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No.17624 飯沼正晴 ホームページ E-mail
ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用

「あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れ始めた」(アランナ・コリン著 河出書房新社 2000円*税別)

2016年8月が初版の本で、一昨年に取り寄せたままになっていたのですが、数日前から読み始めています。

しっかりと読み込むつもりはなくて、ざっと読んでいるのですが、実に興味深いことが山ほど書かれています。
著者の視点は非常に斬新で、科学的手法によって明らかにされてきたことをていねいに紹介しています。(肝心かなめのところにはまだ意識が届いていないようですが、これは仕方ないでしょう)


Wikipediaにも、
「腸内細菌は 多数の雑多な菌種によって構成され、一人のヒトの腸内には100種から3000種類の 細菌が100兆個から1000兆個の腸内細菌が長さ約10mの腸内に生息しており、重量に すると約1.5-2kgに相当する。一般にヒトの細胞数は60-70兆個程度と言われており、 細胞の数ではその16倍に匹敵するだけの腸内細菌が存在することになる。ただし細菌 の細胞は、ヒトの細胞に比べてはるかに小さいため・・・」
と書かれています。

100〜3000種とか、100〜1000個というアバウト感が素晴らしい!(笑)
要するに、まだしっかりと把握されていないのでしょうから、さまざまなラインからの解明にはほど遠い現状なのだと思います。

今にして思えば、1992年に私が書いて出した小冊子に(タイトルも忘れましたが)、有機農業の経験から、「土壌微生物の状態が作物の健やかな生育を決定づけるように、人間も腸内微生物の状態が非常に重要だ。腸は体内のようでありながら口と肛門によって外部に開かれているのだから作物にとっての土と同じで、腸内の微生物の状態が人間の健やかさに大きな影響を与えている」というようなことを書き、発酵食プチ断食を勧めたことは我ながら凄いことだったと自画自賛したい気持ちです(笑)

その頃から私には経験的にも確信があったので、ようやく科学がそれに追いついてきたという気がしています。
最新の医学は人体や病に対する認識が根幹から変化(進化)してきているようですが、それでも私から言えば「まだまだ」です。

1個の細胞に数百〜数千も生息しているミトコンドリアも含めて、体内微生物であるという認識は絶対に必要ですが、医学はまだそこまでは行っていないようです。

腸内微生物たちが宿主(その人間)の肉体の状態を左右するだけでなく、精神や性格にも極めて大きな影響を及ぼしている(というよりも、ある面では決定づけている)ところまでは、研究・認識が進み始めているようです。

自己免疫疾患や精神疾患や、自閉症などの広汎性発達障害や性格の偏りや肥満やおそらくは認知症やガンなども、腸内微生物の状態によって、ある種の細菌が生成する毒素が脳などに害を及ぼしている可能性が非常に高いということが証明されつつあるのです。

腸内微生物が生成する酵素も、宿主の遺伝子のオン・オフのスイッチを入れますから、遺伝性や家族性の疾患なども、両親などから受け継いだ(感染した)ある種々の微生物の影響の場合も考えられるようです。

腸内細菌が人間(宿主)の遺伝子をコントロールしている」というのが最新の医学の見解です。

(腸内でのある種々の細菌感染による症状であるから、だから自己免疫疾患や精神疾患や広汎性発達障害や肥満や認知症やガンが、まるで伝染病のように広がり、増え続けているのです!
しかもそれらの症状・新しい病は、社会や人々の暮らしぶりが昔ながらの状態で細菌感染による病が未だ蔓延している地域では増えていなくて、先進国といわゆる発展途上国に限定されて激増しているそうです。)

もちろんこれは極めて最先端の研究によってですから、一般の医師や医療機関の認識・見解や治療に関しては旧態依然としたままで、しかもさまざまな利権や権威と絡み合っているので、本来の方向に舵を切り直すことは容易ではないでしょう。

現状の医療を唯々諾々と信じていれば、50年も前の古いカレンダーに基づいて今年の自分の予定を立てるぐらいに頓珍漢なことになるのですよ(笑)

もちろん私は今の医学や医療を否定するつもりはありません。
しかし、現状の医学や医療がいかに権威を振りかざしているとしても、まだまだ発展途中なのですし、「どんな生命体も、だから当然のこと一人ひとりの人間も、いのちのつながりの中に存在して、相互に影響を与えながら生きている」という絶対の真実を見落としたままでは、幼児が大型ブルドーザーを運転して、しかもその業界を仕切っているようなものです。

すでに、今まで安全だとして普通に市販されてきた鎮痛剤や風邪薬に実は極めて深刻な副作用が“発見”されてきたりもしていますし、傷口の消毒などについても今までの常識はすでに覆っています。
医薬品だけではなく、農畜産物や食品や水道水や日用品にも大量に使われている化学薬品の、緩やかではあっても極めて広汎で深刻な害もこれから明らかになっていくはずです。

残念ながら、それらの害が予見されるという段階ではなく、それらはすでに私たち=私たちを構成している体内・体外の微生物相・生命系に極めて大きな不調和をもたらしていて、心身ともに健やかさを破壊されているという状況の中に人間は生きているのだということが明らかになっていくのです。

それにしても、自己免疫疾患や精神疾患や、自閉症などの広汎性発達障害や性格の偏りや肥満やおそらくは認知症やガンなども、腸内微生物の状態によって、ある種の細菌が生成する毒素が脳などに害を及ぼしている可能性が非常に高いということが証明されつつあるというのは、本当に凄いことです!

ある種々の腸内微生物が生産する毒素や、宿主(人間)の免疫活動の誤作動によって、その人の心身の健やかさが破壊されていくのです。

しかも、細菌・病原菌がどんどん抗生物質に耐性を獲得しつつあるのですから、近代医学・医療はすでに二重の意味で破綻しているのです。

さらに、抗生物質がふんだんに使用されている医療先進国から、新しい(未知の)感染症が幾つも発生しているのです。
。。。。。。。。。

腸内微生物の状態が精神や性格にまで強く影響しているとすれば、「自分」というものは一体どういう存在なのでしょう?

そう思いませんか?

頑なに「私は私だ」と思い込んでいても、実はそれは腸内微生物の状態によって作られているのであれば、自分も自我も実は本当の自分ではないということになってしまいます。
だって、ある種々の腸内微生物・細菌を除去・不活性化して、別の微生物を腸内に送り込むことで、体調だけでなく精神の状態や性格までもが一変するというのですから!

今では健康な人の糞便を薄めて、管で大腸に流し込み、腸内微生物相を入れ替えて難病を治すという“治療”も行われています。

そういう人為的な操作は、心身の状態に一時的には極めて大きな変化をもたらすのですが、その人に根付いている腸内微生物相はなかなか強靭で、しばらくすればまた元に戻ってしまうことが多いそうです。
(例えば、後発性の自閉症の子供に、ある種の細菌に卓効のある抗生剤を飲ませれば、劇的に自閉症の症状が消えたりもするのですが、しばらくすればまた元に戻り、またその抗生剤で劇的効果が出る。しかし、その抗生剤をいつまでも使い続けることはできないという問題に直面してしまう)

そして皮肉なことに、腸内微生物相の健やかなバランスを崩してしまう原因は、抗生剤や化学物質である場合が多いわけです。
しかし、特に乳幼児に関しては、重篤な感染症の時に抗生剤を投与しなければ死に至ることも少なくありません。(今のスタンダードな医療では)

抗生剤のお陰で、(特に先進国の)人間は感染症による死亡率や新生児死亡率を大きく下げることができてきたわけです。
しかしそれに並行して、さまざまな新しい病や症状が急速に広がり、今やその社会の存続を脅かすほどに蔓延しているのです。
。。。。。。。

『頑なに「私は私だ」と思い込んでいても、実はそれは腸内微生物の状態によって作られているのであれば、自分も自我も実は本当の自分ではないということになってしまいます。』
と書きました。

そこなんですよね。
自我の領域なんて、在るようで本当は無いに等しいのです。

「では、“本当の自分“とはどういうものなのか?」、ということです。

前置きが長くなりましたが、ようやく昨年末から呼び掛けているテーマにつながってきました。

つまり、「自我」というものは、確固として在るようで実はそうでもないということです。

卵と鶏の話のように、どちらが先か後かは分かりませんが、自分(や周囲の人)の想念が腸内微生物相やミトコンドリアに強く作用して彼らの勢力関係や相互のバランスや活動を規定しています。
(これはまだ最新の医学では認識されていないかもしれませんが、私のさまざまな経験上からも間違いない事実であり真実です。「ストレスが病の原因」ということはつまりそういうことですし)

そして、腸内微生物(や細胞内微生物であるミトコンドリア)などの状態によって、精神や性格までもが強く影響・規定されて、「自分」という存在として生きているのです。

それでもあなたは「今の自分の自我」を拠り所にして、そこに執着して生きていきますか?

そしてまた皮肉なことに、そういうあなたの状態も「腸内微生物たちによって作られている」のです。
(生きた微生物を練り込んだ食品をしばらくの期間食べ続けることによって、精神が明るくなった被験者が多かったという実験報告もあるそうです。(専門家による科学的手法による実験です)

少し荒っぽくなりますが先を急ぎます。

自分と他者・他の生命たちとの区分を強固にせず(つまり自我の壁を薄くして、自分を周囲や全体に開放し)、他者・他の生命たちと喜びの共生をしていこうとすることによって、本当の自分として健やかに生きていけるのだと思うのです。

このことはずっと以前からも繰り返し書いてきましたし、昨年末からの呼びかけのキモもまさにここにあるのです。

「他や周囲や全体と分離された自分なんて、本当はないんだよ!」ということです。
「いのちはひとつらなりの喜びの中に在ってこそ、自分も本当の自分として健やかに生きられるんだよ! だから『みんな大好き、ありがとう』なんだよ!」ということです。

私が言いたいこと、分かってもらえますよね?

でも、今の地上界を生きる“生身の人間”としては、さまざまに反感や嫌悪感や違和感や面白くなさを感じてしまうことが多々あります。
自分をそういう気持ちにさせる相手や、陰りの気持ちを抱く自分を否定しても、さらに陰りを深め広げることでしかありません。

特に昨年末から、自分の陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替える作業をしつこく提案してきました。
上手く気持ち(意識)の焦点が合った人もいれば、微妙にズレている人やまだよく分かっていない人もおられます。

なので、年も改まったことですし、今回は少し違った切り口から提案します。

誰かに対して反感や嫌悪感や違和感や面白くなさを感じていない人はまずいないんじゃないかと思います。(誰かの中には、自分自身への否定的な思いも含みます)

そしてそれは誰かの存在に対して全面的に反感や嫌悪感や違和感や面白くなさを感じている場合もあるでしょうし、その人の一部(の言動)に対しての場合もあるでしょう。

おそらくはいくつもあるでしょうが、それを一つひとつ意識に上げて、そういう相手(の言動)に(意識の接点を作って・気持ちを合わせて)「みんな大好き。ありがとう!」と気持ちを込めて言ってみませんか?

相手や自分の現状などには関係なく、まさに無条件で、気持ちを込めてその言葉を向けるのです。
そこに敵ー味方や正ー誤・正−邪や損ー得や勝ちー敗けや好きー嫌いなどの二元相対の意識を持ち込まず、唯一絶対の喜びとして「みんな大好き。ありがとう!」と言うのです。

(これは歪んだ現状を容認したり従属することとは全く次元の違う意識のエネルギーです。自分の臆病さや無関心という偏狭な未熟さを正当化するために、唯一絶対の喜び=愛を持ち出すことはまさに本末転倒です)

もしも、どうしてもそういう言葉を向けることができないほどに自分の気持ちが陰っている場合は、そういう自分の気持ちを正当化するのではなく、そういう自分にこそ「みんな大好き。ありがとう!」と気持ちを込めて言ってあげましょう。

相手や誰かに対する批判でも、現状に対する否定ではなく、あくまでもより良い状態を願っていることを明確にして、できるだけ喜びの方法によることが大事です。(自分にも言い聞かせます・笑)

もちろんそう言ったからといって、すぐに自分の気持ちが喜びに切り替わらないことの方が多いのかもしれません。
だからこそ、誰かに対して自分の気持ちが陰った時にはいつも、すぐに「みんな大好き。ありがとう!」と言う習慣をつけることで切り替わっていくのです。
喜びベースに切り替わり、現実が喜びに変わっていくのです。

それを続けていけば、腸内微生物相の状態やミトコンドリアの働きも変わり、喜びによる共生の場が確立していくはずです。
そして、腸内微生物相やミトコンドリアの働きが喜びの共生に変わり始めれば、健やかな喜びに向かうエネルギーの相乗作用で宿主(自分)の心身にも奇跡のような喜びの現実がもたらされるのです。

病原菌や我よし(不調和)の傾向が強い細菌たちに負ける=全体が支配されるのではなく、
負けないために(今の自分を守るために)必死になって免疫機能を暴走させてしまうのでもなく、
つまり誰かの思い通りにされてしまうのでもなく、
誰かを自分の思い通りにしようとするのでもなく、
全てを祝福しながら大きな喜びの中で共生していくことを、喜びとして目指すのです。

敵の暴走による不調和でもなく、
味方の暴走による不調和でもなく、
敵も味方もなく、
全体として皆の喜びの共生の場を作ればいいのです。

その意識の方向性が確立してこそ、自分が自分の良き主(あるじ)になれるのです。
(棲み分けを含む)喜びの共生を喜びとしていれば、自ずと自分も含む皆の喜びに着地・調和されていくのです。

これは実は、地上的自我意識・我執の枠を超えて普遍意識につながることと全く同じ意味です。

この機会に、生きた微生物を豊富に含む食品を感謝しながらいただくことも、腸内微生物相が自ずと喜びの共生状態に移行するることを手助けするでしょう。

ということで、ちょっと目先を変えた提案をしてみました。
引き続き今までのテーマについても、その他のことも自由に書き込んでくださいね〜。

12/01/2018(金) 17:10:30


No.17625  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
長い書き込みになったけど、これは流し読みじゃなくしっかり読んでね〜
読むのも大変でしょうが、書くのはもっと大変なんですから(笑)

上の投稿では、社会の仕組みやありようから受ける個々人のストレスには触れていませんが、社会からのストレスは化学物質などと同等かそれ以上に腸内微生物相の健やかなバランスを崩すでしょう。

いのちの喜び、喜びによるいのちのつながりではないものは全て、相互に絡み合いながら健やかな喜びの調和を破壊するのです。

それを踏まえて、だからこそ、という提案です。

12/01/2018(金) 17:12:36

No.17626  ホープ E-mail
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
今回の書き込みは大変分かり易く、実践トライしやすい内容で、有難うございます。最近は自分の心意識などを言語に直して語ったり説明したりすることが少なくなってきて、行動で表現したいと思うようになっています。今迄は対立している相手にも、その人なりの事情や守ろうとする何かを持っているのだ、と思う事で(事実そうであるし)怒りや嫌悪感を薄くし、衝突も避けられておりましたが、今はそんな自分の感情コントロールではなく、それを超えたベースからなるもっと大きな摂理にストレートに繋がって表現しようと思っています。とてもうまく文章が書けません。また書き込みしようと思っています。

27日の定例会に出席させて頂ければと思っています。

13/01/2018(土) 16:24:17

No.17627  やすこ
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
どうしても自分の心って何だろって考えしまうけど…自分の体が1つの生きたミトコンドリア、1つの生きた細胞が集まって出来てる!って考えたら・・変な気持ち。ほんと私って何?本当にいるの?って思ってしまいます。笑

ミトコンドリアを意識したら影響し合えるって凄いですね!自分の細胞なのだからダイレクト!に影響するんでしょうか。

前に、飯沼さんが掲示板に・・・。
ビオフェルミンや枯草菌、納豆菌、ヨーグルトを毎日摂っていて、その後「いのちはひとつらなり、みんな大好きありがとう」とお腹に向けてエネルギーを送っておられる。と書かれていました。

みんな大好きのみんなは、自分もミトコンドリアも入ってるんですね〜

(私も真似しようと探したけど、ヨーグルトもサプリもどれがいいのかわからなくて〜わかりやすいビオフェルミンだけは続けてのんでます。)

13/01/2018(土) 21:33:53

No.17628  のものも
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
ゾクゾク、わくわくしながら、じっくり(笑)読ませていただきました。

>『頑なに「私は私だ」と思い込んでいても、実はそれは腸内微生物の状態によって作られているのであれば、自分も自我も実は本当の自分ではないということになってしまいます。』

私もお腹にポンポンに向かって、「みんな大好き、ありがとう!」と言わずにはいられない、言ってます。

そして、他人のお腹ポンポンに向かっても言ってしまいます、言ってます、こっそりと(笑)

何回も読みますね〜〜

14/01/2018(日) 12:15:51

No.17629  のものも
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
凄みわけとは、葛藤している最中は、こちら側も辛いです。
それで良いのだと思うし、それが切り捨ててない証拠なのだと思います。
敵、味方でなく
皆が幸せでありますように。

みんな大好き。ありがとう。
初めて聞いた時は、良い言葉くらいにしか聞こえませんでしたが、突き抜けた、飛び抜けた言葉だと今は思います。

14/01/2018(日) 14:58:12

No.17630  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
すみません。

今朝方から私、急に体調を崩したというか、変化に伴う排出が始まったというか・・・。

症状的には胃の不調と強烈な眠気などですが、心身ともにボーっとしたサナギ状態なので、掲示板のコメントは控えさせてもらいますね。

皆さんはどうぞ何でもお書きください。
もちろん読ませていただきます。

計らいなのか何なのか、発酵食品中心のプチ断食(?)を強いられているのかもしれません・・・。

15/01/2018(月) 15:47:32

No.17631  さき
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
ぬまさん、大丈夫?
お大事に!です。

いのちはひとつらなり。
ここ7〜8年、10年近く?ずっと言い続けてきたことですよね。
自分とは腸内微生物はじめ、細胞やミトコンドリアも含めた微生物たちの共生と共棲の集合体。いのちのかたまりなんだと思ったら「自分」「自分の肉体」というものに対する感覚が変りました。

我よしだけじゃ生きられなくてみんな持ちつ持たれつで存在しているわけだし。善玉菌も悪玉菌も日和見菌もみんな「いてくれてありがとう」だし。あんまり電子レンジを使わなくなったし。前にみんなでプチ断食をした時から、豆乳ヨーグルトはずっと作り続けて食べています。ビオフェルミンも飲んでます。
考えたら前よりお通じも快調だし、寒がりが直ったし、毎冬一度は寝込んでた風邪も引かなくなりました。

いのちはひとつらなり
ttp://hitoturanari.iinaa.net/numa1.html

この冊子をつくってからもう7年です
今や腸内フローラが随分注目されるようになりましたよね。
ぬまさん紹介の本も以前に借りて読んですごくよかったので、取り寄せて古い友人に送りましたよ。

肉体はいのちの集合体
みんな大好き。ありがとう、の思いが響きあっていきますように。
って思ってます。

15/01/2018(月) 17:58:40

No.17632  やすこ
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
飯沼さん

大丈夫ですか?ゆっくり休んで、お大事になさって下さい。

いつもありがとうございます。

私は発酵食品にスイッチが入って〜この2日間ほどキムチを食べ過ぎ少しお腹が痛いです。笑

前に皆さんで断食されたんですね。発酵食のプチ断食ってとても興味があります。

15/01/2018(月) 18:40:14

No.17633  のものも
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
実は私も、おとといお腹が痛く
昨日はお腹を壊し
今日は、胃が痛い1日です。
(今日の夕飯、お粥と漬物、明太子な感じです)

飯沼さん、やすこさん
お腹繋がりじゃないですが(笑)
お大事に〜〜!

15/01/2018(月) 20:49:41

No.17634  さき
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
おはようございます。
ぬまさん、のものもさん、やすこさん、お腹大丈夫ですか〜。

>敵の暴走による不調和でもなく、
>味方の暴走による不調和でもなく、
>敵も味方もなく、
>全体として皆の喜びの共生の場を作ればいいのです。

人間の体ってすごいですね。
共生と共棲のネットワーク、いのちの集合体として信じられないような緻密な全体としてのシステム、喜びの場をつくってるわけだから。

腸内微生物相はまさに100兆個ともいわれる微生物たちの共生の場で、そのモデルです。
「悪玉菌」や病原菌の「排除」じゃなく、全体としての「共棲」と「棲み分け」のなかで生きた固有のバランスを保っている。

腸内微生物相モデルを知ってから、色んな場面でこのモデルとシステムを考えるようになりました。
楽になりました。
みんなに自分の気持ちをわかって欲しい、共有したい、という思いがあって、そこでしんどくなることが多かったのですが、切り離すのではなく「棲み分け」って思えるようになりました。
棲み分けても大好きの気持ちが消えるわけじゃない、ってことも、そんな自分の気持ちに自信が持てるようにもなりました。

生まれ育った共同体を否定して完全に断絶し、暴走して自分を守らないと生きてこれなかったのですが、暴走する必要も自分を守る必要もなくなった、そんな感じです。

16/01/2018(火) 08:38:37

No.17635  恵美子
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
> つまり誰かの思い通りにされてしまうのでもなく、
> 誰かを自分の思い通りにしようとするのでもなく、
> 全てを祝福しながら大きな喜びの中で共生していくことを、喜びとして目指すのです。
>
> 敵の暴走による不調和でもなく、
> 味方の暴走による不調和でもなく、
> 敵も味方もなく、
> 全体として皆の喜びの共生の場を作ればいいのです。


ぬまさん、落ち着きましたか〜
やすこさん、のものもさんもお大事に〜

随分、回り道をしてしまいましたが、いまなら↑この言葉がストンと腹に入ります。(今までは頭で分かったつ、も、り、だったか)

冬になると食べ始める”日曜市”の古漬けの漬物、とても臭くて?酸っぱいのですが、クセになる。
冬でも体があたたかなのはこのせいだと信じてるんですけどね。

新年、気持ちをあらたに、
みんなだいすきありがとう!


> ということで、ちょっと目先を変えた提案をしてみました。
> 引き続き今までのテーマについても、その他のことも自由に書き込んでくださいね〜。

16/01/2018(火) 09:39:58

No.17636  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
ホープさん、やすこさん、のものもさん、さきさん、恵美子さん、書き込みありがとうございます!

私の方は、胃の不具合はほぼ治まりましたが、排出の時に特有の泥のような眠気が続いています。
頭もボーっとしています。

今回は何がきっかけになったのかは思い当たらないのですが、やはり何らかの組み換えのようなので、自然に整うに任せようと思っています。

「みんな大好き、ありがとう」という意識で、油脂や畜肉は避けて、腸内微生物たちの餌になる食物繊維を摂るようにしています。

人間の腸内フローラは一時的には変化しても、すぐにまた元に戻ってしまうそうですが、これはあくまでも同じ環境下でのことだと思います。

そして腸内微生物たちにとっての環境とは、宿主の食餌内容と想念でしょう。
化学物質の摂取や肉食を減らし、分け隔てのない無条件の「みんな大好き、ありがとう」の想念で満たす(満たされる)ことで、腸内微生物も健やかな喜びの共生度を高めてくれるのだと思います。

エドガー・ケーシーがヒマシ療法を勧めていたのも、ヒマシ油によって腸内の微生物を洗い流して、腸内フローラの組み換えを促すためだったのかもしれないと思ったりもします。
組み換えがうまくいった人はガンなどの難病が劇的に治癒したということかもしれません。

アレルギーや自己免疫疾患の人は、腸内細菌の種類が少ないそうです。
乳幼児の頃からの抗生剤や化学薬品・化学物質の影響は想像以上に大きいのだと思います。
やむを得ずそういう環境に置かれていた子供(大人もですが)に対しては、さらに意識的に分け隔てのない無条件の「みんな大好き。ありがとう」の想念エネルギーで満たし、食物繊維も十分に摂取するようにしていくことも大事でしょう。(しかし、制限は分離と紙一重であり、制限のエネルギーそのものが健やかな喜びを妨げることになると思います)

(多分ですが、抗生物質の使用量は人間に対してよりも牛や豚や鶏などの畜産の方がはるかに大量に使われていて、しかも日本は世界最大の抗生物質使用国だったと思います。しかも、身の回りの微生物をバイ菌として忌み嫌い、徹底的に排除しようとする想念エネルギーはすさまじいものがあります。分離・排除の意識や想念・言動はまさに天に唾すること以外の何ものでもありません)

そして、腸内フローラの状態が肉体的な状態を規定するだけでなく、心や精神や性格にも大きく作用しているということをしっかりと認識しておきたいものです。
さらに言えば、その人自身やその人を取り巻く地上的現実をも規定しているのです。

親子の場合は言うまでもなく、何らかの人間関係の不調和を抱えている人は特に、分け隔てのない無条件の「みんな大好き。ありがとう」の想念で、(自分自身も相手もを含む)みんなを満たしていくことを実行していけばどうでしょうか?

分け隔てなく無条件のということは、そこには一切の理屈も自分なりの気持ちも入り込まないということです。

なかなか完全にそうはできないのが“生身の人間”ということなのでしょうが、そうはできない自分を正当化する理屈を盾にして逃げるのではなく、そういう不十分な自分に対しても、そういう不十分な自分に対してこそ、無条件の「みんな大好き。ありがとう」という想念を注ぎ込んであげればいいのです。

屁理屈かプライドかツッパリかは知りませんが、素直に分け隔てなく無条件に「みんな大好き。ありがとう」と思えない自分がいちばん寂しい存在なのです。
誰かや相手のせいにしても、何も状態は嬉しくならないものですし。
なったとしてもそれはまさに後追いしかできていない自分、誰かの進化のおこぼれにあずかる自分が浮き上げるだけの話です。

もともと自分なんてあるのかないのかすら分からず、どこで線引きできるかも分からないのですから、お粗末な自我意識で自分と他や全体を分けてしまうのではなく、表の顔・表の思いも裏の思い・裏の顔もなく、無条件に「みんな大好き。ありがとう」という喜びの想念で満たしていきましょう。

その喜びの場には喜びの現実が展開していくのです。
。。。。。

やすこさん、
私は枯草菌ではなくキトサンのサプリとビオフェルミンを飲んでいます。
キトサンは畑の作物と共生度の高い土壌微生物が好む餌で、土壌微生物の活動を活性化してくれます。
だったら人間の腸内微生物相も共生モードに整えてくれるだろう、という単純な思いからです。
枯草菌も土壌微生物には同じような働きがあるのですが、人間用の枯草菌のサプリがあるかどうかは知りません。
。。。。。

前半の書き込み、もう少し書き加えます。

分け隔てのない無条件の「みんな大好き。ありがとう」とは、「みんなひっくるめて大好き。ありがとう」ということです。
何事につけ、分離しないということです。

どの程度かはそれぞれにしても、「自分は○〇さんからこんなことを言われた。こんなことをされた」ということにこだわって、「その人に対して『大好き、ありがとう』とは到底言えない」という思いを捨てられない人も多いのでしょう。

そこの部分だけを分離して、そこに意識の焦点を合わせれば、それは無理もない話になります。
「そりゃあそうだよね」ということになるわけです。

でも、そう主張している人はその相手に対してや、全く別の人に対して、相手が傷つくようなこと、嫌な思いになるようなことを言ったことがないのか? 
相手や誰かが傷つくようなことや嫌な思いになることをしたことがないのか?
言わなかった・言えなかった、しなかった・できなかったにしても、思ったこともないのか?

「私はそんなことを言ったこともなければしたこともない。思ったことすらない」と言える人がいれば、そのご尊顔を拝みたいものです(笑)

意図的であってもなくても、誰もが誰かを傷つけるようなことを言ったり、したりしてきたことは事実ではないでしょうか?
(思うことはエネルギー的には、言ったこと・したことと同じです)

相手の痛みには無神経で、自分の痛みには神経質なことは、つまり自分と他を分離して、自分の側からのみ物事を見て主張することは、言い換えれば自己中(我よし)ということです。

いくら自分なりの屁理屈を並べ立てても、人間というものは多かれ少なかれ、それぞれが傷つけもし、傷つけられもしながらこの地上を生きているわけです。

それを(お互いに)自分に都合のいいように、自分の気持ちに沿って分離して、さらに自分の都合や気持ちを補強・増幅することはすなわち陰りの連鎖です。

そういう状態を手放せない人は、そういう不十分な自分に対してこそ、無条件の「みんな大好き。ありがとう」という想念を注ぎ込んであげればいいのです。

なぜなら、そういう人は心寂しい状態に置かれているに違いないからです。
しかしそれは誰かのせいではなく、自分自身が創り上げている現実であるのですが、そう思えるかどうかは別にして、そういう寂しい自分に対して、無条件の「みんな大好き。ありがとう」という想念を注ぎ込んであげればいいのです。

そしてそんな惨めな自分から解放されたいのであれば、屁理屈をこねて自分を正当化するのではなく、この際、誰もかれも、みんなひっくるめて「みんな大好き。ありがとう」という思いで、その言葉を発していけばいいのです。

自分の思い通りにならない人も、自分の思い通りにしてくれない人も、自分の思い通りにならないことの多い自分自身にさえも、「みんな大好き。ありがとう」という気持ちを注いでいけばいいのです。

地上的自我への囚われ・我執を薄くして、宇宙にあまねく満ちている喜び(だから自分のまわりや内にも満ちている喜び)につながり、その喜びに満たされて健やかに生きるとはそういうことです。

16/01/2018(火) 17:09:26

No.17637  やすこ
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
微生物のお話。
そんな風に考えた事なかった〜‼と驚いて、まだその驚きが続いています。

何度読んでも色んな事と繋がって、読むたびに思う事が違います。

1度目は、ハッ!としてキムチを大量に食べてしまいました・・。

(のもちゃん、さきさん、恵美子さん、心配して下さってありがとうございます)

自分があるのか?ないのか?と考えると少しフワフワした宙を浮いたみたいな〜とっても面白い気持ちになりますね。自分の気持ちも人との関わりも少しチカラが抜けるというか。

上手く表現出来ませんが、「みんな大好きありがとう。」「絶対大丈夫」
の気持ちが少し膨らんだような気がします。

目先を変えるって、本当に面白いです!

飯沼さん
体調崩されてるのに、サプリの事教えて下さってありがとうございます。食物繊維もたっぷりとります。

16/01/2018(火) 22:44:27

No.17638  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
やすこさん、書き込みありがとう!


私はまだ眠気が残っていて、頭もボーっとしていますが、ほぼ回復というか調整完了間近だと思います。(マジか?・笑)

メールの返信が滞っていますが、ご容赦くださいね〜。

昨日の書き込みを読み返してみれば、なんだか過激な書き方になっていますね。
私が調整中ということで、これもご容赦ください。

定例会で使う脚本「夢の住処 Old Spirits Home」、完成版の印刷と製本ができました。

今日中に発送できると思います。
感想など、書きこんでもらえればありがたいです。

ストーリーは書き始めてすぐに全体のイメージが浮かびました。
脚本としての手直しはBさんとぶつかりながらでしたが、私にはとても楽しい作業でした。

Bさん、ありがとうございます!
あとはよろしくお願いします!

テーマが決まれば、脚本(の原案)は書けると思います。
というか、物語を創るのはとても面白いので、もっと書いてみたい気がしています。
もちろん、お芝居もそれほど観たことのないド素人なので、手直ししてくれる人がいなければモノにはならないでしょうが。

ニライカナイ伝説を含んだ琉球・沖縄のことは、有史以前(伝説)と過去と現在と未来を重ねたスケールの脚本として書きたい気持ちが強くあります。
書けたとしてももう悠々塾でやることにはならないでしょうが、今年中か来年中に書くことを自分の楽しみにしておきたいと思います。

17/01/2018(水) 11:20:35

No.17639  のものも
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
やすこさん、さきさん、恵美子さん

お腹が痛いのは治りました〜
単なる冷えかも(笑)
それか、飯沼さんの書いた文章のせいかもー(笑)

>書けたとしてももう悠々塾でやることにはならないでしょうが、今年中か来年中に書くことを自分の楽しみにしておきたいと思います。

改めて聞くと寂しくなりますね。
定例会も、ワイワイ飲んだり、騒いだりとしてる事も、いつかは思い出となってしまうのでしょうね。
当たり前の毎日も、いつかは消えていくのだと思うと、人生は、はかないものですね。
みんなが仲良く生きたいものです。

17/01/2018(水) 18:52:07

No.17640  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
のものもさん、回復よかったですね〜!

>改めて聞くと寂しくなりますね。<

ご希望であれば、その脚本も悠々塾でやっても構いませんよ(笑)

>定例会も、ワイワイ飲んだり、騒いだりとしてる事も、いつかは思い出となってしまうのでしょうね。<

はい、そうなるでしょうね。
しかし、はかない思い出として消えていくのではなく、「あのワイワイガヤガヤ・和気藹々があればこそ、今の皆の(地上人類の)喜びの現実がある」という、その意義を再確認する懐かしい思い出として残ります。

もちろん、「表現力アップのための演劇基礎講座」もそうです。

昨年末からの提案やこのスレッドで提案していることに意義は、深く大きいと思っています。


地上人類というスケールがイメージできなくても、自分や自分の周囲の人たちの健やかな喜びを現実化していくために、本気になってもらいたいと思います。

今を喜べず、今を嘆き、先々に不安や怖れを抱いている人は少なくないでしょう。
今を喜べている人でも、何らかの陰り=喜びではない気持ちを抱いていない人はとても少ないでしょう。

自分自身の気持ちを喜びベースに切り替え、病原菌や腸内微生物さんたちから神という存在までをひとつらなりにして(つまり、みんなひっくるめて)、分け隔てなく無条件に「みんな大好き。ありがとう」という想念と言葉を向けていくことによって、自分の生命場のエネルギーも自分の関わる人や生命たちとの場のエネルギーも、根底から喜びに変わるのです。

私たちは程度の差はあっても自我に囚われた未熟な存在ですから、多少の好き・嫌いや快・不快はありますし、喜びベースになってもいくらかは残るものでしょう。

でも、それでも構わないから、そんな自分も隙も嫌いも快も不快も、陰りもみんなひっくるめて「いのちはひとつらなり。みんな大好き。ありがとう」なのです!

喜びベースとは、今の陰りを否定することではなく、さらなる喜びへと進もうとしていくこと。
今の現状に留まろうとしないこと。
その方向性です。

陰りを喜びに修復していくことであり、不調和を調和していくことです。
そして何よりもそれを自分の喜びとしていくことです。

今まで通りなど通用しない大きな節目、大きなスケールでも個々人のレベルでも瓦解・崩壊か喜びの再構築かの大きな節目を迎えつつある今、自分や皆の健やかな本当の幸せを願うのであれば、この心の切り換えの作業をどうか続けていっていただきたいと願わずにはいられません。

神の分け御霊を戴いた自分の魂を惰眠させたままでは、新しい喜びの地上界への風穴はあかないのです。

17/01/2018(水) 20:51:16

No.17641  ゆりか
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
ヌマさんの屁理屈‼という言葉に 私の記憶を司る左脳 もしくは 海馬が反応しましたよ〜

20年前に霊界に帰った父から頂いた私への苦言の言葉の中で 一番多く使われたのが
『屁理屈をたれるな‼(たれる。。とは広島弁で だらだらと言い続ける。。という意味あいがある言葉です)』
だったのよね〜〜

いつの頃から 言われ続けていたのだろう?

多分 私が 自分の間違った言動を 父に指摘された時 『理屈 』というものを使い 始めて 両親に反論できるようになった頃やから 11才の頃かもしれんなぁ〜〜

自分ではちゃんとした理屈やと思って 私が正しいから、父は 私の言動を認めてくれるに違いない‼
という期待を抱きながら そういう言動をした時の自分の気持ちや言動を正直にっているのに いつも

『屁理屈をたれな‼自分の言ってることが 屁理屈なんが解らんのか‼屁理屈たれずに 素直に謝れ‼』

と言う苦言を返され 訳が解らんかったわ〜
納得がいかない私は 父に 説明を求めるけど 毎回同じ言葉が返ってくるじゃけん 悶々としは気持ちは晴れることもなく 長い間 私の心は曇り空やったわぁ〜〜

父からの答えは いつも決まって
『今のお前には 説明してもわからん‼自分で考えろ‼わしに答えを求めるな‼ いつかわかる時がくるわい‼』

じゃったよね〜〜


今でこそ この 父からの苦言が あったから 自分の心の中を自ら探りながら 答えを求めて生き続けてきた私の人生があるのやなぁ〜〜
と染み染み感じ 感謝の念で一杯なのですがねぇ〜〜

ヌマさん‼父との濃密な関わりを思い出させてくれて ありがとうね〜

えみちゃん‼私は ぶっちゃんからの苦言を拝聴する度に

『父とぶっちゃんはダブルなぁ〜〜』

と感じていましたわ〜
二人とも 人に対してのそこはかとない深〜い愛情と 信頼感を兼ねそなえた 素晴らしい男性だと思っていますわ〜〜
勿論 ヒロちゃんもですけどね〜〜❣
定例会 一緒に行けたら 嬉しいわ〜❣

18/01/2018(木) 08:45:59

No.17642  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ちょっと目先を変えて、喜びベースへの切り換えを 引用
ゆりかさん、書き込みありがとう!

そうでしたかぁ。

自分を守るための言い訳に屁理屈をこねる場合もありますし、強い立場の者が自分を守るために「屁理屈を言うな!」と逃げる場合もありますね。

生命はひとつらなりで、個も全体もさらなる喜びに進んでいる(進化している)ということを、絶対の摂理として受け入れるならば、陰り=喜びではない気持ちに留まろうとするために用いる理由はすべて、自我意識=我執に囚われた自分の側からの理屈に過ぎませんから「屁理屈」です。

とはいえ、私はそういう屁理屈を言う人を否定しているわけではなく、今の地上の人間というものは(私を含めて)その程度の段階にあるのだと思っています。

ですからそれぞれに歪みをかかえているわけですが、歪んだ部分に何らかの根拠(真実性)を置いても真っすぐにはなりません。
そこで歪みの正当性を主張すればするほど歪みはひどくなってしまいます。

(例えば、針金が曲がっていることが分かる・認識できるのは、真っすぐな部分を見るからです。
極めて狭い視野で、曲がった箇所だけを見ていても、そこが曲がっているとは分からないわけです。
たとえ曲がっていることが分かっても、曲がった理由をいくら並べたてても真っすぐにはなりません。
曲がった箇所から離れた真っすぐなところから、その真っすぐさを伸ばしてくれば、自ずと曲がった箇所も真っすぐになるのですが。
そして喜びに進むという摂理には圧倒的な力があります。
何しろ宇宙を統べる絶対の摂理ですから。
針金とは違って、その気にさえなれば、気持ちのところでのコツさえつかめば楽々、真っすぐになっていくのです)

(もっと言えば、1本の針金ではなく、電気のコードでも構いません。
ビニールの被覆を剥がせば、何本もの曲がった銅の針金が縒り合されています。
1本1本の針金は曲がったままでも、それらが縒り合されて束になったコードとして真っすぐであることはできるわけです。
個別の歪み・曲がりに囚われないで、全体として真っすぐであろうとすればそれでいいのです。
私はどちらかといえば、その方が好きなタイプの人間のようです。
真面目なところもないわけじゃないけど、ストイックな生真面目さは苦手ですね・笑)

生命はひとつらなりで、個も全体もさらなる喜びに進んでいる(進化している)という絶対の摂理、つまり自分の気持ちを越えた真っすぐで大きな流れを意識の拠り所とすれば(真っすぐな大きな流れに同調すれば)、自ずと今の歪みに固執することもなくなり、半自動的に自分にも皆にも健やかな喜びの現実がもたらされるのです。

それだけの話だと思うのですが、私の言わんとしていることはうまく伝わっていないのでしょうかね?
(あ、ゆりかさんにはいい感じで伝わっていると思っていますよ)

18/01/2018(木) 12:05:41


No.17602 飯沼正晴 ホームページ E-mail
今日は成人式の日ということで 引用
ゆりかさん、さきさん、masakoさん、祐造さん、みゆきちゃん、きんもくせいさん、やすこさん、書き込みありがとうございます!


生身の人間としての思いはまさにさまざまであり、それぞれの人にとってはどうしようもないほどに重い場合もありますね。
以前にも書きましたが、そこでの葛藤が自分が地上に生きた証しでもあるのでしょう。

私たち人間はそれぞれに過去世からのカルマも今生でのテーマも担って生まれています。
それらは生身の自分(地上的自我意識)では全く認識できない場合がほとんどでしょう。

しかし、それこそが地上人生の絶対的な命題として潜在意識の深層になっているわけです。
つまり、カルマの埋め合わせ・解消が目的・課題となって、その真相の意識が今生での現実を創っていくのです。

それぞれの最初の地上人生の時に、何らかの陰りを地上で解消できず、つまり何らかの負のカルマを創り、それを解消して余りある喜びに戻すために再生したのに、さらに陰りを重ねた(あるいは解消しきれなかった)ことを繰り返してきたからこそ、今こうしてこの地上に生きているわけです。

それぞれの魂の学びの段階や傾向もさまざまですから、地上人生での陰りの内容もさまざまです。

人との違いを喜べないこと、もっと言えば人の過ちや不十分さを受け入れられなかったということも陰りですし、そういう陰りをカルマとして解消することがテーマの一つになっている人も少なくないのでしょう。

そういう目的が魂の意識(潜在意識の深層)になっている場合は、関わる人の過ちや不十分さを見せつけられるという現実が繰り返されるのです。
それは生身の人間としての思い(地上的自我意識)では、一方的にもたらされる出来事・事柄としか認識できず、その後追いをするしかないとしか思えないでしょう。

しかし、本当は自分自身の深層の潜在意識が引き寄せている(創り上げている)ことだということになるのです。

今生で関わる共演者たちもお互いのシナリオを共有しています。
というよりも、個々人のシナリオを複合した膨大なシナリオに基づいて、地上人生が規定されていくのです。

ですから地上的自我意識では、自分に嫌なことを言う、自分を傷つける、自分に迷惑を掛けるとしか思えない相手も、実はシナリオに基づいてそういう役割を担ってくれているありがたい共演者としての側面もあるのです。
(もちろんそういう相手には、その人としての越えるべき課題に基づいたシナリオがあります)

いずれにしても、地上的自我意識を拠り所にしていては、なかなかそこから脱却・解放・解脱しにくくなるのでしょう。


宇宙の全ては喜びの中でさらなる喜びに進化するという真理・法則を受け入れたならば、原理は実に単純です。

地上的自我意識(生身の人間としての気持ち)というレベルでの陰りを、何らかの喜びに切り替えることに尽きるのです。
それは自分としての感情を理性で抑え込むというようなことではなく、感情の陰りは感情の波動領域で何らかの喜びに切り替えるからこそ、感情の領域の喜びの解放になるのです。
(もちろん、霊的意識・知識や理性や意志もフルに活用すればいいのですが)

ただ、地上界はさまざまな学びや傾向の段階の魂が混住するかなり未熟な領域であり、全てを喜びに融合できる段階には進化していません。
だからこそ、違いの中でさまざまな刺激を受けながら大きく学んでいける場でもあるのですが、一気にすべてが健やかな喜びに融合できる段階ではないでしょう。

ですから、場合によっては「棲み分け」という選択をしても全く構わないのです。
さらに言えば、全面的棲み分けもありますし、部分的棲み分けもあるわけです。
それらは、今の段階の自分自身が喜びとできそうな範囲で選択していけばいいことです。
喜びとできそうな範囲とは波動的な同調度ともいえますが、波動的なノイズが増大して自らの波動が喜びではない状態に陥るよりは、棲み分けをして緩やかな調和を形成した方がお互いのため、全体のためになるのです。

ただ、喜びの一環としての棲み分けですから、棲み分けを選択することで心を陰らせるのはまさに本末転倒ということになります。

どのレベルの意識・どの波動領域においての関わりであっても、関わる相手に喜びの波動を向けることができない・喜びの波動を共鳴できないということは相手に対してもとても失礼なことであるわけですから、今の自分では喜びとして直接は関われないから棲み分けを選択するにしても、相手の幸せを願いながら、自分も自分らしく喜びに生きていくことが大事なことです。

そして、本当の自分はその相手とやはり関わっていきたいということが意識のどこかで分かっているのであれば、喜びの関わりを阻害している要素を自分の側から何らかのポジティブな喜びに切り替えて、自分自身の成長としながら次の喜びの展開を創っていくことです。

自分のシナリオをさらなる喜びベースに切り替えれば、膨大な複合シナリオにも影響を与えます。
当然ですが共演者のシナリオにも影響を与えて、そ共演者たちも変わり、その舞台・ドラマそのものも喜びを増大していくのです。

(しかし、今の段階の地上でどの程度その人の魂の輝きを発揮できるかは人それぞれなので、未熟な自我意識を表現してしまっている人を見て、「魂の学びが低い」などと言うことは、自分自身の意識の偏狭さを吐露することでしかありません)

そして、地上的現実に最も近い地上的自我意識(生身の人間としての思い)を何らかの喜びに切り替えることができれば、陰り(喜びに対する歪み、喜びに対する屈折率)は修正されるので、宇宙にあまねく満ちている喜びはストレートに自我意識の層を透過して、地上的にも喜びの現実を創っていくのです。

原理・法則はとても簡単です。
それを難しくしているのが、地上的自我意識・我執(生身の人間としての自分の思いや考え方)なのです。

地上的自我意識からすれば、気持ちが陰るのが当たり前のことであっても、普遍意識の中に在る魂の意識からすれば、全てに喜びとしての意味があるのです。

繰り返しますが、地上的自我意識による陰りを健やかな喜びに切り替えるために、地上の人間にはさまざまな試練がもたらされるのです。
自らの魂が引き寄せる(創り出す)練習問題です。

08/01/2018(月) 12:14:05


No.17604  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
前のスレッドの最後のやすこさんの書き込み、こちらに移動しておきますね。

前のスレッドの書き込みも合わせてお読みください。

引き続き、このスレッドにテーマのことや他のこともご自由にお書きください。
。。。。。
☆以下はやすこさんの書き込みです。

あと、みゆきちゃん、masakoさんが書かれてましたが、「ありのままの自分」を好きになればいいんですね〜。

私もありのままの自分じゃ愛されないと思っていたし、子どもが私に似ないように願っていました。

皆さん書かれていますが、本当に皆んな一緒なんだなぁ〜と、ホッとするような安心感に包まれて〜大丈夫なんだぁ〜と思えてきます。

08/01/2018(月) 12:52:22

No.17605  のものも
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
ここ数日間、父の夢でうなされて、泣きながら起きる事があり、ようやく普通に起きれるようになりました。
まだ夜中に起きてしまうのですがね。

別に変わった事はないのですが、会社に行くと以前より、私自身が一幕、一歩後ろに下がって相手と話ている感覚があります。
一歩後ろに下がると言うか、一歩私に近づいて私になっているような。
これが、喜びベースかなと思います。
(一歩前に行けば、相手とズームしてしまうので、相手に合わせてしまうと言いたい。)
相手を馬鹿にしているのでもなく、理性でもなく、なぜか相手が可愛いく見えるのです。

この調子で、喜びベースに切り替えたいと思います。

09/01/2018(火) 09:00:54

No.17606  のものも
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
あと、父の幸せを願いながら、私も私らしく喜びで生きていきます。
それが、今は一番なのです。

09/01/2018(火) 09:29:24

No.17607  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
はーい、のものもさん、書き込みありがとう!


昨日の私の書き込みで雰囲気が硬くなってしまったかもしれませんが、気にせず自由に書いていってくださいね〜。
。。。。。。

3月・5月の定例会で使う台本、ほぼ完成しました〜。
むちゃくちゃ忙しい中で手直ししてくれたBさんにさんざん口ごたえしましたが、BさんからのOKももらえました(笑)
Bさんには内容や表現にまだご意見もおありのようですが、私とBさんの共作ということで、OKをもらっています。

実は50ページ近い長さになっているので、それをどうするかですが・・・。

あ、今、気づいたのですが、タイトルをまだ決めていませんでした。
たしか、Bさんは「夢の住処」と仮タイトルをつけていたような。
「夢の住処 Old Spiritual Home」とかで調整してみます。
(「はーい、どうぞご勝手に。私、ほんとに忙しいんだから」というBさんの声が聞こえてきそうです(笑)

1月定例会までに、おおよその役の割り振りも考えていきたいので、
普段は参加しているが3月・5月の定例会には参加できそうにない人、普段は参加していないが3月・5月は参加できそうな人はお知らせくださると助かります。

もちろんまだ先の話なので、今の段階での見込みで結構です。
3・5月の定例会が近づけば、またその時点で調整しますから。

かなり長いのですが、克からは
「たとえド素人のお芝居であっても、こういう内容の物語を形にすることそのものにも意味があります。もちろん、皆さんが自分とは違う人間を演じることに、とても大きな意味があるのです」
と伝えられています。

近日中に印刷・製本して、1月定例会でお配りしますね。
なお、定例会には参加できないがこの台本を読んでみたい、と思ってくださる方にはお送りします。(「天地悠々・悠々通信」の購読者の方は無料、それ以外の方は500円ぐらいということでお願いします)
印刷部数のことがあるので、ご希望の方がいらしたらなるべく早くお知らせくださいね〜。
。。。。。。。。

話はガラリと変わりますが。

またまた沖縄で米軍のヘリコプターがホテル・民家の近くに不時着しました。
今日のお昼のNHKニュースでは、この件を「緊急着陸」と字幕表示し、アナウンサーもそう言っていました。

私の認識では、緊急着陸というのは、着陸予定の飛行場以外を含む飛行場に急いで着陸すること。

不時着を辞書で調べたら、
《「不時着陸」の略》航空機が故障・燃料不足・悪天候などのため運航不能となり、目的地以外の場所に着陸すること

今回の沖縄の件は明らかに不時着です。
それを“公共放送”のNHKが「緊急着陸」と報道するのは、セコいですが、はっきりとした裏の意図があるからに違いありません。

要するに国民の意識コントロールの一環でしょう。

ちなみに朝日新聞の見出しは、「米軍ヘリ、また不時着」でした。

年末年始、何人もの芸能人とは税金を使ってゆっくり飲食した安倍総理は、年末の米軍ヘリの件で上京した沖縄県知事とは面会すらしませんでした。

安倍総理はお正月のゴルフ三昧の後、伊勢神宮で憲法改変に向けての決意を表明したそうです。
今年は天も地も、さらに激しく動きそうです。

09/01/2018(火) 17:11:13

No.17608  やすこ
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
カルマ…って考えてたら。

カルマという言葉を知ったのが20才頃でした。平等でないこと、納得のいかないことの不思議がわかった気になって''なるほど''と思ったけど、因果応報?怖いな…って気持ちにその時なりました。

悪い事があったら〜私は前世に悪い事したからだ…傷ついたら、人を傷つけたんだ、ってカルマのせい?にして〜というかカルマだから仕方ないと自分を納得させる事もありました。

それって、バチが当たったような嫌な気分なるだけで「だから何だというんだろう、どうしたらいいんだろう」と前に進んでいたとは思えませんでした。悠々塾にであうまでそんな風に思っていました。あ〜怖い(笑)

すぐには出来なくても"本当の事を知る''って大切だと思いました。間違った知識は怖いです。

皆んな進化して幸せになるために生まれてくる!
どうすればいいのか、その先も学べてる事が本当に嬉しいです。

自分のカルマって・・って考えてみた事もあったな(笑)
もし自分のカルマ(沢山あるけど)を薄く出来たり、解消できる時って魂が喜んで〜そのまま自分の気持ちも喜んで嬉しくなるのかなぁ〜。知らない間に喜びのうちに解消出来てたらいいなぁ〜。

まとまらず、まとめられず。

台本楽しみでーす!

09/01/2018(火) 23:29:32

No.17609  masako
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
沖縄のこと、胸痛みます。米兵と家族が住むエリアにはヘリも戦闘機もとびません。理由は危険だからです。では沖縄の市民はどおなんですか。辺野古の海が毎日の工事で汚染されている。理不尽すぎます。そして憲法改悪に向け、国民投票もカウントダウンです

10/01/2018(水) 00:39:19

No.17610  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
やすこさん、masakoさん、書き込みありがとう!

やすこさん、
>カルマという言葉を知ったのが20才頃でした。<

すごいですね〜。
私なんて、カルマという言葉を知ったのは40歳前後でした(笑)

人間、変われば変わるものです(笑)
。。。。。。。。

台本の件ですが、Bさんの話では「そのままお芝居にすれば、1時間以上になる」とのことです。

3月と5月の定例会だけでは時間が足りないので、1月定例会でも少しBさんに指導してもらおうかと思っています。

普段は皆さん、あまり意識しないままに自分として自分を表現していると思います。
なので、たまには自分以外の人間になって、その人物を演じることの意味は小さくないはずです。

1月は会場を借りていないので、いつも通りの悠々塾の座敷です。私も少しお話ししたいですし、エネルギーの共鳴などもしたいので、全部の時間ではありませんが、何をするかはBさんにお任せして、やってみましょうか?

ということで、参加予定者には近日中に台本を送らせてもらいますので、目を通しておいてくださいね〜。

10/01/2018(水) 14:55:47

No.17611  まゆみ
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
遅くなりましたが・・・
みなさん今年もよろしくお願いいたします。
今年はいつも行かない神社で初詣しました。
いつもは「世界全体が幸せになりますように」というようなことを思いながら手を合わせるのですが
今回、なぜか突然「私が奇跡を起こします」と(汗)手を合わせてて、自分でびっくり焦ってしまいました〜
でも、それでいいんだよなぁーーって、みんなでどんどん奇跡を起こしましょう!
そんな年の初めで、今日から本「黎明」を読み始め・・・ワクワク
喜びベースでいきましょう!と楽しく思えている自分がうれしいです。

話しは変わりますが・・・
ゆりかさ〜ん。今日は還暦のハレの日ですねーー♪
おめでとうございます!!
ゆりかさんにとってはとてもすばらしいハレの還暦お祝いになったのではないでしょうか。(私からは何もなくて・・・すみませんが・・・)
私の還暦の日を思い出します〜
大きな転換のきっかけをいただく大事な日になりました。
あれからもう何年もたちますが・・・今の自分を喜ぶことができ感謝の気持ちが湧いてきます。
ゆりかさんもいっぱいしっかり喜んで下さいね〜

10/01/2018(水) 20:30:50

No.17612  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今日は成人式の日ということで 引用

ゆりかさん、還暦のお誕生日、おめでとう!

豪放磊落、ハチャメチャに見えて(見せて)、実は人一倍細やかな気遣い・心遣い。
おおらかで一途で分け隔てのない愛。

見事な還暦です!

これからもよろしく!

10/01/2018(水) 20:56:34

No.17613  やすこ
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
すごいですね〜。
に、1人赤くなったり、青くなったりしてます(笑)
でも、めげずに続けますと・・。

友人から借りた本
アメリカの女優さんが神秘体験を書いた本に、輪廻転生・カルマについて書いてありました。内容は「前世の生き方が今に影響している」って事だけ残してほとんど覚えていません。

その頃、スピリチャルに詳しい!という友人に「タレント本だ」と笑われてました(笑)

でも仕事で悩んでいた頃だったから大きな精神世界の話に、私は惹きつけられたし救われたとも思います。ちゃんと、知りたい!!とも思ったし。

そこからけっこう時間が経ったけど〜やっとスタート出来て本当に良かったです!何度も言ってますね


お芝居も緊張しますが楽しみです。Bさんの魔法にかけられることも!Bさん、ご指導よろしくお願いします‼

10/01/2018(水) 20:57:49

No.17614  やすこ
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
ゆりかさん
お誕生日なんですねっ!
おめでとうございます‼‼

10/01/2018(水) 21:16:54

No.17615  のものも
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
ゆりかさん
0歳が戌年で6回目、成人式3回目のお誕生日おめでとうございます!

飯沼さんの脚本も楽しみですね〜〜
そう言えば、昨年の定例会で、Bさん出会ったのでしたね。
まだ1年もたってなかったのでしたね。
まだ1年とは。

まだ今年は始まったばかりですが、いろいろと落ち着いて時が流れている感じがします。
わーい 平和じゃあ〜〜

10/01/2018(水) 22:03:43

No.17616  和也&久美
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
私も遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

みなさんの書き込みに、大切なことに気付かせてもらったり、あったかい気持ちにさせてもらったりして、いつも励まされています。
なかなか喜びの気持ちへの切り替えが上手くできませんが、できるところからやって行こうと思っています。

ゆりかさん、お誕生日おめでとうございます!!
ゆりかさんの大きな愛情・優しい心遣いに、いつも励まされています^^

                    久美

10/01/2018(水) 23:31:26

No.17617  ゆりか
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
下記は 昨日からの雪景色を肌で感じだことを FBに書いた私の文章なんだけどね。。。


『一面銀世界の雪景色の美しさに 身も心もあらわれ尽くされるかのような 清々しさ

冬らしい凛とした肌寒さ心地よく感じながらの屋外作業

澄みきった夜空に 一面の星たちの光の真瞬きの美しさ

何もない 静かな谷間だからこそ感じる 静寂の心地よさ

雪景色のなか 自然からの豊かな贈りものを感じ この谷間に暮らしている喜びが 満ち溢れてくる

こんな今が 一番幸せやなぁ〜〜 』


勿論 母として 子供達と本気でかかわりながら演じる 熾烈な本音のぶつけ合いあり愛情表現ありの ドタバタ家族劇の時も

地元の行政機関に携わっている人達が 『全ての町民に対しての基本的人権を守る!!』という地方自治行政機関としての使命から大きく逸脱していると感じる町民への対応について 意見や要望を伝えながら 共に 全ての四万十町民が安心して暮らしていける新しいシステム作りを 模索している時も

犬猫と お互いに遠慮せず かかわり合う時も

大好きな台所仕事をしながら 新しい味や 新作オリジナル料理を創造している時も

恵美子さんと お互いに 好き放題喋り合う時も

こうやって 文章を書く時も

家中を 丁寧に 清めている時も

大好きなテレビを ぼ〜〜としながら見ている時も

自分の奏でる ギターやピアノやジャンべの音色を 楽しんでいる時も

大好きな 針仕事や 編み物を テレビをつけながらコタツに入って 黙々としている時も

オットっと。。。。

こうやって『喜びの時』に意識を合わせて書いてると どんどん 次から次へと湧いてきて 止まらなくなってしまった!!

真由美さん、ヌマさん、やすこさん、のもちゃん、久美ちゃん、御祝いの言葉をありがとうございます😊

こんな感じの 昨今ですわ〜

皆さんに会える日が 楽しみですわよ〜ー❣

12/01/2018(金) 06:56:30

No.17618  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
やすこさん、のものもさん、久美さん、ゆりかさん、書き込みありがとう!

高知も雪が積もっているのですね。
篠山は今のところ積雪はありません。
冷え込みはなかなかのものですが、積雪がないというのはありがたいですが、ちょっと物足りない気もします。
でも、外で仕事をしている人たちからすれば、積雪がなくてもこの冷え込みだけで十分に厳しい冬ですよね。

私も有機農業をしていた昔、膝ぐらいまで積もった雪をかき分けながらキャベツや大根やニンジンの収穫をした時のことをまだ覚えています。

久美さん、
>なかなか喜びの気持ちへの切り替えが上手くできませんが、できるところからやって行こうと思っています。<

それでいいのですよ〜。

のものもさん、
>飯沼さんの脚本も楽しみですね〜〜
そう言えば、昨年の定例会で、Bさん出会ったのでしたね。
まだ1年もたってなかったのでしたね。<

はーい。
明日、何人かの仲間と会うことになっていて、Bさんも参加できるそうです。

その時に、とりあえずプリンターで印刷して製本した脚本の仮完成版を持参します。
集まりの後でBさんに読んでもらってOKが出れば、まゆみさんに印刷・製本してもらって、皆さんにも送りますね〜。

しっかし、Bさんが定例会の講師をしてくれたり、常連さんとして参加してくれたりするようになるとは思いもよりませんでした。
私としては未だに気恥しいのですが、やっぱり嬉しい!

まずはできそうな問題から解いていくのがコツですからね。
意識の切り換えの流れができれば、その方が気持ちがいいのでどんどん作業が進みますよ〜。

12/01/2018(金) 10:32:30

No.17619  恵美子
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
昨日、今日と雪の南国土佐です。
久しぶりに薪ストーブが大活躍!
これが結構いそがしい!!(笑)
北国育ちの私は、雪景色を眺めるとホッとし、こころが落ち着きます。

皆さん、今年もよろしくお願いしますね。

ゆりかさん、還暦の誕生日おめでとう!
その顔は慈愛に満ちていました。
あなたが家族と向き合う姿をずっと見てきました。
長いこと苦しい気持ちや、あり得ないような情況がもたらされるなかで、あなたが決して揺らがなかった人への信頼と愛情、
生身の人間としての感情や気持ちは、それはそれとして、そこに留まることなく、人としての気持ちを一歩も引くことなく行動に移していました。

私が停滞してしまうのは、そこ、でしたから、、、
あなたからのエネルギーでしょうか、、
大きな変化を感じています。
自分の気持ちや感情はあって当然だけれども、、それはそれとして、縁あって出会った人をこころから信頼し、愛していけそうなのです。ありがとうね!

今日の雪晴れのように晴れやかな心持です。

今年、9人目のお孫さんがやってきます。
今年もばあちゃんは、西へ東へ走ります。

12/01/2018(金) 11:03:36

No.17620  ゆりか
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
えみちゃ〜〜ん❣

こちらこそ 長〜〜い間 見守り続けてくれて ほんまにありがとう😊

えみちゃんと えみちゃん家で初めて顔を合わせて 早31年が過ぎようとしてますね〜〜
えみちゃんも私も 若くて 後から人伝てに聞いたところでは 窪川じゅうで ぶっちゃんを挟んで 美人妻がいるのに 若くて美しい愛弟子を家に引き入れていると もっぱらの噂になっていたとか(多分 噂の発信源は 駅前の某D。。。。喫茶店)

私達他所者は いつも 地元民の 羨望や妬みの念の標的になってきたよね〜

そんな中で 私達は 個性は違えども くだらん噂話を 秘かに後ろ足で蹴り飛ばしながら 笑顔で淡々と為すべきことをなしてきたよね〜〜

お互いに 愚痴を吐き出し合いながら 自分で整理しながら 前に進んできたよね〜

こちらこそ 心底から ありがとうですよ〜〜

えみちゃんの存在がなければ 閉鎖的な田舎社会に耐えきれず 私はとっくに逃げ出していたかも知れないなぁ〜〜

これからも 移住組人生の先輩として ご教授くださいね〜〜❣

12/01/2018(金) 12:19:36

No.17621  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
恵美子さん、ゆりかさん、書き込みありがとう!

私もほんとにゆりかさんの変貌ぶりには驚嘆しています。
長い付き合いですが、私のところに電話してくるときはたいてい苦しい状況の時で、そういう時のゆりかさんはテンパってて会話が成立しないことがほとんどでしたから(笑)

最近のゆりかさんとは会話が成立するだけじゃなくて、私もたくさん気づかされ、教えられています!

ほんとに嬉しく、すごいことですよね〜!


ちなみに、ゆりかさんの書き込みにある「若くて美しい愛弟子」って、ゆりかさんのことですから、一応念のため。

12/01/2018(金) 13:14:42

No.17622  ゆりか
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
はい はい ハ〜〜イ❣

12/01/2018(金) 13:39:09

No.17623  ゆりか
Re: 今日は成人式の日ということで 引用
悠々塾のテーマに 『破魔』 が出てきてからは 、一人で 随分 悪戦苦闘

しながら 自分の中のネガティブに 無理やり自らの手を突っ込んで 鷲掴

みにしながら抉り出し 自らの愛の力で光に切り換えることに失敗しては又挑戦する事の 連続でしたからね〜

七転び八起き とは よく言ったものです(笑)

目的を達成する為には 先ずは 自分で 自分の脳を騙しなさい‼

って 誰かが 夢の中で 伝授してくれたような? 妄想だったような?

貴重な体験でしたわ〜〜

12/01/2018(金) 13:52:03


No.17566 飯沼正晴 ホームページ E-mail
2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
  
☆☆ 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から)


悠々塾につながる地上の皆様に、霊界より新年のご挨拶を申し上げます。

地上の新しい年の初めを皆さんはどのように過ごすのでしょうか?

私の生きている霊界には「お正月」はありませんが(ないとも言えないのですが)、それでもさまざまな節目の折には皆が心を新たにして心を合わせ、さらなる喜びへの進化の意志と意欲を高めています。
その共鳴するエネルギーに私は今でも毎回感動しています。

できるならば皆さんがたにも、新しい年の初めを意義ある節目にしていただきたく思います。

さて、今年も地上ではさまざまなことがもたらされるでしょう。

地球という星が進化(変化)する一つの生命体であり、太陽をはじめとする宇宙の他の天体とつながっていることや、それらの天体からも地球自身からも地上人類が健やかなる進化への転換を促されていることを知る人たちも少なくないはずです。

今まで地上人類が常識としていたことがさまざまに揺らぎ覆されるか、その予兆がかなりはっきりと認知できる年になるでしょう。
それは地上人類にとって目先の好都合ではないことも含まれていますし、虚偽や欺瞞が真実に照らし出されることでの衝撃や混乱もあるかもしれませんが、それもまた健やかな喜びの進化の過程でのことです。

もちろんと言うべきか、残念ですがと言うべきか、地上における支配の欲望に駆られた者たちが企てる大小さまざまな出来事は今年も引き起こされるでしょう。

そして今年も地上の人々はより健やかな喜びに進んでいく者たちと、陰りや闇に沈み込んでいく者たちに分かたれていくことになります。

私ども霊界の者たちは、地上の人々が一人残らず健やかなる喜びの進化の流れに乗っていただきたいと念願しているのですが、現状ではそれは難しいと言わねばなりません。

常々お伝えしているように悠々塾は地上界浄化・地上人類の霊性進化の雛形の役割を担っています。
現状がいかなる状態、どのようなつながり方であれ、今このメッセージを読んでいるあなたもまたその雛形の一員なのです。
本人の自我意識がどうであれ、魂の意志と霊界側の計らいによってここにつながっているのです。

どうぞそのことをもう一度しっかりと意識しなおして、特に感情・気持ちのところでも健やかな喜びに切り替え、地上的自我の牢獄を解消してあまねく満ちる宇宙の喜びとエネルギーに自らの全てを解放していただきたく思います。

そして普遍の喜びの意識・エネルギーに同調できた者たちが、今の地上の常識をはるかに超えた喜びをいとも簡単に現実化できることを人々に示し、皆さんがたもその喜びの中で地上人生を謳歌していただきたいのです。

それは決して荒唐無稽な夢物語ではありません。
本当に皆さんがたは確かな歩みでそこに近づいているのです。

今年がその記念すべき素晴らしい年になることを願いながら、「この一年を、何事につけても喜びを基調に生きてください。喜びへの切り換えの回路をしっかりと確立してください」とお伝えいたします。

01/01/2018(月) 00:16:41


No.17567  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
新年、おめでとうございます!

2018年が始まりました。

克からの新年のメッセージをアップします。
前スレッド「2017年、大晦日」の書き込みと合わせてお読みくださいね。

引き続き、今のテーマやそのほかのこともご自由にお書きください。

01/01/2018(月) 00:19:46

No.17571  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
17568のみゆきちゃんの投稿、スレッドの都合でここに移動しておきますね〜。
勝手に改行もしたけど、ごめんね〜
。。。。。。。。。。。

こんばんは
今年最後の書き込みです。

最近の掲示板でのぬまさんとゆうきくんのやりとりの中で
この親に似ても悪くないし、親に似ようが似まいが、そんなことはどうでも良くて
という一文がありました。わたしは、
子どもたちはかわいいけれど、
それよりも、わたしから生まれて、わたしが親で、子どもたちは嫌やろうな、
そして、一緒に暮らしていくなかでこのわたしにいろんなことが似ていって、、、
わたしと似て欲しくないし、わたしみたいになって欲しくないのに、、、と思っていました。

わたしの両親に対しては、なんでこの人たちが自分の父と母なんやろう、って否定的な気持ちでいました。
なので、わたしの子どもたちも、わたしのことを、なんでこんな人が母親やねん、って思っているやろし、
そんな風に子どもに思われるのがすごく嫌やなって思っていました。

両親に対して否定的な気持ちになるのも、自分が望んだ愛情表現をしてもらえなかったり、
わたしの意見を受け入れてもらえず親の価値観からはずれる考えはアウトですので、よく激しいやりとりをしていました。
そのままの自分を受け入れてもらえてなかったな、と思います。
だからかどうか、わたしは自分に自信がなかったし、なんでもかんでも自分のせいにして否定し続けてきたのかなと思います。
そして、人と比較しては、自分自身のあらをさがし、できなさそうなことは挑戦せず、しないことを選んだり。

でも、ぬまさんのゆうきくんへのあの言葉で、わたしはとても気が楽になりました。
似てても悪くないし、似ててもそうでなくてもどちらでもいいんや。
両親がどうであれ、まわりの人がどうであれ、
自分は自分でいいんや、って、やっと頭ではなくて心でわかりました。

Bねぇさんの言葉、
いろんなことがあっての今、いろんなことがあったからこその今の私です。
過去に対しても未来に対しても、恥じることなく臆することなく受け入れ、今あることを喜び、前に進んでいきたいと思います。
ほんまにそのとおりですね。

このわたしやからこそ、
悠々塾、みなさんに出会えたんですもんね!
宝くじ、一等ですよね〜やったぁ、わたし!!
こんな風に自分でいいやん!って思えるようになってきています。
いままでは、まったくこんな風に思えなかったのです。
間違いが多くて修正→謝りながらの毎日ですが、
それが嬉しい、このごろです。
繰り返し、繰り返しやっていったら、できるようになんでぇ
自分に馴染んでくんでぇ、って思っています。
こうして自分作りをしつつ、自分で生きるのが嬉しいです。
ありがとうございます!!といわずにはおれません。

ということで、新年明けての投稿となりました。
本年もよろしくお願いいたします!!
本日はこのへんで失礼いたします。


01/01/2018(月) 00:27:43

01/01/2018(月) 00:39:31

No.17572  のものも
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
明けましておめでとうございます。

好都合な事を喜びにする事は誰でも出来る事であり、不都合な事こそ、喜びに、それを広げていく喜び。
これこそが、本来の生き方だと言えます。

今年はこれに集中した1年にしたいと思います。
来年には、当たり前の回路になっていたいです。
今年も、よろしくお願いします!

ニャーーーんっ

01/01/2018(月) 13:22:36

No.17573  ゆみっぺ
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
明けましておめでとうございます。
今年もよろしく
お願いします。

自分が陰りの表現をしたら、素直に謝る。
これなら出来そうです。
というか、なるほどと
わかりやすかったです。

今までのも、わからないわけではなかったのですが、自分の中でグルグルしているだけなので、進まず…

陰りの表現をしたら、を
意識すると、陰りの表現だらけだなぁと気がついたというか…

道を歩いていても、
あー何か気に入らない!とか年末に病院に行き、
医者の感じが気に入らない。
昔から、初対面の人をみると、
瞬時に自分で勝手に判断し、
あ、この人嫌いだわ、
合わないわと思うことが
あります。
相手が何かしたわけではないのですが、
自分なりの判断基準があるようです。
当然、相手にも伝わるわけで、印象が覆ることはないです。

かなり小さいときから、
そんな感じだった気がします。
人に対する眼差しを暖かく!と言われるのも
納得ですね。

そんなわけで、すいませんと謝っていたら、謝ってばかりになってしまいました。
それでも、気づいたから
良かったのだ
と思います。

気づけば反省することが
出来ますから。

01/01/2018(月) 15:25:46

No.17576  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
前スレッドに投稿されていたホープさんの書き込み、このスレッドに転載しておきます。
。。。。。。。。


久しぶりに投稿させていただきます。飯沼さん、大晦日最後の投稿、本当に有難うございました。ここまでの掲示板を読みつつ、またその内容を自分のものとして心を重ねながらも、置かれている厳しい現実への対処に忙しくなかなか書き込みする気になりませんでした。新年という節目を向かえ、そして「大晦日の書き込み」を読み、しんみりと心に温かさを感じています。
飯沼さんの人生の振り返りを読むのが私は好きで、自分のこれまでの人生をも振り返って、意識の変遷を眺める機会としていました。悠々塾はこれまで、沢山のテーマやその活動を通して私たちに様々な角度から意識心のありようを勉強させてくれました。今その集大成ともいえる究極のテーマに入りつつあるように私は感じています。
「意識が現実を作る」その意識の源は本来「喜び」であるので、理屈理論よりももっとストレートにそこに繋がるよう自分の心を解放しよう、という事だと思います。
それは以前「究極の苦しみの中に喜びを見出してください」というアドバイスこそその事そのものである、と思っています。

私は今年でいよいよ70代の大台です。よくここまで生きてこれた。
そりゃ〜体もアチコチくたびれて来ましたが、何とかチャンと動いてくれてる・・。有難う。
なるほどこの地上界ならではの”痛い目”や”苦悩”も今も継続中ではあるけれど、必要があってもたらされ、それを体験する事によって”片付けねばならないもの”を片付けさせてもらっているのだ。これも嬉しい事です。結局全てが自己の向上に繋がっている
。「日に日にすべての面において私は良くなっている」なのです。

地上界ですから、モガかねばならない時はモガキます。その結果が
どうであろうと結局は喜びに行きつく、と思っています。
沢山の仲間のみなさんと一緒に人としての本当の学びをさせてもらっている事に感謝しています。


01/01/2018(月) 15:47:52


01/01/2018(月) 22:05:20

No.17577  ひがし
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
皆さんあけましておめでとうございます。
元旦両親の実家にいたところ福島のSさんから近況を知らせるメールが届きました。
Sさんは今は動くとしんどいこともあって自宅で静かにしているとのことです。レントゲンでは右肺の方も進んでいるとのこと。また今年からいざというとき病室が空いている方の病院へ転院するとのことです。でも自分の体の自然治癒力を高めていくようにやっていきます。元気に出かけられるようになりたい、とありました。皆さんにSさんの近況を伝えます。
Sさんにエネルギーを送り続けますと返事を書きました。

01/01/2018(月) 22:31:50

No.17578  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用

お正月一人旅中のさきさんは、今、淡路島に近い沼島に船で向かっているそうです。

沼島は勾玉の形をした小さな島で、国生み神話の「おのころ島」だという説もあります。


多分さきさんも参拝する「おのころ神社」は、
小高い山の上にあり、この山全体がおのころさんと呼ばれる神体山です。天地創造の神である伊弉諾尊・伊弉冉尊の二神を祀っているそうです。

今年、さらに新たなる働きに進もうとしているさきさんに、ねぎらいと祝福のエネルギーをお願いしますね〜!

そしてさきさんの地上人生にも、さらなる幸あれ!

02/01/2018(火) 12:29:32

No.17579  みさお
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
新年 今年もよろしくお願いします。

叔母と二人、静かな落ち着いたお正月を過ごしています。

さきさん、書き込みを読み
心も体も軽くなり、自由なさきさんが浮かびました。

今までより、もっと軽やかなさきさん
私も嬉しいです。

飯沼さん さきさん みなさんに早く会いたいです!

02/01/2018(火) 17:16:41

No.17580  みさお
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
あっ 沼島て知らなかったですけど

沼島、名前もGOODですね。

02/01/2018(火) 17:21:34

No.17581  のものも
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
>沼島、名前もGOODですね。
本当だ〜
うきゃきゃ(笑)

「おのころ神社」は、有名なのですか?
私は、初めて知りました〜〜

02/01/2018(火) 18:03:49

No.17582  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
沼島のおのころ神社は知る人ぞ知るというところだと思います。

全くの私見ですが、BC586年古代イスラエルがバビロンに支配された(バビロン捕囚)の時に行方をくらました古代イスラエルの10氏族のうちの1氏族が、それなりの年月を経て、四国の阿波地方に一時拠点を構えた後、淡路島を経由して大和地方に進出する時に、阿波と淡路島の間にある小島にしばし滞在したのかもしれません。

それが饒速日(ニギハヤヒ)一族として大和地方を支配し、先住民(縄文系の人たち)や中国・朝鮮系の弥生人ともある程度の協調関係を維持していた。

そして、ニギハヤヒ系とは別に北九州地域にたどり着いていた別の氏族(おそらくは古代イスラエルで最も高い地位にあったカド族)のカムヤマトイワレヒコ(のちの神武天皇)が日向に移住した後、やはり大和を目指して瀬戸内海を通って大和を支配していったのではないかと思っています。(本当に全くの私見です)

沼島は淡路島の南にある島ですが、さきさんはもう淡路島中部の洲本の宿に戻って、一人ビールと海鮮丼の晩ご飯を食べたそうです。

さっき面白いというかさすがさきさんというメールが来ていたので、無断転載しておきます。(笑)
。。。。

酔っぱらってる〜

かげりを喜びに着地させるのは
善悪・良し悪しでなく
そっちの方が楽しいからですね

地上なんてかげらないとやってられないところだから
別に
かげりが悪いわけじゃない
かげりは良くないことじゃない

理性でなく
感情次元で
今を喜ぶこと
それが魂の喜び
肉体もそれが喜び

そやし
あるものはあると認めた上で
そこに長居しない

今の舞台、今の配役はたかが地上の一場面と割り切って

感情次元に
無理やりでも
別のシナリオ
別の楽しさ
別の喜びを持ってきて
創ってしまって
今までの気持ちの筋道も脈絡も関係なくていいし

わーい・
って演じたらいいんだと思う

それが感情次元でかげりを喜びに切り替える、喜びに着地させるっていうことだと思います

02/01/2018(火) 20:13:46

No.17583  のものも
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
あまり難しく考えずに、シラフの時でも、陽気な酔っ払いな人を、楽しくわーいって演じたら素敵かなぁ〜と思いました。
さきさん、また旅の感想きかせてくださ〜い。
「おのころ神社」も気になります。マイナーなのですね(笑)
「沼島」にあるだけあって、かなり鳥居が、どデカイ!のですね(笑)
画像見ましたよぅ。

03/01/2018(水) 08:09:14

No.17584  やすこ
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
新年、おめでとうございます。

私も、おのころ神社の画像を見ながら、さきさんと一緒に行ってる気持ちになってました〜。飯沼さんのガイド付きツアーで!

元気なメッセージもありがとうございます!
ほんと、今年も感謝しながらわーい!わーい!と喜んでいきます!

ひがしさん
Sさんのこと書いて下さってありがとうございます。
いつも、どうされてるかなぁ〜と思っています。
Sさん、応援してますよ。

03/01/2018(水) 09:49:09

No.17585  春が来る
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
あけましておめでとうございます。

新年のメッセージの受信ありがとうございます。

【できるならば皆さんがたにも、新しい年の初めを意義ある節目にしていただきたく思います。】

大晦日が過ぎ、寝る前に掲示板を見て「おおっ!」って思い、この言葉を身が引き締まる思いで受け止めました。
それから、何度も読み返し、心が洗われていく様な気がしています。

今まで、事ある毎に、義弟夫婦の言動に傷つけられたと感じ、心を陰らせてきました。
積もったちりが光を遮っているかのようでした。

メッセージを読んで、じゃあ自分はどう生きたいのか?ってシンプルに問い直した時、

【地上的自我の牢獄を解消してあまねく満ちる宇宙の喜びとエネルギーに自らの全てを解放していただきたく思います。】

まだまだですが、これを目指そうと思います。

【本人が「生身の人間としての陰りの気持ち」を手放して喜びに切り替えようとしない限り、その人が喜びだとは思えない現実・現象はもたらされ続けるのです。もたらされるのではなく、本人の意識・気持ちが練習問題としてのそういう現実・現象を創りだすのです。】

長年、私の気持ちが「練習問題」として引き寄せていたのですね。
傷つけられてきたと思っても、冷静に見ると、100:0 ではありません。
それに、私自身、いっぱい人を傷つけてきました。傷つけた人達に謝ります。

許されて、今、ここに存在しているのだから「喜べばいい」なんて、何てありがたいことか、とも思います。

今まで何度も克子さんが導きと共に警告も伝えてきてくださいました。
宇宙レベルの事は分かりませんが、それでも、今の様々な状況を思うと警告の予兆をひたひたと感じます。
自分の気持ちをうだうだ言ってる場合じゃない!って思います。

そして、喜びでない気持ちを抱いたままでは、(私なりにですが)いくら努力しても、主人や次女、長女の家族達と本当の幸せは築けないと思いました。(現状をありがたいとは思っていますが)
それぞれの事が別々ではないって。
みんな繋がっているから・・・。
同じステージのままでは、今の延長の脈絡。

この様な私では、周りの人を幸せには出来ないと思います。
まだまだ未熟だけど、でもやっぱり「人も自分も幸せに」を目指そうと思います。

このキャンペーン期間中、あぶり出されてきた陰りの気持ち、あるものをないものにしてきれい事で済ませなくて良かったと思っています。
義弟夫婦に対する「生身の人間としての陰りの気持ち」は、手放して喜びに切り替えようと思います。
生きていたらいろいろあります。
陰りの気持ちになりそうになったら、なりたい自分を思い浮かべて、深呼吸することにしました。

こう思えた事を喜び、新しい年を歩み始めようと思います!

03/01/2018(水) 16:15:59

No.17586  ゆりか
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いしまーす🤲

さきちゃん、沼島のおのころ神社に参拝したのですね〜〜

私も、2012年の夏に7世代先の子供達の健やかな未来を願いながら、大地と調和しながら歩く「アメリカインディアンの祈り」を軸にした7ジェネレーションウォーク(略7Gウォーク)の折に、6月11日〜12日に11人の祈りのウォーキング仲間と沼島のおのころ神社に参拝しましたよ〜〜

余談ですが2012年の7Gwalkは、2012年3月11日沖縄の那覇をスタートして1月半かけて九州・中国地方を経由して5月12日に四国の愛媛県今治市に入り、松山市、高知県四万十川、徳島剣山、淡路島、を経て6月14日神戸から大阪、熊野街道を経て和歌山県新宮市までが前半ルートでした。後半のルートは、8月31日若狭をスタートして大阪、名古屋、長野分杭峠を経由して11月3日富士山迄。
私が参加したのは、前半の5月22日高知県の四万十川から6月27日の新宮市迄と後半の9月29日長野県伊那市から11月3日富士山迄でした。
当時私は53才だったのですが、私以外は皆20代から40代前半のメンバーの中での唯一の50代という事もあり、支援して下さる方々の家での民泊がたまにあるものの殆どがテント泊で、各自が荷物を背負いながら黙々と大地に祈りを捧げる事に集中する努力を続け、集中力が切れた時には自我の陰りを内観し自らの責任で浄化しながら歩きます。休憩は基本的に皆んなで玄米を主食にした野営での自炊の時間と温泉での入浴時間。。。一ヶ月以上のキャンプ生活を続けるなかで、自分の老いに対しての陰りの気持ちを否応無しに自覚せざるおえなかった貴重な時間でした。

ただ不思議な事に、若い人達と自分の歩く速度を比較して遅れていることを意識している時にはドンドン自分の身体を重く感じるのですが、意識を切り替えるために自分の吐息のみに意識を集中しながら大地に祈りを捧げるようにすると、身体が自然に軽くなり歩く速度もあっという間に速くなるのです。まるで母なる大地が自分を導いてくれているかの様な感じでした。
ノンドラッグ、ノンアルコールで過ごし、食事も基本は添加物なしのものを食べ、オカズの味付けも味噌・醤油・塩麹・塩は山塩小僧(笑)なので、おやつ以外は外部からの刺激物を体に取り入れる事も少なかったので、自分の意識だけで肉体のコントロールをする事が可能なのだという事に確信を持てた貴重な経験でしたよ〜〜

私も10日くらいかけて沼島のおのころ神社を始め淡路島を歩いて回りました。1月の定例会でさきちゃんと淡路島の話ができるのを楽しみにしていま〜〜す。

偶然なのですが、私の今年の抱負は高校生の時から始めた一人旅を久々に再開する事なんです!
まずは手始めに、中国地方をぶらぶらと歩いてみようと思っています!

皆々様、今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ(戌年なのだワンワン)

03/01/2018(水) 16:59:01

No.17587  さき
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
はーい、帰ってきました。
メッセージありがとうございます。
淡路島たのしかった〜(今は酔っぱらってないよ。)

12月後半になってから正月休みの温泉旅を思いつき、たまたま宿がとれた淡路島に行ったのですが、沼島行けてよかったー!
乗客一人のコミュニティーバスを乗り継いで運転手さんとおしゃべりしながら汽船に乗りました。(笑)
淡路島は国生み神話のゆかりの場所がたくさんあって、大きな鳥居のおのころ神社もあるみたいですが、沼島のおのころ神社は山のなかの小さなお社でした。

観光客ゼロで地元の人もいない、誰もいない山のなか「おじゃましまーす!」って山にご挨拶して参拝しました。
新しい喜びの地上界を創ります、と誓いました。
それから「おのころ♪おのころ〜♪」と一人で山歩き〜太平洋の見える海岸にそびえたつ上立神岩は圧巻でした。
淡路島おもしろいです。
源氏と平氏にゆかりの史跡もたくさんあるみたいです。
沼島に行って皆で合宿した高島を思いだしたのですが、ぬまさんの解説でなるほどです。

宿の温泉につかりながら、
(感情の層で)かげりを喜びに着地させる、ってどういうことなんだろうって、ぼんやり思ってました。
酔っぱらって書いたメールのメモに書ききれなかったこともあわせて、またコメントしますね。

地上の人間ならではの感情次元を動かすことは
今自分が使ってるエーテルエネルギーの使い方を替えるってことなんでしょうね。
今顕現している現実に影響されずに、後追いしないで

>すべては喜び
>みんな大好き。ありがとう

ってね。
切り替えちゃう。
それってきっとすごいエネルギーで。
地上の人間の地上の人間ならではのエネルギー(地上的な三次元の現実を動かすエーテルエネルギー)が「みんな大好き。ありがとう」を鍵にして共鳴して作用したら、今はまだない喜びの現実がどんどん顕現する、できるんだと思います。
後追いに使ってるエネルギーを喜びの創造(オーダー)に使えるんだからね。
みんなのエネルギーを共鳴させて
新しい喜びの地上界を顕現させたいです

私も早く皆さんに会いたくなっちゃった。
今から定例会が楽しみです。

03/01/2018(水) 20:26:49

No.17588  のものも
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
さきさん、おかえりなさ〜い。
沼島の鳥居の画像見ましたー
(違う画像見てましたね。)
素朴、そぼくでしたっ。
前回、な〜にを失礼な事を私は書いているんだ(笑)

今日から働く人も多いですね。私もです。
なのか、首が朝っぱらから痛いですわぁ。
ではでは、良い1日でありますよう。

04/01/2018(木) 08:48:26

No.17589  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
みゆきちゃん、ゆみっぺさん、のものもさん、久しぶりのホープさん、みさおさん、ひがしクン、やすこさん、春が来るさん、ゆりかさん、さきさん、書き込みありがとうございます!

いろんな状況の中で、皆さんが喜びベースに切り替えようとしておられることに感動しています。

まさに新しい喜びの年が始まっていますね!

今まではそれが自分の当たり前だったので気づかなかった地上的自我(我執)の重力から解放され始めると、その軽やかさが嬉しく実感できるようになってくると思います。

今はまだそういう状態になっていない人も、焦る必要はありません。
悠々塾というつながりの場は間違いなく健やかな喜びベースへの切り換えが進んでいます。
何らかの喜びでここにつながっていれば、必ず誰もが喜びベースに切り替わっていくのです。

そして切り換えが進むにつれて、今は想像もできないような喜びが現実化していきますよ〜。
。。。。。。。

私は元旦と2日は家族勢ぞろい(元旦はねねのダンナさんも来て、うちのお孫さんたちと遊んでくれたり)で、賑やかで楽しいお正月でした。

物心ついてからはほとんど負けたことのなかった百人一首では、ついにお孫さんに負けてしまいました。
まあ向こうは普段から練習していて、私は全くやっていないわけですから無理もないのですが、やっぱりちょっと悔しいですね。
来年は王座奪還します。

昨日は丹波市のTさんが来て、夕方から深夜まで二人で飲みながら話し続けていました。
久しぶりにTさんとゆっくり話せて嬉しかったです。

ホープさんもまた一緒に飲んで話しましょう!
定例会にも参加してくださいよ〜!


沼島は去年に行こうかと思ったのですが、行けませんでした。
ちょっと不便ですからね。

今年は暑くなる前に沼島まで足を延ばしたいと思います。

阿波の剣山の麓には古代イスラエルのものと同じ様式の古い神社がありますし、淡路島にも古代イスラエル人が作ったとされる墳墓(?)の遺跡があるそうです。
沼島にある古墳も、もしかしたら古代イスラエルの氏族のものかもしれませんね。

沼島の対岸の村は、壇ノ浦の合戦で敗れて逃げ延びてきた平家の残党が住み着いたところだそうですが、彼らが来たときはユダヤ人の集落があったという言い伝えが残っているそうです。

淡路島には勾玉の形をしたシオンの山(紫苑山)という山もあって、いろいろ面白そうです。

淡路島は出口王仁三郎も注目して、弟子に調査を命じていたところで、シオン山が今回の7度目の(地上界の)大建替えのメイン舞台(?)になると言っている人もいるようです。

今回の大建替えは、「心と物質の融合=心の喜びによって地上的現実の全てが喜びになる」ことのはずですから、いろいろと面白い場所であるのかもしれません。

ムゥの末裔とも混血した縄文人は、やはり心の喜びに大きな価値を見いだして暮らしていたのだと思います。

古代ユダヤ人はアトランティスの末裔の流れを汲み、物質の喜びを軸としていたのでしょう。(それが欧米の価値観であり、今や世界を席巻・支配しています)

その両者の末裔の国ともいえるこの日本から、「心と物質の融合=心の喜びによって地上的現実の全てが喜びになる」大建替えが始まるとすれば、それはむしろ当然のことのように思います。

こんなことを書いていたら、淡路島や沼島に行きたくなりました〜。

04/01/2018(木) 13:34:48

No.17590  ゆりか
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
淡路島には、(311以降特に)私が2012年に東京で1ヶ月暮らしていた時に知り合った今30代になった若者、旧知のお祭りミュージシャン仲間家族、ヒロちゃんの神戸高専時代のツーリング仲間、私の事を実の姉のように慕ってくれる30代の舞踏家女性など、あらゆる方面での親しい友人が移住しています。
東京から移住した若者は淡路島の玉ねぎ農家に弟子入りしているそうです。
2ヶ月に一度淡路島を通って篠山に行く度に、(時間にゆとりがあれば立ち寄って再会したい人達が住んでいることもあって)帰路には高速を降りて温泉に入って帰ろうかな?(淡路島には温泉も銭湯も多いですね〜〜)と思う事も多いのですが、未だに実現していません。

ヌマさんの書き込みを読んでたら、1月の定例会の帰路には淡路島に立ち寄りたくなってきましたわ〜〜

昔、氷上の悠々塾に通っていた頃は、家族でワゴン車をいざなぎ神社に停めて車中泊した事も懐かしい思い出ですし、
12・3年くらい前に悠々塾からの帰路に、恵美子さんと2人で淡路島のひなびた古い旅館に泊まった事もありましたね〜〜

こうして書いていると、淡路島での懐かしい出来事が次々に湧いてくるので、1月にはゆっくりと温泉に浸かってプチ旅行を楽しみますわ〜〜

04/01/2018(木) 21:32:10

No.17591  さき
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
※淡路島で(感情次元で)かげりを喜びに着地させる、って
どういうことなんだろうと、ぼんやり思ってました。
そこで思ったことのメモ、妄想です

******
かげりの連鎖を繰り返してきた地上は理不尽なこと、わりにあわないことばかりで、それが今の地上界なんだと思います。
そりゃ、かげるでしょ。
あるものはある。それをないものにすることはない。
それが今の地上の現実なんだから。

強い者勝ちで、貧富の差は拡大する一方で、不公平だらけ、
庶民のいのちや人生なんかどうでもいいと思っている人たちが権力を持っている。
地上人生なんか、かげらないとやってられません。

と同時に、愛は時空を、、にあったように
男女間の愛だって
永遠の愛を誓ったハズだったのに気持ちが変る
裏切ることも裏切られることもある。
その愛憎ってどうにもならない。
心かげりますよ。

かげるのは悪いことじゃない
否定することでもない
あるものはある。
それが生身の人間としての気持ちです。
そこからはじめたらいい。

今やろうとしていることは
それを理性の道すじで切り替えるということでなくて、
(もちろん、そう出来るならそうすればいい!その方がベターです)
今ある現実に影響されないで
(後追いしないで)
今、ここで、自分の感情(かげり)(濃い気持ち)を手放す
ってことなんだと思います。

>すべては喜び
>みんな大好き、ありがとう。

ってね。
それは自分の感情をないものにすることとは違ってて
あきらめるというか
かげりの感情に囚われない(長居しない、深入りしない)

どうにもならないことは、どうにもならない

エイッ!と思い切ってしまう、切り替えてしまう感じ。
(後になれば、たかが地上人生の一コマです)

今顕現している現実
(三次元の形、地上的な現状、誰かとの関係、気持ち)から
(いったん)自分の感情を切り離す感じ。

(よくも悪しくも)後追いに使っている
膨大な感情のエーテルエネルギーを
いったんニュートラルの状態に戻す感じ。

すごくエネルギーが要るけど、
かげりを募らせていくこと、かげりに囚われること
かげりの重たい感情のなかにずっといることは
地上の人間にとって(肉体にとっても、魂にとっても)
本当は苦しい、しんどいことなんだと思います。

存在することすべてに意味があるなら
全ては喜び、なんです。
理不尽さも、不公平も、傷ついたことも傷つけたことも
苦しさも怒りも悲しみも報われなさもさみしさも、、

今ある現実、顕現している現実に影響されて
心かげらすのはあたりまえ
だったらその現実に影響されないで
今ある現実に制約されないで、
地上の人間ならではの心を使うんです
重たい感情のエネルギーを切り替えるんです

>すべては喜び
>みんな大好き、ありがとう。
って。

現状維持、現状追認に使っていた
エーテルエネルギー(重たい感情)を
いったん手放すんです
そしたら
膨大なエネルギーがトロトロのスープみたいに
ニュートラルな状態になるんだと思います

そこに本来の霊的エネルギー
(魂の喜び、いのちの喜びのエネルギー)が
流れ込む余地ができる

そのエネルギーを(後追いではなく)
「今はまだない現実」を生みだす、創りだすために使う
使えるんだ!って、思ったらワクワクします

これって地上の人間だからこそ、出来ること。
この重たいかげりの地上界をつくったのは人間で、
これを浄化できるのも地上の人間だってことでしょう。

理不尽な現実を容認するわけじゃない
けど、この現実をベースにするのはしんどいです
(地上的な道筋だけではどうにもなならない)
嘆き続けるのはしんどいです
苦しみ続けるのはしんどいです

この現実自体が、
地上の人間のかげりと思い込みの産物なんです。
だったら
それに影響され、それをベースにすることはない。
そこに囚われることはないんです。
それを後追いすることはないんです。

>全ては喜び
>みんな大好き、ありがとう。

そこからはじまり。
誰でもはじめられます。
ワクワクするような
「今はまだない現実」を創りたいです
皆さんと一緒に。
(当たりの宝くじがそこにあるんだから掴み取らないとね!)


※おまけの補足
娘が病気で他界した時にいっぱい泣きました。
なんで、なんで、、って。
でも人間って、そんな時にもお腹が減ったりするんです。
悲しくて寂しくて切なくて
ずっと嘆き続けていることもできた
ずっとそのなかに浸っていたい自分もいました
今もそんな(地上的な)気持ちが完全に消えたわけじゃありません。
それが地上の人間の気持ちだと思います
消せないです。あるものはあるんです。
でも、どうにもならないことはどうにもならない。
(いったん)手放すことは
それをないものにすることとは違う。
同時に、その嘆きのなかにずっといたら
今の自分はありませんでした。
それでよかったし、娘もそれを喜んでいてくれると思っています

06/01/2018(土) 14:11:03

No.17592  ゆりか
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
さきちゃんの書き込み読んで、あらためて、うちはさきちゃんが好きやなぁ〜〜って思う。。。

みんなのこと、大好きなんやなぁ〜〜って、素直に表現して生きていくって思いが溢れだしてくるよ〜〜

6回目の年女。。。
この一年は、際限なくいっぱいいっぱい溢れ出てくる みんなのこと大好きやわ〜〜っていう思いを、素直に表現していきますわ〜〜❣

06/01/2018(土) 15:10:47

No.17593  masako
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
みなさま。遅れましたがあけましておめでとうございます。掲示板、気になってコメントしたいこともあるのですが、いつも出遅れ(そのときの話題に)て、書き込めないことばかりですいません。今年はぼちぼちかもですが、あまり構えないで、自分からたまには発信できたらと思います。
みゆきさんのコメント読んで、「両親に対して否定的な気持ちになるのも、自分が望んだ愛情表現をしてもらえなかったり、わたしの意見を受け入れてもらえず親の価値観からはずれる考えはアウトですので、よく激しいやりとりをしていました。そのままの自分を受け入れてもらえてなかったな、と思います。」このところが、あっわたしと似すぎてる〜って思いました。わたしも一人っ子なのに両親から愛されている実感はなく、そのくせ わたしを束縛する両親とはかなり確執がありました。でも、以前もお伝えしましたが、克子さんから両親に手紙を書くように言われ、しぶしぶ手紙を書き、克子さんからは亡くなった母親からの手紙をもらったとゆう出来事がありました。亡くなった母のそのままの思いを克子さんがリーディングしてくださったのです。衝撃でした。克子さんが出会ったこともない私の母の、「まちがいなく母の手紙」と思えるものでした。ことばの使い方やいいまわしが、母親そのものだったのです。手紙で知ったことは、母親にもいろいろな悩みがあったこと、愛情はあったけれどうまく表現できなかったことなどでした。その手紙が大きなきっかけで両親とわたしとの溝は埋まってきました。自分に自信がないのは今もかわりませんが、そこも少しはましにはなってきたかも。みゆきさんのご両親もきっと表現が苦手なだけでみゆきさんに愛情はしっかりもっておられるんだと思います。それに、今はみゆきさんはゆうきくんやこどもたち じいじとばあばと藍子ちゃん一家に囲まれて、大きな家族が近くっていいなあって思ってます。家族の愛情はたっぷりですね。こどもたちも「ママが大好き」って見てて思います。自信ないなんて意外でしたよ〜自信もってくださいね。ゆうきくんのずっと前のコメントはみゆきちゃんや家族への愛いっぱいでうらやましかったですよ。ほんまに自信もって、さらにさらに輝くみゆきさんでいてくださいね。

06/01/2018(土) 20:12:03

No.17594  masako
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
それから、みゆきさんの「自分は自分でいいやん」ってほんまにその通りやね。親から「ありのままの自分」を愛されないと思ってた私です。でも自分が「ありのままの自分」を好きになれば、それでいいんですね。自信もってねってさっきコメントしたけど、みゆきさんはもうとっくにだいじょぶだと思います。

06/01/2018(土) 20:19:52

No.17595  祐造
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
みなさん、今ごろですが新年おめでとうございます。
年末は仕事が繁忙期だったうえに風邪が長引いてしまって、年末・年始と掲示板を読むことができませんでした。
ここ数日でやっと読み進めて、今やっと追いついたって感じです。
なんだか文字通りの後追いで、この間何にもできなかった状態でした。

でもこれって、「大変ななかでも頑張っている、いい人の自分」というエネルギーベースそのままの現実が展開している標本みたいだなって、恥ずかしく思います。
まるで自分が作り出した泥沼に足をとられてのたうっているような現状で、ほんまに嫌になります。
新年早々、こんな書き込みですみません…。


かげりの気持ちを喜びの気持ちにに切り替えるキャンペーンが、新春に延長されて良かったです。

でも今それを書こうとしてもなかなか書けないでいる自分があります。
「例文に沿って気持ちをめぐらせてから文章にすることを勧めます」という具体的なアドバイスをもらいながらも、何をどう書いていいいのか分からずに悩んでいました。
なんでこんなに書けないのか分からない。
自分のかげりを認めたくないからか…。
いろいろと自分の気持ちをたどってみたら、どうやら「失敗したくない」という思いが強くあるように思います。
何度もやり直しになってしまって、「今度こそは失敗できない」「ちゃんと書かないとどうにもならない」「もうやり直しは嫌だ」…そんな変なプレッシャーが強く働いていることに気が付きました。


幼いころの母親との関係性から「いい子でいなければ」という潜在意識が「失敗ばかりの自分」を許さないのでしょう。
思えば10年前のドネの発足のころに、僕は自分の至らなさから周りの人たちにとんでもない思いをさせてしまいました。
とんでもない迷惑をかけておきながら、こう書くのも申し訳ないのですが、その時も失敗続きのなかで「もう失敗できない」というプレッシャーに追い詰められて、もう本当に身動きひとつできなくなり、何もできない(何もしない)なかで自爆してしまったように思います。

当時、そんな気持ちになっていることすら、一番身近な人に打ち明けられないほどに孤独な「できるはずのいい人」でいなければならなかったのだと思います。
迷惑かけてしまった自分が言えることではありませんが、それは今思い出しても辛く悲しく、できれば思い出したもないことです。 (すみません…)
そして今もその「失敗できない」という気持ちに囚われている気がします。

そんな自分を覆い隠し、つくろうことに自分は大きなエネルギーを費やしてきた愚かさに気が付きました。
なんて馬鹿なやつかと思います。
本当は「できない自分」こそがありのままの自分なのだし、それを素直に見つめつつ、そこから一歩でも進んでいくのが喜びにつながるのだと、今思います。

自分をつくろうかげりに囚われていた自分を解放して、ありのままの自分をそのまま喜んで、それを素直に表現することの喜びに切り替えていきます。

07/01/2018(日) 00:07:42

No.17596  みゆき
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
おはようございます。

さきさん
みんなの先頭に立って仕事されてきて
本当にお疲れ様です
ありがとうございます!!!!
淡路島の旅で、少しは疲れもとれたでしょうか?
のんびりできたでしょうか?
さきさんの働きぶりは誰にも真似できないことで、
いつもすごいなぁ、、、って感心するだけで、
さきさんのお役に立てること、ほっとんどないですが、
事務仕事はそこそこできるかなと思っておりますので、
そういうのはどんどんゆっていただいて、
さきさんにしかできないお仕事をこれからも続けていって下さい!!

masakoさんもわたしと似たような思いされていたんですね。
なんか、ほんとにみんな一緒なんですね。
自分だけが、つらかったり悲しかったりするんじゃないんですね。
改めてそう思います。
いままでこうされてこなかった、ひどいことされたいわれた、そして傷ついて、こんな自分になってしまって、この自分は存在価値なし、、、
人と比べて落ち込んだりうらやましがったりして、自分にはこんなんできひんよな、才能や能力なんか持ってないよな、、、
って思いながらずっと生きてきました。
自分のことばっかり見て生きていて、自分のまわりをよく見れてなかったということがわかりました。
よくみたら、、、、ほんま、わたし、恵まれてるやん!!って、心から思います。
できないこと、苦手なこと、できない自分を上げていったら、もう、ものすごい数ですが、
そこから、少しずつ、引き続きやっていきます。
できるようになる、気持ちが軽くなるのは嬉しいことなので!!
自分に足りない部分、どうしてもできないことは、それができる人や能力、才能がある方にお任せしたらよいのかなと思っています。

祐造さん
応援しています!!

本日はこれにて失礼いたします。

07/01/2018(日) 07:49:00

No.17597  さき
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
ゆりかさん、みゆきちゃん
のものもさんも、やすこさんも、みさおさんも!
コメントもらって嬉しいです。
ありがとうございます!!

もともと淡路島が目的じゃなかったのですが、宿が取れて淡路島に行くことを決めてたら、さいこさんがガイドブックを送ってくれました。そこに沼島が載ってて、それを見た時に行きたいと思ったんです。
けど調べたけど港まで行くバスがなくて半分あきらめてました。たまたま立ち寄った観光案内所の人が親切で、動ける時間帯としては1日1本のコミュニティーバスの乗り継ぎを教えてくれました。ただし、交通遅滞の可能性があり乗り継ぎ3分で船に乗れるかどうかは保証できないと言われたんですが、、バッチり乗ることが出来ました。
乗客1人だったのでバスの運転手さんも協力してくれました。(笑)
あとで思うと導かれてたなーと思います。
ありがたいことです。

読み返したら自分のことばかりで
あらら、ちゃんと新年のご挨拶してなかったです。
こんなんですが、あらためまして
皆様、本年もよろしくお願いいたします。

みんな大好きです!
この場で出会ったすべての皆さん、
みんなつながってますからねー

****
みゆきちゃん
>お役に立てること、ほっとんどないですが、

去年の夏に一緒に市役所に行きましたよー。
あの時みゆきちゃんが一緒に動いてくれたから、今があるのよ。
みんなつながってて心もエネルギーも相互作用してる
みゆきちゃんの気持ちがみんなに作用してるんだよ〜
私はみゆきちゃんから嬉しい作用をたくさんもらってますよ。
自分を過小評価しすぎだよ〜

ゆりかさん、共感してくれてありがとうー
嬉しいです。
みんな大好き、ありがとう。って。
やっぱりマジックワードだと思います。
また定例会で話聞かせて下さいねー
年女は5回目だよねっ。
私もだんだん近づいてるー

07/01/2018(日) 10:14:54

No.17598  きんもくせい
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
新年のメッセージ、ありがとうございます。
新たな年の始まりに心が引き締まりました。

さきさん、お帰りなさい。
さきさんの17591の書き込み、感動しました!
さきさんの娘さん、さきさんをお母さんに選んで誇らしく思ってるでしょうね。幸せな娘さんだと思います。
私も沼島に行きたくなりました。

自分の気持ちは無いものにはできないけれど、全ては喜びなのだから、
自分の感情に囚われたり後追いしないで、えい!!っと切り替えて手放す。
皆んな大好き、ありがとう。
全てのことにありがとう。
の気持ちに、もっとエネルギーを使っていきたいと意欲が高まってきました。
えいっ!って確かにだし、言うは易しだけど、そこは意欲を高めないと。

みゆきちゃんやゆりかさんの話も、私も同じように思ってきたこともあり、皆んな一緒だな。と思いました。
皆さんと共にあると思うと、嬉しく力をもらえる気がします。

祐造さん、私も応援していますよー!

皆さま、今年もよろしくお願いします。

07/01/2018(日) 23:08:43

No.17599  きんもくせい
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
言い忘れました。
masakoさんの気持ちも祐造さんの気持ちにも、私と同じものを感じています。
ほんとに皆んな一緒なんだと思います。

皆さまと喜びの中で生きていきたいです。

07/01/2018(日) 23:54:03

No.17600  ゆりか
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
さきちゃ〜〜ん❣

細かい事じゃけど、やっぱり、6回目のの年女じゃと思うわ。

0才で1回目、12才で2回目。。。。って書いてみたら、60才は6回目になったんよね〜(笑)

うちも勘違いしとったんじゃけどね〜

やっば、空で考えるより、指先つこうて描くほうが、🧠は機能しやすいんじゃね〜〜(笑)

08/01/2018(月) 06:37:26

No.17601  やすこ
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
さきさんの書き込み何度も読んでます。

自分を振り返って〜。私って変わらない毎日がこれからも続く事にため息つき、同じところを出口がない・・ってグルグルまわっていたような・・。思い出しても情けなく疲れる・・。ずっとそれにエネルギーを消耗させてたんですね。

でも今はそこに使っていた沢山のエネルギーを、私も「今はまだない現実」を創る事に使いたい!って思います。

今回、喜ぶ事に一生懸命って初めての経験だけど〜喜びに切り替える=エネルギーを切り替える・・って感じが少しわかってきたかなぁ〜という気がしています。

そして、どうしようもないしんどい気持ちがぶり返す事もあるし…上手く切り替わってない事もあるけど〜そこに長居しない!ずっと影響されて留まらず!ないものにするんじゃなくていったん手放す!ハイ!

全ては喜び
みんな大好きありがとう

いま、こんなワクワクする夢を皆さんと一緒にもてているなんて!人生っておもしろいです!

08/01/2018(月) 09:21:51

No.17603  やすこ
Re: 2018年 新年のメッセージ(霊界の克から) 引用
あと、みゆきちゃん、masakoさんが書かれてましたが、「ありのままの自分」を好きになればいいんですね〜。

私もありのままの自分じゃ愛されないと思っていたし、子どもが私に似ないように願っていました。

皆さん書かれていますが、本当に皆んな一緒なんだなぁ〜と、ホッとするような安心感に包まれて〜大丈夫なんだぁ〜と思えてきます。

08/01/2018(月) 12:23:13


No.17560 飯沼正晴 ホームページ E-mail
2017年、大晦日 引用

今年も今日で最後。
明日からは新しい年、2018年が始まります。

私は今年の7月で65歳になり、すでに高齢者ということになるそうです。
私は今もチャレンジャーのままなので、自分ではあまり高齢者という意識もないのですが、しかし地上人生は短いものですよ。
なんだかんだでやっているうちに、すぐに歳をとるものです。

人生には何も無駄はないと言いますが、自分の人生を振り返ればずいぶんと遠回りもしてきたと思います。
それも含めて無駄ではないのでしょうが・・・。

しかし人生というものは分からないものです。
以前は長男家族も長女家族も大阪で暮らしていて、お孫さんたちに会えるのは定例会を含めて年に10回程度でした。
それがひょんなことからみやっちさんがこちらに相談もなく二世帯住宅の物件も探して、長男一家も一緒に篠山に移住することを決めてくれたことで、今ではじーじの喜びを満喫させてもらっています。

あの時もしも事前に相談されていたら、片道1時間半ぐらいの遠距離通勤になるみやっちさんのことを思えば賛成はできていなかっただろうと思います。

その後、みやっちさん宅の隣家が空き家になり、持ち主さんのご厚意で破格の安価で長男家族が購入させてもらい、隣同士でいろいろ協力しながら、お孫さんたちは仲の良いきょうだいのように賑やかに暮らしています。

それもまた自分の潜在意識が現実化したのだとは自分では思いにくいのですが、顕在意識には上らないそれぞれの魂の意識が現実化したということなのかとは思います。
いずれにしても、ありがたい人生ではあります。

というわけで、今日からは克の娘(妹の方)のねねが泊りがけできます。
ダンナさんが大晦日のイベントの仕事に行く道で送ってきて、また迎えに来てくれるそうです。(さっき来て、本人が言うには西神戸から篠山までねねが運転してきたそうです!)

この10年ぐらいは毎年、篠山で年越しをしてきたさきさんは、今年は淡路島に1人旅とのことで、子供3人分ぐらい賑やかで明るいさきさんがいないのはかなり寂しいのですが、元旦には長男家族も長女家族も次男家族も全員集合で、賑やかなお正月になりそうです。
一人っ子で育った私がいつの間にか大家族ですが、子供たちも大人たちもみんな仲が良いことが何より嬉しいです。
(私の母親は神戸でお正月ですが、別に不仲ではありません。たぶん近所に住んでいる姉や妹や友人たちと出会っている方が気が楽なのだと思います。)


長年、足が遠のいていた神戸の街中に、今年は行く機会が増えました。
高校生の頃や20歳代の頃、よくウロウロした三宮や元町や新開地などの商店街を歩くと、あの大震災でずいぶん変わってしまった神戸の街もやはり懐かしいものです。
50年近く前の高校生の頃に憧れの先輩と歩いたあたりを今はお互いに高齢者になった二人で歩けば、昔と今が重なりあって、なぜかとても自然な気持ちで「皆に幸あれ!」と思います。

神戸の大晦日は、あちらこちらのお寺からの除夜の鐘が山にこだまするように響き始めると同時に、港の方から船という船の汽笛が一斉に吹き鳴らされ、近くの中国寺院からは何百発もの爆竹の破裂音が日本の年越しの荘厳さを打ち破り、それに怯えた犬たちが吠え続けるというものでした。

こんな人生を生きるとは全く思っていなかったけれど、自分はおそらくは普通のそれなりに安定した人生ではない生き方しかできないのだろうと漠たる不安も抱えていた、あの若い頃の大晦日がふと思い出されます。

しんどいこともたくさんあったし、自分を見失いそうになったことも、自分の人生に絶望しかけたことも幾度もあり、筆舌に尽くしがたいようなみじめで悔しい思いもしてきたけれど、曲がりなりにも自分らしく生きてくることができて良かったなと思う私です。

以前の私の意識では、今の地上界の常識からはみ出した「本当のもの」を求める生き方は、自ずと辛苦を伴うことになったのでしょう。
「本当のもの」といっても、自分にとっての「本当のもの」もあれば、もっと大きなスケールでの「本当のもの」もあります。
私にとってはそれら全てが融合してこそ「本当のもの」であったようです。
なぜだかは分かりませんが、そこだけはどうしても譲れなかった私です。

当然、さまざまな波風も立て、いろんな人にいろんな思いもさせ、自分もいろんな思いを味わってきました。
それでも今、こうして自分としての幸せの中に生きさせてもらいながら働きに邁進できていることが奇跡のようで、本当にありがたいです。

こう言えば傲慢不遜になるのでしょうが、こういう生き方をしながらの幸せは私だから得られたことのようにも思います。
そして、私自身の幸せをありがたく実感できた今、私はもっと簡単に皆が幸せになれる方法にたどり着きました。

それが、「陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えながら、さらに喜びに進んでいく」ということです。

私自身、その回路を開けていなかった頃、つまり地上的自我意識・我執に囚われていた頃は、人生の幸せなんてほとんど感じられていなかったように思います。

でも、自分でも頑張って、陰りの気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えて着地させようとし始めてから(そうしなければもうやっていけないぐらいに自分の気持ちが追い詰められていたからでもありますが)、明らかに私の人生の現実は喜びにモードに転じました。
自分でも思いもよらない、嬉しくありがたいことが幾つももたらされるようになりました。

それは私の力や能力などということではなく、単なるラッキーでもなく、陰りの気持ちを喜びの気持ちに切り替える回路が開いて活性化してきたからだと確信しています。

これはその気になれば誰にでもできることです。
私のようにそれなりに大きなスケールの喜びの意識が持てていなくても、感情のところで喜びに切り替える(さらに喜びに進む)回路が開けたならば、自ずと普遍意識との同調度が高まり、人としての喜び・霊としての喜び・魂の喜びにもつながっていくのです。
つながるだけではなく、それを喜びとしてこの地上で現実化していけるのです!

これは私が勝手に思い込んでいることではありません。
確かなインスピレーション(普遍意識からの直感)と、今まで大勢の人たちの人生を見てきた者としての経験に基づいた分析が完全に合致しているから断言できるのです。

ただし、人間にとって陰り=喜びではない感情・気持ちというものはなかなか手強く、厄介なものでもあります。
今まで通りで気持ちを動かそうとしなければ、そう簡単に喜びに切り替わるものでもありません。
漫然たる心で生きる日々は停滞という陰りでもあり、その中で地上的な年齢だけを重ねていくことは実に寂しい人生です。

「今の自分の陰りの気持ちを喜びに切り替えよう!」という意志の力を動員してこそ、気持ちも動くのです。
それこそが誰にとっても地上人生のテーマと目的、すなわち生きる意味なのです。

そして感情・気持ちの領域が喜びベースに切り替われば、三次元の制約をはるかに超えて、喜びが地上人生・地上界に現実化していくのです。
無限でありながらさらに無限に広がる普遍意識のエネルギーはまさに無限ですから、三次元の制約をはるかに超えた喜びが地上にも現実化するのは当然の法則です。

小銭入れの中のコインだけで人生という買い物をしてきた人が、使えば使うだけ残高が増える魔法の預金通帳を手に入れたようなものです。
喜びを制限・制約せずに、さらに広げていく(進めていく)意志と気持ちになれば、誰でもその魔法の通帳を与えてもらえるのです。
というよりも、その魔法の通帳は今この時もそれぞれの人の本当の心の金庫に保管され、心の金庫の扉さえ開けば誰にでも使えるのです。

そして、地上のどこかでその回路が開かれて活性化すれば(そういうエネルギー場が確立すれば)、今はまだ重苦しい陰りに閉塞している地上の人たちの感情の層にも風穴が空いて、多くの人々の気持ちのところでのエネルギーが喜びに切り替わりやすくなるのです。
まさに、自分も皆も幸せになれるのです!

そのことをこの大晦日に心からお伝えしておきたいと思います。

2017年の大晦日、そしてもうすぐ始まる2018年の節目に、「今の自分の陰りの気持ちを喜びに切り替えよう!」「今の喜びをさらに進めていこう!」と意志して、実際に気持ちを喜びに切り替える大転換の日にしていただければ、私にとっても最高の喜びです。

長文の最後になりましたが、今年1年間、こうして働きを進めてくることができたのは、(温度差はあっても)共に歩む仲間の皆さんやこの掲示板を読んでくださる方々がいてくれたお陰です。
読者としてつながってくれている皆さんや、仲間の皆さんからの物心両面でのご支援に心から感謝しながら、今年最後の書き込みとさせていただきます。

2017年、本当にありがとうございました!

本当の意味で新しい喜びの新年をお迎えください!

みんな、大好き!
みんな、ありがとう!

。。。。。。。。。。。

大晦日、お正月でも、いえ、そういう節目だからこそ、皆さんからの投稿を楽しみにしています。
引き続き今のテーマについてや、そのほかのことも何でも書いてくださいね!

31/12/2017(日) 11:31:23


No.17561  みさお
Re: 2017年、大晦日 引用
今年一年、ありがとうございました。

この一年本当に早かった!
以前なら、この一年も変わりなかった
変わらなかったと思った事が多かったですが、
今年は少し変わった そして来年もっと変わりたい、変わるぞ!
と思えます。

今年1月にBさんが、定例会に来て下さりみんなが表現という事を
意識して、みんなが変化していった。
私も表現したいという気持ちを持たせてもらえた一年でした。

あまりに一年が早くすぎ、記憶違いがないか今朝やすこさんに
電話して、「やすこ、今年の1月から定例会来たんやんね?」
と再確認しておきました 笑

元々の友達の、やすこさんが定例会に来てくれたのも嬉しかったよ。
病気で入院していたのが、もうかなり前の様な気がする。
有難いですね、今年5月定例会でみなさんからエネルギーを送って頂いた事、あの時は私も心強かったです。
改めてありがとうございました。

そして最近自分の事を振り返っていました。
飯沼さんの書き込みがある前だったけど、自分と妹の関係
妹だけが悪いのか、自分は全て正しいのか 自分にやましいところはなかったのかと

妹と私の魂に、謝ります。
思っている以上の事まで、言ってしまった事
妹が大事という本当の気持ちより
不安を大きくしていった事

今静かに妹の事を思える。
普通に思える、特に心配する事もなく
それは、自分にとってすごい変化で嬉しいです。
そして自分はどうだった?と思え、はっとした事も喜びです。

自分を振り返れた事が、今まであまりなかった。
そして仕事で毎日疲れてしんどいけど、ある日私は利用者を喜ばせようと思ってから、利用者さんが前より楽しそうになった。

あぁ、しんどいしんどいと思ってたけど自分の良いところは出せてるんやなと、しみじみ思いました。

これからも、利用者さんを笑わせたい!
笑い合いながら安心を与えたい!

なんか支離滅裂な文章になりましたが
今年も一年飯沼さん 克子さん さきさん まゆみさん みなさん
ありがとうこざいました。

来年もよろしくお願いします。

台本とても、楽しみです。
レポートは引き続き、来年も書き込みます。

31/12/2017(日) 14:17:18

No.17562  みさお
Re: 2017年、大晦日 引用
ぽんたさん、こんにちは

ぽんたさん、些細な事ではないですよ、
大変やったんやなぁと思い読んでいました。

今ぽんたさんの晴れ晴れとしたお顔が浮かんできます!
大掃除良かったです!

31/12/2017(日) 14:30:11

No.17563  さき
Re: 2017年、大晦日 引用
大晦日ですね。
皆さん正月準備や大掃除など忙しくされているのでしょうね。
一人暮らしは気楽で〜、ついでにずっと年末年始篠山でお世話になっていたのですが、今年は一人旅でゆっくり過ごしてきます。

今年の最後に嬉しい話を紹介させてください。
何度も書きますが、私は理想だけはあったけど人間関係が怖くて苦手で、父譲りの不器用さで頑なに自分を守るタイプでした。20代で生まれ育った共同体を批判して出た時は、二度と戻らずに一人で生きていくことを覚悟しました。
それから15年、父が他界するまで、そこに足を踏み入れることはありませんでした。その後は一人になった母の介護に協力する形で時々行くようにはなりましたが、「母のため」という以上の関わりはしませんでした。母も見送って、やっと縁が切れたはずだったのですが。
この場の皆さんとの関わりのなかで自分自身の心が軽くなっているからでしょう。
先日、頼まれもしないのにこちらからその共同体に話をしに行きました。
あんなに頑なに抵抗していた自分がいたはずなのに、可笑しなものです。
ドネのつながりで社会貢献に関わる方とのご縁があり、これは自分の後輩の子どもたちにも一緒に考えてもらったらいいと思って、なんの躊躇も抵抗もなく電話して動いている自分がいて、自分でもびっくりしました。
とんとん拍子に話も進んで、そこでのイベントが実現することにもなりました。

生まれ育った共同体への頑なな拒否感、抵抗感というかげり(私の気持ちが作っていた壁です)がすっかり消えていました。頑張って気持ちを切り替えた、ということではないのですが自分のなかではずっと(35年!)過去形で処理していたつもりが、実はそこで葛藤していたことに気づきました。
それがかげりですね。批判は批判としてあるけれど、濃い感情の壁が薄くなって、ニュートラルに対応できるようになりました。自分が自由になったぶん、そこに使っていたエネルギーがもう不要になったんだと思います。あっさり平常心で話が出来て、双方にとって意義深いイベントを実施することが決まりました。
よい仲立ちができたと喜んでいます。

担当の人と話を終えて、帰り際に他の人から「さきさん宛に航空便が来ている。ちょうど今日届いたのでどうやって渡そうかと思ってたと」びっくりした顔で渡されました。驚きでした。35年くらい前に知り合った海外の方が35年くらいぶりに私宛に送ってくれたクリスマスカードでした。(ありえん!)
導きのなかってことだと勝手に思っておきます。(笑)

自分の頑なさを溶かす、頑なさを喜びに着地させるのに35年もかかったっていう笑えない話なんですけどね。本当に軽くなりました。自分がいちばんびっくりしています。
今の自分があるのは、この場につながる皆さんのおかげです。
心から感謝します。
ありがとうございます。
縁あってこの場で出会ったすべての皆さんにありがとうを言いたいです。
来年もよろしくお願いします。
みんなつながってますよ!!
みんな大好き!です。

ついでに、
かげりの気持ち、喜びでない気持ちって
濃くなりすぎると気持ちというより<念のかたまり>みたいになって、自分の一部になってしまう。
そうなると自分でもわかりにくいし、ヘタにさわれない。ヘタに触れられると爆発炎上するし、頭で考えて対応して戦おうとすると余計にこじれてくる。
そこに焦点をあてすぎると、それが形になって現実化しちゃうってこともある。
あんまり考えすぎずに、日常のなかでふと抱く気持ち
人との比較においてや、周囲からどう見られるか気になる時、心配や不安や怖れを抱く時
あれっ?自分はこんなことを気にしてたんだって気づくところから
自分の気持ちを点検→切り替え、というのがしやすいし近道かもと思ってます。

31/12/2017(日) 15:01:50

No.17564  春が来る
Re: 2017年、大晦日 引用
年の瀬、ギリギリの投稿になってしまいました。
どっぷりと小我に浸り、抜け出せないでいました。

過去、いろいろな事があり、「生身の人間としての陰りの気持ち」が、先月の法事の後、あぶり出されてきました。

【「生身の人間として」という意識では、地上での現実・出来事などは、「もたらされたもの」ということになり、それの後追いをすることが前提になっています。しかも、そこで生じた陰り(喜びではない気持ち)を速やかに解消して喜びに切り替えるということではなく、むしろ小我・陰りに留まることを正当化するために、その言葉を使う場合が多いといえるでしょう。要するに小我への囚われ・執着です。】

まさに、こういう状態でした。
今まで、この「練習問題」は置いたままで、解こうともしてきませんでした。
小我に囚われ、自分を正当化してきました。
まだ、この「練習問題」を解けたとは言えませんが、先ずは、解いていこうと思えたことを喜ぼうと思います。

きのうは、正直、少々苦手だと思っていた人から、ある物が届いたのでお礼の電話をしました。
(主人は、しなくてもいいって言っていたのですが・・・)
いろいろな事を聞かされましたが、気持ちが陰ることはありませんでした。
電話をして良かったと思える自分を喜ぼうと思います。

先日、孫を預かっていた時、6歳になったばかりの孫が「わるいひとは、しんだほうがいいの?わるいひとは、いいひとにしたらいいとおもう。」と言ってきました。
思わず、「おばあちゃんもそう思う!」って言いましたが、自分の考えを持つようになってきた孫の成長は嬉しく、大きな喜びです。(後で長女に聞いたら、テレビのニュースで死刑執行のことを放送していたそうです)
今日は、次女が一緒におせち料理を作りたいというので、一緒に作っています。この事も大きな喜びです。
先月の定例会では、ぬまさんの「舞台設定」のおかげで、次女が「大好き」と言ってくれましたが、その事を主人に言うと「『大好き』と『尊敬する』は違うから尊敬される母親になるように。」と言われました。(苦笑)
ひとつひとつを積み重ね、その過程も喜びながら、尊敬される母親を目指します。
ぬまさんが仰るように、なかなか払拭できない気持ちに捕らわれるより、こういう日常のささやかな喜びが「生身の人間としての陰りの気持ち」を溶かしていってくれるように感じています。

きのう、長女が来ていた時、「ママが還暦になるのと、赤ちゃんが生まれるのと、どっちが早いかな〜?」って言ってきました。(来春、長女に4人目が生まれます)
「さあ?どっちかな〜?ママも一巡りして、一から赤ちゃんと一緒に成長するわ。」と言って、笑い合いました。
新たな気持ちでスタートラインから成長していこうと思っています。

ぬまさん、Bさん、今年一年、いろいろありがとうございました!
まゆみさん、定例会では、いつも美味しい手料理をありがとうございました!
さきさん、ドネーションシップの放送、全て聞かせていただきました。地道に活動を積み重ねてこられた事に感動しました!
みなさん、いろいろありがとうございました!
こうして、悠々塾と繋がっていられることは何よりの喜びです!
来たる新年が希望の年になりますように!
来年もよろしくお願いします!

31/12/2017(日) 16:34:15

No.17565  やすこ
Re: 2017年、大晦日 引用
みさおちゃん
いつも話してるから掲示板に書くの、お互い照れるんだよね(笑)。ずうっと前書いた事だけど〜大晦日の今日、また書きます。病院を見舞ってくれたみさおちゃんが言ってくれたお話です。

人生は舞台でやすこはその主役
自分の演じたいようにすればいい
だから、ずっと肩を落としたまま次の幕を迎えてもいい。でもそんなセリフも動きもない舞台は見ていてつまらない。それでいい?観客もあっと驚くどんでん返しを期待するし、舞台全部使って動きもセリフも多い楽しい舞台が観たい。どうしたい?どうなりたい?自分で決めればいい。何にでもなれる!

強く言ってくれてありがとう。これ、本当だね。

どんな自分でありたいか考えたら''人生を喜び輝いてる私''。自分とは程遠い自分の姿でした。強く願って、そしてどうしたらなれるんだろう。
無理して強がったり、から元気で言動することじゃないし・・。そして結局は、どんな自分でもいいから、今の自分を喜ぶこと。それしか出来なかったし、そこからしか始められませんでした。

そして・・・。
今、もっとなりたい自分を目指して、ステージいっぱい言動して〜味のある、楽しい人生ステージにしたいと思っています。なーんて!(大晦日だから恥ずかしくても書く)笑。

飯沼さん、皆さん
私に、友人に、義妹に、沢山の思いとエネルギーをありがとうございました。私は、5月の定例会で皆さんにエネルギーを頂いてどんどん変わっていきました!

そして掲示板。ありがとう。掲示板に書き込みするのは私の心のリハビリです。一年間ずっと一緒でしたね。来年もよろしくね!

皆さん!来年もどうぞよろしくお願いします!

31/12/2017(日) 21:35:21

No.17574  ホープ E-mail
Re: 2017年、大晦日 引用
久しぶりに投稿させていただきます。飯沼さん、大晦日最後の投稿、本当に有難うございました。ここまでの掲示板を読みつつ、またその内容を自分のものとして心を重ねながらも、置かれている厳しい現実への対処に忙しくなかなか書き込みする気になりませんでした。新年という節目を向かえ、そして「大晦日の書き込み」を読み、しんみりと心に温かさを感じています。
飯沼さんの人生の振り返りを読むのが私は好きで、自分のこれまでの人生をも振り返って、意識の変遷を眺める機会としていました。悠々塾はこれまで、沢山のテーマやその活動を通して私たちに様々な角度から意識心のありようを勉強させてくれました。今その集大成ともいえる究極のテーマに入りつつあるように私は感じています。
「意識が現実を作る」その意識の源は本来「喜び」であるので、理屈理論よりももっとストレートにそこに繋がるよう自分の心を解放しよう、という事だと思います。
それは以前「究極の苦しみの中に喜びを見出してください」というアドバイスこそその事そのものである、と思っています。

私は今年でいよいよ70代の大台です。よくここまで生きてこれた。
そりゃ〜体もアチコチくたびれて来ましたが、何とかチャンと動いてくれてる・・。有難う。
なるほどこの地上界ならではの”痛い目”や”苦悩”も今も継続中ではあるけれど、必要があってもたらされ、それを体験する事によって”片付けねばならないもの”を片付けさせてもらっているのだ。これも嬉しい事です。結局全てが自己の向上に繋がっている
。「日に日にすべての面において私は良くなっている」なのです。

地上界ですから、モガかねばならない時はモガキます。その結果が
どうであろうと結局は喜びに行きつく、と思っています。
沢山の仲間のみなさんと一緒に人としての本当の学びをさせてもらっている事に感謝しています。

01/01/2018(月) 15:47:52


No.17548 飯沼正晴 ホームページ E-mail
引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
前スレッドが長くなったので、新しいスレッドを立てます。

引き続き、陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えて、書き込みしてくださいね〜。

前の投稿にも書きましたが、この歳末キャンペーンは新春キャンペーンに移行しますから、無理をしないで、無理やり大正解を出そうとしないで、一つ一つ着実に陰りの気持ちを喜びの気持ちに切り替えていきましょう!

ここがまさに勝負どころなのです。

なかなか喜びの気持ちに切り替えられない自分のことを思って気持ちを陰らせるのではなく、頭であれこれ考えるのでもなく、どんな些細なことでも構わないから、陰りの気持ちを喜びの気持ちに切り替えるのです。

そしてそこで止まってしまうのではなく、さらに次の喜び・他の喜びに進めていくのです。

普通の人間がマラソンを走る時、ゴールを思い描きながらも目先の次の電信柱を目当てに走っていくようなものです。

今までの人生を喜びベースで生きてこなかった私たちにとっては、陰り=喜びではない気持ちを喜びの気持ちに切り替えるという心の作業は、それぐらい大変なことなのでしょう。

でも、いずれ必ず分かるのですが、本当は宇宙はあまねく喜びに満ちていて、だから当然ですが自分のまわりも自分の内も実は喜びに満ちているのです。

そしてその喜びを遮断して陰り=喜びではない気持ちをベースにして、喜びではない現実を創りだしているのは、他ならぬ自分自身の意識・気持ち(地上的自我意識・我執)なのです。

でも、地上的自我意識・我執の壁をなかなか打ち破れない自分を否定すれば、さらに我執に囚われることになってしまいます。
そこでの堂々巡りは誰の喜びにもなりませんね。

なので、アリの一穴でも構わないから、とにかく何らかの喜びに気持ちを切り替えて、その作業を続けていくことです。
初めは不慣れで戸惑うかもしれませんが、慣れてくれば、それこそが人生の喜びだと思えるようになるはずです。

なぜならば、その作業によって普遍意識の喜びとつながっていくのですし、普遍意識というものが分からなくても、そこに満ちている喜びは感じることができるのですから。

これは苦行による悟り・解脱(自我意識の解放)への道をはるかに超えた、喜びによる悟り・解脱(自我意識の解放)への道です。

死後に誰もがする作業を地上でやって、死後の霊界の喜びの現実を地上に生きている今、地上的な健やかな喜びの現実にしていくことです。

という理屈はさておき、

なかなか陰りを喜びに切り替えられない人やどうすればいいのか分からない人は、
何らかの陰りの気持ちを言動で表現してしまった時に、まずは自分が陰りの表現をしたことを素直に謝りましょう。

何らかの陰りの気持ちを言動で表現してしまった自分を否定するのではなく、相手のせいにしたりふてくされたり、自分を正当化してヘンに守るのでもなく、まずは自分が陰りの表現をしたことを素直に謝りましょう。(陰りの表現の元には必ず何らかの陰りの気持ちがあるのです)

そして素直に謝ることができた自分の気持ちを喜びましょう。
そういうクセをつけていきましょう。
(しつこく書きますが、「だから自分はダメなんだよな」ではなく、素直に相手や自分の魂に謝るのです。そして謝れたことを喜びとして、そこから進めばいいのです)

それもまた陰りの気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えるということです。
喜びの気持ちへの切り替えはどこからやっても構わないのですから、まずがそこからやっていけばいいのです。
(ただし、自分を守り取り繕うために、気持ちの伴わない上辺の形だけの謝罪を繰り返すことが癖になっている人は、そこを切り換えていきましょう)

付け加えますが、
例えば不安や怖れが気持ちのベースになっている人は、不安や怖れの気持ちを言動で表現することになります。
そして、それがその人の現実を創っているのです。

不安や怖れの気持ちを自覚した時や、不安や怖れの言葉を発した時や不安・怖れによる行動をしてしまった時、不安や怖れによって行動を縮め、歪めてしまった時こそチャンスです。

そういう時に、
「分かってはいるんだけど、不安に思うのよね(怖いのよね)」とか、
「分かってはいるんだけど、つい言ってしまうのよね」とか、
「分かってはいるんだけど、ついこうしてしまうんだよね」とかではなく、

「私の気持ちが不安や怖れを創りだしているだけで、本当は不安や怖れなんてないんだよね。それを知っているのに、またあんなことを言って、あんなことをして、ごめんね。私もまだまだだけど、こんなふうに言えるようになったことが自分でも嬉しいよ」
と、ちゃんと口に出して言っていくのです。

すぐには切り替えられなくても、それを繰り返していくうちに、不安や怖れの気持ちも喜びの気持ちに切り替わっていくものですよ〜。

怒りや嫌悪感などについても同じようにしていけばいいのですよ。

29/12/2017(金) 11:18:21


No.17549  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
上の投稿、家の大掃除の合間に何度も書き加えています。
何度でも読んでやってくださいね〜

猫のボンちゃんが、「猫の手貸しますキャンペーン」のように、まゆみさんの後を付き回っています。
猫って、ほんとに可愛いですね〜。

あ、8kg猫のツキちゃんも可愛くしています。

29/12/2017(金) 16:22:14

No.17550  オレンジ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
前回書き込みをした後で早速お試しに感じられるような事があり、まだまだ陰りは解放されていないよということかなあと考えてしまいました。

会社勤めにおいて私が今でも好きでもない会社勤めをしているのは
過去でたくさん人の行動や言動に対して違和感や批判癖、分析癖という陰りがあったのかなあと思います。

今はできるだけちょっとしたことで心を陰らさないようにしようと思ったら、考えない人、無関心な人になってしまって、どんどん物事を忘れていきます。

私は瞬間湯沸器のように何でもないことでいらっとすることがあります。私がいらっとするのは多分人の行動や言動が私の想いに沿わない時かもわかりません。基準は私なのです。

たとえば同部署の20代前半の女の子は私に似た面もありますが、私と違う面は感情を荒立てず何でも許してしまう所謂いい人なのです。まだまだの私ですがいらっとした時はその子を見習って思い直しています。

ピアノの仕事では、与えられた仕事は感謝すべきなのですがその日の仕事に携わるスタッフや担当者の事を考えると憂鬱になることがあります。

仕事はありがたいけど、でもね〜、あの人じゃない方がいいとか
これもまた自分の思い通りにいかない事への陰りだと思います。
心の底にあるのは、私を必要とされている感が薄く、他の奏者の方がいいと思っているのではと不安になるのです。
自分を表現する仕事はしていますが、自我や不安からくる過剰な自意識は薄くしていきたいです。

人との繋がりの中や比較や違いにおいてまだまだ陰りはあるので一つ一つ見つける作業を続けて行きます。

29/12/2017(金) 20:55:23

No.17551  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
☆オー、オレンジさん、

書き込みありがとうね。

だけど、オレンジさんもテーマからズレているんですよね〜。
自分の陰り(不十分さ)探しになってしまってます(笑)

これはこれで自分を点検するというところで十分に意味のあることではありますが、今回のテーマは、「陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びに切り替える」「自分の今の喜びの気持ちをさらなる喜びの気持ちに進める」というものです。

なので、できればもう一度、(何度か書いた私の例文なども参考にして)、喜びの気持ちへの切り換えを書いてみませんか?

皆さんからの書き込みを読んでいれば、オレンジさんだけではなく、けっこうズレている人が多いので、私はワクワクしているのですよ〜。

だって、それだけ伸びしろが大きいってことですから!
今の状態でも人間的にもエネルギー的にも信頼し期待できている仲間たちが、陰りの気持ちを喜びの気持ちに切り替える回路を確立できてそれを活性化すれば、凄いエネルギー場が形成されること間違いなしですから!

ということでオレンジさん、忙しければ年内でなくても構わないので、また書きこんでくださいね〜!

29/12/2017(金) 21:16:28

No.17552  Bさん
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
先日のゆうき君の書き込みは、ちょっとウルウルものでした。
はにかみ屋のヒョロヒョロっとスマートすぎる(今や全く信じられないでしょうが…)若き日の飯沼君を知ってるだけに、若さ故の頑張りとそのツッパリを感じて、ちょっと辛いモノがありました。飯沼君は昔から真っ直ぐすぎるところがあったものね。まゆみさんも大変な思いをされたのではと思います。

でも、飯沼クン、立派になられましたね。
過去の辛いこと、悲しいこと、自らの過ちや心の傷からも、目をそらすことなく、ゆうき君に労いと感謝の言葉を掛けられました。見事な喜びへの切り替えです。たぶん、ご本人は「そんなん、あたりまえ!」と笑ってすませるのでしょうが……。
また、その父を労い気遣うゆうき君。父子ともども、偉いなあと思います。
たぶん辛いこともいっぱいあったでしょうが、愛情深い飯沼君のこと、経済的貧しさを補うにあまりある精一杯の愛を子どもたちに注いだにちがいありません。それは、今、立派に成長したゆうき君や藍子ちゃんの姿から十分窺い知ることができます。本当にステキなご一家です。

過去に対しても未来に対しても、何ごとにも臆することのない飯沼クン、よく成長されました!!(あ、今の体重・体型のことじゃないよ〜。ハハッ!)ただの高校の先輩ですが、君のこと、とても誇りに思います。

私は子どもの頃、世話をしていた幼い妹との別れが辛く、大人になってもそのトラウマから抜け出すことができず、二度とあんな別れはしたくないと、子どもを授かることをしませんでした。
子どものいない老後はきっと寂しいにちがいないのでしょうが(今、手を入れている3月・4月定例会用の台本そのままって感じです〜)、いろんなことがあっての今、いろんなことがあったからこその今の私です。過去に対しても未来に対しても、恥じることなく臆することなく受け入れ、今あることを喜び、前に進んでいきたいと思います。
そして、今ここに飯沼君と再会し、悠々塾の皆さんと繋がりを持てたことに感謝し、さらにその喜びを拡げていきたいと思います。

まずは自分に、
ツッパリ癖のあるBさーん、どうも考える前にもうツッパッてるみたいだよ。怖さ故か? 怖れることなかれ!もう怖れる必要は何もないからね、素直に、素直に生きましょう!

春さん、大丈夫だよ! 安心して! 春さんもツッパラず、可愛い春さんでいてくださいね〜!

しのしのさん、その後、お元気ですか〜? 毎日、思ってますよ〜!

なみさ〜ん、よかったね! 皆さん、なみさんのことが大好きなんだ! お仕事、頑張ってね〜!

のものもちゃん、偉かったねえ〜! ホント偉かったよ!!

ちづさん、優しい旦那さんでよかったね〜! うんとハグして貰ってね〜!

さいこさ〜ん、腰の具合はいかがですか〜? さいこの最高の愛でドスコイ!!と頑張ってね〜!  

のぶよさん、その笑顔、ステキですよ〜!

みゆきちゃん、ウーン、この幸せ者め! バカバカしくって、もう言うことないやぁ。

キンモクセイさんにミスターも、仲良すぎで、もうやってらんない!

次から次に皆さんの顔が浮びますが、
もうやってらんないから、
皆さ〜ん、さっさと幸せになっちゃいましょう!

みんな、みんな、
いろんなことがあっての今。
いろんなことがあったからこその今。

過去に対しても未来に対しても、悲しみを喜びに、恥じることなく臆することなく進んでいきましょうね〜。
心優しく懸命に生きている皆さんのこと、大好きです!!

29/12/2017(金) 22:26:35

No.17553  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
☆Bさん、

書き込みありがとう!
久しぶりのご出演で嬉しいですよ〜!

昨夜、おそらくは、Bさんが私のことをねぎらって褒める文章を書いてくれてた時間に、私は入浴後に風呂掃除をしていて、漫画のようにすってんころりんと転び、あまりの痛さに動けなくなっていました(笑)
実は今朝もまだ足の痛みがひどくて・・・。
これも排出でしょうかね?

憧れのBさんからのねぎらいと褒め言葉のエネルギーは凄かった!(笑)

高校生の頃からの憧れのBさんと20年ぶりに再会した2年前、Bさんはある面とても解放されているようでした。
でもそれは深いところでの恐れを撥ねっかえすためのツッパリでもあったことを分かってからは、何とも言えない痛々しさを感じることもありました。

怖れとツッパリはセットになっている場合が多いのでしょうね。

でも、会うたびにBさんは根っこのところから楽になって解放されてきているようで、そんなBさんが嬉しいです。

相変わらずむちゃくちゃ忙しいのに、定例会で使う台本の手直しまでお願いしてすみません。
しかも、ド素人のくせにいろいろ口ごたえしてしまって申し訳なく思っています。

Bさんは前の人生では私の母親だったそうで、光と陰り(闇?)の違いはあっても、感情や欲求のエネルギーが非常に強いという意味で、今生での私の母親と同じようなタイプの人であるように感じています。(それが分かった時はさすがにショックでした・笑)

(私の母親も陰りばかりの人ではなく、人のために何かをしてあげなくては気が済まない人ではあるのですが、僻みが根っこになっているためか、何事につけあまりにも自分の側からなので、人を自分の枠にはめずにはいられないタイプの人間なのです・笑)

私はかなり幼い頃から、自分の気持ちからしか・自分の側からしか物事を見ない・言わない母親に違和感を持っていて、その反動か私自身が自分の感情や欲求を抑え込む癖がつき、その一方では論理的筋道を軸にする(理屈っぽい?)人間になってきたのだと思います。
大人になってからも感情のみのような人はかなり苦手だったのですが、Bさんの感情や欲求のエネルギーは実に爽やかで、私自身の呪縛も解消されてきている気がします。

掛値なく、ほんとに「みんな大好き!」になっています!

そのことが今のテーマにつながり、仲間たちと共にここを越えれば、いよいよ雛形成就の道筋がはっきりと見えてきました!

以前に克から、「Bさんとの再会は霊界側からの計らいで、個人的な喜びだけではない大きな意味があるのです」というように伝えられていましたが、今になればその意味がはっきりと分かります。

ということで、Bさんとの再会、Bさんの存在と心に感謝して、来年もどうぞよろしく、です!

30/12/2017(土) 09:49:39

No.17554  ぽんた
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
おはようございます。

自分の陰りの気持ち。
なかなか調和に持ち込めない苦しさ。
のものもさんや、やすこさん、みさおさん、あげさせていただけばキリのない他のみなさんの果敢な挑戦に感動しています。泣きそうなくらいです。

飯沼さんに長らくご相談させていただいた兄の問題はとりあえずさておき、
みなさんの投稿にいろいろ触発されて、他にも自分の中にある陰りをひとつ掘り起こしました。

もう15年くらい前のことですが、我が家の前が、近所の子育て世代の人と犬の散歩の人たちが立ち寄るスポットになったことがありました、
うちの駐車場スペース(うちの敷地内で、角地なので微妙に公共スペースに利用したくなるのもわからないではない場所です)にも入って、人が入れ替わり立ち替わり、一日のうち午前も午後も、何時間も大賑わいになる、と言うことがありました。毎日です。

多いときは子供さんを含めて15人以上集まっていました。犬のお散歩途中の人も集まって、大人の喋り声、子供の遊び声、犬の鳴き声で、家で仕事をする私には大変な苦痛でした。
その中心となる数人の奥さんたちが、うちの家のお向かい、お隣、はす向かいの同世代の人たちで、その騒音のつらさを共有できるご近所さんはいなかったのです。

ある日、思い切って賑わっている時に出て行って、なるべく丁重に「もう少し静かにしていただけませんか。家で仕事をしています」とお願いしました。
賑わっている中、一瞬で凍りついて嫌な顔をされました。

それ以来、その中の一定の人たちからは、「おはようございます」「こんにちは」とお声をかけても無視されるようになりました。陰口を言われているのも知っています。
多分私の方も、言葉が足りなかったのだろうと今になれば思いますが、その時はそう言うだけで精一杯だったのです。

その後も減ったとはいえ賑わうことがあり、とても暗い気持ちになり危うくうつ病になりかけました。
でも、その方達のお子さんたちが成長されるにつれ、機会は減っていきました。5年くらいかかりました。

未だにその人たちとは馴染めていません。
ですから、家を出て近所を歩いて、その方達とお会いし無視されるのがつらいです。

そのことが、自分の中で結構な陰りになっていると気づきました。
それは、多分遠からず、この地域150世帯(!)を束ねる自治会の役員になる機会がめぐってきそうだとわかったからです。
夫は月の半分くらい家を空けるので事実上無理なので、やはり私が請け負うことになります。

もう、それは大変に気持ちが重くなっています。
この辺りも御多分にもれず高齢化してきていて、毎年出席する自治総会では、お年寄りたちのトラブルや、自治会役員の仕事を厳しく管理しようと目を見張らせている人たちがたくさんいて、みなさんご苦労なさっているのを知っているからです。
特に会長さんは大変です。なにせ150世帯ですから。でも誰がなるかは、くじ引きなので役員は選べません。

けれど、もしその機会が巡ってきたら、2年間(役職によっては4年間)、生活の最優先事項として、地域の方々とコニュニケーションをとり、一生懸命勤めようと思います。折あらば、そのご近所の人たちとも和解と調和を築きたいです。
まだ決まったことではないのですが、きっとそれはそういうチャンスなのだと思うことにします。
そうできた自分を想像すると、とても幸せです。

もたらされることには意味がある。「ピンチはチャンス」と昔から言われていますが、その意味がこの歳になってやっとわかりかけてきたってことかもしれません。

みなさんのご家族の問題と比べたら本当に些細なことを!と言われそううな件ですが、そんな些細なことが陰りとなるのが今の私なので、お許しくださいね。
ここしばらく、ずっと重い気持ち、陰りの気持ちでいましたが、そう決意して、その決意をみなさんに表明できて、気持ちが軽くなりました。
お読みくださった方、ありがとうございます。

ギリギリ年内に、ひとつ気持ちの大掃除ができて嬉しいです!
みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。

30/12/2017(土) 10:11:56

No.17555  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
ぽんたさん、みなさん

来年は犬年です。
ですが、来年も猫を共に応援していきましょう。
(犬も嫌いではないですけど、断然猫なものでして。
そして、猫嫌いな人は私にご相談くださいね〜(笑)
良いお年を〜

今年ギリギリに、親に沢山愛されていたと自覚出来た事が、何より嬉しいですっ!

30/12/2017(土) 13:01:51

No.17556  和也&久美
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
こんばんは。
今年も押し詰まってきましたが、せっかくの歳末キャンペーン期間なのに、年末の掃除がはかどっていませんでした。

仕事上で圧力を受け続けていますが(12月になってから特に強くなっています)、詳しくは書けませんが、対応が大変ですが喜びを持ってやり続けています。
年が明けてからの展開は、なるようになるし、なるようにしかならないという感じです。

実家(私と妻)の家族やその他の人との関わりでは、不安や恐れや拒絶されるという思いで動けなくなってしまいます。
最近になって、大きな壁をいきなり飛び越えてクリアしようとし過ぎていることに気付きました。
それで動けなくなるくらいなら、できることから少しずつ動いて行って、喜びの連鎖を引き寄せて、気が付いたら結果的に大きな壁をクリアしていた…って言う方向で頑張ってみようと思います。

それと、私は昔から感情の起伏が非常に少ないのですが(潜在意識でそう決めてしまっているからかも?)、日常生活では喜びもなければ、不平不満や怒りもないという感じです。(若干はありますが)
喜びは内側から湧きあがってくるものだけに、無理に喜んでみても逆に負担になります。
でも、昨日あたりから、こうして普通に生活ができている現状がすごく恵まれているのに、それが「あたりまえ」になっているから、感謝・喜びが湧いてこないんじゃないかと思いました。
そう物事を考えることで、喜びの回数は増えました。
ただ、喜びの大きさはあまり変わらず、そのあたりは課題のひとつです。

今年ももうあと1日あまりですね。
歳末キャンペーン効果で、皆さんが少しでも喜びの多い年末年始を過ごされることを願っています。

                    和也

30/12/2017(土) 22:14:34

No.17557  やすこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
ぽんたさんに触発されました!

私は先々の不安から子育ても喜べてないところがありました。娘の心が陰らないよう、ずっと幸せでいてほしい・・と、娘の人生の脇役として''どんな時もサポートして助けてあげたい'' と思っていたし、私はその為に働いて、その為に生きていたいと思っていました。

成長は喜びだけど、喜びが大きい程この後悪い事が起こりそうで〜安心しちゃダメだ〜と不安を募らせ手放しで喜ぶ事を避けてました。自分が不安になる事で何かの帳尻合わせをしていた感じがします。

その気持ちを含めた全部で娘を思いました。飯沼さんが書かれていた、失う事の怖さ不安からくる執着。自分の犠牲の上に娘が育ったとでも思っていたんでしょうか、そうじゃないのに。

そして、その気持ちも失ってしまうと絶望した時に娘に大切な事を教わりました。いつもホッコリさせてくれる娘だけど、闘病中私が一番安心して嬉しかったのは〜娘がいつも通り学校に行き、友人とも出かけたり、よく食べ笑い、テスト前は緊張して〜。私の治癒を疑う事なく信じてくれて、普段どうり過ごし自分を喜んでキラキラ過ごしてくれてた事です!普通だけど、大っきな愛を感じた究極の普通でした。笑

私は巻き込まれて、私もしっかり根をはって自分を生きなきゃ!自分として輝きたい!と本気で思えたし、イビツな親であったのにいつのまにか心を育てて強くなってくれてありがとう。これまでのかげりがオセロゲームみたいに喜びに変わっていきました。これからは肝っ玉かあさん目指して‼

不安、父編。

父は今でも「ずっとお前たちを守ってやりたいのに・・」とたまにふさぎ込みます。実家に貼ってある父の覚え書きも増える一方です。自分が亡くなってからの葬儀の段取りは当たり前で、考えられる自分の死因(たまに変わる)、それによって遺族への動きの指示が異なっています。イラスト入りです。とにかく心配症なのです。

父も高齢で心配のタネは何とか取り除いてあげたいのですが、似た者親子だから共感してしまい笑えなくて一緒にドンヨリしてしまう事もありました。父の亡骸のイラストの下で・・。

以前、カウンセリングでずっと気になっていた子ども時代によく見た夢の話を聞いて頂きました。幸せで満ち足りて遊んでいた私は、戦いに巻き込まれ命を落とすという夢です。
前世に関係した夢であるようで、当たり前にあるものが一瞬で壊れる〜失う〜という事が心にあるようです。その時代の親が今の両親らしいです。(嬉しかった)。異常な程の心配症の原因がわかって「なんだ!そうか」ととても前向きになれました。

過去、今、未来〜がスーッと繋がって、私の絶対安心が両親の絶対安心なんだ!喜ぶ事にあまり躊躇しなくなり、父にも自信なさげに声掛けしていたのが、今は絶対的な自信を持って父に話せるようになりました。父が喜ぶと私が嬉しい!私が嬉しいと父も嬉しい!前の私も、前の両親も〜絶対大丈夫ですよぉ〜!です。

喜びの逆が不安と恐怖
まだまだあります。笑

30/12/2017(土) 22:59:03

No.17558  あきえ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
何がどうであっても、今、こうして、ここに在ることを感謝して喜んでいくようにしていますが、まだまだ心を陰らせてしまいます。
人のために何か一つでも役に立つことができたらと思いながら、何一つできていない自分にいつものようにダメだなぁと思ってしまいます。

喜んでいる自分のことが誰かに伝わっていけば、喜ぶということが、きっと、いつか、何か、誰かの役に立つかもしれないと切り替え、日々の小さなことからも喜びを見つけて、その喜びを言葉で表現して喜んでいきたいと思います。


今年は思ってもいなかった病気になりました。
飯沼さん、克子さん、さきさん、悠々塾の皆さんにお心のこもった、たくさんの嬉しい励ましのメッセージ、たくさんのエネルギーを長い期間にわたって送っていただき、本当にありがとうございました。
掲示板を見て、お心を寄せてくださった皆さん、エネルギーを送ってくださった方々、本当にありがとうございました。
そして、キンちゃん、エネルギー送ってくれて、ありがとう。嬉しかったです。

皆さんのおかげで、こうして元気に新しい年を迎えられること、本当に嬉しく、感謝でいっぱいです。

新しい年が喜びに満ちた年になりますように。
皆さんどうぞよいお年をお迎えください。

本当にありがとうございました。

30/12/2017(土) 23:30:33

No.17559  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
ぽんたさん、のものもさん、かずやさん、やすこさん、あきえさん、書き込みありがとうございます!

気持ちのところの陰りを喜びに切り替えられた人。
その喜びが順調にますます広がっている人。
まだなかなか喜びの気持ちに切り替えるということに、うまく心のピントを合わせられずにいる人。
喜びの気持ちというものが嫌いなのかなと思うような人。

今の段階では皆さんそれぞれですが、とにかく陰りの気持ちを喜びの気持ちに切り替えていきましょう。

それが自分を含めた皆の幸せの地上人生に最も役立つ方法であることを知ってしまった私だからこそ、こんなにもしつこく言わずにいられません。

そして「切り換えの回路を開いて活性化できなくても今まで通りぐらいで人生が推移する」という甘い考えが全く違っていることも、たぶん私は分かってしまいました。

まだ切り換えのコツをつかめていない人は、どうぞ私が今まで書いてきたことを繰り返しお読みくださいね。
そしてどんな些細なことでも構わないから、陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えてくださいね。

31/12/2017(日) 00:44:55

No.17568  みゆき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?E 引用
こんばんは
今年最後の書き込みです。

最近の掲示板でのぬまさんとゆうきくんのやりとりの中で
この親に似ても悪くないし、親に似ようが似まいが、そんなことはどうでも良くて
という一文がありました。わたしは、
子どもたちはかわいいけれど、
それよりも、わたしから生まれて、わたしが親で、子どもたちは嫌やろうな、
そして、一緒に暮らしていくなかでこのわたしにいろんなことが似ていって、、、
わたしと似て欲しくないし、わたしみたいになって欲しくないのに、、、と思っていました。
わたしの両親に対しては、なんでこの人たちが自分の父と母なんやろう、って否定的な気持ちでいました。
なので、わたしの子どもたちも、わたしのことを、なんでこんな人が母親やねん、って思っているやろし、
そんな風に子どもに思われるのがすごく嫌やなって思っていました。
両親に対して否定的な気持ちになるのも、自分が望んだ愛情表現をしてもらえなかったり、
わたしの意見を受け入れてもらえず親の価値観からはずれる考えはアウトですので、よく激しいやりとりをしていました。
そのままの自分を受け入れてもらえてなかったな、と思います。
だからかどうか、わたしは自分に自信がなかったし、なんでもかんでも自分のせいにして否定し続けてきたのかなと思います。
そして、人と比較しては、自分自身のあらをさがし、できなさそうなことは挑戦せず、しないことを選んだり。
でも、ぬまさんのゆうきくんへのあの言葉で、わたしはとても気が楽になりました。
似てても悪くないし、似ててもそうでなくてもどちらでもいいんや。
両親がどうであれ、まわりの人がどうであれ、
自分は自分でいいんや、って、やっと頭ではなくて心でわかりました。
Bねぇさんの言葉、
いろんなことがあっての今、いろんなことがあったからこその今の私です。
過去に対しても未来に対しても、恥じることなく臆することなく受け入れ、今あることを喜び、前に進んでいきたいと思います。
ほんまにそのとおりですね。
このわたしやからこそ、
悠々塾、みなさんに出会えたんですもんね!
宝くじ、一等ですよね〜やったぁ、わたし!!
こんな風に自分でいいやん!って思えるようになってきています。
いままでは、まったくこんな風に思えなかったのです。
間違いが多くて修正→謝りながらの毎日ですが、
それが嬉しい、このごろです。
繰り返し、繰り返しやっていったら、できるようになんでぇ
自分に馴染んでくんでぇ、って思っています。
こうして自分作りをしつつ、自分で生きるのが嬉しいです。
ありがとうございます!!といわずにはおれません。

ということで、新年明けての投稿となりました。
本年もよろしくお願いいたします!!
本日はこのへんで失礼いたします。

01/01/2018(月) 00:27:43


No.17516 飯沼正晴 ホームページ E-mail
☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
     
 ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆

          ――  霊界の克との対話  ――



飯沼)こんにちは。
いつもお世話になっております。


克子)はい、こんにちは。
こちらこそ、お世話になっています(笑)


飯)地上では今年も残りわずかになった。

しかし地球レベルでの異変(の情報)は増える一方で、地上界の浄化はまさに風雲急を告げているように感じる。


克)はい。
それはあなたも分かっていることですし、だからこそ働きに力が入っているわけです。
しかし、危機感を強めるのではなく、絶対安心の意識とエネルギーをさらに高めながら、あなた自身が地上の日々をおおらかに楽しみながら、働きを成していってください。


飯)はい、それは言われるまでもなく、そのつもりでいますよ。


克)それは結構なことです(笑)

そうでなければ、あなたが担っている役割(使命と言うべきものです!)の成就など、できるものではありませんから。


飯)もちろんそれも心得ているつもりです。
何事につけ、自分の意識が現実化するわけだから、自分自身が喜びに満たされて、その喜びを広げようとしなければ、皆にとっての健やかな喜びも現実化できないわけだし。


克)はい、その通りです。
しかしながら、“自分自身の意識”というものは、顕在意識に上っているものだけではなく、今はまだ認識できていない魂の意識も含まれていますし、まだ喜びに切り替わっていない陰りの潜在意識もあります。

陰りの潜在意識によって、あるいは自らの魂を鍛えるために、地上ならではのさまざまな経験(試練)の機会を創りだす(引き寄せる)こともあるのです。

その意味ではあなたももちろん、地上ならではの試練から解放されているわけではありません。
あなたはすでにかなりの程度、地上的自我意識から解放されてきています。
その解放感や喜びに満たされながら、さらに喜びに進もうとしているのです。

今は特に、そういうあなたのエネルギーと仲間たちを含めての他の人たちとのエネルギー的ギャップが大きくなっている時期です。
仲間たちの意識・エネルギーもずいぶん喜びに進んできているのですが、今はその速度よりもあなたの進み具合の方がはるかに大きいので、むしろ差が広がっている状態です。

そこでエネルギー的なノイズが発生することはやむを得ないことで、それがあなたがさらに超えるべき地上的試練・課題という現象となることは十分に予測できることです。


飯)なるほどね。
まあ、生身の人間としての気持ちというものは、いろいろあるものだからね。
そこはもう重々承知しているつもりですよ。


克)はい。
生身の人間としての気持ちといえばまさにその通りなのですが、それこそが実は地上的自我意識(小我)というものです。
本来はそれを普遍意識の喜びに解放していくための地上人生なのですが、多くの場合は「生身の人間として」ということを自分の聖域のようにしてしまっている状態です。


「生身の人間として」という意識では、地上での現実・出来事などは、「もたらされたもの」ということになり、それの後追いをすることが前提になっています。
しかも、そこで生じた陰り(喜びではない気持ち)を速やかに解消して喜びに切り替えるということではなく、むしろ小我・陰りに留まることを正当化するために、その言葉を使う場合が多いといえるでしょう。
要するに小我への囚われ・執着です。

本人が「生身の人間としての陰りの気持ち」を手放して喜びに切り替えようとしない限り、その人が喜びだとは思えない現実・現象はもたらされ続けるのです。
もたらされるのではなく、本人の意識・気持ちが練習問題としてのそういう現実・現象を創りだすのです。


飯)はい、よく分かりますよ。
その原理さえ分かれば、幸せに生きるために自分がどういう心・気持ちに向かうことが必要なのかは、実に簡単なことだと思う。
もちろん、それこそ生身の人間にとって、陰りの気持ちを喜びに切り替えることはそう容易いことではないが、それでも方向性がブレることはなくなると思う。


克)はい。
不自由な地上に生きていても、分かってしまえば実に簡単な法則なのです(笑)

私は断言しますが、地上人生でもたらされることの全ては、さらに自分自身が健やかな喜びの心に進むために、自らの意識が創りだしている「練習問題」なのです。

今の地上界は非常に未熟な状態なので、社会的な問題も山積し、特に弱い立場の人々が苦しい思いをさせられています。
しかし、そういう状態に置かれている人であっても、日々の暮らしに何らかの喜びを見いだし、その喜びをつなぎながら、社会というスケールでも健やかな喜びを現実化していく(広げていく)ことで、個としての現実も全体の現実も大きく変わっていくのです。

そういう苦しい状態に追いやられている人たちの支援をする人たちも、苦しさに同調するよりも、喜びを求める意識・気持ちに同調・共感することの方がはるかに有効だということです。

極めて個人的な事柄に思える恋愛や夫婦関係のことにおいても同じです。
霊界には婚姻制度もなければ、婚約不履行もなく、失恋も不倫もありません(笑)
そもそもがお互いの気持ちを縛り固定しようとする意識などあろうはずがないのです。

地上において夫婦や恋人や親子や兄弟姉妹としての縁を結ぶことも、今回の人生でのそれぞれの課題(喜びを広げる)に基づいた綿密なシナリオによる配役に過ぎません。

夫婦・恋人の場合は、さまざまな困難を超えて添い遂げるシナリオの場合もありますし、今回の人生でお互いが表現する価値観や心のありよう(波動)そのものの違いを受け入れて、それぞれにふさわしい人生を生きていく(別れる)というシナリオもあるのです。
もちろんその二通りだけではなく、もっと高度な(複雑な)シナリオもあります。

今の地上ではよくあることですが、どちらかが一方的に別れを告げられることや、いわゆる浮気によって夫婦関係・恋人関係が壊れるということも、単純に被害者・加害者(善・悪)という色分けで見て判断することは非常に稚拙なことです。
自分が被害者だと思っている側の人も、そこから自分を顧みる喜び・相手の気持ちを辿りなおして理解する喜びや、相手の気持ちを固定できない(すべきではない)という自由意志の喜びを学ぶためという側面もあるのです。

自分の気持ちや立場を絶対的な基準にするという偏り・狭さを超えるための、自分自身の魂が創りだした試練でもあります。

いずれにしても、そこで生じた陰りの気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えていくことが大きな目的の一つです。
そういう段階を超えている魂同士は、お互いが喜びに満たされ合いながら、二人で一つになって他の人たちに喜びを提供するために働くことになるのです。

そして何度もお伝えしているように、地上での縁や関係はシナリオに基づく配役ですから、地上を離れて霊界に戻れば夫婦も親子もありません。
(もちろん霊界に戻っても夫婦や親子のつながりをしばらくは続ける場合もありますし、アフィニティやツインソウルといわれる一対の霊のカップルの場合は霊界で元の一つに戻るわけですが、多くの場合それはかなり高次元の霊界においてのことです)

いずれにしても、今回の地上人生での配役に執着することは、地上的自我意識(小我)そのものだということです。
しかし、たとえ別の人生を歩むにしても、相手の幸せを願うという愛念を高めることは当然のことです。
というよりも、そのために地上で出会い、深い縁を結んで(別れる)というシナリオになったわけですから、小我の気持ちに囚われてそうできなければ、到底喜びとは思えないような次のシナリオが準備されるということです。


飯)はいよ、分かりました。
というよりも、僕は分かっていましたよ(笑)


克)はい(笑)
ここでは男女間のことについてお伝えしましたが、言うまでもなく地上人生におけるあらゆる出来事の意味は、喜びを広げるためにこそにあるのです。

話を戻しますが、あなたの意識やエネルギー状態と仲間たちを含む他の人たちとのギャップによって、不調和な現象や停滞が生じる可能性もあります。
あなたの方から孤独感や孤立感を深めることはもうないとは思いますが、働きにおける停滞感を抱いたとしてもそこに心を陰らせることなく、喜びの中で進んでいってください。

地上に生きる生身の人間としての思いやエネルギー(地上的自我意識・小我)に違和感を持つのではなく、抱いた違和感を払拭するというのでもなく、あなた自身がもっともっとその領域の意識やエネルギーに喜びとして馴染んでいくことが必要です。
これはあなたが思っている以上に重要なポイントですから、あえて重ねてお伝えしておきます。

そしてそのためにも、今までこちらから何度も勧めてきたことを、もっともっと喜びとして(費用のことなどに気持ちを煩わせることなく)続けていってくださいね。

これはヒーリングの効果をさらに高めるためにも、(ヒーリングの対象者やあなた自身の)浄化の際のノイズを軽減するためにも極めて重要なことです。


飯)はいよ、分かりました。

今回は他のことについても伝えてもらいたかったんだが、「天地悠々」のページ数のこともあるので、このあたりにしておきます。


克)はい。(と言いながらもう少し続けます・笑)

畑の作物の生育の勢いがある時期から急に落ちたのは、もちろん台風による強風や大雨による湛水や土壌の水分過多で作物の根も地上部もダメージを受けたことも大きな理由ですし、その後の低温傾向で土壌微生物の働きが抑制されました。

しかし、そういう条件とは別に、その時期のあなたは或ることに直面し、意識を陰らせたとまでは言いませんが、少なくとも喜びのエネルギーは大きく減じられていました。

私に確認するまでもなく、それがメインの原因です。
法則が分かっているのなら、簡単な話ですね(笑)


飯)はいよ、はいはい、分かっていますよ。


克)お伝えするのが後回しになりましたが、皆さんにも引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを続けていただきたく思います。

気持ち・感情の領域が喜びベースに切り替わるかどうか、本当にそれが地上での現実を決定づけるのです。
喜びに解放して喜びに切り替えるということは、自分の気持ちを抑え込んで無いもののようにすることとは全く違っています。
抑え込んだまま、溜めこんだままの思いが潜在意識化して、喜びではないさまざまな現象を引き起こしていくのです。

自分の気持ちが喜びベースになったと自分で思えるまで、その心の作業を続けてくださいね。
いずれ必ず分かることですが、気持ちの領域が喜びベースになった人と、陰り=喜びではない気持ちをベースにしたままの人では、本当に実際の人生が大きく分かれてくるのです。

「悪くても、せいぜい今まで通りだろう」などと思っていれば、それは全く違っています。
地球や地球圏のエネルギー(波動)が大きく変わって進化する時期ですから、「今を喜びながらさらなる喜びへと進化する」という流れに同調できなければ、生じるノイズは今までよりも格段に大きくなり、今までどころではない不調和な現象・苦しい現象を引き起こしていくのです。

今こそ、悠々塾が発足当初よりテーマにしてきた、「陰りを光に」「不調和を調和に」という原点に立ち返って、本気になって切り替えていただきたく思います。


飯)はい、なぜ今の時期にこんなにしつこく同じことを伝えるのか、そのことの意味は皆さんよく分かってくれると思います。

ということで、今回はこれにて。
この1年、ほんとにありがとう!
来年もよろしく、です!


克)はい、あなたこそ、この1年間の働き、本当にお疲れさまでした。
ますます喜びを広げ膨らませ進化させながら、来年ももっともっとあなたらしく生きて働いてくださいね。

意義深いクリスマスイブの日に、霊界から愛をこめて!

(2017・12・24)

24/12/2017(日) 16:58:56


No.17517  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
「愛は時空を超えて155 」アップしました。

感想など、書いてもらえると嬉しいです。

この返信欄に引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り換えのこと、書いてくださいね〜。

その他のことも自由にお書きください。

24/12/2017(日) 17:03:18

No.17518  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
受信、ありがとうございます。
いつもいつも思うのですが、受信を読んでいるので、相当私達は恵まていると同士に、読んでない人の少なくとも倍は、
責任が重いと感じています。
でも、読んじゃうのですが。。

昨日、父への手紙をポストに投函しました。
父の事では、「私の出来る範囲」でやる事は、やり切りました。
今、父がどう受け取るのが、不安で一杯です。
もう今は、父の事では、喜びベースに代える事は無理だと思います。

今日は、私は会社に何事もないフリをして会社で働きます。
今でも、今までも、ずっと、私はそうでした。
あまりにも馴染んでいたので、気づいてなかったのですが、私は人に見せる顔と、本当の私の顔が、極端なのです。

まずは、この陰りを薄くしていきます。
人の反応も、怖いです。
この陰りも薄くしていきます。

>自分の気持ちが喜びベースになったと自分で思えるまで、

このキャンペーン、せめて私が(一人称(笑)
切り替わるまでは続けてくださいね〜〜

25/12/2017(月) 07:00:19

No.17519  やすこ
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
愛は時空を超えて〜ありがとうございます!
幸せになる方法が、特別な人にしか出来ない難しい事であるはずないのですよね。誰にでも出来る、喜ぶことなんですね!

前スレッドに書いた''喜ぶこと''についてもう少し・・。
飯沼さんはあの時、死んでも幸せなんだ!生きたいなら真剣に!何でもいいから喜ぶよう!とっても強い口調で言って下さいましたね。なのに私はその意味が理解出来ず、しんでもしあわせ⁉〜あまりの言葉の強さに凄いショックを受けて、心が壊れてしまいました。

でも心を壊してもらったからスタートする事が出来て〜すぐにも飯沼さんの言葉を必ず理解したい!実行したい!と思いました。

でも''死が怖い"と思う状態で喜びなんて1つもなく、少し喜べても圧倒的な不安と恐怖にすぐ負けてしまいます。それでも、何度も気持ちを奮い立たせていたら〜「癌が心の病なら、自分の心くらい自分で操ってみせる!」とそんな気持ちにもなれてきました。もうそれからは泣きながら、死にものぐるいで喜びに切り替えていったような感じです。怖かったから必死だったのですね。笑

1つ思うのは、無理にでも喜べたら〜それはすぐに消えてしまうけれど繰り返すうちに心に残像みたいに残って、それがだんだんカタチになっていくような〜。そして言葉にしたらもっと早くカタチになるような〜。そんな風に感じました。

そして喜びは育つのだと思います。例えば癌になり「今日1つ笑えた」それを喜びとしてた私が「癌になって良かった」と思えて、そして「癌になった事に感謝して喜びになって」。今は病気の人に共感できる事への喜びと、変化して育ってきています。もちろん、今も検査が怖くて変な汗が出ますが〜きっとこれからも。笑

出来ればフタをしておきたい喜びでない事も、本当はとっても大きな喜びの種かもしれませんね。これからも作業は続けていきます!後回しにしたとしても、必ず向き合いたいと思います。

私は超心配性の怖がりの甘ったれです。
だからこれからも何度も後戻りするかもしれないけど、その心配は今はいいかな。もっとパワーアップした先の私に託したいのですが・・大丈夫かな⁉

25/12/2017(月) 07:21:27

No.17520  さき
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
ぬまさん、お疲れ様でした。
受信ありがとうございます。
読みながら厳粛な気持ちになりました。
同時にこの通信を受け取って読んでいる自分が不思議で、こんなところまできちゃった、という感慨がありました。

ぬまさんよく、スピリチュアリズムに沿って生きるということは理不尽な現実を容認するということではない、ということを言ってましたよね。そういうぬまさんがいなかったら私はこの場につながってなかったでしょう。

>今の地上界は非常に未熟な状態なので、社会的な問題も山積し、特に弱い立場の人々が苦しい思いをさせられています。
しかし、そういう状態に置かれている人であっても、日々の暮らしに何らかの喜びを見いだし、その喜びをつなぎながら、社会というスケールでも健やかな喜びを現実化していく(広げていく)ことで、個としての現実も全体の現実も大きく変わっていくのです。<

悠々塾と出会って18年余ですが、
今だから、ここで言われていることの意味がよくわかります。
生身の人間としての気持ちをないものにすることでなく、、
ということの意味も、今だから、わかります。
全部わかってるわけじゃないし、自分が完全に喜びベースでもないけど、その意味がよくわかります。
(その困難さ、地上では理解されにくいことも、よくわかります)

近くの教会の方と知り合って、昨夜はクリスマスイブでキャンドルサービス、クリスマス礼拝に行っておりました。
礼拝後は持ち寄りのお菓子などで、地域の人や社会の問題にかかわる人たちも交えて楽しい歓談のひと時を過ごしました。
イエスは救世主です。
その救世主が貧しい大工夫婦のこどもで、旅の途中の馬小屋のなかで生まれた。世界中で誰もその子が救世主なんて知らない。名もなき小さな弱い立場の人々、庶民の代表なのだと思いました。
それから2000年経っても世界から戦禍や災害や貧困はなくなってない。

地上界大浄化の大渦を感じます。
だからこそ、今、必要なんだと思います。
誤解を招く表現ですが、この前地域の商店街を歩いてて、年金暮らしの高齢者風の人や暮らしに疲れた中年世代、めいっぱいパートしながら子育てしている人、売れない店主とか、、みんな日々の暮らしがしんどくなってるんやなーとしみじみ感じたんです。
で、そんな人の流れのなかを歩いてたらそれが急に嬉しくなってきて、そうやん!だからこれからはみんな一緒に歩いていけるやん!新しい喜びに向かって行けるやん!って思って、ひとりで笑ってました。
地上の人間にとって、幸せってなんなのか。喜びってなんなのか。
大転換の時代なんだと思ってます。

言いたいことがうまく言葉にできなくて変な投稿ですが、このまま送信しちゃいます。

25/12/2017(月) 08:40:00

No.17521  やすこ
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
私もきのうは友人に誘われ、クリスマス礼拝に行ってきました。

牧師さんが、イエスは自分で行ける範囲で周囲の人にともしびを届けた。イエスにともしびをもらった人は、また誰かにともしびを届けた。1人が大きな灯をともすのではなく、みんなで大きな灯となる〜。みたいな話(ごめんなさい)をされていました。

イエスも自分のできる事からされたんだなあ〜(あってるのかな、汗)と、とても身近に感じたりして〜。私も灯してもらったともしびを消す事なく誰かに届けたい、大きな光の中の1つのキャンドルとなりたい!と思いました。書くと本当に照れくさいですね。

25/12/2017(月) 10:39:25

No.17522  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
のものもさん、やすこさん、さきさん、書き込みありがとう!

☆のものもさん、
>父の事では、「私の出来る範囲」でやる事は、やり切りました。<

はい。
同じような境遇の人がいたとして、のものもさんと同じようにお父さんにしてあげられる人は非常に少ないと思います。
まずはそれを自分の喜びにしてくださいよ。

そしてあんなに素直で心のこもった手紙を書いて送ったのだから、今はもうそれで十分なのです。
お父さんがあの手紙を読んでどう思おうとも、それはお父さんの気持ちであって、のものもさんはもう十分すぎることをしてきたのだし、何よりも今の自分にはこれ以上のことはできない(と思っている)わけだから、
今を喜ぶのか、あるいはさまざまに気持ちを陰らせるかでこの先の展開が変わってきます。

そして、「お父さんが変わってくれたら私は喜べるが、お父さんが今のままなら喜べない」ということならば、きつい言い方ですが、それは相手が自分の思い通りにならなければ喜べないということになってしまいます。

お父さんは確かにずっと、何かに傷ついた気持ちをさらに歪めて表現してこられたようですが、それもまたお父さんの人生なのです。

そして、のものもさんやダンナさんから向けてもらっている愛情の深さに今は気づけなくても(気づいていても自分を改めるところにまでは至っていなくても)、いずれは(地上を離れてからでも)必ずそこに心が向いて、「こんな自分でもあんなに思ってもらえていたのだ」と喜びに満たされるのです。

それはもう間違いなく決まっていることなのですから、そこも含めて喜んで、未熟で歪んではいてもお父さんの地上人生を大きく祝福してあげませんか?

のものもさんは子供の頃の境遇から、「人にどう思われているのか?」というところで怖れや不安を感じてきたのだと思います。
それが潜在意識に刷り込まれているのでしょう。

であれば、「人がどう思おうが、私は私」ときっぱりと思って、自分を喜んでいくことです。

何につけても、今の自分を喜んでいるからこそ、他の人にも嬉しい影響を与えていくことができるのです。

そして人間は誰もが未熟な存在ですし、霊界に戻っても永遠に学びを続けるのです。(つまり未熟なのです)
だからこそ、未熟ではあっても今の自分を喜びながら、さらに健やかな喜びに進んでいくのです。

その喜びの進化の回路を喜びで開くことができるかどうかで、他の人にも内在している喜びの進化の回路を開いて行けるのです。


私は2年ほど前、老人ホームに入所中の92歳のお婆さんの出張ヒーリングに呼ばれたことがありました。
家族の愛情に恵まれず、92歳にしてお金の亡者のような人でした。
少し話したのですが、この人は今はどうにもならないという感じでした。
でも、遠い親戚の女性が一人だけその人のことを親身になって思っていることが分かり(「このままでは不憫すぎるから」と言うその女性の依頼で行ったのですが)、たとえこのままの気持ちで地上を離れても、必ずその女性からの愛念によって、おばあさんの心の目が醒めるに違いないと思えました。

それで、「あのおばあさんは今のままで大丈夫ですよ」と言ってきたのですが、まだまだお金への執着や恨み辛みは人並み外れて強いようですが、それでもびっくりするような変化がみられるようになってきているそうです。

のものもさんも、まずは自分の愛情に自信を持つこと。
そしてどんな状態のお父さんであっても、今のお父さんを、お父さんの地上人生を祝福してあげることです。

地上の生身の人間の気持ちではどうにも着地できないことを調和の
喜びに着地させるためにこそ、私たちは霊的真理、霊的法則を学んできたのです。

ここはのものもさんの勝負どころだと思うので、遠隔ヒーリング中ということでもあり、アドバイスをあえて掲示板に書きました。

仲間の皆さんからも応援をお願いしますね〜!

最大の応援は、自分自身が陰りの気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えることです!
。。。。。

☆やすこさん、

検査の度に不安になるのは仕方ないでしょうね。
でも、やすこさん、とってもいい感じです!

「死もまた喜び」ということがもっと一般化して、死を恐れることなく地上に生きる意欲を高める人が増えれば、ガンももっともっと治りやすい病気になるでしょうね。

喜びに最も逆行する意識・気持ちが、怖れや不安です。

そのほかの陰りの気持ちの多くは、ある意味では「きわめて自分本位で幼稚な喜びを求める気持ちの裏返し」であるとも言えるでしょう。

死への怖れだけでなく、あらゆる面での恐れや不安を解消できれば、一気に喜びベースに切り替わるように思います。

否定されること(認めてもらえないこと・失敗すること)への怖れ・不安もありますし、それが嵩じた自己否定もあります。
将来への不安や失うことへの不安から執着が強くなる場合もあるでしょう。

先日は、人との比較における陰りの気持ちのことを書きましたが、怖れや不安をキーワードに、自分の陰りの気持ちを喜びの気持ちに切り替える作業も大事でしょうね。

ということで、歳末大掃除、まだまだ続けましょう!

25/12/2017(月) 11:27:02

No.17523  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
☆さきさん、

出勤前に大急ぎで書いて投稿してくれたのでしょうが、さきさんの気持ちも言いたいことも十分に伝わりますよ。

キリスト教が広がったのは、イエスを実際には知らない、当時のエリートのパウロの働きが大きく、さらにローマ帝国がキリスト教を国教と定めたことによります。
パウロもローマ帝国も、キリスト教(イエスの訓えを信じる人々)を弾圧した側でしたが、途中から擁護の立場に変わったのです。
イエスの訓え(新約聖書)の内容も改ざんされています。
(それでもイエスの訓えの真髄はかなり十分に残されていますが。)

イエスが地上にいた頃、イスラエル在住のあるローマ人が本国に送った手紙の中に、イエスという人物が大評判になっていることを書いているそうですから、かなりの程度の広がりはあったのでしょうね。

20世紀になって発見されたイエスの弟子のトマスが書いたと思われる「トマスによる福音書」は、イエスの言葉を箇条書きにした“覚え書き”のようなものですが、イエスは心のエネルギーの威力を訓え、何であっても分離されているもの(意識)が一つに融合された時の喜びのパワーを伝えています。

地上のイエスは庶民の出自ではありますが、あまりにもイエス自身が秀でていたために、あるいは神(普遍意識)の絶対性を知っていた(ストレートにつながていた)ために、「本当の意味での権威」を以って人々を導くことになったのでしょう。

そのこと自体はむしろ当然なのですが、イエスが地上を離れてからは、それが地上的な権威・権力にすり替えられてしまう要素を残したとも言えるように思います。

雑草の中に聳え立つ天にも届く巨木になりすぎたので、そこに目を付けた権力者や権力志向の者たちがその巨木を切り倒して、彼らの宮殿の材料にしてしまったのです。

私たちはもちろんイエスと比べるべくもありませんが、だからこそ私たちはイエスという巨木の切り株の痕跡を頼りに、私たち自身が雑草の1本・1株として、草原の草の根に本当の意味での健やかな喜びのエネルギーを沁みこませ、活性化させ、土壌微生物たちも含めて大地の生態系を健やかな喜びのつながりに転換していくのです。


シルバーバーチが、「これからの時代にイエスのような人物は地上に現れないし、現れる必要もない」という意味のことを伝えているのは、そういうことなのかなと思っています。

今日はクリスマスということで、こんなことを書いてみました。


まだクリスマスなので(笑)、もう少し書き加えます。

イエスの言葉として新約聖書におさめられている、「あなたの敵を愛しなさい」や、「世の終わりの予兆があれば、争いや諍いをやめて、すぐに和解しなさい」という意味の訓えは、
まさに「陰り=喜びではない気持ちを喜びに切り換えて言動で表現しなさい」という意味に思えます。

そもそもが、元はあまねく一つの喜び(光)であったもの(意識)を、喜びと陰り(光と影)に分離してしまっている現状を、自分の気持ちを切り替えて元の一つの喜び(光)に戻すことは、イエスの訓えの根本でもあるように思います。

私たちは、来年のクリスマスを今年と同じようにそれなりの穏やかで平和の中で迎えることができる保証などない状況の中に生きているのです。

天変地異もそうですし、トランプ大統領が北朝鮮の核施設へのミサイル攻撃を準備しているという情報も流れています。
先制攻撃で核ミサイル施設を破壊できても、800発はあると言われているミサイル全てを破壊できるはずもありません。
アメリカ本土を攻撃することができなくなった金正恩氏は、残りのミサイルを日本の福井や新潟や島根の原発や青森県の再処理工場めがけて撃ち込まないでしょうか?

運転休止中でも燃料冷却プールが破壊されれば、膨大な放射能は北西の季節風に乗って広がり、日本という国も私たちの暮らしも終わります。(終わらせませんが)

大量の難民が押し寄せてきて、収拾がつかない事態に陥らないでしょうか?(中国はすでに北朝鮮との国境に軍隊を増派して、難民流入に備えているそうです)

大袈裟な脅しなどではなく、私たちは今まさにそういう状況に生きているのです。

私たちが普通に暮らしていけるかどうかのカギは、あのトランプや金正恩やついでにあの安倍たちに握られているのです。
こんなバカな話がありますか?

話が逸れましたが、今年のクリスマスに自分自身の陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えて、本当の意味で聖なる日にしませんか?

私たちは自分自身の意志と気持ちで、誰もが健やかな喜びの中で生けていける日本・地上界に創りかえることができるのです。
地上のイエスから2000年余りが経って、今ようやくその喜びの地上界に向かって確かな一歩を踏み出そうとしているところです!

25/12/2017(月) 14:07:02

No.17524  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
飯沼さん

素敵なクリスマスプレゼント(笑)
ありがとうございます!

>最大の応援は、自分自信が陰りの気持ちを何らかの喜びに切り替えることです!

何が何でも!と言う気持ちになりました!
これからは、「人がどう思うが、私は私」ときっぱりと思って、自分を喜んでいきます。

お父さんの配役は、私の持ってた愛情を広げてくれました。
これからも、広げると言うか、広げられずにはいられないと思います。

92歳の老人ホームの、お婆さんと一緒で、父もお金への執着だけでなく、人への恨みは人並に外れて強いです。

お父さんは、本当に未熟だし、昔から変わってないし(酷くなってる)、あんな歪んだ表現しか出来ないけと、私しか知らない優しさのような、可愛いく見える時があります。
だから、本当に可哀想な人です。

お父さんが、真面目で、ハチャメチャの人生だったったけど、大きな病気にならなくて本当に良かった。
お父さんの人生を祝福します。

これからも、お父さんが変わらなくても、私がお父さんの幸せを願っている事は間違いないです。

今は改めるところまで至ってはいないだろうけど、必ず、それが地上を離れてからでも、父が喜びに満たされるのなら、私は今を喜びます。

ずっと、苦しかったけど、ジワジワと喜べています。
引き続き、遠隔ヒーリング、よろしくお願いしま〜す!

25/12/2017(月) 21:09:29

No.17525  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
と、ここまで書いといて、なんですが、まだまだ定着出来てないので、しばらくは巡らせますね〜。

25/12/2017(月) 21:21:21

No.17526  きんもくせい
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
愛は時空を超えての受信、ありがとうございます。
いつも身が引き締まります。
飯沼さんの書き込みのいろいろな例えも分かりやすく、なるほどな。そうだよな。と思いながら読んでいます。
なかなか書き込みできず、すみません。

さて、自分は全てを喜びベースにできているか?というと、まだまだです。
相変わらず不安や心配がよぎったり、母にイラっとしたり。。
それでも、何があっても大丈夫、絶対安心はベースにあるので切羽詰まったことにはなりませんが。
とは言え、私はやはり、今を喜ぶのが本当に苦手で、素直に大らかに喜べばいいのに、以前程ではないんですが、時に変なセーブをかける自分がいて、我ながら鬱陶しいです。
そんな時は、魂の意志に反しているわけで、喜べない自分を喜べないのは当然で、そうなると、分かっちゃいるけど気持ちがなかなか切り替わらない。
これは、私の受け入れられないという潜在意識がガラッと書き換わってないからかとも思うのですが、この陰り、地上的自我意識の囚われを解き放ちたいです。
そしてまた、今までいかに後追い大好き人間であったか、いかに無駄なエネルギーを使ってきたか、と思うと
なかなか自分に自信など持てないのですが、
こう言っている時点で、これも後追いだし地上的自我意識なのですよね。
そこで、またぐだぐだ思うより、
こうすればよかったとか、相手や状況がこうだったからとか、相手にこうあってほしかったとかでなく、
よっぽど理不尽なことで無い限り、全てすっと受け入れて、
何より自分の至らなさがあったと分かったことを喜ぶ。
その至らなさを改善していく努力を重ねていくことを喜ぶ。
少しでも変われた自分がいたら、それを喜ぶ。
関わる相手の状況や気持ちが分かって納得できたことを喜ぶ。
それも私なりに、なのでまだまだだと思いますが、
全てを喜びにできていないと陰るのでなく、未熟ながらも、喜びにしたい、しようと軽やかにもがきながら、
そうして日常のひとつひとつの出来事を喜びにする意識を持ち続けて過ごすことを喜びとする。
もちろん、目の前の喜びはそのまま喜びます。

克子さんのメッセージにあるとおり、全ての出来事は、喜びを広げるためにある。ということ。
自分の課題に向き合うためのありがたいシナリオ。
言われるたび、本当にそうだな、と思います。
確かに私の周りに配剤されている家族、いろんな人との出会い、出来事、全てが繋がってきての今なのだと実感しています。
私の両親があの両親でなければ、旦那がミスターでなければ、いろんな人との出会いがなければ、学べないことがあったのだと思います。
だから、全ての人、全てのことに、ありがとう!
なのです。
だったら全てを喜びとすればいい。
言葉にすれば簡単なことなのに、自分の気持ち、地上的自我意識ってやつは何と厄介なことか。
これは何とかしなければ。

日常のささやかなことに感謝して、その喜びを周りの人たちと分かち合い広げていきます。
夕日が綺麗。
寒いけど、背中に降り注ぐ太陽の暖かさがじんわり嬉しい。
冷たい風も時に心地いいと感じる。
地上で、いろいろ見たり感じたりできることが嬉しい。
普通にご飯が食べれることがありがたい。
旦那がいてくれることが嬉しい。
娘たちがいてくれることが嬉しい。
どんな母でもいてくれることが嬉しい。
お孫ちゃんがギャン泣きでずっと抱っこで肩パンパンだけど、元気に泣いてくれることが嬉しい。
嬉しく思えること、喜べることって、意識すればいくらでもありますね。
恵まれている。
同様に心配ごと、不安材料もいくらでもあります。
でも、私は嬉しく思えること、喜べることを優先していきます。

ただ、自分が喜べたとしても、幸せと思えたとしても、それはありがたいことだけど、それはそれとして、
本当に嬉しいのは喜べるのは、
皆も幸せでこそ!
だから、自分が嬉しい、幸せと思ったら、それを素直に喜んでお裾分けします。
やすこちゃんの牧師さんの話。
私も灯を周りに届けて、皆と大きな灯の中に融けて周りを温かく照らしたい。
自分が受け入れられるのは嬉しいことだけど、受け入れられる為にエネルギーを使うことは喜びとは言えず、与えることにエネルギーを使う方が心の底から大きく喜べるし嬉しいことだと思います。
それはそれは喜びです。
ちょっとワクワクしてきました。
そして、こうして言葉にすることで強くなれるし、気持ちが解放されて少しは優しくなれる気がします。

支離滅裂ですが、取り急ぎ思うことです。

メリークリスマス。
皆が喜びの中にありますように。


のものもちゃんへ。
のものもちゃんは本当に良く頑張ってこられたんですね。
飯沼さんが言っておられるように、私も、お父さんは、いつか必ず、それはそれは喜びに満たされると思います。
のものもちゃん、今まで十分過ぎるほどお父さんのことを思い関わってきて、どんなお父さんでも、お父さんの輝きを知っていた、そんな自分に自信を持って、そんな自分を喜んで、いつか必ずお父さんに伝わると信じて、安心して心で見守って差し上げたらいいと思います。
のものもちゃんのお父さんが喜びの中で安心して過ごしてくださいますよう私の気持ち、送ります。

私も(のものもちゃんの足元にも及ばないのですが)両親と関わる中で、どうにもならない時は距離を置くこともありました。
どうしても手伝いが必要な物理的なことはともかく、自分の思い通りにしたがる母の強烈な思いや期待をかわすために。
母は不満だったと思いますが、母と父が向き合う為には、その方がいいと思ったからです。
父は、私の手助けに感謝してくれることもありましたが、父が一番気持ちを向けてほしいのは、私でなく母だと分かっていたから。
のものもちゃんと全然違う立場で私ごとでごめんなさい。
言いたかったのは、繰り返しになりますが、これまでの、のものもちゃんのお父さんへの関わり、お父さんに渾身の気持ちを込めた手紙を送れたこと、飯沼さんが仰るように誰もができないことをしてきたご自身をうーんと喜んでくださいね!
私も、父への関わりは、私なりに頑張ったし、もっとしようと思ったらできたことも思い浮かぶのですが、
とりあえず気難しい父に向き合えたこと、父に少しでも喜んでもらえるよう関われたことを今は喜んでいます。
のものもちゃんは、これでもかと喜んでいいことをしてきたのだから、とにかく喜んでくださいね。

私は、優しく素直なのものもちゃんと出会えたことが、とても嬉しいです。
そして、のものもちゃんが、今までのご自身の頑張りや人を思う気持ちを喜んでくれたら、ますます嬉しいです。
ゆっくりお喋りする機会がなかなかありませんが、お会いするのをいつも
楽しみにしています。

私も陰りを喜びに変えていきます。

25/12/2017(月) 22:43:13

No.17527  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
>しばらくは巡らせますね〜。 <

はーい、焦らず、ゆっくりいきましょう!

前にもちょこっと書いたように思うのですが、のものもさんは、本当は(やっと自分のところに帰ってきてくれた)お父さんに対して、もっともっと関わって(お世話して)あげたいというのが本心じゃないのかな?

でも、もうこれ以上はできないし、する気にもなれないから、あれこれと思い煩い、葛藤しているのじゃないのでしょうか?

そして、「私はいろんなことを越えて、こんなにお父さんのことが好きなのに。お父さんだって私のこんな気持ちを分かって、私のことが好きなんだったら、もっとちゃんとしてくれるはずじゃないの? でも、お父さんの無茶苦茶な様子を見ていれば、やっぱりお父さんは私のことが好きじゃないんだ、どうでもいいんだとしか思えない。だったら私はどうすればいいの?」

というような声が聞こえてくるのですが、空耳かな?

25/12/2017(月) 22:47:24

No.17528  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
きんもくせいさん

いつもありがとう。
私も、きんもくせいさんと出会えた事、とても嬉しいです!

>父は、私の手助けに感謝してくれることもありましたが、父が一番気持ちを向けてほしいのは、私でなく母だと分かっていたから。
>のものもちゃんと全然違う立場で私ごとでごめんなさい。


うちと同じですよ〜
うちの父も、私より母、(女性)に世話をしてもらいたいのです。
それは、今でも。
だから、私では満足出来ないんです。
私が、いくら世話をしても、自分には、いつも奥さんがいないから、可哀想な人間だと思っている、周りに言って同情かってますよー。

飯沼さん

そんなに優しい事、私は考えていたかな(笑)
無我夢中でここまできたけど、父を捨てたような、幸せに出来なかったような葛藤はあります。

世話したかったと言うより、残りくらいは、悩み事のない暮らし、楽をさせたかったと言う気持ちはあります。

きんもくせいさんのところで書いたように、私より奥さんなので、父は。
でも、奥さんが世話をしても、文句しからないのですよ。
だから、奥さんも困るわけですね。
あの性格では、どうする事も出来ないです。
書いてたら、イライラが。
距離を置いて、良かったです。

26/12/2017(火) 05:41:46

No.17529  やすこ
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
きのうはのものもちゃんと飯沼さんのメッセージを読んで、はっ!と気がつく事がいくつかありました!本当に助かりました。笑

のものもちゃん
最大の応援は自分自身が陰りの気持ちを何らかの喜びに切り替える事。
凄い言葉だね。うん、本当にそうだと思います。

のものもちゃん!
応援していますよ!
私もおかげでちょっと進めてます、一緒に頑張ろうね!ありがとう‼

26/12/2017(火) 08:15:47

No.17530  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
やすこさん

良かったです!
ありがとう。

なかなか、上手くいかんのぅー。
気持ちと言うのは。
でも、簡単な事らしい。
わかるような、わからないような。

お互い、頑張ろー

26/12/2017(火) 09:03:43

No.17531  ゆうき
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
子どもの頃のことを書きます。

僕が子どもだった頃、僕の家には障がいのある人が一緒に暮らしていました。
父親が「共に働き 共に暮らす ○○○○共同農場」という看板を掲げ無農薬で農業をしていました。
その住み込みのお手伝いさんという形で障がいのある人が我が家にいました。
(父と母は障がい者支援施設で出会ったらしいので、その延長だと思っていました)

住み込みの障がいのある人はだいたいひとりだけでしたが、年代によってメンバーは違いました。
(住み込みの人がいない時期もありましたし、僕が中学に入るまでには住み込みするひとはいなくなっていました)

僕が覚えているのは小学生の中学年くらいのことですが
正直、家族じゃない他人が家にいることの理由があまりわからなかったし、
なぜ、我が家におしっこの処理もままならない(尿匂のする)人がいるのかがわかりませんでした。

詳しいことは覚えていませんが、たぶん脳性まひの方でアテトーゼというのか、
(専門的なことはわかりませんが)同じ動作を何度も意思とは反してしてしまうかたでした。


食事の時間などは、
手足が自由に動かないため食べ方は汚く、よくこぼすし、
わめくように声をあげながら食べ様子も、子ども心に気持ちのいいものではありませんでした。

だからといって、僕は別にその人のことが心底嫌いなのではなくて、
(家から出て行って欲しかったと思っていたのは事実ですが)
なぜ我が家にいて一緒にご飯を食べているのか、それがわからなかっただけのことでした。


でもこの話は実は単なる思い出話で、、、


大きな理由は、、、もう少し僕が若い頃、
聞いた話でしかないけど、3歳か4歳かくらいのときです。

下肢が不自由で、這って歩く、とういか両手で這う動作をして進む障がいのある人が
我が家にいたそうです(来ていたそうです)。

そのひとは人を噛んだりつねったりをする傾向があったそうです。

で、僕はその人の標的というか、的になり、手足にたくさんのあざが出来るほど噛まれたり、つねられたりしたそうです。

(実は少しだけ記憶があって、その時のどうしょうもない気持ち、今すぐ逃げたい気持ちを覚えています。)

それはそれで、こどもの頃の話なのですが、ある程度大きくなってその話を父親から聞いたとき、
(はっきりとは覚えていませんが思春期くらいに一度、それ以降に何度か)

「なぜ自分を守ってくれなかったのか」「小さな子どもの体にアザが出来るほどの痛みを負わせて、なにもしないなんて
自分をどう思っていたんだ」

と、ものすごく思ったのを覚えています。

親なら子ども(3、4歳自分で何も出来ない年ごろの)を何があっても守るものだろう。、
それをしないなんて、、、
アザが出来ても、痛がっていてもその状況を放置しておいて
「どうしようもなかった、気にかけていたが追いつかなかった」で済まされる子だったんだな、、て。。。と。

聞かされたときはショックでした。
ガーンというようなモノではなく、じんわりと寂しさとやり切れなさが浸み込んでいくような、、、。

この他にも、うちの家庭は特殊で
村のお祭りに子どもたちは御輿を担いで村々を回ってお布施(?)を貰い、それのいくらかを子どもたちで分配するのですが、
ある時期からお祭りに参加するのを禁止されました。
僕が小学生の高学年の頃にお祭りに参加することが禁止され、友達からも変な目で見られていましたし、
自分が置かれている状況をうまく説明できないもどかしさもありました。

父親が村との付き合い、、というか村の方針や風習みたいな昔ながらのやり方(?)みたいなのに馴染めなかったからなのかなぁ?
くらいにしか思えていなかったので、子どもだった僕にはそれをどう説明していいのかわかりませんでした。
(たぶんもっと複雑な事情があったのでしょうが、ふつうはそれを子どもに説明しないので、子どもの僕が事情を知らないのは当然のことですが。。)


ただ「うちは他の家庭とは違うんだ。特殊なんだ。」とそう思うことでしか解決できませんでした。

お弁当のお米は5〜7分づきの黒いお米だったし、お茶は薬草茶でした。お弁当に玄米が入っているときもありました。
体にはいいのかもしれませんが、「みんなと同じ白いお米のお弁当を持って行きたい」と思っていました。
ただ、言ってもそれが通らないのは知っていましたから、「自分はそういう家庭なのだから仕方ないんだ」と思っていました。

そしてそれはどこかで「自分は特殊であろう」と「特殊になろう」と思い始めました。(←今から思えば)
僕は高校に入った頃から5〜6年くらい肉食を避けました。魚は食べていましたが、肉は基本口にしませんでした。
当時はそれなりに理由があったのですが、今から思えばそれは自分が「特殊である」ことを自分に強要してなにかを我慢することで
自分の存在をアピールしていたのだと思います。
今から思えば自分が可哀想になりますが、当時はそれが自分の生き方なのだと思っていました。


だけど今は違います。
家庭を持ち、幸せを実感していくなかで、いるものといらないものがはっきりとわかってきました。

家庭が(自分が)特殊であったことは自分のオリジナリティを高めてくれました。
誰とも違う視点を僕に与えてくれました。音楽を歌を作る人間として、ありがたいことでした。


子どもの頃にうけた心の傷、これこそが癒しの音楽を作っていくうえで、
なくてはならないスパイスなんだと思います。
これがあるからこそ心に傷のある人の心に届く音楽が作れるんだと思います。

今までいろいろありましたが、これでよかったのだと思います。
そしていままでの経験を活かして、さらなる貢献へと自分を役立てたいと思います。


あと最後に、
前回の定例会の後、我が家にちづこさん家族に泊まってもらったのですが、
僕が「僕の家には小学校の頃身体障がいの人がいて。。。」って話をしてたら
ちづこさんの旦那さんが、「あ、うちもそんなんやったわ。ファミコンのコード切られたりして困ったわ。。」
って話になって。。え〜〜!!って。。。
聞けば、旦那さんのおじい様が障がい者の支援をされているようで、家にも連れてこられていたようで
旦那さんともよく一緒に遊んだりしていたそうです。
(施設を建てられ支援活動をされているそうですが、その話を聞いている時点で僕は酔っ払っていて、あまり詳しくは覚えていないのですが。。)

ただその時「自分だけじゃなかったんだ〜〜〜!!」ってものすごく思いました。
「子どもの頃の自分の家庭は特殊だ」と思っていたのが、じつはこんな身近に同じような体験をもってる人がいるなんて、、、
「自分は全然特殊じゃないじゃん!」って。。。

繋がりって面白いな!って思えた場面でもありました。

長くなりましたが、本日はこれにて失礼いたします。

26/12/2017(火) 09:22:12

No.17532  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
きんもくせいさん、のものもさん、やすこさん、ゆうきクン、書き込みありがとう!


☆きんもくせいさん、

新米お祖母ちゃん、大活躍の様子、目に浮かびますよ〜。

きんもくせいさんも、今年大きく喜びに進化した仲間の一人ですね!
いろんなことの中で、喜びに着地しようとして、そうできてきたこと、素晴らしいと思います。
地上人生ですから、いろいろなことはあるのでしょうが、最近のきんもくせいさんからは喜びのオーラが溢れていますよ。
それは傍で見ていても嬉しくなるようなエネルギーで、ミスターがみんなの前で「きんもくせいを眺めていることが嬉しい」と公言したくなる気持ち、分かります。

もちろん人間は誰もが未熟な存在ですから、後追いに気持ちを陰らせたり、イラッとすることはたくさんありますね。

実は私も今朝、母親に対して、久しぶりにイラッとしてしまいました(笑)
でも、それを引きずることなくすぐに解消しながら、何とか喜びの気持ちに切り替えようと努力している自分が可愛いです(笑)
やっぱりそうできた方が自分でも嬉しいですからね。


☆ゆうきクン、

朝から珍しく頭が痛くなって、肩も首もガチガチで、掲示板を開けなかった(というよりも起きられなかった)んだけど、この書き込みを察知して、そのエネルギーに当たったのかな(あ、冗談ですよ・笑)

前にも書いたけれど、私自身が幼い頃から周囲の人との違いに戸惑いながら生きてきていて、それがさまざまな現実を引き起こしてきたのだなと、キミの投稿を読んで改めて思いました。
自分自身の心や気持ちがもっと喜びに解放されていれば、人とは違う生き方であってももっと調和的な現実にできていただろうに、幼いキミたちにもしんどい思いをさせてしまったことを改めて謝ります。

中軽度の成人授産施設や児童施設(「動く重度」といわれる棟を含む)知的障がい者の(収容)施設の職員として働く中で、その福祉法人特有の諸問題や「隔離」という根本的な問題にも行き当たり、より本来的なものを目指したつもりが、実際にはより苦しい現実を引き寄せる選択実行ばかり重ねてきていたように思います。

そういう中でキミたちをはじめとして、いろんな人たちに迷惑を掛けてきたんだと今は思います。(ほんとはずっと前から思っていたことですが)
ごめんなさい。

というお詫びと反省を前提として、私の側からの説明になってしまいますが、少し書いていきます。(以下、お詫びの言葉は割愛します・・笑)

まず、「共同農場」ではなく「共働農場」でした。
そして、「その住み込みのお手伝いさんという形で障がいのある人が我が家にいました。」という認識ではなく、共に生きる仲間ということでした。(建前に過ぎなかったのかもしれませんが)

それと、キミの記憶では何人かの人がごちゃ混ぜになっているようですし、ほかにもちょっと記憶違いがあるのですが、修正するほどのことでもないので書きません。

キミが0歳児の頃から、同居している人がいて、同じ村の家族と住んでいる障害を持った男性も通ってきていました。
その人は誰に対してもいきなり噛みついたりつねったりしてしまう人で、その時の動作が非常に素早くて、制止しようにも間に合わないのです。
そして、興奮させるとさらに力を入れるので、結局は黙って見ているのが最善の対応ということになっていました。

施設を辞めてから最初に住んだ社町や小野市は初めから定住するところを見つける前の腰掛けのつもりでしたが、氷上町に移住してからは一応定住するつもりだったので、閉鎖的な農村地域の人たちとの関わりもしないわけにはいかず、都会にいても人との違いに苦しんでいた私としてはもう最悪の心境で生きていました。

幸い各地から訪ねて来てくれる人がいたり、村でも何人かの友人を得ることができて、何とかかろうじて凌いでいたという感じでした。
何をやってもうまくいかず、心からの気持ちの通い合う人もいなくて、ほんとは自暴自棄になる寸前のところで凌いでいたのだと思います。

氷上の村のお祭りの件は、私が村の産土神社の氏子になることを拒否していて、それである時に村の人から「氏子でもないのに、子供をお祭りに参加させている。(奉納金の分配を受けている)」と言われたことが理由でした。
(あ、お神輿とかはなかったよ)
祭列に参加できるのは男の子だけでしたが。

うちは氏子ではなかったのですが、自分の子供がお祭りに参加させてもらって、奉納金の分配にも与っているので、子供たちの祭列が家の前を通る時に渡す奉納金については、事前に相場の金額を聞いてその2倍は渡すようにしていたのですが、そんなことを村の人に言う気にもならなくて、子供たちに参加しないように言ったのでした。

氏子になっても構わなかったとも言えるのですが、氏子になれば何年に1度かは隣保の宮当番が回ってきて、年末には宮当番の家で大勢の人を招いて「お灯渡し」という引継ぎの酒宴を開くことになっていました。
うちは中古のプレハブ住宅をもらって移築した狭い家だったこともあって、そういうこともできない事情もあったので。

それと、私が小野市にいた頃に出会って、いろんなことを訓えていただいた人間的にも魅力的な牧師さんがいて、その人は奈良県の田舎に住んでいたのですが、やはり地域の人から神社の氏子になるように強要されて(牧師なのに!)、それを断っていたことで嫌がらせを受けていました。
その牧師さんへの義理立ての気持ちも強くあったと思います。

その何年も後になって、私は精神世界や古神道にも関心を持ち、うちの村の産土神社の非常に古い由来の名前にも深く興味を惹かれて、氏子になりました。(それはそれで、またいろいろ言われましたが・笑)

隣保の宮当番にも当たり、それが自動的にその年の神社役員になるのですが、たまたま私が役員の時にはいろんな問題が起きた年になって(私が問題を起こしたのではありませんよ)、でも私の提案が通って、それまでは男児しか祭礼(お神輿のない祭列)に参加できなかったのを女児も参加できるように変えてしまいました。

お弁当のことは、私の感覚では、どうしても嫌ならばそれを何としても伝えるのが当たり前でもあり、それが難しいと思うのであれば、例えば母親を通じてでも気持ちを伝えるというぐらいのことはするのが当たり前だと思っていました。(今でもそう思っています)
小学生ならいざ知らず、中高生になって(ヨモギとビワのブレンド茶はキミが中3か高校生になってからだったと思います)、自分がどうしても嫌なことを主張もせず、あるいは何らかの手立ても講じなかったのであれば、それでは現状が変わらないのも仕方なかっただろうという気もします。

とはいえ、これはあくまでも私の側からの言い分であって、もちろんその頃のゆうきクンや藍子さんの気持ちはお察ししています。

いずれにしても、キミも私も自分が多くの(普通の)人とは違っていることを自分の喜びにはできず、その苦しさを、私は「誰にどう思われようが、私は私!」というふうに表現し、キミは人とは違う自分の世界に自分の意識や感性を閉じ込めたということでしょう。

何だか長々と書きましたが、ゆうきクンにも藍子さんにも次男坊さんにも、改めて今までの私のことを謝りたい気持ちです。
そして謝罪は謝罪として、これからは皆がもっともっと喜びに解放された意識・気持ち・言動・働きで、自分を含む皆にとっての喜びの現実を創っていきたい、創ってほしいと思っています。

親がどうであれ、子がどうであれ、誰がどうであっても、そこに気持ちを陰らせることなく、陰らせたとしても引きずることなく、何らかの自分としての喜びの気持ちに切り替えて、本当の意味で自分らしい喜びに生きていきたいと思っていますし、キミたちにもそうしてほしいと思っています。

やはりこの際に言っておこうと思いますが、私はどうやら地上的な家族という枠には収まらない人間のようですが、それでもキミたちと今生で親子の縁を結んだこと、その伴侶たちや子どもたちともこうしてつながり・絆が深くなっていることは私の人生の掛け替えのない最大の喜びの一つです。
それに対してはお詫びの気持ちをはるかに超えて、大きな感謝の気持ちでいます。

なので、ごめんなさいよりも、ありがとう、です!
。。。。。。

朝方からのひどい頭痛もすっかり治りました。

さっき思い出したのですが、昨夜布団に入ってから、新規の依頼者に遠隔ヒーリングをしていました。
かなり憑依の影響を受けている人のようで、今朝がたからの私の頭痛はたぶん私がうまく波動調整できなかったことによるノイズの影響だったと思います。

26/12/2017(火) 15:31:08

No.17533  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
上の書き込み、自分で読み返して、いろいろ思うことがあります。
これもまた、喜びとは思えなかった気持ちを喜びに切り替える、心の作業になりそうです。

途中、書き加えたところがあるので、それをここにも書いておきます。
。。。

いずれにしても、キミも私も自分が多くの(普通の)人とは違っていることを自分の喜びにはできず、その苦しさを、私は「誰にどう思われようが、私は私!」というふうに表現し、キミは人とは違う自分の世界に自分の意識や感性を閉じ込めたということでしょう。
。。。

26/12/2017(火) 17:20:43

No.17534  ゆみっぺ
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
こんばんは。
今朝、通勤電車の中で書き込みを読んでいて、なるほどーとか、そーかぁとか感じ、涙と鼻水が出て大変でした。きっと、この人、泣いてるのかしら?と思われてるかなぁと感じましたが、まぁ良いか!そんな感じでした。

両親は今は体も思うように動かないこと、少ない年金で暮らさないとならないこと、私に迷惑をかけないように、かけることになったとしても、短い期間で済むようにと考えているのだろうと思います。

年に一回正月だけ、
旦那と子供たちと実家に顔を出していましたが、それも数年前から、両親がきてもらいたくないようなのでやめました。

湯治に行くから、正月はいないと言うのです。湯治は正月はやらないと言われて、正月明けか2月に行ったと話していましたが、今回も同じように言うので、
あーそうなの!と聞いていました。

親子だ、夫婦だ、兄弟だ!なんて、今回のメッセージにもありましたが、この世に生きているときだけで、向こうに戻れば、そういう感覚ではなく、それぞれの魂の故郷に戻り、神の子として進化向上に努めるのでしょうが、せっかく縁があって、カルマがらみかもしれなくても、何とも侘しいことだと思います。

私一人で年に何回か泊まりで顔を出しますが。

今はそんな感じでも、
子供が小さいときは、色々助けてもらいました。助けがなければ、私は働いていけなかったと思います。
そう思えば、感謝の気持ちも沸き上がりますが、喜びに着地しているか?は疑問です。

子供が小学生のとき、特に上の子のときは、教育感の違いから、学校側と対立までいかなくても、おかしくないですか!と言ったし、旦那とも対立しました。

学校は学校で、頑張って何とかしようとしていたのでしょう。かなり評判が悪い学校だったので。
私もうるさく言い過ぎたかな?と思いますが、
やはり喜びに着地していないと思います。

相手の立場をおもんばかり、そういう考え方が出来たことを喜べば良いのでしょうが、うーんという感じです。理性では納得していても、感情的には、やはり
ムカつく!んです。

上の子は仮面浪人しています。センター試験まで、あと半月です。もう一度
受験したい!
浪人したいと言ってくれたら、無駄なお金を遣うことなかったのに…
旦那は定年まであと数年なのに、住宅ローン+教育ローンになるわけ?とか色々考えてしまうと、大学と家の往復で、サークルにも入らず、勉強している子供は凄いなぁと思います。私ならやりません。
頑張っているので、希望が叶えば良いと思う気持ちとローンがなぁという気持ちがあります。合格すれば一人暮らしになるので、寂しいと思っているのかも?しれません。

自分を振り替えって、気持ちを見つめる努力を出来るようになった!

やっぱり、ピンとこない
喜びの着地です。
ピンとこなくても、
見つめて、考えていくことが大事なんでしょうけど。

26/12/2017(火) 22:40:43

No.17535  ゆうき
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
子どもの頃の「喜びと思えなかったこと」だけを抽出したので
なんだか僕の子ども時代全部が暗いもののような感じになってしまいましたが、、、汗汗

実際はそうではなくて、、
小学生の頃は父親に釣りに連れて行ってもらうのがとても嬉しかったし、
そこで(めったに食べない)カップヌードルを自動販売機で食べるのがサイコーに嬉しかったし、
中学の頃にオーリングテストの「引っ張られ役」として僕を頼りにして、信頼してくれていることも誇らしかったし、
高校のころだったか、夏に大葉の袋詰めの手伝いを(小遣いもらって)していたんだけど、
夏休みの朝にFMを聴きながら大葉の匂いに包まれて袋詰めをするのが、なんとも好きだった。

実際は僕はそうとう自分勝手にやってきたと思うし、
どちらかというとふわふわフラフラしながら成長してきたんだと思う。

惜しむらくはもう少し勉強しておけば良かったのに、、と思うことがあるけど
ぜんぜん勉強をしなかったは自分のせいなので、それは仕方ない。。。笑

あの時代に(村意識でがんじがらめの時代に)新しいことをはじめようとビジョンを持って
いろいろな壁に直面しながらも家族を養うのは相当の意思と忍耐も必要だっただろうし、相当大変だっただろうと思う。
僕のほうが感謝!!です。

(その気持ちを汲まずに自分だけの幼い思いを書いてしまいました。。ごめんね。。。)

そういう環境で育ったからいまの僕があるんだし、
いまこうして幸せを感じられるんだと思う。(過去との比較じゃないですよ)

自分のなかで子どもの時代の事の整理というか、確認というか、、
「そういう過去もあったよね。でもそれは過去のことなので今を引っ張るものじゃないよね。」
「過去があるから今があるんだけど、今を作っていくのは過去の自分じゃないよね」
「今を作っていくのは、今の自分だよね」
「過去に引っ張られるのはやめようね」
「自分は自分なんだから、自分が自分をつくっていくんだよね」

と思っています。

自分の性格や何かにつけ悪いこと(?)などネガティブな要素は過去が原因だ〜〜みたいに思っていたこともあったけど、
そんなわけなくて、自分がぜんぶつくりだしたものなんだから、
それを自分で自覚するためのに、今回こういう書き方をしてしまいました。

ヌマさんにとってはイライラするものだったかもしれませんが、、、(ごめんなさい。。。

いつも支えてくれてありがとう。
出来の悪い息子でごめんなさい。

記憶ってほんと「適当」ですね。
思いたいように思っているんだね。。ちょっとびっくり。。。


自分として自分の進むべき道を進みます。
(当たり前のようなことを書いていますが、、)
自分として自分の未来を切り開きます。

いつもありがとう〜〜

27/12/2017(水) 08:03:31

No.17536  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
☆ゆうきクン、

気遣い、ありがとう。
でも、大丈夫ですよ。
嬉しい年末大掃除になっています。


その親にも
親の親にも似るなかれ−
かく 汝(な)が父は思へるぞ、子よ

これは石川啄木の短歌ですが、
幼い頃のキミを見ていて、「このままではこの子は自分のようになってしまうんじゃないか?」という危惧を持っていました。

というよりも、キミが産まれた時から「自分のような人間にならないように育てなければならない」と思っていたので、自分と同じ欠点ばかりをキミに見てしまうことになったのでしょう。
当時は啄木のこの短歌が何度も思い浮かんだものでした(笑)

でも今は全く違う気持ちでいます。
この親に似ても悪くないし、親に似ようが似まいが、親の親に似ようが似まいが、そんなことはどうでも良くて、
キミのことをこのチチは誇りに思っているのです。


☆ゆみっぺさん、

書き込み、ありがとう!

喜びや幸せを実感する気持ちと今の自分の気持ちを乖離させずに、どんな些細なことでも喜んでいきましょうね〜。
喜ぶことを恐れたり、どこかで意地を張ったりしないように。
ご機嫌さんの赤ちゃんのように素直に喜んでいきましょう。

誰にも今はまだ喜べないことはありますが、だからこそそういうことについても何らかの喜びを見いだして、それを喜んで、その喜びをさらに進めていくのです。

今の自分には絶対に喜べそうにないこともあるでしょうから、それを丸ごと喜ぼうと無理をしないで、その中からも喜べそうなところを探し出して喜び、それを糸口にしてさらに喜びを進めていくことがコツです。

逆から言えば、今の自分にはまだ喜べないことを選び出して、今の自分の気持ちのままで思いをめぐらせても、喜びに切り替わるはずがないのです。

よほどの緊急重大課題を創ってしまっているいる場合は別ですが、通常の場合はまずはできそうな問題から解いていくのがクリアへのコツですからね。

今の段階の地上界では、陰り=喜びではない気持ちを喜びの気持ちに切り替えることが(その葛藤も含めて)、まさに自分として生きることです。

やがて喜びベースが定着すれば、多少の雲は出てもすぐに消えて「富士は晴れたり日本晴れ」という青空に戻りますし、晴れるのが分かっていれば、多少の雲が出ることもまた人生の風情というものです。

そして、健やかな喜びへの方向性に生きていれば、たとえ地上を離れてからでも必ず喜びのみの心に戻って、喜びのみの心でさらなる喜びに進化していけるのです。
。。。。。

(ゆみっぺさんには全く関係のない話ですが、)闇の心や言動のままで、自分の闇を守るためにいくら神社にお参りしても、それは闇を深めることにしかなりません。
その偽善も含めて、全て自分が背負うことになるのです。
当座はどうであれいずれは、健やかな喜びに感謝し健やかな喜びを願うというエネルギー場を穢して回ることの重さを思い知ることになるでしょう。

それは当たり前のことですが、もしかすればそういう重大な思い違いをしている人がこの掲示板を読んでいるかもしれませんので、歳末大掃除の時期でもありますので、心からご注意申し上げておきます。

27/12/2017(水) 10:40:09

No.17537  さいこ
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
ぬまさん、愛は時空を超えての受信ありがとうございます。
ぬまさんの書き込み、いろいろ例えを変えて分かり易いです。
文章を書くのは苦手で、思っていることを文章にするのには時間がかかってしまいます。
なので、ついつい書き込みが遠のいてしまいがちですが、すこしずつ思うことを素直に書いていきたいと思います。

先日の書き込みの後、義弟が高熱が出してかなりしんどい状態だったとおもうのですが、仕事は休まず頑張って行ってました。
ただの風邪だったようですが、今朝、「仕事休まんとよう頑張ったて行ったなぁ」と労いの言葉を伝えました。
どう受け取ったかは分からないけど、いえた自分がちょっと嬉しくて気分がいいです。

それと、先日の書き込みの補足をします。
友人の家族の人は、緊急入したときは、「手術をしたとしても治るかどうか分からないし、後遺症が残るかもしれないんやったら、手術はしない」と前向きに生きることを拒否していました。
普段から自分への自信のなさから「CENSORED」と言ったりしていたようです。
そんな彼に長年、一緒に住んでいた彼女が病室に来て「結婚しよう」と言って婚姻届を持ってきたそうです。彼女は彼が私の扶養家族に入れば仕事が出来なくても治療はできるし、何とか養っていけると思ったようです。
一緒に住み始めた頃は、お互い結婚する意思は無かったようですが、月日が経っていくうちに、結婚したい、子どもが欲しいと思うようになったそうです。
ただ、二人ともがそのことを言い出せずに今まできたようです。
今回の奇跡的な回復は彼女の支えと彼自身の生きる気力が芽生えた事が大きかったと思います。
私のヒーリングも少しは役にたったのかなぁ。そうだったらとっても嬉しいです(笑)
先々週くらいに、二人は婚姻届を役所に出しに行ったようです。

今回、彼の病気を聞いたとき、治って欲しいという思いはあったけど、私自身が気持ちの余裕がなくて、関わることを躊躇しました。
ただ、このまま何もしないのはどうなんやろう?と思って、深くはよう関われないけど、少しアドバイスできたらいいなぁと思って、ぬまさんに相談させてもらいました。
今までの経験上、関わることで自分が頑張りすぎて空回りして、嬉しくない方向に自分の気持ちが行くような気がして、今回は最初からあまり深く関わらないようにしようと思っていました。
ぬまさんのアドバイスを伝えて、様子を聞く程度にしていました。
そのことが治癒に繋がるとは考えもしなかったのですが、嬉しい結果になりました。
ぬまさんにも送ったメールに少しこのことを書いたと思うのですが、ぬまさんからそのことについて何もなかったので、これでいいんやなぁ…と思っていました。
いつもありがとうございます。

27/12/2017(水) 10:50:55

No.17538  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
みなさんのお話も、自分に通じているところもあり、勉強になります。

飯沼さんって人間じゃないかもと言う思いが、いつもより強い本日です。
ふと、
化け物の文字が頭に浮かび、検索をかけると、
「無生物が人の姿をとって現れるもの」と書いてありました。
飯沼さんって、人間と言うか、化け物ですよねー。
な〜に書くんだ(笑)
(みんなそう思っているのかも)

まずは、出来そうな問題を解いたり、喜べそうな所を探し出して、喜んでいきます。
今年中は、無理そうなので、来年に喜んでいたいです。

27/12/2017(水) 13:09:58

No.17539  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
さいこさん、書き込みありがとう。(あ、のものもさんもね・笑)

☆さいこさん、
来年の干支を先取りしたかのような、一昨日の夜の亀ちゃんとの犬も喰わない、犬のことでの夫婦喧嘩の話、さきさんから聞きましたよ(笑)

義弟さんを褒めてあげられて良かったですね〜。

お友達のダンナさんの件での私のアドバイス内容は忘れてしまっているのですが、義弟さんのことでの数年来のアドバイスはしっかりと覚えていますよっ(笑)

脚本家・演出家としては(誰がだい?)、シチュエーションを評価やねぎらいの場面に変えても全くかまいません。
もちろん元の筋書き通りに、ガメラの雄叫びにも負けないさいこさんのド迫力で、怒鳴り倒すのもOKです。

とにかく、その後でしっかりハグしてあげるか、百歩譲ってさいこさんが手を握ってあげるかの場面とエネルギーを、鬼のように優しい演出家としては(まだ言ってる・笑)要求します。

いい舞台を創りましょうね!

お友達の件では、さいこさんからのメールが私がアドバイスしようと思っていたのと同じような内容だったので、自分がそういうアドバイスのメールを送ったと勘違いして記憶していたのかもしれません。
あの切羽詰まった状況ですから、「これはお友達ご夫婦の(奥さんの方からの)心のつながり方が変わらなければ治りようがない」と思いました。
今までの経緯からして、それが非常に難しそうだったので、私は深入りしたくなかったのです。

とにかく、大きな喜びが奇跡的な治癒・改善への特効薬になったのでしょうね!

今回は、核心部をお友達ご夫婦に委ねて、さいこさんは母性に満ちた温かい眼差しで包み込んであげることで正解だったようです!

いずれにしても、ベテランの医師もびっくりするような喜びが現実化しやすくなっているのは間違いありませんね!

ついでに書きますが、さいこさんの母性のエネルギーは、やはりとっても強く大きく深いのです。
さいこさん自身がどう思おうが、その事実は変わりません。

ですから、さいこさんが温かい眼差しを送り、時にはハグしてあげたり、あるいは時には肝っ玉母さんとして怒鳴りつけた後でやはりハグしてあげることで、相手の心にものすごく作用するのです。

であれば、最も避けねばならないことは、さいこさんが相手を冷ややかに見ることです。
母親から冷ややかな視線を向けられる子どものことを思えば、それがいかに大きな影響を及ぼすかは分かりますね?

いい子だから、お父ちゃんの言うことを聞いて、
「私は今までずっと自分に自信を持てていなかったが、それを自分の心のエネルギーに自信を持つという喜びに切り替えた! (私は今まで何度ヌマさんに言われても、ヌマさんの言うことを半信半疑にしか聞けなくて、信じきれていなかった。でも、信じても誰の迷惑にもならないし損にもならないんだから、この際、自分の喜びとして信じきると決めた。)」
というふうに切り替えてくださいね〜!


☆のものもさん、

歳末大キャンペーン期間中に余計なことを思ってるんじゃないよ。

>飯沼さんって、人間と言うか、化け物ですよねー。<

これもそうだけど、それよりもこっちがいかんでしょ。
                ↓
>今年中は、無理そうなので、来年に喜んでいたいです。 <

27/12/2017(水) 14:11:41

No.17540  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
大事なキャンペーン中に余計な事を考えてしまいました〜〜

既に喜んでいますよ!
こうやって、皆さんと出会えた事、今の人生でなければ、出逢ってませんからね〜。
と言うか、こんなに考える人になってませんから〜。
大いに、喜んでいます!

そして、自分の人生も嫌いではないです。自分にも祝福してます。
パチパチ
もう一度は、無理だけどー。

お父さんも、ずーっとあの役やってて、人をいつまでも認める事できなく育ってしまい、よっぽどなんか小さい時あったんだと思います。
それも、あの人の人生です。
祝福します。

あーまだ、お父さんのくだりは、頭で考えて書いてますけどね〜

27/12/2017(水) 15:17:57

No.17541  みさお
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
愛は時空を超えて
ありがとうございます。

クリスマスプレゼントを貰った気分でした。

年内に又ゆっくり書き込みさせて頂きます。

飯沼さん みなさんの書き込みじっくり読んでいます。

27/12/2017(水) 15:18:33

No.17542  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
☆のものもさん、

はーいです。

頭で考えようが気持ちで思ってのた打ち回ろうが、健やかな喜びに向かう葛藤は全て、魂が地上に生きる証しであり、その人の魂はすでに地上に輝きを放っています。

大丈夫ですよ〜!

☆みさおさん、

昔から「駆け込み3杯」って言うから、年末の駆け込みの書き込みは普段の3倍、よろしくね〜!
(しょーもないダジャレを言いたかっただけです、すみません)
。。。。。。

つい先日、Bさんと話していた時に、Bさんが「最近、春さんの書き込みがないけど、春さん、どうしてるの?」と言うので、根っこのところではもう動き始めているのに、今のテーマに沿ってはなかなか動けずにいる春が来るさんのことをちょっと話しました。

そしたら先ほどBさんからメールがきました。
今日はBさん、劇団のスタジオの大掃除と忘年会の準備で、むちゃくちゃ忙しくしているはずなんですが、相変わらず元気な高齢者です(笑)

ということで、転載しておきますね〜。

春さ〜ん!
大丈夫だよ〜。
みんな、愛を求めてる。
みんな、愛されたいし愛したい。
みんな、甘えたいし甘えてもらいたい。
みんな、一緒だよ〜。

自分も他者も思いは一緒。
だから、春さんも自分も他者も信じて、
愛情を示そう!
先ずは自らね〜。

今すぐ答えを得られなくても、
いつかきっと満たされる日がくるからね。
信じて、大丈夫! 大丈夫!

信じよう、自分の魂を!
信じよう、他者の魂も!

大好きだからね〜〜!
何の心配もいらないよー!
一緒にいい年を迎えよう!!

27/12/2017(水) 16:43:02

No.17543  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
上のさいこさんへのコメントで、大事なことを書き漏らしていました。

「いずれにしても、ベテランの医師もびっくりするような喜びが現実化しやすくなっているのは間違いありませんね!」

を書き加えました。

27/12/2017(水) 17:49:50

No.17544  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
上に転載した春が来るさん宛てのBさんメールですが、Bさんは春が来るさん個人への励ましのつもりだったそうです。

今さら削除しても意味がないので、私の責任でこのままにしておきます。
すみません。
。。。。。。。。。

人間関係において気持ちを陰らせる人は多いのですが、人間は自分を含めて誰もが未熟で不十分なものです。

当事者間のトラブルや不調和においても、その原因になった落ち度の度合いが100対0という場合はあまりないと思います。

もしも落ち度については自分には全くないと自分の側からは思える場合でも、不十分さという視点で見れば、それは自分にもあるのです。
だって、自分を含めて人間は誰もが不十分な存在だから。

もしも今トラブルや不調和が生じている相手に対して「私には何の不十分さもない」という場合でも、他の人との関わりにおいても全く不十分さがなく、つまり自分が完全であるなどと言える人は皆無でしょう。
もしもそう言える人がいたら、その人こそ極めて不十分で超未熟あるということです。

自分も不十分であることを知れば、相手の落ち度や不十分さにこだわり続けることは自己矛盾でしかありません。

「私はこんなに気持ちを傷つけられた」と言うのであれば、「自分は誰かを傷つけたことはないのか? 今も自分が気づいていないうちに誰かを傷つけたり不愉快な思いをさせているのではないか?」を思ってみることです。

「私にはあんな不十分さはない。私はこんな傷つけ方はしなかった。」と言いたくなるかもしれませんが、不十分さの質や内容は人それぞれですし、どういうことでどれぐらい傷つくかも人それぞれなのです。

人間というものを俯瞰して見れば、程度や傾向の違いはあっても、皆が不十分であり未熟なのです。

自分なりの偏狭な殻にこもって、自分の側からしか物事を見ることができない・考えられない・思えない状態が、極めて幼児的で地上的自我意識(小我)に囚われているということなのです。
それが我執というものです。

しかし何度も言いますが、そういう自分を否定しても、そういう自分を正当化しても、何の喜びにもなりません。
未熟な自分を否定しても気持ちがひねくれるだけですし、未熟な自分を正当化しても嫌われ者になるだけしょう。

どんなに未熟で不十分な自分であっても、そういう自分をねぎらい慈しみ喜びながら、一つ一つの陰りの気持ちを喜びの気持ちに切り替えていくことで成長していけるのです。
意識(エネルギー)が変われば、自分の現実、自分を取り巻く現実も変わるのです。

そのために私たちはこの地上に生まれ、しんどいことや面白くもないことも多々ある中で生きているのです。

相手に対する自分の意識・想念が変われば、相手と自分とのエネルギー場が変わるので、相手も変わるのです。

その変化が実際に地上的な形(現象)になるには時間差があるかもしれませんが、すぐに相手や状況に変化が表れなくても、自分の意識・想念が変わっていたら、もう自分の気持ちは陰りませんし、陰ったとしてもすぐに解消して喜びに戻るのです。

「相手や現状が〜〜だから自分は気持ちを喜びに切り換えられない。切り替える気にならない」というのは、まさに後追いで排泄物にまみれている状態です。

まだまだキャンペーン期間中です。
歳末大掃除、頑張りましょう!

28/12/2017(木) 09:36:10

No.17545  のものも
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
昨日は、飯沼さんの事を「化け物」だなんて言ってしまい、申し訳ございませんでした。
なんて、謝っておきながら、笑ってる私です。
(人間じゃないって(何度も、すみません)
見かけの事でなくて、頭の中の事ですからね〜)

悠々塾の掲示板を好意的に見ている人も、そうでない人も、やっぱり、結局は、飯沼さんの書いてある文章を読みたい!んでしょうね〜。
文句を言いながらも、見てるって事は、負けだよねー(笑)へへ。

私が、本を出せる立場の人間だったら、とっくにスカウトして、そのまま訂正なしで、世に出していると思います。

大事なキャンペーン中なので、こんな事はどうでもいいと、また書かれそうなので、この辺で。

何が言いたいのかと言いますと、
悠々塾って、本当に面白いなぁ〜って事です。
この嬉しいを、広げていきたいと思います。

憧れの先輩、Bさんにも、よろしくお伝えくださ〜い!

28/12/2017(木) 13:20:56

No.17546  春が来る
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
Bさん、ぬまさん、ありがとうございます。
バタバタしている事もあるのですが、中途半端な気持ちで「年末の心の大掃除」を済ませたことにはしたくないと思っています。
年内には、必ず、また、投稿させていただきます。

28/12/2017(木) 16:43:15

No.17547  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: ☆☆ 愛は時空を超えて155 ☆☆ 引用
☆のものもさん、

>文句を言いながらも、見てるって事は、負けだよねー(笑)へへ。<

こらこら、人の陰りを増幅させるようなことは言わないものですよ(笑)

私への反感を持ちながらこの掲示板を読んでくれている人もいると思います。
まあ、そういう人たちにも、ある意味そういう人たちにこそ、ぜひ今回のテーマを実行してもらいたいという思いもあります。

私への反感を喜びの気持ちに切り替えるのは後回しで構わないから、今のその人にできそうなところから陰りの気持ちを喜びに切り替えてもらいたいなぁと思っています。

>私が、本を出せる立場の人間だったら、とっくにスカウトして、そのまま訂正なしで、世に出していると思います。<

ははは、ありがとうございます(笑)
でも、私はこの20年余りの働きを通して、多くの人にとって知識というものはほとんど霊性進化(健やかな喜びの進化)の役には立たないと身に染みて思い知らされてきました。

健やかな喜び(愛です)を進化させるにあたっては、知識や頭脳的能力(学校の勉強ができる・できないとか、頭が良いとか悪いとか)はほとんど全く関係ないのですね。
特に感情・気持ちというものは、地上の人間にとってはものすごくリアリティのある領域です。
そこを喜びに切り替える回路を確立して活性化できるかどうかは、そのままその人や周囲の人の人生そのものを決定づけていくのですが、それは頭脳や知識ではなくまさにその人の気持ち次第ということになります。

なので、いずれは誰にでも分かるような本を書きたいとは思いますが、それは実際的な喜びの現象を当たり前のように形にしながら、その法則を広く伝える時期が来てからにしようと思っています。

今の私の見通しでは、私に文章を書く力が残っている間にその時期が来ると思っているのですよ〜。

>悠々塾って、本当に面白いなぁ〜って事です。<

はーい!
本当にそう思います!

>憧れの先輩、Bさんにも、よろしくお伝えくださ〜い! <

はいよ!
憧れの先輩、Bさんとは二人で忘年会をしようと言っていたのですが年末は都合が合わなくて、新年会になりました〜。

☆春が来るさん、

了解です。
歳末キャンペーン期間は新春キャンペーンに移行しますから、無理をしないで、無理やり大正解を出そうとしないで、一つ一つ着実に陰りの気持ちを喜びの気持ちに切り替えていきましょう!

29/12/2017(金) 10:22:30


No.17492 飯沼正晴 ホームページ E-mail
引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
のものもさん、まゆみさん、さきさん、書き込みありがとう!

本来の自分、本来の喜びの流れへの回帰が感動的に進んでいますね〜!

私たち人間は、滔々と流れ続ける喜びの大河に浮かぶ小舟のようなものです。
本来ならば、歪むことなく・ブレることなく、喜びの流れに乗って喜びの中で進んでいくものです。

しかし、それぞれが過去世からのカルマを背負っています。
それは何もしなければ喜びの流れに乗って進んでいくはずの小舟に、あえて特定の方向に曲げた舵(かじ)を取り付けるようなものです。

自分という小舟は当然、舵を切った方向に歪んで進むのですが、大河の川幅はあまりにも広く、その流れは滔々としてゆるやかなので、小舟に乗っている者にはその歪みを認識しにくいのです。

しかし、大河の喜びの流れに同調できていない程度や傾向に応じて、喜びに対する不調和(つまり喜びではない現実)が形成されていきます。

そこで気づいて舵を真っすぐに戻せれば良いのですが、小舟(小さな自我)とその小さな周囲しか見ていない者にとっては、何が真っすぐかも分かりません。
小舟に取り付けられた舵は、心の目を見開いて見ようとしなければ見えないのです。

そしてその舵は真っすぐに戻すよりも、さらに歪みの方向に切る方がとりあえずは楽なので、今まで通りの自分の目先の安易さを修正することができず、歪みを大きくしてカルマを重ねることになる場合が多いのです。

今まではそれでも何とかやってこられたかもしれませんが、これからは大河の流れが速くなるので、舵を歪めたままでは船酔いの挙句に転覆必定です。

全てが喜びの大河を進む小舟であれば、舵の歪みが喜びとは思えない現象・現実を引き起こしているのです。
であれば、喜びとは思えない現象に心を煩わせてもどうにもなりません。
それがさらに舵の歪みを増幅することになるのです。

全ては喜びなのだという真実・真理をしっかりと心に刻み込んで、その流れに沿って、喜びの方向に舵を切り直していくことで、喜びの現象・現実は自動的にもたらされていくのです。

実際には孤立した小舟ではなく、それぞれのつながりによる船団が見えないエネルギー場(領域)を形成して進んでいます。
その領域が喜びの大河との同調度が高ければ、それぞれの小舟も舵を喜びに戻しやすくなりますし、その領域では奇跡のような喜びの現象・現実を引き起こすことが増えていくのです。

すでに今の悠々塾というつながりの場においては、そういう奇跡のような喜びの現象が起き始めています。
本当に起き始めているのですよ!

そしてそれぞれが、今の自分にとっては喜びとは思えない気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えていくことで、あるいはさらに喜びの気持ちを大きくしていくことで、喜びによってつながっている皆に奇跡のような喜びの現象はもっともっと当たり前のように起きていくのです。

舵を切り替える時には自我の抵抗感や多少の揺れ(排出)があるかもしれませんが、そんなことに気持ちを煩わせることなく、どんどん切り替えていきましょう!

21/12/2017(木) 10:49:10


No.17493  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
私は、どんどん自分の心、本来の気持ちを選んでいくと言った方が、切り替えやすいかもです。
ほとんどの人が、自然と当たり前に、皆もを入れているので、この際、がめつくなっちゃいいかもですね〜

うちの方は、ギリギリですが、全てが今年中に片がつく運びとなりました。
来年もよろしくお願いします!
いやいや、まだ早いし〜〜(笑)

21/12/2017(木) 13:33:06

No.17494  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
のものもさん、

どんな方法でも構わないのですが、とにかく、今の自分の喜びではない気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えていくことです。

そして、今を喜ぶだけでなく、今の喜びをさらなる喜びへと進めて(深め、広げて)いくことです。

もちろん自他への否定の気持ちも喜びではないので、それも何らかの喜びの気持ちに切り替えます。
しかしそれは、陰りや闇や過ちの中にある自分や誰かがそこに留まることを黙認することとは全く違っています。

「さらなる喜び」には、「今よりももっと健やかな喜びに進んでいく」という要素も含まれているのですから。

今は陰りや闇や過ちの中にある極めて未熟な自分や誰かであっても、必ず喜びの進化の流れの中にあることを分かった上で(それが祝福というものでしょう)、喜びとして関わっていく(働きかけていく)。
今の自分にはどうしても袂(たもと)を分かつことでしか喜びが見いだせないのであれば、今は一旦そうすればよいのです。

霊界においてさえも意識(波動)の違いが著しい者たちは、よほどの場合以外は直接かかわることなく、棲み分けながら生きています。
それはもちろん排除や断絶ではなく、棲み分けることによって全体がひとつの喜びの流れであることの喜びを維持しながら、さらなる喜びに進んでいるのです。

陰りや闇の世界に生きている者たちは光がまぶしくて(健やかな喜びの波動が苦しくて)、逃げようとしたり、反発したり、攻撃的してきたり、無視や断絶を向けてくるものですが、光の者たちがそれをも慈しんで光で包み込もうとするからこそ、皆が全体として一つの喜びの中に存在できているのです。


そして、自分を含む何人ものつながりの場が、喜びではない気持ち・意識を喜びに切り替える回路を確立して活性化させれば、その場のエネルギーは喜びベースに切り替わり、喜びの現象・現実が当たり前になっていくのです。

特に感情・気持ちの波動レベルを喜びベースに切り替えると、地上レベルでの喜びの現象が起きやすくなります。
ほんとに原理は簡単なのです。

21/12/2017(木) 14:52:41

No.17495  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
飯沼さん

好きな人、好きな事に関しては、喜びをさらなる喜びに広げていくのは簡単です。

嫌いな人、嫌いな事を、留まる、黙認ではなく、さらなる喜びに、今より健やかな喜びへと進むと考えると眠くなります。
頭では、闇を光で包み込むイメージは出来るのですが。

お父さんの事は、たもとを分かつ事でしか、私が喜びを見いだせません、今はどうしても、気持ちが。

必ず喜びの進化の流れであると気持ちを切り替えたいです。
切り替えたいですでは、切り替わらないですが。

飯沼さんの掲示板を読むと、最近、違う事を考えたくなります。
と言うか、喜びでない気持ちを見つけていくことも、けっこう疲れます。
お助けー(笑)笑ってないけど。

21/12/2017(木) 16:54:24

No.17496  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
すみません。
愚痴っぽくなりましたが、
喜ぶだけでなく、さらなる喜びへと進みたいと思います。

最近、飯沼さんの掲示板は、紙に書き出して、自分なりに図にしたり、線を引いたりしています。
読んでるだけだと、スルーしちゃうし、頭がごちゃごちゃします。
書いても、頭がごちゃごちゃなんです。
早く、簡単になりたいです。

21/12/2017(木) 17:31:34

No.17497  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
のものもさん、

>お父さんの事は、たもとを分かつ事でしか、私が喜びを見いだせません、今はどうしても、気持ちが。<

だから、今はそれでいいのですよ。
(上の私の書き込み、しっかり読めよ〜・笑)

価値観や意識(波動)が違っている両者が、その波動を喜びに同調させて一つにする(重ね合わせる)ことはとても難しいのです。
しかし、そうできた時には心ぜんぶが感動に打ち震えるぐらいの喜びを味わうことになるでしょう。

そして、どちらか一方が愛と祝福の想念を送っていれば、地上ではできなくてもいずれは必ずその時がくるのです。

>切り替えたいですでは、切り替わらないですが。<

だから、無理をする必要はないって何度も書いているのに。
義務や責任じゃないのです。
でも、気持ちのところでのこういう葛藤はいつか必ず大きな喜びの進化に結実します。

嬉しいことを喜ぶのは子供でもしていることです。
嬉しいとは思えていないことや嫌だと思っていること、あるいは自分が目を逸らしてきた自分の中の喜びではない気持ちを、喜びの気持ちに切り替えようとしていくことが、大人の心の使い方だともいえるのでしょう。

私たち人間はほとんど全ての者が子供のような幼稚な心で生きて、それが当たり前だと思い込んできたのですから、喜びの進化の流れに乗っていくには多少の葛藤があって当然です。

これも何度も書いてきましたが、喜びベースで日々を生きている人間はとても少ないのです。
多くの人間は、喜びベースじゃない心に慣れてしまっているので、最初は自分の中の喜びではない気持ちを見つけることも難しいのかもしれません。

でも、喜びベースになりかけてくれば、リアルに幾つも見えてくるもののようですよ。
真っ白なシャツを当たり前の基準にするか、着古したシミだらけのシャツを当たり前だと思うのかで、違ってくるのでしょうね。

あるいは、晴れ渡った青空に点在する雲はすぐに見つけられますが、空全体が雲に覆われている曇天に慣れきっていれば、雲に対して無反応になってしまうのかもしれません。

まあ、このキャンペーン期間はまだまだ続くので、ボチボチやっていきましょう。

私が書くことを難しく考えて頭で分かろうとせずに、あくまでも気持ちのところで思いをめぐらせてみてくださいね〜。

しっかし、のものもちゃん、キミはほんとにいい子だよ!

21/12/2017(木) 17:35:57

No.17498  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
>嬉しいとは思えていないことや嫌だと思っていること、あるいは自分が目を逸らしてきた自分の中の喜びではない気持ちを、喜びの気持ちに切り替えようとしていくことが、大人の心の使い方だともいえるのでしょう。

何故か(なんと!)
すんなりストンと心に入ってきます。
普通の事であり、今までなかった新しい事のように思います。
小学生の時、教えてほしかった〜(笑)
いい子と言うより、
ウザイですよね〜私(笑)
頭でなく、気持ちでめぐらせてみま〜す!

21/12/2017(木) 22:36:40

No.17499  祐造
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
僕はお金の使い方がしみったれです。
欲しいなぁという気持ちと、実際の買い物に大きなギャップがあります。

仕事に出るとお昼ご飯はたいがいスーパーでお弁当を買うのですが、「ちょっと高めだけれど美味しそう」と思っても、いつも安めのお弁当にしてしまってました。

今の仕事に就いたころ、収入が下がったのにそれまで通りの暮らし方をしていたことなどから、一時貯金がマイナスになって焦ったのでした。(借金は生まれて初めてでした…)
それからしばらくは倹約して暮らしていたので、その思い癖だと思います。
(そのくせタバコはもう普通に買っていたので、よく分からないしみったれですが…)

その後家賃の安いアパートに引っ越したりして、余裕ができてもどうもそのしみったれ癖が抜けなくなってしまっていました。
我慢・喜びの制限だったと思います。
食べたいものを食べる=我がまま=いい子ではない、という図式もあったのかもしれません。
自分のこと以外にお金を使うときは、そんな制限はないのですが…。


「喜びベースに」という呼びかけがあってから、喜びではないその思い癖は切り替えようとしてきました。
食べたいと思ったときは、それを買って食べるようにしています。
そして美味しかったら「う〜ん、美味しい」と口に出して喜びながら幸せに食べています。

さらに今回、以前から欲しかった一眼レフカメラを買いました。
といっても型遅れの6万円ちょっとのものですが、僕的には快挙なのです。
理屈抜きに楽しいと思えることをしていくツールのひとつです。
小さなところからでも、少しずつでも気持ちを喜びに切り替えていきたいです。
なんだか幼稚な喜びで恥ずかしいですが。

22/12/2017(金) 01:02:20

No.17500  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
のものもさん、祐造さん、書き込みありがとう。

のものもさん、
>ウザイですよね〜私(笑)<

全然そんなことないですよ!
(時にはちょっとズレていることがあっても)ちゃんと反応してくれるので、ありがたいです。

祐造さん、
以前にも書いたことですが、祐造さんには、前に私が何度も示した例文に沿って気持ちをめぐらせてから文章にすることを勧めます。

祐造さんからしてみれば、「ウザいなあ、飯沼(さん)」という気持ちでしょうが、祐造さんの地上人生にとって非常に重大な節目だと思うので(重大な節目がずっと続いているのですよ)、しつこく言ってすみません。

22/12/2017(金) 07:48:07

No.17501  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
しかし、寒いですね〜

今朝の篠山の外気温は氷点下4℃。
今も−3℃です。

北半球では記録的な寒さの地域が多いそうです。
夏のはずのオーストラリアでも、今年は例年になく低気温だとか。

即断するつもりはありませんが、やはり地球の寒冷化、小氷河期への突入という気象学者の見解に注目です。
。。。。。。。。。

【12月22日 AFP】国連総会(UN General Assembly)で21日、エルサレムをイスラエルの首都と認定した米政府の決定を無効とする決議案の採決が行われ、賛成128、反対9、棄権35の圧倒的多数で採択された。

 反対票を投じたのは、イスラエルと米国のほか、グアテマラ、ホンジュラス、トーゴ、ミクロネシア連邦、ナウル、パラオ、マーシャル諸島。

 棄権した35か国にはアルゼンチン、オーストラリア、カナダ、クロアチア、チェコ、ハンガリー、ラトビア、メキシコ、フィリピン、ルーマニア、ルワンダなどが含まれる。

 採決を欠席したのは21か国。このうちウクライナは、国連安全保障理事会(UN Security Council)で行われた決議案の採決では賛成していた。

 ニッキー・ヘイリー米国連大使は総会で「米国はこの日を忘れない」と述べた。

 さらに同大使は「米国はエルサレムに大使館を置く」とし、「国連でいかなる採決があろうと、その点は一切変わらない」と言明。その一方、「しかし、この採決は米国民の国連に対する見方と、国連でわれわれを軽視した国々に対する見方を変えるだろう」と述べた。(c)AFP
。。。。

エルサレム問題(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)


ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の聖地のあるパレスチナの中心都市エルサレムの帰属をめぐる問題。エルサレムは,第1次世界大戦後イギリスの委任統治下に入ったが,1947年の国連パレスチナ分割決議により国連管理下の国際都市とするよう定められた。しかしイスラエル建国とともに起ったパレスチナ戦争 (第1次中東戦争 ) の結果,市の西半分はイスラエルに,また旧市を含む東半分はヨルダン領に組入れられた。

イスラエルは 50年,エルサレムを首都と定め,さらに 67年の六日戦争 (第3次中東戦争) で東エルサレムを含むパレスチナ全土を占領したのち,統合エルサレム全体を首都と定めた。これに対しアラブ側は,六日戦争の全占領地からのイスラエル軍の撤退を求め,東エルサレムを首都とするパレスチナ国家の樹立を要求している。

しかしイスラエルは統合エルサレムがイスラエルの首都であるという主張を絶対に変えない方針を示しており,93年9月にイスラエルとパレスチナ解放機構 PLOとの間で調印されたパレスチナ暫定自治協定においても,この問題には触れられなかった。エルサレム問題は,アラブ=イスラエル紛争のなかでも最も解決困難な問題の一つとなっている。
。。。。

(ここからは飯沼が書きます)

アメリカのトランプ大統領がとんでもないカードを切りましたが、
さすがにこれは国連総会で圧倒的多数で否定されました。

トランプ大統領は、「アメリカの意向に反対票を投じる国には、今後は援助の打ち切りをする」というような露骨な脅しもかけていました。

今年7月に国連総会でやはり圧倒的多数の賛成で可決された「核兵器禁止条約」には唯一の被爆国でありながら反対して、アメリカのポチぶりを晒した日本も、「エルサレムをイスラエルの首都として認定する」というアメリカにはさすがに賛成できなかったようです。

しかしこれはトランプ大統領としては予想以上の完敗だったわけで、さらに窮地に立たされたトランプが次にどんなカードを切るのか、そこが大問題でしょう。
目立ちたがりで自制心が弱くプライドだけが高い人物が追い詰められた時は、ほんとに何をするか分かりませんから。

北朝鮮とアメリカ・韓国で軍事衝突が起きれば、世界最大の米軍基地を提供して、文字通り同盟国(実質、一定の自治権を与えられた植民地ですが)の日本が攻撃される可能性は極めて高いでしょう。

福井の原発群は目と鼻の先にあるのです。
通常兵器による攻撃でも、日本は壊滅的な打撃を受けることになります。
高高度核爆発による電磁波パルス攻撃を受けたら、ほとんど全ての文明機器が破壊されて、日本は終わります。
まあ、そういう出直しも悪くないかもですが・・・。

金正恩も追い詰められているはずですから、ほんとに何をするか分かりませんよ。(トランプと金正恩、実は似ているかもです)

日本を攻撃する前に今の北朝鮮の政権が崩壊しても、おそらくは多数の難民が日本に押し寄せてくるでしょう。
日本の麻生という財務大臣で副総理(?)のオッサンが、「有事の際の北朝鮮からの難民には工作員が紛れているかもしれないから、自衛隊が射殺を」みたいなことを言ったそうですが、日本はもうそんな国になってしまっているのですね。

異次元緩和とかアベノミクスとかで、企業や裕福層には莫大なおカネをばらまいているのに庶民の手取り賃金はほとんど増えていない、むしろ実質賃金は減っている状態です。
預貯金ゼロの世帯が30%を超えている状態です。

公共料金などの引き落としに使っている通帳の残高やタンス預金などは預貯金に含まれていないのようですが、それでも庶民層の貧困化が進行していることは紛れもない事実です。

つい最近もユニセフが日本の子供の貧困化に関して懸念を表明しています。
しかも日本は高齢化が進んでいるにもかかわらず、社会保障はヨーロッパ諸国などよりも非常に劣悪な状態です。

この5年間の安倍政権で、(大)企業の内部留保金は100兆円も増えて、企業は総額400兆円ものカネを確保しています。
日本の国家予算(一般会計)は100兆円弱、GDPが550兆円程度ですから、企業の内部留保金の膨大さが分かります。

これでは庶民の手取り賃金が増えるはずもなく、GDPの6割を占める個人消費も増えようがないのです。

さらに、近いうちに安倍政権の経済政策が破綻することはほぼ確実視されていて、日本の経済は大混乱に陥り、またしても庶民が苦難を舐めさせられることになるのでしょう。

こういう時代状況ですからなおのこと、唯我独尊のお花畑に夢の花を咲かせて喜ぶのではなく、しっかりとした意識で、皆が本当の自分としての幸せの人生を生きていける地上界に作り替えたいと思っています。

そして、今の地上界の常識や制約に縛られている人には荒唐無稽に思えるかもしれませんが、今、私たちがやっている心の作業が新しい喜びの地上界への風穴を開けることになるという信念と客観的・科学的な見通しを、私は持っています。

喜びではない気持ちを喜びの気持ちに切り替える作業は、人によっては分かりにくく、分かっても重いものかもしれませんが、できれば引き続き協力をお願いします。

22/12/2017(金) 09:00:17

No.17502  Beagle
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
少し前に呼びかけられていた、「オーダーする」というものを今やってみます。
当時は悩みの渦中でこれまたピンときませんでしたが、ここ数日いろいろ考えました。

(オーダーします)
私たちはわかりあえた
私たちは許しあった
私たちの間の絡まった糸はほどけ始めた
子どもたちは、それを喜んだ。心から安心した
子どもたちは私たちそれぞれから限りない愛情で包まれて、
まっすぐ成長した

22/12/2017(金) 11:30:13

No.17503  さいこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
なかなか書き込み出来なくてすみません。
嬉しいことがあって、やっと気持ちが上向きになってきました

先日のドネ会の後、皆さんからの助言で気がついた事がありました。
自分のしんどさに囚われて、義弟の将来や今の仕事に対してのストレス等、義弟の気持ちに寄り添えてない事に気がつきました。
家族皆(本人も含めて)が、義弟の将来に明るい未来を想定していない。
このまま独身で私たちがいつか面倒をみないといけないとしか、思っていませんでした。
結果、私たちの家族、本人もだと思いますが、今の現状を作っているのだと思います。
休日に出歩いて賭け事をするのも仕事のストレスがあるのかもしれません。
仕事はけっこうきついようです。
賭け事を容認する気持ちにはなりませんが、そういう事を全面否定するのではなく、義弟の気持ちに少し寄り添った見方はできるかなぁ…と思もえるようになりました。
そう思えるようになってからしばらくして、弟が4年くらい前に借金の返済のために主人に借りたお金を、先日返したそうです。
普段の様子やパート社員で働きだしてまだ5ヶ月くらいしか経ってないので、返済にはもう少し時間はかかると思っていたので、ちょっとびっくりしました。
でも嬉しい一歩です。

もう一つ、奇跡的な事が起こりました。
10月末に、私の友人の家族の方が脳にできた悪性リンパ腫で緊急入院し手術をしました。
大きな腫瘍は手術で取り除く事ができましたが、脳に浸潤している腫瘍まではきれいに取れなかったそうです。
悪性のリンパ腫は抗がん剤治療が良く効くので、専門の病院で治療するために転院ました。
転院先の病院で、悪性のリンパ腫の元を特定する検査をしましたが特定されず、再度、詳しい検査をすることになりました。
結果が分かるのに3週間くらいかかるので、その間治療は出来ないということで、一旦退院することにしました。
それから12月の半ばに検査結果を聞きにいったそうです。
本来この時期には、再発か再発の兆候がでてもおかしくないようで、頭部のMRIを撮って検査をしましたが、術後良好な状態で、画像もきれいな状態で、先生が知っている通常の症例とちがっている特異な症例らしく(良い意味で) 、先生も何が起こってるのかわからないそうです。
ただ、病理の診断も確定ででていないことと、現在の結果や、本人の体調の良さからみて、抗がん剤を行う治療はやりすぎになると判断で、先生もビビりながらではあるけども、抗がん剤は保留としたいということになったそうです。
手術した病院は大阪の脳外科では有名で、ベテランの先生が誤診したとは考えにくいと思います

手放しで喜べる状態ではないですが、再発も再発の兆候もないとのことで、本当に良かったです。

>「すでに今の悠々塾というつながりの場においては、そういう奇跡のような喜びの現象が起き始めています。
本当に起き始めているのですよ!<
本当にそうなんですね!!
身近に起こったことなので実感しました。

ぬまさん、アドバイスありがとうございました!!
私自身、まだ気持ちに不安定さがあって後退することもしばしばですが、この機会に少しずつ嬉しい方向に舵を切っていきます。

22/12/2017(金) 13:52:03

No.17504  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
Beagleさん、さいこさん、書き込みありがとう!

☆Beagleさん、
オーダーはどんどんやってもらいたいのですが、地上的自我意識の密閉度が高ければ現実化しにくいのです。

引き寄せの本などは腐るほどに出版されている割には、引き寄せの現実が一般化していないことの最大の理由はそこにあるのだと思います。

なので、今、掲示板でテーマにしていることも併行してやっていってくださいね。
感情という波動の層はまさに地上的自我そのものでもあるので、そこを喜びの気持ちに切り替えて喜びベースにできるかどうかに、スーパーレストランでの選択・オーダーが地上で実現するかどうかを決定するのです。

☆さいこさん、

>嬉しいことがあって、やっと気持ちが上向きになってきました<

今回は、嬉しいことがあって気持ちが喜びに切り替わってくるのとは別に、気持ちを喜びに切り替えること(それによって、嬉しいことを現実化する)がテーマですが、
さいこさんの場合は、長い期間にわたって気持ちのところでリアルな葛藤がありましたね。

それは実は気持ちのところでの切り替え作業をしていたということです。
なかなか着地はできなかったとしても、喜びに向けて切り替えつつあったということで、その想念波動が今回の嬉しい出来事(義弟さんの件も、今までのことを思えばやはり奇跡のようなものですよね!)を現実化させたというふうに捉えてみてくださいよ。

お友達のご家族の人のことも同じです。
私はその知らせを受けた時に、「一定の距離をもって願ってあげたらどうですか?」というようなことをアドバイスしたと思います。
(ちょっと記憶があいまいで、もしかしたら実際にはその内容のメールは送っていないかもしれませんが。)

その意味は、「このケースはあんまり感情のところで分厚くならない方が、治癒や改善につながりやすい」ということでした。

私が実際にそういうアドバイスを伝えたかどうかは別にして、さいこさんも多分そういう意識でその人の治癒や改善を願ってあげたんじゃないかという気がします。(さいこさんがしたヒーリングも含めて。私はこの人のことは依頼ではなかったこともあって、ちらっとした意識を向けただけです。)

いずれにしてもドクターもびっくりの経過で、まさに奇跡の喜びの現実化ですね!

これから悠々塾のつながりの場や、この場につながっている人に何らかの喜びでつながっている人たちに、もっともっと今の地上の常識では奇跡のような喜びが現実化して、いずれそれが当たり前になっていきますよ!
。。。。。。。

繰り返しますが、意識波動・想念波動が像を結んで現象・現実になるのです。
ですからもたらされた現象や現実に一喜一憂しても、ほとんど意味はありません。
何らかのラッキーな出来事を目いっぱい喜ぶことは次の喜びにつながりますが、その時だけ喜んでまた元の想念ベースに戻るのなら、あまり嬉しい現実を創る力にはならないのです。
嫌な出来事に心を陰らせてそれを引きずるのは、喜びではない現実を創ろうとしていることになります。

主に無意識の層に刷り込まれている意識波動・想念波動が地上的な波動領域で像を結んで、地上的な現実になる(地上的現実だと認識される)のです。

光の屈折をイメージしてみてください。
普遍意識の無限の喜びのエネルギーが変換されながら、人間のオーラの何層かを通過するたびに減じられると同時に屈折して、最終的には地上的現実として地上に像を結ぶのです。
かなり大雑把な喩えですが、これは間違いない法則です。
地上的自我・感情の層の透明度が増せば、無限の喜びのエネルギーは減じられることも少なく、屈折も少ないので、喜びの像を結びやすくなるのです。

ですから、何か問題がもたらされて、とりあえず一難去っても、それを引き寄せた(そういう像を結ばせた)想念をさらなる健やかな喜びに切り替えなければ、形を変えてまた次の苦難がもたらされるということです。
もちろん次の出来事が、さらに重いものになるのか、軽くなっていくのかは、その人の解消すべきカルマの質や重さにもよるので一概には言えません。

しかし、出来事を引き寄せた(そういう像を結ばせた)元の想念がその人の地上人生の大きなテーマになっているような場合は、次にはもっと重い現実が必ずもたらされる(自分が引き寄せる)と思っておいた方がいいと思います。
それがいつもたらされるかも、私たち人間には分からない法則によるのです。

この掲示板を読んでいる人の中にそういう人がいるので、あえて書きました。(脅すつもりなどではありません)

悠々塾は地上人類の霊性進化の雛形としての意味もあるようですから、宙を飛ぶように軽やかに生きていく人と、地を這うようなさらに重い人生を生きなければならなくなる人に分かたれていくのでしょう。

この掲示板を読んでいる人たちは間違いなくつながっているわけですが、できるならば、この場につながり雛形の構成員でもある皆が、宙を飛ぶように軽やかな喜びの地上人生を謳歌してもらいたいと願っています。

それがもっともっと大勢の人の喜びの人生の扉を開いていくのですから。

22/12/2017(金) 15:29:28

No.17505  やすこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
以前は旦那さんと夫婦である事を喜べてませんでした。

色々あり私は心を固くして、主人もきっと心を固くて・・息苦しいのは一緒だったと思います。とっても寂しい2人でした。

でも側にいてほしい〜と自分の心に気付き、それを伝えるきっかけと勇気をもらい。そして言葉にしたら私の心も主人の心もどんどん柔らかくなっていきました。お互い大した言葉じゃないけれど、笑顔で伝えて笑顔で応えて〜心と心で大切に思う気持ちを伝えました。一緒にいる事で分かり合えはしゃぎたくなるような喜びに変わりました。

心がカチカチだった私と、夫として父として自信のなかった主人は1人じゃ未熟だけど、2人で向き合った事で影響し合って2人で変わってきた気がします。
どんどん変わっていく2人を見て、娘も(一番冷静で大人であります)何も言わないけど嬉しいと思います。お互い言葉が欲しかったんですね。幸せになってほしい人が側に居て、何か出来る有り難さを感じます。その事に感謝してその喜びを周りに広げていきたい!そう強く強く思います。

22/12/2017(金) 21:41:14

No.17506  祐造
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
飯沼さん
>祐造さんからしてみれば、「ウザいなあ、飯沼(さん)」という気持ちでしょうが<

以前だったら「困ったなぁ、いややなぁ」って気持ちの方が大きかったと思います。(すみません)
今は「またNGだったか」とがっかりしながらも、こんな出来のよくない人間に根気よく関わってもらえることをありがたく思います。 (喜びに切り替え中)
と言いつつ、やっぱりしんどいものはしんどいなぁ、とちょっと重たくなりながらですが。

ありがとうございます。
例文に沿ってじっくり気持ちをめぐらせてみます。

23/12/2017(土) 01:35:32

No.17507  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
嗚呼、シミが見えてくる。

Tシャツに着いてた(馴染んでた)、シミが見えてくる。

沢山ある、嬉しいと思えてなかった事が。

お金持ちとの価値観。
勉強しない子供が悪いだと。
えーい、ドネに参加してない私でも、貧富の差があって、勉強したくても出来ない子供は沢山いるさー。
でも、このくらいのシミなら、頑張って落とし、喜びベースに切り替え、喜びだけでなく、喜びを広げられると思う。

その中でも最大のシミは、父の事である。
ハァーーーー
父の事は、好きだけど、それとこれとは別なんだよ。
だって、「アレ」だよー
(ほとんど愚痴ですみません。)

>オーダーはどんどんやってもらいたいのですが、地上的自我意識の密閉度が高ければ現実化しにくいのです。

>引き寄せの本などは腐るほどに出版されている割には、引き寄せの現実が一般化していないことの最大の理由はそこにあるのだと思います。

>感情という波動の層はまさに地上的自我そのものでもあるので、そこを喜びの気持ちに切り替えて喜びベースにできるかどうかに、スーパーレストランでの選択・オーダーが地上で実現するかどうかを決定するのです。

本当に、そう思います。
今まで、叶わなかったのは、元が感情が喜びモードになってないのだから。
せっかく私の整えつつある回路をおかしくしたくないので、お花畑の本は読まないようにしています。

現在、喜べてない事、不安だと思う事、嫌だと思っている事を
喜びベースに切り替え
喜んでるだけでなく
さらなる喜びにしたい
広げたいです。
え〜ん(泣)

23/12/2017(土) 09:14:05

No.17508  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
今までの私は、父の事がほっとけなかったけど、父は自立出来る人だし大丈夫。
私は私の人生を歩むと切り替わって、喜びを維持しながら広げていきます。

頭でなく、気持ちの部分で切り替わりたいです。

23/12/2017(土) 09:55:53

No.17509  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
やすこさん、祐造さん、のものもさん、書き込みありがとう。

やすこさん、ますますいい感じです!
どんどんいきましょう!

祐造さん、

私も同じようなことを書きましたが、私の場合は「(幼い頃からの境遇によって)自分の欲求を大きく制限してきたことが実は陰り=喜びではない気持ちだったことに思い至り、喜びの気持ちで自分としての欲求を解放する。解放しつつあることが嬉しい」ということでした。

ウザいことを言って申し訳ないのですが、祐造さんの書き込みから伝わってくる想念・気持ちは、「大変な中で誠実に頑張っている僕は、こんなにいい人でしょう?」というものでした。

陰り=喜びではない気持ちにつながっているとは感じられなかったのです。
なのでついダメ出しをしてしまうのですが、まだまだのようですね。

もちろん急ぐ必要もなく、じっくり思いをめぐらせることで構いませんよ。
ただ、いくら頭でめぐらせても気持ち、ましてや潜在意識化している気持ちにはつながりません。

だからこそ、今の自分が認識できる陰り=喜びではない気持ちを洗い出して、とりあえずはそれを何らかの喜びの気持ちに切り替えるのです。
それができてくれば、それが呼び水になって、潜在意識化している陰り=喜びではない気持ちも吸い込んできて(浮き上がって)、喜びに切り替えていくことができるのです。

こんなことを書いても今の祐造さんには「分からない」ということになるのでしょうが、掲示板の読者に向けても書きました。
祐造さんにもいずれ分かると思うので焦ることなく、とにかく形をつけるために頭で考えないように。

☆のものもさん、

昨夜のお父さんへの手紙、読んで泣きました。
さまざまな思いが素直に書かれてあって、しかも気持ちを越える愛情が伝わってきます。

>頭でなく、気持ちの部分で切り替わりたいです。 <

これはほんとにその通りなのですが、
これは「頭で考えている。気持ちの部分で切り替わっていない」ということが前提(つまりベースです)になっている表現です。

ということは、そのベースに着地して、それが現実になっていくのです。

なので、例えばのものもさんの場合で言えば、お父さんのことがメインになっているわけですが、他のことで陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びに切り替えて、それを喜んで、言動にしていくことの方が、結果的には近道になると思います。
もちろんその喜びに留まろうとしない、喜びを限定してしまわないことが大事ですが。

(宇宙は無限の、普遍の喜びですから、自分のを今の喜びに限定することは、全き喜びの分離することです。
本来の健やかな流れは、分離ではなく融合です。
あらゆるものについて、個と全体の分離を超えて、大きなひとつに融合・調和することが喜びの進化の喜びなのです)

あるいは、お父さんのことでも、今はまだ喜びに切り替えられない気持ちをまな板に上げて、切り替えられないことを自分を思うのではなく、とりあえずお父さんのことでも喜びの気持ちに切り替えられそうな気持ちを喜びに切り替えることでしょうね。

とりあえずは「できる範囲で、できる限り」ということでいいのです。

そこで何らかの喜びの気持ちに着地できれば、そこからまた次の切り替えができるようになるのですから。
さらなる喜びに進化する喜び。
それが宇宙の絶対法則であり真理ですからね〜。

23/12/2017(土) 12:01:59

No.17510  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
最近の私が書いていること、どのように読んでもらえているのか、どのように受け止めて、どのように気持ちを動かそうとしてもらえているのか、私自身がつかみ切れていません。

どなたでも、率直なコメントをしてもらえればありがたいです。

自分の中の陰りの気持ち・喜びではない気持ちというものが自分では見えにくい面もあるようです。

でも、たとえば許し難さ・不満や嫉妬・妬み・面白くなさ・腹立ち・嫌悪感や違和感・疎外感や孤立感や孤独感・不公平感・恐怖心・不安感・わだかまり等々、いくらでもあるんじゃないかと思います。

もちろん掲示板に書きにくいこともあるでしょうが、書かなくてもこの機会に自分の中に在る「陰り=喜びではない気持ち」を何らかの喜びの気持ちに切り替えませんか?

自分なりの頑なな感情・気持ち(それこそが地上的自我意識です)を喜びに切り替えて解放してあげませんか?

そうすればきっと今の自分では想像もできないぐらいに心が軽やかになって、半ば自動的に喜びの現実が展開していくのです。

些細なことでも、書けるものについては書いてもらえると、悠々塾というつながりの場のエネルギーのベースの進化に大いに役立つのです。

日常の意識・気持ちこそが実はとても重要なのです。
霊性進化は日常の喜びの心や言動を実際に広げ進めていくこと(すなわち愛です)で、確かなものになっていきます。

そしてその心・その気持ちが地上の現実を創っていくのです。

今年も残りわずか。
ぜひともこのキャンペーン期間をご利用くださいね〜!
。。。。。。

これを投稿して、思ったことがあるので追加します。

人との比較における陰り=喜びではない気持ちというものは、多くの人にとって共通のものかもしれませんね。
地上人類は今それを越えていく時期を迎えているのでしょう。

劣等感だけでなく優越感もまた陰りです。

人との比較における陰りは、夫婦や親子やきょうだいや親戚・恋人や友人や職場の同僚などの間でも横たわっている場合が多いのです。
根深い嫉妬・妬みの場合もありますし、ある一面における羨ましさの延長のような場合もあるでしょう。
しかし、陰りはさまざまに枝葉を伸ばすものですから、自分でも思いもよらない展開に発展していくこともあるのです。

劣等感や嫉妬・妬みに苛まれて心を陰らせる人もいれば、自分の優位性を示そうとして本来の自分を見失ってしまっている人もいます。
自分の優越感を手放せないがゆえに、本来であればごく普通にすべきことにさまざまな屁理屈をこねて、ほかならぬ自分自身を貶めていく人もいるのです。

今回のテーマになかなかリアリティを持てない人は、自分の中の「人との比較による陰り=喜びではない気持ち」にスポットライトを当ててみたらどうでしょう?

今回のテーマは、「ありのままの自分を喜びながら、さらなる喜びに進んでいく」ということでもあります。
陰り=喜びではない気持ちを喜びに切り替えていくとは、そういうことです。

誰もがありのままの自分を喜びながら、さらなる喜びに生きる喜びの地上界に向けて!
。。。。。。

23/12/2017(土) 14:06:58

No.17511  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
飯沼さん

私の方は、わざと、お涙ちょうだいならないように、わざとらしくないように書いたつもりでしたが、
飯沼さん泣いてしまいましたね〜
読んでもらって、良かったで〜す!

飯沼さんに言われた所を、手直しして、あとも少し手直しで付け加えました。
明日か明後日には投函します。
ついでに現金も入れときました。

父がどう受け取るかは、わかりませんが、手紙が書けて、出せた事を喜びますね〜

喜びをその場だけで止めず、停滞で満足せず、広げていく事に、凄く共感します。

都合の良い事だけ、喜んで、都合の悪い事には、停滞して縮めるなんて、なんて勿体エネルギーの使い方なのでしょうか。
メリークリスマス〜

23/12/2017(土) 22:50:11

No.17512  やすこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
1つの事が安心と喜びに切り替わって、奇跡のように立ち直り喜び一杯で生きてる人を沢山知っています。どんな状況でも高齢でも病気でも〜少しの喜びをキッカケに弾むように幸せになって・・今度は仲間を助けようと心を動かし、そして病気が治った人もいます。

私の方も、悠々塾とであって、自分の心と真剣勝負の日々でした。辛い作業だけど一つ一つ喜んでいく事をずっと続けてきました。それは、飯沼さんに「地上で生きていたいなら真剣になるよう」「どんな小さな事も喜んで膨らませること」と言われたからです(笑)

私自身も、もう自分を諦めたくなかったからですが〜。本当に今はしっかり、喜びはパワーである事を実感できています!全ての原動力、そして万能の免疫力でもあるんですから!

霊的なパワーとかはないけど、違うパワーはほしいです!影響を与える言動、癒す人になりたいです。そんな事思いながら今回のテーマに取り組んでおります‼

メリークリスマス!

24/12/2017(日) 01:14:26

No.17513  みゆき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
今回のテーマや、そのテーマについて
ぬまさんがいわれていること、とてもわかりやすいです。
なので、
「嫌やな、苦手やな」と感じていることをどういう喜びにしていけるか、自分の中でわかるものは実際やっていっていますが、
わからないのもあって、いま考え中です。
前までは、こういうことことになったら
なんか難しく、う〜ん、って、自分を重く重くして考えていましたが、いまは、どうしていくかな〜、くらいの軽い感じです。
軽いというのは、このテーマを軽くとらえている、ということでは
決してないです。
「くよくよ考えて重たくなっていても、なんにもいいことないな」って、同じやっていくんやったら、かる〜い感じで
ちゃちゃっとやっていくんがいいな、って思えるようになったからです。
実際にふつーうに、素ぅで、そうされている方々が身近にいて(悠々塾関係者ではないです)そのエネルギーを身をもって感じさせていただいているのもおっきいと思います。
考え中のことですが、
「苦手な人」に対して、喜びに着地させるには〜ということです。
自分が苦手だと感じる人には、共通の何かしらがあって、たぶん自分がそうしたかったのにできなかった、とかできないとか、ありえないとか、そういうのがあって苦手やなぁと感じるのかなと、ここまでは自分の見解ですが、それをそう喜び、嬉しいにもっていけるのか、、、、
めっちゃ謎です。。。
まぁ、いまは謎でもテーマに沿って、自分で意識できているところから気持ちを切り替えてちゃちゃっとやっていけば解決、わかっていくかな〜と思いつつ、すごしています。
本日はこれにて失礼いたします。

24/12/2017(日) 07:37:32

No.17514  なみ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
飯沼さんが何度も何度も言われている今回のテーマ、いろいろな例えで説明してくださって、いつもとてもわかりやすいです。
最近の光の屈折や大河に浮かぶ小舟のお話は、そういうことかとすごく納得、腑に落ちました。
特に船団が見えないエネルギー場を形成して進んでいるというところ、この悠々塾のつながり、今みんなでやっている喜びへの切り替えの大切さがすごくよくわかりました。

最近の私は、不安の渦に飲み込まれたり、落ち込んだりもしますが、以前よりずっと心が軽くなってきたように思います。
私も本当にみゆきさんと同じだなあって、そうそうって、うなずきながら掲示板を読みました。
私も日々そういう気持ちで過ごしています。
重く否定的に物事を捉えていたのが、少し今までより軽く考えられるようになった感じです。

これもまた同じですが、私の周りにもちゃちゃっと物事をこなし、切り替えが早く、常にどうしたらみんなが改善していくのか考えているといった人との出会いがあり、コツ?みたいなものをもらっています。
また同時に、苦手な人との出会いもあり、前だったら無理と思っていたけど、今はその人との出会いも嬉しいというか、楽しみというか、何か変な感覚です。

そうはいっても、これはどう喜びに着地させたらいいのかわからないということもやっぱりあります。
また、私にとってなかなか受け入れることのできない難題と思っていることはあり、今でも喜びに切り替えることはできていません。
今まではそのことで毎日落ち込んで、できない自分そして相手を否定し続けてきましたが、それをやめました。
そこに視点を置くと疲れてしまって、相手にも周りにとっても何にもならないと思ったので、とりあえずもっと小さな喜びに切り替えやすいことからやってみようと思うようになりました。(それがいいのかわからないけど)
もちろんそのことから逃げるというか、逸らすのではなく、自分ができることはやりつつ…できたりできなかったりですが…。

小さなことでも喜びに切り替えていくことを積み重ねていけば、その喜びは大きくなって、そして皆さんとのつながりの中で、その大きな流れの中で、きっと難題と思っていることも喜びに変えていけるのではないかと今は思っています。

24/12/2017(日) 13:16:11

No.17515  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?D 引用
のものもさん、やすこさん、みゆきちゃん、なみさん、書き込みありがとう!

皆さん、本当にいい感じで切り替えや変化が進んでいて、嬉しいです!

やすこさんに対して、私は大きな手術直後にアドバイスを越えた強い指示を繰り返しましたが、よくぞそれに従ってくれました!
まだ一面識もない段階であんなに強く言うことはまずないのですが、伸るか反るか(地上的に生きるか死ぬか)の岐路だと感じたので。

その後の成長ぶりも素晴らしいですよ〜!

みゆきちゃんも別人のような嬉しい変化です!
ゆうきクンと結婚するよりもずっと前からみゆきちゃんの輝きを見てきた私としては、個人的にも本当に嬉しいです!

なみさんも、電話では「不安で不安で・・・!」とは言っていても、その声はすでに明るく、力が感じられるようになっています。
もうすぐ解放の喜びと地上に生きる幸せを実感できると思いますよ〜!

24/12/2017(日) 16:17:31


No.17476 飯沼正晴 ホームページ E-mail
引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
みゆきちゃん、のものもさん、書き込みありがとう!

皆さんの書き込みに感動しています!

昨夜の投稿にも書きましたが、分かってみれば実に簡単なことなのです。

意識・想念にこそ実体があり、意識・想念のエネルギー(=波動)が地上に像を結ぶだけのことなのです。

意識が現実を創るとはそういうことです。

今までも今も、地上界を覆う想念バリアが喜びベースになっていないので、それそれの人が背負うカルマも苦しい(喜びではない)像を結んで、現実化するのでしょう。

過去世から持ち越してきた(1億円ぐらいの)借金を返すために再生しても、その人生でも金欠状態であれば、借金返しは苦しいものになります。
しかし、10億円の宝くじを何枚も当てたぐらいのお金の余裕があれば、借金などすぐに返せて、さらにさまざまに貢献もできます。
あっという間にカルマの解消もできて、借金返しをはるかに超える貢献もできるのです。

「借金返しの人生は嫌だ、しんどい」という喜びではない(ネガティブな)想念波動が像を結んで、カルマの埋め合わせ=苦しい現実という地上的形になるのです。

地上的自我意識を無限に進化する喜びの普遍意識に解放すれば、つまり陰り=喜びとは思えない気持ちを何らかの喜びに切り替えれば、無限の圧倒的な喜びのエネルギーを使えるので、カルマの解消も喜びの中で成していけるのです。

もしも1等に当たっている宝くじが10枚あって、それが自分の家のあちらこちらに散らばっているとすれば、誰もが10枚全部の宝くじを探し出して、換金するでしょう。

1枚だけ探し出して、「これで自分の借金は返せるから、もう十分だ」と思っていれば、それがまたカルマになるのです。
一部だけ返してそれで良しとしていれば、またすぐに利息が溜まってしまいます。

カルマの解消とは、最低限の義務を果たすことではなく、余りある貢献をしてこそ喜びの中での解消となるのですから。

そんなふうに思って、自分の陰り=喜びではない気持ちをどんどん洗い出して、何らかの喜びに切り替えていきましょう!


ちょっと思い出したのですが、私が幼い頃、親父がよく「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」という川柳を口にしていました。

幽霊だと思って怖れていたものをしっかりと見たら、枯れススキの株だったという意味の川柳です。

まさに自分の想念が幽霊という怖ろしいものを作り出して、それをまた自分が怖れているのです。

自分の想念を切り替えれば、今までは幽霊にしか見えなかったものが、ありがたいマリア像に見えるようになるのですよ〜。

ということで、どんどん書いてくださいね〜。
もちろん他のこともご自由にお書きください。

16/12/2017(土) 11:59:01


No.17477  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
★お知らせです

☆☆2018年1月の直接ヒーリングのお知らせ ☆☆
☆京都
1月6日(土) 午後1時〜2時半   3時〜4時半
1月7日(日) 午後1時〜2時半   3時〜4時半
1月8日(月) 午後1時〜2時半   3時〜4時半

☆篠山での日程は未定です。
篠山での直接ヒーリングをご希望の方はお問い合わせ下さい。
☆遠隔ヒーリングは随時お申し込みください。
☆詳しくは当サイト表紙上部の「ヒーリングお申し込み」をご覧ください。
☆なお、12月の直接ヒーリングのご予約受付は終了しました。
☆予約日以外での直接ヒーリングをご希望の方は、別途ご連絡ください。
(急を要する方に限らせていただきます)
。。。。。。。。。。。


☆☆ 2018年1月定例会 ☆☆ 
 
日時 1月27日(土曜日)

第1部 「癒しの講座・ヒーリングの実習」
午後2時から5時
参加費・1200円
        
第2部 「懇親会」 (イッシン、ミニライブあり)
午後5時半ごろからお時間の許す限り
参加費・1500円

☆☆☆最寄駅はJR福知山線篠山口駅です。
地図の必要な方はお知らせください。
(079−594−5094)
。。。。。。。。。。。

3月と5月の定例会は、「表現力アップのための、演劇ワークショップ」の予定です。

台本もたたき台は書けました。
まだざっと書いただけなので、しばらく寝かせてから読み返して手直ししていきます。

タイトルは未定ですが、「オールド スピリッツ ホーム」にしようかなと思っています。
内容は、66歳になった高校の同級生3人が、他界した同級生の3回忌の帰りに居酒屋でお酒を飲みながら老後の不安や寂しさを語り合い、他界した同級生の奥さんも途中から参加して、ひょんな話から自分たちで高齢者グループホームのようなものを作るという話で盛り上がり、実際にできてからは老人だけでなく不登校の引きこもりの若い人も入居して、心を交わし合う日常を生きているというような話です。

かなり長いので、途中の一部はナレーションで話を進めています。

思いつくままに非常に短期間で書きました。(数時間、一気に書いて、数日放置してまた一気に書くという作業を3回やって、とりあえず書き上げてしまいました)

いろんな要素を含んでいて、自分ではなかなか面白いと思っているのですが、何しろド素人なので評価の基準すら持ち合わせていません。
Bさんとさきさんとまゆみさんには読んでもらって、意見や感想を聞きながら手直ししたあと、Bさんに完成させてもらいます。
Bさんからは「キミは天才だよ!」なーんておだてられながら、すでにいろいろと指摘(ダメ出し)されています(笑)

芝居のこともほとんど分からないので、ましてや脚本なんて本当に分からないのですが、物語を作るということは実に面白いと思いながら書きました。

本当はこのテーマの芝居はたくさんの人に観てもらいたいという気持ちがあって、Bさんの劇団の持ちネタにしてもらいたいという下心で書いたのですが、それはどうなるか分かりません。

1月定例会で台本をお配りしますので、読んでやってくださいね〜。

16/12/2017(土) 14:02:49

No.17478  Beagle
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
もう1時間も2時間も、掲示板を読んでは考えを巡らせてます。
喜びに切り替える、ということと自分の過去のことを考えてます。

私は飯沼さんに始めてお会いしたのは2005年3月で、当時頂いたメッセージもさっき読み返しました。
どうも私はなかなかピンとこない、分かろうとしないタイプのようで、結局のところ、この10年ちょっと、殆どの時期で同じ事で悩んでいます。夫婦のいざこざです。
いま、過去最大の修羅場を迎えています。このところ掲示板で、喜びに切り替えを、と何度も目にしても、喜びようのない日々が続いていて、もはや思考停止、喜びって何のことという状態でした。

でも、課題に取り組んで書いてみます。

私は、ここ数年夫の存在を喜んでいませんでした。それ以前もそうだったかもしれません。自分の望む在り方をしてくれない夫に憎悪を募らせた時期もありました。今もそうです。
出会った頃はそうではなかったことを今思い出しました。
夫には、私の全てを受け止めてもらえるという信頼もありましたし、実際そうでした。
しかし、私は夫に対してそうではありませんでした。夫の全てを受け止めることはありませんでした。気に入らないことは嫌だと主張し、夫を苦しめました。夫は、私が夫に感じていた「全てを受け止めてもらえる」安心というものを、私から得たことはなかったと思います。それが積もり積もって、現在の夫になったのでしょう。

今思います。
人生ではじめて、夫は私の全てを受け止めてくれた人。夫に会え、一時期にせよ何とも言えない安心感のなかで過ごせたことに感謝しようと思います。夫がいて、私は救われたのです。
かけがえのない子どもも生まれました。
今は憎しみ合う関係となりましたが、やはり夫の存在に感謝し、会えたことを喜んでいこうと思います。

16/12/2017(土) 21:48:33

No.17479  みゆき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
おはようございます。
昨日、あのような感じで書き込みしましたが、
あくまでも自分の基準です。
みなさんが普通にあたりまえにされていることを
やっと少しずつ楽しみながらできるようになってきている、
積極的になってきたのも、仕事場でのことです。
ほんっとにちっさい一歩なんです。
ただ、このちっさい一歩一歩を積み重ねていくことで
ほかの自分の課題にもそのエネルギーが作用して
なんとかなっていくんちゃうかな、って思って、
いまはそのちいさい一歩を大切にしていってる感じです。
もちろん、「あぁ、こうすればよかったな」ということも
たくさんあって、その時は、やりなおししています。
やりなおししてること、多いですな〜

こんな風に生き直しさせていただいているのも
11月の定例会のみなさんのお話や掲示板の書き込みを読ませていただいて
みなさんがそれぞれの環境の中で経験され、感じてこられたことが
自分の中にもたくさんあって、
みなさんもこんな風に感じてこられたんや、一緒なんや、自分だけではないんやって思えたこともとても大きかったです。

小出しになってまとまっていませんが、
まとめて書こうとするとすごく時間がかかるので。
申し訳ありません。
本日はこのへんで失礼いたします。

17/12/2017(日) 07:37:00

No.17480  さき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
Beagleさん

>人生ではじめて、夫は私の全てを受け止めてくれた人。夫に会え、一時期にせよ何とも言えない安心感のなかで過ごせたことに感謝しようと思います。夫がいて、私は救われたのです。
かけがえのない子どもも生まれました。<

喜びに切り替えられた思いに涙がこみあげました。
子どもさんにも伝わりますね。
応援しています!

私も皆さんの書き込み、喜びへの気持ちの切り替えとそのエネルギーに感動しています。
魂がゆさぶられる、魂がふるえるってこういうことですよね。
みなさんの心の作業にこめられた
みんなのエネルギーすごいです!
刺激を受け、そのエネルギーに触発されて
私自身の魂もさらなる喜びへの進化を求めている感じします。
喜びのなかで進化していくって嬉しいことですね。

この場の共鳴、この場のエネルギーって
地上的な重たい現実に左右されずに、影響されずに
ダイレクトに奇跡をあたりまえにするエネルギー。

皆さんと共鳴しながら私ももっと
(身についてしまって肌に馴染んだ喜びでない気持ち)
私は出来ない側の人間だ、という刷り込みを
(あたりまえのように)
私は出来る、喜びを与えることが出来る
という喜びの気持ちに切り替えます。
(あたりまえのように)
さらに喜びを求め、喜びを与えます。

話は飛びますが
やすこさんと話をしていて
今年の3月に他界された私が大好きだった人が
その人が願って活動されていたことを
やすこさんが引きついでおられることがわかって
鳥肌がたちました。
やすこさんはその人を知らなくて
他界されたあと、その活動に出会っておられるのですが
確率的にありえん話で、余りの偶然に絶句しました。
知らずに自分のカバンのなかに1等の宝くじが入ってた、って感じです。
きっと実はまだあるんだよね。
当たりくじは探して、換金したいです!!

ぬまさんの例え話。
面白いし、わかりやすいです。
なんだかノリノリですね。
オールド、スピリッツ、ホームの台本も、面白く読みました。
テーマも今日的で惹きつけられました。
純粋に読み物として面白かったです!
劇としてやるにはBさんの助言があるとありがたいですね。
完成楽しみにしています。

【追記】
先ほど、台本修正版をメールでもらいました。
自分たちでやるとかは置いといて〜
後半部分かなり加筆されて人物像や情景が具体的リアルになってて、読んでたら落涙してしまった。
前のより、はっきりピントが合った感じしました。
まだ手直しするのでしょうがいいんじゃないですかー

17/12/2017(日) 10:10:28

No.17481  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
Beagleさん、みゆきちゃん、さきさん、書き込みありがとう!

Beagleさん、やっとそこに気づいてくれましたね。
それぞれに自分の本当の心にこびりつき、絡みついた喜びではない気持ちがあって、それがまたお互いに絡み合うのですから、気持ちというものは実に厄介なものです。

Beagleさんたちの場合は、お互いに本当の心のところでは深い愛情で結ばれているのに、ボタンの掛け違いを重ねすぎたことによって、服の生地が引きつって破れてしまいました。
しかも下に着ている服のボタンを上に着ている服のボタンホールに入れてしまっていたりで、ボタンの掛け違いがありすぎて、その服を脱ぐのも大仕事。(実は私、それをたまにやってしまうのですが、ほんと、脱ぐこともできませんよ)
無理に脱ごうとすれば、下手をすれば身体を傷つけてしまうという状態です。

彼は自分の存在価値をBeagleさんに踏みにじられたと思い込んでいるのでしょうね。

それが彼の唯一の元の気持ちだと思います。

彼の状態は、本当はBeagleさんだけには自分の存在価値を全面的に認めてもらいたい、という切実な願い・欲求の裏返しなのでしょう。

いずれにしても、どういう形で表現するかは別にして、Beagleさんが昨夜、思い至ったことについて、彼への謝罪と埋め合わせができるといいですね。

というよりも、それが彼にちゃんと伝えられなければ、彼の歪みはエスカレートすると考えておいた方がいいと思いますよ。

こちらも遠隔ヒーリングを続けますね。
。。。。

みゆきちゃんの解放感というのか、モヤモヤを抜けた清々しさが伝わってきて嬉しいですよ〜!
10年前に結婚式を挙げた出雲の須佐神社に家族でお参りできて、ほんとによかったね〜!

あの頃のことを思い出して、私も出雲に行きたくなりました!
。。。。。

さきさんもますますいい感じですね〜!

台本は、Bさんに指摘されて、舞台というものがようやく(ちょっとだけですが)イメージできてきました。
それで昨夜、書き加えたのですが、良くなったと思います。

脚本というのは、登場人物も自分の思うように作れるし、言わせたいことを言わせられるし(笑)、私にとってはある意味、普段のストレスの解消にもなります(笑)

しばらく寝かせてからまた手直しして、あとはBさんにお任せします。
と言いながら、ど素人のくせに生意気にも口ごたえしてしまっていますが。
(Bさん、お忙しいのにいろいろお手間を取らせますが、すみません。よろしくです!)

☆さきさん、ラジオの録音、ドキドキしながら聴きましたよ〜。
好感度高いし、しっかり話してましたね!

ttp://radiocafe.jp/200310001/episodes/2017-12-17oa/

17/12/2017(日) 11:13:28

No.17482  やすこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
台本楽しみで〜す!

さきさんのお話
私、その会に出会えた喜びを前に掲示板に書き込みしました。その時も書いたのですが・・。まだ体力も戻らず自分の事で精一杯だったのに何故か突き動かされたんです。背中をグイグイ押され「大丈夫たがら頑張って行け!」と言われた気がしたんです。

導きってこういう事なんですね!
なりたい自分を強く願えば必ず導かれるんですね‼感謝で涙出ます。

久しぶりにオーダー
やっぱり私は喜んで、それをチカラにして周りを巻き込んで幸せにする!導かれてるから絶対出来る‼

17/12/2017(日) 11:51:37

No.17483  やすこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
これまでお金を使う事に罪悪感がありました。

アリとキリギリスのお話みたいに〜今の楽しみを優先してたら先に苦労がまってる・・あの時蓄えておけばと後悔しないかって。これまで色々我慢したり、望まないようにしてきました。贅沢しなかった親への罪悪感もありました。(あ、でも元々お金の計算が苦手でルーズだから、丁度良い環境だったと思います)

でも病気をきっかけに自分に必要なもの、不要なものがはっきりわかりました。お金の価値も分からなくなって〜お金って喜びに使ってこそ価値が出るんだと気がつきました。そしてSさんのカンパを呼びかけてもらって協力出来た時、何日もずーっと嬉しくて・・。お金って、皆んなで喜ぶための道具なんだと本当に思いました。

お金を使う時、贅沢かな〜悪いかな〜で考えてたけど、これからは喜びか喜びでないかで決めようと思います。喜びのために喜んで使うようにします。

17/12/2017(日) 12:42:28

No.17484  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
やすこさん、書き込みありがとう!

先日、やすこさんが「私、○○さんの後釜みたいに言われてるんです」と話した時、すぐにはピンときませんでしたが、○○さんがさきさんから話を聞いていた人だと知って、鳥肌が立つ思いでした。

導かれ、計らわれていることは間違いないので、誰に遠慮することもなく、やすこさん本来の心でさらなる喜びを実現していってくださいね〜。


日々の書き込みの件数はそれほど多くはありませんが、一人ひとりの感情のところでの切り換えのリアリティに感動しています。

このテーマはまだまだ続けます。

感情の底辺の層は潜在意識化しているので、本人にはなかなか意識できないものです。
しかし、その潜在意識が半ば自動的に現実を作り出していることは紛れもない事実です。
それが実際にどれほどの喜びを制限してしまっていることか!

まずは自分が意識できているところからでも、感情のところの陰り=喜びではないものを喜びに切り替えていくことによって、喜びの現実化の回路が開かれて、活性化するのです。
その回路が定着して活性化すれば、潜在意識化している層の陰り=喜びではない感情も認識できるようになって、それも喜びに切り替えることができるのです。

繰り返しますが、何らかの陰りの気持ちが時間の経過や状況の変化によって陰りの度合いが薄くなったり、何らかの喜びに置き換わることもあります。
そしてそれはそれで喜びに違いありません。
そのことは目一杯に喜べばいいのです。

しかしそれとは別に、今の自分の心の中にある陰り=喜びではない気持ちを、何らかの喜びに切り替えて着地させることは、(自他の、つまり皆の)喜びの現実を創る回路を確立するためにとても重要な、決定的な意味を持つことです。

それがいかに重要なことであるかは、その時の自分が喜びに満たされた現実の中で分かるか、あるいはその逆の現実の中で思い知らされるかは別にして、いずれ必ず分かります。

気持ちのところでのことですから義務や責任ではありませんし、自分を正当化する小理屈などであろうはずがありません。
あくまでもさらなる喜びに進んでいこうとする、自分の気持ちです。

自分の心の中にある(ないはずがないでしょ?)陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びに切り替えていこうと思う人は、このキャンペーン期間中を大いに利用して、自分の気持ちに思いをめぐらせ、(書けることについては)書き込みしてはどうでしょうか?

かく言う私も、まだまだ気持ちのところでの喜びではないものは残っていると思います。
それが今までの自分の当たり前であったわけですから、その気にならないと意識に上がってこないものですね。
あるいはいくらかは意識に上がっていても、それなりに自分の中で気持ちの折り合いをつける習慣がついているので、あえて喜びに切り替えるということにはなりにくいようです。

でも、本当に気持ちのところでも喜びベースになっていれば、白いシャツに小さなシミが付いているだけでも気になって、何とか元の白さに戻そうとするように、自分の気持ちも本来の喜びベースに戻さずにはいられなくなるのでしょうね。
そしてそれもまた喜びになるのでしょう。

もう少し言えば、白いシャツにシミが付いた理由をいくら説明しても喜びにはなりません。
もちろん、誰かや自分のせいにしても喜びにはならないのです。
どんなに理屈をこねても、陰り=喜びではない気持ちを抱えたままでは、そんな自分に正当性なんてないのです。
なぜならば、喜びの中でさらなる喜びに進んでいくことこそが絶対の摂理であり、唯一の正当性なのですから。

「自分にはそんなシミは見えません」と言っても、本当に見えていなくても、やはり陰りや喜びではない気持ちは、喜びベースが本来の心のシミなのです。
そもそもが、自分が着ているシャツにシミが付いているかどうかすら分からないこと自体が喜びではないでしょう?


そんなことを思いながらの今日この頃です。
私もまた喜びに切り替えたことを書きますね〜。

明日と明後日は書き込みできないかもしれませんが、皆さんからの書き込み、楽しみにしています!
でも無理はしなくてかまいませんからね〜。
あくまでも気持ちですから。

17/12/2017(日) 22:56:29

No.17485  さき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
やすこさん
〇〇さんがぐいぐい背中をおしてたのかなー
死んだ時には必ずわかりますね。(笑)
背後の人たちの存在を強烈に感じました。
今度お邪魔させてくださいねー

既に用意されている当たりくじをどんどん見つけて
換金したいわー(笑いがとまらないですね)

ぬまさん
地上にいればシミだらけ〜
真っ白だったら地上にいないですよね〜
困難に遭遇して追い詰められてシミ掃除より
自分の方から
目についた、気になったシミを
喜びに切り替えていくことで
この地上に新しい喜びの回路が出来るんだと思います
影響を受ける側(後追い)ではなく
影響を与える側へ、ですね。

オーダーということがどうも馴染めなかったのですが、
宝くじの例えでストンと腑に落ちました

抽象的なことでスミマセン。メモです。
また具体的に自分の気持ちの切り替えで思いついたことがあったら書きます。

18/12/2017(月) 07:45:43

No.17486  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
さきさん、書き込みありがとう!

>地上にいればシミだらけ〜
真っ白だったら地上にいないですよね〜<

そうなんですよね!
今も今までも、全て喜びの気持ちで日々を生きている人間なんて、いないのだと思います。

それは地上という階層が非常に未熟な進化の段階にあるからでしょう。

地上というのは、心を喜びに洗濯する習慣を身につける境涯なのです。
さらなる喜びに進むこと、進もうとすることが、心を喜びに選択することですから、その習慣が身につくまでは喜びではないことがもたらされる、というよりも自分の本当の心(魂)がそれを引き寄せる、喜びとは思えないことを作り出すのでしょう。

シミだらけのシャツを着ていても自分で気づかない人もいるし、気づいていても洗濯する気にはならず、とりあえずシミの付いていないシャツを重ね着して誤魔化してしまおうとする人もいます。
そういう人は、シミだらけのシャツを何枚も何枚も重ね着して、汚れたシャツが鎧のようになって、本当の心が自分でも見えなくなるぐらいに不自由な心で生きることになるのです。

気持ちのところでも喜びに切り替える習慣さえつければ、もうシミをつけて洗濯のトレーニングをする必要もなくなるのです。
だって、シミは自分自身の本当の心が作り出しているものなのですから。
すぐにはそうならなくても、洗濯の習慣が身につけば、多少のシミがついても半ば自動的に選択できてしまうので、どうってことなくなります。

というよりも、今までとは比べものにならないぐらいに軽やかに、スムーズに喜びを進めていけるので、一等の当たりクジがそこら中に落ちているような状態になるのです。


そして、個人の意志や気持ちがどうであれ、地上界は大洗濯の時期を迎えています。
自分が洗濯しなければ、巨大な全自動の洗濯機に放り込まれて、大混乱の中で選択されてしまうのです。

今はすでにそういう時代が始まっているのだと思います。

18/12/2017(月) 08:47:36

No.17487  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
白いシャツの例え。

そうなんです。
白いシャツの、一部だったはずのシミが、いい感じに全体に均一染まっちゃって、水色やらピンクやらで、違和感なく着ちゃっています(笑)

いやいや、笑っている場合じゃありません!
このキャンペーン期間、是非ともに、洗い流して、白いシャツを着たいと思います!

18/12/2017(月) 08:57:28

No.17488  まゆみ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
みなさんの書き込みを読むたびに感動し、だんだんに焦点があってきました。
潜在意識に刷り込まれた喜びではない気持ちは、なかなか自分では分からないものですね。
私も小さいころのことをたどってみました。
私と姉は一学年違いですが、母はいつも姉に手を取られ、いつも姉のことでいっぱいいっぱいでした。
自分では意識できていませんが、母を困らせないように何もしないでいることを選んでいたのかもしれません。
姉は自由奔放によく夢のようなことを話してた。私は無口だったようで、姉に「あんた、そんなに喋らなかったら、言葉忘れるよ」と言われ「えっ!」と思ったのでよく覚えてる。私ってそんなに喋ってなかったのかと。(いつごろのことか覚えてませんが)
それでも、小学校から中学、高校と友達ともよく遊んだし、寂しい思いや悲しい思いもなく普通に、平凡に過ごしたなと思う。
ただ一度だけ強烈に記憶に刻まれた出来事があります。それは小学一年生のとき。
経緯は書けば長くなるので割愛しますが、担任の女の先生に「人のせいにしてはいけません」と頬を平手うちされました。親にも殴られたことないし、思いもよらない出来事で、震えがとまらなかったのを覚えてます。
このことは、何かあるごとに思い出します。

先日片づけをしてて、昔もらったメッセージが出てきました。
そのことについて2002年に克子さんからメッセージをもらってました。

「何かあった時に混乱して訳が分からなくなる、自分のなかで整理できず収拾がつかなくなる」「そして結局、できない、という結論が出てしまう」「さらに何もしないように動いていく」
「力」に対する違和感・抵抗感・反発・反感を作った。

このように潜在意識に刷り込まれたようです。

そして試練は予想以上の重みをもって現在に至ってます(笑)

いろいろ思いを巡らせてると、よくここまで来たねと思う。
今ここにいる自分が喜びの中にあることをうれしく思います。
いろんな計らいがあり、いろんな出来事があり、それでも私は私を生きてきた。
至らないことだらけですが、妙に自分を褒めてあげたくなるんですよね〜

(前にも書いたのを一部修正して転載)
私はなりたい自分になると決めました。
なりたい自分は・・・それは自分が(魂が)知っていると分かりました。
ビクビクしながら生きてきたのかもしれないが、何もしなかったわけではない。
魂に導かれてるように、ここまで来た。
魂に突き動かされてここまできたんだと思う。
そう思うと、それまでの自分がとても愛おしく思えました。
自分は(自分で生きる=自分の魂で)ことを喜びとしてるのだと感じることができた。
喜びを広げて行くことが魂の欲求なのだと感じることができた。

なりたい自分は
誰かのようになりたいのでもなく、誰かに言われたからでもなく・・・
「こんな人になりたい」という決まったものもない。
その時その時、その瞬間その瞬間、自分も、みんなも喜べる、言葉、行動、、エネルギー、思いを発して行く。
無理をしない。うまくできなかったら、次は、次の瞬間は絶対大丈夫。

言葉で表現するのは難しいけど、表現することによって影響を与え合う。
感動は心を動かす。(みなさんにたくさんの感動とエネルギーをもらってます)
エネルギーという目には見えない力で、私たちはここにいる。

喜びに着地して、喜びをさらに広げて行く。
潜在意識に刷り込まれたものを超えて言動して行くことでエネルギーは高まって、より共鳴し、奇跡が当たり前になって行く。
この作業は自分がどのように喜びを広げていけばいいのかを教えてもらえたように思います。

18/12/2017(月) 17:28:13

No.17489  まゆみ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
なりたい自分ということで、いろいろ思いを巡らせながら寝て・・・
迷子になる夢を見てしまった。(お腹すかせて待ってる人たちの食材を買いに行くのに目的のお店がどこか分からなくなる。車ではなく歩いてる。遠くまで迷う。しかも携帯を忘れてて、また怒られる、って思う・・・)
そうか・・・
ちゃんと喜びに着地できてないのかなぁーと目覚めて思う
(なりたい自分というのは結構気に入ってる)
人にどう思われようが、どう言われようが、自分で自分を生きる(しかない)

迷ったり、ドジ踏みながら、反省しながら・・・
楽しみながら自分を生きます
何でもできる自分を想像し、自分にできることからコツコツと
私は奇跡を起こすことができる(誰でもできる!)
自分も皆も、世界全体が喜びの中にあるよう生きます

と目いっぱい心を膨らませ・・・
とりあえず・・・溜まってる(汗)家のゴミ出しせっせとしまーーす!

19/12/2017(火) 07:49:40

No.17490  さき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
昨日掲示板を見たらまゆみさんの夢の話があって
あら!と思いました。
私も昨日(久しぶりに!)電車に乗り遅れる夢を見ました。(笑)
大事な会議かなんかあって、関東に行く新幹線に乗らなきゃいけなんですが、あれこれ準備してたら遅れてしまって、この便に乗らないと間に合わない、という電車に遅れる夢でした。
あらら、です。

準備してたら、、っていうのがミソですね。
大事な会議やから自分で納得いくようにと準備するんですが、あれこれ気になって肝心の会議に遅れてたら、なんのこっちゃです。
自我にとらわれてるのかなーと、後で思いました。

父が生真面目で(かつ超不器用)な人だったんですが
そんなある種の生真面目さを受け継いでると思います。
生真面目に「これしとかなきゃ」みたいな気持ちに、けっこう色んな場面で選択実行を左右されている、縛られてるかもしれないと気づきました。

どっちでもいいようなことなんですが、生真面目にしていることが結構あります。そこにエネルギー使ってるんですよね。
どっちでもいい時はいいんですが、肝心の電車に乗り遅れてたらやっぱりなんのこっちゃです。
生真面目がかげりだとは思わないけど、その奥の方には生真面目にしてないと否定されるみたいな恐れが潜んでるように思います。
父の生きる術だったのかもしれません。
(そう思うとちょっと哀しい)

性格的なもので生真面目さが喜びでない気持ちとも思わないけど、時と場合によってはそこに気持ちをとられすぎることで、優先順位を間違える。
自分の気持ちにとらわれずに
大事な会議に行くことだけ思って、あれこれ考えずにまっすぐ電車に乗ったら間に合ってたのに、生真面目にあれこれ気にして準備していることで遅れてしまった。

目の前に1等の当たりくじがあるのにスルーしちゃう。
ってことになるんだと思いました。
(なんともったいない!)

父由来の心に染み付いた生真面目さ
あんまりそこに気持ちも意識もエネルギーも使いすぎないように
「自分も皆も喜び」を最優先に切り替えます

20/12/2017(水) 08:11:48

No.17491  まゆみ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?C 引用
さきさんの夢の分析を参考にして考えてみました。

お腹すかしている人たちにおいしいものを食べさせてあげたいという気持ちはよかったと思う。夢の中でもあの人はあれが好きで、あの人はこれが好きでとか思ってる。

でもそれは実現しなかった。

夢の中で歩いてて、これではなかなか見つけられないぞと思いながら、あーここ来たことあるようなーとか思いながら、かなり遠くの距離までその行動を続けてた。
○早く他の方法を考え行動するべきだった。
(私は方向転換のようなことが苦手。初めての道で何かを探しながら運転しているとき、真っ直ぐの道から左とか右とかにとっさに曲がるのが苦手。あーここを左に曲がるんだよなーと思いながら、通り過ぎることが多い。)

しかも、人がいたので聞こうかなと思ったけど、恐そうな人に見えて聞かずに、わざわざ険しい山の崖のようなところを歩こうとした。
○人との交流は逃げずにした方がいい。
(人と接することを避ける傾向あるし、人見知りが激しい)

この時点でかなりの距離を歩いてて時間もたって、携帯電話のことをこの時点で思い出し・・・「忘れてきた。また怒られる」と思った。ここで夢は終わる。
○携帯忘れて、怒られるということより、携帯があれば早く解決できたのに、皆に迷惑をかけてしまったということを思う。

以上の3点について夢で気づかせてもらったことかなと思いました。
思いはあっても、これらのことが邪魔して喜びの実現に至らなかった。
そういうことか!とわかりました〜

私は喜びの実現のために、
○方向転換した方がいいと思ったときは迷わずする
○人との交流は積極的にする
○怒られるということを思うのではなく、自分の不注意で迷惑かけた人たちのことを思う
ということに心がけて、エネルギーを高めます。

20/12/2017(水) 17:00:57


No.17455 飯沼正晴 ホームページ E-mail
引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
まずはお知らせです。

以前からお知らせしていましたが、
susa@d5.dion.ne.jp のアドレスは、今日から使用できなくなりました。

この投稿欄の右上のメールマークをクリックすれば、新しいアドレスが表示されます。
今後はどなたさまも、このアドレスか携帯アドレスをお使いください。
。。。。。。。。。。。

ゆりかさん、みやっちさん、祐造さん、書き込みありがとうございます!

引き続き、皆さん(どなたでも)、気持ちのところでの喜びへの切り換えをしていきましょう。

そしてそれを言葉で表現することによって、より確かな喜びの変化につなげていきましょう。

前にも書きましたが、例えば落ち込んでいる人なら、「この落ち込みから早く抜け出たい」という気持ちではなく、
「どんなふうに喜びの気持ちに切り替えることによって、(結果的に)今の落ち込みから抜け出るのか?」です。

正解じゃなくてかまわないのですし、気持ちのところでの正解なんてなかなか出せるものでもありません。

私たち地上の人間にとっては、「喜びを広げていく」「喜びをつなげていく」ことによって、喜びを基本モードにしていくことが正解なのです。

なぜならば、宇宙の摂理は「喜びの進化」なのですから。

最も地上的自我意識が濃く滞留している感情・気持ちの領域で、「喜びへの切り換え・喜びの進化」という方向性を確立することで、普遍意識と連動・同調することができるのです。(ほぼ完了するのです)

気持ち・感情のところ(領域)が喜びベースになれば、自ずと宇宙の普遍意識への同調度が高まって、好き嫌いなどはもちろんのこと、判断や区分け・選別等々の二元相対の分離意識からも解放されていきます。

その回路が開けると、今までとは違ってワクワクした喜びの中で日々を生きていけるのですし、地上的喜びの現実を創っていけるのです。
創っていけるというよりも、半ば自動的に喜びが現実化していくのです。
もちろんそれは、自分の魂が意志しているあらゆる喜びの現実化です。
そして、人間にとってそれは最高の幸せ、最高の喜びとして実感できるのです。

今の人間にとって気持ちというものは厄介なものですから、喜びに切り替えるにあたってはさまざまな葛藤もあるでしょうし、なかなか気持ちのところでの初めの一歩を踏み出す気になれないことも多いでしょう。

なかなか気持ちのところでの喜びに着地できなくても、焦る必要はありません。
とりあえずは自分の意識(特に気持ち)の状態に見合った現実がもたらされ、そういう人生を生きることになるだけのことです。
それも自分の意識が創る自分の人生であり、たかが地上人生です。

ただ、自分の気持ちのところでの状態が自分の発しているエネルギーや言動として、周囲の人たちに実際的に影響を及ぼしていることは紛れもない事実であり、それも自分が創っている現実です。

相手がそれを超えた喜びの現実と創っていけるだけの力を持っていればさほど問題はないのかもしれませんが、ほとんどの場合は影響を与えあい、陰りの増幅ということになって、それが現実化してしまいます。

どうか、自分の気持ちに蓋をしたままで頑張り続けることをやめて、自分の気持ちを分厚い壁の独居房のようなところから解放してあげてください。
今はもうそうする時期なのですし、ぜんぶ解放して構わないのです。
こんな仲間たちがいるのですし、自分の気持ちの独居房の扉を開けてやりさえすれば、そこにはすでに喜びへの道が開けています。

もう何も自分で守ろうとしなくてもいいのです。
というよりも、地球というスケールでの喜びの進化のこの時期、閉じこもったままの自分で守れるものではないのです。

自分を閉じ込めたままでも大事にすべきものや大事に思うものを守ってきたことは、ある意味において称賛に値しますが、自分の意識・気持ちを解放すれば、「今までの自分は何だったんだ? 一体全体、自分は何にこだわっていたんだ?」と思えるような喜びを実感するのです。

ということで、引き続きどんどん切り替えて、書いていきましょう。
「もっとちゃんと切り替えてから」とか「もっと正解を出せてから」なんて思って、頭で考えていたら、なかなか切り替えは進みませんよ。

1ミリでも切り替えられたら、それを喜んで表現すればいいのです。
その積み重ねの中で、気がつけば1メートルも100メートルも進んでいるのです。

「せめて1メートル進んでから」なんて、自分に喜びの制限をかけていれば、1ミリも進めないのです。

気持ちのところでの喜びへの切り換えって、きっとそういうものだと思います。
そう思いませんか?

切り替えのコツの一つは、今までの自分の表現スタイル、言動パターンを思い切って変えていくことです。
こだわらず、軽やかに!

今までの自分の表現スタイル=自分としての表現の型が自分の意識・気持ちを規定する面もあるわけですから、そこを切り替えていくことでも意識・気持ちは変化していくものです。

自分としてのいろんな思いや気持ちはあるにしても、この機会に、自分の意識が創った独居房の壁に映る自分自身の姿を見て脂汗を流す四六のガマさんのような自分とサヨナラしてしまいましょう。
(自分なりにはどんな理屈をつけたところで、傍から見てれば屁理屈たらたらで、「みっともないったらありゃしない」というレベルの姿なのです)

ということで、このテーマはまだまだ続けますが、他のことも自由にお書きくださいね〜!

11/12/2017(月) 15:18:40


No.17456  ゆみっぺ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
皆さんの書き込みを読んでいて、私も書き込みしないと、今年が終わってしまう!と思いつつ、喜びに着地するって、なんだろう?とか色々考えてしまい、書けずにいました。わかったわけではありませんが、取り合えず何でも良いから書いてみようと思いました。

人の言葉にとても傷つけられてきたから、あなたのオーラは傷だらけですと何十年か前にメッセージをもらいました。だから、無意識に人に対して、キツイ物の言い方になっているのは、もう気付いているでしょう?とも書いてありました。
とっくに気づいていました。だから、気を付けないとまた、ズケズケ言ってしまって失敗する。
自分に強く言い聞かせていても、ストレスやイライラがつのってくると、
ストレートにバッサリと言ってしまい、
また、やってしまったと落ち込むことが何度もありました。今でも記録更新中です。

上司でも同僚でも関係なく、何それ?とかやっちゃうのです。

別に嫌われても構わない、好かれなくても結構、
ごますりもおべっかも嫌いだし、元々言えないし、言うつもりもない!

小さい頃から、周囲に馴染めず、いつも浮いていました。何で仲良くならないのかな?何がいけないのかなぁ?と考えていた気がします。

話を合わせるために、
皆が話している芸能人とか歌とか観たり聞いたりしても、興味がないから
結局続かず。

担任に遊んであげてと言われたから遊んだけど、一緒に遊んでも、ちっとも楽しくない!と陰口を言われているのを聞いたときは、
遊んであげて!なんて
頼んだ覚えはない!と担任に怒りが湧きました。

私と一緒にいても
つまらないんでしょ、
もう良いや、自分は自分でとなり、自分を守るために、強固なバリアを築きあげ今もその中にいるような感じです。

自分が勝手に思っているだけかもしれませんが、
場の空気感とか人の顔つきとか、言葉に出さなくても伝わってくることは
たくさんあります。

保護者同士の付き合いでもそれは感じるので、
どうしても!以外は
参加しません。
邪魔な人がきた!とまでは思っていないでしょうが、気を遣われている感じは疲れるし、結局、気を遣っているのは最初だけで、
あとは、仲間で固まって話すだけだし、完全無視してこっちを見ないとかもありましたから、行くだけ時間とお金とエネルギーの無駄。

攻撃される前にする!じゃないですが、言葉がキツイのは、多分自分を守るからだと思います。

戸はいつでも開いていて
あとは、出るか出ないかだけですが、自分の中の抵抗が物凄い気がします。

何度か頑張って変わってみようとやったけど、結局同じで傷ついただけなんだから、今まで通りで良いのよ!そのままでいれば、疲れないでしょ?と囁く声が聞こえてきます。

つまんないなぁ、寂しいなぁ、生きていても楽しくないじゃんと色々思っていたとは思いますが、
でもまぁ、よく頑張ってきたじゃん、自分!と何となく思い、ちょうど21時で
気持ちを合わせてみたら、涙が止まらなくなりました。家に一人だったら、大声で泣けるのになぁと思いつつ、シクシク。

本当は、温かく笑顔一杯が良いんだ!と思います。
鉄仮面じゃなく。

いつも温かな雰囲気で
人を包んでいけるような人間に変わった!
に着地出来たら
良いです。

着地します!

11/12/2017(月) 23:26:33

No.17457  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
「介護スナック竜宮城」
検索したい人だけー(またかよ)
してみて下さいませ〜

介護の資格を持ったスタッフで、バリアフリー、車椅子オッケー、のお年寄りの飲み屋です。
誰か(誰とは言わないが)
作ってくれないかなぁ〜(笑)

「この落ち込みから早く抜け出たい」という気持ちではなく、「どんなふうに喜びの気持ちに切り替えることによって、(結果的に)今の落ち込みから抜け出るのか?」です。

>1ミリでも切り替えられたら、それを喜んで表現すればいいのです。
その積み重ねの中で、気がつけば1メートルも100メートルも進んでいるのです。

>「せめて1メートル進んでから」なんて、自分に喜びの制限をかけていれば、1ミリも進めないのです。

だいぶ、わかりやすくなりました〜
大丈夫だと、今を喜んでいきましょう。
さぁ〜て
重い腰あげて、作業にとりかかねば。

12/12/2017(火) 10:30:10

No.17458  みさお
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
最近掲示板を読んでいたら、涙が出ます。
飯沼さんの書き込み、みなさんの書き込み。

どうか、自分の気持ちに蓋をしたままで頑張り続けることをやめて、自分の気持ちを分厚い壁の独居房のようなところから解放してあげてください

そう思います。
野球の話も、すごく思う所がありました。

最近の私は仕事量がとても多く。事故を起こさないように
働いているようで、勿論そう思うのも当たり前なのですが

利用者さんに喜んでもらうより、時間内にこなさないといけない
方にばかり神経を使っていました。

やはり、そういう働きは楽しくないし心も疲れてきます。

この前飯沼さんから聞いた、笑顔
笑顔を意識すると、やはり利用者さんは嬉しそうだった。

最近落ち込んでいましたが
1ミリでも切り替えられたらということで

今日仕事が休みで、叔母の事で妹と約束をしていました。
結局叔母の用事は、中止になったのだけど

妹が当日まで、連絡をしてこない。
以前ならかなり腹が立ったけど、今回は腹が立たなかった。

それより叔母の事を、叔母の満足できるようにしてあげたい。

叔母の歯科通院等
以前なら妹に、「叔母に多大にお世話になってるのに、なぜちゃんとしない」
という言い方をしたと思います。

妹はやはり面倒くさい人だけど、以前とは関わりや私の話し方
話す内容、そして妹へ叔母の事では少し頼れるようになった事を
喜びます。

そしてもっと皆が喜べるように

介護スナック 竜宮城
面白そうやね。検索してみよ
いくつになっても、状態が変わっても楽しめる場所って
いいな〜

12/12/2017(火) 16:31:41

No.17459  やすこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
前は、何か人の役に立ちたいと思ってボランティアをしても〜忙しくて無理したり、そのくせ自分も大変・・って思ったり、続ける無理な努力をして自分を犠牲にしてる意識が常にあって。少しも喜べてませんでした。

でも今は、人と知り合い名前を呼びあって話したり、関係を築いていく事で喜びあえたり誰かの安心になったり。そんな人の繋がりの中で自分を役立てる喜びを知って〜。''難しく考えないで出来る事を楽しんですればいいのだ!"と思えるようになりました。

やらないと‼と思う気持ちから、自分が嬉しいからする‼に気持ちが変化したと思います。

介護スナック
酒量コントロールサービス!いいねっ‼

12/12/2017(火) 18:53:59

No.17460  あおやま
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
ゆみっぺさん。

私も同じでしたよ。
子どもの頃のこと、ママ友とのこと。職場での人間関係、ご自身の気持ち‥‥。
自分の事を読んでいるようでした。

そんなこんなで、数えきれない悲しい事も、楽しく、頼もしい悠々塾の仲間に出会うためだったんだと、
、ここに導かれたことを嬉しく思います。
>よく頑張ったじゃん、自分!
ですよね。


試験合格を祝ってくださったみなさん、ありがとうございます。

みさおさん、忙しそうやけど、ムリせんと、しんどくなったら身体休めてね。

12/12/2017(火) 20:58:57

No.17461  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
昨日、また父の事を思い出し泣いてしまいました。
それは、何の涙がわかりませんが、自然と涙が溢れて、久しぶりに結構泣きました。

掲示板で、切り替える切り替えると書き続けているのに、結局、暇な時間が出来れば泣いてしまう。
昨日は、久しぶりに暇と言うか、何も考えないで良い一日でした。

父の事、大好きだとは言え難いのですが、大きな存在だったとは思います。
写真の整理をしていて、母より父の笑顔の写真を残してしまう。
馬鹿らしくも、母よりもです。

父は大丈夫だと切り替えます。

13/12/2017(水) 06:47:37

No.17462  ゆみっぺ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
あおやまさん

ありがとうございます!!
嬉しかったです。
試験合格おめでとうございます。みさおさんも、おめでとうございます。

今年は家族ってなんだろう?と感じることがありました。
妹がDVを何年か受けていて両親にもう無理だと助けを求めました。私にも両親から電話があり、寝耳に水でした。妹が結婚してからは殆ど付き合いはありませんでした。
妹の子供たちとも赤ちゃんのとき以来、会ったことはありません。

妹夫婦に非常識なところがあるというか、DV男は無礼で、距離を置いていました。
実家は狭いアパートなので、子供はいったん置いて
単身で出てきました。
そして話が急展開し、妹はシェルターに、子供たちは自相に行きました。一緒が良かったのですが、色々と制約があり、働いていたので無理でした。

最初は良かったのですが、両親の妹に対する態度か
かなり冷たくなっていきました。両親は妹の自宅は売って、子供は相手に渡す!それが身軽で一番楽。相手は収入が殆どないのですが、実家は金持ちだから大丈夫。しかし、妹は
その提案を受け入れず、
となったところから
冷たくなっていったような気がします。

シェルターに入って自由に行動できなくなったので、荷物は置きっぱなしになり、邪魔だからいつ取りに来るのか?と言ったので、そんな荷物のひとつやふたつ何で置いておけないのか!と怒鳴りました。

他にも色々あり、妹は私は見捨てられたからと言っています。

毎週末、妹と会い
今後どうするか?あれこれ書き出したりしていました。
私の旦那は、妹はもう大人なんだから、そんなことは自分でさっさと行動すべきで、兄弟姉妹のことで
そこまでやる必要はないと言っていました。
じゃあ、あなたの兄弟姉妹が困ったときに、私が同じように言ったら、あなたはどう感じるのか?と静かに聞いてみましたよ。黙ってましたけど。

そんな感じだったので、
出掛けるときにも
苦虫潰したような顔をされ、フン!って感じでした。

飯沼さんにもヒーリングを依頼し、両親と妹の関係に克子さんからアドバイスも受けました。

妹たちが今最善と思われる所に着地出来るまで、私が支えること、両親に対しては、身内の情愛を私の行動等で教え示すこと!
身内の情愛というものは、示さないとわからないものなのか?と瞬時に疑問に感じました。家族だから無条件に何でも助けるとかではないにしても、お互いに助け合い、支えあうものではないのか?と思ったからです。

今は、取り合えずの着地をしているので、頻繁に会うことはなくなりました。

妹は自分が困ったときや
こちらを利用したいとき、利用しようと思っているわけではないにしても、結果的にそうなるので、両親も私も、そこが気に入らないという気持ちはあります。こちらから連絡しても、返してこないし。

今回のことで、
家族とは?親とは?と考えてしまいました。

両親には両親の気持ちがあるのでしょうが、ここまでは出来ても、これ以上は難しいとか伝え方があったはずなのに、一方的にシャットアウトのようになってしまいました。

これを喜びに着地させるには、どう考えたら良いかなぁ?と思い付かず、何だか愚痴の書き込みで、すいません。

ガラケーで書き込みしているせいなのか?なぜか、字が着色されてます。どうでも良いのですが。

13/12/2017(水) 07:44:59

No.17463  なみ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
私の最も苦手な人である急変する人、普通なら絶対かかわりたくない、かかわらないであろう人が2人いて、2人ともちょうど10年前からかかわりを持つことになりました。

その2人の本当の優しさや、なぜそうなるのかというのはこの10年でわかってはきていたのですが、でも連絡が来ると、やっぱり怒らせないようにとか、すごく気を遣って、会っても当たり障りのない会話をし、相談を受けても自分の気持ちは抑え、その場を終わらせるというようなことの繰り返しで、毎回疲れていました。

掲示板に投稿してから2日後、偶然同じ日に続けて2人に会うことになり、やっぱり憂鬱だなと思っていました。
でも、実際に会うと、そんな気持ちはどこかにいってしまい、ああ、私この人、本当は大好き!そしてありがとうという感謝の気持ちみたいなものがあふれてきて、それを声に出して、その人を抱きしめたくなりました。
何なんだろう、この感覚、と不思議でたまりませんでした。

いつもこんなことを言ったらどうだろうとか心配しながら話していたのですが、その日は安心感に変わり、自分の気持ちを自然に伝えることができ、軽やかに楽に会話ができ、今までとは違って楽しい一日になりました。
とても不思議ですが、こんな気持ちになれた自分がとても嬉しいです。


それから、昨日、ある人から理不尽なことを言われることがありました。
私はその人の気持ちを思いながら、正直に状況や自分の気持ちを伝えました。
最後には、なみさんと話ができてよかったとその人に言ってもらえたのに、やっぱり私のこういうところがいけなかったのではとだんだん反省モードに……。

気にかかって、飯沼さんに少し話を聞いてもらい(すみません)、なみさんは悪くないよと、逆に怒ってもよかったぐらいというようなことを言ってもらいました。
実はその前に母にも娘にも飯沼さんと同じことを言われていたのですが、それでもやっぱり……と思ってしまう自分がいました。
今回のことは怒らないで、誠実な対応をすることができた自分を喜ぼうと、喜びに切り替えようと思いました。

あと、仕事のことでも、どこかで自分なんか必要とされないと思っていたのですが、そうじゃなくて、いろんな人から必要とされているのだと思えるようになって、喜びに切り替えることができました。

今回のことで自分のことをすぐ否定的に捉えてしまう思い癖みたいなものがわかったような気がします。
勘違いのときもあるかもですが、もっと肯定的に自分を物事を見ていこうと思いました。

掲示板に投稿してから、小さなことですが、切り替えのためのような出来事がほかにもいろいろ起こっています。
その都度、喜びのほうに切り替えることができたことをまた喜び、もっともっと喜びにつながっていきたいです。

13/12/2017(水) 10:25:23

No.17464  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
ゆみっぺさん、のものもさん、みさおさん、やすこさん、あおやまさん、な〜みさん、書き込みありがとう!


どんどんいきましょう!

中には気持ちのところでの喜びへの切り替え方が違っているんじゃないの? と感じる人もいますが(ね、のものもさん)、気にしないでどんどんいけばいいのです。

何であっても何らかの喜びの気持ちに切り替えてしまえばいいのです。
大事なことはその着地点に固定してしまわないことです。
「全てが喜びでありながら、喜びがさらに進化する喜び」が宇宙の絶対法則です。

それと、頭で考えないで、「理屈抜きで気持ちのところで喜びに切り替える」というのがコツです。

頭(頭脳・理性)と感情・気持ちはつながってはいても、やや(かなり)違っているのです。
海水と川の水が同じ地球上の水でありながら、つながっていながらもかなり違っているようなものです。

ズボンとセーターが同じ体を覆う衣服でありながらもかなり違っていて、しかし胴のあたりで一部重なっているようなものです。

今回はズボンを履き替えるのがテーマです。
「どんなズボンにしようかな?」という時に、セーター売り場に行っても、新しいズボンは見つかりませんね。

でも、セーター売り場を下見したら、そこで見つけたお気に入りのセーターにマッチしたズボンをイメージできるかもしれません。
それから新しいズボンを見つけても構わないのです。

大事なことは、セーター売り場に行って、「こんなセーターしかないから、新しいズボンに買い替えるのはやめよう」と思わないことです。
必ずズボン売り場に行って、新しいズボンに履き替えることです。

今、履いているズボンが汚物にまみれてみすぼらしいと分かれば、とりあえずはどんなズボンでもいいから汚れていないものに履き替えたくなりますね。
そこから始めればいいのです。

汚物にまみれたズボンを履いていることに慣れてしまっていれば、それが自分の当たり前になって、自分では分からないことも多いので、自分の中の陰り=喜びではない気持ちをちゃんと見つけていくことが必要です。

見つける気になれば必ず見つかるのですし、見つける気にならなければ見つかりません。
心とはそういうものでしょうね。

そして、そういう自分が映っている人生ドラマを観ながら、「こんなみすぼらしいズボンを履いている自分は嫌だ」と思いながら、自分がズボンを履き替えようともしないので、いつまでも「嫌だ嫌だ。ダメだダメだ」と思いながら自分の人生を生きることになるのです。
嫌だ嫌だと思いながら、視聴者として自分の姿・自分の人生を傍観しているようなものです。

あるいは自分なりの理屈をこねて、「私のズボンはちっとも汚れてなんかいない!」と強弁せずにはいられなくなるのです。

そんな人生って楽しくないですよね?
自分が薄汚れたズボンを履き替えればいいだけのことなのですよ。
。。。。

話は変わりますが、関わる相手が見せること(言動・態度)は、その人の潜在意識が無意識に表現されたものである場合が多いのです。

ですから、「あの人はどうしてこういう言動・態度をとるのだろう?」と頭で考えても、潜在意識が映し出す現象(幻影)に翻弄されるだけで、本当のことは分かりません。

例えば潜在意識に「自分は心を向けてもらっていない(→もっと自分に関心を向けてほしい)」というものが刷り込まれている場合、周囲の人への対応が極めて不十分・稚拙なものになることがあります。
それは「もっと気持ちを向けてほしい」という潜在意識の顕れです。

しかし、幼い頃から甘やかされて育った人は、潜在意識に「自分の思い通りにしてもらって当たり前」というものが刷り込まれる場合があります。
そういう人も、周囲の人への対応が極めて不十分・稚拙なものになることがあるのです。
それは「自分の思い通りにしてくれないことに対してむくれていれば、相手が何とかしてくれる」という潜在意識の顕れです。

前者の場合は粘り強く関わってあげる必要がありますが、後者の場合は前者と同じことをすればその人の甘えを助長するだけです。

こういうことを考えるととても複雑になるので、今はとにかく相手がどうであれ、自分の側の気持ちを何らかの喜びに切り替える作業を提案しています。

気持ちのところでも喜びベースになって、喜びの進化の回路が活性化すれば、やがては普遍意識の次元の喜びとも同調できて、理屈抜きで相手の意識にも作用できるようになるのです。

≪補足しますが、「幼い頃から甘やかされて育つ」というのも、「親が自分に自信がないので、子供に向き合うことができなくて、子供の言いなりになる(甘やかす)」というものと、
「親が揺るぎない愛情に基づいて子供の全てを受け入れて祝福する(否定しない)」というのでは、「子供を否定しない・叱らない」という現象は同じように見えても、内実は全く違っています。

親の(潜在)意識次第で、エネルギー的にも全く違ったものになり、子供の心の育ち方も全く違ってくるのです。≫

(もう一つ補足すれば、甘やかされて育った人が、「自分はそういう親に甘やかされて育ったから(今の自分はこうなのだ。親のせいだ)」なんて思っていれば、いい歳こいてほんとにバカ息子・バカ娘です。

人によって、「甘やかされて」というところに、「否定されて」とか「無視されて」とか、他の言葉を入れてみたらいいかもしれません。

「誰がどうであっても、今の自分・今までの自分の陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びに切り替える」というのが今回のテーマです。)
。。。。。

あれこれ書きましたが、分かりにくければとにかく私が提示した例文に沿って気持ちをめぐらせて、書くといいと思いますよ〜。
この機会に自分の気持ちを吐き出すことも大事ですから、それはいくらでも書いたらいいのですが、最終的には例文に沿って整理したら自分にも分かりやすいかもしれませんよ。

13/12/2017(水) 11:00:57

No.17465  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
私の喜びと思えてなかった事。
それは、父だけでない、母もでした。

この両親に育ててもらったおかげで、ふられたくない事、聞かれたくない事があり、今でも、普通の人との会話にビクビクしています。

昨日、昔の写真を見て、昔を思い出しました。
私は、恵まれすぎる程、とても愛情を注いでもらった。
とてもとても愛されていたんだと実感出来ました。
今の私だったら、あの2人の間に入って、明るい家庭を作る事が出来るかもしれないと思いました。

父と母は、私の思うような愛し方をしてくれなく、寂しい思いはしたけど、普通の家庭ではなかったけど、2人の娘で良かったと思えています。

父が変わらなくても、私は私の根っこの部分でかかわって、見守ります。

私の理想の優しい人に、まだまだ私はなれてませんが、私の辛い経験のおかげで、普通の人とは違う独自の優しい心を持っているつもりです。
今より優しい心を、もっともっと広げ、私らしく自分を役立てます。

どうかな、違うかな??

13/12/2017(水) 21:12:22

No.17466  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
のものもさん、書き込みありがとう!

違ってませんよ〜。

>ふられたくない事、

で笑って、そのあと涙が出ました。

13/12/2017(水) 21:35:15

No.17467  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
実は、書きながら私も涙が出ました。

実は、飯沼さんの掲示板の一言一言を紙に書き出してから、頭を巡らせ、自分の文章も紙に書き出してから、打ちました。
こんなに気合いが入って書いた事ないかもです。おいおい(笑)
本当に陰りを探す時間がかかり、切羽詰まる思いでした。
ありがとうで〜す。

13/12/2017(水) 22:11:50

No.17468  ゆりか
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
今回のヌマさんのズボンとセーターの例え、今までん中で一番分かりやすかったよ〜〜(パチパチ、イェーイィ〜〜)

今回は子供達への負い目という陰りを喜びに切り換えた事を書きますね〜

私は、三人の子供達の妊娠を知った時、
私達の元にやってきてくれた嬉しさと共に、自分が神様からの祝福を受けている喜びがありました。
その一方で、
最初の子の時は、人生で初めて経験するお産というものに対しての不安や心配が強くあり、
二番目の子の時にも、経済的なものに関しての無意識の不安(主人が公務員という安定した仕事を辞める時期だったので。。。)を抱えていました。
ところが末っ子の時は、自分の命をかけてお産に臨むぞ!!全ては天命にゆだねる!!という肝が座った覚悟(出産年齢が39才で高齢やから。。。という意識によって)があったので、内在する不安らしきものを感じた記憶がありません。が、上の兄・姉に比べると五体満足に〜〜と願う気持ちが少し強かったように感じています。(五体不満足で有名になった乙武氏を知った時期でもあり。。。)

子供達の健やかさを願っていたから抱いてしまった三人に対しての個別の若干違う陰りでしたが、心地良い喜びではありませんでした。

今の私は、過去に抱えていた全ての負い目から解放され、共に神の祝福を受けて今も地上に存在出来ている事を、心の底から喜んでいます。
そして、その喜びをお互いに素直に言動して「受け入れ受け入れられる喜び」を感じ合っています。
お互いの本音を、相手を思う愛からの指摘として伝え合い受け取り合えた事を心から喜び合えています。
これからも「受け入れ受け入れられる喜び」を、人生のステージで多くの人達と分かち合いながら喜びを広げていきますよ〜〜

14/12/2017(木) 06:09:10

No.17469  みさお
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
最近掲示板を読んでいて、今までふっと思ってはいた事が
気持ちの中で、はっきりわかってきたような気がします。

飯沼さんとみなさんの書き込みが、私の心に沁みてるんだと
思います。

色んな事があっても、今の優しさを持っているみなさんは
ほんとうに凄いし、その中にいれる事が私も嬉しいです。

昨日思ったのは
小学生高学年から、母の体調不良
10代は両親自身の問題、両親の離婚、妹の事故、母の病気…

思えばずっと緊張、気を張ってきた気がする。
ぼーっとしていたら、いけない!
気を張っていないと何かが起こる!
そう思ってきたのかもしれません。
気を張っていても、起こる事は起こるのに
と今思えました。

自分が悪いから、自分が不十分だからそうなってしまった。
今もそう思う癖はあります…

だからなのか、私が緊張してきたのは、今も緊張が続いている
と昨日思ったのです。

これからは、自分は自分として良いのだと思います。
喜びの着地、両親、祖母は他界しましたが
ヒーリングと相談に乗って頂いたお陰で
3人共に霊界へと、もう何の心配もしなくて良いのだから

ゆみっぺさんの
攻撃される前にする!じゃないですが、言葉がキツイのは、多分自分を守るからだと思います

私も自分の事で、そう思いますよ。
15年程前に、一番下の妹が「気が強いと言われるけど、あんな
家庭に育ったらそうなるわ」と言っていたのを覚えています。

3女も、子供の頃から優しく決してキツイ人ではなかったのにと
弱ければ、攻撃される、損をする
そういうので自分を守ってきたのだろう。
自分で自分を守らないと
だって両親は守ってくれないから、自分達の気持ちでいっぱいで
と姉妹3人共思っていたのでしょう。

でも両親からの愛情も知っている。
姉妹3人共に、両親が大好きやし、もう悲しい気持ちは昇華したい
です。

色んな事があったが、ここまでこれた。
これからは自分としても幸せに
なにより仲間がいるのだから、仲間がいる!
それが今の喜び、嬉しいし楽しいし心強いです。

あおやまさん、ありがとう
来年いっぱい遊ぼう〜

定例会であおやまさんが、のもちゃんに接している姿
私はいいなぁと思い見ていました。
あおやまさんの本当の本来かな、姿やね。

みなさんの変化が見ていてわかります。
今回はあおやまさんと、ゆりかさん。

ゆりかさんは、以前定例会から帰り際寂しそうな表情で帰っていった事があったけど今回「さぁ娘のとこへいくぞ〜」ってはつらつ
とした表情だった。

私にも喜びになります!

又書き込みさせて頂きます。

14/12/2017(木) 09:27:34

No.17470  ゆりか
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
みさおちゃん、そう言ってもらって嬉しいわ〜〜

ありがとう!!

自分でもどんどん肩の力が抜けてるのがわかるんよ〜

もっともっともっと楽になって、自分のことも人のことも心の底から楽しめる自分を表現していくよ〜〜

この世を 目一杯楽しもうね〜〜

15/12/2017(金) 08:53:09

No.17471  やすこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
自分らしさの事

人の顔色、機嫌で自分の1日が左右されたり〜嫌われる事が怖くて気持ちが言えなかったり。子どもに自分を重ねて違う人生を生きてる気になったり。

ほんとに自分がなくて、人から見た自分でしか存在してなくて〜。私の場合は・・それはいつも誰かにぶら下がって依存して甘えていただけなんです。自分も人もちゃんと見れなくて愛せてなかったと思います。そんな自分は嬉しくなかったです。

でも今は、大きな夢を持つことが出来ました。そしたら不思議と色んな事が気にならなくなったし気にしていられなくなりました。そして、そういった気持ちはないよりあった方が絶対いい!少しは人の気持ちが分かるかもしれないし〜と思うようになりました。私として喜んで輝くことが皆んなのためになるんだと教えてもらって、自分に自信ついたし勇気も出てきたし〜しっかり自分で立ってる気がします。

何か言われてへこみ方は変わらないけど、この世の終わり〜みたいな気持ちにはならなくなりました。その事で、この世の終わりじゃない!とわかったからです。

自分らしい、って自分ではよくわからないけど〜自分を喜べてるのは自分らしく生きてる証ですね

15/12/2017(金) 13:28:48

No.17472  あきえ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
私、大事なこと間違えていたのですね。
「全てが喜びでありながら、喜びがさらに進化する喜び」が宇宙の絶対法則なのですね。
だから、着地点を固定してしまうといけないのですね。

私は、何事にも自信がなく、自分を喜ぶことができませんでした。
家族に悪いことが起これば、それは全部自分のせいだと、私のせいで皆が幸せでなかったし、辛い思いをさせてしまって悪かったという気持ちを、それでも家族のみんながここまで頑張ってきてくれたことに心からありがとうという気持ちに切り替えました。そうできたことを嬉しく喜んでいます。

自分を否定して、陰りを作って嫌ってきたことも、それでもよくここまで生きてきたという労りの気持ちに切り替えました。これも嬉しく喜んでいます。

気持ちを切り替え喜んでいくことで、握りしめていた自分のつまらないちっぽけなこだわりや、頑なさも指の間からぽろぽろと落ちていき、心が随分と軽くなってきました。
手のひらに僅かに残っているかもしれない自分なりの気持ちも、すっきりと全てを解放できるように日々の小さな出来事にも喜びを見つけ、さらに喜んでいきます。

15/12/2017(金) 17:26:48

No.17473  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
のもののさん、ゆりかさん、みさおさん、やすこさん、あきえさん、書き込みありがとうございます!

何でもどんどん、喜びを進めていきましょう!

最近、私は喩えで書くことが多くなりました。
それは小難しい理屈(論理)をいくら頭で理解しても、その人の心の実相のところでのリアリティが薄ければ何の役にも立たないどころか、「井の中の蛙、大海を語る」になってしまうからです。

特に気持ちのところは、その上位のバイブレーションの理性とも接してつながっているだけでなく、その下位のバイブレーションの行為行動や肉体とも接してつながっているので、地上的現実に直接作用します。

なので、感情の囚われを薄くして自我の独房から自分を解放するには、それぞれに気持ちのところでの重い葛藤を越えることができるかどうかに懸っているのです。
気持ちを喜びに切り替えるということは、生身の人間にとってはそれぐらい抵抗の強い作業だと思います。

急ぐ必要はありません。
(しかし、「何とか頑張って年内にはレポートを提出しよう(書き込みできるようにしよう)」というのと、「年内に提出(書き込み)すればいいんでしょ?」というのは、気持ちのエネルギーが全く違っていることは言うまでもありません。)

でも、「気持ちのところでの陰り=喜びではないものを何らかの喜びに切り替える」ということも、分かってしまえば気抜けするぐらいに簡単な原理なのです。

全てがさらなる喜びに進化しているということは、喜びという水が流れる川のようなものです。
摂理の流れでもあります。

人間の心も、本来はその川の水の一部として流れるはずのものです。
それが健やかなことですし、調和です。

しかし、その水のごく一部が氷のような塊(自我への囚われ)になって、流れと逆行したり、そこに留まろうとすれば、川の流れ全体に影響するほどではなくても、自我(自分)の周囲に不調和が生じます。

それがさまざまなトラブルや悩みや病や事故という、(地上的には)喜びとは思いにくい現象・現実です。

別の喩えで言えば、降り注ぐ陽光を遮れば、地面という地上に影という現象・現実が顕れます。
それが薄い影であっても、それを喜びに切り替えられずに心を陰らせれば、さらに透明度の低い遮蔽物で陽光を遮ることになり、地面に映る影も暗さを増すのです。

陰りや喜びではない意識(ここでは気持ち)が自動的に地面に影という現象・現実を作り出しているのです。

それさえ分かれば、原理は呆気ないほどに簡単でしょう?
そして、自分がどうすれば喜びの現実を創っていけるのかも、簡単に分かると思います。


もちろん、逆行や滞留は感情の領域だけでなく、その上流の理性の領域でも起こります。
そうなればそれはもちろん感情の領域にも大きな影響を及ぼすのですが、悠々塾につながっている人の多くは、理性のところの逆行や滞留はすでにかなりクリアできている状態です。
そのためにいろいろと学んできたのです。

自と他・自分と全体を完全に分離して、自分(たち)にだけ喜びを集めることを善とする理性の段階(我よしの理性・価値観)は超えることができています。
その他のところでも、地上的に偏った価値観や常識に縛られた理性の状態ではなくなってきています。

そこではそれよりも上流の霊としての喜び、魂の喜びと逆行・滞留しているのではなく、同調度はさまざまであるにしてもある程度は同調できているのです。
つまり、愛と真実をベースにできているのです。
(もちろんその愛も真実もさらに進化していくものです。愛や真実と健やかな喜びは同じものですから。)

しかし、せっかく理性のところでの逆行や滞留を薄くできたのに、感情・気持ちのところでは、なかなか根深い逆行や滞留がまだまだ残っている人がほとんどでしょう。

焦る必要はありませんが、とにかくどんなことでも陰り=喜びではない気持ちを何らかの喜びの気持ちに切り替えていきましょう。
一つ一つやっていけば、必ず元の健やかな喜びの流れに戻って融合することができるのです。

その回路が開ければ、陽光を巨大な凸レンズで集めるような(といえばちょっと誤解されるかもしれませんが)、とにかく今までの常識では想像もできないようなエネルギーで喜びの現象・現実が当たり前になっていくのです。

15/12/2017(金) 22:54:07

No.17474  みゆき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
おはようございます。
なかなか、書き込みできていませんが、、、
レポート作成中です。
自分自身のいろんな課題が次から次でてきますが、
前までは、「こんな自分やからできひん、あかんねや」とか
「こうしていかなあかん、がんばらな」とかそういう思い方をしてましたが、
現在は、「できひんかったな、そしたらこれからどうしていこか」と考えられるようになってきています。
そしたら、その「どうしていくのが自分にもまわりにもいいのか」という目標に向かってやっていくだけですので、
なんかシンプルでわかりやすくて、頭の悪い、不器用なわたくしにはぴったりで、すごくよい感じです。
前は、「無理無理」とか、「自分ごときが出る幕ちゃうちゃう」「こんな自分がでてったらあつかましい、迷惑」「忙しいから難しい」って思って新しいことや用事を引き受けませんでしたが、いまは、自分にできそうなこと、ちょっと難しそうで時間かかるかもやけどわたしがやることで周りがうまくまわっていくかな〜って思ったことは「やります、やらせてください」って、させてもらうことにしています。
積極的になってきました!!
あれこれ考えずやってしまうことにしています。
そうすると不思議なもので、なんとかなってしまっています。
いままで嫌だったこと、苦手だったことほど、やってみるといいのかも、と思っています。
この調子で日々、過ごしていきます。
本日はこのへんで失礼いたします。

16/12/2017(土) 07:15:57

No.17475  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?B 引用
おはようございます。

自分は寂しかったと自覚出来た事に、気持ちが解放されています。
母の事は大好きだし、父の事も愛おしいし、父にはありがとうの気持ちが募ります。

私は、自然と人としてどうあるべきかで判断していたように思います。
理性が義理で、感情が私のような、ごちゃ混ぜで、私は一人しか居ないのに、もう一人の別人の私がいたわけです。

これからは、私の気持ち、本来から持っている一人の私で動いていけそうです。

陰りは、どんどん喜びに切り替え、喜びはさらなる喜びに広げていきます。
この回路が確立されて、私も周りの人にも奇跡を起こしたいです!

16/12/2017(土) 08:28:51


No.17414 飯沼正晴 ホームページ E-mail
引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
前スレッドの最後の投稿をここに転載しておきます。
。。。

東クン、やすこさん、みさおさん、書き込みありがとう!

今回は書き込みが続かないだけでなく、微妙にズレている感じの人が多いことも特徴的ですね〜。

これはやはり実は大きな意味があるように思います。

嬉しいことを喜ぶことは大事ですし、目一杯に喜ぶことでさらに喜び(のエネルギー)は大きくなります。

ただ、今回のテーマは、「陰り(喜びではない気持ち)を喜びの気持ちに」と「今の喜びをさらに大きな喜び、あるいはさらに健やかな喜びの気持ちに成長進化させること」です。

「今まで喜びとは思えていなかったことを、喜びの気持ちに切り替えて着地させる」
「喜びに思えていたことを、さらに進んだ喜びの気持ちに切り替えて着地させる」
ということです。
。。。。。。

まずは「(自分の)気持ちは(自分の)気持ちでいいのだ」と、気持ちという段階の意識を全面的に認めてあげるところから進む方が、結果的にも次の進化した喜びの意識に解放されやすいのです。

自分の中に在る気持ちを否定して押し縮めるのではなく(理性で律しようとするのではなく)、「在るものは在る」という肯定を前提として、自分の気持ちを何らかの喜びに切り替えていくことが喜びベースに切り替えるコツになると思います。

喜びでない(ネガティブな)感情に囚われることも自縛ですが、(ネガティブなものであっても)感情を否定しようとすることも自縛なのです。

否定ではなく解放・開放してこそ、さらに大きく次元の高い喜びに融合し、あまねく喜びに満ちた普遍意識に融合できるのです。
。。。。。。

とりあえずはどんな些細なことでも、たった一つでも構わないから、「自分はこういう喜びではない(ネガティブな)気持ちを、喜びの気持ちに書き換えた」という雛形文に沿った一文を書いてみたらどうでしょう?

初めのうちはオセロゲームのように1個の陰り(喜びではない)駒を喜びに反転させるのがやっとでも、それに慣れてくれば喜びへの反転の連鎖が起き始め、やがては(陰りを完全に消せなくても)盤面(人生)が喜びモードで進展していきます。

そしてその流れを共有する場ができれば、そこはまさに奇跡の喜びが当たり前に起きる場になるのです。(もちろん自他の病の治癒・改善も含めてのことです!)

このあたりのことはまた改めて書きますね〜。

05/12/2017(火) 21:04:58


No.17416  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
ちぃさん、書き込みありがとう!

>先日、利用者さんのことで残念なことがあって、やりきれない思いでいっぱいになり落ち込んでいました。
全ては喜び、なにがあっても大丈夫。
喜びのなかで私らしく自分を役立てていきます!<

『先日、利用者さんのことで残念なことがあって、
やりきれない思いでいっぱいになり落ち込んでいましたが、
全ては喜び、なにがあっても大丈夫と言う喜びの気持ちに切り替えて、
喜びのなかで私らしく自分を役立てていきます!』

ということですね!

その前の文章も含めて、起承転結(こういうことがあって、今までの自分はこういう陰りの気持ちでいたけれど、こういう喜びの気持ちに切り替えて、こうしていきます)がはっきりしていて、分かりやすいと思います。

文章は長くても構わないし、横道に逸れても構わないので、今回はこういう起承転結が分かる書き込み(意識・気持ちの切り替えと(行為行動への)着地)をお願いします。

気持ちの(エネルギー)というのは幼児のように単純なものだから、起承転結をはっきりさせた方が、意識(気持ち)の切り換えの回路が確立しやすいのだと思います。

そして、陰り気持ち(喜びではない気持ち)というものは、駄々っ子のように厄介ではあるけど、そこが喜びに切り替われば肉体や人生の出来事など全ての現実に直接作用するのです。
。。。。。。。

例えばですが、

自分は今まで誰かのこと(あるいはこういうタイプの人)が嫌いだった(好きではなかった)が、こういう喜びの気持ちに切り替えて、これからはこうしていく。

自分は今まで自分の不十分さを言われること・指摘されることが嫌だったが、こんなふうに気持ちを切り替えて、これからはこうしていく。

とかは一般的ですが、多くの人に共通する陰り(喜びではない気持ち)でしょう。
(「自分にはこういう経験があるので、自分は〜〜だったが、こういう喜びに切り替えて、これからはこうしていく」と書けば、起承転結の起の部分も分かりやすくなります。

誰でもいくらでもとは言いませんが、それなりに思い浮かぶんじゃないかと思うのですが・・・?

陰りの気持ち(喜びではない気持ち)というのは、自分の中に在る幽界なんですよね。

また後ほど改めて書きますね。

05/12/2017(火) 22:24:11

No.17418  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
今までは、父の事が嫌いでした。
今でも、父に拒否があります。
父の好きな所、優れている所があります。
私の好きな感性の優しさを持っている。

私の好きな感性の優しさにパス出来る人は、なかなかいません。
(夫と、定例会に来てる人とかくらい、あと他にもいるけど)

言葉では表しにくいのですが、この私のアンテナのおかげで、周りと距離を感じますし、昔から随分と傷つきました。

でも、その人達でも、全ては喜びの中で生きていると切り替えます。
全ては、喜び。
絶対安心の気持ちに切り替えます。
私らしい気持ちを表現していきます。

06/12/2017(水) 07:13:59

No.17419  みゆき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
おはようございます。

今までの自分は掃除っていわれたら、すごく気が重たくなってどーん、ってなってたのですが、
えいっ、ってやってみたら、、、
一箇所きれいにしたら、ほかの所が気になって、気になるところをしていっってしていって、、、、ってどんどん、掃除が進んでいくのがわかり、楽しくなったんです!
きれいになるし、自分自身もすっきり気持ちがよくなることがわかって、すごく嬉しいです!!
この調子でこれからもますますいろんなところをきれいにしていきます!!

本日はこれにて失礼いたします。

06/12/2017(水) 07:42:15

No.17420  さき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
ドネ会準備モードから切り替えて〜

定例会で話したこと
子どもの頃狭い共同体のなかで暮らしていた
人間関係が濃いなかで
小中学校も共同体のなかにあって1クラス3人〜5人
ぼーっとしてて身だしなみも気にしなかったので
子ども同士のいじめのターゲットになった
靴や持ち物隠されたり、囃したてられたりすることが重なって
他の子どもたち、人間が怖かった
ビクビクオドオドして小中学校時代を過ごした
自分はダメな存在劣ってる存在
自分なんか存在しててもしてなくても一緒
存在してる意味なんかないと思っていた
そう自分で自分に刷り込んだ

高校になってから
自分をエイッと切り替えたんだけど
根っこの刷り込みはそのままで
自分のなかの譲れないものを正しさとして
自分を頑なにして守りながら頑張るスタイルで生きてきた

悠々塾に出会ってから18年
それは自分の根っこの刷り込みを解いてきた過程だった
自分を頑なにしなくても、守らなくても
ありのままの自分でいられる
その自分が自分らしさを自由に表現することが
私も嬉しい、自分も皆も喜びになる
ということを実感しています
そう実感できるようになりました
みんな大好きありがとう!です
この喜びを喜んでさらに表現し広げていきます!

ついでにもうひとつ
定例会の翌日、まゆみさんと話をしていて
ストンと思ったことがあります
関わりたくない人、嫌な人に対して
嫌だ嫌だと拒絶の感情、気持ちを膨らましている自分ってなんだろうと。
なげやりでなくて、、たかが地上人生。
縁あって出会っているわけで、意味のないことなどひとつもないのでしょう。
だったら自分の方から気持ち、思い方を切り替えてみてもいいのかなと思ったのでした。
もちろん嫌だと感じることも含めて、ある気持ちはあるものだし、それをないものにはしませんし、できないんですけどね。
まだ起承にも転結にも何もなってませんが、メモ!

06/12/2017(水) 08:22:50

No.17421  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
のものもさん、みゆきちゃん、さきさん、書き込みありがとう!

今朝の篠山は氷点下2℃。
屋外のメダカの水槽にも氷が張っていました。

長野や関東では中規模の地震。

まだまだいろいろありそうです。
私たちは、どんどんいきましょう!


基本中の基本の話ですが、霊界に戻れば私たちは魂のみの意識に戻って、喜びの中でさらなる健やかな喜びに向かって進化(学び)を続けていきます。
そして個々の魂は、無限の魂(神)の喜びに融合しています。(どの程度かは分かりませんが、個々の魂はそれぞれにそれを認識できているのだと思います。だからこそ絶対安心、絶対の喜びの中で生きていけるのでしょう)

しかし、地上という物質次元(分離次元)に生きるにあたっては、本来は一つの意識もいくつかの(次元)の層に分離されながらも、
波動的につながっています。

さまざまな言い方がありますが、とりあえずは、
魂→霊体→理性→感情→肉体(→行為行動)というように。

それぞれの意識は完全に分離しているわけではなく、波長の精妙さが違っているのです。(透明な太陽の光をプリズムに通せば7色に分離して見えるようなものです)

そして、魂→霊体→理性→感情→肉体の層は(重なっているという意味で)ダブルというエリアで波動調整してつながりをスムーズにしています。(ダブルは、川と海をつなぐ河口の汽水域のようなものです)

本来は、大いなる神の喜びの意識が魂から(徐々に変換されて)肉体・行為行動に喜びとして表現され、その喜びが逆コースで変換されて大いなる神の喜びへと昇華されるのです。

ごくごく大雑把ですが、イメージとしてはこういうことになります。
そして、大いなる神の喜びとは、完全でありながらさらに喜びに進化する喜びです。
私たちの魂もさらなる進化成長を求めて、同時に地球という星の進化も担って、期間限定でこの地上に生きることを選択しているのです。


ということは、感情の層に陰り(喜びではないもの)があれば、大いなる喜びの波動に同調できず、さまざまな不調和を生じることになります。
そのノイズが肉体や精神の病、人生におけるトラブル(喜びではないもの)を作り出していくのです。

とはいえ、今の地上に生きていれば喜びではない感情を抱くことはやむを得ないでしょう。
感情というものは自我意識の層で、いわば幼児のような心の部分なのですから。

だからといって、感情=気持ちの陰りを無いもののようにしたり、否定して抑え込んでしまうことは健やかさに逆行してしまいます。
在るものは在るとしながら、それを喜びに切り替えて、行為行動で表現していくことが、喜びの進化という摂理に適う(同調する)ことなのです。

感情=気持ちの領域は肉体や行為行動などの地上的現実と隣接しているのですから、ここを喜びに切り替えること(その方向性を確立すること)によって、地上人生における喜びも現実化するのです。

逆から言えば、感情=気持ちの層が喜びに切り替わっていなければ、というよりも喜びに切り替わる方向性がベースになっていなければ、地上人生における喜びも現実化しにくいのです。

ここで極めて重要なことは、今もたらされている喜びを目一杯に喜ぶだけでなく、今は喜びとは思えていない気持ちを何らかの喜びに切り替えていくということです。

魂にとっては全てが喜びなのですし、地上を離れたら、地上人生の全てが喜びであったことに心の全部で気づいて、喜びの中で霊界に戻るのです。

だから霊界では病も陰りもなく、喜びのみの世界でさらなる健やかな喜びへの学び=進化を続けていくのです。

今の自分が喜びだと思えていない気持ち(嫌だ、嫌いだ、迷惑だ、許せない、受け入れられない、怖い、不安だ、寂しい、悲しい、不公平だ・・・)と思っている気持ちを何らかの喜びに切り替えることは、摂理とスムーズに同調することです。
その切り替えの回路が確立して活性化すれば、魂やもっと次元の高い普遍意識のエネルギーとの同調度も高まり、三次元の制約を超えて喜びの現実が顕現されていくのです。

今の常識とはかけ離れた奇跡の治癒や奇跡の喜びが、極めて容易に現実化するのです。
もちろん自分の人生だけでなく、他の人の人生も地上界も喜びに変わるのです。
本当は自分も人も地上界全体も、つながって一つなのです。
(自分だけの喜びを求めることはまさに自我意識に閉じこもった分離意識のままであるわけですから、自我に制約されたわずかなエネルギーを使ってのみみっちい一人相撲を取り続けることになります。あるいは他を欺き、支配して喜びを自分に凝集しようとするのです)

私たちは今、自分の気持ちという厄介なものを解放して、喜びに切り替える段階を迎えているのです。
何度も言いますが、その回路が確立して活性化すれば、今の常識では奇跡のような喜びが必ず現実化していきます。

思えば私たちは、陰り=喜びではない自分の気持ちを薄くしようと努力したり、我慢して抑え込もうと努力したり、無意識化して無いものにしてはきました。
(もちろん、気持ちのままに陰りを表現し、陰りを増幅させたり、陰りに留まってそこに埋没したりもしてきました。)

そこでの気持ちの葛藤は悠々塾につながる全ての人が経験してきたことでしょう。

しかし、実はそのどちらもが本当の意味で摂理に同調した健やかな喜びではなかったのです。

自分の気持ちを喜びに切り替えるという作業に不慣れな人も少なくないと思います。

ですからどんな些細なことでも構いません。
明らかに今の自分が抱えている課題とかけ離れていると思うようなことでも構わないのです。
そういう条件を外せば、誰にでも陰り=喜びとは思えていない気持ちはいくつもあることが分かると思います。

それをピックアップして、
「(自分は過去にこういうことがあって、そのせいかもしれないが)今までの自分はこういう陰りの気持ちでいたけれど、こういう喜びの気持ちに切り替えて、こうしていきます」
と、書いてみませんか?

そして大事なことは、単発で終わらせないことです。
あくまでも気持ちのところですから、頭(理性)で処理しようとしないことです。(厳密に考えすぎる必要はありませんが)

連続的に陰りの気持ちを喜びに切り替えることで、そのエネルギー回路は確立するのです。
「さらなる喜びへと進化する喜び」という、絶対普遍の摂理との同調度が高まり、普遍意識の絶対安心がベースになり、三次元の制約をはるかに超えた普遍のエネルギーを使いこなしていくことができるのです。

自分の中にある愛をもっともっと大きなエネルギーにして、自分を含む皆に喜びの現実をもたらしていけるのです。

今が、地上における喜びを現実化させるエネルギー回路を開く勝負どころです!

無理にとは言いませんが、何度でも皆さんどんどん書いていってくださいね〜!
普段は掲示板に書き込みしていない人も、どうぞ書いてくださいよ。

06/12/2017(水) 12:00:56

No.17422  ひがし
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
Sさんから「エネルギーを送ってくださりありがとうございます。
仲間の皆様にも感謝いたします。」と昨日返信がありました。

06/12/2017(水) 20:46:05

No.17423  ひがし
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
喜びへの着地、
以前悠々塾の集まりで(もう随分随分と初期の頃だと思うけど)、飯沼さんが「神は大いなる喜びです」と言われたことを聞き、なるほどと、感動してしまったことがありました。そのとき、人間一般の喜びは楚々と些細で小さいし、更に個々人の喜びなど本当に小さなものだと感じたものでした。
今その喜びのことを考え直してみると、これがそれほど大切なことであったかということに、自分は何も気付くことさえしなかったという気がしています。
今あらためて喜びということを思い巡らしてみると思い当たるのは、十七、八、九歳の頃か、まだ人生の辛さや苦しさを何も知らずにいた頃かもしれないのですが、自分の心が自由に遊んでいる時期があって、そのときは周りに何が起きていようと、人々がどんな風に動き回っていようと、何もお構いなしというようになって、ただただ嬉しい気持ちになっているのでした。でもこういうのは周りの人にそのまま言うと「お前バカか」ということになってしまうので自分だけの世界なのでした。やはり自分も周りの人に変人扱いされてレッテルを貼られるのはとてもまずいことなので、一生懸命に人々の調子に面合わせしていかねばとおもいつつ生きてきたんだと思います。それでもだんだんと、どこかでその面合わせが自分の本当のものじゃないしと思いながら、自分の心が沈んでいっていることをどうにもできなかったのだと思います。
喜びということに焦点をあてることが大切であるということの重要さを思ったのは、この間の定例会(悠々塾)からでした。(皆さん定例会お疲れ様でした。)
自由に心が遊んでいる状態が否定されることなく生かされていたら、どんな風になっていたかはわからないけれど、喜びの心と離れずに生きてこれたのかもしれません。でもこういう自分の心というのはやはり我良し的で嫌だなあとどこかで思う気持ちもあります。今はいい意味で大切にしたいなあと思います。

06/12/2017(水) 20:50:23

No.17424  オレンジ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
人に何かを頼まれて断れずにOKした後でいざその前日になると、面倒くさい、嫌だ、行きたくないと思う気持ちが結構強かったけど、嫌なら断る。OKしたからには喜んでしようと思う切り替えができるようになった。

特にピアノを弾く仕事の前夜や当日、不安のせいで体調が悪くなっていたけど、その度に悠々塾の仲間がいる、仲間が困ったときは助けてくれると思えるようになった。

今朝もピアノの仕事に向かう運転中、胃が痛くなったけど、すぐに仲間がいるから大丈夫と喜びの気持ちでつぶやいていたら落ち着いた。

「誰も私のことを守ってくれない」という潜在意識は私のことなかあと思いました。小さい時から特に母親との会話が少なく、心を開いて学校生活の悩みを言える状態ではありませんでした。
そこでは「両親の愛情が足りないからだ」「誰も私の事を守ってくれない」と思っていたようです。
その為に自分の事は自分で何とかしなくてはという気持ちが強くなったのかもわかりません。

今では自分の体調、特に内臓が悪くなった時は仲間がいるから大丈夫と思える喜びに切り替えています。

昨日はキャンセルになっていることも気が付かず、会館に行ったら担当者に直接、今日ピアノ発注してないよと言われ帰ることになりましたが、こういう日もあるよね。生きている時にしか経験できないからこれもまた喜び、喜びと思いました。

もともとその担当者は葬儀にピアノを入れることを良くは思っていないのです。
不愉快になる事は今までにも結構あり心を陰らしていましたが、それを辞めることによって軽減していると思います。
また嫌な担当者に会う前から怯えたり、緊張してましたが、それは自分に自信がないからだ、相手から逃げないでなるべく話しかけるようにすることで喜びに変えるようになりました。

06/12/2017(水) 22:13:47

No.17425  やすこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
私は子どもの頃から楽しい事は話せても辛い事、悩み事を話すのが苦手でした。

子ども時代は忙しい親の邪魔にならないように、心配かけないように出来るだけ良い子で居ようとしました。でも心臓が少し弱いと言われた事で親には沢山心配をかけたと思います。姉からは、病気以外で親に迷惑をかけないように〜といつも言われていたので、寂しいとか嫌だとか私は言ってはいけないのだと思いました。自分の気持ちを言わない事は家族の幸せなんだと信じてました。

大人になってもその癖は直らず、しんどい私、辛い私は誰も愛してくれないと思うようになってました。

でも悠々塾を知って、少しずつ自分の本当の気持ちを話したり書いたりしてるうちに心が軽くなり、生きる事が楽になってきました。表現する事は私にとって健やかな事だと気が付いたし、喜べない事を言っても、それでいいんだ。と受け止めてもらえて〜全部そのままでいいんだと教えてもらいました。

そして今は、マイナスに思う気持ちを表現する事さえ喜びになりました!

これからは表現するチカラを高めて、言葉や行動に力をつけて周りの人達を励まし元気にしてあげたいです!

06/12/2017(水) 22:49:30

No.17426  なみ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
今回のテーマ、定例会前からわからなくて、定例会では皆さんのお話に感動しながら、でも自分のこととなるとわからなくて、今も正直よくわからずですが、飯沼さんが言われている例文を考えてみました。


私は子供の頃から、ずっと不安の中にいたように思います。
家族のことで、このままだとこうなってしまうのではないかと心配ばかりしていました。
そして、私は一人だという意識がずっとありました。
結婚してからは、さらにその不安が強化される出来事が続きました。
「不安」は私のテーマでもあるようなので、起こるべくして起こった出来事もあったのだろうと思いますが、きっと不安に思うような現実を自分が引き寄せてきたのだと今は思います。
この10年は不眠になったりパニックになった時期もあり、大したことではないことを異常なほど心配して、どうでもいいことにエネルギーを使ってきました。

今までは不安に思うことがあると、そこから抜け出せなくなることが多かったのですが、悠々塾の皆さんとのつながりで大きな安心をもらい、一人ではないと思えるようになりました。
そして、悠々塾で学ばせてもらって、そして今までの経験を振り返っても、何があっても大丈夫なのだと大分思えるようになって、以前より不安を薄くできたような気がしています。
不安に思うことを何があっても大丈夫なんだと絶対安心の意識に切りかえて、これからは不安ではなく、喜びにつながって嬉しい現実を引き寄せていきます。

それから、今までの経験からか、人に対する怖さ、特に急変する人、理不尽な言動をする人が怖く、受け入れることがなかなかできなかったのですが、自分の気持ちに囚われずにその人の本当の気持ちを、いいところを見つけようと切り替えて、なぜその人がそうなってしまうのか、その人の背景を考えたり、自分の見方に偏りがないか考えながら自分の思い方を変えて、その人の存在を喜んでいきます。

あと、いつも人からどう思われるのか、また周りに影響されて自分を出せない、押さえてしまう自分でしたが、これからはみんなにとって嬉しいことを表現することが私にとっても、みんなにとっても喜びなんだと、幸せなんだと意識を切り替えて、素直に自分を、喜びを表現していきます。

抽象的な文章で、すみません・・・。


なかなか掲示板に投稿することができず、早く言いたかったのですが、あおやまさん、みさおさん、合格おめでとうございます!!
たくさんの付箋とマーカーを引いた、とっても分厚い、みさおさんのテキストをすごいなあと思いながら見せてもらったことがありました。
お二人ともすごくすごく頑張られたんだと思います。
本当によかったです!

それから、Sさん、私もずっと応援しています。

06/12/2017(水) 23:05:47

No.17427  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
ひがしクン、やすこさん、オレンジさん、なみさん、書き込みありがとうございます!

それぞれ気持ちのところでガーンと伝わってくる迫力・リアリティがあって、感動します。
。。。

さっき自分でやってみて思ったのですが、「こういう気持ちをこう切り替える。こう切り替えた。それがまた嬉しい」ということを思う時に、お腹(みぞおちのチャクラや丹田)に意識を置けば、さらに気持ちが切り替わりやすくなるかもしれませんね。

ついつい頭に意識を置く癖がついている人には、特にお勧めです。


戦争や地震や火山噴火や奇病・難病だけでなく、今年あたりから急速に寒冷化が進むという予測もあります。
軍需産業は世界を動かす国々の基幹産業になっているので、世の中の仕組みが変わらなければ戦争は「必需品」であり続けるのでしょう。

それもまた人間の意識が作り出している現実です。
。。。

私は昨日、「台本」を書き始めました。
2本書くのは時間的にも無理っぽいので、30分あまりの芝居にして(原案はもっと長くなりそうですが)、登場人物を増やすつもりです。
以前に掲示板でちょっと話題に出した、高齢者を中心にした共同生活(住宅)をテーマにしています。
(本当はBさんの劇団でも使ってもらえるような、ニライカナイ伝説も含めた琉球・沖縄の歴史とそこから始まる新しい未来をテーマにした台本を書きたいのですが、今はまだ書けませんね)

定例会では、同じ芝居を2回やることにすれば、参加者が演じる側と観る側になるのでいいかなと思います。

いろいろ考えすぎると面倒になるのでとにかく書き始めました。
でも書き始めると本当に面白くて、数時間でかなりの量を書いてしまいました。
とにかくド素人なので、出来の可否すら分かりませんが、たたき台を書いて、あとはBさんにお願いします。(大幅に削ってもらわないといけなくなりそうですが、Bさん、よろしくお願いしま〜す)

私の原案の出来不出来は別にして、悠々塾らしい内容の台本になると思うので、表現のエネルギーを高めて表現力アップのためにも、しばし普段の自分ではない人物を演じることにも意味があると思うので、楽しくやっていきましょう。
演劇のワークショップは来年3月と5月ですが、1月定例会で台本を配りますね。

いろんなラインから、閉塞した地上界に風穴を開ける場にしていきましょう!
。。。。。。

引き続き、「気持ちのところでの喜びへの切り替えを」について、何度でもいくつでもどんどん書いてくださいね。

私がここまで言う意味が今はまだよく分からない人も、いずれは「あれがやっぱり勝負どころだったんだな」と、喜びの中で納得するでしょう。

それぐらい、気持ちのところでの喜びへの切り換えとその回路を開き活性化することは重要なのです。

そして今回の地上界の次元アップ、地上人類の霊性進化は特別な人たちによってなされるのではなく、自分の地上人生や今の地上界の仕組み・世間の風潮に巻き込まれ翻弄されて本当の自分を見失いそうになりながらも、心根の優しさ善良さに蓋をしてしまうことができなかった庶民によって成されるのです。

悠々塾につながる皆さんがた一人ひとりこそがその目立たぬ主役にふさわしいのだと、私は断言します。

07/12/2017(木) 11:09:58

No.17428  ゆりか
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
悔しいで〜〜す。。

翳りの感情を全て喜びに切り換えれた自分の心の布石と、更なる進化を目指している自分の気持ちを書いていたのですが、完成間近で消えてしまった(あ〜〜あ。。。とほほ〜〜)

かなり時間をかけて正直に書けれていたので、凄くショクです!!

少し休んで、再度挑戦しま〜〜す

07/12/2017(木) 13:30:17

No.17429  きんもくせい
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
具体的なことは割愛しますが、
以前にも書いたとおり、私は、自分の気持ちを分かってもらえていない。受け入れられていない。
と思うと感情が激しく動き、否定されることへの不安や恐れや自信の無さから、自分を守って相手に合わせたり、自分の欲求を抑え込んだり、逆にやはり自分の守りから相手を否定したり非難したりしてきました。(直接的なこともあれば、心の中でのことも)
そうする自分は嬉しくもなく喜びもなく、悶々とした中で自分の心と葛藤していました。

私は、自分にとって良いものを良いとしていて、自分にとって良くないと思うものを否定していたのです。
自分の気持ちベースでした。
そういう思い方は自分の魂とノイズを起こしていたのか、スッキリせず、自分に自信も持てず、自分も否定されることを恐れ続けることになり、それが現実となっていたのだと思います。
自分が傷つくのは、自分の気持ちや自分の都合で目の前のことを見て決めているからだと気づきました。
自分のちっぽけな気持ちでとやかく思っていても何の解決にも喜びにもならないとつくづく思います。

ほんとに、なかなか自分の気持ちから抜け出すことはできませんでした。
それほど自分の気持ちはあったし、今もまだありますが、自分の気持ちはそのままでも、いろんな人のいろんな気持ちや境遇や背景やをよくよく見ると、受け止められることは増えたと思います。

自分にとって嬉しくないことは、それに向き合うチャンスだと思います。
分かっていても、それまでのガチガチな自分の気持ちがどっかりあると、それを切り替えるにはかなり勇気というか勢いがいります。
それでも、思い切って切り替えることで、喜びに着地することもありました。
喜びは、自分の思い方次第で見つけられる。小さくも大きくもなる。
結局のところ、相手をどうこう、もたらされたことをどうこう言うより、自分の気持ちを切り替えることが何より先決なのだと思うようになりました。
何があっても大丈夫。絶対安心!
という意識も後押ししてくれます。

もう無駄なエネルギーは使いたくないです。
結構疲れます。
自分も皆も幸せになる健やかなエネルギーを素直に自然に使っていきたいです。

何があっても大丈夫。絶対安心。
自分も皆も幸せに。
不調和を調和に。
かげりを光に。
何度この言葉を唱えたことか。。

ひとつらなりの中で共に関わる全ての人や、ありのままの現実を受け入れて、
今この地上で学べることを喜び、喜びに少しでも近づけたことを喜び、何があっても大丈夫、絶対安心!の中で
何事にも喜びを見出して表現して
自分にとっても周りにとっても嬉しいことを引き寄せたいと思います。

とか言って行きつ戻りつしたら、都度、同じことを自分に刷り込んでいきます。
それも喜びに向かうことだと喜んで。


飯沼さんの原稿、楽しみです。
演劇と聞くと、早くも緊張してドキドキしてしまいますが、気持ちの切り替えになる気はしているので楽しもうと思っています。

07/12/2017(木) 13:41:04

No.17430  みさお
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
私は特に仕事で、人からどう見られるかを気にして
自分のエネルギーを、違う所に使って自分をしんどくして
又しんどさを引き寄せていたが

これからは、自分の良さを自分で認めて
自分らしく、気持ちの部分でのびのびと働き
人に安心と嬉しさを感じてもらえるように切り替えます。

又書き込みさせて頂きます。

07/12/2017(木) 14:02:53

No.17431  あきえ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
私はいつの頃からか自分のことが嫌いになっていました。
そんな私を嫌だなと思う人がいて当たり前なのですが、時々「あっ、私のこと嫌なんだな」って感じることがあって、こんな私なんだから仕方ないと思いながらも落ち込んだりしていました。

悠々塾で学ばせてもらって、少しは自分のことを許すことも、好きになれるようにもなってきていました。
病気がわかったときにも、落ち着いて、動揺することもなく受け入れることもでき、何があっても大丈夫と思えました。
飯沼さんをはじめ、皆さんの心からの温かいメッセージと、たくさんのエネルギーをいただいたおかげで、迷いのない絶対安心の喜びの中にいる自分が本当に嬉しく、この先何がどうであっても計らわれたこと一つ一つに感謝して生きたいと思いました。
私はもう大丈夫、こんなにステキな仲間の皆さんがいてくれる。
嫌な私から卒業することができたと喜んでいましたが、また「あっ、私のこと嫌なんだな」と感じることがあって、落ち込んでしまいました。

私の意識がこういう現実をまたつくったのだから、私の意識は切り替わっていなかったのです。傲慢にも卒業できたなんて思い上がっていました。
どうすればいいのかわからないので、嫌なことも、ありがとうの感謝の気持ちに切り替えていくことにしました。
嬉しいことも腹の立つことも、さまざまありますが、感謝する気持ちを持つと、嫌なことも(いやではあるけれど)少し時間がたてば(長くかかることもありますが)感謝に切り替えることもできます。(年のせい?かもですが)
感謝ができれば、それは嬉しいことなので、感謝することのできる自分を喜ぶようにしています。
未熟な心を、感謝の心に切り替えて、「みんな大好き。ありがとう。」の喜びに着地していきます。

自分のつまらない、ちっぽけなこだわりも、頑なさも、自分の気持ちとして、まだ握りしめてはいますが、これもいつかなくなっていくだろうと思っています。


あおやまさん、みさおさん
合格おめでとうございました。
本当によかったですね。嬉しいです。
お祝いがこんなに遅くなってしまって、ごめんなさいね。
これからのお二人のご活躍を楽しみにしています。

07/12/2017(木) 14:07:35

No.17432  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
きんもくせいさん、ゆりかさん、みさおさん、あきえさん、書き込みありがとうございます!

ゆりかさん、お気持ちお察しします(笑)

陰り=喜びではない気持ちを喜びの気持ちに切り替えるのは、本当にエネルギーを要するものです。
勢いが要りますよね。

気持ち・感情というものはそれぐらい生身の自分にとって実体感があるのでしょうね。
だからこそ、そこが喜びベースに切り替わると、実際の現実に直接作用するのです。
。。。。

私は幼い頃からいろんな面で人とは違っている自分を感じてきました。
子供の頃から、大人や友達が話している言葉の裏の意識が私には伝わってきていて、それが当たり前のように思っていました。
でも、他の友達も大人もそうじゃないんだということが分かってからは特に、人との接し方が分からなくなったというほどではないのですが、ある種の不安や根底的な孤独感を持つようになりました。

友達とは普通に遊んでいたし、それはそれで楽しかったのですが、人とは違う自分というものに自分自身が安定できなかったように思います。

そういうこともあって、私は子供の頃から目立つことも人前に出ることも大嫌いでした。
なのに、子供の頃は優等生でもあったので、なんだかんだと人前に出さされることがあって、嫌でも目立っていたと思います。

その上に子供の頃から背が高かったし、高校を卒業して家を離れる頃までは特に痩せてもいたので、体型でも目立っていました。
(今は体型も髪型(?)も変わって、別の意味で目立っているようですが・笑)

人前で話をすることも大嫌いで、そういうことをできるだけ、ほんとにとことん避けたいと思ってきました。
(「これはいかんだろう?」とか「これはどういうことだろう?」というところでスイッチが入ってしまった時は逆に黙っていることができない人間だったのですが)

なので、20数年前の悠々塾のオープンの時に、かなり長い時間話し続けている自分が不思議で、「これは誰がしゃべっているんだ?」という感じだったと思います。

何年前までは、カラオケで人前で歌うこともものすごく嫌でした。
学校での音楽の歌のテストなんて死ぬほど嫌でした。
(今、思い出しましたが、中学生の時に、英語の時間に英語の歌を順番に歌わされることがあって、私は単に人前で歌うことが嫌だっただけなのに、屁理屈をこねて教師を激怒させた挙句に泣かせてしまったことがありました。(今さらですが、先生、ごめんなさい)

今年の表現力アップのワークショップでも、台本は喜んで書いたのに、自分が演じるということはほんとに嫌で嫌でしょうがなかったのです。
あの時はミスターが急きょ参加ということになったので、役を譲るという名目で逃げてしまいました(笑)

一昨年だったかの一芸披露の時も、ほんとはこっそりトンずらしたくなるぐらいに嫌でした(笑)

こんな私なので、来年の演劇ワークショップで自分が演じる事なんて考えられないぐらいに嫌なのです。

あれ?
ここまで書いて、自分の「人前に出るのが嫌だ。人前で何かするのが嫌だ。目立つのが嫌だ」という陰り=喜びの気持ちではないことを、まだ喜びに切り替えられていないことを思い知りました。
「嫌なものは嫌で、それのどこがいけないんだ?」という気持ちも湧きあがってくるのですが、それではにぃクンと同じになってしまうので(笑)、頑張って喜びに切り替えてからまた書きます。(なんだ、この書き込みは?)

というわけで、まだまだの人もなかなかの人も一緒に切り替えていきましょうね〜
。。。。。。。。

投稿してからようやく思い至ったのですが、私の「人前に出るのが嫌だ。人前で何かするのが嫌だ。目立つのが嫌だ」という陰り=喜びの気持ちではないことって、結局は自意識過剰・地上的自我の凝縮なのですね。
自己顕示とは反対のようでも、自意識過剰・自我の凝縮(分かりやすく言えば、自分へのこだわりです)ということでは同じなのだと納得しました。

そこを解放できれば、もっともっと(喜びの)意識が軽やかに広がるのでしょうね。
お、なんだかいい感じ。

07/12/2017(木) 15:01:09

No.17433  みさお
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
なみさん あきえさん 書き込んで下さったみなさん

合格の事、喜んで下さってほんとうにありがとうございます。

自我の凝縮(分かりやすく言えば、自分へのこだわりです)
なんかわかるような気がします。

私もそこを、もっともっと解放したいです。
解放できるように切り替えます。

07/12/2017(木) 17:04:58

No.17434  ミスター
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
皆さま、定例会ではありがとうございました。いつもながら清々しい時間を過ごさせていただきました。
書き込みが遅くなりました。

私は仕事を通じて大人になれた自分を喜ぶことにしました。

今回、飯沼さんの呼びかけで、喜びにできない、自分の値打ちに自信が持てないのは何でだろう、と生い立ちからの長い時間を何度も振り返りました。そこには都度都度年齢に対して極めて未成熟な自分がいました。わかっていたけど羞恥心から蓋をしていた。
幼少から優等生やエリートなんかではなく、アメリカから帰国後、入ることが目的で付け焼き刃の猛勉強で大学に入り(それはそれでもの凄い努力はしました)、目的がないので勉強は一切せず、なんとなく「いい会社」と言われていた会社に就職できた。
(たまたま名古屋に配属され、1年後に異動した職場に、圧倒的に憧れていたきんもくせいがいたのです…)
それから35年以上学んで、ここへきてやっと皆さまの大人度に追いついたのではないかと思えます。

未熟な子どもの私が、社会に出てからひとつひとつの場面を乗り越え、判断力を養い、勤め人として自信がついたのは確かであり、今でも立場を傘にしないスタンスを変えることなく働けていることを喜びます。

さらに、私は人の立場に立つ、人の心に寄り添うという人格の基礎も欠落していました。会社でリーダーとなり、他のどこよりもやる気に溢れる、風通しのいい職場にしたいと努めたことで自然とそのあたりが改善でき、むしろ人一倍強くなりました。
今も部下の心を見ようとしない管理職には渾身の説教をしています。

ここでは多くは語りませんが、いずれも両親の強いエネルギーに引っ張られてきたことにも原因があります。両親の幸せの価値観を形成した、(あまり語ってくれなかった)彼らの生い立ちを思えば腹落ちもします。

これからの人生、きんもくせい、娘たち、婿さんたち、お孫ちゃん、社会で関わる人たちに私の価値観、やり方、何かを選択するときの軸を語ることできっとプラスになることがあると信じて過ごします。
既に自分の変化に手応えも感じているように思います。

みさおさん、あおやまさん
遅ればせながらおめでとう!!

07/12/2017(木) 19:00:42

No.17435  ぽんた
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
ごぶさたしてしましました。

もともと耳が弱く、難聴メニエール持ちなので、
先月、ロックバンドのライブ(爆音音響)に行くかどうか悩みましたが、
耳栓を持って、もちろん行って楽しんで、そして数日後には耳鼻科行きとなりました。
とっても楽しかったんですけどね、
未だに天井が回ります。
めまいがあるとデジタル画面を見るのがつらいので、
波の合間に書き込みいたします。

例えば風邪をひいて、えいやっと出かけてそのまま元気になる人もおられますが、
私の場合そういうことは一度もなく、必ず悪化してしまいます。
単に弱くスタミナがないだけなのですが、
結果、身体的な具合の悪さにとても臆病で、弱っぴいです。
体力的なことに自信が持てず、外に出るのが億劫で、
内向きというか家向きというか、そうやって過ごしてきてしまいました。
行きたいところに行くことも、やりたい事を試すのも、
年々めっきり臆病になって。
そういう自分がいやで、何十年も悶々としてきました。

けれど最近は少し変わってきて、「どうにかなるさ」(何があっても大丈夫)と思って、
あまり悩まずに出かけるようになりました。
もちろん途中でリタイアすることもあるし、数日寝込むこともあるわけですが、
(今回はもう10日目ですが笑)
体調のことを気にし過ぎると、もったいないものを逃してしまう。
そんな規制は外したい。
具合が悪い状態でも、それを気にしないことに決められたのは、
とても気分がよく、気が晴れました!

「迷ったらSTOP」から「迷ったらGO」への移行は、
どっちが正しいということでもないでしょうが、
自分がそうしたくてできずに長年悶々としてきた末の選択なので、
ささやかですが、私には満足な着地です。

大した話ではなくてすみません。

とりあえず、楽しいライブを思い出しながら、気分の悪さを噛み締めます(笑)
いえ、それで仕事もけっこう遅れることにはなるので、
ああり調子付かないようにしないと‥‥


みなさんの投稿に何度となく励まされています、
それについても触れたいのですが、
やっぱり画面を見ていると気分が悪いので、この辺りで。
スクロールするとひっくり返ります。

みさおさん、あおやまさん、おめでとうございます!
飯沼さん、克子さん、みなさん、定例会のお話、ありがとうございます!

07/12/2017(木) 23:32:36

No.17438  のものも
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
飯沼さんの今回のお題
本当に難しいです。

ですが
私は今ある陰りの感情
怒り、悲しみ、不安
全て喜びにしてみせます。
大雑把でありますが、今年中にでも!
皆さんにとって、私にとって
喜びが舞い上がりますように。
これからに、わくわくしてきます。

08/12/2017(金) 08:37:30

No.17440  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
コメント欄に書いて送信したら、パソコンの接続具合が悪くて消えてしまいました。
やっぱりショックですね〜
コピーぐらいしておけばよかった・・・

また書きます。

08/12/2017(金) 12:08:36

No.17441  ゆうき
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
最近の僕は幸せいっぱいです。
とまぁ、手放しに言えちゃうくらい幸せです。
今までの自分がいかにイビツで凝り固まっていたのか、今までの自分から解放された今だからこそ
その重たい何の役にもたたない今までの惨めな自分の姿がわかります。
あのころの僕は見えない敵に怯えるように生きていました。
なにかを行動するのが怖かったのを覚えています。
自分から動くのが嫌だったのを覚えています。
目立つのも嫌だったし、責任を負うのも嫌でした。

でも今は違います。
自分が動けば明らかに状況が変わるのを知っているから、行動することが楽しい。
目立つのは自分が大きくなったから。責任を負うのは自分が頼られているから。

とまぁ、ほんとうにクルリと変わりました。
こうなれたのは自分が変わろうと意志したのもありますが、ほんとに大きなポイントは
「みゆきさんが変わったから」です。

なかなか大変でしたが、みゆきさんの自己否定癖もなくなり、家庭が穏やかになったのが一番大きいところだと思います、

そこから自分もぐんぐんと変わり始めていけたのだと思います。

こうなるために5月の定例会でわざとみゆきさんの自己否定癖をみなさんに披露(?)するような方法をとりました。
荒療治かもしれない、と思いながらもこれしか方法はないと思っていました。
僕の読みどおり(?)、みゆきさんはたくさんの愛を注いでもらい、自己否定癖から抜け出せました。


あのときに僕が黙っていたなら、もしかすると今でもみゆきさんは自己否定し続けているのかもしれないと思うとゾッとします。

でももう大丈夫です。

今までなら自分だけが黙って我慢していればいい、と思っていた問題を、あえてみなさんと共有することによって
喜びにつなげられたことは僕にとって大きな喜びでした。

さらなる喜びに向けて自分を動かしてどんどんまい進したいと思います。

それと、
今年で僕らは結婚10年目です。
10年前出雲の須佐神社で挙式しました。お礼参りをかねて出雲へ旅行へ行ってきます。
天気は雨(雪)のようですが、まぁ、僕たちらしい旅行になりそうです。

それでは気をつけて行ってきます〜

08/12/2017(金) 12:28:56

No.17445  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
みさおさん、ミスター、ぽんたさん、のものもさん、ゆうきクン、書き込みありがとうございます!


>飯沼さんの今回のお題
本当に難しいです。<

何だか、意外にそうみたいですね。

幼い頃から、感情の底の底に沈めこむことを繰り返し、自分でも認識できないぐらいに潜在意識化してきたわけですから無理もありません。

しかも、潜在意識に根を張った思い・気持ちは自分では見えなくなっているのに、そこから幹が伸び、枝葉が茂って自分の現実・現状を創っているのです。

気持ちのところで今を喜ぶということも、とっても大事です。
嬉しく変化した現状を、自分自身が目一杯に喜んでこそ、次の喜びへとつながるのですから。

それは喩えてみれば、「病気を持っているけど、それなりに元気で動けていることを喜ぶ」というのと同じような意味でしょう。
あるいは、「病状が改善してきたことを喜ぶ」ということでもあります。

それはさらなる健やかさに向けてとても大事なことです。

そういう心の作業を続けながら、「患部そのものを健やかに切り替えていく(治していく)」こともとても大事なことです。

気持ちは肉体や地上的現実に直接的に作用する心の層です。
ですから気持ちのところで、「陰りを光(喜び)に切り替える」「喜びとは思えていない気持ちを何らかの喜びに切り替える」ということは、決定的に肉体や人生の現実・現象を喜びに転換させることになるのです。

ですから、「今までの〜〜がこんなふうに喜びになったことが嬉しい」ということとは別の回路として、

「陰りの気持ち(喜びではない気持ち)を喜びの気持ちに」と「今の喜びをさらに大きな喜び、あるいはさらに健やかな喜びの気持ちに成長進化させること」です。

「今まで喜びとは思えていなかったことを、喜びの気持ちに切り替えて着地させる」
「喜びに思えていたことを、さらに進んだ喜びの気持ちに切り替えて着地させる」
ということです。

そして、「もっと喜んでいきます」や「もっと喜びにしていきます」ではなく、
「こんな喜びの気持ちに切り替えた」「こんな喜びの気持ちに切り替える」というふうに、できるだけ実際的な気持ちに切り替えることです。

あまり厳密に思うと頭で考えてしまいますし、ややっこしくなってしまうのですが、要は気持ちのところで「陰りを光(喜び)に切り替える回路」を確立して、活性化していくのです。

多分ですが、気持ちという地上的自我の壁が分厚い人の方が、難しく感じるのかもしれません。
あまねく満ちている喜びから分離した自分という枠の中で心を動かして生きている状態から、自分を解放していきたいのです。

ただし、地上的自我が分厚いかどうかは、善悪ではありません。
健やかなる摂理に沿って自由か不自由か、ということです。

自分を含む誰かを否定したり、自分を含む誰かのせいにしても、自他を傷つけるだけで、喜びは現実化しないのです。
波長の法則・波動の法則というのは確かにあって、喜びの現実は喜びの心、喜びの気持ちによって現実のものになるのです。

「今を喜ぶ」ということは大事ですが、そこに留まっていれば停滞です。
「全てが喜びの中で、さらなる喜びへと進化している」宇宙の絶対法則・摂理と同調しきれす、ノイズを発生させてしまいます。
それはやがて病や悩みやトラブルなど、地上的に嬉しいとは思いにくい現象を引き起こしていくのです。

感情のレベルでも「陰り=喜びではない気持ちを喜びに」という回路が開けると、普遍世界の喜びとの同調度が高まるので、今までの自分には想像もできないような喜びの現実を創っていけるのです。
三次元の道筋を超えて喜びの現象が起き始めるのです。

イメージしにくければ、私が挙げた例文に沿って書いてみればいいと思いますよ。

08/12/2017(金) 15:25:38

No.17446  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
また喩えを思いついたので書いておきますね。

陰りや喜びではない気持ちに留まることは、野球でバッターが「俺は三振してばかりだから、どうせ自分はダメなバッターだ」と思いながらバットを振るようなものです。

今の喜びの気持ちに留まることは、「さっきはヒットを打てたからもう十分だ」と思いながらバットを振るようなものです。

自分の陰りの気持ちや喜びではない気持ちをベースにしてあれこれ思うことは、「三振よりはピッチャーゴロの方がマシ。ピッチャーゴロよりはセンターフライの方がマシ」というように、アウトになることを前提にした中でバッターボックスに立っているようなものです。

人のせいにして喜びの気持ちに切り替えようとしない人は、「自分がヒットを打てないのは、あんなボールを投げるピッチャーが悪いからだ」と言っていつも見送りの三振をしているバッターのようなものです。

不安や怖れや心配ばかりしている人は、「また三振するんじゃないか? また三振したらどう思われるんだろう? (デッド)ボールが当たるんじゃないか? 急に雷雨になってこのままコールド負けになるんじゃないか?・・・」というようなことばかり思いながらバッターボックスに立っているようなものです。

それって、本当に野球をしていることになるんでしょうかね?

「さっきは三振(アウト)だったから、今度こそはヒットを打つ!」「さっきもヒットを打ったから次もヒットを打つ! よし、次はホームランだ!」と思ってバットを振るから、生き生きと楽しい野球になると思うのです。

陰りの気持ち・喜びではない気持ちを喜びの気持ちに切り替える、喜びを膨らませていくとはそういうことだと思います。

野球は9回まで、地上人生も極めて限られた期間(年月)です。
どうせなら、楽しく生き生きと、ますます喜びの地上人生を生きていきたいものです。

そう思いませんか?

08/12/2017(金) 16:13:19

No.17447  あきどん
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
こんばんわ。
今回のテーマで下記のことが浮かんで文にしてたんですけど、なんか自信がないのか?しばらく投稿を逃してました。ささいなことでも発表、心で思うだけでなく形にしないとですね。

私は、長く続けてきた自分らしくないと思う仕事をようやく辞めました。辞めてまだ2年にはなりません。
これからは自分らしく生きていこう!と辞めたことは全然後悔していません。
でもだんだん自分らしくて何したらいいのかなあて、だんだん生きる意欲の減退というか、翳りの気持ちになってきていました。
そういうときSさんへのヒーリングの呼びかけで、自分のそういう気持ちを改めて意欲へ切り替えようと努めました。そういうことに向き合うとだんだん元気が出てきました。私は今あの世に帰りたいのかと自分の心に問うと帰りたくないのです。具体的なことはわからないけどもっと収穫したいのです。それがわかっただけでも元気が出てきました。意欲が高まりました。そう思えたことが喜びです。
さらにまた思いついたら投稿します。

みさおさん、青山さん、合格おめでとうございます!

08/12/2017(金) 23:04:23

No.17448  ちづこ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
なかなか書き込みできませんでした。考えてみると、自分の中に陰りの感情っていっぱいあるなぁと思います。多過ぎてへこみました。そんな気持ちでいても、そんな現実を引き寄せるし苦しいだけなのに、どんどん深みにはまってしまい、ほんと無駄なエネルギーをいっぱい使ってました。自分もみんなも嬉しい現実になるために、切り替えます!!

小学生の頃、祖父の忌引きで3日間休んで学校に行った時に、がらっと雰囲気が変わっていました。その日からクラスメートに無視されたり、イヤなこと言われました。その時期に仲良くしていた友達が率先していたようです。つらかったけど、わたしは人の気持ちも考えず話したりする子だったと思うし、嫌われても仕方ないと思いました。

そのせいかわかりませんが、わたしは嫌われている、よく思われていない。わたしの言動で不快にさせたのだろうか。本心はどう思っているのだろう。と不安でいっぱいになることがあります。
また、否定されることもすごく怖くて、自分を守るために、相手を否定したり、どうせわたしなんかと自分を否定したり。人は傷つけるのに、自分は傷つくのが怖くて、ちっぽけな自分のことで意識はいっぱいで。ちっぽけな自分を守るためにエネルギーをいっぱい使っていました。

自分の気持ちだけに囚われず、相手の気持ちや背景をもっと考える。相手も自分も繋がってる。すべてはひとつらなり。絶対安心、大丈夫。すべては喜び、みんなで大きな喜びへ向かう。と意識を切り替えます。喜びへ着地します。

遅くなりましたが、みさおさん、あおやまさん、合格おめでとうございまーす!!

Sさん応援してます!!

09/12/2017(土) 01:50:18

No.17449  ゆりか
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
私は未熟な自分を受け入れることができなかったし、こんな自分は人に受け入れられるわけがない!!と思っていました。
私は弟が生まれた幼児期に、「親に愛されていないのではないか?」という満たされなさを潜在意識に抱えました。
そしてその意識が「夫に愛されてないのではないか?」という疑念に繋がってたような気がしています。

心の何処かでは、愛されているかもしれない。。と思っていたのですが、
自己否定が強かった私は、自分に自信も無く、夫からの愛情を信じきる事はできませんでした。
夫の愛情を信じたくて、拗ねた幼児がのたうち回ったり叫び続けたり逃げ回ったりして親の気を引きながら反応を伺う様な言動を繰り返してきました。

今の私は、自分の全てを丸ごと愛せれるようになったことで、親からの愛情も夫からの愛情も、自分の親や夫への愛情も信じれる様になりました。
そして、自分もみんなも大好きな自分の心も充分に感じています。

私は、人と係わるのが喜びなんやなぁ〜〜と、しみじみ感じているこの頃です。
だから自分もみんなも大好きな自分の心のままに、いつでも何処でも誰とでも、満身の笑顔で係わっている喜びを素直に言動できる自分に切りかえます。

黎明、読んでますよ〜〜

定例会前にヌマさんが掲示板に書いていた翳りの感情の例題、男女や兄弟姉妹の違いはあるものの、そこに書かれていた翳りの殆どは、自分も経験したものでした。

ので、また書き込みますね〜〜

09/12/2017(土) 02:37:37

No.17450  和也&久美
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
定例会の翌日、10年以上も前に克子さんが受信してくれたメッセージが出てきました。
そこには、私が『子供時代からずっと「自分は大好きな人から嫌われている」と思い、傷ついて成長した』と書いてありました。

私が小さい頃、姉が病気になってから、姉や母から酷く当たられることの連続で(父は無関心)、私の心の底には「受け入れてもらえない、嫌われる。人が怖い。」があるのだと思います。
そして、自分の心を守るために、地上的自我の壁を分厚くしてきたのだと思います。
そして、自分の気持ちベースで考えてしまい、自分や人を否定してしまったり、歪んでしまったり・・・。

でも、こういう私を受け入れてくれる皆さんがいて・・・。
皆さんのびっくりするくらいの優しさや輝きに、嬉しくなって泣けてきたりします。
自分の枠が緩んできているのかな?と思ったりします。

そして、先ほどの克子さんからのメッセージの他にも、『私の家族の共通のテーマは「自分の思うように愛情表現をしてもらえていなかったにしても、本当は愛されていたことを理解する。相手が十分に愛情表現できなかった理由についても納得し、それを許し、自分からも愛情表現していく。」』というメッセージもありました。

かなり前にこのメッセージをもらっていたのに、なかなか愛されている実感が持てなかったというか・・・。
「本当は愛されていたのかな?」と思いました。
私も相手のことが大好きでも、なかなか上手く表現ができなかったりして(枠にも入っているし、不器用だったりするし)、相手を傷つけてしまったのでは?とかなり落ち込む時がよくあります。
家族にも色んな気持ちがあって当たり前だし、思っていることを上手く表現できないこともあると思います。
そして、私も色んなことがあって何度も絶望しましたが、家族のことが好きでなければ、ここまで来れなかったと思います。
やっぱり私は、みんな幸せになって欲しいんだと思います。

私は自分の気持ちに囚われて、相手の状況や気持ちが分かりにくくなっていたように思います。
自分の気持ちベースではなくて、もっと大きな視点で自分もみんなも幸せになるように心を動かすということなのかな?と思いました。
まだまだ自分の気持ちベースですが・・・。

そして、今回のテーマですが、
「今まで私は家族から愛されていると実感が持てませんでしたが、本当は愛されていたという喜びの気持ちに切り替えます。」

                            久美

09/12/2017(土) 04:41:48

No.17451  飯沼正晴 ホームページ E-mail
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
あきどんさん、ちづこさん、ゆりかさん、久美さん、書き込みありがとう!

うんうんと頷きながら、泣きそうになって読んでいました。

しっかし、ゆりかさんや久美さん(ちづこさんもだけど)の投稿時刻にびっくりですが、大丈夫?
嬉しいけど、寝てますか?

このテーマ、ほんとに勝負どころなので、じっくり腰を据えて提示し続けます。

陰りや喜びではない気持ちなんて、大小さまざまに誰にでもいくつもあると思います。
自分では意識できないぐらいに慣れ親しんできたそういう気持ちに意識が向けば、気持ちのところでのさまざまな葛藤が生じてくるでしょう。

私も特にこの働きを始めてからは、自分の気持ちのところでたくさん葛藤してきたように思います。
気持ちのところで受け入れられないことを、(頭ではなく)気持ちのところで受け入れようとすれば、行きつ戻りつの葛藤が生じますからね。
それはまさに自分との戦い、矮小な自我意識との戦いです。

私の場合は自分の気持ちの陰りを抑え込む方への葛藤のことが多かったのですが、これからは根っ子から喜びに切り替えていきます。

でも、思うのですが、自分の気持ちの陰りに囚われずに、それを薄くしよう(手放そう)としていれば、そこでできた余白に何らかの喜びの気持ちが入れ替わりで入ってくるもののようです。

やっぱり人間の気持ちというものも、本来は喜びの環境の中にあるからでしょうね。

自分へのこだわりというものがどんどん薄くなっていることが嬉しい私です。

今日はドネ会で、もうすぐ出かけます。

私もまた書きます。
皆さんも焦らなくて大丈夫ですから、またなんでも書いてくださいね。

些細なことでも一つずつ何らかの喜びに切り替えて、それを積み上げていけば、必ず喜びへの切り換えの回路が開け、地上的自我の砦に健やかな喜びの風穴があくのです。

楽しみです。
皆さんの書き込みに感動しています!

09/12/2017(土) 08:55:37

No.17452  ゆりか
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
久美さんの書き込み、自分の事のように感じながら読ませてもらいました。ちいさんやあきえさんやみさおちゃんや他の皆さんからの書き込みも、自分の気持ちが書かれているように感じながら読むことが多いです。
天地悠々の中にある個人メッセージを同じような感覚で読んでいた事を思い出しました。

悠々塾で学ばせてもらうようになってから20数年が経ちました。
係わる全ての人を癒せる自分になりたい!!という自分の中から沸き起こる欲求に突き動かされるかのように、気持ちのところでの陰りを喜びに切り換える為に努力する事が、自分の生きる軸になりました。
「私が自分の陰りを払拭できなければ、家族を幸せにする事は出来ないのだ」という強い強迫観念を抱え、自分の相反する気持ちと戦いながら。。

その頃の私は、一つの陰りを払拭できたと思っていたら、何度も何度も同じ陰りが湧いてきて、その度に「これでもか、これでも可なのか(笑)」
と不毛な戦いを続ける事に、エネルギーを注いでいました(陰りを増幅させている事に気付かぬままに。。(笑笑笑)
無意識(潜在意識)エネルギーの解放という事がテーマになってからは、
無意識層にある陰りの感情を意識化させる為に、お酒を飲みました。
酔っ払いすぎて記憶がない時には、その時の自分の言動を後から夫に報告してもらいながら。。
今思い返しても、自分の陰りを一掃するという自我の執着心を動機に、家族は元より悠々塾の皆さんにも、多大なご迷惑をかけてきました。

911のテロ、克子さんが亡くなった時期、ドネの立ち上げの時期、の大きな節目を経て、地上で生かされている事を喜びのベースにして生きる事に少しづつ軸を移行してきましたが、自らが喜びの現実を創る強い欲求と未熟過ぎて智慧がなさ過ぎた過去の自分を大きく反省し、自分の陰りを丸ごと受け入れるようになったのは、311の福島原発事故でした。

自分が陰りと戦い続けた想念が、福島原発事故を引き起こしたのだ!!
私は大きな過ちを犯し続けていたのだ!!
今迄の生き方や想念の持ち方を360度変換したい!!

という強い欲求が沸き起こったことで、やっと本気になって全身全霊をかけて自分の魂の意識との融合に取り組めれるようになりました。

私も宣言しますね〜〜

過去の沢山の失敗への囚われから来る自信のなさが強くあり、自分の素直で正直な気持ちをおおらかに表現できなくなっていました。

今、私は、過去の失敗への囚われを解放し、自分の気持ちを自由におおらかに表現する喜びに切り換えました。

陰りを受け入れ薄くしていく努力を続けてきた過去を喜べるようになりました。
陰りを光に変える旅(度・笑笑)に、その喜びの気持ちをおおらかに表現しています。

いつも無意識にネガティブなエネルギーを発しているのではないか?
と自信のない私でしたが、
自分で自分を喜べるようになったら、周りの人からの私への愛の言葉を素直に受け入れることができるようになりました。お陰さまで、
私の最大の喜びは、健やかな喜びの地上界の創造に貢献する事です!!
と表現できる自分に切り換える事が出来ましたよ〜〜


黎明、一度通して読み、今二度目を丁寧に読み進めていますよ〜〜

自分のことが書いてある〜〜
あの時の経験は、こういうことだったのだなぁ〜〜
今の私達は、こういう時期のこういう時点にいるのだなぁ〜〜

そうかなぁ?理解できないなぁ?

という内容もあるのですが、それも含めて、楽しみながら読んでいます。
言葉にならなかった自分が感じていた事を、作者に言葉にしてもらってるように感じていることも多く、自分の整理にもなっていて、頭も気持も楽になっていますよ〜〜

ヌマさん、楽しい本をありがとうね〜〜

みんな、ドネ会楽しんでね〜〜私の分まで頑張ってね、よろしくね〜〜

09/12/2017(土) 12:45:27

No.17453  みやっち ホームページ
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
中学生か高校生ぐらいからかアレルギー体質で身体に痒みがあるのが当たり前でした。
大人になっていつの間にかアレルギーを通り越して肌がかなり荒れてましてアミロイドタイセンという皮膚の難病になってました。
痒みがあるのは当たり前で治るとは思ってなかったし期待していなかったですが飯沼さんからは鎧をまとってるなと言われてました。
最初は言われている意味がよくわかりませんでした。
でも藍子さんと話をしているうちに僕は自分の気持ちを変えるつもりがなくてこうしないといけないとかこうあるべきだというのがずっとあると気づきました。
曲がったことが嫌だったりちゃらいやつが嫌いだったり、2世とかぼんぼんが嫌だったりとか。
こういう柔軟性がなく、凝り固まった気持ちが鎧を纏っていることだとわかりましたがなかなか変えることが出来ませんでした。
でも家族がどんどん増えていき、それぞれみんな個性があり、またいろんな人と接する中で、人にはいろいろと苦労があるし見た目だけでは何もわからないと少しづつ自然に思えるようになってきました。
そうこうしてるうちに家族のおかげでいつの間にかアミロイドタイセンの症状はなくなっていました。
まだまだですが少しは柔軟になってきたのかなと。
あまりすぐに人を勝手に決めつけないようになってきたのかなと。
こういうところは喜んでいいのかなと思えました。

今回の課題を最初は簡単に考えていたのですが真剣に向き合うと自分ではなかなかわからないものでとても困りました。
自分では自分のことはわからないものだと思いもう投稿することを諦めていたのですが藍子さんと話をしててまだまだですがこういう事が喜びの中で少しは出来てきた(思えるようになった)のかなと思えたので投稿します。

10/12/2017(日) 23:34:51

No.17454  祐造
Re: 引き続き、気持ちのところでの喜びへの切り替えを!?A 引用
1週間ほど前に、僕の書き込みにさきさんがアドバイスのコメントをくださったいたのですが、メールでひとこと伝えたていどで、掲示板ではスルーしてしまっていました。
さきさんがそのコメントに込めた気持ちを僕が全く気にかけていないことを、昨日京都での寄り合いで教えられました。
この夏の掲示板でのやり取りで迷惑をかけてしまったにもかかわらず、今アドバイスをしてもらえていることに、僕はその気持ちを考えることも思うこともできていなかったのです。
書いてもらったアドバイスを頭で考えて自分がどうすればいいのかばかりを思って答えも出ずに、一方で気持ちのところは全く見えていませんでした。
人の気持ちすら見えなくなっている。

それだけではありません…。
自分が言ったつもりで、実は言っていなかったことがあったり。
人から言われていたことが記憶からスパッと抜け落ちていたり。
そのことで人に迷惑をかけたり、嫌な思いをさせてしまったり。
もう普通じゃない状態にありながら、でもどうすればいいのか分からない。
不様で情けない姿をさらしながら、まだいい人でいたい意識が自分を支配しているのか。
もう自分で自分が分からなくなって混乱しそうです。
ぐだぐだ書いてすみません。

昨日言ってもらったことを思い返して、気持ちやこころを大事にしなければならないと
思っていたら、10年前にあのころ言われていた「かたちじゃないよ、こころだよ」という言葉を思いだしました。
自分は10年経っても変わっていない愚か者です。


「気持ちのところでの、喜びへの切り替え」をひとつ書かせていただきます。
自分は幼いころからの刷り込みで「いい人でありたい」という意識が強いこともあるからでしょう、自分の至らなさやできていないところを言われるのがとても嫌でした。
そこでは普通の人よりも過剰に反応してしまいます。
でも冷静に考えれば、自分のできていないことを教えてもらっているのだし、ひとつステップアップできる機会を頂いているという喜びに切り替えていきます。
これからは「言われている」ということ自体に過剰反応することなく、そこから学んで前に進みます。

11/12/2017(月) 00:36:45

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