!
参加はできなくても、お心を向けてくださった皆さん、ありがとうございました!

大勢の皆さんのご参加で、ひしめき合うようになりながらも、とても意義深く楽しく嬉しい定例会になりました!

第1部では、あらゆる生命に対する分け隔てのない無条件の祝福と感謝のエネルギーである「みんな大好き。ありがとう」と、「調和した!」のオーダーを繰り返し実習しました。

前回をはるかに上回る素晴らしいエネルギー場が形成されました!

まさに今年最後の定例会にふさわしく、これからの私たちの働きを照らすに違いない、記念すべき定例会になったと思います。

私は今も言葉に言い表せないほどの感動と喜びの中にいます!
本当にありがとう!
本当にここまで進んでくることができたと思えば、今も泣きそうになります。

2部の懇親会もいつもながらの和やかさと楽しさの中で、夜遅くまで続きました。
一芸披露してくださった皆さん、ほんとにありがとう!

何人もの方々が1品持ち寄ってくださって、どれも美味しくいただきました!

まだうまく言葉にできないのですが、皆さん本当にありがとう!

25/11/2018(日) 16:01:09


No.19384  のものも
Re: 昨日の定例会 引用
定例会ありがとうございました!
今さっき帰ってきました〜
楽しかったです!

せっかくヒーリングのやり方を教えてもらっても、
自分がもっと使えるようには、
自分の心を切り替えて、自分自身が先頭となった生き方をする事かなと思いました。

元々調和の流れの時空で出来ているのに
自我意識で変に抜きとってしまい
変にややこしくしてしまっていました。

調和の時空の流れに乗るには、
変化が起きたとき
自我意識で解決しようとせず
より大きな自分となって
溶け込んでいく、包みこんでいく。

今回の調和したは
そんなイメージでした。

またぜひお会いしましょう!

あーー風呂入ろ。。

。。。。

悠々塾から離れた人でも
掲示板だけは読んでるって人
結構いると思うんです。
それは、いつも私は感じています!
全ての人が幸せになれぃ!

25/11/2018(日) 18:20:30

No.19385  やすこ
Re: 昨日の定例会 引用
定例会ありがとうございました!

1部の実習.力み過ぎと緊張で気持ちがバラけてしまうような時がありました。でも最後に、(自分を信じて自信を持って!自分は満ちている、ただそれを押し込む)そう思い実際に手で押し込むように動かしてみました。ペアをして下さった東さんが〜前半はぐちゃぐちゃしてたけど後半は良かったよ。気持ち良かった。って言って下さったので「あ〜この感じかなぁ〜」と少しコツを掴んだ気持ちになりました。もう少し続けていたかったです!

きんもくせいさん、ゆうぞうさん、東さんありがとうございました!泣きそうになりましたよぉ〜。

9月定例会では途中に胃が痛くなって皆さんにエネルギーを送ってもらいましたが、今回は皆さんの喜びにとても反応をして嬉しい涙が沢山出ました。

娘さんの前で愛情を言葉にして伝え合ったお二人に感動しました。私は長い間旦那さんと気持ちを交わす事が出来なくて〜本当は仲良くしたいのに、大切なのに〜です。でも色んな事があっだおかげで、今は仲良しかなっ(笑)。嬉しい言葉も惜しみなく使えるようになりました。だからなんだかお二人の姿がもぉたまらなくて〜とっても幸せな気持ちを本当にありがとう!

お二人のハグに参加したくなったけど、我慢出来てよかったです。

ゆうきさんのラブソングも、みゆきちゃんの涙も綺麗だったなぁ〜。家にいる旦那さんに会いたくなりました。ウソウソ

祐造さんの歌もエーちゃんのお笑いも〜込み上げました。(笑いでなく涙でゴメンなさい)皆さんが喜びを表現されてる事全部に感動して泣けてきました。(私、泣き上戸じゃないですよー)

Bさんのセリフ。今思ったら大っきな流れの一瞬の一コマでも、その時はその時の自分の気持ちに何が何でもしがみつく自分。歯がゆいけど愛おしいような〜「なんかわからんやろうけど、大丈夫やで〜!」って言ってあげたくなりました。Bさんのセリフにシビレました!体調も万全でない中、本当にありがとうございました。

飯沼さんのお話を聞いて・・飯沼さんや皆さんとこんな嬉しい気持ちで一緒の時間を過ごせて、私は本当に幸せ!よーし!明日からまた頑張るぞぉ!何でも出来るぞー!自分らしく!って改めて思いました。

今も何を思い出しても涙が出ます。

ホープさん、ミントさん、あきどんさん!
初めてお会いしましたねー!お会いできてとっても嬉しかったです!次回はもっと沢山お話したいですっ!

長いわ、私。まぁいっか。

25/11/2018(日) 19:20:27

No.19386  みんと
Re: 昨日の定例会 引用
悠々塾に出会ってから、10年近くなりますが
高島合宿以来、初めて定例会に参加させてもらいました。

あまりの嬉しさと懐かしさで、感動が止まらず
ずーと舞い上がってた気がします。

それでも‘みんな大好きありがとう’‘調和した’を皆で共鳴し合った時には、何ともいえない荘厳なエネルギーを感じました。

それからエネルギーを与え与えられを繰り返したときまで、
ずーっと大きな大きな愛に見守られてた気がします。

今思っても、不思議な感動でいっぱいになります。

そして皆さんの本物の優しさに触れて
ありがたい気持ちでいっぱいです。なみだが出そう。

懐かしい皆さん
初めてお会いできた皆さん
もっともっとお喋りしたかったです!

真由美さん、皆さんの愛情こもったお料理の数々に
これまた感動でした。
にいさんの‘どて焼き’
噂に違わず絶品でしたね!
ちぃさん、必ず伺いますよ〜!

みんな大好き、ありがとう!
調和した!

※まゆみさん、
 お忙しい中いきなり失礼いたしました。
 やっぱり筋金入りの方向音痴です。けど真由美さんの笑顔に
 救われました〜ありがとうございました。

※ミスター&きんもくせいさん
 本当に世話になりました(空港まで送っていただきました)
 あ〜涙が止まらない〜〜

25/11/2018(日) 21:47:57

No.19387  めぐみ
Re: 昨日の定例会 引用
私も先月に続き参加できて良かったです。(交流会は都合で途中で帰りましたが)
皆さん、良くして頂いてありがとうございました。
ごはんもとてもおいしくいただきました。ありがとうございました。
一部のヒーリング中も、2部の交流会でも話を聞いていただいて、なんだかよく涙がでた日でした。(帰りの車の中でもなんだか一人わんわん泣きましたよ。)
悠々塾の掲示板を見だしたのは10年余前だったと思います。
それから、ほそぼそと見ている程度の付き合いですが、いろいろよ学ばせていただいています。
一部の飯沼さんのヒーリングのお話、私にはとても心にしみました。
私は祈ることがとても好きだな、と自分で感じていて、神社や、自分なりのパワースポットで、結構真剣に祈ることがあります。
内容は三つぐらいあって、やっぱり自分自身のこと、家族のこと。
そして恥ずかしながら、世界平和とか、日本のいう国についてよくなるように。そして全ての子どもが健やかに育つ社会でありますように。とかです。
 「調和した!」これからも祈っていきます。

25/11/2018(日) 22:31:51

No.19388  祐造
Re: 昨日の定例会 引用
飯沼さん・さきさん・まゆみさん・みなさん
定例会、おつかれさまでした。
ありがとうございました。

こんなに大人数の定例会は初めてのような気がします。
しかも、克子さんはじめ霊団の方々も含めたら、部屋に入りきれない
(けど入りきれる)ほどだったのではないでしょうか。
第1部では、おだやかななかにも精妙できっぱりした
エネルギーが満ちているような感じがしました。
僕のような敏感でない者でもそう感じるくらいだったから、
すごい定例会だったんでしょうね。
第1部で習ったエネルギーの通し方を繰り返し実践しながら、
コツというか「いい感じ」をつかんでいきたいです。


第2部では、まゆみさんのお料理の美味しさに感激!
そしてみなさんの一芸披露で楽しく笑ったり、
ほろっときたりで、とてもいい時間を過ごさせていただきました。
みなさん、ありがとうございました。
みなさんと和やかな時間を楽しませてもらったのですが、
今思うとどこか自分の殻というか膜のようなものが邪魔していたような気がして、
ほんとうはもっとみなさんのなかに溶け込んで行ければいいのにと、
次回に向けてそう思っています。

夜遅くに鼻炎が出てしんどかったのですが、
Bさんの「すっぱいドリンク」のおかげで、寝るときには治っていました。
Bさん、ありがとうございました!


そうそう、
僕が第2部で歌わせてもらった「ワルシャワ労働歌」
歌詞はこんなものでした… ↓

********************
★ ワルシャワ労働歌 ★

【作詞】ヴァツワフ・シフィエンチツキ
【作曲】グルジシャノフスキー

暴虐の雲 光をおおい
敵の嵐は 荒れくるう
ひるまず進め 我らが友よ
敵の鉄鎖をうち砕け

自由の火柱 輝かしく
頭上高く燃え立ちぬ
今や最後の闘いに
勝利の旗はひらめかん

起て はらからよ ゆけ闘いに
聖なる血にまみれよ
砦の上に我らが世界
築き固めよ勇ましく

********************
ttps://www.youtube.com/watch?v=qtslGbYKMoQ


15年ほど前に、さきさんから教えてもらった歌です。
雛形成就に向かっている今、これからに向けて、
みなさんとこの気持ちと勢いを共有したい!
って、そんな気がして歌わせていただきました。
「敵」を「かげり」に変えて歌いたいところです。



◆定例会でも多くの人がYさんを心配しておられました。
大事な仲間、Yさんにエネルギーを送ります。
Yさん。
僕はね、自分がしんどかったときにね、
「自分がそんなに悪いのか?」って気持ちにもなっていました。
自分にとって自分は普通のはずだと、誰もがそう思いたいものなのでしょうね。
「自分だってしんどいんだ! 自分だってこんなに頑張っているんだ!」
って気持ちは誰にもありますからね。

でもね、しんどいなかでも「客観的」に考えてみたんです。
飯沼さんも、事情を知るみなさんも、僕に対して意見は同じでした。
それで思ったんです。
「ひょっとしたら、自分がちょっとずれているのでは?」
「どうやら、そうみたいだ」
「だったどうしたらいいのか…」
そう思ったところから「未来」が見えました。
「客観的」とはそういうことだと思います。

しんどい時は、自分の気持ちでいっぱいです。
だからこそ、顔をあげて周りを見渡してね。
Yさんが間違っているんじゃない。
Yさんの向いている方向が違っている。
そう思うんです。
そこに気が付いて、
そこから自分を変えていくしかないのだと思います。

みんながYさんを応援しています。

25/11/2018(日) 23:05:44

No.19389  ちづこ
Re: 昨日の定例会 引用
定例会ありがとうございました。
一部の終わりギリギリに着いて、最後の共鳴から参加しました。参加したとたん、涙が溢れました。わたしも敏感でないので、やっぱり相当エネルギーがすごかったんだと思います。そして、自分の面倒くさいごちゃごちゃした思い、自分が自分を縛ってるいろいろな拘りなんて、どうでもいいんだ〜って思えました。ぬまさんが、最後にお話してくださった時も、涙が溢れました。

懇親会では、お世話になりました。娘の前、皆さんの前で、しげちゃんに愛を言葉にして表現できてよかったです。涙、涙でしたが、皆さんが応援してくださり、優しく温かく見守って下さって、本当に嬉しかったです。娘は「本当はイヤやった。」って言ってましたけど、見てくださってた方からは、「あかりちゃん、ニヤってしてたで。」と伝えてもらいました。みなさん、本当にありがとうございました。娘は翌日とーっても嬉しそうでした。

それから、みなさんの一芸とっても感動しました。どなたも本当にすごくステキで。Bさんのセリフも涙でした。思わず自分のことと重ね合わせてしまいました。Bさん、少し元気がないかな〜って思っていましたが、体調万全ではなかったんですね。お芝居は遠くてなかなか見に行けないので、今回は偶然1番前で見せてもらえて、ありがたかったです。
イッシンさんのライブ、わたしは聞けなかったのだけど、しげちゃんがすごいよかった!!って言ってました。

今回も、みやっちさん藍子さん宅に泊めていただき、夜遅くまで話しました。わたしはいつもあんなことこんなことしてしまったと後悔するクセがあるのですが、エネルギーが影響を与えるなら、後悔の方にエネルギー使いたくない、良いエネルギーを発していこう!母親としても自分に自信をもっていこう!と妙に納得しました。いつも本当にありがとう。

みんとさん、あきどんさん、ポープさんにお久しぶりに会えて嬉しかったです。みんとさんは合宿ぶりだから、かなり時がたってますが、相変わらず美人でかわいいなぁと思いました。そしてねねちゃん幸せいっぱいで嬉しかったです。さきさん、お灸ありがとうございました。
まゆみさん、お料理おいしかったです。みなさんの、差し入れもおいしかったー!今まで以上にたくさん飲んで食べました。ありがとうございました。

悠々塾に繋がらせてもらっていること、みなさんと一緒に進ませてもらっていること、ありがたく嬉しく思います。みなさん、本当に優しくて、わたしもそうありたいと思いました。ぬまさん、みなさん、ありがとうございます。定例会、今度は一部から参加したいなぁと思います。

祐造さんの書き込み、「客観的」にみる、そうやなぁと思いました。わたしも自分の思いに囚われるのでわかります。Yさん応援しています。

26/11/2018(月) 09:37:16

No.19390  藍子 ホームページ
Re: 昨日の定例会 引用
定例会ではありがとうございました。

ずっと定例会に参加していて、エネルギーを共鳴させることも、送りあうことも何度もやっているのですが、今回は一人目の方にエネルギーを送ってもらっているときにびっくりするほど涙が出ました。

何かを感じたり思ったりしたわけでもないのに、ぼろぼろと涙が出て、魂が震えているのかと思いました。
癒やすってこういうものなのかと感じました。感情や肉体をはるかに超えたところにエネルギーは響くのだと教えてもらった気がします。
で、こうして書きながら気づいたのでですが、あれは克子さんがそばに来てくれていたってことだったかもしれません。「そばに来たよ藍子ちゃん」と私に分かるようにやってくれたことかもしれません。今ふと思っただけですが。

二歳の息子連れでうるさくしてしまい申し訳なかったですが、参加できて本当にありがたく感じました。


二部では今回もたくさんの方の一芸、見られて楽しかったです。どんどん皆さんが表現する喜びを感じている気がします。前だったらみんな尻込みしているようなことが、どんどん前に出て喜びの中で出来ていて、ここ数年のBさんとの交流から始まった新しい流れがここまで連れてきてくれたんだなあと思いました。本当にみなさん素敵でした!

いつも定例会ではおひとりおひとりとゆっくりお話しできていないんですが、お会いできるだけでうれしいです。今回は私たちは新しい歌をいくつか披露できて、自分が動けば何かが生まれる、自分の中にある余白をもっと信じていこうと強く思っています。風邪ひいてしまいまたしても思うように歌えない部分もありましたが、皆さんと共にこれかもも前進したいと思います。

Bさん久々に会えて嬉しかったです。Bさんの一芸めっちゃ間近で見させていただきました。贅沢で、今でも思い返しています。ありがとうございます!!
みんとさんもあきどんさんもお会い出来てうれしかったです。お二人とも一芸最高でした!
ちづちゃん一家も来てくれて泊まってくれてありがとう。うちの次女とあかりちゃんが本当にに仲良くって、二日目はあかりちゃんも表情豊かにたくさんお話ししていて可愛かった。
おひとりおひとりにコメントしたい気分です。みなさん大好きです。

どうかこれから試練があろうと逃げ込まずに前を向けますように。そういう力を定例会で養っていると思いました。本当にありがとうございました。

26/11/2018(月) 10:36:14

No.19391  Bさん E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
私の定例会 − 気づき −

今、ここに辿り着けた自分を心から祝福したい。

帰宅後、夕刻まで稽古。
その後、飯沼クンにTEL。
話出したら、涙が止まらなくなった。

生まれ育った環境、親兄妹から注がれともに育んだ愛情、一族との差異、次から次に襲ってくる悲しみ。
五重の石塔や緑あふれる前栽、いくらツツジが満開になろうが、どんなに燦々と光が降り注ごうが、
大きな門構えの内側には、いつまでも春は訪れない悲しみを幼いながらも感じ続けていた。
受け入れてはもらえない楔を胸に打たれた青春の日を経て、演劇と出会い救いとなり、今に続く私。

幼い頃の悲しみ
若き日の飯沼クンとの出会い
母の姿
兄の想い
破断した結婚
芝居との出会い
取り戻せない母の死
夫の病
飯沼クンとの再会
悠々塾の皆さんとの出会い
父のこと
蘇った兄の心
振り払うことができなかった違和感
愛は時空を越えて
読みかけの「神からの手紙 完結編」

全てが絡み繋がり、一本の道筋が見え、大きな気づきとともに、宇宙を俯瞰できる自分がいた。
あふれ出る涙とともに、私が何者なのか、理解できた。

飯沼クンとの再会から数年が経つ。
再会が単なる再会でなく、同郷の同じ心に触れ、今ようやく大きな気づきとなった。
あー、幼い頃から求め続けていたのはこれだったのだと、ここまでの歩みは決して間違ってはいなかったのだと、
ここに辿り着くために、そのために、今までのいくつもの悲しみや苦しみがあったのかと、そう合点できた。

大きな安堵とともに、よくここまで頑張って辿り着いた己を褒めてやりたくなった。
長い道のりを、自らの存在を、魂を、祝福したくなった。よく、頑張ったねと!

帰りに立ち寄った畑は、厳しい冬を前に、まだ小さいものの、しっかりと土に根を張る野菜たちの喜びが何畝にもあふれていた。
それは、今、それぞれの個性を輝かせながら集う悠々塾の皆さんの姿でもあるように思えた。

ともに地上に降り立った兄弟姉妹たち! 大好きです!
どこまでも、どこまでも、互いに慈しみ合い、感謝とともに歩んで行きたい!

皆さんに心からの感謝と祝福を。
ありがとう!! 

ここに、大きな喜びとともに、気づきの拡がりを誓う。

26/11/2018(月) 11:46:00

No.19392  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
のものもさん、やすこさん、みんとさん、めぐみさん、祐造さん、ちづこさん、藍子さん、書き込みありがとう!

私はまだ感動が続いています。
皆さんの書き込みを読んで、さらに嬉しさがこみ上げてきます。
ほんとにありがとう!

定例会の1部の「みんな大好き。ありがとう」の共鳴の時、一時中断してお話したこととも関連しているので、祐造さんの書き込みを引用して別のラインから書きますね。

>自分にとって自分は普通のはずだと、誰もがそう思いたいものなのでしょうね。
「自分だってしんどいんだ! 自分だってこんなに頑張っているんだ!」
って気持ちは誰にもありますからね。

でもね、しんどいなかでも「客観的」に考えてみたんです。<


あの時はいきなりだったのでうまく話せませんでしたが、私が伝えたかったことは以下のようなことでした。

>「みんな大好き。ありがとう」という言葉の内実は、あらゆる生命に対する分け隔てのない無条件の祝福と感謝であり、言い換えれば“愛”です。
愛、それが生命エネルギーでもあります。

愛は、分け隔てなく無条件であるからこそ愛であり、愛に条件を付ければそれはもう愛ではなく、自我意識になってしまいます。
(もちろん地上の人間の意識はどこまで成長しても全き愛とは程遠いのですが、それで構わないのです。今までの自分からどこまでそこに近づくことができるかという、成長進化が大事なのです)

そして、「みんな大好き。ありがとう」=あらゆる生命に対する分け隔てのない無条件の祝福と感謝=愛のエネルギーこそが宇宙を統べる基調エネルギーであり、それはこの地上のあらゆるところにも瀰漫して、絶えず振動・流動しているのです。

私たち人間が「みんな大好き。ありがとう」のエネルギーを高める時、ゴム風船に空気を吹き入れるように、地上的自我意識の殻・膜が膨らんでいきます。
ゴム風船の場合は膨らみ続けると破裂するのですが、地上的自我意識の膜は膨らんでいけば限りなく薄くなって、密閉性・閉鎖性を失い、ザルの目のように透過性が高くなります。
愛のエネルギーはあらゆるところに瀰漫して、絶えず流動しているのですから、地上的自我意識の枠の内の風通しが良くなるわけです。

一応の領域を示す“境界”はあるのですが、それは周囲・環境との隔絶ではなく、全体を統べる愛・生命エネルギーと同調して溶け込んだうえでの個性(愛の一傾向)を表すものになります。

なので、「みんな大好き。ありがとう」のエネルギーを高める時に、ゴム風船のように内部の圧力を高めるのではなく、膜を薄くして膜や殻の役割を成さないぐらいに風通しを良くして、環境に開いて溶け込むような意識でやりましょう。

とはいえ、頭脳で考えてもあまり意味がないので、ちょっと意識に置いておく程度でかまいません。<

というようなことでした。

ここで祐造さんの書き込みにつなげるのですが、
地上的自我意識の枠内で意識・心を動かしていれば、まさに自我意識の中での自己納得・自己完結に終始してしまいます。
要するに自分なり、独りよがりです。

自我意識の膜がぶ厚ければすべてを自我意識で見て、自我意識で感じて、自我意識で考えることになります。
自分自身のことについても、自分の自我意識でしか見ることができないわけです。

それで、周囲からは歪みや不自然さがはっきりと見えているのに、本人は全くそうは思わないで、全く自分なりの自己納得(周囲からは自己正当化にしか見えない)を続けてしまうことになります。

「井の中の蛙、大海を知らず」という諺があります。

狭い井戸の底に棲んで、井戸の水が海だと思い、そこから見える空が全てだと思っているカエルさんと、大海を回遊しながら時には空中を飛び跳ねる魚とは海も空も違っているでしょうし、そんな魚でも空を飛ぶ鳥たちとは大きく違っているのです。

地上的自我意識という井戸に閉じこもっている人には、大空でさえ狭い井戸の穴の大きさと形にしか見えていなくて、宇宙や霊的真理もまた自我意識の中で自己完結してしまうのです。

そして、他の人からの見え方や意見などを全く受け入れることができないままに自己正当化・他者否定を繰り返すことになります。
あるいは、閉塞した自我意識で自分を否定的に見て、それに囚われて自己否定の連鎖に明け暮れる人もいます。

表現している姿は全く逆でも、どちらも同じ自我意識への埋没です。

これを読んでも、「私はそうじゃない!」と思う人と、「私はそうだから、やっぱり私は駄目なんだ…」と思う人に分かれるんじゃないかと思います(笑)
でも元は同じ自我意識です。

ハチャメチャな人や自己否定の権化のような人じゃなく、いろんなことができて整っているタイプの人でも、自我意識の膜がぶ厚くて、実は心の風通しが悪くなっている人もいるわけです。

自我意識による歪みは、多かれ少なかれ今の人間には誰にもあることですから。

自分や人に何かがもたらされたときに、自分の心や感情や言動をより健やかな喜びの方向・調和に動かしていこうとするその度合い、あるいは今まで通りの自分に留まろうとするその度合いによって、自分の自我意識の膜の厚さや圧力の強さが分かるものです。
とはいえ、それもまた自我意識で見ることになれば、“自分なり”に終始することになってしまいます。

なので、まあこの機会にちょっとは思いを巡らせながらもあまり考えすぎず、思い過ぎずに、「みんな大好き。ありがとう」のエネルギーで自分を開き、「調和した!」をオーダーしていきましょう!

心の風通しがよくなれば、自分に拘泥することなく、健やかな喜びに向かうことが自然になり、それが何より嬉しいことに感じられるようになりますからね〜。
。。。。。

Bさん、
この書き込みを送信しようとしたときにBさんの投稿が入りました。
言葉にするには重すぎるいろんな思いが巡り、しみじみとしかしダイナミックな嬉しさがこみ上げて涙が出ました。
Bさん、大好きですよ!
(別に送られてきたメールによれば、お友達も奇跡的な回復のようで、嬉しい!)

畑も見てもらえてよかったです。
あ、畑のタマネギやソラマメやエンドウはまだ小さいけど、そのほかの野菜は今年は上出来なんですよ〜。
篠山はこの秋、ものすごく雨が少ないので、ちょっと生育が遅くはなっているけど、白菜やニンジンやネギなどは周囲の畑よりも立派に育ってくれています。(うちは基本的には畝は耕耘しないで畝の間のみ耕耘する変則的な不耕起栽培なので、ダイコンは市販のもののように太く長くはなりませんが、その方が使いやすいのです。本数を多く作っています。)

>それは、今、それぞれの個性を輝かせながら集う悠々塾の皆さんの姿でもあるように思えた。<

ありがとう!
そういうふうに見てもらえたら冥利に尽きます!

それと、言葉に引っかかるわけじゃないけど、
>宇宙を俯瞰できる自分がいた<
というのは、

「普遍意識につながった状態で、Bさんが“全体”だと思う領域全体を俯瞰できるようになった(ような気がする)」というふうに読みますね〜。
つまり、地上的自我意識の膜が薄くなって、格段に風通しが良くなったということでしょうね。
(はい、理屈っぽくてスミマセン。)

26/11/2018(月) 12:01:07

No.19393  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
勝手に訂正ですが、Bさんの書き込みの
>「破断した結婚」は、
「破談した結婚(の予定)」ということだと思います。

ずっと前からBさん自身も、「破談になって本当に良かった」と言っていますが、私もそう思います。
私もうんと若い頃にその人と会ったことがあって、「あれは違うだろ?」と強烈に感じましたからね。
言えなかったけど。

26/11/2018(月) 17:02:20

No.19394  きんもくせい
Re: 昨日の定例会 引用
定例会、ありがとうございました。
今回はミントさんやあきどんさんとも久しぶりにお会いできて、とても嬉しかったです。
みなさん、以前よりうんと軽やかに素敵になられていてびっくりしました。

一部でのエネルギーの共鳴は、エネルギーとか全く分からないのですが、
自分が力むのではなく、皆さんと一つに溶けていくようなひとつらなりの中にいる感じ。
宇宙を統べるエネルギーと繋がる感じ。
そんなことをイメージしているうちに何だか全てが愛おしくてありがとう。
というような気持ちになっていました。
ペアになった人たちにエネルギーを注いでもらう時も、とても心地よくあったかい気持ちになりました。
飯沼さんの書き込みで、風船を膨らましていくと自我意識が薄くなり透過性が良くなるとのことで、さらにイメージを膨らましていきます。

二部は、またしても本当に楽しかったです。
イッシンさんのラブソング、感動しました。
ちづこちゃんご夫婦に感動しました。
Bさんの台詞は前後がなくても、何度聞いても引き込まれて感動しました。
このたびのBさんの書き込みは涙で読みました。
皆さんの一芸にも感動してばかりでした。

このところ、定例会に行くたび、楽しさ、喜びが増しています。
またしても日本酒をいっぱい飲んで、発酵が進んだ濁り酒も飲んで、みなさんと歌って。
気づいたら二度とやるまいと心に決めていたのに、またしても踊って?
ました(汗)
我ながら私でないみたいです。
東さん、いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。

悠々塾にもスピリチュアルにも全くと言っていいほど興味のなかったミスターとも同じ方向を向いていけるようになったことも嬉しいです。

みなさんと共に歩んでいきます。
飯沼さん、至らない私たちを辛抱強く導いてくださり、ありがとうございます!
これからもどうぞよろしくお願いします。

みんな大好き!ありがとう!
調和した!

26/11/2018(月) 22:07:52

No.19396  ミスター
Re: 昨日の定例会 引用
定例会ありがとうございました。
「調和した」が一種上から目線の指示である。清い水を澱んだ川下に大量に流し込む。エネルギーの押し込みという感覚、それが「オーダー」なのだという飯沼さんの説明にもの凄く納得しました。
飯沼さんが、私たちが間違って使っているエネルギーを正しつつ、私たちを導くべく発揮されている強力な「リーダーシップ」そのものであり、雛形成就のためには私たち全員が強くオーダーしてリーダーシップを身につけ、使っていかなければならない、と言われているのだと。

全ての命に分け隔てない無条件の祝福と感謝。
開会前に何気にメダカたちを観察していて、彼らの立ち泳ぎ(太刀魚みたいに立っているんでなく、沈まないように?ヒレを絶えず動かしている)
が、お尻フリフリでめちゃくちゃ可愛いことに気づき、彼らのことをずーっと思っていました。

定例会メッセージを読んで自分のことを考えていました。
「あの人がこうだから」とは別のラインで…。私には基本的にこのラインはない。
気持ちの澱をないものにしてしまうというのは大いにある。あった。

翌日、きんもくせいと一緒に母親を訪ねました。
思い出せば小さい頃から勝ち組大好きの母親に違和感を感じながらぶつかってこなかった。澱をないものにしてきた。
今で言う路上生活者を避けて通り、働かないからああなるのよ、と勝ち組の教科書のようなことを吐き捨てる。
友達を心配すると、他人のことは放っておきなさい、自分のことだけ考えればいい、と言い放つ。
私が社会に出てからも、もっと勝て。もっと勝って重役になれ。
そんな母に違和感を持っても激しく反発することはなかった。こういう人なんだと思っていた。
父親は亡くなっていますが、思い出せば息子と対等になるまで目線を下ろして話をしてくれたことがない。私に対して大人を振りかざすとまでは言わないが、自分が優位なことを語るばかりだった。父親は立派過ぎて、自分は尊敬する父親のいる世界には行けないと思っていた。

その後気づいた。母も父もかなり惨めな貧乏育ちで自分史に自信がなく、学歴や地位にしがみつくしかない人たちだったということ。
父親はもう地上を離れ、母親は認知症がかなり進行しており、議論ができないのが残念でなりません。

そういう今の私も、親の成功のおかげで苦労することなく、順調に進んできました。しかし、親と同じ価値観はなく、親にあまり毒されず、会社でも、社会においても公平公正を是とする信念を持ち続けた自分は間違っていなかった、と不遜ですが今は思っています。
会社では思い出すのも辛い苦しい時期がありました。その経験があったからこそメンタル不調に陥る部下を救い出すことは今でもあります。

この気づきに至るのに、きんもくせいの助言や働きかけに大いに助けられたことも申し添えます。

そして今回の定例会で皆様と共に学べたことを大切に自分に根付かせ、わかったなりに地上界浄化に貢献します。
Bさんとは真逆で、苦労知らずのぼんぼんに過ぎませんが、私もやっとここまで来れたのかな?これまでよく頑張ったな、と自分に言ってあげることにします。

26/11/2018(月) 22:13:28

No.19398  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
★19395のホープさんの投稿の一部に実名が書かれていたので、管理人が削除して、訂正の上で代理投稿しました。(気づいた時刻が遅かったので、ポープさんには連絡しないで訂正・代理投稿しましたが悪しからず)
。。。。。。。。。

感動と感謝の書き込みです。素晴らしい定例会でした。飯沼さんの書き込みにあるように”記念すべき”という言葉通り「さもありなん」という感じでした。
実は”この度は遅れてはならじ”と早めに家を出ましたら、一時間も早く着いてしまいましたが、始まる前にヌマさんに「何だかわからないけれど、感無量の想いがします。」と言いましたら「すごく緊張しているんです。」といわれ、「この人にして今日はそうなのか・・」と少し驚いたと同時に、それだけ並々ならぬ想いがあったのだと・・・。
この塾の働きである「霊的進化の雛形形成としての礎」を築くという目的に向かっての意欲と気迫を改めて強く感じ感動いたしました。
第一部実習でのエネルギー場形成に於いては未熟ながらも瀰漫するエネルギーに同化しようと、そして意志を持っての”調和エネルギー”放射を練習させて頂きました。

限りある地上言語で??その感じ”を伝えようとしてくれるヌマさんの優しさと本気度に思わず”ありがとう”と脱帽の思いでした。そして克子さんを通じて降ろされてくる大きな愛を感じざるを得ませんでした。
私達仲間は皆それぞれの人生を歩いてきて学びの進度も性格も想いも千差万別ながらその多種多彩の中の喜びのエネルギーの融合をもって雛形形成の働きに参加しているのだと思います。
いよいよこれからが正念場という情勢だと感じます。時は来た、との思いです。

ところで2部懇親会は最後まで居れず途中棄権(笑)致しましたが
皆さん芸達者で本当に関心致しました。楽しいひと時でした。
Bさんの台詞には思わず落涙してしまいました。9月の舞台でもそうでしたが、どうも歳と共に不覚にも涙腺が緩むことが多くなりましたが、彼女の発する台詞には理屈抜きに心に訴えかけるパワーとエネルギーがあり、不要の心の抑制を一気に突き崩されてしまいます。スゴイ人です。

悠々塾の仲間は本当に優しく素晴らしい人達だと思います。みんなと知り合えた事は私にとって何ものにも代えがたい宝だと思っています。どうか今後ともこのオッサンをよろしくお願いいたします。

飯沼さん定例会本当に有難うございました。そしてお疲れ様でした。

26/11/2018(月) 22:10:38

26/11/2018(月) 23:13:06

No.19399  しのしの
Re: 昨日の定例会 引用
こんにちは。
土曜日の定例会は、前々から出席すると宣言していたにも関わらず、また大事な定例会と知っておきながら、参加しませんでした。
仕事が立て込んでいて、疲れがたまっていたので、家でゆっくり休んでしまいました。本当にすみませんでした。
拗ねないでね。しばらくは耐えます。

26/11/2018(月) 23:48:39

No.19400  あきどん
Re: 昨日の定例会 引用
定例会ありがとうございました。

今回、みんとさんとも行こう!という気落ちがなぜか一致して
参加させていただくことができ、とても楽しく有意義な会で、とても嬉しかったです。
ほんとに沢山の皆さんが参加されてお会いできて嬉しかったのですが、後で話せると思っていたら、いつのまにか時間が立っていて、ゆっくり話せなかった方々もたくさんおられたことだけは少し残念でしたので次回はお話しさせてください!
しのしのさんとも、次回はお会いしたいです(笑)

一部で「みんな大好きありがとう」「調和した」のエネルギーを皆で共鳴させる時、飯沼さんの説明の後でやった共鳴は、ほんと、飯沼さんやさきさんがおっしゃったような、開放感のある軽やかなというようなエネルギーを自分も感じることができました。その後、数人の方々と交代でペアになり、エネルギーを通すときは、ある方は熱いエネルギーが体を通るように感じ、ある方のエネルギーはすごく爽やかな感じがしたりとか、一人一人違うんだて思いました。
自分はこの神社や公園は、なんだか気持ちいいなと感じる程度くらいしかいつもわからないような普通の人ですが、人のエネルギーも、ほんと違うなと今振り返り感じれたことに少しびっくりしてるような感じです。
克子さんのメッセージにあるように、一人一人の個性の違うエネルギーの共鳴が大切なんだなと改めて感じました。

克子さんのにこやかなお写真がテーブルにおいてあり、どの位置からも目が合い、目が合うたびほんと今日はお酌していただいているんだなとほっこりした気持ちになっていました。まゆみさんや皆さんが持ってきてくださったお料理とても美味しかったです。ありがとうございました。
皆さんの一発芸も、ほんとのびのびして、3年前の芸の披露の時よりほんとよりのびのびされているなと感じ嬉しかったです。(自分も含めて)
自分は定例会に参加はおそらく4回目くらいになり、だんだんより馴染ませていただくことができたせいもあるのではないかとは思うのですが、ひょっとしたら、あの調和したの共鳴のおかげだったのかもしれないと思ったりしています。

>実習に充てる時間は短くても、地上の制約を超える全的調和のエネルギー場が形成されることと思います。
首尾よくそのエネルギーが根付いたならば、自分を含めた皆の健やかなる調和の喜びをさらにはっきりと現実化していくことになるでしょう。
そのためにも皆さん一人一人がさらに本気になって、意識も想念も言動も健やかなる喜びベースに切り替えていってくださいね。

今回の会のエネルギーの共鳴が、克子さんのメッセージにありますように、今は分からなくても、なにか、すごく可能性の予感を感じさせていただいている今回の定例会でした。
はい、これからも喜びベースに切り替えていけるように頑張ります。
ありがとうございました。

27/11/2018(火) 09:11:06

No.19401  なみ
Re: 昨日の定例会 引用
定例会ありがとうございました。

今年最後の定例会、たくさんの方が集まられて、大好きな皆さんと一緒にこの場に自分がいさせてもらえていることが、とてもありがたく、幸せな気持ちでした。

実習では、いつもより緊張していたのか、力が入り過ぎてしまったような…。
皆さんと共鳴させたエネルギー、とても心地よく、これから使っていけるようになりたいです。

二部少しの時間でしたが、参加することができ、とっても楽しかったです。
まゆみさんのお料理、そして皆さんが持ち寄ったお料理、どれも本当に美味しくて、たくさんいただきました。

そして、ちづちゃんご夫婦、ゆうきくんの愛情を伝える場面に感動して、胸がいっぱいになりました。
表現することって素敵だな、大切だなと改めて教えてもらったような気がして、できていない自分を反省しながら、ちからをいただきました。
そのおかげで、なかなか言えなかった「ありがとう、大好き」という言葉を昨日やっと父に伝えることができました。

ISSINさんの歌、久しぶりに聞くことができて、嬉しかったです。
今回歌ってくれた「花」という曲、大好きな曲です。
12年前かな、私が初めて定例会に参加させてもらったときに初めて聞いた曲です。
そのときのことが一気によみがえってきて、込み上げるものがありました。
あれからいろいろなことがあって、きっと生きる力を失っていただろうと思う自分が、今こんな幸せな気持ちでこの曲を聞いていることを思うと、感謝でいっぱいになって涙が出そうになりました。

飯沼さん、さきさんを初め、悠々塾の皆さんとつながったおかげで今の自分があること、こころから感謝しています。


皆さんの一芸、見たかったです。
ずっとこのままいたいなと思いながら、皆さんにご挨拶もできず、失礼させていただきました。
皆さんが言われているBさんの台詞も聞くことができなくて残念でした。(Bさんの投稿、私も涙しました。心が圧倒されて、言葉にできない感覚になりました。)

今回みんとさんとは初めて、あきどんさん、ホープさんとは久しぶりにお会いできて嬉しかったです。
またゆっくりとお話しできたら嬉しいです。

飯沼さん、祐造さんのお話で、ぼんやりしていた自我意識のイメージがはっきりしてきました。
心の風通し、よくしていきます。

皆さん、本当にありがとうございました。

27/11/2018(火) 11:24:28

No.19402  さき
Re: 昨日の定例会 引用
ぬまさん、まゆみさん、皆さん
定例会お疲れ様でした
みんとさん、あきどんさんもお会いできてうれしかったです
皆さんありがとうございました!

すごいエネルギー場になってたんだと
皆さんの投稿を読んでじわじわと実感しています


>今回の地上界の浄化とは、閉塞した地上的自我の圧力によって縮こまり歪んだ感情の層を、普遍の喜びに解放することが大きなテーマです。
それさえできれば、感情の領域から理性の歪みも解放していくことができるのです。
なぜならば、多くの人間にとって感情というものは理性よりも実体感があり、喜びとして実感しやすいからです。<

愛は時空を、、にあってハッとした部分です。
皆さんの投稿を読んで、この場はまさにそうなっているのだと思いました。
この場につながる一人一人が、地上の人間にとってはどうしようもなく動かしにくい感情の層を、普遍の喜びに解放しようとしている。
みんなのそのエネルギーが共鳴している。
そんな地上の人間にしかできない雛型になりつつあるのだと思います。
(地上人類初!)
ぬまさんの働きあってこそです。ありがとう。

最初にみんなで共鳴した時に、途中ぬまさんから話があっての二度目の共鳴で明らかにエネルギーが変ったのを感じました。

感情も理性もこえて、魂は知っている。
みんな大好き、ありがとう。

調和した!

27/11/2018(火) 12:03:07

No.19403  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
きんもくせいさん、ミスター、ホープさん、しのしのさん、あきどんさん、なみさん、さきさん、書き込みありがとう!

皆さんの力強い書き込みに、今回の定例会の凄さを再確認しています。

こう書けば、これから書き込みしようとしている人にはプレッシャーになるかもしれませんが、人に合わせる必要もないので、ありのままに自由に書いてくださいね〜。
誰かさんみたいに(しのしのさんですが・笑)、今回は参加すると言いながら家で寝てた不届者もいるんですから、大丈夫です(笑)
しかも「拗ねないでね」って、そりゃ拗ねるだろう?(拗ねるのかい・笑)

今回は南九州からミントさんとあきどんさんが駆けつけてくれて、とっても嬉しかったのですが、私はかなり驚きもしました。
お二人とも数年ぶりに会ったのに、なんだか若返っているように感じたのです。
(あきどんさんなんて、20年ぐらい前に初めて会った時よりも若々しく感じたし。)

これはあきどんさんとミントさんだけじゃなくて、しょっちゅう会っている人は気づかないだけで、実は皆さん地上の年齢よりも若く見えるんだと思いました。(まあ、私は例外として・笑)

久しぶりに会ったあきどんさんは可愛らしさが表情に満ちていましたし、ミントさんは数年前に大きな手術をしているのに、数年前に高島で会った時よりもさらに溌溂としたエネルギーを発散しておられました。

霊界では意識にふさわしい姿を表現しているそうで、たいていは壮年期の姿で生きているそうです。

地上の人間も霊的エネルギーが活性化してくれば、それなりの若さを維持して生きることになるということかもしれませんね。


さて、話を戻して、お一人お一人の書き込みに返信したい思いは山々なんですが、そうはできそうにありません。
どうぞご容赦くださいね〜。

私がお伝えしたい部分をピックアップして書き込みしていきますね。

というところで、ホープさん、
>始まる前にヌマさんに「何だかわからないけれど、感無量の想いがします。」と言いましたら「すごく緊張しているんです。」といわれ、「この人にして今日はそうなのか・・」と少し驚いたと同時に、それだけ並々ならぬ想いがあったのだと・・・。<

そうなんですよ。
始まる前はかなり緊張していました。
だって、前回の定例会の翌朝にはあの謎の魚クンが出現したわけですから。
あれはまだ小さな魚でしたが、今回もしもウナギかなんかが出現したら、飼うか食べるかでもの凄い葛藤があると思うと緊張せずにはいられませんよね(笑)

しかしそれも杞憂に終わり、今回は目に見えるものは何も出現していませんが、その代わりにもの凄いエネルギー場が出現したと思います。(家で寝てたしのしのさんのエネルギーも含まれているはずだから、拗ねないでね〜・笑)

私個人としても、さらなる喜びに解放される定例会になりました。
これはきんもくせいさんと東クンのダンスを見せてもらったからかもしれません!(なわけないだろ・笑)

懇親会の始まる時に、私は珍しく胃が痛くなってしまいました。
自己ヒーリングしても治らなくて、「今まで自分が受け入れられない人間だと思ってきた澱が排出されている」ということだけは分かりました。
それを横に座っていたBさんに言うと、「皆さんに言って泣いたら治るよ」と言われ、号泣するのが嫌だったのですが渋々というか恐る恐る皆さんに聞いていただきました。
そしたらほんとにウソのように治ってしまいました!

私はずっと人並み・世間並みのことができない人間で、普通の人間になることが自分の目標のような時期が続きました。
でも、そういうことにはやはりあまり関心が持てなくて、結局は「自分には普通のことすらできない。そんな自分だから、人に受け入れてはもらえるはずがない」という思いばかりが蓄積してきたのだと思います。

この働きを始めてからも、スピ系の人たちからの大バッシングや、学びの仲間からも些細な感情の歪みを自己増幅して手のひらを反すように全否定されることが度々あって、「やはり自分は受け入れてもらえないんだ」という思いを自分の心の底に沈めこめることを続けてきたのだと思います。(今にして思えば、もちろん私の至らなさもあったわけですが)

そういう私なので、仲間たちに対してもどこか警戒心というか、離反されたときに自分が大きく傷つかないように、どこかで心の予防線を張っていたのでしょう。
完全に信じ切っていたあきら&ひとみさんが、鉄ママの件を理由にして(本当はその頃に浮き上がってきていた彼ら自身の課題から逃れるためだったと思いますが)全否定=遮断・断絶されたときは、表向きは平静を装いながらも2日間ほどは味覚を失いましたから。
まあ、こういう小心者なのです(笑)
(私は罵倒されたりするのはあまり気にならないのですが、無視や遮断や断絶は苦手です。一度つながった心をどうして断絶することができるのか、分からないのです。一度つながった心を無理やり遮断・断絶するには本当はもの凄い不調和のエネルギーを生じるので、その逆行するエネルギーにも傷つくのだと思います)

でも、今回の定例会で形成されたエネルギー場を実感して、そういう臆病な思いも払しょくされました。
「私は私で良かったんだ」と、心の底から思えました。

今回の定例会は私個人にとっても解放の定例会、本来の自分への回帰の喜びの定例会になりました。
(と、ここまで書いたら、またちょっと胃が痛くなってきましたが大丈夫です・笑)

本当に、みんな大好き、ありがとう、です!

☆ミスター
>「調和した」が一種上から目線の指示である。清い水を澱んだ川下に大量に流し込む。エネルギーの押し込みという感覚、それが「オーダー」なのだという飯沼さんの説明にもの凄く納得しました。
飯沼さんが、私たちが間違って使っているエネルギーを正しつつ、私たちを導くべく発揮されている強力な「リーダーシップ」そのものであり、雛形成就のためには私たち全員が強くオーダーしてリーダーシップを身につけ、使っていかなければならない、と言われているのだと。<

はい。
あの時の皆さんのエネルギーは間違っているなんてのとは真逆で、素晴らしいものでした。
なので、つい欲が出て、中断してああいう話をさせていただきました。
(もともとエネルギーには間違いというものはないわけですが)

そして「調和した!」のオーダーのことを話している時は、「たとえ皆さんが思っているよりも早く私が地上を離れたとしても、このエネルギー、このオーダーを続けていってほしい。皆さん自身で道を切り拓いていってほしい」という思いがこみ上げてきていました。

あの時は時間の関係もあって話さなかったことをここで補足しておきますね。

個人にであれ何に向けてであれ、「調和した!」というオーダーをするのは、その場が不調和を抱えているからです。
そういう状態の場でオーダーを通すには、パワーというか発信力が必要です。

譬えて言えば、自分がお客として入った食堂で、そこの従業員たちがゴチャゴチャ揉めていて、お客に意識を向けず、むしろ反発さえ見せる状況だったらどうでしょう?

そんな店からはすぐに出ていけばいいとも言えますが、それでも自分はどうしてもその店で食事をしたいと思えば、普通の声で料理をオーダーしても従業員には伝わりません。
「私の注文を聞いてください」と遠慮がちに言っても聞く気もなさそうです。
さりとて、「静かにしないと注文が聞こえないだろう! さっさと本来の業務状態に戻りなさい。私は客だ!」なんて言えば、さらに混乱が大きくなりそうです。

そういう場合は、相手方が本来の状態を思い出してそこに戻ることを信じ切って、そこに戻れるようなパワーを込めた声で、料理を注文するのが一番有効なのだと思います。(有効というのは結果であって、本当は意識エネルギーの表現による、その場における現象の変化ですが)
否定も批判も遠慮も威圧もしないで、こちらが強い発信力でオーダーし続けることで、揉めている従業員たちもやがては一人また一人と、本来のありように戻ることができるのだと思います。

なぜならば、現状がいかに不調和であっても、宇宙はすでに神の愛に抱かれて全き調和状態なのですし、個々人がそれを分かっていなくても、生命としてその場に存在している限り本当は誰もが健やかなる調和の喜びを求めているからです。

27/11/2018(火) 12:44:48

No.19404  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
あ、あきどんさん、

>今回、みんとさんとも行こう!という気落ちがなぜか一致して<

気落ちが一致してあのエネルギー・楽しさだったら、気落ちせずに気乗りして参加してくれたらもっと凄いんでしょうね〜(笑)
楽しみにしていますよ〜

27/11/2018(火) 14:45:29

No.19405  あきどん
Re: 昨日の定例会 引用
あらら、気落ち、になってる〜
もちろん書き間違いですよー
気持ちです! ノリノリの参加でしたよー(笑)

27/11/2018(火) 15:00:29

No.19406  ミスター
Re: 昨日の定例会 引用
飯沼さん
私の書き込みへの解説として、またまたとてもわかりやすい表現でありがとうございます。
「間違ったエネルギーを使っている私たち」と言いましたのは、あの場のことではなく、普段の地上的な感情に引きずられる私たち、という意味です。
あの場の皆さんの清い思いはもちろん、素晴らしかった。

食堂の例え。
混沌の中でオーダーを通すにはパワー、発信力が必要。
否定も、批判も、遠慮も、威圧もない発信力。そうすれば一人一人の憤りや怒りが順番にとけて、元の状態に戻る。戻ることになっている。全てが調和する。

この発信力。
相手を否定するのでなく、批判するのでもなく、威圧するのでもなく、遠慮せずに、清い水のようなエネルギーを一気に流し込む。

飯沼さんが地上を離れることまで考えておられたとはよもや思いませんでしたが、私はあの時の飯沼さんに静かな口調の中で、もの凄い迫力を感じました。
「ここやねん!聞いてくれ!」と。
聞いてますよ。

どうか私たちに警戒心など持たないでいただきたいです。
厳しさがあれば離反は不可避だと思います。

食堂でなんて注文しましょう?
関西弁で「お兄さん、取り込み中悪いけど、腹減ったわあ。ここの名物のオムライスしてくれる〜?」くらいでどうでしょう。

27/11/2018(火) 22:18:20

No.19407  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
はーい、あきどんさん、わかってますよ〜。

ミスター、
>「間違ったエネルギーを使っている私たち」と言いましたのは、あの場のことではなく、普段の地上的な感情に引きずられる私たち、という意味です。<

たぶんそうだと思ってましたが、一応念のために。

>飯沼さんが地上を離れることまで考えておられたとはよもや思いませんでしたが、私はあの時の飯沼さんに静かな口調の中で、もの凄い迫力を感じました。
「ここやねん!聞いてくれ!」と。<

なんだかそういう感じでしたね。
その直前に、素晴らしい仲間たちによって、あのエネルギー場が形成されたことで高揚感やある種の達成感もありました。
一人一人を見れば、まだまだいろんな重いものを抱えている人が多いのに、それなのにあのエネルギー場を形成できること(この仲間たち)に感激していました。
これこそが悠々塾の真骨頂だと。

まあ、私が地上を離れることを考えていたわけではなく、もしもそういうことがあってもこの働きを続けていってくださいよという程度の感じでしたが。

私は43歳の克を見送っているので、人間なんてほんとにいつ地上を離れることになってもおかしくないという思いがベースになってるみたいですね。
でも克と違って、私なんぞは光の霊界にストレートに行けるかどうかも分からないので、もう少し地上でポイントを稼いでからにしたいものです(笑)

>どうか私たちに警戒心など持たないでいただきたいです。
厳しさがあれば離反は不可避だと思います。<

はい。
お蔭さまで、もう大丈夫です。
ビジョンの違いや手法の違いや感性の違いなどで、袂を分かつことそのものは仕方がないというか、むしろ多様な選択として肯定的に受け入れることができます。
ただ、無視や遮断が苦手なだけで・・・。

>関西弁で「お兄さん、取り込み中悪いけど、腹減ったわあ。ここの名物のオムライスしてくれる〜?」くらいでどうでしょう。<

これは長すぎるでしょ?(笑)
関西弁よりも三河弁で簡潔に、「うな重、一丁!」かな?(何の話だ?)

28/11/2018(水) 00:34:58

No.19408  お母ちゃんの娘
Re: 昨日の定例会 引用
数年ぶりの投稿です。
克子の下の娘の和音(通称ねね)です。

先日さきちゃんに『掲示板見てる?たまには見なよ〜』と言われ、数年ぶりに開きました(笑)
妊娠おめでとうメッセージありがとうございます!

ぬまの即報告の通り現在妊娠中でして、毎日ただ家でぼーーーっと過ごす日々です。
家にひきこもっているので、人と関わろうと思い(笑)久しぶりに定例会に参加しました。
懐かしい人やいつものほっとする方々に会えて、嬉しかったです(*´꒳`*)
たくさんの『おめでとう』にも元気をもらいました。

初めての妊娠で不安もたくさんありますが、色んなことに喜びを感じています。
3月の定例会の時期に2週間ほど篠山に転がり込む予定なので、また皆さんと3月にお会いできたら嬉しいです。
その頃にはお腹もだいぶ大きくなってるかな〜!

28/11/2018(水) 01:16:56

No.19409  さき
Re: 昨日の定例会 引用
ねねちゃん
お母さんになったね
幸せそうなねねちゃんを見てたらそれだけで嬉しくなります
喜びのおすそ分けをもらっているよ

おめでとう。
お腹の赤ちゃんにもみんなの喜びが伝わってますね。
これからますますお母さんの顔になっていくんだろうなー
先輩ママがたくさんいるから不安なことは何でも聞きなよー
今度はお腹の大きくなったねねちゃんに会えるのを楽しみにしています

しつこいですが
食物繊維もたくさん摂ってねー

28/11/2018(水) 08:50:17

No.19410  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
ねね、さきさん、書き込みありがとう!

何だか、ねねも大人になってきたなぁ・・・。
しみじみ、そう思います。

そして、相手を思いやる気持ちがあれば幸せになれるってことを再確認してますよ〜。

いろんな意味で、おめでとう!

さきさんが言うように、食物繊維をたくさん食べるんだよ〜!
。。。。

昨日、さきさんと少し話して、やはり今回の定例会のエネルギーは凄くて、それが皆さんの書き込みにも反映しているということで意見が一致しました。

何だか今までと書き込みのエネルギーが違っていて、さきさんでさえも圧倒されて書きにくくなってしまったとも言っていました。

地上的自我の膜が薄くなり、透過性が高まったのでしょう。
そうなればまさに「自分が何者であるのか」が分かってくるのです。
顕在意識では分からなくても、潜在意識のところから思い出し始めて、地上的自我の縛りから解放され、さらに喜びが広がっていくのです。

とはいえ、皆が同時にそうなるわけでもなく、全くそれで構わないのです。
違っているからこそ、多様であるからこそ、大きく融合すればものすごいエネルギーになるのです。

大事なことは、自分の意識や想念を凝集させようとしないで、開いていこうとすることです。
その方向性で言動していけば、想念や意識の解放も早まります。

そして、今の自分がなかなかそうできなくても、そういう自分を否定しないこと。
もちろん、今の自分を肯定したらいいのですが、その場合も今の自分に留まろうとしないことです。

意識が解放されたら、言動もさらなる喜びに広がっていきます。
言動を今まで通りに留め、固定化することは、地上的自我意識の膜を分厚くして密閉性(閉鎖性)を高めることになってしまいます。

普遍領域のエネルギーは絶えず振動・流動しながら、さらなる喜びへの進化を促しています。
さらなる喜びへの進化こそが普遍領域のエネルギーの本質、神の御心であるのです。

その喜びの波動との同調度が高まれば、つまり地上的自我意識の枠の風通しが良くなれば、あらゆることがさらなる喜びに変化していくのです。

定例会に参加したかどうかに拘わらず、せっかくあのエネルギー場を形成し、自らもあのエネルギーに触れたのですから、自分を開いて表現していきましょうね〜!

28/11/2018(水) 11:33:19

No.19411  のものも
Re: 昨日の定例会 引用
私は定例会が終わってから、
自分が、前より外枠にいるような気がしてなりません。
変かしら。。変ですよねーー(笑)
でも本当に。

外枠から世界を見ているような気がします。
他人の自我意識と自我意識の会話は
聞いてて、ちょっと面白いです(笑)
自分の殻を薄くして風通しを良くします。

28/11/2018(水) 13:08:40

No.19412  まゆみ
Re: 昨日の定例会 引用
定例会お疲れさまでした。ありがとうございました。
みなさんの軽やかな書き込みに感動してます。
すごい場ができているんだと思うと「ぼやーとしてるんじゃねえよ」と自分に活を入れたくなります。

「調和した!」のエネルギー、一部での話でもよくわかりましたが、ミスターさんとぬまさんの書き込みのやり取りでそういうことなんだと改めて思いました。
どんな場面でも「調和した!」のエネルギーで、大きな調和に向けて発信して行きます。

懇談会ではたくさん持ち寄っていただきありがとうございました。ご馳走がたくさん並んで感激です。
お一人お一人にちゃんとお礼が言えないままですみません。
感動しながらおいしくいただきました。
ありがとうございました!

みんとさん、あきどんさん、遠方からお疲れさまでした。
お会いできて、そしてあたたかいエネルギーに触れさせてもらい嬉しかったです。

ねねちゃん、楽しみをありがとう!

Yさん、いつも気にかけてくれててありがとう。
心を動かしていきます。
一緒に喜びを広げていきましょうね!

みんな大好き!ありがとう!
調和した!

28/11/2018(水) 15:32:11

No.19413  あきえ
Re: 昨日の定例会 引用
定例会ありがとうございました。

定例会の場はとても心地よくて、幸せな気持ちでいました。
「みんな大好き。ありがとう。」の愛のエネルギーが一杯で、すごいエネルギーの場になっていたのですね。
こうして定例会の場に集わせていただけることが、とても嬉しく、有難いことだと感謝しています。
飯沼さん、さきさん、皆さん、本当にありがとうございます。

藍子ちゃんが“花”を歌ってくれて、この“花”という曲は、とっても好きで、CDでよく聞いていました。
初めて定例会の2部に参加させてもらったときに、イッシンさんのミニコンサートが終わって、飯沼さんが「岡山の人のために“花”を歌って」と言ってくださって、歌ってくれました。
大好きな曲を目の前で歌ってもらえて、嬉しくて涙が出ました。
心から癒されて帰ったのをよく覚えています。

そのときのことが瞬時によみがえってきたのですが、あれから長い年月がたったのか、ついこの間のことなのかちょっと戸惑ってしまいました。
とても幸せな気持ちで聞かせてもらって嬉しかったです。ありがとうございました。

あきどんさん、みんとさん、めぐみさん、ねねちゃんにもお会いできて、少しですがお話しできて、嬉しかったです。
私も、3月にはお腹の大きくなったねねちゃんに会えるのを楽しみにしています。

地上的自我意識の膜を少しでも薄くして、飯沼さんの言われるように、ちょっとは思いを巡らせながらも余り考え過ぎず、思い過ぎずに「みんな大好き。ありがとう。」のエネルギーを高めていきたいと思っています。

みんな大好き。ありがとう。
調和した!

29/11/2018(木) 11:16:39

No.19414  和也&久美
Re: 昨日の定例会 引用
先日の定例会ではありがとうございました。
今までにないほどたくさんの人が集まって、本当に活気のある賑やかな定例会でした。
エネルギーについてはまったく分からないのですが、それでも皆さんの強い思い、意気込みを強く感じました。

実習では「エネルギーを感じなくていい」という飯沼さんの説明もあり、体感はできなくても「送ること(押し込むように)」に集中できたのですが 、その前段の「自分の中のエネルギーを高める(膨らませる)」という部分がイメージしにくかったので 、これから自宅でも練習していこうと思っています。
今回の定例会や掲示板のメッセージなどを振り返って、自分がもっと喜びや調和に向かえるよう、自我意識が薄くなるよう努力していこうと思いました。

二部では皆さんの一芸が見られましたし、また色々お話しができて良かったです。
ISSINさんのライブをたまたま超至近距離から観ることができたので、全身に演奏や歌声が響いてとても感動の時間でした。
ありがとうございました。

                            和也

定例会ありがとうございました。
緊張していたのですが、みなさんにお会いして、みなさんの笑顔に元気をもらいました。
久しぶりにあきどんさん、みんとさんのお顔も見れて嬉しかったです。
めぐみさんともまた会えて嬉しかったです。

1部では、最初にエネルギーを皆さんと共鳴させた時、みぞおちの辺りから何かが抜けて行くような感じがして、咳が出ました。
ペアになった人たちにエネルギーを注いでもらった時は、身体が熱くなり、言葉ではうまく説明できないのですが大きな愛?(癒し?)のようなものを感じて涙が止まりませんでした。
そして、最後にみなさんと「調和した」の共鳴をした時は、右耳で血の巡りの関係で音がするようなグアングアンという音がして、すぐに小さくなっていきました。
家に帰ってから、風邪を引いたのか身体がものすごく寒くなって、布団に入ったら急に熱くなって、翌朝は喉が痛かったのですが、お昼頃には良くなりました。
みなさんのエネルギーで排出させてもらったのかな?と思いました。

2部では、みなさんの楽しい一芸だったり、ご夫婦愛だったり、イッシンさんの歌だったり、見ている皆さん共々、大きな喜びや優しさがあふれているように感じました。
みなさんとお話していても、根底にある優しさが伝わって来ました。
私もみなさんのようになれたらと思いました。
まゆみさんのお料理もみなさんからの差し入れもすごく美味しかったです。
ありがとうございました。

私もYさんを応援しています。

                            久美

30/11/2018(金) 03:19:36

No.19415  エーチャン
Re: 昨日の定例会 引用
定例会、ありがとうございました。お礼が遅くなり、本当に申し訳ありません。

一部、二部を通して、感動、感動、また感動で、今もその高揚感が残っています。

こういう風にしか表現できないのですが、ともかく一部から遅れずに参加できて本当によかったと思います。

個人的には、一昨日に専業主夫卒業宣言を家族にしました。宣言というほどかっこよくないし、また波風もちょっと立ちましたが、でもよかったと思っています。お金ではない、正しく、つまり魂の意志に従って生きていれば、お金は必ずあとから付いてくる、そこの優先順位を誤れば、とんでもない事になるということだと確信しています。

30/11/2018(金) 08:49:29

No.19416  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 昨日の定例会 引用
まゆみさん、あきえさん、和也&久美さん、エーちゃん、書き込みありがとう!

嬉しいですよ〜!

今回の定例会では「エネルギーを共鳴させている時や注ぎあっている時に涙が出た」という人がかなりおられたようです。
めぐみさんのように、「帰りの車の中でもなんだか一人わんわん泣きましたよ。」という人もおられます。

今までよりもさらに本来の自分らしくあることに喜びを感じて、それを表現せずにはいられなくなった人もおられます。

やはりもの凄いエネルギー場が形成されたのだと思います。

参加してくださった皆さん、参加できなくても心を向けてくださった皆さん、参加すると言ってたのに家で寝てた皆さん(一人しかいないけど・笑)、ほんとにありがとう!

あんなに凄いエネルギー場が形成されたということは、つながる人たちにさまざまに作用するはずなので、排出が進む人もいるでしょうし、その前段階として地上的自我の澱が浮き上がる人もいるでしょう。

もちろん、今のところ何の変化もなくて、文字通り「今まで通り」の人もいるでしょうが、気にする必要はありません。

すでにあのエネルギー場が形成されたのですから、つながっている限り必ず健やかな喜びに進んでいくことになります!

でも、地上的自我減への囚われを意識的に解消・解放していこうとすれば、健やかなる喜びへの切り替えがさらに速やかに進み、現実化していくのです。

でもせっかくの機会ですから、潜在意識に染み付いている(自分にとっては当たり前になっている)、「今まで通り」の思い方・感じ方・こだわり・言動での表し方(表現・言動では表さないということも表現そのものです)を少しでも実際に切り替えてみませんか?

その方が今までよりもはるかに本来の自分らしく生きていくことができるのですし、本来の自分らしい喜びや幸せを現実化するのです。

些細なことにこだわって、それを受け入れられず、許しがたく、グジグジ言ってる(思っている)自分。
それを自分の喜びにしている自分。

何かあればすぐに心を閉ざし、あるいは誰かのせい・自分のせいにして、今まで通りの自分でいつづけようとする自分。
それを自分の喜びにしている自分。

いくらそういう自分に慣れてきたとしても、自分ではそれが自分らしさだと思い込んでいるとしても、そんなものが本来の自分ではないのです。

自他に健やかなる喜びをもたらす方向で、今までとは違う思い方の回路を開いて、今までとは違う表現ができるようになるということ。
それこそが地上の人間の向上進化なのです。

何でも構わないし、どんな些細なことでも構いません。
自分は今までの自分のこういう思い方・感じ方・こだわり・表現などを、こんなふうに切り替えた(切り替えようと思う)という作業をやってみませんか?

ほんとにどんな些細なことでも構わないので、掲示板に書けることは書いてくださいね〜。
表現することで、それまた自分や皆さんの変化を後押しするのです。

私は2日ほどは書き込みできないと思いますが、よろしくお願いします。

30/11/2018(金) 11:36:51


No.19376 飯沼正晴 ホームページ E-mail
☆2018年11月定例会に向けてのメッセージ 引用

☆2018年11月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

今年最後の定例会の今日、ここにお集まりの皆さん、参加することはできなくても心を向けてくださる皆さんに、霊界からの感謝と祝福をお伝えいたします。

本日ここにこれだけの皆さんが集ってくださっていることそのものが、すでに奇跡であり希望です。
皆さん方お一人お一人の力によって、皆さんの魂が希求する喜びのエネルギーによって、悠々塾が担う雛型成就の役割をここまで進めることができました。
皆さん方にはまだ実感が湧かないかもしれませんが、やがてはっきりと分かる時がくるでしょう。

それぞれの方がさまざまに重いもの・苦しいものを背負いながら、それでも悠々塾というつながりの場のエネルギーをここまで成長させてくださったのです。
それは一人一人の今までや現状がどうであれ、この場への心を離さずにつながっていてくださったからこそのものです。

比較的スムーズに向上進化を続けている人もいれば、今も地上ならではの重い自我意識を抱えたままの人もおられます。
まだまだ自分に向き合えていない人もいます。
人から自分がどう見られるかを気にするあまり、違う自分を演じるクセが付いている人や、演じている自分が人からどう見えているかに自分が気づかなくなってしまっている人、演じていることすら意識できなくなってしまっている人もおられます。

それでも悠々塾の今があるのは、皆さん方がこの場への心を離さずに、つながってきてくださったからこそのものです。
悠々塾につながるお一人お一人が牽引し、下支えしてくださってきたからこそ、この悠々塾の今があるのです。

地上での働きの真っ只中に一足先に霊界に戻り、霊界からこの働きに参画させていただいてきた者として、重ねて感謝申し上げます。

地上時代の私と親しくしてくださった人たちにも、地上の私をご存知ではない方々にも、今日はお一人お一人のお傍近くに行って、祝福と感謝のエネルギーを注がせていただきます。

「調和した」のエネルギーを注ぎ合う時には、もちろん私も参加させていただきます。
普段も私だけではないのですが、今回は霊界側からも特に強力にサポートさせていただくことになっています。
実習に充てる時間は短くても、地上の制約を超える全的調和のエネルギー場が形成されることと思います。

首尾よくそのエネルギーが根付いたならば、自分を含めた皆の健やかなる調和の喜びをさらにはっきりと現実化していくことになるでしょう。
そのためにも皆さん一人一人がさらに本気になって、意識も想念も言動も健やかなる喜びベースに切り替えていってくださいね。
第1部では、緊張しないで和やかに集中していただきたく思います。

懇親会はいつも通り、どうぞ自由に楽しくお過ごしください。
一芸披露やフリートークで、自分を表現する喜びも味わってくださいますように。
発するから大きく深くつながることができるのです。


【実習】
今回も、「調和した」という言葉・意識によって調和(状態)をオーダーするエネルギーを共鳴し、その回路を開いていただきます。
・「みんな大好き。ありがとう」を皆で共鳴させる。
・「調和した」のオーダーを皆で共鳴させる。
・飯沼とさきさんによる説明のあと、2人一組になってエネルギーを注ぎ合う。(何度か相方を替えながらひたすらそのエネルギーを注ぎあう。休憩が必要になった人は個人的に適宜とる。)
・最後に皆で、「みんな大好き。ありがとう」と「調和した」を共鳴させる。

22/11/2018(木) 20:50:39


No.19377  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆2018年11月定例会に向けてのメッセージ 引用
◆参考のために、9月定例会へのメッセージも再掲載します。


☆2018年9月定例会に向けてのメッセージ

皆さん、こんにちは。
克子です。

今回は、「調和した」という言葉・意識によって調和(状態)をオーダーするエネルギーを共鳴し、その回路を開いていただきます。

宇宙のすべては大いなる神の顕れですから、本当はすでに完全なる調和状態です。
しかしながら、それは進化向上というさらなる喜びへの変化に基づく調和です。
ですから、進化向上という流れを喜びとして意識に織り込めていない者たちにとっては、進化向上の過程にすぎないさまざまな現象・事象が「調和への道筋」には思えないものです。
つまり不調和は人間の側が作っているのです。

いかに苦しい人生であっても、地上を離れて、地上的自我を霊としての意識に昇華すれば、誰もが自分の地上人生に心から納得するというのはそういうことです。
幽界や暗黒界に行った者は別ですが、幽界や暗黒界もまた“棲み分け”という調和の一面でもあるのです。

霊界と地上界のさまざまな不調和や、個々の人生におけるさまざまな不調和は、凝集や独占や不正や諍いや病や悩みや不安や怖れや寂しさ等々として現象化し、まっとうな人間には喜びとはほど遠いものとして認識されます。
しかし、それらすべても進化の喜びの過程における現象に過ぎないのです。
人間には到底喜びだとは思えない現象の全ても、すでに進化(の過程)の喜びとして宇宙の全き調和に組み込まれているのです。

こうお伝えしてもすんなりと理解はできないかもしれませんが、今はそれで構いません。
顕在意識による認識がどうであれ、潜在意識の大元である魂はそれを知っているからです。

「調和した」というオーダーはあらゆる面に作用して、本来の「全ては大きな一つ」への同調・融合を促します。


「みんな大好き。ありがとう」という、存在するものすべてに対する分け隔てのない無条件の祝福と感謝の意識・エネルギーは、「調和した」という喜びのオーダーの前提でもあり、極めて重要なものです。
「みんな大好き。ありがとう」は自分の潜在意識に刷り込んで、潜在意識を書き換えていくためのものでした。
今の地上的自我の偏り・束縛を緩め、解消する意味もありました。

潜在意識が半ば自動的に現実を創っていくのですから、潜在意識のベースが「みんな大好き。ありがとう」になれば、顕在意識でもそう思える喜びの現実がもたらされていくということです。

それに対して「調和した」というオーダーは、まさに文字通りの“オーダー”であり、あらゆる面におけるあらゆる現象を、宇宙を統べる全き調和の喜びに融合したものに回帰させ、地上次元での喜びとして現象化させることです。
何が調和なのかは地上的自我意識では分かりきることはできません。
しかし、それも全ての人の魂は知っているのです。

しかし、意志・意識のエネルギーによって、その喜びを地上において現実化するには、エネルギー的な発信力が必要です。
そして地上的表現のパワーもそこに含まれるのですが、悠々塾につながる皆さんの多くはそこが最も弱い部分でもあります。

何が調和なのかは魂が知っていると伝えましたが、もちろん全き調和を知っている魂はまさに大いなる神のみということになります。
個々の魂はそのごくごく一部のまたその一部を知っているに過ぎないのですし、それぞれの霊系や学びの段階も違っています。
しかしだからこそ、それぞれに違っている者たちが「調和した」とオーダーして、そのエネルギーが融合調和すれば、地上次元においては極めて大きな調和・波動調整のエネルギーになり得るのです。
つまり、健やかなる喜び(すなわち調和です)の現実化を引き起こしていけるのです。

今の地上界のテーマは、光の霊界との完全なる共振・同調・調和です。
それぞれの人が地上に再生する前に生きていた世界との融合・調和ですから、地上的価値観や地上的自我意識を薄くすれば、本当はさほど難しいことではないのです。

「調和した」というオーダーは、あらゆるつながりの場においても作用して健やかなる喜びの現実(すなわち調和)をもたらしていきます。
腸内微生物たちの調和はもちろんのこと、彼らと宿主のつながりもさらに健やかに調和されていきます。(この分野では共生度を高めることと同じ意味になります)
(重篤な病も劇的に治る場合が多いでしょうが、魂の意識によって地上を離れる時期が来ている場合は通常よりも苦痛の少ない中で生きる次元を移行することになるでしょう)

人間同士のつながり(場)にも作用しますし、他の生命たちにも作用します。
人間に憑依している幽界や暗黒界の者たちにも健やかな調和の喜びをもたらすのです。
もちろんこれらはごく一部の例であり、「調和した」というオーダー・エネルギーはあらゆる分野に作用するのです。
自と他、内と外の区別も必要ありません。(誰かに向けて「調和した」とオーダーすることは、自分にオーダーすることと同じなのです)

このことを頭脳で考える必要はありません。
それよりも実際に、シンプルにオーダーしていくことの方がはるかに重要です。
今日はそのエネルギー場の橋頭保を築き、皆さん方がそこを拠点としてそのエネルギーを使っていく手始めの定例会とします。
。。。。。

22/11/2018(木) 20:53:56

No.19378  のものも
Re: ☆2018年11月定例会に向けてのメッセージ 引用
私が参加している事が奇跡で感謝です。
いつもの定例会と違う
贅沢な時間になりそうで
全員のチャクラがいつもより大きく開きそう?
ドキドキします。

メッセージありがとうございます。
当日、どうぞよろしくお願い致します。

23/11/2018(金) 06:46:20

No.19379  のものも
Re: ☆2018年11月定例会に向けてのメッセージ 引用
「調和した」とオーダーすることは
自分の心も広げてると思います。
深く考えずに一生懸命にならないように
シンプルにオーダーしたいと思います。
ドキドキ。。

23/11/2018(金) 08:42:12

No.19380  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆2018年11月定例会に向けてのメッセージ 引用
のものもさん、書き込みありがとう!

ほんと、すべてが奇跡であり、同時にシナリオ通りなのでしょうね。
シナリオは完璧であり、その人の選択に応じたあらゆる種類のシナリオが内在して、現実を創っているのだと思います。
。。。。。。

最近は特に、意識が(その場の)現実を創っているということをリアルに感じるようになってきました。

“その場”とはあらゆる関係性・スケールにおいて重なり合い絡み合いながら形成される“エネルギー場”のことです。

例えば家族という場でも、エネルギー的親和性が高い者同士は特に影響を与え合うのです。
母親と子供などは初めから親和性が高いので、大きく影響し合うのでしょう。

つまり、誰かのエネルギー(意識・想念・言動)が切り替われば、その場を共有している人に根底からの影響を与えるということです。

今回の「愛は時空を超えて」の

>地上で生きている限りは地上の人間としての気持ちは湧いてくるものです。
それをことさら強調してアピールする必要はありませんし、反復継続して言い続けることで潜在意識に刷り込んでしまうことになります。

しかし気持ちの澱を無いもののようにする癖をつけてしまうと、排出しきれなかった澱が蓄積することになります。<

この部分は意味深長です。

何かあった時に、自分の気持ちの澱を反復継続して言い続けることで、実は澱の排出・解消ではなく、澱を潜在意識に刷り込んでしまっている場合があるわけです。

潜在意識のエネルギーは強大で、それが半ば自動的に現実化していくわけですから、自分自身の現実を創るだけでなく、場を共有する人(たとえば家族など)もまたそれに影響されて同じ傾向を表現していくことにもなります。

「こんなことをされた」とか「こうしてくれなかった」とか感じることで、不満や面白くなさを発生させることは、自分にとっては当然の反応なのでしょう。

でも、澱を吐き出すのは、あくまでも澱を解消して、本来の健やかな喜びモードを回復するためです。

不満や面白くなさを反復継続して言うことで、潜在意識に刷り込んでいくことは卒業したいものです。
なぜならばそれはそういう現実を定着・増幅させるだけでなく、その場を共有する親和性の高い誰かの意識・想念・言動をも同調させて引きずり込むことになるのですから。

明日の定例会を前にして、今日はそのことについて思いを巡らせてほしいと思います。
そして、相手が変わることを要求するというラインではなく、「相手がこうだから」という今まで通りの思い方のラインでもなく、自分の方が思い方を何らかの喜びに切り替えてみませんか?

それとは逆に、気持ちの澱を無いもののようにする癖をつけてしまっている人は、一度吐き出してしまいましょう。
普通であれば言わずにはいられない気持ちを言わないようにすることには、もの凄いエネルギーを要します。
思い切って澱を吐き出すことで、自分自身ももっともっと健やかな喜びを現実化できていくのですし、その場を共有する人のエネルギーも健やかに解放していくことになると思います。

みんな大好き。
ありがとう。
調和した!

23/11/2018(金) 14:04:53

No.19381  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆2018年11月定例会に向けてのメッセージ 引用
明日の定例会、時間通りに始めたいと思います。
第1部の実習もできるだけ集中してやりたいと思っています。

飛行機などの都合でやむを得ない人は別にして、時間厳守でお願いしますね。

早めに来てもらうことは全然かまわないので、電車の人はできれば普段よりも早いのに乗ってくださいね〜

3連休で道路の渋滞も予想されます。
車で来られる方も、できれば早めに出発してきてくださいね。

23/11/2018(金) 14:18:18

No.19382  のものも
Re: ☆2018年11月定例会に向けてのメッセージ 引用
絶対に混雑すると思って
普段は取らないのですが、
行きも帰りも指定席を取っていました。
大阪駅に1本早く乗れるか、乗れないかの微妙な時間に着くので、
間に合ったら1本早い電車に乗ります。
間に合わなかったらいつも通りで行きますね〜

23/11/2018(金) 18:01:22


No.19363 飯沼正晴 ホームページ E-mail
☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
       
☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆
    
            ―― 霊界の克との対話  ――


飯)こんにちは。
今回もそちらからのお呼びで受信にかかります。

克)はい。
あなたが少しお疲れのようなので(笑)

飯)そうなのかな?
自分ではあまりそうも思っていないんだけど。
確かにちょっといろいろあったけど、これぐらいのことはもう慣れていることでもあるし(笑)

克)いえいえ、そうではありません。
むしろ逆に心の疲れが蓄積しているともいえるのですよ。

飯)そうかなぁ?
まあちょっとがっかり感はあるし、遮断は苦手だ。
掲示板に書かなかったほうがよかったのかもしれないという気もしていないことはないけどね。

克)いいえ、あれは掲示板に書かねばなりませんでした。
たとえ悪気はないにしても、あなたの知らないところで、仲間同士で気づきよりも自分のちっぽけな気持ちを優先し、結果的に陰りを増幅しあうことになれば、後々もっと厄介なことになるわけですから。
それに、掲示板でオープンにすることで、読む人たちの何らかの学びにもなっています。

飯)うん。
それはいつの場合もそう思って書いている。
もちろん僕を含めてだけど、地上の人間にはさまざまな陰りの要素が根づいているものだから、自分を振り返る機会にもなるかと思って。


克)はい、それでよろしいのです。
ただ、あなたはさまざまな思いを味わい続けながらも、人(特に仲間)のことを信じているというか信じずにはいられない人なので、実はその度ごとに深く傷ついてきたのです。

それでも人(特に仲間)の心を信じなければ、何も成り立たないことも知っています。
というよりも、人の心を信じているからこそこの働きができるのですが、信じているからこそ「どうしてこうなるのだ?」という思いもまた深いということです。

霊団からは「信じるべきは人の心」と教えられてきましたし、あなたにも地上の人間としての気持ちはあるのですから、それは当然のことでしょう。


飯)ハハ、そういえば一昨日だったか、夢を見た。

夢の中では有機野菜を作って消費者に配達している時期のことで、ある人が夜「車(配達用のワゴン)を貸してほしい」と言うので、「明日は朝から野菜の収穫をしてから配達に行くから、朝までには返してほしい」と念を押して貸してあげる。
朝になって、その人は車をどこか(大阪あたり)の駐車場に置いたまま、どこかに行ってしまっていることが分かる。
そんなところまで取りに行くこともできず、車には収穫した野菜を入れるコンテナも積んでいるので、収穫作業もできなくて困り果てているという夢だった。

僕は「これじゃ持ち逃げじゃないか」と思って、なぜかトイレに入る。
トイレのドアが大きな切れ込みがいくつもあるビニールカーテン(大きなのれんのような感じ)で、便器に座ったら突然強い風が吹いてきて、カーテンが吹き上げられて、外から見えてしまう。
知らない若い女性たちが談笑しながら近づいてくるので、僕はあわててカーテンを抑えるのだが、カーテンには深い切れ込みがたくさんあるので抑えきれなくて・・・。
というような夢だった(笑)

そして翌日は耳から喉にかけてかなりの痛みがあったから、やっぱり排出の夢だったと思う。


克)はい、お疲れさまでした(笑)
裏切られたような思いをうまく排出できないというか、そういう思いを人に見られたくないという思いがあるということを示す夢でしたね。

地上で生きている限りは地上の人間としての気持ちは湧いてくるものです。
それをことさら強調してアピールする必要はありませんし、反復継続して言い続けることで潜在意識に刷り込んでしまうことになります。

しかし気持ちの澱を無いもののようにする癖をつけてしまうと、排出しきれなかった澱が蓄積することになります。
それがあなたの心身のみならず働きにもダメージを与えることになりかねないので、上手に排出していくようにしてくださいね。


飯)はいよ、そうしてるつもりだけど、お前から言われるということはそうできていない部分があるのだろうから、意識に置いておきます。


克)はい。
あなたは昔から人の心を信じる人でしたが、同時に人の陰りの感情に対する違和感や恐れもありました。(幼い頃から、無意識のうちに人の陰りの波動を察知していたので、その意味では絶えず葛藤もありました。)

あなたにも地上の人間としての感情の陰りはありますし、それに埋没しそうになった時期もありましたが、特に学びの道を歩み始めてからのあなたはそこへの拘泥がどんどん薄くなっていきました。
あなたにしてみればそれが学びというものであり、少なくとも悠々塾の学びの仲間は目指す方向を知っているのだから、感情の陰り・地上的自我の歪みへの拘泥も薄くなっていくのが当然のことなのです。

しかし、実際にはなかなかそうできない人も少なくなく、感情の陰り・地上的自我の歪みに埋没すればするほど、その人の人生は苦しいものになっています。
あなたにはそこがよく分からないのです。

「感情の陰りや地上的自我の歪みを解消していけば、おのずとその人の苦しみも薄くなり、喜びを実感できていくのに、それが分かっているのになぜそうしようとしないのか。そうしていく方法をこれまでずっと伝えてきたのに、なぜそうできないのか、よく分からない」という思いが今も残っています。

分からないだけでなく、どこかで人間の感情というものを恐れている部分がまだ残っているのです。
そこから「自分はやはり受け入れてもらえないんじゃないか?」という恐れも派生します。

以前にもお伝えしましたが、あなたがあの冊子をなかなか書き進められないのもそういう理由からです。
「いくら実践の情報であっても、健やかなる喜びを現実化するに足るエネルギーが込められていなければ、単なる情報提供で終わってしまう」と、あなたが思っていることもあります。
しかし、それはあなたの中に「自分は受け入れられないんじゃないか?」という恐れが残っているからでもありますね。


飯)うん、それはその通りだと思います。


克)そして少なくとも仲間たちに関しては、あなたは尊敬もされ、慕われてもいます。
それが高じて違和感や反感になる場合もありましたし、あなたにならば自分のことをすべて分かってもらえるという過剰な期待があって、それが思い通りにならないことによる違和感や反感になった場合もありました。
あなたとの違いを感じすぎて、ついて行けなくなった仲間もいます。

あなたは幼い頃も若い頃も、見えないところでの人と自分の違いを感じて、(仲良くはしていても)人とどう関わればよいのか分からない時期が続きました。(高校生の時に出会ったある人にだけは「同じもの」を感じ、それが唯一の救いでもありました。霊的同郷であり、魂の幼なじみですからね)

なので、今も何かあればそういう思いが頭をもたげるのですが、今のあなたは仲間たちから十分に受け入れられていることを心の拠り所として、さらに心(あなたの場合は自分の感情)を解放していってくださいね。
たとえその方が楽だとしても、くれぐれも気持ちを離してしまおうとしないように心がけてください。


飯)はいよ、分かりました。


克)あなたも知っているように、今回の地上界の浄化・地上人類の霊性進化は生半可なものではありません。
地上や幽界や暗黒界に生きる者たちも、地上の人間の理性も感情も言動も、すべてが霊界と共鳴状態になって、健やかなる共生の喜びと進化の喜びに切り替わるまで続きます。
正確に言えば、完全に切り替われなくても、切り替えようとする意志と欲求を自分に確立できるかどうかです。

残念ながらすべての者が霊界との共鳴を回復できるわけではなく、切り替えの意志や欲求を確立できるわけでもなく、“今まで通り”に留まり続け、実際には多くの者たちが新しい地上界・新しい地球圏霊界に移行できなくなるでしょう。

それは単に進級できなかった者たちが別のクラスに移されるというような、生易しいことではありません。

もちろん単に地上を離れるというようなことではありませんし、切り替えが進んだ人でも次の地上界への再生に備えるために一旦は地上を離れる場合も少なからずあります。

地上的にも魂レベルでも苦しいことになってしまう人ができるだけ少なくて済むように、できれば皆が喜びの中で移行できるように、霊界側ではこの時期に向けて大規模な働きかけをしてきたのです。

新しい地上界・地球圏の霊界に移行できなくても、その人自身が何か罰を受けて苦しくなるということではありません。
基本的にその人はその人のままです。(環境や境遇は激変するでしょうが)
ただ地上ではさまざまな人がその人を受け入れて支えてくれたり、さまざまに我慢しながら関係性を保って導いてくれたりしているのですが、地上を離れたら自分と同じような者ばかりの世界に行くことになるのです。

それは幽界や暗黒界と同じですが、今回の大浄化に際しては幽界や暗黒界は存在できなくなるので、もう地球圏には居場所がなくなることになってしまいます。
そうなった時の苦しさを思えば、地上に生きている今の間に意識も日々の生き方も切り替えた方がよほど楽だと思うのですが・・・。
(だからといって、自分はそうなるのではないかという思いに拘泥するのは本末転倒です。できるところから意識や言動を切り替えて、そこを喜んでいけばよろしいのです)

シルバーバーチ霊が「知識には責任が伴う」と伝えておられますが、それはまさにその通りです。
今はまだほとんど何も知らない人たちと、ある程度の霊的知識を学んだ者は決して同じではないのです。
ましてや、新しい地上界に向かう船に乗った者が、自らの感情の陰りを切り替えることができずにそれに埋没して自らその船を降りるとしたら、その選択の責任はどのようなものとなるのか、分からないはずはありません。

そういうことも含めて、悠々塾のつながりは雛型であるのです。
ですから悠々塾の雛型成就のプロジェクトには、実にさまざまな段階、さまざまな状態の人たちが参画しています。
しかし、学びの段階や現状がいかに違っていようとも、それぞれの人が自分の魂の意志によってつながり、参画しているのです。

地上の人間の中には「そうしようと思っているが、私には切り替えることができない」と思っている人も多いのですが、絶対にそんなことはありません。
なぜならば、魂は健やかなる喜びの中でさらに進化する喜びに満たされており、魂のエネルギーこそがその人にとって最大のものなのですから。(喜びベースへの切り替えはカルマの解消と同じ意味ですから、もちろん私もそのご苦労は承知しています)


今の地上界には陰りが蔓延しています。
本来の霊界よりも、幽界や暗黒界からの影響の方が強いともいえる状態です。
強欲・支配(自分の思い通り)・暴力・排除・遮断・抑圧・吝嗇(りんしょく=ケチ)・出し惜しみ・自己中心・恨み辛み・怖れ・不安・憎悪・嫌悪・妬み・嫉妬・こだわり(根深い違和感)・当てつけ・怠惰・束縛・ウソ・過剰反応・すり替え(ごまかし)・従属・無関心・見て見ぬふり・偽善・自己閉塞・人の不幸を願うこと(喜ぶこと)・人の喜びを喜べないこと・・・、挙げればキリがないほどに陰りが蔓延しているのです。

悠々塾につながる人たちもそれらの陰りと無縁ではなく、むしろさまざまな陰りを抱えている人たちも少なくありません。
雛型ですからそれでよろしいのです。
過去や現状がどうであれ、そこから少しでも向上進化しようとして、そうできているかどうかこそが極めて重要なことなのです。

その変化・進化のエネルギーこそがその人の輝きとなって、自他に健やかなる喜びをもたらしていくのです。
それこそが雛型であり、悠々塾というつながりの場のエネルギーとして、全体の健やかなる喜びに向けて作用していくことになります。

そうしていけば、他との比較に心を陰らせることもなくなり、ありのままの自分、輝きを増しながら生きている自分を喜んでいけるでしょう。

そしてあなたは、仲間たちや人々の現状がどうであれ、たとえどのような過程を経たとしても、必ず皆が健やかなる喜びに向かって進むことを信じ、それを真理として心からの喜びで受け入れればよろしいのです。
感情の部分では多少傷ついたとしても、心を痛めるほどのことではないのです。

今回の地上界の浄化とは、閉塞した地上的自我の圧力によって縮こまり歪んだ感情の層を、普遍の喜びに解放することが大きなテーマです。
それさえできれば、感情の領域から理性の歪みも解放していくことができるのです。
なぜならば、多くの人間にとって感情というものは理性よりも実体感があり、喜びとして実感しやすいからです。

私が、「今が苦しい人は何らかの貢献を実行して、それを喜ぶように」とお伝えしているのはそういう意味でもあるのです。
感情というものは実際の言動によって喜びにもそれ以外のものにも動くものであるからです。

歪んだ自我意識の中での感情の“喜び”はさらに歪みを増幅する場合もありますが、たとえ歪んだ自我意識のままであっても実際の貢献の行為は、その感情を普遍の喜びに解放していくのです。
もちろんそれも自己完結の枠内であればそうはならない場合もありますが、悠々塾というつながりのエネルギーを背景にしていれば、間違いなく歪な感情も解放に向かうのです。


飯)分かりました。
そろそろ疲れてきたし、なんとなくズレてきたというか・・・。


克)はい。
それはあなたが自分の感情に踏み込まれることを避けようとしているからでもあるのですよ。
それぐらいあなたは傷ついているということです。
もうすぐ定例会ですから、仲間の皆さんに癒してもらってくださいね。

あてにならない人間の感情というものに振り回されて、さまざまに傷つきながらも、あなたはしっかりと雛型成就の道を進めることができているのです。
そして共に進む仲間たちも以前と比べればずいぶんと成長進化して、その人としての本来の喜びを見いだし、輝きを大きくできています。

シルバーバーチ霊は、「あなたが生涯でたった一人の魂に光明を見出させてあげることができたら、たった一人の人間の飢えを満たし、のどの渇きをうるおしてあげることができたら、たった一人の人間の肩の荷を軽くしてあげ、前途に横たわる石ころを取り除いてあげることができたら、それは地上の全財産にも勝る貴重な行為をしたことになるのです。」と伝えておられます。

あなたは今までどれぐらいの人に対してそうしてあげ、芽が出るかどうかはその人次第ではあっても、そうなるはずの種をどれぐらい蒔いてきたか、分かっていますか?

あなたにも過ちや至らなさがなかったとは言いませんし、金銭物質的に決して恵まれているとも言えませんが、それでもあなたはすでに地上人生の勝者なのです。
すでに世に勝っているのです。

お金では買えないかけがえのないものに豊かに囲まれて、その年齢にして未だ心を老いさせないチャレンジャーです。
そういう自分に誇りと自信をもって、いい歳をしてへしゃげることなく進んでいってくださいね(笑)


飯)はいよ。
というか、自分では全くへしゃげているつもりはないんだけどね。


克)はいはい。
であれば、とにかくあなたはどんな状態の人からも気持ちを離さないことです。
そこはあなたにとって重要なポイントです。

自分では気づいていないのかもしれませんが(本当はよく分かっていますね)、これ以上傷つくことを回避するための気持ちのところでの逃げグセがあなたにはあるのです。
たとえ傷ついたとしてもたかが感情のレベルで、心の全部が傷つくはずもないのです。

それを知っているのですから、誰に対しても気持ちを離さないであげてくださいね。
それは相手のためのみならず、地上的喜びを現実化するあなたのパワーを格段に強くするのです。
分かりますね?


飯)はい、分かりますよ。
感情のエネルギーを薄める(縮める)のではなく、喜びに解放することで地上的現実に作用する回路が大きく開けるわけだからね。


克)はい、そういうことです。
そのためにも感情の澱を上手に排出してくださいね。
せっかくここまでやってきたのだから、雛型を成就して、さらにその喜びを全体に広げてください。


飯)はい、分かりました。
言われなくても、そのつもりですよ!
いつもありがとう!

(2018・11・19)

20/11/2018(火) 10:33:51


No.19364  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
読み直して少し修正・加筆したりしていますが、以下の訂正はお知らせしておきます。

>地上や幽界や暗黒界に生きる者たちの理性も感情も言動も、<

と、なっていました。
・・・

地上や幽界や暗黒界に生きる者たちも、地上の人間の理性も感情も言動も、すべてが霊界と共鳴状態になって、健やかなる共生の喜びと進化の喜びに切り替わるまで続きます。
・・・

20/11/2018(火) 17:52:22

No.19365  やすこ
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
愛は時空を超えて〜受信ありがとうございます!

信じるべきは人の心〜で何故か子どもの頃からの癖を思い出しました。何も話さない子どもでした。「言っても仕方ない」「分かってもらえない」「どうせどうにもならない」という気持ちが強かったです。

なんで?ってしっかり考えてこなかったですねー。喋ろうとすると話し上手で早口の姉に話を取られたり(笑)〜それもあるけど。自分でもうっとおしく感じる気持ちだし〜自分にしか分かるはずない、自分でしか解決出来ない、そして人に言ってどうなる?人に面倒がられる。と思っていました。

本当にしんどい事程話せなかったと思う。私が自分の気持ちを表現出来たのは最近・・悠々塾と繋がってからです。

誰もが心を解放して安心できる場所、みんな色々あるんだけど優しい場所だから〜私甘えました(笑)!

目を覚ましてもらって、進む方向も教えてもらって〜''一生分の幸せを得た?Wって本当に思いました。そしてそんな気持ちの変化を表現する健やかさを知りました。

救ってもらったら私も誰かにそうしたい。

飯沼さんへのメッセージだけと、笑。
私も誰かの支えになり、誰かの元気になり、小さな石ころも取り除くそんな人生を送ってみたいです!



周りには不調和を感じでしんどいのもあります。分かってあげたいし、気持ちになって考えてみる。でも迎合するのとは違う。繋がってるって事は自分も相手もないので、発した言葉はダイレクトに自分にも返ってくるような気がします。
それと、大きな喜びの中では小さな不調和なら薄まっていくと思うのでやはり喜びを膨らませていたいと思います。

21/11/2018(水) 01:31:18

No.19366  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
陰りに1つも当てはまらない人なんて居ないと思います。
物心両面だったと思ってる今
、人と比べる事自体、意味不明な事のように思います。
もっと心を広げたいと思います。
とにかく飯沼さんが疲れているのと、
台風28号が、定例会前と言う事が
気になる今日です。

21/11/2018(水) 09:10:58

No.19367  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
やすこさん、のものもさん、書き込みありがとう!

☆やすこさん、
>周りには不調和を感じでしんどいのもあります。分かってあげたいし、気持ちになって考えてみる。でも迎合するのとは違う。繋がってるって事は自分も相手もないので、発した言葉はダイレクトに自分にも返ってくるような気がします。<

そうですね。
何度も書いてきましたが、自分の意識・想念(気持ち)が言動として形になり、それが自分に返って自分自身の現実を創っている場合が多いようです。

たいていの場合、人は自分が発したものを自分で受け取るのです。
自分が発した波動(意識・想念)に見合った現実を受け取るということです。

そして、自分が受け取っているもの(今の自分の現実)に基づいて、また喜びではないものを発するから、さらに喜びではない現実を受け取って(創って)いくことになる場合が多いのでしょう。

地上の人間は誰もがさまざまな陰りの要素を持っているものですし、それぞれに自分の気持ちや言い分もあるわけです。
それを皆が主張し合えば、その場に争いが絶えることはないでしょう。
まさに不調和の場になってしまいます。

誰か力の強い者がその場を制圧したら騒ぎは収まるかもしれませんが、それは支配・従属であり、不調和の固定化です。

それぞれが(自分が思える範囲で)健やかなる調和に向けて言葉を発し、行動していくことが基本中の基本なのですが、実際にはなかなか難しい場合もあるようですね。

まあ、それが今の地上の人間の現状ということでしょう。

相手(誰か)の気持ちを分かっていくことは大事ですが、その人の思い通りになることはその人自身のためにならない場合が多いと思います。
そもそも人を自分の思い通りにしようとすること・人が自分の思い通りになってくれないことで相手を否定攻撃することそのものが、その人が向き合って越えるべき課題なわけですから、それに迎合することはその人の過ちの片棒を担ぐようなものですからね。

私自身は誰かの思い通りになんてなれないし、なる気もないし、誰かを自分の思い通りにしようとも思いません。
その人に必要だと思うことは伝えるし、極めて重要なことだと思えばギリギリまで踏み込んで伝えることも厭わないけど、最終的にはその人の自由意思を尊重します。

私へのアドバイスや意見は(たとえ的外れだと私が思っても)まずは聴きますが、私を完璧な人間でなければならないかのように規定して(それは磔の刑のようなものです!)、結局は自分の面白くなさをぶつけてきたり、自分の思い通りにさせようとしたりということがあれば、それは断固として跳ね除けます。
実は私、そういうのは真っ平御免!というタイプの我がまま人間ですから(笑)

そして、人のことをあれこれ言う時や人に何かを指摘する時には、相手に指摘する基準で自分のことも振り返るのが、人としての礼儀だと私は思っています。
お互いに不十分な者同士としての認識があってこその、学びの仲間・学びのつながりだと思っています。

なんだか話が暴走していますが、今年最後の定例会も近づいているので書きました(笑)

☆のものもさん、
>人と比べる事自体、意味不明な事のように思います。<

ほんと、そうなんですけどね。
人と自分を比べて、自分の励みにしていくならまだしも、多くの場合は自分や人を否定する元になっていますからね。

台風が発生しているんですね。
まあ24日はまだはるかかなたの海上のようだから大丈夫でしょう。

私、疲れているのかなぁ?
あんまり自覚はないんだけど。

ただ、ヘンに気を遣って自分を縮めるようなことはもうしたくない気はします。
まあ、そうは見えないかもしれないけど、自分的にはこれでもいろいろ気も遣ってきたと思うので。

自分が切り取りたい部分だけを切り取って、それが全てであるかのように拡大して、自分の思いたいように思い、自分の言いたいように言う人に対して、なんだかウンザリ感があるってことは、やっぱり疲れているのかな?

日々、相変わらずのご機嫌さんで暮らしているんだけどね。

21/11/2018(水) 11:00:29

No.19368  やすこ
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
言葉1つに傷ついたり、元気になったりする。自分だけじゃなく、1人残らず皆んなそうなんだと思います。

傷付いて平気な人なんていないし、自分だけ幸せになりたい!と熱望してる人もそういないし、人は喜び合いたいもんなんやなぁと思います。

みんな甘えたい、かまってほしい、ひとりぼっちも嫌だし、みんな同じなんだと思う。

そして言葉は難しいです。喜びと思っても伝わらなかったり、的外れで傷つけたり〜そんなん嫌だから慎重になるけど

だからって、言わない言動しないというのもそういう現実を創るのだろうし、思わない感じない事もそうなんだろうなぁ。

書く割には難しく深く〜考えれていないのだけど。

ちょっと思ったので。
喜びと喜びでない。これには誤魔化さず敏感になりたい。で反応したい。

21/11/2018(水) 22:18:25

No.19369  祐造
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
飯沼さん

愛は時空を超えて 166 の受信を、ありがとうございます。

>残念ながらすべての者が霊界との共鳴を回復できるわけではなく、切り替えの意志や欲求を確立できるわけでもなく、“今まで通り”に留まり続け、実際には多くの者たちが新しい地上界・新しい地球圏霊界に移行できなくなるでしょう。<

節理の厳格さというか、厳しさを思います。
背筋が伸びる思いです。
できれば誰一人残されることなく一緒に、と願うのですが…。
今、本当に大事な節目の時なのですね。

大事な仲間、Yさんにエネルギーを送ります。
Yさん、勇気を出して、顔を上げてみてください。
大丈夫、みんなが待っています。
一緒に歩んでいきましょう。




★パレスチナ子どものキャンペーン(CCP)さんに、「越冬支援」の送金をさせていただきました★

11月21日(水)の午前に、みなさんから託して頂いた
「越冬支援」22万円を郵便振替でCCPさんに送金しました。

今回、31人 もの方々から賛同のお気持ちをお送りいただき、総額は22万円ちょうどになりました。
思いがけずたくさんに方々から、あたたかなお気持ちを寄せていただき、感謝!です。
またこれとは別に、何人もの方が直接CCPさんに送金してくださったそうです!
皆さんのお気持ちがほんまに嬉しい!!です。
ありがとうございました!


今日、CCPさんに送金した郵便振替票のメッセージ欄には、以下のように記入しました。

〜〜〜〜 友人・知人に越冬支援を紹介したところ、たくさんの方々から支援金をお預かりしました。
こちらでまとめて今回一括して送金させて頂きます。
レバノン山岳部の難民キャンプへの燃料などの越冬支援として役立てていただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。〜〜〜〜



CCPさんでは、12月初めごろに燃料配布を計画しておられるそうです。 ↓↓
間に合って、よかった!!です。

みなさん、ありがとうございました!!

★CCPホームページ 「厳しい冬の前に、燃料配布を計画中です」 (○を h にして)
→  ○ttp://ccp-ngo.jp/report/2018/20181116171116.html



飯沼さん。
「郵便振替の利用明細票」の画像ファイルをメールで送らせていただきました。
お手数ですが、監査のほどよろしくお願いいたします。

22/11/2018(木) 00:41:20

No.19370  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
定例会に台風は直撃でない事、
飯沼さんは疲れてるようですが
人間な事も承知ですし
ご機嫌で良かったです。

反省やあった事を無くした自分へのポジティブ思考では全く成長どころか悪い方へ進むばかりだし。
自分の事だと1割の良いところを拡大したりするようなポジティブだった事もある。

本当に信頼出来る人は、なかなか言えない自分への欠点を言ってくれる人だと思います。
飯沼さん、本当にありがとう。
まだ終わりじゃないけど(笑)
喜びの中で楽しみながら切り替えたいと思います。

22/11/2018(木) 08:19:38

No.19371  みんと
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
☆愛は時空を超えて☆  ありがとうございました。

《 過去や現状がどうであれ、そこから少しでも向上進化しようとして、そうできているかどうかこそが極めて重要なことなのです。

その変化・進化のエネルギーこそがその人の輝きとなって、自他に健やかなる喜びをもたらしていくのです。
それこそが雛型であり、悠々塾というつながりの場のエネルギーとして、全体の健やかなる喜びに向けて作用していくことになります。》

ここの部分には本当に助けられ励まされます。

皆の輝きを信じて、
‘よーし頑張ろう’って改めて思ってます!

22/11/2018(木) 08:27:34

No.19372  さき
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
ぬまさんお疲れ様です。
色々思うことがあっても今は言葉になりにくい感じで、
コメントできてないですが、ちゃんと読んでますからねー

信じるべきは人の心。
そう、だから気持ちを離すことなんて出来ない。
いのちはひとつらなり、です。
ひな形であるこの場で自分も含めて
さまざまに浮きあがる事柄も
今回の地上界浄化というおおきな役割のなかにあるからこそなのでしょう。
なにがあっても、どんな形でもみんなつながっています。
かげりを光に、不調和を調和へ。
切り替えていきましょう。切り替えていきます。

この場に出会ったから、今の自分があります。
皆さんに育ててもらいました。
みんな大好き、ありがとう、って言いたいです。
定例会で皆さんにお会いできるのが嬉しいです。
ぬまさん大好きですよ。
喜びのなかで共に歩みたいです。

22/11/2018(木) 08:58:59

No.19373  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
やすこさん、祐造さん、のものもさん、みんとさん、さきさん、書き込みありがとう!

☆祐造さん、CCPさんへの振込完了を確認しました。
いろいろお世話してくれてありがとう!

弱い者たちがとことん痛めつけられる今の地上界です。
外国人技能実習生として日本で働いている人が大勢いるのですが、昨年は7000人が失踪しているそうです。
今年は半年で4000人が行方不明になっているとのことです。

技能実習とは名ばかりで、非常に低賃金で劣悪な労働条件を強いられ、耐えられなくなっての失踪がほとんどのようです。
それを政府は「より高賃金を求めて(の失踪)」と説明していますが、ウソやごまかしもいい加減にしろよ!
バカ者よ、いくら組織人でも、人としての恥を知れ!

こんな日本、こんな世界ですが、みんな健やかに幸せになれ!
ほんとに、みんな健やかに幸せになれ!

みんな大好き。ありがとう。
調和した!

22/11/2018(木) 09:13:17

No.19374  エーチャン
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
ヌマさん、愛は時空を超えての受信、投稿ありがとうございます。

こうやって、毎月毎月、ホンモノの受信を届けて頂ける事がどれほどありがたいことか、言葉では表現できません.本当にこのこと自体、奇跡といってもいいのではないかと思います。

自分の体験も踏まえて思った事ですが、地上的自我が醜態をさらし、道を外れようとしているとき、自らの魂は必死になって、ありとあらゆる手段を使って、働きかけて本来の道に戻そうとしているではないか、その過程で、周りの人たちから得られる支援というのがどれほどありがたいことか、それも地上の意味のように思います。

定例会では、お笑いをやりたいと思っております。先週の初めからアイデアを練り込んでおります。乞うご期待を!(でも、すべったらごめんなさい)

22/11/2018(木) 10:00:03

No.19375  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて 166 ☆☆ 引用
エーちゃん、書き込みありがとう!

内容も含めて、嬉しいですよ!

エーちゃんは土井善晴さんの物まねをするのかと思ってたんだけど、お笑いですか?
私はもちろんすべる方に賭けます(笑)

私は何年か前にやった漫談(?)以上のネタが思いつかなくて、今回は出し物ナシです。(ちょっと考える気分じゃないし)
その代わりというか、あるご夫婦を主役にしてちょっとだけ時間をいただきたいと思っています。

それとBさんに、先日の公演で会場全体が引き込まれた、ぼったくりバーのママのセリフをお願いしています。
(Bさんはつい先日、某テレビ局のバラエティ系番組の取材で、ぼったくりバーのママのセリフのごく一部をやって収録したそうです。そこをやるのは私の提案でした。どうせなら視聴者へのメッセージになればいいかと思って。「今までの自分なら、そんな取材は絶対に断っていたと思う」とBさんは言っています。まあ、編集でカットされているかもしれませんが。放送予定日とかは私の口からは言えません。平日の午前中です)

Bさんは風邪と腰痛でダウンしていますが、定例会までには治るでしょう。
(腰痛は、「支える苦しさとそれを言葉にできない苦しさ」が元になっているのですが、Bさんはなかなかそれを言えないんですよね。「その人たちに言うわけじゃなくても、言うとその人たちに悪い」と言って、言葉よりも涙が出るばかりのようです)
。。。。。

定例会メッセージ、夜にはアップします。
受信しながら、泣きました。

今回は参加してくださる人が多くて、特に懇親会はとても窮屈になると思いますが、どうぞご容赦くださいね〜

前回の定例会の翌朝に出現した謎の魚クンは元気で、少し大きくなりました。
大きく切れ込んだ立派な尾びれが特徴的でしたが、体が大きくなったせいか普通のフナに近い感じになっています。
皆さんに見てもらおうと、水槽の水替えをしました。

22/11/2018(木) 10:52:21


No.19349 飯沼正晴 ホームページ E-mail
お知らせです 引用
☆☆ 2018年11月月定例会 ☆☆ 
 
日時 11月24日(土曜日)
第1部 「癒しの講座・ヒーリングの実習」
午後2時から4時ごろ
参加費・1200円
        
第2部 「懇親会」 (イッシン、ミニライブあり)
午後4時半ごろからお時間の許す限り
参加費・1500円
☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。
地図の必要な方はお知らせください。
(079−594−5094)
。。。。。。。。。

今回の実習は基本的には前回と同じですが、やり方は少し変わります。
前回の感じではもの凄いエネルギー場が形成されて、エネルギー的に5時までは維持できないような気がします。
今年最後の定例会でもあり、早めに懇親会に移りたいと思っています。
お泊り組でない人もゆっくりしてくださいね〜。

フリートーク、一芸披露、放歌高唱、何でもOKです!
指名も順番もありませんが、自発的に今までの自分の枠を外して、ついでに羽目も外してしまいましょう!

なお、今回は懇親会への参加者も多いようで、時間も長くなります。
まゆみさんの負担が大きくなりすぎるので、可能な方はちょこっと一品持ち寄ってもらえたら助かります。(可能な方だけで結構ですから、くれぐれも無理しないでくださいね〜)

懇親会への参加・不参加は早めにお知らせくださいね〜。
(普段から懇親会に参加してくれている人は連絡してもらわなくても大丈夫です)
。。。。。。

☆☆☆2018年12月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆

☆京都
12月1日(土)  午後1時〜2時半   3時〜4時半
12月2日(日)  午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、11月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)
。。。。。。。。。。。。。

17/11/2018(土) 15:31:25


No.19350  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: お知らせです 引用
☆克からの指示により、10月に受信した「愛は時空を超えて」を再掲載します。

改めて読んで、思うことなどを書いてもらえれば嬉しいです。
。。。。

☆☆ 愛は時空を超えて 165 ☆☆
    
       ―― 霊界の克との対話  ――


飯)こんにちは。
今回はそちらからのお呼びで受信にかかります。

克)はい。
前回にお伝えしたかったのですが、あなたが受信モードを維持しにくくなったので。

飯)そうだったね。
さて、何を伝えてもらえるのかなというよりも、何を言われるのかなという感じだけどね(笑)
実はすでに思念・意識の塊として伝わってきているので、大体の見当はついているんだけど、言葉にするのはちょっと気を遣いそうだね(笑)


克)はい。
あなたは余計なことを思わないで、毛糸の玉の糸口を伸ばしていくように言葉をつないでいけばよろしいのですよ。
大丈夫ですからね(笑)


飯)はいよ、分かっていますよ(笑)


克)では真正面からいきましょうね(笑)
今まで何度もお伝えしてきましたが、産まれた時からあなたの地上人生は、「地上界の浄化・地上人類の霊性進化の雛型成就」ということのためにありました。
それはもちろんあなたの魂の意志ですが、だからこそ霊界側の綿密な計らいに導かれてきたのですし、それは今もこれからも変わることはありません。

霊界側はあなたの自由意志さえもある意味で巧妙に誘導し、あなたの自由意志(による行為行動)がこちらの意図を逸脱した場合でも、将来的にあなたの働きの糧になるように計らってきました。

もちろんこれはあなたに限ったことではなく、すべての人が霊界側(指導霊・守護霊様たち)に見守られ、導かれているのです。
しかし地上の人間は地上的自我に埋没して霊性の扉をほとんど閉ざしてしまうか、普段はそうではなくても何かあればそうなってしまう人が多く、そうなってしまえば霊界からの導きのエネルギー(波動)が伝わりにくくなってしまいます。

その点において、あなたはさすがに魂の意識・エネルギーが強烈で、地上的自我に埋没してしまった時ですら霊性の扉を閉ざすことはありませんでした。
それゆえに、霊界側の計らいや導きの中でここまで進んでくることができたのです。

もちろんあなたも何度も地上的自我に埋没した時期もありましたし、自由意志による過ちもありました。
そもそも霊界側の計らいといっても、地上の人間としてのあなたには好都合なことばかりではなく、むしろ非常に厳しく惨めな気持ちになることの方が多い時期が続きました。

それらはあなたのカルマの埋め合わせでもあり、同時に「地上界の浄化・地上人類の霊性進化の雛型成就」に向けて、あなたという人間を鍛え抜くためでもありました。

私が地上を離れた時も、あなたは仲間たちに支えられて働きを放棄することなく、むしろさらに本気になって働きに邁進してきたと言えるでしょう。
それによってあなたの大きなカルマは解消され、それからのあなたはむしろ地上的な喜びの中で働きを進めることができたのです。

そして地球規模・宇宙規模での変動が顕著になってきた今の時期に、新しい喜びの地上界の雛型としての場のエネルギーを形成・確立する直前にまで働きを進めることができています。

今は悠々塾のつながりというエネルギー場において、霊的次元の喜びと地上的次元の喜びを融合する時期です。
摂理に裏打ちされた具体的な地上的喜びを当たり前のように自分たちも享受し、多くの人たちに提供していけるエネルギー場。
たとえ小さくても汲めども汲めども清浄で甘露な水の湧き出る泉のようなエネルギー場を形成・確立することです。

あなたはこの20数年間(無意識のところでは幼い頃からずっとでしたが)、そのことだけを目指して、試行錯誤を続けてきました。
初めのころは、その喜びの本物の情報さえあれば多くの人はそれに感応して喜び勇んでそこに向かうに違いないと思い、何よりも確かな情報を発信・提供しようとしてきました。

それはあなた自身がそうであったからですが、実際にはそういう人は決して多くはなかったのです。

それでもあなたは人と自分の違いに戸惑いながらもここまで働きを進め、摂理に裏打ちされた具体的・地上的な喜びを当たり前のように自分たちも享受し、多くの人たちに提供していけるエネルギー場、たとえ小さくても汲めども汲めども清浄で甘露な水の湧き出る泉のようなエネルギー場を形成・確立することでこそ、人々は健やかなる新しい喜びに向かい、生きていけることを確信できたのです。

霊界側ではあなたがそうなることを予見して(というよりも初めからのシナリオでしたが)、(あなたの弱点でもある)健やかなる地上的欲求・現実化のエネルギーの極めて強い(その意味では非常に稀有な)人物を配剤しました。
配剤したというよりも、初めの初めから配剤されていた人物が満を持して登場(あなたにとっては再登場)したということです。

今の地上界には地上的欲求・現実化のエネルギーの強い人間はたくさんいますが、ほとんどの人は霊性のエネルギーとの断絶や捻じれがあって、むしろ癒しの対象としての側面を併せ持つことになるのです。
そういう状態の人もやがては本当の意味での健やかな地上的喜びを現実化する力を発揮していくのですし、その喜びの連鎖が起き始めれば地上の様相は一変するでしょう。

しかし今の段階では(あなたの波動の状態)では、まずはあらかじめ配剤されていた人とのエネルギー的融合が最適だと言えるのです。
だからこそ綿密なシナリオによって出会い、再会することになっていたわけです。

あなたはすでに理解していますが、地上人生というものはカルマの解消を含む、今回の地上人生の目的を成就するための舞台劇のようなものです。
もちろん地上という舞台で繰り広げられるのですから、地上的自我や地上的事どももさまざまに交じり合っていきます。
しかしそれでもシナリオはあくまでも霊としての進化成長がテーマになっているのです。
それをいかに地上という舞台で形にして表現していくかがテーマなのです。

地上的自我に拘泥・埋没したままの人間のお芝居(つまり人生)は退屈で重苦しく、あるいは悩みやトラブルや不慮の出来事に振り回され続けることになるのです。(不慮の出来事といっても自分の潜在意識が引き寄せた現実に他なりませんが)
もちろん、そういう不遇な状況の中で人として霊としての輝きを発揮して見せる役柄もありますから決して一概には言えませんが、概して言えばそういうことです。

霊的意識を豊かに発揮しながらの舞台は、喜びの中でどんどん進行していくものです。
これも一概には言えませんが、少なくともあなた方の雛型の舞台に関してはそうなります。

【あなた方の舞台、悠々塾のつながりに関わっている・構成している人で、まだ悩みや苦しみの渦中に置かれている人は、それがカルマの解消・埋め合わせの過程であると言えます。腸内細菌を含む生態系を豊かに健やかに整え直すことで、その人の生命場も喜びベースに整い、意識の切り替えも進みやすくなるでしょう。意識が切り替われば必ず現実も変わっていきます。それも思うようにできないのであれば、思い切った貢献を実行し、そうできた自分を喜ぶことです。同じ行為でも、カルマの埋め合わせの要素の強い場合と、自発的に喜びをもたらす貢献ではその意味合いも違ってくるのです。何につけても物心両面において喜びをもたらすことを自分の喜びとすることで、自分自身や関わる人たちの舞台のエネルギーは変わり、そこでの現実もまた変わってくるのです。】


飯)はい。
一気に受信・筆記したから、ちょっと疲れましたよ。
基本的には今までも何度か伝えられてきた内容だし。


克)はい、分かっていますが、もう少し続けてくださいね。

あなた方(もちろん地上の私も霊界の私もその一員ですが)の雛型は、霊界において非常に綿密に計画されたものです。
それはこのままではこの先さらに混乱の坩堝(るつぼ)に飲み込まれて行かざるを得ない地上人類に、文字通り起死回生の喜びと希望を提示する雛型を担っているわけですし、それゆえに雛型が成就するかどうか極めてきわどいともいえるのですから。

その雛型成就は、それぞれが地上的自我意識を超えて、自分を含む皆に喜びをもたらしていこうとできるかどうかに懸かっています。
こうお伝えすれば、「自分にはできない(だろう)」と引いてしまう人もいるでしょうが、もちろんそれもまた初めから織り込み済みのことなのです。
そういう人が紆余曲折を経ながらでも、悠々塾というつながりの場のエネルギーにノイズなく共鳴融合していくことにこそ、雛形としての真骨頂があるのです。

文字通り紆余曲折を経ながらも、あなたも仲間の皆さんも着実に成長進化の道を進んでくることができています。

地上的自我意識に拘泥して、悠々塾というよりも自分自身につまずいて離れたつもりでいる人も実はエネルギー的につながっていて、その人たちはそういう人としての現実を創っていくことになるのです。
創っていくというよりも、自分自身の意識や言動の後追いに振り回され続けることになるでしょう。

形としてつながっていなくても、その人たちの意識の健やかなる喜びへの切り替えは、その人自身の地上人生のみならず悠々塾というつながりの場の喜びのエネルギーを増幅することにもなるのですから、今の段階での切り替えを強くお願いせずにはいられないのです。

さて、進化を続けるシナリオに基づいての舞台であれば、その段階段階に応じた場面転換は当然あるものです。
地上の人間としての登場人物(あなたがたのことです)の感情がついて行けないことも、このシナリオにはたくさんありますし、ありました。
私が地上を離れたことなどはその最大のものだったかもしれませんね。
あるいはそれ以前に私とあなたが出合い、共に働きを成し始めたこともさまざまな人の感情を揺らすことでした。

ある意味では当然のことですが、この雛型成就に向けてのシナリオは地上の人間の気持ちの枠内で収まるものではありません。
偏狭な地上的常識をも超えて、霊としての健やかなる喜びに生きていくシナリオです。
どんな地上的自我であっても、魂の強い意志と希求には抗えるものではありません。

無理に抗えばその人自身に不調和が生じるのですし、地上的自我意識を超えて魂の意思に沿っていこうとすれば、もっと大きな喜びの中で生きることができるのです。
(その喜びが地上的自我意識とは違った形である場合もありますが、それを喜ぶことができることも、霊として人としての向上進化の一つでもあります)

それはこの雛型成就のプロジェクトに参画している人に限ったことではなく、地上人生とは本来そういうものです。
カルマの埋め合わせを含む、霊としての成長進化が地上人生のシナリオの共通テーマなのですから、地上的自我意識の枠に収まるはずがないのです。

地上的自我意識では不本意で気持ちが乱れる人生の出来事も、地上を離れればそれがもたらされた意味や自分にとって必要な試練であったことも全てが分かり、心からの納得の喜びに変わって光の霊界に戻るのです。(そうできない人は自分の波動にふさわしく幽界や暗黒界に行くことになります。)

自分を傷つけた人も、自分に重大な損や不都合をもたらした人も、すべてはその役割を担ってくれた舞台の登場人物です。
地上という偏狭な舞台を降りた時には、同じ舞台を生きた(表現した)者同士として、ねぎらい合うことになるのです。

(これも何度もお伝えしてきたことですが、今の地上に蔓延している強欲や暴力や支配や搾取や欺瞞などに唯々諾々と従属するという意味ではありません。そういう地上界を健やかなる生命のつながりの喜びの世界に建て替え、建て直すためのものでこそあるのです)

このように、悠々塾という雛型につながり、雛型成就のプロジェクトに参画している人たちは、今の多くの人たちに率先して、地上に生きている間に地上的自我への囚われを解消して、普遍意識の領域の喜びを地上に顕現・現実化していくことを魂の強い意志としています。

地上人生でもたらされることを霊界から観れば、過去世のカルマの埋め合わせを含めて、全てがその人の地上人生に必要なことばかりです。
そう思えるかどうかは別にして、そこでその人が自分の気持ちや損得勘定や都合などの地上的自我意識を薄くして、健やかなる喜びに意識も言動も切り替えることができれば、奇跡のような場面転換がもたらされるのです。

どうか皆さん、今の自分には分かりきらなくても、綿密なるシナリオに基づいて自分の今も未来もあるのだということを信じ、さらに1歩も2歩も健やかなる喜びに向かって進んでくださいますように。
宇宙は普遍の喜びに満たされているのですから、そのごくごく一部の地上界に生きている皆さんの過去の苦しみ、今の苦しみも必ず喜びに変わるのです。

そして、あなたはそれを知っているのですし、さまざまなラインからそれを繰り返し伝えてきました。
しかし情報だけでは(意識の領域からでは)なかなか喜びに切り替えられない人たちに対して、具体的な喜びの地上的現実を伴うエネルギーを注ぎ、彼らがさらに動きやすくしていくのです。

そのためには具体的な地上的現実化のエネルギーが強く、霊的感性も地上的意識波動(感情も含めて)の全てであなたと親和性の高い人物とのエネルギーの融合が不可欠でした。
そのために極めて綿密に準備されたシナリオに基づいて、あなたとその人は50年も前に出会い、この時期に再会することになっていたのです。

かなり以前のこの通信で、私は「いずれはこの再会の本当の意味が分かるでしょう」という意味のことをお伝えしています。
その頃のあなたはその意味が全く分からなかったようですが、今となればよく分かるはずです。
あれはあなたがこの再会の意味を確信して、その人とのエネルギー的融合が不可欠であることに心から納得していただくための伏線でもありました。

あなたが受信やこちらからのエネルギーに疲れてきたのでそろそろ切り上げますが、その人の幼い頃からのご苦労は、それを越えてこうしてあなたとエネルギーを融合させて人々に具体的で健やかな喜びを提供するエネルギー場(悠々塾のつながりという場です)を形成するためにあったともいえるのです。
もちろんそれが唯一の理由ではありませんが、その人の今までの人生におけるご苦労とそれを越える頑張りに報いるためにも、あなたには一切の気兼ねを排してその人とのエネルギー場のさらなる融合を図っていただきたいのです。

周囲からどう思われるかなどの不安や遠慮をかなぐり捨てて、もっと多くの場と時間を共にするようにしていく必要があります。
配慮は必要ですが、遠慮は無用です。
もちろんお互いの立場や境遇や年齢や忙しさなども含めて、すべてはシナリオ通りのことです。
今のあなたには分かりますね?


飯)はい、もちろん分かりますよ。
あの数年前のメッセージでの伏線は僕も覚えてはいるが、あの頃はこういう意味があるなんて全く思いもよらなかった。
確かにあれがあったから、「自分の地上的自我の思いが増幅しているだけではないか?」という懸念を持たなくて済んでいると思う(笑)

今回お前から伝えられたことをしっかりと腹に入れて、改めて沼島(おのころ島)に行ってきますよ!


克)はい、是非そうしてください。
悠々塾につながる仲間たちはもちろんのこと、雛型成就の暁にはそこからさらにたくさんの人々が(まさにみんなです!)、摂理・普遍意識に調和した具体的な地上的喜びの現実を生きることができるようになるのですから、是非とももうひと頑張りしてくださいね。

こう言えばまたあなたのプレッシャーになるのかもしれませんが、そういう意味ではありません。
先にもお伝えしたように、あなた方が担うこの雛型成就の役割は、9回裏にまさに起死回生の逆転満塁ホームランを狙うようなものです。
そう容易くないことは十分に承知していますし、野球と違って地上界の向上進化というものには終わりはなく、永遠に続いていくものです。

ですからたとえあなたが地上に生きている間に成就できなくても、必ず受け継がれていくのですから、決して何一つ無駄になることはありません。
全て、大丈夫なのです。
(ただし、今の時期が大きな、人類史上最大の節目であることも確かです)

そしてこのプロジェクトに喜びをもって参画した人たち、喜びでつながっている人たちにも摂理に調和した(すなわち健やかなる)具体的な地上の喜びがもたらされていくのです。
そうであれば失うものは何もないのですから、何をも恐れず、不安も持たず、ただただ喜びの中で働きに邁進できるでしょう?


飯)はい。
食物繊維をたくさん摂取することと、「みんな大好き。ありがとう」を繰り返し刷り込んでいくことで、腸内細菌たちの豊かで健やかなる生態系の回復、そして腸内細菌たちをはじめとする生命存在との豊かな調和を提唱しているし、それによってすべてが大きく喜びに切り替わっていくことは紛れもない事実・真実だと思う。

ただ、今の地上界には、腸内細菌たちの生態系に重大なダメージを与える化学物質やストレスがあふれかえっていることも、紛れもない事実だ。
医薬品を含む化学物質を摂取しないようにすると、多くの人はそれが制限になってまたストレスになってしまう。
ポジティブな喜びの中で、腸内細菌たちの生態系を豊かにしていく食物を選択していける人はそう多くはないようだ。

それを提唱しながらもそれでは不十分で、何かまさに汲めども汲めども清浄で甘露な水が無限に湧き出る泉のような、エネルギー的拠点が必要な気がしていた。

これが閉塞した地上界に新しい健やかな喜びを吹き込む風穴ということなのだろうけど、やっていきますよ。
容易くないことは百も承知の上で、でもこの喜びの中で働きを成していけることこそが僕の喜びでもある。

「たかが地上人生、されど地上人生」というぐらいの気持ちでやっていけるようになった自分が嬉しくもある。
苦しいことの多かった僕の地上人生だから、なおさら今の喜びが嬉しい。
お前から言われなくても、もうひと頑張りして見せますよ(笑)
実際、さまざまな人にさまざまなところで、確かな手応えを感じているからね。


克)はい、その意気で進んでください!
私も同じ思いです。

にぃくんとちぃさんのお店のこともとっても嬉しく応援させていただいていますし、他の皆さんお一人お一人の変化・切り替えも応援しながら見守っています。

定例会の翌日の朝に、ありえない形であの魚が出現したように、悠々塾のエネルギー場は奇跡の喜びを次々に現実化していく(多くの人にもたらしていく)直前にまで成長進化しています。
もう一歩で地上的制約を超えて奇跡の喜びを現実化できるところにまで来ているのです。
悠々塾につながる全ての皆さんに感謝しながら、これからも応援、いいえ、一緒に働いていきますからね!

(これで今回は最後にしますが、今はまだ苦しみや悩みの中に置かれている人はぜひ、この通信の中ほどでお伝えした【】内のことを実行してみてくださいね。喜びの中での貢献が意識のベースも自他の現実も切り替えることになるのです。それが地上的自我からの解放でもあり、普遍意識の喜びの中で地上人生を生きることにつながっていくのです。)


飯)はいよ、ありがとう!
さすがに疲れたので、今日はここまでにしようね〜(笑)
長さで疲れるというよりも、そちらのエネルギーがすごい気がするよ。

克)はい、そうですね。
長く激しい受信、お疲れさまでした(笑)


飯)はーい、皆に幸あれ、皆が幸せになれ!
こう叫びたい気分だよ。
とにかく、ありがとう!

みんな大好き。
ありがとう!

(2018・10・9)

17/11/2018(土) 15:37:19

No.19351  やすこ
Re: お知らせです 引用
10月の愛は時空を超えて〜ありがとうございます。

なんか〜どんなに知識のある人でも人間の知ってる事って少ないし、だから頭で考えても答えが出ない事が多くて・・解決出来なくて悩むのです。自分の事なのに自分が一番分かってなかったり、で自分の幸せの値打ちを人に合わせて上げたり下げたりもして。

私がそうだったからです。でも、生まれてきた意味、生きてる意味を知ったら人と比べる事をやめて(意味がない事と分かって)前を向くチカラになると思う。

自分も繋がりの中で一緒に同じ時間を生きてる1人として〜影響し合うもの同士〜喜びに切り替える言動をしていたら、周りも世界も変わると思う。必ず必ずそうなります。何より自分が一番変わると思います。



今日
霊として生きる〜と考えながら自転車こいでたら、秋晴れの気持ち良さも手伝って急に幸せな気持ちになりました。「なんでこんなに毎日忙しいのだろう」と父の用事で買い物へ行く途中だったのに何故かたまらなく嬉しくなり涙が出てビックリしました。母に「なんか嬉しいよぉ〜たまらなく嬉しいよ!ありがとう!ありがとう!」って心で伝えたら母が喜んでるのが伝わってきました。(ような気がしました、笑)。母がいる、と感じました。こんな事はじめて〜嬉しかったです。

18/11/2018(日) 01:13:32

No.19352  のものも
Re: お知らせです 引用
前回と感じ方は少し違うかもしれません。

どこにいようが、どこを選択しようが
自我意識の中の喜びベースでは、ループ状態で、
いつまでたっても、そこから抜け出せないとのだと言う思いが強いです。
最近ずっとそのことを思っています。
全体的な喜びベースを心がけたいです。

自分側から見るだけでなく、相手側からの意識にもなり、それでも相手側の意識に立てなくても、自分も沢山いろいろ間違えってきたのだと思いながら、調和を目指したいと思います。
みんなみんな成長過程の中にいるのだから、同じなのかなと思います。

18/11/2018(日) 08:15:41

No.19353  のものも
Re: お知らせです 引用
あと、何かを誰かに指摘されて
それが物凄く身に着いたものであれば
自分なりの位置、自我意識で
正当化してしまう事は
だいたい自分が間違ってた事のように思います。
自分で判断出来ない時は
その姿、母(私の)に見せられますか?と
自分を励ますとは違うけど、
自分側からだけでなく、いろいろな側から見るようにしています。

18/11/2018(日) 08:51:47

No.19354  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: お知らせです 引用
やすこさん、のものもさん、書き込みありがとう!

私は昨日、久しぶりに落語を聴きました。
NKH教育テレビで、「日本の話芸」というのを毎週放送しているのを何年か前から録画しています。
噺家さんは毎回入れ替わり、古典落語中心に30分近く演じるので、聴きごたえがあります。

ほとんど見たこともない噺家さんばかりですが、噺家さんそれぞれの世界を現出させていて、芸人さん(表現者)ってすごいなあって思います。

昨日は3人の落語を聴いて、なんだかゆっくりしました。
テレビでも見たことのある桂吉弥さんは、早世した師匠の桂吉朝の正統派の芸と、同門の故人の桂枝雀の笑い追求系の芸を融合しようとしているのかもしれませんが、今のところ成功していない気がします。(といっても2〜3年前の録画ですが)

毎週録画したままで観たことがなかったのですが、いいきっかけになりました。
古典落語を聴きながら笑ったことが排出にもなったのか、今朝は耳から喉が痛みます。
電話を当てる左の耳がズキンズキンとかなり痛みます(笑)

☆やすこさん、
>でも、生まれてきた意味、生きてる意味を知ったら人と比べる事をやめて(意味がない事と分かって)前を向くチカラになると思う。<

まさにその通りです!

克が受信した「地上人類の歩み」では、「人(他人)との違いによって生じた心の陰りを越えて、物心両面で貢献の喜びに生きていくことが、地上人類の次のステージを開く」というように伝えられています。

「誰々はあんなに〜〜なのに、自分はこんなに〜〜だ」という他との比較が染みつけば、そこからさまざまな陰りや闇が生じるのでしょう。

それを越えて、自分も皆も喜んでいくこと、喜びをもたらしていくことが、すべての人の地上人生のテーマなのです!

☆のものもさん、
>あと、何かを誰かに指摘されて
それが物凄く身に着いたものであれば
自分なりの位置、自我意識で
正当化してしまう事は
だいたい自分が間違ってた事のように思います。<

これもまさにその通りだと思います!
陰りや歪みが染みついて無意識化されていれば、理性が働かなくなって、半ば自動的に言動化してしまうことが多いものです。
なかなか自分では検証できない状態のままに歪みや停滞を補強してしまう場合が多いわけです。
それが病やトラブルの元になるわけですが、本人にはなかなか意識も認識もできないことが多いのです。

私たちは霊性とコヒーレントした理性も使いながら、理屈抜きの健やかな喜びのエネルギーも高めていきましょう!

18/11/2018(日) 12:00:36

No.19355  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: お知らせです 引用
私の喉や耳の痛みは一過性の排出だったようで、ゆっくりお湯に浸かって治りました。
夕食ごろにはかなり痛んで、膝から下が寒くて寒くて、熱も出そうだったのですが、どうやら軽く済んだようです。

今日は私が住む篠山市の市名変更の賛否を問う住民投票がありました。
どうやら市名変更に賛成の票が多数だったようで、来年5月からは丹波篠山市になるようです。

ひふみ神示では以下のように伝えられているようです。(もしかしたら記号の部分が表記されないかもしれませんが)
・・・
丹波はタニワ、タニワとは日本の国ぞ、(世界のことぞ、丹波とは丹波一とは、)世界の中心ということぞ、ゝ⃝(ひ)の本ということぞ、キミの国ざぞ、扶桑(ふそう)の国ざぞ、地場ざぞ、わかりたか。

18/11/2018(日) 23:10:37

No.19356  祐造
Re: お知らせです 引用
あ〜、土日はカゼ症状で寝ていました。
今は復活しつつあります。


★CCPさんへの越冬支援の「税額控除」ことですが…。

>認定NPOへの寄付による税金控除は、所得税額の25%が上限だったと思います。
22万円全額の控除を受けるには、所得税額が88万円になるので、おそらく全額控除は無理なんじゃないかな?<

↑ 飯沼さんの意見をうけて、試算してみました。
(22万円−2千円)×0.4=¥87,200−
税額控除は最大で¥87,200―になるようです。
(でもこれは年間の所得税を¥348,800−以上納めている人の場合です)←高額所得者


飯沼さんの書かれているように「所得税額の25%が上限」なので、僕の場合はかなり厳しいようです。
22万円の寄付をしても、僕のように所得税額が小さい場合、たった¥1,900−程度しか税金が安くならないということが分かりました。(ショックぅ〜、、泣)



でもでも、
もしもAさんという人(給与所得者)がいて、年収400万円程度で、所得税額を12万円納めているとしたら、Aさんなら同じ22万円の寄付でも¥30,000−も税金が安くなります。
(12万円×0.25=¥30,000−)


つまり僕がCCPさんに送金(寄付)したら¥1,900−しかドネに寄付できないのですが、僕の代わりにAさんがCCPさんに送金(寄付)し、確定申告したら¥30,000−もドネに寄付できるということです。


さらにAさんと同様に所得税額を12万円納めているBさんとCさんがいたとして、22万円の寄付を三等分してA・B・CさんがそれぞれCCPさんに送金(寄付)したら、三人合わせて満額の¥87,200−をドネに寄付できることになります。
(A・B・Cさんそれぞれが個別に確定申告する必要があります)


皆さんからお預かりした22万円です。
税額控除を受けれる可能性をどう広げるか、皆さんのご意見をうかがいたいと思います。
よろしくお願いいたします。
A・B・Cさんのような方々が手を挙げてくだされば、何よりかと思います。

(ちなみに、「所得税額」とは、「給与所得の源泉徴収票」の右上のあたりにある「源泉徴収税額」のことです)

19/11/2018(月) 22:32:05

No.19357  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: お知らせです 引用
>(22万円−2千円)×0.4=¥87,200−

って、どういう計算なのかな?

それと、自分の所得税額をあからさまにこういうところに書くのはあんまり感心できないけどなぁ・・・。

それと、今回の寄付を所得税控除の対象にしようと思う人は、すでにそうしてくれているのだから、祐造さんの気持ちは分からなくはないけど、私個人の意見としてはそこまで濃くならなくてもいいんじゃないかなという気がします。

19/11/2018(月) 23:31:32

No.19358  しのしの
Re: お知らせです 引用
こんばんは。

みんなの寄付金をまとめて送金することは、賛同できるので、コメントしなかったのですが、寄付金控除は領収書の名前の人で確定申告をして、還付してもらうものです。だから祐造さんしかできないです。また、収入の割に寄付金が多いと、税務署から疑念をもたれうる場合もありますよ。(理由がはっきりしていたらいいですが。)
本人に収入がなくても、配偶者の方の名前で寄付をすると、その人で寄付金控除ができます。
いろいろと個人に事情もあると思うので、寄付金控除を受けることはしないほうがいいのではないかと思いますよ。

20/11/2018(火) 00:06:33

No.19359  祐造
Re: お知らせです 引用
>(22万円−2千円)×0.4=¥87,200−

って、どういう計算なのかな?<

はい、下のページの中ごろの数式を参考にしました。


→ ○ttps://www.nintei-torou.net/わかる-寄附金控除/2-寄付金控除のしくみとルール-こんな人ならこれだけお得/


オススメ新制度!【税額控除】の効果
「税額控除」の場合の算出方法は
(年間の寄付金額−2,000円) × 40% =税額控除額

※算出時の 年間の寄付金額 は「同年の総所得金額等の40%」を限度額とする。
※税額控除額 は「その年の所得税額の25%」を限度額とする。
※「公益社団法人等寄附金特別控除」にあたる控除がある場合、
    認定NPO法人への税額控除額と合算して限度額が適用される。



それと、自分の所得税額を具体的に書いたのは、思っていたより少額だったのでショックだったのですね。
それで実際に確定申告をした時の事実関係を意識して具体的に書いてしまいました。
でも言われてみれば、ちょっと露骨かもしれないですね。
すみません、具体的な部分だけ今修正させていただきます。
ありがとうございます。

20/11/2018(火) 00:07:55

No.19360  祐造
Re: お知らせです 引用
あっ、しのしのさん、こんばんは。

>収入の割に寄付金が多いと、税務署から疑念をもたれうる場合もありますよ。(理由がはっきりしていたらいいですが。)<

そんなこともあるんですね。
大事なアドバイスをありがとうございます!
なんかね、皆さんが22万円もの賛同をしてくださったことが、そのお気持ちが嬉しくって、、、
なんとか有効に役立てたい!!って思っていまいました。
でも、もしも皆さんに迷惑がかかるようなことになってしまったら、本末転倒ですね。

ありがとうございます。
今回のことは取り下げにさせていただきたいと思います。
近日中に、皆さんのお気持ちをCCPさんに送らせていただきますね。
飯沼さん、しのしのさん、皆さん、ありがとうございました!

20/11/2018(火) 00:42:34

No.19361  のものも
Re: お知らせです 引用
祐造さんでなくて
濃い造さんになってしまいましたねー(笑)

祐造さんの話とは違いますが
よかれの優しさも、相手にとって許容範囲のようなものを超えると
押し付けてになったり、迷惑になる事もあります。
相手側からも想像したり、私も気をつけたいと思います。

私も迷惑をかけましたが
皆さんと定例会でお会いすること
楽しみにしています。
気持ち、心は整ってきたと言うか
見についた癖が、わかってきたので
指摘されて、逆ギレしたり(笑)
指摘されて、自我の正当化はやめて
(↑ほとんどの人間がこれに当たり自我意識に本人も気づいないと思う)
共に前に進み喜びを高めていきましょう!

20/11/2018(火) 08:41:00

No.19362  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: お知らせです 引用
祐造さん、しのしのさん、のものもさん、書き込みありがとう!

しのしのさん、
祐造さんは、所得税控除を申し出てくれる人がいたら、寄付者の名前も振り分けて送金しようと思ったんでしょうね。
あるいは複数者に分けて領収書を発行してもらうとか。

のものもさん、
祐造さんが「濃いこと言うぞう」だなんて、そんな…。(笑)

20/11/2018(火) 09:29:54

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